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駒澤大學佛教學部研究紀要 34 - 011田中 良昭「敦煌禅宗資料分類目録初稿 : II 禅法・修道論〔3〕」

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(1)

(1>

敦 煌 禅 宗

資料

分類

録初 稿

1

 

禅 法

3

 

20

 南 宗頓教

乗摩訶 般若波

 

六祖

能 大 師 於 韶 州 大

梵寺

施 法 壇 経

 

 

S

5475  

  順 博 物 館旧 蔵

 

  敦 ・任 子 宜 氏蔵 本 〔移 録 〕  

 

正新 脩 大 蔵 経』 巻48pp .

337a

345c

 

1928

.一  

    

 

 

慶 輝 『鳴 沙 余

 

pp

102

103

 

1930

      

 

 

鈴 木 大拙 ・公 田連 太 郎

r

出土六祖壇 経』pp .

1

64  1934

.一   1

      

 

 

宇井 伯寿

r

第二禅 宗 史研究』

pp

117

− 1711941 .一

 

      

    鐙  

 Chan

, 

W

. 

The

 

Platf

・rm  

Scripture

 

PP

.24 − 150 

New

 

York

      1963 .

    

     

 

 

Yampolsky

, 

P

. 

The

 

Platform

 

Sutra

 

Of

 the 

Sixth

 

Patriarch

       pp

01

030  

New

 

York

 and  

London  1967

〔訳

〕      

 

宇井 伯 寿 『二禅宗 史研 究 』

pp

114

172 1941

    

   

   

 

Chan

, 

W

. 

The

 

Plat

プorm  

Scripture

 

New

 

York

 1963 .

      〔英訳〕

      

   

     Yampol

 sky

, 

P

. 

The

 

Platform

 

S

”tra of  the 

Sixth

 

Patriarch

       

New

 

York

 and  

London

 

1967

〔英 訳

      

        柳 田聖 山 「六祖壇経 (六 祖の 戒 壇 院説法 集 )」 〔「世 界の 名著」

       

3

語 録

pp

93

179

1974 .

〔論

 

適 神

会 与

壇 経

神会和

遺 集

pp

73

90

1929 ,1930 .一

    

尚これ は後に 『胡

校 敦

煌唐

写本 神会和 尚 遺 集 附胡 先 生晩 年的研究 』        pp .

73

90

台北

1970

.と して 再版。 松 本 文三 郎

 

六祖 壇 経 の

書誌

的研究 〔

r

禅 学研 究』 17,

18

〕1932 .一 尚 こ れ は

      後

に 『

766

7821933

784

7861934

. に , 更に 「六祖 壇 経 の

    

究」 と して 『仏 教 史 雑 考

pp

87

1681944

. に再

矢吹

 

宗 頓 教 最 上 大 乗摩 訶

波羅蜜経

 

能大

師於 韶 州 大 梵 寺施 法

(2)

      

壇経一巻 〔『鳴 沙余 韻 解 説pp .

300

303

1933

. 鈴木 大拙

 

燉 煌 出土六 祖 壇 経解 説 及 目次 〔『燉

出土 神会 禅 師 語 録解

及 目 次,

      

燉 煌 出土六祖 壇 経解 説 及目次, 興聖寺本 六

壇 経解

及 日 次』

pp

21

−        

22

〕 

1934

. 今 長谷蘭1[

1

六祖 壇 経研究 資 料 〔『禅 学 研 究

23〕 1935

. 久 野 芳隆

 

流 動 性に 富む唐 代の 禅 宗 典 籍一

燉 煌

出土本に

け る南 禅北宗の 代表        的 作品 〔『宗 教

14

1

1937

・ 鈴 木 大

拙 

六祖壇 経に 関す る 二 三 の 意見 〔『大谷 学 報』

19

1

1938

. 川上天山

 

西夏語訳六祖壇 経 につ い て 〔

r

教史 学

』2− 3

〕 1938

. 宇井 伯寿   壇 経 考 〔『二禅 宗 史研究』 pp .

1

116

1941

、 鈴 木 大 拙

 

六祖 壇 経, 慧 能 及

につ き て 〔『禅思 想史 研究』第

2pp

325

380

      1951

,一 尚これ は後に

r

鈴木大拙 全集』巻

2pp

.310 −

3611968

.と し て        改 訂出版。 中川

 

 

六祖壇経 の異 本に就 て

r

印度 学 仏 教 学 研 究』2− 1〕1953 . 関 口真 大

 

神会 の 南宗独 立 〔『禅 宗 思 想 史pp .153 − 166

1964

. 柳田聖 山

 

大乗 戒 経 と して の六祖壇 経 〔

r

印 度 学 仏 教 学 研究』 12 − 1〕1964 . 柳田聖 山

 

古 本

r

六祖壇 経』 の 推 定, 古本 『六 祖壇経』の 課 題, 古本

r

六 祖 壇経』

    

作 者一 そ の 1, 古 本

r

壇 経』 の 作 者 一 2 禅 宗

      

研究』

PP

148

− 212〕

1967

     

敦煌

r

壇 経』 の 成立 一 その

1

r

壇 経』 の 立 一 そ

      

2

〔『初 期禅 宗 史 書の 研 究』

pp

253

278〕 1967

. 中川

 

 

本壇経の 問題 点 〔『印 度 学仏 教 学研 究 』

17

1

1968

. 』 印

  

 

壇 経 之 成立及 其 演 変 〔『中 国褝 宗 史』

pp

.237 − 280〕 台 北

1971

. 中川

 

 

六祖壇 経 異 本 の 源 流 〔『度 学 仏教 学 研究』

21

−−

2

1973

田聖 山 六祖壇経

「世界の 名

3r

禅 語 録

pp

66

69

1974

. 〔

記 〕

 

本 書は, 六祖恵能が韶 州の 大 梵 寺 講 堂の授 戒

にお け る戒 壇で の

   

説法を, 弟子 の 法 海 が 集 録 したい わ ば 「恵能 語 録」 とい う形 態を持っ た もの

  

で は あ る が, 古来そ の 成立 及 び内容 につ い て, 種 々 の疑 問が投げ か け ら れ る

   

一 方, 多 くの 異 本を 生 み 出 し た極 め て 問 題 の 多い :

     

そ の 数 多本 の 中で , 敦 煌本 とい わ れ る ス タ イン 本の   は, 現 存 唯 一

  

して

古の 写本 と して 重

され る。 こ の   以外に, そ の 存 在 し た こ とを報ぜ

   

られ た もの に

2

種が ある。 まず 敦

の 任子 宜 氏の所

にな る とい う  は,

   

達氏 の 「西征 小記」 〔

r

唐 代 長 安 与 西域 文 明』 pp .

