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民 族 の 歴 史

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(1)

進著

民 族 の 歴 史

色=コ

ア イ ヌ

本書は﹁アイヌ衰亡史観﹂や

への開化史観﹂を克服した新たな

アイヌの歴史記述を提起し︑

アイヌを主体とする歴史研究を牽引してき

た榎森進氏がかつて発表した

@

の歴史アイヌの

産史

1

北海道の人びと︹

2

︺﹄

一九八七年)以来︑ニ

O

年の時

を経て新たに提示したアイヌの

一一省堂版は︑北機道アイ

)

ったが︑本書は三省堂版

以来欝模された国内外の膨大な研究成果や最近の研究動向にも目配りが

その内容を盛り込んだ重厚会研究室田となっている︒例えば︑前

σ 〉

で投目されるのは︑北海道アイヌに焦点を絞った三省堂版に 泳 ︑ ︑ 妻 ︑

J J

らサハリン・千島列島までの全アイヌを包括している

ことである︒そして︑北東アジアのなかのアイヌという観点からそンゴ

サハリンの諸民族支配の特

暁朝︑清朝のアム

/

ハリンナイヌに関する諮問題が大きくとりあげられている︒また︑

アイヌとお本近世間山本・和人とのかにおいては︑両者関係の問題

点が一挙ぷ喋出した一七世紀後平のシヤクシヤインの戦いと一八世紀末

のクナシリノ・メナシの戦いの二度のアイヌ峰越に各々一章を割いた記述

がなされているが

特に後者は本書において新たに章

L 1

負制下のアイヌをめぐる諸問題をとり恥げて︑このアイヌ崎却の

意義を論じている︒

一方︑本擦の約半分のれている近代以降の記述では︑

天単一制国家をめぐる国際環境のなかのアイヌという観点からその

FHU 位置づけがぶされてい

( ニ

OO

六)までのアイヌの民

族議権︑権利回復のための関い

て︑現在のアイヌとともに吉本

社会が解決しなければならないている点は三省堂版と異

なる本書の特色となっている︒

文字通りの大著であるため︑紙

の関係で内容のすべことはできない︒以下で各輩ごとの

構成と内容を紹介するが︑特に内容については︑あく求でも国家による

典氏抜﹁支配いの範聞を紹えるものでのあり方という筆者の

拭ないことを予めお断りしておく︒なお︑本稿での本書の内容にかかわ

の表記は︑本稿の性格上

σ 〉

したがっていることも

アイヌを主体とした通史記述において︑

(2)

版以来通底する榎森氏の問題意識がアイヌ蕪別の歴史過程をさぐること

にあることが︑本書を紐解く際の道擦として示されている︒

古代社会とアイヌ民族﹂では︑まず︑考吉学の傾械から前

アイヌ文化と規定されている操文文化(七1北海道1東北地

方北蟻﹀や併行して腕隣したオホ

(

1

一二世紀・サハリン

ー北海道社部︑ツク滋沿岸地方)︑間文化が融合したかたのオホ

ちのトピニタイ文北(形成の時期は九

01

一二世紀か・北海道東

部﹀の特質が説明される︒特に棟文文化については︑選勝発掘事例の僅

ふ く

、 蜘 叩

できないと留謀しつつ︑共同体問(擦文社会と日本

社会)

の交易関係の発展により前代の続縄文文化合

7

よハ世紀・北海道

ー東北地方北部)期の社会から飛躍的に発腕した社会であったとし︑階

‑階級差の発生を推定している︒また︑覆森氏はこうした擦文社

会の特殺のなかに︑実撃は定かでないものの︑八世紀以降の文献ム史料に

あらわれ︑古代田家に朝貢したの動向を想定している︒

その上で︑古代田家と擦文文化を担ったエミシ

民族を指すのではない政治的・文化的観念)

