外国にルーツをもつ子どもと学校教育
― 権利としての日本語教育の可能性 ―
岡 翼
† 1.はじめに 法務省入国管理局の統計によれば日本には 2017 年末の時点で 256 万 1848 人の外国人が在 留し、前年末に比べ 17 万 9026 人(7.5%)の増 加となった1) 。このうち「家族滞在」の在留資格 のある 15 歳未満の子どもは約 6 万 7000 人に及 んでいる2) 。また、文部科学省の調査によると、 平成 28 年 5 月 1 日現在、義務教育段階に在籍し ている日本語指導が必要な児童生徒が約 4 万人 に上ることが明らかとなった。このうち、外国 籍の児童生徒が全体の約 8 割を占める3) 。 このような状況を受けて、2014 年度からは 特別の教育課程による日本語指導が制度化され た。この制度を用いた日本語指導の実施はあく までも任意のため、この制度を含め何らかの形 で日本語指導等を受けている子どもは全体の約 4 分の 3 程度である。約 4 分の 1 の子どもは日 本語指導が必要と判断されていながらも実際に は日本語指導を受けることができていない。こ の理由として、同調査からは日本語指導にあた る教員を確保できないことや教室数の不足など が原因であることが明らかになっている4) 。 「日本の義務教育課程における『ことばの教 育』は、日本語指導が必要な日本国籍をもつ児童 生徒の存在を含め、それら児童生徒の『学習権 の保障』という根源的な課題の基底に存在して いる」5) と考えたとき、「日本語教育を受ける権 利」なるものは保障されているのであろうか。 先行研究では、外国人の子どもの教育を受け る権利に関する研究はすでに一定の蓄積を見せ ている。おおむね権利の性質から外国人の子ど † 教育学研究科 教材開発コース 社会科教育領域 担当教員:渡辺暁彦 もにも教育を受ける権利が日本人の子どもと同 様に保障されるとするのが通説的である。 外国人の教育を受ける権利の具体的内容に 関する研究はこれまで「母語教育」や「アイデ ンティティー保障」に関するものが中心であっ た。その一方で、国籍にかかわらず、日本の公 立学校に在籍する日本語指導が必要な子どもた ちが直面しているはずの日本語教育をどのよう に権利として保障していくのか、という点につ いての研究は十分に行われていなかった。 そのため、本研究では日本語指導が必要な子 どもたち、つまり「外国にルーツをもつ子ども」 を対象として、「日本語教育を受ける権利」なる ものが現状保障されていると考えることができ るのかについて整理を行い、今後の日本語教育 政策の可能性について検討を行う。 なお、本稿において用いる「日本語教育」、「日 本語指導」は、特に断りのない限り義務教育段 階の学校で行われる児童生徒に対する日本語教 育を指すものとし、成人等に対する日本語教育 は含まないものとする。 2.外国にルーツをもつ子どもと学校 (1)外国人の子どもと「不就学」 前述のように、日本語指導が必要な子どもに 対して十分な日本語教育が実施されていない現 状は、外国籍児童生徒の保護者に対して就学義 務が課されていないことが要因の一つとして考 えられる。 就学義務が課されていないことにより生じ るのが「不就学」の問題である。多くの場合、 種々の事情により日本で生活しているが日本の 公立もしくは私立の学校(学校教育法にいう 1 条校)もしくは、外国人学校に在籍せず、何らかの形で教育を受けていない子どもたちが相当 数いる。不就学実態調査に取り組んだ小島氏は この問題に関連して、「日本での義務教育年齢 期に、たまたま日本国籍を有していなかった者 を社会から排除する必要がどこにあるのだろう か」6) と指摘している。 しかしながら、不就学の問題については、文 部科学省としても全国的な実態を捉えることが できていない。2005 年度∼ 2006 年度、2007 年 度∼ 2009 年度と二度の調査を行っているが、調 査対象が限定的であった。毎日新聞の調査によ れば、学齢児童生徒の多い上位 100 の自治体に 対してアンケートを実施し、その結果 2018 年 5 月時点で少なくとも全体の約 2 割にあたる約 1 万 6000 人が「就学不明」であることがわかっ た。この中には、積極的にこの問題に取り組む 自治体があった一方で就学義務が課されていな いことなどを理由に就学状況の把握に取り組ん でいない自治体があり、自治体間で温度差があ ることも明らかとなった7) 。 新聞報道によれば、文部科学省は 2019 年度に 全国 1741 の自治体に対して就学不明児の人数 を照会し不就学の実態について全体像を把握す るとしており8) 、実態に応じた自治体への支援 の充実が求められる。 (2)教育政策の変遷にみる日本語教育の現状と課題 戦後以降の日本語教育に関する政策を整理 すると、3 期に分類できる。まず、第 1 期(戦 後∼ 1989 年)は、外国人を日本の学校に受け 入れる制度が整えられた時期であった。とりわ け、在日韓国・朝鮮人の子どもに対する就学義務 やその取り扱いに焦点が当てられ、外国にルー ツをもつ子どもに対する日本語教育の問題につ いて国政レベルの対策は打ち出されてこなかっ た。 しかし、第 2 期(1990 年∼)の 1990 年の改 正出入国管理及び難民認定法施行以後、外国に ルーツを持つ子どものへの学校教育は、日本語 教育問題への対応へと大きく舵を切ることに なった。義務教育段階の公立学校にニューカ マーと呼ばれる子どもたちが在籍するようにな り、日本語指導体制の整備が迫られた。国も日 本語指導が必要な子どもたちの実態調査に乗り 出し、対応策を打ち出した。当初の施策につい て「外国人児童生徒は、成人の日本語学習者と 同じように考えられ、年少者としての特別な 配慮がなかった」9) という指摘もある。その後、 2001 年から始められた JSL カリキュラムの開発 によって「年少外国人への日本語教育が、成人 外国人への日本語教育とは分けて」10) 取り扱わ れるようになった。 