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「運動鍛錬

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(1)

要約

「運動鍛錬

(運動トレーニング)

は身体を繰り返し高体温にさらすことで 暑熱馴化を誘導することによって持久力を高める」という仮説が実験的な 研究によって提唱されている。本研究では,実験室内での特殊に制約され た運動ではなく,ごく日常的な運動を行っている時の生体反応記録からこ の暑熱馴化仮説を検証することを目的として,通常の山のぼりにおける心 拍数,呼吸の激しさ,動脈血酸素飽和度,体温の変動を測定した。測定に は運動の妨げにならない軽量なモニタ装置を開発して用いた。日頃から運 動トレーニングをしている鍛錬者男性と非鍛錬女性という対照的な被験者 での記録について詳細な解析を行ったところ,次の諸点で仮説を支持する 結果が得られた。すなわち心拍数や呼吸数,動脈血酸素飽和度がほぼ同等 に推移した山のぼりにおいて,鍛錬者では非鍛錬者よりも体温が上昇しに くく,非鍛錬者の自覚的運動負荷強度は体温上昇経過とよく相関した。心 拍と呼吸は鍛錬者,非鍛錬者を問わず下りでも激しいことがあり,物理的

・自覚的運動負荷強度と相関しなかった。心拍と呼吸の激しさは動脈血酸 素飽和度とも相関せずに運動の開始,中断から数分以内でほぼ定常したの で,筋肉での有酸素代謝がまだ十分に間に合っているうちから,予防的な

馴化仮説を日常的な運動で検証する

― 9 9 ―

(2)

で呼吸促進 血液酸性化 血液酸性 で呼吸促進

神経性調節機構が早期から心拍と呼吸を制御していると考えられた。筋肉 での無酸素

(嫌気)

代謝が産生する乳酸が血液を酸性化して心拍・呼吸を 促進し始めると,息苦しさによって自覚的運動負荷強度を高めると考えら れるから,予防的な神経性機構によって早期からの心拍と呼吸促進が起こ っていたことは鍛錬による暑熱馴化が持久力向上につながるとする暑熱馴 化仮説を支持するものである。

Ⅰ.緒言

運動をすると心拍数が増してきて呼吸が苦しくなることは多くの人が共 有する経験である。やがて身体が熱くなってきて汗をかく。

この一連の出来事のうち,心拍と呼吸の変化は運動に必要なエネルギー 源を維持しようとする生体反応として了解可能である。すなわち,食べ物 から取り込んだブドウ糖を燃焼させて運動に必要なエネルギー源としての ATP を筋肉で産生し続けるには,呼吸で取り入れた酸素を血流にのせて ふんだんに筋肉に提供し,燃焼で生じる二酸化炭素等の老廃物を筋肉から 洗い流し続ける必要がある

(有酸素代謝;図1)

。酸素不足のもとでのエネ ルギー調達

(無酸素あるいは嫌気代謝)

は乳酸産生を伴い,この乳酸が血液

図1

運動時の心拍・呼吸の促進と,体温調整の関係 伝道・対流 (皮膚血流増大)

蒸散(発汗) 輻射 筋肉(骨格筋)

運動によるエネルギー需要増大

→エネルギー源

(ATP)

増産

有酸素的

ATP

産生 酸素需要増大 二酸化炭素産生増大

増産が間に合わないと 無酸素的

ATP

産生

乳酸産生増大 酸素供給

二酸化炭素除去 発熱

― 1 0 0 ―

(3)

中に移行して血液を酸性化すると心拍・呼吸をさらに促進して息苦しさを 高める。生体には運動に伴うこれらの事態に対処するために早期から予防 的に心拍と呼吸を促進する機構が備わっているものと想像される

1)

一方の体温上昇は,筋肉の収縮過程に随伴する分子レベルでのさまざま な摩擦過程での熱産生がおおもとである。この熱産生増大が,身体から外 界への熱放散を一時的に上回るために体温が上昇する。体温上昇は外界と の温度差を拡大して伝導・対流と輻射による熱放散を促進するが,生体は 皮膚血管を拡げて体表を流れる血液にのせて体熱を運び,体表面温度を上 げてこの熱放散をさらに促進する

(図1)

。これでも熱放散が追いつかない ときには汗をかいて体表面から水分の蒸発を起こし,蒸発が奪う気化潜熱 に体熱を排泄する

(蒸散)

