「多世代哲学対話とプロジェクト学習による 地方創生教育」報告
2017年3月から8月にかけての山田町における活動事例
小出 晋之将(文学研究科比較文明学専攻)
1
活動概要東日本大震災被災地域の公共図書館と各行政機関の連携の一環として「地方創生教育」を 主題としたプロジェクトが進められている1)。哲学対話という手法を通して多世代間対話を 行い、地域資源の好循環の形成を目指すものである。図書館はその活動において「中立的な 広場の提供」と「課題解決の為の学びの案内人としての情報提供」の役割が期待されていた。
本報告においては山田町立図書館における実践事例報告を行い、図書館と哲学対話の関係性 に関して、評価基準の設定、司書の関わり、図書館の関わり方を言及する。
2
はじめに2.1
哲学対話の背景現在、国外においては「ソクラティク・ダイアローグ」「ソクラテス・カフェ(クラブ)」、
国内においては「哲学対話」「哲学カフェ」と称される古代ギリシャ広場(agora)で行われ たような対話手法及び対話空間の形成が話題になっている。これらの活動の源流はプラトン の著作集におけるソクラテスらの問答にある。
近代においてはドイツの哲学者レオナルド・ネルゾン(Leonard Nelson 1882-1927)
の哲学教育法としての「ソクラティク・ダイアローグ」がその例として挙げられるだろうか。
彼が行ったものは対話を通じて哲学を教えるのではなく、哲学をすることを教えるものであ り、学生を哲学者にする方法であった。1990 年代初頭には、フランスでマルク・ソーテ(Marc Sautet)がバスチーユ広場のカフェ・デ・ファールで「ソクラテス・カフェ」という活動を 開始した。自由な空間での哲学的命題の探究の手法が市井において一角の説得力を保持した 場面でもある。
近年での「哲学対話」ないし「子ども哲学」の活動はソクラテスの哲学的手法において、
1970 年代にアメリカで流行した「子どもの哲学(philosophy for children(P4C) / philosophy with children(PWC))」の創始者であるリップマン(Matthew Lipman)の ものを原型としたものである。それは
“
議論の導くところについていくということ”
2)であ り、“
探求の共同体”
において状況に応じて変化する、必ずしも命題の解決を着地地点とし ない自律的な探求の姿勢を相互的に構築していく場である。そうしたリップマンの「子ども の哲学」の薫陶を受け、2010 年代にハワイ大学のトーマス・ジャクソンが七つのルールか らなる対話型哲学(哲学対話)の形態を設定し、その流れが日本国内へと流入されることと なる。
2.2
「多世代哲学対話とプロジェクト学習による地方創生教育」に関して本プロジェクトはそのトーマスの哲学対話の流れを汲みつつ国内の哲学に沿う形で調整 されると同時に、研究代表者である河野哲也の「小中学校での哲学対話教育での実践」研究 を基に「地方創生教育」のモデルケース構築の中に組み込まれたものである。「哲学対話」
とは相互理解・価値創出・合意形成へと至る徹底的な意見交換の手法のことを指し示すもの であり、多世代間の対話の実践によりなされる。そうした地域資源の循環構造を本プロジェ クトでは図 1 の様に纏めている。
図 1 プロジェクト概念図
ここでは、想定される三つの循環の基軸、「地域フィールドワーク」、「哲学対話」、「プロ ジェクト学習」について簡単に紹介する。
2.2.1
地域フィールドワーク地域フィールドワークでは、行政機関や地域産業との連携の下で地域住民や児童生徒で地 域資源(地域の産業施設や遺跡など)を見学し、専門家の知見を交えつつ、その空間を生物 多様性と文化性から捉え「気付き」と「体験」の共有を図った。
2.2.2
哲学対話哲学対話3)においては、当初は多世代参加の複合形式を採用していたが、その手法に馴れ ることを優先し、年代別のグループを形成し、「気付き」と「体験」、そしてそれ以外の命題 での徹底的な意見交換を行い、その習熟を進行させていくこととなる。本報告書では詳細に は言及しないが、哲学対話の教育実践の手順について簡潔に説明する。
哲学対話には「ファシリテーター」「参加者」「コミュニティボール」が必要とされる。フ ァシリテーターとは対話の循環を促す存在であり、単純な進行役ではなく発話者であり参加 者でもある4)。
まず、場のセッティングを行うことが求められる。椅子ないし車座で輪を作り、対話空間 を形成する。この際には机などの視線の遮蔽物を排除することが望ましい。
そして「コミュニティボール」を用意する。その場で参加者たちが協力して作ることもあ る、対話のバトンのことである。発話したい人にその都度渡すことで、聴き手と話し手を区 別する役割を持つ。(その際にファシリテーターは発話者が偏りすぎないように適度な問い かけを行うことが求められてくる)
次に探究の素材、方向を共有することが求められる。本や映画などの情報を共有し、感想
や疑問に思ったことなどをみんなで自由に述べあう。ファシリテーターの補助は参加者たち から出てきた「気づき」を黒板に記していく。その上で、ホワイトボードやファシリテータ ーの発話を契機に、みんなで対話や探究したいと思える「問い」を設定する。
