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1.独占資本主義論と経済法学 2.国家独占資本主義論と経済法学

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(1)

経済法概念をめぐる問題について

経済法概念をめぐる問題について

吉田省三

目次 はじめに

1.独占資本主義論と経済法学 2.国家独占資本主義論と経済法学

(1)国家・独占資本主義

(2)国家独占・資本主義 おわりに

は   じ   め   に

経済法の概念をめぐる問題は,経済法学の課題の設定,方法それ自体にか かわる問題である。小論では,経済法を資本主義の独占段階の法として埋解 するのか,あるいは,国家独占資本主義の法として把握するのかという論点

(1)

に限定して経済法の概念をめぐる論争を整理・再構成し経済法の概念を検討

(2)

する。

いうまでもなく,この論点は,経済法を国家独占資本主義の法として把握 する経済法=国家独占資本主義法論によって提起されたものであることは周 知のとおりである。

それ以前の経済法に関する学説は,独占段階に達した資本制社会に特有の

法現象として,経済法の成立を認めようとするものである点に共通性を有し

ていると理解されていた。しかし,1960年代後半における現代法=国家独占

資本主義法論と,その仮説にもとづいて展開された経済法=国家独占資本主

義法論は,経済法現象を,資本主義の独占段階ではなく,国家独占資本主義

に固有の法現象であるという問題提起を行うことによって従来の経済法学説

を批判してきた。

(2)

1 0 4   経 営 と 経

j

筆者の理解では,両者はいずれも,経済社会の構造から出発して法現象を 位置づけるという基本的に正しい視点に立脚している点においては共通して いる。しかし,また両者は,経済法現象の土台である経済構造や法現象を媒 介する国家の把握において,問題を有しているのではないかという疑問をも っている。

したがって,問題は,独占資本主義の理論,あるいは国家独占資本主義の 理論のいずれか一方にもとづいて経済法論を展開するのかということ自体に あるのではなしいかなる独占資本主義論あるいはいかなる国家独占資本主 義論を指針として経済法を分析するのかといつことにあると思われる。

( 1 )   経済法=国家独占資本主義法論の提唱以前の経済法学説を概観したものとして,今 村成和「経済法の概念J i"ジュリスト J300 号 1 9 6 4・6 ・ 1 5 ,390‑391 ページ。経済 法=国家独占資本主義法論以降の経済法学説については,以下のような視角から整理 が行われている。例えば,渡辺洋三氏は,現代法研究の三つの視角と戦後経済法研究 の三つの視角を重ねあわせ,①安保体制と経済法との相互関係に重点を置く二つの法 体系論的経済法,②国家独占資本主義勾下における国の経済政策と法との相互関係に 重点を置く国家独占資本主義法論的経済法,③国民の諸権利のっちのーっとしての経 済法上の権利に注目し, とくに消資者や中小企業等,独占体に対する経済的従属者の 基本的権利の保障体系として経済法を位置づける生存権論的経済法という経済法研究 を三つの視角から整理されている(渡辺『現代法の構造』岩波書庖, 1 9 7 5 年 , 2 8 2ペ ージ以下)。

ま た 高 瀬 雅 男 氏 は 学 界 素 描 ・ 経 済 法 研 究 の 現 状 と 課 題

J( 

i"季刊科学と

d

思想

J

2 8   号 , 1 9 7 8 年 4月 , 7 6 2ページ以下)において,独占規制の二つの方向から戦後経済法・

学を二つの流れに整理されている。

本間重紀氏は,独占資本もしくは金融資本の法的分析という視角から,①理論法学 的研究,②憲法的研究,人権論的研究,③国家独占資本主義法研究,この方法に依拠 した現代経済法学,④独占禁止法的研究の 4 つの系列を指摘されている(本間「独占 と株式所有・試論一一独占支配の法構造序説」民主主義科学者協会法律部会『法の科 学J 7 号 , 1 9 7 9 年 , 5 8 ページ以下)。

( 2 )   すべての経済法学説が,資本主義の独占段階の法か,国家独占資本主義の法かとい

(3)

経済法概念をめぐる問題について 1 0 5  

う二者択一を迫っているのではなし独占資本主義における経済法の国家独占資本主 義における形態変化=経済法の特殊形態である戦時経済法を説く学説もある(沼田稲 次郎『労働法論序説」勤草書房. 1 9 5 0 年. 9 5 ページ以下)。沼田氏の見解は,しばしば 誤って指摘されているように,経済法を国家独占資本主義にのみ固有の法としている わけではない。

1 .   独占資本主義論と経済法学

経済法を資本主義の独占段階の法としてとらえる学説の代表的なもののー っとして,今村成和氏の考え方がある。

氏によれば r 経済法とは,独占の進行により,すでに自律性を失うにいた った現代資本主義経済に対し,政府の力をもって,その機能の維持をはかる ために定められた法規範の総体をいう」と定義されている。

(2) 

今村氏の定義が,金沢良雄氏の経済法の定義にくらべて,その歴史的階級

(3)  (4) 

的性格を明確にしている点,また正田彬氏,丹宗昭信氏の定義とくらべて,

定義の包括性,体系性において積極的な側面をもつことは否定できない事実 である。

だが r 独占の進行により,すでに自律性を失うにいたった現代資本主義経 済」という表現は,独占段階における資本主義的再生産の困難から国家の介 入→経済法の成立を説く今村氏の経済法論の特徴を端的に示している。それ は次に引用する文章によって明らかになる。氏は経済法の成立の契機をつぎ のように説明される。

「資本主義経済の構造的特質は,市場経済を通じて,経済循環を実現する ことにあるのであって,この市場経済を支配する運動法則が自律性を夫うに

(5) 

至ったところに,経済法の成立の契機がある。」

氏の市場論的資本主義経済の理解は,さておくとしても,今村氏の説明に よる経済法の成立の契機が「独占の進行(資本主義の独占段階)→市場経済 を通じての経済循環における自律性の喪失→国家介入による市場機能の維持

=経済法の成立」としてとらえられていることの問題である。

(4)

1 0 6   経 営 と 経 i 斉 こ こ に み ら れ る 資 本 主 義 的 再 生 産 の ゆ き づ ま り と い う 考 え 方 は , 今 村 氏 だ け で は な く , 経 済 法 を 資 本 主 義 の 独 占 段 階 の 法 と し て 考 え る 学 説 に 多 く 見 ら れ る 考 え 方 で あ る 。 の み な ら ず , 次 章 で 検 討 す る が こ れ ら の 経 済 法 を 独 占 資 本 主 義 の 法 と し て 考 え る 説 を 批 判 し た 経 済 法 = 国 家 独 占 資 本 主 義 法 論 に も 多 か れ 少 な か れ 共 有 し て 見 受 け ら れ る 考 え 方 で あ る 。 そ れ ら は い ず れ も , 資 本 主 義 的 再 生 産 の ゆ き づ ま り = 経 済 過 程 の 自 律 性 の 衰 失 か ら 国 家 の 介 入 を 説 い ている。

