女性研究者支援センター ロールモデル集?
引用
女性研究者支援センター ロールモデル集. 1,
p.1-36
大阪府立大学
ロールモデル集
大阪府立大学 理事長・学長
奥野 武俊
P r o f i l e 大阪府立大学工学工学部卒、同大学院を修了。1979 年同大学助手、助教授、教授を経て、2006年工学研 究 科 長。2007年 理 事。2009 年から理 事 長・学 長。 専門は海洋システム工学、海洋環境学、船舶工学。工 学博士。女性の活躍は
多様性の高い環境を作る
大阪府立大学が取り組んでいる、「元気!活き生き女性研究者・公立大学モデル」のプロ グラムは、文部科学省から科学技術人材育成費として支援を受けて行っているものです。平 成22年度に、本学が全国の公立大学の第一号として文部科学省に採択され、全学でこの課 題に取り組む体制を作りました。平成23年度は2年目となり、その成果が少しずつ見えるよう になってきました。このたび、これから研究者を目指す女子学生の夢を育み、励ますためには、 いわゆるロールモデル(お手本)を示して、将来の姿を具体的にイメージできるようにするこ とが大切と考え、この冊子をつくることにしました。 大学は、新しい研究成果を社会に提供し、地域の産業や文化を創造する役目を担っていま すので、知的活動が活発に行われます。学問によって新しいものをつくり出すためには多様性 の高い環境が必要ですが、その教育研究活動に女性研究者が参画することによって、これが 促進されます。それは、女性の持っている発想の豊かさや新鮮な生活感覚などが、多様性を 高めるからです。大阪府立大学では「多様な人材活用推進の基本方針」を掲げ、世界に翔く 学生を育てて、その結果として地域の信頼を得ることを目標にしていますが、そのためには、 女性研究者を育てることが大切だと考えています。 平成23年は、100年前にノーベル化学賞を受賞したマリー・キューリー夫人を記念して、 世界化学年と呼ばれました。彼女は、当時の社会では考えられないような活躍をして、多く の女性に夢を与えましたが、それはあくまで特別な事でした。しかしながら、女性が活躍でき る場は大きく開かれるようになり、彼女の時代とは異なっています。日本は女性研究者を支援 し、また育てるための政策を立てて取り組んでいますし、世界をみれば既に多くの女性研究 者が素晴らしい活躍をしています。確かに昔は、限られた特別の人だけのものでしたが、今は 違うのです。少し勇気を出して踏み出し、自分の希望を実現するために、高みを目指して行動 するならば、その夢が実現できる時代です。このロールモデル集によって、皆さんの夢を支援 したいと思います。 夢を追いかけ、研究者を目指す皆さんに、キューリー夫人が学生によく言った「あなたの夢 と希望を天の星につなげ」という言葉を贈ります。このロールモデル集を
手にとってくださった皆様へ
このたび、本学初めてのロールモデル集を作成し、みなさんにお渡しできることを心から嬉 しく思います。中をご覧いただくとわかりますが、とても魅力的で素晴らしい活躍をしている方々 をご紹介できるからです。 本学は、数多くの人材育成プログラムをもつ教育熱心な大学であり、世界で活躍できる人々 を育てようと尽力しています。私は、文部科学省が女性研究者支援のためのプログラムを実 施していることを知り、本学では特に理系女性研究者が少なかったので、ぜひ本学でも支援 事業を実施したいと考えました。そして平成22年度の開始から、わずか1年半ほどのうちに、 たくさんの学内外の素晴らしい方々にお目にかかることができました。この第一集では、その 一部の方々をロールモデルとしてご紹介しています。 本学ではロールモデル・バンクという登録制度をつくり、ロールモデルになっていただいて います。女性研究者支援事業ですので、その中心は女性たちです。しかし、女性だけではなく、 男性にもロールモデルになっていただくことにしました。なぜでしょうか。 女性研究者・技術者など、女性が仕事で活躍するためには、まず研究・労働環境が整う 必要があります。しかし、それだけでは十分ではありません。日本で多くの女性が仕事での活 躍を諦める理由は、家事・育児などの責任が主に女性にかかっていて、家族生活と仕事の両 立がとても難しいからです。ですから、女性研究者が本当に活躍できるためには、女性の能 力を認め支援する、配偶者など家族の存在も非常に重要なのです。そこで、本学では、その ように家族として女性への支援を行いつつ、ご本人も活躍なさっている男性にもロールモデル になっていただくことにしたのです。 この事業は、文部科学省の科学技術振興のための人材育成政策によるものですが、同時 に政府の男女共同参画政策にも基づいています。今、日本社会における科学技術は女性たち の参画によらなければ、伸びてゆくことはできません。そして、社会全体も、女性と男性双 方の働きによって、より素晴らしいものとなるでしょう。女性たちの素晴らしい能力と活躍が、 男性たちの活躍とともに可能になるよう支援していかなければなりません。本学でも、この取 り組みをできるかぎり続けていきたいと考えています。 このロールモデル集を読んでくださった皆さんが、夢と希望をもって私どもと一緒に歩んで くださることを願います。セ
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P r o f i l e 京都大学大学院博士後期課程(社会学専攻)修了。博士(文学)、 専門社会調査士。専門は家族社会学・ジェンダー論。 熊本大学、大阪産業大学ののち、2005年秋より本学勤務。現在、 家族社会学会理事、大阪府男女共同参画審議会委員ほかを務める。 『母性愛という制度』(勁草書房、2001)、『「近代家族」とボディ・ ポリティクス』(世界思想社、2006。女性史青井なを賞奨励賞)ほか。
4
センター長ごあいさつ
【ロールモデル】
8
内海 ゆづ子
(大阪府立大学大学院 工学研究科 電気・情報系専攻 助教)10
小菅 厚子
(大阪府立大学 21世紀科学研究機構ナノ科学・材料研究センター 特別講師(テニュア・トラック講師))12
児島 千恵
(大阪府立大学 21世紀科学研究機構ナノ科学・材料研究センター 特別講師(テニュア・トラック講師))14
床波 志保
(大阪府立大学 21世紀科学研究機構ナノ科学・材料研究センター 特別講師(テニュア・トラック講師))16
中川 智皓
(大阪府立大学大学院 工学研究科 機械系専攻 助教)18
真嶋 由貴恵
(大阪府立大学 高等教育推進機構 / 大阪府立大学大学院 工学研究科 電気・情報系専攻 教授)20
森澤 和子
(大阪府立大学大学院 工学研究科 電気・情報系専攻 准教授)22
幸田 知子
(大阪府立大学大学院 生命環境科学研究科 獣医学専攻 助教)24
牧浦 理恵
(大阪府立大学 21世紀科学研究機構ナノ科学・材料研究センター 特別講師(テニュア・トラック講師))26
恩田 真紀
(大阪府立大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 准教授)28
森本 睦子
(宇宙航空研究開発機構(JAXA)研究員 / 日本学術振興会特別研究員)30
中村 喜一郎
(経営・人財コンサルタント)中村 優子
(Procter&Gamble(P&G) 研究開発本部ディレクター)32
センター事業紹介
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編集後記
M y f a v o r i t e
大阪府立大学大学院 工学研究科電気・情報系専攻 助教内海 ゆづ子
博士(工学) 【学歴】 ノートルダム清心高等学校▶大阪大学基礎工学部 システム科学科(飛び級の為中途退学)▶同大学 院基礎工学研究科システム創成専攻 【過去の職歴】 日本学術振興会特別研究員(DC2)▶日本学 術振興会特別研究員(PD)・オックスフォード 大学客員研究員 P r o f i l ey f a v o r
高校時代は部活も勉強も全力投球!