は北方への支

た地域とそれ以外の

によ

︿工︑︑︑シ居住地︒地域的組問は後の郡に相当﹀との聞に明確な地械

的・身分的反別を設け︑安信︑清原︑輿州藤原氏などの豪族を介して

﹁蝦夷村:ェミシの一体的支艶を実現したと説明する︒

O

舵以降︑こうした豪族を介した︑壇家による地域・住人の支配の過程で

ごに

(

念︒以下︑蝦夷と表記)

J

ていったと結論している︒

では︑興州藤原氏の奥羽地方支配﹁夷島﹂とアイヌ民族﹂

を継承した中世田家・鎌倉幕府の

。 〉

方で﹁夷島﹂を国家領職の外としながら︑他方で住人たる蝦夷アイヌ

に対して国家が支配権を獲得していく過殺が説明されている︒また︑北

東アジアのなかのアイヌという視角にもとづいて中間側史料を用いて一

かけた時期のサハリンとアムル川下流域を

舞台としたモンゴル・元朝︑ギリヤ

i

(ニブピ)とサハリンに進出し

た北港道アイヌとの関捺が︑替に抗争の過程を中心に概観されている︒

榎森氏は二一一世紀からの北海道アイヌのサハリンの理由にサハリン

の交易資源︑食糧資源の豊富さをあげ︑こうしたアイヌの背景に

自本社会との交易活動の活発化を掻摘し︑この時期をアイヌの擦文文北

からの脱却期と結論している︒加えて︑アイヌのサハリン進出とギリヤ

ークとの抗争が元朝のアムiル間流域諸民族の反元武装蜂起に直結した

可能性を指捕して︑アイヌの動向は元朝の同地支配の脅戒であったと論

﹁ 第 一 一

一 輩

アイヌ民峡と大陸・日本﹂においては中国・明朝とアイヌ

中堂国家とアイヌの関係が北東アジア史の視角から記述されている︒ま

ず︑織田以来︑東アジア

ι

間封・朝貢隈孫を基軸とする国諜関係秩序を

形成してきた明朝のアムル川流域やサハリンの諸民族支配体制の

が朝貫一鵠誌を含めた諸民挟需交易の発展を捉し︑アイヌの

としての性格をより諜犀なものとしたと述べる︒一方︑中世間家との関

係においては︑室町幕鰐の﹁蝦夷沙汰機構﹂たる安藤氏の﹁蝦夷﹂統轄

(3)

に歪り︑サハリン・北海道アイヌと日本社会との交易 活動

ど︑その交易活動を統轄しようとする安藤氏と

アイそののす才活が大きくなっていったという︒これに加えて︑

t

の動向として︑北奥地方における南部氏 大と安藤氏の

﹁夷畠﹂渡海︑惣領家断絶・再興の過程や蛎崎誌の

﹁夷島﹂支記者への成長の過程を通観して︑これらの過程とアイヌ社会

( J )  

いる︒そして横森氏は︑この段階におけるアイヌ 社会の

コシャマインの戦い

︿︿

アイヌの大規模隣組のあり方合とりあげて のアイヌ社会では日本社会との活発な交易活動を蝶分に

特定の首長舗な指噂者とする︑政治的結合性を持

つつあったことをあげている︒

まず︑近枇田家の成立造

アイヌモシリ﹂

︿慶長田年︿一五九九﹀に蛎附姓から改姓)が豊臣秀吉朱印

︿文禄二年︿一荘九三﹀)と徳川家康黒印状(臨班長九年)

アイヌ交易独占権を公認され︑松前藩が成立し︑

の関採が幕府│松前氏│蝦夷地(アイヌ)とし

そして︑との過程で北海道から本州北端に

ていたアイヌは︑

近世大名権力の成立により蝦夷地(松前氏て

津軽(津軽氏)︑

(南部氏)に分断されるととになったという︒ま た︑榎森氏

‑アイヌと近世田山本との関係は︑対アイヌ交易独ぃ

‑ ‑ ‑ U

権にもとづ

の拝生産講造と密接不可分であったことの

一アンダ・中間︑施刷用│琉球︑対鰐

l

ー蝦夷地︿アイヌ﹀)

