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東北大学埋蔵文化財調査年報21

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(1)

東北大学埋蔵文化財調査年報21

著者

東北大学埋蔵文化財調査室

雑誌名

東北大学埋蔵文化財調査年報

21

発行年

2007-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/45625

(2)

ISSN 1341-6952

東北大学埋蔵文化財調査年報

21

仙台城跡二の丸北方武家屋敦地区第

9地

点 の調査

芦 ノロ遺跡第

6次

調査

東北大学埋蔵文化財調査室

2□

ロ フ

(3)

東北大学埋蔵文化財調査年報

21

仙 台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

9地

点 の調査

芦 ノロ遺跡第

6次

調査

東北大学埋蔵文化財調査室

(4)
(5)

1.仙

台城跡二 の丸北方武家屋敷地区第9地点全景 (南か ら)

― ,蕩拶 2馬う免攀 `弱 Sヽ遭圏馘輝瞬麗識機酷露薇藤歯蔭輝番│=i

2.仙

台城跡二 の丸北方武家屋致地区第9地点石垣 (東か ら)

(6)

東北大学構 内には、仙台城跡二の丸地区をは じめ として、多 くの埋蔵文化財包蔵地が知 ら

れている。 これ らの東北大学構 内の埋蔵文化財包蔵地 における施設整備事業などに際 して、

組織的に対処する必要か ら、昭和

58年

に埋蔵文化財調査委員会が設置 された。調査委員会 は、

平成

6年

に埋蔵文化財調査研 究セ ンターに改組 され、東北大学構 内での埋蔵文化財調査およ

び研究 を行 うとともに、資料の保管 と活用 にあたって きた。

国立大学法人化以降、東北大学において も、 さまざまな機構改革が進め られている。その

一環 として、本年度

(平

18年

)か

ら、セ ンターは特定事業組織 としての埋蔵文化財調査

室 に改組 されることとなった。新たに設置 された埋蔵文化財調査室の業務内容やスタッフは、

従来のセ ンターを引 き継いでいる。今後 とも当調査室の活動への、変わ らぬご理解、御協力

を御願いする次第です。

本書 は、平成

15年

度 に東北大学構 内で実施 した、施設整備 に伴 う埋蔵文化財調査や、それ

に関わる整理作業、研究活動などの事業概要 をとりまとめた ものである。当年度に実施 した

発掘調査 は、川内北キ ャンパスの仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区で

1件

、富沢キャンパス

の芦 ノロ遺跡で

1件

の、

2件

であった。調査面積 はさほど大 きなものではなかったが、大学

施設が立地 している遺跡 を正確 に理解するための、貴重な成果が得 られている。本書で報告

されるデータが、広 く活用 されてい くことを望む ものです。

調査の実施か ら報告書の刊行 に至 るまで、施設部 を始め、大学内外の関係者および関係機

関には、多 くの御協力 を賜 りました。 ここに厚 くお礼 申し上げます。

東北大学埋蔵文化財調査室

室長 阿 子 島

(7)
(8)

J

1.本

年報 は、東北大学構 内において、東北大学埋蔵文化財調査研究センターが2003年 度に行 った遺跡調査、な らびに研究成果 をまとめた ものである。

2.報

告 される遺跡 と略号、調査期 間、調査担当者は以下の通 りである。 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

9地

(BK9)

本調査

2003年

7月14日∼ 9月17日 藤沢教・柴田 (旧姓京野

)恵

子 。高木暢亮 芦 ノロ遺跡第

6次

調査

(TM6)

本調査

2004年

3月25日∼ 3月30日 藤沢敦・柴田恵子・高木暢亮 3。 調査・整理作業は、東北大学埋蔵文化財調査室が行った。

4.本

年報の編集は、阿子島香の指導の もとに、藤沢教・柴田恵子・高木暢亮が担当 した。 5。 本文は、藤沢教が執筆 した。 英文要 旨については、藤沢教が作成 し、阿子島香が校訂 した。

6.発

掘調査お よび整理・報告書作成 にあたっては、以下の方々や関係機関か ら御指導 。御協力 を賜った。記 し て感謝 申し上げる (敬称略)。 仙台市教育委員会、東北大学考古学研究室

7.出

土遺物・調査記録 は、東北大学埋蔵文化財調査室で保管・管理 している。

1.方

位 は真北 に統一 してある。

2.図

1と 図

2は

、それぞれ国土地理院作成の、

2万

5千

分の1地形図「仙台西北部」 と「仙台西南部」、

1万

分の

1地

形図「青葉山」 を使用 した。

3.川

内地区の仙台城跡二の九地区、お よび二の丸北方の武家屋敷地区にあたる区域の地形測量図は、仙台市教 育委員会の作成 による「仙台城跡地形図」(縮尺500分 の

1)を

使用 した。

4.国

土座標値 を用いる場合 には、 日本測地系 と世界測地系の別 を、それぞれ記入 した。 5。 遺物の実測図お よび写真の縮尺 は、それぞれに示 した。 6。 遺構 の断面図中で、礫 はア ミをかけて示 した。

7.引

用 。参考文献 は、巻末 にまとめた。 また本文中で、『東北大学埋蔵文化財調査年報』 を引用す る場合は、 年報 1と い う形で略記 した。

(9)

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会 優

oo3年

) 委員長 セ ンター長 (文学研究科 教授) 委 員 川内地区協議会協議員 (国際文化研究科 教授) 青葉山地区協議会協議員 (生命科学研究科 教授) 星陵地区協議会協議員 (医学系研究科 教授) 片平地区協議会協議員 (金属材料研究所 教授) 文学研究科 教 授 文学研究科 教 授 文学研究科 教 授 東北 アジア研究セ ンター 教 授 理学研究科 教 授 工学研究科 教 授 総合学術博物館 教 授 施

長 幹 事 施 設 部 企画課長 阿子島 米 山 十 川 里 見 後 藤 須 藤 今 泉 大 藤 入間田 藤 巻 飯 淵 柳 田 新 保 佐 々木 阿子島 須 藤 今 泉 大 藤 入間田 藤 巻 飯 淵 柳 田 藤 沢 京 野 高 木 佐 々木 香 親 能 和 博 進 孝 隆 隆 雄 修 宣 夫 宏 和 康 一 俊 雄 幸 一 力 香 隆 隆 雄 修 宣 夫 宏 和 康 ― 俊 雄 敦 恵 子 暢 亮 力

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会専門委員会 ⑫

oo3年

) 委員長 セ ンター長 (文学研究科 委 員 文学研究科 教 授 文学研究科 教 授 文学研究科 教 授 東北アジア研究セ ンター 理学研究科 教 授 工学研究科 教 授 総合学術博物館 教 授 調査研究員 (文学研究科 調査研究員 (文学研究科 調査研究員 (文学研究科 施 設 部 企画課長 教授) 教 授 助手) 助手) 助手)

(10)

巻頭 カラー図版 序 例言 凡例 東北大学埋蔵文化財調査研 究 セ ンター運営委員会 東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンター運営委員会専 門委員会 目次 図 目次 表 目次 図版 目次 第

I章 2003年

度 (平成 15年 度

)事

業 の概 要 ………… …… ……… ……… ………1

4.遺

物整理作業 ・………

10 (1)非

常勤講師 ・………15 5。 保存処理事業 ・………

10 (2)保

管資料の貸出 ・………15 6。 資料保管状況 ・………

m (3)外

部か らの派遣依頼等 ・………15

7.研

究活動 ・………

13 (4)広

報活動 ・………15 第 Ⅱ章 仙台城跡二の九北方武家屋敷地区第

9地

(BK9)の

調査 ………・16

1.仙

台城跡二の丸北方武家屋敷地区の

(2)Ⅱ

期の遺構 ・………26

1.は

じめに ,…………1

2.運

営委員会 。専門委員会 ・………1

3.埋

蔵文化財調査の概要 ・………4 (1)川内地区の調査 ・……… 4 (2)富沢地区の調査 ・………lo 立地 と歴史 ・……16

2.調

査経緯 ・………17 (1)2002年度 までの調査 ・………17 (2)調査地点の位置 ・………17 (3)調査の方法 と経過 ・………17

3.基

本層序 と時期区分 ・………20

(1)基

本層序 ・………20

(2)変

遷段階の設定 と推定時期 ・………24

4.検

出遺構 。………25

(1)I期

の遺構 ・………25

1.芦

ノロ遺跡の立地 と歴史 ・………43

2.調

査経緯 ・………43 (1)2002年度 までの調査 ………Ⅲ43 (1)受託研究・共同研究等 ・………13 (2)学会発表等 ・………14 (3)資料調査 ・………14 (4)科学研究費採択状況 ・………15

