東
密
と
台
密
(
一
)
大
山
公
淳
一 、 序 雷 東 密 .台 密 の 名 稱 は 何 の 時 代 か ら か 、 日 本 に 於 い て 始 め て 用 ゐ ら れ る や う に な つ た の で 、 印 度 ・支 那 に は 見 ら れ な い 所 の 言 葉 と す 。 そ の 東 密 と い ふ の は 東 寺 系 の 密 教 と い ふ こ と で あ つ て 、 弘 法 大 師 が 唐 よ り 歸 朝 さ れ 、 眞 言 宗 の 開 創 成 り 、 京 都 東 寺 に そ の 基 礎 を 築 か れ 、 此 處 に 法 幢 を 建 て ら る ゝ に 及 び て 東 密 の 學 風 は そ の 旗 幟 を 鮮 明 す る こ と ゝ な り 、 後 高 野 山 の 開 創 と 共 に 愈 々 千 古 不 動 の も の と な つ た 。 台 密 の 方 は 先 傳 教 大 師 に よ つ て 傳 へ ら れ た 密 教 が 比 叡 山 に そ の 根 據 を 据 へ 、 次 い で 慈 覺 ・智 證 ・安 然 の 諸 徳 に よ つ て 大 成 さ れ た 。 所 謂 叡 山 系 天 台 宗 の 密 教 を 前 の 東 寺 系 密 教 に 封 し て 台 密 と 稱 す る の で あ る 此 の 東 寺 系 及 び 叡 山 系 密 教 は 各 々 傳 承 の 系 統 を 異 に す る と 共 に そ の 組 織 内 容 及 び 愛 遷 等 も 多 少 異 る 所 あ り 、 同 じ 密 教 で あ り な が ら 一 致 し な い 點 の 多 く を 見 る 。 然 も 各 々 互 に 時 代 の 影 響 を 受 く る あ り 、 又 相 互 に 影 響 し 合 つ て 教 學 の 發 展 し た 跡 を 認 む る こ と も 出 來 る 。 今 ﹁ 東 密 と 台 密 ﹂ と い ふ 問 題 を 提 出 す る に 當 つ て も 、 両 學 の 組 織 の 大 と 歴 史 の 遠 き と 相 待 つ て 、 謂 ふ 東 密 と 台 密 八 一東 密 と 台 密 八 二 が 如 く 容 易 に 片 付 け 得 ら れ な い こ と ゝ 思 ふ 。 そ の 問 題 の 中 に は 種 々 復 雜 な 事 件 の 交 鐘 が 考 へ ら れ る 。 両 教 は 何 れ の 點 に 於 い て 一 致 し 、 何 れ の 點 に 於 い て 相 違 す る か 、 同 じ 密 教 で あ り な が ら 何 故 に 、 日 本 に 於 い て か く の 如 き 両 學 系 の 紛 争 と な り 論 難 と な つ た か 。 そ う い ふ 根 本 に 横 る 種 々 の 問 題 も あ る 。 今 予 輩 の 研 討 せ ん と す る 主 眼 點 は 傳 教 ・弘 法 両 大 師 以 後 、 一 千 一 百 年 間 を 通 じ て 両 教 論 錚 の 中 心 と な つ た 諸 問 題 を 掲 出 し て 、 日 本 密 教 々 學 史 完 成 の 爲 め へ の 資 に 充 て ん と す る に あ る 。 近 來 両 學 界 の 大 勢 は 、 東 密 の 人 に し て 台 密 の 何 た る か を 解 す る も の 甚 少 き が 如 く 、 そ の 解 す る も の あ る も 一 二 の 諸 先 輩 を 除 い て は 僅 に 宥 快 法 印 若 し は 頼 喩 ・ 呆 寳 等 諸 先 徳 の 著 述 に 出 つ る も の を 超 ゆ る 能 は ざ る の 實 情 で あ る 。 台 密 の 師 に 於 い て も 一 二 特 殊 な 篤 學 な 學 匠 を 外 に し て は 殆 ん と 東 密 の 何 た る を 解 す る 人 の な き 様 子 で あ る 。 門 外 の 諸 學 者 に あ つ て も 、 印 度 ・支 那 ・ 若 く は 西 藏 の 密 教 を 研 究 し た る 人 は 猶 在 り と す る も 、 東 台 両 密 に 於 け る 日 本 密 教 の 實 際 を 究 め ん と す る 人 は 誠 に 曉 の 星 の 如 く 寂 寥 の 感 此 の 上 な い 。 然 も 顧 れ ば 、 日 本 密 教 の 日 本 佛 教 史 上 若 く は そ の 教 學 史 文 化 史 に 及 ぼ せ る 影 響 の 少 々 な ら ざ る を 思 は し め ら る ゝ に 當 っ て そ の 研 究 の 注 意 は 欧 米 の 佛 教 を 注 意 す る と 同 程 度 の も の で な く て は な ら な い と 信 す る 。 予 輩 の 本 論 文 を 草 す る 、 亦 そ う し た 意 味 の な し と も し な い 。 そ れ は 兎 に 角 と し て 、 往 昔 の 両 密 に 屬 す る 學 者 に し て 、 東 密 の 人 は 台 密 を 、 台 密 の 人 は 東 密 を 互 に 研 究 し 、 而 も 各 自 己 の 立 場 よ り し て 相 當 に 深 刻 に 他 を 批 判 し た る も の ゝ 多 き を 見 る 、 今 參 考 の 爲 に そ の 一 二 の 例 を 出 す こ
と ゝ す 。 先 両 祖 師 に 於 い て 、 傅 教 大 師 が 弘 法 大 師 に 隨 ひ 高 雄 に 於 い て 受 法 せ ら れ し 事 實 及 び 、 諸 の 重 要 書 籍 を 借 覽 せ ら れ た と い ふ こ と は 普 く 人 に 知 ら れ て ゐ る こ と で あ つ て 、 別 段 此 處 に 出 す に も 及 ば な い 。 然 ら ば 弘 法 大 師 は 傅 教 大 師 に 封 し て 何 等 學 問 上 の 質 疑 を 提 出 し そ れ に 就 い て 正 さ れ た こ と は な か つ た で あ ら う か 。 こ れ に 就 い て 天 台 霞 標 巻 一 (佛刊本十七頁 ) に ﹁ 弘 法 大 師 書 ﹂ と し て 、 次 の 如 き 文 が 載 せ ら れ て あ る 。 空 海 稽 首 和 南 仲 春 之 比 難 獄 上 書 未 散 鬱 望 重 以 達 子 細 状 延 暦 二 十 三 年 遠 渡 大 唐 國 傳 眞 言 習 悉 曇 大 同 三 年 入 帝 都 ⋮ 然 空 海 於 曇 有 所 疑 須 再 渡 蒼 波 以 決 疑 矣 未 由 而 巳 唯 願 蒙 阿 闍 梨 加 被 欲 馨 其 源 底 耳⋮ 伏 乞 努 力 不 樫 委 曲 之 旨 幸 莫 違 古 今 契 約 耳 と 、 即 簿 教 大 師 に 悉 曇 の 疑 ひ を 正 さ れ て ゐ る 。 此 の ﹁ 天 台 霞 標 ﹂ と い ふ の は 明 和 八 年 の 正 月 、 始 耐 の 九 百 五 十 回 誰 に 際 し 、 武 州 足 立 吉 群 寺 前 法 印 金 龍 敬 雄 な る 人 が 普 く 舊 聞 を 集 め 諸 書 を 捜 索 し 、 廣 く 諸 の 遺 反 を 集 め 以 つ て 梓 行 さ れ た も の で 、 叡 山 を 中 心 と し て 種 々 の 方 面 に 亘 る 重 用 な 文 献 の 集 録 と な つ て ゐ る 。 こ の 交 の 眞 偏 に 就 い て 異 論 あ る こ と は 別 の 機 會 に 出 す こ と ゝ し て 、 今 は 両 祖 の 學 に 對 す る 末 徒 殊 に 天 台 教 徒 の 態 度 の 一 端 を 窺 へ ば 足 り る 。 次 に 元 享 繹 書 巻 五 (佛刊本百一ノ六四 ) 覺 鑁 上 人 の 條 下 に ﹁ 保 安 二 年 回 仁 和 稟 密 灌 ﹂ と い ひ 、 次 に 又 随 覺 獻 僧 正 受 三 井 秘 撹 灌 頂 其 餘 密 學 支 法 無 不 研 究 と あ る 。 但 し 覺 獻 と あ る は 覺 猷 の 誤 り と す 。 即 上 人 は 鳥 羽 の 覺 猷 僧 正 に 就 い て 台 密 を 受 法 し て ゐ ら れ 東 密 と 台 密 八 三