日常的に運動している鍛錬者

(運動トレーニング者)

では体熱放散促進機 構が迅速かつ効率的に作動して運動時の体温上昇を抑制するらしいことが 実験的に知られている

2)

。これは冬から夏に向けて皮膚表面の血管が拡が りやすくなったり,汗をかきやすくなったりする暑熱馴化と同じ現象で,

運動するたびに高体温にさらされる鍛錬者は,この暑熱馴化で体温調節能 力を高めるという。この体温調節能力の改善が,運動による持久力増大に つながるとする仮説が提唱されている

2)

。以下この仮説を「鍛錬の暑熱馴 化仮説」と呼ぶことにしよう。これは皮膚を流れる血管系の改築により,

より少ない皮膚血流にのせて体熱をより効率的に体表面に運べるようにな れば,あるいは体温上昇があまり起こらないうちから汗をかいて水分蒸散 によって体熱を効率的に放散できるようになれば,皮膚血流増大のための 心拍負荷が軽減され,筋血流が維持されて有酸素代謝による筋収縮が持続 し,無酸素代謝による乳酸産生が抑制されて血液酸性化による呼吸負荷が 軽減するという仮説である

(図1)

このようなダイナミックな生体反応を詳細に調べるには酸素消費量,二 酸化炭素排泄量,血液の pH や乳酸濃度,筋肉の活動状態を表す筋電図な

― 1 0 1 ―

(4)

どの精細な測定を組み合わせて実施する必要がある。これらの込み入った 測定は精細である一方で大掛かりになるから,実験室内で実施可能な特殊 な制約のもとでの運動でしか実施できない。このような特殊な制約のもと での観測が,ごく日常の運動動作における生体反応を正しく反映している かどうかを確認する必要がここに生ずる。

本研究は小型で軽量な測定・記録装置を用いて日常的な運動をなるべく 制約せずに多くの生体反応を測定し,暑熱馴化が運動持久力を高めるとい う鍛錬の暑熱馴化仮説を検証することを目的として実施した。一時間半ほ どで3 0 0 m 強の標高差を登り下りする中等度強度の山のぼりでの生体反応 の連続記録の解析である。実際の山のぼりにおいて,ここに報告するだけ の多項目にわたる生体反応を連続記録したという例は筆者らの知る限りに おいてほかに例を見ない

3)4)

Ⅱ.方法

記録装置

市販の心拍数モニタ (S610i, Polar, Kempele, Finland) をもとに,その胸部 トランスミッターベルト部分に低弾性体用ストレインゲージ

(KFML-5-

350-C1,共和電業,東京) 4枚をフルブリッジで貼り付け,胸郭の動きをベ

ルトのたわみ変化として記録できるようにした。測温抵抗体

(超薄型高精 度サーミスタ

103JT-100,石塚電子,東京) と2つの静電容量型3軸加速度セ ンサ

(ACB302,スター精密,静岡)

からの出力を増幅してマイコンボード

(AKIH8-8069,秋月通商,埼玉)

で AD 変換して1 0ビット0. 1秒周期で RAM に記録する。駆動用の乾電池0 0 6 P を含めた総重量は2 2 0 g 程度で,湯温 測定により見積もった温度分解能は0. 0 1℃,記録時間は5時間弱であっ た。記録データは PC にシリアル転送し,市販の表計算ソフト上で解析し た。標高測定には心拍数モニタ (AXN700, Polar) を利用した。動脈血酸素 飽和度は市販の指先光センサタイプのモニタ装置

(Pulsox-3Si,ミノルタネ

― 1 0 2 ―

(5)

ーレ,東京)

を使用して測定した。

胸郭の動きから呼吸運動を評価するためには,まず記録された胸郭の動 き信号から周期0. 8秒以下の高周波ノイズと周期5秒以上の低周波ノイズ を表計算ソフト上で落として胸郭の動きとし,この胸郭の周期的な動きの 一つ一つについて,呼吸数と呼吸の深さの積を呼吸の激しさとして得た。

呼吸数は一呼吸ごとにその周期の逆数として見積もり,呼吸の深さはその 一呼吸における胸郭の動き信号の最大振幅として見積もった。

山のぼり

栃木県栃木市近郊にある標高4 1 9 m の晃石山の直登ルート

(標高差316

m) を往復した。運動鍛錬者である5 8歳男性と,非鍛錬者である2 5歳女 性について測定した。被験者には測定の趣旨と方法について事前によく説 明し,自由意志による参加の同意を得た。体温は中枢

