博士学位論文審査要旨
申請者:大谷 杏(早稲田大学大学院教育学研究科教育基礎学専攻博士後期課程単位取得満期退学)
都留文科大学文学部比較文化学科(非)講師
論文題目:多文化教育における難民定住施策の研究
-日米の公的教育支援制度を事例として-
申請学位:博士(教育学)
審査員:主査 岩﨑正吾 早稲田大学教育・総合科学学術院特任教授
副査 小林敦子 早稲田大学教育・総合科学学術院教授 博士(教育学)
副査 前田耕司 早稲田大学教育・総合科学学術院教授 博士(教育学)
副査 若松邦弘 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授 Ph D(Politics)
1.本論文の目的と研究方法
本論文の目的は、難民を多文化教育の対象としてとらえ、多文化教育の起源とその展開を探ることに より、そこから得られた視座と知見に依拠しつつ、日米の難民受け入れ制度と定住難民に対する支援政 策の特徴を明らかにし、それら制度・政策が公的教育支援にどのような形で反映されているのかを比較 分析し、難民への公的教育支援制度の課題を明らかにすることである。
世界には約1,000万人(2012年現在)もの難民が存在しているにも拘わらず、これまで多文化教育の 文脈の中で難民について語られることはほとんどなかった。政治的要因や自然災害等により、世界には 新たな難民も生まれており、各国は教育分野を含めた対応をこれまで以上に迫られることは必須である。
本論文は、多文化教育において難民というこれまで顧みられることのなかった対象に焦点を当て、彼ら のおかれた特殊な状況や特徴から、その対応への知見を得ることを目的としている。
以上の目的を達成するため、本論文では課題を、①多文化教育の起源と発展から見た難民支援の意義、
②日米における難民への公的支援、③日米における難民への公的教育支援-多文化教育的視点からの分 析-の3点に集約し、そこから比較検討を試みている。また、研究方法として、文献研究と質的調査で 収集した資料に基づき、比較による分析と多文化教育的視点からの分析を行っている。
文献研究の資料として日本の事例を分析する際に用いているのは、日本国の難民受け入れ関係機関で ある法務省入国管理局、外務省、厚生労働省及び内閣官房から出されている資料、そして日本語施策の 一環として難民への日本語教育支援を行っている文化庁によるデータである。難民教育に関しては、財 団法人アジア福祉教育財団難民事業本部の公表資料、難民定住促進センター資料及び同センターで日本 語教育に携わっていた日本語教師による研究論文等を分析の対象としている。質的調査から得られた資 料としては、2011年8月に在日ラオス人協会(神奈川県愛川町)を、2012年8月には在日カンボジア・
コミュニティ(神奈川県平塚市)を訪問し、2011年3月から2012 年末にかけては、かつて難民として 来日し、定住している6人(ラオス人1人、カンボジア人3人、ベトナム人2人)を訪ね、聞き取りを 行っている。難民を支援する側からの資料としては、相模原市国際交流協会と横浜市立上飯田小学校へ の訪問及び平塚市内と横浜市内の学校への問い合わせから得られた資料が中心となっている。また、2011 年6月~8月の2か月間、NGOかながわ難民定住援助協会(神奈川県大和市)において日本語ボランテ ィアとして参加し、放課後学習教室への参与観察から得られた活動記録を用いている。
他方で、米国の難民定住支援政策に関する文献資料の分析は、難民の連邦政府関係機関である国務省 と国土安全保障省、中でも難民の定住支援に関しては保健福祉省の子ども・家庭管理局内の難民再定住
室(Office of Refugee Resettlement)から出されている資料を中心に行っている。州政府に関する資料と しては、カリフォルニア州社会サービス省の主に概況報告書を用いている。また、ロサンゼルス郡グレ ンデール市を訪問し(2012年9月)、アルメニア救済協会においてソーシャルワーカーと教師へのイン タビュー調査、第二言語としての英語(ESL)クラスでの参与観察、定住難民支援機関のロサンゼルス 国際協会での聞き取り調査を行っている。
これら文献研究と質的調査から収集した資料を、比較教育学の研究方法の一つである弁証法的要因分 析法を参考としつつ考察している。また、本論文では、難民を多文化教育の対象として捉え、多文化教 育の起源とその展開を探ることにより、そこから得られた指標に基づいて、日米両国の難民への公的教 育支援の分析を行っている。第1章で抽出する多文化教育の4つの分析指標(①文化的多様性の認知・
理解、②差別や偏見の軽減・廃止、③社会活動技術の獲得、④基礎学力の獲得)がそれである。
2.本論文の構成
本論文の叙述に当たり、テーマと直接関係する「難民」、「人種」及び「多文化教育」という3つの 用語の背景と意味について明らかにしている。「難民」に関しては、多くの国では1951年に制定された 難民条約による定義が用いられているのに対し、アメリカ合衆国では当該条約を批准していないことか ら、この定義に準拠した独自の定義が採用されており、情勢等の変化による多様な難民発生のケースを 想定して、幅広く解釈されている。生物学的・遺伝学的概念としての「人種」は、現在、非科学的概念 として否定されているが、米国では出身国や社会文化的グループを指すものとして便宜的に使用されて おり、本論文でも調査上のカテゴリーとして用いている。「多文化教育」については、「国際理解教育」