東 密 と 台 密 八 四 る 。 次 に 台 密 家 事 相 の 大 斗 た る 皇 慶 阿 闍 梨 は 永 承 四 年 壽 七 十 三 に し て 寂 し た 巨 匠 で あ る が 、 阿 闍 梨 の 傳 を 見 る に 、 (元 享 繹 書 巻 五 佛刊本百一之六四 ) 羅 皇 慶 姓 橘 氏 黄 門 待 郎 廣 相 之 曾 孫 性 空 法 師 之 姪 也 (中 略 ) 從 東 塔 院 静 眞 學 秘 密 宗 至 護 摩 灌 頂 梵 字 悉 曇 莫 不 研 究 昔 慈 覺 大 師 以 珈 伽 法 授 長 意 意 授 玄 昭 昭 授 智 淵 淵 授 明 静 静 授 静 眞 世 以 慶 爲 慈 覺 七 代 家 嗣 慶 游 鎭 西 有 景 雲 阿 闍 梨 東 寺 密 灌 之 魁 也 就 探 焉 雲 器 之 悉 付 秘 奥 井 授 弘 法 大 師 賢 瓶 以 爲 傳 契 之 信 也 と 、 景 雲 阿 闍 梨 と は 東 密 の 人 で あ つ て 、 皇 慶 闍 梨 は そ れ に 就 い て 東 密 を 傅 へ ら れ た と い ふ こ と 、 右 を も つ て 知 る べ き で あ る 。 右 は 両 家 受 法 の 、 而 も 各 一 方 の 巨 匠 に 就 い て の 一 事 實 で あ る が 、 慈 覺 ・ 智 證 ・ 安 然 の 如 き 台 家 の 大 學 匠 が 東 密 家 弘 法 大 師 の 書 を し き り に 研 究 し 、 各 々 論 辯 を 加 へ ら れ た こ と は 、 そ れ ら 諸 師 の 書 を 一 讃 す れ ば 直 に 肯 定 さ れ る こ と で あ り 、 更 に 東 密 家 に あ り て は 杲 賢 法 印 を 第 一 人 者 と し て 、 彼 れ を 研 究 し 、 し き り に そ れ ら に 對 す る 駁 論 を 著 さ れ た こ と も 有 名 な 事 實 で あ る 。 そ の 書 物 と し て 最 も 有 名 な る は 玉 印 抄 ・ 阿 抄 で あ る と 云 は ね ば な ら の 。 當 時 の 人 と し て 、 台 密 家 に は 義 繹 捜 決 抄 の 著 者 實 迫 上 入 仁 室 を 擧 げ な く て は な ら な い 。 か く 両 家 に 亘 つ て 、 相 互 の 研 究 者 を 學 げ 來 れ ば 實 に 牧 學 に 暇 な き こ と ゝ な る で あ ら う 。 更 に 現 在 の 吾 人 と し て は 驚 く べ き 事 實 が 彼 の 仁 室 の 捜 決 抄 の 中 に 傅 へ ら れ て ゐ る の を 見 る 。 そ れ は 廣 澤 遍 照 寺 大 僧 正 寛 朝 と 御 廟 大 師 慈 慧 と に 關 す る 話 で あ る 。 此 の 両
師 は 同 時 の 人 で あ つ て 、 或 時 宮 中 に 於 い て 五 壇 の 御 修 法 を 行 ぜ ら れ た 。 そ の 時 慈 慧 大 師 は 中 壇 の 阿 闍 梨 と し て 修 法 あ り 、 一 座 首 尾 の 本 尊 な る 不 動 の 火 生 三 昧 に 入 り 親 し く 不 動 尊 の 形 と 威 り 給 ふ 、 そ の 時 寛 朝 大 僧 正 は 大 威 徳 壇 に あ り 、 大 威 徳 の 形 を 現 じ 給 ふ と 。 又 慈 慧 大 師 と 元 杲 僧 都 と 同 壇 に し て 修 法 あ り 、 大 師 金 剛 界 の 賦 を 作 つ て 、 元 杲 の 壇 所 へ 送 ら れ し に 、 僧 都 返 報 を 進 ぜ ら れ し と も 記 し て ゐ る 即 東 密 の 先 徳 も 台 密 の 先 徳 と が 、 座 を 並 べ て 國 家 の 大 法 を 行 ぜ ら れ し こ と 、 誠 に 當 特 學 界 宗 教 界 の 偉 槻 た る を 思 は す も の が あ る 。 か ゝ る 事 實 は 他 の 記 録 に よ つ て も 多 く 證 明 し 得 ら れ る も の が あ る と 思 ふ 。 勿 論 時 に は そ う し た こ と が 蹄 つ て 紛 争 の 因 と な つ た こ と も あ る で あ ら う し 、 教 學 の 内 容 に 於 い て 異 義 を 存 す る 如 く 、 何 の 時 に も 必 す し も 一 致 す る も の で は な い 。 け れ と 東 寺 の 義 寳 師 の 誌 さ れ た 摧 勝 述 記 の 中 に は ﹁ 尊 勝 寺 灘 頂 始 行 之 後 東 寺 天 台 隔 年 に 被 レ 催 レ 之 と ﹂ も あ り 、 比 叡 と 三 井 と の 二 流 と 東 寺 と 相 對 し て 隔 年 に 配 當 し て 灌 頂 を 修 す べ き 宣 旨 あ つ た こ と も 記 し て あ る 。 そ れ に は 相 當 な 裏 面 の 理 由 が あ る に し て も 、 猶 か ゝ る 記 事 と 往 時 の 事 跡 と を 顧 み 、 更 に 現 在 の 事 實 と 、 そ の 將 來 と を 思 ふ 時 果 し て 如 何 な 感 が す る で あ ら う 。 何 と な く 寂 し く 思 は る ゝ 。 今 日 両 密 の 學 徒 が 國 家 の 爲 に 修 し つ 、 あ る 御 修 法 の 現 状 を 見 て も 、 数 年 前 よ り や つ と 新 古 眞 官 合 同 の 御 修 法 が 東 寺 に 於 て 修 せ ら れ る こ と ゝ な り 、 近 年 叡 山 に 於 い て 又 長 日 御 修 法 の 儀 行 は る ゝ こ と ゝ な つ た 。 け れ と 昔 日 の 盛 儀 に 比 す れ ば や つ と そ の 面 影 を 留 む る に し か 過 ざ な い 。 自 分 は 更 に 進 み て 東 台 両 密 の 學 徒 相 提 携 し 、 權 威 あ る 國 家 の 大 法 が 、 盛 大 に 行 東 密 と 台 密 八 五
東 密 と 台 密 八 六 は る ゝ に 到 ら ん 事 を 切 望 す る も の で あ る 。 己 上 序 言 に 兼 ね て 、 簡 單 な が ら 東 密 台 密 の 歴 史 的 交 渉 の 一 端 を 窺 ふ た に 過 ぎ な い 。 そ の 名 稱 の 分 る ゝ 如 く 、 教 學 の 内 容 も そ の 立 場 に よ つ て 自 ら 異 る も の が あ り 、 そ れ だ け 教 學 上 の 問 題 と し て も 論 諍 さ れ た の で あ つ て 、 以 下 順 次 そ れ ら 主 要 問 題 を 捉 へ 來 つ て 両 學 系 の 論 辯 を 出 す こ と ゝ し や う 。 而 し 予 今 此 れ 等 の 問 題 に の み 没 頭 し 得 ざ る 事 情 に あ り 、 從 つ て 歴 史 的 に 正 確 の 順 序 を 追 ふ て 検 討 し 得 す 、 多 少 前 後 す る こ と の あ る を 豫 想 し 此 處 に 御 断 り て 置 き た い 。 且 っ 而 教 教 學 の 内 容 と し て 、 事 相 ・ 数 相 ・ 悉 曇 聲 明 等 夫 れ ぐ の 問 題 に 鯛 れ た い と 恩 つ て は ゐ る の で め る こ れ と 、 そ れ が 何 れ ま で 進 む か 、 何 の 點 に ま で 觸 れ 得 る か 、 そ れ ら は 全 く 自 分 と し て も 未 知 界 に 屬 す る こ と で あ り 、 號 数 も 、 調 査 の 都 台 で 中 途 出 し 得 ざ る こ と も あ る べ く 、 唯 出 來 る に 從 つ て . 数 回 に 亘 り 自 分 の 本 研 究 を 進 め た く 思 ふ て 、 そ の 計 書 の 一 端 を 此 處 に 誌 す に 止 む る の み そ し て 愼 重 な る べ く 自 ら を 誡 む る は 古 來 東 一 密 振 の 學 徒 の 如 く 台 密 ほ 猶 顯 網 の 執 見 に め り と し て 一 概 に 退 け ん と す る 非 學 術 的 態 度 の 出 で ん と す る こ と で あ る 。
二
、
繹
摩
詞
術
論
東 台 両 密 に 亘 り 、 東 密 家 の 根 本 文 献 に 對 し 、 古 來 最 も 世 人 の 注 目 を 曳 き 、 且 つ 両 學 徒 論 評 の 中 心 と な つ た の は 此 の 繹 摩 詞 衛 論 眞 偏 考 の 問 題 で あ る 。蓋 し 弘 法 大 師 ﹁ 三 學 録 ﹂ に 於 い て 、 眞 言 宗 所 學 の 論 藏 を 制 定 し 、 一 、 金 剛 頂 發 菩 提 心 論 一 巻 一 、 釋 摩 訶 術 論 十 巻 即 、 都 合 二 部 十 一 券 を 必 須 論 書 と し 、 御 自 身 に も 深 く 此 の 書 を 研 究 せ ら れ 、 或 は 弘 法 大 師 思 想 の 半 は 此 の 糧 論 に 出 る に 非 る か と 思 は る ゝ 程 の 、 重 大 な 意 義 を 残 し 、 從 つ て 弘 法 大 師 の 此 書 を 重 用 せ ら れ た そ の 態 度 と 、 そ れ に 關 す る 論 文 の 發 表 、 そ れ は 當 時 の 學 界 へ 隨 分 と 大 き な 波 動 を 及 ぼ し た も の で あ つ た に 違 い な い 。 殊 に 當 時 の 學 界 の 此 の 諭 に 對 す る 態 度 を 考 ふ る 時 、 我 大 師 の そ れ は 隨 分 に 大 膽 な も の で あ つ た と 云 は ね ば な ら ぬ 。 こ れ に 就 い て 先 捜 決 抄 の 論 評 を 出 さ う 。 繰 摩 訶 術 論 高 野 大 師 寵 樹 所 造 治 定 眞 言 三 藏 被 定 時 大 日 金 剛 頂 等 修 多 羅 藏 蘇 悉 地 經 蘇 婆 呼 經 等 毘 尼 藏 繹 摩 詞 術 論 菩 提 心 論 等 阿 毘 達 磨 藏 云 經 奏 聞 天 下 被 施 行 雌 然 此 論 戒 明 和 上 將 來 初 眞 傭 難 決 事 也 道 俗 共 勞 加 難 破 事 山 家 守 護 章 擧 多 失 循 書 也 被 繹 覺 大 師 新 羅 月 忠 云 者 備 作 冒 述 玉 仍 五 大 院 任 両 大 師 剣 偏 書 可 治 定 旨 悉 曇 藏 被 載 (抄 一 、 十 一 紙 右 己 下 ) 又 云 く 、 高 野 大 師 輿 言 胎 菩 提 心 論 釋 摩 詞 術 論 被 出 付 繹 摩 詞 術 論 事 戒 明 和 上 將 來 初 眞 入 三 船 云 俗 人 加 難 破 以 來 山 家 守 護 耳 加 多 難 不 被 用 之 彼 章 云 ⋮ 此 論 釋 起 信 論 也 而 姚 秦 弘 始 三 年 筏 提 摩 多 三 藏 譯 也 云 云 起 信 論 梁 承 聖 三 年 眞 諦 三 麟 所 驛 也 (中 略 ) 弘 始 三 年 承 聖 三 年 百 五 十 餘 年 と い ひ 、 次 に 捜 決 抄 の 著 者 そ の 年 號 に 就 い て 、 東 密 と 台 密 八 七
