技術科教育の問題点……その2
、 片岡 久
目 次
1. まえがき2.教科の名称について 3.男女共通学習について
4.小・中・高一貫の技術教育について 5.技術科教育と技術学
1 まえがき
筆者は茨城大学教育研究所紀要第3号掲載の 技術教育の問題点一その1 において一般普通 教育としての技術教育の我が国における歴史をふりかえり,さらにその性格,目標の変遷につい て考察を試みたが今回はその問題点について他の観点から検討を加えてみた。
その1にも詳述した通り初等教育における一般教育としての技術教育に対する認識,関心の度 合は未だ未だ低く∴あまつさえ我々この教育に携る者の間にすら意見の分れるところ,構え方の 不一致,甚だしきに至ハてはその重要性に対する認識不足が見られ,時には技術科廃止論さえ飛 出すような現状では一一般人や他教科関係者に対する説得力は甚だ弱いものといわざるを得ない。
こx】0年程でやっと技術教育が一般教育の一翼をになう一つの教科としてその安定した地位 を得ようとしているが未だ多くの問題点を内包していることは識者の多くが指摘しているところ である。本編においては出来る限りその問題点をえぐり出し,一般教育としての技術教育の確立 発展に資したいというのが筆者の願いである。以下必ずしも重要性の順ではないが項目別に検討 を加えたいと思う。
2 教科の名称について
戦後だけをとnてみても職業科→職業・家庭科→技術・家庭科と変遷を辿一ている。名称は形 式的なものでどうでも良く重要なことではなさそうにも思えるが,名は体を表わす例えの通り,
名称の変化につれ性格,目標,内容にも大変な変容を呈している。教科名がこうも変nたことは この教科の不安定性を物語nている何よりの表れであろう。この一点は何としてでも固定しなけ ればならぬ問題の一つではなかろうか。教科名を変えることはその内容の不安定さを如実に表わ す以外の何ものでもない。
名称についての第2の問題点は技術・家庭という妙な表現を用いている点で,他の教科に例を
見ない欠点がある。第1報にも触れた如く,この教科名決定に際しては甚だ不明朗な経過があ・っ
教育研究所紀要第五号
ったのである。即ち昭和33年の文部省の原案ではすっきりと 技術科 であったし,原案作成 に当nた各種委員もそう諒解していた。所が家庭科教育団体の政治的工作(3)一小学校,高等学 校に家庭科の名称があるにも拘らず中学校に家庭科の名称がないのはおかしい一という主張が 通り,改訂学習指導要領の発表直前にな^て家庭を加えた技術・家庭というすハきりしない奇妙
な教科名になnたのである。しかも技術・家庭(男子向き),技術・家庭(女子向き)というよ うに男女別々の教科内容になハている複雑さも内包しているのである。
男子向きの教科内容は製図・木材加工・金属加工・機械・電気・栽培の6分野に分かれそのな かには家庭的・家政的内容は全く含まれていないにも拘らず,教科名は技術・家庭科なのである。
こんな不自然な表現を用いてもよいものであろうか。これも一つの問題点であろう。女子向きの 内容としては被服・食物・住居・家庭機械・家庭電気・保育の6分野に分かれ,内容全体の約レ2 は所謂工業技術に直接つながる教材であるから,技術・家庭科と呼んでもある程度名は体を表わ
しているかも知れない。しかし新学習指導要領のこの教科の総括目標「生活に必要な技術を習得 1
ウせ,それを通して生活を明るく豊かにするためのくふう創造の能力および実践的な態度を養う」
に示されている通り我々が近代人間として身に備えなければならない生活に必要な技術の習得が 主目標なのであるからこの教科名も技術科というすっきりしたものにすべきであったろう。この ま玉では男子には技術科を,女子には家庭科をという旧態依然たる観念から脱却することは出来
ないであろう。3 男女共通学習にっいて
小学校・中学校を通じ男女別々に分かれて学習する教科はこの技術・家庭科だけである。教科 名は同一でも指導内容も指導要領も教科書もそれぞれ男子向き,女子向きと分けられ完全な別学 の形態をとっている。義務教育の原則である男女共学はこの教科では破られ,男子と女子が同一 の教室では学習できないようにな・っているぽかりか,教える内容も男女によって違った2つの系 列になりているのが現状である。