や「異文化間教育」等の類似概念との違いを整理し、Multicultural Educationを大部分の研究者が「多文 化教育」としていることから、「多文化教育」を用いている。本論文は、以下の5章構成である。
序章 問題の所在と研究課題・研究方法 第1節 問題の所在と本研究の意義
1.多文化教育研究と難民
2.東日本大震災と日本における国内避難民の存在 3.世界における難民の現状
第2節 先行研究の検討
1.多文化教育に関する先行研究 2.日本における難民に関する先行研究
3.アメリカに住む難民を教育の側面からとらえた先行研究 第3節 本論文の構成と課題
1.本論文の構成 2.本論文の課題 第4節 研究方法
1.比較による分析 2.文献研究と質的研究
3.多文化教育的視点からの分析 第5節 用語説明
1.難民 2.人種 3.多文化教育
序章のまとめ
第1章 多文化教育の視座と起源 第1節 多文化教育の定義
1.多文化教育とは何か-それぞれの論者による定義 2.教育再生運動としての多文化教育
3.概念(コンセプト)としての多文化教育 4.過程(プロセス)としての多文化教育 5.教育戦略・方法論としての多文化教育 第2節 多文化教育の目標
1.多文化教育の目標-バンクス、ベネット、ニエト/ボードの論から 2.多文化教育の目標分析
第3節 多文化教育の起こりと発展
1.アフリカ系アメリカ人研究とグループ間教育運動 2.公民権運動としての教育闘争
3.公民権運動後の発展
第4節 多文化教育のアプローチの変遷 1.多文化教育のアプローチの年代別変遷
2.それぞれのアプローチに対応したカリキュラム 第1章のまとめ
第2章 日米両国における難民受け入れ政策と受け入れ制度 第1節 日本政府による難民受け入れ政策の変遷と受け入れ制度
1.インドシナ難民受け入れ政策の変遷 2.条約難民の受け入れ制度
3.第三国定住難民の受け入れ制度
第2節 アメリカ合衆国政府による難民受け入れ政策の変遷と受け入れ制度 1.アメリカ合衆国における難民受け入れ法の変遷
2.アメリカ合衆国による難民受け入れ制度 3.アメリカ合衆国による庇護制度
第2章のまとめ
第3章 日米両国における定住難民支援政策 第1節 日本政府による定住難民支援政策
1.日本における難民の定住状況
2.日本政府によるインドシナ難民定住支援 3.現在行われている日本政府による定住難民支援 第2節 アメリカ合衆国政府による定住難民支援政策
1.アメリカ合衆国における定住難民受け入れ状況 2.アメリカ政府による定住難民に対する初期支援 3.アメリカ政府による中長期的定住難民支援 第3章のまとめ
第4章 日米両国における定住難民に対する公的教育支援-制度的側面から-
第1節 日本政府による定住難民教育支援体制 1.現在の定住難民に対する教育的支援
2.インドシナ難民に対する教育的支援
第2節 アメリカ合衆国政府による定住難民教育支援体制 1.現在の定住難民に対する定住初期の教育的支援 2.難民スクール・インパクト・プログラム 第4章のまとめ
第5章 日米両国における難民教育の取り組みと課題
第1節 日本におけるインドシナ難民2世、3世が抱える学習問題と学校・地域の対応 1.学習言語習得に困難を抱える児童
2.保護者が語る自身と子どもの教育に関する問題 3.学校と市民による支援
第2節 アメリカ合衆国における自助組織による定住支援活動-アルメニア救済協会の事例から 1.アルメニア救済協会への調査
2.アメリカ合衆国のアルメニア系移民・難民 3.アルメニア救済協会
4.アルメニア救済協会によるESLクラス-参与観察をとおして 第5章のまとめ
終章
3.各章の概要
序章では、日米における先行研究を、①多文化教育に関する先行研究、②定住難民に関する先行研究、
③日米両国における難民教育研究の3つに分類し、それらの動向分析を行っている。それによると、1980 年代以降開始された日本の研究では、出身国別の多文化教育研究や難民研究は存在するものの、難民に 共通してみられる難民固有の「文化」に着目した多文化教育としての難民研究は存在しないことを明ら かにしている。また、定住難民に関する日本の研究は、主にラオス難民やベトナム難民に対する国家に よる初期支援である日本語教育の研究と難民の子ども達の進学や学校生活に関する研究の2つの方向の 先行研究があることを確認している。これらの先行研究を踏まえて、本論文では、範囲を拡大し、初期 支援に限らない難民に特化した公的教育支援全般に焦点を当て、それらの支援政策が出身国の文化や生 活とどのように結びついているのかを分析すると共に、「難民」という社会的背景をもつ人々を対象と して、彼らの文化的特徴を踏まえた多文化教育の発展を課題として設定している。