ファシリテーターの進行に沿う形で、参加者で設定した「問い」に関して、一定の対話の ルールの下で自由な発話を行い哲学的な探究を行っていくことなる。
従来的に見るならば、この哲学対話において答えや一定の考え提示する必要性はない。哲 学対話は「議論の導くところについていく」実践が成立した時点で成功しており、正解があ るわけではないからだ。しかし、今回の教育実践に関しては前後のステップとの繋がりを意 識することが求められてくる。
2.2.3
プロジェクト学習プロジェクト学習に関しては、司書・図書館関係者の協力の下、情報探索活動ないし哲学 対話により詳らかになった課題や疑問点の掘り下げを行う場となっている。課題解決に関し ては、今後の循環の連続性の中で水準が向上することに伴う形で、行う場と想定されている。
以上の 3 つの教育実践の場として、本プロジェクトは東日本大震災被災地域の公共図書館 を拠点とした「地方創生教育」グループと、全国各地でこれまで実施されてきた「プロトタ イプ実施」グループの 2 グループにより構成されている。グループ間での相互フィードバッ ク・相互参加による研究・実践の質の向上を企図したものであり、本稿では詳細な言及は行 わないが、プロジェクトリーダー・実施者により地域への哲学対話の導入の経路と手法には 幾らかの差異が存在していて、ファシリテーターレベルでも個々人の目的意識により幾らか の違いがみられることは留意したい。
以下、山田町での実践事例に関して報告した後に、図書館と本プロジェクトをめぐる課題 について言及を行う。
3
山田町立図書館での実践事例山田町立図書館における活動は「環境教育」「地域フィールドワーク」における身体的経 験と、それを言語化し経験の昇華を測る哲学教室の二つを中核に行われたものである。2017 年 3 月の試験的導入を契機とし、同年 4 月・6 月・8 月の隔月に行われた。本章では、各日 程の環境教育の概要、哲学対話における児童生徒の様子と展開を日程別に記載するものとす る。山田町における哲学教室の主催は立教大学文学部の河野哲也研究室であり、参加者は研 究代表者である河野哲也と、立教大学並びに上智大学、筑波大学からの院生並びに学生、そ して関係する研究者となる。また、本報告書における哲学対話参加者の人数は、該当地域の 住民と協力者であり、ここに主催者は含まれないものとする。また、山田町立図書館の協力 に際して主事の辻井一美氏の全面的な支援があり、集合場所、哲学対話の開催地、そして最 終的にはプロジェクト学習もここで行われることとなる。
また、本報告に際してテーマと課題を簡潔にまとめた図を作成した。本報告書を通覧する 際の参考にして欲しい。
図 2 山田町立図書館での実践(2017 年)
3.1
プレ開催(3
月4
日)及び陸前高田(5
日)での事例報告3.1.1
プレ哲学教室(3
月4
日)3 月 4 日、山田町ふれあいセンター内にある山田町立図書館において、プレ哲学教室「あ ーだーこーだ」が開催された。参加者は事前の告知を受けて小・中学生 6 人、大人 4 人の当 初 10 人と幅広い層が集まっていたが、自己紹介の途中で幾つかの理由により小学生 4 名が 退席、最終的に 6 名の参加となった。
研究代表である河野哲也氏からの全体説明の後に、円状に着席し、コミュニティボールを 回しながら作成しつつ自己紹介をした。この場でのファシリテーターは河野哲也氏が担当す る形で進行していった。議論の方向性として「なぜ勉強をするのか?」という大枠のみを設 定し、対話の具体的な主題自体は参加者の興味関心に合わせる形で問い出しを行った。その 結果、「何を議論するか議論しよう」という方向性のもとで、語や概念の根本的な定義から、
好悪を含めた感情的なもの、生涯学習を前提とした長期的な視点も含めて参加者の興味関心 に合わせた多様な観点が各々から提示された。
•問い「なぜ勉強をするのか?」
•対話に慣れることを目的とした場となった
•「勉強の定義」や「勉強と学びの違い」が 話された
•課題「年代別の対話の場の設定」が必要
•翌日に行われた陸前高田の事例も付記
プレ開催
(
3
月4
日)•フィールドワーク「オランダ島探訪」(自然体験)
•子どもの問い「あの島で住めるか?」
•自分の体験から疑問・発話をつなげていくことを 覚えた
•大人の問い「自然の楽しさとは何か」
•過去経験と照らし合わせて今の地域資源について 考えた
•年代別に分かれることで対話に慣れていっていた
第一回
(
4
月29
日)•フィールドワーク「発掘された山田」(遺跡訪問)
•子どもの問い「才能って何?」
•才能という切り口から色々な観点で話題を提示した
•大人の問い「生きがいとは何か」
•自分の労働体験からそれぞれの生き方、働き方を語 った
•課題「フィールドワークと対話の関係性、資料活用」
第二回
(
6
月24
日)•フィールドワーク「遠野物語に出てくる山田」
•子どもの問い「魂や幽霊とは何か?」
•魂や幽霊について自分の考えを広げ多様な視 点を見せた
•大人の問い「残すべきもの・記憶」