今でも、何事も全力投球したいと思っています。
研究者になると、自分の能力次第で、
やりたいことができたり、できなかったりします。
そういう風に自分の力で切り開く事が、
すごくいいと思います。
「クラッシクギター」 中学・高校時代はギターばかり弾いて いました。子どもの頃は、パズルや動物の図鑑、電車(特に新幹線)、 甘いものが好きでした。将来の夢は小学校の先生や、国 連で働きたい等、色々ありました。海外で現地の人と仕事 をしている父親を見ていて , 英語を使って仕事をするように なる事が普通だと思っていました。中学受験は、友人が 受験することに影響を受けた事が、きっかけです。中高一 貫校で進学校だったので、皆がすごく勉強していました。 皆が、大学に合格するという同じ方向を向いていました。 その為、「みんなで頑張ろう!」と団結力がありました。中 学、高校とクラシックギター部に所属して , 毎日のように練 習をし、毎年、全国大会に出ていました。全国大会のギ ター部門で2位になった事もあります。当時は、部活も勉 強も全力投球でした。進路を意識したのは中学3年生の時 です。英語が好きで、国語が苦手、理科が得意で、数学 がまあまあだった事と、父親が技術者で、「お父さんと同 じように、モノを作りたいな」と思って、理系に進みました。 大学は、東京は遠いので、実家の広島からそこまで遠く ない関西で探していました。成績を考えて、大阪大学を選 びました。大学入学後のコース分けで、興味のあるコース が複数あり、飛び級制度があった基礎工学部システム科 学科を選択しました。大学院への進学は、博士後期課程 に行きたかったので、「早いうちから行ったほうが良いかな」 と思って飛び級しました。大学院では、画像に何が写って いるかを認識することに興味があったので、その研究をし ている研究室を選びました。飛び級をした事もあって、博 士前期課程は非常に忙しくて大変でした。博士後期課程 の時は、研究室で後期課程の学生は私しかおらず、研究 だけでなく研究室の後輩指導や運営も行っていました。 博士後期課程の時に、日本学術振興会特別研究員にな りました。学位を取った後、早いうちに1回、海外で研究し てみたかったので、優秀若手研究者海外派遣事業に応募 し、イギリスのオックスフォード大学に行きました。優秀で モチベーションの高い学生が多く、研究室の雰囲気が非常 に良かったです。イギリスでは、シェアハウスが普通だっ たので、家でも英語を話します。最初の3か月間は、英語 でコミュニケーションを取るのが難しかったです。3か月経 過した頃から慣れてきて、話ができるようになりました。 朝9時半頃に研究室に行くと、大体一番乗りでした。必 ず朝10時から、皆でお茶に行き、研究の話をしたり、ワー ルドカップの話をしたり、家族の話をしたり、ニュースの話 をしていました。その後、1時間仕事をして、昼食を取り、 昼食後から3時までは仕事をし、また3時から個々でお茶 に行きます。家に帰るのは、7時位でした。当時の研究は 監視カメラの顔認識の研究をしていました。 イギリスにいる時に、大阪府立大学で教員の公募があり、 応募しました。今は、画像や動画像を用いた顔認識、行 動認識の研究を行っています。顔認識は、1,000万画像デ ーターベースから1秒間で顔画像を高速に照合する技術を 研究、開発しています。また、行動認識は、一人暮らしの 高齢者の見守りを目的としたシステムの作成に向け、高齢 者の1日の行動を把握する為の行動認識の研究を行ってい ます。研究以外でも講義や学会発表、学会での仕事、研 究室のスケジュール管理、サーバー管理等、色々な仕事が あります。 趣味は、クラッシックギターを弾いたり、お 菓子を作ったり、編み物をしたり、美術館に行 ったり、プロ野球の広島カープを応援したりす ることです。イギリスに居た時に家主さんに勧 められて以来、週に1度以上はジムで体を動か すようにしています。 現在は、就職したばかりで慣れていない事 も多く、仕事に大半の時間を割かれています。 なかなかバランスを取るのは難しいですね。帰 りも結構遅くなっています。若いうちしか、そういう働き方は出来ないと 思っています。 研究者になると、自分の能力次第で、やりたいことができたり、できな かったりします。誰かのせいに出来ないような、自力でやらなければなら ない状況から、「頑張らなきゃ!」という感じになります。そういう風に自 分の力で切り開く事が、すごくいいかなと思いますね。仕事に関して、女 性だからといって苦労した事はないです。やりたい事をやろうと思えば、 不自由なくできます。 ワークライフバランスは、同じ分野で研究している女性研究者や、学生 時代の研究室の先輩をお手本にしています。 家事 10% 趣味 10% 仕事 80%
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これから女性の研究者を増やす為に環境を 整える等、協力できる事があればやってい きたいと思いますので、研究者になる事を 考えてみて下さい。 自分が作ったものが、人の役に立ったらい いなと思っています。具体的にものを作って、 「いいよね」と思われるような事を、1つ位 はしたいなと思っています。その 他にも、 母親になりたいですね。 将来の 目標・夢 D r e a m 後輩への メッセージ M e s s a g e学
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2011∼ 大阪府立大学 助教 2009∼ 日本学術振興会 特別研究員 (DC2) 2010∼ 日本学術振興会 特別研究員(PD) オックスフォード大学 客員研究員 ∼2005 大阪大学 (飛び級の為) 中途退学 ∼2010 大阪大学 大学院 修了本当に自由に、
これ面白いなと思ったことができる。
それが、今、一番楽しいです。
大阪府立大学 21世紀科学研究機構 ナノ科学・材料研究センター 特別講師(テニュア・トラック講師)小菅 厚子
博士(工学) 【学歴】 滋賀県立彦根東高等学校▶大阪大学工学部▶ 同大学院工学研究科博士前期課程 【過去の職歴】 (株)村田製作所 技術職▶大阪大学 COE特 任助手▶(独)産業技術総合研究所 テクニカ ルスタッフ▶(独)産業技術総合研究所 日本 学術振興会特別研究員(PD)学生時代は漠然としていても、