米国に住む難民について日本の研究は、アジア系難民を中心として1981年から開始されているが、教 育に関係する論文は1本見出されるだけなのに対して、米国では 1958 年に最初の論文が執筆されて以 降、多くの論文が上梓されている。それらは次の3つに類型化される。①難民への教育政策の変遷に関 するもの、②コミュニティや民間ベースの定住難民の教育支援活動に関するもの、③定住先での生活と 難民の出身国での生活や文化的背景との関連に着目したものである。これらの先行研究は、難民の出身 国の文化や生活を考慮した支援の必要性を示唆しており、本論文では、公的政策の中にそのような難民 の持つ文化的背景や出身国での彼らの生活がどのような形で反映されているのかについて、多文化教育 の視点から検討することを課題として設定している。
第1章では、難民の受け入れと定住支援及び公的教育支援の視座となる多文化教育の意義について、
多文化教育を推進してきた米国の代表的な理論家達の検討を行い、そこから抽出される4つの視点を提 示している。まず4人の論者(J.A.バンクス、C.ベネット、S.ニエト、P.ボード)による多文化教育の定 義をめぐる議論の分析を行い、多文化教育を、①19世紀末のアフリカ系アメリカ人研究と第二次大戦中
のグループ間教育運動を発端とし、公民権運動の一部から発展した「教育再生運動」として捉えている。
それは、②様々な集団の多様性を含むことによって拡大していく「概念」(コンセプト)であり、③状 況に応じて絶えず変容していく終わりのない「過程」(プロセス)であり、④様々な実践内容を含んだ
「教育戦略」又は「方法論」であるとしている。
当初は、教育再生運動とされていた多文化教育が、様々な集団の多様性を含むことにより、徐々に拡 大していく概念や教育戦略としてもとらえられるようになっており、この過程自体が正に多文化教育の 発展であった。従来、日本においては、多文化教育が1960年代の公民権運動を起点としているとされて きたが、そうではなく、1880 年代から1930 年代にかけてのウィリアムズ、デュボイス、ウッドソン等 による初期アフリカ系アメリカ人研究と 1940 年代初頭に米国の都市で起こったグループ間教育運動へ の反省が多文化教育運動と研究発展の大きな契機となっていることを見出している。
次に、原著論文に即して、多文化教育の目標として掲げられた内容を分析し、すべての論者に共通す る多文化教育の目標(視点)として、①「差別や偏見の廃止・軽減」、②異なる文化への気づきとそれ らを理解する「文化的多様性の認知・理解」、③読み、書き、計算などの「基礎学力の獲得」、④民主 的な社会の実現に向かって活動するための「社会活動技術の獲得」が目指されていることを明らかにし ている。これら4つの目標が、後述するように、難民を多文化教育の対象とするときの重要な指標とし て抽出されている。また、本章では、スリーター/グラントとキャンベルが提示した多文化教育アプロ ーチの発展過程を明らかにし、両者が示したアプローチを次の5つにまとめて提示している。①虐げら れてきた集団の子どもたちを主流集団に同化させる「特別な子どもや文化的に異なる子どもに対するア プローチ」、②他の集団に対しても人間として寛容な心をもって接するように働きかける「人間関係ア プローチ」、③個々の文化集団についての学び、集団間の平等を実現することを目的とする「単一集団 学習アプローチ」、④文化多元主義を進めることを目指す「変革力のある多文化教育アプローチ」、⑤ 社会平等を強調する「社会正義に焦点を当てた多文化教育アプローチ」である。
第2章では、日米両国における難民受け入れ制度の特徴を明らかにし、本章で得られた両国における 制度的な共通性と相違性が、教育支援策とどのように結びついているのかを第3章で検討している。ま ず、1970年代後半に開始された日本の難民受け入れ政策をカテゴリー別に①「インドシナ難民」、②「条 約難民」及び③「第三国定住難民」に分け、それらの政策と受け入れ制度の詳細を明らかにしている。
1978年のインドシナ難民受け入れ以降、現在まで 11度に渡る受け入れ要件の緩和が行われ、最終的 に約1万人が受け入れられたが、この受け入れ政策は、積極的に行われたものではなく、関係諸国から の要請による消極的な受け入れであった。難民として認定された場合、国内での定住と難民旅行証明書 の交付が認められ、初等教育、国民年金、児童扶養手当、健康保険に関して日本国民と同一待遇を受け ることができる。社会保障関係法令(国民年金法、児童扶養手当法等)からの国籍要件の撤廃措置など、
日本の定住支援策は、2002 年の閣議了解「難民対策について」に基づき、翌2003年から開始されてい る。条約難民の受け入れ開始は1982年であり、定住支援策が採られるまで10年を要している。
これに対して、米国の場合、日本とは異なる「難民」(refugee)及び「庇護者」(asylee)という 2 つのカテゴリーを用いて膨大な数の難民を受け入れており(2012年現在、難民58,179人、庇護者42,533 人)、国籍別、年齢別、性別、結婚歴別の人数など、難民情報を詳細に公表している。米国の定める難 民の定義は、移民・国籍法101項の規定によれば、①国外にいて、②米国にとって特別な人道的課題で あり、③人種、宗教、国籍、政治的意見及び特定の社会グループへの所属により迫害されるか迫害を受 ける恐れが十分にあり、④米国から許可を受けた者という条件を満たした者であり、国際法と同一では ないが、難民議定書に準拠したものとなっている。「難民」とは異なり、国内に既に在住しているか到 着後の申請により与えられる地位が「庇護者」である。「庇護者」の地位を得るには、①国土安全保障
