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近代朝鮮における植民地支配と唱歌教育 [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)近代朝鮮における植民地支配と唱歌教育 キーワード:近代教育、朝鮮植民地、唱歌教育 人間環境学研究科 高 仁淑 1.研究の対象 本論文の主題である近代朝鮮における植民地支配と唱歌. 0年代以降朝鮮民衆の間に流布していた「唱歌(チャンガ) 」 を圧迫するその浸透過程を実証的に分析した。. 教育は、これまで近代教育の観点からも、またその歴史的 研究の観点からも見過ごされていた課題である。本論文は、. 本論文は、唱歌教育を通じた朝鮮人の同化∼皇民化が進. 植民地期の文化政策の一つであった唱歌教育を、音楽によ. 展した過程を「植音化」として追究した。植民地支配者側. る精神的な支配として把握し、その移植の過程を明らかに. によって描かれた人間像はどのようなものであるのかを、. した。. その政策が反映され植民地期朝鮮の教育現場で使われた教. 本論文は、統監府の設置によって韓国が事実上半植民地. 科書をとおして浮き彫りにした。また、日本の植民地支配. 化された1906年からを植民地期として対象時期とし、. 権力の下で、被支配者側はどのように対応し、西洋音楽に. 旧韓末期(1906∼1910年) 、 「武断政治」期(19. 学びながらも、いかに民族音楽を築いていこうとしたのか. 10∼1922年) 、 「文化政治」期(1922∼1938. も分析した。. 年) 、 「皇国臣民化」期(1938∼1945年)の4期に. 学校教育における「植音化」が朝鮮の人々にとって不可. 時期区分して把握している。この時期区分は一般政治史の. 避であったとすれば、学校外における民族音楽運動は、そ. 区分と若干時期がずれるが、それは教育政策分析として教. のアンチテーゼとして展開された。そして、それによって. 育令およびそれに伴う教科書の分析を行なうために、教育. 朝鮮音楽の、ひいては朝鮮人自体の民族性が保持されるこ. 令の変遷を時期区分としているからである。この間に朝鮮. とをえたのである。. 総督府が初等学校用教材として編纂した唱歌教科書21冊. 本論文の意義は、このように音楽をめぐる朝鮮の近代を. を軸に、各期ごとに唱歌書を取り上げて音楽的な要素など、. 学校の内外、朝鮮半島の内外を合わせてトータルに把握し. その構造や内容を分析することによって、日本の教科書の. ようとしたところにもある。. 影響や唱歌教科書の推移などを明らかにした。 3.本論文の構成 2.本論文の主題である唱歌、 「植音化」とは. 本論文は1部と2部に分けて構成した。すなわち第1部. 本論文で取り上げる唱歌とは、近代学校教育の教科とし. は唱歌教育における植民地教育政策と被教育者の対応を明. て西洋から日本に導入された教科の一つである。日本の学. らかにする第1章から第4章であり、第2部は、唱歌教育. 校教育の中に取り入れられた学校唱歌は、ほぼそのまま植. の韓国音楽への影響を明らかにする第5章、第6章および. 民地期朝鮮の学校教育に持ち込まれ、唱歌教育が朝鮮に普. 補編である。. 及することとなった。 朝鮮(旧韓国)には1880年代以降、西洋音楽が流入. 第1∼4章においては、開化期の新教育と西洋音楽の導 入に始まり、統監府期にかけて盛んに行なわれていた音楽. し、賛美歌や西洋民謡などが朝鮮語で歌われるようになっ. 教育がどのように衰退していったかの状況を概観し、. ていた。また、日露戦争後、日本が韓国を保護国とし、統. 1.ミッション・スクールにおける音楽教育. 監府による間接統治を行なうようになると、韓国民衆の間. 2.日本の植民地統治と唱歌教育の影響. には多くの反日愛国の歌、独立運動歌などが生まれた。こ. 3.韓国の伝統音楽の影響. のような韓国側の歌を総称して「チャンガ」という。一方、. の三つの流れを考察している。この三つの流れの中で韓国. 統監府主導による「模範教育」の一環として、韓国の官公. 音楽に最も影響を与えてきた日本の植民地統治を、日本に. 立学校に「唱歌」科が導入された。これは日本の学校唱歌. おける唱歌教育との対照の中で検討し、韓国の音楽がどの. に範を採ったものであったが、併合後の植民地朝鮮では文. ように変容してきたのか、その過程を実証的に明らかにし. 字どおり日本唱歌の日本語による移植が図られたのである。. ている。. 本論文においては日本の「唱歌(しょうか) 」が、188. 第5∼6章および補編は、民族音楽(要素)の転生につ.

