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駒澤大學佛教學部研究紀要 37 - 015袴谷 憲昭「<法印>覚え書」

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(1)

法 印

袴  

 

 

1

 

こ こ で く法 印〉 とい の は, い わ ゆ る く三 法 印〉 〈四 法 印〉な ど と呼

さ れ る 場 合 の 〈法 印〉を

す。

え て 言 う必 要も ない こ とで あ る が, 〈四法 印〉 とは , 〈諸 行 無

〉 〈一 切 皆苦 〉 〈諸 法

我 〉 〈捏

槃寂

静〉の 四 つ , 〈

E

法 印〉 と は,

 

こ の う ち

苦〉

い た の で る。 い つ れ も, 仏

の 根 本的 立 場を表 明 し た 呼 称 と して 広 く承認さ れ, 今さ ら疑い を挾む余地 もない ほ どに思わ れ る。

 

こ の ま りの 自明さの た め に, 恥 しい こ と な が ら, 筆 者は , 〈法

〉の 原 語は 原 始 仏 教以 来の 文 献中 に 確 認 さ れて い る もの とば か り思っ て い た しか る に, 極最 近, た ま た ま 〈法 印〉を 原 語か ら説明す る必要が 生 じ て ,

 

F

Edgerton

Buddhist

 

HNbrid

 

Sanskrit

 

Dictionar

BHSL

に よっ て

dharma

・mudrE の

項P を参照 した結 果, 自明 と思 わ れてい た 背 後に 々 の 問 題が介 在 して い る こ と を知っ た 。

 

これを機に, パ ー 聖 典 中に は

dhamma

mudda 語 が 使用 さ れ て い こ と を始め て 知る こ と を えた わ けで あ るが, か よ うな筆 者自

の 無 知は ともか く と し て , そ の 用 例 が

BHSD

中で は た だ の三

所, し か もそれ が全て

Saddharma

Pu44arikasatr

α の もの であ るこ とが , 筆 者に は

外 なこ とに思わ れ た ま た

BHSD

の 一般の 傾 向 と し て, 重 要な

教 術

につ い て は

えず

MahdvyutPatti

11

吻 翅の が参 照 され て い るわ け であ るが,

dharma

mudra に は 示 も ない 。 自分 で

Mvyut

.を検 索 し て み た が , や は り

MvyPtt

.中に は

dharma

・mudrE

あるい は chOS  

kyi

 

Phyg

 rgya が単独 で 示 さ れて い る例 が ない こ とが判 明 した2)。

こ の よ うな次 第で , 〈

して

々 の文 献を調べ てみ よ うと思い 立 っ た の

が, 本稿を草 する切 っ 掛 けに な っ た が, 急な こ とで も あ り, 充 分 諸 文 献に 当っ た

うえで報 告で きな い の を遺 憾 とす る。

1

 

BH 「

SD

New

 Haven , 1953 ;

Indian

 ed .,

1970

), p .

280

2

Mvyut

., 

No

512

には 三 昧の名 称と し て

sarva ・

rma

−mudra  nama  sam 訌

dh

 に対 して, ‘

chOS  thams  cad  

hyi

 

Phyag

 rgya  shes  

b

,a 

babi

励 ite 

hdsin

訳 語

 

が与え ら れてい る が, 勿 論 直接 的にい わゆる く三 法 印〉 〈四法 印〉を 指す もの で は あ   るまい。

(2)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University

 

 

以下に ,

Edgerton

SaddharmaPu44arikastitra

につ い て

指摘

し た 三

例を , 諸訳 対 照 して 示 し,

dharma

−mudra が い か な る文 脈 中で用 い られて い る か を検討す る こ とに し た い 。

(1)tad eva  parip亘ra−nimittam  adya  upaya −kau §alya  vinayakanam

   sa卑sth巨panarp  kurvati 自akya ・sirpho  bh且§iyate 

dharma

−svabhava −rnudrarn3 ) 

//    

de

 yi 

ltas

4

 

de

 rii yofis rdsegs s

   / rnam  

Par

 

edren

 

Pa

 rnams  

hyi

 thabs mkhas  

Pa

   /緬

leya

 seft 

8

伽 dag 左プ・

9

 mdsad  

de

 

  

/chos  

leyi

 

dbyii

 s 溜

α9 rgya  ston  

par

 

bgyur

‘)//

   今相如本瑞 是 諸 佛方便 今 佛放光 明 助發實相義5)

   大 釈 師子 建立興 發 講 説 經 法 自然 之教6)

(2yath 颪 hy aha 卑 citritu lak§a孕ehi prabhasayanto  

imu

 sarva ・

10kam

 

  

purask τtah pra4i −

6atair

 anekair  

de

螽em  

imaq1

rma −svabhAva −mudr 巨m7 )//

   ガ

lt

αr mtshan  rnams  

kyis

 ni 

ha

 rg ’an  te/

 

  

/伽 8rten  

hdi

 

dag

 thams  cad  rab  snah  byed

   /srog  chags  

brgya

 

Phrag

 

du

 mas  mdun  

bltas

 

Sii

   /ch ・S 

k

i

 rait 

bshin

 

phyag

gya

 

hdi

 

bSad

 

do8

)//

   我 以相 嚴 身 光 明照 世間 無量 衆所尊  為説實 相 印9,

 

 

 

今巳造立, 若 干種相

 

眷 属 圍繞

 

演 出 法光

 

無 數衆生

 

億 百 千嫉

 

爲講 説

一自.然 之

   印10)

(3     ノiya Sariputra mama  dharma −mudra  yA pa§ca −

ka

]e mama  adya  

bh

且$

it

hitaya 

lokasya

 sadevakasya  di§asu vidiS 且su ca  

de

§ayasva11 ソ/

tha nuzr 

de

 rii ni 

gah

 bSad 

Pa

      ノ

/加 yf

fe

i

 rgya  

bdi

 

Sd

bu

〃 har 

bcas

 

iv

ig

 rten  dag  

la

 

Phan

 

byahi

 

Phyir

/助

yogs

跏 吻 ・

gs

 mtshams  

dag

 

tu

 

bSad

 

Par

 

g

islz

/ 汝 舍利弗

 

我 此 法印

 

爲 欲 利盆

 

世 間 故説

 

在所遊方

 

勿妄宣傳13) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) )

34567890123

            11 ↓ 11

Kem

 and  

Nanjio

 ed ., 

Saddharmapmp4arilea

, p.

28

11

7

8

, 

Chap

.,

1

98

P

.ed ., 

No

781

, 

Chu

14a5

6

妙法 蓮 華経 』 大止 9 巻 5 頁 中, 『添品妙 法 蓮華経』 同

138

頁 中。

『正法 華 経』同

67

頁下。

Kern

, op . cit., p.47, 1L 7−8, 

Chap

. 

II

59

P

.ed . op . Ct’t.

23a7

−8.

