伊東静雄詩論 : 第一詩集を中心に(前編)
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(2) . 第 22 巻 -第 2 号. 北海道教育大学紀要(第一部A). 昭和47年1月. 伊東静雄詩論--第一詩集を中心に- -- (前 桜. 編) 竜. 井. 丸. 北海道教育大学函館分校国文学研究室. Tatsumaru SAKt izuo 1To 丁RA工 : Essai sur la poきsie de Sh. i --‐autour de son pre・nler recueil de poもmes--- (premiere par t e)--- i i -- Pe t 亡r6sum6 des deux par t es --一 Le pr。b 1 i eme de Sh zuo IT0, un poもt e moderne du Japon t s saye de t ouヒ dans rouver sur , que rai e i l depoemes i f i l d i i 6 6 son Premー err t tc t i l G l i ecue n l i a omm e r u e r 6n6 a e voq a voX ans 皿 eu o ta s esenta , ’ dulyr i d i l H tPeut e l i sme t 6賃exiondint l i reCause del af or ce del ar e . Ce manque e yrsme es gencequilu i i i l tl ー t r efusa e bonheur dese P1 onger dansl e comme l el sme t radi onne t t t e poe e devai yr . La di缶cu ’ donc pourlu l id i t exp erl oi e noveau champ dul sme moderne yr .. i Ma i i ines i a Pe i lques po esl i asa son o t sapr esontec r setComPo lmesun peu Perver ses que sementde l ls l i i dr i 6 l lui se t i es beaucoup de ba t ique a r ot t sas e d6t ache pourun monde c ront appor t ser s po6 s ,i l i i i i d t d ent r el esob e ure setl aconsc ence de d6pr i i ざ b l i snat es e 6 s on c s o n m n o e e t e t t o s o r a rc omme y , l p ,. la per i l i 壱r i t e pour i aj eunes e del se dontl a consc ence des t t tantl tavecl i ique sa e pr es e devo r du po6t . lde po己 i Son pr i i ig6e de son a i tcommel l f errecue emi 1 h ne s6t a a memo r eex 1 ne enva e par a or ce du. i i isubs i inementenl n6ant del aj t lnel i賃eque eune s se t ence deceneantqu eCer srexper s a ui aver . Ma ,i. ivement ll i er t ti a Cache derr e n6ga ut6 el sver sCommeunecauseimmanent e , ParConsequent ,ou pl ,nous. i l t i l ar6sonancedeCet r e queses poemessont del enceincapab ere eexper ead壱vo t pouvonsdi er ,etceCarac ’ del f a d es i i ld n t e ns e r l r l e u n e oj i i i l i ar onance o a r e l e u a ss o n m e rr u e u ec e por r 1 eso a po r suv a gne p p p , ion de poet i de ce 1 i t t t ef orma 6r rera tousse s po邑mes u t eur s que ,pen6t ,. ’ i lde poeme Bntoutcas i les i l ixdechi b on pr emi err ecue tpos s ecro ee s s ed aper rl avo r cevoi ,danss ,j ,i ’ ’ ’ i ique ou lharm lr l e po6t i l 6a i t en aspi rantverslun L oni e qui ecue s era dansses r s de poemes sui vant s , et ’ reCher i d i h d 6 i i 6 6 l i se e tc e rs e x r n e s l l u n u r e tr t c e c n e ・ m e l n a u s n r e se e e e t s nc uss pour rouver a nouVe y p P. i i tdela pog endro e moderne du Japon s .. 目 1 出発点における詩人のあり方 2 丹情の欠如 厚情の欠如を拝情する構図において 3 ・ 4上 詩的自我ということについて 〔つづく) (以下次号). 次. ′下 A T. 詩的自我ということについて (つづき). R U 上りつめた 「音なき空虚」 ハ h V 「反響」 ということについて ヮ 十n X U. 詩人の青春について 「憂愁の深さ」 としての明るさへ. 1 ) においてであ 伊東静雄 がその作物において詩人の態度を考えたのは, 昭和4年, 『子規の俳論』 一 99 「. ● ●.
