地域」の視座から考える―
著者 小口 広太
雑誌名 PRIME = プライム
巻 38
ページ 37‑50
発行年 2015‑03‑31
その他のタイトル Organic Farming in Japan: Past, Present, and Future ‑ Reconsideration from the Perspective of Community Building
URL http://hdl.handle.net/10723/2486
はじめに
日本の有機農業(1)は、生産者と消費者の関係 性を重視した地道な取り組みの積み重ねによって 社会的な広がりを形成してきた。2006年12月には、
有機農業推進法(以下、「推進法」と略す)が成 立し、さらなる発展が期待されている。
本稿では、前半にこれまでの研究や現場からの 報告をもとに、有機農業の展開過程を振り返り、
「推進法」を機に新たなステージとして位置づけ られた「地域に広がる有機農業」までの現段階を 整理する。後半は「暮らし」の場である「地域」
の視座から改めて有機農業の課題を検討し、今後 の展望を描きたい。
1.有機農業が誕生した背景
(1)高度経済成長と農業の近代化
戦後の食糧不足は農地改革や食糧増産政策、食 糧援助によって改善に向かい、経済は朝鮮戦争に よる特需景気を受けて戦前の水準まで回復した。
その後、重化学工業を中心に設備投資が開始さ れ、高度経済成長は1955年から第一次オイル ショックが起こる1973年まで続いた。
農業分野も順調に回復の兆しを見せたが、徐々 に食糧需要の伸びは鈍化し、工業分野は農業分野
を上回るテンポで成長を遂げていった。そのた め、農業従事者と他産業従事者間の生活水準・所 得格差は拡大し、1957年の「農林白書」では、格 差問題の根源が日本農業の生産性の低さにあると 指摘された。
1961年6月には、農業基本法が成立した。政策 理念として、他産業との生産性の格差を是正する ため、農業の生産性向上、農業従事者の所得増大 が掲げられた。ひとつの産業として自立できる農 業を育成するには生産性の向上が必要であり、そ の中心的政策が「構造改善」と「選択的拡大」で あった(2)。
1)構造改善
1947年から1950年にかけて
GHQ
の指令によっ て行われた農地改革は、地主制を解体し、自作農 体制を創出した。当時の農村には、平均耕地面積 1haほどの小規模農家が約600万戸もおり、次男、三男、女子を中心に多くの過剰人口が滞留してい た。生産性の向上には、そのような過剰人口を減 らし、労働生産性の向上と零細性の克服が不可欠 であった。
構造改善では、小規模・零細から大規模化を図 り、「機械化」「化学化」「施設化」にもとづく革 新的農業技術の導入によって効率的な農業経営体 の育成を目指した。裏を返すと、「所得倍増計画」
を打ち出した池田勇人内閣(当時)が農林漁業就 論 文特集1:地球市民と平和
有機農業のこれまで・いま・これから
─改めて「地域」の視座から考える─
小 口 広 太
(日本農業経営大学校)
業人口を削減していく姿勢を取っていたように、
高度経済成長に必要な低賃金の労働力を農村から 引き出す離農政策であった。
2)選択的拡大
選択的拡大は、国内外の農産物需給への対応で ある。ひとつは戦後、米国の余剰農産物戦略に よって輸入が急増した小麦やトウモロコシなどの 穀物類と競合する農産物はつくらないこと、もう ひとつは農業労働力の都市への大移動によって肥 大化した都市の消費人口を養うため、安い農産物 を大量に供給できるよう国内の生産体制を再編す ることであった。この2つの選択は表裏一体の関 係にあり、その目的は高度経済成長に必要な工業 製品の輸出促進の犠牲として、農産物の輸入を進 める国際分業にあった。
選択的拡大では、有畜複合・少量多品目の自給 作物から水稲、野菜、果樹、酪農、畜産の専業と いう「専作化」によって「大型産地」の形成を進 めた(3)。そのため、日本農業は全国流通を前提 とした「大量生産─大量消費型」の商品生産シス テムへと再編され、生産者と消費者、都市と農村 の乖離が進んだ。
(2)歪む生産と消費の現場
一般市場流通で評価される外観が良く、規格も 揃った交換価値の高い農産物を大量生産しなけれ ばならなくなった農家は、農薬や化学肥料(4)、 大型機械の導入など、部分的技術を複合的に組み 合わせて対応した(5)。
一方で、消費者は市場流通に溢れる農薬に汚染 された食品を選択せざるを得ず、食品公害は社会 問題となった。また、ポスト・ハーベスト農薬(6)
の使用を不可欠とする輸入農産物への依存によっ て食の安全はますます脅かされた(7)。
2.成立期(1970年代~1980年代前半)
(1)有機農業に取り組んだ動機
有機農業の歴史は、自然農法の取り組みを含め ると70年にも及ぶ。福岡正信は、1947年から「無 農薬」「無肥料」「不耕起」「無除草」という原則 のもと、播種と収穫以外の人間の関与を排除し、
より自然な状態を維持する自然農法を実践した。
世界救世教の創始者である岡田茂吉は、土(自然)
を最大限に尊重し、清浄な土の威力を発揮すると いう考えにもとづき、1935年から無農薬・無肥料 栽培を開始し、1950年に自然農法を提唱した。
また、1950年代から1960年代前半は、農地改革 や食糧増産政策によって農家の意識が高揚した時 期でもあり、自給肥料の増投や有畜化が進展し、
自分の手で新しい農業を実現していこうと、意欲 と希望に満ちていた(8)。
このように、地力の低下を防ぎ、生態系を重視 する農法が展開するなか、強毒性の農薬が普及す ると、農薬被害からの自衛、安全な食べものの入 手を動機に、有機農業を始める農家が現れ始め た。