8,教

育普及活動 ・………15 (3)Ⅲ期の遺構 ・………33 5。 出土遺物 ・………33

(1)縄

文土器・土師器 ・………33 (2)磁器・陶器 ・………34 (3)土師質土器・瓦質土器 。 軟質施釉土器・土製品 ・……34 (4)瓦 ・………35

(5)金

属製品 ・………35 (6)その他の遺物 ・………35

6.ま

とめ ,…………36 (2)調査地点の位置 ・………44 (3)調査の方法 と経過 ・………44

3.検

出遺構 ・………44 第 Ⅲ章 宮沢芦 ノロ遺跡第

6次

調査

(TM6)。

………43

(11)

4.出

土遺物 ・………48 引用 。参考文献 英文要旨 写真図版

1

東北大学 と周辺の遺跡 ・………2 図

2

仙台城 と二の九の位置 ・………3 図

3

仙台城跡二の丸 。武家屋敷地区調査地点 ・…5 図

4

青葉 山地区調査地点 ・………7 図

5

富沢地区調査地点 ・………9 図

6

収蔵遺物量の推移 。………12 図

7

収蔵庫全景 ・………12 図

8

武家屋敷地区第

9地

点調査 区の位置 ・………18 図

9

武家屋敷地区第

9地

点基本層序模式図 ・……21 図

10

武家屋敷地区第

9地

点 基本層序断面図 (1)・ ………21 図

11

武家屋敷地区第

9地

点 基本層序断面図 (2)・ ………22 図

12

武家屋敷地区第

9地

点 基本層序断面図 (3)・ ………23 5。 まとめ ・………51

13

武家屋敷地区第

9地

点遺構配置図 (1) 図

14

武家屋敷地区第

9地

点遺構配置図 (2) 図

15

武家屋敷地区第

9地

点 検出遺構平面図 (1)・ ………30 図

16

武家屋敷地区第

9地

点 検出遺構平面図 (2)・ ………31 図

17

武家屋敷地区第

9地

点検出遺構 断面図 。……32 図

18

武家屋敷地区第

9地

点出土陶器 ・………37 図

19

武家屋敷地区第

9地

点出土磁器・土器 ・……38 図

20

武家屋敷地区第

9地

点出土瓦 。古銭 ・………39 図

21

芦 ノロ遺跡第

6次

調査 区の位置 ・………45 図

22

芦 ノロ遺跡第

6次

調査遺構配置図 ・…………46 図

23

芦 ノロ遺跡第

6次

調査検 出遺構 平面図・断面図 。……47 図

24

芦 ノロ遺跡第

6次

調査出土土師器 ・…………50

1 2003年

度調査概要表 ・………4 表

2

武家屋敷地区第

9地

点出土磁器集計表 ・……40 表

3

武家屋敷地区第

9地

点出土陶器集計表 ・……40 表

4

武家屋敷地区第

9地

点出土 土器 。その他の遺物集計表 ・……41 表

5

武家屋敷地区第

9地

点出土瓦集計表 ・………41 表

6

武家屋敷地区第

9地

点出土 縄支土器 。土師器観察表 ・………41

7

武家屋敷地区第

9地

点出土磁器観察表 表

8

武家屋敷地区第

9地

点出土陶器観察表 表

9

武家屋敷地区第

9地

点出土土師質土器・ 瓦質土器・軟質施釉土器観察表 ・……42 表

10

武家屋敷地区第

9地

点出土瓦観察表 ・………42 表

11

武家屋敷地区第

9地

点出土古銭観察表 ・……42

(12)

図版

1

武家屋敷地区第

9地

点 全景・Ⅲ期 の遺構 図版

2

武家屋敷地区第

9地

点全景 (I・ 図版

3

武家屋敷地区第

9地

点 基本層セクシ ョン (1) 図版

4

武家屋敷地区第

9地

点 基本層セクシ ョン (2) 図版

5

武家屋敷地区第

9地

点 I・ Ⅱ期の遺構 (1) 図版

6

武家屋敷地区第

9地

点 I・ Ⅱ期の遺構 (2)

目 次

・・・・・・・59 Ⅱ '朝 ) ・・60 。・・・・・・61 ・・・・・・・62 ・・・・・・。63 ・・・・・・・64 図版

7

武家屋敷地区第

9地

IoⅡ

期の遺構 (3)。 ………65 図版

8

武家屋敷地区第

9地

点 I・ Ⅱ期の遺構 (4)。 ………66 図版

9

武家屋敷地区第

9地

点出土遺物 (1)。 ……67 図版

10

武家屋敷地区第

9地

点出土遺物 (2)・ ……68 図版

11

芦 ノロ遺跡第

6次

調査 全景・検 出遺構 (1)・ ………69 図版

12

芦 ノロ遺跡第

6次

調査検 出遺構 (2)・ ……70 図版

13

芦 ノロ遺跡第

6次

調査 出土土師器 ・………71

(13)
(14)

I章 2003年

(平

15年

)事

業の概要

1.

は じ め に 東北大学 には、仙台市内の各キャンパスに加 えて、多 くの研究施設がある。 これ らの各地区構 内には、多 くの 埋蔵文化財が存在 している (図1)。 特 に川内地区は、ほぼ全域が近世の仙台城跡二の丸地区 と二の九北方の武 家屋敷地区にあたっている (図 2)。 東北大学構 内での施設整備等 に伴 う埋蔵文化財調査 については、1983年度 に東北大学埋蔵文化財調査委員会が組織 されて以降、その実務機関である埋蔵文化財調査室が、調査の任 にあた って きた。1994年度 には、埋蔵文化財調査委員会 を改組 し、学内共同利用施設 としての埋蔵文化財調査研 究セ ン ターが設置 され、調査委員会の事業 を引 き継 いでいる。2006年 度か らは、大学法人化 に伴 う組織 ・定員見直 しの 結果、特定業務組織 として、埋蔵文化財調査室 に改組 され現在 にいたっている。 2003年度 において も、川内地区や富沢地区において調査が行われ、新たな資料 を提供することとなった。本年 報 は、 これ らの調査成果お よび同年度のセ ンターの研究教育活動 など、各種事業 についてまとめた ものである。

2.運

営 委 員 会 。専 門 委 員 会 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターでは、セ ンターの運営 に関す る重要事項 を審議す る運営委員会 と、運営 委員会の下 に埋蔵文化財調査 に関す る専 門的事項 を審議す る専 門委員会が設置 されてお り、両委員会の審議 をも とに運営が進め られている。通常 は、運営委員会 は年度当初 に1回開催 し、そ こで年間の事業予定・予算等 を審 議 し、調査 に関わる具体的な事項 は、専 問委員会 をその都度開催 して審議す ることとしている。 2003年度 (平成15年度

)は

、運営委員会 は2回、専 門委員会 は1回開催 した。それぞれの開催 月 日・議事 内容 は以下の通 りである。 埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会 5月15日

審議事項

(1)平

成15年度埋蔵文化財調査計画について

(2)平

成15年度セ ンター運営費について

(3)平

成15年度整理作業計画について

(4)法

人化へ の対応 について

(5)平

成15年度非常勤講師の委嘱について

(6)そ

の他 報告事項

(1)平

成14年度埋蔵文化財調査結果 について

(2)平

成14年度セ ンター運営経費決算 について

(3)平

成14年度整理作業 について

(4)調

査研 究員の全学枠定員について

(5)そ

の他

1)東

北大学キャンパス移転統合計画 について

2)本

学構 内に所在す る遺跡登録の変更について 3月 8日

審議事項

(1)法

人化 に伴 う埋蔵文化財調査研 究セ ンター規定の改正 について

(2)埋

蔵文化財調査研究セ ンターの中期 目標 。中期計画について

(3)そ

の他 報告事項

(1)法

人化 に伴 う文化財保護法の扱いの変更 について

(2)そ

の他

(15)

hliyagi Pref

0

Sendai Castle

(Tohoku Un )

Ruin of Sendai Castle Kawauchi steles Aobayama B Site Aobayama E Site Aobayama C Site Aobayama A Site Aobayama D Site AshinOkuchi Site