省市民権・移民サービス局の庇護官を通す方法、②強制退去手続き中に司法省の移民再審査府を通す方 法、③庇護者と認定された者が配偶者や子どもを国外から呼び寄せる方法の3つがある。
本章では、米国における難民受け入れ政策・制度の歴史を、1948年避難民法、1953年難民救済法、
1957年難民避難民法、1965年改正移民・国籍法、1978年インドシナ難民調整法、これらを総合的に一 本化した1980年難民法に即して分析し、6度に渡る修正の趣旨を詳細に分析している。
米国における難民認定プロセスは以下の通りである。①国外において UNHCR、米国大使館及び特定 の非政府組織(NGO)から難民申請の照会を受けた再定住機関(国務省人口・難民・移住局の資金提供 により国際的な NGO によって運営される)が当該申請者に関する情報収集を行い、②収集された情報 を国土安全保障省市民権・移民サービス局が精査し、申請者の面接の後、難民であるか否かの決定を下 し、③難民として認定された者に対し、治療の必要性の有無を確認するための健康診断を行い、④難民 定住の初期支援を行う米国内の再定住機関に対し、難民認定者の定住支援を求める。認定者は渡米に先 立ち、アメリカ文化の簡単な講義を受講し、渡米後は国務省が提供する官民協働の受け入れ・職業斡旋 プログラムによる支援を受ける。
難民受け入れに関する日米両国の共通点は、インドシナ難民の受け入れを契機に現行制度が整えられ たことである。1948年から難民受け入れを開始していた米国は、それまで個別に対応していた受け入れ 制度を一本化し、他方、日本は難民自体の受け入れに着手している。両国の大きな相違点は、①米国の 難民受け入れ数が膨大であること、②難民に関する情報を一般に広く公開していること、③受け入れ開 始が日本より30年早かったことである。このような相違が生まれた背景には、受け入れに対する両国の モチベーションの違いが影響していると分析している。つまり、米国の難民受け入れは、冷戦時に社会 主義体制への対抗策として行われた一面があり、難民とホスト国双方のモチベーションが高かったのに 対して、日本では、在留外国人数がそれほど多くはなく、国内に存在する複数の民族集団への関心は低 く、「単一民族国家」とする政府認識も未だ存在していた。つまり、「外圧」として受け入れを余儀な くされた日本の事情との相違である。他方、米国では第二次世界大戦を挟んで文化多元主義国家として 認識しようとする傾向が強化され、難民はその一部を織りなす要素として位置づけられた。現在も「庇 護者」と比べて、地理的に遠い地域からの「難民」を多く受け入れている背景には、こうした社会に対 する認識の相違と国家政策が関係していたと分析している。
第3章では、実際に定住した難民を対象として、日米両国の支援政策の内容と特徴について分析し、
第2章で指摘した日米両国の難民受け入れ制度の相違が定住難民支援政策にどのように反映されている のかについて比較考察している。日本には「条約難民」と「第三国定住難民」の定住地域や帰化状況に 関する統計は存在しておらず、定住難民支援政策と定住状況との因果関係は「インドシナ難民」につい てのみ分析することができる。従って、本論文では、日本でかつて行われていた「インドシナ難民」に 対する定住難民支援政策と定住結果について検討した後、この制度終了後、現在実施されている「条約 難民」と「第三国定住難民」への支援制度の全体像を明らかにしている。
1978年の定住受け入れ後の最初の支援策は、翌年7月の閣議了解「インドシナ難民対策の拡充・強化 について」である。この閣議了解により、国は定住促進の具体的業務を行う団体として、財団法人アジ ア孤児福祉教育財団(その後、アジア福祉教育財団へと名称変更)にこれらの業務を委託する。難民事 業本部はこの財団内におかれ、現在まで定住難民の支援事業を展開している。定住難民支援事業の管轄 は、外務省総合外国政策局人権人道課(センターの運営)、文化庁文化部国語課(日本語教育)及び厚 生労働省職業安定局就労支援課(職業相談・紹介)である。アジア福祉教育財団への委託業務には、① 定住促進センターの設置、②入所する難民への支援業務、③海外に一時滞在する難民への定住条件適格 調査などがある。姫路定住促進センター(1979年)、大和定住促進センター(1980年)、大村難民一時
レセプションセンター(1982年)及び品川区国際救援センター(1983年)が当財団より設置されている。
難民受け入れ後の具体的な支援策として、姫路、大和、国際救援センターでは、日本語教育、生活指 導、職業斡旋、職業訓練、里親斡旋、生活援助資金、定住手当て、就職援助費等の支給が行われている。
日本語研修の詳細については第4章で考察しているが、短期間(3~4ヶ月)に就職できるレベルまでの 日本語と社会常識の習得が目的とされ、難民と講師双方にとってハードな内容となっている。