368

369

〕に よ る もの で,

   

r

宗 頓 教 最上 大 乗 壇 経』 とい わ れ , 神 会 の 『壇 語』 『南 宗 定 是非 論』, 浄 覚

   

の 『注般 若 波羅蜜 多心経』の

4

む凡そ

93

葉か ら なる梵 夾 式蝶 装 本で,

   

五代 宋 初の

で ある とい うが, 今 日その 所 在は明 らか で は ない 。 今 一

(3)

3

) の旅 順 博 物 館 と さ れ る  は, 『敦 煌 遺書 総 目索引』 所 収 の 「敦 煌 遺 書散 録」 中, 「旅 順 博 物 館 所 存 敦 煌 之 仏教 経 典」 の

179

番 に記 された もの で, そ こ に は 『南 宗 頂 教 (最上大 乗摩 訶 般 若

多 経 )』 とあり, 「

」 は 「

」 の 誤 りと み られ る か ら し て, これ も 『壇 経』 の 一異本 に違い ない の で あ る が, 今 日所在 の ま っ た く知れ ない もの で ある。 従 っ て , 今 日み る こ との 可能 なの は, 僅かに ス タ イ ン 本の   の みで あ る。   こ の   は , 褐色 の 比較的厚 い 紙 2 紙を真中で 折っ て, 赤 糸で 綴 じて

1

8

頁 と し, これ が13帖 あっ て 全 体で

104

頁, 縦27cm , 横10 .

5cm

の 長 方 形 手 帖 本 で あ る こ の 形 式は ,

r

無 心 論』 と 『頓悟 無生般 若 頌』の 前半 を有 する

S

5619

と 同一 である。 紙 質 も両 者ほ ぼ 同 じで あるが, こ の 方は

3

紙 を

1

帖 と し, 大 き さ も縦14 .

5cm

, 横

10cm

と小 さい 。

 

次に そ の 写形 式で あるが, 首部 1 〜

4 頁

と尾 部

97

〜 104

は共 に 白紙で , 首 題 は 5 頁に記さ れ て い る。 第 1行に 「南 宗 頓 教 最上 大 乗 摩 訶

波 羅 蜜

経」, 第

2

行 第

3

行は

2

字下 げ と なっ て , 第

2

行に 「六祖 恵 能 大 師 於 韶 州 大梵 寺 施 法 壇 経一巻」, 第

3

行に 「兼 受無 相 (

3

字 ア ケ)戒弘 法弟子 法海 集記 」 と な っ て い る。 そ の 後 各 頁 平 均

6

行, 1行

22

〜 28字で本 文が書写 さ れ て い るが, 字 の 大小, 行 の 曲 り, 誤 字, 脱字, あて 字等が多 く, か な りの 粗 悪 本 で あ る。

88

89

, 恐 ら く頁を め くる際に誤っ て重ね て め くっ た と み られ,

になっ て い る。 尾 題は

95頁

5

行目 に, 本 文

最後

の 「

意」 の

2 宇

の 下 に

1

字 あけ て, 「南 宗 頓 教 最上 大乗壇経 法 一 巻」 とあ り, 「法」 の

1

字 の 違 い は ある が,   の 首 題 と 一致 す

96

頁は

1

4

行 に わ た っ て 菩 薩 の 法号が記 さ れ て 擱 筆 し, 以 下は

104

頁まで 白紙とな る。

 

こ の ス タ イ ン   最初に発 見 し た の が, 矢 吹慶 輝氏 で あ る。

1928

r

大 正 蔵 経 』巻

48

め る と共 に,

1930

年 『鳴 沙余 韻』 に

印を収 録 され,

1933

年その 解 説 『鳴 沙余 韻 解 説 を出版 し, そ の 篇 外の

覯 残 巻 と して本 書 を解 説 さ れ た 。 た だ こ の 中で 矢 吹氏は,

S

5475

S

.・

377

とされ て い る が, こ れ は 『心論』 の

S

5619

S

296

と さ れ た と同 様に, 仮番号に よっ た と み ら れ , 訂正 を要す る。 矢 吹 氏は 解説 の 中 で , 本 書に関す る先 行 論 文 と して , 胡 適 氏 の 「神 会 与壇 経 」, 松 本 文三郎 氏の 「六 祖 壇 経 の 書 誌 学的研 究」を挙げ ら れ,

本 氏に敦

本, 興聖寺 本, 明蔵 本の

3

本 の

比,

胡適

氏 に壇 経

会 撰 述 説 の あ る こ と を 述べ , 自らは本書が 法海 の 集記 に基 き神 会一派の 製編で あ るこ と, 法 海, 道

, 悟

の 三 代に伝授 さ れ た こ と, 敦

本 が古 型 を 伝 え, 明蔵 本は多 くの

が な さ れ,

聖寺 本はそ の 中 聞に位 置 するこ と, 西夏文 壇 経 残 本の す る こ と等を論述 さ れ た。

 

1934

年, 鈴 木 大 拙 氏は, 公田

氏 と共に本 書 を宋 元の 刊 本 と

校 合

r

本 との 比 を容 易にする た め に, 全 体を

57

段に 分 けて 校 定出版され た

(4)

つ い で ペ 絶 観 論 の 紹介 を中心 に, 唐代禅 宗典籍を 論 述 された久 野 芳

氏は, 胡

説と同 じ く本 書を神 会の 作っ た もの と主張さ れ た。

 

先 に矢 吹 氏が関 説さ れ た西

語 訳 『壇 経 につ い て は,

1938

年 川上天 山氏 が 「西夏 語 訳六祖 壇 経につ い て と題 す る論文 で紹介さ れ た。 こ の 西夏 語 訳

r

壇 経』 に つ い て は , 柳田聖 山氏 の 「禅 籍 解題」 〔『禅 家語 録』

ll付

pp

.460 −

461

2

存 在 。 い ずれ も西 田 竜 雄 氏の 解 説 に 依 っ て い るが, 川上 氏

紹介

の もの は残 簡

6

で , 本 文は敦

本に もっ と もよ く 一 致 し, 西 夏の 恵宗 季 秉 帝 即

位 4

1071

)に翻 訳 され た もの で , 西 夏 文として は も っ と も初 期の もの に 属 し, 更に こ れをシ ナ

に重 訳 し た もの が あ る とい う。 今一つ は 竜 谷 大学 所 蔵 (橘 瑞超氏旧蔵 )の 残 片

1

で, 『西 域 文 化 研 究』

4

中央 ア ジ ア 古 代語文 献 」 の 図版

41

に発 表さ れ た もの で あ り, 前者に

続 し元 来は 同一本 であっ た らしい とい う。 『壇経』 の 流通 に お け る朝 鮮, 日本 と別 の 流れ を 示 す もの と して 注 目す べ の で

 

鈴木, 公 田両氏に よ る本 文校定 の 仕事 は ,

1941

年 宇 井 伯 寿 氏 に よ る 「壇 経 考」 〔『 禅 宗研 究所 収 〕労 作続 く 。 宇 井 氏は そ の 校 訂 訳註 に 際 し, 古 型 すなわち 恵能の 説 法を 伝 え る部 分 と, 後世神 会の 徒に よ る附 加 と み られ る部 分 とに 分け,

者を細 字で 示 して そ の 古 型 を推 定 さ れ た。 また 『壇 経』の

異 本 に つ い て 詳 細な検 討を加え,

敦煌

本 を基 に 大

寺 本,

聖寺 本,

徳異

本 , 宗 宝 本の 増 減 を対照表で 示 され た。

 

