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萩藩江戸屋敷裏御殿と長局の変遷

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(1)

The Spatial Compositon and its Transformation of “Nagatsubone” Hagi Clan’s Edo Estate

高屋麻里子

Mariko TAKAYA

萩藩江戸屋敷裏御殿と長局の変遷

(2)

 萩藩毛利家の記録は主に毛利家文庫として山口 県文書館に所蔵され近世初頭から幕末までの屋敷 の建設に関わる作事記録ならびに屋敷絵図などが 含まれることから、通事的な分析を可能とする史 料として知られる。これまでに主に接客空間に着 目することで屋敷の平面構成の変化が裏(奥)御 殿に顕著に現れることを指摘してきた。本稿では 接客空間に対してサービス空間に相当する長局に 着目し屋敷の主に裏御殿と長局の関係をとらえる ことを試みる。

 萩藩江戸上屋敷、中屋敷、下屋敷の絵図から13 点について裏御殿長局周辺の平面構成と設備の検 討を行った。また、それぞれの絵図から平面図を 起こし設備の配置を示した。年代により平面構成 に変化が認められるほか、長局の区画毎に専用の 設備が整備される傾向から萩藩江戸屋敷の長局は 4つの時期に分類できることを示した。中屋敷と 下屋敷は検討した事例が限られているが上屋敷の 変遷にほぼ従うと考えられた。

 対象を上屋敷に限り、裏御殿との関係を検討す ることとした。表御殿式台、裏御殿式台、表御殿 書院の変遷からは、それぞれの変化が認められる 時期が必ずしも一致せず、裏御殿式台がより変化 に富むことを示してきた。長局の変遷と比較した ことで式台に限らず裏御殿は表御殿よりも多様な 変化が認められるほか、変化の時期が幕末まで継 続していることをとらえることができた。

 屋敷と長局のうち、変化をよく示す時期の絵図 から適当な事例を3点選び、具体的な空間を比較 する目的で一部の区画について3D-CGによる模式 図を作製した。模式図の比較からは、年代を経る に従い長局の区画の平面が複雑になり、規模が拡 大する傾向が認められるほか、江戸初期の段階か ら独立性の高い区画が整備されていた様子がうか がえた。特に区画毎に専用の便所や風呂・湯殿、

物置などの設備が整備されている。

 縮尺を揃えた表示で年代の異なる長局を比較し たことから、文政11〜12年に徳川家斉娘の和姫の 入輿に伴う屋敷の長局が特に複雑かつ規模の大き い空間であることが把握できた。

 また、裏御殿のなかで長局は主に台所のみと接 続する傾向にある。江戸初期では風呂・湯殿など の設備が表御殿とも共用と考えられる配置であっ たものが、年代を経るに従い長局専用の共用設備 から区画毎の専用の設備が整備されたことが長局 の裏御殿内での独立性の向上に寄与したと推測で

きる。長局と裏御殿の他の部分へは、台所または 台所周辺を経由する導線が整備されており、導線 の軸と考えられる台所の位置付けを検討する必要 がありそうだ。

 長局は接客空間に対してサービス空間に相当す る部分ではあるが、年代により変化に富む豊かな 空間が発達したと考えられる。

●抄録

(3)

017

 江戸大名屋敷の奥御殿は女性のための閉鎖的な 空間であったことが強調される

1

。江戸城におけ る大奥は三田村鳶魚『御殿女中』

2

をはじめとして

『千代田城大奥』

3

などの多様な記録が知られてき たが、必ずしも建築に限るものではなく主に幕末 の習俗に関わる部分が多い内容であり通時的な変 化をとらえることは難しいようである。

 萩藩毛利家の記録は主に毛利家文庫として山口 県文書館に所蔵され近世初頭から幕末までの屋敷 の建設に関わる作事記録ならびに屋敷絵図などが 含まれることから、通事的な分析を可能とする史 料として知られる。なお、萩藩の記録では奥御殿 を裏御殿と表記していることから、本稿では裏御 殿の名称を用いる。萩藩江戸屋敷の記録からは大 名屋敷での裏御殿が独立した門と玄関を備え接客 空間として整備されてきたことがうかがえるが、

