自己実現思想における個人主義・国家主義・神秘主義
─ 人格概念の多元的展開に関する試論的考察 ─
Individualism, Nationalism and Mysticism
in the Ideas of Self-actualization and/or Self-realization
: An Essay on the Multiple Development of the Concepts of Personality
佐々木英和
SASAKI, Hidekazuはじめに
筆者は、これまで自己実現概念を歴史的に問い返すという作業を積み重ねてきた。その結果はっき りしてきたことは、自己実現概念の歴史を捉えるとき、その思想史的展開は、「自己を実現すること がどういうことか?」が問われ続けた歴史というよりも、基本的には「自己という名において、どの ような価値を実現しようとするか?」が追求されたり主張されたりし続けた歴史だということである。 さらに、こと戦前に限って言えば、実際には、自己実現は早い時期に「人格」という言葉に置き換わ ったので1)、「人格の名の下に、どのような価値を実現しようとするか?」が追求されたり主張され たりし続けた歴史へと相当部分は移行していたと言ってよい。 本稿は、筆者が積み重ねてきた従来の研究成果を踏まえて、研究枠組みを再構成し、それを基軸と して論を進めるものである。なお、本文中で引用されている文章について、原則として漢字について は旧字体は新字体で示し、必要に応じて仮名遣いを現代的に改めて表記している。Ⅰ 戦前日本における自己実現思想の三類型
日本の自己実現思想は、西暦で言えば1890年代前半、年号で言えば明治20年代後半に西洋から輸入 されたものである2)。その表記としては、「自己実現」と「自我実現」とが混在する形で用いられた ため、本稿では、基本的には両者を同一のものとして扱い、以下の議論を展開することにする。A 遍く善を実現するものとしての「自我実現説=自己実現説」
この自己実現思想は、明治30年代には中等学校修身教科書のカリキュラムへと組み込まれ、エリー ト青年層の間で一気に広まった3)。1902(明治35)年に井上円了が著者となり発行された文部省検定 済教科書によれば、この説が当時の倫理思想の最高到達点として扱われていたことが確認できる。この説(=自我実現説、引用者注)は、在来の諸説を調和したるものにて、輓近欧米に於ける 新進倫理学者(=グリーン、引用者注)の唱道する所なり。これを自我実現説、又洽善説といふ。 その説果して完全なりと定むべからずして、今後如何なる新説の起るや期し難しと雖も、兎に角 輓近の倫理説にして、従来の諸説を総合したるものなれば、以下自我実現の語を仮りて、倫理の 骨目を示さんとす4)。 この「自我実現説=自己実現説」は、自己の欲望を感情的に満たすことに道徳的価値を見出す「快 楽説」および自己の欲望を理性で制御することに道徳的価値を見出す「克己説」とのバランスを取り、 各々の欠点を越えた調和的で総合的なものとして高く評価されていた。 道徳の標準は、快楽にもあるべからず、自己の犠牲即ち克己にもあるべからず。要するに、こ の二種の学説は、共に自我の真性を誤解せるものにして、いづれの説に従ふも、完全に自我の実 現を遂ぐること能はず。自我即ち理と情とを有機的に統一たる自我を実現せんには理性をして、 諸欲望を統一せしめ、依りて以て自我を保存し、更に之を進歩せしめんことを要す。乃ち至善と は、理想的自我、換言すれば至高なる自我を其実相のまま実現することの謂なり。是れ洽善説の 唱ふる所なり5)。 この教科書に限らず、「自我実現説=自己実現説」は、「洽善説」という言い方に置き換えられるこ とが多かった。それは、この説における「善」に対して、「洽」という漢字に「遍く」という意味が あることに象徴されるように、個人的レベルにとどまらず社会的レベルに広げて把握すべきものとし て前提されていたからである。 此説(=洽善説、引用者注)に従へは、自我は単に集合体たる社会の一員にあらずして、有機的 にこれに結合するものたるが故に、自我は外国に建立せられたる道徳的秩序の反映と観て、始め て適切に了解せらるべきなり。かくの如く観すれば、標準は洽善、即ち社会共通の善事なり6)。 ここで見られるように、「自我実現説=自己実現説」が「洽善説」に換言されるという慣習が、政 府見解とも公式見解とも言えるものであった。つまり、個人と社会との調和を前提として「自我実 現=自己実現」を捉える考え方が、少なくとも建前としては、当時は主流であった。
B 「自我実現説=自己実現説」の二類型