先に校 定 本を出さ れ た鈴木 氏は, 1951 年 『

思 想史 研究』第

2

に お い て, 本

は 「法 海 集 明 示 して お り, 法 海や神 会 を 中心 と し た南 宗の 伝 授 本と して 付 嘱 伝 承 され た もの で , その 伝授の 間に付 加 がな さ れ た との 見 解 を 述 べ られ,

胡 適氏

神会撰述

説を 「そ う 一

に は結

」 として

され た 。

 

宇 井 氏 の た古

部 分と

加 部 分を弁 別 す る方 法は, そ の

中川

氏に 承 けつ が れて い っ た が, 撰 者 の 問題 は, その 後

1964

年 関 口

大 氏 が 本

r

壇 語 の 密 接 な 関 係か ら, 胡適 氏 の 見解 に

同 して , 「神 会, も し くは神 会一派の 成 立せ し め た もの 」 〔『 思 想史 p .163 と さ れ, か く し て 『壇 経』 主 要 部 分 を 神 会 作 と する胡 適 説, 久 野 説, 神 会 又 は神 会 一 矢 吹 説, 関 口説に対 し, 恵

の 説 法 集に 一 部付 加さ れ た とする鈴 木 説, その 付 加を神 会一派に よ る と す る宇 井 説 等が出され て , 容易 に 結 論が出 な か っ た の で あ る。

 

こ うし た古型 部分 の 作 者 , 恵能, 神 会 乃至 は神会 一 , す な わ ち南宗 系 の人 で る とする従 来の 諸 説に対して, まっ た く別の見 地か ら, それ を牛 頭 系, 特に六祖 慧 忠の もので はない か, とす る

説 を 出さ れ たの が柳田聖 山 氏 で ある。

は既に 1964

, 「

大乗

戒 経と しての 六

」 と題 す る論 文 に て , 独 自の無 相心 地 戒 を説 く 『壇経』 に注 目 され て い たが, ]

967

r

初 期

(5)

5

) 禅

史 書の 研 究 で は , そ れ を 一

て , こ の 革 新 的 無 相 戒の 主張 こ そ, 恵 能 系と は違っ た南 北 両 宗 と流れ を 別 つ 牛 頭 系の もの である と み る こ と に よ っ て, 今日 み る こ と の で き る敦 煌木 『壇経』 とな る過 程が かな り自然 に推 知 で き るの で は ない か, と

推 論

さ れ て い る。 こ の 新 説を 含 む従 来の 諸 説につ い て は, そ の 後に出版 さ れ た印順 氏の 『中国

宗史 』 で は , これ ら諸

を逐 一 批 評は せ ずに 自己 の 結 論を述べ 置 き し て , 次の よ うにい われ る すな わち法

が集 記 した 『壇経』原 本は, 大 梵 寺の 開 法を 記録 した原 始的 な 主 体 部 分 と, 平時の 弟 子 との 問答, 臨終 の付嘱, 滅 後の 情形 を記 し た

録 部 分と に 二分 して み るべ き で , 前 者は恵 能生前に成立 してい た もの , 後 者は弟 子が 集 録 し て

加 した もの で あ り, 今日の 敦

本 は, 悟 真が 伝

本 と して伝持 して い た もの を, 神会門 下 が修 補 し た もの で ある とする。 従っ て こ の説 は , 宇 井説 に最 も近 い もの で あ る が, 成立問 題は尚

流動

的で あ り, 更 に 今後 の 研 究を ま た ね ば な ら ない の で あ る。

 

こ うし た成立問題 と は別 に, 本 書 に は, チ ャ ン 氏, ヤ ン ポ ロ ス キー氏に よ る 2 種の 本 文 校 定と英 訳があ り, 最 近

田 氏に よる

代 語 訳が出版さ れ て, 従来 難 解 と さ れ て い た本文が, 親 し み易い 形 で我 々 に提 供 され た こ と は喜ぶ べ

21

 

天 竹国菩

達摩 禅

観 門

 

 

S2583

 

S

.2669  

S

. 

6958

 

P

2058

  竜 谷 大 学所

蔵 122

観 門 法 大 乗

 

』本 1〔移 録 〕  

 

矢吹 慶 輝 『鳴 沙 余 韻』

印 p .

78

ll

  1930

.一

 

     

 

 

正新 脩 大 蔵 経』 巻

85p

. 1270 

b

− c

  1932

     

        鈴 木 大 拙

r

禅 思 想 史 研 究』 第

2pp

224

2261951

.一  

      

一 尚こ れ は後に 『鈴 木大拙 全 集』巻

2pp

219

2211968

.と して

      

訂 出

     

   

 

田中 良 昭

 

「『天 竺 国菩 提 達 摩 禅師 観』 と修 行 最 大 乗

      

(擬 )」 〔

r

駒 沢 大学 仏 教 学 部研究 紀要』 23pp .

126

128〕 1965

. 〔論

〕 矢 吹 慶輝 敦 煌出 土 支那 古禅史 並に古禅籍 関 係文献 に就い て

余 韻 解 説

      pp

540

543

 1933

. 宇井伯寿  達 摩 の 教説 〔『禅 宗

pp

34

− 35 〕

1939

. 鈴木大 拙

 

無心論及 観 門 及 倫 敦本

S

.2669 号長巻子 〔『思想 史 研 究』第

2pp

。214

    

216〕 1951

.一 これ は後に 『鈴 木 大 拙 全

巻 2

 

pp

. 210 −

2111968

     

と して 訂 出版。 爛 口真大

 

「達 摩

師 観 門」 と

禅 〔

r

達摩

大 師の 研 究

pp

295

316

1957

(6)

中 良 昭

 

提達 摩禅

師 観 門』 と修 行 最上大乗 法』 (擬 ) 〔『駒 沢 大        学 仏 教 学部研究紀 要』

23

1965

記 〕 本 書は , 問 答 形 式で もっ て 禅 定, 禅 観等 の 語 義 と禅法 の 次 第と し ての 七

  

種の 観 門を説い た の で あ り, そ の 後に 「大 声 念 仏 十 種 功 徳」 を付 し た 比較

  

的短い 一

   

1930

年ス タ イ の   を発見 した矢 吹 慶 輝 氏が, そ の 写真 を 『

沙 余

  

に収 録 し, その 解 説 を 1933 年 『鳴 沙余 韻解 説』 に 発 表 して 以

そ の

存在

  

られ た もの で,

1932

年に は 『大 正 蔵 経』 巻

85

に も収 め ら れ た。 つ い で 鈴木 大    拙 氏は, 同 じ くス タ イ ン 本の   と竜 谷 大 学 所 蔵 の   の 存 在 す るこ とを発 見さ    れ,   を底 本 と し    と矢 吹 氏 校 定本 と を対 校 して , 1951 年 『禅 思 想 史 研    究』 第

2

に掲 げ ら れ た。 そ の 後1965 年に至 り,   の 存 在 す る こ と を知 っ た私

  

は, そ れ を鈴木 氏校定 本 と対照 して 発 表 し た が, こ の   は 『観 門』 の 後 に

  

伽 経 の 主要

説と さ れ る 「五法三 自

八識二 無 我 の 説明 文 が あ り,

  

