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レヽ。 この耕地整理 の後,大正 5年

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(1)

‑ 149 ‑

(2)

Ll」1

キ御 認可相成変別紙設計怒及規約相添耕地生理鞍施行規則第四十四条 ノ事項 ヲ具 シ比殿 中謂 候也 O 大正式年宅月弐拾九 日

この申請香 が出されて約 5ケ月後の大正2年4月18日に芳賀耕地整理組合 として設立 を認可 されて いる。 この年 さらに前記 した予定地の弱り丑設計 の補助 を依顧 してい る。

耕 地 整 理 予 定 地 利 Iia・ 設 計 補 助 申 請 寄

「 耕地勝取予建地 ノ所在

御津郡馬屋下村大字芳賀字滑水

「 耕地楚理予定地区 ノ地 目別面相

EEl 三町一反‑畝七歩

畑 三反三畝六歩

山林 一町七反十歩

原野 二十三渉

溜池 六畝 二十歩

堀碑 四畝二十三歩

合計 五町二反六畝二十九歩

「 地区内土地 ノ所有者総数,総面領 及び飴地価

所有 者総数 総 両 横 総 地 価

十四人 五町一反五畝十六歩 九百三十一円二十鎖

「 同意者 ノ総数及び其所有スル土地 ノ総数両横及 ビ総地価

同意者総数 総 両 親 総 地 価

十三人 五町四畝十三歩 九 百一円八十六戯

右耕作地盤理施行致疲 二付 キ測鼠設計御補助相成 密御聴許 ノ上 ‑耕地整理及 ビ土地改 良奨励規程堅 ク遵 守可敏別紙地区内土地所有者 ノ同意証相添比腰 申請儀也。

大 正 二 年 十 月

この申甜苛か らおこなわれた耕地盤理 の規模やその内容 を うかが うこ とが で きる.耕地亜理 両横が約 5町2反ほ どであると とか ら,′ト規模 を盛運 がお こなわれた ことがわか るが,山林,原野の両横 がみ ら れ ることか ら開錐がおこなわれてお り,畑 を地 目変換 し, その上,藤池 を拡張す る計 画が なされた こと がわか る. しか し,教科がをいため属星下村大字芳賀字滑水 とい うだけで具体的 な施行地域仕わか らな レヽ。

この耕地整理 の後,大正 5年, 4年 と申請額 が出 されていることか ら,おそ ら く耕地生 理がかこ夜われ た もの と思われる。

昭和2年 占月に,一宮町 では一番規模 の大 きい耕地澄理が芳Tl'桝地盤理組合 の手に よってお こなわれ ている。排他整理 のお こなわれた画餅 は, 48町7反 とい う規模 で, しか も一 宮町で も屈指の良地であ

ー 170

(3)

る芳賀の新旭 (写寅 1) の増築をお こない,用水せ不 足を改善 してL^るO との耕地轟理 がか こをわれ る 2年前,す をわち大正15年推 ,空梅雨の上 .半官 の雨 もな く,その年 の8月初 めには芳 賀の新旧両地 は底 をつ き,水 を使 い尽 くしたOや っと9月半 ばに豪雨が降 った ものの稚拙来 らなか った. この時 の 上

うす を片山米吉氏は 「属 星下村誌」 の中で,

「9月半ば忙一夜,鼓 雨が夜 を徹 して降 ったが,時す でに渥か った。枯死状態の稲 は唾 って秋風 に乗 って出穂V:1した ものの,水田一杯 には りつめた季節 に もれて,結集せず,い まいま しいで きばえに も ついに「握の米 も樽 られず, ただ牛馬の飼料た るに過 ぎなか ったO この両地#r40町は背賀の穀倉地 帯 といわれた生命顔で もあったので,食に も車欠 き,村 内か らは もちろん,つい打印鑑米 iで買入 れて一年を過 ごしたO この逮鰻は夷 に骨軸に徹 した。」

と述 べているこの 上うな苦い経験か ら,新たに芳 賀耕地塵理組合 を結成 して,新地の増築お よび用水 丑 の補給 とそれに伴 う放水路の改良をおこなったo

「労資耕地楚理組合設計

」 (昭和2年

)

K,=串計画 の説明が記 されてい る。

‑: 用 水 源

本地区 ノ主要用水源 ‑新地古池 ニシテ其貯水丑二万二千九百五十立坪 ヲ有 スルモ全噂慨 地域 二対 ス ル用水丑不足 ノ結果草書 ヲ崇 T)ツツ7Jt,ヲ以 テ新池 ノ増築 エ コ ))之 ガ補給 ・y針 ラン トスo

「 用 水

現況調査 ノ結果本地区 ノ単位用水丑 ‑一反歩一 日一 ・五立 坪 (水深三分) ナ^,ヲ以 テ総碓概 反別三 十八町歩 二対 シテ‑五百七十立坪 ヲ賓 ス,之 ガ本地方 ノ最大連続 早六月数四十二 日間 ノ所要水生二万 三千九百四十立坪 ニシテ水路 内其他 ノ規失量 ヲ全量 ノー割 卜見倣 シ之 ヲ加薬 スル時 ‑揺所要水丑 ノ、二 万六千三百七十七 ・七立坪 ナ リ。

て 補 水 計 画

前述 ノ如 ク総所要水丑二万六千三百七十七 ・七立 坪 ニシテ新 地 ノ増築 ヲ行 ヒ水蘇二尺 ノ増加 ヲ計 ル 時‑増兵後 ノ水面横三町七反歩 (姫塘 内側周桑 ニ ヨル水面掛′ト ト水深増加 ニ ヨル 自然 二増加 ス可 キ

面 卜大差 ナキモ ノ 下記 ム) ナル ヲ以 テ増加貯水皿三千七首立坪 トナ 1)之 ヲ新地 古池従前 ノ合計貯水丑 二万二千九百五十立坪 二合算 ス^,トキ‑二万六千六首五十立坪 トナ リ前記総所要水丑 二対 シ簡約三百 立坪 ノ余 裕7ル ヲ以 テ新地増加水顔二尺 ノ増築計画 ヲナスD

「 放 水 路

本地 ノ放水路‑胡形図 二示 セル如 ク礎外 ノ排水路 ニ7 リ近年改 築 セル完全 ナル 「コyク 1)‑ ト」畷 ナ リ巾且三十尺 ヲ有 .y死域 ヨ1)排 出スル最大 日雨屯 ヲ安全二流過 シソツア l)本地 ノ貯水 ノ、主 トシテ比 ノ排水路 ヨ))分岐 ヲ以 テ取入 シ碑水位 二遵 シ タル トキ‑分岐 ヲ閉鎖 ス比 ノ場 合直接流域 (二十町歩) ヨt)流 出スル集 水丑 ‑分岐中fi十五尺 ヲ有スJt,ヲ以 テ分岐上 ヲ安全 二耽過 シツツア リ故 二放水路及分 岐 ノ変更改築 ノ必要 ヲ認 メズ。

以上設新帝に示 されている とお り, 当時新旧両地の全貯水tは22・950立 坪 であったが, この地区の総 背水丑は2 8.3 7 7・7立坪は殺鷹限 なければ ならをか った。そのため‑新地の増兵 に 上り貯水丑 をふや そ うとい う計画 をたて,増加貯水丑 5 7 0 0立坪 と新 旧丙他の貯水丑 2 2 9 50立坪 を合わ打て2日 50

‑ 171

(4)

立坪 となる よう設計 された旨が記 され てい るO

この=串 は,昭和2年占月16日に開始 され,=車期 間5ヶ年 を経て竣= した ものであるが'r事施 行後の地 目別簡潔性設計

8

忙 上るとつ ぎの ようである。

<地 目>

EB 外 畦 小 計 溜 鞄 堤: 塘 道 路

水 路

ノ」、 計

<面 積 (町)

>

4 0.0 20 4 .52〔】5 4 n.5 2 0 7 585 0 占 2.172 4 0

.

17 1 2 0.1占 10 a5 占2 2 4 a70 2 9 また,新地姫噸増築後の枚挙はつ ぎの とお りである。

種 別 本 埠 塘 副 J鍵 噛 姓 長 18 9間 1 1占間

擬 高 25尺 15尺

撮 大 水 深 20尺 ‑

内 法 1割 4(張石)分 1割 2分(張石) 外 法 1割 7分 1割 2分 横 石 垣 島 ‑ 5(高分1間2分) 馬晒 ノ巾員 1d尺 9尺 内面鋼土厚 平均4尺以上 平均5尺以上

鋼土頂 ト堤頂 トノ差高 1尺 1尺 放小僚 トノ差南路底ト属 4尺 4尺 梢 水 面 棟 5町7反歩 ‑

平 均 水 裸 11尺 ‑

写其 7‑ 1‑ 1 芳刊の新池 とその堆塘 (昭和45年4月 淵本弘道撫影 )

‑ 172

(5)

この新池増観工事 に 上り, この地区内の単音は防がれ その後,大 きな増産 とな り,追払 水路の新 穀改 良VC上って利便 と労力節 減 などいろい ろと効果 を収めた ことは言 うiで もない。 また,=事施行に 上る利益 として土地価額牌資VC上る利益,つ i b用水丑増加 や道 水路 の改良の結果, 田地の価格が反当 5 0円高 くをることなどに 上る利益 も設計の段階 で計画 書れてい る。 それ を表に して示 してみ るとつ きP の エうにをる。