その後、安全な食べものを求める消費者との出 会いや環境破壊の防止、伝統的農法の継承、雑誌 や本、勉強会による学習、反公害・反開発運動か らの派生(9)、農産物自給運動(10)、脱都会派によ る取り組み(11)など、様々な動機から有機農業の 広がりが形成された。
(2)日本有機農業研究会(13)の発足
人体被害や食品汚染、環境破壊など、農業の近 代化がもたらす “ 負 ” の影響が大きくなるなか、
1971年10月、一樂照雄の提唱によって「有機農業 研究会(1976年に日本有機農業研究会と改称。以 下、「日有研」と略す)」が創立された(14)。
有機農業という言葉が用いられたのは、このと きが最初である。日本酪農の父と称される黒澤酉
蔵のもとを訪ねた一樂は、野幌機農学校(現在の 酪農学園大学)の由来であり、黒澤が漢詩をもと につくった「天地有機」という言葉にヒントを得 て「有機」を用いた(15)。また、一樂は欧米にお いてかねてから提唱されていた「Organic Gardening
and Farming」にも大きな影響を受けた
(16)。有機の「機」とは、「しくみ」という意味であり、
天地有機は「自然のしくみを活かす」と言い表す ことができる。
したがって、有機農業とは、農業の近代化に よって失われた「循環」や「多様性」といった農 業と自然との関係性を修復していくプロセスにお いて、自然の条件と力を農業に活かし、植物が植 物自身の生命力で健康的に生きていくことをサ ポートする取り組みである(17)。
(3)食べものをつうじた都市と農村の連帯 1)産消提携の始まり
有機農業が始まった当初の有機農産物は、技術 的な未成熟もあり、規格や外観を重視する一般市 場流通では正当な評価を受けなかった。生産者が そのような流通に依存できなかったため、消費者 も有機農産物を入手できない状況に置かれてい た。
このような背景のもと、1970年代初頭から生産 者が消費者に直接農産物を届ける「産消提携(以 下、「提携」と略す)」の取り組みが全国各地で自 然発生的に生まれた(18)。これは新たな流通シス テムの創造である。
生産者は農業の近代化によって解体された自給 の意味を再度確かめ、「有機無農薬」「少量多品目」
「有畜複合」による豊かな「自給」を実現し、そ の延長線上に消費者の食卓を置くという考えのも と、「提携」に取り組んだ(19)。消費者は届けられ た農産物を創意工夫しながら料理し、旬と季節を 大切にした食生活を心掛けた。
生産者と消費者の「生活の見直し」にもとづく
「提携」は、顔と顔が見える「関係性」を重視し ている。消費者は生産者の生活保障や生産コスト を基準に再生産可能な価格で代金を支払ったが、
そのような買い支えは「人間的な交流」によって 実現した。
「提携」では、栽培計画や出荷数量、価格を決 定する意見交換会、より良い社会に向けた価値観 の共有を図る学習活動、配送時の交流、手紙や ニュースレターの同封、収穫祭や現地見学会、援 農(縁農)など、交流の機会が多く設けられた。
このように、有機農業は単に生産技術の個別問 題を解決するのではなく、「提携」という具体的 な実践をつうじて、農業を「生産(つくり方)─
流通(運び方、分け方)─消費(食べ方)」とい う「社会関係」として捉え直し、そのプロセスを トータルに創造することを目指した(20)。
2)産消提携の広がりと深化
1974年10月から作家の有吉佐和子が朝日新聞で 連載を開始した『複合汚染』は、農業の近代化が 与えた食べものや環境、人体への影響について入 念に取材をした作品である。そのなかで有吉は、
当時、世間的にほとんど知られていなかった有機 農業の取り組みについても丁寧に描いた。
『複合汚染』の連載は、生産者にとっては消費 者に安全な食べものを供給すること、消費者に とっては生産者との直接的なつながりを創り、
「提携」運動へと自らの実践を発展させていく きっかけを与えた。
「提携」は1970年代後半から1980年代前半にか けて高揚を見せ、単なる安全な食べものの共同購 入という枠を超え、生活や農業経営のあり方、さ らには地域社会を変革する作用をもった運動とし て質的な深化を獲得していった(21)。
3.混迷期(1980年代後半~2000年代)
(1)多様化する有機農産物の流通
1960〜70年代は食品公害や環境破壊、1980年代 は輸入農産物の危険性やチェルノブイリ原発事故 の発生、1996年には米国で遺伝子組み換え作物の 商業栽培が始まり、日本にも輸入されるように なった。2000年代に入ると、数々の食品偽装事件 が食の安全を揺るがし、消費者の健康・安全志向 は年々高まりを見せている。
当初、市場流通のほとんどを慣行栽培による農 産物が占めていたため、「提携」は必然的な取引 手法であった。その後、生産者が増加し、有機農 産物への関心が高まる一方で、「提携」に取り組 むグループが近くに存在しない、生産者との出会 いがない、逆に生産者も消費者を見つけることが できないという事態が起こった。
1970年代後半になると、有機農産物を専門に扱 う流通事業体や八百屋、自然食品店などが活動を 開始した。1980年代以降は、デパートやスーパー といった小売店や量販店でも有機農産物の取り扱 いが一般化し、積極的に有機農産物の産地開発を 進める卸売業者や仲卸業者も現れた。
このように、有機農産物の流通は、関心を寄せ る広範な消費者層を吸収しながら多様化していっ た。
(2)産消提携の停滞