これに対して米国では、初期支援を国務省が、中長期支援を保健福祉省の難民再定住室がそれぞれ分 担している。政府支援が主に資金提供であるのに対して、実際に支援を担当するのは地域の民間機関や 州政府機関である。米国到着後の90日間が初期支援期間とされており、9つの再定住機関が担当する。
即ち、①チャーチ・ワールド・サービス、②米国聖公会移住庁、③エチオピア人地域開発協議会、④ヘ ブライ人移住支援協会、⑤国際救済委員会、⑥ルター派移住・難民サービス、⑦米国カトリック司教会 議、⑧米国難民・移民委員会、⑨世界救済団体である。これらの9機関は全米に350の支部を擁してい る。機関本部は支部が提供する資源(通訳者、利用可能な住居、特別なサービスを提供する学校への進 学可能性、医療、英語クラス、カウンセリングなど)をコントロールする。90日以降の定住支援につい ては、保健福祉省子ども・家庭管理局難民再定住室により各種プログラムが提供される。難民再定住室 は、連邦政府諸機関、相互支援協会、州の提携機関、ボランティア機関、トレーニング・技術支援提供 者等との協力の下で支援を行う。難民再定住室の業務は、提供されるプログラムを通して、アメリカ社 会の一員となるための必要な資源を提供することである。提供される中長期プログラムは19プログラム に上っており、本論文ではそれらの支援目的、支援内容、民間及び州の関係機関への資金提供などの詳 細について明らかにしている。
以上の分析に基づいて、第2章で明らかにした受け入れ制度の3つの相違点(①社会認識と受け入れ 数、②情報公開、③受け入れの歴史)は、日本の支援制度に次のような影響を与えていると分析してい る。①受け入れ数の少なさ(2013年度24人)が受け入れ制度の厳格な適用と相互に影響し合い、多様 性を顧みない初期支援中心の支援制度にしていること、②出身国のみの情報公開がホスト社会での難民 の多様性の認識と市民による支援活動を妨げていること、③受け入れ歴史の浅さが支援制度に関する経 験の一般化に限定的に作用していることである。これに対して、米国の場合、①受け入れ数の多さ(2013 年度、難民認定だけで6万9,926人)が難民の幅広い解釈(庇護者、キューバ・ハイチ入国者、アメラジ アン、人身売買被害者、拷問被害者及び保護者のいない外国籍の子どもなども含まれる)の下での柔軟 な制度適用に基づいており、短期支援だけでなく、多様なプログラムに応じた中長期支援(3~5年又 はそれ以上)を生み出していること、②難民情報の幅広い公開は一般市民による支援活動を促進してい ること、③受け入れの長い歴史が支援制度の充実に寄与していることである。また、日本の場合、①外 務省、文化庁及び厚生労働省管轄の下、業務委託という形で支援機関が限定(アジア福祉教育財団難民 事業本部のみ)されており、②研修後の難民の自発的姿勢の強調、③人的支援のネットワークの不在が 特徴であるのに対して、米国の場合、①政府、州機関及び民間団体を巻き込む支援機関の多様性、②研 修後のアフターケアの充実、③出身国関係者を含む多様な人的支援とネットワークの存在が特徴的であ ると分析している。
本章では、社会意識や受け入れ歴史の長短などから生じた支援制度の相違が、文化的・民族的ものへの 眼差しと配慮、出身国での教育と生活を考慮したプログラムの供与、情報公開によるホスト側住民との 意思疎通の点で大きな相違を生み出していると結論づけている。
第4章では、日米両国の定住難民に対する公的教育支援の内容を検討し、比較教育の視点と第1章で 抽出した多文化教育の4つの指標からの分析を行っている。日本における公的教育支援は、①日本語教 育、②生活ガイダンス、③公立学校への子ども達の入学準備支援が各センターにおいて行われているが、
教育部門の管轄が文化庁文化局国語課であることから、定住難民の教育は日本語教育の側面に傾斜して おり、決して多文化教育的とは言えない状況にある。また、日本語教育はすべて日本語のみで行われて おり、現地語に通じた人材確保という課題も残されている。
日本語教育は、当初約3ヶ月計429時間行われていたが、1988年から4ヶ月計572時間に延長されて いる。大和定住促進センターの場合、日本語授業は、① 老人、妊婦、識字教育未習熟者を対象としたサ バイバルクラス、②家庭や職場での実践力育成を目的とした16歳以上の一般成人クラス、③ 退所後学 校に入学しても困らない程度の日本語能力の育成をはかる年少者クラス(6歳以上15歳まで)に分けて 実施されている。近年(2010年より)、支援主体が競争資金で決定される制度へと変更されたが、採用 機関は従前どおり一機関であり、競争上、活動内容の流出を防ぐ傾向が強くなっている。
これに対して米国の場合、政府資金が初期支援段階では民間機関に、中長期支援段階では州政府機関 と民間機関に競争資金として配分される。競争資金ではあっても州機関や様々な民間機関が情報交換を 行いながら相互に協力して教育支援が進めてられいる。定住難民に対する教育支援は、初期支援(ソー シャル・セキュリティ・カードの配布、子どもの学校への登録、買い物ができる場所へのアクセス方法、