これに対して「生徒の現在および将来の生活が男女によハて異なる点のあること」を主な理由 に賛成する人もあれぽ「憲法や教育基本法に違反するぽかりでなく一般教育であるならば性によ りて差別すべきでなく教育上男女共学はいつの場合でも認められなければならぬ」と強く主張す る人達⑤もある。両者の主張点について検討してみたい。
先ず男女共学を主張する人達の考え方から述べよう。この人達の男女共学を強く主張する理由 を箇条書きに列挙すれぽ次の通りである。
(1) 日本国憲法で「すべての国民は法の下に平等であって性別によりて差別されない」と明記
されている。(2)教育基本法第3条で教育の機会均等の立場から「性別により教育上差別されない」こと,
また第5条では男女共学の立場から「教育上男女共学は認められなければならない」と記され
ている。
片岡:技術利教育の問題点(その2)
(3)技術教育が一般普通教育の教科であり,特定の職業的技能を身につけるのが目標でないこ と,したがって男子だけに教えればよい,女子だから必要ないという論拠は全くなく,同一内 容,同一教室で学習するのが当りまえである。
(4)現在の男女別学を続けることは知らず知らずのうちに,生徒に男と女は違うものだ,女は 男のようにむずかしいことは学ぶ必要がないという考えを植えつけ,ひいては父母までもこれ を当然とうけとめるようになり,女子の学習権をうぽうというよくない結果をもたらす。
(5) 男女別学によハて男子は男子のよいところ,女子は女子のよいところを認め合い,助け合 うことができず,男子だけ女子だけの不正常な雰囲気ができ・学習能率が上がらない。
(6)女子に低次な技術教育しかほどこさないため,女子の自然科学的な学力(数学・理科)の 低下を助長することになり,女子は家庭生活の中だけにとじこめられ,極度に科学や技術に弱
い全面的に発達しない人間をつくってしまう。
以上のような理由から男女共学が必要で現状は不目然不合理であると主張している。そして一 度でもこの教科を男女共通で教えてみると,生徒の技術・家庭科や技術に対する認識が変化し本 当に進路に関係なく必要なのだということを理解することがわかる。そうでないと技術は男子だ けのもの,家庭は女子だけのものという考えが身についてしまう。もし技術・家庭科が全面的に 男女共通で教えられるようになれぽ,現在の技術・家庭科の内容も,も・っと一般的基礎的なもの が選ぼれるようになり,他教育の教師も,父母や一般の労働者もこの教科の重要性を見直すよう になり,技術・家庭科の教師も一般教科と肩を並べ,この教科だけが特殊教科の扱いを受けるコ
ンプレックスはなくなるだろうというのがこの人達の考え方である。最近ではこの男女別学の疑 問や不自然さを感じ,男女共通学習の実践を試みる教師も団体もいくつかある。
これに対し現在の男女別学を主張ないし肯定する意見発表はまとま一た形では見られないが,
言わず語らずの内に現在の別学を認める考え方を筆者なりにまとめてみるとつぎのようになるも
のと考えられる。(1) 日本国憲法に違反していない。技術・家庭科における男女別学は決して性別によ・って差別 待遇をしているものではない。憲法において「性別によ・(て差別されない」といっていること は男女平等の原理をさすもので技術・家庭科の別学などはこの条項の範囲外の問題である。
(2)教育基本法に反するという意見に対して一第3条の「性別によ・(て教育上差別されない」
というのは旧帝大のように入学を学則上排除したり,旧制高校で女子の入学を拒んだりするよ うな差別待遇を指したもので技術・家庭科の別学などを指摘するものでない。現在の教育課程 では教育基本法でいう男女共学は義務教育の段階で完全に実施されていると解して差支えない。
(3)一般普通教育だから男子にも女子にも共通に必要な教科であり同一内容,同一教室で学習 するのが当り前であるという事に対する反論について。これについては一般普通教育とは何ぞ やという本質論にまでさかのぼらなけれぽ一般普通教育即男女共学と結論するのは早計である。
人間に男女の別があり,その間に肉体的・精神的に司成りの差があることは誰も否定できない。
しかも一般社会人となったとき社会的分担,責任,生活の面で少くとも現社会体制では一部の
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例外を除いては・っきりと分れていることも否定できない。特に技術・家庭科の総括目標を生活
