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図 7‑ 2‑ 4 果樹 の出荷額推移
任)
甘果物 出荷組合や科 よb部 落 名 f か き 捉地 ぶ どう も も 出荷立上 阪光額 出荷塩 販売額 出荷塩 販売額 冊 ,i( 28 117
5
19 292凍 上 25 129 2 51 516
上 芳 賀 55 189 12 198 106 1587 下 芳 盟 dB 445 7 140
松 尾 24 14ー 8 159 20 296
大
権
15 220 52 486艮 野 5 85
暁 尾 7 171
佐 山 45 276 27 557 21 254
中 楢 陣 5 48
栄 梅 津
山 崎 4 27 ーJl 184 2 24
今 岡 2 14 占 1 10
一 号 2 15 19
早 川 1 10
尾 上 2 14
任 1 ‑号町 任果物出荷組合調 べ
/Jj荷櫛 の推移はLjYl7‑ 2‑ 4忙示 ナとお りで あるO 温瞳 ふ と うの詳 しい幣科 がないのは,LClをはだ残 念 であるが,生産Liか伸びてV,ることか ら出荷丑 もほほ同 じ割合で伸びてVlる忙相違 ないO
凶 71 2‑4に よる と,昭和4う年 (1 9 68年 )比天鐸不曙 のため, もも,琵地 ふ ど う,か き共
に
減少 しているが あとは大体伸 びる協
同
(,(あるo たた し, この統計資料紘一 雪町 野敷物出荷組 合 で東 少 扱 った ものたけの金額 で あるので,その実態は必ず しも明確では なV,O をせ な ら組合 を過 すとV,う販 'JiE頼経 にせだ加 わ らず直族市
場
に娠うじする農家 もあるか らで,爽際 吐 これ 上 りかな り多 vl額 を示 して tpるとの ことで あるoさ らに素 7‑ 2‑ 4は部蒔 ことの果物出
荷
且 及ひ販売 'Dを示 している。 これ に よる と, か きは下芳 賀 佐山,上芳賀 の順 で,
砧地 ぶ どうは佐山,大 建,上芳 乳の順, ももは上芳賀 ,課上,大 陸の順 で あ り‑205‑
上芳 賀や佐山はすべてにわた IDて上位 を占めてV,る。
卜)販}‑R機 構 と市駁 販売機 鰐は温室 ぶ どうの場合 と他の果 樹の場合 とは晃 なる。温室ぶ どうは県 Vこ独 自の生産者の組合 (温皇 姓脇 )が あ 9脱党 もt.こを通 じて行 なわれ ている。 したが って とこでは 温室 ぶ ど うと他 の果 樹を分けて述 べ る ことに した。
0 温室ぶ ど う 温墓ぶど うの販売 は岡山県温室典薬協同組 合 (略 称 :貼温室農協 )が統括 してお こな ってV,る。一軍町 の場合 な らば この県温室盤齢の下
v C 一
宮町温皇連合会 が あ り, それが さ らVC 7 分区 (佐山,平幹,森上,上芳致,下芳 賀,松尾,大 窪 )に分かれている。温室 ぷ と'う比価格安 窪 を図 るため県で出荷統制 をか こな っている作物 の lつで ある。 したが って, 出 荷樽 期に走る と,県の温窒盤脇が収牧 山や出荷時 期の推測 (披 見 )をお こな って温壷連合会 に出荷且 お よび出荷時期 を割 b当てて くる。この割9当 てをさらK7分区 を経て各 搬家 へ と割 り当ててい くので あるD そ してこの割 り当てに基づいて各 漣家 比Lti荷 を始め るO 出荷 組路は,各農家っ創 芸の輿僻所→
県湿窒毅脇の蕪荷所→市 場 (→仲買人→′ト売店 )となってい るっ
なお,一 軍町過量運合 金は出荷 に関 する一切の仕 ¢ (具体 的 化は,資材の購入,割 り当て,出荷 出用 の会計 など )ばか りでな く,lHL皇 ぶ どう生産者の組合 として栽培技術 の指苛 や市場調査 や後継者の育 硯 など多 くの機能 を有 してい るC.