医療機関への予約、社会サービスや言語サービスの受講)の内容と関わって実施される。例えば、再定 住支援機関の一つである既述のチャーチ・ワールド・サービスの支部として活動しているミシガン州の キリスト教系 NGO ベサニー・クリスチャン・サービスには、①米国での生活に関する様々な疑問に対 応する「新しい隣人プログラム」、②定住直後から徐々にレベルを上げていく個別指導の「ESL プログ ラム」、③公共交通機関を自分の力で上手く使いこなせるように訓練する「バス乗車訓練プログラム」、
④ボランティアが空港まで難民を出迎え、家まで案内する「空港出迎えプログラム」などがある。プロ グラムの内容は社会生活に直接結びつく実践的な性格を帯びており、難民のもつ様々な出身国での成育 歴や学習歴等に対応したものとなっている。
米国に特徴的な中長期教育支援として、本章ではさらに難民スクール・インパクト・プログラムとい う難民の子どもたちに特化された連邦プログラムの分析を行っている。このプログラムは、①入国後3 年以内の難民生徒たちの学力を上げ、学校への社会的適応を促進させるために、補助教育プログラムや 社会サービスを提供すること、②難民への支援を提供している機関との協力関係をいっそう拡大させる ことにより、学区が提供する生徒への適応サービスの質を向上させること、③難民コミュニティにおけ るその他の専門家と協力的な関係を築き、彼らへの相談を通して生徒を支援することを目的としている。
これは、学校と学校外機関との協力体制の拡大により、難民生徒の学力向上と社会適応を促進しようと するもので、保健福祉省の資金提供により実施されている。連邦資金が州機関に配分される場合は、州 を介して学区に資金が渡り、主に難民の子どもたちの指導にあたる教員や難民コーディネーターの人件 費となる。また、NGO等の民間機関に配分される場合は、当該機関が学校外活動を組織し、指導にあた る教員をサポートしている。プログラムの具体的な内容として、例えば、カリフォルニア州では、次の 11分野の活動が行われている。①追加的なESL、②必要な能力の習得を促す学校カリキュラムの開発、
③宿題のための放課後個別指導プログラム、④学校支援のための放課後又は夏季プログラム、⑤保護者 同伴プログラム、⑥校内教育指導プログラム、⑦集会や会議のための通訳サービス、⑧二言語・二文化 併用カウンセラー支援サービス、⑨難民の文化に関する教職員トレーニング、⑩新しい教育技術の活用、
⑪提供されるサービスの有効性や結果の評価。
以上の分析を通して、本章では比較教育の視点から次の2点について考察している。第一に、日本よ りも30年早く難民の本格的な受け入れを開始した米国が、「多民族国家」としての意識に基づきつつ、
多くの多様な難民を受け入れてきた経緯から、難民の持つ多様な教育課題を予め予測していることであ る。既述のように、教育支援プログラムには「難民」の中に存在する多様性への気づきと眼差しがあり、
難民の子どもたちがこれまで辿ってきた経緯(基礎教育を受けていない、精神的トラウマを抱えている
など)や個別事情が想定されている。他方、難民受け入れの歴史が浅く、受け入れ数も少ない日本では、
難民の中に存在する多様性を知り、それらをケース別に分類し、配慮する教育は行われていない。第二 に、日本では政府主導の単一機関による支援及び難民に関する限定的な情報公開という条件の下で、教 育支援も適応のための日本語教育が中心となっているに対して、米国では政府、州機関及び民間機関の 相互協力のネットワークが形成され、難民教育をめぐる経験の蓄積と普及、学校教育と学校外教育にお ける中長期難民教育プログラムの導入、地域住民の理解という条件下で、生活に直接関連する多面的な 実践的性格の強い教育が行われている。
本章では、日米の難民への教育支援の特徴を、第1章で抽出した多文化教育の4つの視点から検討し ている。第一に「文化的多様性の認知・理解」に関しては、日本が「特別な子どもや文化的に異なる子 どもを教えるアプローチ」の段階にあり、米国が「変革力のある多文化教育アプローチ」の段階にある と考察している。つまり、日本では日本語教育と適応教育が主であるのに対して、米国ではホスト側の 難民理解や教職員の意識変容が目指されている。ホスト社会の一般市民が直接支援活動に携わることに より、難民との間に融和的な関係を築くことは、多文化教育の「人間関係アプローチ」に該当し、難民 の文化に関する教職員の訓練や難民コミュニティとのつながりを重視する行動計画の策定は、文化的側 面の認識を重視する「単一集団学習アプローチ」に通じる。第二に「差別や偏見の軽減・廃止」という 点では、民間による支援を通して米国では様々な市民と難民が接触する機会が豊富に設定されているの に対し、日本では主に財団法人職員や日本語教師との接触に限られている。つまり、市民と難民との相 互理解の機会が限定されており、偏見の除去につながっていない。第三に「社会活動技術の獲得」とい う点では、米国では学校と学校外機関を通してこのような技術の獲得が重視されているが、日本では重 視されていない。不都合な扱いや困難を経験したときに、どのような対処の仕方があるのかを米国では 詳細に教育している。第四に「基礎学力の獲得」では、日米のいずれの教育支援も基礎学力がホスト社 会で自立するための能力として重視されている。しかし、難民の場合に多く見られるのは、出身国での 基礎学力の未習得である。難民スクール・インパクト・プログラムではそのような事態を想定した支援 が行われている。
