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動 物 実 験 と 私

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Academic year: 2022

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特別講演要 旨

動 物 実 験 と 私

小 川 勝 士 岡山大学医学部病理学教室

本 日皆様 の前 でお話 申 し上 げる機会 を得 ま した ことを身 に余 る光栄 に存 じます と共 に, この機会 をお与 え下 さい ま した猪貴義会長,矢部芳郎理事 ほ か関係 諸先生 に予 じめ厚 く御礼 申 し上げます。

実 は私 が実験動物学 に不勉 強 の故 を以 て今 日の講 演 を極 力 ご辞退 申 し上 げたのです が,私 の想出 を 通 じて古 き時代 の動物 実験 の模様 を話 して くれを いか と,矢部理事 が演題 まで ご用意下 さっておす す め下 さいま したので, それをれば最 も老齢 の私 の役 目か と考 え有難 くご好意 をお受 け した次第で ご ざい ます。従 って学 問 とは縁遠 い昔 話 で貴 重 な お時 間 を費 します ことをお許 し願 います。

私 が病理学教室 に入局 させ て頂 いた昭和23年 の 頃 は, まだキ ャンパ スの あ ちこ ちに雑草 の生 えた 焼 跡 の空地 が散在 し, その一画 に戦 災 を免 れた木 造の基礎 医学教室 が並 んで いま した。今 日のお話 の舞台 となる病理学教室 は南端 にあ り, これ と短 い廊下 で続 く解剖棟 に接 して犬小舎 があ りま した が,石炭 な どをいれ る物置 に使 われていま した。

戦後 の 日本 は40年 の間 に奇跡 的 を復興 と繁栄 を 遂 げ,我 が岡山大学 も着 実 に今 日にみ るすぼ らし い発展 の道 を辿 って参 りま した。 しか し今, その 道程 を顧 み る時,研究面 では極 めて不 自由 な時代 が随分 と長 く続 いた様 に思 い ます。 とりわけ動物 実験 の近代化 は 日本経済 の急速 を復興速度 とは ア

ンバ ラ ンスに立 ち遅 れてい ま した。

私達 の病理学教室 のみ につ いて回顧 します と, 戦後 の

5

年間程 は,戦時 中 か ら続 いていた浜崎教 授 の ケ トエ ノル物 質の研究 が主流 をな し, これに 吉 田腫癌 の母細胞探 究 が加 わ りま したが実験動物 数 は少 く,主 として研究室 で各 自机 の傍 に飼育箱 を並べ た位 で事 足 りてい ま した ところが吉 田腺 癌 の組織発 生の追究 に端 を発 し,昭和25年頃 か ら 浜崎教授 が この腫壕 につ いて ウイルス発癌 説 を樹

て られ,教室 の研究 がその実証へ 向って大 きく転 換 したため,昭和20年代後半 に実験動物数 が急速 に増加 しま した。昭和30年代 には吉 田腺癌 の試食 実験 が広汎 に行 われ,教室 の余 白面積 は実習準備 室 か ら旧霊安室 に至 るまで動物飼育室 に変 りま し た。動物 の種類 もラ ッ ト,マ ウス,ハ ムス ター, 海膜 , ニ ワ トリに及 び ま したが, ウイス ター ラ ッ ト以外 は当地 の動物屋 か ら求 めた雑系動物 が主体 を占めていま した。

当時 の模様 を示 す写真 があ りませ んので,飼育 箱 や動物小舎 の様子 を拙 い絵 で ご覧頂 くことと し

1 マ ウス, ラッ ト用木製 ケー ジと飼料 (昭和20年代)

ます。 ス ライ ド (以下 図 と呼ぶ) 1は古 くか ら用 い られていたマ ウスない しラッ トの長屋住 宅 で あ ります。床敷 には藁 を刻 んで用 い,飼料 は麦 とクロ ーバ ーで,後者 は校庭 の至 る処 に生 えてお り,動 物 の好 む大切 を ビタ ミン補給源 で した。 クローバ ーの ない季節 には八百屋 か ら売 れ残 りの野菜 を配 達 して もらい ま した。赤 ん坊 を食べ る癖 の あ る母 親 には煮干 を与 えた こともあ りま したがあま り効 果 は なかった様 です。水 は小鳥用の容器や シャー レで与 えま したが, その中 に糞 をす るのです ぐ汚 れ ま した

岡実動研報 第 4号 (1986)

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図2 腫疹 試食実験 用 ラッ ト飼育室 (昭和30年 代)