また,温室ぶ ど うの主 な市 場は,岡山県 下は もちろん,京阪神方面か損 も多 く,若干は東京方面vcも 輸送 され てvlる。
⑦ もも,か き,露地 ぶど う これ ら5つの果 樹は他の 宥果物 と同
様
に,一号町 野果物 出荷組合 ( 1 9 6 1年結成 )を通 じで出荷盲れてい るO販売経路 は温室 ぶど うとあせ りかわ らないが, ももは 温室 ぶ と うの ように盤豪への' gl
b当てはな く,他の ベ リーA,か きは組合で割 り当 てを決めてV,る。組 合の 仕掛は温盈 連合会 とほぼ同 じで あるO 現在の組合の問題は, せず組合 食通 さか Jlで出荷 する農家 がか な りあることで ある。 「また流通機構の合理化の帆晦 もある.組合 良の言 われ ることレ⊂よる と,前 者 は出荷 蜂材 の価格が安 くなるなどの組合 の利点 を啓殺 してV,くことに よ り,後者は直接 にデパ ー ト や スーパーマーケ ットに卸 すような機柵 を実現 す る方向へ向 ってV,る。また市場は,県下 をは じめ鹿児島,女敵 ,神戸 な どで あるct鹿児 島の ようケ⊂週拒郎地 方は価格 か安定 して V,るので出荷地が増加 してV,る と育 われてい るC.
B 一 考町果 樹敷噂の発展経過 a 果 桝 入湖 と先駆者
果 樹栽培 の多 くは ある個 人のn
臆
に よって, その地域 に首入 され る ことが多いc Lか しなか ら, それがその土地 crJ亜業 とな り,柾蛍 としての 目的 を十分達 成 するV(紘,次第 に災同化の一途 をた ど り 先酪 者 個人の事か ら広 く多 くの良民 の手に移 ってい草拡大発展 して V,くもので ある。一軍町の勘合,果 樹栽培の創始者は苛藤巻 八氏 で ある。氏については鹿 屋下村誌 の人物櫛に詳 し く述 べ られて あるので これ を欝約 することに するC.
氏 は明治元年 (1 8占8年 )芳賀金姻生 まれで, 2 0才の時,/」\関都今井 村 よ り桃 8本 と熱箇 4本 と を当町V・C帝人 し栽培 をは じめ たC.
‑ 204‑
これが属崖下相異 伽穀増の最初で ある。明治5 5年 (190 2年 )どう, 自分の果 終極 で良巣 を発 見 したO これ絞白色に熱 する硬巣 で美味で あ り,一般の時好忙適 し, また 日持 ち もよく地送 に過 してV, るので 「白桃」 と名づけ栽培 を拡7tした。 また との ころtでは,市場性岡山 までで あったれ 明治
5山羊(1 9 05年
)
には神戸,大阪 K まで進出するに
いた ったe 明治 5 9年 (1 9 0占年)
には吉 備巣触 色合 か別立 され氏 は融 ℃組合 良と75:り巣 柵栽培V(̲尽力 したe さ らに大正 8年 (1 9 1 9年 〕か ら温壷 を建設 し,マスカ ット種 と晩生 コールマ ン種 を捉え大正 1 5年 (1 9 2 6年 )には加温栽培 も 始め好 硯鮎を卦さめたeこうして氏は一考町のみならず岡山県の童顔特産物で ある ももと温室 ぶ と う栽培の先駆者 となったの l であるぐ
第 1次 お よび第2次大戦中は,果物 よ りも米麦 をどの主食用作物 の方 が特電 されたため,叫 韓果 樹栽 培は突返 するか,磯後再 び果物の胃管 か急激 中(増加 してきて中北部各所 で果 樹栽培の風食 が眺め られ るよ うになったcLこれ ら果 樹栽培の増加の最大 の原田 仕,栽培技術の進如 亡伴 って良質の果物 が容易 に生産され るように を3たためた といわれでV,るC.
しか し,一宮町全体か らみれば,瞳皆面(/亡かいてまた副鼻的耽 培をも.とな っている盤家 も多 く,土地 の収益性,労軸力 な ど関越は 士だ解決 を待 ってV,る ぐ
e 鼻薬構造改薯蘇葉 と果 樹栽増
一 望町の果 樹栽培の歴 史は,明治20年 (1 8 88年 )か らは じ7tり今
[ 川
⊂故ぶほ ど環い もので あるが,i遠近は盤禁 間道 の近代化が叫ばれ,鹿家の経営仕大 き く変革 しつつ あるC.その舷 も朗著 を も のが盤潔構造改蓉串蕪で ある。一宮町は同部 を岡山市に凍 しているため,近年曲渠労働力 の地産菜流 出が著 しく出講後退の煩向にあるC.これは,か っての鯉菜 自体 の経営の非合理 や技術の遅滞 もJ,q因 し てV,る と思 われ るCゆえに,農薬経営の独立近代化を目標 とする奉養が農業構造改善恥築で あるとも首 V'得 るe一考町 良薬の第 1は.現在 の ところ米で あるL,が,南部の米qc対 して,中北部 の温室ぶ とうや ももを 基幹作 目として政審 群発がかこ葱われ ている。温塵 ぶ ど5ヤその他の果 離 ,以前には夏期において 早
熟
亡催 り放出が著 しく減少 するので,畑地 かんかt J l
施設の必電 Kせ せられていたctところが相和40年 (1 9 6 5年 )か ら盾工 をみた県営笹 力楢川下流地区師範 パ イロ ット野
菜
にE t
が岨川合同用 IJ( (座主 川 )を・k源 としての畑地 かんかV,が計画 され,新 たに造 成整備 され る果 軸 に基幹作 目で ある ももおよび温墓ぶ どうを番人,軽督規模 を拡大 し自立農家の育成を図 ってい るぐこのため巣 柵栽培の専 非化は進む憤向に あるのが現状で あるC.