妙法 蓮 華同 8 頁 中妙法 蓮 華 経 』 同

141

『正法 華経 』 同70 頁中 下。

Kern

, op . cit., p .92, 11.13− 14, 

Chap

. 

III

− 105 .

P .ed ., o♪. cit.,

42b3

『妙法 蓮 華 経』同

15

頁 中,『添品妙 法 蓮 華経』同

148

頁 一

L

61

(3)

  

告舍 利 弗

 

是吾

 

仏 最

 

善 説

 

愍 傷 諸

 

及於世 間

 

在 所 遊 處

 

常能独

    行14}

 

Edgerton

指 摘 の 三 箇 所 を

脈 に して 列 挙 する と以 上 の ご と

る。

1

)(

2)

で は

dharma

・mudra 中に svabhava が 介 在 し て お り, これ ら を直ち に ,

い わ ゆ る の く法 印〉 と解 す る こ とは で な い が ,坂 本 幸 男 博士 は (2

)(

3

羅 什 訳

, 「

相 印」 に 対 して は 「小 乗 教で は,

諸行無

常 ・

諸 法

無我 ・ 浬 槃 寂 静 法       しるし 印が あれ ば ,仏 説 に して 非 ず と 説 き, 大

で は 諸 法 実 相の 印 の み あれ ぽ,

仏 説

に し て

の 説に非 ず とい う 15) 」 との

え, 「

印」 に 対 して は 「正 法が真 実に し て 不動不 変な るを 印とい い , 茲で は前 の方 便品 の 偈 (= (2)) の 実 相 の 印 を指 す16) 」 との 解 釈を 与えて お られる。 博士 の 素 養か らみ て , こ の

釈 に は , 恐 ら く

の よ うな

顕の

釈が反 映 さ れ て い るで あろ う。

  

諸 小乘 經, 若有無常無 我 涅槃三 印, 印之, 皀卩是 佛説 ,修 之得道。 無三 法 印, 即 是魔 説。

 

大乘 經 但有一法 印, 謂 諸 法 實 相, 名 了義 經J 能得大道。 若 無實 相 印, 是魔 所 説 (中略)

 

實 相故 , 言常寂滅 相 ,皀卩大 涅 槃 ,但 用一印也。 此 大小 印 ,印牛 滿經。 外 道不能雜。 天魔

 

不能 破。 如 世女 符 得 印可 信。 當知, 諸 經 ,畢 定須得 實 相 之 印, 乃 得 名爲 了義大乘 也 17) 。

 

こ の 智 顎解 釈に よれ ば, 〈

印〉

もしくは

法 印

〉 が 〈 一 法 印 〉を指 すか 〈三 法 印〉を指 すか は と もか く と して , こ の く印〉 こ そ仏 教を他の 教 え と区別 す る刻 印 と考 え られ て い た こ とは 明 白で ある。 「

世 文

符 得印

」 とは, こ の

意味

全 く適 切な比 喩 とい え よ う。 ま た

dharma

−mudra に対 し て

Edgerton

える

語 義 ‘

seal  of 

the

 

doctrine

’ も ま さ しくこ の よ うな 刻 印の

合 致 するで あろ

う18)

。 チ

ッ ト訳 ‘

chOS  

kyi

 

dbyiis

 

fiid

 i9)

PhPtag

 rgya , ‘

chOS  

kyi

 7碗

bshin

Phyag

 rgya ’ ‘chos 

leyi

 rgya ’ に お け る ‘

Phyag

 rgya ’ る い は ‘rgya ’

も, か か る意

で の 刻 印

わ し て い る と思わ れ る2°)。

14

)  『正 法華経』同

78

頁 中。 15) 岩波文庫 『法 華経』」;,

352

頁の 108 頁に対 する註。 16)

 

同上,358 頁の

206

に対す る註。

17

 

『妙 法 蓮 華経玄義 』大 正

33

77

頁 下。 中略 と し た以 前の 文は 「釈 論日 」 とし て出さ

 

れ る もの 。 池田魯参助 教授に お伺い し た ところ 『玄義』 中に 「釈論」 とあれぽ, すぺ   て 『大智 度論』 を指 すとの 即答を得た。 恐 ら く, 同論 巻

22

(大正25 巻

222

3

頁 )な ど   の主意を ま とめ た もの と思わ れる。

18

) ちな みに,

Kern

の英 訳を

Edgerton

の 指摘に従っ て 列 挙すれば次の とお り。   ‘

closing  word  of my  

law

’ ‘

fixed

 nature  of the 

law

’ ‘(unmistakable )stamp   of

  the  nature  of the law ’.

19

) ‘ svabhava ’ を ‘

dbyii

 s 伽

4

’と 訳 した ものか,あ るい は svabhava ’ の代 りに

dha

−  

tutva

な ど とあっ たか が問 題 と なるが, その 詮 索は こ こ では な さ ないG

20

‘ rgya ’も ‘

Phyag

 rgya ’ も 「印章て は 同 じ意 味。 た だ し後者は前 者の敬語。   権 威あ る もの の

r

印章」 と して は後者 の用 例 が一般 的で あるが, 恐 ら くは偈 中の シ ラ   ブル をあわ せ る た め に 省略 形として ‘ rgya ’ が用 い ら れ た と 思 わ れる。 一

62

(4)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

 

こ の よ うに

dharma

−mudra が仏教 を他の 教え と区 別 す る特 徴 的な 「教義 の 印」 を意 味 する な らば, よ り

くイ ン ド

の 仏 教 典 籍 中に 検

で きて然 る べ と 思わ れ るの に,

実は 必 ず しもそ うで は ない 。

者の 知る限 りで は ,

前 引

智顕

の 典 拠 とな っ た と思わ れ る 『大

智度

論 』

くの 用例 が み られる ほ か は , 限 られた 文 献 中に

に 用 い られる にす ぎない が ご とくで あ る21)。

r

』 以 外で は ,

の 智

の 用 法に 類 似 し た 例 が, 『入大 乗 論』 中 に認め られる。

  

世尊 昔 説, 於 我滅後, 當來世 中 ,多有 衆 生, 起 諸諍論, 此 是佛 説, 此非 佛説。 是故如   來 , 以法印, 印 之 22} 。

 

こ こ で は, 仏教であ る か な い か を 判 定す る 「教 義 の 刻 印」 とい う意 味が よ り濃 厚で ある が, こ の 典 籍 も 『大 智 度 論 』同様,漢 訳一 本 の み しか 現 存 しな い の 果 して

dharma

−mudra が原

で 用い られ て い た か ど うか を他 訳に よ っ て 確 認 す る こ とは で ない 。 そ こで 以下 に, 他に 漢 訳お よびチ ベ ッ ト訳を参

し うる 『

不思 議秘 密 大 乗 経 』 と 『大

乗菩 薩

正法 経』 に お け る く法 印〉 の を諸 訳 比 較 対 照 して 示 すこ とに し た い 23)。

 