( ) 国家の日本型華夷秩序の一環にアイヌを組み込むものであったと述べる︒

アイヌは松前藩を介して近世田家と対峠する関孫に罷か

分的に近世間家に従属した

︑経清的には

﹁化外の民﹂としての

交易絡手︑収奪対象としての﹁蝦夷﹂に位罷づけらることになったので ある︒機森氏は

文献と収韓関係 日本前近代の出家によるアイ は︑古代以来の国家公権による︑中韓思想・紫斑意識︿臨己を文明の中 心として︑周辺出家・異民族全野議視する考え方)を軸とした辺境・異 民挟に対する殻別意識を幕礎としつつ

って最も直接具体的︑

構溜的に成立するに韮ったと指擁する︒

シヤクシャインの戦い﹂

‑ 5 3   ‑

のアイヌ挫起

とされるシヤクシャインの戦い

(

i

一 一 一

︿一六六九

i

)

の竪史的泣置づけが提示される︒まず当時のアイヌ社会については︑

本社会・松前藩との交易関係から搾州流域に形成された集落の首長(共

同体首長)

の政治的・経済的地位が向上し

の首長をも支 配下にした大首長が成長し

が形成され︑

且つ︑これら共同体を中心に もとづいて諸集聞を集約した︑政治的結合性の されていたと説明される︒しかし一面において︑

アイヌ社会の再生産構 造は松前瀦や日本社余との交易に支えられる形態に編成されており︑松 の政治的・経済的関係の濃淡によってアイ

の作動が多機 共同行動が困難になっていたともいう︒

の敗北に

領議氏は時起後の一七世紀末から

アイヌ

(4)

社会の控史過程を︑松前藩によるアイヌ社会の

‑経済的支配の強

ルぬと商場生産力や松前三湊(松前・江差・箱館)

過の発崩を背景に︑議場経営(アイヌ集簿二タン﹀に設定された交易 権を知行として家臣に分配する松前滞の商場知行制にもとづく)がアイ

ヌル}交易主体としたものから商場内で商人の請負による漁場経営を主捧

としたもの︿場所請負制)に変獄︑定着していく過程とみている︒被患

氏の説明に従えば︑シヤクシャインの戦いを都内機として︑アイヌは日本

杜会の交易相手から挽場の下属労働者︑特定の詰負商人(場所︿南場と

同義﹀請負人)

の収奪対象へと変賓し︑共同体は漁場経営の労働力供給

アイヌ社会固脊のあり方は破壊されるととになったといえる︒

ところで︑本章では近世権力

‑盛岡両議)にとって﹁内なる異

である本州(津軽

アイヌについて︑滞政や﹁藩意識﹂と

の関棋の観点から︑支配のあり方︑存夜形態︑‑生業︑和人への編

入などの諸問掘につい

ている︒和人への編入についてみてみ ると︑弘賠藩では説纏や瀦財政の窮乏北︑対口シア関祭の緊張と蝦夷地 警鑑動員を契機とする宝暦六

︿

)

(

O

二度の鰯入政策の動向が述べ

ている︒また︑謹開藩では領内に特有

の問料絡会}﹁蝦夷国て﹁異聞﹂と罰一視されるとして否定し︑

の愚俗や文化の導入が進められたという︒そして実態は しないながら︑こうした﹁滞意識﹂をもとに文北五年以蜂に領内

アイヌの間化が行われたと推定している︒しかし一方でアイヌが

名・姿を和風化させつつ自己の物質・精神文化は幕末に革るまで保持し ていたことが︑北輿の民衆がアイヌ文化を受帯していたことと併せ

て記述されている︒

クナシリ・メナシのい﹂では︑寛政λ年(一七八九﹀

ぴ)

クナシリ・メナシ

アイヌの鰭起について

(国後島・道東地方)