これまでに主に接客空間に着目することで屋敷の 平面構成の変化が裏御殿に顕著に現れることを指 摘してきた

4

。また、井戸などの建築設備の整備 と屋敷の建設計画が密接に関係する知見を得てき た

5

 本稿では接客空間に対してサービス空間に相当 する長局に着目し、屋敷の主に裏御殿と長局の関 係をとらえることを試みる。

 萩藩江戸上屋敷を主として、中屋敷、下屋敷を 含む13点の絵図から長局周辺の平面を比較した。

平面はおおきくI字型とL字型が認められるほか、

便所や風呂といった設備の配置に変化がみられる。

長局からの廊下が接続する先はおおむね台所であ るが、廊下の数などに違いが認められる。そこで、

長局からの接続先、配置(棟数)、二階の有無と いった建物の構成と、便所、風呂・湯殿

6

、カマド、

流しなどの設備の状態について着目した内容を表 1にまとめ、長局周辺の平面と設備の配置を図1 に示す

7

 このうち絵図jは徳川家斉娘和姫の入輿に際し て建設されたと考えられる屋敷「和姫住居」を描 く内容である。和姫住居に関しては計画段階から の記録に伴う絵図に、絵図kとして挙げた長局の

絵図が含まれている。絵図jには長局部分に寸法 の記載はみられないが、絵図kには寸法の記載が みられることから作図に際して参照した

8

。  平面配置からは、L字型に配置されていた長局 が明暦2年の絵図ではI字型に変化し、棟の数も 増加していることがわかる。安永ごろの絵図g以 降 は ふ た た び L 字 型 に 変 化 し て お り、 文 化9

(1812)年の絵図iまで継続する。また絵図gでは 長局に二階が設けられる変化が認められる。

 裏御殿との関係や導線に関わる指標として着目 した周辺と長局廊下の接続は、絵図c、絵図gが 台所以外への複数の接続を備えるほかは、おおむ ね台所または台所周辺へ接続が限られている様子 がうかがえる。

 設備の全てを比較することは絵図の記載内容は 一定ではないため難しいが、便所やカマドは比較 的早い段階から区画毎に整備されていたようであ る。便所は区画毎と共用とみられる集中した配置 が併存する絵図も認められる。ただし、カマドは 記載されない絵図もあり、不明な部分が多い。

 風呂・湯殿は絵図aから絵図dまで表御殿と共 用の一ヶ所のみが示されている状態が継続してい る。寛延年間以降の絵図eで長局に明確に複数の 風呂・湯殿が描かれており、共用ではあるが長局 専用の風呂・湯殿が普及したことがうかがわれる。

区画毎の風呂・湯殿の整備は、対象とした絵図で は下屋敷の事例が先行しており明和年間(1764−

1772)の絵図fに現れる。絵図fでは便所と湯殿、

物置が区画毎に廊下を挟んで整備されており、同 様の整備は文政11から12年の絵図j、kにも認め られる。絵図g、絵図hでは便所以外は表記を伴 わないため不明瞭ではあるが部屋の配置からはや はり便所と物置などが区画毎に廊下を挟んで整備 されていると考えられる。幕末までの様子を示す と考えられる絵図l、mでは独立した物置の棟が 長局に並行して描かれていることから、区画毎に 設備を設ける傾向は継続したと推測できる。

 流しは絵図fなどで「水遣場」と表記される。

板の間に排水溝を伴う表現であり、絵図cや絵図 gでは井戸からの配水を示す表現がみられる。絵 図j、kではカマドと並び一畳ほどの流しが区画 毎に描かれており、区画毎に独立した設備を設け ていることがうかがわれる。一部の絵図では位置 が不明であるが、長局周辺に設けられるほか、絵 図a、絵図bなどでは台所の流しを共用している と考えられる。区画毎にも整備されるとしても、

1.はじめに

2.萩藩江戸屋敷の長局

(4)

 上、中、下屋敷の長局を平面配置と設備の整備 に着目することで比較したところ、おおむね上屋 敷の変遷に基づくと考えられる。まずは対象を上 屋敷に絞り、屋敷の他の部分の変化との関係を比 較してみたい。

 前章で述べたとおり、平面と設備の整備に着目 して比較したところ、上屋敷長局はおおまかに① 元和7 (1621)年の絵図aでL字型の平面、②明暦 2 (1656)年の絵図bから寛延年間以降の絵図eま 共用の流しは幕末まで継続していたとみることが

できそうである。

 中屋敷、下屋敷の長局は限られた事例であるが、

対応する年代の上屋敷長局と比較すると年代に応 じた変化が反映されていると考えられる。中屋敷

(絵図d)では前後の年代の上屋敷長局と比較する と規模は小さいがI字型の配置や風呂などの設備 が共用とされていると考えられる様子が対応して いる。しかし下屋敷(絵図f)では便所や湯殿な どの設備を個々の区画毎に設けており、以降の年 代の上屋敷長局の設備配置と類似していると考え られる

