特集◎現代に生きる﹁五四﹂6﹁五四﹂と啓蒙のパラドックス
ナショナリズムとインターナショナリズム︒個人主義と集団主義︒これら二つの価値のせめぎあいの場として﹁五四﹂はあった︒﹁つの価値が提起されるが︑それが正反対の価値へと反転する思想のパラドックス︒そのことは﹁啓蒙﹂のあり方をめぐって劇的な形で示されるだろう︒アドルノらが﹁啓蒙の弁証法﹂と名付けた価値の反転は︑﹁五四﹂にあっては﹁啓蒙﹂から﹁イデオロギー﹂への転化に集約されている︒﹁五四﹂の悲劇がそこから生まれた︒1﹁五四の時代﹂を生きた現代中国の思想家による迫真の内省禄︒
王元化︿華東師範大学歴史系教授﹀×周策縦く聖彰碗諺鋒馨×王唐武︿玩題濃賢韓鑑﹀×陳万雄︿話雛騨﹀×
唐徳剛く監鶉趨×凋天喩︿愛知大学現代中国学部教授﹀×緒形康︿帳駿鑛撚﹀
﹁五四﹂再評価は概念整理から始まる
緒形今日から北京大学で﹁五四運動と
二〇世紀中国・国際シンポジウム﹂が始
まりました︒私たちは皆︑その開幕式に
出席したばかりですが︑この討論の場に
特にお越し頂いたのは︑五四運動に関す
る学問的著作・評論の分野で先駆的な成 果を世に問われてこられた先生方です︒
私たち﹃中国21﹄編集部は五四運動八〇
周年を迎えたこの良き機会に︑﹁五四﹂に
関する評価問題やその中国政治文化に与
える永続的な可能性をめぐって︑意見交
換をいたしたいと思います︒
凋五四運動は周知の通り︑二つの側面
が相互にからみあって展開した運動で
す︒一つは︑﹁外は国権を争い︑内は国賊 を罰する﹂という愛国民衆運動であり︑
もう一つは旧礼教︑旧文学に反対して︑
民主︑科学を提唱した新文化運動です︒
先生方の中で︑王元化先生は最も年長
のお一人でいらっしゃいますが︑王先生
は幼少の頃︑そうした﹁五四﹂の二つの
側面について何か個人的なご記憶といい
ますか印象がございますか︒
王元化私は一九二〇年の生まれですか
ら︑﹁五四﹂が終わって一年の時ですね︒
少年時代から五四運動の二側面のうち︑
新文化運動の影響を深く被ってきた世代
の一人といえます︒もう八〇歳を超え︑
過去のさまざまなことを追想し反省する
ことが多いこのごろですが︑五四新文化
運動もそうした反省の材料の一つです︒
以前の著作である﹃清園近思禄﹄(上海
古籍出版社︑一九九四年)に収めた﹁現
代思想史に関する問答﹂は︑﹁五四﹂に関
するレジュメとでも言うべきものです
が︑この機会を借りて︑あのレジュメの
観点をいささか補充したいと思います︒
現代中国には多くの固定観念があっ
て︑それが眼には見えない強力な慣性と
なって︑私たちの生活を支配している︒
再評価と整理が必要なのはこうした固定
観念ですが︑﹁反封建﹂というテーゼもそ
うした固定観念の一つです︒中国封建社
会の開始時期について︑中国学界には幾
つかの学説があっても︑秦の始皇帝によ
る中国統一後に封建制度が解体したと考
える点は全ての学説に共通しています︒
そして︑君主専制という中央集権の大一 統体制が︑ヨーロッパの﹁封建制度﹂と
は全く別の体制であると考えることにつ
いても異論はない︒
そうした封建制度に反対するという﹁反封建﹂スローガンが広く普及したの
は︑一九三五年に中国論壇で︑中国の社
会性質と革命性質問題に関する大論争が
展開されてからです︒上海書店は当時︑
この論争のアンソロジーを二冊出版しま
した︒注目すべきなのは︑毛沢東がこの
論争の直接の影響を受けたことです︒彼
は︑中国の社会性質を半封建・半植民地 と考える論争の支配的意見に基いて︑中
国の革命性質を﹁反帝国主義︑反封建主
義﹂にまとめあげたのでした︒当時は中
国社会を資本主義社会と言おうものな
ら︑すぐさまトロツキストのレッテルを
貼られたものです︒
緒形凋先生が﹁概念整理についてー
﹃封建﹄と﹃形而上学﹄を例に﹂(﹃人文論
衡﹄武漢出版社︑一九九七年︑所収)と
いう論文を書かれていますが︑その観点
は今のお話に通じるものがあります︒五
四新文化運動に対する再評価は︑概念整
理という作業を伴うものでなければなら
ない︒
﹁五四﹂と﹁新啓蒙﹂
王元化まことにその通りで︑私が﹁五
四﹂の再評価を﹁新啓蒙﹂の名で呼ぶの
も︑そうした意図からです︒一七・一八
世紀のヨーロッパ啓蒙思想家たちは︑宗
教︑自然︑道徳を問わず︑あらゆる問題
を理性の法廷上で再認識することを主張
した︒既存の固定観念を再検討しない運
「五 四 」と啓 蒙 の パ ラ ドッ ク ス
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動は啓蒙の名に値しないという立場で
す︒こうした主張にならって︑私は五四
の再評価を﹁新啓蒙﹂と呼んだわけです︒
五四が歩んだ道を私たちがそのまま歩む
というのでは︑五四が未完成のまま残し
た任務を継承するだけになってしまいま