東 密 と 台 密 八 八 尺 論 先 傳 本 論 後 譯 如 是 經 論 弘 通 随 縁 前 後 不 可 一 准 事 、 事 ﹂ (中 略 ) ﹁ 託 七 誠 二 時 人 疑 端 理 也 但 此 一 事 會 釋 多 疑 有 之 故 人 多 爲 徳 論 (巳上、搜決抄三、十四紙左巳下 ) 上 述 捜 決 抄 の 二 ヶ 所 の 交 に よ つ て 、 台 密 學 徒 の 釋 論 に 封 す る 態 度 の 一 般 を 知 り 得 る 。 捜 決 抄 と い ふ の は 台 密 一 家 の 根 據 た る 大 日 經 義 釋 の 佳 心 品 上 下 二 巻 に 就 い て 、 盧 山 寺 第 六 世 實 導 上 人 仁 室 師 が 、 後 圓 融 帝 の 康 暦 元 年 巳 末 六 月 一 日 よ り 永 徳 元 年 辛 酉 五 月 二 十 三 日 に 至 る 首 尾 三 ケ 年 大 衆 の 請 に 依 つ て 、 叡 山 東 塔 北 谷 八 都 尾 浄 行 院 に 於 い て 、 講 演 せ ら れ た 、 そ れ を 北 渓 の 沙 門 承 教 こ い ふ 人 が 記 し 々 の が 残 つ て 今 の 捜 決 抄 こ な つ た の で あ る そ の 中 に は 毎 日 講 演 の 日 附 け が あ り 、 恐 ら く 師 の 口 述 を 一 句 も 漏 ら す な く 、 そ の ま 、 に 記 し た の で あ b う と 思 は る ゝ 。 此 の 種 の も の ご し て は 台 密 唯 一 の も で あ り 、 前 後 十 二 巻 、 永 徳 元 年 四 月 十 四 日 の 下 に ﹁ 千 巻 護 經 依 被 閣 之 ﹂ (二 四 六 三 左 ) 即 此 の 日 千 巻 讃 經 の こ と あ つ て 休 講 せ ら れ た こ と を 誌 し 、 又 同 十 六 ・十 七 ・十 八 ・十 九 の 日 の 下 に ﹁ 依 祭 禮 被 閣 之 ﹂ と 誌 し て あ る な と 當 時 の 模 様 の 實 際 を 思 ひ 浮 べ 得 る 記 録 も あ つ て 、 な か く に 興 味 多 き も の が あ る 。 (ニノ四、六八紙參照) 。
さ
て
釋
論
に
就
い
て
本
朝
高
僧
傳
巻
七
(佛刊本百二、一二九頁
)
に
和 州 法 隆 寺 沙 門 道 詮 傳 福貴道宣元享釋書十六、僧 綱 補 任 上 、 弘 仁 年 中 唐 遍 明 法 師 齎 寄 釋 摩 訶 衍 論 十 巻 當 時 諸 師 批 評 區 別 興 福 寺 徳 溢 述 作 中 往 々 用 之 延 暦 寺 最 澄 圓 珍 破 爲 倫 論 東 寺 空 海 奏 朝 入 眞 言 三 臓 箴 誨 道 詮 郤 破 レ爲 循 論 立 爲 眞 論 也 と あ る 。 此 の 交 面 に 表 は る る 所 を 見 る に 、 一 、 弘 仁 年 中 に 唐 の 遍 明 法 師 な る 人 釋 訶 術 論 を 本 朝 に 傅 來 せ し こ と 、二 、 當 時 既 に 學 界 の 問 題 と な つ て 批 評 區 々 た る 中 に 興 福 寺 の 徳 溢 は そ の 著 述 中 に 往 々 こ れ を 引 用 せ し こ と 、 三 、 延 歴 寺 の 最 澄 、 及 び 圓 珍 は そ れ を 偏 論 と し た る こ と 、 四 、 東 寺 の 空 海 は 朝 廷 に 奏 し て 眞 盲 所 學 三 藏 の 中 に 編 入 せ し こ と 、 五 、 輻 貴 の 道 詮 は こ れ を 眞 論 と し て 用 ゐ た る こ と 、 右 の 五 項 目 と な る 。 そ の 中 第 五 項 に 就 い て は 捜 決 抄 の 著 者 も ﹁ 但 福 貴 和 上 所 作 の 箴 誨 迷 方 記 の 中 に 古 來 の 難 破 を 會 し て 眞 論 な り ﹂ と 云 義 を 成 せ り と 云 つ て ゐ る 。 こ れ を 延 暦 寺 護 國 縁 起 に 見 る に 、 昔 戒 明 大 徳 入 唐 之 時 將 來 釋 摩 詞 衍 論 十 巻 干 時 居 士 三 船 眞 入 先 付 四 告 ( 失 力 ) 南 城 智 徳 以 付 七 告 定 僞 論 乃 至 後 有 福 貴 寺 道 詮 作 箴 誨 迷 方 記 真 會 初 四 次 七 告 (失 力 ) 、 未 釋 叡 山 四 之 告 (失) 云 云 己 上 、 (佛刊本、百二十六、四三九頁 ) こ れ に 依 る に 、 一 、 戒 明 大 徳 な る も の 入 唐 し て 今 の 論 十 雀 を 傅 へ た こ と 、 二 、 三 船 眞 人 先 そ れ に 就 い て 四 失 を 擧 げ 、 智 徳 は 七 失 を 出 し て 僞 論 と し た こ と 、 三 、 幅 貴 寺 の 道 詮 は 箴 誨 迷 '〃 記 を 作 つ て そ れ ら の 失 を 會 し た る も 叡 山 大 師 の 四 失 を 釋 す る に 到 ら す 、 と い ふ 三 項 目 と な る 。 そ の 第 二 項 を 前 の 高 信 傳 の も の と 比 較 す る 時 釋 論 の 傳 來 者 二 人 あ る こ と と な る そ し て 戒 明 大 徳 の 傳 が 遍 明 法 師 の も の よ り 古 き こ と は 次 の 傅 に よ り て 明 と な る 。 そ れ は 杲 賢 師 抄 巻 第 十 八 に ﹁ 釋 摩 訶 衍 論 眞 偏 事 ﹂ と 題 し 、 次 の 如 き 文 を 出 さ れ て ゐ る 。 東 密 と 台 密 八 九
東 密 と 台 密 九 〇 三 船 眞 人 送 戒 明 和 街 状 云 釋 摩 訶 衍 論 十 巻馬嗚菩薩本論龍樹菩薩 一 昨 使 至 垂 示 下 從 唐 新 來 釋 摩 訶 衍 論 上 聞 名 之 始 喜 龍 樹 之 妙 釋 開 巻 之 後 恨 機 馬 鳴 之 眞 宗 今儉 此 論 實 非 龍 樹 之 旨 是 愚 人 假 菩 薩 高 名 而 所 作 耳 但 其 本 論 者 實 馬 鳴 菩 薩 之 起 信 論 也 梁 承 聖 三 季 甲 戊 眞 諦 三 藏 之 所 譯 也 今 此 僞 釋 序 云 而 ( 天 力 ) 回 鳳 威 姚 興 皇 帝 製 弘 始 三 年 歳 次 星 紀 子庚 於 荘 嚴 寺 筏 提 摩 多 三 藏 譯 也 晋 書 云 後 秦 姚 興 生 稱 大 秦 皇 帝 死稱 文 桓 皇 帝 始 終 無 廻 天 鳳 威 之 號 又 姚 者 姓 也 興 者 名 也 取 皇 帝 姓 名 即 爲 號 未 之 有 也 又 自 弘 始 三 年 至 承 聖 三 年 相 去 一 百 五 十 五 年 取 後 譯 之 本 論 二 前 譯 之 釋 論 同 爲 一 人 譯 是 大 虚 妄 也 又 儉 本 論 文 雅 義 圓 此 僞 釋 文 鄙 義 昏 同 巻 異 筆 必 非 同 譯 理 則 明 矣 今 大 徳 當 代 智 者 何 勞 遠 路 持 此 僞 文 來 昔 膳 大 丘 從 唐 持 來 金 剛 藏 菩 薩 注 金 剛 般 若 經 亦 同 此 論 並 僞 妄 作 也 願 早 薇 匿 不 可 流 傳 取 笑 於 萬 代 眞 人 三 船 白 寳 龜 十 年 潤 五 月 二 十 四 日 状 戒 明 闍 梨 座 下 即 、 寳 龜 十 年 ま で に 戒 明 と い ふ 人 に よ つ て 傳 へ ら れ た こ と に な つ て ゐ る 。 そ し て 眞 人 三 船 な る 士 が そ の 釋 論 の 僞 作 な る を 指 定 し た 。 こ れ を 思 ふ に 戒 明 闍 梨 は 必 ず 眞 論 と 信 じ て 傅 へ た る も の な る べ く 、 而 し て そ れ を 眞 人 に 送 つ た の で あ る 。 眞 人 は こ れ を 検 考 し て 僞 作 と し た 、 眞 人 は 闍 梨 を 評 し て ﹁ 當 代 智 者 ﹂ と 推 讃 す 、 然 ら ば そ れ ほ と の 闍 梨 が 將 來 し た 釋 論 に 對 し ﹁ 僞 作 ﹂ と 指 定 し た 眞 人 は 、 戒 明 以 上 の 佛 學 看 で な く て は な ら な い 。 果 し て 然 ら ば 眞 人 の 名 聲 は 當 時 の 教 學 界 に も 高 く 稱 道 さ れ 、 後 代 に ま で 傳 つ て ゐ な く て は な ら な い 。 然 も こ の 事 の な き は 如 何 な る 理 由 に よ る か 、 此 の 三 船 の 状 の 僞 作 で は な