つ い で の 諸 本に存 す る 「大 声 念 仏 十 種 功 徳」 に移る の で ある が,   の み は

  

そ の 十 種 功 徳 の 内第三 以降 第 十までを取 り除 き, そ こ に 『修 行最上 大乗法 』

  (

擬)

な る もの が

え られ た 独

の もの で あ る。 また ペ リオ本 の   は,

r

  

五方便北宗』 そ の との 写 で ある が, 標 題は最 後の 「門」 の 字 を 欠 き, 本

  

文 も

法 の まで で 以 下未 完とな っ て い る。 柳田 聖 山氏 の 『

禅 家語録

H

  付

さ れ た 「

禅籍

解 題」 に よ ると, 北

本海

51

も本

本と して あ げて お ら    れ る が, こ れ は 「高 声 念 仏 十 種 功 徳」 の み で , 『観 門』 そ の もの と は 直 接 の

  

は ない よ うで あ る。 こ う して 今 日まで に

5

種 の 異本 の 存 在が知 られ る に    至 っ た。

    

と こ ろで 本 書は, 「

天 竺菩

達 摩 禅 師」 の 名を冠 して は い る が, 矢 吹 氏

  

禅 定

に 「

言 浄 慮」 とい い , し か も浄慮は 静 慮の 音 通で, これ も新    訳である か らして, 当 然 達 摩に 仮 托 し た もの で あ り, 中唐以後 禅 と念 仏 を 調

  

和した一派 の 主張, と さ れ て い る。 宇 井 伯 寿氏 も また 同様の 理 由に よ っ て ,

  

他 の何 人か が作っ た もの が, 達 摩に 帰せ られ たに 過 ぎ ない もの , とみ て お ら

  

れ る。 しか し鈴 木 大拙氏 は, 最後 の 「大声念仏十 種功徳 」 は 『観門』 に 関 係

  

の で, 「達 摩 製」 以 外 の もの で あ る と さ れ て い る か らして, 『観 門』

  

そ の もの は 「達

製」 とみ て お られ たの で あ ろ う。      以上 の諸 説をふ ま え て 口真大 氏 は, 坐 禅 に つ い て の 七種 観 門と念仏 につ    い て の 十 種 功徳 と は 切 り離 すべ な く , い わ ゆ る五祖下 の 念仏禅 系で 伝

  

承さ れ た もの で は ない か, と推 論さ れ た。 私 もこ の 見解と 同じ立場をと るの

  

で ある が,

 

にお け る 「大

念 仏 十 種

徳」 の 第三 以 下 をと り去っ て ,

  

密 教 的 要 素の い 『修行 最上大 乗 法』 を 加 え たこ と は, 禅 と念 仏 と の 結 合の

  

上 に, 更に中唐以後に お け る禅と密 教の 交 渉の 跡 を

め た もの で はない か ,

(7)

7

) と推定 し た の で あ る。

 

そ の に注目すべ , 本書 にチ ベ ッ ト音写本 の 存す る こ とで ある。 すな わ ち

1961

年 『学 報 京都

31

に, 「吐 蕃支 配期 の 敦 煌」 と題す る論 文 を発 表 さ れ た藤 枝晃氏は, チ ベ ッ ト音写 本の 例 と して

P

.1228 を あげ (

p

,261),

そ の 書き出 しの “

gam

 the _

g

 

kug

 

hphu

 

de

 

dar

 ma ._ .

Kvan

 mu 且”

, 「天 竺 国菩 提 達 〕 観 門 で き る と述べ て い る。

 

す なわ ち禅と念仏 の 結 合の上 に成立 した 本 書が, 密教的改変 の 手を加え ら れ た り, チ ベ ッ ト音写 本 を出現させ る等, 多 彩な発展を し た点 で 注 目 すべ き もの と考え ら れ る。

22

 

南陽 和 上 頓

解 脱禅 門

了 性壇 語

 

  S ,2492  

S6977

 

P

. 2045   寒81   敦煌 ・任 子 宜 氏所 蔵 本 〔移 録〕  

 

鈴 木 貞太 郎 (大 拙 )『燉 煌 出土 少 室 逸 書

pp

37

551935

    

 

 

鈴木 貞太郎 (大 拙 )『刊 少 室 逸及 解 説 』 pp .

57

711936

.一

 

      

一 尚こ れ は後に

r

鈴 木 大 拙 全 集 3 pp . 

308

3171968

と し

      

訂 出版。

     

 

   

  

適 「新 校 定 的 敦 煌本 神

遺 著 両 種

央 研 究 院歴

      

史 語言 研究 所 集刊』29pp .828 −

836

〕台 北

1958

.一

 

一 尚 こ れ は

     

後に

r

胡 適 校 敦 煌 唐写 本

 

神 会 和 尚 遺 集

 

附 胡先 生晩年的 研究』pp .          

225

− 252 台北 1970 .と して 再 版

     

   

     

篠原 寿 雄 「沢 神会の こ とば 一 訳 注 『南 陽 和上頓 教 解 脱 禅

      

了性 壇 語』」 〔

r

駒沢 大

文 学 部 研 究 紀 要』

31pp

5

32

1973

.          一  

訳註〕 

   

Liebenthal

, 

W

. “

The

 

Sermon

 of 

Shan

hui

Asia

 

M

αゴo厂 new

         series 皿一

2

 

pp

.132 − 155〕London  1952 . 〔英訳〕

     

       

 

篠 原 寿 雄 「沢 神 会の こ と ば一 訳 注 『南 陽 和 上頓 教 解 脱禅

      

門 直 了性壇語』」 〔『駒 沢 大学 文 学 部 研 究 紀 要』

31pp

 

1

33

1973

     

    獵

 

中村 信幸

 

陽 和 頓 教 解 脱 禅 門 直

沢 大 学 大       学 院仏 教 学 研 究 会 年 報』

8pp

. 

137

146

1974

文 〕 鈴木大拙

 

神 会和尚 の 「壇 語」 と考 うべ

r

大 谷 学 報16        −

4

〕 

1935

. 鈴 木 貞太 郎 (大

 

和尚頓 教 解 脱

門 直了性 壇 語 〔

r

少 室 逸 書 解 説』 pp . 

50

68

     1936

.一 尚 こ れ は 後 に 『鈴 木 大 拙 全 集

3pp

290

3071968

.と し

     

訂出版。 胡

 

適 校 写 「南陽和上頓 教 解 脱 禅 門直 了性壇 語」 後 記 〔「新 校 定的 敦

写 本

(8)

       神 会 和 尚 遺 著 両 種」 『中央研究 院歴 史 語 言 研 究 所 集 刊』

29

〕 台北

1958

      

一 尚 これ は後に

r

胡 適 校 敦

煌唐

写本

 

神 会 和 尚 遺 集

 

附 胡 先 生 晩 年

      

的 研 究』

pp

319

335

台北

  1970

., 更に 『胡 適 禅学案』

pp

253

269

      1975

.と し て再 版。 亦, そ れ は別に篠 原 寿 雄氏 に よ り 「胡 適 先生校写 『

       陽 和上頓 教 解 脱 禅 門 直 了性 壇語』後 記」 〔

r

宗 教 学 論 集』

3

1969

.と し        て 邦訳 。 鈴 木 哲 雄

 

荷沢神 会 論 〔『仏 教 史学』

14

−  

4

1969

. 印

   順 南陽

和上頓 教 解 脱

了性 壇 語 〔『中 国

宗 史

pp

. 

