音楽用具・論の批判的検討
儒教における楽論を中心にしてI
は じ め に / / / ﹁唱歌ハ平易ナル歌曲ヲ唱フルコトヲ得セシメ兼テ美感ヲ養ヒ徳性ノ 涵養二資スルヲ以テ要旨トス﹂ これは、明治四十年の小学校令改正によって示された学校音楽教育︵唱 歌科︶の基本目標である。ここでいう徳性の﹁徳﹂が何を意味するもの であるかについては再論するまでもなかろう。 戦後、それまでの唱歌科は音楽科と名を改め、少なくとも表面的には 大きな変身をとげた。すなわち、徳育のための用具教科から、音楽その ものを目的とする﹁芸術教科﹂への変身を高らかに宣言したのである。 そして、戦後の音楽科教育は﹁徳性の涵養﹂の看板にかえて﹁人間形成﹂ の誇らしい看板をかかげ、希望にみちた新しい一歩を踏み出したのであ った。しかし、芸術の中身を問わない空虚な人間形成志向は、次第に自 らのかかげた看板を風化させ、またいつ﹁徳性の涵養﹂にとってかわら れてもふしぎではない情況を現出しつつある。 その問題はさておくとして、人類の長い歴史の頂点に立ちうるわれわ れは、体制が徳性ということばをもち出す時、それがいかに危険な情況 を反映しているかを経験的に知っている。 二五 ト︰∼ ド 八 木 正 一 ︵教育学部音楽科教育研究室︶ ひるがえって考えると、音楽あるいはその教育が徳・政治とのかかわ りでとらえられる歴史はかなり古い。ヨーロッパでは、周知のとおり、 その最初の体系的論者はプラトンであった。一方、東洋に目を移せば、 孔子を始祖として戦国時代に次第にその体系を整えていった、いわゆる 儒家遠の思想にそれを求めることができる。 音楽が人間の感情と何らかの、というより積極的なつながりをもって いる事実は人類が経験的に実感してきたところである。そして感情は、 人格の具体的事実としての人間行動の基盤でありエネルギーでもある。 こうしたところから、音楽が徳・人格、ひろくいえば人間性と何らかの かかわりをもつとされたのも首肯されるところである。しかし一歩進ん で考えるなら、その経験的事実を基盤としながらも、音楽=徳育論は、 政治的枠組みのなかで具体的に構築されてきたものととらえることかで きる。この事実をわれわれに典型的に教えてくれるものか、中国におけ る儒家思想II−儒教における礼楽論であろう。 本論では、津田左右吉の所論を参照しその文脈にも即しながら、音楽 =徳育論の東洋における源流ともいえる儒教における礼楽論、あるいは 音楽の論理そのものを批判的に検討していくこととした。音楽科教育の 目的論を構築する際の、外堀を埋める細かい作業のひとつに資すること がでぎればと考えている。 ト ト二六 高知大学学術研究報告 第二十九巻 社会科学 一、儒教の思想的特質 儒教とは︷ひとことでいってしまえば、階級の存在を容認する政治的 枠組みの保守を企図して、中国でとくに支配者のために説かれてきた道 徳・政治論の体系というごとになろう。周知のとおり、儒教は孔子を始 祖として、戦国時代から前演にかけて、徐々にその枠組みを整えていっ た思想・学問体系である。そして、前漢での官学化を契機に、清代に至 るまで長く中国の支配教学となってきたものである。ここでは、成立期 から体系を整えていった前演までの、孔子を中心とする儒家諸子の思想 に共通する特質を概観することにより、以下の項−−音楽論の検討の前 提にかえたいと考える。 孔子が弟子たちを教育したのは、いわゆる﹁孔門の四科﹂II徳行、 言語、政事、文学︱−であったといわれ魁それらのなかでもっとも重 視されたのは徳行であろう。そのためにさまざまな徳目を設定し、実践 のなかでそれに接近していこうと考えられていた。孔子のかかげた徳目 の中心は﹁仁﹂であった。この﹁仁﹂は、細かい論議をぬきにしていえ ば、﹁人としてあるべき道﹂と解することかできよう。 ところで、儒教においては、徳目の実践が礼と不可分に結びつけられ ている。いわば外的規範としての礼の遵守によって、諸徳目を身につけ ることかできると考えられていたのである。後述するように、礼はもと もと儀礼から出発したものであった。しかし、孔子をはじめとする儒家 たちによって、それは単なる儀礼を超えた意味づけがなされたのであ る。そのなかで、儒教の思想的特質にかかわってもっとも重要なこと は、礼が政治的コンテクストに位置づけられたことである。たとえば、 ﹃論語﹄の八揖篇には、宴の様式や家屋の建築様式を階級に応じて規定 し、それを乱すものを礼に反することだと述`べられている。この記述を 敷行していけば、階級差に応じて定められた礼を遵守することか徳につ ながる、という論理を見い出すことができる。これに﹃論語﹄顔淵篇の ﹁已に克ちて殿を復むを仁と鳥す﹂という記述をあわせて読めば、この ことは一層明らかになってくる。つまり、徳︵仁︶へ至る実践的方法と しての礼の遵守は、結局、私を滅しての階級的秩序、上下関係の維持と しての意味をもつものととらえることかできる。 こうした考え方は、君子の学を標榜した孔子の政治論にも貫かれてい る。政治の要諦は﹁君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子た り﹂にあるとする、有名なことばに端的にそれがあらわされている。