(3) . VOI .2 .22 No. ion I A) i ido Uni i lof Hokka f Bducat Journa ty o rs on (Sec[ ve. Janua l y,1972. った. 先ず子規の芭蕉論を取りあげ, 両者に窺える二つの衝突点を, 即ち, 「一 つは-- 生活と芸 術との関係に於て-【芭蕉のより生活的な, 主観的な態度に対する子規のより芸術至上的な, 客観 」 的な態度, 二つには÷÷表現法の点では--‐芭蕉の象徴主 義に対する子規の所謂写生主 義のそれ- を論じ, 芭蕉の, 「俳語一葉集」 における, 「句作になるとするとあり, 内に常に勉めて物に応ず れば其心の色句となる, 内を常につとめざるものは, な らざる故に私意にかけ てするなり」 を踏ま えつつ, 子規が 「芸術は心が物に応ずる所になるのであるといふ芭蕉の主観主義に反抗 し, するの. 芸術即ち客観的態度の芸術を極度に肯定 してゐる」 ことを指摘 した.. この指摘は, 言うまでもなく子規の, 天保以後の月並俳譜師たちの誤れる精神主義即ち内に常に 勉めるに急で芸術としての問題を軽視した傾向に対する歴史的啓蒙的 意義を確証 してゆく 端緒にな るが, そしてこの意 義の見地か らすれば子規の過激な言説もそれなりに考量されるべ き点は少なく. ないのであるが, 芭蕉の詩の価値切下げのみに急で, 蕪村を過褒 したという一 事例に典型的に見 ら れた子規の論 説における作詩態度は, 論者静雄の極めて妥当なる裁断を受ける. 「子規が真の芸術 的主観の態度を指 し示 し, 誤れる主観にかへるに正しき主観(芸術的に) を以って しようとせずに,. 全く主観を没することに よって誤れる主観の弊害を脱 しようと した所に, 彼の写生主 義が只単に啓. 蒙的な意義しか持ち得ない理由が存する.」 更に, 「自然は広く豊富だ, 従っ てそれを没主観的に 機械的に写生さへしてゐれば, 自然の豊富なだけ句も新 しく豊富だと言ふのであった. この際に於 いても彼が 陳腐な らざる理想に就ては何等の考察も下すことな しに写生主義を理論づけて行った所 に, それが叉啓蒙的な意 義のみ しか持たない理由が存するのである.」 子規の俳論を点検 してゆく静雄の基点は, ひとえに 「芸術的直観の象徴的表現」 を重んずるとい うところのみに所在 した. 学界また詩壇における啓蒙的歴史的意義というようなことを去って, 芸 術という創造と享受との, 時に広く時に狭い, とらえ難い領域へ進捗するには, 極めて素朴だが, 同時にまた極めて確実な基 点であ った. 「その論文の出来ばえや, 学問的価値の如何などについ ては今ここで言ふ必要はない. ただ私は. 君の子規論が, 一般の所謂研究といふものとして, あまりに激 しい情熱を湛へてゐる事に 驚いた, しかもそれは奔放な主観に任せた煽情的な論議ではない. 非常に手堅い思索の底から, 抑へ切れな 2 ) いで湧き出す泉のやうなものであった」 (穎原退蔵).. 伊東静雄がその詩的世界に踏み出す前に 「非常に手堅い思索」 によって 「自己の燃焼する主観」 を抑えたことが, その世界の性格を明らかにする重要な事実であるというよりも, 有 り 様 は む し ろ, その詩業においては, 主観は抑えられたのではなく, その 「手堅い思索」 の中にこそ生誕 した のであり, この意味で, 『子規の俳論』において固め られた思索が, その後の彼の詩作を捉すもので あった. それが, その思索において極め られた認識からして, たとえ難行の性格を帯 びたにせよ, とにかく詩作態度の方向において, 困難なる捉しを誘発するのであった.. 「日本文学思想の根本をなす」 と して彼の観じたものは, 「古今集序以来の心を種として物につ けてそれ ,を言ひ出だすといふ一種の精神主 義, 主観主義」 であった. しか しこの 「主観の表現とい ふこと」 が 「芸術的直観の象徴的表現の意味ではなく して, 低級郡俗なる世話的な目を以って人事 自然をみ, その穿ち, 誓暁, 教訓さもなくばそれに対する感情の概念的抽象的な曝 露にすぎな」 く. なる危険を彼は見ている, そ してそのことに対決した子規の没主観主義の意義を確認 している. た だ しこの子規の教説は, 芸術の象徴としての表現を看却 し, 単なる 「在外的風景を在外的風景とし て描くこと」 の危険に移行する. この一 つの危険の中に静雄の出発する位置があった, 即ち, 在外 的風景を自己の燃焼する主観を通 じて, 象徴と して, 表現すること, 静雄の所論で言い換えれば, 表現法における子規の写生主義と, 生活と芸術との関係に於ける芭蕉のより生活的な, 主観的な態 -1 00-.
(4) . 第 22 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要(第一部A). 昭和4 7年1月. 度との融合であった. これが 『子規の俳論』 をもの した際の, 論者静雄の脳裏に浮かぶ 詩人の可能 なあり方だった. が, 一般に詩人のあるべ き姿だった, と必ず しも言えないのは, 例えば芭蕉とい う詩的象徴を実現 した典型は, 子規の所謂写生の精神に依る人ではなかったからであり 「古今集 , 序以来の心を種と して物につけてそれを言ひ出だすといふ一種の精神主義」 に立つに しても 静雄 , が しば しば強調 した古今集の誓輪の精神3 ) にぐずぐずすることなく これを本来の夢のまかす まま , に駆け抜け瞬時に象徴を実現す る態の詩人だったからである. この場合, 静雄は生活に固着されて いたが故に, その狭瞳な環境に, 詩的夢想を達成するには, 写生から象徴への道すじしか可能では なく, この道を歩くすべとして 讐輪の精神があった次第で, それは, 写生が 「低級部俗なる世話的. な目を以っ て人事自然をみ」 る危険への防壁であった. しかもそれが常に, 「燃焼す る主観」 の炎 に照射されることなくしては, 「感情の概念的抽象的曝露」 におちこむことになるのである . 