。 〉

けが一ボされている︒まず︑当該地域を含む東蝦夷地東部

のアイヌ社会の特質であるが

のアイヌ社会は近世権力からその白 惇性の強さを認識されており︑松前藩の経持支配実現形態である酪場の 設置︑或は場所講負制への組み込みも他の

比して運く︑

つでも松前藩の政治的支配は貫徹していなかったという︒

し︑シヤクシヤインの戦いと比較して︑この蜂起が大規模なものに至ら ず︑比較的速やかに経怠したことも含めて︑当時のアイヌ社会の状況を︑

松前藩の政治的支配が貫撤してい

では高場ったとはい

知行制や場所繭負棋の拡大をうけ︑

同藩との交易に依存しなければ︑地

の一再生躍が本巧能な状態にあったと説明している︒横森氏の記述

の展開によりアイヌ社会共同体の分断 破壊が進行し︑この

はシヤクシヤインの戦い当時のように︑全

民族的エネルギiを結集した組織的関争が不可能となっていたといえる︒

その他︑本章では松前瀦の蜂記鎮圧行動と口シア南下の情勢下︑鵠租へ

のロシア関与を恐れた幕府の

理のあり方などの過程を通観 した後︑蜂起鎮圧後に連続する外国勢力の接近と幕詩による企蝦夷地ア イヌ社会の近世民家への

でが属望されている︒横森氏誌この をアイヌの和人︑松前藩に対する最後の武装闘争であるとともにアイヌ が全民族的規模で日本富家へ編成されていくこと

の契機であ

ったと位置づけているようにみられる︒

(5)

口シア

。 〉

国家崩壊までの対ロシア問題を中心とする対外危機と近設部家の対外編 成原理の再編過程︑清轄のアム

ル川下流域・サハリン のあり方とサンタン交易の

一九世紀後半ののロシア領化

とサハリンにおける居露国境問題など幅広い問題がとりあヴら

らのもとでのアイヌ

れている︒本稿で

︑近世国家

︿

アイヌの位龍づけについて︑

捜森氏の記述を紹介する︒

近世田家は蝦夷地

HH

︑アイヌ

HH

方で一八世紀末以来の

の現実化への対応で︑そ まで蝦夷地

H

の性格を実効化する政策を展

アイヌ

しかし︑横森氏はこうした政策には自ずと限界があったと述べ る︒そして︑近世田家の

のあり方において蝦夷地・アイヌの位 けに変容があったとはいえ︑その対外綱成原瑚であるお本型華夷秩 序のなかで

﹁異域﹂としての

﹁化外の民いとしてのアイヌの位 置づけは不可欠の作在であったことを指摘している︒

の指摘

辻︑蝦夷地・アイヌの柱置づけの変容が近世国家の性格の変容をも合意 するものであり︑この政棄の変容と臨界に近世国家崩壊の れていたということを示唆しているように思われる︒