300

302〕 1971

記 〕 本 書は, 荷 沢神 会が南 陽 竜興 寺 で 行 っ た授戒 会 に お け る戒 壇で の 説 法の

  

語を記 録 し た もの で, 神 会の 思 想 を知る重 要 資料 の 一 。      今 日

5

種の 異 本存 在が知 ら れて い る が,   の 任子 宜 氏所 蔵 本に つ い て は,

  

先に 『壇

』 の 略 記で述べ 如 く , 向 達 氏の 「西 征小 記 」 の記 載 に よ っ て そ

  

存 在が知ら れ るの み で , 実 際 に内容 を窺い う るの は 他の

4

本で ある。

    1935

年 鈴 木 大

氏が

北京

本の   を

発見

し, 『少 室

逸 書

』 と 『大 谷 学

』 16

  

4

並 び に 『校 刊 少 室 逸 書及 解 説』 に て 本 文 紹 介 と解 説 を さ れ たの に始 ま り,

  1952

年 リーベ ン タ ール が ジ = ル ネ 氏の 指 摘に よっ て ペ リオ本 の   の 存

  

知 り, そ れ と鈴 木 氏に よる 『少室逸

北京本

  とを校

し て その 英 訳    を発表 さ れ た の を機に, 鈴 木, デ マ チ ーノ 両 氏が  及び そ の他 をパ リ の 国 民    図書 館にて 調 査 し撮 影さ れ, そ れ を胡 適氏 があ ら た め て 調査 さ れ た結 果,  

  

に 含 ま れ る本 書 と 『南 宗 定 是 非 論』 を既 存の 異 本 と 校合 し, 両 書 並 に 神 会に

  

関す る新た な研究成 果 を加え て,

1958

年 「新 校定 的 敦煌写 本 神会 和 尚遺 著 両

  

種」 と

して 発 表さ れ た。 す な わ ち本 書に関 して は, リーベ ン タール 氏同様

  

  と  と の 校 合で あ る。 こ うし て , 北京, ペ リオ の

2

本が写本と して も よ く,

  

識者 の 関 心 を あつ め て い たの で あ る が, 近 年ス タ イ ン 本に も

2

種の 異 本の 存

  

在が知 ら れ た。 す なわ ち  と  で あ る。 た だ こ の 両 者 は,

r

遺 書 総 目索

  

引』 で は, 共 に 「仏 経」 とい うにすぎ な い もの で , い ずれ も

2

紙の 中間

  

部 分の 片 で あ り, 特に  は 破 損 が著 しい 。 従っ て     は,     と

べ れ ば ,    ほ と ん ど と るに足 らない え よ 。      本 書の 作 者が神 会で あるこ と は問 題ない が, そ の成立時 期に つ い て は, 胡     適氏 が本 文校定 に後記 を付 して の よ うに論 述 して い る。 す なわ ち 標 題の

  

陽 和 の 語に よっ て , 本書 は 神 会が南 陽に 住 し た時 期 に なっ た もの で

  

あ り, そ れ は 『宋 高 僧 伝』 に, 開元

8

年 (

720 )

勅 命 に よっ て 南 陽 の 竜 興 寺

  

せ しめ られ たとする記

に基 き, この 南

に ほ ぼ

10年

間 住 した こ と か ら,

  

本書 の成立 時 期 を

720

年か ら

10

年 間, す な わ ち神 会の 比較的早い 頃 の 著 作 で

  

あ る と さ れ た の で あ る。 尚こ の 胡 適 氏の 校 定に な る本文 と後 記は, 胡 適氏 に

  

よ る神会 研 究 の 邦 訳 を 続 けて お られ る篠原寿 雄 氏に よ り,

1969

年 氏 自身の 若

(9)

9

) 干 の コ ン トを 加 え た 後 記の 邦訳 が, 更 に1975 年氏 自身に よ る本文 の 校 定と 訳 註が発 表され た。 ま た この篠 原氏 の 校 定 と邦 訳をふ ま え て, 語 学的視点 か ら本文 を追 語的 に邦 訳 し

もの に, 中村 信 幸 氏 の翻 訳が ある。 こ うし て リー ベ ン タ ール

訳 と

篠原

, 中

の邦 訳が 出揃っ た の で ある。   と こ ろで 立時 期に関 す る胡 適 説に対 して , 近 年 関説 し た 人 に鈴木哲 雄 氏 と印順 氏が あ る。

1969

年 鈴木 氏は 「荷沢 神 会 論 」 に て, 「荷沢」 を冠 せ られて 一に呼 称さ れ るの は寂 後 の こ と で あり, 本 書は 内

面 か ら も北 宗 排 撃 す な わ ち 『是 非 期 の もの で あ る とい う点 か ら, 胡

適 説

様南

陽 竜

寺 時 代に な っ た もの と す る。 これ に

し,

1971 年

『中国禅 宗 史』 を出版 さ れ た印

氏は, 「東 京荷 沢 寺 神 会 和上, 毎 月 作 檀 場, 為 人 説 法 , 云 々 」 とい う 『歴 代 法宝記』 の 記 事を例 証 と し, 本 書は神会 が 洛 陽に あ っ て 開 法 し, 禅を伝え た記 録で あ り,

陽和 尚の 名は神 会の 僧 籍が

陽 竜興 寺 に在っ たか らい われ た 名にす ぎ ない と し て, 胡 適 説に反 論 され て い る。 し か し本 書 の 標 題 を素 直に読む な らば, やは り胡 適 氏の 南 陽 竜 興 寺 で の説 法と み る力 が 自然 で は ない か と考 え られ る。

23

 

南 陽 和 尚 問答 雑 徴

〔神 会 語 録, 神 会 録 〕   

S

6557

 

P3047

  石井 光 雄 氏旧蔵 本

{移 録〕

 

 

適 神

語 録 第一残 巻

蔵 敦

写本

) 〔

r

和尚

集』

     

pp

. 

97

152〕

 

1929

1930

.一

れ は

校 敦

      

写 本

 

神会 和尚遺集

 

附胡先 生 晩 年 的 研究』

pp

97

152

台北

  1970

。       と して 再版

    

 

 

石 井光

神 会 録

pp

1

651932

.・一  

     

 

   

鈴 木貞太 郎 ・公 田連 太 郎 『燉 煌 出土 荷 沢神 会 禅

pp

1

       681934

.一

 

これは後に

r

鈴 木大

全集』巻

3pp

.236 −

288

         

1968

.と し て改 訂出版。

     

     

 

  

 

神 会 和尚語 録 的 第三個 敦

写本 : 『南 陽 和 尚 問 答 雑

      

; 劉 澄 集

『中央研究 院 歴 史語 言 研究所

集刊

外 編 第

4

pp

8

      

− 19〕 台北

1960

 

尚 これ は後 に 『胡 適 校 敦

煌唐

写 本 神 会 和 尚

      

遺集

 

附 胡 先生晩 年的 研究』

pp

426

− 452 台 北

 

1970

.と し て再版。

註〕

 

   Gernet

, 

J

. 