このような流れの中、第 3 期(2014 年∼)の 2014 年には学校の教育課程の中に日本語教育 を位置づける「特別の教育課程」による日本語 指導が制度化され、日本語教育の実施に向けた 環境整備が行われた。佐久間氏は「当初、文部 科学省の準備した資料を参考にすると、他校の 授業も自校の教育課程に認めることができる特 別支援教育の規定が参考にされ、そのどこかに 位置づけられるとも思われたが、日本語のでき ないことがあたかも特別の支援に相当するかに みられるのを避けるためにも、別の個所となっ た」11) と指摘している。 しかし、新学習指導要領(2017 年告示)では 「特別な配慮を必要とする児童生徒」として「日 本語の習得に困難のある児童生徒」の項が置か れた。現行学習指導要領では、「海外から帰国し た生徒など」と示され、帰国子女と外国にルーツ をもつ子どもを区別していなかった。1998 年告 示の学習指導要領でも同様に表記されている。 このことからすれば、学習指導要領において 日本語指導が必要な子どもたちの位置づけがよ り明確になったことは評価できよう。また、幼稚 園教育要領では、新教育要領(2017 年告示)か ら「特別な配慮を必要とする幼児」の中に「海 外から帰国した幼児や生活に必要な日本語の習 得に困難のある幼児」の項が新設された。幼児 教育の段階から組織的、計画的な指導を行うこ ととされ、義務教育段階以前からの支援の必要 性についても示されるようになった。 教育政策の変遷から明らかになる課題は、外 国人の教育を受ける権利をどのように保障する のかという視点に立った上で、日本語教育が捉 えられていないという点であろう。1990 年の入 管法改正以降の国(特に文部科学省)の対応は 現場の状況を受けて後手にまわってきた。日本 語指導を「特別の教育課程」として認めたこと も、自治体からの要請を形にしたものである。
外国にルーツをもつ子どもの日本語教育の必要 性について認識はしているものの、権利的側面 から外国にルーツをもつ子どもの日本語教育の 問題と向き合ってきたとは言い難い。 (3)外国人人材の受け入れと子どもの教育 小島氏は「外国人の教育を受ける権利を正面 から議論してこなかったことによって、社会で 『見えない』存在になってしまった」12) と述べる。 2018 年 12 月 8 日に、出入国管理及び難民認定法 及び法務省設置法の一部を改正する法律案(閣 法第 1 号)が参議院で可決成立した。この改正 により新たな在留資格が創設され、外国人人材 の受け入れが今後拡大していくことが予想され る。しかしながら、依然として積極的に外国人 の教育を受ける権利について議論しようという 姿勢は見られない。 柴山文部科学大臣は外国人児童生徒と義務 教育に関する委員からの質問に対し、日本では 外国人児童生徒の保護者に対して就学義務を課 していないが国際人権規約等を踏まえ日本人児 童生徒と同様に受け入れていること、就学義 務を課すかどうかは「外国人のアイデンティ ティーや教育をめぐる国際的な動向を踏まえて 慎重に検討を要する問題」であること、文部科 学省としては「今後とも、外国人児童生徒の就 学機会の適切な確保のために必要な措置」を講 じていきたいと回答した13) 。この回答は、従来ま での文部科学省の姿勢と変わっていない。 その一方で、議員連盟による日本語教育に関 する施策の法制化への動きが確認できる。2016 年 11 月 8 日に超党派の議員らによって「日本語 教育振興基本法」の制定を目指し日本語教育推 進議員連盟が結成された。2018 年 12 月 3 日に 開催された第 11 回総会において、「日本語教育 の推進に関する法律案」が策定され、公表され ている14) 。 法律案では「日本語教育の推進に関する施策 を総合的かつ効果的に推進し、もって多様な文 化を尊重した活力ある共生社会の実現に資する とともに、諸外国との交流の促進並びに友好関 係の維持及び発展に寄与すること」が目的とし て示された。第 3 条の 7 では、「日本語教育の推 進は、我が国に居住する幼児期及び学齢期(満 6 歳に達した日の翌日以降における最初の学年 の初めから満 15 歳に達した日の属する学年の 終わりまでの期間をいう。)にある外国人等の家 庭における教育等において使用される言語の重 要性に配慮して行われなければならない」とし て、家庭言語を尊重する必要性についても触れ ている。 さらに、第 12 条では外国人等である児童生徒 に対して国は「生活に必要な日本語及び教科の 指導等の充実その他日本語教育の充実を図るた め」に必要な施策を講じること、国が「外国人 等である児童、生徒が生活に必要な日本語を習 得することの重要性についてのその保護者の理 解と関心を深めるため、必要な啓発活動を行う よう努める」ことを求めた。 この法律案は、当初第 197 回臨時国会での法 案提出が目指されていたが、会期の関係で次回 通常国会での成立を目指している。今後この法 案が可決成立した場合、日本語教育を推進する にあたっての根拠法となり得る。具体的な施策 について定めたものではないが、学校における 日本語教育の重要性がより広く認知されること が期待される。 3.教育を受ける権利と日本語教育 (1)教育を受ける権利とは 憲法第 26 条第 1 項はすべての国民に対して 「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権 利を有する」として教育を受ける権利を保障し ている。教育を受ける権利には、社会権(国に 対する給付請求権)としての側面、自由権(国 に対する不作為請求権)としての側面15) と平等 権としての側面16) があるとされる。 この権利は元来、社会権に分類され、かつて の通説的見解では、「教育を受ける権利」は経 済的な面での条件整備請求権であるとされてき た17) 。教育を受ける権利の本質は主権者としての 資質・能力の養成にあるとする公民的権利説、教 育を受ける権利の中心的意義は子どもが人間的 に成長・発達していくための学習権の保障にあ るとする学習権説18) が主張されるようになった。 今日では旭川学力テスト事件判決(最大判 1976 年 5 月 21 日刑集 30 巻 5 号 615 頁)における見 解をもとにする学習権説の立場が有力である。