1:仙

台城跡

2:川

内古碑群

3:青

葉山遺跡B地 点

4:青

菜山遺跡E地 点

5:青

葉山遺跡C地 点

6:青

葉山遣跡A地 点

7:青

葉山遺跡D地 点

8:芦

ノロ遺跡

9:片

平仙台大神宮の板碑

10:郷

六大 日如来の碑 11:葛岡城跡

12:郷

六城跡 13:郷 六建武碑

14:沼

田遺跡

15:郷

六御殿跡

16:郷

六遣跡

17:松

ヶ岡遺跡

18:向

山高裏遺跡

19:萩

ヶ丘遺跡 20:茂ヶ崎城跡

21:ニ

ツ沢横穴墓群

22:萩

ヶ岡B遺 跡

23:八

木山緑町遺跡

24:ニ

ツ沢遺跡

25:青

山二丁 目遺跡 26:青山二丁 目B遺 跡

27:杉

土手 (鹿除土手

) 28:砂

押屋敷遺跡

29:砂

押古墳

30:富

沢遺跡

31:泉

崎浦遺跡 32:金洗沢古墳

33:土

手内窯跡

34:土

手内遺跡

35:土

手内横穴墓群

36:三

神峯遣跡

37:金

山窯跡

38:三

神峯古墳群 39:富沢窯跡

40:裏

町東遺跡

41:裏

町古墳

42:原

東遺跡

43:原

遺跡

44:八

幡遺跡

45:後

田遺跡

46:町

遺跡 47:神漉山遺跡

48:御

堂平遺跡

49:上

野山遺跡

50:北

前遺跡

51:佐

保山東遺跡 図

1

東北大学 と周辺 の遺跡

(16)

傘 章テ

ム ラ ぞ

2

仙 台城 と二 の丸 の位置

(17)

埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会専 門委員会 5月15日

審議事項

(1)平

成15年度埋蔵文化財調査計画 について

(2)平

成15年度整理作業計画 について

(3)そ

の他 報告事項

(1)平

成14年度埋蔵文化財調査結果 について

(2)平

成14年度整理作業について

(3)そ

の他 3月 8日 に開催 した運営委員会 は、翌年度当初か らの大学法人化 を控 え、法人化 に伴 う規定改正や中期 目標 ・ 中期計画について審議 した ものである。 また法人化 に伴い、文化財保護法の適用法令が、国等の機関か ら一般法 人扱 い とな り変更 になることなどの報告 を行い、学内に周知徹底す ることなどを確認 した ものである。

3.埋

蔵 文 化 財 調 査 の 概 要 2003年 度は、川内地区 と富沢地 区において、本調査

2件

、立会調査

5件

の、合計

7件

の調査 を実施 した。(表 1)。 青葉 山地区については、当年度の調査 はなかったので、 これ までの発掘調査個所 を示 した図4を示 してお くに留める。

(1)川

内地区の調査 川内地区では、本調査

1件

と立会調査

4件

を実施 した (図3)。 本調査 を実施 したのは、音楽 。昇踏系課外活動施設 (川内ホール

)新

営 に伴 う、仙台城跡二の丸北方武家屋敷 地区第

9地

(BK9)の

調査である。 これについては、本年報の第 Ⅱ章 において報告する。 川内南地区での立会調査 は、

1件

であった。 受水槽新設 に伴 う調査 (2003-3)で 、調査場所 は文系

4学

部 などが置かれている平坦面か ら、南西側の丘陵を

20mほ

ど登 った場所である。周知の遺跡の範囲外ではあったが、遺跡範囲にす ぐ隣接す ること、大型水樽の設置 で基礎掘削が深 くなることか ら、念のため立会調査 を実施 した。調査の結果、盛土が

3m以

上の深 さに及んでお り、沢状の地形であった場所 を、近代以降に大規模 に盛土 した もの と判明 した。遺物 も発見 されなかった。 川内北地区での立会調査 は

3件

であった。 川内石積 よう壁改4多工事 に伴 う調査 (2003-1)は 、体育館東側のグラン ドとの間にある石垣が崩壊 し、それを 改修す る工事 に伴 うものである。 グラン ドとの段差 は、本来は段丘崖 による段差であると考 え られるが、現在 は 全体 に石垣が築かれている。石垣表面か らの観察では、仙台城跡の本丸北側石垣 で確認 されている変遷 にあては めると (我妻仁2000)、 Ⅲ期石垣 と同様の積み方 となっている。 しか し、本九 Ⅲ期石垣 と異 なる点 も見 られる。 表

1 2003年

度調査概要表

Tab.l Excavations on the campus in the iscal year 2003

調査の種類 調 査 地 点 (略号) 原 因 調査期間 面 積 時 期 本調査 仙台城跡二の九北方武家屋敷地区第 9地点(BK9) 音楽・舞踏系課外活動施設新営 7/14-9/17 3635 近 世 芦ノロ遺跡第6次調査 (TM6) 屋外排水管布設 3/25^ψ3/30 245 古墳 立会調査 川内北地区川内体育館東側 川内石積 よう壁改修 6/19、 25 原子核理学研究施設研究棟南側 総合学術博物館標本倉庫新営 Ъ/17 川内南地区北西端 川内団地受水槽新設 11/10、 20 川内北地区講義棟A棟北側 学務部講義棟改修電気設備 2/27 川内北地区東北アジア研究棟南東側 東北アジア観測機器格納車庫新設

(18)

躙 2003年 度までの発掘調査地点 罐 2003年度の立会調査地点

/ 図

3

仙 台城 跡二 の丸・ 武 家屋敷地 区調査地点

(19)

踵に∞鐵 2003年 度 までの発掘調査地点

日 カ ツテ イ ン グ

ふぺ

4

青葉 山地区調査地点

(20)

囲 考 古 学 研 究 室 に よ る調 査 区 (1976年 度 ・略 号

TK)│!

雲 第 1次 調 査 区 Q鋸 5年 度 ・

TM捌

些重 土 lllllll第 2浚 調 査 区 (1989年 度 ・TM2)写 □ 第 3次 調 査 区 (1991年 度 ・

TM3)

鰯 第 4次 調 査 区 (1996年 度 ・

TM4)

磯 第 5次 調 査 区 (2001年 度 ・TM5)\ 本 ∞ 第 6次 調 査 区 (2003年 度 ・

TM6)

囲 2003年 度 の立 会 調 査 地 点 緯 募 η ∼ ..] ク オ ´ ‐ ″ 'r │ユ ´■ 一 ‐ く く \ 図

5

宮 沢 地 区 調 査 地 点

Fig.5 Location of excavations at Tomizawa campus(TM ie TOmizawa Ashinokuchi site)

(21)

本丸のⅢ期石垣 は、石垣前面の形 をほぼ長方形 に整 えた切 り石 による整層積で、横 目地が通 る。隅角の石 は算 木状 に積み上げ られ、角石1石あた り、

2か

3段

の横 目地が通 る。 グラン ド脇の石垣では、角石

1石

あた り横 目地は

1段

とな り、横 目地がその まま角石 につ ながっている点が、本丸石垣 とは異 なっている。石材 を見 る と、 グラン ド脇の石垣 では、少数ではあるが、凝灰岩が使われている。確実 に江戸時代 に遡 る石垣では、凝灰岩が使 用 されている例 は知 られていない。 また、江戸時代の城下絵図に、石垣 の存在 を示す ものが見当た らない。以上 の点か ら、 この石垣 は、近代以降に構築 された可能性が高い もの と判断 し、改修工事の際 に立会調査 を行 うこと とした。石垣 の崩壊部分 を除去す る際の観察で、背面 にモルタルが用い られていることが確認 された。 また石垣 を撤去 したさらに下層 に、江戸時代 の地表面 と推定 される斜面が確認 され、 この斜面 に盛土 を行 った上で石垣 を 構築 していることが判明 した。以上の点か ら、 この石垣 は明治時代以降に築かれた ものであることが確実 となっ た。 講義棟改修電気設備工事 に伴 う調査 (2003-4)は 、

A講

義棟 のす ぐ北側の場所である。工事個所が

A講

義棟 に 隣接 し、既設建物建設の際に掘削 されている可能性が高いため、立会調査 とした。工事 による掘削 は、近代以降 の新 しい地層の範囲内にお さま り、遺物 も出上 しなかった。 東北 アジア研究セ ンターの観測機格納庫新設 に伴 う調査 (2003-5)を 行 ったのは、川内北合 同研究棟 の南西側 の場所 である。簡易 な構造の格納庫で、基礎掘削 も深 さ