大学の研究の経験や企業での経験が活かされて、
今では基礎研究から応用研究の流れが、
キャリアとして繋がってきました。
P r o f i l eM y f a v o r i t e
『物理学とは何だろうか』上、下 朝永振一郎 著 物理学が創られていく様子について知 る事ができる本です。教科 書を読む 前に是非読んでみて下さい。小中高生の頃は、スポーツが好きで、小学校ではバ レーボール、中学・高校ではバスケットボールに夢中で した。体育会系女子でしたが、その頃なりたかったもの は、本やテレビに影響されて、宇宙飛行士であったりパ イロットであったり様々でした。 高校生になり進路を意識する段階で、モノを創る技 術者や新しいモノを発見する研究者になりたいと漠然と 考えるようになりました。しかしながら、元々理系科目 は苦手でした。苦手なくせに憧れはあり、いつか理系科 目ができるようになりたいと思っていました。大学受験 の時には、理系科目に時間をかけました。わかってくる とやはり面白かったですね。大学の学部の選択は、当 時の先生に、「こういう学部もいいよ。」と言われたのが キッカケだったと思います。 大学4回生で研究室に配属になり、本格的な研究をす るわけですが、そこが私の研究との出会いでした。な かなか創れないモノができた喜びを4回生の時に初めて 経験しました。たいした性能はでなかったのですが、創 る喜びをその時知ったような気がします。この時の経験 から現在教員になって思うのは、小菅研に来て初めて研 究と出会う学生さんに是非とも私と同じ喜びを味わって もらえるような研究室にしたい、と。学部からそのまま 博士前期課程に進んだわけですが、周りは博士前期課 程を修了して就職する人が大半であり、私自身もそろそ ろ独立したい気持ちもあり、当然のように就職しました。 就職してからは、商品開発を担当していました。この開 発職もやりがいがあったのですが、ご縁がありCOE 特任 助手として大阪大学に戻ることになりました。最終的に大 学に戻る選択に至った要因は一つではないのですが、当 時の私は、企業の商品開発より、大学という自由な環境で、 新しいモノを1から創る楽しさに魅力を感じたのも大きな要 因であったかもしれません。大阪大学で博士号を取得後、 (独)産業技術総合研究所に移りました。ここは基礎研 究を実用化に繋ぐような研究をするところであり、ここに、 私の研究テーマで非常に高名な先生がいらっしゃいました。 1人目の子どもがお腹にいる時でしたが、テクニカルスタッ フとして雇って頂き、出産直前まで研究を続ける事ができ ました。また、この時のご縁で、翌年からこの先生のもと で日本学術振興会特別研究員として研究を続ける事がで きました。ここでの研究により、私の中で、基礎研究から 応用研究の流れがキャリアとして繋がってきました。特別 研究員の任期終了が近づいてきた時に、大阪府立大学で テニュア・トラック教員の公募を知りました。若手ながら 独立した研究室を持てる非常にチャレンジングな環境であ り、しかも子育て中の女性研究者に対する支援も掲げら れている素晴らしい制度であり、運良く採用されました。 私の研究テーマは、熱を電気に変換する熱電材料と いう材料の研究です。恵まれた環境で、本当に自由にこ れ面白いなと思った事ができる事が今、一番楽しくやり がいのある事です。 独 身 時 代や結 婚して子どもが生まれる前まで は、バランスを取るという意識はしていませんでし た。意識せずとも、それなりにバランスが取れてい たのかもしれません。夫は自分の事は自分でする人 でしたので、結婚生活が仕事の負担になる事はあ りませんでした。それが一転、子どもができてから は、圧倒的に時間に余裕がなくなり、仕事と育児の バランスをとるのに苦労しています。夫も研究職で、幸いお互いの仕事に理解が ありますので、仕事も育児も二人で協力しあうよう心がけています。例えば、お互 いの出張予定等を把握し、子どもの体調不良時などに可能な限り対応できるよ う日頃から備えています。この他にも、祖父母にも頻繁に助けてもらい、なんと かやっています。子育てをしていると、お互いの職場、両親、保育園、その他たく さんの人に支えられている事を感じます。本当に、周りの人に感謝してますね。 平日は自宅に帰ると時間に追われて慌しくしていますが、なるべく子ども達と の時間を大切にしています。休日は子ども達とご飯やパンを作ったり、公園で遊 んだり、絵本を読んだりと平凡に過ごしています。子ども達の成長を見るのはそ れだけで楽しいですし、ふと自分の子ども時代を思い出したりする機会も増え たような気がします。また、子ども達が純粋な興味で遊びながら学んでいるのを 見ると、私もこういう気持ちで研究しなければいけないと気付かされる事もあり ます。 家事・育児 45% その他 5% 仕事 50%
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2006 第1子出産 2010 第2子出産学
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失敗を恐れず、どんどん挑戦し ていって欲しい。私もひどく恥 ずかしい失敗はたくさんありま したが、数年すれば、たいした 事でなくなります。やって失敗する恥ずかし さより、挑戦しない事への後悔の方が大き いような気がします。これは現在の私に向 けてのメッセージでもあります。 「世の中に役立つ物づくり」を 目指しています。研究はどこか で人に役立つものでないといけ ないと、個人的には思っていま す。私達の子ども達や、そのまた子ども達 により良い環境を残していくために、わず かながらでも自分の研究で貢献できるよう 日々邁進中です。 2004 結婚 2002∼ (株)村田製作所 2006∼ (独)産業技術 総合研究所 2007∼ (独)産業技術 総合研究所 日本学術振興会 特別研究員(PD) 2003∼ 大阪大学 COE特任助手 2010∼ 大阪府立大学 特別講師 (テニュア・ トラック講師) 将来の 目標・夢 D r e a m 後輩への メッセージ M e s s a g e ∼2000 大阪大学 卒業 ∼2002 大阪大学大学院 博士前期課程 修了好きこそものの上手なれ!