判決では憲法第 26 条について「この規定の 背景には、国民各自が一個の個人として、また、 一市民として、成長、発達し、自己の人格を完 成、実現するために必要な学習をする固有の権 利を有すること、特に、みずから学習すること のできない子どもは、その学習欲求を充足する ための教育を自己に施すことを大人一般に対し て要求する権利を有するとの観念が存在してい ると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、 教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりも まず、子どもの学習をする権利に対応し、その 充足をはかりうる立場にある者の責務に属する ものとしてとらえられているのである」と示し ている。このことから、教育を受ける権利は、 その性質上、子どもに対して保障され、その権 利の内容は、子どもの学習権を保障したものと 解されている19) 。 しかし、大島氏は学習権の「内実および教育 を受ける権利との関係については見解の違いが 見られる」20) ことを指摘している。例えば、高乗 氏は「学習権」という言葉について、「はたし て、憲法 26 条の『教育を受ける権利』を『学 習権』として捉えなおす意味があるのか、『学 習権』とはいかなる法的意味を有するものなの か、『学習権』とは社会権なのか自由権なのか、 そもそも『学習権』が憲法上の権利といえるの かどうかは依然として不明確なままである」21) と述べている。 教育を受ける権利は「子どもの教育を受ける 権利や親の教育を施す権利が侵害されないとい う意味」22) で自由権的性格を併せ持つとされる。 旭川学力テスト事件判決においても「子どもが 自由かつ独立の人格として成長することを妨げ るような国家的介入、例えば、誤つた知識や一 方的な観念を子どもに植えつけるような内容の 教育を施すことを強制するようなことは、憲法 26 条、13 条の規定上からも許されない」と示し ている。藤井氏は「今日ではむしろ自由権とし ての性質をもつ学習権の保障が教育を受ける権 利の内容の一つとして主張されるようになって きている」23) と自由権的な側面を強調したうえ で「学習権という意味での教育を受ける権利と は、要するに、子どもたちが自由に学習して、 自己の能力を自由に発展させる権利」24) である と述べている。しかし、大石氏は「いわゆる学 習権は、自由権というよりは、むしろ国務請求 権として位置づけられるべきものである」25) と 述べており、「学習権」の立場を取りながらも社 会権的側面を強調する学説も存在している。 「学習権」そのものがどのように定義されう るかは別としても、教育を受ける権利は、旭川 学力テスト判決で示されたように「国民各自が 一個の個人として、また、一市民として、成長、 発達し、自己の人格を完成、実現するために必 要な学習をする固有の権利」として認められる ものである。さらに、佐藤氏が指摘するように 「現代国家における教育を受ける権利とは、国 家に対し合理的な教育制度と施設を通じて適切 な教育の場を提供することを要求する権利」26) であって、特に子どもの教育について「子ども たちが自由に学習して、自己の能力を自由に発 展させる権利」であるとする自由権的側面を含 めて教育を受ける権利を考えることが求められ るであろう。 (2) 教育を受ける権利の具体的内容の検討―障害 児の教育を受ける権利から― 教育を受ける権利の具体的内容について憲 法第 26 条第 1 項に求めることは難しいとされ る。奥平氏は教育を受ける権利の性質について 「この規定から具体的な内容のある権利が個々 人に賦与されたとは、解しにくい」27) と述べてい る。また、工藤氏も教育を受ける権利は「憲法 規定から直接具体的請求権を引き出すことはで きない抽象的権利」28) にとどまることを指摘し ている。教育を受ける権利の具体的保障は、「法 律の定めるところにより」実現され、現行法は いわゆる学校制度法定主義の考え方に立ってい る29) 。 教育を受ける権利の具体的内容についてこ れまで多く争われてきたのは、障害のある子ど もたちに関する問題である。障害のある子ども の教育体制の本格的保障は、1979 年の養護学校 義務制に始まった。義務制の実施によって生命 維持の観点から学校教育に耐えられない重度の 障害のある子どもを除いて障害のある子どもが 学校に通うことができる制度が整った。その後 1980 年代から 1990 年代にかけて、障害のある 人の権利意識の高まりとともに、従来の「特殊
教育」に対する批判や、教育に関する「特別の ニーズ」について強調されるようになった30) 。 そのような中、障害児の教育を受ける権利に ついて、特に障害のある子どもが普通学校や通 常学級で就学できないことに関して憲法第 26 条との関係を中心に議論がされてきた31) 。市立 尼崎高校訴訟(神戸地判 1992 年 3 月 13 日行集 43 巻 3 号 309 頁)では、「障害者がその能力の 全面的発達を追求することもまた教育の機会均 等を定めている憲法その他の法令によって認め られる当然の権利」であり、障害があることを 理由に「原告はその能力に応じた高校として本 件高校を選んだところ、その能力を十分に有す るにもかかわらず、本件高校への進学を妨げら れたのであるから、教育を受ける権利が侵害さ れたことは否定できない」と判示している。 しかし、「その能力に応じて、ひとしく教育を 受ける権利」つまり、教育を受ける権利の平等 権的側面が全面的に認められているわけではな い。留萌訴訟(札幌高判 1994 年 5 月 24 日判時 1519 号 67 頁)では、肢体不自由児とその親が通 常学級への入級を希望したが、学校長の判断に より特殊学級に入級させる処分を行ったことに ついて争われた。