Entretiens

 

du

 maitre  

de

 

1

hyana

 

Chen

Ho

du

 

Ho

      

tsb’

668

760 )

Hanoi

 

1949

.〔仏 訳 こ れ は後に花園 大 学祖 録       研究 会 よ り 『フ ラ ン ス 語 訳神 会禅 師 語 録

1958

と し て タ イ プ 印

       書

に よ り再 版。

文 〕

(10)

    

一 尚こ れ は

に 『適 校 敦

唐 写 本

 

神 会 和

遺集

 

附 胡 先晩 年 的

     

研 究』

pp

.153 − 158 台 北

1970

. と して

。 鈴 木 大

 

出土 神 会 録 解 説 〔

r

敦 煌 出土神 会 録』付 録 pp .

1

14

1932

.一 尚

    

これ は後に, 鈴 木貞太 郎 ・ 公 田連太 郎 『燉

出 土 荷沢

師 語 録 解 説』

pp

.         1・− 121934 . 再 版 。

Gernet

, 

J

. ‘

℃omp16ment  aux  

Entretiens

 

du

  maitre  

de

  Dhyana  

Chen

Houei

     

668

760

)”

 〔

Bulletin

 

de

 

l

Ecole

 

Frangaise

 

d

Extr2m

.e・

Orient

 

Vo1

 

44 no .

       

2

Hanoi

 

1954

. 胡 適 神 会 和 尚語 録的第三 個 敦煌写本 : 『南 陽 和 尚問 答雑 徴 義 :劉澄集

1

     

神 会 語 録 的三 個 本子的比勘 〔

r

中央研究 院 歴 史 語言 研 究所 集 刊』外 編 第

4

     

種 pp .

1

8

1960

.一 これ は後に

r

胡 適 校敦

唐写 本

 

神 会 和 尚

     

遺 集

 

附胡 先生 晩

的研究』

pp

403

− 425

 

台北

  1970

., 更に

r

胡 適

     

学案』

pp

333

3551975

. と して 再 版

Demi6ville

, 

P  

Deux

 

Documents

 

de

 

Touen

Houang

 sur 

le

 

Dhyana

 

Chinois

      〔

r

塚 本

士頌

寿

記 念

教 史 学

論集

pp

01

027〕 196L

  

 

南 陽 和上 問答 雑 徴 義 〔

r

中国禅 宗

pp

. 

308

309

〕 台北

 

197

ユ. 〔略 記〕 本 書 は, 唐 山 主 簿劉澄 が道 俗 の 問 に 対 す る神 会 の 答 を 集 録 し, そ れ に序

   

を付 した もの で , 従 来 一

神 会 語 録 」乃至 は 「

の 名 で ば れ,

   

神 会の 思 想る根 本 資 料と され た もの で ある。      本 書が最初に 知られ る よ うに な っ た の は, 1926 年胡 適 氏がパ リ の 国 民図書

   

館 にて ペ リ オ   を , その 校定を 1927

上 海の 新月書 店 よ り, 更に     翌 1930 年同 じ く上海の 亜東図 書館 よ り 「神 会 語 録 第残 巻 と に

  

r

神 会 和 尚遺 集』 の

1

に収 録 して 出版さ れ た こ と に よ る。 この 写

   

を欠 き題 名 も知 られなか っ た の で あ る が,

胡適

氏は その 跋 文に て , 本 書が

    沢 大 師 神 会 の 語 録 で あ るこ と, 従 っ て その 標題 を 「神会語 録」 と し た こ とを     述べ れ た

   

つ い で

1932

年, 積翠 軒 石 井光雄 氏が 自ら所 蔵す る敦

写本   を 『燉

出土

会 録』 と題 し,

印に て 出版 さ れ , そ れ に鈴 木 大拙 氏が 『燉 煌 出土神 会 録 解説』 と題す る小 冊子 を付 され た。 こ の 写本 も首部 を欠 き, 末尾 は完 全で あ る が, 尾題は な く, 巻末 に別 人の 手 にな る唐 貞 元

8

年 (

792

) 沙 門 宝 珍 と 判 官趙 看 琳が 北 底にて 張 大夫 の に よ り校勘 し

っ た とい う同年

10

22

日の 奥

が あ る。 鈴 木 氏 も指

さ れ る よ うに, こ の   が

胡適

校 定 の   と

な る最 も 大きな特 徴は, 末尾 に達 摩か ら慧 能に至 るまで の 略 伝

『師

伝』 とい われ る もの

が付 記 さ れ, そこ で は 六代の 祖 師が 『金剛 経』 に

っ て 得 道 し た こ と を強調 して お り, 更に最 後に 『大 乗 頓 教 頌井序』 が記 され て い る こ と で ある。

(11)

11

 

そ れ か ら 2 年 後の

1934

,   の 胡 適 校 本 と  の石井

印 本の 両者を

校 し, 新たに校 定 して, 敦

本 並に興聖寺 本 『壇経』 を併 せ, 解

を付 して出版 さ れ たの

木 大

連 太 郎 両 氏

r

神 会 禅 師 語 録 』 で あ る。

 

先の

に よる 『

神会和

遺集

は, フ ラ ン ス の 東 洋 学 者ジ ェ ル ネ氏 の 目 す る と こ ろ とな り, こ の 仏訳 が

1949

年ハ ノ イの 極 東フ ラ ン ス 学 院 か ら

PEFEO

(極 東 フ ラ ン ス 学院 出版 物 ) 巻31 と し て さ れ 。 ジ ェ ル ネ 氏は更に

意欲

的 に

会 研 究に取 り組 ま れ, 1951

に は パ リ の 」・urnal /

1siati

que

(ア ジ ア 学 報)

239

1

号に, “

Biographie

 

du

 Maitre  

Chen

Houei

 

du

IIo

ts6

668

760 )

Contribution

1

histoire

 

de

 1’

6cole

 

du

 Dhyana ”

史に 貢 献 せ る荷 沢 神 会禅師 伝 」) と題 す る論 文を, 更に

1954 年

に は, ハ ノ イ の

BEFEO

 

極 東 フ ラ ン ス 学院 紀 要

44

2 号

, 先に仏 訳し た 『

神会禅

師 語 録』 の

を発 表さ れ た。 そ れ か ら 2 年 後 の

1956 年

, 京

大 学人文 科 学 研 究所 で ス タ イ ン 書の 写 真を 調 査 さ れ た入矢 義高 氏が, ス タ イ ン 本 の   を発 見 さ れ, こ れ を胡適 氏に知 ら せ た結 果, 胡 適氏 は従 来の ペ リ オ本 の 胡 適 校 本, 石 井本 と胡 適 校 本を対 校した鈴 木 ・公田校 本に, 新 出の ス タ ィ ン 本 の   を加 え て