公式見解はともかくとして、「自我実現説=自己実現説」についての実際の受け止められ方は、必 ずしも単純ではなかった。その点は、別の教科書により、1902(明治35)年当時ですでに、この説が 二つに類型化できることが指摘されていることからも明らかである。 此説(=自己の完全を道徳の標準とする説、引用者注)自ら二様に分る。即ち個人と社会との関係を言わずして、専ら自己の完全を目的とすべしといふものと、自己は社会との関係に依りて 完全にせられるべきものなりといふものと是なり。此説は自己の進歩発達を認め、進歩発達の可 能力ある資格を、出来るだけ実際に実現すべきことを言ふが故に、自己実現説の名あり7)。 このように、「自己実現説=自我実現説」には、個人と社会との関係を問わないで自己の完全をめ ざすタイプと、社会との関係で自己を完全に近づけていこうとするタイプとの並列状況があることを 確認できるのである。前者は「自己および自我は、個人の内面において・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・実現するものだ」という考え 方につながり、後者は「自己および自我は、社会との関係において・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・実現するものだ」という考え方に つながる。このように、「自己実現説=自我実現説」が二タイプに分けられることが確認できる。
C 「自我実現説=自己実現説」における神的要素
さらに指摘すべきこととして、「自己実現説=自我実現説」として典型的な一つのタイプが抜け落 ちている。このタイプは、そもそも「自己実現説=自我実現説」の輸入元のT・H・グリーンの思想 がキリスト教を背景にしたものであり、それが宗教的要素に極めて富んでいることに由来する。 人の中に於て自己を実現しつつありと吾人が仮定する神的原理(=divine principle,引用者注) は人格(=personality,引用者注)の中に於て自己を実現するものなりと仮定せられざる可らざ ることは上来論じたる教義の真髄なることは明白なり8)。 これは、「神的原理」が人の中に存在していて、それが自己を実現する原動力となり、その場合に は、「人格」なるものの中で自己実現が生じてくるという仮定こそが何より中核的な前提だとする考 え方である。さらに、グリーンは、神が人間にとって自我実現の究極的目的を指し示すものであるが ゆえに、「現実的自我」とは異なる「可能的自我」が神であるとさえ考えていて、すでにキリスト教 の正統性から逸脱していたのである9)。 ただし、グリーン思想の日本における受容は極めて部分的かつ限定的で、さらには御都合主義的で すらあった。その思想は、当時の経験論や実証主義的精神の流行の中で、半ば意図的に神的要素を抜 かして輸入がなされていて、グリーンの代表的輸入者である中島力造においては特に甚だしかったの である10)。また、その思想からキリスト教的要素が巧みに棚上げされ、さらには奪胎されてしまって いたのは、天皇制国家との齟齬を来しかねないという明確な理由があった11)。 だが、国策的操作があったからといって、自己実現思想から宗教的文脈が完全に根絶やしになった というわけではない。日本の思想家で言えば、グリーン理論に学び、その神的原理にこそ大いに興味 を持った綱島梁川が誰より注目に値する12)。彼は、自らの個人的な体験として神と自分自身とが融合 できたという「事実」に基づき、“我即神となりたる也”と述べ、自己実現により人間が神そのもの へと化身する思想的可能性を示したのである13)。そこで、人間と神との関係で「自己実現=自我実現」を見出す流れを一つの類型として扱い、人間 が「神格」に至るという可能性を示唆したという意味で、「神格実現説」と呼ぶことにしたい。ここ には、自己および自我は、「人間と神との関係を中核にして実現するものだ」という考え方があり、 自己と神との調和的概念として自己実現が理解される。なお、人間と神とを厳密に分けて考えるキリ スト教的発想とは異なり、歴史的英雄をその死後に神として崇め奉る伝統と風土のある日本では、人 間が神へと近づくという思想は、抵抗が少ないまま案外すんなりと受け入れられてきた発想かもしれ ない。
D 「自我実現説=自己実現説」の三類型論
改めて「自己実現=自我実現」の思想的展開および社会的受容の様子について包括的な言い方をす れば、大きく三つの流れに分けて捉えることが可能である。第一の流れは、自己および自我は「個人 の内面において実現するものだ」という考え方であり、社会との関係云々抜きに「個人としての自己」 を深めようとするものになっている。第二の流れは、自己および自我は「個人と社会との関係におい て実現するものだ」という考え方であり、個人と社会との調和の中に「自我実現=自己実現」を見出 すものである。第三の流れは、自己および自我は、「人間と神との関係を中核にして実現するものだ」 という考え方であり、自己と神との調和的関係がポイントになっている。 これらの三つの流れに、「個人実現説」、「社会実現説」、「神格実現説」という名称を与えておくこ とにする。ただし、社会実現説という言葉に関して、すでに中島力造が“社会実現説(完世説)”と いう表現を用いているが、それは中島の定義する“人格実現説(洽善主義)”に最も近いものに相当 することをあらかじめ断っておく14)。また、筆者の言う個人実現説は、中島の定義では“自我実現説 (完己説)”に該当すると考えられる15)。なお、筆者の言う神格実現説に相当するものについては、中 島の視野から外れているか、もしくは中島が表だって指摘することはなかったのである。 この三つの流れは、互いの思想的葛藤・調整の舞台を「人格」という言葉に移す場面が多かった。 言い換えれば、「自我実現=自己実現」は、「人格」に投影される形で理解されていたのである。Ⅱ 社会実現説の展開