「提携」は生産者と消費者が話し合いの場をも ち、価格や数量を決定するだけでなく、生産者は 農産物を運び、消費者はそれらを受け取り、世帯 ごとに分け、ようやく食べることができた。また、
前述したとおり、交流の機会も多く設けられた。
生産と消費をつなぐ作業を相互に負担すること によってようやく成立した「提携」は、ボラン ティア労働や義務的な共同作業に多くの時間が割
かれ、とりわけ、消費者側はそのような時間と場 所を共有できる専業主婦の力に追うところが大き かった。そのため、女性の就労機会の増加や社会 活動への参加など、社会環境の変化に伴って生じ た専業主婦層の相対的減少は、「提携」の前提条 件を崩した(22)。
有機農産物の流通の多様化は、単に安全な食べ ものを求める消費者にとって、「提携」を放棄し たくなるような魅力的な条件が揃っていたことは 想像に難くない。つまり、個別宅配システムや小 売などは、「提携」に要した煩雑さや時間と場所 の共有を一切排し、消費者の多様な生活スタイル に合わせた有機農産物へのアクセスを可能にした(23)。
一方で、「提携」は1980年代後半以降、消費者 グループ数の減少もさることながら、消費者グ ループ会員の高齢化や世代間ギャップに伴い、会 員数が減少している。担い手の世代交代と新陳代 謝が進まない「提携」は現在、厳しい局面を強い られており、そのシステムの見直しが迫られてい る。
(3)有機 JAS 制度の開始
ただし、有機農産物の流通の多様化は、それに 関わる事業主体の複雑化を招き、「有機栽培」「減 農薬」「低農薬」「微生物農法」など、有機農産物 を表すと思われる表示とまがいものの氾濫を引き 起こした。
不特定多数を相手にする一般市場流通におい て、消費者は表示を頼りに商品を選ぶ。そのため、
主に流通と消費の側から有機農産物と証明できる 栽培基準と表示を求める動きが起こった。
1999年7月、「コーデックス有機食品ガイドラ イン」が国際基準として採択された。農林水産省 はその合意に合わせて、「農林物資の規格化及び 品質表示の適正化に関する法律」の一部を改定 し、2000年1月に「有機農産物と有機農産物加工 食品の日本農林規格(有機
JAS
規格)」を制定した。
2001年4月から有機
JAS
制度の運用が開始さ れ(24)、10年以上が経過した。国内の農産物総生 産 量(25)に 占 め る 有 機JAS
格 付 け 数 量(26)は、2001年度の0.10%から2007年度の0.19%まで増加 傾向にあったが、その後、微増減を繰り返し、
2012年度は0.24%にとどまっている(27)。また、有 機
JAS
認定農家数は2008年に3,830戸あり、その 後少しずつ伸びたが、2012年には3,837戸にとど まっている。なお、有機JAS
を取得していない 有機農家の大半が今後も取得する予定はないと考 えている(28)。有機
JAS
制度が伸び悩んでいる要因として、認定申請手数料、交通費や宿泊費等を含めた実地 検査費用、講習会受講費用などの経済的コストだ けでなく、認定基準をクリアするための様々なコ ストも負担しなければならないことが挙げられる(29)。
一方、消費者側から見ると、有機
JAS
認定を 受けた農産物以外にも、多種多様なこだわりの農 産物を入手できるようになったため、そのプレミ アム感に陰りが見え、需要の高まりにはつながっ ていない(30)。4.転換期(2000年代~現在)
(1)有機農業推進法の成立
2000年代に入り、グローバル化という大きな時 代の流れのなか、自由貿易の推進と多国籍企業に よる農と食の支配が着々と進む一方で、日本農政 は戦後から続く小規模農家の切り捨て、農地集積 による経営規模拡大化路線をこれまでと変わらず 続けている。
そのような現状に対して、有機農業が明るい展 望を描けているのかというとそうではない。「提 携」の停滞や有機
JAS
制度の現状を見る限り、有機農業の取り組みもまた閉塞感に包まれてい る。
2005年6月、日本農業と有機農業が置かれてい る厳しい現状を背景に、「農を変えたい!全国運 動」が恒常的な運動体として組織され、自給を高 め、環境を守り育てる日本農業の再構築に向けて 取り組みを開始した。
時を同じくして、2004年に超党派で設立された 有機農業推進議員連盟は、日本有機農業学会が作 成した試案をたたき台に議論を重ね、「推進法」
の準備を進めていた。民間側も「推進法」を支持 し、有機農家、自然農法の実践者、流通事業体、
研究者など、これまで縦割り的に取り組みを展開 していた有機農業関係者が「農を変えたい!全国 運動」の取り組みと連動しながらネットワークを 組織した(31)。
このような動きのなか、2006年12月に「推進法」
が成立し、2007年4月には「有機農業の推進に関 する基本的な方針」が公表された(32)。これまで の有機農業に関する法制度は、有機
JAS
認定に よる有機農産物の表示規制のみであったが、「推 進法」の成立によって有機農業を振興する体制が ようやく整った。「推進法」は、環境への負荷をできる限り低減 する農業生産の方法を目的とした法律であり、有 機農業を有機
JAS
制度にもとづく有機農産物の 表示が可能な取り組みに限定するのではなく、そ の対象を広く捉えている。(2)地域に広がる有機農業
2008年度からは「有機農業総合支援対策」が始 まった。そのなかで注目すべき事業が「有機農業 モデルタウン事業(33)」であり、「地域に広がる有 機農業」の構築が目指された(34)。これを機に、
有機農家が中心となって行政や農協、農業者グ ループ、消費者グループなどが参加する「有機農 業推進(有機の里づくり)協議会」が全国各地で 組織された。