静雄が子規の俳論を通じて抽き出 した芭蕉における生活的な態度は 静雄が取るあるいは取らざ , るを得なかっ た生活的な態度とは大いに異なるのであり, 芭蕉とは, これを端的に言えば, 「見る べく夢みた花や月を, 現実の花や月に見つけようとした そしてときには見つけ ときには見つけ . ,. るにいたらなかった. そのあひだの空虚なる空間を埋めるために, 四季をつらぬいて肉体が疾走 し 4 ) という, 正しく 「旅に於いて夢を生活した」(同左) た」(石川淳) 5 )詩人であった. 従って 「気 , 持を大切にいたは りあたためながら, そこに此世の棲家を見 つけた. 現実の世界の中に運動 し 決 , 戦し, 血路を開く代 りに, 自分が適応 しうるやうな現実の面に添っ て, その面を愛することに於い て自分を愛 しつつ, 気持の領域を拡大させて行き, つひに現実の世界の一部を芸術の地図の中に取. 6 ) 蕪村の方にこそ, むしろ静雄におけ る詩人の類縁は見出される 蕪村 りこむに至 った」 (同上) . --子規に至 る写生の精神を踏まえつつ, 「天保以後の俗流俳譜師たち」 の危険を警戒 しつつ 詩 , 的象徴へ辿る旅程の目論見が, 22歳の未だ本格的詩作に着取す る以前の静雄の目には映 っていた筈 で あ る.. けれども 「自分が適応 しうるやぅな現実の面」 は先ず彼に許されていたわけではない し, 「気持 を大切にいたはりあたため」 ようと しても, それを 「此世の棲 家」 ととにもかくにも観じうるよ. うになるのは遥か後年のことに属する. 現実に融和されない, 孤立した心情を, 「深海に坐する悲 ) と して確認 したことから 彼の作詩生活は始められる 7 劇」 , . 「坐する」 態勢は伊東静雄の全詩作生涯を通じてほぼ基本的な姿ではなかったかと私は思う 「四 . 季をつらぬいて肉体が疾走する」 といった大運動は所詮不可能 であるという自己の分際の積極的規. 定の自覚において, それの反措定としての放浪への憧慢, 居住する場所への厭嫌が夢をつちかうの であった. 讐n 命の精神は端座の姿勢を夢へ連絡するもの である. この姿勢は, それに対崎するもの への思いをこめて, それへの断絶や憧慢や疑濯や諦観の形で, 主調低音のように思い出 したように 8 ) 「われもまたかくて坐れり」 ) 「電光に 散見されるのである. 例えば, 「私はひとり岸辺に残る」 9 l o ) )「五月の夜のく らい水 1 1 逸せられし人は坐る」 「同じやうに永い間わたしも呆やりすわってゐた」 1 2 ) 等々. そして明からさまな詩作主体の端座の描写がなくとも 各詩篇に喚起さ べに駆んでゐた」 , れる各個のイマー ジュは端座の態勢において見 られた印象を与えてい る. 否, 私は正 しく言い直さ. なければならない. 伊東静雄の詩作を一貫するものは適確に見据えられた事物の印象であり, それ らの事物の確かな印象を支える言葉のエネルギーが端座す る詩人の像へ結集するのである, と, 従. って, 「聴覚型といふのは単に句材として音響を択ぶ型 の人といふ意味ではなく して, 音楽の如く に, 自己の心内に漂ふ情緒の全体を具体的に直接に象徴 しようとする芭蕉流の態度を言ひ, 視覚型 といふのも亦句材として只視覚に映るものを取ると言ふばかりではなく, 在外的な物そのものを描 写説明しようとする子規の写生の如 き態度の人を言ふ」 とする静雄の言においても, 彼自身が視覚 -1 01-.
(5) . Vo l ・2 .22 No. ion I A) i i t I ka i do Uni l 。f HO t Journa rs on (sec く ve y 。f Educat. ーanua ly l972. 型の詩人であ ったということも, 彼が蕪村--子規の 写生主義の人であっ たことを既に述 べた以上 は, 今また繰り返すに及ばないのであるが, それが聴覚型との明確なる対比において勘考されてい ) として, 視 1 3 る こ と を 私 は こ こ で 確 認 した い の で あ り, さ れを こそ, 後に, 「白き外部世界なり」. 覚と して描写されるまで, 彼の 「心内に漂ふ情緒の全体」 は圧殺されていた のであった. そして, それはその 「全体を具体的に直接に象徴」 されることはなく, 視覚による現実のもののイマー ジュ 1 4 ) のように, の背後に深くひそめ られたのであった, 「心内に漂ふ情緒」 は片鱗と して, 「秋の海」 恐 らくその心熱が外部現実の条件と融合 したかに見 られる時期においてす ら, 外在的物象の間隙に 閃 く しか 無 か っ た の で あ る.. 外在的物象は, 静雄の場合では, 詩的自我の孤立の条件であり, 詩的主観を閉 じこめている生活 的現実であった. しかし逆に言えを 詩的自我の保証と して作用 したことにもなるのは, 生活的現実 に圧殺を覚えた精神は既に詩魂の核であり, 孤立は詩的自我の芽生えである. そ してこのとき現実 ライ才ン. に対処するには警句と格言とを以ってするのが彼の自覚的方法であった. 「獅子は昼は兎に角楽し かっ た/目の前の鉄格子は/人間共を寄せつけない/ 自家の警句や格言と も思へたから」 「然し夜 は--/或る深夜に私が公園の中を 通ると/百獣の競び声の間に/ 胸に泌み入る獅子の畔きがはっ 拝んたう. ) --‐こ 1 5 きりと聞こえた/あなたは/ (僕 らにもせめて真の深夜があればいい) /と考へないか」 の 「真の深夜」 には, 自我の心熱を一個の世界とした 「深海に」 端座する詩人の姿があった筈であ る. 獅 子 の 詩 は 『静 か な ク セ ニ エ』 の エ ピ ロ ー グと して 書 か れて い る. 「人 間 共 を 寄 せ つ け な い」 「警. 句や格言- 」 と しての 「鉄格子」 を作るために, 「真の深夜」 を確保するというよりは, それの存在 6 ) を書きつづったわけである. を証明するために, 静雄はクセニエ1 2 小林秀雄の 『中原中也の思ひ出』 にこんな言葉が出てくる. 「それは確かに在ったのだ. 彼を閉 ぢ込めた得態の知れぬ悲 しみが. 彼は, それをひたす ら告白によって汲み尽さう と悩んだが, 告白 するとは, 新 しい悲 しみを作り出す事 に他な らなかったのである. 彼は自分の告白の中に閉ぢ込め られ, どう しても出口を見附ける事が出来なかった. 