この良薬桐造改題松
葉
に参加 してい るのは,大 亀 匿山,上芳乳 下芳賀の 4つの地区 (総称 して北 部地区 )の良家2 05戸で あrO,それ らIBt家の栽培地域 は図 7‑ 2‑ 5に示 してvlるぐ蝿 7‑ 2‑ 5は大塊除 夜温室が整然 と地殻 されているV.わゆるマスカ ット田地 と温墓の下の傾斜 に造 岨 しているもも園で あるC
‑ 205一・・
図7‑ 21 5 北部地区の大規模 を温室 ともも園 江 1 農業 構造 改替計 画有
‑ 206‑
写夷 7 ‑ 2 ‑ 1 良薬棉造改尊妙薬 で昭和45年に新 し(
造成 された温室 ともも園 (上芳繋 ) 表7‑ 2‑ 5 鎖車構造 改沓松井参加良家 の現状
写束 7‑ 2‑ 1は果 株樋 の景観 で ある か, まさに人間の 自然を克服 する力 に 驚嘆 させ られ る よ うな景観 で あるC. なお
,
旧来 の巣 御重や盛家 は この新 しくく遊 成された果 樹闇 の 参る丘陵の聴VC あるぐ
さて,北部地区良家の温室 ぶ どうとも もq)作 付面敬 の現況は表 712‑ 5V( 示 すとお りで あるぐ
地 区 徳家A 品ご.? 5畠 戸
加
作付 温 垂 ぶ ど う地 対城 ナA る 坐産 係幽 作付 も地 対唆 すA も坐 関節 数 芸 数F;=一 a曲 計 比忙 軍lコ 且 戸数 頗面 計 比Vロ る亡惑; 産良 戸数 北部地区 5 6F
205戸 15.15RI= 5.,5 2̲7]占 ち
161戸 29.9A,Ll 4 チ 8腐 558 "F
その他の
地 区 845
0
10.84 45.2 2一g4 184 50.1 50.2 182 241盲汀
卜 胃町全体 1214 205 24.00 100.0 480 545 占0.8 100,0 540 4[l8
庄1 温室ぶ どう, ももの各政氏性,改 善中共参加嬢家が対 象 江 2 農業構造改香 ¢紫計画音 昭和4 4年
この乗による と,北部地区は温塵 ぶ ど う, もも典 忙全域の約半分 も占めてい るぐ さ らに改善 申輿で北 部地 区の占め る割合は拡 大する見込 みで あるc Lたが って北 部地区は一考町の果 樹栽培忙 きわめ で奄 嬰 在位恩に あるこ とが理解 され る。 また この歌蕃群落で北部地区の果 樹噂薬蛙曹膿家 は1 1 8戸 か ら
145戸‑ とふえる予定で あるぐ
これ ら改背 中業 参加良家 の中小⊂は組 合 を結現 し発金 を共同で借 りで栽培をは じめた曲家 もあるC.この ような組 合は, 5組合 あり1娩 8‑ 18人で牌現 され てVlるご この組 合 吐,缶金調達 や諸 々の耗同殻 鰯 を建 設のためむ⊂共同の形式 をとってV,るが,経営 牡すべて各良家 がさ虫白で おこな ってV,るct
′C 果 樹栽培典家の特色
一考町 の果 樹栽培は,前述 の エ9‑⊂中北部 を中心に良諸 構造改沓彰英 の下VC縫営規原の拡大 およ び塔 濃化 ‑の動 きかみ られ,年毎 に著 しV,楓陸の変畑 か あるC・
現在Erl, また兼 硯の果 樹園が多 くあIO老令 の 樹を考
掛
亡入れて も栽培面桁は拡大 している。 したか っ‑