(1 大 祕密 主, 如來, 於 一切 法 中 , 總略而説 ,有四

2 % (惟浄訳)

   

一切諸 法, 如來明證, 下四

(施) 25〕 。 (竺法護訳)

   

gSah

 ba 

Pabi

 bdag  

pa

 de la 

De

 

bshin

 

bSegs

 

Pas /

chos thams  cad  mdor  

bsdms

  

te chOS 

kyi

 mdo  

bshir

 rnam  

Par

 

bshag

 

8026ソ

 

(2)諸 佛如來總略 , 以其四種 法 印, 攝 一切 法27} 。 (法護訳)

   

諸 佛世 奪具 大 智 力, 總 攝諸法, 安處四種郎 柁 南 中 28} 。 (玄 奘 訳)

   

chOs  thams  cad  

l

)e 

bshin

 

gSegs

 

Pas

 

bstan

 techos 

njt3i

_m /

gCo

 

bshir

 

hdus

 

Par

   byas

ε029}/

 

こ れは , ま さ しく, い わゆ る く四 法 印 〉を述 べ の で あ る が, 以下に続 く四 項に 関 し, 最 も新 しい 惟

と法 護の 訳 は共 に 「諸 行 無 常」 「諸 行 是 苦」 「諸

法無

我」 21 ) 後註

58

で触れ る

Lamotte

教 授の指摘 箇 所参照 の こ と。

22

) 大 正

32

38

頁.卜。

23

 

両 経の大 正蔵 経に お ける所在は註 80の

Lamotte

教授の に よ る。

24

)  『仏説 如 来不 思議秘密大 乗経』 大 正11 巻 741 頁 中。

25

)  『大 宝 積経』 「密 迹 金剛 力」:会」同

72

頁 下。

26

 

Phags

D

θ ゐ謝 η 8・

Segs

hi

 gsαカ わα ゐ3α 解

9

is

海 肋

y

αδρα わstan ρα shεs

  bya

 

ba

g

 

pa

 chen  

pahi

 mdo  

Jinamitra

 

D

議naSila , 

Munivarma

, Ye 6es sde 訳 ,

  P .ed . No .760 −3

, Tshi, 207a3

27

)  『仏説大乗 菩薩 蔵正法 経』 同

794

頁 下。

28

)  『大 宝経』「菩薩蔵 会」同 208 頁 上。

29

) 

hPhags

 

Pa

 

Byah

 chub  sems  

dPabi

 sde  snod  ces 

bya

 

ba

 theg 

Pa

 c加η ρo mdo ,

 

Surendra

,§ilendra, 

Dharmata

§ila

 

P

. ed

, 

No

760

12

 

Dsi

314a2

−3.‘mdo ’ は   原 ‘

mdob ’で ある が, 誤 り と みて 改め た。

63

(5)

「涅 槃

静」, 玄

訳は 「 一

行 無

」 「一切 行 苦」 「一 切法 無

」 「涅 槃

滅」,

も古い 竺 法 護訳 は 「一一切

物 皆 歸 無 常」 切 諸 有 為 苦 毒 切 諸 法 皆無 有 我」 「一切 有形 悉 至於空無 為 泥 沮寂」, チ ベ ッ ト訳は ‘

du

 

byed

 

thams

 cad  mi

rtag  

Pa

’ ‘

b

ed 

thams

 cad  sdug  

bshal

 

ba

’ ‘

chos 

thams

 cad  

bdag

 med

Pa

, ‘

mya  

ilan

 

las

 

bdas

 

Pa

 shi  

ba3e

)’ る か ら

, サ ン ス ク リッ ト原文 は

し て 共 に

 

‘sarva ・sa sk 盃r訌 anityab , ‘sarvasarpsk5r

du

kh

, ‘

sarva −

dharma

anatmanah ’ ‘ §

tintarp

 nirvapam ’ な ど とあ っ た こ とは 間違い ない し か る に , こ の 四項を総

する名 称が共に 原 語を等 しくして い た か ど うか は , に わ か に決 定 し

い で あろ う。

 

こ の 訳 語が 異っ て い る よ うに原語 も異 っ て い た と み な し, 惟浄 ・法

訳の 「法 印」に は

dharma

・mudra , 玄 奘訳 の 「烏

15

柁 南」 に は (

dhamla

−)uddana , 竺 法 護訳 の 「法故 (施 )」 お よ び チ ベ ッ ト訳

 

chos  

kyi

 mdo ’ に は それ ら と別の

て い た と

える に し て も, 惟

・ 法 護宋 代十 一・世

前 半 人3D あ るか ら,

dharma

−mudra を原 語的に 占い 形 と認め る こ とは で きない 。 ま た, 以 上 の 測 とは

に , こ れ らの 訳 語に 対

する原 語は同 じであ っ た と考え る な らぽ, 諸 訳 の

性 を の は

dharm6ddana

で あろ うと思わ れ る。 も しそ うで あっ た な ら, 玄

は そ の

dharma

し て単に 「

即柁

南」 とし,

惟浄

・ 法

什 訳 以 降 既 に 中国に 定

し て い た 「法 印」 とい う語で それを意 訳 し, 竺 法 護は そ れ を 「法 故」 と訳 し た か あ るい は その うちの ud 葩 na を 「施」 と解 し て 「法 施 」 と訳 したか の い つ か と

測 しう る。 チ ベ ッ ト訳 ‘

chos  

kyi

 mdo ’

の ‘ mdo ’ は 前 後脈 か ら判断 し て , 通常 の 「経」 の 意 味で は な く 「要約」 の 意 味で あるか ら, チ ベ ッ ト訳者が uddana を ‘ mdo ’ と訳 し た可 能 性は 充 分 あ りえ よ う。

 

さて , 如上 の 諸 訳に つ き, も し原文が 一 し て い た とすれ ば , サ ン ス ク リ ッ ト 原 典に は

dharm6ddana

とあ っ た可 能 性が

い こ と を指 摘 し たが, それは所 詮

測 の域 を出る もの で は ない 。 そ こ で 次に, サ ン ス ク リ ッ ト原典 を参 照 しうる テ キ ス ト に つ い て , こ の可 能 性を

っ て み る こ とに し た い 。

 

Bodhisattvabhitmi

BBh

)中に お ける

dharm6ddana

に対す る諸訳 は 次の ご と くで あ る。

    catvarimani  

dharm6ddan

且ni yani 

buddha

§ca  

bodhisattva6

 ca  sattvana viSud

30

P

、ed . No .760 − 12 に ょ るo 同,  No .760 −3 で は 協伽 byed 

thams

 cad  mi  rtag

 

go

・・…

hdu

 

byed

 thams  cad  sdug  

bsfial

 ...chos 

thams

 cad 

la

 

bdag

  med  

do

...

  mNa  

han

 

tas

 

hdas

 

Pa

 ni shi  

ba

Tshi

207a4」 ).