(核心)

温度に近い 直腸温測定とし,測定ごとに開始前の安静時体温を3 7℃ として較正した。

表1に記録を行った日の気候と,登り下りに要した時間を一覧して示す。

Ⅲ.結果

非鍛錬者ペースでの山のぼり

図2に示すのは,鍛錬者の男性と非鍛錬者の女性の被験者二名が同時に 山のぼりした時の記録である。横軸の時間は登り始めの時刻を0として,

それからの時間を表している。山のぼり開始前に山のふもとの駐車場まで 自動車で移動しているため,標高1 0 0メートル付近までは速く登っている

(図2の一段目)

。この間心拍数

(二段目)

,呼吸

(三段目)

は低く安定してお り,体温

(五段目)

も落ち着いてきている。

山のぼり開始の時刻0から標高は直線的に増している。登り始めてから 1 5分目から1 7分目くらいの二分間ほど一時休憩をとっているが,後はま た同じペースで一気に山頂まで登っている。このように標高が直線的に増

― 1 0 3 ―

(6)

していることは,両被験者が物理的には重力に逆らう仕事をほぼ一定のペ ースで行っていることを意味する。

この間の心拍数変化を見ると,登り始めてから二〜三分ほどで二人とも 心拍数はそれぞれの高い定常値に達している。鍛錬者の男性被験者では登 っている間の定常心拍数は1 0 0拍/分前後であり,非鍛錬者の女性被験者 では1 3 0拍/分前後である。わずかの途中休憩の間に心拍数は急速に平常 値に向かって回復するが,また登り始めると途中休憩前とほぼ同じ定常心 拍数に戻っている。非鍛錬者である女性被験者にとってはこの山のぼりペ ースは自覚的には山頂に近づくにつれてかなり苦しいものになったと訴え ていたが,心拍数は被験者の自覚とはまったく関係なくほぼ一定であった ことは注目に値する。

呼吸は女性被験者では登り始めるとすぐに心拍数と同様に激しさを増し,

上り坂での高い定常状態に達した。動脈血酸素飽和度は途中休憩まではほ ぼ登り始める前と同じに保たれている。呼吸があまり激しくならなかった

表1 山のぼりの日の気候と所要時間

日 付 天気 ふもと 山頂 所要時間(分)

備 考 気温 気湿 気温 登り 下り

男性被験者 運動鍛錬者58歳

7月15日 曇 32.5℃ 73% 28℃ 40分 33分 比較的涼しい。

8月17日 晴 30.7℃ 94% − 35分 23分 早朝登山。

8月31日 晴 34.0℃ 45% 29℃ 35分 23分 直射日光が強い。比較的爽やか。

9月 2日 晴 34.0℃ 49% 30℃ 31分 19分 直射日光が強い。比較的爽やか。

9月 9日 曇 26.3℃ 80% − − − 5合目で引き返した。

9月20日 晴 29.9℃ 44% − 27分 20分

11月 5日 晴 27.0℃ 55% 22℃ 40分 37分 登りは女子被験者のペース。

女性被験者 運動非鍛錬者 25歳

9月 9日 曇 26.3℃ 80% − − − 5合目で引き返した。

11月 5日 晴 27.0℃ 55% 22℃ 40分 37分 登りは女子被験者のペース。

― 1 0 4 ―

(7)

二名の被験者が同時に山のぼりしたときの記録。上から標高,心拍数,呼吸の 深さ,動脈血酸素飽和度,体温。黒丸は運動鍛錬者の男性被験者,白丸が非鍛 錬者の女性被験者。11月5日。女性被験者の記録は測定器のトラブルにより,

下りの途中までしか取得できなかった。

図2

標高(m)心拍数(拍/分)呼吸(任意単位)動脈血酸素飽和度体温(℃)

― 1 0 5 ―

(8)

男性被験者の動脈血酸素飽和度が比較的早期から低下を示しているのとは 対照的である。女性被験者でも途中休憩後,山頂に近づくにつれて酸素飽 和度が低下し,これにほぼ同期して呼吸の激しさをさらに増した。途中休 憩では呼吸の激しさははっきりとは変化していない。