襲 7‑ 1‑ 6 改訂晋忙る整理後の 地価額肝丘の利益

地 目 両横 蜘 単価 円 金慈 円

整 理 前 防 588 × 7 8 CI ‑ 2

d

d.00 8 並 理 後 田 5

7

89 × 750 2 8 4.1 7 5

従 って この設計甘通

t

)にい くと,整理後の土地価街脚 のため18,1 7 5円の利益 を得 ることとなる。

その上, もうひ とつ=事施行 に 上る利益 として,生産.上の利益が あげ られ る. これは,‑#計苛に 上る整 理前の反当収支 と藤色後の反 当収支 を比べてみれば .どれ (らいの利益 が得 られるのか をだ‑いたい知 る ことがで きる.襲 7比 ,艶 前 と塵盈 後の反当収支 の内訳 を示 し ,どれ くらいの利益が得 られ る ものか 菅雪十第 してにまとめた ものである。

表 7‑ 1‑ 7 整理前 と蜘 後の反当収支

収 入 支

作 物 JR(7㌔ *(

R ) T

# i(R)# #(円)4q

労 銀 肥料代

#

#

態 水 稲 2.4 5 5 8 4 5 89 5 0 10 15 5 58

理前

小麦顔)

計収入 と支出の差引利益1.A 15 2 4 1153 02円 24 2 0 5 2 2 78 5

水 稲 2.6 4 5 5 9̲2.4 5.5 979 5 020 105 15 5 5 8

・ J 、 麦飯)

計 1.8 15 2 4 2.0 122占5.1 2 2 785 この表か ら塵 理 前 と 塵 理 後の単価 55円紘変わ らないが . 甑

の 水稲の

反 当収量 214 石 が 整 理 後 に

2・64石 と0,24石増産 し,整理前 の水稲反当収入金額比2・4石X 5 5円‑ 8 4円 とせ り,鹿理後 には 2.6 4石× 55円‑ 9 2.4円 となって, 8.4円の増収 が見込 tれ ることとなる. また,水稲の雑収 で整 理後0.5円増加 しているが,その他は発見前後を通 じて変っていせhoつ ま り,主 忙整理後の水稲の反 当収稚魚が増加 したため,反当収入がふえた ものであ b. この散訂甘通DVCい くとこれは耕地斐理 の も た らした効果 とも言 うことがで きる.つ ぎ忙収入 と支出の差 し引 き利益 をみてみ ると,整理前は5 0円 とな り,整理後は

5

8.9円 となる. したがって,反 当ba9円の生藩上の利益 を得 ると とになる。 これ を耕地整理施行地区全体か らみてみ ると襲 7‑ 1‑ 8の ようVEなる.

‑ 17さ一・

(6)

表 7‑ 1‑ 8 稲作増収

に上る利益

地 目

面凍 仮)

反当利益 (円) 金 額 (円) 亜 埋 前 田 5 8 0,D X 5 D.0 ll.oo.00 尭 理 後 田 5 7 8.9 ×

5

8.9 1 4,759.2 1

したが って,全地区の耕地整理 に上る水桶増収に よる利益 比, 5,5 5 92 1銭 とそる.

以上,昭和2年 にお こなわれた芳賀の耕地亜理 は,新地の増築 に 上って必饗 を用水丑 を確保 し,道水 路の新設改良 をおこなうことに よって草書 を防 ぐばか りか,労力の節減,水櫛 の反当収茄 の増加 を確保 す るとととなったO

この耕地生理 に要 した費用は, 1 7.0 1 5円で,その うち腺の補助金仕 5割 であった。 また,澄用 の 岱葦年限は4ヶ年であった。

② 松尾耕地整理縫合

大正元年9月1日,樟敬二郎氏,撞孝平氏,偉改次郎氏,培種次郎氏等 が この耕地塵理事薬 を発起 し, 予建地の実地踏査 を岡山県に申請 したo大正2年 2月15日,岡山県 より技師 の出張契登 の結果, この 地区が適当 を地区であるとの週刊 女神 たoそ して,大正5年8月に松尾桝地盤理組合設立認可申甜音 を 投 出 し.大正4年 5月 9日.県知事 上り機尾耕地整理組合 として鑑可の指令 を受 けた。すでに大正2年 か らエtqIは若手 されてお り,大正 9年1 22 5日VC,一応の竣= をみてい るo

この=事施行の 目的壮 「松尾耕地獲理組合地区設計啓」につ きの ように記 されてい るo 工串施行 日的

用水 ノ欠之 ヲ禰 ヒ且 ツ畑地変換地 ノ用水 二供 スル 目的 ヲ以 テ旧溜他 ノ集姫 ノ不完全 ヲ修理 スル ト 同時 二之 ガ増築 ヲ行 ワン トスルo

「 道路 ノ改修 ヲ行 ヒLB産物 '肥料 ナ ドノ連搬 ヲ健 二.y耕地 ノ利用 ヲ増進 セン トスO

「 水路 ノ新設,改修 ヲ行 ヒ,佃排 ヲ自由ナ ラシム。

「 低地 ノ壇上 ゲヲ行 ヒ浸水及 ビ過湿 ノ筈 ヲ除 キ二毛作地 タラシム0

「 道水路 ノ改尊 卜共 二区画 ノ改正 ヲ行 ヒ耕作 ヲ便 ニス。

「 中川上 二架 セン番 ノ木 rrはヲ改 メテ,吹上 グ トナシ,以 テ永久的 トシ従来 ノ如 ク年 々賓 スル冗費 ヲ 省 カン トス。

松尾 にある旧溜池を増車 し,埠塊 を改良す るこ とに 上って,用水丑 の欠乏 を補い, tた道臥 水路 の 新設改*,地 目の変換,区画の亜備 に 上って,水稲 の生産力 を上げ 上うとい うものであ るOナ をわち, この増築=杏に 上って

,

潤概 ,排水,運搬の利便 お 上び労力の節減 を 目標 とす るとともK,それ に伴 う 作物の増収 をその 日的 とした ものであった。

=番 の内容は, 4つの区分に分かれ,溜他 1ヶ所 ,沖合道路 占ヶ所,吹上渡樋1ヶ所,伸張畦 畔改 築 8ヶ所 とそっているO商池増築の=軒がお こなわれたのは,大正282 5日で,I‑*頼了は大正442 0日であった。沖合道路 と戦果睦畔改典壮大正 4年 9月2 5日同時 に着手 され .鞘粂畦畔改築 は大 8年1 1月に ,押合道路 は大正 91 22 5日忙それぞれ竣工 している。 また吹上渡 樋 のエ

‑ 174‑

(7)

紘 ,大正5年 9月2 2日より潜幸 され ,同年1 1月2日に竣工 した。

これ らの=車の期間中,組合 は再三,=錬補助金交付申請者 を岡山県に凍出 し,大正4年7月に745 円,大正 9年 5月45 0円,最後 の=串が完了 した豊年の大正10年5月に 4 14円を,それぞれ補 助金 として交付 されているo

つ ぎ忙・おこなわれた耕地生理に よって, どれ くらいの利益 お よび損益 があるかを示 した 「設計脊」

の利益針弁に 上る と,(A湘 作増収 に 上る利益,(B加 地変換忙 上る増収 の利益,(C)二毛作地増加に 上る生 産の利益,(I)籾 力節約の利益の以上4つが永久的利益 として, tた,(a)土地価格増加 の利益 が一時的利 益 として示 めされているこれ らの利益 のそれぞれを表に して まとめてみ る とつ き'の ように なる。

<永久的利益>

(A)稲作増収に 上る利益

上 田 中 田 下 田 計

並 理 前 反反 当 収 立別 振)田 15 52.70 8 52.4 0 592.10 2 9 9

総 収 丑 (司 4 1

a

5 0 2 8 4.0 0 12 5.9 0 74 6,4 0

整 理 後 反反 当 収 丑別 振)(司 19 42.80 d O2̲5 0 452.15 20 9‑ 総 収 立 田 5 4 i2 0 15 8.0 0 9 ム7 5 78 9,9 5

差 引 増滅 12 4.7 0

5 4.00‑ 7 2.15‑ i8 12 4.15.70

当時一石の売価 を20円 として計算 した もの らしく,それに従 って針弁 してみ る と 4 5・55石 × 20円 ‑ 8 7 1.1円

となる。 したが って,稲作増収 忙 上る利益 として, 8 7 1円10銭 の利益 を受け ることが で きる もの と して 見凍 った。

(a) 畑地変換に よる増収 の利益

庄 作 冬 作 計

田 畑 田 畑

# 反 別 拭 4.2 15

4.2 15

潔 反 当 攻 入 的 5.5 8

1.6 1

節 総 収 入 何 1 4.8 8

&8 4 ‑ 2 1.72 亜 反 別 振) 4.1 19 0.0 24 4.1 19 0.0 2 d ‑ 哩 反 当 収 入 銅 2 5̲7 1 5.50 2.2 d 1.占 1 ‑ 後 総 収 入 何 9 8.65 ま2 0 9.4 0 1.4〔】 10 8.49 毒 増 8 エ 7 5 D.32 2.5 6 0.14 8 占.7 7

引 滅

‑ ‑

‑ 175‑

(8)

(C) 二毛作地増加 に 上る生産 の利益

二 毛 作 地 増 加 反 別 8 反 反 当 平 均 収 入 2円26成

( I ) )

労 力 節 約 の 利 益

作 冬 作 合 計

労 働 力 人 見 (人) 2 9 9人 1 50人 一 日平均1人当 りの節約 5

C I

Bi 4

く一時的利益>

(E)土地価格増加に 上る利益

上 田 Efl 下 田 」二 畑 計

告 反 月販 ) 155 8 5 59 4.2 15 ‑

理 価 格円 40 0 4 5 0 2 50 10 0 ‑

前 総価柵 占 2.ロ oo 29.7 5〔】 1d.5 2 0 42 5 10 8 69 5

港 反 男l麟 19 4 占 4.119 45 0.02 6 ‑

哩 価 格円 420 5 70 2 90 10 0 ‑

複 総価格何 8 1.48 0 25,74 0.5 1 15,0 50 ad 7 1 1a 2 7a 9 8

差引 増蘇 1?,一 80 8.0 0 9.49 5,4 7 0 4 1 占,55 1♀ 4 89.8 9 占ロ.0 2

以上 耕地盤理 に よる利益 を ま とめてみ る と.永 久 利 益 (毎 年 入 る利益)紘 , (AXBXoII))を合 計 して 9,585円 96鎖 とな り,一時 的 利 益は . 9.58 5円98銀 とな るo Lかし, こ れ吐 あ くtで,設 計 .年 の上での推定であるので.耕地 整 理 後VC得 た実際 の 利 益 として取 り上 げ るわ け に 仕いか ないが, 少 くと

ち,この耕地並理 に 上って利益を 上 げ上 う という趣 旨 で ある こ と吐確 かで あ る . した が って,問 題 払 生理後実際 に設計宰VC示 した ようを利益 が得 られ た か ど うかで あ るO それ を 知 る 具体 的 な資料 は 祷 られ なか ったが,松尾耕地盤理組合解散 認可 申謂番 (大 正 1 1年) の関係番 類 の 中 で ,予 測以上の利 益 が あ った ことが省かれて ある。それによると.