愛情 をもって動物 の世話 が出来 をい様 では動物 実験 を行 う資格 は あ りませ ん。誰 しも心得 てい る ことです が,西研 と呼ぶ広 い研 究室 で動物 と共同 生活 を していた頃 は,私 も含 めて誰 が敷 替 えを怠 って も忽 ちダニが繁殖 しまわ りの者 が よ く噛 まれ た ものです。昭和

2 5

年前後 に吉 田腫癌 か らウイル スの分離 が始 ま ると,浜崎教授 は動物 間の ウイル スの伝搬 を懸 念 され飼育 箱 の清掃 をや かま しくい われ ま した その頃 の動物 実験 の あ り方 に関す る 認識 の程度 を私 自身 につ いて振 り返 ってみます と,

まだケ トエ ノル物 質 の組織 化 学的検索 に追 われて 腫癌 ウイルス学 の勉 強 を怠 って お りま したので, 動物 の ウイルス汚染 や感受性 の 問題 には至 って無 頓着 で あった様 に思 い ます。 とい うよ り, よ りよ い実験環 境 な どは望 むべ くもな く, ま して純系 動 物 や空 調付動物飼育室 が使 えるを どは夢 の国の話 に過 ぎませ んで した。 しか し自分 で腫癌 ウイルス の実験 に従事 してみ ます と, ウイルス汚染 どころ か市販 の動物 に寄 生虫 によ る炎症 反応 をみ ること が しば しばで,組織像 の判 定 に低 い次元 で 悩ま さ れ ま した

図2は実習準 備室 を改造 した ラ ッ トの飼育室 で す。昭和

30

年代前半 には まだ固型飼 料 は使 ってい ませ んで した。暖房 には主 と して電気 ス トー ブ を 用 い ま したが,火 の用心 が心配 の種 で した。 この 図の部屋 のみ は大 きいので練 炭 ス トー ブ を用 い ま したが,戎初冬 の こと,煙突 に雀 が巣 を作 ってい たため練 炭 が不完 全燃焼 して,実験 中の ラ ッ トが 多数死 亡 し泣 か された ことがあ ります。

昭和

38

年 か らアデ ノウイルス による発癌 実験 に 着 手 しま した この ウイルスは矢部 教授 によって ハ ムス ター に発癌性 の あ ることが初 めて発 見 され た もので, み な し子 ウイルス と呼 ばれ る様 に ヒ ト には発癌性 の ない こ とが知 られています。 しか し ウイルス学 に素人 の私 は実験室 内感染 が怖 く,教 室員 にマ ス ク, ビニー ルエ プロ ン, ゴム手袋 の着 用 を厳守 させ,ハ ムス ターの飼育室 をヒ トの住 む 教室 か ら隔離 しま した。図

3

は最 も遠 く離 れた臓 器保存室 で,窓 が床 にあ る片 隅 の部屋 が感染ハ ム ス ターの部屋 です。 とて も穣 い物置 で したが, こ の研 究 を最初 に始 めた処 と して,私 には想 出 に残

る場 所 で あ ります。

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実験 が進 む と屋 内 には最早空 間 が な く,解剖室 の壁 に接 して図

4

の様 な動物 小舎 を急 造 しました。

教室 の予算 が底 をつ き本式 の建 築 が出来 ず,事務 か ら取 り壊 した建物 の ガ ラス窓 や ドアーをもらい, これ に寸 法 を合せ たみす ぼ らしい小舎 です。窓や

ドア‑の隙 間 か ら青大将 が侵 入 す るこ とは しば し

ばで した 信 じ難 い ことです が この構 内 に 「いた ちがいて,飼育箱 の金網 を食 い破 り多数の動物 を食べ, そこ ら一面 に血 の飛 び散 る惨状 を呈 した こともあ りま した。 炎天 に焼 け る トタ ン屋根 を冷 す図の様 を簡 易冷 却装置 を考案 してみ ま した が, 四季 を通 じて とて も動物 の安住 出来 る場所 で は あ

図 3 ア デ ノ ウ イ ル ス 発 癌 実 験 初 期 の ハ ム ス タ ー 飼 育 室 ( 臓

器保存庫の片隅,昭和38年より)

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4 バ ラ ックの動物小舎 (昭和39‑42年頃)

岡実動研 報 第4号 (1986)

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りませ んで したO

この様 な状 態 が続 いてお りま した処,昭和43年 頃 と思 います が,矢部 教授 が癌 源施 設へ移 られた 後 それまで使 って お られた ミゼ ッ トハ ウス

2

棟 を ご寄贈 下 さいま した。図5が それで,冷暖房付 き の立派 を小舎 です。 お蔭 で私達 もよ うや くモ ダー ンを動物飼育 が出来 る様 になり感謝 の至 りで した。