体温変動は,鍛錬者の男性被験者ではほぼ標高と平行して一直線に上昇 した。この時には女性被験者にペースを合わせて山のぼりしたため,被験 者にとっては自覚的にかなり楽な山のぼりだったという。一方の非鍛錬女 性被験者の体温は途中休憩までは鍛錬男性被験者を上回るペースで直線的 に上昇し,途中休憩後は体温が3 8℃ に近づくにつれて上昇速度が鈍って いる。途中休憩後の平均的な体温上昇速度は,途中休憩前の約三分の一に 落ちている。自覚的な運動負荷強度が増した頃に一致して体温上昇速度が 低下しているわけで,心拍数と違って体温の上昇経過は被験者の自覚的運 動負荷強度をよく反映していると考えられる。

山頂で5分間の休憩を取っている。この間に心拍数と呼吸の激しさは約 3分のうちに急速に低下して,それぞれの日常動作時のレベルにおよそ達 している。これに対して体温のほうは鍛錬者の男性被験者よりも非鍛錬者 の女性被験者で急速な低下を見せた。両人とも同じように休憩しているこ とから,女性被験者での急速な体温降下は強い体熱放散機構が作動してい ることを示唆する。女性被験者では登りの間に3 8度を越える体温にさら されたことから,発汗が起こり,汗の水分蒸散による体熱放散が起こって いたことが想像される。

下りは男性被験者が女性被験者に先行しながら随所で女性被験者が追い つくのを待っては,自らのペースで下山した。男性被験者も女性被験者も 心拍数は日常の心拍数レベルのままだったが,呼吸は比較的激しく保たれ,

体温の低下速度はそれぞれの被験者について休憩中の体温低下速度の約半 分に鈍った。心拍数の方は日常レベルであるにもかかわらず呼吸が激しく,

体温の低下速度もゆるくなっていることは興味深い。男性被験者の下りの

― 1 0 6 ―

(9)

呼吸の激しさは登りでの呼吸の激しさを上回っている。

この時には4 0分かけて登り,5分の休憩の後3 7分かけて下っている。

五合目までの往復

図3に示した体温の記録は女性被験者の体調が優れず五合目までで引き 返したときの記録である。五合目までを3 5分かけて登り,2 8分かけて下 っている。かなりゆっくりとしたペースで登り下りしていることになる。

体温の変動を見ると,図2の場合と違って女性被験者の体温が最高でも 3 7. 8℃ までに抑えられており,下り始めても急速な体温放散が見られな い。体温がいったん十分に上昇しないと,図2に見られた強い体熱放散機 構は作動しないことがわかる。

鍛錬者ペースでの山のぼり

図4は鍛錬者である男性被験者が単独で自らのペースで同じ山を登り下

図1とは別の日(9月9日)の体温の記録。女子被験者の体調が悪く5合目 で引き返した。細い線が女子被験者。太い線が男子被験者の記録。

図3

体温(℃)

時間(分)

― 1 0 7 ―

(10)

鍛錬者の男性被験者が自らのペースで山のぼりしたときの記録で上から両足 首の加速度,心拍数,呼吸の深さ,動脈血酸素飽和度,体温。7月15日。

両足首からの加速度の記録は識別のために人為的に50

ms

―2分だけずらして 表示してある。

図4

加速度ms―2心拍数(拍/分)呼吸(任意単位)動脈血酸素飽和度体温(℃)

― 1 0 8 ―

(11)

りしたときの記録である。ふもとでの気温が3 2. 5℃ で湿度7 3% という運 動には厳しい気候の中で,4 0分かけて登って3 3分で下っている。男性被 験者のペースとしてはかなり遅いペースであった。図2に示した女性被験 者のペースに合わせて登ったときと比べて,登りには同じ時間がかかって おり,下りは4分間の時間短縮になっている。

図の一番上の段には両足首に装着した加速度計での記録を示す。4 0分 目までの登りと4 5分目から7 8分目までの下りとでは足の動きが明瞭に違 う。登りの期間での記録の一部を拡大したものが図5 A に示してある。