第5章では、第4章で明らかにした日米両国での公的教育支援の後、定住先で現在もなお難民が抱え ている課題について検討し、それに対する難民教育の支援体制について検討している。生活言語は獲得 済みでも、学習言語の習得に困難を抱えている日本のインドシナ難民2世と3世を対象とした調査から、
学習上の困難さの根底には親たちの出身国と日本との間に存在する識字率や就学率等の違いがあり、出 身国での個人的教育経験や家庭環境が大きく関係していることを立証している。例えば、難民の子ども で、日本生まれの日本語話者を相手とした日本語ボランティアとしての参与観察から得られたことは、
①どの子どもも所属学年より1~2年下のドリルを使って勉強しており、少なくとも算数と国語に関して は遅れており、②日常会話は上達しているが、学習成績は上がらず、③簡単に答の出せる問題は得意だ が、文章題は苦手であるといった事実である。これらの事実は、生活言語と学習言語の習得に関する問 題であり、本論文では J.カミンズ、S.クラッシェン及び J.クロフォードなどの理論に基づいて、問題の 所在が明確にされている。即ち、生活言語の習得が1~2年で可能であるのに対して、学習言語の習得に は5~10年程度必要とされるが、生活言語が身についた時点で学習支援が絶たれてしまうという問題で ある。また、地域格差の存在や必要な子どもに必要な支援が行き届いていない状況があること、日本生 まれの子どもたちの中には、支援対象に該当してもその支援を望まないという問題も指摘されている。
日本では、民間グループの支援には、大学(短大)による支援や NGO など市民有志による支援も一部 あるが、支援の継続性や場所の確保、行政の協力、ボランティアの確保などが問題とされている。
これに対して米国の場合、カリフォルニア州グレンデール市から資金を得て、難民定住支援を行って
いる自助組織であるアルメニア救済協会の本部における2つのESLクラスでの参与観察と教職員等への インタビュー調査から継続的な難民教育の特徴と課題を明らかにしている。当救済協会は1910年にニュ ーヨークに創設され、現在その活動は27か国に及び、1970 年代以降、国際連合経済社会理事会の諮問 委員を担当している。当協会におけるESLクラスの特徴は、難民と同じバックグラウンドを持つ在米歴 の長いアルメニア出身者が講師を担当しており、スタッフも受講者と同じバックグラウンドを持つ者が ほとんどで、自助組織としての役割を果たしていることである。母語を理解できる講師の存在は、母語 での質問が可能で、出身国での学習が生かされ、言語環境の異なる難民のストレスを減らす一助となる と共に、講師自身が身近なロールモデルとなり、生活相談者としての役割も果たしている。
日米の公的教育支援後の継続的な難民教育支援の取り組みを比較教育の視座から考察すると、両国の 取り組みは共に民間組織によるものであるが、日本の場合はそれが日本人による比較的小規模な NGO か又は有志大学によるボランタリーな支援であるのに対し、米国の場合は市の補助を受け、米国だけで なく国際的にも認められた同国出身者の機関による支援である。この日米の相違が、公的教育支援後の 難民教育支援の大きな相違となっていると分析している。この相違を多文化教育の4つの視点から考察 すると、第一に、「文化的多様性の認知・理解」においては、日本では同国出身者が主体となる定住難 民支援が全く行われていないのに対し、米国では多様な市民を巻き込んだ支援形態が存在し、市もその 活動に資金を提供している。同国人コミュニティの活動への自治体による財政支援は、文化的多様性へ の理解と関係している。第二に、「差別や偏見の軽減・廃止」の面では、日米共に直接的な対応は観察 されなかったが、ホスト社会の市民を巻き込んだ支援は、そこに携わる市民の意識改革につながり、潜 在している偏見への変化をもたらす。第三に、「社会活動技術の獲得」についても、支援者側が活動を 通して問題解決に共に取り組むことで、難民にも社会参加への意識が生み出される。第四に、「基礎学 力の獲得」に関しては、米国の場合、母語を用いた言語習得により、出身国で形成された一定の基礎学 力がホスト社会でも生かされるという点で多文化教育の要請を充たすと分析している。
終章では、多文化教育の視点から見た難民支援と難民教育に関するこれまでの分析を踏まえて、序章 で示した3つの課題(多文化教育とは何か、日米における難民への公的支援、日米における難民への公 的教育支援-多文化教育的視点からの分析-)について総括し、今後の課題を提示している。