6

は矢部 教授 の アイデ ィア を真似 て作 らせた 金属性 の飼育箱 で,小 さい方 は台所 用 の食器 た ら い,大 きい方 は洗濯 だ らい にそれ ぞれ金網 の蓋 を と りつ けた ものです。昭和30年代 の後 半 には固型 飼 料 を購 入 し,給水瓶 には安価 をサ ン トリー ウイ

スキーの角瓶 を用 い重宝 して い ま した。

以上長 々 と, 今 か らみ れば ウソの様 を貧 しい動

5 矢部 教授 よ りご寄贈 頂 いたモ ダー ンを冷 暖房器付 ミゼ ッ トハ ウス (昭和43‑59年)

も も

洗 濯 た らい

図6 金 だ らい を利 用 した飼育 箱 (昭和39‑60年)

物飼育状 態 を述 べ ま した。 しか し本学では,戦後 の不 自由 を時代 の極 く早期 か ら,学長,医学部 長 は じめ関係 諸教授 の間で動物 実験 の向上,近代化 に積極 的 を努 力 が払 われていた ことを強調 して お きたい と思 い ます。私達研 究者 の,少 く共私 の知 らぬ間 に,本 学主脳部 では全国の大学 に先 がけて 純系 マ ウス を導 入 す る とい う画期 的 を計画 を進 め てお られたのです。昭和30年代 のは じめ に, 当時 ヒュース トンに留 学 されていた井 田憲 明博士 (覗 東洋 工業附属病 院 長) を通 じて米国 におけ る最 も 新 しい動 物 実験 の 実 情 を調 査 され,昭和32年 に 八木医学部 長が渡 米 されて

Te xas

大学

Tayl or

学 長 との間 に純 系 マ ウ ス を本 学 へ 分譲 して も らう

ことについての交渉 が成 立 しました。翌 昭和33年,

Bayl or

大学解剖 学教室

Ki rschbaum

教授 のマ ウ スコロニー と一部

Texas

大 学 か ら1

0

系 統 の純系 マ ウスが空 輸 され,本 学 に待望 のマ ウスコロニー の設置 が実現 しま した この背景 には井 田博 士,

Bayl or大学 の Li ebel t

博士 の大 きい貢献 があ り ま したが, これ らマ ウス コロニーの歴 史 につ いて は大森正樹講師 (現香 川医科 大学病理 学教授 ) の 論文1) に詳 しく述 べ られてい ます。これ らのマ ウ スは しば ら くの間病 理 学教室 を借 り住 い としてい ま したが,や がて旧衛 生 学教室 を撤 去 す る際西端 に残 された一画 の

2

階へ 移 りま した マ ウス コロ ニーの運営 は医学部 長 を委員長 とす る委 員会 によ って行 われ ま した が,実務 は浜崎教授 が担 当 され, 幸 い優 れた飼育担 当者藤 田甫君 (現香川県立中央 病 院病理部 長) を得 て運営 が軌道 に乗 りま した。

一方,近代的 を中央 システムの実験動物室 を建 設す るとい う本 学 の今一つの大 きい 目標 は,何様 に も高額 の予算 を必要 とす ることとて容易 に達成 されそ うを気配 がみ られ ませ んで した しか し犬 の鳴 き声 に対す る病棟 の苦 情 に対処す る必要 も生 じたの で昭和43年頃 動物 実験 セ ンター建 設委員会 が作 られ,文部 省へ概 算 要求 を提 出す ると共 に, 西 田医学部長 が度 々陳情 に出掛 け られ ま した。 そ の結果,昭和45年 に至 り文部 省 か ら建 設 につ き明 るい見通 しを得,早速 山崎英 正教授 を委員長 とす る総合 実験動物室建 設委員会 が結成 され,マ ウス コロニー (系統 保存 部 門) を含 む

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部門 よ りな る 新 しい総合 実験 動物室 の構 想 が出来 ま した 以来

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学内 あげて資料作 りに努 力 し,昭和46年 に総合動 物 実験共同施 設建 設計画書 を印刷 しま した

私 はマ ウスコロニーの時代 か ら引続 いて この建 設委員会 に関係 したためで しょ うか, 山崎委 員長 か ら新 しい施 設の構想 や運営方針 につ いて しば し ば ご相談 を うけま した。昭和45年委 員会 が結成 さ れ ると, 山崎委員長,千原施 設 課長,丸 山係長, 医学部阿部係長 と共 に滋賀県油 日と大阪の塩 野義 研 究所 を訪 ね,近代的 を動物施 設 を視察 し, また 機会 ある毎 に各地 の諸施 設 を見学 しま した。塩野 義 の施 設 は規模 が大 きく,到底真似 出来 そ うには 思 えませ んで したが,細部 の設備 で参 考 になると ころ多大 で あ りま した。