足を進行方向の前に差し出すときにはすばやい加速がかかるために図の上 向きに突出した棘波を示すが,進行方向後ろ向きに足を送るときには登る 力を発揮しているから加速が小さく,図の下向きには顕著な棘波が見えな い。これに対して下りの期間での記録の一部を拡大した図5 B では,足 を進行方向の前向きに蹴り出すときの図の上向きの棘波の直後に,足を進 行方向後ろに蹴り戻す図の下向きの棘波が続いている。破線で示す一歩一 歩の時間間隔は,下りでは登りの半分近くに短縮している。同じ道のりを 下りは登りの四分の三強の時間で進んでいることを考え合わせると,一歩 一歩の歩幅は下りでは登りでの三分の二ほどに狭まっていたものと考えら れる。

図4の二段目にある心拍数を図2の記録と比べて特徴的なことは,登り だけでなく下りでも心拍数が高い定常状態にあることである。図2の記録 も男性被験者自らのペースで下ったときのものであるが,随所で女性被験 者が追いつくのを待っていた点が図2の記録時との顕著な違いである。

三段目の呼吸の激しさは,図2の女性被験者における記録によく似てい る。図2の男性被験者の記録では女性被験者と同じペースで登ったためか 登りではほとんど平常時と呼吸の激しさは変わらなかったが,この男性被 験者自身のペースで登った図4の記録では登りから激しい呼吸になってい る。このときの動脈血酸素飽和度が四段目に示されているが,こちらは図

― 1 0 9 ―

(12)

図3に示した山のぼりにおける足首の加速度を拡大して示したもの。A:登り,

B:下り。縦の破線の間隔が一歩一歩の時間間隔を表す。識別のために両足首

からの記録を人為的に50

ms

―2分だけずらして表示してある。

図5

加速度ms―2加速度ms―2

― 1 1 0 ―

(13)

2の女性被験者ペースで登ったときとほぼ同等で,登り始めてしばらくす ると酸素飽和度が1% ほど低下している。すなわち図2と図4の記録で男 性被験者の登りでの酸素飽和度の低下経過はほぼ同等であるにもかかわら ず,呼吸の激しさがまったく違う。このことから呼吸を激しくしている要 因は動脈血の酸素濃度低下やそれと並行して起こる変化ではないことがわ かる。

図4の五段目には体温の変動を示した。登りでの呼吸の激しさや下りで の心拍数が図2の場合と大きく異なっていたのに対して,登りでは時間と ともに体温が直線的に上昇し,下りではなだらかに低下して回復して行く という推移は図2の場合とよく似ている。登りに比べて下りでは体温が細 かく上下しながら低下して行っている点がこのときの記録には特徴的であ る。

体温変動の再現性

測定の再現性を調べるために,男性被験者については同じルートでの山 のぼりを7月から1 1月にわたって繰り返しては体温変動の記録をとった。

登りについての記録を図6に集約して示す。測定実施日の気温

(最高34℃,

最低27℃)

や気湿

(最高94%,最低44%)

の大きな違いにもかかわらず,き わめてよく似た体温上昇速度で直線的に体温が上昇している。女子被験者 ペースで登ったときの記録を除けば,体温の上昇経過のばらつき幅はさら に狭まる。この男性被験者は日常から運動して鍛錬していることから,測 定時期による体力や体温調節能力の変動が少ないと考えられる。運動時の 体温は被験者の条件が一定であればきわめて再現性のよい信頼できる指標 であると期待される。

図7に下りで体温が降下して行く様子をまとめて示した。この図での横 軸は下り始めた時刻を0にとった経過時間で表示してある。図6に示した 登りの体温上昇経過に比べて測定日による違いが比較的に大きい。体温の

― 1 1 1 ―

(14)

「男子被験者の登りでの体温上昇。異なる記号はそれぞれ異なる日の測定結果を示す。

白丸は図2に示した女子被験者のペースで登ったときの記録。その他の 日は本人の ペースで登ってい る。●7月15日,▲8月17日,×8月31日,*9月2日,◆9月 20日,○11月5日。識別のために実際の測定記録を一分毎に平均して表示してある。

男子被験者の下りでの体温回復。異なる記号は図6と同じようにそれぞれの測定日の 結果を示す。白丸は図2に示した女子被験者のペースで登ったときの記録。識別のた めに実際の測定記録を一分毎に平均して表示してある。

図6

図7

体温(℃)

時間(分)

体温(℃)

時間(分)

― 1 1 2 ―

(15)

降下が鈍い二つの記録

(×と*印)