31

 

宇井 『仏 教 辞 典』

953

頁 , 「法護」の項 参 照

(6)

Komazawa University

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dhaye

 

de

きayati .32)

  

復 有四種 法 嘔 柁南, 諸 沸 菩薩, 欲令有情 清 淨故, 説 。 (玄奘訳 )

  

有四憂檀那法。 諸佛菩薩 ,爲令衆生 清 淨故, 説。 (曇 無讖 訳)

  

諸佛 菩 薩 ,爲 令衆 生 得 寂 靜故, 説 是四法。 (中略 )(是 名

1

陀那

)。 (求 那 跋摩訳) 33)

  

ches 

h

i

 mdo  

bshi

 ni 

hdi

 

dag

 yin te /

de

 

dag

 ni sems  can  rnams  rnam  

Par

 dag

 

鋤 伽 励 ∫

ir

 sahs  rg ・as rnams  

d

・箆 /わ),αカ chab  sems  

dPah

 ruams  3’°π

Pa

 

mdsad  do34

ソ/

 

こ の 場 合に は , 漢訳 はす べ 写 を い る の

dharm6ddana

が 〈法 印 〉 と も

訳さ れ うる可

性を示

する こ とはない が , その か わ り原 語が 一 致 し て

dharm6ddana

であっ た こ とは確 定的 で あ り, 従っ て ,  uddana が チ ベ ッ ト訳に お い て ‘mdo ’ と訳 さ れ た確 度も増す こ とに なろ う。

 

に ル 勧 δ丿伽 α5 痂 7々

1

α解 々δMSA に お け る

dha

6ddEna

の 訳例 をみ る

こ とに し た い

  

samadhy −upani attvena

a工璽

壘 1

一catu 串

tay

叫 1 /

  

deSitarp

 

bodhisattvebhya13

 

sattv 巨narp

 

hita

k

議myaya35

    如 前三 三 昧 四印 爲依 止 菩薩如是説 爲 利群 生故

   

(釈日, 四法 印者, 一切 行 無常 印 , 二 者 一苦 印 , 三 者 一 切法 無 我印, 四者 涅   槃 寂 滅 印36)  。)

  

s佛 3 伽 。nams  

la

n 

bshed

 

Pa

//tii 

he

 

hdsin

 

gyi

9

勉 〃 %

  

ノ伽 ・ 厰 蜘 加 α 一 ・酬 /

by

ft

・・

h

b

 sem ・ 

dP

b

 rnam ・ ’・

bS

d37

 

こ こで は明 らか に 漢 訳者が ‘

dharm6ddana

’ を 「法 印」 と意 訳 し た例を認め る こ とが で きる。 し か も, こ の偈を導 く直前 の 文で は 「法 憂 陀 那」 とあ る こ とか ら, 原 文に は

dharma

mudra な ど た に か か わ ら , そ れ を 「法 印」 と意 訳 し, さ らに カ ッ コ 内の

を補 っ て

国人 の理

を 容 易な ら し め よ う とし た 形跡が認め られ よ う。 チ ベ ッ ト訳の 方は, ‘

chos  

kyi

 sdom ’ と な っ て お り, こ れ

まで の とは異 り

 

‘ mdo ’ は用 い られて い い が,  uddana の 訳 と して は こ の ‘ sdom ’ の が一般 的で あ る38)。 こ の チ ベ ッ ト訳 上 の 差 異に つ い て は, 先に み た  

32

WQgihara

 ed ., p.

277

11

5

6

Dutt

 ed., p .

188

, 

ll

9

10

 33

 

以 上漢訳は 順次に, 大正30 巻 544 頁上 :

934

頁 下

996

上中。

 34 ) 

Prajfi

巨varman  

Ye

 

ges

 sde 訳 , 

P

. ed ., 

No

5538

, 

Shi

166a7

−8

 

35

) 

L6vi

 ed., p .

148

 

ll

.25− 26 

Chap

. XVIII −80 .

  36) 大 正31 巻 646上。 宇 井 『大乗荘 厳経論研 究 』

461

頁。

 

37

6akyasihha

, dPal 

brtsegs

訳, 

P

. ed ., 

No

5527

, Phi, 254a7−

8

 38

Mvyut

・, 

Nos

.1474, 1475 参 照。 なお, 同, 

No

1476

で 「ある箇所で は ‘

mdo ’

  

も称す (sfeabs  cig 

tu

 mdor  yah 

gdags

)」 と述べ られて い るの が注 目 される が, こ

  

れ ま で み た よ うに,

mdd

Ye

 Ses sde  

Dharmatagila

の訳 中で明瞭に確認で き る

  

に もか かわ らず, ‘ mdo ’が

Mvyut

.中で か か る 処遇 しか 与え られて い ない こ とに 者     は甚だ奇 異な感を覚 える。 一 65 一 N工 工一Eleotronio  Library  

(7)

チ ベ ヅ ト訳 例が

Mvyut

.成 立以前 に主要な

躍 時 期を

し た と思わ れる

Ye

 

Ses

sde と・

DharmataSila

関与

し た もの で あ るの に対 し て , 今の 訳 例は

Mvptut

. 成 立 以後に活 躍 した

dPal

 

brtsegs

に な る もの で あ る とい う点を考 慮 しなけ れ ば な る ま い s9)。 た だ し, 

dPal

 

brtsegs

も同じチ ベ ッ ト訳中で, 経 典

と し て の

Dharmodddna

に 対 して は tChos  

feyi

 mdo ’ て い 40)

。 ち なみ に , その 漢 訳は 「法 印 経」 で ある41)。

 

以 上 の 考 察に よっ て , た とえ漢訳 に 「法印」 とあ っ て も, 原 語 と し て は

dhar

. m6ddana と あ りえ 可 能 性

が大 きい とい う推 測の 一 端は示 しえた と思 う。 そ して , もし原 語が よ り一

的 に は

dharm

δ

dda

 na る な , 仏 教 の 教 義

本 を し た 四 は 三 つ の が 「教 義の 綱目 (

dharm6ddana

)」 と呼 称さ れ る に 至 っ た過 程は , 容

像がつ くの で あ る。 こ れに 対 し,

Saddharmapap4arikastitra

の 用 例 の ご とく, 

dhama

・mudra とい う

れた 背 景に は , その mudra とい う語 感 42) か らみ て, 自己 の立 場 に

従 来

と は

っ た 正

性の

刻 印

を押 う とす 意 欲 じ ら

』 を した 智 顎 解 釈 に お い て, 従 来 の いわ ゆ る 〈三 法 印〉 よ り も む し ろ 〈一実 相

〉が 強 調 さ れ て い るの , 経 典 自体 の か か る

傾 向

に よ る もの と思わ れ る。 しか も, 教 相

釈 的 に

己 の 立場 を選び と ろ うとす る傾

い 中国仏教 に おい て は , 「如 世 文 符 得 印可 信」 と智 顎が比喩を述べ ご と く, む し ろ 〈法 印 〉 とい う理 解 の 方が 定

し や すか っ た とも考 え られ る の で あ る。 先 に み た よ うに , 漢 訳 者が

dharm6ddana

とある の て 「法 印」 と訳さね ば な らなか っ た

事情

もこ こ で 合わ せ 考 えるべ きで あ ろ う。

 