つ まり、身分秩序の明確化とその遵守こそか政治的安定をもたらすもので あり、当然、その方法は、階級ごとに設定された礼の形式的実践に求め られるのである。戦国時代に体系的な礼論を展開した儒家荷子も、階級 に応じて礼を定め、その遵守によって階級的秩序か固定化し、各人はそ れぞれの階級に応じてその分限を守るようになり、社会政治的安定がも たらされるという文脈においてその礼論を展開している。こうして見る 時、儒教は特異な政治主義を、その第一の特質としてもっていると考え ることができよう。 ところで、政治論に関して、﹁政を篤すに徳を以てする﹂ということ ばに表わされるように、孔子は徳治主義を唱えている。この徳治主義 も、儒教の基調をなす特質である。しかし、この徳治志向は、あくまで 徹底した愚民観の上に構築されたものであった。﹃論語﹄泰伯篇には、 次のように述べられている。 ﹁民は之に由らしむ可し。之を知らしむべからず﹂ 孔子学派の系譜のなかで性善論を唱えた孟子にも、こういった愚民意識 は一貫して貫かれている。有名な﹁恒産無くして恒心有る者は惟だ士の み能くすと為す。民の若きは、則ち恒産無ければ’、因りて恒心無き﹂と いうことばに、それかよくあらわされている。
この孟子のことばを敷行するならば、恒心−︱道徳を身につけうるの は基本的には士以上︵支配者︶であり、民衆の道徳心など、経済状態の 前では無力であるということになる。だからこそ、﹁ほどこし的﹂な徳 治III仁政が要求されるわけである。こうして見れば、儒教における徳 治主義は、愚民観の産物と考えることができる。 こうした愚民主義は、儒教一流の楽観主義・理想主義につながってい く。道徳心をもたない他律的な存在として民衆を観るからこそ徳をもっ た支配者によって仁政が施されれば民衆は喜こび、支配者に容易に従う ものだとする楽観主義かそれである。このような思考は、先ほど述べた 礼の実践にもそのままあてはまる。すなわち、人間は階級に応じて設定 された礼を守るものだ、という楽観的な前提か儒教の礼論を支えている と考えることかできる。これは後述するように、楽論にもそのままあて はまるものである。 儒教思想を貫く楽観主義は、徳治主義ともあいまって、それは見方を かえればひとつの理想主義ともとらえることができる。どヽの儒家をとっ ても道徳の問題を論じていない者はない。既述のように、政治の問題ま でも道徳で解決しようとしてきたのである。儒教思想を性格づける道徳 中心主義は、空語的傾向を多分におびているものの、それはひとつの理 想主義でもある。 以上簡単に述べてきた儒教思想の性格特質が、その曾楽論にいかに反 映されているかについて、つづいて次項以下で考察してみたい。次項で は、そのために、礼楽思想ということばで一般化されている儒教におけ る礼楽論をまず検討していってみよう。 二、礼 と 楽 礼楽思想ということばに代表されるように礼と楽は、初期儒家たちの 二七’ 音楽用具論の批判的検討︵八木︶ 思想を特質づけるものとなっている。ここでは、礼楽の理論化が完成し た漢代までの礼楽概念を、津田左右吉の所論を具体的な手がかりとしそ れに立脚しながら儒教における音楽論ヘアプローチしてみたい。 儒教でいわれる礼には、日常の立居振舞に関するものから、冠婚葬祭 ・王室の諸礼にいたるまで多岐にわ‘たっているが、もともと、これらは。 儀礼から出発したものと考えられる。多くの民族に共通して見られるよ うに、神秘力をもつ対象︵出産、死、精霊、君主等々︶に近づくために は、一定の手つづきI1︲呪術的指導者、部族長などのイニシャティブに よる儀礼が必要とされる。古代中国の儒教における礼も、このような儀 礼に端を発しているといわれている。楽も同様に、儀礼に付随して奏さ れた儀礼音楽が、出発点になっていたと考えられる。 このような儀礼の習得は社会人となるための必要条件であり、それを 習得させることが教育でもあった。しかし、春秋時代になると儀礼その ものを単に教えるだけではなく、おのおのの儀礼に意味づけがなされ教 えられるようになったといわれる。たとえば、君に対する儀礼に忠、親 に対する儀礼に孝などという意味づけがなされ、儀礼の抽象化か行われ るようになったのである。ここにいたって、社会慣習、約束事としての 儀礼が、儒教的礼に転化される基盤ができたと考えることかできる。こ のような方向をさらに徹底し大成したのか孔子学派であった。孔子学派 がいかに礼や楽を重視したかは、次の一文に集約されていよう。 ﹁子曰く、詩拓興り、鐙に立ち、楽に成る﹂ もちろん、ここでいう礼や楽は、単なる儀礼・儀礼音楽をさすものでは ない。すなわち、﹁人にして不仁ならば、鐙を如何せん。人にして不仁 ならば、楽を如何せん﹂という﹃論語﹄の記述から明らかなように、礼 や楽が道徳と不可分のものとしてとらえられ、それに明確な道徳的意味 が付与されていたのである。 礼や楽に付与されたものは道徳的意味ばかりではない。次の﹃論語﹄