このようにして、日本の有機農業は地域から取
り組みを積み重ね、広げていく新たなステージへ と移行した。
5.「地域」の視座から見た有機農業
(1)有機農業の広がり方 1)コンフリクトを生む有機農業
改めて「地域」の視座から有機農業の取り組み をみると、それは古くて新しい課題といえる。ベ テラン有機農家は、「異端児だった」「変わり者扱 いされた」と異口同音に語り、なかには、「村八 分のような扱いだった」と当時を振り返る人もい る。多くの地域において、長らく有機農家の孤軍 奮闘が続いていた。
戦前、戦後すぐの頃、“ 当たり前 ” の農業であっ た有機農業は、農業の近代化のもとで絶対的少数 派となった。有機農業の性格は、その成り立ちを 見てもわかるとおり、農業の近代化とそれを支え た体制に対する根底的な否定から始まっており、
それは戦後農政に対する社会的挑戦であった。
また、有機農家は周囲の慣行農家から「有機農 業だから害虫が多く発生する」など、根拠のない 言いがかりをつけられ、有機農業に理解を示す行 政や農協もほとんどなかった(35)。このことは、
後述する新規参入者にとっても同様で、“ よそ者 ” であるばかりか、有機農業を選択することで地域 からの理解が得にくかった。
このように、異質性を伴う有機農業は、均質的 な農村社会のなかで際立ち、コンフリクトを生む ほどのインパクトを与えた(36)。とりわけ、農薬 空中散布のような共同性を求める取り組みへの抵 抗は、時に提携する消費者グループの抗議も伴 い、有機農家と地域や慣行農家との間で緊張関係 を引き起こした(37)。
2)ネットワークで広がる有機農業
当時の状況を踏まえ、「地域」の視座から見た
ときに浮き彫りとなる有機農業の特徴は、地域を 超えた「ネットワーク」の構築にある。“ そうせ ざるを得なかった ” という面もあるだろうが、そ のような消極的な動機付けだけではなく、積極的 な動機付けとして、有機農業の価値を共有する 人々とのネットワークをつうじた活動を展開し た。例えば、「提携」の相手は都市部の消費者グ ループが多く、さらにゴルフ場や原子力発電所な どの巨大開発に反対する人々や団体とも共鳴し合 い、つながりを深めていった(38)。
有機農業の全国的拠点となったのが「日有研」
であり、有機農家は各県や市町村レベルでも「有 機農業研究会」を組織し、仲間づくりや情報共有、
技術開発などを進めた。現在もネットワークをつ うじた活動が活発に取り組まれているが(39)、一 農家であってもソーシャル・ネットワーキング・
サービス(SNS)などを用いて積極的に情報を発 信している(40)。
3)地域へ回帰する有機農業
有機農業の取り組みが地域で孤立していた一方 で、徐々に地域へ回帰する動きも生まれた。農業 経営の維持がますます難しくなった1980年代後半 以降、価格保障という経済的動機付けを背景に、
有機農業は高付加価値を生む農業として注目さ れ、転換参入(41)の動きが見られるようになった(42)。
消費者側も同様である。例えば、第一次オイル ショックを機に、有機農業の理念のなかに「地域 内提携」「地産地消」「地域自給」という視点が 入った(43)。現在も、多くの有機農家が地域に根 差した取り組みを展開し、同時に地域外にも多角 的な販路や交流のネットワークを構築しながら農 業経営を発展させている。
(2)誰が有機農業を担うのか 1)在村慣行農家の転換参入
地域農業の担い手は有機農家だけではない。そ
こには圧倒的多数を占める在村慣行農家がおり、
その支持なしに有機農業の地域的広がりは獲得で きない。
慣行農家からの有機農業への関心は高く、技術 や販路といった農業経営面の参入障壁が課題とし て指摘され(44)、農水省が2014年4月に策定した 新たな「有機農業の推進に関する基本方針」では、
新規参入とともに転換参入への支援が明記され た。
技術面をみると、資材などへの過度な「外部依 存型」から、身近な資源を活用した土づくりと循 環にもとづく「自然共生型」への転換が求められ る。それは1、2年で解決できるようなことでは なく、生態系の安定は長い年月の積み重ねによっ てつくられる。そのため、農家はそのような不安 定な期間を含め、生態系がだんだん良くなってい くプロセスを支える安定的かつ再生産可能な価格 の販路を確保しなければならない。
このような障壁に対し、農家独自の対応もさる ことながら、これまで有機農家の間で蓄積されて きた技術や販路、ネットワーク、情報などを慣行 農家とも共有し、地域に内部化していく取り組み も必要となる。
「推進法」を機に、各地で整備されつつある有 機農業の推進体制には、その構成員として在村慣 行農家も参加している。こうした機会をうまく活 用し、勉強会やシンポジウムの開催、有機農家の 圃場見学会などを開催している地域もある。
2)新規参入者の広がり
農業の後継者は減少の一途を辿っている。新規 就農者は1990年の1万5,700人が最も少なく、そ のうち、非農家出身で土地や資金を独自に調達 し、経営者として農業を始めた人(新規参入者)
は69名しかいなかった。その後、新規就農者数は 増加傾向にあり、2006年には8万1,000人、2012 年時点で5万6,500人である。新規参入者数は
2012年時点で3,000人に達し、1990年と比較する と、およそ40倍も伸びている。その半数が39歳以 下の青年層である(45)。
新規参入者の大きな特徴は、有機農業との親和 性が高い点にある(46)。新規参入者の大半が有機 農業を選択している地域も少なくない。