こ の

SaddharmaPU

 

44arikastitra

の 用 例 よ りもさ らに鮮明 な意 識を 述べ の と して は, 既 に高

博士 に よ っ て 指 摘 ずみ の こ と 43) で は るが,

r

方等

39

Ye

 

Ses

 sde

dPal

 

brtsegs

との年代な関係につ い て は, 山 口瑞 鳳 「吐蕃王 国仏

 

教史年代考」『成 田山 仏 教 研究 所 紀要』第 3号 (昭 和

53

年 ),

19

頁参照。

Dharmatagila

 

も sGra  sbyor  bam  

po

 

g

翫 s 

pa

, 

P

, ed ., 

No

.5833, 歯o,

2a2ff

bOd

勿ゴ mhhan 加

 

として

Ye

 Ses sde の直前に 列せ ら れて い る の で, 

Ye

§es sde と同 世代か む し ろ幾

  分先 立つ で あろ う。

40

 L6vi

 ed ., p.

158

1

20

P

. ed ., 

No

5527

, 

Phi

263as

.た だ し,こ の 経名が複 数で

  示 されて い る ことに は注意を要するか しれない 。 なお

Nagao

, 

Index

, 

Part

 

One

  P ・285 で こ の

Dharmoddana

に対 して疑 聞 符を付 すの は uddana  mde と を

 

identify

で き なか っ たた め か。

41

) 大 正

31

649

頁 中。 宇 井 『大乗荘厳 経論班 究』

487

頁。

42

 

例え ば,

  Renou  

et

 

aL , 

Dictionnaire

 

Sansferit

FranCais

 

p .

571

 

mudrahkita

 

(estamp6  marque ), あい は

Conze

, 

Materials

 

fbr

 a 

Dictionary

 

Of

 

the

 

P7

αノ掫 一

  ρδプ α 澀 諺δ

Literature

 p.323 mudrita (sealed な ど

43

 

高 崎直 道 『如 来 蔵 思想の形 成』

300

頁, 註

13

(8)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

想 経』 の の よ うな一節 が 注 目 される。

 

如是経典, 諸仏封印。 所 謂 印者, 一 切衆 生悉有 仏性 , 如 来常住無 右変 易 弱 

 

高 崎 博士 御 指摘の よ うに 「一切 衆生悉 有 仏性 」 以 下の 句 が, こ こ で は 「印 (mudr 」 と呼 ばれ, か か る 「印」 に よっ て 「

印」 した もの が

本経典

で あ る との 自覚に立 っ てい る点は充 分注 目 さ れて よい で あろ う。 ただ し, これ に 対 応 す る文はチ ベ ッ ト訳

出 され ない が 45) , 別な

所で は 「印章 (mudra ) とい う

堅 固な

質 (lakrla4a)を もっ た 明 白な

拠に よっ て 捺 印された もの (

Phyag

 rgyahi mtshan  itid brtan 

Pahi

 mfton  mtshan  gyis 

btab

 

Pa

4e) う用 例 もあ か ら,

mudra が 上

の ご とく

使

用 さ れ る素地 は

分 あ りえた と

え うる。

 

そ れは ともか く,

者の 検 索 した限 りで は, い わ ゆる 〈三

印〉〈四法 印 〉の

称 とし て

dharma

・mudra が 用い られた例を, サ ン ス ク リッ ト

原典

もし

は それに 準 ず る

典籍

中に明

に指

する こ と は 甚だ 困難な よ うに 思わ れ る。

dharma

− mudra の 用 例 がか っ た とは言い 切 れない が, 少な くとも, 

SaddharmaPUU4a

− rikastitra の 三 例, お よ び

r

大 方 等 無 想 経』 の 例か らだ けで は , い わ ゆ る

印 〉 〈四

印 〉の

原 語

dharma

−mudra で っ た と推定す る こ とは で き ない で あろ う。 し か し, 先に 触れた 『大

度 論』お よび 『入大

論』の ご とき用 例は, た とえ

原典

もし

は 他 訳 に よ る原 語の 客 観 的 確 認が で き ない まで も, や は り看過 しえ ない 用 例で あ る か ら,

今後

は むしろ ,その 用 例に密

した

dharma

・mudra の 有 無 こ そ検 索に 値 す る もの とい わ ねぽな らない 。

dharma

−mudra が

dharm6ddfina

と同様に一 般 的 に用い られて い た か ど うか の

断は , そ の

検 索

を俟っ て始め て可 能で る とい

II

  〈法 印〉 とい う用 語の 背 景に は, 上述 し た よ うな 不 確 定な要 素が介入 し て い る。 しか る に, 〈法 印 〉とい う

訳 語を 自 明の 術 語 と して 使 用 する こ とは , か か る不確 定要素を 全 面的に 打ち消 して しま うよ うな傾 向を伴い が ちで ある。 な ぜ な ら, 漢 訳 語 とい うこ とが意 識 される限 り, その

決定

の ため に は 原

想定

されねぽ

な ら ない が, 術 語 として の 〈法 印 〉は直ちに

dhamma

・mudda ある い は

dharma

mudra 想 起 させ て し ま うか らで ある。 従 っ て, た とえ そ の 可 能 性は否 定で き

44

) 大 正

12

1100

頁上。

45

P

.ed ., 

No

898

, 

Dsu

206a4

の ‘

de

 o耀

phyir

 she ua ’以下が対 応す 箇 所   ろ うが, 高崎 博士 の 指摘 と な り, 恐 らくは文全体が欠 除 し て い る もの と思わ れ   る。

46

) 高崎 前 掲 書,

279

頁所引の もの に よる。 捺印さ れ る特質は 「常 住 (rtag  

Pa

)」「不変

  (ther zug  

P

の 」 「固 (brtan 

Pa

」「寂 静 (shi ba ) い う如来 蔵 系経 典で と りわ け

  重 視される もの。

67

(9)

ない に せ よ, 原 語が

dharma

・mudra で ある との 論 拠が極め て弱い 現段 階で は , 〈法印 〉とい う紛 らわ しい 用 語を避 ける か , もしくは註 釈 づ きで こ の 語 を 用 い るか の い つ れか で あ る こ とが望 ま しい よ うに思わ れ る。 ま し て や, い わ ゆ る〈三 法 印 〉 や 〈四法 印 〉を総

す る語が古い文 献上 に

認で きない 原始

記 述 して は, よ り

重な態 度 が要

さ れ る で あろ う。

 