は気温が3 4℃ を記録している暑い日で あることがわかる。この両日は湿度が4 5% から5 0% と比較的低く,被験 者の自覚としてもさわやかな気候であったという。黒丸で示した7月1 5 日も気温は3 2. 5℃ と体温降下が鈍かった両日とほぼ同等に高く,湿度は 7 3% とむしろ高い。この日は下りの所要時間が長いが,下りはじめをみ ても順調に体温が降下し始めているから,気温が高いことだけが体温降下 を鈍らせる要因にはならないことがわかる。事実女子被験者を待ちながら 休み休み下った白丸の日は体温降下はむしろ緩やかであるから,ゆっくり 下りることが必ずしも体温降下速度を速めることにはならないことがわか る。

体温降下が鈍い二日の気候を改めてみると,直射日光が強かった点が共 通している。下り始めてから2 5分目ごろにそれぞれ一過性の体温上昇を 認めているが,これは駐車場で直射日光によって熱された車内の座席に直 腸温モニタを装着した状態で着席したためと考えられ,両日の直射日光の 強さを物語っている。このように湿度ではなく,気温と太陽輻射が体温下 降相を鈍くすることに強く影響していることから,この男子被験者では最 高体温が3 8℃ を超えていても,湿度の影響を強く受ける汗の水分蒸散に はあまり依存せずに,皮膚表面からの伝導・対流や輻射による熱放散に強 く依存して体温調節をし続けていたことがわかる。この被験者においては 運動による高体温への暴露が,早期から汗を出やすくするという形での暑 熱馴化ではなく,皮膚血管の改築によって迅速で効率的に体表からの体熱 放散を実現する形での暑熱馴化を起こしていたものと考えられる。

Ⅳ.考察

心拍や呼吸の激しさは自覚的運動負荷と相関しない

運動時に心拍や呼吸が激しくなることの合目的性は,筋肉が運動に必要 なエネルギー源を有酸素代謝によって効率的に産生し続けられるように維

― 1 1 3 ―

(16)

持することにある。このことから心拍や呼吸の激しさは運動負荷強度の端 的な指標になることが期待される。ところが非鍛錬者の山のぼりでは頂上 に近づくにつれて自覚的にはかなり強い運動負荷になったにもかかわらず,

平均的な心拍数や呼吸の激しさはほぼ一定に保たれていた

(図2)

。このこ とから期待に反して心拍や呼吸の激しさは,山のぼりのような持続運動で の運動負荷強度の鋭敏な評価指標にはならないことがわかる。

心拍や呼吸を激しくするのは予防的な神経性調節機構

単純な合目的性から期待された心拍や呼吸と運動負荷強度との相関が得 られなかった理由は何であろうか?

山を登り始めて数分の早期のうちに心拍や呼吸の激しさはほぼ一定の定 常に達し,途中や山頂の休憩では被験者の自覚的な運動負荷とは関係なく やはり数分で平常レベルに戻っている

(図2,4)

。このことは,心拍や呼 吸の変動が筋肉での酸素不足や二酸化炭素の蓄積に対処するという当座の 需要によって発動されたものではないことを意味している。むしろ近い将 来に酸素不足や二酸化炭素蓄積が起こるであろうという予測に基づいて神 経性の調節機構が発動したものであることが強く示唆される。実際,動脈 血酸素飽和度の低下は山のぼりを始めてしばらくしてからようやく明らか になっている

(図2,4)

が,その影響はすでに高い定常状態にあった心拍 や呼吸がさらに少しばかり促進されたことにとどまっている。短距離走に おいて,走り出す前から交感神経系の活動亢進により心拍数が増すことは よく知られた事実であり,持久運動においても心拍や呼吸を調節する機構 が生体に備わっている可能性は十分に考えられる。

心拍と呼吸の駆動は乖離する

心拍と呼吸とが予防的な神経性の調節機構に強く影響されているとして も,この機構は心拍と呼吸に対していつも同等の促進をかけているわけで

― 1 1 4 ―

(17)

はない。本研究において心拍と呼吸の促進が乖離することが繰り返し観察 された。女性被験者と男性被験者が同じペースで山頂まで登ったとき

(図 2)

の登りでは男性被験者の心拍数は高い定常状態に維持されていたのに,

呼吸の方は平常レベルを少し上回る程度に抑えられていた。下りでは,両 被験者とも心拍数は登り始める前の平常レベルにほぼ回復していたのに,

呼吸の方は登っている最中と同等(

女性被験者の場合)