彼を本当に閉ぢ込めてゐる外界といふ実在に ) 1 7 めぐり遇ふ事が出来なかった. 彼も亦叙事性の欠如といふ 近代詩人の毒を 充分に呑んでゐた,」 「叙事性の欠如」 ということが近代詩人一般に当てはめて云えることか どうかの詮議は暫く置く. と しても, 「どう しても出口を見附ける事が出来なかった」 「自分の告白」 更には 「得態の知れぬ 悲 しみ」 という中也の内界が彼に言わば先験的に存していて, 詩作はそれを 「汲み尽さう」 がため. に行使された事情にひき比 べると, 静雄の場合は, 外界が先ず在って, 彼の詩は, それを自分の信 ず べき詩的内界へ領略せんが為に歌われた, というより作りあ げられた, その作り方の様々なる デ 9 ) の 試 み が, 1 8 ) で あ る こ の ル ナ ー ル 流 の 機 智1 ッ サ ンが, 「ク セ ニ エ」 を 書 く 前 の 「事 物 の 詩」 .. 皮. 2 0 ) に殆んど集録されていないことが の考える詩から遠い のは, 第一詩集 「わがひとに与ふる哀歌」 示 している. 外在する事物を誓輪を 以っ て把握する中に彼の詩魂は形成されてゆくのであって, 詩 魂が把えた外界というようなものではない. 彼は正しく好惰性の欠如に苦慮 した と 私 に は 思 わ れ る. そ して如何に好情するかを思索することによって彼が詩というものに結縁する事を思ってみれ ば, 彼の哀歌詩篇以前の詩作に, 汗情性の欠如を補わんとする理智の切ない切尖を 感得することは. 可能である. 「私の孤独を/- 鉢の黄菊に誓えよう/つつま しい庭師に作られて/ 位置の正 しい明るい花が/ いくつも咲く」 -- 「後園に/ 桜は孤樹になって立ち/淡々 しい花に満ちる」 -- 「妻よ 夕顔の -1 02一.
(6) . 第 22 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要(第一部A). 昭和47年1月. . ことを話すのを/廃さぅ/僕等の言葉は未だ/ この花の霊白な理智の/目覚め切るのに/ほんたう の薄暮ではない」 -- 「葉は 花弁だ. 葉の意志で/橡の木に/細級な cosmos で光って居る」 -- 「私は. タイ トルだ/根への諦の. 私の一番美しい力で. 底無ければ底無い程/蓋等の憧に. 痛切であればある程/私は. ) 2 1 花咲か/うとする」. 既に讐輪を以って外在の事物を切断しようとした精神のスケッ チである. しかしこうして集録さ れた事物の言葉は象徴の位置にない. 詩語として情象されているわけではない. 外在する事物を切 るのは散文 の精神であって, ここで言葉は, 極めて明快に単一の事象のみを指示する しかないので ) そうした言葉を以って詩を実現する方途は, それらが散文の構図を脱 して, 象徴の構図に 2 2 ある.. 結集されることである. 即ち如何に拝情するかの痛切な思索内容を表現することである. 哀歌詩篇 中の多くの詩作は, おのずから静雄の詩論を明かすことになるのは, そこにおいて彼によっ て獲得 され形成されていた象徴の構図が背後に控えているからである. 言い換えれば拝情性の欠如を好情. せんとする詩的動機が表出されているからである.. 僅か3篇 昭和4年 『子規の俳論』 において詩人の態度を考えて以来, 昭和7年まで静雄の詩作は, を公表 したのみで, 旺盛なる詩作活動は昭和7年以後のことに属する, 昭和7年は結婚によって, また借財の返済義務によって, 生活が定着されなければならなかった年である. 芭蕉が 「旅に於い. て夢を生活」 したならば彼は生活におい て夢を旅す る, 叉は 旅を夢み る, いずれにせよ生活という ものによって規定される運命だった, このとき詩作が彼の 「自分で課 した絶望で懸命に防禦 してゐ ) の証跡として実践されることになる, 昭和7年は前述した 「事物の詩」 の時 2 3 る」 「純潔な何か」. 代であり, 7年末か ら昭和8年は 「静かなクセニエ」 の時代である, 「静かなクセニエ」 は, 「事物の詩」 にみ られた切ない, しかし軽快な理智の足取りを残しつつ も, やがてその孤絶への自覚が排他的に固められてゆく過程である. 「私に欠けてゐるす べてのも. 2 4 ) に従って言えば, 「楽 のを/盗まれたと, 思ひこむのは/これは, 私のこの上なく楽しい権利」 しい権利」 から 「盗まれた」 もの, 「欠けてゐる」 ものへの欲求を自覚 してゆく過程である. 「何 かそれで買ふことの出来るものを/どうしても思ひ出せない, 一つの小さな銀貨と/恐ろしく永い 2 ) --この 「時間」 は, 生活に規定されて初めて自覚される態の, 「純潔 5 退屈な時間が私にある」 な何か」 へ約束された時間であり乍ら, その対価物から拒まれている 「一 つの小さな銀貨」 であっ た.. 孤絶への自覚が排他的に固め られてゆくと私は書いたが, 排他的と言うのは, クセニエというも のが他人の楓刺を根本とするからであり, それ故に, そのクセニエをつづる動機は, 主体の敵対的. 自覚を誘発する, 「楽しい権利」 に居ることは出来なく, 「盗まれた」 ものへの所有権を主張せね ばならない. けれどもそれは本来 「欠けてゐた」 好情性であったので, 今度はそれを突いて自分に 寄せられるクセニエの存在が詩的正義としてはあるわけである. 好惰性の欠如への痛い自覚の歌の 6 )ク 基調はここにととのえ られなければな らない. 他から寄せられるよりも自分で自分に寄せる2 セニエに想到 し, それをつづることによっ て, 警句や格言は, 自分の好惰性の欠如へ向け られる. この自我の二重構造が昭和9年以後の詩作を生み出す. これらの詩作の殆んどす べては哀歌詩篇を. 構成するものである.. 「こ の 詩人 の 詩 に は, 青 春 の 水 々 しい リ リ シ ズ ム が 溢れ て 居 る. (中 略) だ が そ の 『若 さ』 は,. (中略) 地下に 堅く踏みつけ られ, ねじ曲げられ, 岩石の間に芽を吹かうとして, 痛手に傷つき歪 2 7 ) --萩原朔太郎の第一詩集の讃に対 して三好達治は, 「それは彼の編み出 められた若さである」 -1 03-.