以 下に, こ の 観 点か ら,

来の 原 始 仏

もしくは

教の

立場に 関

る記

述 中

印 〉 〈四法 印〉が どの よ うに

わ れて た か をみ る こ とに し たい 。

 

水野 弘 元

士 は, その 著 『原 始 仏教 』に お い て 次 の ご と く

て お られ 。    原 始仏教で は形而上説を斥け, 世界人生の 現象的存在のみに つ い て, これを 極め て合   理的 ・客 観的に考察 し た の で ある。 その理論の 中心は縁 起 説 と云 われる もので あ るが,   更に 縁 起説の基礎を な して い る 「諸行 無常」,「諸法 無 我」,「涅 槃 寂 静」 の三法 印,又は   これに 「一一切 皆 苦」 を加えた 四法 印とか, 縁 起 説の 一 ら れ   もの も, 原始 仏 教の根 本思 想 として述べ ら れて い る の で ある。    こ エ に 三法 印の 法 印とは, 「仏法であ る し る し」, 「仏 教で あ る証 拠」 とい う意 味で あ   り, 「諸行無常 」 等の 三 つ 又 は四 つ の条件が具わ っ て お れ ば, その 説は 正真の仏教で あ   る証拠と なる の で る。 中 国の 仏教で 経典の 真偽を判定 する標準とし て, こ の 三法 印が   採 用 された の もそのた め で ある47) 。

 

ま た平 川

彰博

士 は 『イ ソ

の 「

教」 中で 次の よ うに して お られ る。

     「諸 法 無我」 (sabbe  

dhamm

巨 anatta ) は 「諸 行無 常」 (sabbe  safikara   anicca

  (DhammaPada  

277

279

の関係に あ る。 これに 「一 切行苦」 (sabbe  sahkara

 

dukkha

)を加えて 三 法 印とするが, 北 伝 仏 教で は, 諸 行無 常 ・諸法 無我 ・静 を   三 法印 とする48) 。   さ らに 高 崎 直 道 博士 は ,

r

世 界 古 典 文 学 全 集』

7

r

仏 典』

H

所収 の 「仏教用 語の

に お い て 法 印 〉〈四法 印 〉に し, 次の よ うな解 説 を

えて お ら れ る。    〈諸 行無 常 〉〈諸法 無 我 〉に, 〈涅 槃 寂 静〉を加えて, 三 法 印 とい い, ま た, 第三 49)

ts

  に く一切 皆 苦〉を 加 えて ,四法 印と す る。 法 印 とは 〈仏 教の旗 じ る し, ス ロ ーガ ン〉で,   こ の三 ない し 四 点に 関 し て, 説かれて い る な ら ば, そ れ を 〈正 しい 経典〉と よんだ 50} 。

47

 

水 野 弘元 『原 始 仏 教』 (平楽寺 書店, 昭和

31

年),

104

5

48

) 平 川彰 『イ ソ ド仏教 史』 上 (春 秋社 , 昭 和

49

年),

71

頁。 た だ し,「表 裏の 関係に   ある。」以下は カ ッ コ つ ぎで 述べ ら れて い る こ とを お こ とわ り して お きた い 。 49 ) 〈四法 印〉 として 〈一 切皆苦〉が三番 目に挙 げ られ る こ とは ない 。 常に第二番 日。   誤植か とも考え たが, 同博士の筆に なる 『仏教 一般 』駒 沢 大教学 , 昭   和42 年),

25

頁で も 「第三 」 とあるの で, あえて訂正せ ず, その まま掲載 した。

50

) 中村元編 『仏典』

ll

(筑摩書房, 昭和

40

年),

438

頁。 一 68 一

(10)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

 

以上 に引用 した三 つ の 記 述は, い つ れ も 一般 向 け

書 も

説 書 中 み られ る もの で ある か ら, 必ず しも学 的 厳 密な 規 定が意 図 され た もの で はない 。

っ て , こ れ らを

き合い に論及を加 える こ とは 決 し て著 者の

に添 うもの で な い こ とは 重々 承 知の 上 であるが, 広 く 一

し て 代 表 的 見 解 と し 及す る こ とを

と された い 。

 

水野 博士 , 高 崎 博士 が 〈法 印〉を 定

された際に, どの よ うな原語を念 頭に 置 か れた か は知 るべ くもい が, その

規定 内容

dharm6ddana

よ りは む し ろ

dharma

−mudr 五 の に近い よ うに思 わ れ る。 し か し,

に パ ー 文 献

野 博士 がか か る原 語を予 期 さ れ るはず もない の で , 漢訳

教 用

と して の 一般 的 定義 を挙 げ られた にす ぎない の か もしれ ない 。 あ るい は後 代の パ ー

み え る総

語 ‘ tilakkhaqa ’ の ‘

lakkhapa

(=

lak

apa ,特質) ’ が 想 定さ れ て い た と も考え うるが, こ の 場 合の

lakkhapa

は常に 三 つ (

ti

)で な け ればな ら ない 。 こ の 点を意 図さ れて平川 博士 は ,北 伝 仏 教に対 し て , パ ー リ仏 教で は 「諸 行

常 (sabbe ・saftkara

anicca )」 「

行 苦 sabbe  sahk 盃r訌

dukkha

)」 「諸

法 無

我 (sabbe  

dharnma

 anat 吻 」

三 法 印〉で ある と さ れた の であろ う。 こ の うち の 「 一切 行 苦 」 に 相 当 する句 を

士 は 「一一

皆 苦51)」 と さ れ るが,

筆者

の み る限 りむ し ろ 「行 (sahkara , sa ・pskara )」を 欠 く句 の 方 が特殊的で あ る か ら 三 句 の 一・つ として は 「一切 行苦」 と

る方が

切で あ る と思 う52) 。 た だ し, 平 川

士 が 「北 伝 仏 教」 と言わ れ た 言 葉は もっ と種々 な限 定を 必

とす るで あろ う。 も し 「北 伝 仏 教」 とい うこ とが

国 ・チ ベ ッ トへ 伝わ っ た仏教全般を 指すの で ある な らば, そ こ に は 決 し て単 一 く三法 印 〉だけが

わ っ た わ けで は ない か らで ある   以上 で , 〈法 印〉とい う用 語 の み な らず, そ の 内容 を なす三 句 もし くは 四 句 の構 成に も問 題が あ り うる こ とが看取 された で ろ うが, こ の 三 句 もしくは 四 句が原 始 仏 教ない し仏 陀 の 根 本 思 想る こ とをめ て学 問 的に 指 摘 された の が宇 井 博 士 でる。

士 は その

料た り うる もの の検 討を 通 し て 次の よ うに 述べ て お られ る。     仏教に於 て仏陀の本 思想を諸 行 無 常一切皆 苦 諸法 無我 にあ り と な して居 るのは, 仏   陀の 事蹟 中確 実に し て疑ふ べ ら ざ へ て, 全 く正 しい もの である こ とが証   明せ ら れ得る53〕。

51

)  「一切 皆苦 」 なる句は, 後 述 する よ うに, 漢 訳仏 典 中に典 拠を有する もので は な   く, 恐らくは 宇 井博士 の呼 称を踏 襲された もの と思われる。

52

) 勿 論,

Sa

η

t

) ,utta ・

N

∫肋 翅 , 

IV

, p .