あるいはそれ以上

(男 性被験者の場合)

のレベルにあった。どのような条件で心拍の促進が作動 し,呼吸の促進が作動するのはどのような条件によるかの詳細は,運動に 対する生体反応を明らかにする上で重要なこれからの課題である。

下りの特徴はエキセントリック収縮

図4の男性被験者ペースで登って下りたときの記録では,下りでも心拍 数は呼吸の激しさとともに登りと同等に保たれている。図2の女性被験者 ペースで登ったときの下りでは男性被験者は随所で女性被験者が追いつく のを待つ休憩を入れていたにもかかわらず,呼吸は登りよりも高いレベル に維持された。下りは物理的・自覚的には運動負荷としては軽いはずであ り,休憩中ほどではないにしても体温は着実に平常に向かって低下し続け ている。軽い運動負荷のはずなのに心拍または呼吸が激しくドライブされ ることがあるという,この下りに特徴的な見かけ上奇異な生体反応は,予 防的な神経性機構が何を予測材料に心拍・呼吸を管理するのかを反映する ものであろう。現時点では具体的な予測材料を特定することができていな いが,以下に述べる下りでの運動の特徴に注意する必要があろう。

図4 , 5の足首での加速度センサの記録から明らかなように,下り坂で は足の運びが上り坂とは大きく異なっている。狭い歩幅ですばやく足を進 行方向前後に動かしている。斜面を身体が前下方に下る間,進行方向後ろ 向きに送る足は重力に抗して体重を支える力を発揮しながら膝を曲げる動 作をする。したがって大腿四頭筋のような膝を伸ばす筋肉群は力を出しな

― 1 1 5 ―

(18)

がら引き伸ばされることになる。筋肉は短縮しようとする力を専らに発揮 するものであり,この短縮しようとする力を出しながら素直に短縮した場 合

(コンセントリック収縮)

や長さ変化をしなかった場合

(アイソメトリック 収縮)

に比べて,逆に無理矢理引き伸ばされながら大きな力を出したとき

(エキセントリック収縮)

には筋肉障害が起こりやすいとされている

5)

。また,

軽度のエキセントリック収縮を繰り返すことは,強いエキセントリック収 縮による筋肉障害を予防する効果もあるらしいことが近年注目を集めてい る

6)

。エキセントリック収縮が筋肉障害を起こしやすい理由はいまだ特定 されていないが,山からの下りにおいて観察された見かけ上奇異な生体反 応は,エキセントリック収縮に関わる生体変化に対する予防的な神経性調 節機構として将来的には合目的的に了解されるのではないかと期待される。

下りでの体温放散

登りにおいては鍛錬者の男性被験者は測定時期とそのときの気候とにほ とんど影響されない再現性の高い体温上昇相を示した

(図6)

。気温の違い は伝導・対流,輻射による体熱放散に強く影響し,湿度の違いは汗の水分 蒸散による体熱放散を強く左右する。また,登りの所要時間は3 0から4 0 分という比較的狭い範囲に収まっていたから登りでの筋肉の運動負荷が気 候に合わせて変動しているとは考えにくい。これらのことから,この被験 者の体温調節機構が環境温や気湿の違いを補償して体温の上昇速度を一定 に調節してたものと考えられる。これは非鍛錬者における自覚的運動負荷 強度が著しい体温上昇とよく相関したこと

(図2)

とともに,運動によっ て繰り返しの高体温に暴露されることが体温調節機能を高めるという鍛錬 の暑熱馴化仮説を強く支持する結果である。

下りの体温降下経過についても,鍛錬者の繰り返し測定ではおおむね良 い再現性が得られたが,気温が高くてかつ直射日光の強い日には体温の回 復が有意に遅れた。直射日光による輻射熱は鍛錬者においても体温調節機

― 1 1 6 ―

(19)

構を強くかく乱する要因になるのだろう。強い直射日光は熱中症

(日射病)