A 社会実現説の例
まずは、筆者が第二の流れに位置づけた社会実現説について確認してみよう。社会実現説とは、個 人と社会との関係性が大前提となり、両者の調和の中に「自我実現=自己実現」を見出すものである。 先に見た井上円了著の教科書では、以下のように述べられている。 吾人は社会を離れて、自我の生活を実現し得べきにあらず、自我を孤立の状に置かんとすれば、遂に自我の善事を得ること能はず。故に自我の本質的に社会と別ならざることを了解すれば、道 徳の標準の洽善に存すべきことを明かにするに足らん16)。 ややもすると自我や自己という言葉から誤解が生じてしまうこともあるが、個人としての自我が社 会との関係を絶って存在することは不可能であることを強調するならば、自我を実現することがその まま社会的善を実現することを意味するという論理は、必然とは言わないまでも、不自然ではない。 さらに、井上円了は、“自我実現は、個人として、家族として、国民として、社会国体の一員として、 人類として、悉く完全ならざるべからず”17)と言い切る。つまり、「自己実現=自我実現」について、 個人が実現するのみならず社会の実現も伴わなければ全うできないという立場に立つのである。
B 社会実現説の結実としての「人格主義」
1902(明治35)年に出された井上哲次郎の教科書で触れられている「自己実現=自我実現」も、先 の井上円了が言っていたこととほぼ同じ内容であり、社会実現説に立って展開されている。 快楽説は、感情の満足を以て、人生の目的とし、克己説は、知性の満足を以て、人生の目的と すと雖も、既に人性が、智・情・意の三者を融合したるものなる以上は、其の中の一を取りて、 此を人生の目的とすること、何れも当を得たりと謂ふべからず。必ずや、智・情・意を一体とし たる人性其のものの満足を以て、目的とせざるべからず。換言すれば、吾人は、自己の本性を実 現し、之を完成するを以て、究竟の目的とせざるべからずと主張するもの、之を実現説と云ふ。 吾人が、以て道徳主義とすべしと思惟するものは、即ち此の説なり18)。 ここで、井上哲次郎が、「自我実現説」や「自己実現説」という表記ではなく「実現説」という表 記を用いて、「自我」もしくは「自己」という単語を省いたのには、明確な意図があった。むろん、 「快楽説」や「克己説」と文字数を合わせるという修辞上の美しさを意識した面もあろうが、より根 本的には、これらの言葉が個人主義を促進しかねないことを嫌った面が大きい19)。こうして、「自我」 もしくは「自己」という単語を避けることとあいまって、主題は「人格」という言葉に移る。 人性の完成とは、何を意味するか。曰はく、人格の発展是なり。然らば人格とは如何ん。人格 とは、智・情・意を備へて、是を統一し、是を自覚するものを云ふ。換言すれば、物品に非ず、 獣類に非ず、人間としての資格なり。即ち知る人格の発展とは、人間としての地位資格を進化発 展するに在ることを20)。 井上哲次郎は、「人間の本性」たる「人性」を完成させることを「人格の発展」という言葉で置換 した上で、当時としては新しい言葉である「人格」を定義するのである。 人生の目的は、人格の完成発展に在れども、之を成就する方法は、時と場所とに依りて、相違あるのみならず、同一人に在りて、其の境遇に依りて、終始一様なるものに非ず。即ち為すべき 行為、為すべからざる行為は、人に依りて異に、時に応じて変ずるものにして、本務の内容は、 決して一定不動のものに非ず21)。 彼は、個人個人の「人生の目的」を「人格の完成発展」と位置づけているほど、人格という言葉を 重視している。ただし、人格を称揚しつつも、その中味については曖昧さが残っている。人格概念に は、そのとき次第、その運用次第でいかようにも内容が決められる柔軟性もしくは無節操さが残され ていた。彼の人格主義は、人格の名の下にあらゆることが可能になる御都合主義だとも言える。 そして、そのように曖昧な人格概念にもかかわらず、いや人格概念が曖昧だからこそ、彼は、この 単語がややもすると「社会とは切り離されたところにある個人」に偏って理解されかねないことに極 めて警戒的だったのである。 尚一言すべきことは、個人と社会との関係なり、社会は、個人の有機的団体にして、個人は社 会を離れて生存し得べきものに非ざるが故に、人格の進化発展は、社会の進化発展と相離れて成 就し得べきものに非ず。此の関係を了知せざるときは、動もすれば、己を完うして、他を顧みざ る個人主義の弊害に陥らざるを保し難し。要するに人格は社会に於ける個人としての品性なり、 社会を離れては人格も意味なく、発展も望みなし22)。 彼は、「社会に於ける個人としての品性」という言い方で、人格概念を個人に属させるとともに、 付帯条件として社会的な意味合いを持たせている。彼は、「個人主義の弊害」という言い方で個人主 義を首尾一貫して批判し、ときに個人主義への毛嫌いを露骨に表明することもあった23)。 では、「人格主義」なるものは、理論的に個人主義と相対立するものなのだろうか。昭和初期に入 ってからのことではあるが、そうではない見解が、深作安文より提示されている24)。 凡そ個人主義は個人なるものを以て真の実在となし、これに絶対価値を許し、その生存と発展 とを目的とする態度である。