この処分について、学級編制 及び入級処分は「当該学校における教育設備、 教諭や介護員等の要員の問題」を無視すること ができず、「原告の障害の程度や授業状況などを 斟酌してなされた本処分を違法とすることはで きない」32) とし原告の訴えは認められなかった。 また、教育環境整備義務訴訟(大阪地判 2000 年 2 月 17 日判時 1741 号 101 頁)では、「小学校 校長が、教育の専門家であることに照らすと特 殊学級への入級処分に関する小学校長の決定は できる限り尊重されるべきであるから、右決定 が社会通念上明らかに不合理であると認められ ない限り、違憲状態であるとの評価を受ける余 地はないと解すべきである」と判示した。 その後の奈良県下市町立中学校入学拒否事 件(奈良地決 2009 年 6 月 26 日判例自治 328 号 21 頁)は、特別支援学校に就学させるべきとい う通知を受けたが、就学すべき学校として普通 中学校を仮に指定するよう求めたものである。 この点について、認定就学者に該当するか否か の判断は市町村教育委員会の裁量が認められる が、「当該生徒及び保護者の意向、当該市町村 の設置する中学校の施設や設備の整備状況、指 導面で専門性の高い教員が配置されているか否 か、当該生徒の障害の内容、程度等に応じた安 全上の配慮や適切な指導の必要性の有無・程度 などを総合考慮した上、当該生徒を当該市町村 の設置する中学校に就学させることが、障害の ある生徒等一人一人の教育上のニーズに応じた 適切な教育を実施するという観点から相当とい えるか否かを慎重に検討する必要」があるとし た。ただし、「その判断が、事実に対する評価が 合理性を欠くなど著しく妥当性を欠き、特別支 援教育の理念を没却するような場合には、その 裁量権を逸脱又は濫用したものとして違法であ るというべきである」とした33) 。 これまでの障害のある子どもをめぐる裁判 では、ある程度行政としての裁量が認められる ものの、特別支援教育の理念から教育体制を整 備し、「一人一人の教育上のニーズに応じた適切 な教育を実施する」ことが求められてきた。一 方で植木氏が指摘するように、「特に、障害の ある児童・生徒の教育に関しては、どのような 教育が児童・生徒の発達と成長のための望まし いのかの議論が続いていることからすれば、憲 法学説のみによって解決されるべき問題ではな い」34) ことを前提にこの問題について検討する 必要もある。 植木氏の指摘に立つとき、日本語指導が必要 な子どもに対してどのような教育が子どもの発 達にふさわしいかという議論は、憲法学説のみ の問題領域ではなく、日本語教育学などの領域 から十分に議論されなければならない。しかし ながら、権利論的視点から日本語指導が必要な 外国にルーツをもつ子どもの教育を受ける権利 について整理しておくことを避けることはでき ない。次項では、外国にルーツをもつ子どもの 教育を受ける権利と日本語教育の関係性につい て検討する。 (3) 外国にルーツをもつ子どもの教育を受ける権 利と日本語教育 外国にルーツをもつ子どもの教育を受ける 権利について検討するにあたって、まずは日本 国籍の有無が問題となるのかどうかについて整 理する必要がある。
外国人に対してはその権利の性質から認め られない権利があるという点で、教育を受ける 権利は「教育を受ける権利の性質が、人間存在 にとっての基盤となる本源的な権利であること からすれば、国籍のいかんを問わず、『すべて の者』に保障される権利」35) であるとする立場が ある。また、奥平氏は「『憲法が保障する権利』 は、当該権利の性質が許す限り最大限に、外国 人もまた享有すると解釈すべきである」36) と述 べている。渋谷氏は教育の特性に着目し「教育 が経済生活の基盤をなす権利でありかつ精神生 活形成の重要な機能を果たすという観点からす ると、国籍によってこの権利を否定する根拠を 見出すことはできない」37) と述べている。 これらの学説に拠れば、国籍に関わらず、教 育を受ける権利は保障されうると解される。こ こで取り立てて問題となるのは、特に「外国人 の子どもの教育を受ける権利」なるものは具体 的に何を保障しているのかという点である。こ の権利について母語教育あるいは母国文化など の自身の「アイデンティティに関する教育を受 ける権利(マイノリティの教育を受ける権利)」 と「日本語教育を受ける権利」の 2 つの側面に 大別することができる。ここでは、これら 2 つ の側面について検討を行う。 ⅰ) 「アイデンティティに関する教育を受ける権利 (マイノリティの教育を受ける権利)」 まず、前者の側面について、高槻市マイノリ ティ教育権訴訟(大阪地判 2008 年 1 月 23 日判 時 2010 号 93 頁)は注目に値する。この判決は 当時「原告が主張する『マイノリティーとして の教育を受ける権利』なるものが正面から争わ れた事案はあまり例がなく、その点からすると 興味深い判決」38) である。同裁判で原告らは子 どもの権利条約をはじめとする国際条約や日本 国憲法、教育基本法などによって子どもの学習 権の内容には「マイノリティの教育を受ける権 利」が含まれることを主張した39) 。結果として裁 判所はマイノリティの教育権の具体的権利性を 認めず、高裁(大阪高判 2008 年 11 月 27 日判時 2044 号 86 頁)でも争われたが控訴は棄却され た。 マイノリティの教育を受ける権利をめぐっ ては、この判決以前からその根拠を国際条約等 に求める検討が行われてきた。元氏は 2004 年に 掲載された論文において、マイノリティの権利 に関する普遍的基準を構成する主要な明文規定 が自由権規約第 27 条と民族的、宗教的、言語 的マイノリティに属する人々の権利に関する宣 言に見いだされ、子どもの権利条約もマイノリ ティに属する子どもたちの権利保障にとって重 要な規定を置くとして、第 29 条第 1 項(c)と 第 30 条を挙げている40) 。子どもの権利条約第 29 条第 1 項(c)は、締約国に対して「子どもの 親、子ども自身の文化的アイデンティティ、言 語および価値の尊重、子どもが居住している国 および子どもの出身国の国民的価値の尊重、な らびに自己の文明と異なる文明の尊重を発展さ せること」を求めている。 