「碓軌 排水,交通運搬. 桝地 上 コ トゴ トク盤 理施 行 ニ ヨ 1)便 利 及 ピ労力 ノ 節波等 利 益 多大ニ シ テ予 期以上 ノ成錬ヲ見 ル, 放 二米 ,箕 其 他作 物 ノ収 丑‑ 従 前 ∃ 1)増 収 フ ル 部 ‑疑 ヒノ余 地 ナ シ」

と記 されてい るへ

大正 1 1年 ,松尾 耕地塵 理 組 合 が解散 され てか ら1 4年 後 の 昭和 1 2年 1月 2 0 日VC, 松 尾 第二 耕地 亜 理粗 食 が新 た tje設 立 され て い る. しか し, この時の 僻 地 丑 理 は あ ま り規 模 の 大 きを もの で は75く,施 行 面散 る反 d畝 で, そ の 日的 は, 用 水路 の新 設改着と溜 他 の 改 奥 で あ った。

③ 森 上 耕地姓 理 組合

一・・178‑

(9)

森上は.前にあげた芳賀や松尾 などと仕異なり,ほ とん どが畑地か山林 であって,水田は,山 と山の 穣谷 の低位部にA‑1ける もののみで,非常忙少 ない。そのため.ほ とん ど天水に よって典め られた溜池を 補聴用水 として利用 している。 しか し, との地区仏 大 きな用水1,tを十分に貯える布地がをいため, こ の地区お 上rJ'この地区付近の厚地を用水源 としている。 したがって, 白状 と.そのt JI内容 も畑地,山 林を水 田忙変換 した り粕重 した り,滞池の祈敵 用水路の新設 を した りして,山林,畑地を変換開墾 し た土地 に用水を供給十 ることが耕地億理の主 を目的 となった。 この点が他の耕地髄理組合 と異 なってい

る点 といえようo

旬 その他の耕地恵理組合

前記 した 5つの耕地整理組合 と同 じく,他の長野故 地蜘 組合,攻寄池耕地盤賛組合 ,翌々木地耕地 登理組合,辛川市域耕地帝理組合.首部耕地蜘 組合 も同様,用水源 としての潜池の砿張新設,道水路 の新設改巷,地 目変換が主 を臼的 となっている。 これ らの 耕地垂理が,各地区の曲集生産力作大 き4:追 歩を もた らしたこと吐前述 の耕地離理施行後の利益か らみて明 らかであるO

(ロ)親展池用水改良弔菜

横尾池用水改良岱業は,耕地整理組合の 上うに市町判 で行 なった ものではな く.県でおこなった用水 改且串英である。大正124月17日,用排水幹巌 または用排水改僻 の改良水薬VC対 し,旦 上り5割 以内の補助 があることとな り,県で もこれに腺牡を2割以 内をつ ぎ足 して番手をおこな うこととなったO

岡山県では.大正15年 にtず作北 の地忙塩辛池をつくり,その後あLr.ついで排水事典をおとをって いる。揃尾他用7k改良事典 吐,昭和15年,赤噂郡の田慣用水改良車菜 ととも作者手 されている。

耕地薬理の ところで も述べた 上うVE,この一宮町 の地域払 用水源 として多数 の瀞池お 上び砂州 中 川を利用 していたが,用水紘裁薩作 もか よぷ潜他新築増

忙 もかかわ らず不足 して

i l

り,一宮,燭監下.

平韓の全地区を通 じて.平年 における平均彼等は:,

奉 拝7

分 4度の減収 となっているo しか も, 日照

が長 く続 くと.用水吐枯渇 し,大正15年は稲作細において互 天連続5 9日,昭和14年に机 ,・ては用 水籾間中無雨の状態 であったため,大正15年に 5割以上 昭和14年咋 7SrJ以上 の就収 を きた した。

このため,関 降着は.用水源の確保 を痛感 し,昭和1 4年の早髄対策 として潜地の新設 を計画 し,陳情 の終架,単著防止姓菓水利改良機 として採択 され るに誓 った。新設溜池は.砂川の上流部,御津郡偶 邑上村の康,御津郡儒畏下村大字横尾 の熊谷忙集遊することとし.横尾池 と命名 した。横尾他所殻の=

車が着手 されたの払 昭和1占年4月でいちお うの竣工をみたのは昭和2 75月のことであるO 横尾地之記

由来当瓢地区‑純姓村 ニッチ卑 ラ田 生産 二依存 シテ慮済 ノ立地条件 トス飴JL,ニ従来水利不足畢寄 ノ 脅威 二悩 ム偶 々本県僻地抹秋 山技師此地点 ラ相 シ天下無 ニノ貯水地尭造 二好適 ナ^,所以 テ力説態壊ス 即チ有的竜馬然 トシテ共鳴 ./直二馬琴下一宮平津 高松各町村 ヲ以 テ関係地区 卜定 メ井滞概面朝五冒 余町歩二対 シ根尾弛支配地域用水改良車薬施行 ヲ侭二申請轟 コス毒 ツ北方未曾有 ノ大=単二シテ爽 二 十 ヌー年 ノ易滞 ヲ脚 ス井間大平洋戦争 .=直面 ツ労資欠乏共他哉多 ノ音節 ヲ克服 ソ連 二竣工 ヲ以 テ水利 体制 ノ確立 ヲ実現ス閤二比倖薬達成 二就 キ町長 ノ秋山匪宏氏 ノ範始一百軒牧童 ラザル無 キ恩淑‑根尾 池ノ父 トシテ銘記ス可 ク猶主 クル関係当事者 ノ氏名 ヲ列記 シテ言己念 卜為ス

‑ 177‑

(10)

写 真 7 ‑ 1 ‑ 2 横 尾 池

(昭 和 4 5年 4月 淵 本 弘 道 相 好 )

管 理 者 狩谷荒次郎 高木照 夫

工 手 片山蜂富 藤田傭一 児子一郎 但 当 者 秋 山増大 片山周‑ 津南工

昭和二十七年五 月 児 子 洞 雑

居臣下村 長 貨 静 夫

恵 併薪

石工 西 崎 勉 彫 刻 (横尾池の石碑 上り)

(‑) 狼谷池,畳 々木地の分

多 くの耕地整理串薬 や横尾弛用水改良串粟か らみて もわか る よう

v c

, この地域 では,土地改良杏葉 と い って も,そのほ とん どが催俄排水市井 で占め掛 る。それは ,瀬戸内海沿岸 では雨鮎 が少 ないため, 水田耕作のための用水が不足 しがちであったためである。 岡山平野 壮讃岐平野 とならんで,山すその耕 地を欄概す るための多 くの潜池が築かれてい る。一宮町 も例外 に もれず商池 の教は95作のぼ ってお り, その中IG=は奈良胡以前に

くられた と伝え られてLnる宗形他の ような古い溜池 もある. ここに あげた視 谷池,空 々木地 も水田耕作 VC欠かせ ない用水源 として,使用 されたO登 々木 地の洋紙はわか らないが, 雅谷地は 「確保 5年 (1748)大建,辛川市場,今 岡,V̲q宰川,一宮Z)ためVC,凍谷に新地を造 った

と馬堅下村託 に記されているo

々木 地

登 々木地造築の時畑は明確では ないが,か な り古い ものであるら しく,明治1 1年 に吐すてtで分水の 規定 が なされている。 々木地は,当時備前国粋商都井賀村地内に位置 し, その分水地域は, 当時備前

‑ 178‑

(11)

国持高郡辛川市場,大建村,福谷村 の 三地域であったo明尊 1 1年 5月2 9 日に定めた分水規定‑1IT一帖つ ぎの ようで ある。

分 水 規 定 17を

備前団砕市部男賀村地内 トト木地, 同郡芋川市場村,大窪村,抵谷村分 水規定左 ノ通 り,

第‑条 (略)

第二免 各村用水時限反別削‑チ

等充 7‑ 1‑ 5 堂 々木 地

(昭和4 5年4月 滑本弘道撮影 ) 左 ノ如 ク走 ムル ト雌 ドモ

嬰方 協議之上時間 ノj直縮‑妨 ゲナキモノ トス '但苧川市場大SE両村 ノ、従来 ノ恨行 二偽 1)用 水時間 ヲ折半 ス

十 一 時 間 大 建 村

十 一 時 間 辛 川 市 域 村

弐 時 間 摘 谷 村

但時限 ヨリ十五分造 ‑猶譲 ス ト舶 ドモ具余 ノ連燥成 ‑他ノ時間中用水 三先 ッルモノ‑将来 規定時間半 ヲ威 ズモ ノ トス

(後 略)

大窪付,芋川市場村,福谷村 の各用水時間払 各村の反別の割合に 上って, 12 4時間を分けた も の と思われる。 しか し,芋川市場村 と大熊村 と払 反別の削合にかかわ らず,用水時間を折半す るもの としてVlるoその紡架, 1日につ き大窪村1 1時間.芋川J行場村1 1時間‥ 福谷村2時間 とい う割合 で分水することになった ものであるO また.定め られた時W外 あるVL比定め られた時間以上 用水時間 にあてることは簸止され, 1 5分tでのオーバー壮鎗 予するが,それ以上の時間あるいは決め られた時 間外を用水時間にあてるそら,規定時間の半分 を淑 らす ことが記されてレゝるO

)

独 谷 池

I 前vtも記 したように,魂谷池比延保5年 (1748)大払 芋川市場 ,今岡,商

学仙

一宮の用水源 として遣 られ た池であ り,昭和19年,頓馬他が造築 されるまでこれ らの地域に とって電撃 な貯水池で あったO‑官vcて見レ、出された分水協定呑吐.大正5年 8月22日の ものであ り,大建.準用市軌 今 岡の三地区の分水賂定事項 が示 されている。その 「独谷分水協定審」吐つ き'の エうであ る.