(2) いて、植民地期に活躍したキーパーソンを定めて把握して. の植民地朝鮮の例から、音楽のイデオロギー流布の手段と. いる。同時に、植民地の子どもたちはどのように異文化で. しての「実験」が植民地の唱歌教育においてなされていた. ある唱歌を受け入れ、関わっていたのかについて、子ども. ということができる。. たちが置かれていた当時の状況の中での生き方や学び方に 着目し明らかにした。このように意識・無意識に関わって. 一方、植民地期朝鮮における反植民地運動は、朝鮮内に. くる唱歌の様相と原因を掘り起こし、日本的な情緒に同化. とどまらず、中国東北部、あるいは米州へと地域的なひろ. する過程を歴史的社会的状況の中で分析し、音楽教育にお. がりをもってなされていた。そしてその動きの中にも唱歌. ける異文化変容を検証している。. が作用している。本論文は、海外の民族運動、中国東北地 域朝鮮人学校におけるチャンガ(唱歌)運動にも注目して. 日本の唱歌教育を担う音楽取調掛(後の東京音楽学校). いる。具体的には、旧韓末から 1914 年まで韓国内外で広く. を設立した目賀田種太郎・伊沢修二らは、その音楽取調掛. 歌われ、1914 年押収処分された唱歌集である光成中学校『最. 出身者を韓国顧問政治下の音楽教師として任命、唱歌教育. 新唱歌集』の成立と弾圧を明らかにした。. 施設の整備と唱歌教科書の編纂作業に乗り出し、唱歌教育. 学校を拠点としたチャンガ運動は植民地支配権力の弾圧. の実施を急いだ。それは、それまでの支配側の唱歌教育政. によって幕を閉じたが、その精神は受け継がれた。チャン. 策が、私立学校などのチャンガ(唱歌)教育を政治的なイ. ガは、新しい表現手段として民族受難期の民族独立精神と. デオロギーとしてのみ捉え、単に弾圧する政策にほかなら. 祖国独立運動を鼓吹していくが、伝統的な形式や音律を軸. なかったのに対し、日本自らの唱歌教育を施す基盤を構築. に新しい音の形式を取り入れながら歌唱されてきた民衆の. することを意味する。. 歌である。亡命民族指導者による救国教育運動にとって、. その政策が反映された教科書が学部編纂の『普通教育唱. 民族意識鼓吹のためのチャンガは欠かせないものであった。. 歌集 第一輯』であり、その唱歌教科書の刊行以来、それ までの韓国の伝統音楽から受け継がれた伝統的な音楽要素. 近代西洋音楽教育機関として出発した正楽伝習所では、. が崩れ破壊されるようになった。伝統的な音楽要素から離. 韓国洋楽の先駆者金仁湜が洪蘭坡(洪永厚) 、李尚俊などの. れた異質な音楽要素が移植された過程、すなわち旋律やリ. 音楽人材を育て、専門的な音楽教育をとおして、日本の唱. ズムなど音楽の骨組みが入れ替えられたことが「植音化」. 歌の影響を受けながらも伝統的な韓国音楽の伝承を保とう. である。. とした。このような民族音楽運動の流れは、1920 年代に東. 旋律においては和洋折衷「ヨナヌキ音階」の普及であり、. 京に留学していた朝鮮人留学生たちが組織した「セクトン. リズムにおいては2拍子系の2/4拍子、4/4拍子など. 会」の芸術運動につながり、彼らは雑誌『オリニ』を発刊. の定型的なリズムパターン、そしてピョンコ節といわれる. し、植民地下の子どもの芸術文化を花咲かせた。そのメン. 日本的な情緒を帯びた音楽的要素などである。このような. バーの一人である尹克栄は、 《パンダル(半月) 》など数多. 移植された音楽に圧倒され、韓国伝統音楽を支えるチャン. くの名曲を残し、韓国創作童謡を積極的に創作・普及する. ダンなどの3拍子系の分割リズムが少なくなってしまった。. 