近代日本とアイヌ民族﹂では︑まず︑での国

家と蝦夷地・アイヌとの

の樫史的位概づけの相違が

欧米列強の東アジア進出を契機に︑中国冊封体制を斡とする前近

代的な東アジアの世界秩序が崩壊し︑東アジア世界で独自の日本型華夷

秩滞在確立した日本も新たな層際関孫のなかで⁝出家主権を擁立

必饗となり︑結果として近

った︒そのため

し︑そのもとで

の確立が目指されることに なった︒近代国家は国家体制の再編において︑近世国家の蝦夷地・アイ ヌ政策を否定し︑新たな政策を展需することになる︒それが和人地・蝦

の否定︑北海道改称と近代国家の支配領域としての

を結点とする北権道開拓政策である︒

二年︿一八六九二

森誌は鵠拓政壌は近代国家にとって︑中心たる天皇一の威光を訴す

重前刑事業に位盟づけられたと述べる︒そして︑そのためのアイヌ政策と

‑ 5 5  

の一戸籍法公布じよるアイヌの田家への編入と創氏の

アイヌ

﹁野蛮﹂視と禁止を通じて︑和人への同化強制が

たという︒その一方で︑近代国家は戸籍簿作成段階からアイヌを和人と

呼称を用いるようになる︒また︑開拓政策の

、ム

1 μ  

の麓止

は同九年

﹁地所規則﹂(間五年

(

) 行するが︑捜操氏はこうした

してアイヌの生活・

。 〉

の狩猟・池山業権を奪うことになったと指摘する︒さらに︑

の嘩太・千島交換条約により幕末以来の懸案であった口シアとの

国境問同題は解決するが︑これを契機にサハ

(明治八年)・千島

両地域居住のアイヌの

のアイヌ強制移住と アイヌの先住権は奪われていくことになった︒この して︑榎森氏はアイヌ

すなわち︑

(6)

O

法﹂を都内機とする和人への大規模な土地払下げ︑熊野開放により明治二

︒年代以降︑和人移住民が急増して内緒部開発が進み︑アイヌ生活麗の

維持が脅かおれ︑和人との接触による怯染病流行とも棺挨ってアイヌの 生活破壊が進行していくのである︒榎森氏はこうした近代国家のアイヌ 政策を民族の生活様式や文化的長続を無視した一方的なものと規定して いる︒近代思家はアイヌを﹁

L帝国ノ臣民﹂と位置づけたが︑その現実の

政策は和人のアイヌ差別観を助長していくものであったことが理解でき る ︒

﹁北端道泊土人保護法﹂とアイヌ解放溜動﹂

榎森氏の

﹁北溜道出土人採護法﹂

保磯法と表記)

に対する評価

が一本される︒保護法は明治三二年︑租人と同じ

︿

一搬に仁撃を施す)と

いう﹁叡協同﹂︑﹁聖言﹂にそって﹁救済﹂することを隠的に制定されたの

横森氏は様護法について︑アイヌにとって当時︑懸案となっていた土地︑

捜産︑教務︑罷療︑教育︑共有財政管理などの解決にむけて一定の方策

を示したもの

しかし︑保護法鰯定の背殺に当時の日本が抱え ていた条約改正早期解決のために歌米列強と対等な

の体裁を

ポす必要性があったことを認めつつ︑捜森氏はこの法律の現実としての

璽史的役割について︑アイヌ合強制的に農耕民化し︑一方で差別問頼じ

何ら触れず︑

むしろ悲別を播強するかたちをとりながら︑

目的の

済﹂とはほど遠い︑

アイヌの皇民化︑臨民化教育を進めるものであった

と説明する︒そしてその本質を︑

アイヌの民族的情性を全語否定し︑人

擦を無視して日本社会への

天皇制国家への忠誠を強要する以外の なにものでもないものだと断じるのである︒その上で︑榎謀託の視点は

アイヌ自身の艶別克服の関いにむけられる︒

M m

開館戦争(明治二

1

二八年)に際して︑告らを﹁帝国ノ臣民﹂に位置づけ和人への開化 を進め︑兵役などの国家に対する義務合犠緒的に果たそうとするアイヌ の姿が紹介されるが︑こうしたアイヌの姿勢は富家によってアイヌの息

民精神・天巣制国家への怠誠心掛養︑

アイヌの忠君愛田教育に

利用されたと指摘する︒しかし︑大正期になると皇民位︑臣民化政策の もとでアイヌ小学校での和人間等の教育を要求し︑戒は︑長い差別や抑 圧と間牝政策のもとで忘れられつつあった民捺の総統文化を守り育てよ うとする人々の活動があらわれ︑昭和初期にかけた時期には人権意識の 高揚にあわせてアイヌ自らがアイヌ楚別に対する批判を展開するように なったという︒加えてアイヌによる全道組織の北海道アイヌ協会設立