高槻市マイノリティ教育権訴訟において原 告が子どもの権利条約第 29 条第 1 項(c)を採 用しなかった理由は定かではないが、母語・母 国文化の尊重は、国際条約上認められており、 今後とも裁判で争われることが予想される。 ⅱ)「日本語教育を受ける権利」 一方で、外国にルーツをもつ子どもがその居 住する国で使われている言語に関する教育を受 けること、日本においては外国にルーツをもつ 子どもが日本語教育を受ける権利について直接 規定したものはない。しかし、文部科学省が管 轄する初等中等教育における外国人児童生徒教 育の充実のための検討会が 2008 年に出した「外 国人児童生徒教育の充実方策について(報告)」 では、「はじめに」において「義務教育の就学年 齢にある外国人の子どもが公立の小学校、中学 校への就学を希望する場合には、無償での受入 を行うとともに、学校においては日本語指導や 適応指導などの必要な配慮を行うなどして、外 国人の子どもの教育を受ける権利を保障してい る」と記述している。 この充実方策によれば文部科学省としては 外国人の子どもの教育を受ける権利の保障は大 枠として「無償での受入を行う」こと、「学校 においては日本語指導や適応指導などの必要な 配慮を行う」ことによって達成されるとしてい ることが読み取れる。とすれば、憲法上外国に ルーツをもつ子どもの日本語教育を受ける権利 が保障されているとまでは言えないものの、教
育行政を管轄する文部科学省を中心とした立法 政策上その権利は保障されるものであると解釈 することは可能であろう。 さらに、文部科学省初等中等教育局国際教育 課が 2011 年に出した『外国人児童生徒受入れ の手引き』でも教育を受ける権利について言及 されている。都道府県として考えるべき視点の 1 つとして、「市区町村における受け入れ体制の 支援」という項目において「教育を受ける権利 を保障する観点に立つならば、都道府県内のど の地域、どの学校に外国人児童生徒が転入して きても、受け入れられる体制が整っていること が前提になります。ある市では受け入れられる のに、別の市では受け入れられないなどの差が あってはいけません」41) と示した。 これらの文部科学省の姿勢を踏まえると、外 国にルーツをもつ子どもの教育を受ける権利は 最低限、①「無償で受け入れること」、②「外国 にルーツをもつ子どもを受け入れることのでき る体制が整っていること」、③「日本語指導や適 応指導などの必要な配慮が受けられること」を もって保障されると考えられる。ただし、②、 ③が何をもって達成されたのかという判断基準 は、学習指導要領をはじめとする各種立法政策 に委ねられていると解さざるを得ない。 4. 権利としての日本語教育の可能性―特別支 援教育・特別ニーズ教育の視点から― 新学習指導要領から「特別な配慮を必要と する児童生徒」の中に、海外から帰国した児童 生徒や生活に必要な日本語の習得に困難のある 児童生徒が含まれることとなり、障害のある幼 児児童生徒と同じような取り扱いとなった。で は、日本語指導が必要な子どもは、障害のある 子どもと同じように特別支援教育の対象として 取り扱うことはできないのであろうか。 そもそも、日本の学校で「特別支援教育」と いう言葉が使われるようになったのは 2007 年 からである。それ以前は「特殊教育」と呼ばれて いた。「特別な支援を必要とする子ども」という 概念が初めて出てくるのは、1978 年にイギリス で出された「ウォーノック報告」である42) 。同報 告によって Special Education Needs は「個々
の子どもが有するハンディキャップを否定的に 捉えるのではなく、様々な原因による学習上の 困難に着目し、それゆえにいかなる支援が必要 とされるのか、どのような支援があれば目標と される教育・学習・発達が可能となるのかとい うことをより肯定的に捉え」、「いわば教育にお けるハンディキャップの『捉え方』や『観点』 の転換を促す」概念として示された43) 。 その後、1994 年(平成 6 年)にスペインのサ ラマンカで開催された「特別なニーズ教育に関 する世界会議」において「特別ニーズ教育におけ る原則、政策、実践に関するサラマンカ声明な らびに行動大綱」(The Salamanca Statement on Principles, Policy and Practice. in Special Needs Education)が採択されたことを契機に Special Education Needs という言葉の概念はより広が りを見せる。FRAMEWORK FOR ACTION on special needs education において、次のような 記述がみられる。
Introduction 3 【原文】
The guiding principle that informs this Framework is that schools should accommodate all children regardless of their physical, intellectual, social, emotional, linguistic or other conditions. This should include disabled and gifted children, street and working children, children from remote or nomadic populations, children from linguistic, ethnic or cultural minorities and children from other disadvantaged or marginalized areas or groups44)