活動を展開した。. 同様に音階において「ヨナヌキ音階」の音の組織が定着し. また、洪蘭坡の芸術歌曲の中で大きな意味を持つ《鳳仙. たことは韓国の既存音楽の排除、あるいはその弱体化を引. 花》を取り上げ、彼の作品を植民地遺産の中で捉えなおし、. き起こす要因になったと考えられる。. その明暗を再検討した。結論的にいえば、民族の時代精神. 国家権力による教育令が布告されるたびに、その教育政. を隠喩的に表現した《鳳仙花》の情緒的反応は、絶え間な. 策が反映した韓国学部・朝鮮総督府編纂の初等学校用教材. く、言葉で表せない(歌の)旋律の力にのせたメッセージ. が作成された。本論文においては、その植民地期の唱歌書. となって人々の心に鳴り響いたのである。. について、その音楽的な要素の構造や内容を分析すること で、音楽の特性を用いて意図的に描かれた人間像などを明 らかにした。. 植民地期の朝鮮における大衆文化は、日本の絶対的な影 響の下に置かれ、屈折した様相を示していた。大衆歌謡の. 音楽のイデオロギー流布の手段として、本国ではなされ. 形成は 1920 年代とみられるが、初期の流行歌は、唱歌との. ていない「実験」的な試みがなされていたりする。一つの. 境界が曖昧なまま、日本の新劇運動の流れの中から生まれ. 例が『みくにのうた』であるといえる。 『みくにのうた』と. た。. は、1939年に発刊され、植民地期朝鮮で儀式歌のみを 唱歌書から別冊にして公共の場で歌わせたものである。こ. 大陸に普及した日本風の流行歌は、朝鮮半島を出発点に、 中央アジアに至るまでその影響を残している。植民地期の.

(3) 日本の文化が暮らしの中に残っているのは、無形である音. 本論文の意義は、総督府初期の弾圧事件を招いた私立学. を媒介に人々の情緒が支配されていた植民地現象の一例で. 校の唱歌教科書と朝鮮総督府作成の唱歌教科書の内容を対. ある。. 比させ、音楽の統制を通した精神的な植民地支配がどのよ. この時期の大衆歌謡創作者と歌い手、そしてそれを享受. うに浸透して行ったのかを明らかにするとともに、私立学. する消費者は、音楽のジャンルにはこだわらず、大衆歌謡. 校弾圧政策によって消え去った音楽の歴史を掘り起こして. (流行歌)を新しい音楽として受け入れた。. 近代韓国音楽史の空白を埋めていることにもある。 また日本の唱歌教育の影響の下に置かれた唱歌は、19. 本論文では主に植民地期朝鮮の学校教育に導入された唱. 20年代を転機に童謡、芸術歌曲、大衆音楽などに細分化. 歌の受容過程を、教育政策および教材を検討することを通. されていくが、それぞれのジャンルに分かれる過程を体系. して明らかにしてきたが、補編ではこれまでの研究に引き. 的に把握し、被支配者側の民族音楽運動の流れが把握でき. 続き、主に日本植民地期の教育を受けた人を対象に行なっ. たことも意義あることだと考えている。. たアンケートおよびインタビューをもとに当時の唱歌教育. 方法として、文献研究を行なった上で、さらにアンケー. の内容を把握・分析し、唱歌科教育のすがたを実証的に検. トやインタビュー調査をとおしてその内容を裏付けたこと. 証した。. も、本論文の意義であると考えている。. 例えば、初等学校就学期に全世代を通してよく歌われた 唱歌は、朝鮮総督府編纂『新編唱歌集』に収録された《モ モタロウ》と《春がきた》であり、よく歌われた歌の世代. そして、韓国の伝統音楽の要素であるチャンダンなどの リズムや旋律の変化など音楽的な要素も究明した。 このように本論文は、唱歌教育を通じた日本の植民地支. 