.に必要轍術の習得におくことを肯定する限り・例え一般普通教育といってもその性別に適っ た別々の教科内容であっても一向に差支えないではないか。
(4)別学を現在のように続けると知らず知らずのうちに生徒に女刊甥子と違うものだ,女は 男のようにむずかしいことは学ぶ必要がないという考えを植えつけ,父母にまでその考え方に 傾かせ・女子の学習権をうばうことになるという考妨にウいての反論.こ紺・ついては(3)で
ものべたように男子と女子では身体的に精神的にも可成りの差があることは何人も否定できな い。従(て社会人となったとき・社会構成員の一員として男女の差が生ずるのも必然である。
生活面で男と女とが違うのが当り前であり,これが全く同じであったなら面白みもなく,社会 の進歩も遅れ,世の中は余りにも味気なくなる。天から賜^た有難い神の摂理であり,これさ え否定しようとするならば余りにも殺ウまつな世の中となろう.技術・家庭科での別学が女子の 学習権をうばう結果になるとするのは独断であり観も甚だしい.女子向きの教科内容が男子 向きの内容より低次であるとは速断できない。従一て女〃甥のようにむずかしいことは学ぶ必 要がないという考え方を徹つけることにはならない.女子の天性を育成する内容湧子の天 性を育成する内容,2つに分かれて一向に差支えない。男子は男子らしく,女子は女子らしく 全燗的な発展をとげ・男女各嚇色を出し合・・,協力し合ってこそ明るく豊か姓活を築き 上げ得るのではないだろうか。
(5)男女別学では男女の助け合い・・行われずに学習能率が上らないと・・うことに対する反論,こ ついて。協同,責任および安全を重んじる態度を養うことも一つの目標とされているが男女共 学ならこれが実現され,男女別学なら実現不能ということは速断たすぎる。別学でも実現可能 である。教科内で男女の助け合いを目指すことは必ずしも必要であるまい。また現在の教科内 容を著しく変更するなら別であるが現在のま・か少くと槻在に近い内容で男女共学を実施 するならば女子は実習面で傍観者の立場に立ち男子独占という現象が出現し,学習能率の向上 どころか却(て低下を招く恐れさえあるであろう。
(6)男女別学では女子の自然科学的な学力の低下を助長することになり汝子は家庭生活の中 だけにとじこめられ,極度に科学や技術に弱い全面的に発達しない人間をつくるということに 対する反諏つ・・て・確に女子が自然科学や技術に対して男刊こ比べ弱か一たり劣一ているこ とは燗の歴史をふりかえるまでもなく多くの人の認めるところである.しかしこの性繍徴 甥女別学の結果生じたものであろうカ・.そうとは断言できない.科学的調創ま詳かでないが この方面噛ける男女の差姓れつきのものではなかろうか.女子が理科轍学・こ弱いのは中 学 高校以上でどこでもみられる現象であり・これら娚女共学を実施していての結果である。
自然科学や技術の面で人類の進歩に貢献した人々は例外はあるが男性が大部分である。かとい りて女子甥子に比べ燗的に劣って・・るというのではない.それぞれ違った特長を抱て、、
るのであるからそれを認め合い人類社会へ貢献すればよい。女子が家庭生活面で活躍しその特
色を生かされればお互に幸福ではないか。
以上男女共学賛成論者の6つの論拠に対して上記のような反論があろう。どちらが正論である かにわかには判定しにくい。その国々の社会体制とも深いつながりを持つ問題であろう。特にご
と教育に関する問題であり,簡単に実験し,しかもその結果を直ちに評価するわけにもいかない。
この問題に関する対応策としては次の3つが考えられよう。
(1)現状の男子向き,女子向きの教科内容で男女別学で学習させる。
(2)現在の教科内容の中から共通分野を取り出し,この部分だけの学習を男女共通学習とする。
(3)現在の教科内容を全く改め,完全な共通内容として男女共学とする。
何れが教育上優れているか即断することは困難であるが,何れにしても慎重な検討,十分な研 究の上決めなければならない問題である。
ハ
S 小・中・高一貫の技術教育について
現在の教育課程で技術・家庭科が設けられているのは中学校においてだけで,小学校・高等学 校にはそれがない。なかんずく技術科においてそうであり,一方の家庭科は小中高の一貫教育がな されている。この点男女間の均衡が取れておらず不平等とも言える。技術教育を一般普通教育と