い か と い ふ 疑 問 の 提出 さ る る あ る も 亦 當 然 と 稱 し な く て は な ら ぬ 。 且 つ 終 の 年 號 に 就 い て も 寳 龜 十 年 潤 五 月 二 十 四 目 に 今 の 状 が 戒 明 闍 梨 に 送 ら れ た の で あ る か ら 、 そ れ 以 前 に 此 の 書 は 將 來 さ れ て ゐ な く て は な ら ぬ道 理 で あ る 。 然 る に傅敎 大 師 の 守 護 國 界 章 を 見 う に 、 ﹁ 天 應 年 中 自 唐 將 來 ﹂ と あ る 、 將 來 者 は 戒 明 法 師 で あ る 。 天 應 と い ふ 年 號 は 寳 龜 に 績 き 、 僅 一 年 に し て そ の 第 二 年 は 延 暦 と な っ て ゐ る 。 よ つ て 三 船 眞 人 の 戒 明 に 送 つ た と い ふ 状 よ り 二 年 も 後 の こ と に な る 。 こ れ は 傅敎 の 誤 り か 三 船 の 失 か 、 疑 は し き も の で あ る 。 そ れ は 今 の 状 文 の 作 者 考 に屬 す る 所 で あ る が 、 そ の 難 ぜ ん と す る 所 は 次 の 四點 に 歸 す る で あ ら う 。 一 、 無 而 回 鳳 威 名 難 二 、 取 姓 名 不 可 爲 號 難 三 、 前 譯 論 牒 後 釋 文 難 四 、 同 巻 異 筆 非 一 人 , 譯 難 也 己 上 の 四 箇 條 杲 賢 法 印 の 所 出 に 依 る 。 次 に 、 前 に 高 僧 傅 の 文 を 出 す 中 ﹁ 興 福 寺 徳 溢 述 作 中 往 々 用 之 ﹂ と あ る 。 そ れ に 就 い て 阿裟 婆鈔 の 第 三 十 一 、 金 界 雜 要 の 中 に 釋 摩訶 衍 論 十 巻龍樹戒 明 東 密 と 台 密 九 一
東 密 と 台 密 九 二 初 來 之 日 道 俗 爲 僞 論 次 徳 溢 諭 引 用 叡 山 本 師 破 爲 偏 論 (佛 刊 本 、 阿 娑 婆 鈔 二 、 五 〇 九 ) 即 、 徳 溢 師 も こ の 論 を 僞 論 と し た る 如 く で あ る 。 上 述 す る 所 を 総 合 し て 、 釋 論 は 最 初 、 弘 法 大 師 の 入 唐 學 以 前 に 既 に 戒 明 闍 梨 に よ つ て 將 來 さ れ 、 而 も そ れ に 就 い て 道 俗 の 間 に 眞 僞 の 論 が 盛 で あ つ た こ と の 一 般 が 知 り 得 ら れ る と 思 ふ 。 次 に 台 密 の 祖 師 傅 教 大 師 は こ の 書 を 如 何 に 見 ら れ た か 。 大 師 の 著 守 護 國 界 章 の こ れ に 關 す る 全 文 を 出 し て そ の 態 度 を 窺 つ て 見 や う 。 守 護 國 界 章 上 之 中 (日 本 藏 經 、 天 台 宗 章 疏 一 、 二 七 九 ) に 鹿 食 者 日 又 繹 摩 訶 衍 論 云 伏 闡 提 不 信 障 得 十 信 位 伏 縁 覺 捨 。 障 得 十 廻 向 位 斷 異 生 障 等 十 障 得 十 地 溝 此 等 文 明 知 地 前 四 十 心 位 猶 是 凡 夫 猶 是 退 位 於 六 塵 境 顛 倒 妄 念 何 名 聖 位 若 是 蔵 通 別 菩 薩 非 圓 教 者 爾 彼 所 立 四 教 不 極 成 故 彈 日 汝 引 釋 摩 訶 術 論 不 足 爲 成 證 何 者 翻 澤 不 分 明 故 隋 唐 諸 目 録 不 載 見 録 故 其 眞 言 字 不 相 似 梵 字 故 其 義 理 相 違 本 論 故 姚 興 在 秦 眞 諦 在 梁 秦 代 筏 提 譯 己 同 梁 家 論 若 義 論 者 何 故 從 秦 以 降 至 唐 開 元 目 録 不 載 疏 師 不 引 是 以 不 足 歸 信 此 論 者 大 安 寺 戒 明 法 師 去 天 應 年 中 自 唐 將 來 尾 張 大 僧 都 爲 傳 検 勘 日 己 勘 成 僞 論 汝 何 以 疑 論 輙 遮 華 嚴 住 此 亦 一 愚 失 耳 と 。 こ れ は 東 寺 杲 寳 法 印 の 如 く 次 の 六 失 の 難 と し 得 る 。 一 、 翻 譯 不 分 明 難 二 、 隨 唐 , 目 録 不 載 難 三 、 眞 言 字 不 似 梵 字 難
四 、 義 理 相 違 本 論 難 五 、 秦 譯 同 梁 譯 難 六 、 疏 師 不 引 難 次 に 台 密 教 相 の 大 成 者 五 大 院 安 然 和 尚 の 釋 論 に 封 す る 態 度 を 窺 つ て 見 や う 、 先 教 時 義 (又 教 時 問 答 と も い ふ ) 第 一 に 、 問 摩 訶 衍 論 昔 者 戒 明 和 上 將 來 之 時 有 諸 道 俗 論 定 僞 論 又 南 大 師 新 羅 國 僧 珍 聰 傳 云 是 論 新 羅 國 大 空 山 沙 門 月 忠 撰 也 而 何 引 爲 龍 樹 論 證 答 昔 日 有 居 士 論 付 四 失 後 有 僧 衆 更 加 七 失 次 有 眞 言 僧 都 上 奏 入 眞 言 宗 三 藏 之 中 流 行 天 下 其 符 文 載 貞 觀 狢 後 有 福 基 和 上 箴 誨 迷 方 記 中具會二舊 八 四 失 七 失一論定眞論論題ト云龍樹菩薩造故引爲 證據可 謂 顯悔隋時行蔵在者 也 (新刊頁己本四下 ) 教 時 義 は 安 然 尚 和 の 著 と し て 古 來 有 名 な る も の 、 全 四 巻 あ り 、 台 密 教 相 研 究 の 爲 に は 必 讃 す べ き も の と な つ て ゐ る 。 此 れ に 見 ゆ る 安 然 和 術 の 釋 論 に 封 す る 態 度 は 、 僞 論 な る 故 用 う べ か ら す と す る も の で も な く 、 さ り と て 眞 論 と し て 絶 封 に 信 頼 す る も の で も な い 。 ﹁ 顯 悔 隨 時 行 藏 在 運 ﹂ 即 用 不 は 時 の 便 に 依 る と い ふ 程 度 の も の に し か 過 ぎ な い 。 隨 つ て ﹁ 龍 樹 摩 訶 衍 論 建 立 十 識 ﹂ 云 云 と い ふ て 、 そ の ま ゝ を 出 し て あ る 所 も 見 ら る ゝ 、 こ れ を も つ て 云 へ ば 殆 ん と 眞 論 と し て の 扱 に な つ て ゐ る と 云 は ね ば な ら ぬ 。 か ゝ る 安 然 和 尚 の 態 度 は 其 他 の 場 合 に も 往 々 に 散 見 せ ら れ る 。 彼 の 有 名 な 悉 曇 八 巻 藏 の 中 に は 釋 東 密 と 台 密 九 三
東 密 と 台 密 九 四 論 の 文 を 引 證 し 、 ﹁ 釋 摩 訶 衍 諭 説 佛 行 人 修 正 觀 法 ﹂ 云 云 の 言 に 就 い て 、 評 日 有 種 字 一 僞 作 字 二 妄 推 字 三 暗 推 字 四 眞 實 字 一 僞 作 字 叡 山 本 師 守 護 國 界 章 云 釋 摩 訶 衍 論 ⋮ 勘 僞 論 文 次仆 空 海 僧 都 上 表 大 日 金 剛 頂 等 修 多 羅 藏 蘇 悉 地 蘇 摩 呼 等 毘 奈 耶 藏 釋 摩 訶 衍 菩 提 心 論 訶 毘 達 磨 藏 可 以 流 通 宣 符 施 行 次 我 和 上 據 大 安 寺 新 羅 國 僧 珍 聰 口説 是 新羅國 中 朝 山 僧 月 忠 僞 作於 延暦寺目録 註 云 月 忠 作其 後 道 詮 法 師 作 箴誨中廣破誡明將道多 海(一本作治 ) 居 士 ( 三船人ならの眞べし ) 之 日 居 士 所出 四 失 于 後 南 京 釋 衆 所 出 七 失決爲眞 論今 櫨 叡 山 両 大 師 判 以 爲 僞 諭其 中 眞 言 文 字 亦 爲 月 忠 僞 字 文 (佛 刊 本 悉 曇 具 書 一 六 頁 ) 又 、 八 家 秘 録 上 (十五紙右 ) に は 釋 摩 訶 衍 論 十 巻 龍 樹 戒 明 初 來 之 日 道 俗 判 爲 僞 論 次 徳 溢 師 引 用 叡 山 本 師 破 爲 僞 論 仁 和 上 問 大 寺 新 羅 僧 珍 聰 云 新 羅 中 朝 山 月 忠 妄 造 後 海 和 上 奏 入 眞 言 三 藏 流 行 天 下 次 福 貴 山 道 詮 和 上 箴 誨 破 古 僞 論 立 爲 眞 論 今 の 八 巻 藏 並 に 八 家 秘 録 に 於 い て 特 に 注 意 す べ き は 仁 和 尚 、 即 安 然 九 大 院 の 師 な る 圓 仁 和 尚 が 新 羅 の 僧 の 珍 聰 に 尋 ね ら れ た 所 が 珍 聰 の 日 ふ に 、 釋 論 は 新 羅 の 中 朝 山 月 忠 の 妄 造 す る 所 だ と 答 へ ら れ た と い ふ 問 答 の 一 文 で あ る 。 こ れ ま で 僞 作 す る の 説 は 見 た け れ と 未 何 人 の 僞 作 す る 所 だ と 指 名 し た も の を 見 な か つ た の で あ る 。 然 る に 圓 仁 和 尚 に 依 つ て か く 指 名 さ る る に 到 つ た 。 以 上 予 は 台 密 學 徒 の 態 度 を 窺 ふ た の で あ る が 、 そ れ に 蜘 す る 東 密 の 學 徒 は 如 何 な る 態 度 を 持 っ た で あ ら う か 。 今 は 東 密 學 派 の 權 威 東 寺 の 杲 寳 法 印 の 説 を 出 す こ と と す 。 尤 も 全 文 は 非 常 に 長 い の で 唯 主 意 を 出 す に 正 め る 。