このように,資本主義の独占段階における資本主義的再生産のゆきづまり か ら 国 家 の 介 入 を 説 く 学 説 は , 経 済 法 研 究 者 の 聞 に は か な り 普 及 し て い る よ うに見受けられる。

しかし,資本主義的再生産のゆきづまり論そのものの現実妥当性からみて,

こ の 説 に 依拠 し て 経 済 法 の 成立を 説 明す る こ と は, 説 得 力 を 欠 く よ う に 思え ( 6 )  

資本主義の独占資本主義への移行は,資本主義の急速な発展を排除するも の で は な い し , そ の 発 展 は , ま す ま す 不 均 等 に は な る が , 全 体 と し て は , 資 本 主 義 は , 以 前 と は 比 較 に な ら な い ほ ど 急 速 に 発 展 す る と い う 現 実 を 私 た ち

(7) 

は,眼前に見ている。

独占資本主義に再生産のゆきづまりをみる見解は,独占段階の資本主義を,

国 家 の 介 入 に よ る 国 家 か ら の さ さ え な し に は , 存 在 し え な い よ う な 資 本 主 義 として描くとともに,その反面において,独占以前の資本主義一自由競争の 支 配 す る 資 本 主 義 ー を , 歴 史 的 に も , 理 論 的 に も , 国 家 か ら の 干 渉 を 排 除 し た自律的な,均衡のとれた社会として描きだすことにおちいりやすい。

しかし,独占資本主義あるいは,国家独占資本主義においてだけでなく,

自由競争の支配する資本主義においても,国家は重要な役割を演じているの

であって,それは,しばしばいわれているょっに,消極的なものにとどまる

も の で は な い 。 こ の 点 に つ い て , 島 恭 彦 氏 は 自 由 主 義 と 呼 ば れ る 段 階 で ,

産 業 資 本 は は じ め て 自 立 し , 重 商 主 義 的 な 干 渉 政 策 を 排 除 し よ う と し た 。 け

れ ど も 他 面 か ら み れ ば , 自 由 主 義 段 階 で は 資 本 主 義 的 な 生 産 関 係 , つ ま り 資

本 対 労 働 の 関 係 が 全 社 会 を 支 配 す る よ う な 重 味 を も つ よ う に な り , こ の 生 産

(5)

経済法概念をめぐる問題について 1 0 7  

関係に固有な矛盾がはっきりあらわれるようになったのである。資本が一切 の国家の干渉をとりのぞこつとしている時に,同時に個々の資本ではコント ロールできない新しい矛盾があらわれるよつになったのである。それは国家

(8) 

による新しい社会的統制の糸口をよびださずにはいない」ことを論じて,資 本主義の無政府的な破壊作用に対する最初の社会的統制として成立した工場 法を,自由主義段階での政府の統制として論じている。

また, P.A. パランと P.M. スウイージーが,直接には国家独占資本主義 という言葉にたいして次のように述べていることは,私たちが資本主義と国 家の関係を考えるにあたって重要な指摘を含んでいる。

「国家は資本主義の発展においてつねに決定的な役割を演じていた。そし て,この役割はたしかに量的に増大したけれども,われわれは最近の数十年 間の質的変化の証拠はひとを納得させるものではないとおもう。このような 状態のもとにおいては,独占資本主義の現段階における国家の役割をとくに 強調することは,ひとびとを,資本主義初期の歴史においては,それはいろ いろに足りない位の重要性をもっていただけであるといっ誤った観点にみち

(9) 

びくだけであるかもしれない」

(筆者は国家独占資本主義の概念そのものが不必要で、あるという著者たち の考えには同意することができないことは言うまでもないが)。

今村氏の「経済法概念の再構成」に当たっての視点の 1 つは

i

経済法の概 念規定のための統一指標と,実定経済法を支配する指導原理(経済政策理念)

( 1

0) 

との区別」ということであり,後者をもって経済法の概念を説くことは誤り であるというものであった。この視点から,独占禁止法という実定法の指導 理念によって経済法の概念を構成した丹宗,正田説にたいする批判がなされ

ている。

しかし,先に示した今村氏の経済法の成立のシェーマ(独占の進行→経済 循環の自作性の喪失→国家の介入=経済法)それ自体はもし自由競争が,独 占によって制限されなかったならば,資本主義はより急速に発展したであろ

(II) 

うということになり,氏が批判したはずの独占禁止法=反トラスト法の思想

とその考え方を同じくするものとはいえないだろうか, という疑問を私はも

(6)

1 0 8   経 営 と 経 済

っている。

氏は,経済法を「独占段階における,資本主義経済体制維持のための経済

( 1 2 )  

政策立法」として統一的な視点からとらえながらも,経済法と独占禁止法の 関係,位置づけになると[""独占禁止法が,もっとも重要な実定経済法であり,

経済法の体系の中で, もっとも枢要な地位を占める」とされている点と関係

( 1

3) 

がなくはないように思える。

最後に,今村氏の経済法の定義に関する問題点は,経済循環の困難という 経済的現象それ自体から国家の介入を導きだす点である。

この点においても,今村氏の考えは,今村氏の説には批判的である経済法

=国家独占資本主義法論と共通性をもっている。

私は,経済過程への国家の介入=経済法の成立契機を,独占段階における 経済循環の困難といっ経済過程における現象それ自体(具体的歴史認識とし てそのような事実がありえないのであるが)からみちびくよりも,独占段階 における独占と金融資本の支配がもたらす新たな規模での階級対立‑独占お よび金融資本と住民,消費者ーに対応するための立法としてとらえる方がよ

( 1

4) 

り説得的ではないかと考えている。

( 1 )   今村成和「経済法と行政法の交錯 J r 法学セミナー.D 1 3 1号のち今村成和町私的独占 禁止法の研究(弓」有斐閣, 1 9 6 9 年 , 310 ページ。この定義で使われている「独占の進 行」という言葉は,それが資本主義の独占段階におけるその基本的属性の一層の進行 であるのか,あるいは国家独占資本主義への移行を意味するのかという解釈の余地を

残しているが,小論では前者の意味にとっている。

( 2 )   金 沢 氏 に よ れ ば , 経 済 法 は 主 と し て , 経 済 循 環 に 関 連 し て 生 ず る 矛 盾 ・ 困 難 (市民法による自動調節作用の限界)を社会調和的に解決するためのもの

Jf

資本主義 社 会 に お い て , そ れ ぞ れ の 経 済 的 ニ 社 会 調 和 的 要 求 を 国 家 の 子 ( r 見えざる手』

の代わり)によって満たすための法J ( 金沢良雄『経済法〔新版 J .D有斐閣, 1 9 8 0 年 , 24 ページ)と定義される。

( 3 )   丹宗氏は「市場『統制』に対する国家の経済政策立法がすなわち経済法である」と

さ れ る (

f

経済法(学)の独自性」ー『統制』概念による経済法の統一的体系化の試

み一一 J r 経済法」創刊号, 1 9 5 8 年 , 1 4 ページ。)

(7)