40cm程

度 と浅いため、立会調査 とした。掘削 は現代 の 盛土の範囲内に収 ま り、遺物 も出土 しなかった。

(2)宮

沢地区の調査 富沢地区では、本調査

1件

、立会調査

1件

を実施 した (図5)。 本調査 を実施 したのは屋外排水管布設 に伴 う、芦 ノロ遺跡第

6次

調査

(TM6)で

ある。工事範囲は広範囲に 及んでお り、工事実施 にあわせて順次立会調査 を実施 した。立会調査 の結果、一部で遺構 。遺物が発見 されたた め、その部分 は本調査 を実施 した ものである。 これについては、本年報の第 Ⅲ章 において報告す る。 立会調査 を実施 したのは、総合学術博物館標本倉庫新営 に伴 う調査 (2003‐

2)で

、原子核理学研究施設研究棟 の南西側の場所 である。軽量鉄骨造で、基礎掘削が

50cm程

度 と浅いため、立会調査 とした。表土直下 に地 山面 が確認 されたが、既 に削平 を受けた場所 と考 えられ、遺構・遺物 は発見 されなかった。

4.遺

物 整 理 作 業 2000年 度 に調査 を実施 した仙台城跡二の丸第17地点の整理作業 は、当初 は2002年度 までに終了 させ る計画であ った。 しか し、整理作業予算が当初 日論見通 り確保 で きなかったことや、他の整理作業 との関係 もあ り、2003年 度 まで作業 を継続す ることに変更 した。当年度 も作業 を継続す ることで、整理作業 はおおむね終了 させ ることが で きた。 しか し、法人化移行 を翌年度 に控 え、整理作業予算の取 り扱い と方法や予算額の確定が遅れたことなど か ら、2000年度調査分 を取 りまとめた調査年報18の刊行 は、翌年度に先送 りす ることとなった。そのため当年度 は、調査年報は刊行 していない。 これ以外 に、2001年 度 に調査 した仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

7地

点、2002年度に調査 した青葉山

E遺

跡第

7次

調査の整理作業 も実施 した。

5.保

存処理事業

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターでは、仙台城跡の二の九地区や二の九北方武家屋敷地区か ら出土 した、 木製品・漆塗製品・金属製品な ど、保存処理 を必要 とす る遺物 を多数保管 している。 この内、木製品 と銅製品に ついては、当セ ンターで保存処理 を進めて きている。木製品については、1997年度以降、糖 アルコール (ラクチ

(22)

トール

)を

利用 した保存処理 を行 っている (年報16)。 木製品の保存処理 は、2002年 度 までに、1990年代 に実施 した調査分の処理が終了 している。2003年度は、仙台城跡二の九第17地点 (2000年度調査・

NM17)の

出土木製 品の保存処理 を開始 した。 保存処理 は、2000年 度に建設 したプ レハブ平屋建 の保存処理作業室 において作業 を実施 している (年報19第1 分冊)。 この作業室 には、小型の簡易型 ドラフ トチ ヤンバーを設置 して使用 していた。翌年度の国立大学法人化 を控 え、全学的に実験室 における局所排気装置の整備が進め られ、当セ ンターの保存処理作業室 にも新たに ドラ フ トチ ャンバーを設置することとなった。

6.資

料 保 管 状 況

東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターでは、ほ とん どの遺物 は容量30.3リ ッ トルの コンテナ (ポリプロピレン 製・サ ンボ ックス#32)1こ収納 している。 この コンテナに入 らない大型の ものについては、 さらに大 きなコンテ ナや、適宜木箱 を作成 して収納 している。全体 の遺物総量 を把握す るために、容器の大小 にかかわ らず、箱の数 で数量 を管理 している。ただ し、保存処理 を行 う必要のあるものは、別 に保管 しているため、 これには入 ってい ない。当セ ンターの前身である東北大学埋蔵文化財調査委員会が発足 した1983年度か らの、遺物総量の推移 を箱 数で比較 したのが、図

6で

ある。 2003年 度末時点で、当セ ンターで保管 している遺物総量 は2,733箱 となった。前年度か らは310箱 の減少 となっ ている。前年度 よ り増加 したのは、当年度 に調査 を実施 した仙台城跡二の九北方武家屋敷地区第

9地

点の出土遺 物が

7箱

と、芦 ノロ遺跡第

6次

調査が1箱の、計

8箱

である。予算の関係等で報告書刊行 は翌年度 となったが、 2003年度で仙台城跡二の丸第17地点の遺物整理作業が終了 した。二の丸第17地点の出土遺物 は、整理前の段 階で は751箱 、整理後 は収納 を工夫す ることで536箱 となった。 これによ り、箱数 は215箱 減少 させ ることがで きた。 また、1985∼ 1989年度にかけて調査 した仙台城跡二の九第

5地

点の出土遺物 については、攪乱や近代 の層序か ら 出土 した瓦 も全 て採集 していた。 これ らについては、本年度 に処分 したため、103箱が減少 した。 よらて、増加 分

8箱

、減少分318箱 とな り、差 し引 き310箱の減少 となった。 仙台城跡二の九第17地点の遺物整理が終了 した ことで、2000年 度調査分 まで整理作業が終了 したこととなる。 箱数では、2,242箱が整理・報告済みで、未整理 は491箱 となる。全体の箱数の内、整理・報告済みの ものの比率 は82.0%と なった。 当セ ンターが朱管 している上記の出土遺物 は、報告書 に掲載 した資料 については、見学 などの利用の便 を図る ためセ ンター内の収蔵室 に保管 し、それ以外 の資料 については別 に収蔵場所 を確保 し保管 して きた。1998年以降 は、片平地区の旧標本館 の一部、

4室

分、合計155だを収蔵場所 として利用 して きた。2003年 度 になって、法人 化時に新 たに必要 となる役貝室等の確保が現在の事務局庁舎では困難であること、翌年度当初か ら開設 される法 科大学院等の教室 を確保す る必要があることか ら、旧標本館 を全面的に改修 し、 これ らの用途に充てることとな った。そのため、旧標本館 を資料 な どの収蔵場所 としている、当セ ンターを含む関係部局には、代替施設 を充当 して移動す ることとなった。当セ ンターの収蔵 資料 は、片平地区構 内の2000年 度 に建設 した保存処理室の南側 に、 収蔵庫専用のプ レハ ブを建設 して保管す ることとなった。新たに建設 された収蔵庫 は、軽量鉄骨造

2階

建 で、面 積 は

1階

2階

とも101だ、あわせ て202だである (図7)。 遺物の増加 を見込んで、従来使用 していた面積 より、

3割

ほ ど広い面積 を確保 した。

1階

には重量のある ものを収蔵す ることとし、瓦 と大型の遺物 を収蔵 している。

2階

には陶磁器類や乾燥状態の木製品な ど、比較的軽い遺物 を収蔵す るように した。

(23)

1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003

年度 図

6

収蔵遺物量 の推移

Fig.6 Graph showing transition of amount of artifact in storage(shOWed by number of case)

7

収蔵庫全景 Fig,7 View of the repository

(24)

.研

究 活 動

(1)受

託研究 。共同研究等

セ ンターでは、東北大学大学院工学研究科の量子エネルギーエ学専攻量子 ビームエ学講座か らの提案を受け、

1999年度か ら同講座 と共同 して、PIxE(Particle lnduced X― ray Emission粒子線励起

X線

分析

)に

よる、考 古資料の材質分析 を行 って きた。今年度は、研究成果を下記の学会で発表 した。 日本文化財科学会第20回大会 (ポスターセ ッシ ョン

)2003年

5月17'18日 於 :島 根県県民会館 「大気サブ ミリ

PIXEカ

メラによる仙台城二の丸跡出土漆器の分析」藤沢教・松 山成男ほか 2003年度は、新たに下記の受託研究1件を実施 した。 ・受託者 :岩 手県山田町長 沼崎喜― (担当 :教 育委員会社会教育課文化係) 研究課題:房の沢古墳群 出土鉄製品の保存科学についての研究 研究 目的 :山 田町房の沢古墳群か ら出土 した鉄製品を恒久的に保存す るため、有効 な保存処理方法 (脱塩) の研究 をお こなう。 研究経費:1,425,900円 岩手県 山田町の房 の沢古墳 群 は、