︿

︿

O

﹀﹀︑全道アイヌ青年大会開催(馬六年﹀︑

文アイヌの土地瀧還要求運動︑保護法改廃運動(同八

1

九年)などが詳

細に詔介されている︒

アジア・太平洋戦争期には天巣︑国家への忠誠者

強獲され︑政治的︑J

も戦争に動員されていったが︑棲森氏吋昭和初期の運動を明治以降のア

イヌの歴史の一つの酉期となる議要な時期と位置づけている︒

O

立ち上がるアイヌ

i

綿

では︑戦後も依黙として存 在する和人からの悲別をうけながら戦後民主主義の社会動向会背景とし た︑例えば︑昭和二一年に創立怠れた社盟法人北海道アイヌ協会を中心 とする権利獲得を

E

指した諸活動や国政選挙への立候補などのアイヌの

(7)

ている︒ところが他方でアイヌヘ

が根強く存在する要加として︑機森氏は戦後の民意意識改革がアメヲカ

の対日政策不十分であったこととともに織法に先住少数民践に

かかわる条項がなく︑民主主義罷家建設の理念にアイヌに関する祖点が

欠吋ていたている︒このことは本軍でも紹介与れているア

イヌの﹁北海道百年﹂記念事業︑和人の地域﹁開幕﹂意

ているといえよう︒またアイヌをとりあげるマスコミ

もアイヌを﹁アイヌ系

E本人﹂︑﹁アイヌ系住民﹂と報道し︑北海道にお

ける和人人

アイヌの和人同化が進み︑純粋なアイヌは

もういないとのり︑民族としての認知がなされないなどの現

象もあらわれてきたという︒棲森氏はこうしたことに関連して昭和三六

イヌ協会を改称して発足した社団法人北語道ウタ

の荊韻が一取すように自身をアイヌと自称できないほ

どアイヌに対する態別意識が強闘であったことを指摘している︒しかし︑

w

の解放を目指した多様な活動が活発叱する︒楼

森氏は数多くているが︑特に八

0

年代の﹁アイヌ新法﹂

制定を

E

指したは多くの頁を費やしている︒そして︑この運動の

は部滞差別問題にかかわ

特別措霊法ののある基本法が存在しなかったことやア

イヌ自身による議外先住民族実態調査報告を通じた民族としての自覚︑

の権利にかかわる問題意識が高揚するなかで

おいても自国に少数民族は存在しないとの立場をとっ

ていることなどをあげている︒特に最後の問題についての説明は詳しい︒ こうしたことの上に昭和五九年︑北権道ウタリ協会がおけるアイ

ヌの帯在の認知︑民族の誇りの噂盤︑アイヌの保揮を基本として︑

入額譲別の一婦︑民峡教育と文化の振興︑経済自立

る﹁アイヌ民族に関する法律(案ごと

療止要

求を決議し︑以後に属関される政府︑作政機関などへ

やシンポジウム︑文化活動を通じての啓毅活動など︑アイヌの民挟彼雛

いの様を描いている︒そして︑

︿

)

﹁アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発

に関する法律﹂︿以下︑﹁アイヌ文化被興法﹂と表記﹀

保護法は興止されることになった︒しかし︑棲木林氏はアイヌの先住権を

アイヌの差別撤廃や生活基盤を保証する条項を持たない同法

‑ 57 

を︑アイヌが求めてきた﹁アイヌ新法﹂の内容と著しく内容を異にし︑

アイヌ文化振興のみを調ったものと厳しく批判する︒今後︑罰法を基本

として和人のアイヌ文化への理解が進むであろう︒しかし︑榎奈氏も述

べるようにアイヌの最も強く望むアイヌ差別撤廃などの

ていない憾は苦めない︒

0) 

﹁ エ

r

!