1970年代頃から農業を意識的に選択した新規参 入者が現れ始め、当時は大学紛争に影響された若 者たちが大地に根差した生き方から、社会変革を 求めて農村に移住した。1980年代後半以降になる と、都市から農村へというベクトルが一般的かつ 現実的なものとなり、その中心は物心つけば公害 があり、環境にやさしい暮らしと自給志向が強い 20〜30代の若年層であった。このタイプは現在で もベースとなっている参入パターンである。さら には、定年帰農や半農半Xなど、農的暮らしの実 践も広範な人々の関心を受け止めながら広がりを 見せている(47)。
また、キャリアを積んだ新規参入者は、地域社 会と地域農業の担い手として、“ なくてはならな い ” 存在になりつつある(48)。
ただし、新規参入者は農家子弟と違い、農地の 確保や技術の習得、経営成果を上げるまでの時間 と資金調達、地域への参入と信用基盤の形成、住 宅の確保など、農業と地域への参入において様々 な障壁が生じる。有機農業を選択する場合、その 障壁はさらに高くなり、独自で解決しなければな らないことが多い(49)。
1990年代以降、一般的な新規参入については相 談窓口が設置されるなど、公的な支援体制が整備 されつつあるが、有機農業による就農支援はほと んど期待できなかった。そのため、都市生活者の 動きを敏感に感じ取った有機農家が研修生を受け 入れ、農地や住宅の確保の支援、販路の共有・紹 介、技術の指導、機械のレンタルなど、農業と地 域の橋渡し役となり、ボランティアでサポートに あたってきた。
現在も有機農家による献身的なサポートを基盤 に新規参入者の広がりが形成されていることに変 わりはないが、NPOや農協が窓口となって研修 生を受け入れ、新規参入者を育成するなど、多様 な主体が支援にあたる取り組みが生まれている。
さらに、体制を整備した自治体では、相談窓口を 設置し、有機農家と連携しながら、研修の受け入 れから就農、経営まで支援している取り組みもあ る(50)。
3)地域の多数派を占める非農家
かつての農山村は、農林業が人々の主要な仕事 であり、農家が多数派を占めていたが、高度経済 成長を経た現在の農山村は、山間地域から都市的 地域まで、地理的条件の差こそあれ、非農家が多 くを占めている。
農山村に暮らす人々の生活構造の変容、農林業 における兼業化や離農が進むなか、就業状況は多 様化し、農林業所得ではなく、農外所得が経済を 支える軸となっている。「農業が農村を支えてき た時代ではなく、農村が農業を維持する時代に変 わりつつある(51)」ように、地域の存続なしに農 業の存続もあり得ない。当然のことながら、地域 が衰退していくなかで、有機農家だけがそこで生 き残り、営みを続けていくことは不可能である。
このような現状認識のもと、有機農業は在村慣 行農家だけでなく、非農家も巻き込んだ地域への アプローチと地域からの支持を得るような取り組 みでなければならない。つまり、人々が安心して 暮らし続けることができる環境とそれを支える価 値を有機農業がどう創造し、そして地域が存続し ていくためにどのような役割を果たすことができ るのか具体的に検討する必要がある。
6.地域から支持される有機農業とは
有機農家数は2010年時点で1万1,859戸あり、
2006年の8,764戸から約35%増加している(52)。有 機農業が慣行農家や新規参入者から高い関心を集 めていることは見てきたとおりである。
それでは、地域から支持され、定着していく有 機農業の展開プロセスをどのように描くことがで きるだろうか。その課題は様々な観点から考えら れるが、ここでは以下の二点を指摘したい。
一点目は、有機農家の姿勢と実践についてであ る。具体的には、技術と販路を含めた「農業経営 の展開」と「地域からの信用力の形成」である。
つまり、有機農家は土づくりや販路の開拓など をつうじて地域の一農家として慣行農家にも引け を取らない農業経営を展開し、地域を構成する一 員としてつき合い関係を維持していくことで、周 囲からの評価、信頼を獲得できる。
地域から支持される有機農業は、有機農家から の一方的な主張や理念の押し付けではなく、有機 農家の堅実な姿勢と実践の積み重ねのなかから生 まれるものであり、有機農家が地域のなかで有機 農業の「正統性」を醸成することができるかがポ イントといえる(53)。
二点目は、一点目の指摘ともだいぶ重なるが、
有機農業が創る価値についてである。当然のこと ながら、農業経営を成り立たせ、地域に定住がで きる「経済的価値」の創造は必要不可欠である。
農業の近代化が進むなか、有機農業は食の安全 という側面から大きな力を発揮し、このことが農 薬や化学肥料を使用しない差別化商品を生産する 高付加価値型農業としての根拠を与えた。ただ し、現状として有機農産物以外にもそのような価 値を付加された競合する農産物が多く存在してい るため、有機農業が食の安全という側面からさら なる経済的価値を創ることは難しい。
生命を育む「食」は人間にとって「暮らし」の 根幹に位置づく営みであり、安定的かつ安全な食 べものを供給する農業によって支えられている。
それだけではなく、人間は生態系の一員として、
他の生物と共存し、環境を守り育みながら生命を 維持し、また、社会の一員として社会関係を構築 して支え合い、自己を形成しながらよりよく生き ようとする。
つまり、人間の「暮らし」は「食」を基本とし、
「自然環境」「福祉」「コミュニティ」「教育」など、
多面的に構成されている。農業はこのような「暮 らし」にトータルに関わる営みである(54)。言い 換えれば、「公共性」であり、このことは今後の 農業と地域のあり方を考えていく上での重要な論 点といえる。