. 【日本語訳】 この「枠組み」を広く知らせるさいの指針とな る原則は、学校というところは、子どもたちの身 体的・知的・社会的・情緒的・言語的もしくは他 の状態と関係なく、「すべての子どもたち」を対象 とすべきであるということである。これは当然な がら、障害児や英才児、ストリート・チルドレン や労働している子どもたち、人里離れた地域の子 どもたちや遊牧民の子どもたち、言語的・民族的・ 文化的マイノリティーの子どもたち、他の恵まれ ていないもしくは辺境で生活している子どもたち も含まれることになる。45)
Special Needs Education という言葉が障害 のある子どもに対する教育支援だけを指す言葉 ではなく、「学校教育等を享受できない貧困者、 文化的・民族的マイノリティの子どもなどを『特 別なニーズをもつ子ども』としてとらえる」46) こ とが確認されている。この宣言について荒川氏 は「この宣言は、国際的にこれまでの障害のあ る子に対する特殊教育(special education)を転 換させる契機となり、日本でも世紀の変わり目 と共に、『特別支援教育』への転換に向けた議論 が本格化する」47) と評する。 2003 年 3 月 20 日の中央教育審議会答申「新 しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基 本計画の在り方について」では、教育の機会均 等について「憲法や教育基本法の精神に基づい て教育を行うに当たっては、障害のある子ども など教育を行う上で特別の支援を必要とする者 に対して、その必要に応じ、より配慮された教 育が行われることが重要である」48) として「特別 の支援を必要とするもの」を「障害のある子ど もなど」とした。 しかし、その後の改正教育基本法第 4 条 2 項 で、「国及び地方公共団体は、障害のある者が、 その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられ るよう、教育上必要な支援を講じなければなら ない」として、「など」の文言が削除された。「な ど」はどのような子どものことを想定していた かは定かではないが、法律において「など」が 削除されたことの意味は大きいと考えられる。 この点について「など」を含むと、「特別ニー ズ教育」の定義に当てはまるが、「など」を削 除することにより障害のある子どもを対象とす る「特別支援教育」の定義に当てはまることと なることから、「特別支援教育」と「特別ニーズ 教育」の違いを嫌った可能性がある。 2007 年から特殊教育から特別支援教育体制 に移行することになるが、2007 年 4 月 1 日に出 された文部科学省初等中等教育局長通知「特別 支援教育の推進について(通知)」(19 文科第 125 号)では、特別支援教育の理念を「障害のある 幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的 な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童 生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持 てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は 克服するため、適切な指導及び必要な支援を行 うもの」であるとしている。 この通知からも、特別支援教育は障害のある 子どもを対象とした教育を指す言葉として用い られ、「その対象は発達障害の子どもに拡大され てはいるが、障害児以外の特別なニーズをもつ 子どもには拡大されていない」49) と考えられる。 しかし、実際には、学校において日本語指導が 必要な子どもを特別支援教育の対象として取り 扱っている事例がみられる。 NPO 法人「国際社会貢献センター」(ABIC) の調査によれば、外国人が多く住む地域の小学 校で外国人の子どもが特別支援学級に在籍して いる割合が日本人の 2 倍以上の比率であること が明らかになった。2017 年調査では、三重、愛 知、群馬、静岡、岐阜、滋賀の 6 県を対象に調査 が行われ、特別支援学級在籍率は日本人 2.26%、 外国人 5.01%であった。この問題の背景には発 達障害の有無について日本語以外の言語で検査 する体制が整っていないことや、言語発達の遅 れによって発達障害であるかどうかの判断が困 難であることが挙げられる50) 。文部科学省とし ても在籍実態を把握していないのが現状である が、ABIC の調査を受け実際に障害があると診 断された子どもが在籍しているのかどうか、在 日ブラジル大使館が独自に実態調査を始めてい る51) 。しかし、この ABIC の調査は、現行制度の 運用上の問題点を明らかにしただけでなく、日 本語指導を必要とする子どもも制度上特別支援 教育ないし特別支援学級であるという解釈の可 能性を示唆するものであるとも考えられる。 おわりに 本稿では、義務教育段階の学校に在籍する外 国にルーツをもつ子どもに対する日本語教育が どのように展開してきたのかを整理・検討し、 権利論的視点から日本語教育の保障について考 察したうえで、今後の日本語教育の可能性につ いて検討した。 1990 年の入管法改正以降のニューカマーの 子どもの増加により学校現場で対応に迫られた ことから外国にルーツをもつ子どもに対する日 本語教育の問題は深刻化した。地方自治体が実