•震災体験の継承について今回の震災とこれか らについて考えた
第三回
(
8
月27
日)•小学校を訪問後,各学年に分かれて哲学対話 を実施
•低学年:絵本の読み聞かせを行い子どもの疑 問・純粋な「なぜ」が出てくるように促した
•中学年・高学年:それぞれ哲学対話を行い,
哲学対話という形式を説明,簡単な問い出 し・対話を行った
大浦小学校
(
8
月28
日)最終的に今回の哲学対話のテーマ「問い」は「勉強の定義」と「勉強と学びの違い」とい う語の定義を問うものになり、ファシリテーターが適宜論点整理を行いつつ、参加者各人の 過去の経験から発言し共有、深化する形で対話を進行していった。全体的に発話者の見解や 感情を掘り下げていく形で対話が行われたのだが、対話の主軸は保持されており、聴き手、
質問者としての参加者の言葉や振る舞いにも対立や否定の意志などが殆ど見られず、相互理 解の基盤を構築する姿勢であった様に思われる。議論の中核となる軸の参加者の発話の回数 が必然的に増える形となったが、コミュニティボールの行き交いも活発であった。最後の自 身の対話への評価、アンケートの回収も含めて段階的な対話の消化手順が踏まれていた。
このプレ哲学教室での課題に ついて述べておく。本節の冒頭で も述べたが、小学生が自己紹介の 途中で退席し、この会ではそれ以 降参加することはなかった。言葉 が中々出てこず焦る様や、内一人 は泣き出しそうにもなっていた。
その原因を考える際に、こうした 対話の基本条項の幾つかと、年齢 が幾回りも上である大人に囲ま れることが心因的負荷になって いたのではと推察される。加えて、
使用される語句の問題もある。「定義」「命題」など適宜注釈を入れてはいたが、対話の際の 言葉の対象年齢が高い様に見受けられた。これにより、理解の齟齬が生じていた可能性が存 在する。
これを経て、哲学教室の名称「あーだこーだ」を地元の方言を反映させる形で、「あーで もねぇこーでもねぇ」に変更した。
3.1.2
陸前高田(3
月5
日)3 月 5 日は気仙沼左官大工伝 承館にて「気仙茶のワークショ ップ」に参加した後に、箱根山 テラス・ワークショップルーム に移動して「子ども哲学探検隊」
を行った。参加者は小学 4 年か ら 6 年生の児童生徒、岩手大学 からの学生である。前日とは異 なり児童生徒には予め募集をか けており、当初は 20 名の予定だ ったが 9 名の参加となった。午 前中は伝承館にて「焙茶工房し
ゃおしゃん」店主の前田千香子さん及び数人のボランティアの方の協力の元、気仙茶の作り 方を実際に児童生徒の目の前で行いながら説明した。気仙茶精製の工程の一部の実践と試飲 を通して体感的な側面と、口頭での解説による知識的な側面の両側から学びの基盤を構築す
るワークショップであった。
これらの実践を昇華する形で、箱根山テラスに移動し、ワークショップが行われた。今回 のファシリテーターは立教大学の教育学専攻の院生が担当した。前日と同様に最初にコミュ ニティボールを作成しながら自己紹介を行った後に、本日のワークショップでの経験を振り 返る形で「気仙茶」に関するテーマ出し(問い出し)が行われた。自身の事前の経験や知識 を基にしている為か、味覚や行為、社会的な面を意識したものが多く、10 を超えるテーマが 児童生徒から提示された。その中で、「昔からの作り方と機械の作り方、どのように変わる のか?」というテーマが選択され対話が行われた。児童生徒がお茶の手作りでの製作工程を 体験、工場で加工された気仙茶を試飲したことを受けて、味の細かな違いが分かりにくかっ たと、違いがないと機械での作成を肯定するような見解・質問が多くなった。手作りと機械 の違いを説明する側も手作りの魅力の言語化に苦慮していたように見受けられる。また、哲 学対話をディベート的なものとして理解している面もあったのか二軸的な場が形成してい たような論調もあった。
「それがいいとされる理由」
の説明を行いつつも、反駁的な 論調も散見され、質問による自 己の問題意識の明晰化に至る のも中々困難なようであった。
ただ、この後の自己評価におい ては、それぞれが議論の全体図 を俯瞰的に捉えており、対話の 構成要素である「人の意見を最 後まで聞く」ということの重要 性は理解していたような反応 が多かった。
3.2
第一回(4
月29
日)の事例報告今回は第一回哲学教室の開催という事で環境教育と哲学教室を同日に併せて行う流れと なっていた。参加者は小学 3 年生から 6 年生までの児童 5 名、保護者 5 名そして親子連れで 来ている参加者が多く、前回の広範な年齢層から幾らかの変化が見られた。
3.2.1
地域フィールドワーク「オランダ島」今回、地域フィールドワークの対象となったのは山田湾にある無人島の大島、通称オラン ダ島である。山田湾ミニクルーズにより向かう事となった。大島に上陸後、山田町観光協会 の道又純氏の案内を受けながら環境教育を実施した。