3

を対 校 し, 1960 年 台北か ら 「神 会 和 尚 語 録 的第三個 敦

写 本 : 『南 陽 和 尚 問 答 雑 徴 義 :劉 澄集 語 言所 集 刊外 篇 第 4 に発表 され, こ う して 現存

3

本がすべ て公 刊さ れ るこ と とな っ た。 こ の   の 出 現は, その 標 題が 『南陽 和 尚 問 答雑 徴 義』 で あ る こ と, これ が 円仁の 『入 唐 新 求 聖教 目録』 に 「南 陽和 尚 問答 雑 徴 義一巻, 劉澄集」 とある の と 一 致 し, 古 くわ が 国に も将 来 さ れ て い た こ と, 巻 首の 劉澄の 序 文の 内容を 明 らか に し 得た こ と等種 々 の 点 で 画 期 的 な 意 義を持つ の で ある。 尚本文 は石井 本 の 前 半に一致 し, 3 本 中で は もっ と も初期 の もの と み ら れ て い る。

 

その 翌

1961

年に は , や は りフ ラ ン ス の 世 界 的東 洋学者 ドミ エ ヴ ィ ル 氏が, 4‘

Deux

 

Documents

 

de

 

TLuen

Houang

 sur  

le

 

Dhyana

 

Chinois

中 国禅

関 す る二種の

文 献 と題す る論文 を 『塚 本 士 頌寿学 論 集 に発 表 され た が , これ は 『問答雑 徴 義』 と題 す る 『神 会 語 録』 の 新 資 料す な わ ち  の

S

.・

6557

, 『頓 悟 大乗 正理 決』 と題す るチ ベ ッ トの宗 論に関 す る 中 国側 記 録の 新 資 料で あ る

S

2672

2

意 味 し, そ れ らを紹 介 論究 さ れ た も の で あ る。 こ の よ うに本

は, 日

の 鈴 木 氏, 中 国の 胡

氏, フ ラ ン ス の ジ ェ ル ネ氏 と ド ミエ ヴ ィ ル 氏とい う よ うに , 世界 有 数の 学 者に よ っ て 研究がな さ れ て き た もの で あり, 神 会研究に

す る世界的 関心 の 高い こ とを如実に示 し た もの よ う。

 

尚 先に同 じ く神 会の 『壇 語成 立 時 期につ い て胡 適 説を批 判 した印

氏 は, 本 書の 『南 陽 和 尚 問 答 雑 徴 義』 の

標題

に お ける南 陽和 尚に つ い て も, こ

(12)

(12) れ が 習 慣上 の 称 呼にす ぎず, 本 書 も 同 じ く

陽時代 の成立 で は な く, 『南 宗 定

是非

論』 以後 比

的 遅 く集 成され た もの

を 主張 し て い るが, 先 の

r

壇 語場 合と同様, 鈴 木 哲 雄 氏の 「南陽 和尚の 呼 称は神 会の あ る時期 を 示す 言 葉」 とい う

に よ り, 本 書 も南 陽時 代の 成 立 と み る 方が妥当で は ない か と老 え られ る。

24

 

行 論 (

擬) 〔

達摩 論, 菩

行 論

, 二

入 ,

心 法

門〕

   

S

2715

   

S

. 

3375

   

S

7159

   

P

.2923  

P

3018

   

P

4634

   

P

4795

    宿

99

 

〔敦 煌 出土 以 外 の もの

 

  朝鮮 『禅 門 撮 要

 

 六 門集』本 〔移 録〕 

 

1

2

15

5

404

右一左

1911

    

 

 

大 正新 脩大 蔵 経

48pp

369c

370c

 

1928

   

 

 

鈴 木 貞 太 郎 (大拙 )『

土 少 室

pp

.1 −

221935

.             鈴 木貞太郎 (大拙 )『校 刊少 室逸 書解 説pp .

1

391936

      

 

   

     

 

鈴 木 大 拙 『

研 究

2pp

138

1621951

. −

a9

− 一

      

尚 これ は後 に 『鈴 木 大拙全集』 巻

2pp

141

1611968

.と し て 改 訂 出         版。

   

  花園大 学 祖 録 研究会 『禅 門 撮 要』 上 pp .49 −

941954

    

 

 

鏡 虚 惺 牛 ・雪 峰 鶴 夢 『刊 懸 吐撮 要

pp

137

1631968

       

   

 

   

     

田聖 山 『達摩語 録 〔二 入 四

「禅の

        録」

Ipp

23

250

〕1969 ,一 尚 これ は後 に 「達 摩二 入 四 行 論」 〔「世

    

界古 典文 学 全 集」

36A

『禅 家 語 録』

Ipp

5

66

1972

.と して 再 版

    

 

 

田 中良 昭 「四 行 論 長 巻 子

録の 一異 本

r

学 研 究13pp . 

36

− 39

1          

1971

. 〔訳註〕      

 

   

 

柳田聖 山 『達 摩語 録 〔二 入 四 行 論 〕』 〔「禅 の

      

録」 Ipp .23 − 250〕1969 .一 尚こ れ は 後 に 「達 摩二 入 四 行 論」

「世

       

界 古 典 文 学 全集」

36A

『禅 家 語録』

Ipp

5

 −

66

1972

再 版 。 〔論

禿 氏祐 祥

 

少 室六門 集 につ い て

竜 谷 学 報

309

1934 . 鈴 木 貞 太郎 (大拙 ) 解 説 及び そ の 内容の 研究 〔

r

少 室

逸書

pp

1

46〕1936

      

一 尚こ れ は後 に 『禅 思 想 史 研 究 2pp .

103

− 1381951 .と し て ,

      

に 『大 拙

2pp

108

1411968

. と して改 訂 出版。 宇井伯寿

 

達 摩 の 教 説, 慧可 の 教 説 〔『禅宗史研究』

pp

17

34

47

59

1939

(13)

(13) 水野 弘元

 

菩提達摩の 二 入 四行 説 と金 剛三昧 経 〔

r

印 度 学 仏教 学研 究』

3

2 〕

      1955

.一 こ れ は 別 に内容を 詳 説 し,

r

駒 沢 大 学 研究 紀 要』

131955

,に         収 録。 中川

菩提 達 摩の 究 一 四 行 論 長 巻子 を 中心 と し て 〔『文 化 』

20

4

〕        

1956

. 関口真 大

 

本 達 摩 大 師四行 論に つ い て

宗 教文 化 』

12〕 1957

. 関口真 大

 

達 摩 大 師四行 論」 と 「法 門

r

摩 大

研 究

pp

. 