第一に、多文化教育における「言語」の問題である。多文化教育自体は米国で英語を話していたアフ リカ系アメリカ人児童・生徒の権利拡大を当初の目的に据えていたため、言語的差異の考慮は余り問題 とはならなかった。しかし、ホスト国とは言語の異なる多様な難民を相手としたとき、単なる利用に止 まらない母語の位置づけと役割のいっそうの検討と実践が求められること。第二に、公的機関と民間機 関による支援の効果についてである。米国の場合、民間機関が主に定住難民支援を担っていたが、公的 機関と民間機関との効果的な役割分担の研究が求められる。米国の場合、国による中長期支援と市など の競争資金による民間機関の支援が重複している側面もあり、難民にとっての最適なサービスとは何か について明らかにする必要があること。第三に、受け入れ数や情報公開と支援策との関係である。本論 文では受け入れ数の少ない日本とは対照的な米国を例にとり、比較考察したが、定住難民支援は国際社 会が共同して取り組むべき課題であり、国際協力体制の下での支援策のあり方の検討が必要であること。
4.総評
本論文は、難民を多文化教育の対象としてとらえ、多文化教育の起源とその展開を探ることにより、
そこから得られた指標に基づいて、日米両国の難民受け入れ制度と支援政策の特徴を明らかにし、それ らが公的教育支援にどのような形で反映されているのかを比較分析し、難民に対する公的教育支援制度 の課題を明らかにすることを目的としている。本論文では課題を、①多文化教育の起源と発展から見た
難民支援の意義、②日米における難民への公的支援、③日米における難民への公的教育支援-多文化教 育的視点からの分析-の3点に集約し、そこから比較検討を試みている。
本論文の成果として以下の3点が指摘できる。
第一に、難民を多文化教育の対象としてとらえ、難民固有の文化に着目した多文化教育としての難民 研究の端緒を開いた点である。米国では、出身国の文化や生活を考慮した難民支援の必要性に関する研 究は存在するが、難民への公的教育支援に焦点を当て、支援制度と政策が出身国の文化や生活とどのよ うに結びついているのかを分析する論文は見当たらない。この点で本論文は、難民という社会的背景の 異なる人々の文化的特徴を踏まえた多文化教育の発展を課題として設定し、この研究課題に果敢に挑戦 し、一定の成果を上げていることは高く評価される。
第二に、これまでの多文化教育の発展過程を原著論文に沿って整理し、そこから難民教育研究の指標 となる理念を抽出して難民教育支援の現状を比較分析し、日米両国の独自の課題と共通する課題を提示 している点である。この作業の過程で、一部の知識階層による教育運動として終わり、社会的広がりを もたなかった初期アフリカ系アメリカ人研究とグループ間教育運動への反省が多文化教育運動と研究発 展の大きな契機となっていることを見出し、多文化教育が1960年代の公民権運動から発展したとされて きた日本における学説の修正を迫っていることも高く評価されよう。
第三に、米国の多彩な中長期プログラムの目的と内容及び資金配分システムを詳細に分析して提示し たことは、中長期プログラムと位置づけられた支援自体が提供されていない日本の難民及び難民教育支 援に大きく貢献するものとなっている。保健福祉省子ども・家庭管理局難民再定住室の提供する19の中 長期プログラムと保健福祉省の資金提供により実施される難民スクール・インパクト・プログラムは、
本論文により日本ではじめて分析の対象とされたものである。本論文は、日米の難民支援制度と結びつ いた難民教育支援の内容、方法、あり方の比較分析に基づき、それぞれの共通点と相違点を指摘してい るが、とりわけ、これらの中長期プログラムの検討を通して得られた知見は、今後の日本の難民教育支 援に大きく貢献するものと考えられる。
本論文には以上のような優れた研究成果が認められる一方で、次のような課題もある。
第一に、教育比較の方法論の精緻化に関する課題である。本論文は、難民という教育外の「社会的要 因」により生じた人びとへの「教育」について分析・考察するため、比較の説明要因を教育の内外要因 の相互作用という観点から分析する弁証法的要因分析法を用いているが、教育の外在的要因と内的要因 とのダイナミックな分析に必ずしも成功しているとは言い難い。難民支援の歴史的経緯や社会意識など、
外在的要因が教育支援という内的営みを方向づけている側面の分析はあるが、教育の内的営み自体が難 民支援をめぐる外在的要因にどのように作用しているのかという側面の分析に乏しい。
第二に、日米比較において、難民支援の制度、経験の蓄積、民間団体の活用及び中長期プログラムな どの点で、日本にはない米国の特徴が分析されているが、米国自身が難民を生み出す事態を引き起こし、
その事態を収拾するという形で受け入れを行っている側面の分析も必要であろう。また、国際関係にお ける日米の地位や役割のあり方という視点からのいっそうの比較検討も望まれる。
第三に、難民研究と多文化教育研究との統合による研究の深化に関する課題である。本研究は多文化 教育研究の歴史とプロセスを踏まえた研究に重点がおかれており、この点での分析には長けているが、
難民研究に関する先行研究のレビューから得られた知見が、難民の出身国の文化や生活及び個別事情等 を考慮した支援の必要性を提示するに止まっている。翻って難民研究の側面から多文化教育研究を深め て行く作業が求められよう。
以上の課題は残されているが、難民を多文化教育の対象として捉え、日米比較から多くの知見と視座 を提示している本論文を総合的に判断して、審査員一同、博士(教育学)の学位を授与するに値すると の結論を得たので、ここに報告する。