て現在のアイ

O

章での

ヌが拙える諸問題について槻森民が考える課題が提起される︒それは︑

イヌが求めてきた本来的な﹁アイヌ新法い

の権利に関する悶際的動向な背殻に臨に対してアイヌを先住

して︑先住権を認めさせる漉動の必要性︒

ヌを対象とする組織︑間体設立の必要性︒のアイヌ子弟の教脊向

上のための奨学金制度確立の必要性︒

φ

アイのための人権教

(8)

育強化︑差別別問題解決施策実施の窓口開設(ともに全国規模で)の必嬰

吋アイヌ文化振興法﹂により設置された﹁アイヌ文化振興財団﹂

支給の檎助金を︑文化振興の趣旨にそった活動を行っているアイヌへの

生活経費を合めた補肋金として改善していくことの必要性︑というもの

である︒榎森氏はこれらの課題を国民全体の課題として正しく理解する

ことの必要性を説いている︒

ここまで︑横森託の問題意識に導かれつつ︑筆者ののままに本書

の内容を長々と紹介してきた︒以下︑前近代と近代以降の各々の記述に

聞出して︑若干の口メントを付して拙文を終えたい︒

榎森氏の記述する前近代のアイヌ差別の歴史通起を簡略化すると次の

ようにいえるであろう︒アイヌの人種・民族呼称の

日本史の各段階の国家公権と北海道・東北地方の関孫に規定されてきた︒

古代の

であり︑世正ミシ﹂観念は一苅来︑奥羽地方の

界の中心たる自己の周辺異民族を蔑視した中華思悲ζもとづいたもので

あった︒しかし︑これは特定の異民族を指すものではない︑多分に政治

的・文化的観

A急であった︒﹂やがて︑古代国家の北方への勢力伸張により

の呼称が

ご ム 一

︑ ︑ ソ

へと変化し︑地域的にも本州北場︑北端道

‑千島へ移行し︑その観念も浄機観念と結びついてより強烈な差別意識

となった︒しかも地域観念のい︑中世には異筑族としてのアイ

ヌを指す人識的観念の色彩が明確となった︒そして近世には人種・民族

呼称として定馨し︑近世国家の対外編成原理や日本社会との経済隈係の

アイヌ麓別が固定牝されていくことになった︒

こうした理解にもとづいて﹁差別﹂について考えさせられたのは︑国

家と異民族というレベルでの前近代のアイヌ差別とは一七世結後半段階

(シヤクシヤインの戦い段踏)までは︑斑視に加えて県知と脅裁を伴う

観念的差別であって︑実態としては蔑視を合んだ︑

{

﹁ 差

異﹂化にとどまるものではなかったかということである︒

話近代の田家と蝦夷地アイヌ社会の関孫をめぐっては︑﹁支配﹂とい

う用語で表現されるが︑筆者はこの用語を文字通りの意味で使い得てい

ない︒特に近世において︑両者間関係にあるの場所請負

アイヌの経清的従属性であり︑政治的に近世権力(松前審﹀

に蝦夷地アイヌ社会が﹁支配﹂されたとする何らかの根拠(支配原理に

せるための権力による実効性のある強制力﹀を見出せていないから

である︒確かに蝦夷地アイヌ社会の経済的従屡性の場所における

民間レベルでの暴力と差別意識は強烈なものがあり︑アイヌへの近世権

カに対する目晃強制などの政治的支配儀礼も整繍されていた︒

民間レベルでの暴力によるアイヌの労働の強制は銅山家権力の支配原理に

もとづいた政治﹁支配﹂から制度化されたものではなく︑あくまで︑経

済的従崩性を維持するためのものであったとみられる︒また︑後者は実

態としては観念的なのものであったと思われの強制力︑戒は軍

事力も合めて︑それらをアイヌ社会が実際の脅威や支配議礼と認識して

いたかも定かではない︒そして︑近世国家のアイヌ政治﹁支配﹂

務に委任されるものであったが︑榎森氏も述べているように一八世紀末

においても東蝦夷地東部地方では自律性が保たれており︑この段階で蝦

夷地全域に国家権力による政治﹁支配﹂は貫徹し得ていなかったのであ

る︒真の意味での﹁支配﹂とは経済的議開属性︑だけではそれたり得ず︑そ

(9)