オランダ島は元々海水浴場であったが、先の震災以降閉鎖されていた。上陸後、砂浜を散 策しながら、生い茂った長大な針葉樹や岩肌を上った先にある神社などを見て回った。砂浜 で道又氏は上陸したことが無かった小学生らに、この砂浜でかつて海水浴が行われていたこ と、震災直後は砂浜に多数の流木などの漂流物があったりしたが今は幾らか綺麗になり、水 質も震災前と後では大きく澄んでいること、自然災害の問題とその効能について語って聞か せた。子供たちは過去の様子や津波の浄化作用に関して興味深そうに解説を聞いており、同 行した保護者も過去の自分の記憶と照らし合わせて今との違いを話していた。
3.2.2
第一回哲学教室「あーでもねぇこーでもねぇ」今回の哲学教室は前回の問題点を解決する形で児童と保護者の 2 グループに分けて行われ ることとなった。今回の哲学教室の問いはそれぞれのグループで設定することになり、前回 作成したコミュニティボールとコミュニティドールを持って分かれた。
まず児童らは、ファシリテーターのサポートの下、オランダ島でのフィールドワークでの 気付きや感覚の共有を図った。過去に上陸したことがある児童は「以前行った時はトイレが あったのに、今日行ってみたらなくなっていた」などの違いを指摘し、それを受けて「あの 島に一人で住むことになったらどうしよう」など、児童ならではの観点で今回の気付きや感 覚が具体化された。そうした児童の意識を反映させる形で「あの島に一人で住むことになっ たらどうだろう?住めるのかな?」という今回の問いが設定されることとなる。
疑問を深化させる、という形よりは問いを繋げる形になっており、住むことに関する具体 的な事柄へと興味は推移していくこととなった。「あの島に住んでいたら生きるために食料 を採ってしまう」「自然の恩恵を受けつつ人間と自然が共存することは出来ないのかな」「一 人で住んでいたら、誕生日も祝ってもらえないので寂しい」など、住むことに対する具体的 な想像が児童らの中で展開され、示された。その中で、食事をした後の生活ゴミについて話 が推移していくこととなる。ファシリテーターの「ゴミってなんだろう?」という問いに対 して一人の児童がオランダ島の砂浜で拾ってきた貝殻を机上に置き、何処で何故拾ってきた かを説明しながら、「島に行った思い出を残してくれるからゴミじゃなさそう」と思い出や 気持ちによりゴミかどうかが変わってくるのではないか、と語った。
このように、児童らの哲学対話は最初に環境体験の感想を取り掛かりとして展開された。
経験の言語化・具体化を行った後に、それと関連付けながら問いを発するという対話形式に 習熟させる方向で進んで行ったように見受けられる。自然に生じた「何故?」が自発的な発 問へと繋がっていく様を見て取ることが出来た。また、最初の段階では別のことをし出した りする児童もいたが、コミュニティボールを渡すと徐々に対話に参加するようになり、最終 的に積極的な発言を行う様になったのも認識しておくべき点であるだろう。
大人たちのグループも本日の経験の感想の共有を導入として、哲学対話を展開していった。
オランダ島における気付きとして「地元でありながら弁財天の神社を知らなかった」こと、
前回の来島した際の比較として「砂浜や沿岸の水質が綺麗になっている気がした」などとい った話題を切り口に、自分たちがかつて来島した際の思い出や体験に関して挙げ始めた。そ こから連想する形で「自然の楽しさとは何か」がテーマとして設定された。
各人がかつての記憶を反芻する形で、自然での運動の有用性や楽しみ方などが挙げられる 一方で、見知らぬ野花や草木などの存在に触れることが出来るという細かな自然への気付き、
そして人間関係から隔離された空間での、自然と自己の相対化を自覚する効果についても言 及された。ここで被災地固有の話題として、今の子どもたちや教育にはオランダ島への立ち 入りや自然への距離感があることが触れられた。案内を請け負って下さった道又氏の説明、
オランダ島は現在上陸制限がなされており、津波の影響から海へどう接していいかも分から なくなっているとの話が出ていた。しかし、津波には浄化作用も存在し、恐れだけではなく 地域の一部として見直さなくてはならないかと疑問が呈された。
大人たちのグループは自身の現在と過去の経験を照合し「オランダ島」と「海」という自 然に対してその差異を示し、どの様に未来的に接し地域資源として活用していくのか、とい うプロジェクト活動に結びつくような対話が展開されていた。最終的に島の動植物の生態系 の問題にも触れつつ、自分達は子どもたちを視野に入れた上で何が出来るのか、を問うもの であった。また、地域資源に関してプロジェクト学習へ繋がる幾つかの萌芽が具体的な形で 見られたのも評価すべき点である。
今回の成功点は、やはり児童と保護者でグループと対話内容を分けたことにあるだろう。
最終的な到着地として世代間横断的な対話空間の形成と地域資源の循環が設定されている が、対話するということを知り、慣れさせるための場を用意することが必要であり、今回は 児童らも委縮することなく徐々に活発な発話や疑問の投げかけを行うことが出来ているよ うに見受けられた。
3.3
第二回(6
月24