317

344〕

        1957 . 田 中良昭

 

四行 論 長 巻子 と菩 提 達摩 論 〔『印 度仏 教学 研

14

1

1965

. 柳 田聖 山

 

北宗 禅の 一資 料 〔

r

印度 学仏教 学研 究』

19

− ・

2

1971

. 田 中良

昭 

四行

子 の 一

宗学

13〕 1971

. 小 畠宏充

 

チ ベ ト の

と 『代 法宝 記

r

禅 文 研 究所 紀 要

6

1974

略記〕本書は, 禅

初 祖 菩 提 達 摩 の 唯 一 の

と さ れ る 「二 入 四

は じ

  

め, 達

を 中心 と した初 期

宗の 人 た ちの 言葉を直 接に伝 え る貴 重な 文献 と     し て重 視 さ れ る もの で ある。

    

近 年

宗 語 録の 訳註,

代 語 訳が 次々 と出版さ れ て い るが, 本 書 もこ の面

  

に積極 的努力 を払 わ れて い る柳田 聖 山 氏 の

に よっ て, 「

の 語 録」 シ リー

  

ズ の

1

に 『達 摩語 録 〔二 入 四行 論 〕』 と題 して , 本 文 校 定, 読み下 し文,

  現

代語 訳, 註か らな る研究成 果が 出版 さ れ, 更に そ れ は 「世 界 古 典 文 学 全

  

集」

36A

『禅 家語 録 』

1

に も収録 され た。 しか も その 際 両 書 の 巻 首 に, 本 書

  

につ い て の解 説がなされ て お り, 私 も

出の   を紹 介 するにあたっ て , 本

  

に関す る従来の 研 究成 果 を要約 し述べ い るの で, そ れ ら を参 照 して い た だ    きたい 。 ま た 達 摩の 唯 一 真 説 と さ れ る二 入 四行 説は, 他 に も道 宣の 『続高

  

僧 伝』巻

16

r

楞 伽 師 資 記』, 『景 徳 伝燈 録』 巻30に 「菩提 達摩 略 弁 大 乗入 道

  

四行 井 弟子 曇林 序」 と し て掲げ ら れ,

 

の 『少室六門』 に も 「二 種入 」 と し    て 別 立 さ れ て い る。

    

とこ ろ で本 書は, こ の 二入 四行 説を首とす る

1

万余 字か らな る長

で ,

  

在まで に

8

種の 異 本存 在が知 られ て い る。

1935

年 鈴 木 大 拙 氏が北京 で   を

  

発 見 し,

r

少 室 逸 書』 に紹 介 され たの を手 始め に, これ と  の 朝 鮮 刊 本

r

  

門 撮 要』所 収 「菩

四 行

」 とを対 校 し, その 翌 1936 年 『校刊少 室 逸 書    及 解 説』 に発 表 さ れ て ら れ る よ うにな っ た もの で あ る。 鈴 木氏は同年ロ ン

  

ド ン ス タ ン 本 の   を発 見 され,

1951 年

      の

3

対校

を 『

想史

  

究』

第 2

に発表さ れ た。

    

その

本 書 の 本 の 存 在 は長い 間知 れ な かっ た が , 敦 煌文 献 の マ イ ク ロ

  

フ ィ ル ム が わ が 国 に将 来 さ れ た こ と か ら, そ れ らの 写真に よ る 調 査が か な り

  

の と こ ろ まで 可

となり, か くして 新たに ス タ イン 本の   , ペ リオ本の

 

 

(14)

の 都合

3

本 を発 見 し た は ,

1965 年

「四行 論 長 巻子 と菩 提

達摩論

」 と題する 小論で , そ れ らの

在を紹 介し た 。 し か しこ れ ら は い ずれ も中間 部 分の 断

に すぎず,

料的価 値は決 して 高い もの で は ない 。 た だ   に よっ て , 本 書の 一 部が か っ て 「菩 提 達 摩 論」 の 名で

ばれ て い た 事 実が判 明 した。 更に ペ リ オ本 の   の 出 現によっ て , 従 来 知られ てい た部分以 外の もの の存

する こ と が わか り, し か も そ れで も 尚本書 が完結 して い ない こ と が 明 らか とな っ た。 その ス タ イ ン 本の   は, 1972 年 滞英 中大 英 博 物 館の 書 庫に おい て 実

調 査 を した際に見出 した もの で, 二 入 四 行 説部 分 の 断 片で あ り, ま た柳田氏に よ れば, ペ リオ 本 に  が 存 在す るとい う。 こ うして 今 日で は敦 煌 本に

8

種の

本の 存 す る こ と が 明 らか となっ た が, 首 部 の 破 損 や 断 欠 の た め に, その 標題 を記 すの は僅か に  の 尾題に 「」 とあ るの み で , 先の   の 「菩提達摩

」 及び 『禅 門撮 要 の 「菩 提 達摩 四行 論」 も部分名にす ぎず, 今 日尚 正 式 の 題 名 は明 確 にさ れ て い ない ま た従 少 室 六の 一で あ っ た 「安 心 法 門」 が 本 書 の抜 粋る こ と も明 らか と な り, 『宗 鏡 録』巻

97

か ら巻

100

にわ たっ て 引 用さ れ て い た 諸

師の 言

も, 同 じ く本 書に由

す る もの で あ る こ とが判明 し, こ うして 本 書が 初 期 禅 宗 文 献の オ リジ ナ ル ソ ー ス で ある こ と が 明ら か とな っ た。

 

本 書は 鈴 木 氏に よ っ て 紹

さ れ て 以 来, 内容 的に は

1

二 入 四 行 論及 略序 等,

2

雑 録 第一,

3

雑 録 第二 の

3

部に分け ら れ て お り,

1

の 末尾 に向 居士 の 慧可 へ 返 書 が あ る と と , 「安 心 法 門 」 が

2

の 抜 粋 で あ るこ と と も 関 連 し て , 本 書の 撰 述 者 に関して 従 来 種異 説 を 。 す なわ ち鈴 木 氏は

1

2

説 (向居士 の 返 書

入 ),

3

は慧可 をは じめ とす る

達摩

以外 の 人 の 説 と さ れ たの に対 し, 宇井 伯 寿 氏は,

2

を慧可 の もの , 従っ て こ の 部分 よ り抄 出した 「心 法門」 も 同 じ く慧可 の もの と推 論 さ れ た。 こ の 両

に 対 し, 中 川 孝氏 は

2

を 慧 可 所 述 とす る宇 井 説 を支 持 さ れ た が , それ に対す る関 口真 大 氏 の 反 論が あり, 私 も前 掲 の小論 に て 同 じ く中 川説に疑 問 を投 げ か け た。 こ の よ うに

書の撰 述

に関 して は

未解

決の , 尚 今後の

究 を またね ば な らない o

 

今一 つ 本書 に関連す る もの と し て , 達 摩 の 二入 四 行 説 と 『金 剛三昧 経』 の

前後

関 係の 問題が あ る。 宇 井氏は達 摩の 理 入行入 を 『金剛三 昧 経』入 実際品 第 五 か らの 引 用と さ れ たの で あ る が, 水 野弘元氏ば 『金剛三 昧経 』 を 初唐に 成立 した偽 作 経 典であ る こ とを論 証 する こ と に よっ て, む しろ達 摩の 二入 四

行説

を 『

金剛

昧経

依 用

し た と

新 説

を 出さ れ

学会

の 注 目を あつ た。 こ の 『金 剛三味 経』 入 実 際 品第五 は 敦 煌 本

S

2794

に も見出さ れ , 漢 文か らの チベ 存 在 す 。 更に最近 発 表 され た小 畠 宏 充 氏 の 論 文

f

チ ペ 『歴 代宝 記 に よ れ ば , 本書に 「三蔵法 師 言 」 と し て

参照

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