(7) . Vo l .22 No ,2. i ion (Scc i i lof Hokka ido Un Journa t t ver t on 工A) s y of Educa. J anua i ~,1972. した詰め将棋のやうな, --さうして時に或いは無理な歪みをも包含 しての--, 歪みは決して 受 け身に 『踏みつけ られ, ねじ曲げられ』 てのものではなかったところの, --外な らぬその積極性 からこそ, そと見につつましく強ひて静かにとりつくるはれたところの, --即ち要するに意志的 ) と 言ってい る 8 の, 節 度 で あ っ た.」2 . 朔 太 郎 は 伊 東 静 雄 の 自 分 で 自 分 に 寄 せ る ク セ ニ エ とい う 倍. 2 9 ) を評価したわけであり, 三好は, この倍屈が, 外因 屈した汗情の根底に発せ られた 「支離滅裂」. の も の で は な く, 「意 志 的 な」, 「強 ひ て 静 か に と り つ く る は れ た と こ ろ の」 拝 情 で あ っ た と こ ろ に,. 「編み出」 されたものを感受した, この両者の評言のぶつかり合う所に, 静雄の拝情の一性格はそ れとなく浮かびあがってくる. 朔太郎の 「氷島」 は哀歌詩篇に類似する情感を歌いあげたとして も ゞ後者は前者の自然主義的な主体からする発想とは異なり, 小林が中 也を言った意味での 「生ま れなが らの詩人」 が被った魂の叫びとは異なり, 構造化された主体において初めて発出された声な. のであり, 作られた詩人の叫びなのであった, 三好は, 「踏みつけ られ, ねぢ曲げられてのもので はなかっ た」 と しているけれども, たとえそれが作 られ, 「編み出された」 ものではあっ ても, 「編 み出された- 」 発想の内容を充填しているものは, 「踏みつけ られ, ねぢ曲げられ」 ている意識であ. る, たとえ踏みつけ, ねぢ曲げている主体もまた自分であったにしても. 一言で言えば, 静雄の詩 的自我の二重構造に朔太郎は内質を三好は外形を, 各々強調 しているのである. そ して 両者 は 共. に, その詩的発想において, 自然主義的な傾向であり, 静雄は, 少なくとも哀歌詩篇においては構 成的であり, 言い換えれば, 前者は生まれながらの, そして後者は作られた詩人であった.. 哀歌詩篇を構成する詩作の殆んど全部は昭和9年と昭和10年に書かれ, それ以前の詩集に収録さ れない詩作の時期を習作期とするな ら, そこでは前述のように, 「事物の詩」 と 「クセニエ」 と の一 つの グルー プが 位置を占めているわけであり, この一つの グルー プは, 前者から後者への発展. であっ て, 後者は, 前者において事物を誓輪においてと らえた技法が, その技法を生んだ詩作主体 に向け られる関係を秘めている. け れども, 両者は共に誓除の散女性とい ったものが強いのであっ て, それ らにつづく詩作に顕著な, 誓除を以って外物を内的象徴へ屈服させる意志の発現とは隔絶 している. それな らば内的象徴を押 しかく した外部の明確な裁断とも言うべき共に同一趣 向の 「事 物の詩」 と 「クセニエ」 のグループを, 前者から後者への発展という風に敢えて区分するのは何 故かと言うに, 私はこの一つの グルー ‐プの詩作の実際よりも1 それを分かつタイ トルの作成の意味. するところに, 詩作主体の自 らを対象とする姿勢の醸成か ら来る詩的発想の変質を感ずるからであ り, この変質は前述の如く詩的自我の二重構造即ち分裂に よっ た. この分裂の理論が 『静かなクセ ニ エ』釦) と 題 さ れ た 詩作 で 語 られ て い る. そ こ で 何 故 自 分 で 自 分 に あ て た ク セ ニ エを 書 こ う と す る. のかと言うと 「安穏を愛するので」 とだけ説明している. 叉 しても端座の姿勢である. しかし実は 1 ) 端座の姿勢は一応ここまでであったので3 , あてて書く自分はよ し端座の姿勢であるにせよ, あて 2 ) で あ っ た. あ る い は, 『静 か な ク セ ニ エ』 で られ る 自 分 は そ れ で は な い. そ れ は 「放 浪 す る半 身」3. 」 を仮設 し こう した自分の二重構造を詩論として決めた以上, 詩作の実践として, 「放浪する半身. 0年の哀歌詩篇は, この 「放浪する半身」 (厳密には放浪さ なければな らなかった. 昭和9年昭和1 せた半身) と端座する半身との関係が成立 し次いでこの成立 した時点の意味合いが解体する, それ らの力学の内に生み出されたのであった. 解体とは両半 身の融合であり, もとのもくあみと言えば それまでであるが, この仮設の下の詩作行為の中に, およそあ らゆる詩の本体と言っ ても良い詩的. 虚無を作者は通過する. 詩的虚無は人生的虚無ではない. 詩の制作中に, 従って詩作においてのみ あ らわれる, 人生的体験とは別種のものである. 三好が 「詰将棋」 のように 「編み出された」 とし. たのは, この虚無が何ら静雄の人生即ち自然的生と接合 しない, 正 しく詩作の盤上に, 言葉の酷使 においてあ らわれた事情に, 敏であったからであろう. しかしこの虚無が永遠に人生と隔たったも -1 04-.