文末脚注 1) 法務省入国管理局「平成 29 年末現在における在 留外国人数について(確定値)」(2018 年 3 月 27 日) http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/ nyuukokukanri04_00073.html(最終閲覧:2019 年 3 月 15 日) 2) NHK「外国人 依存 ニッポン」 https://www.nhk.or.jp/d-navi/izon/children. html(最終閲覧:2019 年 3 月 15 日) 3) 文部科学省「日本語指導が必要な児童生徒の受 入状況等に関する調査(平成 28 年度)」(2017 年 6 月 23 日) http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/06/__ icsFiles/afi eldfi le/2017/06/21/1386753.pdf(最終閲 覧:2019 年 3 月 15 日) 4) 前掲注 3。 5) 宮崎里司・木村哲也「義務教育課程と関連する 日本語教育政策:学習権の保障の観点から」『早 稲田大学院教職研究科紀要』第 6 号(2014)38 頁。 6) 小島祥美「<ジモト>をつくる外国人教育 不 就 学 ゼ ロ を め ざ し て」『世 界』2018 年 12 月 号 (2018、岩波書店)141 頁。 7) 毎日新聞「外国籍の子 不就学 1.6 万人 義務教 育の対象外」(2019 年 1 月 6 日) h t t p s : / / m a i n i c h i . j p / a r t i c l e s / 2 0 1 9 0 1 0 6 / k00/00m/040/148000c(最終閲覧:2019 年 1 月 6 日) 8) 毎日新聞「就学しない外国人の子、初の全国調 情に応じた教育体制を模索する一方で、文部科 学省の対応は後手に回った。外国にルーツをも つ子どもは今後とも増加していくことが予想さ れる。本稿で提案した特別ニーズ教育の視点か ら外国にルーツをもつ子どもを捉えることが、 現状の制度の中で子どもと学校の両者にとって 1 つの選択肢になり得るならば、教育の機会の 選択の幅を広げることになるのであろう。 教育を受ける権利と日本語教育の関連につ いて、日本国籍であるかどうかに関わらず、立法 政策上「日本語教育を受ける権利」が保障され うることを確認した。新学習指導要領で示され たように日本語指導が必要な児童生徒は、「特別 な配慮を必要とする子ども」であり、特別ニー ズ教育の対象として捉えることは十分可能であ る。現状の制度を大幅に変更することなく学校 現場が対応することが可能であろう。 外国人集住都市会議 2015 でのセッションに おいて、文部科学省初等中等教育局国際教育課 主任学校教育官齋藤潔氏(当時)は「われわれ の立場からいたしましても、そういった義務教 育段階の学校の最終的究極の目的というのは、 まさに、そういった社会[多様性を持っている 人が、その人そのものとして活躍できる社会] で活躍していただける方を育成するということ であると。これは外国籍の方ですとか、日本語 の能力が十分でない方でも、皆さん同様である と考えております」と述べている52) 。そうである とするならば、「義務教育段階の学校の最終究 極的の目的」の達成のためにも、外国にルーツ をもつ子どもを特別ニーズ教育の対象として捉 え、適切な支援策を講じていく姿勢が期待され る。 日本語指導を必要としている子どもたちを 目の前にして教育現場はどのような対応ができ るのであろうか。ここで、筆者が経験したある 少年とのエピソードを紹介したい。筆者が機会 を得て訪れた、外国籍の児童が多く在籍するあ る公立の小学校で、中学年くらいであろう児童 (以下、A 児とする。)が休み時間に日本語指導 を行っている教室を訪れ、初めて見た筆者に対 して次のような話をしてくれた。 「なんで日本語なんか勉強しんとあかんのやと 思う?日本語で話もできるし、ひらがなとかカタ カナは書ける。漢字だって全部じゃないけどでき る。なんにも困らん。自分は、あと少ししたら国 に帰るし、これ以上日本語を勉強したって何の役 に立つかわからへん。」 この A 児の言葉に対して、学校教育に携わる ものあるいは研究者はどのように答えることが できるのだろうか。 本稿では、表題のとおり外国にルーツをもつ 子どもと日本語教育の関係について権利として の可能性について論じた。しかし、A 児の言葉に あるように、実際に行われている日本語教育が、 外国にルーツをもつ子どもにとって本当に適切 なものであるのかという点は今後の検討課題で ある。外国にルーツをもつ子どもに真に必要な 日本語教育についてさらに検討を重ねたい。
28) 工藤達朗「教育を受ける権利」渡辺康行・宍戸 常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ』(2016、日 本評論社)386 頁。 29) 大石・前掲書(2012)152 頁。 30) 植木淳『障害のある人の権利と法』(2011、日本 評論社)231 頁。 31) 植木(2011)・前掲書、228 頁。 32) 松村好恵「憲法 26 条 1 項の具体的規範内容―障 害児教育を例に―」『大学院研究年報』第 46 号 (2017)76 頁。 33) 植木(2011)・前掲書、245 − 246 頁。 34) 植木(2011)・前掲書、248 頁。 35) 丹羽雅雄「教育を受ける権利と就学義務」荒牧 重人・榎井縁・江原裕美・小島祥美・志水宏吉・ 南野奈津子・宮島喬・山野良一編『外国人の子 ども白書』(2018、明石書店)109 頁。 36) 奥平(1993)・前掲書、50 頁。 37) 渋谷秀樹『憲法(第 2 版)』(2013、有斐閣)118 頁。 38) 渡辺暁彦「日本国憲法と外国人の子どもの教育 を受ける権利―高槻市マイノリティ教育権訴訟 を中心に―」『滋賀大学教育学部紀要』人文科 学・社会科学 No.58(2008)34 頁。 39) 原告は、市民的及び政治的権利に関する国際規 約(自由権規約)第 27 条、民族的、宗教的、言 語的マイノリティに属する人々の権利に関する 宣言、経済的・社会的及び文化的権利に関する 国際規約(社会権規約)第 13 条、子どもの権利 条約第 30 条、人種差別撤廃条約第 5 条を国際法 における根拠とした。 40) 元百合子「マイノリティの民族教育権をめぐる 国際人権基準―外国籍住民を中心に―」『アジア 太平洋レビュー』(2004)20 − 22 頁。 41) 文部科学省『外国人児童生徒受入れの手引き』 (2011)48 − 49 頁。 h t t p : / / w w w . m e x t . g o . j p / c o m p o n e n t / a _ menu/education/micro_detail/__icsFiles/ afi eldfi le/2011/04/15/1304668_1.pdf(最終閲覧: 2019 年 3 月 15 日)