経済法概念をめぐる問題について 109 

( 4 )   正田彬氏は,経済法を「独占資本主義段階に固有な,独占体を中心とした経済的従 従属係を統制する法である J ( 正田彬『経済法(新版).1日本評論社37 ページ)。

( 5 )   今村成和「私的独占禁止法の研究(弓.1 289ページ。

( 6 )   いわゆる「資本主義的再生産ゆきづまり論 J ( この特徴づけそのものが池上氏のもの であるが)については,池上惇「国家独占資本主義と独占価格

J

W'経済論議.! 104 巻 l 号,にもとつ いている。

池 上 氏 は 資 本 主 義 的 国 家 そ の も の は , 上 部 構 造 で あ り , 本 来 , 資 本 主 義 的 再 生 産は,上部構造からの介入なしにでも,それ自身が市場をつくりだして発展するとい う法則性がある。この法則は,恐慌,景気循環を通じて貫徹されることはもちろんで あるが資本主義的再生産がそれ自体としてこわれた時計のように動かなくなる, と いうことはありえない」と述べて,再生産ゆきづまり論を批判している。

( 7 )   レーニン『帝国主義」宇高基輔訳,岩波文庫, 2 0 1ページ。

( 8 )   : 1 坊主彦『現代の国家と財政の理論』三一書房, 1960 年 島 恭 彦 著 作 集 』 第 5 巻国 家独占資本主義論,有斐閣, 1 9 8 3 年 , 9 ページ。

( 9 )   P. A. パラン, P.M. ス ウ ェ ー ジ ̲ w'独占資本』小原敬士訳,岩波書庖, 1967 年 , 86 ページ。

(

1 0 )   今村,前掲書, 284 ページ。

(11)独禁法は,長期的にみれば,資本主義経済の動脈硬化を防ぐ最良の薬 J ( 金沢良雄

「独占禁止法の課題と展望

J

W'法律時報.! 3 9 巻 6 号 , 1 9 6 7 年 5月 8 ページ)という理解 が代表的なものである。

(

1 Z )   今村,前 J 白 書 , 286 ページ。

(

1 3 )   今村,前拘書, 294 ページ。

(

1 4 )   池上 i 字氏は,アメリカの公益企業統i¥ i l j の歴史を研究して,公益企業料金の統制問題 を 独 占 価 f ト歩不況の'慢性化→国家の介入」というシェーマではなくて独占価 格→諸階層の手

JI

却す立→価格統制(国家の介入) Jという観点を重視すべきであるとい

う提起をされたことがある(池上, I l

Ij

掲 , 1 1 ページ)。

(8)

1 1 0   経 営 と 経 済

2 .   国家独占資本主義論と経済法学

( 1 )   国家・独占資本主義

経済法を国家独占資本主義の法として把握する考え方は,現代法を国家独 占資本主義の法として考える仮説を指針とする経済法論として展開されてい る 。

岩波講座『現代法」第 7 巻,渡辺洋三編「現代法と経済 J 1 9 6 6 年,が上記 の視点からの現代法論の最初のものといわれているが,国家独占資本主義論 を指針とする経済法研究を意識的に追求したのは,松岡正美1" Ii'経済法」理

(1) 

論における問題点一一『商法=企業法」論と『独禁法=経済法』論の周辺」

という論文と,同氏の民科法律部会の 1 9 6 7 年春季学術総会における報告であ る。そこで,経済法=国家独占資本主義法論に入る窓口として松岡氏の見解 をとりあげる。

上記の論文における松岡氏の問題提起の意図は1"現代法の基本的背景で

(2) 

あり,現代法の指標としての『経済法」を生みだした」背景を,国家独占資 本主義として正確に把握すること,この国家独占資本主義の概念に依拠して,

経済法現象の戦前と戦後の「連続」と「断絶」の両側面を明らかにすること に よ り 断 絶 」 の 観 点 に お い て 戦 後 を と ら え る 見 方 一 一 そ れ は 経 済 法 の 領 域では,反独占立法の過大評価とつながる「独禁法=経済法論」ないし「社 会法的経済法」論一ーを批判することにあった。

そこでまず問題となるのは,松岡氏の現代法の指標としての経済法を生み だした背長である国家独占資本主義の概念である。松岡氏は,国家独占資本 主義を次のように理解されている。

「国家独占資本主義は,資本主義の独占段階における危機の深化に対応し て,国家権力を自己に従属させた独占資本の支配体制としてあらわれる J I " 国 家独占資本主義の形態的特徴は,ひとことでいうならば,国家の経済過程に たいする干渉・介入の増大であり,より具体的には,企業の国有・公有化,

巨大な国家・財政資金を背景とする金融政策,価格統 f l j l j ,市場統Hl J I ,労働力

(3) 

統制,通貨や貿易の管理等でである」

(9)

経 i 庁法概念をめぐる問題について 1 1 1  

氏は国家独占資本主義の本質を「国家権力を自己に従属させた独占資本の 支配体制」として把握され,その形態的特徴を「国家の経済過程にたいする 介入」として理解される。しかし,氏のような国家独占資本主義の把握につ いては,従来から次のような批判 l が存在している。国家の独占資本への従属 や,国家の経済過程への介入は,国家独占資本主義に固有のものではなく,

独占資本主義の全時代をつうじての基本的な属性である。松岡氏が上記の引 用で指摘されている国家の経済過程への干渉・介入の具体的形態一一企業の 国有・公有化,巨大な国家.財

場統{制 l i l

削礼│リ

j

,労 i 倒到力統{制 i !

制凶

i

計司│リ

j ,通 i 氏 T や t 貿 1 易の管理一一は' 必ずしも国家独占資本主義 に同有のものとはいえないものも含まれており,資本主義一般,独占資本主 義においてもみられるものがある。また戦後日本資本主義を氏の例示されて いる指標に従って国家独占資本主義として理解することは困難である。した がって,氏の提起されている戦前(松岡氏のこの論文で使われている戦前は,

戦時も含んだ言葉であると思われる)と i l 没後を,国家独占資本主義の面で述 続してとらえることも,氏の国家独占資本主義の指標からは,むしろ反対の 結論が出てくるのではないだろうか。たしかに松岡氏は["""地域開発

J

,[ " " " 社 会開発 J ,大衆課税の強化,財政投融資の「高度成長」期以後の加速度的拡大 等 の 指 標 を あ げ て , 戦 前 ( i i 役時)とは呉なる i ) 没後の展開をつけ加えている。

しかし,それらは, lI]家独占資本主義の概念でなければ把 J 屋しえないもので はなく,独占資本主義における経消政策としても理解しうるものではないだ ろうか, という疑問を残している。

松岡氏にみられる国家独占資本主義の理解は,現代法=国家独占資本主義 法論およびその一環として展開された経済法論に,多かれ少なかれ共通して 見受けられるところである。それは要約すれば,次のようになる。