9

表1 萩藩江戸屋敷絵図の主な長局と構成の比較

3.萩藩江戸上屋敷と長局の変遷の関係

絵図記号 絵図名称 年代 屋敷区分 接続先

(廊下数) 配置

(棟数) 二階 便所 風呂・

湯殿 カマド 流し

a

毛利家文庫58絵図−510

「江戸御屋敷図」

元和7

(1621)年 上屋敷 台所周辺⑴ L字型 無 不明 共用 不明 不明

b

毛利家文庫58絵図−480

「江戸上御屋敷極リ之惣指図」

明暦2

(1656)年 上屋敷 台所⑵ I字型⑶ 無 共用 個別

(共用) 不明 不明

c

益田家文書(寄託分R−5)

「桜田御屋敷之図

元文3

(1738)年 上屋敷 台所・その

他(複数) I字型⑵ 無 個別 共用 個別 共用

d

毛利家文庫58絵図−486

「御中屋敷指図」

宝暦年間

(1751

1764) 中屋敷 台所周辺⑴ I字型⑴ 無 個別 共用 個別 共用

e

毛利家文庫58絵図−487

「桜田御屋敷差図」

寛延年間以降 上屋敷 台所・その

他(複数) I字型⑵ 無 共用 共用

(複数) 不明 共用

f

毛利家文庫58絵図−501

「麻布御殿差図」

明和年間

(1764

1772) 下屋敷 台所周辺⑴ コ字型 無 個別 個別 共用

(複数) 共用

g

毛利家文庫58絵図−485

「江戸桜田御上屋敷 新御作 事御指図」

安永年間以降

(安永9年ごろ) 上屋敷 台所⑴

台所周辺⑴ L字型 有 個別

共用 個別 個別 共用

h

毛利家文庫58絵図−481

「江戸桜田御上屋敷図」

寛政8

(1796)年 上屋敷 台所⑴ L字型⑵ 有 個別 共用

(複数) 不明 共用

i

毛利家文庫58絵図−483

「江戸桜田御上屋敷」[御表・

御裏・新御部屋]指図」

(1812)年 文化9 上屋敷 台所周辺⑴ L字型⑵ 有 不明 共用 不明 共用

j

毛利家文庫58絵図−491

「江戸桜田御上屋敷」

文政11

12

(1828

1829)年 上屋敷

和姫住居 台所⑴ その他⑴

I字型⑶ 有 個別 個別 個別 個別 k

毛利家文庫8館邸−28

「和姫様御住居諸沙汰書(文 政十一〜十二)」

文政11−12

(1828

1829)年

和姫住居

上屋敷

長局

l

毛利家文庫58絵図−486

江戸桜田御屋敷差図」

嘉永4(1851)年写

(1851)年写 嘉永4

上屋敷 台所周辺⑴ I字型⑵ 不明 不明 共用

不明

不明 m

毛利家文庫58絵図−490

「江戸桜田御屋敷差図」/添 屋敷、上屋敷、新御門廻建 屋

文久2(1862)年写」

(1862)年写 文久2

絵図l、mは同内容。

(5)

019 図1  萩藩江戸屋敷の長局と設備

   各図の下側が裏御殿式台方向となるよう揃えて配置している

(6)

致しないが長局も変化が継続することから、屋敷 のなかで裏御殿が新しい形態を受け入れる部分で あったと推測できる。

 表2に示した変化の全てが一致する時期の特定 は難しいが、長局の変化している時期を基準にと らえると絵図a、絵図b、絵図gが変化した内容 をよく示すと考えられる。また、絵図jは他の絵 図と比較して非常に規模の大きい長局を備えるだ けでなく、記録

11

から長局を含む和姫住居の平面 計画に江戸城からの指示が認められるなど特に際 立った長局であるといえよう。絵図l、mも幕末 まで継続すると考えられることから変化をよく表 す事例であろう。

 屋敷内の部分的な変化の比較から絵図a、絵図 b、絵図g、絵図j、絵図lが主要な変化を反映 している時期と考えられる。大名江戸屋敷の空間 が復元的に描かれた成果は数多く知られているが