をおこす強い要因として恐れられていることとよく符合する結果である。

図4の鍛錬者ペースの登り下りでは,下りの期間に特徴的に体温の小刻 みな揺らぎが観察されている。詳細に見ると一分間に十数回程度の体温変 動であり,足の運びよりも周期がはるかに長い。ここではデータを提示し ていない予備的な解析の範囲では,この体温変動は呼吸運動におよそ同期 しているようにも見えた。下りでも呼吸は激しくなっているので,呼吸に 伴う腹腔内圧の変動が温度センサを入れた直腸部の血流動態を変えている のかもしれない。このような短い周期での体温変動が記録できたのは,こ の研究に用いた温度センサの熱容量が小さいことが理由であり,これまで にこの類の測定報告を見ない。今後,山のぼり以外の運動での測定を通し て,この小刻みな体温変動の原因を探っていきたい。

鍛錬の暑熱馴化仮説は支持される

以上の結果と考察をもとに本研究が目的とする鍛錬の暑熱馴化仮説の検 証を考えると,次の諸点で暑熱馴化仮説を支持する結果が得られたといえ る。

まず非鍛錬者では自覚的な運動負荷強度によく相関して体温が著しく上 昇した。一方の鍛錬者では,高い気温と強い直射日光の条件さえ同時に揃 わなければ,環境温度や湿度,測定時期の大きな違いによらずほぼ同じ体 温上昇・下降経過をたどった。このことから少なくとも今回の鍛錬被験者 は,非鍛錬被験者にはない優れた体温調節能力を保有しているといえる。

図2の強い運動負荷強度を自覚した非鍛錬者の測定記録と,図4の運動 負荷を意識しなかった鍛錬者の測定記録では心拍数や呼吸の激しさ,動脈 血酸素飽和度について互いによく似た経過をたどっているが,体温変動の 経過だけは大きく異なっている。このことは,持久力に直結する自覚的運 動強度は心拍や呼吸の激しさではなく,体温変動と強く相関することを明

― 1 1 7 ―

(20)

確に示している。

また,心拍と呼吸の激しさの調節が動脈血酸素分圧の低下とは相関しな かったこと

(図2,4)

は,二酸化炭素か乳酸の蓄積による血液の酸性化か,

あるいは予防的な神経性調節機構かが心拍と呼吸をドライブしていること を示した。図2の上り前半では鍛錬者のほうが非鍛錬者よりも動脈血酸素 分圧の低下が先行して起こっているから,鍛錬には動脈血の酸素分圧低下 やブドウ糖を燃焼させて生ずる二酸化炭素の蓄積を改善する働きはないこ とが想像される。これに対して高い体温調節能力によって鍛錬者の筋血流 がよく維持されれば,無酸素的なエネルギー源調達に頼らないで済むから,

無酸素代謝の結果として生ずる乳酸蓄積による血液の酸性化は起こりにく く,血液の酸性化による呼吸促進が伴う自覚的な息苦しさを回避できると 期待される。この点でも鍛錬が暑熱馴化による筋血流維持を通して持久力 を高めるとする鍛錬の暑熱馴化仮説が支持される。

図2の非鍛錬者では頂上で休憩に入るや否や,急速な体温降下が始まっ たことは,高体温にさらされたことによって汗の水分蒸散による強い体温 調節機構が作動しはじめていたことを考えさせる。五合目で引き返したと き

(図3)

や,鍛錬者の体温測定

(図2,3,4,6)

では急速な体温降下は見 られていない。汗の水分蒸散による体温調節機構は鍛錬者の記録時には作 動しなかったのだろう。ということはこの研究での鍛錬被験者の高い体温 調節能力は,暑熱馴化による発汗の起こりやすさで実現されたものではな く,暑熱馴化によって皮膚血管が改築されて運動負荷と環境温に応じた効 率的な体熱放散を伝導・対流,輻射によってできるようになったためと想 像される。

謝辞

本研究は渡邊由陽

(成城大学)

,竹森 重

(東京慈恵会医科大学・分子生理 学)

,田中陽子

(成城大学・社会イノベーション学部)

の共同研究に対する成

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城大学特別研究助成によって実現した研究成果の一部である。ここに感謝 とともに記す。

参考文献

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3) 小野寺昇,野瀬由佳,白 優覧,天岡 寛,飯塚智行,飯田智行,小坂 多恵子,脇本敏裕,狩野祐司,西村一樹,小野くみ子,椎葉大輔,妹尾 奈月,河野 寛,中嶋雅子 軽登山における水分摂取が直腸温及び尿中 電解質に及ぼす影響 登山医学

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