国家独占資本主義を,独占資本主義の一局而として正しく把握しながらも,

国家と独占あるいは,独占体,独占資本との関係を中心に考祭し,その本質

を国家の独占あるいは独占休,独占資本への従属で、あると規定する。(そこ

では独占,独占体,あるいは独占資本は厳密に区別されているとはいいが

たい。)その立味では,国家独占資本主義を国家・独占資本主義としてとら

(10)

1 1 2   経 営 と 経 i 舟

えている

O

この点で,後述の国家独占・資本主義という理解とは区別され る 。

さらに国家独占資本主義の特徴づけを「国家の経済過程への介入」とし てとらえる点で共通している。国家独占資本主義における介入を,独占資 本 主 義 か ら 区 別 す る た め に , 全 面 的 介 入 J , 'システムとしての介入 J , あ る い は , 恐 慌 を 回 避 す る た め の 『 事 前 の 介 入 J J J ということが強調される こともある。しかし,そのことをもってしても,独占資本主義と国家独占 資本主義の概念の相互連関と区別を首尾よく表現していると言えるであろ

うか。

ここで見られるような国家独占資本主義の理解に関しては,経済学の分野 では,池上惇氏によって,次のように批判されている。,国家独占資本主義 体制の特徴づけを[f'国家の経済への介入」といっ一般的次元に求めたり,国 家と独占との結合だけに求めたりすることは,何ら国家独占資本主義体制を

(4) 

特徴づ、けることにはならない」

現代法=国家独占資本主義法論及びそれに依拠した経済法=国家独占資本 主義法論は,池上氏の上記の批判の対象となるような国家独占資本主義論を 前提にしていたのではないだろうか。

松岡氏の見解と同時に,民科法律部会の総会で発表され,のちに現代法論

(5) 

争と呼ばれる現代日本法把握をめぐる論争のきっかけとなった N J研究会の ( 6 )  

「国家独占資本主義法としての現代日本法をいかに把握するかJ ( 以下慣例に したがって 'N J 討議資料」という)は,経済法理論に関しても,国家独占 資本主義法論の立場から様々な問題提起を含んでいた

O

また,この 'N J 討 議資料」の提起した視角に基本的にもとづいて現代日本法論を展開したとい われている『現代法の学び、方」に見られる経済法および、国家独占資本主義論 をめぐる論点を次に検討する。

前述したように 'NJ 討議資料」や『現代法の学び、方」において前提と

されている国家独占資本主義の概念は,松岡氏の見解とほぼ同様のものであ

り , したがって同じ問題点を有していると考えられるのでその点については

くり返さない。

(11)

経済法概念をめぐる問題について

113 

国家独占資本主義の概念は,経済学においても, もっとも論争的な概念で ( 8 )   あり,経済学にとっての課題設定と研究方法と結びついて存在している。そ れゆえ法律学の立場から,このような論争的な概念をいかに摂取しうるのか

(9) 

といっ問題が残されている。この問題に関しての,現代法=国家独占資本主 義論の提起者の問題意識は次のように述べられている。

「経済学上の『国独資」の概念をめぐる論争とは一定の距離をおきながら も,そこで一致して指摘されている「国家権力の経済過程ヘの全面的介入』

または「国家権力と経済の融合』という仮説を承認し,そこにおいて法がい かなる役割をはたし,いかなる性格変化をとげ,いかなる構造をとるに至る

( 10) 

か」経済学における論争とは一定の距離をおいた国家独占資本主義のいわば 共通項的な理解(実際にはそうではないのだが)は,国家の金融独占資本へ の従属あるいは融合を標識として,国家と独占あるいは金融資本の関係から 国家独占資本主義を説明することにならざるを得ない。

『現代法の学び、方」においても同じ視角からの国家独占資本主義論が述べ られている。

「全般的危機下において一貫してみられることは金融独占資本の寡頭支 配の強化とあくなき独占超過利潤の追求であった。その意味で,独占資本主 義の本質はなんらかわらない。全般的危機の時代における独占資本主義の特 徴は,かつてない資本主義の危機下において,いかなる手段ないし形態にお いて独占利潤の確保をはかるかという点にあらわれる。金融独占資本は,国 家権力を自己に従属させ国家権力を直接かつ全面的に駆使して,いかなる経 済循環の局面においても独占超過利潤を強行的に搾出するというという経済 的支配の体制をつくりだした。このように,国家権力が金融独占資本の独占 超過利潤の確保と階級的支配体制の維持のための直接かつ全面的な手段とな

(11) 

る現象を,国家独占資本主義とよぷ。」

この定義において,強調されているのは,体制的危機と経済的危機への統 一的対応としての国家独占資本主義であるが,本質的なところではやはり,

「国家と独占の結合」あるいは r国家の経済への介入」という一般的次元

での特徴づけに終わっていることは否定できない。

(12)

114  経 営 と 経 済

私は,現代法二国家独占資本主義法論の提起した問題の重要性や,この仮 説にもとづく実証的研究の成果を何ら否定するものではないが,その前提と された,国家独占資本主義の概念の把握には上記のような問題を有している と考えている。

現代法=国家独占資本主義論においては,国家独占資本主義の概念は,戒 能通厚氏の言葉によれば,現代法現象の総体的認識のための一つの方法的選 択として扱われているものであり 、かなる国家独占資本主義論を前提とす るかによって現代法の研究それ自体が左右されるともいえる。

現代法論争において,現代法=国家独占資本主義法論を r 二つの法体系 O I D  

O~

論」あるいは「社会法視座論」と呼ばれている観点から批判した論者も,現 代法を国家独占資本主義の法としてとらえること自体に異議があるのではな

く,むしろ国家独占資本主義法論を補完する立場からの批判である。

現代法論争の当事者の問でも従来の国家独占資本主義の把握にたいして見 直しが自覚されていないわけではな

L

、。片岡昇氏は,次のように述べている。

「従来わが国では,国家独占資本主義の特質を国家の経済過程に対する全 面的介入に重点をおいてとらえ,国独資法としての現代法についても,独占 の掌握する国家が経済過程に対して権力的・非権力的に介入する政策を支え る法の総体である, といった視点を与える傾向が,かなり有力にみられた」

が r Ii国家の経済過程への介入」のみを唯一の基準として現代法の総体的把 0 4 )  

握を試みることは,十分に正確とはいいがたいであろう」

片岡氏のこの指摘においてもそれは,国家独占資本主義の一面的な把握に たいする批判であり,現代法の総体的把握の前提として国家独占資本主義の 概念を使用すること,あるいは,現代法現象の土台である第 2 次世界大戦後 の日本資本主義を国家独占資本主義として分析すること自体にたいする異議 ではないのである。片岡氏は r アメリカを主導者とする帝国主義同盟の内 部に緊縛されながら,社会主義体制への対抗と独占資本の利潤確保をめざす

0 5 )  

制度」という基準をつけ加えて国家独占資本主義を理解しなければならない

という視点から,従来の国家独占資本主義の把握を部分的に批判しているの

である。

(13)