別の特徴をみると以下のようである。. 配の一側面を詳細に明らかにし、そして、これらの知見を. ①1910 年世代によく歌われた曲は、 《モモタロウ》 《春が来. とおして研究方法の可能性を示唆している。ひいては、日. た》 《ユフヤケコヤケ》 《赤とんぼ》などである。. 韓の近代教育史学研究や植民地教育の全体像理解の一助と. ②1920 年世代は《モモタロウ》 《春が来た》 《ユフヤケコヤ. なると考えている。. ケ》 《赤とんぼ》 《朧月夜》 《海行かば》 《故郷》である。 ③1930 年世代は《モモタロウ》 《春が来た》 《ユフヤケコヤ. 本論文の目次は以下の通りである。. ケ》 《赤とんぼ》 《朧月夜》 《海行かば》 《故郷》 《浜辺の歌》 《この道》 《宵待草》 《我は海の子》 《愛国行進曲》などであ る。 そして使われた唱歌集としては、1910 年世代は『新編唱. 序章 第1部 唱歌教育における植民地教育政策とその対応 第一章 旧韓末期の唱歌教育政策(1906∼1910年). 歌集』と『普通学校唱歌書』であり、1920 年世代は『普通. 第一節 ミッション系教育機関と音楽教育. 学校唱歌書』 、1930 年世代はこれらの唱歌書の他に複数の唱. 第二節 日本の植民地統治の開始と音楽教育. 歌集を用いたことが明らかになった。. 小括. 朝鮮童謡《半月》 《故郷の春》は朝鮮人全員が知っている と回答していて、日本情緒を基調とした学校の唱歌科であ. 第二章 「武断政治」期の唱歌教育政策の展開(第1期 1. りながらも、その教育に子どもたちは主体的に対応してき. 910∼1922年). たと考えられる。子どもたちは学校では禁止されている朝. 第一節 朝鮮総督府初期の音楽教育政策. 鮮の歌を家庭や学校の外で歌い続けることによって、朝鮮. 第二節 中国東北地域朝鮮人学校におけるチャンガ(唱. 人の心の共鳴帯を形成し、民族アイデンティティをもって 成長した一側面がみられる。 このように日本の唱歌の影響の下で民族的情緒を帯びな がら生成・発展してきた植民地期の唱歌教育における異文. 歌)運動 第三節 その他海外における朝鮮人のチャンガ(唱歌) 運動 小括. 化対応の一断面を検討することができた。また、朝鮮総督 府が編纂した唱歌教科書が実際の教育現場でどのように使. 第三章 「文化政治」期の唱歌教育政策(第2期 1922. われていたのか、世代別使用教材の状況などがこの調査を. ∼1938年). とおして明らかになった。. 1 朝鮮総督府の教育政策 2 普通学校の教科用図書. 4.本論文の意義. 3 唱歌科の教育課程.

(4) 4 『普通学校補充唱歌集』の分析 小括 第四章 「皇国臣民化」期の唱歌教科書(第3期 193 8∼1945年) 第一節 国民学校規定公布まで 第二節 国民学校規定公布以後 小括 第2部 唱歌教育の韓国音楽の旋律とリズムへの影響 第五章 韓国の伝統音楽の転生 1 韓国音楽の旋律とリズム 2 正楽伝習所 3 金仁湜の活動 小括 第六章 民族音楽運動の流れ 第一節 「セクトン会」の芸術運動 第二節 創作童謡の発展と尹克栄 第三節 芸術歌曲と洪蘭坡の作品 第四節 大衆音楽の発生 小括 補編 学校教育における唱歌教育の影響 −唱歌教育についての調査をもとに− 1 調査の概要 2 調査結果 3 アンケート内容の分析 4 韓国元老音楽家の答えをもとに 5 日本人元教師インタビューより 小括 終章 付録 重要参考文献 あとがき.

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