(8) . 第 22 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要(第ー部A). 昭和4 7年1月. のでないのは, 詩作において体験されたものは, 人生の体験と同じだけの意味を, 人にもたらす. ) 3 3 この虚無をかかえて静雄は, 「夏花」 を経て 「春のいそぎ」 の局面へたちあ らわれるのである.. 「安穏を愛する」 ことによって確立された構図は, その構図の終結と共に, 詩人を別の舞台へ投げ 出す, その舞台に, 戦争と いう現実があって, 時代に迎合 した形の (事実, 迎合ではある) いわゆ る戦争詩を多く書いたにしても詩人には詩人個有の事情が存している.. それはともかく, 「放浪する半身」 として明確にその存在が出されたのは昭和9年8月 『晴れた 2 3 ) であった. この第一詩集冒頭を飾る詩作はその文脈のね じ曲げられ方の強引の故に明瞭を 日に』. 欠くものであって, 実はそれ故に, 詩的主体の分裂操作の意志が張っていると言わなくてはならな い, 明瞭をとるか振る情念をとるか, 詩人は常に後者をとることで詩としての明瞭をあらわすべき. である. 「放浪する半身」 はまた 「愛される人」 , 「命ぜられてある人」 , 「懸命に信じまいとしてゐ る」 人である, 逆に言えば, 半身に向ってこのように 「告げやらねばならぬ」 人は, 愛 し, 命じ,. 信 じさせる人である.. 外在を外在のままに讐n 爺的理智を以って語る存在は自分の主体を保存擁護 し, その主体から発す. る理智の幸運にのみ住する. 外在の多様性のうちを放浪 し, 放浪することの可能が意味するある酷 薄な事情を信じない. それゆえ, 理智を自分の主体に向けることによって外在から内在に転ぜられ た眼には, かつての自分が自然から如何にも「愛され」ていたと映る. だがそのような 「放浪する」 存在は, 放浪が詩的理論からする命題としてのみあったわけである以上, 詩から 「命ぜられて」 あ ったことに変わりはない. つまり実生活がいよいよ固着され, 固着された実生活に位置する詩人か らすれば, ありもしなかった放浪への幻惑が詩論上の欲求として出てくるのである. これは生活に. おいて旅を夢みる形であった.. 4 ) である. 「見せかけて 放浪への夢を結んだ地は, 「有力な詩人はみな」「見捨てた」 大阪の町3 来たよりも/私がどんなに多くのものを持ってゐないか」 という自覚から, 「私に欠けてゐるすべ. てのものを/盗まれたと, 思ひこむのは/ これは, 私のこの上なく楽 しい権利」 という 「商人の詐 からくり 4 2 ) のある町である. この現実に完全に包摂され りの機に」 「謝」 す心構えをつちかった 「泥棒市」 3 5 ) という 「実に空しい宿題」 が静雄の詩作の眼目とな って, 哀歌詩 た区域における 「美しい故郷」. 篇の発想を用意する. しかし 「故郷に美しいものはない」 ことは 「非常に常識的に」 わかりきって いることである. 宿題が 「空 しい」 のはその為である. 彼は故郷を美しいものとして想像すること が出来なかったのは, 前に述べたように彼の詩才というものが, 音楽的でなく絵画的であり, 即ち. 故郷を主観の律動を以って思いおこすことが出来なく, 更に自分がとらえている故郷の現実の画像 も多く誓輪的理智の裁断を恐 らく浴びているためであり, 「美しい故郷」 という命題から喚起され, そしてそこに没入出来る, そういう世界を供与するものではなかった. 実に命題そのものでしかな か っ た. 従 っ て故 郷 は少 しも本 当 は 美 しい も の で は な い の で あ る. 美 しい も の と 思 い こ む 権 利 を と. らえたに過ぎない, 故郷も大阪も現実であることにおいて同断である, だから遥か後年 (昭和1 7年 『なれとわれ』 1 0月) において, 故郷が美しく歌われる ( )%) にしても, その時は大阪, 厳密に言え ば居住の地もまた美しく, 歌われる, とまで行かずとも見わたされる理由があったので, 以上換言 すれば, 現実と宥和出来難い, 「切り離された行動」(『静かなクセニエ』 ) を可能にする構図が 「空 しい宿題」 と呼ばれたところのものであった, そ してそれは現実と宥和 しないながらも, 現実への. 背反と しての詩的天空を約東するものでもなかった. この時, この構図に介入 してくるものは, 死 への情熱, 虚無への憧慢にほかならない.. -1 05-.