異分野を学んだ知識と経験が強みに。
夢だった医師にはなれなかったけれど、
材料科学から医療の分野にアプローチしたい。
自分で考えたことを実験し、実現させていく、
それが研究者の一番の醍醐味だと思います。
M y f a v o r i t e
【学歴】 大阪府立大学工学部機能物質科学科(飛び級の為 中途退学)▶同大学院工学研究科機能物質科学分 野博士前期課程▶同博士後期課程(中途退学)▶ 京都大学大学院生命科学研究科分子病態学分野 博士後期課程(編入学) 【過去の職歴】 大阪府立大学大学院工学研究科応用化学 分野 助手▶同 助教 P r o f i l e 大阪府立大学 21世紀科学研究機構 ナノ科学・材料研究センター 特別講師(テニュア・トラック講師)児島 千恵
博士(生命科学) 「夜景」 学生の頃は先が見えず、悶々としてい る時など、ドライブで神戸の山に登り、 さっと視界が開け、夜景が広がるとこ ろを眺めに行きました。はたから見ると、大変そうに見えますが、自 分で考えたことをどうしたら実現できるか、実 際に研究し、思い通りにいくと楽しいです。で すから、周りが思うほど本人は大変とは思っ ていません。息抜きはしますが、家や通勤途 中などで、新しいアイデアを思いつくこともあ ります。今は結婚して9か月です。独身時代は 実家から通っていたので、家事などはしていま せんでした。結婚後は、家事は主に私がしています。、私は帰りが遅く なったり、学会等で出張も多いですが、夫は批判するようなことは言わ ず、協力的なので助かります。 また、家事も一つの気分転換ととらえています。特に料理は化学の 実験に通じるものがあり、楽しみながらやっています。夫も機嫌よく食 べてくれるので、味も大丈夫みたいです。また、学校に近いところに住 むことで通勤時間を短くし、時間を有効に使うようにしています。 おてんばな子どもでした。子どもの頃は、両親が教 師でしたので、漠然と教師になりたいと思っていまし た。高校生の頃に、小児科や産婦人科の医師か、青年 海外協力隊などの医師団に参加して弱い人の助けをし たいと思い、理系を選択しました。受験では、医学部 は玉砕してしまいましたが、大阪府立大学のパンフレ ットを見て、薬のカプセルの研究を目にし、医療に近い という理由で工学部機能物質科学科を選びました。 第一希望ではなかったので、立ち直るまでに時間がか かり、学部生の頃はアルバイトに精を出していました。 当時はジャンケンで研究室が決められていたので、希 望の研究室に入るために、3回生で飛び級制度を利用 し、大学院へ行きました。大学院博士前期課程では、 薬のカプセルの研究をしていましたが、博士後期課程 では、材料だけでなく生物の勉強もしたいと思い、京 都大学生命科学研究科に編入しました。それまでの 研究とは異なる分野でしたので、人一倍勉強が必要で したが、全て新鮮な経験でしたし、違った視点で元の 学問領域を見直すことで再発見もできました。材料科 学と生物の両方の知識と経験を持っていることが、現 在の大きな武器になっています。 博士後期課程修了後、大阪府立大学の出身研究室 へ戻り、助手になりました。そのころ、3か月間アメリカ のMRIイメージングの研究室に留学し、研究材料を動 物レベルで解析する経験もしました。その後、大阪府 立大学のテニュア・トラック教員になりました。現在の 研究テーマは、化学、生物、物理、医学、薬学など色々 な知識を融合した次世代バイオマテリアルの作製で す。効いてほしいところまで薬を運んで溶けるような薬 のカプセル、例えば癌細胞のところだけで溶ける抗が ん剤のカプセルを作りたいと思っています。 基本的に、研究者の仕事は好きでないと続かないと 思います。自分で考えたことを、どうしたら活用できる か、実験し、作り、思い通りにいくと楽しい。私は医師 ではありませんが、医師とは異なる角度で、医療の発 展に寄与したいと思います。研究以外の仕事として は、研究室の運営、学生集めや研究の指導、外に向け ての学会発表や研究費の獲得など全て一人で行ってお り、非常に大変ですが、やりがいがあります。 家事 20% 趣味 10% 仕事 65% その他 5%
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好きなことを見つけてほしい。 ある意味、仕事は自分の時間 を売っていることだと思います。 いやいやするより、好きなこと をする方がいいですね。趣味でもなんでも 好きなことを見つける。「好きこそものの上 手なれ!」で、人生が豊かになるのではな いでしょうか。それが理系の研究だといい ですね。 子育てをしてみたいと思います。 子どもには、何かに興味を持っ てやってもらえると嬉しいです。 研究に関しては、今は、細胞や 動物レベルですが、臨床応用や実用化に発 展させたいです。ハードルは高いですが、コ ンセプトの提案ができたらと思います。どこ に着目するかが研究者の個性が出るところ ですので、あっと驚く発想を提案したいですね。 2011 結婚学
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将来の 目標・夢 D r e a m 後輩への メッセージ M e s s a g e ∼1999 大阪府立大学 (飛び級の為) 中途退学 2005∼ 大阪府立大学 助手 2007∼ 大阪府立大学 助教 2009∼ 大阪府立大学 特別講師 (テニュア・ トラック講師) ∼2002 大阪府立大学 大学院 博士後期課程 中途退学 ∼2001 大阪府立大学 大学院 博士前期課程 修了 ∼2005 京都大学 大学院 博士後期課程 修了M y f a v o r i t e
人との出会いを大切に。
思い立った時がチャンスです。
大阪府立大学 21世紀科学研究機構 ナノ科学・材料研究センター 特別講師(テニュア・トラック講師)床波 志保
博士(工学) 【学歴】 山口県立宇部高等学校▶山口大学工学部応用化学 科▶同大学院理工学研究科博士前期課程▶大阪府 立大学大学院 工学研究科物質系専攻博士後期課程 【過去の職歴】 広島大学半導体・バイオ融合集積化技術の構築プロ ジェクト 研究員▶山口東京理科大学基礎工学部 研 究員▶大阪府立大学産学官連携機構 研究員大学生の頃のホームステイ、
塾の講師の経験や研究員時代に学んだこと。
今、その経験が活かされています。