12

、長局だけを3D-CGにより模式的に示し通時的 な変化を捉えることを試みたい。

 主要な絵図としたなかで絵図aは長局に「たい のや」の表記がみられ、近世以前の屋敷の構成を 継承する可能性が指摘されている。主に大小の二 部屋からなるほぼ同規格の区画が連続しており他 の長局に比較して単調な構成と考えられる。また、

長局部分には部屋境界、名称、柱のほかは建具な どの記載もみられない。絵図bは「対ノ屋」の貼 でI字型平面、③安永年間(安永9年ごろ)の絵図

gから文化9 (1812)年の絵図iまでの二階の発達 とL字型平面、便所などの設備の区画毎の整備、

④文政11〜12 (1828〜1829)年絵図jの和姫住居、

⑤絵図lにみられる嘉永4 (1851)年ごろから幕末 までのI字型平面と区画毎に独立した設備を備え る状態、5つの時期に分類できる。

 これまでに萩藩江戸上屋敷については表御殿式 台、裏御殿式台、表御殿書院に着目して変遷過程 を比較してきた。表御殿式台は元和と明暦の間、

元文年間、寛延年間以降にそれぞれ変化が認めら れることから4つの時期に分類している。裏御殿 式台は明暦2年、元文年間、寛政8年、文政11〜12 年、以降文久2年ごろまでの変化を認めており6 つの時期に分離できる。表御殿書院は元文年間、

寛延年間以降に変化がみられ、3つの時期に分類 してきた

10

。上屋敷の長局の変遷を合わせて変化 が認められる絵図と内容を表2に示す。

 絵図の年代を手掛りとすると、表御殿式台、裏 御殿式台が変化する時期は必ずしも一致しない。

しかし、表御殿式台と表御殿書院はほぼ同時期に 変化が認められるほか、絵図cの元文3 (1738)年、

安永年間(安永9年か)の絵図gと変化の時期が一 致している。絵図g以降は表御殿式台と表御殿書 院に大きな変化は認められない。一方で裏御殿式 台の変化は安永年間以降幕末まで何度か継続して おり、長局もまた幕末まで変化がみられる。変化 が幕末まで継続する傾向は裏御殿式台に限るもの ではなく、裏御殿全体に共通する傾向ととらえる ことができそうである。変化の時期は必ずしも一

表2  萩藩江戸上屋敷式台と表御殿書院ならびに長局の変遷

絵図記号は表1と対応。「↓」は継続を表す。

絵図記号 年  代 変化の内容

表御殿式台 裏御殿式台 表御殿書院 長局

a 元和7 (1621)年 当侍 無し 広間 ①L字型平面

b 明暦2 (1656)年

伺候の間式台

式台 ↓ ②I字型平面 c 元文3 (1738)年

靭ノ間の成立連続する三室

床の発達 書院 ↓

e 寛延年間以降 伺候の間 ↓ 上段の発達 ↓

g 安永年間以降

(安永9(1750)年ごろ)

↓ ↓ ↓

③二階の発達L字型平面 設備個別化

h 寛政8 (1796)年 ↓ 出伺ノ間

坪庭 ↓ ↓

i 文化9 (1812)年 ↓ ↓ ↓ ↓

j 文政11−12

(1828−1829)年 −

上使ノ間使者ノ間

I字型平面三棟④総二階 設備個別化

l 嘉永4 (1851)年写 ↓

出伺ノ間坪庭

↓ ⑤I字型平面

4.主な長局の空間の模式化と比較

(7)

021

る。

 隣接する二区画のうち、図の左側を一階のみ、

右側を二階まで示している。

 最後に、絵図jは「一の側」の端に位置する区 画を対象とした。絵図jは部屋境界、名称、柱、

階段などに加えて部分的にではあるが建具の配置 など詳細な表記がみられる。板の間に排水溝を伴 う部分は流しか風呂と考えられる。絵図は一部が 着彩されているが当該部分には着彩がみられない ことや、二階も切抜かれていることから、上階に 床がなく屋根も架けられていない吹き抜けと判断 した。吹き抜け部分を一階と二階を合わせて表示 する目的で、絵図g同様、隣接する区画のうち一 方を一階のみ、他方を二階まで示している。風呂 は廊下を挟んだ向かいに便所、物置などと並んで

「風呂屋」の表記がみられる。「風呂屋」は板の間 に配水溝を伴う表現であり、吹き抜け部分と共通 している。吹き抜け部分も風呂と考えてよさそう であるが、ここでは保留しておく