して正当に評価するならぽ小学校と高等学校にもなけれぽならぬと主張するのは当然な考えとい うべきである。小学校の教育課程の中では図画工作科の工作の部において技術に近い教育が実施 されているので,これを技術的に修正変更或は程度を深めることはさして困難さや抵抗はないで あろう。現在の工作教育も技術教育の一貫とみて差支えない内容をもっている。
ソヴエトの総合技術教育においては小学校1年より高等学校まで,手の労働にはじまって金工
・木工・電子・自動車およびトラクターなどが学習され,また社会的生産労働にも参加している。
一力アメリ均のインダストリアルアーツにおいては小学校では実施されていないが,中学1年よ 、
り始まり高校3年まで必修教科として取扱われ,製図,・木工・金工・印刷・電気・電子・自動車 棲構・原動機機構・通信などの領域が学習されている。領域の種類や内容は州・市によって違っ ているが工業技術の基礎を必修教科として取り上げている点では一致している。女生徒に対して は,これらの領域を選択して学習することができるようになっているところもあるが,一般的に は「家庭科」を学習する場合が多い。
上述の如くソビエトでは小中高一貫して,アメリカでは中高一貫して技術教育を必修教課とし て課している。我が国においても米ソに見習えというおけではないが十分検討に値する問題であ る。米ソにおいてはその成課を期待し,その教育的価値を認めているからこそ設けているのであ ろうと考える。筆者は高等学校にも女子に家庭科をおくと同様に男子には技術科を設けるべきで あると考えるがその論拠としてつぎの5項目をあげたい。
(1)如何なる進路に進もうとも現代の進歩した技術社会に対応できるたあには近代技術の基礎 知識,態度,技能が必須条件になる。工業関係に進むものは勿論,理学・農学・医学・法律・
政治・経済・商業・芸術・文学などどの部門に進む場合にとってもその周辺には技術的環境に
包まれ,あるいは積極的に技術を行使し,あるいはその技術的生産物を取引きの対象とし,殆
教育研究所紀要第五号
どの者が技術的知識・態度なしにそれぞれの職域でその職務を全うすることは出来ないであろ う。職業準備の専門教育の期間になって修得するにしても折角中学校時代に培った技術的能力 を高等学校時代に全く空白のま玉中断して良いであろうか。
(2)現状では小学校・中学校と連続のあった技術教育が高等学校で中断され実りあるものとす ることが出来ない。これは今更詳するまでもあるまい。(1)と関連して折角得られた中学校時代 の技術的教養は実が結ぽず成長を折断される現状は生徒自身のためにも,社会のためにも大き な損失といわねぽならない。
(3)現在の高等学校の普通科では大学入試科目を中心とする教育に偏り過ぎ全面的に発達した 人間教育ができない。およそ教育には知識教育・道徳教育・体育・芸術教育の外に技術教育が 加わハてその円満な教育が達せられるのではないだろうか。高等学校職業科は勿論のこと普通 科においても技術教育を行うべきと考える。これによ一て円満な全人教育が可能であろう。頭 脳ぽかりでなく手の労働の発達も人間には必要である。
(4)現代社会における労働について。労働観・労働態度を正しく生徒たちに養わせる必要があ る。その教科は技術科をおいて他にない。特に現在の高校普通科の教科課程では労働の体験 は全くなく,労働についての正しい認識は得られない。実際の体験を通してのみ正しい労働観 が得られるのである。技術科を設け創造し生産する喜びを体験させるのも一つの重要な教育目 標となろう。とかく我が国においては手の労働に従事する人達を軽視ないし蔑視する傾向があ
るのもこの正しい労働観に対する認識不足に遠因しているのではないだろうか。
(5)技術的能力の習得,労働への態度の形成を通して,現代社会における技術文化の本質につ いての理解を深長させることが出来る。これには生徒の心身発達上最も適した年代である。中 学校の技術科だけではこの点まで触れ,且つ生徒の真の理解を迫ることは困難であろう。
5 技術科教育と技術学
その1(8)でも触れたように中学校の他教科の背景には確固とした学問体系が確立されている。
理科には物理学・化学・生物学・地学,数学科には数学,・社会科には歴史学・人文地理学・政治 学・経済学等々しnかりした学問体系があり,その基礎的教養の習得・実践として各教科の地位 が確立され,従ハて教科の性格・目標なども明確になnてくる。しかるに我が技術科にはその背 景となる技術学が確立されているであろうか。否といわざるを得ない。