P r o f i l e 「アメリカドラマ」 『アグリー・ベティ』や『FRINGE』・ 『デスパレートな妻たち』等、アメリ カのドラマをよく観ています。子どもの頃は自由奔放でした。先生から「良くも悪くも天真 爛漫な子」と言われていたそうです。その頃の将来の夢は「ス チュワーデス」でした。高校2年生の時のクラス分けで文理の 選択を迫られ理系を選択しました。国語が苦手だったのが大き な理由ですが、英語が比較的得意で、担任の先生に「これか らは理系で英語ができると有利だぞ。」と言われた事が決め手 でした。大学は地元で進学する事を決めていましたので学科を 選択するだけでした。応用化学科のパンフレットにバイオ関連 の研究が紹介されているページを見て 楽しそうな研究だな。 やってみたいな。 と思ったのを記憶しています。思い返してみ ると、当時はバイオが脚光を浴びており、憧れもあったのかも しれません。 大学時代、長期休暇(春、夏休み)を利用してオーストラリ アにあるニューカッスル大学のランゲージセンターに通いました。 その大学は看護科と建築科が有名らしく、世界各国から未来の 白衣の天使 や 建築家 を目指して沢山の人が留学していま した。英語をツールとして目的に向かって頑張るクラスメイトの 意識の高さに驚くと同時に、とても刺激を受けました。今でも 当時のクラスメイトとは連絡を取り合い、行き来をしています。 大学院(博士前期課程)に行く事を決めたのは4回生の時です。 当時は、化学メーカーでの就職を希望していましたので、大学 院で勉強を続けようと思いました。博士前期課程で取り組んで いた研究で良い結果が得られるようになり、段々と研究が面白 くなり博士後期課程への進学を決意しました。女性の場合、博 士後期課程まで進学する人は少ないので決断には勇気がいりま したが、留学していた時の仲間の事を思い出すと自然と勇気が 湧いてきました。 広島大学へ就職したのは、先輩が学会で広 島大学の先生と話をされ紹介されたのがきっか けでした。広島大学では主にバイオ関連物質 の取り扱いについて学ばせて頂きました。次の 山口東京理科大学では金属ナノ粒子の化学合 成法に関する基礎を教えて頂きました。全く異 なるテーマで戸惑う事もありましたが、得られ た経験は現在の研究活動に非常に役立ってい ます。大阪府立大学に戻ったきっかけは、大 学院時代の先生に「帰ってこない?」と言われ、 同時に テニュア・トラック講師制度 があるこ とを知りトライしてみよう!と思ったからです。 現在は、様々な金属ナノ粒子の作製とそれら の光学、電気的性質を利用したバイオセンサ への応用について研究しています。研究以外に も授業の担当や学生に研究指導を行っていま す。 趣味 30% その他 10% 仕事 60% 研究員のころから自然にバランスが取れて いました。朝来て、帰る時間はバラバラで す。2時、3時で終わる時もあれば、夜7時、 8時に帰ることもあります。その時のスケジ ュール次第です。仕事は家に持ち帰らない ようにしています。 家では、映画や外国のドラマが好きなの で、暇さえあれば観ていますね。旅行も好 きですね。年に2回から3回、国際学会にも 行きます。日本だけでなく国際的な交流の 場は、研究の幅が広がる場となり、視野が 広がるので、大事にした方が良いと思いま す。
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“人生、一期一会”、研究活動においても 人との出会いは新たな発想を呼び研究を多 いに発展させます。皆さんにも人との出会 いを大切にして学生生活を送って欲しいと 思います。また、あらゆるチャンスを逃さな いためにも常に“笑顔”を絶やさずにいて 欲しいと思います。 近い所では、学生に尊敬されるような大学 の先生になりたいです。 2010∼ 大阪府立大学 特別講師 (テニュア・ トラック講師) 2007∼ 広島大学 研究員 2007∼ 山口東京理科大学 研究員 2009∼ 大阪府立大学 研究員 将来の 目標・夢 D r e a m 後輩への メッセージ M e s s a g eW o r k L i f e B a l a n c e
∼2002 山口大学 卒業 ∼2004 山口大学 大学院 博士前期課程 修了 ∼2007 大阪府立大学 大学院 博士後期課程 修了 「FIA 進歩賞」 フローインジェクシ ョン分析に関する研 究が独創的であり、 将来を期待される研 究者」として表彰さ れました。うまくいくのは一瞬!
その一瞬がうれしかった!
大学時代に英語ディベートと出会い、大学院時代には
英
語デ
ィベ
ート部を立ち上げ国
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会では日
本
人
初の記
録を達
成しました
。
今でもパーソナルモビリティの研究と英語のディベートを通して
地域や社会に貢献しようと考えています。
M y f a v o r i t e
大阪府立大学大学院 工学研究科機械系専攻 助教中川 智皓
博士(工学) 【学歴】 大阪府立三国丘高等学校▶大阪府立大学工学部 機械システム工学科(飛び級のため中途退学)▶同 大学院工学研究科機械システム工学分野博士前期 課程(中途退学)▶東京大学大学院工学系研究科 産業機械工学専攻修士課程▶同博士課程 【過去の職歴】 日本学術振興会特別研究員(DC1) P r o f i l e 「娘」 大好きです!!理系を選択したのは高校1年生の頃で、小学校から 国語や社会よりも算数が好きだったからです。父が理 系の大学教員だったこともあり、大学に連れて行って もらっていたので、大学や研究が身近なものに感じて いました。理科の中でも、物理の力学や運動方程式を たてる事が好きだったことや、目に見えるものがよかっ たので、工学部の機械システム工学科を専攻しまし た。高校時代は生徒会とESS、弦楽合奏団のバイオリ ンをやっていました。勉強時間は朝30分ほど早く登校 して勉強し、クラブが終わると塾に行って自習室で勉 強していました。家ではあまり勉強ができないタイプ なので、自習室に行くようにしていました。 大学時代は、英語ディベートに力を入れていました。 朝7時半から夜19時までの間に1日3回、合計4時間以 上ディベートの練習をしていました。大学院入試の勉 強は、時間を取ると決めていたので、ディベートの練習 と勉強に優先順位をつけて行っていました。大学院時 代は、ディベート部を立ち上げて、国際大会を目標に練 習をしていました。様々な国の学生と白熱した議論を 交わしました。大学院では、文系に入っているようなネ ゴシエーションやアントレプレナーシップなどの講義も たくさんあり、学ぶことができました。それらの講義で は、グループワークを行ったりして、すごく忙しいけれ ど、楽しかったです。 博士後期課程の時に日本学術振興会特別研究員 (DC1)になり、朝8時から夜24時まで研究する生活 をしていました。今では考えられないですが、それが 普通でした。根性ですね。実験装置も自分で作る必要 があり、実験がうまくいかない時もありました。実験が うまくいくのは一瞬で、その一瞬がうれしかったです。 博士号が取れる見込みが出た頃に、募集を見て大阪 府立大学の教員に応募しました。 大学教員の仕事は、研究と教育と言われています。 