経済法概念をめぐる問題について 115 

また戒能通厚氏による「国家独占資本主義という現状規定がそのままただ

( 1

)   6 ちに法現象の分析に役立つといつことについては,私たちは懐疑的である」

という指摘も,国家独占資本主義の標識をより実証を含んだ内容としていく 観点からのものである。

しかし,国家独占資本主義論については,第 2次世界大戦後の日本資本主 義を対米従属下において国家独占資本主義の特徴をつよめつつあるものとし て把握するのかといっ前提そのもの,現代法=国家独占資本主義法論におい て指針とされた概念そのものの再検討が,少くとも,現在の時点から見ると 要請されているのではないだろうか。

次に現代法二国家独占資本主義法論における重要な問題提起の一つである

「法の政策化」の論点について検討する。

現代法=国家独占資本主義法論の提起した法の政策化,法と政策の融合と いう考え方にもとづけば,国家独占資本主義の下では,国家法による働きか けは,経済主体の意思関係を媒介としてなされるのではなくなり,法が政策 に従属し,両者の対抗関係が失われ,両者が融合するという現象がみられる

( J7) 

ことになる。ここにおいては,法は,政策目標の宣言にすぎないものとなり,

経済法は国家によって再編された経済政策の外被としてのみとらえられるこ とになる

h

したがって経済法の体系的把握は,国家独占資本主義の経済政策 の体系の把握をつうじてのみ可能となる。

宮坂富之助氏は,主として上記のような,経済政策と法という視点から経

( J8) 

済法論を展開されている。

「これまでの経済法がにおいては,主としてこの論争の重点はIi経済法 とは何か」という概念規定におかれていた。これは,いわば経済法現象の認 識の問題であり,その認識の内容に問題性があったことは,先に述べたとお りであった。そしてどちらかといえば,経済法の定義に精力が注がれていた。

私の経済法への問題関心は,いわば現在の経済法を国独資法として認識しよ

うということにあり,体系的整合性そのものを追求することは,いわば二次

的な課題として意識されているにすぎない。すなわち,政策手段として現象

している経済立法の性格や,役割りや機能,さらにイデオロギー批判が,私

(14)

1 1 6  

( J

)   9 の主要な関心事である」

経 営 と 経 済

このような経済法の把握については,すでに本間重紀氏の批判的な指摘が

(20) 

あるが,ここでは,国家独占資本主義の把握そのものにかかわって筆者の立 見を述べる。

上述の法の政策化の論理によれば,経済法は,経済政策によってその体系 と内容を与えられることになるが,そこでは,国家は,経済政策の主体とし て現われる。私は後述のように国家独占資本主義の特徴を,国家が経済政策 の主体となることにあるのではなく,国家が,私的独占(あるいは資本家と いってもよいが)に代わって生産・流通過程等の決定権を握り,経済運営の 主体となることに求める見解をとる。したがって経済政策の体系にしたがっ て経済法の体系を展開してみても,国家が一つの中心からする国民経済運営 についての決定権を有しておらず,経済政策の主体である限りでは,それら の経済政策および経済法の体系は,独占資本主義における経済政策・法の総 体としては正しいけれども,それを国家独占資本主義に固有のものとして扱

うことはできない。

『現代法の学び、方」は,国家独占資本主義段階の経済政策を,①諸階級・

諸階層の利益を一面において保護し,他面において規制する政策,②広い意

(21) 

味での貨幣政策,③国家企業・公企業に関する政策の 3 部門に整理している。

しかし,これらは,独占資本主義においても見られる経済政策であり,国 家独占資本主義に固有のものということはできないであろう。とくに,③の 国家企業・公企業にかんして,それが「私的資本の運動と補充するをもって

(22) 

いる」という役割を与えられているが,その限りでは,私的独占の支配する 独占資本主義であることを表明しているのではないだろうか。

国家独占資本主義の理論的把握だけではなく,歴史具体的特徴づけについ ても

IF

現代法の学び、方』においては, 日本における国家独占資本主義の成

(23) 

立の時期を,満州事変と管理通貨制度の導入を画期とみて 1 9 3 1 年としている。

また第 2 次世界大戦後の日本資本主義は,国家独占資本主義の復活過程とし てとらえられることになる。管理通貨制を国家独占資本主義の標識とする考

( 2 4 )  

え方は,河合研一氏の研究においても共通している。

(15)

経済法概念をめぐる問題について 1 1 7  

私的独占の国家的独占への移行をメルクマールにして国家独占資本主義を 把 握 す る 理 解 に も と づ け ば 国 家 の 生 産 部 面 の 内 部 へ の 引 き ず り こ み I 国 家資本の役割の増大」をメルクマールとして日華事変の年である 1 9 3 7 年が国

( 2 5 )  

家独占資本主義の移行の画期とされることになる。

以上,現代法=国家独占資本主義法論,経済法=国家独占資本主義法論に ついて述べてきたことをまとめると次のようになる。

国家と独占との関係から,国家独占資本主義の概念をみちぴきだそうとす る見解一例えば r 国家権力の金融独占への全面的従属」ーは,独占資本主 義の概念と国家独占資本主義の概念の相互関係を明らかにしえない。

経済法=国家独占資本主義法論は,国家が経済政策の主体となり,経済政 策と法の融合を説く。しかし,国家独占資本主義においては,国家は,主要 な産業部門における私的独占を国家的独占(国家的統制,固有)に転化させ ることにより,国家が生産,流通の統制 l 者となる。

( 2 )   国家独占・資本主義と経済法

前節で述べた経済法=国家独占資本主義法論は,いわば国家・独占資本主 義論によって展開された経済法論であった。

国家独占資本主義論には,これをむしろ国家独占・資本主義として理解す

(26) 

る見解もある。レーニンの「独占一般から国家的独占への移行」をメルクマ ールにとして,独占資本主義から国家独占資本主義への移行を説く南克己氏

の見解は,国家独占・資本主義論として展開されている。また池上惇氏の次 のような見解もこれに含めて考えることができる。

「萌芽形態にある国家的独占が戦争と大恐慌という一般的環境のもとで不 断に成長し発展し,独占資本主義の主要な側面となるにいたった場合にこ れを(このような特徴をもった独占資本主義を)国家独占資本主義と定義す

ることもできょっ」

森岡孝二氏は,レーニンの国家独占資本主義論にたちかえることにより,

国家独占資本主義をめぐる論争の混乱を整理するという視角からこの概念を

(29) 

検討して次のように定義している。

(16)

1 1 8   経 営 と 経 i 庁

「国家独占資本主義は,国家資本主義とともに,独占の支配する資本主義 的国民経済における派生的な経済的上部構造あるいはウクラードとして存在 し一一それが大戦時のような特異な政治経済情勢のもとで独占資本主義の全 局の支配的な特質に成長する場合も含めて一一全体としての金融資本による 独占的利潤獲得と資本主義的社会制度の強力的維持のために役だてられてい

(30) 

る 」

森岡氏のこのような見解において特徴的であるのは,第 2 次世界大戦後の 日本資本主義をただちに国家独占資本主義であると断定するのではなく[""国 家独占資本主義は,今日,その発展の道をのほ りつめたわけでなく,フラン スにとっても,わが国にとっても,政治的経済的危機の今後の深化の度合い に応じて,反動的軍事的方向にせよ,革命的民主主義的な方向にせよ,再び