日)の事例報告第二回となる哲学教室は、山田町役場の生涯学習課小野寺純也氏の協力を得て、図書館で の事前学習と事後学習を含めた環境教育の実施となった。図書館の資料を活用した事前の学 習は今回が初となる。地域の参加者は児童が 4 名、その保護者を含めた大人が 4 名の合計 8 名となる。前回から引き続き参加いただいている親子が多かった。
3.3.1
地域フィールドワーク「発掘された山田」今回の地域フィールドワークの対象となった場所は長崎Ⅱ遺跡の発掘調査跡である。小野 寺氏による簡単な事前学習を行った後に図書館から出発した。道路を通すための砂利の搬出 路を通り、地肌がほぼ剥き出しとなった小山に登る形で遺跡に到着した。
遺跡に到着後、山田湾を眺望する 位置から、この遺跡がどの様な経緯 で発見され掘り進められたものか。
山という位置、炎熱による土の変化、
炭の痕跡などからかつての土器・鉄 器の工房跡地である可能性が高い 旨を話していた。遺跡跡がどの様な 意味を持つのか、お風呂場や部屋の 位置など、遺跡発掘の際の手法や判 断基準について解説を加えると、児 童も保護者も身近に遺跡があった ことを含めて高い興味・関心を示していた。説明の後に遺跡跡を散策し、児童らは鉄が取れ ると聞いて跡地を見て回り中には金属片を見つけることの出来た児童もいた。大人達もこの 様な遺跡は他にあるのかなど小野寺氏に尋ねていた。
フィールドワークを終えて戻った後に、発掘調査に関して用いられた手法や時系列順の発 掘の進行がスライドで展開された。長崎Ⅱ遺跡は手作業で発掘されており、最初は遺跡を壊 さない為に一定の水準まで掘ったら刷毛などを用いて地道に進めるという考古学の手法を 聴いて児童も大人も感心していた。児童らは遺跡から発掘された土器や鉄、発掘の為の道具 に触れることで、自身が学校の社会科で習った知識と照合させ、知識に質感を与えていた。
児童らにとっては身近な地区における遺跡の存在と、発掘の手法のイメージの具体化、そ して実践と学校での教科学習との連環など実践的なイメージの確立が強かった。対して、大 人たちは、他の遺跡と比較、この遺跡がどういう位置付けになるのか、その取り扱いや今後 の展開に対して興味関心を抱いていた。
3.3.2
哲学教室「あーでもねぇこーでもねぇ」前回と同様に、児童と大人の 2 グループに分かれて第二回哲学教 室も開始された。まず、児童らはフ ァシリテーターからの問いに応じ る形で、地域フィールドワークでの 気付きや感想の共有から入った。今 回、一番に疑問に挙げられたのが、
遺跡が山の中にあり土に埋もれて いるにも関わらず発見に至ったこ とであった。最初、小野寺氏の解説 により地層の変化に対する見識の
深さに着目し、小野寺氏の様な技能はどの様に身につけるかを話し始めた。勉強、経験、勘 など必要性が挙げられる中で「そもそも勘って何?」という問いへと発展した。フィールド ワークで炭や鉄を見つけた児童に対して、あれが才能に由来するものなのかという疑問が生 じることになる。「才能って何?」「才能は得意なことと違う?」「得意なことと好きなこと は違う?」など、自分の学校での経験を思い出し照合する形で、問いの連環が生じていくこ とになる。話をしていく中で、好き嫌いと得意不得意は異なっており、それが状況により変 化していくものであるとする見解が生じた。児童らは言葉を選びながら、自分で決定し、目 標を設定することの重要性に着目してこの時間は話を終えることとなった。
大人たちのグループでは翌日の岩手県立図書館で開催予定の哲学対話のテーマの影響を 受ける形で「生きがいについて」をテーマに話すくだりとなった。今回の対話の流れは全体 的に労働を題材としたものに沿う形で進められていった。自身の労働環境や体験を中核に据 えつつ「生きがい」から「仕事のやりがい」へと話は移り、やりがいを見つける為に重要な のは従事した時間が重要なのか、それとも労働自体への目的が必要なのかという見解が出て、
最終的には「仕事のモチベーションの維持」の手法を互いに提示することとなり、この対話 の最後には「短期的目標」の設定が話されることとなった。
今回の哲学対話では両グループにおいて、自身の経験や認識に結び付ける形で言語化し、
提示する速度が向上していたように見受けられた。「才能」と「生きがい」、どちらも普段使 いされる言語ではあるが、その内実や定義について深める機会はそうはない。それにも拘わ らず、両グループともプレや一回目の時と比較し、速やかに自分の経験や認識と関連付けて 問いの連環を展開していた。
3.4
第三回(8
月27
日)の事例報告8 月 27 日は第三回となる哲学教室の開催、28 日は同町の大浦小学校での試験的な教科内 での哲学対話の実装となった。27 日の参加者は、児童 4 名、大人 5 名の合計 9 名となり、
継続参加者は 3 組 6 名であった。28 日の参加者は、大浦小学校の低学年 4 名、中学年 10 名、高学年 11 名の全生徒となる。今回の研究協力者は「遠野物語」の登場人物の子孫であ る長根勝氏、そして大浦小学校全体となっている。
3.4.1
地域フィールドワーク「遠野物語に出てくる山田」今回の地域フィールドワークの対象は山田町にある『遠野物語』の舞台となった場所とな る。今回は『遠野物語』「九十九・大海嘯(だいかいしょう)」の登場人物である福二の玄孫 である長根勝氏(50 代)の案内と解説を受けながら、東日本大震災の話題と絡めながら体験 活動を行った。
