• 検索結果がありません。

☆☆☆☆☆ 聖徳太子

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "☆☆☆☆☆ 聖徳太子"

Copied!
2
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

学習課題についてまとめよう。

3

学習にかかった時間 自分の評価(星をぬりつぶそう) おうちの人のサイン

☆☆☆☆☆

歴史にドキリ URL https://www.nhk.or.jp/school/syakai/dokiri/

この動画を見てみよう。

聖徳太子がどのような国づくりを目指したのかを知ろう

聖徳太子しょう とく たい  し  〜新しい国づくり〜

くみ なまえ

学 習 課 題

豪族、冠位十二階、十七条の憲法について、分かったことをメモしよう。

遣隋使について、分かったことをメモしよう。

2

聖徳太子 〜新しい国づくり〜

(2)

・聖徳太子は、天皇中心の国づくりを目指し、冠位十二階や十七条の憲法を定め、

  当時の日本に全くなかった新しい政治の仕組みを作った。

・聖徳太子は、遣隋使を送り、強い力と進んだ文化を取り入れた。

学習課題についてまとめよう。

3

学習にかかった時間 自分の評価(星をぬりつぶそう) おうちの人のサイン

☆☆☆☆☆

歴史にドキリ URL https://www.nhk.or.jp/school/syakai/dokiri/

この動画を見てみよう。

・当時の日本は、豪族といわれる有力者が土地や人々を支配し、勢力争いをしていた。

・聖徳太子は、蘇我馬子と一緒に、争いを繰り返していた豪族たちを一つにまとめた。

・聖徳太子は、当時の日本に全くなかった新しい政治の仕組みを作った。

・603年に冠位十二階を定めた。それまでは、家柄や出身地によって政治を行う役人を選んで   いたが、この制度により、能力のある人が重要な役職に就くようになり、家柄にとらわれなく   なった。能力や功績により、十二の位に分けられた。

・604年に十七条の憲法を定め、役人たちの心構えを説いた。

  権力争いに明け暮れる豪族たちを戒めることが目的だった。

・憲法には「和を以って貴しと為す」など、いつの時代にも通じる大切な事が書かれていた。

・聖徳太子は、政治の仕組みを作り豪族たちをまとめあげ、天皇中心の新しい国づくりに努めた。

・聖徳太子は、607年に小野妹子を遣隋使として送り、隋との交流を始め、大陸の進んだ文化を   取り入れた。

・小野妹子が持って行った手紙には日本が新しい国に生まれ変わった誇りが込められていた。

・手紙には「日出づる国の天子より」と書かれていて、日本と隋が対等であることを示そうとした。

聖徳太子がどのような国づくりを目指したのかを知ろう

聖徳太子しょう とく たい  し  〜新しい国づくり〜

くみ なまえ

学 習 課 題

豪族、冠位十二階、十七条の憲法について、分かったことをメモしよう。

遣隋使について、分かったことをメモしよう。

2

聖徳太子 〜新しい国づくり〜

参照

関連したドキュメント

( 14 ) 大谷大学図書館・博物館報(第26号) 明天皇と母間人穴穂部皇女の婚姻からおこ

所依として、専らこれに拠って書かれたものであるが、同時に他方では吉蔵の所説を知ってい

聖徳太子の政 聖徳太子は 聖徳太子は天皇 治や文化にあ どのような 中心の政治を強 らわれた結果 えで政治 くおしすすめ晴 の資料

22 みんなの聖書絵本シリーズ4 カナのけっこんしき 日本聖書協会 杉田 幸子 日本聖書協会 23 みんなの聖書絵本シリーズ3 アブラハムものがたり

5 教科書 p.25 資料5から、聖徳太子が政治の理想としていたことについて 40 字程度でまとめましょう。. 6 教科書

<単元> 2‐② 天皇中心の国づくり

第三編第一章では、天喜2年(

両手首より先など細部に小材を矧ぐ。正徳寺(柳津町)の聖徳太子立像は像高が78・2㎝で、浄教