28

の よ うに ‘

sabbam _ aniccaln _ saObam _  

dukkham

_ sabbam _ anatta ’

な ど と もあ り, こ の下 線 部 分な ら 「 一 切皆苦 」 と   し て もよい であろ う。 しか し, その場 合 には, 「諸行 」 も 「諸 法 」 も 訳 しか え ね ぽな   るまい 。 53

 

井 伯 寿 『印哲 研』 第二 ,

224

頁。 なお, 同

325

頁 も参 照の こ と。 一 69 一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(11)

ま た,

に 仏 教 思 想を

説 さ れ た折 に , そ の 冒頭で , 次 の よ うに 総 括 されて お られ る。  漢訳阿含経で れぽ, 雑阿含に も増 一 阿含に も, 一切行無常, 一切行苦, 一切 法 無 我 ,涅槃休 息 とい ふ の が, 数回も, 挙げられ て居る。 此の如く見 れ ば, 阿含の成立 し た 頃に は, 四法印, 又は 三 法 印, が纒め られて, 仏 陀の 説の根 本趣 意が, こ こ に あ る と 見 て居たこ とを示 す と思は れ るの で ある。 故に, こ の 根 本 趣 意に 一 し なけれぽ, 如何な る説 も, 仏 教 とは 称 するを得 ない もの で ある し, この根本趣 意に適合 する説 が, 仏 教た る もので ある と, 判 定する標 準 とせ られ るの で あ る。 従 っ て , これ を以て , 仏 教を 一 する もの と なす も, 何 等 差 支ない こ とで あ らう と考へ られ る 54} 。

 

〈四法 印〉も しくは 〈三 法 印〉が 仏 教 の

本 思

で あ る と主

する た め に は, こ れほ どの 説 得が 必 要で っ た とい うこ とを, ともすれ ば現 代 の 我々 は忘れ がち で ある。 しか も, 宇 井

士 は , 初

の 論

に お い て は明

に 「此三 項を

め て 呼ぶ 一 し な 55) 」 こ と を 注 意 さ れ, む し ろ 〈三 法 印〉 な どの

世 の

を避け,

の よ うに 「三 項」 と呼 ぶ こ とが多い よ うで ある。 こ の 点 も, 〈三 法 印〉 〈四 法 印 〉 が人 口 に 膾

して し ま っ た

は , 忘 れ去 られて し まっ た の で は あ るまい か 。 原 始 仏 教ない し仏 教 の 根 本思想に言及が な さ れ る場 合, か か る忘 却を含み な が ら, 他の 多 くを宇 井 博士 の 成果に よ っ て い るこ とは 明 らか で あ ろ う。 例え ぽ, 今日 , よ り 一 般 的 られ 皆 苦 」 も, 漢 訳 仏

が典 拠 と な っ た の で は な く, む しろ 宇 井

士 の 用 語か ら

用されて い る との 感 が

い 56) 。

 

そ こ で, パ ー 文 献お よ漢 訳 阿含 らず , 後 代 の 文 献を も含め て , 直 接

文 献か らい わ ゆる 〈三 法 印 〉〈四 法 印 〉に関 す る言 及 を拾

し整理 して み る必要 が あ る よ うに 思わ れる。 パ ー

文献

お よ漢 訳 阿

つ い て は , 平 川

士 に よっ て

る程

ま とま っ た指

が な されて い る が 57) , 最 も広

拾 集

と分

と して は ダ

E

Lamotte

教 授 に よる もの を挙 るこ とがで ぎよ う。 それは 『大

智度

論 』の 仏 訳 中に お い て脚 註 と し て 与え られた もの で あ るが, 広範な文 献を渉猟 し た上 で, そ れ らを 八

分 類 して 紹 介 し て い る5s)。 以 下に , こ の

Lamotte

教 授 の 記

を, 筆 者の 見 解を挾み なが ら辿 っ て み るこ とに し た い 。

54

 

宇 井 『仏 教 思 想 研 究』

5

頁。

55

) 字井 『印哲 研』 第二 ,

327

頁。

56

 

本稿で言及 する漢訳文 献全て に 当っ て頂 きたい が, そ れ らに 「 一切 皆苦 」 と し   さ れ る例は ない。 『雑 阿含経 』 (大 正 2 巻

50

頁 中 ) に は 「 一切苦 」 とあるが, これ は前   註52で 指摘し た ご とき場 合用 例る。 多 くは 「 一切 行 。 後 者は   各三 句 を五 字にそ ろ え た ため の 用 法。

57

) 平川彰 「初期仏教の理 」座東洋思 想』

5

49

50

。     ノ

58

 

E

Lamotte

, 

L6

丁解 漉

de

 

la

 

Grande

 

Vert

de

 

Sagesse

, 

Tome

 

III

Louvain

 

1970

),

pp

1368

1370

, n.

1

(12)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

 

Lamotte

教授

脚 注

施す

大 智度論

』 の

本文

の ご と くる。     通達無礙 者, 得 佛 法印 故, 通達無 礙。 如 得王印, 則 無所 留離。     問日,何等 是 佛法 印。 答日,佛 法 印有三種 , 一 者一切有爲法 念念生滅皆無常, 二 者 一   切 法 無 我, 三 者 寂 滅涅槃 59) 。

 

所 引

部 分

Lamotte

教授

は ‘

des

 sceaux  

de

 

la

 

Loi

dharmamudra

とし, こ の

dharma

・mudra を中心 に 以

ドの よ うな脚 註を 与えて い る。

 

『大

度 論 』の

dharma

・mudra は ‘sarva −sarPskara   anityab

,  sarva −

dharma

anatmanab , 

Sfintarp

 nirvapam ’

の 三句 を指 す6°)

と し, その 句を彼は命 題 (propo −

sition と呼 ぶ 。 そ の 命 題 自体は 聖 典 中に しば しば現わ れ るが, 

dharma

・mudra の

表 現はパ ー

1W

褫 ッα 中に は見 出せ ない 。 しか し, 同 名の 経典が 『雑 阿 含 経』

中第

80

経 と して 見 出され, そ れ が古 くは 竺 法 護に よっ て 『佛説 聖 法 印 経 (

Ar

>,a・

dharmam

dra

’sfitra』 として 訳 出61)され, さ らに こ の経 が 『

毘婆

Vibhasa

)』

『十 住毘 婆 娑 論』『弥 勒 菩 薩所 問 経 論 (

MaitreyaPariPrcchepadeSa

)』 『成實 論 (

Saty

. asiddhiSdstra )』62) な ど

o

・こ引用 される 点を 指

する。

 