第 一 三 船 の 難 を 會 し て 一 は 帝 徳 を 嘆 ず る の 言 で あ つ て 、 三 船 の 如 く そ れ を も つ て 謬 難 と す る は ﹁ 頗 足 可 笑 ﹂ と 。 二 は 姚 興 は 皇 帝 の 名 と す 。 即 そ れ は 號 で あ る 。 三 は 本 論 釋 論 翻 譯 の 前 後 を も つ て 疑 難 と す る こ と は 出 來 な い 。 釋 論 は 弘 始 三 年 に 之 れ を 譯 す と 云 へ と も 後 起 信 論 の 梵 本 重 て 傳 來 さ る る あ り 、 前 後 の 本 交 同 じ き に よ つ て 、 眞 諦 三 藏 承 聖 三 年 に 先 譯 の 釋 摩 訶 衍 論 の 中 の 本 論 の 文 を 寫 し 出 し 朝 に 奉 る と い ふ に 何 の 過 失 が あ ら う か 。 四 の 難 何 の 理 由 と も な ら な い 、 本 論 は 馬 鳴 の 造 で あ り 、 釋 論 は 龍 樹 の 作 で あ る 。 梵 本 の 文 章 各 別 な る 故 漢 譯 の 上 に も そ の 相 違 が 出 つ る 。 猶 三 船 の 状 文 の 全 體 と し て 、 前 に も 述 べ し 如 く 、 守 護 國 界 章 に は 大 安 寺 の 戒 明 注 師 天 應 年 中 唐 よ り 將 來 す と め る に 、 三 船 の 状 に は 寳 龜 十 年 と あ る 。 二 年 も 後 に 傅 へ ら れ し 本 に 對 し て 前 の 年 よ り 疑 ふ と は 考 へ ら れ な い 。 且 つ 潤 月 は 十 年 に 無 く し て 翌 十 一 年 に あ つ た こ と に な つ て ゐ る 。 彼 此 疑 は し い も の で あ る 。 杲 寳 師 は 三 船 と い ふ に 就 い て ﹁ 類 聚 國 史 六 十 四 云 ﹂ と し て 次 の 如 き 文 を 出 し て 居 ら る る 。 桓 武 天 皇 延 暦 四 年 七 月 庚 戊 刑 部 卿 從 四 位 下 兼 因 幡 守 淡 海 眞 へ 三 船 卒 三 船 大 友 親 王 之 曾 孫 也 祖 葛 野 王 正 四 位 上 式 部 卿 父 池 邊 王 從 五 位 上 内 匠 頭 三 船 盤 聰 敏 渉 覺 群 書 尤 好 筆 禮 文 國 史 所 載 當 此 人 歟 猶 廣 可 勘 之 第 二 に 傅 教 の 難を 會 す 、 東 密 と 台 密 九 五
東 密 と 台 密 九 六 一 、 傅 教 大 師 は 翻 譯 分 明 な ら す と い ふ も 、 そ の 論 の 序 文 に 姚 興 皇 帝 記 し て ﹁ 朕 聞 其 梵 本 先 在 干 中 天 潰 駛 奉 迎 近 至 東 界 、 弘 始 三 年 歳 次 星 紀 九 月 上 旬 於 大 荘 嚴 寺 親 受 筆 削 敬 譯 此 論 ﹂ 云 云 と 、 こ れ に よ つ て 十 分 に 明 で は な い よ 、 但 筏 提 摩 多 三 藏 翻 譯 す る に 此 の 論 の み を 譯 し て 余 の 經 の 譯 論 な き は 如 何 と い ふ か 、 如 此 一 經 若 し は 一 論 の み を 譯 出 す る 三 藏 は 他 に も あ り 、 敢 へ て 譯 經 不 分 明 の 埋 由 と は な ら な い 。 二 、 隨 唐 の 目 録 に な し と い ふ も 、 か ゝ る 録 外 の 經 論 そ の 例 は 甚 多 く 此 の 論 に 限 つ て 疑 と す る こ と は 出 來 な い 。 三 、 眞 言 の 字 梵 字 に 似 ず と い ふ も 、 そ れ は 一 を 見 て 全 體 を 見 な い も の 、 凡 そ 文 字 に 於 い て 梵 胡 漢 皆 其 の 字 體 を 異 に す る 。 論 の 第 八 巻 第 九 巻 の も の は 聖 寳 の 記 に 誌 す 如 く ﹁ 龍 樹 菩 薩 初 交 外 道 衆 習 呪
藏
後
遇
金
剛
手
傅
秘
教
以
傅
教
短
才
争
可
疑
龍
樹
博
覧
乎
﹂
と
。
四 、 ﹁ 難 破 之 趣 荒 涼 頗 不 足 會 通 者 歟 ﹂ と あ る 。 杲 寳 師 は 猶 辨 論 を 績 け て ゐ ら れ る け れ と 、 私 に 今 そ れ を 畧 す 。 五 、 會 通 同 前 壇 矣 。 六 、 疏 師 不 引 と い ふ も 一 概 に 斷 定 す る こ と は 出 來 な い と し 、 種 々 の 場 合 の 文 を 出 す 。 次 に 杲 寳 師 は 宗 鏡 録 第 四 十 五智學襌師述 の 文 を 引 く 。且 如 馬 鳴 龍 樹 皆 是 西 天 傳 佛 心 印 祖 師 馬 鳴 製 大 乗 起 信 論 廣 説 阿 頼 耶 等 細 識 六 .麗 相 一 心 眞 如 生 滅 二 門 龍 樹 製 摩 訶 衍 論 引 一 百 本 大 乗 經 證 説 八 識 心 王 性 相 微 細 等 義 文 翻 譯 名 義 集 第 六 云 又 摩 訶 衍 論 立 十 種 識 惣 攝 諸 識 新 編 諸 宗 教 藏 惣 録 巻 第 三高漉沙門義天録 に は 釋 摩 訶 衍 論 十 巻 龍 樹 述 通 玄 鈔 四 巻 通 玄 科 三 巻 大 科 三 巻 已 上 志 福 述 通 賛 疏 十 巻 通 賛 科 三 巻 大 科 一 巻 巳 上 守 臻 述 賛 玄 疏 五 巻 賛 立 科 三 巻 大 科 一 巻 已 上 法 悟 述 私 云 義 天 大 智 律 師 弟 子 也 律 師 爲 述 開 講 要 義⋮ 尺 摩 訶 衍 論 記 一 巻 沙 門 聖 法 作 右 摩 訶 衍 論 横 釋 顯 教 竪 括 秘 藏 大 論 雖 先 來 左 右 未 定 今 以 此 疏 證 彼 大 乗 文 以 上 の 引 證 文 は 杲 寳 師 の さ れ た も の ゝ 中 僅 一 部 分 を 此 處 に 抄 出 し た る の み 、 詳 細 は 抄 第 十 八 を 参 照 す べ き で あ る 。 彼 の 守 護 國 界 章 の 文 に ﹁ 尾 張 大 僧 都 ﹂ 云 云 と あ る 、 そ の 尾 張 の 大 僧 都 と は 誰 人 で あ る か 、 僧 綱 補 任 に 日 く 、 賢 悼 興福寺 法 相 宗 尾 張 國 人 寳 龜 五 年 二 月 二 十 四 日 任 律 師 玄 防 僧正 弟宣教法師弟子良敏僧都弟子 延 暦 三 年 六 月 九 日 任 大 僧 都 不 經 少 僧 都 同 十 二 年 十 一 月 七 日 入 滅年 八十 幼年人道剥皮燃 指 精 進 無 倦 文 彼 尾 張 大 僧 都 者 當 此 人 歟 爾 者 雖 爲 行 者 未 見 智 人 何 輙可 決 此 論眞 僞 乎 第 三 に 安 然 の 難 を 會 す 、 東 密 と 台 密 九 七
東 密 と 台 密 九 八 安 公 難 破 雖 多 端 大 略 載 守 護 國 界 章 文 如 前 段 救 此 外 無 指 疑 難 但 珍 聰 口 説 以 此 爲 指 南 歟 件 珍 聰 者 誰 人 乎 勘 見 僧 綱 補 任 自 異 朝 來 本 朝 之 僧 中 夏 無 名 珍 聰 之 人 定 知 非 高 名 之 人 歟 爰 有 釋 珍 嵩 者 彼 釋 有 以 起 信 論 爲 疑 論 之 語 今 相 濫 本 釋 以 當 諭 爲 僞 作 云 之 歟 抑 此 論 者 盡 密 藏 之 奥 旨 窮 性 海 之 淵 源 三 十 三 種 法 門 眞 如 生 滅 建 立 都 非 凡 智 所 測 誰 人 妄 可 造 之 乎 月 忠 若 智 人 者 不 愼 大 妄 語 罪 何 以 自 作 可 稱 龍 樹 造 乎 若 愚 人 者 自 可 述 甚 深 法 理 乎 又 延 暦 寺 目 録 注 云 月 忠 作 是 又 慈 覺 依 珍 聰 口 説 且 造 此 注 歟 彼 珍 聰 口 説 爲 胸 臆 浮 言 之 上 者 目 録 注 隨 而 不 足 依 憑 矣 次 に 南 山 教 學 の 大 成 者 と 仰 が る ゝ 宥 快 法 印 の 態 度 を 見 る に 弘 法 大 師 は 入 唐 後 青 龍 寺 に 於 い て 當 論 の 宗 體 を 相 傳 し 給 ふ こ と 一 處 の 御 釋 に 明 で あ る 。 