二八 高知大学学術研究報告 第二十九巻 社会科学 為政篇のI節にみられるように、大きな政治的意味づけもなされたので あった。 ﹁子日く、之を道くに政を以てし、之を斉ふるに刑を以てすれば。 民免れて恥づるなし。之を道くに徳を以てし、之を斉ふるに鐙を以 てすればヽ恥づる有りて且つ格ら1 19︶ このように、孔子学派によって礼や楽に道徳的、政治的意味づけがなさ れ、儀礼や儀礼音楽が儒教的な礼楽に改変されていったのである。孔子 以降の儒家たちがこの方向を受けついだのはもちろんである。むしろ、 菊子などによって礼楽の一層の尖鋭・体系化がなされ、礼楽論が儒家思 想を特質づけるものになっていったと考えられる。このことは、孔子よ り約半世紀以後の墨子が、礼楽論にそのほこ先をむけなから、儒家をき びしく論撃したことからも容易に想像できり さて、ここでひるがえって、なぜ儒家たちが、礼楽を自らの主張の中 心にすえて説かなければならなかったという点について、礼楽の本質に もかかわりながら考えてみよう。津田も、儒家たちの説く礼楽が世間一 般に行われているものと同一ならば、ことさら儒家か礼楽の実践を説か なければならない必要はないのではないかという問題提起をしている。 もともと礼は、社会一般の儀礼にその起源をもつものであった。もち ろん、儒家たちの主張する礼が、それらの諸儀礼とまったく異ったもの であったとはいいがたい。事実﹃礼記﹄曲礼篇にも、食事の作法といっ たレベルの礼が多く記されている。これなど、庶民を含めた社会一般の 道徳・倫理を、礼という形に抽象して表現したものである。しかし、た とえば、その食事の作法という問題に立ち入って検討してみるならば、 次のような事実を看過することはできない。つまり、そこに記されてい る献立は、庶民一般のふつうの食事の場合ではおよそ考えられない豪華 なものであるということであ秘︶このことから考えれば、この場合の作 法としての礼が、豪華な食事をしうる経済的余裕をもった階層のため に、おもに説かれたものであることは明らかであろう。そうした礼の本 質をもっともよく表わしているのが、いわゆる﹁三年の喪﹂の礼であろ う。墨子が非生産的だと批判しているように、三年間︵二十五ヶ月︶も 喪に服するなどということは庶民階層には実現不可能なことである。も しそれをなしうるとすれば、もっぱらそれだけの経済的余裕をもった階 層︱−︱支配者階層にかぎられるのは当然である。﹃礼記﹄に見られる他 の礼も、本質的にはこのような性格をもつものであろう。このことは、 儒家の主張する礼が少なからず世間一般の礼とは乖離したもので、しか も、支配階層のために説かれたものであったことを意味している。津田 の所論をふまえていうならば、それは後述するように、礼を政治的コン テクストに位置づけようとすることからの帰結であり、ここに、儒家が ことさら礼を説かなくてはならなかった原因が想定できる。 儒家の主張する楽についても、このことは同様である。儒家が実践を 説く楽が世俗音楽と乖離したものであったことは、たとえば﹃萄子﹄楽 論篇に見られるように、先王の楽−I先王の作った音楽と鄭衛の楽1−︲ 世俗音楽とに、音楽を唆別するその図式のなかに看取することができ る。彼らの主張する楽が世間一般の音楽と同じものであれば、このよう な図式を設定する必然性はまったくないはずである。尭・舜などの先王 は伝説上の存在にすぎないものである。その先王の作ったといわれる音 楽を民を和す正しい音楽として支持し、世俗音楽を人心を淫かす悪い音 楽として排撃するのは、まさに儒家の支持し実践する音楽が、世俗音楽 と乖離していたことを意味するものである。このような対置の図式は、 礼と同様、楽をも政治的コンテクストー教化の具として位置づけよう とする儒家の思想特質からの帰結なのである。 さて、孔子以降の戦国時代にあって、体系的な礼楽論を展開したのは 菊子であった。次に、菊子の礼楽論を具体的な手がかりとして、儒教に おける礼楽の本質に若干立ち入って検討してみよう。
﹁徽は何に起るや。曰く、人生れなからにして欲有り。欲して得ざ れば、則ち求むること無き能はず。求めて度量・分界無ければ、則 ち9 はざること能はず。乎へば則ち乱れ、乱るれば則ち窮す。先王 は其の乱を悪む。故に徽義を制して以て之を分ち、以て人の欲を養 ひ、人の求めを給し、欲をして必ず物を窮めず、物をして必ず欲を 屈せざらしめ、両者相持して長ぜしむるなり。是れ礼の起る所以な り﹂ これは﹃菊子﹄礼論篇のなかの記述である。ここに、孔子の礼論をより 現実的に発展させた、戦国期の儒家の礼論の典型を見ることができる。 この引用文から明らかなように、菊子は、人間は生まれながらにして欲 望をもつ存在であり、社会悪の根源はこの欲望の無制限の容認にあると する。したがって、菊子にあっては、礼が人間本来の欲望に分限を与え る外的規範としてとらえられ、個人の分限を規定するその礼を遵守する ことが人の道としての道徳なのであり、それによって争いも起らず社会 の秩序安定−政治的安定がもたらされると考えられていたのである。 しかし、これだけで事足りるとするのはあまりにも楽観的であろう。 ﹁菊子﹂富国篇には次のように述べられている。 ﹁士より以上は、則ち必ず膿楽を以て之を節す。