42) 是永かな子「特別支援教育と特別な教育的ニー ズ概念」大 沼直樹・吉利宗久編著『特別支援教 育の基礎と動向(改訂版)』(2013、培風館)27 頁。
43) 尾上雅信・ 早紀「Special Needs Education 概 念に関する一考察―ウォーノック報告の検討を 中心に―」『岡山大学大学院教育学研究科研究集 録』第 162 号(2016)11 頁。
44) UNESCO, THE SALAMANCA STATEMENT A N D F R A M E W O R K F O R A C T I O N O N SPECIAL NEEDS EDUCATION (1994 年) 15 頁。http://www.unesco.org/education/pdf/ 査へ 1 万 6000 人以上確認できず」(2019 年 3 月 5 日 )https://mainichi.jp/articles/20190304/ k00/00m/010/156000c(最 終 閲 覧:2019 年 3 月 15 日) 9) 栗原真考「ニューカマーの子どもを対象にする 教育行政の特徴に関する研究―文部科学省の施 策に着目して―」『早稲田大学大学院教育学研究 科紀要』別冊 16 号―1(2008)179 頁。 10) 栗原(2008)・前掲論文、180 頁。 11) 佐久間孝正「文部科学省の外国人児童生徒受け 入れ施策の変化」『専修人間科学論集』社会学論 Vol.4No.2(2014)39 頁。 12) 小島祥美『外国人の就学と不就学 社会で「見 えない」子どもたち』(2016、大阪大学出版会) 167 頁。 13) 衆 議 院、 第 197 回( 臨 時 会 )「 文 部 科 学 委 員 会 議 事 録 」(2018 年 11 月 14 日 )http://www. shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/ kaigiroku/009619720181114002.htm(最終閲覧: 2019 年 3 月 15 日) 14) 日本語教育学会「日本語教育の推進に関する法 律案」(2018 年 12 月 3 日) h t t p : / / w w w . n k g . o r . j p / w p / w p - c o n t e n t / uploads/2018/12/02_horitsuan20181203.pdf(最終 閲覧:2018 年 3 月 15 日) 15) 村みよ子『憲法(第 6 版)』(2016、日本評論 社)297 頁。 16) 工藤達朗「教育を受ける権利」渡辺康行・宍戸 常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ』(2016、日 本評論社)386 − 387 頁。 17) 浦部法穂『憲法学教室(第 3 版)』(2016、日本 評論社)216 頁。 18) 遠藤美奈「社会権」川岸令和・遠藤美奈・君塚 正臣・藤井樹也・高橋義人共著『憲法(第 4 版)』 (2016、青林書院)208 頁。 19) 部 信 喜 著・ 高 橋 和 之 補 訂『 憲 法( 第 6 版 )』 (2016、岩波書店)273 頁。 20) 大島佳代子「『教育を受ける権利』の意義・再考 (佂田泰介教授古稀記念論集)」『同志社法学』64 巻 7 号(2013)427 頁(2453 頁)。 21) 高乗智之『憲法と教育権の法理』(2009、成文堂) 10 頁。 22) 福岡久美子「社会権」君塚正臣編『ベーシック テキスト憲法』(2007、法律文化社)156 頁。 23) 藤井俊夫『学校と法』(2007、成文堂)6 頁。 24) 藤井(2007)・前掲書、7 頁。 25) 大石眞『憲法講義Ⅱ(第 2 版)』(2012、有斐閣) 149 頁。 26) 佐藤幸治『日本国憲法論』(2011、成文堂)369 頁。 27) 奥平康弘『憲法Ⅲ』(1993、有斐閣)255 頁。
SALAMA_E.PDF(最終閲覧:2019 年 3 月 15 日) 45) 日本語訳は以下の資料に拠った。 国立特別支援教育総合研究所「特別なニーズに 関する行動のための枠組み」http://www.nise. go.jp/blog/2000/05/b1_h060600_01.html(最終閲 覧:2019 年 3 月 15 日) 46) 佐 々 木 幸 寿・ 柳 瀬 昇『 憲 法 と 教 育〔 第 2 版 〕』 (2009、学文社)49 頁。 47) 荒川智「特別の支援を必要とする子どもの教育 に関する政策動向:日本語指導を中心に」『 城 大学教育実践研究』第 36 巻(2017)189 頁。 48) 文 部 科 学 省「 新 し い 時 代 に ふ さ わ し い 教 育 基 本 法 と 教 育 振 興 基 本 計 画 の 在 り 方 に つ い て( 答 申 )」(2003 年 3 月 20 日 )http://www. mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/ toushin/030301.htm(最終閲覧:2019 年 3 月 15 日) 49) 荒川智(2017)・前掲論文、189 頁。 50) 朝日新聞 2018 年 6 月 24 日 51) 朝日新聞 2018 年 10 月 31 日 52) 外国人集住都市会議、報告書『はままつ 2015』 (2015)65 頁。[ ]部は文脈を補うための筆者 による加筆。 h t t p s : / / w w w . s h u j u t o s h i . j p / s i r y o / p d f / shujutoshi2015.pdf、(最 終 閲 覧:2019 年 3 月 15 日)