但 そ の 上 表 の 録 に 當 論 を 載 せ 給 は ざ る は 大 師 の 以 前 既 に 戒 明 和 尚 此 の 論 を 請 來 し て 本 朝 に 流 布 せ し む る 故 、 今 更 、 そ れ を 載 す る に も 及 ば す と せ ら れ し に 依 る 。 (快 師 釋 論 鈔 一 丁 参 照 ) 蓋 し 東 密 一 家 に あ り て は 、 此 の 宥 快 師 の 意 を 本 と し 、 杲 寳 師 の 精 神 に 立 つ て 他 者 の 所 難 を 論 ず る こ と 、 古 今 正 統 派 の 一 致 す る 所 で あ ら う と 思 ふ 。 既 に 述 ぶ る 如 く 大 師 御 在 世 の 當 時 、 釋 論 に 對 す る 眞 僞 の 論 、 學 界 に 論 究 さ れ て 未 だ 決 定 さ る る に 到 ら な か つ た 、 そ の 時 大 師 は 大 膽 に も 三 學 録 を 奏 し 、 そ の 中 に 釋 論 を も つ て 眞 盲 所 學 必 須 の 書 と 制 定 さ れ し こ と 、 今 日 の 吾 人 よ り 見 ば 驚 く べ き 事 件 で あ つ た と 思 は る 。 紛 々 た る 世 論 を 退 け て 、 如 是 決 定 さ れ た 大 師 の 意 中 に は 必 ず 、 そ れ に 對 す る 十 二 分 の 確 信 を 有 し て ゐ ら れ た に 違 ひ な い 。 そ の 確 信 か ら 見 れ ば 、 時 代 の 批 割 は 殆 ん と 何 等 の 内 容 に も 觸 る ゝ も の で は な か つ た で あ ら う と 考 へ ら れ る 。 前 に 杲 寳 法
印 の 文 を 出 し た 中 に 見 ゆ る 如 く 此 論 は 密 教 教 學 の 奥 旨 を 盡 し 、 そ の 源 底 を 窮 む る も の で あ り 、 三 十 三 種 の 法 門 眞 如 生 滅 の 建 立 は 都 て 凡 智 の 測 る 所 に 非 す と は 、 大 師 が 此 の 論 に 對 す る 確 信 の 中 心 核 子 で あ つ た ら う と 察 し ら る 、 眞 作 僞 作 等 の 問 題 は 殆 ん と そ の 前 に は 問 題 と す べ き 程 の も の で は な か っ た で あ ら う 。 私 が か く 考 へ る こ と は 、 大 師 が 御 著 述 の 中 に 流 る ゝ 思 想 體 系 を 仰 ぐ 時 、 髣 髴 と し て 顯 れ 來 る は 釋 論 の そ れ で あ り 、 釋 論 の そ れ を 豫 想 し て 大 師 の 御 書 物 を 拝 す る 時 眞 に そ の 面 目 が 思 ひ 浮 べ ら る ゝ こ と に よ つ て 、 敢 て 無 意 味 の 推 論 で な い こ と を 知 る に よ る 。 二 教 論 の 如 き は 最 も 著 し き 釋 論 の 活 現 か と も 思 ふ 。 か く 考 へ 來 る 時 釋 論 は 到 底 凡 愚 の 及 ぶ 思 想 で は な い 。 そ れ 以 後 の 難 破 せ ん と す る 論 者 の 所 述 大 概 吾 人 の こ の 確 信 を 動 か す 程 の も の と も 思 は れ な い 。 猶 一 言 附 記 す る こ と は 彼 の 和 州 大 安 寺 僧 戒 明 に 就 い て 開 解 鈔 に は 藥 師 寺 戒 明 天 應 年 中 に 將 來 す と 記 し て あ る こ と ゝ 、 支 那 に は 有 名 な 釋 論 に 關 す る 三 部 の 疏 あ り 、 又 朝 鮮 に は 前 述 の 如 く 高 麗 の 朝 に 志 福 守 臻 ・ 法 悟 て ふ 三 師 各 そ の 註 釋 と 科 文 と を 製 し 、 そ の 盛 行 を ト す べ き も の あ り 、 又 聖 法 記 の 如 き も の も あ る 、 に も か ゝ は ら す 眞 僞 問 題 に 觸 る ゝ を 見 す し て 、 本 朝 に 於 い て の み 如 上 盛 に 諭 諍 さ れ た こ と 。 此 の 二 黙 註 意 す る に 價 す る で あ ら う 。 ﹁ 東 域 傳 燈 目 録 ﹂ 興 福 寺 沙 門 永 超 集 の 中 に 、 釋 摩 訶 衍 論 十 巻 釋 起 信 論 新 羅 大 空 山 中 沙 門 月 忠 撰 龍 樹 造 論 僞 也 (佛 刊 本 一 、六 七 、) 東 密 と 台 密 九 九
東 密 と 台 密 一 〇 〇 と あ る 。 此 處 に こ れ ら 南 都 特 に 興 福 寺 系 の 學 徒 が 、 此 の 釋 論 を 如 何 に 扱 ひ し か 、 種 々 の 點 に 於 い て 興 味 あ る こ と に 思 ふ け れ と 、 今 は そ れ ら の 所 論 を 全 部 畧 す る 。 要 す る に 釋 論 の 眞 僞 考 に 關 す る 問 題 は 捜 決 抄 二 五 ・ 五 五 右 に 出 す 次 の 語 に 歸 結 す る 釋 起 信 論 海 和 両 及 福 貴 和 両 以 為 眞 論 比 叡 山 及 諸 宗 皆 爲 僞 論 と 、 次 に 参 考 の 爲 に 慈 雲 尊 者 の 語 を 引 用 し や う 。 和 上 ( 慈 雲 尊 者 ) 日 密 教 チ 學 ブ ニ 心 得 ア リ 、 其 心 得 ト ハ 釋 起 信 論 ナ リ 、 此 論 他 門 ニ ハ 僞 書 ト ス レ ド モ 吾 宗 ハ 大 師 ノ 三 學 録 二 載 セ テ 專 ラ 引 用 シ 玉 フ ガ 故 二 眞 ト シ 學 ブ ベ キ ニ 論 ナ シ 、 サ レ バ 彌 々 龍 猛 ノ 御 作 歟 ト 問 ハ い 慈 雲 ハ 左 様 ト ハ 答 ヘ ヌ ナ リ 。 然 レ ド モ 其 教 大 二 密 教 チ 助 ク ル コ ト ア レ バ 學 プ ベ キ ニ 決 ス 。 云 云 両 部 曼 茶 羅 臆 聞 記 上 巻 二 十 一 紙 左 學 密 用 心 ノ 條 下 ) 三 、 大 日 經 疏 本 朝 傳 來 及 び 其 論 諍 前 項 は 東 密 家 の 根 本 文 献 に 對 す る 台 東 両 學 徒 の 論 諍 、 即 釋 摩 訶 衍 論 の 眞 僞 考 問 題 で あ つ た 。 今 此 處 に 檢 討 せ ん と す る は 、 両 家 共 通 の 根 本 文 献 た る 大 日 經 の 註 書 た る 蔬 と 義 釋 と の 優 劣 問 題 及 び そ の 傳 來 を 考 へ て 見 た い と 思 ふ の で あ る 。 凡 そ 大 日 經 の 本 朝 傳 來 は 隨 分 に 古 き も の 、 如 く 、 現 に 神 護 二 年 十 二 月 八 日 に 寫 經 せ ら れ た る 大 日 經 の 奈 良 に 存 じ て 居 る と い ふ を も つ て 見 て も 推 察 し 得 る 。 正 倉 院 藏 古 文 書 の 寫 經 目 録 に は 天 平 年 間 に 理 趣 經 ・金 剛 頂 經 ・ 大 昆 盧 遮 那 經 ・蘇 悉 地 經 ・ 金 剛 頂 喩 伽 中 畧 出 念 葡 經 等 の 名 稱 が 擧 げ ら れ て ゐ る 。 こ れ ら
は 今 の 問 題 に 對 し て 疑 は ん と し て 疑 ひ 得 ざ る 資 料 を 提 供 す る も の で な く て は な ら な い 。 又 大 和 唐 招 提 寺 に は 古 來 か ら 一 行 襌 師 の 筆 記 に か 、 る 大 日 經 を 所 藏 す と も 傅 ふ る 。 そ の 如 何 な る も の な る か 今 こ れ を 確 む る に 由 な い け れ と 、 法 相 の 玄 肪 僧 正 、 養 老 元 年 に 遣 唐 師 に 隨 ひ 撲 揚 の 智 周 大 師 に 就 い て 法 相 の 蘊 奥 を 究 め 、 彼 の 地 に 留 る こ と 十 八 年 間 、 聖 武 天 皇 の 天 平 八 年 十 一 月 遣 唐 使 從 四 位 上 多 治 比 眞 人 廣 成 と 同 時 に 歸 朝 、 そ の 時 に は 菩 提 仙 那 ・佛 哲 ・道 濬 等 の 名 徳 も 同 時 に 來 朝 さ れ た の で あ つ た 。 そ の 齎 し 來 る 所 の 經 論 五 十 餘 巻 、 そ の 中 に 大 日 經 義 記 十 巻 も あ つ た と の こ と 、 又 南 都 西 大 寺 の 徳 清 も 大 日 經 義 記 十 四 巻 を 將 來 し た 。 五 大 院 安 然 和 尚 の 八 家 秘 録 巻 上 九 紙 を 見 る に 大 毘 盧 遮 那 經 義 記 十 巻無畏釋一行記山階玄肪僧正 大 毘 應 遮 那 經 義 記 七 巻上下十四巻西大寺徳清大徳 と あ る 。 次 に 智 證 大 師 撰 文 の 義 釋 目 録 を 見 る に ﹁ 大 毘 盧 遮 那 成 彿 道 經 義 釋 目 録 縁 起 ﹂ と し て 縁 之 來 由 者如余所聞件義釋 從 大 唐来 我國且 五本焉今見有 四 謂 西 大 寺 得 (或書徳字 ) 清 大 徳 請 來 本 一 十 四 巻大暦七年到唐未委歸年也 次 高 雄 寺 (或名神護 ) 空 海 和 尚 本 二 十 巻 (貞元二十一年到唐大同元年歸朝 ) 次 當 寺 慈 覺 大 師本 一 十 四 巻開成三年到唐承和十四年歸朝金 賚来 本 一 十 巻大中七年到唐天安二年歸朝 都慮對 勘大同小 異 不 免 功 拙 也 文 聞平安 城 山 階 寺 (或 名 興 輻 ) 有一本 此玄肪 師唐將来昔 我 比 叡 大 師 借看肪本不 堪 可 寫 當 時還却 寫 西 大 本 自 充 披 覧 大 師 縁 彼 本 二 巻 已 下 元 闕 内 題 重 復 繕 寫 准 外 題 加 添 之 兼 録 經 品 示 干 富 巻 所 釋 起 鑑 故 入 藏 者 有 前 後 両 本 也 其 高 雄 本 以 世 多 行 一 更 不 入 藏 今 記 数 本 題 爲 令 後 代 會 事 元 由 及 是 非 云 云 (已 下 略 ) 元 慶 八 年 歳 次 甲 辰 五 月 二 十 六 日 亥 日 延 暦 寺 前 入 唐 尋 教 釋 圓 珍 在 總 持 衛 院 北 房 准 二 遽 開 元 釋 教 廣 品 歴 章 記 録 東 密 と 台 密 一 〇 一