農業の近代化が推し進めた工業的農業は、公共 性を無視する傾向にあったが、「循環」「多様性」
「自然共生」「関係性」「社会的公正」などを志向 する有機農業は、「公共的価値」との親和性が高 い。非農家が大半を占める地域にあって、公共性 の観点から「この地域に有機農業があってよかっ たね」と日常生活のなかで人々が実感できる「農 のある暮らし」を提案していくことが有機農業の 新たな経済的価値の創造にもつながるのではない だろうか(55)。
むすびにかえて
日本の有機農業は現在、「成立期」「混迷期」を 経て「転換期」にある。これからの有機農業の展 望は、地域を構成する多様な主体がお互いの存在 を認め、コミュニケーションを図りながら広がり を形成していくことである。
ただし、「推進法」が成立したからといって、
ただ待っているだけでは、そのようなプロセスを 描くことはできない。「転換期」とは、希望と不 安が並存し、どちらに転がってもおかしくない不 安定な時期といえる。
現状をみると、地域農業だけではなく、地域社 会そのものの空洞化も急速に進んでおり、有機農 業をめぐる社会環境は大きく変化している。この
点については、有機農家側からの働きかけがよう やく可能になったとも言い換えることができる。
有機農家は改めて「地域」という「暮らし」の 場から有機農業の意義を捉え直し、実践をつうじ てその価値を発信していく力量が問われている。
つまり、安全な食べものを安定的に供給するこ とを基本とし、「暮らし」という総合的な観点か ら、有機農産物というモノだけではなく、有機農 業の営み自体が創り出す公共的価値を地域のなか で可視化していくこと、そして広範な地域住民が そのような価値を実感できることが有機農業への 支持につながっていくのではないだろうか。
このことは、私たちに「有機農業と地域づくり」
という新たな課題を提示している。
註
(1)本文中で使用する「有機農業」は、有機
JAS
認証を取得したものに限らず、有機農 業推進法で定義される「化学的に合成され た肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺 伝子組み換え技術を利用しないことを基本 として、農業生産に由来する環境への負荷 をできる限り低減した農業生産の方法を用 いて行われる農業」を指し、広義に捉えて いる。(2)戦後農政の展開については、岸康彦『食と 農の戦後史』日本経済新聞社、1996年、大 野和興『日本の農業を考える』岩波ジュニ ア新書、2004年を参照されたい。
(3)例えば、1966年の野菜生産出荷安定法にも とづく野菜指定産地制度が始まり、レタ ス、ハクサイ、キャベツなど、品目ごとに 産地が指定され、東京や大阪、名古屋など の大消費地に出荷された。
(4)農業改良普及員などによる営農指導、化学 肥料の使用による地力低下とそれに伴う病 害虫の大量発生、天敵の死、耐性害虫の出
現など、生態系バランスの崩壊によって農 薬の過剰散布は常態化した。
(5)農家は化学肥料が地力の低下を招くこと、
農薬が人体を蝕むこと、食品をとおして消 費者の健康にも悪影響を与えることを理解 していたが、農業の近代化に対応しなけれ ば経営が成り立たないジレンマを抱えてい た。このことは、自分や家族が食べる分を 栽培する自給畑に農薬を散布しないという 農家の行動からも理解できる。
(6)「ポスト・ハーベスト」とは、収穫後の農 産物の品質保持のために施される処置を指 す。
(7)日本の食料供給構造は、大量の食料を輸入 するばかりでなく、長距離輸送を伴ってい る。例えば、中田哲也『フード・マイレー ジ─あなたの食が地球を変える─』日本評 論社、2007年を参照されたい。
(8)多辺田政弘『コモンズの経済学』学陽書房、
1990年、107〜109頁。
(9)熊本県水俣病患者による無農薬栽培や千葉 県成田市三里塚のワンパック野菜などの取 り組みがある。
(10)農協婦人部や生活改善グループは健康と暮 らしの改善を目的に掲げて有機野菜づくり や有畜化に取り組み、その後、加工や産直、
直売所設置の流れをつくった。その実践と 意義については、荷見武敬・鈴木博・根岸 久子編『農産物自給運動』御茶の水書房、
1986年を参照されたい。
(11)興農塾(北海道標津町)や耕人舎(和歌山 県那智勝浦町)など、学生運動に参加して いた若い都市住民の取り組み、消費者グ ループ「たまごの会」(茨城県石岡市旧八 郷町)による自給農場の建設がある。
(12)国民生活センター編『日本の有機農業運動』
日本経済評論社、1981年、29〜34頁。
(13)「日有研」は現在、年1回開催する全国有 機農業の集いやシンポジウム、機関誌「土 と健康」の発行などをつうじて有機農業の 普及・啓発、生産者と消費者のネットワー クづくりに取り組んでいる。
(14)農村医療に従事し、農家の体調の変化を敏 感に感じ取っていた医師による農薬害の告 発や研究が有機農業の取り組みを大きく支 えた。農村医療の確立に尽力した佐久総合 病院(長野県佐久市)の若月俊一や慈光会
(奈良県五條市)の梁瀬義亮などである。
なお、一樂の思想と実践については、農山 漁村文化協会編『暗夜に種を播く如く─一 樂照雄協同組合・有機農業運動の思想と実 践─』協同組合経営研究所、2009年を参照 されたい。
(15)舘野廣幸『有機農業・みんなの疑問』筑波 書房、2007年、20〜21頁。
(16)保田茂『日本の有機農業─運動の展開と経 済的考察─』ダイヤモンド社、1986年、35〜
36頁。ちなみに、黒澤はJ・Iロデイルの
『Pay Dirt』の最初の日本語訳を『黄金の土』