衆庶百姓は、則ち 必ず法妬を以て之を制1 J ︵*刑掟゛ この引用文から、既述した儒教特有の愚民意識と、礼楽がもっぱら支配 者のために説かれたものであることが再確認できるが、このように礼楽 を説きながら同時に刑を設定しているところに、礼楽政治論の現実的非 機能性が象徴されている。にもかかわらず、礼楽をもって民衆を教化し ていくことを一般的に主張しつづけるところに、儒教礼楽論のもつ空語 的理想主義が物語られている。 もしかりに、儒家の主張する礼の実践が現実的な政治力をもつとすれ ば、それは、被支配者層には実践できない礼を支配者が実践することに 二九 音楽用具論の批判的検討︵八木︶ より、支配者の階級的優位性を被支配者に対して誇示するという意味に おいてであろう。また、礼を実践しうる支配者層のなかでも、実践され る礼は階層内ヒエラル牛Iに応じてそれぞれ定められるのであるから、 礼の実践は支配者層内のヒエラルキーを明らかにし、それを一層強固な ものに固定する意味をももつものである。いずれにしても、礼の政治性 の現実的意味は、こうした階級固定の意味でしかなく、その実践は階級 虚飾的意味しかもたなかったのである。 このような礼の本質は楽についても同様にあてはまる。︵楽は楽な り・人情の必ず免れざる所な5 ︶として、音楽の根源を人間の感情に求 める菊子は、それゆえに、その感情を放埓に流されないための規範を設 定する。それが﹁先王謹みて之が文を埓﹂した正しい音楽なのである。。 これは、人間の欲望に分限を与えるために礼を設定した志向と軌を一に するものである。 さらに菊子は、﹁夫れ香楽の人に入るや深く、其の人を化するや速な 亀という音楽にみられる経験的な事実に立脚し、礼と同様、次のよう に音楽を社会教化論理において楽観的にとらえようとする。 ﹁楽中平なれば、則ち民和して流せず。楽粛荘なれば、則ち民斉に して乱さず。民和斉なれば、則ち兵勁く城固く、敵国敢て嬰れざる なり。是の如くなれば則ち百姓其の處に安んじ、其の郷を楽みて、 以て其の上に至足せざること莫し。⋮⋮楽なる者は聖人の楽しむ所 なり。而して以て民心を善くす可く、其の人を感ぜしむること深 し。其れ風を移し俗を易ふ⋮⋮先王其の乱を悪む、故に其の行を脩 め、其の楽を正して、天下焉に順ふ﹂ との社会教化論理としての楽論の根底には、引用文の最後に見られるよ うに、支配者が身を修め正しい音楽を実践すれば、民衆はそれに容易に 従うものだという、礼と同様の楽観・理想主義が貫かれている。しか し、音楽でもって’民衆を教化するとはいっても、その先王の正しい音楽
三〇 高知大学学術研究報告 第二十九巻 社会科学 自体が庶民の音楽とは乖離したものであり、後に述べるように庶民の感 覚とはかかわりのないものである以上、それはまったくの空論でしかな い。したがって、礼と同様楽についても、実際はそれによる教化などと いうことはほとんど期待できず、もっぱら支配者の権威を誇示する虚 飾、つまり、庶民の生活とは何のかかわりもない、いわばサロン的な音 楽の実践という意味しかもちえなかったのではなかろうか。儒家に対抗 した墨子が儒家の主張する楽の実践を非難したのは、まさにそういう状 況に対してであろう。儒家の主張する楽の教化性がいかに空虚なもので あったかについて、回り道をするようであるが、ここで墨子の非楽論を 参照してみよう。 墨子は﹁今王公大人、雖無楽器を造為して、以て事を國家に為すは、’ 直潭水を推り、壌坦を折ちて之を埓るのみに非ざるなり。将に必ず厚く 萬民に措斂し、以て大鐘鳴鼓琴慧竿笙の香を埓さんとす﹂というよう に、支配者階層の楽の実践は、民衆に対する不要の搾取の上に成り立つ ものであるとまず鋭く論撃する。そして、その楽の教化論理の空虚さ は、墨子によれば、次の引用文に見られるごとくのものであった。 ﹁今大國有りて即ち小國を攻め、大家有りて即ち小家を伐ち、弧は 弱を劫し、衆は寡を暴し、詐は思を欺き、貴は賤に傲り、寇乱賊盗 位びに興り、禁止す可からず。然らば即ち之が為に巨鐘を撞き、鳴 鼓を撃ち、琴彦を弾じ、竿笙を吹き、干戚を揚ぐるが富きは、天下 の乱るるや、将た安んぞ得て治む可き呉﹂ このような墨子の批判をまつまでもなく、儒家の説く楽論は︵もちろん 礼論も同様であるが︶、現実性のきわめて乏しい、思惟上の構想にすぎ なかったと結論づけられよう。このことは、儒教か官学化された前漢代 以降の礼楽論がたどった道すじそのものに象徴的に表わされている。 すなわち、津田の指摘するように、その非現実性ゆえに礼楽論はほと んど実践されることもなく、単なる官吏登用のための形式的御用学問に なり下がり、一方ではその必然として、礼や楽をもっぱら思弁的に構想 していく方向が強化されたのであった。とくに楽に関しては、こういっ た傾向か著しかったと思われる。貝原益軒が﹁孔子の時まてハ古楽あり ⋮⋮孟子の時古楽おとろえ俗楽ばかりなり秦漢に至りてハ古楽伝はら ず﹂と﹃音楽記聞﹄で述べているように、秦代の儒家への迫害のため か、儒家の実践する音楽の単純性のためか、漢代にいたっては実践すべ き音楽すら存在していなかったのである。