研究は、「人と親和性を有するパーソナルモビリティの 運動と制御」で、物理的・心理的に人との親和性を大 事にした、利便性が高く、環境にも優しく、お年寄りの 方にも良い、コンパクトで、快適なパーソナルモビリテ ィを作ろうとしています。研究以外の仕事としては、授 業を行ったり、学外での委員をしたりしています。ま た、自分だけができて、大阪府立大学でできることを やりたいと思い、「堺市・大阪府立大学産学官連携人 材育成等事業」に応募して、社会人対象の英語ディベ ート研修会を毎月開催しています。英語ディベートは、 英語、論理的思考、幅広い知識が身に付くのでお勧め です。 大学院時代は、家から学校まで5分のところに住んで いて、交通の便が良かったです。家事は週末にまとめて 行っていました。学内で夜に会合が良く行われていました ので、そこで食べて帰ることも多かったです。 家事は最小限でしたね。大阪府立大学に就職してす ぐに結婚をしたのですが、土日に学校に来ることもあり ます。最近は、家でも仕事ができるようになりましたが、 資料が学校にあるので、持ち帰られないものは学校で やるようにしています。家事は、主人と分担しています。ご飯は私で、洗い物は主人とい う分担の仕方をしています。最初の頃に話し合って、お互いに協力し合っています。結 婚後1年で出産しました。産休は16週間取りました。私は早く研究に戻りたかったの で早く戻りましたが、体調に合わせて、仕事に戻ったら良いと思います。子どもがいる と、何事も時間通りにいかないので、臨機応変にしています。保育園を利用する以外 にも、研究支援員をつけてもらったり、主人が子どもをお風呂に入れてくれたり、実家 の協力、研究室の先生たちの理解と協力があります。仕事と家事を両立するために は、職場の近くに住むことも大事です。裁量労働制の為、昼休みや授業以外の時間 に、子どもを病院に連れて行ったりすることができます。何事もうまくいくようにするに はどうすればよいか、上手に切り替えるにはどうすればよいか、常に試行錯誤するよう にしています。できるだけプラスに考えるようにしていて、「家事は運動!」と、家事も体 力をつける運動の時間と考えています。なんでも一石二鳥と考えているほうが、精神的 にも良いです。 趣味 5% その他 30% 家事・育児 25% 仕事 40% 努力が大事です。根性をもって欲しいと思 います。時間はかかるかもしれないけれど、 いつか報われるので、努力を大事にして下 さい。 現在、試 行 錯誤中です。方向 性も試行 錯誤中です。世の中 のことを考えていきたいのです が、現在、探しています。教育 を通して、人が頑張れる手助けをしたいと 思います。自分のスキルを考えて、地域や 学生に何ができるかを考えていきたいです。 その為にも、まだまだスキルアップもしてい きたいです。 2011 出産 2010 結婚
学
生
時
代
社
会
人
時
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将来の 目標・夢 D r e a m 後輩への メッセージ M e s s a g eW o r k L i f e B a l a n c e
2007∼ 日本学術振興会 特別研究員 (DC1) ∼2004 大阪府立大学 (飛び級の為) 中途退学 ∼2005 大阪府立大学 大学院 博士前期課程 中途退学 ∼2010 東京大学 大学院 博士課程 修了 ∼2007 東京大学 大学院 修士課程 修了 2010∼ 大阪府立大学 助教M y f a v o r i t e
看護の良いところを、
情報という手段を使って普及していく、
そういう役割を担いたい。
その都度その都度、迷うこともありますが、
やりたいことがあって、この道に進んでいます。
信じてやれば、理解もしてもらえるし、
様々な分野の方にわかってもらえるし、心を開いてくれます。
大阪府立大学 高等教育推進機構/ 大阪府立大学大学院 工学研究科電気・情報系専攻 教授真嶋 由貴恵
博士(工学) 【学歴】 広島県呉三津田高等学校▶国立呉病院看護専門 学校▶広島県立看護専門学校公衆衛生看護学科 ▶香川大学教育学部総合科学課程情報科学コース ▶同大学院教育学研究科▶岡山理科大学大学院 博士後期課程 【過去の職歴】 広島県豊田郡川尻町役場▶国立呉病院▶神戸市看 護大学 助手▶産業医科大学産業保健学部 助教授 ▶大阪府立看護大学看護学部 准教授(2005年よ り大阪府立大学看護学部)▶大阪府立大学総合教 育研究機構、同大学院工学研究科 教授 P r o f i l e 「YATAI」 気の合う人が集う「場:Ba」が好き です。そのシンボルの YATAI です。子どもの頃は正義感の強い、活発な子でした。将来 は体育の教師になりたかったです。理系を選択したのは 高校2年生のクラス分けの時でした。母が看護師だった 事もあり、国立呉病院看護専門学校に進学しました。卒 業後は、保健師の資格がとれる広島県立看護専門学校 公衆衛生看護学科に進学しました。香川大学に進学す るまでは保健師、看護師として勤めていました。看護師 時代はすごく忙しく、なぜこんなにも忙しいのかを考えて みたら、申し送りの為の記録に時間をかけていることが わかりました。この頃にパソコンが普及し始めたので、「こ れは看護に使えるのではないか」と思い、6月で仕事を 辞めて、7月から新たに教科書を買って受験勉強を始め ました。結婚も決まっていたので、香川の大学を選びま した。 大学に入学後、1年生の時に結婚し、2年生に上がる 前に出産しました。1年間の休学(育休)を経て大学を 卒業後、香川大学の大学院に進学しました。この頃、 夫が博士号を取るために単身赴任をしたので、私は香 川で学生をしながら子育てをしていました。香川大学大 学院を卒業後、神戸市看護大学に助手で就職しました。 この頃に夫が学位を取り、岡山県の大学病院に就職し たので、一緒に岡山に住み、新幹線で神戸まで通勤し ていました。その後、岡山理科大学大学院工学研究科 の博士後期課程に進学しました。 岡山県にある大学の看護系学部で基礎看護科目の TA をし、その後、産業医科大学に助教授として勤務し ました。神戸市看護大学で働いていた時の助教授が、 産業医科大学に教授としていらっしゃったので、その縁 もあってお世話になりました。産業医科大学では産業保 健学部で産業保健師を養成していました。その後大阪 府立看護大学で、看護情報学に携わる機会をいただき、 家族と一緒に暮らすことができるようになりました。平 成17年に大阪府立大学と統合し、工学部や他学部の先 生方との交流も広がり、学内情報教育の強化の方針のも と、現所属に異動となりました。 現在は、「看護、医療における情報システム支援、e -ラーニング、教育工学」を研究しています。看護のケア の方法を e -ラーニングで学ぶ研究です。