技術科の性格と目標について対立した2つの考え方(4)があるのもこのためであろう。すなわち,
技術科の内容を技術学を中軸にして編成し,技術の理論的知識の系統性を重視していこうという
考え方と・プロジェクト学習を前提にし,知識はすべて学習の展開における関連知識としてのみ
位置づけようとする考え方である。前者の考え方は民間教育団体の一部のものであり,後者は文
部省の学習指導要領にその典型をみる。前者の主張は後者が「…しながら」という学習の方法
を前面に出すことによって知識を教えることを極端に軽視していることを批判し,技術科で教え
る中味をもnと重視すべきことを強調し,教える中味を技術学という科学を中軸として系統化す
べしとしている。これはこれなりに評価できるが肝心の技術学という学問体系が確立し整ってい なけれぽならぬ。技術学という名称は聞くがその実体を見たことがない。何故か。あまりにも荘 漠としていてその体系が確立し得ないからである。この極度に進歩発達した科学技術の現代社会 では学問が細分化され,決して技術学などという雲をつかむような学問では間に合わなくなって
しまっているからである。
更にその前に技術という言葉の定義でさえ学者によりいくつかに分れていては技術学の確立な どは望みうべくもないであろう。すなわち技術の意味する内容としてはつぎの幾通りかの解釈が
ある。
(1)意識的適用説(6)… 技術の本質は人間の行動を特徴づけるものであり人間は目的をたて,
計画を定め,実行に当nて曝たえず計画どおりに進められるような意志と調整の力をはたらか せる。この特徴を強調したものが技術の本質であり「技術とは人間の生産的実践に客観的法則 性を意識的に適用すること」つまり「科学の応用」とする考え方である。武谷三男に代表され る説である。またこの説では技能は「生産的実践における主観的法則性の意識的適用である」
とし「技術は客観的なものであり,したがって組織的社会的なものであるので知識の形によ吟 て,個人から個人へ伝承ということが可能であるが,技能は主観的心理的個人的なものであり 熟練によりて獲得されるものである」という立場にたnている。
(2)労働手段体系説⑦… (1)に対しては法則性の意識的適用は人間の行動の本質に属するもの と考えられるので(1)に反対し,「技術とは人間の生産活動に鴬ける労働手段の体系である」と 主張する考え方である。岡邦雄に代表される説である。またこの説での技術と技能との区別は 労働手段の体系であり,この技術が労働主体の側にあらわれるとき,いいかえると人間が技術 を駆使する能力を身につけたとき技能であると主張する。
(3)精神労働体系説… これは(2)の考え方を更に拡張したもので精神労働における手段が体系 を整えてきた分野ではしばしぼ使用される。たとえぽ経営技術・教育技術・宣伝技術などの社 会・集団・個人を対象とする場合にも用いようとする考え方である。これは元来生産技術を基 礎に発展した技術の概念の拡大解釈とも通俗的解釈ともいえる。
特に(1)の意識的適用説と(2)の手段体系説は戦後の技術論争となり現在でも学者によりそれぞれ の立場が主張されている。未だにその何れにも軍配は上らず決着をみていない。従^て技術教育 のよりどころとして 適用説 を選ぶか 手段体系説 を選ぶかによ・「てその性格・目標および 内容にも可成りの差が出てくるのは明らかであろう。これはまた何れが良いとも定ハていない。
民間研究団体の中には 適用説閃に加担し技術教育論を展開していたが,後にな・ってIF労働手段 体系説 に従う例さえ見られる。
かかる現状から見て技術学の確立は望みうべくもないと考えても良いのではなかろうかQ従ハ て筆者は技術科の内容を技術学を中軸にして編成し,技術の理論的知識の系統性を重視していこ
うという考え方にはにわかには賛成しかねる。かといハて現在の指導要領全面賛成というわけで
はない。現在の指導要領の「技術の習得を通して生活を明るく豊かにするためのくふう創造の能
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力および実践的態度を養う」という目標では後段に主眼点があり前者は従であるという見方にな らざるを得ない。もっと技術の理論的知識の系統性を重視すべきものと考える。
参 考 文 献
(1) 中学校学習指導要領
(2)同指導書