8世

紀 を中心 に築造 された末期古墳 で、豊富 な鉄製品が 出土 してい る。 1996・ 1997年度に発掘調査 され、出土鉄製品は、1997年度に保存処理が施 されていた。 しか し、脱塩処理が不充 分であったため、その後の経過観察によって進行性の腐食生成物が確認 され、再処理が必要な状態 となっていた。 これ らの鉄製品には、木質・繊維・漆など有機質が多数付着 して遺存 してお り、通常の方法では再処理が困難で ある。そのため、東北芸術工科大学の松井敏也講師・手代木美穂氏 と協力 しつつ、同古墳群出土鉄製品の内の5 点の鉄刀 について、再処理方法 を検討 し再処理 を実践することを、当セ ンターが受託研究 として担当することと なった。 この受託研究は 2ヶ 年 にわたって実施する予定で、その初年度 として、脱塩方法の検討 と実施を当年度 の研究課題 とした。 具体的な作業工程の概略は、次の とお りである。

1)現

状調査 資料表面には、漆膜や木質、繊維等の有機質が多数付着 してお り、それ らの位置 と新たに発生 した腐食生成物 の位置等 を実体顕微鏡等を用いて観察・記録するとともに、写真撮影を行った。

2)再

クリーエ ング 新 たに発生 した腐食生成物、前 回処理の際に除去で きていないさび等 を、実体顕微鏡下でデザインカッター、 グライ ンダー、エァブラシを用いて除去 した。エアブラシも実体顕微鏡下で作業で きるよう、特製の作業箱 を作 成 した。 また、充填 されていた樹脂の下で も腐食生成物が確認 されたため、可能な限 り充填樹脂 を除去 しさび取 りを行 った。

3)脱

脂処理 表面 に付着 している有機質等の剥落を防 ぐため、資料全体 を包帯で養生。ステ ンレス槽内のアセ トンに資料 を 浸漬 し、前回の処理で含浸 された樹脂 を除去 した。脱脂後、養生をはず し脱落箇所 を確認 した。

4)脱

塩処理 付着有機質等の剥落 を防 ぐため、資料全体 を包帯で養生。有機質への脱塩 中の影響 を最小限に抑えるため、常 温純水 を用いた

2段

階の方法で脱塩処理 を実施 した。 脱塩量の確認のため、定期的にステ ンレス槽 内の溶波を採取 し、イオンクロマ トグラフイによる陰イオンの定 量分析を行 った。陰イオ ン測定 は、東北芸術工科大学備え付けの機器で測定 したため、日常的な脱塩量の確認は、 他の方法で行 う必要があった。そ こで、溶液の導電率 を測定することとした。事前に導電率 と陰イオン量 との関 係 を検討 した ところ、導電率 と陰イオンの全体量 とは、良 く相関することが確認で きたので、この方法 を採用 し

(25)

た。 【第1段階 :純 水浸漬法】 本処理用 に製作 したステンレス水槽 に資料 と純水 を入れ、一定期間静置 したあ と水 を替 える。 これを資料重曇 の100倍の純水累積量 となるまで繰 り返す。 【第2段階 :純 水流水法】 ステ ンレス水槽 に資料 と純水 を入れ、純水 を滴下 しつつ、同時に排水 した。流量 は12m1/min程度で、資料重 量の150倍の純水累積量 となるまで行 う。 純水 には防錆剤 として、純水量の

05wt%量

のベ ンゾ トリアゾールを

2倍

の容量のエチルアルコールに溶解さ せた ものを添加 した。また、大気 中の酸素が純水 中に溶け込むのを防 ぐため、表面にビニールを敷いた。しか し、 こうした処置 を施 して も、純水 に浸漬す ることで誘発 されるさびを完全 に抑制することは困難である。そこで発 生 したさびが資料表面に沈着 しないよう、 こまめにさびを筆等で除去 した り、資料の天地を逆転 させた。

5)脱

水処理 ステ ンレス槽 内のエチルアルコールに資料 を浸漬 し、資料内の水分 を除去 した。脱水後、養生 をはず し資料表 面 に発生 したさびを筆等で除去 した。 次の工程である樹脂含浸以降の作業 は、翌年度に実施す ることとして、 この工程 まで を当年度に実施 した。 純水 を用いた方法 を採用 したため、付着 している有機質を損傷す ることな く、脱塩処理が実施で きた。

(2)学

会発表等 セ ンターの業務 にかかわる、学会での研究発表等 としては、上記 した共同研究成果の発表以外 に、次の発表を 行 った。 日本文化財科学会第20回大会 (ポス ターセ ッション

) 2003年

5月 17・ 18日 於 :島 根県県民会館 「特殊 な遺物の取 り上げと録存処理」 藤沢教・千葉直美・京野恵子・高木暢亮 2001年度に調査 を実施 した仙台城跡二の九北方武家屋敷地区第

7地

点では、有機質遺物が多数出上 した。中に は、犬の全身骨格、植物繊維で編 まれた俵、埋設 された桶 など、特殊な遺物 も存在 した。 これ らについては、出 土時の状態 を維持 して取 り上げる必要があ り、取 り上げ方法か ら保存処理 まで、通常 とは異なる方法 を工夫する 必要があった。その方法の検討結果 と、取 り上げの実践例 を、ポス ターで報告 した ものである。 学会誌 な どでの研究成果発表 としては、『宮城考古学』第

5号

(宮城県考古学会・2003年 5月 発行

)に

、藤沢 教・千葉直美 による「糖 アルコール含浸法 による出土木製品保存処理の応用 と課題」 を投稿 した。 この内容 につ いては、下記の宮城県考古学会研究発表会で も日頭発表するとともに、実際に保存処理 を行った遺物 を会場で展 示 した。 平成15年度宮城県考古学会総会 。研究発表会

2003年

5月18日 終 :東 北歴史博物館 「糖 アルコール含浸法による出土木製品保存処理の応用 と課題」藤沢教・千葉直美

(3)資

料調査 セ ンター業務 に関わる資料調査等 としては、以下の

2件

で、それぞれ担 当する調査研究員が出張 した。 2003年11月21∼ 22日 第5回考古科学 シンポジウム「弥生・古墳時代の新年代観」 :名古屋大学 高木暢亮 2004年 1月 31日∼ 2月 1日 江戸遺跡研究会第17回大会「続遺跡か らみた江戸のゴ ミ」於 :江 戸東京博物館 柴 田恵子・高木暢亮

(26)

(4)科

学研究費採択状況 2003度 において、当セ ンター調査研究員で、科学研究費等の交付 を受けたものは次の通 りである。 藤沢 教 科学研究費補助金 基盤研究

(C)(2)(代

表 。新規) 「小規模墳 の消長に基づ く古墳時代政治・社会構造の研究」

8.教

育普及活動

(1)非

常勤講師 2003年 度に、当セ ンターの調査研究員で、非常勤講師を担当 したものは次のとお りである。 藤沢 敦 宮城教育大学 考古学講義 (後期)

(2)保

管資料の貸出 当セ ンター保管の資料の貸出依頼等 としては、及の とお りであった。 ・貸 出 先 貸出資料 貸出期間 ・貸 出 先 貸出資料 貸出期 間 仙台市博物館 平成15年度企画展 「土の中の仙台 出土品にみる江戸時代 の くらし」 仙台城跡二の丸地区出土陶磁器129点 。調査状況写真3点 2003年 7月 1日∼ 9月 1日 東北歴史博物館 平成15年度特別展「鮭 一秋 を待つ人々―」 仙台城跡二の九第

5地

点出土木簡

3点

2003年 9月 8日 ∼12月24日

(3)外

部 か らの派遣依頼等 当セ ンターの業務 に関わって、あるいは調査研 究員の専門領域 に関わる事項で、外部か ら派遣等の依頼があっ たのは、次の とお りであった。 担当者 :藤 沢敦 2003年 6月 6日

平成15年度第1回大安場古墳整備指導委員会 2003年 6月28日

仙台市史でまえ講座講師「古墳時代の仙台 と岩切の古墳」 主催:仙台市史編纂室 終 :仙 台市岩切市民セ ンター 2003年 9月16日

39回文化財展「仙台城展 一国史跡指定記念特別展 一」記念 シンポジウム パネリス ト「政宗のこどもたち、宗泰 と五郎八姫の屋敷について」 主催:仙台市教育委員会 終 :仙 台市博物館 2003年10月24日