人、兎もすれば一概にこの主義を排斥し去るのであるが、それは早 計に失する嫌ひがある。何となれば、若しその中心観念たる個人なるものを純化するといふと、 個人主義は人格主義となるからである。人格主義とは人格を以て真実にして、社会的に存在する ものとなし、特にその知的、道徳的、芸術的及び宗教的活動を重視する立場である。個人主義の 排斥すべきは、その個人を孤立的に把握して終に利己主義に堕するところである25)。 深作が定義する「人格主義」は、個人主義を弁明し救済する概念として位置づいていると言ってよ いほどのものである。井上説が個人から個人主義的要素を廃して人格重視の思想に至るものだとすれ ば、深作説は個人主義的要素を純化することにより人格主義へと至る考え方だと言える。 深作は、個人を社会から孤立的に把握できると思いこむ利己主義を批判することにより、個人主義
が社会的広がりを持つという可能性を示している。深作は、利己主義と個人主義とを分けて考えてお り、そのことを明確にすべきだという考え方を示したのである。ここに、社会実現説的な立場に立つ 「自我実現説=自己実現説」の一つの結実としての人格主義を見ることができる。
C 人格概念の国家主義的理解
こうした社会実現説を背景とした人格概念は、どのような方向に向かったのか。これが単なる抽象 的な理想にとどまらず、実際的に現実化する段に至ると、個人偏重主義になることを恐れる反動もあ り、それは「社会」さらには「国家」を第一義に考える思想へと移行しがちであった。実際、井上哲 次郎・吉田熊次・紀平正美などにおいては、個人主義を排除していく方向で国家主義を導いた上で 「自我実現説=自己実現説」が展開されていた26)。これらに対して、深作安文の場合は、個人個人の 「人格の完成」の積み重ねにより国家主義が成立するという筋道を辿っている。 幾多の個人が幾多の時の間に幾多の努力を積み、幾多の犠牲を拂って創作した国体的生活様式 の最も重要なるものが国家である。人は苟もその人格を完成しようとすれば、必ず国家を創作し て他の人格の所有者と共に茲に共同生活を遂げねばならぬ。人は国家を創作して、その中に生き つつその有する諸々の善き努力を受け入れて、初めて己が人格の内容を充実し、その理想を実現 することが出来る27)。 深作によれば、個人個人の人格が完成するための手段的行為として、国家を創作することが不可避 なのである。そこでは、「個人と社会との調和」として語られたグリーンの学説が、「個人と国家との 一致」へと一気に飛躍している。こうして、人格概念と国家概念とが密接に連動することは、自明の 理になる。 されば人がその人格を完成することは、総て国家を完成することであって、国家を完成するこ とは、また総て己が人格を完成することである。人格完成と国家完成とは、同じ事実を異った観 点から見たにすぎぬ28)。 そして、深作は「人格完成すなわち国家完成」という立場について“国家的人格主義”という名称 を与えて、“国家的人格主義は人格を以て個人に取って最も本質的なものとなし、その自発的創作性 を以て人格の根本的属性となし、この人格を中心として国家生活をなすべきことを高唱するものであ る”と述べる29)。井上哲次郎たちと顕著に対比できることだが、深作においては、個人主義を純化し ていく方向で人格主義を導き、その上で国家主義的意味合いを出してくるのである。Ⅲ 個人実現説の展開
A 個人実現説の例
筆者が第一の流れに位置づけた個人実現説は、自己および自我は「個人の内面において実現するも のだ」という考え方である30)。このように、社会との関係云々抜きに個人たる自己の内面を深めてい くところに、「自我実現=自己実現」を見いだそうとするものは、修身教科書の主張とは違う場面で 主流化していた。この場合、内省的に自己と向き合うことが重視される。たとえば、グリーン流の自 己実現観を研究していた哲学者の桑木厳翼の定義は、その典型だと言える。 人格の完成 ・ ・ ・ ・ ・ は自己に潜みて居る統一性を次第に発達せしむるのである、即ち自我実現である、 本性を発揮するのである、内的である、自律的で他律的でない、又自然的で決して超自然的不自 然的でない、本来我に備われる統一者を発揮するのである31)。 また、西田幾多郎を、個人実現説の立場に立つ自己実現論者の代表格として位置づけてよい。西田 は、グリーンの思想の影響を受けながらも独自の展開を示し、自分自身の内面を深めていく中に自己 実現および善の可能性を探ったのである32)。西田は、“意志の発展完成は直に自己の発展完成となる ので、善とは自己の発展完成(self-realization)であるといふことができる”と述べているが、直に 「自我実現」もしくは「自己実現」という日本語を明示的に用いてはいないとはいえ、その原語であ る“self-realization”という英単語を強調している33)。西田の思想は、自己の内面を徹底的に直視す る点で、他者抜きにひたすら自己を深めていく思想だと評価することもできる34)。B 個人実現説の結実としての「人格主義」