そうなれば、今述べたよう に、音楽を思弁的・形而上学的に構想していくほか道はない。こうした 脆弱な基盤の上に構想された音楽の論理とはどのようなものであった か、その点について次項で考察してみよう。 三、儒教における音楽の論理とその問題点 ﹁凡そ音の起るは、人心に由りて生ずるなり。人心の動くは、物、 之をして然らしむるなり。物に感じて勁く、故に徐に形る。徐相応 ず、故に受を生ず。愛じて方を成す、之を音と謂ふ。音を比し﹃て之 を楽し、千戚羽旋に及ぶ、之を楽と周心1 これは、音楽の根源につぃての﹁楽記﹂の記述である。これによれば、 外界︵環境︶に触発された人間の心の勣き︵感情︶から音楽か生成する とされている。つまり、環境によって触発された感情の勣きが声とな り、声のさまざまな対応のなかから変化か生まれ、それらか法則化され て音階が作られ、その音階の組み合わせによって音楽か生まれるという ことである。 ﹁楽記﹂では先の引用文のように音楽とその生成を規定したあと、次 のように述べられている。 ﹁凡そ音は人の心に生ずる者なり。楽は倫理を通ずる者なり。是の 故に徐を知りて音を知らざる者は禽獣是なり。音を知りて楽を知ら
ざる者は衆庶是なり。唯君子のみ能く楽を知ると埓す﹂ これによると、声が自然的概念、音が人為的概念、楽が倫理的概念とし てとらえられている。このなかでとくに注目すべきことは、音から楽へ の質的変化の根拠が倫理性に求められているということである。そし て、その倫理性は、﹁誓を審かにして以て音を知り、音を審かにして以 て楽を知り、楽を審かにして以て政を知る、而して治道備わる﹂という ように、直接、政治とつながる文脈でとらえられている。まさにこの質 的変化の過程に、儒教音楽論の大きな特質を見出すことができる。 ところで、先述したように、人間の感情の生成を環境に求め、そこに 音楽の起源を立論する思考形態には、すでに音楽の政治性、教化性へと つながる論理が内包されているとしなければならない。すなわち、物に 感じて人間の感情が動きそれか組織化されて音楽となるのであるから、 今度は逆に、成立した音楽が﹁物﹂となり、人間の感情を動かし規定し うるという論理である。この論理の根底には、﹁夫れ覗楽の人に入るや 深く、其の人を化するや速かなり﹂という、音楽の一般的特質について の儒家の認識が脈打っていることはもちろんである。こうした認識か深 ければ深いほど、音楽の倫理性、政治性、教化性を問題にする儒家にと って、次には音楽の種類・内容がきびしく検討されなければならないこ とは当然である。 儒家か一貫して主張したのは、先王の制作した正しい音楽であった。 それに関して﹃菊子﹄楽論篇には次のように述べられている。 ﹁故に人楽まざること能わず。楽しめば則ち形るること無き能は ず。形れて道を鳥さざれば、則ち乱るること無き能はず。先王の乱 を悪む。故に雅頌の香を制して、以て之を道き、其の雙をして以て 楽しむに足りて流せざらしめ、其の文をして以て辨ずるに足りて認 。ならざらしめ、其の曲直繁省、廉肉節奏して、以て人の善心を感動 するに足らしめ、夫の邪汗の気をして、接することを得るに由無か 三一 音楽用具論の批判的検討︵八木︶ らしむ。是先王楽を立つるの方なり﹂ ここに見られるように正しい楽とは、人間の感情から起こる音楽を放任 することによって生じる政治的不都合を回避するために、絶対的な徳を もつ先王が、民を導くよう工夫をこらして﹁人の善心を感動﹂させるべ く制作したものとされる。 ところで、ここで問題になるのは、儒家の主張する先生の制作した音 楽の中身そのものである。つまり、先王の制作した正しい音楽とは﹁体 どのようなものかか、具体的に問題にされなければならない。 感激して三ヶ月も食物の味がわからなかったという逸話をもつ (30 fiiV fefli rノUm -V^ dlW ir.^-。 '-* *^ 先王の楽として知られるもので有名なものは、孔子か斉の国で聞き、 激して三ヶ月も食物の味がわからなかったという逸話をもつ詔をはじ め、咸池、大夏、大武等々さまざまある 実際の音は残念ながら残って いないが、たとえば咸池は黄帝の、大夏は萬王の作と伝えられるもので ある。しかし既述したように、それらの先生は伝説上の存在でしかない のであり、先王が音楽を制作したなどということは、実際にはまったく 考えられない。したがって、先ほどの逸話のように、孔子が先王のひと りの舜帝の楽である都を聞いたということがかりに本当であったとする ならば、その音楽は、その当時にも存在していたと考えられる楽官によ って作られたもののひとつであろうし、また、君子の学を標榜する孔子 の主張からしても、それは世俗的な音楽というよりむしろ、支配者層の 教養的な音楽であったろうとも考えられるのである。 もちろん当時においても、そのような音楽やまったく世俗的な音楽、 あるいは儀礼に付随して演奏される音楽など、さまざまなジャンルの音 楽が存在していたであろうことは想像に難くない。したがって、先王の 楽I’−正に﹂い音楽を考えるにあたって、問題は、そのようなさまざまな 音楽のなかから、孔子が、あるいは儒家たちがある種の音楽を選択した という点にあると思われるのである。彼らが選択した音楽には、後にも 述べるように、一種の共通性︵世俗・娯楽的要素をもつものではない︶