13

。二階は吹き 抜けに面した一面に建具の表記と、別の面に出窓 と考えられる表現がみられる。外壁に面しては出 窓と格子窓と考えられる表現がみられるが内部が 覆われるため省略している。記録には模式図に示 した区画には二名の記載がみられることから、一 階二階と合わせて一区画を二名で使用していたも のであろう。廊下を挟む便所や物置などは便所の 引戸以外に建具や壁を判別できる手掛りに乏しい ため、この部分は平面を示すに留めている。

 図2に示す長局模式図は、いずれも高さなどの 寸法は絵図に記載はなく概略を示すにすぎないが 紙がみられる単調な区画の二棟の間に「御上ろう

衆」 「御年寄衆」などの貼紙がみられる棟が位置す る三棟から構成されている。中央の棟は複数の部 屋から構成された区画が並び、各区画専用の便所 もみられる。絵図gは二階を伴い各区画は複数の 部屋を備えるほか区画毎の設備も整備されている。

絵図jは二階を備え区画毎の設備もいっそう複雑 に整備されているほか、建具の表記もみられ、区 画内に吹き抜けと考えられる空間を備えている。

絵図lは区画の設備などはよく整備されていると 考えられるが縮尺の問題もあり絵図の表現が簡素 で細部は不明な部分が多く長局も比較的規模が小 さい。

 主要な長局の特徴や絵図の内容から適当と判断 できる絵図b、絵図g、絵図jを対象として、部 分的な3D-CGによる模式図を作成し空間を比較し たい。図2にそれぞれの長局において特徴的な部 分の3D-CGによる模式図示す。模式化した部分の 周辺の平面図もあわせて示し、部屋名称など絵図 に示された記録の一部を書込んでいる。

 まず、絵図bからは中央の棟の一区画を対象と した。絵図bでは部屋境界と名称、規模、柱など の表記はみられるが建具などは不明であることか ら多くは推定による。次に絵図gからは専用とみ られる湯殿を備えた区画を対象とした。絵図gは 部屋境界、名称、規模は表記されている。しかし 柱などの表記はみられず建具もやはり不明である ことから推定の部分が多い。ただし階段の段を示 すと考えられる表現が伴っており、二階部分とも 対応することから階段位置はとらえることができ

図2  萩藩上屋敷の主要な長局の3D-CGによる部分的な模式図。絵図b、絵図g、絵図jを対象としている。

(8)

て接続する形態となり、接続は一ヶ所に限られる 傾向がみられる。とりわけ絵図gには長局からの み接続する共用の風呂・湯殿が整備されており、

長局が積極的に周辺から独立していく傾向をみる ことができる。長局だけとの関係で論じることは 早計であるが、台所が裏御殿の導線の軸として機 能していた可能性が推測できる。絵図c、絵図e の平面構成の検討とともに、今後の課題である。

 長局は江戸初期から独立性の高い区画が整備さ れており、幕末まで変化が継続していることを捉 えることができた。接客空間に対してサービス空 間に相当する部分ではあるが年代により変化に富 む豊かな空間が発達していたと考えられる。

謝辞

 史料を所蔵する山口県文書館には史料調査に関 してご助力をいただきました。藤川昌樹先生なら びに作事記録を読む会のみなさまには釈文や調査 史料利用などご助力いただきました。記して深く 感謝いたします。

1 内藤昌『江戸図屏風別冊 江戸の都市と空間』毎日新聞社、

1972.12。江戸城本丸御殿大奥に関する一連の研究は服部佐智 子・篠野志郎「江戸城本丸御殿大奥御殿向における殿舎構成 の変遷と空間構成について」『日本建築学会計画系論文集641 号』pp.1631-1640、日本建築学会、2009.7 ほか。また、大名居 館の奥向きの事例については、藤原恵子・永井康雄・飯淵康一・

岡田悟「近世大名居館の奥向き殿舎の構成について−庄内藩を 事例として−」『日本建築学会東北支部研究報告集 計画系』

pp175-182、日本建築学会、2005.6など。

2 三田村鳶魚『御殿女中』青蛙房、1971

3 永島今四郎、太田贇雄『千代田城大奥 上・下』岡崎屋書店、

1900

4 参考文献1 高屋麻里子「萩藩江戸屋敷の空間構成の変遷」

5 参考文献1 高屋麻里子「萩藩江戸上屋敷作事における建具 と井戸の整備」

6 絵図により「風呂」「風呂屋」「湯殿」など表記が異なる。異 なる設備を指す可能性も考えられるが、風呂・湯殿としてま とめた。

7 参考文献1より「附録絵図」、山口県編『山口県史 史料編近 世2』2005「付録 萩藩江戸上屋敷絵図」を参照している。ほ かに毛利家文庫所蔵の史料に関しては「江戸藩邸作事におけ る建設マネジメント手法に関する文理統合的研究」(科研費・