明治期後半から大正期には哲学的文脈で、自分自身の内面を深める方向で自己実現の問題が考えら れ、大正期には、白樺派の人道主義に典型的なように、内省的に個人を見つめ直す文脈の思索が進ん だ35)。そして、こうした動きは、「人格」という言葉に反映する形の考察を深めることに連結した。 こうした流れの中でも特に注目すべきなのは、「人格」という言葉に格段の価値を付与し、まさに 「人格主義」という言葉を前面に打ち出して思想を展開した阿部次郎である。阿部は、大正後期に出 版した『人格主義』というタイトルの本の中で、“人格は世界に−自己の自然的素質をも籠めて、世 界に−突当つて其処に自己実現の地を開拓して来なければならぬ”36)と主張している。阿部が他の 著作で自らの心情を吐露した以下の表現は、その象徴だと言える。 自己をよくせむとする者は努力の焦点を自己の内面に置かなければならない。経験の蓄積と内 化と、人格の鍛錬と強化と、此等のことを外にして徹底的に自己を善くするの道は何処にもない のである37)。このように、自分自身の内面を徹底的に掘り下げる方向で人格という言葉を捉える考え方が、一つ の大きな流れになった38)。この時代に、こうした意味での人格主義が確立していたのである。
C 個人実現説の社会的要素と神的要素
たしかに、この意味での人格主義は、指導者側からすれば、社会的無関心に見えるのみならず、利 己主義に埋没しているようにすら見えるかもしれない。また、こうした思想が社会的に受容されてい くうちに、自己の欲望に身を任せようとする発想や、個人主義の牙城と化したという側面もある39)。 しかし、その場合は、自我実現説の影響というよりも、自我実現説とは関係なく、そうした傾向に生 きる人たちが社会には一定数いたと考えるほうが自然だと思われる。 ここで注意すべきなのは、一見して社会的無関心に見える思想が、必ずしもそうではないことであ る。それは、日清・日露戦争および大逆事件などといった大きな出来事が続いた当時の社会と向き合 う中で、社会的葛藤を踏まえる中で理論的な追求を進めていった結果として、自己と社会との関係を 自覚的に棚上げしようとした選択である。阿部次郎の場合は、元々は、“社会は自己実現の地である” とか、“孰れにしても自己の実現は社会に働きかけるにあらざれば完成しない”と意識しつつも、個 人と社会との葛藤について、阿部なりの決着をつけていた40)。その上で、阿部は、社会と隔離したと ころで自己の内面を深めていくことに価値を見出し、自らの教養を高めるという手法を選択したので ある41)。 阿部に典型的なように、個人実現説は、葛藤の上での決断であることが多かった。社会に無関心と いうよりも、社会に対する関心が高いゆえに、その反動の矛先が個人の内面に向かった。個人実現説 には社会的要素が内在していたが、それが後景へと退き曖昧化し、結果的に棚上げされたのである。 他方で、個人の内面を深めれば深めるほど、神の問題に直面することも必然的だった。禅の修業を 続けた西田幾多郎は、“神が宇宙の統一であるといふのは単に抽象的概念の統一ではない、神は我々 の個人的自己のように具体的統一である、即ち一の生きた精神である”という見解を示している42)。 そこでは、中途半端に個人主義を追求すると利己主義に陥るかもしれないが、個人主義を徹底すれば、 精神が神的領域へと至るという可能性が示されているのである。Ⅳ 神格実現説の展開
A 神格実現説の例
先にも見たように、西洋の自己実現思想は元々は宗教的要素が強かったが、日本に輸入される場合 には、神的要素を骨抜きにすることがあたかも前提のごとく行われていた。しかし、少数派とはいえ、 西洋的な神を想定して自己実現を考える人もいて、神格実現説に相当する言説は残存している。 若いうちからキリスト教の信者であった綱島梁川は、だんだんと正統の教義から外れていくこととなったが、病床に伏す中で何回か神秘的体験をし、それらを神を見ることができた体験として発表し て、大きな社会的反響を得ることとなった43)。その綱島の言葉に耳を傾けてみよう。 但だ予は此くの如くに神を見、而してこれより延いて天地の間の何物を以てしても換へがたき 光栄無上なる「吾れは神の子なり」てふ意識の欝として衷より湧き出づるを覚えたり。われは宇 宙の間に於けるわが真地位を自覚しぬ。吾れは神にあらず、又大自然の一波一浪たる人にもあら ず、吾れは「神の子」也、天地人生の経営に与る神の子也。何等高貴なる自覚ぞ。この一自覚の 中に、救ひも、解脱も、光明も、平安も、活動も、乃至一切人生的意義の総合あるにあらずや。 嗚呼吾れは神の子也、神の子らしく、神の子として適はしく活きざるべからず44)。 綱島は、人間でもないが神でもない「神の子」という概念を用いて、自己が神格へと到達しうる可 能性を、思想として提示している。ここで、その深い喜びについても述べられているが、あくまでも 個人的体験であるところが一つのポイントである。その意味で、個人の内面を探る点で個人実現説の 一つの変奏ともいえる面があり、「個人的神格実現説」とでも呼んでよいであろう。もしくは、綱島 説について、場合によっては、「神格主義的個人実現説」と呼んでもよいかもしれない。 さて、そもそも、キリスト教徒として異端の考え方の持ち主であったグリーンの自己実現説には、 人間が存在として神へと近づけるという考え方が含まれていて、むしろ東洋思想と似ているという指 摘もあった45)。そういうわけで、自己実現思想が社会的に認知されていくにつれて、東洋的な汎神論 との類似性を指摘するものが多くなり、それらは時代を下るほど増えていき、たとえば“小我と大我 との統一”などが東洋思想になじみの深い考え方として日本的土壌にはまったのである46)。