三二 高知大学学術研究報告 第二十九巻 社会科学 があったと考えられる。そして、それらが儒家たちの間で実践・伝達さ れた過程において、世俗的に演奏される音楽とは趣きを異にする、儒家 特有の音楽に改変されていったと考えられる津田の所論をふまえていう ならぱ、一般的に検証することのできない先王の楽という呼称は、その ことの正当化のためになされたとすることができる。 儒家の主張するそうした音楽は、きわめて形式的で、世俗音楽に比し て魅力の乏しいものであったと考えられる。それは、﹁楽記﹂の﹁清廟 の慧は、朱弦にして疎越あり。壱価して三歎し、遺音有るものなり﹂と いう記述からも推測できよう。この点にも関連するが、﹁楽記﹂にはさ れについての吉川英史のまとめを、ここで引用してみよう ︵良い音楽︶ 廉直︵角の立った盤と平板な哩︶ 勁正︵強く正しい雙︶ 荘誠︵荘重にして誠心の溢るる密︶ 寛裕︵廣く裕かな聾︶ 肉好︵厚みのある美しい雙︶ 順成︵澱みのない穏やかな聾︶ 和動︵圓滑なる動きの啓︶ ︵悪い音楽︶ 志微︵志は急の意味、微はかすか︶ 礁殺︵嘸はかすれてつやのない需、殺は低い哀れな億︶ 岡諧︵大きな開け放しのおどけた膠︶ 慢易︵人を侮ったような盤︶ 繁文︵中々込入った調子の密J 簡節︵軽快な調子の密︶ 粗漏︵粗く漏しい馨︶ 猛起︵歌ひ始めの猛き聾︶ 奮末︵終りを奮起する健︶ 廣責︵責は憤。強い調子の啓︶ 流肝︵節度のない、辞な需︶ 邪散︵邪にして散漕な雙︶ 秋成︵速度の迅い官能的な盤︶ 肢濫︵女声の細い濫らな啓︶ いずれもかなり抽象的なことはではあるが、音楽のよしあしに対する儒 家の判断か、後者のような世俗的な、いわば音楽としての魅力の大きい ものを排し、自らの主張する簡素で形式的な特殊な音楽を擁護する観点 からなされたものであったであろうことは、この吉川の整理からも十分 窺うことができる。いずれにしても、儒家がこのように、音楽を良い音 楽と悪い音楽とに唆別したのは、音楽をもっばら政治的手段、用具とし て用いようとしたところに理由がある。 そこで、次にその点について考えてみよう。儒家による音楽の政治手 段化の論理は、次の三点の認識から構築されたものだと考えることがで I≪Jる。 田 音楽は個人、ならびに社会を和するものである。 ㈲ 音楽は、礼と同様、人倫関係および階級的秩序を維持することに 貢献するものである。 ㈲ 音楽は、社会の安定につながる個人の道徳心を号つことに寄与す るものである。 この三つの整理にしたがってコメントを付しておこう。まず田に関連し て、﹁楽記﹂には次のように述べられている。 ﹁楽は同じくすることを埓し、礼は異にすることを埓す。同じけれ
ば則ち相親しみ、異にすれば則ち相敬う﹂ 儒家がこのように音楽に﹁和﹂の意味づけをした背景には、音楽が同時 に多数の人間を同じように感化するという、彼らが現象的レべルでとら えた経験的事実があるものと思われる。そして、そのことから、物の差 異を明らかにすることによつて体制維持を志向する外的規範としての礼 に対する、いわば対概念として音楽を論理づけたのである。つまり、今 の引用文にも見られるように、音楽が人の和をもたらすことによつて争 いが起こらず、社会の安定、体制維持ができると短絡的に考えたのであ 三三 音楽屏暴mの批判的検討︵八木︶ を催す際の人数を、天子であれば八世︵六十四人︶、諸侯であれば六世 ︵三十六人︶、郷太夫であれば四世︵十六人︶、士であれば二世︵四人 というように、それぞれの分限に応じて制限することまで儒家たちは主 張したのである。そして、分限に応じたこうした楽が演奏されることに より階級固定が強化され、政治的安定がもたらされると儒家たちは考え たのであった。 ’ さて、先に整理した㈲の問題について次に考えてみよう。この音楽と 徳の問題も、みごとに政治的枠組みのなかに収れんされているとするこ とができる。先述したように、儒教における正しい音楽は先王か制作し たものであった。その先王は軍事力をもってではなく、その偉大な徳に よって天下を平定したとされる。したがって、それらの先王の制作した 音楽はその偉大な徳にのっとって、あるいはその徳を反映して作られた ものに他ならない。つまり、音楽は先王の徳を万人に知らしめすもので あり、そうした音楽を実践することにより、偉大な先王の徳を学ぶこと になるのだという、儒家の基本的な音楽論理を、㈲の問題に関連して、 まずそこに看取できる。﹁楽記﹂の﹁楽は徳に象る所以なり﹂という記 述は、このような文脈に位置するものである。しかし、徳の具体的中身 を明らかにしないこのような徳論は、ある目的のもとに、人間の感情、 欲求、自由を錠縛するための理論的武器としての意味しかもちえない。 もっとつきつめていうなら、このような形の音楽徳論は音楽を政治手段 化することに正当性を与えるため構築された単なる論理にすぎないと考 えられるのである。 儒教楽論においては、音楽と徳の問題が、先王の徳のレベルでのみ展 開されているわけではない。とくに、わが国の音楽・音楽教育の問題を 考える際欠かせない音楽と個人的な道徳の問題も、楽論のなかでは大き く展開されている。それらを集約して表わすものが、孔子の言とされる 次の﹁節であろう。