基盤研究B、課題番号20360285 研究代表者・藤川昌樹)なら びに「江戸武家地の空間変容に関する文理統合的研究」(科研 費・基盤研究B、課題番号24360255 研究代表者・藤川昌樹)

による山口県文書館での調査成果を用いている。毛利家文庫 は山口県文書館所蔵。益田家文書は東京大学史料編纂所寄託。

絵図の年代は参考文献2より宮崎勝美「萩藩江戸屋敷の作事 記録と絵図」を参照している。

8 毛利家文庫8 館邸−28 「和姫様御住居諸沙汰書(文政十一〜

十二)」による。記録には各部屋に配置される女中の名前と考 えられる記載があり、長局の絵図も配置される名前が異なる

おおまかな縮尺を揃えている。年代が新しくなる ほど一区画の規模が拡大し平面も複雑化している ことや、絵図jの一区画が他の長局と比較して複 雑かつ規模の大きいことが把握できる。

 しかし、風呂などの設備が共用である点を除け ば明暦2年の絵図bの段階で長局の区画の一部は 複数の部屋で構成された空間が整備されており、

専用の便所を伴うなど独立性の高い仕様が成立し ていたことがうかがえる。安永年間以降の絵図g では二階の普及が大きな変化であり、一部の区画 ではあるが風呂・湯殿も専用の設備を備える区画 が設けられ一層の独立性が認められる。絵図から 読み取れる範囲では階段の傾斜が急である。年代 の近い絵図hなどでは階段に相当する部分に「ハ シゴ」の表記も用いられており、同様に傾斜の急 な設備が用いられていたことが推測できる。二階 の部屋配置は一階に比較すると単純であり、二階 は十分に発達していないとも考えられる。

 絵図jも二階を伴うことが特徴ではあるが、絵 図の表現から階段の傾斜は絵図gなどに比較して 緩やかになっていることが推測できる。また、一 階からの吹き抜けと考えられる空間や一階と同様 に複数の部屋から構成される平面となるなど二階 が非常に発達していることがうかがえる。一階の 平面も廊下に面した部屋からカマドと流しを備え た板の間まで部屋の用途が示された部分もみられ る。記録の詳細であることからも絵図jの長局の 仕様が特別であると考えられる。

 いくつかの規格が揃えられた区画が並ぶ建物の 事例としては姫路城西の丸多門や長府毛利家長屋 などが類似すると考えられる。絵図lの部屋名称 には「多門」の表記もみられることから城郭の建 物との比較も試みるべきであろう。また絵図jな ど萩藩以外の屋敷からの影響が推測できる事例で は他の奥御殿などとの比較も必要と考えられる。

 長局は裏御殿台所または台所とおおむね一ヶ所 で接続しているが、複数の接続先が設けられてい た時期は区画毎の設備の整備が進んだと考えられ る絵図cの時期である。絵図eの時期まで長局は 台所以外の部分とも接続しているが、絵図g以降 は再び長局内は複数の廊下を用いていたとしても 裏御殿の他の部分とは台所または台所周辺を介し

4.まとめ

(9)

023 ものが複数認められる。また廊下の形状などは絵図jと一部

異なる。

9 下屋敷の長局は他の絵図と異なり長局部分は一間の寸法が周 辺の建物と比較して小さい仕様である。絵図には部屋の規模 が表記されているが、同じ畳数であっても周辺建物の部屋よ り規模が小さくなる。この問題はあらためて検討する必要が ある。

10 註4に同じ。

11 註4に前掲の毛利家文庫8館邸−28 「和姫様御住居諸沙汰書(文 政十一〜十二)」による。

12 平井聖「毛利家上屋敷」『図説江戸2 大名と旗本の暮らし』

平井聖監修、学習研究社、2000など。

13 図1では仮に流しとして示している。

参考文献(刊行年順)

1 作事記録研究会編『萩藩江戸屋敷作事記録』中央公論美術出版 社、2012。

2 作事記録研究会編『大名江戸屋敷の建設と近世社会』中央公論 美術出版社、2013。

参照

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