B 人格概念の神秘的側面
綱島は、グリーンの自己実現思想を素直に受け継ぐ形の人格観念を持っていた。つまり、人格の中 に神的要素を見出していたのである。この点は、以下の言い方が象徴的である。 不断に我が衷に働く神恩の自覚と、之れに伴ふ深奥なる法喜とを与えたまふ神である。而して 此の如き神を人格と謂ひ、若しくは非人格と謂ふ称謂上の問題、畢竟何の関する所ぞ、されば仮 に之れを生命といはうが、活物といはうが、霊といはうが、はた人格といはうが、何の差支も無 い。言語の記号に執着はない47)。 綱島にとって、神が「人格」か「非人格」かはどうでもよく、とりあえず表記せざるをえないもの が実質的に神であるという「事実」が重要である。綱島には、人格概念は神秘的要素を帯びて理解さ れている。 先にも見たように、輸入元として元々は宗教的要素に満ちていた自己実現思想は、日本に輸入する 際に神秘的部分はほとんど除去されてしまった。その点は、「人格」という言葉にも基本的には反映している。特に、人格概念を育んだと言える中島力造は、人格概念に神秘的要素を一切見出そうとし ていないし、むしろそうした立場に極めて批判的だったとすら思われる48)。 だがそれにもかかわらず他方で、自己実現思想が「人格」という言葉によって語られ出してから、 宗教的要素は日本文化および日本の歴史を強く反映する形で蘇りつつあったのである。明治30年代の 時点で井上哲次郎が国定教科書で述べていることは、当時の国の公式見解だと言ってよいものであ る。 人生究竟の目的は、人格を実現し、人格を発展することを措いて他に求むべからざるなり。さ れば此の目的を達するが為めには、如何なる事物を犠牲とするも、固より意に介すべき所に非ず、 金銭何かあらん、名誉何かあらん、権勢何かあらん、生命の如き、如何に貴重なりとするも、之 を人格の貴重なるに比すれば、鴻毛よりも軽し49)。 井上哲次郎の立場は、「人格至上主義」とすら言ってよいものである。人格の貴重さは、あらゆる 何事にも代えられない。人格の実現・発展・完成とは、自らの生命を犠牲にしてまでも重要なことだ というわけである。自らの個人としての生命より大切なものは、自らの個人の中に息づくはずの人格 なのだ。このことが、“楠公曾て人格の如何んを究明せずと雖も、其の湊川に討死にしたるが如き、 生命を抛って、人格の品位を維持せるものにて、自らの人生の目的に合する所為と謂ふべきなり”50) といった歴史的史実を具体例にして強調されているのである。 このようにして、人格なるものを信奉することが唱われている。この意味では、人格という単語が 神秘化する端緒は、明治35年の時点ですでに井上哲次郎の修身教科書に示されていたのである。 人格は、吾人の努力に依りて、無限に進化発展するものにして、又無限の生命を有するものな り。吾人の生理上の生命は、肉体の破滅と共に、雲散霧消して、復痕跡を留めずと雖も、人格は、 毫も之が為めに影響を受けず、未来永遠に存続して、窮りなきものなり51)。 ここでは、人格とは「無限の生命」を有するものとしてみなされている。有限なる個人的生命の中 にあって、個体を超えて無限かつ永遠なるものして人格が定義されるにいたって、人格概念はさらに 神秘化する。ここでは、人格が個人に属するものではあると認められつつも、個人を越えていくもの として称揚されるという形で、個人主義が抑制されている。 さて、視点を換えて、社会実現説および個人実現説の亜流として神格実現説を捉え直してみるなら ば、以下のことが言える。社会実現説に立てば、個人と社会との調和概念である人格を追求する中に 神的要素があり、その人格は個人の中に存している。個人実現説に立てば、自分自身の内面に神が宿 るという方向性が導かれてくる。人格という言葉は、一方では個人性が強調されるのにもかかわらず、 他方では永遠性を強調される形で神秘主義的要素を内包する可能性を持つ。そこには、神的要素を媒 介として個人主義と国家主義とが互いに通底しあう可能性が横たわっている。
C 国家主義における神格実現説の発現
綱島の神格実現説があくまでも個人的体験に属するとするならば、「社会的神格実現説」として位 置づけるべきものも指摘できる。それは、単に社会的なものにとどまらず、一気に国家的なものへと 飛躍していて、国家主義における神格実現説の発現となっている。昭和初期に、井上哲次郎は、以下 のような国家観を表明している。 国家有機体説の立場から云へば、何うしても国家には発達、成熟、衰退の三期ありと云はねば ならない。さうすると、国家は或一定の期間を経過すれば必ず滅びて行くものと見なければなら ない。国家の生命には随分甚だしい長短の違はあるけれども、何うしても一般的の法則に洩れる ことは出来ないものである。国家人格説の方は、それとは違って、国家の品位品格は永久の価値 を有するもので、そこに永久不滅の生命を有してゐると説くのである52)。 ここで「国家有機体説」に対置して言われる「国家人格説」では、人格の永遠性を根拠にして、国 家も永遠なるものだと説く。