東 密 と 台 密 一 〇 二 と て 各 書 の 品 目 録 和 出 し て あ る 。 そ れ に 就 い て 特 に 注 意 す べ き は 傅 教 大 師 が 玄 肪 僧 正 の 本 を 借 覧 す る に 文 義 通 せ す 、 寫 得 す る に 堪 え な い 、 そ こ で 直 ぐ 返 却 し 西 大 寺 徳 清 の 本 を 借 り 披 覧 あ る に 、 梢 々 満 足 す べ き も の あ つ て 、 そ れ を 書 寫 し 勘 定 し て 叡 山 の 教 藏 に 收 藏 し 給 ふ た と い ふ 数 行 の 記 録 で あ る 。 更 に 安 然 和 尚 の 八 家 秘 録 を 見 る に 巻 上 、 九 紙 に 前 出 の 文 に 績 い で 、 大 毘 盧 遮 那 經 義 記 七 巻上下十四巻叡山本師治定 大 毘 盧 遮 那 經 疏 十 四 巻 高 野 海 贈 僧 正 大 毘 慮 遮 那 經 疏 二 十 巻 海 贈 僧 正 治 定 大 毘 慮 遮 那 經 義 釋 十 四 巻 有 温 古 序 叡 山 慈 覺 大 師 大 毘 盧 遮 那 經 義 釋 十 四 巻有温右序人唐遍明和上送来同叡和上本異仁和上本 大 毘 盧 遮 那 經 義 釋 十 巻 叡 山 山 王 和 上 私 云 上 入 同 疏 異 本 右 の 中 入 唐 遍 明 和 上 と い ふ に 就 い て 、 捜 決 抄 の 著 者 は 眞 如 親 王 と い ひ 、 次 の 叡 和 上 と は 宗 叡 僧 上 の こ と に て 、 仁 和 上 と は 圓 仁 慈 覺 大 師 の こ と で あ る と い ふ て ゐ る 。 杲 寳 法 印 は 前 の 義 釋 目 録 の 文 を 出 し て 次 に 、 私 云 巳 上 文 所 擧 從 大 唐 來 我 國 五 本 者 一 西 大 寺 徳 清 大 徳 本 十 四 巻 、 二 神 護 寺 本 二 十 巻 、 三 慈 覺 大 師 本 十 四 巻 、 四 智 證 所 持 本 十 巻 、 五 山 階 寺 玄 肪 師 本 不注巻数但十巻歟 次文所 擧 五 本 者一延 暦 寺 經 藏 本 十 四 巻 是 西 大 寺 本 寫 之 納 經 藏 二 同 藏 本 十 四 巻 傳 教 大 師 用 西 大 寺 本 書 題 目 注 記 經文分 齊以 爲 別 本 ⋮ ⋮ 第 三 本神護 持 大 師 傳 也 第 四本慈 覺 大師傅 第 五 本智證 大 師 傳 也 (大 日 經 疏 杲 鈔 巻 一 ) 、
と 敷 へ ら れ て あ る 。 猶 ﹁ 義 釋 目 録 ( 縁 起 ) 裏 書 ﹂ と し て 、 此 二 十 巻 本 更 有 一 本 珍 智 證 ) 曾 於 三 井 並 冷 泉 院 爲 猷 憲 探 源 法 師 等 一 遍 讃 授 此 釋 時 以 二 十 巻 聴 受 之 而 文 句 不 連 難 讀 處 多 仍 事 不 薐 巳 依 巳 唐 十 巻 文 改 疏 字 作 義 釋 兼 捜 述 者 署 爲 沙 門 一 行 述 記 又 加 添一 両 文 句 接 難 讃 處 如 今 後 學 便 抄 寫 件 本 厥 有 一 両 計 後 人 或 角 眼 故 背 後 記 之 不 是 自 是 非 他⋮⋮ 仁 和 元 年 九 月 七 日 沙 門 珍 記 文 こ れ を 要 す る に 、 經 疏 の 傅 來 は 弘 法 大 師 に 始 ま る に 非 す し て 、 そ れ 以 前 古 よ り 傳 來 さ れ て を り 、 そ れ に も 種 々 の 異 本 の 存 し て ゐ た こ と は 否 定 し 得 ら れ な い 事 實 で あ ら う 。 尤 も 弘 法 大 師 に よ つ て 傳 へ ら れ た 二 十 巻 の 疏 は な か つ た や う で あ る け れ と 、 弘 法 大 師 久 米 寺 の 塔 下 に 、 不 二 の 法 門 を 探 求 し 遂 に 、 大 日 經 を 威 得 さ れ た と い ふ こ と は 當 然 あ り 得 る 事 跡 で な く て は な ら な い 。 古 來 弘 法 大 師 の そ の 事 跡 を 説 明 す る 爲 に 養 老 年 間 に 善 無 畏 三 蔵 本 朝 に 渡 來 あ り 、 後 の 機 の 爲 に 大 日 經 を 久 米 の 塔 下 に 秘 藏 し て 置 き 、 そ の ま ゝ 久 支 那 へ 蹄 へ つ た と 傅 ふ る 。 而 も そ の 傅 説 は 元 享 釋 書 ・扶 桑 略 記 ・三 國 佛 法 傳 通 縁 起 の 如 き も の に さ へ 載 録 さ れ 、 爲 に 善 無 畏 の 來 朝 は 大 日 經 翻 譯 の 前 で あ る か 後 で あ る か 、 又 そ れ は 梵 本 で あ つ た か な と と い ふ 問 題 さ へ 論 究 さ る ゝ に 到 つ て を る 。 け れ と 上 述 の 如 き 史 實 を 認 む る 時 は 、 散 へ て 難 解 な 善 無 畏 來 朝 説 を 無 理 に 張 張 し な く と も 、 極 め て 自 然 的 に 解 決 し 得 る と 思 は る ゝ 。 次 に 少 し 復 合 す る や う で あ る け れ と も 義 釋 捜 決 抄 の 著 者 の 態 度 を 略 述 し や う 。 抄 の 第 一 に ﹁ 此 本 傅 本 異 本 太 多 し 八 家 秘 録 に 入 本 を 被 列 ﹂ と し て そ の 各 々 の 内 容 を 分 析 し て 評 出 し て ゐ る 。 今 は 八 家 秘 録 東 密 と 台 密 一 〇 三
東 密 と 台 密 一 〇 四 の 文 を 略 す る 、 そ の 第 二 西 大 寺 徳 清 の 本 に 就 い て 七 巻 の 本 を 分 ち て 十 四 巻 と し 秘 録 に は 義 記 と 名 く る け れ と 、 其 本 第 一 の 上 の 囚 題 に は ﹁ 梵 本 毘 盧 遮 那 成 佛 經 抄 記 ﹂ と あ り 、 同 下 に は 内 題 な く 、 第 二 の 上 に は ﹁ 大 毘 盧 遮 那 義 記 巻 第 二 よ ﹂ と し 、 同 下 に は ﹁ 大 毘 盧 遮 那 釋 義 第 二 巻 ﹂ と い ひ 、 第 三 以 後 に は 一 向 に 内 題 な く 、 五 大 院 は 第 二 の 上 の 内 題 を 本 と し て 首 尾 通 じ て 義 記 と 名 く べ き 爲 に か く 記 さ れ し か 、 山 家 大 師 は 御 歸 朝 の 後 、 最 初 に 玄 肪 の 本 を 借 用 あ り 、 次 い で 徳 清 將 來 の 本 を 披 見 し 給 ふ 。 即 こ れ ま で の 記 録 に は 山 家 大 師 が 玄 肪 並 に 徳 清 の 本 を 披 覧 あ つ た と は 記 し て ゐ る け れ と 、 そ の 入 唐 以 前 で あ つ た が 、 御 歸 朝 以 後 で あ つ た か を 傳 ふ る を 見 な か つ た 、 此 處 に 始 め て 御 歸 朝 後 と い ふ こ と を 見 る 。 特 に 注 意 を 要 す べ き 點 と す 。 傅 教 大 師 徳 清 の 本 を 開 き 給 ふ に 内 題 に 或 は 抄 記 と い ひ 或 は 義 記 と い ふ 、 又 或 は 釋 義 と 題 し 、 又 後 々 の 巻 に は 題 目 さ へ 出 さ な い も の が あ る 、 文 に 入 つ て も 亦 惜 制 す る あ り し が 、 大 師 は こ れ を 再 治 し ﹁ 大 毘 盧 遮 那 經 義 記 ﹂ と 名 付 け ら れ た 、 此 の 山 家 治 定 の 本 に 順 じ て 根 本 徳 清 の 本 を も ﹁ 義 記 ﹂ と 名 く る が 、 玄 肪 の 本 は 山 家 さ へ 見 る 可 き 程 の も の に 非 す と て 返 却 さ れ た の で あ つ て 、 其 の 本 の 有 無 も 今 知 る に 由 し な く 、隨 つ て そ の 題 目 も 確 定 し 得 る も の で な い 。 高 野 大 師 の 本 に 十 四 巻 二 十 巻 の 二 本 あ り 、 共 に 疏 と 名 け ら れ た 、 此 れ は 高 野 大 師 .唐 朝 よ り 十 四 巻 の 本 を 將 來 せ ら れ し に 再 治 し て 二 十 霧 と 成 さ る ゝ が 。 或 説 に よ る に 十 四 巻 の 疏 は 徳 清 の 本 を 相 傳 し た も の で あ つ て 、 義 記 の 名 を 改 め て 疏 と 題 せ し の み . 二 十 巻 の 疏 が 正 し く 唐 よ り 將 來 せ ら れ た 本 で あ る と 申 す 。 次 に 慈 覺 大 師 將 來 の 本 、 山 王 院 の 義 釋