平成15年度第2回大安場古墳整備指導委員会 2004年 1月12日

仙台市史城館部会 2004年 1月23日

平成15年度第3回大安場古墳整備指導委員会

(4)広

報活動 2003年 度は、広報活動 としては、特 に行っていない。

(27)

第 Ⅱ章

仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

9地

(BK9)の

調査

1.仙

台城跡二の丸北方武家屋致地区の立地 と歴史

東北大学の川内地区は、沢 とその脇 を東西 に走る道路 によって、川内南地区 と北地区に分かれている。川内南 地区は仙台城二の九が置かれた場所であ り、北地区は家臣の屋敷が存在 した区域 に相当する。 仙台城は、仙台藩初代藩主の伊達政宗 によって、慶長5年 (1600年

)12月

24日 の縄張始めを晴矢 として、本丸 の築造が始め られる。 この段 階では、二の丸は造 られてお らず、後に二の丸が造 られる場所 には、政宗の四男で ある伊達宗泰の屋敷があった と伝 え られる。元和

6年

(1620年

)に

は、伝伊達宗泰屋敷の北側 に、政宗の長女五 郎人姫の居館である「西屋敷」が造 られる。政宗死去後二代藩主 となった伊達忠宗 によって、寛永15年 (1638年) に二の九が造 られると、仙台藩の政治・諸儀式のほ とん どは二の九へ移 される。二の九は、元禄年間の改造によ って、 もとの「西屋敷」の敷地 を取 り込んで拡張 され、幕末まで仙台城の中枢 として機能 してい く。 仙台城下は、仙台城本丸の造営 に伴 って造 られてい く。慶長6年 (1601年

)の

正月11日 に、仙台城の普請始め が行われ、同 じ日に「御城下地形 ノ絵 図ヲ以テ諸士等 ノ屋敷割仰付 ラル。」 との記録が残 されている (『貞山公治 家記録巻之二十一』)。 この時以降、城下の建設が進め られていった もの と考えられる。 正保

2年

(1645年

)の

『奥州仙台城絵図』においては、仙台城の周辺には、「侍屋敷」が広がっていたことが 判 り、おそ らく本丸の造営が開始 された頃か ら、屋敷が造 られていった もの と思 われる。正保絵図は幕府提出用 の絵図のため、細かな屋敷割 は記 されず、屋敷を使っていた人名は判 らない。それ以降の藩政用絵図には、屋敷 割が記 され、人名が書 き込 まれた ものが多 くある。川内地区においては、大手門の周囲などに最 も上級の家臣の 屋敷が置かれ、それ以外の区域 に も比較的上級の家 臣の屋敷が多い。東北大学の川内北地区も、比較的上級の家 臣の屋敷が置かれていた。 明治維新 による新政府の成立 と幕藩体制の崩壊 によ り、仙台城 とその周辺 も大 きく変化する。明治2年 (1869 年

)の

版籍奉還により二の丸 には勤政庁が置かれ、明治

4年

(1871年

)の

廃藩置県後 は、仙台城が明治政府の管 轄下 に移 り、二の九 には東北鎮台 (後に仙台鎮台

)が

置かれる。本丸の建物 は明治の早い時期 に取 り壊 されるが、 二の丸の建物 は鎮台本営 として引 き続 き利用 された。 しか し、明治15年 (1882年

)の

火災で、二の九建物のほと ん どが焼失 して しまう。そ して明治19年 (1886年

)に

は仙台鎮台か ら陸軍第二師団に改称 され、明治21年 (1888 年

)に

は正式 に師団常備軍制度が施行 され、敗戦 まで続 くこととなる。二の九跡 には、第二師国の司令部が置か れた。 川内地区の仙台城周辺の武家屋敷地 も、明治に入 ると取 り壊 され、その多 くは後の第二師国の用地 となってい く。東北大学川内北地区には、第二師団の歩兵隊や鞘重隊などが置かれていた。 川内北地区周辺の道路の配置は、絵図を見 る限 りでは変化が無 く、江戸時代 を通 じて変わらなかったと考えら れる。 しか し、明治時代 にこの区域 の道路 は大 きく改変 される。現在の道路配置は、この時に改変 されたもので あ り、江戸時代の道路 とは大 きく変わっている。明治時代の地図の検討か らは、明治15年 (1882年

)か

ら明治26 年 (1893年

)の

間に、川内北地区周辺の道路 は、現在見 る形に変わっていった もの と考 えられる。おそ らく、明 治21年 (1888年

)の

陸軍第二師団の設置 に前後 して、 この区域の整備が進め られていった もの と考 えられる。 なお、 この地区での武家屋敷の変遷や、明治以降の変化 については、二の丸北方武家屋敷地区第

7地

点の調査 成果 を取 りまとめた、年報19の第

1分

冊 において詳 しく検討 しているので、そち らも参照 されたい。 戦後 は、川内地区一帯が米軍の駐留地 となる。昭和32年 (1957年

)に

米軍か ら返還 された後、川内北地区には 東北大学教養部が、川内南地区には文系

4学

部や図書館 などが置かれ、現在 に至 っている。

(28)

2.調

査 経 緯

(1)2002年

度 までの調査 東北大学の川内北 キャンパスは、仙台城二の九 にす ぐ隣接 し、密接 に関連す る重臣の屋敷が広が っていたこと か ら、周知の遺跡である仙台城跡の範囲に合め られている。当調査室では、 この区域 を、仙台城跡二の丸北方武 家屋敷地区 と呼称 している。 この二の丸北方武家屋敷地区では、1979年にご く小規模 な調査が実施 されたことがあるが、それ以外の調査 は、 当調査室 (前身の調査研究セ ンター・調査委員会 を含 む

)に

よって実施 された ものである。2002年度 までに、第 1地点か ら第

8地

点 までの調査が行 われている。 この内、第

1地

点は試掘調査のみであったが、それ と一部重 な る区域 で第

7地

点の調査 を実施 している (年報19)。 第

2地

点 と第

3地

点 は結果的に立会調査 で終了 したので、 欠番 となっている (年報3)。 したが って、実質的には、第

4地

点か ら第

8地

点の、合計

5地

点 を調査 している こととなる。 この内、第

5地

点 (年報7)、 第

6地

点 (年報14)、 第

8地

点 (年報

20)は

、小規模 な調査であった。 第

4地

点 (年報

13)と

7地

点 (年報

19)の

2ケ 所が、規模の大 きな調査 となる。いずれの調査 において も、多 数の遺構 と、膨大 な数の遺物が出土 している。検出遺構の中には江戸時代初頭 に遡 るもの もあ り、 これ らの区域 における武家屋敷の整備が、江戸時代初頭 に始め られていることが明 らか となっている。 また明治時代 にな り屋 敷が取 り払われた後、軍隊が使 うまでの間、畝状の遺構が広が り、畑 として利用 された時期があることが判 って いる。

(2)調

査地点の位置 調査地点は、川内北地区の体育館 のす ぐ東側の場所である。図

8で

は、調査 区が体育館 の範囲に入 り込んだ位 置に示 されている。 この図で示 されている体育館 は、屋根の範囲が示 されている。体育館の屋根 は、壁か ら

3m

ほど外側 まで出っ張 っているため、調査 区の一部が屋根の下へ入 り、図

8の

ような位置関係 になっている。 体育館 と東側のグラン ドの間には、比高

7mほ

どの段差がある。 これは、本来は段丘崖 による段差であると考 えられるが、現在 は全体 に石垣が築かれている。第

I章

で報告 したが、今年度 に、 この石垣 の改修工事 に伴い立 会調査 を実施 した。立会調査 の結果、 この石垣 は明治時代以降に築かれた ものであることが確認 されている。調 査地点は、体育館 と石垣 の間で、石垣 にす ぐ隣接する場所である。 今 回の調査地点の南南東、約

50mの

ところが第

4地

点の調査 区になる。第

4地

点では、調査 区の北東側が、現 在の石垣 と併行す る形で、明治時代以降に削平 されていた。そのため、段丘崖 に近い部分 については、江戸時代 の様相 は判明 していない (年報13)。