こうして、人格概念は国家と結びつくことにより、さらに神秘化した。 我が日本はそれ(=エシオピア、引用者注)と違って『天壌無窮の神勅』を建国の憲法と為し て発展して来た国である。是まで論じて来たように、「神ながらの道」を以て基礎根底として居 る。此の点から考へて見ると、エシオピアとは非常に違って、我が国は永久存続発展すべき性質 を有して居るのである。我の方は道を以て基礎根底として国家を構成して居るのであるから、そ れで我が国家は精神的、道徳的、理想的の性質を帯びて居るのである。単に人格的などと云ふこ とに尽きて居るのではない53)。 このように、井上は、「国家人格説」という考え方を称揚しながらも、根本的なところで批判的な 見解を示している。日本国家なるものは、単に「人格的」という域にとどまらないというわけである。 というのは、日本主義的文脈では、「国家」という神聖なる存在に「人格」という人間的な意味合い の強い単語を軽々しく結びつけるべきではないと考えていたからである。実際、古代より「国家」と いう言葉が、天皇その人を意味することがあった54)。「現人神」なる天皇は、単に人格的であるので はなく「神格的」なのである。この意味で、井上の国家論は、いわば「国家神格説」という域にまで 到達していると言える。 そうなれば、人格の延長上に見出される神的要素と、それ自体が絶対的な価値を持つ神的要素とは 区別されざるをえなくなる。つまり、別格の「神格」があり、そこに天皇が位置づくとともに、君臣 の区別が再確認されることになる。その上で、君臣一体の可能性が開けてくるというわけである。 天皇は上に在って臣民を子の如くに愛し恵み給ひ、臣民は天皇を父の如くに崇び敬ふことに於 いては毫も変らないのである。此の君臣一体の間に「神ながらの道」が行はれて居る為に、我が国家は人格的であるばかりでなく、臣民一体となって能く其の形態を強固に保ち得るのである。 而して其の終局するところは全く宗教的であり、信仰的である。単に道徳的と云ふばかりではな い55)。 こうして、国家人格説は、国家観それ自体を宗教的・信仰的なものとして変容させるものへと転換 した。ただし、こうした思想は、グリーンを直接経由して到達したものではない。そこには、グリー ン思想とは違う要素を読み取るべきである。いずれにせよ、そこには、人格という言葉を、国家成立 および国民統合の象徴に活用しようと意図した痕跡さえ見受けられるのである。
まとめにかえて
戦前日本においては、社会実現説・個人実現説・神格実現説が、各々独自の展開を示したり、他の 流れとせめぎ合ったり、さらには乗り換えがあったりしながら、自己実現思想が重層的に形成されて いった。そして興味深いことに、結局は三つの流れが奇妙にも合流していき、自国中心主義・国粋主 義・超国家主義を支える思想へと変形を遂げていくのである。紙幅の都合により詳細は別の機会に譲 るが、我々がこれまで想定しえなかった思想史的展開が存在しているのである。−注・引用文献−
1)この具体的様相については、以下を参照のこと。佐々木英和「自己実現概念を方向づける歴史的 基点に関する覚え書き−『人格の完成』概念との親和性を例題として−」、宇都宮大学教育学部編 『宇都宮大学教育学部紀要』第57号第1部、2007年所収、195∼209頁。 2)佐々木英和「自己実現概念の歴史的展開に関する覚え書き−19世紀末から21世紀にかけての日本 的変容の概観−」、宇都宮大学教育学部編『宇都宮大学教育学部紀要』第56号第1部、2006年所収、 214頁。 3)日比嘉高『<自己表象>の文学史−自分を書く小説の登場−』、翰林書房、2002年、132∼137頁。 4)井上円了『修身教科書 四巻』(文部省検定済)、株式会社普及会、明治35年(明治36年1月訂正 3版発行)、38頁。 5)同上、36∼37頁。 6)同上、37頁。 7)渡辺龍聖・中島半次郎共著『倫理学教科書』、成美堂・目黒書房合梓、明治35年、58∼59頁。な お、この著作は「文部省検定済」となった教科書ではない。8)西晋一郎訳『グリーン氏倫理学』、東京金港堂、明治35年、355頁。原著は、Thomas Hill Green,
Divine.”(西訳、前掲書、索引10頁)、“原理 Principle.”(同上、索引6頁)、“人格 Personality.” (同上、索引10頁)と表記されている。 9)塚田理「T・H・グリーンの宗教思想」、行安茂・藤原保信責任編集『T・H・グリーン研究』、 御茶の水書房、1982年所収、63∼68頁。 10)北村三子『青年と近代−青年と青年の言説をめぐる系譜学』、世織書房、1998年、78∼79頁。 11)日比嘉高、前掲書、135∼136頁。 12)綱島梁川の人生および思想については、以下が網羅的で詳しい。虫明 ・行安茂編『綱島梁川 の生涯と思想』、早稲田大学出版会、1981年。 13)綱島梁川「予が見神の実験」、綱島梁川『病間録』、金尾文淵堂、明治38年(論文の初出は明治38 年5月)所収、378∼379頁。 14)中島力造「理想」、『教育大辞書』(『大日本百科辞書』シリーズ)、同文館発行、大正7年所収、 1951∼1952頁。 15)同上。 16)井上円了、前掲書、37頁。 