協 定 甘

御綾部一宮村大字芋川市場,同郡馬星下村大字大畠,同郡平津村大手 今岡 (以下村名並大字 ノ文字 ヲ ー 179‑

(12)

略 シ単 二平川市場 ,大建,今岡 卜配 ス) ノ営造物 ク^,本郡馬 琴上村大字三和所在 字水谷池水 ノ方法 二開シテ‑従来一定 ノ順行 7ルモ学川市場及今岡対大窪 トノ 間屡 々紛盛 ヲ生 ・y互 二反 目セル‑双古 ノ 不利益 ナル ヲ認 メ大正三年八月弐拾式 日 一宮村所在 中LLJ尋常高等小学校 二於 テ御 捷郡長小野様一郎代理御辞那智記藤原音 二郎及有志者辛川市場深井 菅次郎之レ ガ

調停 ノ局 二当 り一宮村長改野共尺‑ 晦星 等茄 7‑ 1‑ 4 瀬 谷 地

下村長津軽次弧 平蹄村長

色島

婆次郎

(昭和4 5年4月 淵本弘道撮L%) 閥 族三大乎 ヨリ各三名 ノ代表者会 同 ノ上実地 ノ状況 卜従来 ノ慣行 トヲ参酌 シ審競 ヲ遷 ネ将 来 二於 ケル 分水 ノ方法 ヲ左 ノ如 ク協定 ス

本協定特 ‑三本 ヲ作 り各一本 ヲ関係大字 二領 地 スルモ ノ トス

協 定 噂 事 項

独省 弛樋管開放 ノ場合開 拓区域 内一周噂 間 ヲ六拾時 間 トシ左 ノ傭序 二依 り分水 スルモ ノ トシ爾後 梅周比割合 二依 ル

窮‑ 大窪‑拾七時間

第二 草川市場‑弐拾智時参稔分醐 第三 今 岡‑拾時 四拾五分間 第四 辛川市場 ‑拾時四拾五分間

17 辛川市場及今 岡‑分水 ノ時間 二於 テ水路 中漏継 ノ慮 7JtJ箇所 二対 シテ‑之 ヲ防止 スル範囲 二於 テ 土俵堰其他適宜 ノ作業 ヲ為ス コ ト7ルモ大窪 二於 テノ、鼎談 ナキ‑勿輸務 メテ便宜 卜保護 ヲ界 フルモ

ノ トス

「 用水欠乏 ノ為 メ開 床区域 内 ノー大字若 クノ\二大字 ヨリ本闇弛樋管開放 ノ要求 7 リタル トキ‑他 ノ 大字 二於 テ其必要 ヲ認 メザル時 卜雄 ドモ之 三同漉 シ弟一項 ノ方法 二依 リ分水 スル モノ トス

17 大窪 二於 テ同大字 ノ潜造物 タル同所字典田地 ノ値管開放 ‑罪‑項 第一号 ノ時 間中之 ヲ実行 スル‑

勿論 ナルモ時 トゾテ‑辛川市域 又‑今岡‑ ノ分水時間 二亘ル コ トナッ トセズ此場合 ‑双二万立会 ノ̲上 適宜分水 (水路 同一 ニシテ混流 ノ箇所 アルニ依 ル) スルモノ トス

「 本溜勉 ノ水路 中大漣地内将粟 ノ俊雄 ‑轟年大窪 二於 テ其 日時 ヲ定 メ之 ヲ学川市場 ‑通知 ソ大窪 ノ 選定 二院ル担当^指脚 ノ下 二共同作業 ヲ為 スモノ トス前項作共に賓 スル人夫‑五 分 ヲ大建二十五分

ヲ宰川市場 二負也 出夫 スルモノ トス

本協定弔 ノ各 tB項 ‑大正参年八月弐拾春 日 ヨリ英行 スルモ ノ トス

右協定 ノ事項 ‑後 日二至 り双方連背 ノ行動 ナキ ヲ証 スル為 メ開 院村長及各大手 ノ代表者左 二記名印 ス 大 正 参 年 八 月 弐 恰 式 日

‑ 1

8

0 ‑

(13)

原 初・狙谷他姓・今臥 博 学川,一鼠 大窪.筆川市均 の用水源 として造 られたが.大正 5年 のこの 分水協定稗に 上ると分水地域払 平川市協 大敵 今剛の5地域忙限定 されている。政令池分水の方法 托純 して従来'辛川市場お よび今岡 と大建 との間で争いが絶え なか ったが.お互 いに不利益 となること を認めた後'大正5年8月2 2E!, この分水 温定を出 した。独谷池分水 の方法は.一周の時間 を6 0時 間 と改め・大建‑ 17時 W,辛川市場へ2 1時間5 0分, 今岡‑ 10時間 4 5分.再び辛川市域へ10 時附 45分 0削合 で分水す るもの と した。tた. この分水 温定市の賂定乍項 vCは,/k路 の新港 の際の処

際や用水不足の時 の処置方法 などこまごまとした協定が なされてい る0 参 考 文 献

o 桐山収土地改良野菜団体迎合( Tワ d i ) o 岡山 鵜典薬土 木史 o 中凶四国良政局計 画課 o 岡山平野 にかける塵黍発展 と土地改良 0 ,r5 屋 下 村 誌

( 沼 本 範 子 ) (2)良美人 口と労働力の構造変 化

7‑‑1‑ 8 一宮町の人 口

\ \ 、 .

tEt 背 教 人 口密変 一 戸当世 帯人員

2 5年 1.7 75戸 8,75 7人 4.2 40人 4.4 9 7人 5 0 7 ‑

30年 1.7 78 8,8 99 4.3 18 4.5 8 9 5 12

55年 1.7占 0 8,7 15 4.2 4 7 4,4 占8 5 0 5.7 5.0人

55年 1,8 4d 8,d 2 9 4.12 7 4,5 0 2 5 0 2.7 4.7

5 8* 1,9 18 8,7 45 4.2 14 4.5 2 7 5 0 6.7 4.6

4 0年 2.0 8 0 a 9 0 4 4.2 59 4.d 6 5 5 1 2.5 4.5

42年 2,5 5 8 9,5 14 4.69 1 5.125 5 4 4.2 L1.2 庸町村妙要覧 よ り作戟

一宮町 の人 口を

S.

55年 と8. 4 0年 とで比牧 してみ ると,襲 7‑ 1‑ 8においてみ られ るように FB 4i.127人か ら4.2 59人 に,女4.5 0 2人か ら4.4 45人 とそれぞれ1 12人 (2.7帝),165人

‑ 181‑

(14)

(5.占卑)と増加 しているこ とがわか る. さらに世帯数 も1.8 4 7戸か ら2・0 80戸 と25 5戸 (1 2占帝) の増加 を示 しているo これ らの増加の傾向姓他の町村 に仕み られ 7Eい著 しい特徴 となって いるし これは,一宮町が岡山市 と醗接 し,交流 の優 もよ く, 郎市 の ドーナ ツ化現象に よるベ , トタウン となって きてい るためであろ うo団地 の趨虚 な どに伴 って,その傾向は今後 さらにナナむこ とが予剛 さ れ るo S.40年 とS.42年 と比べ ると.男4.2 5 9人か ら4.6 9 1人,女4.6 占 5人か ら5,12 5 人‑ とそれぞれ9.6帝,8.9多 とS.5 5年 とS. 40年の5年間 におけ る増加の割 り合 い 上り2‑ 5 倍 も大 きな輩 となっている。

以上 の ように全体的作は埋)]nの仰向にある をかで,虫選人 口は どのようKそっているの か な見てみ 上う。表7‑ 1‑ 9か ら,8・ 5 5 年 の出家戸放 (1.2 7 4戸) は,惜世帯激 の

衷 7‑ 1‑ 9 曲家戸数

2 9 5 2 5 5 4 0

市町村繁 簡腎 約占 9宙を しめているが, S・ 40年 (1,2 1 4戸) では約58髄であ り,零数の上 では なか多 くの戯 寮歌が存在 していることを示 してい るが約10車以上 もの率で減少 してい る。 この消えてい ったdO戸 6)農家は, I:'の ようを方面に転iJ&しズいったのせううか.その筈え を出す前vC̲表7‑1‑10を見て もらいたいO

衷 7‑ 1‑ 1 0 経営Bi投別戸数

\ \ヽヽ 0.5hLZ‑菜摘 0.5‑ i.0 1.0‑ 1.5 1.5.‑‑2.0 2.0‑ 2.5 2.5んα以上 計 般 家戸数 2 d d 2 5 5 2 12 2 9 5 1 6 6 2 2 1214