看護教育を教 えていく為に、どのようにコンピュータや情報システム・ ネットワークを使って、より良く学習できるようにするか を研究していくという、学習科学のようなものです。人 の学習をどういう風に進めていくか、また教員がどうす れば良い教育ができるのかを、看護の分野で行ってい ます。この他、医療や看護の情報化により、電子カルテ や看護システムが導入されています。医療職の働きやすい、 患者さん達にとっても安全安心なシステムについて研究 しています。 ライフワークとして、「看護の魅せる化」を考えています。 看護が何をしているかを PR し、その目指すものを多く の人に伝えていきたいと思っています。 結婚する前は、保健師や看護師という職業柄、 時間で区切られて働いていたので、意識せずに、自 然とバランスが取れていました。よく働き、よく遊ぶ といったものでした。 香川大学 在 籍中に結 婚し、1人目を出産しまし た。岡山大学大学院在学中に2人目を出産しまし た。学生だったこともあり、時間の融通が利いたの で助かりました。学校にいる間は、大学の近くの保育園に子どもを預けていまし た。どうしてもダメな時は、実家の母や夫の母が来てくれました。先生や友人に も大変お世話になりました。おかげで学業と家事・育児の両立ができました。 産業医科大学に勤務している時は、上の子は中学受験があるので夫と大阪 で暮らしてもらい、下の子どもを連れて福岡に住んでいました。福岡で暮らして いた時は一人で保育園への送り迎え、仕事が終わらない時は、家で仕事をして、 ということを繰り返していました。また、2週間に1回は大阪と福岡を新幹線で 往復する生活を2年間続けました。その頃、病気で倒れたこともあり、今は、夜 にしっかり眠るようにしています。 育児・家事・仕事の優先順位については、子どもが小さい時は、「子ども・家 事・仕事」でしたが、子どもに手がかからなくなった現在、仕事優先の生活にな っているので、家族と過ごす時間や自分の時間を取りたいと思っています。 家事・育児 15% その他 5% 仕事 80%
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W o r k L i f e B a l a n c e
∼1994 香川大学 卒業 1985∼ 広島県豊田郡 川尻町役場 1996∼ 神戸市看護大学 助手 2004∼ 大阪府立 看護大学 准教授 2008∼ 大阪府立大学 教授 1986∼ 国立呉病院 ∼1996 香川大学 大学院 修了 ∼2001 岡山理科大学大学院 博士後期課程 修了 信じれば道は必ず開ける。 道は、開こうと思わないと開けないです。 看護職として生涯現役で、世の中のお役に たちたいです。 将来の 目標・夢 D r e a m 後輩への メッセージ M e s s a g e 1989 結婚 1990 第1子 出産 1999 第2子 出産新しい知見を得るのは楽しいことです。
やりたいことや、気になることは、
臆せずやってみた方がよいと思います。
思えば数学をベースに社会に役立つことができればと思ったことが、
今の研究テーマにつながっています。
生
産
管
理システムによって
、
ものづくりの最
適
化を支
援していきたいです
。
M y f a v o r i t e
大阪府立大学大学院 工学研究科電気・情報系専攻 准教授森澤 和子
博士(工学) 【学歴】 和歌山県立橋本高等学校▶大阪府立大学工学 部経営工学科▶同大学院工学研究科経営工学 専攻博士前期課程 【過去の職歴】 大阪府立大学工学部経営工学科 助手▶同大学 院工学研究科電気・情報系専攻経営工学分野 助手▶同経営工学分野 講師▶同電気情報シス テム工学分野 講師 P r o f i l e 「カメ、レッサーパンダ」 カメはおっとりした感じが好きで小物 をつい買ってしまいます。 レッサーパンダはノコノコした動きが 好きで、動物園に行くと、何時間でも 見ていられます。両親は共働きだったので、祖父母と過ごす時間が長 く、そのせいか、おっとりマイペースな子どもでした。わり と小さなころから、ずっと続けられる仕事につきたい、と いう想いがあって、当時は、公務員か先生がいいかなと 子どもなりに考えていました。また、本が好きだったの で、あれこれ何でも読みました。マンガも好きでよく読み ました。その中に出てきた一場面がきっかけで源氏物語 を読んだり、ということも。今でも読むことは好きで、チ ラシまで熱心に読むよね、といわれています。高校2年で 文理選択の進路調査があり、科目の得手不得手も好き 嫌いもとくになかったので、かなり迷いました。結局、よ り教えてもらいたいほう、という理由で理系を選択しま した。勉強することは苦痛ではなく、新しい知識が増え る嬉しさがありました。 大学は数学をベースに、なにか役に立てるようになりた いと思って関連学科を受験し、工学部経営工学科に入学 しました。大学では、自分の学科の専門科目以外に機械 工学科の制御工学や農学部の測量学など、興味のある 科目は他の学部、学科のものでも受講していました。先 生に、「君どこの学科?」と珍しがられたりしましたが、 専門外の勉強も楽しかったです。大学祭実行委員会に入 っていたので、学部の違う友人もたくさんできました。女 性は少なかったですが、その分、女性の先輩後輩とは縦 のつながりがあり、同期の友人にも恵まれて困ったこと はなかったです。 幸運なことに博士前期課程修了後すぐに、母校の助手 になりました。研究のテーマは生産管理。人と環境に優 しいものづくりを支援する生産管理システムと、そこで用 いる最適化手法の開発です。工場で生産活動を行うとき に、きちんと計画を立てずに作業に取り掛かってしまう と、段取りが悪くて時間がかかり残業が必要になった り、原材料に無駄が出てコストが嵩んだりしますが、事前 によく考えて計画を立てることで、そのような事態を防ぐ ことができます。そのために、このような計画立案問題 を、組合せ最適化問題とよばれる数学モデルとして表し て解くのですが、限られた時間でよい計画を求めること は、実はなかなか難しいのです。残業をなくすことで労 働者に、コストを抑えることで企業に、資源の無駄をなく すことで環境にも貢献できる、そういうことを目指してよ り有効な最適化手法の開発に取り組んでいます。かつて 数学をベースに社会の役に立つことをしたいと思いまし たが、少しずつですが実現に近づけているのかもしれま せん。 研究以外では、授業と研究室の学生・院生の卒業研 究・修士論文のための研究指導ゼミが、大きなウェイト を占めています。学生たちと一緒に考えて、問題点をうま く解決できたときの彼らの達成感あふれる顔を見ると、 こちらも嬉しくなります。長く勤めていると、この他に学 会関係の委員や学内の委員などの役目もまわってくるよ うになって、徐々に忙しくなります。 女性の少ない環境ですが、これまでデメリットはなか ったです。