( 3

  1 )

新たな成長期を迎えるものと考えることができる」という結論のでてくる点 である。

経済学における,国家独占・資本主義の立場からの主要な見解を見てきた が,このような国家独占資本主義論の理解から経済法論を展開したものとし

(32) 

ては,本間重紀氏の一連の戦時経済法の研究をあげることができるのではな いかと考えている。

本間氏は,戦時国家独占資本主義にたいして次のように指摘している。

「戦時国家独占資本主義段階は,国家権力による経済諸過程への介入が最 も全面的最も強度におこなわれた時代であった。そこでは金融資本の運動は,

その全面にわたって私的独占から国家独占への形態変化を遂げ,国家法は,

(33) 

金融資本の運動を広くかく深く把握する」

本間氏は,戦時経済法の概念を[""戦時国家独占資本主義段階において巨 。 。

大な規模で発達した国家的独占とその連鎖の運動を媒介した法現象」と規定 され,独占一般ニ私的独占に対比される意味での国家的独占の概念が,氏に とっての戦時国家独占資本主義把握の中心的な環となっていることが示され ている。

但し,次のように述べられる時,氏の国家独占資本主義の理解について若

干の疑問が残る。

(17)

経 済 法 概 念 を め く る 問 題 に つ い て 1 1 9  

「国家的独占の述鎖の運動を媒介した戦時経済法が,その本質において実 ( 3 5 )   現したものは,私的独占の運動,すなわちィその編成と支配であった」

戦時経済法が,実現したものは,少数の特権的な大資本家の私的な利潤,

私的な利益であることは,まちがいないが,その私的な

4

性格をなお「私的独 占」と呼ぶことは,無理がある。なぜならば,私的独占を国家的独占に転化 させることにこそ国家独占資本主義の主たる内容があるのであるから。

本間氏の私的独占から国家独占への形態変化を指標とする研究は,戦時国 家独占資本主義段階における戦時経済法に限定されている。

本間氏においても,第 2次世界大戦後の日本資本主義を!滅後型国家独占資

(36) 

本主義と規定する研究がないわけではない

O

しかし,その場合には,上記の 独占一般から国家的独占への転化という指標一一資本家の私的な決定権に制 限 を 加 え る 国 家 的 統 制 一 一 に 従 っ た も の で は な い 。 本 間 氏 は 今 日 の 経 済 社会における経済計画ないし計画法のいっそう本質的な役割は,まさに統合 された行政権によって経済社会を組織化し国民を統合すること,要するに分 裂した今日の市民社会をノデオロギー的・機能的また組織的に統合すること 。

7)

にある」という視角から戦後の経済社会での国家の役割を分析される。

r  I J 国民の経済生活,すなわちその労働と営業と消費のレベルてコ国民を 思想的組織的に統合』することは,変ることのない国家独占資本主義または

( 3 8 )  

分 裂 し た 市 民 社 会 を 総 括 す る 国 家 の 本 質 的 任 務 で あ る 」 と し て も , そ れ は

「分裂した社会の統合」という国家の本質規定にかかわるものであり,国家 独占資本主義に固有のものとはいえないであろう。

詰(1)法律時報.fl 39在 6‑8 . ・ 1967年 5月. 27ページ以下。

( 2 ) 松 │ 札 同 上28ページ。

( 3 )   松岡. f i i j 拘. 28ページ。

( 4 )   池上惇『国家独占資本主義論』有斐│別. 1965 年. 85ペ ー ジ 。 池 J : 氏 は , 資 本 主 義 の

白由競争段階,独占段階における国家の介入を次のように述べている。 r :ìlÚ市1I[E]'~ミ

の経済への介入』と呼ばれている事態は,ある論者の主 ';l~するように,独占段 1;背にな

って急、にはじまったものでもなければ\全般的危機の段附に王って :~J,にはじまったも

のでもない。すでに我々が‑1Tして与ー祭してきたように. [司家の経済への介入は. f   . f

(18)

1 2 0   経 営 と 経 i f i

本主義の成立以本 ‑lt して存主しつづけてきた。これは間然的な一時的なものではな くて,階級独裁の i 丘H としての国家椛力の存立そのものの経消的基礎としても,改良 的政策としても, W4( 主義的革I~ f l i を f 互助する本 i 以的苦干 f i 機 i j E としても,国家と栓消と の関係,相互作用は必然的なものであり,産業資本主義段階においても,経 i f i 理,;命の 考察の対象であった。/独占的金融資本の確立とともに,これらの国家と経済の相互 作用に属する範隔は,独占的金融資本と結びつき,他方では,独占的金融資本の生み だす諸矛!百の性格に規定されることとなる。国家と独占的金融資本の癒着,密接な人 的結合,金融資本と財政の癒着,改良主義の育成と,改良政策の体系化,独占的競争 の手段,金融資本の故 i 九帝国主義的対外政策等々は帝国主義段階に固有の『国家の 経済への介入」であって,出家独占資本主義以前にもすでに存在している

J

(池上,

I 司書, 83 ページ)。引用の後段で池上氏の指摘している帝国主義段階の「国家の経済へ の介入」は,経済法ニ国家独占資本主義法論において,国家独占資本主義に固有のも のであるとされているが,池上氏の理解のように,国家独占資本主義以前ニ独占資本 主義においてもはられる。

( 5 )   現代法論争そのものにふれることは小論の目的ではないが,論争は,経済法の理解 にたいして多様な論点を含んでいる。飯田泰雄「現代法論争と経済法」鹿児島大学

「法学論集.! 8 巻 2 号 , 1 9 7 3 年 3 月 , 1 3 5 ページ以下は,現代法論争を経済法に関す る論点から検討している。

( 6 )   N  J 研究会「季刊現代法.! 5 号 , 1 9 7 1 年 l 月 , 2 1 ページ以下。

( 7 )   野村平雨,戒能通孝,沼出稲次郎・渡辺洋三樹『現代法の学び、方』岩波新書, 1 9 6 9 年 。 ( 8 )   国家独占資本主義論については,井上晴丸・宇佐見誠次郎『危機における日本資本

主義の構造」岩波書庖, 1 9 5 1 年,以来の論争があるが,論争を整理したものとして,

池上│享『国家独占資本主義論争』青木喜庖, 1 9 7 7 年,品恭彦監修「講座・現代経済学」

5 巻 現 代 経 済 学 論 争 」 青 木 寄 宿 , 1 9 8 1 年の序章。

( 9 )   この問題について,前田達男「資本主義の最高の段階としての帝国主義(レーニン ) J

『マルクス主義法学講座.! V I I I 巻,マルクス主義古典研究, 1977 年 , 259‑260 ペー ジ。一般的に言って法律学,あるいは経済法学においては,国家独占資本主義の概念 はもちろん独占資本主義の概念も充分な市民権を得ているとはいえない状況があった (現在もある)。また経済法学において独占資本主義に固有の範時一独占,金融資本,