1 9 占 5年 腹案 センサス ここで結特 に拝慈 して もらいたいのkt,1・0‑ 15ha欄 す る蛙家 であるOその前後 の規椀の曲家数 と 比 べると実数忙おいて80地 ま40戸 も少 をい。1.Oha以下 の,tJlわゆる零細農家が4 1.9%と半数近

くしめているこの ことは.1.0‑ 1.5haの鹿家 の経営 がそれ以上 またはそれ以下 の良家 と比 べて海難 であることを示 しているので吐 ないだろ うか.逆 に,第‑細出家 といわれ ている1.Oha以下の塊家払1.0

1・Shaの良家 と比べ るとその経営状態が よいのでは 7Eか ろ うか. このこと吐,‑宮町 たりにみ られ る 現凍 とはいえ せいが, どちらに して もこの1・0‑ 1.5haの良家が消えてい ったのでは をいか と考え られ るO このことは,次Kあげ る襲 7‑ 1.‑ 1 1か ら もうかが うことがで きエう。好菜構造 の ところで も述 べ るが, これ らの戯家Qま,その規槙 を縮少 して兼英色の強い鹿家 となるか またはそ の規確 を拡張 して 噂業化の道を とるれ 全 く腺炎 を捨て さるかの5つの うちいずれか を選んだ 托ちがVlない。経営規模別 戸数 と曲築人 口 とで最 も多 くを しめてしっるのは, 1.Oha以下のいわゆる零細jik家のグルーブで ある0

110ha以下の戸数は全体の41.9帝と半数近 くを形成 してい る。 また世侍員数 で払 2.25 2人で全体 の5 79辞を しめてい る。 これ らの グルー ブに成す る人 々仕 をぜ趨薬 を見始 て ようとし75:いのだろ うかO 資料のモ理が不十分で断定 で きないが,次の 上うなことが言え るのでは なか ら うか.す なわ ち, これ ら

‑ 182

(15)

表7‑ 1‑ 11 鹿家人 口

(雇人 を含む)総世帯員数 15才町人 15(雇人をのぞ く) ld:地山の 15才四人 r 15(属人 をのぞ く)16才以脚 、

0 . 5h

a未満 1.045人 7 105 577 9 98 446 0̲5‑ i.0 1,189 15 185 42ロ 10 145 489 1.D〜1.5 1,0 12 15 105 572 7 ー15 401 1.5‑ 2.0 1.5 40 16 174 5̀I8 7 179 d14

2.0〜 2.5 9 55 8 94 574 12 ー85 5dS

2.5ha以上 140 2 17 48 ‑ 20 52

1 9 6 5年 典薬 センサス の赴家に払 兼菜従卒者が多 く, 自給的座薬 を営む 一方,凍葵に 上る収入 を獲得す ることが可能であ り

1・D‑ 1・5haの戯家 と比べ て経常車僻が よいためであろ うc1,01.5haの鹿家に なると,時的的 に も 労助辞情 などか らも地業 たりでは軽骨 しに くくr方 でJiF宵をするに比良轟 が負組 とな り結局は,曲家経 営がj牌 をかねては な りたち

くくをってLhるのでは なかろ つか。つ ま b,

1 , 0

/za以下 の鹿家比,米英 と鼻糞の′<ランスが うまく保たれてい るため であろ 58この 上う忙考 えると.次 に多V,1・5‑2・Ohaの 鹿家で仕,商品供給 のための盛裳が成 り立 ってい ると召 え ないであろ うか。

乗 7‑ 1‑ 12 洗 薬 柵 造 <男>

曲弟だ

陪従tjT 虚業 の方が多い 兼菜 の方が多い典薬 と兼藻 の両方咋従卒 兼鼻 だり忙従車 どちら従事せず

K

も 1ム〜 19才 58 (1dt8) T ( 0.5) 25 (ll.ー) 19 ( 8.4) 145 (85.2) 20‑ 24 21 (1nり 8 ( 5.2) 95 (日 .8) 占5 (51.0) 16 ( 7.9) 25一一29 55 (20.占) 22 (12.9) 79 (4ム5) 52 (1a8) 2 ( 0.2) 50‑ 54 48 (2丁.5) 51 (15,9) 116 (52.0) 2ム (ll.7) 2(0,9) 3 5‑ 59 59 (29.5) 24 (12‑0) 99 (49.5) 18 ( 9,0) ‑ 40‑ 4 4 55 (52J) 51 (19LT) 49 (42.6) 9 ( 5.6)

45‑ 49 50 (52.5) 50 (19.4) 占5 (41̲5) 10 (8‑0)

50‑ 54 75 (45.6) 24 (15.0) 54 (55.8) 9 ( 5.4) ‑ 55〜 59 74 (52.9) 18 (12.9) 55 (25.0) 9 ( 6.4) 4( 2.8) 60‑占4 85 (60.7) = (ll.4) 29 (20,7) 6( 4.5 ) 4 ( 2.?) d5才以上 255 (占9,9) 25 ( 6.9) 28 ( 7.7) 占 ( 1.7) 50 (1ま8) 789 (56.8) 250 (10.8) 494 (52.4) 205 ( 9,6) 221 (10.4)

‑ 185 ‑

(16)

表7‑ 1‑ 12 就 業 柄 造 <女>

建築の方が多い 瀬菜の方 が多い

1&〜 ー9才 24(9,5) 1(0.4) 8 ( 5.2) 21 ( 8.5) 199 (78.6)

20.‑‑24 52 (2一.9) 5 ( 1.5) 58 (1占.Q) 95 (40.1) 49 (20.7) 25‑29 128 (66.7) 1(ロ.5) 25 (15‑8) 1ム ( a5) 22 (ll.5) 50‑54 151 (74.4) 9 ( 4.4) 21 (10.5) 14(6,9) a ( 4.0) 55‑59 16占(75.8) 15 ( 5.8) 29 (12.9) 10(4.5) 7( 5.0) 40‑4LI 1占9 (77.5) 9 ( 4.1) 52 (1^7) 3 ( a.9) 5 ( 2.8) 45.‑49 151 (81.4) 4(2.5) 17 (1D.占) 5 ( 5,1) 4 ( 2.5) 50‑ 54 165 (85.1) 7 ( id) 15 ( 67) ‑ 9 ( 小 ) 55‑ 59 149 (84.7) 9 ( 5‑1) 7 ( 4.0) 2 ( 1.1) 9 ( 5.1) 80〜占4 115 (82.1) 占 ( 4.5) 2 ( 1.4) 1 ( 0,8) 16 (ll.4) 占5地 上 215 (Sa7) 1 (0.5) ll(

5

.0) 5( 口.8) 15占 (57.2) 計 1山 5(81.9) 65 (2.7) 205 (ad) 170 (7.2) 4d4 (19.占)

19 65年 農業センサス ( ) 内は各年令府 中での割合

虚業の就菜柵達 を衰 7‑ 1‑ 12か ら考 えてみたい。 せず男の場合 忙ついてみ ると, "点菜だV‑ 忙従野 "す る者 と "兼業の方が多い "者 との割合い払 5 6,8感 (78 9人), 5 2,4索 (占 9 4人)

とやや前者 の方 が多いが,ほほ等 しい。 しか し,各年令僻 のなか での削 り合いを考 えてみ る と, 20‑

2 4才の屑か ら4 5‑ 49才の屈忙かけては後者 の方が多 く,50‑ 5 4才の層が ピー クとな り,‑ 王 では50‑ 54才の屑か らは前者が多 くな り, 85才以上では英数の上で も圧倒的 忙多く 7 0%弱 とそ っているO "盛典 の方が多い "者紘突放の上ではたい した数 では ないが, 25才か ら64才にかけて広 が ってお り,従 来か らある卑 業従 車者 と新 しい政 として登場 して きた2牌業従 部者 とのギ ャ ップを塵 叱 るよう7t形 となってい るO "兼薬だHに徒歩 "する者払 2 0才 yr塊申 し全体の5 0%を しめている。

次に女 の場合をみてみ ると' 2 0‑ 2 4才 の層 に境 も多 いのが "非業だけに従車 "す る新 であ り, 2 5 才以上 忙なると"鹿英だけに徒弔す る "者 が各屈のほ とん どすべてを しめている。 をか で も5 0‑ 5 4 才の屈 で吐 85多をしめ全体の 6 1・9帝 もの高翠 となっている0 2 0‑ 2 4才 にかいて"‑油菜 たりに群 事 "する者が高い翠 をしめ してい るが, これ仕盛業従部者の減少 と相対的 な ものであ って. "曲共だけ に従事 "す る者5 2人に比べで 45人 多いだけであるO これは2 0‑ 2 4才の若 い屑にかいて曲芸を爺 を う者が少 ない こと も示 してVlる。 このことか ら,礎薬 は女性 忙 とって層 労働 ITあ り,収入 も不安朋L範 であるの忙対 して,定畑的75:収入,軽 い労鋤 となる会社御 めに大 きを魅力 を持 っているだけで な, 7:i 嫁修張や両親の意向 (で きるだり楽 を仕軒をさせ てや りたい等) とい うもの も大 きく影砕 しているため であろ うo男女 とも1d〜 1 9才の屑 で "どち らK も従掛せず "が多いのは.高校進学がほ とん ど凝讃

‑ 184

(17)

教育化 しているため通学者 が多いためである。 また45才以上 に多いのは,病気 ・老令 に 上り点薬がで き7tくなったたわであろ うO以上の ことか ら鼻薬の耽菜棟進 に顕 して比, 一宮町 も他 の町村 の多 く忙み られ る

r

5ちi.ん魚菜 .Iとなっていることがわかる。す なわち. お じいち 十ん ・かばあも ...ん ・かか あ ち ilんに依存す る良薬 とい う形 を示 してVlる。 しか しそ の一方で,新 しい良薬 (雅美点差等) の動向 も 増 して きていることに気 がつ くO "凝菜の方 が多い "者,す なわち第2種米英者 が2 0‑ 4 9才にわた って最 も多 く‑Ia::しめているのがそれであるoそ して今後 とのグル ー ブK属す る者 が,政の うね りの よう vc"Bt菜 だけに従車 "す る層 を 々忙お しやってLhこと