(赤堀香苗訳、1950年)という題名で酪農 学園出版部から発行した。その後、一樂が
『有機農法─自然循環とよみがえる生命─』
(農文協、1974年)と題して再度翻訳をし た。
(17)有機農業技術の展開方向については、中島 紀一「有機農業の基本理念と技術論の骨 格」中島紀一・金子美登・西村和雄編著『有 機農業の技術と考え方』コモンズ、2010年 を参照されたい。
(18)1978年、「日有研」は第4回全国有機農業 大会を開催し、「生産者と消費者の『提携』
の方法」、いわゆる「『提携』の10原則」を 発表した。その内容については「日有研」
の
HP
を参照されたい。http://www.joaa. net/mokuhyou/teikei.html
(19)「提携」の実践については、金子美登『い のちを守る農場から』家の光協会、1992年 を参照されたい。
(20)「提携」の展開過程と意義については、国 民生活センター編(1981)前掲書、保田
(1986)前掲書、桝潟俊子『有機農業運動 と<提携>のネットワーク』新曜社、2008 年を参照されたい。
(21)桝潟(2008)前掲書、56〜85頁。
(22)波夛野豪「あらためて産消提携を考える」
日本有機農業学会編『有機農業研究年報4 農業近代化と遺伝子組み換え技術を問う』
コモンズ、2004年、64〜67頁。
(23)有機農産物の流通の多様化については、国 民生活センター編『多様化する有機農産物 の流通─生産者と消費者を結ぶシステムの 変革を求めて─』学陽書房、1992年を参照 されたい。
(24)有機食品の
JAS
規格に適合した生産が行 われていることを登録認定機関が検査し、その結果、認定された事業者のみが有機
JAS
マークを貼ることができる。この有機JAS
マークがない農産物と農産物加工食品 に、「有機」「オーガニック」などの名称の 表示やこれと紛らわしい表示を付すことは 法律で禁止されている。(25)農林水産省「食料需給表」および農林水産 省統計情報部公表値による。
(26)農林水産省「有機農産物等の格付実績」に よる。
(27)有機
JAS
制度が導入された背景として、日本のオーガニック市場を開放する外圧も 強く働いていた。実際、有機
JAS
格付け 数量をみると、国外の有機農産物が9割ほ どを占めている。この点については、足立 恭一郎「日本の有機食品市場をめぐる周辺諸国の政策動向」日本有機農業学会編『有 機農業研究年報1 21世紀の課題と可能 性』コモンズ、2001年を参照されたい。
(28)MOA自然農法文化事業団「平成22年度有 機農業基礎データ作成事業報告書』2011年、
23頁。
(29)有機
JAS
基準をクリアするためのコスト は「緩衝地帯の確保や汚染対策にともなう コスト」「有機種苗の確保・使用にかかる コスト」「化学的に合成された物質無添加 の資材入手にかかるコスト」「生産・輸送・選別・調整・洗浄・貯蔵・包装などにかか る管理コスト」「記録作業に要するコスト」
などである。この点については、小川華奈
「有機食品の認証コスト」日本有機農業学 会編『有機農業研究年報1 21世紀の課題 と可能性』コモンズ、2001年を参照された い。
(30)中塚華奈「消費者からみた有機農業」『農 業と経済』75(3)、昭和堂、2009年、103 頁。
(31)例えば、有機農業の普及・啓発、政策提言 に取り組む
NPO
法人全国有機農業推進協 議会(全国有機農業団体協議会から改称)、有機農業の技術確立に取り組む
NPO
法人 有機農業技術会議、後述するNPO
法人有 機農業参入促進協議会などである。(32)「推進法」の制定過程については、中島紀 一編著『いのちと “ 農 ” の論理─地域に広 がる有機農業─』コモンズ、2006年、中島 紀一『有機農業と農の再生─新たな農本の 地平へ─』コモンズ、2011年を参照された い。
(33)2008年度は45団体、2009年度は59団体が選 出された。この事業は最も成果を上げた政 策であったが、2009年8月に民主党へと政 権が交代し、事業仕分けによって廃止と判
定された。その後、有機
JAS
制度で認定 された農産物の生産を増加することが全体 的な政策目標として掲げられた。(34)有機農業政策の展開については、中島
(2011)前掲書を参照されたい。
(35)有機農業が始まった当初の行政や農協によ る先進的な取り組みについては、白垣詔 男・郷田実『命を守り心を結ぶ─有機農業 の町・宮崎県綾町物語─』自治体研究社、
2000年、佐藤喜作『手づくりの幸せ─むら を変える自給運動─』家の光協会、1982年、
荷見武敬・河野直践・鈴木博『有機農業─
農協の取り組み─』家の光協会、1988年を 参照されたい。
(36)有機農業が「差別性」を伴っているのも事 実である。佐賀県唐津市の農民作家・山下 惣一は、有機農業の理念や思想に共鳴しつ つも、「有機農業だから安全だ」という主 張には、言外に「それ以外の農産物は安全 ではない」というメッセージが込められて おり、有機農業以外の農業は「危険だ」と 同一視される。そしてさらに、有機農業が 普通の農業とは違った何か特別な農業に なってしまった印象を受け、このことは有 機農業にとっても、それ以外の農業にとっ ても不幸なことであると指摘している(山 下惣一「私が有機農業をやらない理由(わ け)」季刊
at(あっと)12号、太田出版、
2008年、8〜9頁)。
(37)例えば、青木辰司・松村和則編著『有機農 業運動の地域的展開─山形県高畠町の実践 から─』家の光協会、1991年を参照された い。
(38)「日有研」が発行する機関誌「土と健康」は、