長根氏は東日本大震災で母親を 亡くしており、奇しくも大海嘯で 妻と子を亡くした先祖の福二と似 たような経験を経ていた。回った 場所は、田の浜漁港を一望できる 公園の物見台、山田氏の家の裏手 の小山の上にある神社、碑石、保 健所、六地蔵などであった。それ ぞれの場所で遠野物語の場を追い ながら、被災の痕跡と歴史的な繋 がりが語られた。
特に神社では、長根氏の母親がどの様にして亡くなったのかを語った。自分が夢枕で母親 に会うことで初めて死を受け入れることが出来たこと、それは福二が亡くなった妻の霊と浜 辺で会って話したことと同じ様に、幽霊としてでもきちんと会い別れることで初めて別れを 理解できるのではないかと話した。児童らも保護者も、震災のことを思い出しつつ、『遠野 物語』との繋がりを意識しているようであった。
3.4.2
哲学教室今回も児童と大人の 2 グループに分かれて対話が開始された。
児童グループにおいて、今回の フィールドワークでの体験を基 軸に問い出しが行われることと なった。前回同様に感想の共有か ら入り、霊の存在について山根氏 が話していたことに触れ「幽霊や 魂はどうやったら信じる?」とい う命題が設定された。最初、信じ るための条件として「自分が体験 する」「体験した本人に会って話 す」という自他の経験に主眼を置
く形で話が進められた。「幽霊」や「魂」という概念に関する定義を自身の経験やイメージ から言語化、「心」と「魂」の違いについて形状や色を想像しながら語るなど、多面的な観 点から考察をしてみせた。そうした対話を重ねていく中で、「生まれ変わり」や「行き着く 先」という問いに辿り着いた。
児童生徒らの今回の哲学対話で特徴的だった点として、死後の世界や生死観に話を触れつ つも、自分の経験や他者の経験を伝達するための創意工夫と抽象的な題材への問答の連鎖が 見られたことが挙げられる。本プロジェクトにおける主要な論点の一つとして「何故の掘り 下げ」というものがあるが、「幽霊や魂をどうやったら信じる?」という問い出しから、信 じるという行為は何をもって達成されるのか信ぴょう性を持ちうるのか、行為自体への疑問 へと移行し、信じる対象の定義、「魂や幽霊とはそもそも何か?」という抽象的な概念を問 いの対象にしたのは哲学的な営みであったと言える。
では、大人たちはどの様に対話を展開していったのか。大人たちの哲学対話のテーマは「残 すべきもの・記憶」「何を子どもたちに、どの様に残していくのか」というものであった。
今回の遠野物語の話に寄せる形で最初は幽霊や河童、狐に関する幽玄の話題から入っていっ た。そこから、山田氏が遠野物語と自分の体験の繋がりで震災を乗り越えた話を例に挙げ、
震災をどの様に乗り越えるためにはどうすればいいのか、そもそもこうした記憶や記録を後 世に伝えていくにはどうすればいいのか、という方向に対話は推移していった。記録を残す 手法として写真や資料といったもの以外にも「語り」(口伝)という感情を伴う人間的な関 係の中での継承方法が示された。そして、そもそも被害が生じる問題として「(知っていた としても)危機感がない」場合があり、思い込みや現状を否認する自己防衛的な精神の働き により人の意見を聴こうとし ないことが挙げられた。対話に 参加していた山田氏は「震災後 に自分の子どもたちに光景を 見せるか見せないかで悩んだ」
と切り出し、子どもと大人で受 容できる体験の違い、見なくて もいい場所もある旨を話した。
最終的に、「語れないものを語 る瞬間」があり、その為にも語 り部が存在するということを 話している段階で時間が来た。
大人たちの哲学対話で特徴的だったのが、記憶や記録をどの様に維持し、意味ある経験と して引き継いでいくのかというものであった。慣習化に伴うリアリティや切実性の喪失、固 定概念の打破など、必要とされる要素は数多あり、子どもたちの精神的動揺に配慮した上で の対応や考え方が各人から提示されていた。
今回の対話において、双方のグループで固有の展開がなされた。子どもたちのグループは 信じる根拠をそれぞれの経験に求め、信じる対象についてそれぞれの観点から掘り下げて、
疑問の掘り下げを行った。対して大人たちは今回のことから死や災害の記憶を乗り越え、或 いは今後に繋ぐためにどの様な対応が可能か、自分達の経験から具体化し、大人と子どもの 違いや、記憶・記録の継承のリアリティを阻害する問題について話していた。
3.5
山田町・大浦小学校(8
月28
日)の事例28 日は同町内にある大浦小学校に訪問、大浦小学校の校長及び学校全体の協力の下、一時間 の時間を用いて哲学対話が行われることとなった。低学年は 1 年 2 人+2 年 2 人の 4 人、中 学年は 3 年 3 人と 4 年 8 人の 11 人、高学年は 5 年 4 人+6 年 8 人の 12 人でそれぞれにファ シリテーターが付く形で行われることとなった。今回は山田町における学校の単元内での初 めての哲学対話となり、小・中・高学年、それぞれ個別の説明と展開がなされることとなる。