17)同上、55頁。 18)井上哲次郎『中学修身教科書 巻五』(文部省検定済)、明治35年(明治36年訂正再版発行)、55 ∼56頁。 19)井上哲次郎は、中島力造が“自我実現”という言葉をやめて“人格実現”を強調したことに対し て、“自我実現といつても真に自我を実現するには之を社会に実現するより外ないが、あまり自我 を力説すると個人主義のやうに聞え、個人主義者に利用される嫌がないではないから、寧ろ改めて 人格実現とすればその心配はない”と評価している(井上哲次郎「中島力造博士を追憶す」、丁酉 倫理会『倫理講演集』435号、昭和14年2月号、特集「故中島力造博士没後二十周年に際して」所 収、81頁)。 20)井上哲次郎、前掲書(明治35年)、56∼57頁。 21)同上、65頁。 22)同上、63頁。 23)この詳細については、佐々木英和・前掲論文(2007年)・204∼209頁を参照のこと。 24)深作安文の思想の全体像については、以下を参照のこと。深作守文「深作安文」、山田孝雄編 『近代日本の倫理思想』、大明堂、1981年所収、325∼329頁。 25)深作安文『国民道徳綱要』、弘道館、昭和6年(昭和8年3版)、253∼254頁。 26)この詳細については、佐々木英和・前掲論文(2006年)・219∼221頁および佐々木英和・前掲論 文(2007年)・202∼207頁を参照のこと。 27)深作安文、前掲書、256頁。
28)同上、258頁。なお、深作は、“国家善と一致する個人善を外にして個人善なく、国家完成と一致 する個人完成を外にして人格完成はない”と断言している(同上)。 29)同上、260頁。 30)現代的感覚で言えば、この自己実現観こそが主流のように思われる。実際、戦後は、それに近い ものが存在した。これについて、佐々木英和・前掲論文(2006年)・221∼223頁を参照のこと。 31)桑木厳翼『倫理学講義』、富山房、明治41年、325∼326頁。文中の傍点は、桑木による。 32)グリーンの「自我実現説=自己実現説」の影響を西田幾多郎が強く受けていた点についての詳細 は、以下を参照のこと。水野友晴「西田幾多郎とT・H・グリーン−自己実現の原理に注目して−」、 日本哲学史フォーラム編『日本の哲学』第1号、2000年、58∼75頁。 33)西田幾多郎『善の研究』、弘道館、明治44年、188頁。 34)この点の詳細については、たとえば以下を参照のこと。末木文美士「西田幾多郎−純粋経験から の出発」、末木文美士『近代日本の思想・再考Ⅰ 明治思想家論』、トランスビュー、2004年所収、 296∼318頁。 35)このような心象風景が生まれてきた社会的背景については、たとえば以下を参照のこと。岩崎允 胤『日本近代思想史序説[明治期後篇]下』、新日本出版社、2004年、367∼372頁。 36)阿部次郎『人格主義』、岩波書店、大正11年、205頁。 37)阿部次郎「二つの途」、阿部次郎『人格主義序説』、角川書店、昭和24年(論文の初出は昭和5年 3月)所収、206頁。 38)社会主義の倫理学の立場から阿部次郎の人格主義を根本的に批判しているものとしては、以下を 参照のこと。杉原三郎『人格主義の否定』、社会理想社、大正12年。 39)たとえば、一時は「日本主義」を主張した高山樗牛の思想は、「浪漫主義」に始まり、結局は 「個人主義」に終わったとみなされて、こうした評価を受けることがある。なお、高山の自己実現 思想の展開を論じたものとしては、たとえば以下を参照のこと。竹内整一「高山樗牛の『本然の自 己』」、佐藤正英・野崎守英編著『日本倫理思想史研究』、ぺりかん社、1983年所収、357∼377頁。 40)阿部次郎、前掲論文(昭和5年)、203頁。 41)同上、203∼216頁。 42)西田幾多郎、前掲書、294頁。 43)この詳細については、岩崎・前掲書・151∼158頁を参照のこと。 44)綱島梁川、前掲論文、綱島梁川、前掲書所収、386∼387頁。 45)三島復は、陽明学とグリーンの思想とを比較検討した上で、“中江藤樹の神霊論”を想起せざる をえないと述べている(三島復『王陽明の哲学』、昭和9年、大岡山書店、460頁)。 46)日比嘉高、前掲書、129∼137頁。 47)綱島梁川「人格のこヽろを想ふ」、綱島梁川、前掲書所収、106∼107頁。
48)この根拠については、佐々木英和・前掲論文(2007年)・199∼205頁を参照のこと。 49)井上哲次郎、前掲書(明治35年)、58∼59頁。 50)同上、59頁。 51)同上、61頁。 52)井上哲次郎『日本精神の本質』、大倉廣文堂、昭和9年、344頁。 53)同上、346∼347頁。 54)日本国語大辞典 第二版 編集委員会・小学館国語辞典編集部編集『日本国語大辞典 第二版 第 五巻』(けんえ∼さこい)、2002年第二版第五巻第二刷(第一版第一巻発行は1972年)、858頁。 55)井上哲次郎、前掲書(昭和9年)、348頁。 【付記】この論文は、筆者が研究代表者(共同研究者なし)となっている科学研究費補助金・基盤研究(C)・課題番号17530605 「『自己実現』言説の歴史社会学−特に思想の輸入・受容過程に焦点を当てた実証研究」(平成17∼20年度)の成果の一部 である。 (平成19年10月1日受理)