(3)調

査の方法 と経過 今回の調査 は、音楽・舞踏系課外活動施設である川内ホールの建設 に伴 う調査 である。新築 される建物 は、軽 量鉄骨造

2階

建 で、比較的簡素な構造であった。建設場所 は明治以降の盛土が厚い と考 えられる区域で、建物基 礎 も小規模 となる計画であったため、当初 は立会調査 で対処す る予定であった。 しか し、計画の検討が進む と、 建設場所が石垣 を伴 う段差 に近いことか ら、基礎杭 を打 った上 に基礎 を設置することが必要 となった。 この工法 変更によ り本格的な基礎工事が行われることとなったため、記録保存 のための本調査 を実施す ることとした。 調査地点は明治以降の盛土が厚 いことが予想 されたため、安全対策 を講 じる必要があった。そこで本調査 に先 立ち、調査地点の盛上の厚 さな どを確認す るため、

5月

13日 に試掘調査 を実施 した。調査予定地 を東西 に横切 る 形で重機 によ り掘削 し、盛上の状況 などを確認 した。 この試掘調査の結果、調査予定範囲の東側 には、段丘崖 に よる斜面が存在 し、東へ行 くほ ど盛土が深 くなってい くことが確認 された。調査 区の西側 は、段丘崖の上の平坦 面が存在す ることが確認 された。以下の記述では、段丘崖の斜面 を斜面 として省略 して呼称 し、段丘崖上の平坦

(29)

ゝ、ド

だ ト

(30)

面を平坦面 と呼称することとす る。 調査範囲は、基礎工事で掘削 される範囲を基本 としたが、石垣 に近 い部分で深 く掘削することは危険なため、 東側 は石垣上端か ら

8m離

れたラインを掘削範囲の限界 とした。そのため、建物建設範囲の北東部が、調査対象 範囲か らはずれている。調査区の東側では、 もとの地表面 は相当深 くなることが判明 してお り、基礎 による破壊 もほとん どお よばないので、調査対象か ら除外 した。掘削は現地表 より

4mの

深 さまで として、それ以上深い部 分については調査 は行 っていない。安全対策のため、

2mの

深 さの所で幅

2mの

段 を設け、

2段

掘 りとした。 試掘の結果、明治以降の盛土が厚いことが判明 したため、表土除去 は重機で行った。調査区東側 に米軍時代の 共同溝が存在す ることも判明 していたので、掘削作業 は共同溝の撤去か ら開始 した。調査区の中程のB・

C-6

∼10区には、大規模 な攪乱が存在 した。重機掘削作業中に確認で きたため、内部も重機で掘削 した。現地表 より

3mま

で掘削 したが、 さらに深いことが判明 した。それ以上の掘削は危険 と判断し、この攪舌とを掘 り上げること は断念 し、作業 中の発生土で埋 め戻 した。 調査区の西側 は、体育館 に沿って排水管が埋設 されていた。調査 区の西壁が、この排水管理設のための掘 り方 に近接す る位置 になって しまった。そのため西壁 は きわめて脆弱で、降雨の影響 もあ りたびたび崩壊 した。脆弱 な部分 を除去 し、土嚢 を積み上げることで養生 したが、調査 を開始 したのが梅雨の末期 という時期であったため、 降雨のたびに崩壊が拡大 して、対策に難渋 した。 西 よりの平坦面 は、

5列

より北側では、整地層 も少な く地山まで調査 を実施できた。 しか し

5列

よ り南側では 盛土や遺構埋土が よ り深 くまで続いていたため、それ らを掘 りあげて調査すると壁が大 きく崩壊する危険があっ た。すでに調査 による掘削深度が、基礎杭の予定深 さに近 くなってお り、工事での破壊 はほとんどまぬがれる見 込みであった。そのため調査 区南側では、江戸時代 の層序 を掘 りあげずに途中で終了 している。 この内、B― 4・ 5区では、

v層

・Ⅵ層を除去 した段階で、 より下層に遺構が存在 していた。これ らの遺構 は、 ごく一部を掘 り込んだ以外 は、平面 プランの確認だけに留めている。

B-2・

3区では、

V層

上面 までで終了 している。 調査区南 よ りの

C-3・

4区

では、段差の ところに設け られた小規模 な石垣が発見 された。 この石垣 も、基礎 工事での破壊 はほとん どまぬがれる見込みであった。そのため、石材 を取 り外 した調査は行わず、石垣の前面に 土嚢 を積 んで養生 した上で埋め戻 した。 建設 される建物が体育館 と平行 して造 られるため、体育館の東端の壁 を基準 として、グリッ ドラインを設定 し、

3mグ

リッ ドを組 んだ。 グリッ ド設定のため設置 した基準点の位置は、図8。 13・ 14に示 した。基準点の国土座 標値 は、以下の とお りである。平面直角座標系 は、

X系

である。 グリッ ドは、北で17° 00′ 50″ 西偏 している。 なお、川内地区に設置 している遺跡調査用の測量基準点は、 日本測地系で測量 されている。そのため世界測地系 での座標値 は、 日本測地系で測量 した座標値 を、国土地理院が提供 している座標変換 プログラム

TKY 2JGDに

よって変換 した ものである。

BK9-A

日本測地系

X=-193,344.389

世界測地系

X=-193,035.657

Y=+ 2,054.969

Y=+ 1,755072

BK9-B

日本測地系

X=-193,315,702

世界測地系

X=-193,006971

Y=+ 2,046.191

Y=+ 1,746.294

平面図・断面図は、縮尺1/20で作成 した。今回の調査 区は段丘崖 にかかる区域であったため、旧地形の高低差 が大 きかった。その傾斜 を記録するため、25cmコ ンターで等高線 を記録 した。記録写真は、

35mmの

カラー リバ ーサル とモノクロを基本 として使用 し、全景写真 など要所では、

7のカラーリバーサル とモノクロ写真 を撮 影 している。

(31)

3.基

本 層 序 と時 期 区 分

(司

)基

本層序 (図9)

基本層序の確認のため、調査 区を東西 に横切 る形で、土層観察用のベル トを設定 し記録 した。場所により基本

層序 に違いがあること、南側で発見 された石垣の裏込めの状況 を確認するため、

4ケ

所で横断ベル トを設けて記

録す ることとなった。横断ベル トは、北か ら

ABCDの

4ヶ 所である。図15・ 16の図中に示 した、セクシ ョンポ

イン トの

A―

A'が

横断ベル ト

Aと

い うように、名称 を姑応 させてある。

基本層序 は、区域 によ り違いがあ り、対比がで きなかったため、それぞれ別の層名を付 けた。2層か ら5層は、 段丘崖の斜面に堆積 した崩壊土層である。 Ⅱ層か らⅦ層は、斜面上段 の平坦面で確認された整地層である。図

9

に示 した模式図は、上段が横断ベル トB、 下段が横断ベル ト

Cを

もとに作成 した ものである。 1層 近代以降の盛土 と考 え られ る層 を1層 として まとめた。西側では1.8m程度、東 よ りの深い部分では

4m以

上 の厚 さとなる。 2層 黒褐色 を基調 とす る砂質 シル トで、若千 グライ化 した部分がある。上面に炭化物が薄 く残る所がある。厚いと ころで

25cm程

度である。 3層 黒褐色のシル ト質砂 を基調 とするが、酸化鉄の沈着が激 しく、そのため赤みの強い色調に見える。厚い ところ で

15cm程

度である。 この3層よ り下位 の層 は、全体 に小礫が多 く含 まれている。 これ らの礫 は、地山の礫層に 由来するもの と考 えられる。 4層 灰基黄褐色か ら褐色の シル ト質砂 を基調 とす る。全体 にグライ化 している。厚い ところで25cm程度である。 5層 灰黄褐色のシル ト質砂 を基調 とし、地山に近い層相である。厚い ところで15cm程度である。 Ⅱ層 大規模 な攪乱の北側、

B-9∼

11区で確認 された。暗褐色の砂質 シル トを基調 とす る。厚い ところで

15cm程

度である。 この Ⅱ層 に覆われる

1号

遺構か らは、幕末 ごろの陶磁器が出土 している。 このことか らⅡ層は、幕末 以降に形成 された層序 と考 え られる。 Ⅲ層 調査 当初 は、Ⅳ層 よ り上位 と認識 していたが、最終段 階でV・ Ⅵ層 よ り下位 になることが判明 したので、整 理・報告段階でⅦ層に改称 した。 よってⅢ層 は、欠番 とする。 Ⅳ層