むしろ、どこに行ってもすぐに名前と顔を覚え ていただけたり、重鎮の先生が話しかけてくださったり、 そんな出会いが今も財産になっていると思います。 恥ずかしながら、いまだにバランスが取れて いません。研究は時間をかけた分だけ進むと いうわけではないので、なかなか予定通りにい きません。夕方になって、今日はここまで、と思 っていたところまで進んでいないと、あと少し だけと、つい思ってしまって帰るのが遅くなっ たりします。切り替えを自分でうまくしていかな いとダメですね。 結婚してからは、夕食を作る時間を考えて、できるだけ時間がきたら 切り上げるようにしています。夫も大学教員なので、仕事のことはよく 理解してくれていて、学会前や論文投稿の締切時などは、家事の手抜 きや遅い帰宅も黙認してくれます。買い物や家事は、平日できない分 を土日にやることが多いですね。 趣味 5% その他 10% 家事 25% 仕事 60% 男女の性差やポジションで自分 の中で線引きをしないで、やり たいことや気になることは臆せ ずとにかくやってみるべきだと 思います。結果はどうあれ、その経験はき っと財産になります。失敗からも学べます。 若いうちこそぜひ。 私の研究分野は、工場や企業 といった大きなシステムを対象 としているので、最適化手法を 提案しても、実際の有 効 性を 検証することが困難です。システムをモデ ル化して考える際にできるだけ実際の条件 を取り入れて、現場ですぐにでも試してみた くなるような内容の提案ができればと思っ ています。 2001 結婚
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将来の 目標・夢 D r e a m 後輩への メッセージ M e s s a g eW o r k L i f e B a l a n c e
∼1987 大阪府立大学 工学部 卒業 ∼1989 大阪府立大学 大学院 博士前期課程 修了 1989∼ 大阪府立大学 助手 2001∼ 大阪府立大学 講師 2009∼ 大阪府立大学 准教授M y f a v o r i t e
女性であっても、きちんと仕事に
取り組めばハンディはない。
私のワークライフバランスは、
手ぬきせず精一杯すること。
大阪府立大学大学院 生命環境科学研究科獣医学専攻 助教幸田 知子
博士(獣医学) 【学歴】 智弁学園▶大阪府立大学農学部獣医学科 【過去の職歴】 奈良県家畜保健衛生所中学生のころ、畑正憲さんの『どんべえ物語』が好きで、
獣医学科を目指しました。結婚しても、仕事を辞めることは
全く考えなかった。今、育児をしながら、
大変だけれど研究は続けたいと思っています。
P r o f i l eM y f a
f a v o r i
「顕微鏡写真」 今は趣味に避ける時間がなく、家事や 育児の他の時間は研究が全てです。で も、好きなことを仕事にしているから。おとなしい子どもでした。読書はよくし たでしょうか。子どもの頃は、学校の先 生になりたいと思っていました。 中学校の頃、畑正憲さんの『どんべえ 物語』や『さよならどんべえ』が好きで、 よく読みました。そして、漠然と獣医に なりたいと思い、高校1年生で理系を選 択しました。近畿では獣医学が学べる大 学は大阪府立大学だけです。 大学では、創部して3年くらいの女子バ レー部に所属し、部活に励んでいました。 獣医学部は6回生までありますので、部 活を引退後、4回生からは研究活動をす るようになりました。研究室を選ぶ直前 に、膝の傷口から細菌感染し、ひどい 化膿巣になったことがあり、細菌毒素っ てなんだろうと興味を持ったことが、研 究室選択のきっかけになりました。 奈良県庁へ就職した時、衛生分野を希望して公務員になったにも かかわらず、奈良県家畜保健衛生所(畜産分野)へ配属になってしま ったので、最初はなじめませんでした。が、当時、女性の獣医は私一 人だけだったので、皆さんが気を遣ってくださったり、様々な発見も あったりで特に苦労はなく、徐々になじんでいきました。今では女性 の多い職場になっているそうです。 最初は農家を回り、鶏や豚の飼い方、ワクチンプログラム、伝染病 発生時の対応などの仕事をしました。大学で教科書に載っていたこと が、実際に生きた家畜に施されていました。その後、病性鑑定部門 で原因がわからない疾病を診断し、今後に役立てる仕事をさせても らいました。私たちが食べるための家畜ですが、食べられて生命を全 うする家畜もいれば、病気にかかり、その病気が何か調べるために 殺される家畜もいることを目の当たりにし、愛玩動物の治療だけが獣 医ではなく、私たちの食生活を支えるため、他の家畜に感染症を広 げないために、命を奪う獣医もいることを知りました。その経験は、 一昨年の宮崎県での口蹄疫発生時、何の症状もないのに防疫上ワク チン接種した牛や豚を殺処分しなければならない使命感に活かされ たと思います。大型の動物を扱うことについては、女性であっても動 物に接することに変わりはなく、また獣医師の資格を持っていますので、 きちんと仕事をすれば差別などはありませんでした。 大いにやりがいはあったのですが、出身の研究室の教授が研究室 を新設されたのをきっかけに、転職しました。研究のテーマは、ボツ リヌス神経毒素の作用機構の解明です。ボツリヌス菌が産生するボツ リヌス神経毒素による疫病がボツリヌス症で、人も動物もり患します。 研究者としてはまだまだですが、時間に縛られず、自由な発想で、好 きなことができるところがいいところだと思います。 7歳と3歳の2人の子どもがいます。夫は同じ研究 者ですが、単身赴任ですので、家のことは全て私が しています。第1子の時は、準備がうまくいかず、保 育園の待機児童になってしまい、私の産休後、夫が 10ヶ月の育児休暇をとらねばなりませんでした。第 2子の時は、その経験から準備を進め、産休後、夫 が3ヶ月の育児休暇をとって4月から無事保育園に預 けることができました。準備をし、保育園に子どもを預けることができれば復帰 は円滑にできると思います。 復帰後は、毎日をこなすことで精いっぱいで、目の前のことを頑張ってやって いく毎日です。ただ、子どもが病気の時はお手上げで、両親に世話をしに来ても らっています。さらに、子どもが小学校になると、学童保育の他、シルバー人材セ ンターも利用し、お迎えや習い事への送り迎えなどをしてもらっています。帰宅 後、子どもを就寝させる前に食事、お風呂とあわただしくなるため、早朝に支度 しています。大変ですが、子どもが母の日などにありがとうと言ってくれると、と ても嬉しいです。 現在は女性研究者支援センターの研究支援員派遣の制度を利用し、実験に 係わる単純な作業や器具洗いをしていただいています。おかげで、机に座って書 き物をしても、実験が止まることがなくなりました。 家事・育児 30% 仕事 70%