独占価格,独占利潤等々 についても共通の理解があるとはいえない。それゆえに

「独占資本」という用語を意識的に使用せず支配的資本・大企業」という語で,

カルテルの構成者である個別企業を表現するという試みが行われている。また下山瑛 二氏は独占の法的考察・党主トーーとくに金融資本の支配の法的論拠について一」

(民科法律部会『法の科学.! 2 号 , 1 9 7 4 年 ) と い う 論 文 の 中 で 独 占 資 本 主 義 が 必

(19)

経済法概念をめぐる問題について 1 2 1  

然的に「金融資本』の支配となる

J

(同上, 3 4 ページ)となることを指摘しているの は,法律学において独占資本主義が,独占と金融資本の支配する資本主義であるとい う理解か一般に欠けているのであり,経済学における「金融資本否定論」というよう な形ではあらわれないにしても,金融資本概念は実質的には,独占資本という語によ って;泣きかえられてしまっている。

独占資本主義のカテゴリーをめぐるこのような混乱は,法律学においてだけではな し経済学においても同様で、あることが森岡孝二氏によって指摘されている。森岡氏 の「独占資本主義の解明一予備的研究』新評論, 1 9 7 9 年は,独占資本主義の基本的カ テゴリーについての通説的見解を批判的に検討している。小論での独占資本主義のカ テゴリーの理解は,森岡氏の著書によっている。

(

1 0 )   i i i i 拘 'NJ 討義資*'↓

J

, 2 4 ページ。

また同様の担日を述べたものとして,現代法論争の当事者である戒能通厚氏の次の ような発言がある。,経済学上の国家独占資本主義論には,周知のように決定的とも いえる見解の対立がある。けれども私たちは,資本主義の r 全般的危機』における体 制的危機に反応して,国家権力をも自己に従属せしめた金融寡頭独占体のとる体制と いうようにこれを解し,したがってこの体制の基本標識としては,国家の独占体への 全而的従属という規定を採用すべきであると考えた J ' 現代法研究の視角と方法・ 1 一 書評=長谷川正安者「法学論争史』に代えて

J

Ii法律時報.JJ 4 9 巻 8 号 , 8 6 ページ。

( 1 1 )   i 指摘 r 現代法の学び、方.JJ 90‑91 ページ。

(

1Z )   代表的なものとして,稲子恒夫「現代の国家独占資本主義と法

J

N J研究会『季刊 現代法

J

6 号 , 1 9 7 1 年 , 4 月 。

(

1 3 )   代表的なものとして,前田達男「現代法と国家独占資本主義」和歌山大学 r 経 済 理 論 . J J 1 1 5 号,のち NJ 研究会「季刊現代法.JJ 4 号,前回達男「国家独占資本主義一現 代法論と社会法規座

J

Ii苧刊科学と思想.JJ 1 4 号 , 1 9 7 4 年 1 0 月 , 1 1 2 ページ以下。

(

1 )   4 天肝和夫他制「マルクス主義法学講座.JJ V I 巻,現代日本法分析, 日本評論社, 1 9 7 6   年 , 8~現代日本における政策と法,片岡昇氏執筆の 1 節概説, 2 0 7 ページ。

(

15 )   J ' I 同 , f 1 J ] 上 , 2 0 7 ページ。

(

1 6 )   戒通過厚,前拘品文, 9 1 ページ。

(

1 7 )   i J i H l:J,現代法の学び ' 1 ) J . J 9 9 ページ。

(

1 8 )   r s 坂 出 之 助 氏 は 国 家 独 占 資 本 主 義 の 段 階 に お い て , 国 家 の 経 済 へ の 介 入 に よ り 資本主義体;j

i

l]を維持することを目的とする経済政策を反映する法の総体が経済法であ る J ( 同氏『現代資本主義と経済法の展開』成文堂, 1 9 7 3 年 , 1 1 ページ)と規定される。

(

1 9 )   '[:(坂,同上, 1 1 ページ。

(20)

1 2 2   経 営 と 経 済

( 2 0 )   本間重紀 r i i i x u S 経済法の研究(一)一国家的独占と経済法一」京大社研「社会科学研究」

2 5 巻 6 号 , 2 ,  5 ページ

C

。 1 ) 前掲『現代法の学ひ方.1, 151‑152 ページ。

( 2 2 )   同上, 1 5 2 ページ。

( 2 3 )   同上, 116ページ。

( 2 4 )   河合研一「戦前の独占体制の史的検討一経済法の成立と展開についてのす7 干の Jj.~~

『法律時報.1 40 巻 9 号 , 46 ページ以下。

(

的 井上晴丸,宇佐見誠次郎『危機における日本資本主義の構造」岩波書出, 1 9 5 1 年 , 61‑66 ページ。

側 レーニン「ロシア社会民主労働党(ボ)第 7回( 4 月)全国協議会」全集, 2 4 巻 , 240 ページ。

間 南克己 r[j帝国主義論』と国家独占資本主義一一一国家独占資本主義論への序説

J

[ j 土 地制度史学.1 23 号 , 1 9 6 4 年 4 月 , 1 6 ページ。 r 一般的規定.国家独占資本主義は,一

面では,独占支配とそのもとでの『基本矛盾」の量的発展であ 1) ,独 r~ の本性の j出:jjfIi

開花以外のなにものでもない。それじたいは,依然として独占ニ帝国主義段階にある。

だが他面,それが国家独占資本主義となるのはその発展が一つの立の転化を含むまで に進展するかぎりにおいてである。そのメルクマールは,レーニンの指摘するとおり,

『独占一般から国家独占への移行.1 (全集 2 4 巻 240 ページ)にある。独占段階一般の

『主要矛盾.1,すなわち競争と独占という『原理』の対抗矛盾が,さらに競争と国家独 占とのあいだの対抗=矛盾というよ・り高次の・重層的な形態へと移行する点にある。」

( 2 8 )   池上惇「国家独占資本主義」品恭彦他制『新マルクス経治学講座.1 3巻,帝凶主義 と現代,有斐閣, 1 9 7 2 年 , 7 4 ペ ー ジ 。 池 上 氏 の 「 国 家 的 独 占 」 の 概 念 に つ い て は 国 家的独占の基礎概念についての一考察 ‑ F , ピ ン ナ ー の 専 売 論 を 中 心 に 経 消 論 叢 」

1 0 8 巻 2 号 , 1 9 7 1 年 8 月,のち『現代資本主義財政論』有斐 m l , 1 9 7 4 年所収。

側 森 岡 孝 二 氏 の 国 家 独 占 資 本 主 義 論 に つ い て は 国 家 独 占 資 本 主 義 論 と 現 代 資 本 主 義 分 析 経 済 科 学 通 信f J 1 6 号 , 1 9 7 4 年 9 月,のち同氏『現代資本主義分析と独占理 論」青木書届 ¥1982 年。