(9) . Vo l .2 .22 No. i i iver i ido Un journa lo t f Hokka t t on I A) s on (Sec y of Bduca. January ,1972. 4上 伊東静雄の生活において旅を夢みるということはその詩的主観を全的に認 容し満足させ, それを 忘却させる絵模様の追求にあるべ きだったと思うのだが, 彼はこの旅を夢みる自我の存在を実際の 詩作中, 少なくとも哀歌詩篇において終始振切ってはいないようだ. 『静かなクセニエ』 は, 自分 で 自 分 に 寄 せ た ク セ ニ エ を 書 く の だ とい う 理 窟 で 成 っ て い て, そ う して 寄 せ ら れ る筈 の ク セ ニ エが. 何を内容と しているかは判 らない, 即ち, 作品から作者の人称を消去 したクセニエが書かれたので はなかった. その詩作では如何なる詩作をするかということが語 られているにすぎない. ) --例えを 外在に詩的対象をとらえてい 3 7 「おのれ身悶え手を揚げて/遠い海波の威すこと!」 つもそれはこのように主観の移入の下に歌われる, む しろ歌わしめられる. 「見せかけだと私には 9 ) という, 「サキ 8 テの音」 というものは, 使役動 ひがまれる/甘いサキ テの音でそんなに誘ひをかけ」. 詞のリズムを指 しているとさえ思えてくる. 詩的主観の移入の下にとらえられた外在を詩作化する. としても, 完全にそれがとらえられるということは, 主観の方は消却されることである. 哀歌詩篇 が, 読者の感情の全的な移入を拒んで, 充分付置された言葉に得心させられることはあ っても, 言. 葉と共に言わば手の舞い足の踏みどころを覚えぬというところまで行かないのは, 言葉を以って詩 をとらえようとしているからであって, 詩が言葉をとらえるというわけではないからである. 詩が. 言葉をとらえるときは, その操作の主体の位置に存在する詩作者の主観は消却されるときである, 或いは詩作者が一個の空無と化 しているときである. 今, 言葉と共に手の舞い足の踏みどころを覚. えぬ境と私は書いたが, それは読者と言葉との間に作者を介在させぬ境という程の意味である, 「美 しい故郷」 に 「空 しい宿題」 として 「放浪する半身」 を放 った時, この半身に託されて作者. の夢は開花するというわけには行かない, 故郷はもう一 つの半身に 美しくないと して観念されてい るからである. だから伊東静雄は 「美しい故郷」 を歌おうとしたのではなかっ た. 「美 しい故郷」 という宿題に向って放たれた半身と居住の地にいる半身という構図を種と して 或いは口実としてそ. の中に浮かびあがってくる情感をとらえようと したのだ, 両半身に分離させ られた詩的主体が演ず. ・う題目下の拝情を意図 したとい る孤独な演技のリズムを追おうとしたのだ. 否, 一般に, 分離とし うことが出来る. 現実に逼 塞せ しめられた主我が理想とする映像を求めて遥かに広大な自然を転々. と してゆくというわけでもなく, 自分を閉 じ寵めている外界を拝情的機智により切断することを通 じて幻影の現実を獲得するというわけでもなく, 理想の映像とか幻影の現実とかから遮断されてい. る主我を, なおそれらを追求しているという見せかけの構図の中に解体せ しむる, その解体のェネ ルギーをこそ 詩作の対象に した. 無論, 哀歌詩篇の時期である, 「『哀歌』 の時には, 出来, 不出来にかかむ ばらず, 当時の激 した心特を, 列序なく, 何もかも投げ 出 してみたくて, あんな風の本にな った. (中略) . 一年に一度位, ふとした機会に, あげて見るこ とがあ って, 自分ながら目のく らむやうな気のすることがある. 実生活の上では, 非常に危険な時. 期であ ったやうな気がする. 詩と同じ程度に, いつもその頃は故知らず激 してゐて, 家の中に居て も, 並外れた言動を してゐた,」 3 9 ) すると実生活 5年第二詩集 「夏花」 刊行時における第 一 詩集の時期の回想である. これは昭和1. は 「危険」 ではない, 「激」 することのない安定期に置かれているわけであるが, この安定が, 実 生活からもたらされたとは思われない. また果 して, 本当にそのような実生活がかつてあったのか どうか, 私はその詮議に立ち入ろうとは思わない. 「目もく らむやうな」 「激 した心特」 という風 に回想される態の哀歌詩篇のエネルギーの本質が何であったかを考えたいだけである.. 私はそれは詩的自我の解体だと思うのである. 「深海に坐 し, 後頭部に酷薄 に 白 塩 の 溶 け て ゆ -106-.
(10) . 第 22 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要(第一部A). 昭和4 7年1月. ) ことを感受することから出発した’ また子規論の背後で恐 らく確信されていなければならな 7 く」 かった, それ故に外在の事物を不安はありながらもいかにも確 かな理智で切断していった, 更には その理智における拝情の欠如を作りものの構図に おいて 拝情 したい結構を打ち出 した静雄の詩的目 我が正にその構図の中に運動し解体していった, 正確には解体させられていった軌跡と しての言葉. が, そう した時期を経てのちにまた 「注莫・脱落」 の境涯に, かつての幻量を喚起するのであっ て, この回想は普通の思い出というよりは既に 「夏花」 を経て 「百千の草葉もみぢし/ 野の動き琴 は鳴り出 づ」 「哀しみの/熟れゆくさまは/酸き木の実/甘くかもされて 照るに似たらん」「われ. 4 0 ) と語り出すことの出来る存在の領域に位置する散文である 秋の太陽に謝す」 . 静雄の詩作世界の出発点を述べたとき私は彼の 「坐する」 姿勢というのはその全詩作を根底でと. とのえているものだという意味を記したが, そ してそれを必ず しも明からさまに示す字句はなくと も各詩作の全体が 詩作主体への外在事物の屈服あるいは主体よりす る観想の風格をもっているとい. う意味をこめて述 べたつもりだが, それがいちじる しく根底へひそんで意図的にさえ読まなければ. 