にを

り 2煎農家が卑葵農家 に とってかわ る上 う(てなろ うo これは,都市近郷の鹿家 の大 きな傭徴 の一つ で もある。ぶ どう ・もも ・か き等 の果柵裁培 や野菜 の裁培 などを とり入れた合理的 な多角経営的 な血菜 への脱皮を示 している。耕地 の宅地転換 など でます ますベ ッ トタウン化を示す なかで将来 さらYC点薬 の経営形態 を変 えてい くこ とになるのではない だろ うか。

東 71 1‑ 15 専業兼業

姓家人 口

1

2

総 農 家 数 2 87 (2 2.0) 5 22 (4 1.5) 42 5 (5& 7) 1 2 1 4戸

秦 人口

#義言 罪 1占才 未 満 15 7^ 5 08人 2 2 2人 占 5 9人

1占〜 59才 29 5 7 44 68 4 1 4 4 1

6 0才 以 上 12

0

22 7 15 1 4 9 8

女 116‑ 59占才 末 滴才 3 2 占1d d 8 4 929 8 24 1dd d 1 8 d l7 8 5

6 8 才 以 上 1 17 20 5 18 2 5 0 4

良 菜 戟A

人口 輿 1占〜 5 9才 2 4 4 (8 5.5) 5 ム5 (4 a8) 5 5 ( 5.5) 占 4

0

占 0才 以 上 109 (9 0‑8) 19 0 (85.7) 8 0 (5 2.9) 5 7 9 女 1占〜 59才 2 69 (8 2.5) 5 88 (6 7.8) 5 2 4 (4 8.a) 1 1 9 ー

19 占 5年 良薬 セ‑/サス 表7‑ 1‑ 14 兼 薬 従事者

\ 氷 菓 だ け '演題わ ら農 業 を わらヨのかた 肋 鰍ユた 俄 2 58人 Lー6 1人 8人

エ 9 0 24 4 14

出 稼 ぎ 4 25 12

人 夫 .日屈 1 65 22 1

自 営 兼 業 26 10 4 58 19 ム5年 良薬 七/サス

( ) 内は鹿家人 口に対す るbt# 就業人 口の削合 表 7‑ 1‑ 15 兼弟種 別鼻家裁

一 宮 平 津 属 星 下 敬 180 (5ー5) 158 (602) 145(518)

工 70 (SOD) 51 (/.7̲1) 7d(595) 出 竣 ぎ 7 (57.1) 6 (如7) 7(429) 人夫 .日原 60 (158) 47 (85) 51(17.A) 自 ∵営 茶 菓 60 (655) 15 (955) 1占(占25)

( )内は2

凸家の しめる割合

‑ 185‑

(18)

屈後に兼業農家についてみてみ よう。 1兼鹿家は総捷家教に対 し, 4 1.3藤と壕 も多 く,蝶薬良家は 少 なく 2 2.0帝で,残 りのS a.7虜が2兼典家 となっているO男の場合鹿薬就業人 口の農家人 口に対す

る割 り合いは, 1溌・2兼 とも6 0才以上の層は, 1i‑ 5 9才の屈yc比べて高い率 を示 しているO このことは"5ち↑ん生業 ''の掩い手 である高令者の労働 力が多 くいることを示 しているO また女の場 合VCは,いずれ も半数以上の商い率 とそっているが,これ もおかあちゃん ・おばあち ゃんの労働力が要 求 されてV,るためである.兼半従車者の行 なっている職業を表7‑ 1‑ 1 4か ら見 る と兼薬 だけの場合 では,戟 (中林敬具) が多くdal帝を しめてい る。それに対 して,鹿薬 のかたわ ら兼業忙従車す る者 の協合.人夫 ・日雇が多いo米英のかたわ ら盤雑作従車す る者は,敬 ・エ (恒常的賃労働者)が多い.

また,それぞれ商店等の自営栄業 を行 なうものは,約1割存在 しているo

以上でこ く環正の一宮町における良策人口か エび労働力の構造YC関す る考察をおえ ることにするが, 氏料収集 ・数蹄が不備 であ り

,

「変化」が十分考額 で きなか ったことを,卦わびす るとともに次の人の

研究に朋得 している. ( 遠 藤 省 三 )

(5)鹿耕地の変動 と良民層の分解 (a)曲耕地の変動

私に陳せ られた妹尾 は一宮町 の恭耕地 の変動 と農民層の分解であるが,敷科及び能力の阻 隣上,明治 末畑か ら昭和50年の合併 までを旧‑宮村,合併後壮一宮町全域を取 りあげ検討 してみた。

(1) 明櫓末期か ら昭和 の初期 までの旧一宮村における故地 の変動 衷 7‑ 11 1占 有 祖 地

田 反 別 畑 反 別 山 林 原 野 池 沼 宅 地 坪 数 明治4 4 262町 4829 51町0519 117町 8515 0町8504 0町0016 8275rO坪 28

4 5 262.4814 51.0519 107.8418 0.922占 0.001占 ー占27占5.22 大正 2 2占2.1915 50.2507 107.8818 0.922占 0.001占 占占559.55 5 259.9718 50.2929 150.591占 0.9226 0.001占 占71占5.01 6 282.2415 58.4819 141.400占 0.9521 0.00ld 占占455.占4 7 2占2.0908 28.5504 141.400占 0.9521 0.0〔日 6 66788.dS ll 2占2.5127 27.5727 141.7815 0.9521 0.0016 67052.55 昭和 1 2占1.8007 25.1114 141.9721 0.9521 0.0016 7045占.47 4 2占0.9815 27.占124 ー45.5905 0.7019 0.001占 7142占.85 5 2ム0.7611 29.4504 140.402占 0.6828 0.0101 75784.51 一宮村議事録 よ b作成

‑ 186‑

(19)

表7111‑ 1 6は一宮村議事録 より有祖地 の変動Kついて作成 した ものであるが,それに 上ると田反 別面領が明治44年に壮 262町4829,それが昭和5年杵は260町76 11とわずか1町7218 しか渡少 していないo畑 も5 1町05 19が29町4504と1町58 15の淑少 しか示 してい をいo 田畑両横 とも明治末糊か ら昭和 の初期忙かけては多少の戚少は示 しているが,非常忙 々た る ものでほ とん ど変動が ない とLJ,って もさしつかえ紘 ないだろ うO他方 ,山林両横 や宅地坪数 仕増加 を示 している.

山林面林 は明治44年が117町8515であったの忙対 して,昭和5年 に比 140町4026と22 町5511の増加,宅地坪数は 占2.750坪 28が75.784坪51と15,054坪03もの増加 を示

しているO次に表71 1‑ 1dの各年亜 ごとの変動をみやす くす るために図7‑ 1‑ 2を作 ったo 切

一 ヽ 一 払J

1ノ

'

ヱβ

4 ト 、 1‑ 一一 一 一 一 一 一 一一 一 一 一 一 一 一 、

侶安藤 、 ノ 一・ 一 1 ・ 一・一一一 一・一 ・一 一・一

妾 .

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. I . I .

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8日

1 5 ‑ 占 7 日

4 ∫

図 7‑ 1‑ 2 有祖池の変動 (一宮村

議亭魚)

.̲187‑

(20)

これを見てみ ると田C)増朕はほ とん どみ られ ないが,畑 の場 合,大正 4年 にある橿変の増加 がみ られ 句 しか し盈大 正7年には以前の面耕以下 に就少, 昭和元年 tでわずかづつの渡少がみ られ るc Lか しそd

後再び増加 の傾向をあらわ しているO このと とは農家 が畑作 に力をいれ エ うとした ことが推察 で きるD で比 ないかO山林面疎 をみる と前 作明治末期 か ら昭和の初期 までの間にか な り増加 した こ とを述べたが それは大正5年 iで忙増加 したのであ って,その後は翌大正 6年 に 9町19 10ほ ど減少 してか ら壮観 ば レ、状唐 を続けてい ることがわか るだろ うQ このことは一宮村の場合

他 へ し

た林産物 が ないので,山林 を 経営するのVC限定が きたのでは をいか と患 われ る。 この国 をみて気づか なければ Trらないのは宅地がわ ずか をが ら増加 し続けていることであるo宅地面横 が増加す るとい うことは, EElや畑 などの耕地 をつぶ してそこに家 を盛集す る可能性 が大である0枚にこのこ とか ら前 に述べた田や畑 の面樹 のわずかづつの 減少 と宅地面横の増加 との両者 の問の相関関係 が理解 で きるだろ

うO

(。) 主要作物 の作付反月価 横 の変動 表 7‑ 1‑ 17 作付反別及び収凍高

一宮村会謡帝 に 上り作成 表71 1‑ 17は米 ・麦 ・雌軍 の作付面棟及 びその収 獲高をあ らわ した もの図7‑ 1‑5は作付面棟 の変動 をグ ラフ忙 し7tものである。 これをみ る と,米 の作付両横 は昭和の初期 までは多少の増減は ある がほ とん ど変動が ない とい って もいいだろ う。 しか し安 の作付面硬 をみる とその増渡には激 しい変動が 斗 られ る.大正5年に 13 9.4町 と前年 上り急敵に滅少 している。 しか し里大正 4年 を最低 にその後再 び増加 を示 し大正1 1年 には2D 216町 に・王で伸びたoそ して大正11年 を t=l‑クとしてその後減少 と 増加の大 きな変動を繰 り返 している.昭和22年 の米 ・裳 の作付面鎌 をみ ると激変 してい るが, これは 太平洋戦争での 日本 の敗軌 そ れに よる国土 の末席 などの影卒 が多大 であることが推察 され る。儲草 の 場合 も比較的変動が大 きいこ とがわか る。 これは欄革 な どの商品作物はその時 々の景気 などに よって作 付 される面識に も脚 を受け ると思われ る.米 の作付面鎌 を表7‑ 1‑ 116の田反別両横 と此戟 してみ