れとともに何らかの強縦力合伴う政治﹁支配﹂が繋徹したときに用語と して成立するものではないのだろうか︒加えて︑出家による典民族﹁楚

が成立し︑畏怖や 脅威といった観念が完全に払拭された段階で実態化するものではないの だろうか︒その意味で

の国家によるアイヌ﹁支配﹂は実効性︑

地域牲ともにシヤクシャインの戦い︑

クナシリ・メナシの戦いの 贈を経満して段階的

ι

浸透し

の幕府による直轄化によって 実態位されるのではないかと思われる︒そして︑国家によるアイヌ﹁差

浸透とともに真の

﹁差別﹂に変容し

の実態化によって されたのだと患われるのである︒

ところで︑本稿の普頭で本書の大きな特色に︑現在までに至るアイヌ

ている点をあげた︒本書で榎森氏は膨大な資史料を

て︑近世後期以降の︑一出家政策をうけたアイヌ社会の変容 と歴史的事在としてのアイヌ

いている︒そのため

に第九

(

)

O

民族復権の

社会的問題︑関いの

して記述されているとい える︒また︑こうした記述にはアイヌの壁史的主体性を重視して︑

までの

道内市町村へのアイヌによるアイヌ問題の働きかけ とそれへの

アイ

その歴史的過報か

らの働きかけをうける側に批判的にとりあげるという意図︑が窺える︒こ こに﹁アイヌ衰亡史観﹂や﹁和人への

を克服した新たなアイ ヌの歴史記述を提起してきた榎森氏の近現代通史記述の方法論が機ポさ

れているといえる︒

アイヌ差別の臆史過程をさぐるという問題意識を前

慌にしているため︑アイヌの民嫉彼権や権利杓護得の課題︑差別問題がと

りあげられるの

のことである︒ただ︑﹁アイヌ諜亡史観﹂や

人への同化史観﹂

くなされたアイヌの近現代史記述が政治的

‑社会的問題︑関いの歴史の文脈にやや傾いているように感じられるこ とには︑読者のアイヌ理解を表面的なもの

るのではとの危慎を持た ざるを得ない

北海道関妬や北海道を国家の存立・国益・防衛にかかわ る地とする出門家至上主義的思考様式の上に立案されたアイヌ政策を批判 的に記泊するのはともかくとして︑大正

敗戦後から現在まで のアイヌの捗みを政治的*社会的問贈や援別克服の細いの歴史に集約し

て記述することは︑

アイヌの近現代史上での位置づけを却って

‑ 59 

‑社会的に差別される民族﹂に固定化すること

ι

なりはしないだろうか︒

アイヌに関する政治的・社会的な問題や差別との闘いの歴史に加えて そうした問題の土壌であるアイヌの歴史的要素としてのアイヌ文化や現 在においても状在する民候固有の文化世界

の流れなど︑

な視角からの近現代史記述が和人の意識

ι

アイヌ観の克服︑

より豊かなアイヌ畿の創造に作用し︑

日本社会における民族の 着させることぷつながっていくのではないかと思われるのである︒

もとよりここ

けられた問題提起に対す ことは榎森氏 る自分なりの

の結果に過ぎない

c

残念ながら︑筆者自身の浅学非才

のため

のことを記した憾があり︑誤読・誤解を含めて覆森

氏の意川仰を充分に汲み取れたかい限りである︒この点︑

槻森氏や読者諸氏にお詑ぴ申し上げる︒

(10)

本書は将来にわたって長く読み継がれる古典となるであろう︒特に前

近代において文献史料を遣さなかったアイヌの踏史を︑アイヌを主体と

して描くことは方法論としても国難が伴うものぜある︒その状況で古代

から現在までのアイヌの通史を︑現在までに蓄描領された研究の水準を反

映しつつ物された榎森誌に凍く敬意を表したい︒

最後に希望をつだけ述べさせてもらえるなら︑本書で横森氏が道

を開いたアイヌを主棒とした通史記述が発牒し︑今後︑多くの成果が欝

概されていくことを期待したい

︿A 版︑六七五賀︑草風館︑5

OO

七年本体髄格三八

OO

)

(いちげ・もとゆき弘前市岩木総合支所総務課町史緬さん抱当嘱託員)

参照

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