殆んど感知し難くなるのは哀歌詩篇におけるいくつかの, そ してこの詩篇の範囲で言えば決 して少 なくはない詩作においてである, もし作者が第一詩集のみでその仕 事を完了していれば, 当然伊東. 静雄論は変わってくると言うのも意味のない仮定ではあるが, この可能性を頭にいれておかなけれ. ば詩人論は出来ないと思う. 一歩進めて言えば各詩集毎に詩人のあり方は異なってくる可能性があ 4 1 ) 詩作は置かれる位置によ るのであり, 更に一作毎に詩人は変容することも原則的にはあり得る. って意味を変貌させる, ある詩人の作品と して伝説あるいは歴史がその名を冠して保存したものか ら, その詩人を考えてゆく場合, 歴史の人としてではなく, 正 しくその歴史の人の作品に おいて成 就された詩人をこそ対象に しなければならない, そうした意味において私は詩人伊東静雄の端座の 姿勢を述 べたつもりであった. そして彼の場合は, たまたま歴史即ち伝記においてそれに符合する. 事実があったとしても, 原則的には別の問題であろうかと私には思われる. 三つの詩集と更に 彼の. 手によって 新 しい詩作を含めつつ綜合的に編纂された第四詩集とそれらの縁辺に落ちこぼ れたいく つかの詩作と習作期の詩作とに結像された詩人伊東静雄を私は考察 したい, 本論は第一詩集を中心 に論じているつもりであるが必要上縁辺にまで手は伸びるのであった,. --以下次 号--. (便宜上, 前後二編を通し番号に致 します) <註> . 1 ) 伊東静雄全集 (昭和四十一年, 人文書院刊)p 5 .201-p .21 . なお本章中特に注記しない引用はこの論文の引 用. 引用文中の傍点はすべて静雄のもの. また, 本論中この全集を指して単に 「全集」 と表記する. 2 ) 小高根二郎著 「詩人伊東静雄」 (昭和四十六年, 新潮社)p 6 .7 , 22 3 ) 例えば 「全集」p ,2 . 4 ) 石川淳 「文学大概」 (昭和四十三年, 筑摩書房版, 石川淳全集第九巻)p ) .242 5 ) 同書 p.241. 6) 同書 P.246, ) 全集 p 7 65 .1 . 昭和五年五月 『空の浴槽』 より 8 9 1 0 1 1 ) ) ) .108 .116. , , , ) , 12 , それぞれ 「全集」 の p.41, p.29, p.184 ,P ,P 1 3 ) 全集 P.63. 14 ) 全集 p.84-85. 5 ) 全集 p.175. 1 1 6) 詩人の仕事は何かの プランに従って実施される場合と何らの プランなしに一通りその精神が運動していった 後に自ら仕事の性格が定まる場合とがある. 静雄の習作期は誓除精神の発露としての驚句や格言による事物 ・事物の詩」 と 「静かなクセニエ」 と の切断における浮情として一様だが, これをタイ トルにヒ ントを得てー に区分することも出来ると思う. そうした意味の 「クセニエ」 である. 1 7) 小林秀雄全集第二巻 (昭和四十三年, 新潮社刊, p 2 6) .1 1 8) ここでは一応 「クセニエ」 のタイ トルがあらわれる以前即ち昭和七年十月以前の詩作を指す. 19 ) 小高根二郎, 前掲書 p 5 .113-p .11 . 本書に指摘された作のみならずこの期の作のほとん どに通ずると思う. -107-.
(11) . VO I .2 .22 No. 20) 21 ) 22) 23 ) 24 ) 25 ) 2 6) 2 7 ) 28) 29) 0 3 ) 3 1 ) 2) 3 ) 33 34) 35) 3 6) 37) 38 ) 39) 4 0) 41 ). i i i ido Un ive t lof Hokka t Journa rs on (Sec on IA) y of Educat. january ,1972. この詩集に収録された諸詩作あるいはこの詩集そのものを以下 「哀歌詩篇」 と呼ぶことにする, 以上五編は 「全集」p 66-p 69より .1 .1 このことの静雄自身による自覚として 「全集」p 76『四月』 中の 「字桑は 字桑のためにある」 .1 , 全集 p 1 1 - 1 1『 訪問者 より 9 2 』 p . . 全集 p 77-p .1 .178『泥棒市』 より 全集 p 79『馬用水の傍で彼は歌ふ』 より 8-p 7 .1 .1 全集 p 6『静かなクセニエ』 中に 「そこでたった一つの方法が私に残る. それは自分で自分にクセ .34-P .3 ニエを寄することである.」 萩原朔太郎全集第四巻 (昭和三十五年, 新潮社刊)p .194 .193-p . 三好達治全集第六巻 (昭和四十年, 筑摩書房刊)p 63 .1 , 萩原朔太郎 前掲書 p.197. 全集 p.34-p.36, 一応ここまでと した意味は, 後述のように分離する詩的自我の成立におけるそれと区別したのである. 全集 p .21-p .22『晴れた日に』 より 「夏花」 は昭和十五年三月刊行の静雄の第二詩集. 「春のいそぎ」 は昭和十八年九月刊行の第三詩集, 昭和十一年一月 「大阪」 と題する散文に静雄の作詩心理と大阪との関係が端的に窺える. 「全集」P ,225 , 以下この節において断らぬ限り 『帰郷者』(全集 p.30-p.31) よ り 全集 p 87. 全集 p ,24-p ,25『氷れる谷間』 より 全集 p .37-p .38『四月の風』 より 全集 p.231-p.233. 全集 p 0 6『百千の』 .1 作品と作者の関係はそれ程イクオールのものではないことのやや極端な指摘のつもりである. 本論3章中程 において伊東静雄が自然主義的ではない作られたタイ プの詩人だとしたのは作品イクオール作者という通常 の観念が無意識裡に崩れている事情を言ったのでもある. 近代詩から現代詩への移行があるとすれば, 上記 の作品成立に関する或る意 味では素朴な考えを打ち破った作品が現われる場合だろう. 本論全体においても 私はむしろ伊東静雄という舞台を借りて, 詩作品において成立する詩人の問題を念頭に置いていたことをこ こに注記する. 本論のやや暖味ともとられる題はその辺の事情を正確に指すと私には思えた, 尚この問題に 関して, 入沢康夫著 「詩の構造についての覚え書」 (昭和四十五年, 思潮社) 参照.. -108一.
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