目 録 縁 起 に は ﹁ 此 總 持 院 本 即 是 慈 覺 大 師 從 長 安 所 傳 也 此 本 有 序 異 於 三 本 足 可 仰 重 歟 ﹂ 云 云 次 に 義 釋 十 四 巻 山 王 院 の 御 將 來 で あ る 。 目 録 縁 起 に は ﹁ 此 貧 道 隨 身 ,本 即 長 安 青 龍 寺 , 阿 闍 梨 法 全 和 尚 所 傅 布 也 ﹂ 云 云 。 而 し て 宗 叡 將 來 の 本 も 有 る が 如 く 、 こ れ を 加 れ ば 總 じ て 廿 本 の 傅 來 あ る こ と ゝ な り 、 又 遍 明 和 尚 の 本 こ い ふ も あ る が 如 く 、 又 山 王 院 二 十 巻 の 疏 再 治 の 本 も あ る が 如 く 記 し て ゐ る 。 但 し 捜 決 抄 の 全 文 は 今 少 し 長 く 書 い て あ る け れ と 、 重 複 の 分 を 避 け て 私 に 畧 し た 。 且 つ そ の 要 點 は 大 體 ﹁ 義 釋 目 録 ﹂ に 出 し て あ る こ と を 附 記 す る 。 然 し こ れ に 於 い て 次 の 三 箇 條 の 特 質 を 擧 げ 得 る と 思 ふ 。 一 、 秘 録 所 出 を 論 評 せ し こ と 、 二 、 傅 教 大 師 が 玄 肪 徳 清 の 本 を 披 覧 せ し を 入 唐 歸 朝 の 後 と し た こ と 、 三 、 高 野 大 師 の 本 に 對 す る 特 殊 な 見 解 、 以 上 大 約 傅 來 の 書 に 就 い て 記 し 終 つ た と 思 ふ 、 依 つ て 、 次 に 優 劣 の 論 を 述 べ て 本 項 を 終 り た い と 思 ふ 。 彼 の 智 證 の 義 釋 目 録 を 見 る に 、 大 師 將 來 二 十 巻 の 疏 に 就 い て 三 失 を 出 し 、 義 釋 に 比 し 劣 だ と 制 す る そ の 一 は 一 般 に 疏 と 云 へ ば 初 に 筆 語 を も つ て 大 宗 を 述 べ 、 次 に 畧 を 撮 つ て 題 を 釋 し 、 後 更 に 章 を 開 き 解 釋 を 施 す 、 然 る に 今 の 疏 は そ の 形 式 を 踏 ま す 。 二 に 文 意 文 句 讀 み 難 き こ と こ れ は 未 再 治 な る に よ る と 、 東 密 と 台 密 一 〇 五
東 密 と 台 密 一 〇 六 三 に 二 十 巻 の 疏 は 菩 提 心 論 の 中 に 出 す 所 の 註 と 合 せ す . 又 法 華 の 開 示 悟 入 を も つ て 四 種 の 阿 字 に 對 釋 す る こ と を し て ゐ な い 、 然 る に 慈 覺 大 師 並 に 圓 珍 の 本 は 彼 の 論 の 文 と 合 す る 、 右 の 三 理 由 に よ つ て 疏 よ り 義 釋 の 方 を 勝 れ た り と し 、 義 釋 は そ れ ら の 箇 條 を 十 分 に 補 ふ て ゐ る と い ふ の で あ る 。 杲 寳 師 は こ れ に 對 し 、 一 、 疏 に 威 應 の 冥 益 あ り 義 釋 に は な し 、 即 弘 法 大 師 久 米 の 塔 下 に 御 威 得 あ り 、 そ の 縁 に よ つ て 入 唐 、 終 に 二 十 巻 の 疏 を 請 來 、 御 歸 朝 の 後 該 塔 に 於 い て 初 め て 開 講 あ る に 諸 神 立 ち 所 に 影 向 あ り 、 感 應 の 奇 特 な る こ と 他 本 に 見 ざ る 所 、 二 、 相 傳 の 傍 正 、 即 我 大 師 は 恵 果 の 門 下 に 於 け る 両 部 付 法 の 正 嫡 で あ る 、 然 る に 慈 覺 ・ 智 證 等 は 纔 に 法 全 等 の 室 に 入 り 義 釋 の 相 傅 あ り し も の 、 傍 正 は 知 る べ き の み 、 三 、 凡 聖 の 不 同 、 二 十 巻 の 疏 は 三 藏 が 十 萬 頌 の 大 經 を 暗 誦 し そ の 要 を と つ て 此 の 中 に 出 さ れ し も の 依 つ て 第 二 十 巻 の 最 後 に 當 つ て ﹁ 己 廣 説 摩 訶 毘 盧 遮 那 成 菩 提 加 持 神 變 經 竟 ﹂ 文 と い ふ 。 ﹁ 已 説 大 日 經 ﹂ と い ふ こ と 一 部 二 十 巻 佛 語 に 出 る 所 、 然 る に 義 釋 は ﹁ 智 嚴 温 古 再 治 ﹂ 云 云 と い ひ 、 又 菩 提 心 義 第 一 に は ﹁ 本 記 外 多 加 人 言 ﹂ 文 以 つ て そ の 書 の 價 値 を 知 る .へ き で あ る 。 但 し 杲 寳 師 の 曰 く ﹁ 智 證 釋 昌所 擧 三 失 者 是 又 自 由 疑 難 也 ﹂ と て 、 そ の 一 一 を 辯 駁 し て ゐ ら れ る 、 第 一 に 就 い て は 、 ﹁ 大 日 經 疏 ﹂ の 名 は 無 畏 二 行 の 名 く る 所 に し て 後 人 の 輙 く 改 む べ か ら ざ る 所 、 両 三 藏 の
理 由 な き 名 字 を 附 け ら れ た と は 考 へ 得 ら れ な い 。 疏 と は 疏 決 の 義 、 文 理 の 擁 滞 を 疎 決 し た る も の 、 た と へ 章 段 を 設 け す と も 何 の 不 都 合 か あ ら う 。 次 に 文 句 讀 み 難 と は 慢 法 者 の 爲 に 強 い て 亂 脱 を 存 じ た る の み 、 唯 師 傅 を 得 ば 自 ら 氷 解 す る で め ら う 。 第 三 の 難 に 就 い て は 既 に 大 原 長 宴 僧 都 四 十 帖 決 に ﹁ 師 日 四 種 阿 字 配 開 示 悟 入 之 釋 有 義 釋 疏 中 無 之 弘 法 大 師 秘 之 抄 出 爲 別 抄 ﹂ 云 云 と 、 義 釋 と 疏 と の 内 容 に 就 い て は 更 に 項 を 改 め 、 そ の 爲 の 特 殊 な 項 を 設 け て 評 述 し た い と 思 ふ 。 猶 杲 賢 師 の 我 慢 抄 を 見 る に ﹁ 稱 大 師 不 傅 胎 藏 無 謂 事 ﹂ と し て 、 先 山 門 の 徒 の 申 状 を 出 し 、 そ れ を 辯 駁 し て ゐ ら る ゝ 。 そ の 申 状 の 文 は 、 弘 法 者 僅 雖 傳 金 剛 頂 經 不傳 大 日 經將来表無件經也不 得 胎 藏 儀 軌纔金 剛 界 一部阿 闍 梨 也 未 有 両 部 之 闍梨况 於 三部 職 位 哉 杲 寳 法 印 は そ れ に 封 し ﹁ 此 條 山 徒 等 迷 子 細 猥 吐 狂 言 雖 不 足 會 通 且 爲 遮 彼 僻執 粗 記 其 由 來 ﹂ と い ふ て 数 紙 を 費 さ れ て を る 。 そ の 初 に は 大 和 久 米 寺 の 縁 起 を 引 い て 、 大 師 大 日 經 威 得 の 由 來 を 記 し 、 そ の 請 來 録 に 出 さ ざ る は 大 師 御 入 唐 の 以 前 既 に 本 朝 に 於 い て 御 感 得 め り し が 爲 め と す 。 ﹁ 不 得 胎 藏 儀 軌 ﹂ と は ﹁ 北 嶺 之 徒 頗 暗 本 末 又 迷 是 非 之 故 也 ﹂ と 。 こ れ は 傅 教 大 師 が 弘 法 大 師 よ り 借 覧 し た 書 籍 目 録 に よ つ て も 容 易 に 知 り 得 る 。 即 そ の 中 に は 次 の 如 き も の が 出 さ れ て ゐ る 。 大 同 四 年 八 月 二 十 四 日 の 書 状 に 、 一 、 大 日 經 畧 攝 念 誦 随 行 法 一 巻 東 密 と 台密 一〇 七
東 密 と 台 密 一 〇 八 一 、 大 毘 盧 遮 那 成 佛 神 變 加 持 經 七 支 念 誦 隨 行 法 一 巻 一 、 大 日 經 供 養 儀 式 一 巻 三 部 弘 法 大 師 に し て 、 こ れ ら の 經 軌 を 受 傅 す る に 非 す ぼ 、 傅 教 大 師 も 借 覧 す る こ と は 出 來 な か っ た で あ ら う 。 五 大 院 の 八 家 秘 録 に は 大 日 經 め 空 海 和 上 請 來 あ る こ と を 記 し て ゐ る の を も つ て も 疑 ひ 得 ら れ な い で あ ら う 。 殊 に 大 師 の 請 來 目 録 を 見 る に 於 い て を や 。