そのような全国各地の活動をつなぎ、情報 を発信・交換する貴重な役割を果たしてい た。
(39)例えば、東京朝市アースデイマーケット、
各地で開催されているオーガニックフェス タや国際有機農業映画祭などが挙げられ る。
(40)ブログや
(41)転換参入とは、慣行農業から有機農業への 転換を指す。
(42)昭和62年度「農業白書」では、有機農業に ついて初めて公式に言及された。そこで は、有機農業を「消費者ニーズに的確に対 応した収益性の高い高付加価値型の農業」
として把握し、その事例として千葉県の三 芳村生産グループと東京の消費者グループ
「安全な食べ物をつくって食べる会」によ る共同購入型の「提携」が取り上げられた。
また、1992年6月に策定された「新しい食 料・農業・農村政策の方向」では、有機農 業が中山間地域の振興策の一つとして位置 づけられた。
(43)桝潟(2008)前掲書、57頁。
(44)農林水産省「平成19年度有機農業をはじめ とする環境保全型農業に関する意識・意向 調査結果」によると、「現在、有機農業に 取り組んでいないが、条件が整えば取り組 みたい」が約50%と半数を占め、その条件 として約70%の農家が「収量・品質を確保 できる技術の確立」と「生産コストに見合 う価格で取引きしてくれる販路の確保」を 挙 げ て い る。http://www.maff.go.jp/j/seisan/
kankyo/hozen_type/pdf/071102_tyosa.pdf、4〜
5頁。
(45)農林水産省「平成24年新規就農者調査」
http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sinki/
pdf/sinki_syunou_12.pdf、 1 頁、 大 江 正 章
『農業という仕事─食と環境を守る─』岩 波ジュニア新書、2001年を参照した。
(46)新規参入者のうち、全作物で有機農業に取 り組んでいるのは20.7%、一部の作物で有 機農業に取り組んでいるのは5.9%、でき るだけ有機農業に取り組んでいるのは 46.2%で計72.8%に達している(全国農業 会議所「新規就農(新規参入)の就農実態 に関する調査結果」2011年を参照)。また、
有機農業をやりたい人は65.1%で、有機農 業に関心がある人を含めると92.7%を占め る(同「2010年度新・農業人フェアにおけ るアンケート結果」を参照)。
(47)新規参入者の参入パターンについては、秋 津元輝「農への多様化する参入パターンと 支 援 」『 農 業 と 経 済 』75(10)、 昭 和 堂、
2009年を参照されたい。
(48)新規参入者の多彩な取り組みについては、
浅見彰宏『僕が百姓になった理由<わけ>
─山村で目指す自給知足─』コモンズ、
2012年、大江正章・山下一穂他『新規就農 者を地域の力に』有機農業参入促進協議 会、2014年を参照されたい。
(49)生産技術は農家だけではなく、農業改良普 及員や
JA
の営農指導員等からの指導も得 られない(もしくは得にくい)。販路は既 存の市場流通に依存できない(もしくは依 存したくない)。地域からの信用形成は、生産技術、販路だけでなく、思想や考え方、
生き方も含めて周辺農家から理解が得られ にくい。こうした課題を解決するために は、同質的な経験を共有できる仲間づくり が重要となるが、地域における有機農業の 実態把握は進んでいない。この点について は、高橋巌・東海林帆「新規参入の背景・
実態と有機農業─その位置づけと栃木県茂
木町における事例分析─」『食品経済研究』
38号、2010年を参照されたい。
(50)NPO法人有機農業参入促進協議会は、新 規参入や転換参入に関する全国調査を実施 し、様々な取り組み事例を冊子や
HP
など をつうじて紹介している。また、有機農家 や民間団体、公的機関と連携しながら、相 談窓口の設置や研修受け入れに関する情報 提供、講習会やシンポジウムを開催してい る。(NPO法人有機農業参入促進協議会
URL: http://yuki-hajimeru. net/index.php)
(51)徳野貞雄「現代農山村分析のパラダイム転 換」徳野貞雄・柏尾珠紀『T型集落点検と ライフヒストリーで見える家族・集落・女 性の底力─限界集落論を超えて─』農山漁 村文化協会、2014年、144頁。
(52)農林水産省「有機農業の推進に関する現状 と課題」2013年、3頁。
(53)地域社会における有機農業の展開について は、小口広太「埼玉県比企郡小川町におけ る有機農業の展開過程」『村落社会研究 ジャーナル』36号、農文協、2012年、同「地 域社会における有機農業の展開要因に関す る一考察─埼玉県小川町下里一区を事例と して─」『有機農業研究』Vol.5 No.2、
2013年を参照されたい。
(54)農業の営みが創る価値については、坂本慶 一編著『人間にとって農業とは』学陽書房、
1989年を参照されたい。
(55)農業が育む公共性に関する資料として、住 民参加による循環型社会づくりの事例を紹 介した小口広太「NPO・住民・行政が協働 で取り組む「生ごみ資源化事業」〜埼玉県 比企郡小川町を訪問して〜」PRIME22号、
明治学院大学国際平和研究所、2005年、有 機園芸による教育的効果を検証した澤登早
苗『教育農場の四季─人を育てる有機園 芸─』コモンズ、2005年、農業の営みと自 然環境の関係性について論じた宇根豊
『「百姓仕事」が自然をつくる─2400年目の 赤とんぼ─』築地書館、2001年、農業をつ
うじたコミュニティの形成について事例分 析をした小口広太「都市農業の現場から」