‑ 188

(21)

′̲A

●一一一 一一′ \

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‑I ‑ ・ ^ 、 . ーノ 妙 ‑ . ー へ 、

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7 ri I 4 J

図7‑ 1‑ 5 作付辰男 額 (一宮村議 串点

)

2e;

ると田の大部分・ほ とん ど1 0 0帝に近い率 で米 を作付 してLhることがわか るO今壁は収 鵬 を米 の鶴 合 でみてみ ると一明冶 44年 と昭和5年 を比唆 した ら明冷4 4年 の作付画餅 が2 日 5町に対 して収獲 高が= 9 2石,一方昭和5年 ではそれぞれ2 5 7・4FT・7・209石 と作付滅少 してV)るに もか かわ らず収確高壮逆に増収 しているo この ことはい うt でもなく典薬技術 などの発適 に 上る ものであろ

う。

〔う 合併後の耕地の変動 (一宮町)

表7‑ 11 18・ 1 9は昭和5 0年 に一宮村,平 , 臣下村 の 5村 が合 併 して一宮町 となってか らの民 有 地面棟 と経営士地面鞭 をあ らわ した ものである。表 7‑ 1‑ 1 8をみ る と田の面棟 が段 々と渡 少 して きている。それにひ きかえ宅地は増加 のづ 金をた どってV}るo これは都市の近郊の周辺 地区に お いて収近全国的 な傾向が原著ITある鹿地転用に 上る ものであると思 われ るO この奥地転用 については後

‑ 189‑

(22)

衷 7‑ 1‑ 18 民有地面柘

宅 地 田 畑 山林 昭和5 7 8149 82a 61.1418 25占85a占9.512a

58 689257 占1250 25J545 ddβ75 59 704771 占1.101 25.494 da757 40 786554 57.541 25f)78 1577 4 1 898512 占0208 24555 7ム740

襲 7‑ 1‑ 19 経常土地面湖

l E日 畑 樹 園 地 樫脚 耕 和5 5 55&,a ha 94.2ha 129.db 780.A ha

19 60, 19 占5 世界農業 センサス

岡山県統計年報

でふれ ることにす る。襲 7‑ 1‑ 19をみ ると田の経営面鎌は昭和さ5年 には55 占・8haであったのが 昭和40年 忙は525.1haと約52ha もの減少 を示 してい る。 畑 も94・2haが80

・ 9

.

b

a と約15ha の 淑少 を示 してい る. 田畑の‑r南棟 の大幅 を減少 に対 して マス カ ッ トぶ どうや ももの栽培 を中心 とす る御薗 地吐逆 に約i5ha増加 してい る. これ比昭和5 0年 とろに出 て きた マスカ ッ トの栽培 に 上るのが大 きい。

農家 として も換金作物 として利益 の大 きい果樹 耗培 推力を注いでい るこ とがわか る。今 や一宮町 は マス カ ッ トの県内 での有数 の生産地 に もな っている。 今後 も当分 この他向ほかわ らない と思 われ る. 次 に主 要農 産物 の作付両横 とその収俺 高ytつ いてみ てみ エうと思 う。

表7‑ 1‑ 2 0 主 要農産物 の作付両横 とその収稜 高

昭和5 7 5 8 4

0

4 1 4 2

桶 作 付 面碑 (a) 5 7,850 57.25 5 5 4,508 55,00 0 5 2.80 0 収 稚 高

( t)

2,4 12 2.2 9 1 1,9 7CL 2,2 70 2,6 6 0

小 麦 作 付 而耕 (a) 2 1,5 9 2 10,89 9 8,9 00 7.5D O 4,do c

収 稚 高

(t)

5 78 49 2 7 1 19 1 1 14

大 波 作 付 両横 (a) 8 55 9 52 4 00 40 0 5 08

収 稚

高 ( t)

2 5 5 12 l l 15

裸 変 柁 付 面耕 (a) 8 15 4 5 6 5 0 0 5 00 2D D

収 稚

南 (t)

18 2 9 9 A

・FE 革 作 付 面稚 (a) 4,185 4,占0 2 4,100 5.8 D O 4.20 0

‑ 190‑

(23)

昭和5 7

5

8 ー 4

0

4 1 4 2

も も 作 付 面 .‑GR (a) 7,4 98 7.45 8 4.8 0 0 5.7 0 0 5,0 0 0 収 稽 高 (t) 7 15 占 7 0 5 7 8 b o o 5 5 5

か き 作 付 両横 (a) 6,5 7 7 6,5 5 7 6,6 0 0 6,6 0 0 6,10 0 収 稽 鶴 (I) 8 5 5 8 4 5 5 4 0 5 4 0 74 9

ぶ ど う 作 付 両横 (a) 4,75 1 4.8 5 0 5,8 0 0 5,0 0 0 4,9 0 0

岡山県市町村勢要覧

黄 7‑ 11 2 8に 上る とほ とん どのBt薩物 の作付同相が年 々減少 してLJlるのが一見 してわか るだろ うQ 水稲は唱和5 7年‑昭和4 2年 の5年 間に

4

4ha・小麦 にも.いて拙 占5ha・‑その他の大安 ・裸安 欄 革

も少 なか らず減少 している。 これ らの原因 として換地転用が容易に考 え られ るだろ う。注 目すべ 卓こと 払 ぶ どう ・もも ・か きとい った果樹類 の作付両津 が必ず しも増加 を示 してはお らず逆に減少 している とLnうこ とである。 しか しここで気をつけ をLrlればhH をLhととは収稚高 である。確 か咋 この5年間

作付面樹は滅少 しつつあるが,収稚高は必ず し もそれに比 例 して減少 してはき らず む しろ増加 している といえる。 このこと紘その栽培技 術 ・薬品 などの向上VC上る農葬の近代化が行われてい ることを示 して いる。だか ら果樹栽培 は年 々盛 んVCなっている と思 われる。

(I) 農地転用

虫近a)全国的 な傾向である点地転用が一宮町 で も例に もれず盛 んである。表7‑ 1‑ 2 1は昭和4 4 年碇の一宮町の用途別の盈地転用の状況 を示 した ものであるC

表7‑ 1‑ 2 1 用途別魚地転用

用 途 ̲ 面

住 宅 用 地 75,50 2 工 銘 菓 用 地 15,4 9 9 学 校 用 地 2,6 4 7 道 二水路 .鉄 道 用 地 10,19 8 その他 の砲物瀕 設用地 5 1,5 4 1

碓 林 4,7 9 6

そ の 他 不 明 14,8 0 5

昭和44年蜜島地移動実態訴塘 一宮町役場

これに 上るとヤは り圧倒的 に多いのは住宅用地 である。

和 4 4年vcおいて

良地転用総面顔 1 5 2.5 8

d

m2の うち7も 5 0 2材 と束 に48帝と約半分 を占めてLhるO 一宮町は岡山市 のベ ッ ト9 ウン として最近特 VC脚光を浴 びて きてい るが.価地 の建設等 が このことを端的にあ ら わ しているといえ 上ウOそ して最近 よくいわれ るマイホ ーム71‑ムが曲地転用 に拍車 をかけている ともいえるo 住宅用地忙ついで,その他 の建物施設用地 ・エ鉱菜用地 への転用 も目立 ってLJlる。 この 上うに年 ケ基地転用は増 加す る傾向を一宮町 で もあらわ しているが, このこ とは Bt家に とってこれか らの良薬への大 きを曲 り角 につ きあ た っているととを物語 る ものであろ う0

‑ 191‑

(24)

P) 点民Jiの分解

点民屑分解 については,最初 旧 5村全域 を取 りあげて色 々な角鹿か ら比救検討す る予定 であ ったo しか し残念 75が ら旧5村 の焚科が tち士もをので統一 した ものが で きず比較の しょうが なか ったoそ こ で この間項 も鼻耕地 の変動 と同 じく,明治末 朋か ら合併 iでを旧一宮村,合併後を一 宮町全域 を と りあ げてみた。

(1)一宮村 におけ る明治末期か ら大正期 までの良民層分解

点民層の分解は耕作耕地 の広狭別曲家変軌 自小作別鹿家 の変動 などを調べればある程度理解で きる のでは をいか と思 うがそれ らを調べる幣科が見つか らなか った。だか らここで壮一宮村議 車歯 の中にあ

った県税 戸数割決鵠坊 を手 がか りとして追 ってい こ うと思 う.

問題 に入 る前 にこの時期の典薬 について述べてみ る。 この時如仏 日本金英 の19LU一紀末か ら20世紀初 頭 vtかけての発展助 と19 2 0年代以 降の鼻薬問題 の本格的展開期 とにあた る。草本主 義 の独 占段階作 はい ってい くJ:恐慌 があらわれ る。そ してそれが農業に もあらわれ て きていわゆる鹿集恐慌 を起 こす こ ととなる。 しか し, 日本の盛業恐慌は,点薬外部 の穀本制生産が恐慌におち入 り, やがてそれ が盛業に も恐慌状 態が波及 してい くもので ある。 この よう7k動 きの中で地主 ‑′」、作関係は どの ような動 向を もっ たのであろ うか. これ か らそれを探 ってみ ることにす る.