ところで, この様 に して本学の永年 の夢 が実現 す るとい うの に, い ざ近代的 を施 設 が出来上 った 暁 には光熱水道費 を含 めた維 持運営 の困難 さが懸 念 され,期待 とは裏腹 に誰 しも‑沫 の不安 を隠 し 切 れ ませ んで した。設計図 を前 に 「据 え膳 食 わぬ は男 の恥 とい うか らをあと洩 らされた山崎委員 長の お言葉 を想 い出 します。 しか しこの心配 は建 築 が

2

期工事 に分 れ ることで幾 分緩和 され,再 び 最終 設計 に とりかか り,種 々の段 階 を経 て昭和48 年

3

月,系統保存部 門,犬 部門,特殊動物部 門 を 収容 す る総合動物 実験室 (文部 省の指示 によ り総 合 実験 動 物室 を改称) 第

1

期 工事

1, 1 4 1 m

2が竣 工 しま した。この間 に,昭和47年,山崎委 員長の ご健 康 が勝 れず,西 田教授 が運営 委員長 を交替 され,使 用規準 も出来 ま した。第

1

期工事 がす む と間 もな く妹 尾 教授 が文部 省 か ら非 公式 に今後 計5,

000m

2

までの動物施 設 が建 築可能 との情報 を入手 された の に基 づ き, この線 で第

2

期 工事 を要求 し,学内 の全動物 を収容す る中央施 設 を建 設す る計画 が進 め られ ま した。文部 省 として もこの規模 の施 設 を 国立大学の全 て に一度 に建 て ることは出来ず,堰 番待 ちの形 で数年 が経過 しま した 昭和

5 0

年 に, 小坂 医学部 長の ご命令で全国国立大学動物 実験施 設長会 議 に出席 した折 ,新設 された東京大学の

7

階建 ての施 設 を見学 し羨望 を覚 えま した 聞けば 医学部 と農学部 の各教室 が運営 費 に年 間5

0

万円 を

提 供 してい るとの ことで した

西田委 員長 が香 川医科 大学副学長 として ご栄転 され ることとな り,昭和5

4

6

月か ら私 が運営委 員長 を拝 命 し,矢部 教授 が副委 員長 として力強 く 補佐 して下 さい ま した。昭和55年, よ うや く岡 山 大学医学部附属 動物 実験施 設の設置 が認 可 され, 大藤 医学部 長 を委員長 とす る設置準備委員会 が発 足 し,旧総合動物 実験室運営委員会 は新施 設 が完 了 して新 しい機構 が軌道 に乗 るまで併存 し,実務 を続 け ることにな りま した 私 の委員長 は この過 渡期 の短 い間で したが,文部 省へ の概算要求 に際 し大藤 医学部 長,矢部副委員長 と共 に人員構 成 に つ いて大 いに苦 慮 した ことを覚 えてお ります。 そ の節 には ここにお られ る農学部 の猪教授 ,鳥海教 授 に大変 お世話様 にな り, また ご迷惑 をおかけ致 しま した。この席 で改めて厚 く御礼 申 し上 げます。

また大藤 学部 長,小池事務長のお供 をして全国的 に 運営 が円滑 で あ ると評判 の高い鹿児 島大学医学部 の施 設 を見学 に参 り,運営方法 を聞 くほか

P3

実 験室 や犬の声帯 をとる手術 な どをみて釆 ま した。

以後 の経過 は皆様 もよ くご承 知の如 くで,昭和

55

年の秋 に倉林 譲助教授 が就 任 され,学内 あげて 最終 計画 に向 って努 力 し,3,334m2の2期工事 の 完成 と共 に昭和

5 8

年 か ら新見医学部 長 を初 代施 設 長 とす る動物 実験施 設 が発足 したので あ ります。

本 日, い ちい ちお名前 を申 し述べ る余裕 があ り ませ んで したが,実 に多 くの方 々の真剣 を努 力の 累積 が見事 に実 を結 んだ ことを忘 れては な りませ ん。今 この 白亜 の殿 堂 を眺 めをが ら越 し方 を顧 み る時,正 に今昔 の感 一入 の思 いが致 します と共 に, 多 くの方 々の願 いが こめ られた我 が岡山大学医学 部附属動物 実験施 設 が益 々発展 す る様 心 か ら祈 念 す るもので あ ります。

ご清聴 を有難 うご ざいま した

文 献

M.Ohmori:Presentstatusandhistoryofthemouse colony ofOkayama University MedicalSchool. ActaMed.Okayama35(4):293‑306,1981.

岡実動研報 第4 (1986)

参照

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