す︒それではいけない︒五四の思想はもっ
と深めなければならず︑単なるその再演
であってはならないのです︒五四に対す
る﹁新啓蒙﹂こそ私たちの課題だと思い
ます︒
緒形私は先生のこれまでの著作から︑
先生の﹁新啓蒙﹂の考え方には今言われ
たことの他に︑五四以来の悪しき﹁啓蒙
シンドローム﹂を克服するという意味も
含まれているように感じていました︒つ
まり︑先生の﹁新啓蒙﹂には︑旧来の啓
蒙を克服すると同時に︑新しい啓蒙を目
指すという二重の意味が込められている
ように思います︒そのあたりの問題につ
いて︑ご意見をお聞かせ願えませんか︒
王元化後漢と魏晋時代に仏教思想を受
容したことを中国における第一回の大規
模な外来文化導入と見れば︑五四は中国 史上︑二度目の大規模な外来文化の導入
です︒そして︑第一回の経験を参照する
限り︑その過程がけっして順調ではなく︑
幾つかの紆余曲折を避けられなかったの
は当然のことと思われます︒五四運動が
展開したのは一九一六年から二〇年にか
けてのわずかな期間にすぎません︒こう
した短い期間に多くのものを導入するこ
となど初めから不可能です︒
では︑五四とは何か︑五四の何を継承
し︑何を発展させるかという問題につい
ては︑民主︑科学︑愛国といった価値観
は唱えられても(今日も開幕式では﹁愛
国﹂の価値観がことさらに強調され︑多
くの異論を呼んだばかりです)︑﹁独立の
精神︑自由な思想﹂という︑五四精神の
今一つの重要な側面に言及するものはま
ことに少ない︒しかし︑﹁独立の精神︑自
由な思想﹂とは︑陳寅恪が王国維の自殺
を哀悼する墓碑銘で初めて提起した考え
でした︒陳寅恪も王国維も旧陣営に属し︑
五四新文化運動とは一線を画した思想家
ですが︑だからといって︑彼らのこうし
た発言を五四期の時代精神と見ないの は︑一種の偏見に過ぎません︒問題は誰
が五四陣営に属するのかというセクト問
題ではなく︑五四期に出現したより広範
で普遍的な時代精神は何かということで
なければならない︒だが︑近年ようやく︑
陳寅恪の発言に共鳴する人々が現れてき
たのは喜ばしいことです︒﹁独立の精神︑自由な思想﹂という新し
い基準で︑五四期の思想と思想家を捉え
なおせば︑これまで教科書の中で賞賛さ
れ非難されてきた人物に対する見方が全
く変わってくるでしょう︒民主と科学と
いう五四のスローガンにしても︑それが
スローガンの提示にとどまったのは﹁独
立の精神︑自由な思想﹂の喪失と密接な
関係があります︒五四期に提出されたス
ローガンで今あまり顧みられないものと
しては︑他に﹁個性の解放﹂があります
が︑これもきわめて重要です︒中国伝統
における個性抑圧の問題点が正面から議
論されているからです︒
緒形民主︑科学の実現︒独立の精神︑
自由な思想の完成︒どの面から見ても︑
五四の啓蒙の任務は未完成だということ 8
ですね︒
イデオロギー化された啓蒙精神
王元化そう言う他はありません︒ただ︑
先ほどあなたが言われたように︑今日︑
五四の啓蒙任務を継承すべきなのは当然
ですが︑五四で生まれたある種の啓蒙シ
ンドロームは克服する必要があると思っ
ています︒ここで言う﹁啓蒙シンドロー
ム﹂とは︑人間の理性的能力に過度の信
頼を置く態度を意味します︒人間の覚醒︑
尊厳︑力量が中世の暗黒の時代から人々
を離陸させたことは確かです︒けれども︑
人間の理性を万能と考え︑それを絶対視
してしまえば︑イデオロギー化された啓
蒙精神が生まれるでしょう︒
本当のことを言うと︑この五四啓蒙シ
ンドロームは︑私の精神の中にも肉体化
されています︒というのも︑私はイギリ
スの経験論哲学がどうにも好きになれ
ず︑ヨーロッパ大陸の合理哲学の作品を
愛読してきたわけですが︑それは経験論
哲学の不可知論や懐疑主義が我慢なら ず︑合理哲学の理性万能主義が快かった
からです︒ヒュームとロックはルソーと
は比べものにならず︑ドイツ合理哲学の
中でもカントよりはへーゲルの方がすば
らしいと思っていた︒イデオロギー化さ
れた啓蒙のなせる技ですし︑理性を過信
しすぎていたのです︒
凋今指摘された﹁啓蒙シンドローム﹂
は︑五四期の思想家の作品や論争の中で︑
具体的にどう表れているでしょうか︒そ
して︑それは後の時代にどう影響したで
しょうか︒
五 四時代 の胡適
王一兀化陳独秀が口語文と文語文に関す
る論争を打ち切ると宣言し︑口語文を普
及させることについての異論を一切封じ
たことが︑その一つの指標となるでしょ
う︒
口語文が中国語表現における主流と
なったことが︑五四運動の成果の中で最
も輝かしいものであることは誰も否定し
ないでしょう︒だが︑文語文擁護派の異
論を圧殺したのは︑学術の自由︑表現の
自由という討論の大原則を踏みにじるも
のです︒さらに︑銭玄同は口語文の主張
9‑一 一 「五 四 」と 啓 蒙 の パ ラ ド ッ ク ス