‑宮村の勘合,大正8年 とろまでは等級別に税金 が妹せ られてVlたo礁せ られた税金 の多少 vc上って 各典家 の状態が推察 され ると思われ る。そ こで,その人教 の変化をみ ると表7‑ 1‑ 2 2の よ うに なるo

表7‑ 1‑ 2 2 等級別県税賦課 戸数

1‑ 5等 d〜 10等 l l‑ 20等 2 1‑

S

o等 5 1等以上 総 農 家 数 明治

50

d 戸 18 15 5P 1 d5 戸 1 17 45 7戸

5 5 7 14 7 8 2 5 5 155 4 8 9

4 5 7 19 1 2 8 15 2 19 2 4 9 4

大正 2 6 18 7 5 16 2 2 ム 4 5 2 1

35 iA 1715 5 76 占 1 4 815 5 2 9 75 05 5 2 55 2 5

8 5 l 1

0

6 8 1 4 1 2 9 9 5 2 1

一宮相談事命 より作成

この表 をみ ると明治5 5年 に1 1‑ 2 0等の戸数 が明治

5

0年 と比較す る と7 5戸減少 してお り, こ のことは ,大体中曲に近い と思 われるtl〜 20等 tでの中間層の減少が明治42年 頃tで尾 をひいて きた全国的 な中間層減少化に一致 しているもので ある。 しか し全国的 を傾向は,明治4 2年後 か ら中間 層は増加 したのであるが,一宮村 の場合.明治4 5年 の統嘗†では確かに増加 しているが.大正2年に払 又,息放 し,その後滅少傾 向 をた どってい る。 この点で一宮村 の農民屑分解 壮将兵 を点 を持 ってい ると

‑ 192‑

(25)

いえる。一方の極 である1‑ 10等 士での上屑は性ぼ雌波 をLyCその地 位を保 ってい る。では もう一

の穂,す なわち下層は どうであろ うか。襲 7‑ 1‑ 22忙 よって明 らか を ように2 1‑ 5 0等, 5 1

以上 の下屑は,明治5 5年 をみ ると.明治5 0年 と比べて2 1‑ 5 0等が7 2戸, 5 1等以上が5 8戸 増加 している. これは中姓層が減少 した ものがほ とん ど下層 にまわ った ととも大 きな原因であ る0 2 1

か ら5 0等 までの戸数は,その後,大正2年 まで忙,明治5 5年 に増加 した戸数 とほ とん ど同数減少 し,その後,多少の増減壮あるがほほその数 を保 ってい る0‑万 5 1等以上の最下層,仮 (Cそ う呼ぶ こ と托す るが, この層をみ ると,明治5 0年以来,清

爽に

珊加 している9結集家数 に対す るとの層 の比率 をみてみる と,明治5 0年 に比 2 5・占碑であ ったのが.大正8年 には5 7・4帝 と2倍以上に なっている.

とのこ とか ら巌下層 の増大‑中間層 の下層への分解 が うかがわれ るO

以上のことか ら,明治の後半か ら大正 の中頃にかけて忙中息 の没落 がみ られ,上層はその地位 を,中 身はい ざ知 らず,保 ち続けた といえ るだろ うO で壮上層鹿家の分解仕果 してなか ったのであろ うか。

表 7‑ 1‑ 2 2をみると1等か ら10等 までの戸数 は,微 々た る もの 75:が ら変動 しているのn:気 づ くだ ろ う。 これか ら上層鹿家の中か ら大地主5名を抽出 して上層の分塀にふれ てみ る。

(p) 上層 の分解

襲 7‑ 11 2 5 県税斌陳敬 の全体 に対する割合

大正 2 5 4 5 8 10 昭和2 5 占

H 氏 1 2.8% 1 2,5% r" .4% 11 4,2序 1五 4序 ll.9.渉 9.占串 1.5率 i.1%

F. 氏 4,2 4.4 4.5 4.5 占.0 5.1 0.9 0.8 0.7 W 氏 1.0 1.1 1.2 0,7 U.9 D.9 1.

8

A 氏 1.0 1.1 1.2 1.1 T.2 1一2 1.8 1.7 1.占 氏 5.1 5.1 4.5 5.1 1.9 5.7 4.2 4.0 5.9

一宮村議 串僚 よt)作成 上の襲 7‑ 1‑ 25結,大地主5氏 の各年薩の収税 戸数割肝誹額の全対 に対す る割合 を示 した もので ある。 これをみ る と, H氏は昭和2年頃 まで全村の10尊内外 を占めていた. H氏は一時40町歩 もの 農地を所有 していた. これ らか らtl氏が‑宮村 vcおいて,当時 , とびぬけた古典大地主 であった ことが 容易に推察 され るだろ う。 ちなみに,大正2年硬膜税 後佃戸裁判賦課 決演者 をみ る と,全村 で机 探額合 計が5 2 1円 9 7銀 で,総 戸数 が5 2 1戸, 1戸平均が占 1鍋 8距 とをる。 ところがH氏 をみ ると4 1 円20蝕 と記 され ている。 2等軟の Ⅹ氏が15円 58銀 であるところか らみて も,いかにH氏が とびめ りていたかがわか るo ところが昭和5年 をみ ると, 1.5串と急

忙落 ちて,その後没落の一途 をた どっ て きている。昭和9年において仕,全村 の合計額が5.9 7 4円5口銭, H氏のそれは, 4 5円5占銀 と 75っている.そ して昭和2年にはfl氏に代 って,加氏がその地位 を とって代 ったが,そのM氏 でさえ も 全村 陀対する斌税額の割合 が4郎 fl後であるととか らして,以前 の fI氏の よ う.LこAl:.うな大地主 では な か ったOそ して,その割合仕,決 して増えていないことがいえる。 K氏 に して も

,

W氏 ・A氏 に して も 昭和 の初めに75るとその割合が減少 して

, W氏作かいては昭和5, 占年 vc仕 2 0位 に も 入 っ

‑ 195 ‑

(26)

てい ない. これ らの こ とは,上層

‑ ' ・ ‑

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I 4 ‑ Lr ・PL>+・〜‑■

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/ ‑一I一 一‑̲̲.J

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A氏

̲ ‑̀ ヽ

1. ..

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W丘

̲ 一 一 一 一一 一 一 ヽ ご‑ ‑, I

\ . ・・

r ・ ‑ i , ‑ ・ ‑ ' t J J二ナ‑

5 4 5 8 10

5 6 7 8 9

図 7 ‑ 1‑ 4

県税朕昧街の全村 に対する削合 (一宮村議 串魚 )

と下層 との幕が段 々まってい っ たこ とを物語 る。そ して大正末期 か ら昭和 の初勘 にかけて上層の没 清 一H氏 とK氏忙頗岩 ve見られ る

‑が あった ことを示 してい る。

再 '1Gt地改革後の旗民 間分解 地主屑の没落 を決定的推 したの は戦後の煙地改革 で与ろ う. では, 農地改 革後の鹿民僻の分解 に移 ろ

うと思 うo

R本姓弔二次他 界大 槻 で連合範 に取れ,領土 を占術 され.その支 正己下 忙おかれた。迦合'LFはすべ て の 日本社会 の分野 (C対 して,民主 化 をはか り. まず 日本鹿村の民主 化 のために 「鹿地改革 rT関す る党

」 を交附 した. こfLVE基 づいて 政婿吐昭和2 1102 1日に

「自作曲創設特 別摘冊 態」 と 「改 正 島地 調整法」を出 した。 この法 徐 の EI的綻,大 きく分けて 桝作者 のTT,菜 を安定 させて小作良のその 労働 の勃発 を充分に草食 させ る

と, もう1つの 自作 姓をすみやか Kかつ広汎に創設 しこれに よって 雌築佐渡力の発蛙 と趨村 の民主イL の促進をはか るこ とであ ったD そ こで鹿地 の所有 とその分配 ・利 用の開 院を合理化 させて耕作 する 良民忙寄席 の余地 を与え,鼻薬経営 を容易にす る典薬 の近代化,生産力の発展が 日本再建の途 である と して,それか ら2ヶ年に,不在地主 の′」、作地全部 と大地主 の持 っている′」、作地区 は地主 めいめいに占反 だけを残 してあ と画が買収 する番になった。以上が農地改瀕 の純単 を概要で あるが,この‑宮村 に もと の佐和 が実施 され環収計画が進 め られた。 これに 上り地主が大 き引 有季 をとおむ り, そ して没落 してい くのであるO そこで ,地主は どの ように痛手 をと うむ ったかを‑宮村 の月収酎画鵠屯 を もとに して考 え

‑ 194‑

表 7 ‑ 2 レゝ草 加 工 点 景 い草 作付面積 労働 力自家 囚 放額台数㈲ 輸 機名 称 放る期間(年間) 放D めた時始 る 時 間 手方法1日の放い草入 販 ル ー ト売 の 展 望 これか ら A 12 15a‑ ‑ 2 人 2 台 ラピタド 1 年 中 2 0年前 10 時間 仲 買人 自家 + 業 者 やる ち 17a 5 人 1 台 平 なお 織 糠 今年 は織 場 忙上る.らず○相 20 年前 その ときに 上る 産 自家生 縁者に わける やめろ C 18a 2 人 1台 &amp
表 71 21 2 7 一宮 町 咋おけ る地区 別 養油 状 況 地 区 に わ と り 占ヶ月 未 満 dヶ 月 以 上 i tわ と り 8 ケ月以 上 の羽 敏 規 模 別 銀 家敢 彪 敢 羽 数 鹿 示 教 羽 救 よ酪 汲 羽 故 49 卿 50〜9習 1 00 4 謬 う0 … 謬 5OD J 謬 屈 辱 下 .5 甲 5 P腰 3 220 15 8 2 84 【 ) 日 管 9 A 平 坪 170 叩82 9 1 , 1 50 17 D 6 95 2 149 ー0 9 2 2 19 占5年

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