低学年は床に座りファシリテーターを子ども達が囲む形で、絵本の読み聞かせから入った。
子どもたちは読み聞かせに聞き入り、絵本の各場面で投げかけられるファシリテーターの問 いかけに物怖じすることなく答えていた。
中学年は「しあわせってなに?」「ともだちってなに?」「べんきょうってなに?」という テーマが最初に挙げられ「しあわせってなに?」が本日のものとして選ばれた。どの様な時 に幸せと感じるのかをそれぞれが出し合い、「達成感を感じる時」「好きなことをしている時」
など提示された。特に深まりを見せたのは「遊んでいる時」で、一人で遊んでいる時が幸せ なのか、みんなで遊んでいる時が幸せなのか、幸せを感じる条件や場面、幸せの質、そして 楽しさに話が推移していった。
高学年も「しあわせってなんだろう?」というテーマで対話が始まった。最初に幸せを感 じる時として「楽しい時」「夢がかなう時」「笑っている時」「宿題がない時」という幸せを 感じる瞬間が示され、それはどの様な時がそうだと言えるのか個別的に例が挙げられた。そ の中で「楽しい時」という話題が特に取り上げられ、無理やりやっている時は楽しいのか、
習い事は楽しいのか、などの話題が出てきた。高学年で特に話が拡がりを見せたのが、「家 族」について話を掘り下げた時である。各人の兄弟や姉妹の体験を例に挙げ、「〜している 時は楽しく感じた」あるいは「〜された時は楽しく感じなかった」など、人との関係性や振 る舞いでの楽しさの感じ方の変化について語った。
大浦小学校での哲学対話の実施は試験的なものであり、それぞれの学年により展開の差異 は存在した。しかし、哲学対話のルールを最初の説明したことと、子どもたちが対話の場へ の順応が速かったことと重なり、特に中学年、高学年ではスムーズに進められたように見受 けられる。大浦小学校での各学年担任や校長先生からの本教育実践の導入に関する反応も好 意的なものではあった。
4
図書館における本プロジェクトの位置づけさて、前章では山田町での四度に渡る実践事例を紹介してきた。参加者、児童や大人たち は地域フィールドワークによって地域の環境への理解を深め、世代別の哲学対話を行うこと で経験を共有し、現在、或いは将来的な課題について考えていく姿が哲学対話の内容の変化 から読み取れるだろう。例えば、大人たちは地域資源へと目を向け自身の過去の記憶や経験 を現在のものと照合し、その差異から現在の地域資源についての再考へと繋げた。そして、
児童らは自分の住む地域の環境に改めて目を向け、そこで得た経験を言語化すると共に抽象 的なテーマを議論するための手法を学んでいた。
では、そこで図書館はどの様な関わりを行い、どのような留意点があったのか、将来的な 課題も含めて本章で検討する。図書館が「多世代哲学対話とプロジェクト学習による地方創 生教育」において当初期待されていた役割について確認した上で、その中でも特に重要な段 階である「プロジェクト学習」における図書館の関わり方について、司書の課題も含めて論 じていく。
4.1
本プロジェクトにおいて期待されていた役割まずは、図書館ならびにそこに所属する専門職員に対して期待されていた役割についてだ が、端的に語るならば「中立的な広場」と「学びへの案内人」である。
一つずつみていこう。「中立的な広場」としての図書館であるが、これは図書館の基本的 な性質であるのは周知の通りである。そうした場で、地域の問題を「哲学対話」において取 り上げる際のものとして、とりわけ政治的・思想的に中立な空間としての側面が期待されて いた。地域において、特定のイデオロギーや社会関係、特に年功序列や村落共同体は切って も切り離せない関係にある。そうした関係から、完全ではないにせよ一歩引いた、遠慮した 距離感で対話を重ねられる場として公共図書館が選定された。また、近年では第二の公民館 や生涯学習施設として催事を開いていることからも、参加への敷居がある程度低かったこと もその理由として挙げられるかもしれない。
次いで、「学びへの案内人」としての図書館専門職員であるが、これに関しては簡単にレ ファレンス・サービスや資料提供サービスと見ることは出来ない側面がある。従来的な「哲 学対話」や「子ども哲学」のみであれば対話の設定されたテーマに類するレファレンスを行 う、ないし資料群を提供すればいい。現に 江戸川区立子ども未来館 で実施された「子ど も哲学」においては、児童らの興味関心が多面的に拡がる様に設定されたテーマを複数の観 点から見ることの出来る資料が選ばれ提供されている。
今回のプロジェクトにおいて資料提供できるフェーズは「地域フィールドワーク」と「プ ロジェクト学習」にあった。地域フィールドワークにおける資料提供は目的地や地域の産業、
歴史に関する資料を提供することで達成されるが、「プロジェクト学習」は事実とそうでな いものを区別し、事実を探求できる場所であるという哲学対話で出た課題を受けての発展的 な情報探索、「学びの案内人」としての役割が期待されることとなる。それは、調べても直 球的には出てこない、見過ごされてきた、今は掘り起こされていない類の地域資源に目を向 けさせて、具体的な形や活用の方向性を探る作業となる。