4列

か ら南側 に分布す る。褐色の粘土質 シル トを基調 とする。礫 を含むが、

V層

より量 は少ない。層の厚 さは 15cm程度である。

V層

4列

と5列の境付近か ら南側 に分布す る。褐色の粘土質シル トを基調 とする。径

10cm程

度の円礫 を大量 に含 む。石垣の裏込め部分 に続 いている。裏込め部分 は、

V層

よりも礫 の割合が多 くなる。裏込め部分 を断ち割 って 調査 していないので、

V層

との関係 は明確でないところ も残 るが、基本的に同一段階に整地されたもの と考えら れる。裏込め部分以外で、最 も厚い所の厚 さは

35cm程

度である。 Ⅵ層

B∼

C-4区

で確認 されている。最大で

5cm程

度の薄い層で、途切 れ途切れに分布 している。褐色の粘土質

(32)

Ⅲ 層

9悪

嘲 矯 ぎ

抽評 鸞 期

57m l

2区 3区 4区 5区 6区

踵 圏 礫

盛±1 盛±2

i数

ビツト

18

Ⅳ層 ピラト20 V層 ′ ′ I ′ L Ⅶ層

―エ

一一一

V ・/

54m

基本層 Ⅳ層 10了R4/43色 粘土質 シル ト 粘性弱 しまり弱 Ⅳ② 層 10YR5/6A褐色 砂質 シル ト粘性中 しまり中 V層 10YR4/43色 粘土質 シル ト 粘性中 しまり弱 WI層 10YR4/43色 粘土質 シル ト 粘性弱 しまり中 ピット23 3号遺構 炭化物 を少量含む ゅ数cm程度の礫 を少量含む 鉄分・ 炭化物 をわずかに含 む 数∼1醸妊m程度の礫 を多量 に含む 炭化物 を含 む 小礫 を少量含 む

0 5m

聖ま

10武

吾煎理焉鼠

譜屋

隷薪輝駆

8)

(33)

]︺

A

54当

53.Om

B

54鞘

540m

53,Om Ⅱa層 卜 13

A'

ト 図

11

武 家 屋 敷 地 区 第 9地 点 基 本 層 序 断 面 図 (2)

Fig.1l Cross sections of excavation at BK9(2)

基 本 層 Ⅱ a層 75YR4/2灰 褐 色 砂 質 シ ル ト 粘 性 中 し ま り 強 床 化 物 を わず か に含 む ゅ 5∼ 10cm程 度 の礫 を含 む 狂 b層 75YR3/3暗 褐 色 砂 質 ン ル ト 粘 性 中 し ま り 中 炭 化 物 を 含 む φ l∼ 3cm程 度 の礫 を含 む 1号 遺 構 埋 土 1 75YRν 3暗 褐 色 砂 質 ン ル ト 粘 性 強 し ま り 弱 炭化 物 を や や多 く 含 む ゅ 5∼ 10cm程 度 の礫 を 含 む 2 ■ 5YR4//6褐 色 シ ル ト質 砂 粘 性 弱 し ま り 弱 ゆ 5∼ 10cm程 度 の 礫 を 含 む ピッ ト 13埋 土 ■ 5YR5/6明 褐 色 シ ル ト 質 砂 粘 性 弱 し ま り 弱 ひ 5∼ 10cm程 度 の礫 を 含 む

B'

十 一 基 本 層 2層 10YR3/2黒 褐 色 砂 質 シ ル ト 粘 性 中 しま り 中 層 下 部 に鉄 分 が 堆 積 す る φ lmm程 度 の炭 化 物 を わ ず か に 含 む 3層 25Yν 2黒 褐 色 シ ル ト 質 砂 粘 性 中 し ま り 弱 全 体 に 鉄 分 を 多 く 含 む φ lcm程 度 の礫 を ま ば ら に含 む φ 5∼ 10cm程 度 の礫 を多 く 含 む 4層 25Y4//1黄 灰 色 砂 質 シ ル ト 粘 性 中 し ま り 中 φ 5cm程 度 の礫 を多 く 含 b φ 5mm程 度 の 鉄 分 を ま ば ら に 含 む 4① 層 10YR4/4褐 色 シ ル ト 質 砂 粘 性 中 し ま り 弱 φ 5∼ 10cm程 度 の礫 を 多 く 含 む φ 5mm程 度 の鉄 分 を ま ば ら に含 む 4② 層 10YRν 叛 黄 褐 色 シ ル ト質 砂 粘 性 中 し ま り 弱 ゅ 3cm程 度 の礫 を多 く 含 む 鉄 分 を 多 く 含 む 5層 10YRク 叛 黄 褐 色 シ ル ト 質 砂 粘 性 中 し ま り 弱 3∼ 5cm程 度 の礫 を多 く 含 む 鉄 分 を多 く 含 む 1号 溝 埋 土 75YR3れ 暗 褐 色 ン ル ト φ 3∼ 5cm程 度 の礫 を わず か に含 む 鉄 分 を多 く 含 む 0 1m

(34)

53.Om 石垣前面堆積層 ①層 10YR4/3にぶい黄褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しま り中 lcm∼拳大の礫 を含む 炭 化物 を含む ②層 10YR4/31こぶい黄掲色 粘土質 シル ト 粘性弱 しま り中 1∼ 20cm程度の礫 を含 む 炭化物 をわずかに含 む 下部はやや砂質になる ①層 10YR4/2灰黄褐色 シル ト 粘性弱 しま り中 1∼数cm程度の礫 を少量含む ①層 10Y懃/3にぶい黄褐色 砂質 シル ト 粘性弱 しま り中 1∼数cm程度の礫 を含 む 2号遺構埋土 10YR3た暗褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しまり中 lcm程度の小礫 をわずかに含 む

C'

°

②° 3号遺構埋土 1 10YR3/4暗褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しま り中 2∼4cm程度の小礫 をご くわずか に 含む 炭化物 を少量含 む 2 10YR3/4暗褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しまり中 I∼数cm程度の礫 を少量含む 炭化 物 を少量含 む 3 10YR3/3暗褐色 粘土質 シル ト 粘性 やや弱 しま り中 数cm程度の礫 を少量含む 炭 化物 を少量含む ピットb浬土 1 10YRν4暗褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しま り中 4∼ 10cm程度の礫 を含む 炭化物 を 少量含む 2 10YR3/4暗褐色 粘上質 シル ト 粘性弱 しま り中 鉄分をわずかに含む ピッ ト16埋土 lllYR3/4暗褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しま り中 2∼ 3cm程度の礫 を含む

D'

C

54当

54.Om

D

5&鍋

ピ ッ 。2

16ピ

ツ ト15 敷∼Юttcmの礫 を多量 に含む 小礫 と10cm程度の礫 を含 む 数∼10数cm程度の礫 を少量含 む 炭化物 を少量含む 粘性弱 しまり中 1∼ 3cm程度のイヽ礫 を少量含む 炭化物 を含 む 層下部はグライ化す る 粘性弱 しま り中 炭化物 を含 む 1∼ 3cm程度の小礫 を含む 粘性弱 しまり中 数∼10数cm程度の礫 を多量 に含む しまり中 炭化物 を含 む しま り中 ユ∼2cmの小礫 を含む 炭化物 を含む 粘性 中 しま り中 独m程度の礫 を多量に含む 炭化物 を少量含 む 図

12

武家屋敷地 区第9地点基本層序断面 図 (3) Fig 12 Cross secdons of excavadon at BK9(3) 54.Om 53.Om 基本層 Ⅳ層 10YR4/4褐色 粘土質 シル ト粘性弱 しまり弱 数cm程度の礫 を少量含 む 炭化物 を少量含む V層 10YR74掲色 粘土質 シル ト粘性 中 しまり弱 数∼10数cm程度の礫 を多量に含む Ⅵ層 10YM/4褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しま り弱 炭化物 を含む 裏込部分崩落土 ④層 10YR4/4褐色 粘土質 シル ト 粘性弱 しま り弱 炭化物 を含む ピ ッ ト21埋土 1 lσrRク4褐 色 シ ル ト 粘 性 弱 2 75YR4/4褐色 ンル ト 粘 性 弱 3 75YR4れ褐 色 シル ト 粘 性 弱 石垣 前 面 雄 積 層 弱 弱 弱 し し し ⑤ 10YR4/3に ぶい黄褐色 粘土質シルト ① 10YR4/3に ぶい黄褐色 粘土質シルト ⑦ 10YR4//3に ぶい黄褐色 粘土質シルト ① 75Y馳/4褐色 粘土質シルト粘性弱 ① 10YR4れ 褐色 粘土質シルト粘性弱 ⑩ 10YR5れ にぶい黄褐色 粘土質シルト 0 1

紳◇ゝ

参照

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