こ の 経は く三解 脱 門 〉を 主 題 とする もの で , 指

の 引用 もすべ て く三 解脱 門 〉 の

拠 と して 関 説され てい る。 こ の 点で は , 先 に 指

した

MSA

の 箇 所 も 「四つ の教 義の 綱 口 (catvati  

dharm6ddanani

と 〈三

解脱

門 〉 とを結びつ た もの で あ っ た こ とが注 目され よ う 63) 。 ま た , こ の 経の 原 題は , 恐ら く

Lamotte

教 授 が言 わ れる よ うに ・

Oharmanzudra

で あっ た と思 うが 64) , 

MSA

の 漢訳 中 『法 印 経』 と訳 され る もの の サ ン ス ク リ

b

原 題

1

harmoddana

っ た こ とも合わ せ 考 えて お か ねばな る まい 65)。

 

さ らに教 授は, 大 乗 経 典中 に 現わ れ る

dharma

−mudra の 表 現 と して, 

Saddh

armaPup4arikastZtra  66) 華 厳 経

Avatai

?isaka )』 『大 方 広 総 持宝光 明 経 (Ratnol 一 59 ) 大正25巻

222

頁 上 下 :

Lamotte

, 

ibid

., p .1368 問 」 以p .1370 .

60

 

『大智度 論 』にお け る 他 の箇 所の用例 とし て, 大正同, 170 頁 上

2

4

行 ,

253

頁 下 13−   15 行 ,297 頁下 23−24 行を指摘 する。

61

) 

r

歴代三 宝紀』 (大 正

49

63

頁 下) の 「元康四 年十二 月五 日」記 述に よ り,

A

, 

D

.  

295

1

月 7 日の 刊 行 とす る。

62

 

順 次に , 大正

27

巻 541 頁下10行,

28

349

頁上

23

行 ;大正

26

25

頁上

17

73

頁 中23行

  

26

240

頁 中

15

32

巻 281 頁 下 2 行, 332頁下

15

行,

363

頁 中23 行,

366

頁   上26 行。

63

 

前註

35

箇 所に続い て ‘tatra sarva −sarpskara  anityah  sarva −sarpskara  

duhkhah

 

ity

 aprapihitasya  samadher  upani ad −

bhavena

 de§itarpsarva ・

dharm

盃 anatmana

  iti

§

Unyatayab

S亘nta 卑 nirv 言paln 

iti

 

animittasya

 sam 且

dhe

op . cit. p .

149

,  

11

1

3

と あ

64

 

大正

2

500

頁上 「天竺名 阿遮曇摩文圖」 とは

Aryadharmamudra

一の音写か 。

65

) 前註

40

41

参照。 66 前 註 3 , 11で指摘の 2 箇所のみ 指示。 前註

7

の箇所 に は 言 及 な し。 一

71

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(13)

kddhara

”i)』『大 宝 積 経 (

Ratnakti

ξa67)な どの用 例を指

摘す

る。

 

これ らの 指 摘 箇 所は , い つ れ も原 語 は

dharma

−mudra で あっ た と思わ れ る箇 所ばか りで るが,

SaddharmaPU44arikasntra

の 例を除けば, 本

稿

の 意 図と直 接 関 連 す る よ うな用 例は み あ た らない 。 む し ろ 指

か らはずれた 『大 宝 積 経』 の 厂以 性 空 印, 印 一切 法」 「無 相印 , 印切 法「以 , 印 一 」68) な ど の 用 例が 〈三解

門 〉を意 図し た もの と し て重 要 と思わ れ る。 ま た, こ の 種 の

mudra し て ぱ 般 若 経説 く 「宝 印三味 (ratna −mudra ・samadhi 69♪」 が さ ら

に重要か もしれな い 。 こ の 三 昧を註 し て 『大 智度論』は 次 の よ うに

べ て い るか らで あ る。    法印 即是宝 印, 宝 印 即是三 解脱 門。 復次 有 人 言, 三 法 印名爲宝印三 昧, 一 ,   一切作法無常, 寂滅浬 槃 TO) 。

 

し か し,

は 準 備が ゆ きと どか な い ため , こ の 『般

若 経

』の 例, お よび

Lamotte

教 授

指摘

の 箇所 に お ける

dharma

−mudra の 用例 の

討は 別な

会に りたい 。

 

dharma

−mudra に 関す る以 上 の ご とき言及 の

に , 

Lamotte

教授 は命 題 の提示

の 仕

に 種 々 の variation め て , そ れ らを次の 八 群に 分

す る。

 

A

. 二

題 型

 

sabbe  sahkhara  anicca

, sahbe  

dhamma

 anatta

?1)

 

B

, 三命 題 型

 

sabbe  saftkhara  anicc5  sabbe  safikharfi  

dukkha

 sabbe  

dha

皿 皿 aanatta .こ の 定型 句が,

代の

パ ー 聖 典 tilakkhapa

た 例を

励α加 に つ い て指 摘 す72 )。

 

C

. 三命 題 型

 

sarva −salpskara  anityab , sarva −

dharma

 anatmanab , 

gantarp

nirvapam

. 『雑 阿 含

』「一 切 行 無

, 一

無 我 , 涅

寂 滅」;『大 毘

娑 論』 「一切 行 無

, 一・切 法 無 我 , 涅

寂静 」;『大 般 湟

経』

F

行無

常, 諸 法 無

, 涅 槃

減」73) の 例 に よ る もの 。

 

D

. 三

題型

 

C

と 同 じ型で ある が, 「三 法 印」 の タ イ トル を 有 す る

別 された もの 。 『

大 智

』 に

用された のが こ の

である こ と を指示 す。

典拠

67

 

厳 経 』以 下,順 次に, 大 正

10

22

頁 下 1 行,

97

頁上

17

−18 ;大正10巻891 頁上24   行 ;大 正11巻 35頁 上11行, 36頁 上 1 行,

141

頁上,同

12

237

頁上

3

行。 68 )  大正

11

140

下。

6g

) 

r

放光般若 経 』大 正

8

23

頁 中。 

Conze

, oP. cit., p . 

334

の ratna −mudro (sic.)の項

  に よっ て

Paficavim

. 

Satisdhasrika

お よび

Satasa

has

iha

にその確 認されるが

  直接 当っ て い ない 。

70

)  大正

25

399

上。 こ の 「法印 」 に対する

Lamotte

教 授の言 及は ない。

71

) 

Sa17Z

),utta−

N

δ} , 

III

, P .

132

1

26

, P .133, 

ll

1

31

, P .

134

, 

L

 

3

の 用 例に よ る。

72

) ノδ’α舷 ,

1

, p .

48

1

28

, p .

275

1

23

III

, p .

377

1

5

を指示。

73

 

順次に 大正 2 巻66 頁 中

14

行,

66

頁下 7−21行 ;大正

27

45

頁上

21

行 ;大 正12 巻443   頁上 2− 3 行。 一

72

参照

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