「中立的な広場」としての役割は世代別ではあったが子どもと大人、それぞれの位置では 達成され、将来的には多世代間の対話も不可能ではないように思える。しかし、「学びの案 内人」としての図書館専門職員に関しては、まだ手探りの状態にあると言わざるを得ない。
4.2
プロジェクト学習への参加図書館の留意点本報告書の冒頭でも触れたように、「多世代哲学対話とプロジェクト学習による地方創生 教育」は三つの教育実践を基軸として連鎖的、発展的に進むものである。
だが、哲学対話のフェーズで設定される命題は、少なくとも試験的な試みである現段階で は環境教育、地域フィールドワークで獲得した経験を確実に反映できる類のものでは必ずし もない。それは、その後に繋がるプロジェクト学習への動機づけ、契機を与える類のもので あることが担保されていないことを意味している。
少なくとも山田町の 4 回の哲学対話を含めた地方創生教育の試行において、哲学対話のフ ェーズでは経験、感想の言語化から入り、対話のテーマが都度決められた。しかし、それは 自然の中で地域フィールドワークを行ったからといって必ず自然をテーマにするわけでは なく、自分達の身の回りの概念や行動の疑問を具体化する場合が多い。確かに、子どもや大 人たちの発話や事後の感想の内容の変化から「経験の共有」「新たな視点の提供」「発話の自 由性」「地域の理解促進」などの影響を確認することは出来た。しかし、図書館での地域資 源の活用に関する情報資料へのアクセスや発展学習に繋がるものであったかと問われるな
らば難しい。もっともこれらは本プロジェクトが中・長期的な持続の中で確認していくこと になるだろう。
とはいえ、「答えが出ない」概念や定義の問いから「一定の答え」を要求する政策や資源 運用を考察する学習へとどの様に道筋を確保すべきか、或いはそれらの変化をどの様に定量 化し外部に説得性を示すかは考えていかなくてはならない点である。こうした特徴を踏まえ た場合、前節で述べた様にプロジェクト学習において図書館及び図書館職員の資料提供には 一定の課題が生じてくる。これを発展学習として解した場合、すべてのフェーズで積極的な 資料提供ができるわけではないことは理解しなくてはならない。確かに従来の活動と類似性 を有するため、哲学対話の前に行われる地域フィールドワークの際にはそれに関連する具体 的な資料や情報の提供準備ができるだろうが、哲学対話の後に行われるプロジェクト学習に は必ずしも同一の資料が必要なわけではない。それは地域フィールドワークの際にはテーマ を中心とした多面的な資料提供を、プロジェクト学習の際には哲学対話のテーマによって問 いが出された新たな地域資源の活用の参考となる資料、ないし欲しい資料を具体化するレフ ァレンスが必要となるだろう。そして、それをより円滑に進めるためには、図書館側が場の 提供だけでなく進行を見守る、あるいはいち参加者として概要の把握に努める必要が生じて くると推察される。
5
おわりにさて、本報告書では山田町における「地方創生教育」の実践事例を紹介し、その課題に関 して言及してきた。「哲学対話」という手法を用いることで、多世代間対話の雛形を確認す ることが出来た。プロジェクトマップで説明されているように、短期的な視点ではなく、3 年、5 年を見据えた先に中長期的な視点で、対話という手法の根付きと活動主体の地域への 移行が完了していることが望ましい。
そうした未来図において図書館専門職員に対して期待されているのがこれらのプロジェ クトに対応した技能の活用、「学びの案内人」としての柔軟性に富んだレファレンス、そし て自図書館のコレクションの全体像を把握した上での地域資源活用に繋がる広範な資料提 供にあるだろう。とりわけ、地域を活動の主体とするにはファシリテーターの育成を誰が担 うのか、考えていかなくてはならない。「よそもの」の眼差しがそこでは必要とされるだろ うが、それよりは地域の政治的に中立的な場の提供者、地域の構成員、そして図書館専門職 員として積極的なかかわりの中で専門技能を発揮することが求められてくる。
本プロジェクトはまだ始まったばかりであり、それぞれのフェーズに関する詳細は今後詰 めていく必要があるが、地方の教育委員会も協力を行った新たなイベントの事例として図書 館側は認識しておく必要があるだろう。
1) 小出晋之将・福井夏海「「多世代哲学対話とプロジェクト学習による地方創生教育」報告:気仙沼に おける活動事例②」『St' Paul's librarian』No31, 2017, 89-95.
2) Lipman, Matthew,河野哲也・土屋陽介・村瀬智之監訳『探求の共同体:考えるための教室』玉川 大学出版部, 2014, p.119.
3) 哲学対話に関しては地域により催しの呼称が異なっている。山田町においては「哲学教室」、陸前高 田においては「哲学カフェ」と言っているように活動内容自体は大きなずれはないが、基本的に同一 の「哲学対話」として取り扱われる。
4) ファシリテーターは対話の導き手、潤滑剤としての役を持つが、対話への参加や発話、干渉などは ファシリテーター個々人の思想、教育的方向性にある程度左右されてくる。