三呵 高知大学学術研究報告 第二十九巻 社会科学 ﹁殿と云ひ、鐙と云ふ、玉帛を云はんや。楽と云ひ、楽と云ふ、鐘 鼓を云はんや﹂ この記述は、﹁楽記﹂の﹁楽は黄鐘大呂・弦歌、干揚を胴ふに非ざるな り、楽の末節なり﹂という一節とコンテクストを同じくして読みとるこ とかできる。つまり、音楽の本質は表現された音にあるのではなく、そ れを奏する、あるいはそれにかかわる人間の徳にこそあるのだという基 本的な音楽=徳論が貫かれている。こうした徳論がわが国の音楽、そし て音楽教育の正常な発展をいかにさまたげてきたかは、今さらいうまで もなかろう。 そのことの重要性もさることながら、ここで確認しておかなければな らないことは、音楽の本質を形成するとされる人間の徳とは、この場合 何をさしているのかということである。これに関して、﹃論語﹄の﹁人 にして不仁ならば、楽を如何せん﹂−−つまり、仁を失っては、いくら 音楽を実践したところで無意味であるIという一節を参照すれば、お のずとその徳の意味するところが明らかになろう。儒教にあって仁は徳 の中心概念である。すでに述べたように、仁とは人間のあるべき道とし て広く解することができるが、その第一義的意味は、体制維持を指向す る人倫関係を踏みはずさないという政治的意味であった。こうして考え るなら、儒教の楽論のもつ個人的な徳と音楽とのかかわりの論理も、み ごとに政治的枠組みのなかに収れんされているといわなければならな い。本論の冒頭で引用した﹁徳性の涵養﹂の徳も、まさにこの部分にか かわっていよう。 さて、以上のように、論理の上では周到な構築がなされている儒教の 音楽政治用具論も、その論理の実践化の方法に関しては、非現実性と楽 観性にみちた論述に終始している。この点に関して、﹁楽記﹂には次の ようを記されている。 ﹁是の故に楽は、宗廟の中に在りて、君臣上下同じく之を聴けば、 則ち和敬せざること莫し。族長郷里の中に在りて、長幼同じく之を 聴けば、則ち和順せざること英し。閏門の内に在りて、父子兄弟同 じく之を聴けば、則ち和親せざる英し﹂ この右つな論述は、一項で整理した儒教の楽観主義的特質からの、ま た、すでに述べた儒教礼楽論の本質からの帰結でもあるが、彼らの主張 する音楽そのものか庶民のそれとは対置されるものであり、庶民にとっ ては実践できないものであったことを考えあわせる時、儒教で主張され た音楽の政治的用具性の論理は、非現実どころか、まったくの空論でし かなかったといいうるのである。それは、まさに墨子の批判したとおり であった。 お わ り に はじめにも述べたように、音楽が人間行勁のひとつの基盤ともいえる 感情に何らかのかかわりをもつところから、音楽を政治的枠組みにおけ る教化の用具として利用しようとする志向か生まれたのはむしろ当然で もある。しかし、教化の論理と、音楽が本来もっているであろう表現の 論理とは、基本的に相容れないものである。したがって、本論で考察し たように、音楽用具論のひとつの典型ともいえる儒教音楽論において は、音楽か空虚な論理としてのみ追求されざるをえなかったのである。 しかしながら江戸期以降、そうした儒教音楽論かわが国の国民的な音楽 観形成に与えた影響は小さくない。とくに明治以後は、儒教音楽論が空 論としての論理をとびこえ、日本的展開のもとにまさに実践されてき た。 現在では、たとえ徳の完成、人間性の完成のためのものであるにして も、音楽を用具としてとらえることには、多くの人達が異口同音に反対 する。音楽を用具から解放し、それを自己目的化できるようになったの
は、。長い人類の歴史のつみあげに他ならない。しかしそうはいいつつ、 わが国においてほんの半世紀前までは、本論でみてきたような論理とあ まりかわらない音楽=徳育論、’音楽政治用具論が横行してきたことを忘 れてはならない。音楽は音楽のために、音楽する人間のためにこそ存在 する’0 だという自明の宣言は、わが国では、ほんの三十年前にはじめて なされたにすぎない。しかし、そのような高邁な宣言とはうらはらに、 とくに学校音楽教育の分野にかかわっては一貫して音楽を子どもに開放 することなくぃ空虚な人間形成、情操陶冶論のみが唱えられている。のか 現状である。 音楽科教育が音楽用具論を将来にわたって否定しつづけるためには、 音楽できる子ども、そしてそのことと不可分な音楽する楽しみを自分の ものにした子どもを育てなければならない。これこそが音楽科教育に携 わる者の急務なのである。そのようなつみあげのなかから、儒教音楽論 がその周到な論理の網ですくいとることのできなかった人間の生活と音 楽とのかかおり、そして、音楽文化の国民的な展望がひらけてくるはず である。 ︿注および引用参考文献▽ ︵1︶ おもに、津田左右吉﹁儒教の礼楽説﹂ ﹁津田左右吉全集第十六巻﹂ ︵岩 波書店、昭和四〇年︶を参照した。 ︵2︶ 宇野精一郎編﹁講座東洋思想2﹂七九ページ︵東京大学出版会昭和五〇 年︶ 。。 ︵3︶ 仁はさらに細かく、恕、忠、信、孝、悌、謹、恭、寛、敏、恵などに分 かれている。これらの細目を実践することにより、全体的な徳としての仁 に至ることかできると考えられていた。﹃ ・ ︲ ︵4︶ 吉田賢抗編﹁新釈漢文大系第一巻﹂ ︵朋治書院、昭和三七年︶、七九ペ ージ参照 ︵5︶ 同前 二五三ページ ︵6︶ 同前 二六五ページ‘ ︵7︶ ﹁葡子﹂下 、礼論篇参照︵藤井専英編﹁新釈漢文大系六巻﹂明治書院 昭和四四年︶ 三五 音楽用具論の批判的検討︵八木︶ ︵8︶ 古来、中国の血縁関係は厳密な父系大家族制であった。このなかの複雑 な人間関係を秩序だてることは、古代中国において大きな問題であったは ずである。このことは、大きくいえば、ひとつの政治的課題としてもとら えることができる。人倫関係のあ力方やそれに関連した道徳の問題を前面 に出す儒教の政治主義の遠因は、このあたりにも想定できよう。 ︵9︶ ﹁論語﹂為政篇 前掲轡 三四ページ ︵2︶ ﹁論語﹂泰伯篇 同前 一八二ページ ︵H︶ ﹁孟子﹂籐文公篇上 内野熊一郎編﹁新釈漢文大素第四巻﹂明治書院、 昭和三七年、一八四ページ ︵り一︶ 津田左右吉﹁儒教成立史の一側面﹂ ﹁儒教の礼楽説﹂ ︵前掲書所収︶ ︵13︶ 東京大字中国哲学研究室編﹁中国思想史﹂一二∼一三ページ参照︵東京 大学出版会、昭和二八年︶ ︵14︶ 津田左右吉﹁儒教の礼楽説﹂前掲書 二〇六ページ参照 ︵15︶ ﹁中国思想史﹂ ︵前掲︶ 一四ページ参照 ︵16︶ 同前 ︵17︶ ﹁論語﹂泰伯篇 前掲書 一八一ページ ︵18︶ ﹁論語﹂八揖篇 同前 六一ページ ︵19︶ ﹁論語﹂為政篇 同前 三六ページ ︵20︶ 津田﹁儒教の礼楽説﹂前掲書 二〇一ページ参照 なお、この点につい ては、本項で後述する。 ︵21︶ 同前 二〇七ページ参照 ︵召 ﹁礼記﹂曲礼上第一、竹内照夫編﹁新釈漢文大系第二七巻﹂明治書院、 昭和四六年 三二ページ参照 ︵23︶ ﹁墨子﹂節喪篇 山田琢編﹁新釈漢文大系第五十巻﹂明治轡院、昭和五 〇年ヽ二七〇∼二七一ページ参照 ︵24︶ 津田﹁儒教の礼楽説﹂前掲書 二I○ページ参照 ︵25︶ 伏娘・神農・黄・尭・舜・萬・湯・文・武王などをさすか、伝説の域を 出ない者が多い。 ︵26︶ ﹁有子﹂下 楽論篇﹁新釈漢文大系第六巻﹂ ︵前掲︶五九九∼六〇二ペ ージ参照 ︵U 津田﹁儒教の礼楽説﹂前掲書 二〇九ページ参照 ︵28︶ ﹁菊子﹂下 礼論篇 前掲書 五四三ページ ︵29︶ ﹁菊子﹂上 富国篇 藤井専英編﹁新釈漢文大系第五巻﹂明治書院、昭 和四一年 二五九ページ ︵30︶ ﹁菊子﹂下 楽論篇 前掲書 五九五ページ ︵31︶ 同前 五九九ベーシー
三六 高知大学学術研究報告 第二十九巻 社会科学 ︵32︶ 同前 五九九ページ ︵33︶ 同前 五九九∼六〇〇ページ ︵34︶ ﹁墨子﹂非楽上 ﹁新釈漢文大系第五十巻﹂ ︵前掲︶三六九ページ ︵25︶ 同前 三七〇∼三七一ページ ︵36︶ 津田﹁儒教の礼楽説﹂第七章・第八章を参照 ︵37︶ 貝原益軒﹁音楽記聞﹂ 国立国会図書館蔵 ︵38︶ ﹁楽記﹂ 竹内照夫編﹁新釈漢文大系第二十八巻﹂ 明治轡院 昭和五 二年。五五六ページ ︵39︶ 同前 五五九∼五六〇ページ ︵40︶ 同前 五六〇ベーシ ー︵41︶ ﹁菊子﹂下 楽論篇 前掲書 五九九ページ ︵42︶ 同前 五九五ページ ︵43︶ ﹁論語﹂ 述而篇 前掲轡 一五六ページ参照 ︵44︶ そのほか、六螢、永雲、晨露、象箭、南兪、韻箭などかあげられる。 ︵今井通郎﹁支那哲学における歌謡と音楽﹂ 東洋音楽学会編﹁日本・東 洋音楽論考﹂参照︶ ︵45︶ 福永光司﹁中国文明選14芸術論集﹂ 朝日新聞社 昭和四六年 四〇ペ ージ参照 ︵46︶ ﹁楽記﹂ 前掲書 五六〇ページ。なお、ここに引用したのは宗廟の儀 礼という特殊の場合であり、あくまでも、儒家の主張する楽かそれに近い 形であるという意味である。ちなみに、郷飲酒礼に使われた音楽は、﹁菊 子﹂楽論篇によると、堂上で鹿鳴、四牡、皇皇者華︵詩経の詩︶三詩の歌 唱、笙による堂下での伴奏というものである。︵前掲書 六〇九ページ︶ これからもぐその楽がかなり素朴であったことかわかる。また、﹁楽記﹂ にも、﹁大楽は必ず易に、大礼は必ず簡なり﹂ ︵前掲轡、五六三ページ︶ と述べられている。 ・ ︵47︶ 吉川英史﹁日本音楽の性格﹂ わんや書店 昭和二三年 二五∼六ペー ジ ︵48︶ ﹁楽記﹂ 前掲書 五六三ページ ︵49︶ ﹁楽記﹂ 前掲書 五七五ページ ︵50︶ 同前 五五八ページ ︵51︶ 同前 五九〇ページ ︵52︶ ﹁中国文明選14芸術論集﹂ 前掲書 一二二ページ参照 ︵53︶ ﹁楽記﹂ 前掲書 五七三ページ ︵54︶ ﹁論語﹂ 陽貨篇 前掲轡 三八四ページ ︵55︶ ﹁楽記﹂ 前掲轡 五八五ページ ︵56︶ ︵57︶ ﹁論語﹂ ﹁楽記﹂ 八揖篇 前掲書 前掲書 六一ぺ 六〇二ページ ジ 付 漢文の引用は轡下しで行った。引用は新釈漢文大系︵明治書院︶によっ たか、一部新字体を用いた部分もある。 ︵昭和五五年九月二九日受理︶ ︵昭和五六年三月十日発行︶