。 1 ) 森岡,同書, 2 0 9 ページ。

( 3 )   1 森岡,同書, 210ページ。

( 3 2 )   本間重紀「戦時経済統制法分析に関する予備作業」束大社研『社会科学研究.1 2 3 巻 3 号 , 1 9 7 1 年 , 1 4 6 ページ以下。「重要産業統制法 I 統制総出法

J

[j現代法学半典.1' 2 ,  3 ,日本評論社, 1 9 7 3 年 戦 時 経 済 法 の 研 究 一 一 国 家 的 独 占 と 経 済 法 ‑ → ‑ ) 仁

)J

京 大社研『社会科学研究.1 2 5 巻 6 号 , 2 6 巻 l 号 , 1 9 7 3 年 , 1 9 7 4 年 。

( 3 3 )   本間「戦時経済法の研究(一

)J

東大社研『社会科学研究.1 2 5 巻 6号 , 3 ページ。

(21)

経済法概念をめぐる問題について

( 3 1 )   本間,同上, 3 ページ

0

( 3 5 )   本間,前掲 4 ページ。

1 2 3  

( 3 6 )   本問主紀「現代国家による経済社会の統合一一経済計画の法的分析」講座現代資本 主義国家編集委員会『講座現代資本主義国家.JJ 2 巻,大月書庖, 1 9 8 0 年 , 2 6 9 ページ 以下。

( 3 7 )   本間,向上, 2 8 1 ページ。

( 3 8 )   本間,向上, 2 9 4 ページ。

お わ

小 論 で は , 独 占 資 本 主 義 の 国 家 独 占 資 本 主 義 へ の 転 化 を , 独 占 一 般 か ら 国 家 的 独 占 へ の 移 行 に み て , 国 家 独 占 資 本 主 義 を 国 家 的 独 占 が 国 民 経 済 に お い て主導的支配的な役割を占めている資本主義であるとする理解にもとづいて,

従来の経済法概念を検討してきた。

(1) 

本間重紀氏は[""独占を株式所有・試論 独 占 支 配 の 法 構 造 序 説 」 と い う 1 9 7 9 年 の 論 文 の 冒 頭 で , 国 家 独 占 資 本 主 義 法 の 概 念 の 批 判 的 な 再 検 討 を 提 起 し て い る 。 本 間 氏 に よ れ ば , 国 家 独 占 資 本 主 義 法 論 に 依 拠 し た 現 代 経 済 法 学 の 研 究 系 列 に お い て , 私 的 独 占 の 現 状 分 析 と い う 課 題 が い ち じ る し く た ち お く れ て い る の は , 現 代 経 済 法 学 に お け る 「 方 法 的 欠 陥 」 に あ る 。 こ の 方 法 的 欠 陥 は , 国 家 独 占 資 本 主 義 法 論 が 前 提 と し た 現 代 資 本 主 義 論 と し て の 国 家

( 2 )  

独 占 資 本 主 義 論 の 方 法 的 欠 陥 に 求 め ら れ る 。 そ の 方 法 的 欠 陥 は , 一 言 で い え ば[""じゅうらいの国家独占資本主義論が,政治的・経済的危機の複合とし ての全般的危機であれ, 自律性喪失などの経済的危機であれ,金融資本の危

(3) 

機 統 御 能 力 の 限 界 か ら そ の 論 理 を 出 発 さ せ た こ と 」 に あ る 。 氏 の 課 題 意 識 の 背景となっているのは,次のような事実認識である。

「戦後史,とりわけ今日の「構造不況』の局面において顕著な事実は,か つて限界を強調されたはずの私的独占の危機統論能力のしたたかさである」

と し て , 私 的 独 占 の 「 恐 慌 回 避 能 力 , す な わ ち 生 産 諸 力 = 社 会 的 再 生 産 の 統

御 能 力 」 だ け で は な く 生 産 関 係 し た が っ て 社 会 の 階 級 的 編 成 の 統 御 能 力 」

(22)

1 2 4   経 営 と 経 済 について注意すべきであるというものである。

この小論も,本間氏の課題意識とは異なるが,次のような事実認識から,

国家独占資本主義論の現実妥当性を問題に.している。

国家のあらゆる経済過程への介入,それに伴つ行政権の拡大を国家独占資 本主義の指標とするのであれば,それは第 2 次世界大戦後の日本経済を対米 従属的な国家独占資本主義としての特徴をつよめつつあるとすることは可能 である。しかし,国家独占資本主義を,国家の経済過程への介入一般ではな く,私的独占に対比しての国家的独占(国家的統制,国有)が支配する資本 主義と解するならば,事情は異なる。

戦後の日本資本主義においては,戦時国家独占資本主義が実施した国家的 統制が解除されただけではなく,鉄鋼,電力の固有化は,戦後アメリカの占 領下において解体され(国家的独占の私的独占への再転化),日本はアメリカ

(4) 

をのぞく先進資本主義国のなかでは,固有部門の最も少ない固となっている。

また残されていた固有部門である国鉄や,電気通信,専売事業も,今日では,

民営化の名の下に,私的独占への再転化が支配階級の課題となっている。あ らゆる産業部門における「規制緩和 I 自由化」一一社会的規制の排除も,同 じ本質を有するものとしてみることができる。

これは,資本家の私的決定にたいする社会的規制をできるかぎり排除しよ うとする傾向から理解しうるのであり,国家的独占の私的独占への再転化は,

経済生活における商品貨幣関係の支配する領域を拡大し,私的独占と金融資 本の営利活動の領域を拡大するものであるととらえることができる。

国家的独占が支配的である資本主義を国家独占資本主義とする小論の立場 からは,第 2 次世界大戦後の日本資本主義は,国家的独占の解体,私的独占 への再転化という流れの中でとらえられることになる。

小論では,現代法論争によって提起された経済法の概念をめぐる諸問題の 中で経済法学が, したがって経済法の概念が展開されるべき土台としての,

また方法的基礎としての独占資本主義,国家独占資本主義の概念について,

検討を加えた。

経済法の概念をめぐる諸問題,論争を全面的体系的に検討すること,また

(23)

経済法概念をめぐる問題について 1 2 5  

小論での検討を前提とした筆者の経済法概念については,別の機会に論じる。

なお重ねて言えば,小論では,経済法学の方法にかかわってのみ従来の経 済法学説を検討したのにとどまるのであって,そこで行われた実証的研究の 成果を否定するものではない。

註(1) 民主主義科学者協会法律部会「法の科学.IJ 7 号. 1 9 7 9 年. 5 8 ページ以下。

( 2 ) 国家独占資本主義論のこの方法的欠陥は,現代資本主義法分析としての国家独占 資本主義法論にもほとんど無媒介的に横すべりしたということができる」本問。向上,

5 9 ページ。

( 3 )   本 H l l . 同上. 5 9 ページ。

( 4 )   わがい l における凶有企業の比重の{止さとその立味については,重森暁 r i ' 虫後日本の

[ E J 有企業}',講座今日の日本資本主義.IJ 5 日本資本主義と財政,大月書庖. 1 9 8 2 年. 3 0 5  

ページ以下。

参照