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古典の文章に親しませる指導−古典短歌を中心に−
著者 西尾 武雄
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 5
ページ 50‑62
発行年 1981‑09‑30
URL http://hdl.handle.net/10105/10497
古典
ー 古
の文章に親しませる指導典短歌を中心に
西尾武雄
試中学校の国語科における古典指導のあり方にういて︑ささやかな
提案をした.い︒‑.♂,︑:一・
古典の指導は国語科の指導事項の一内容であるが︑一内容といっ
て略鴇いろいろなとらえ方と方法が考えられる︒この論考では︑中
学三年生を中心として︑古典の文章︑なかでも古典短歌などに親し
ませるにはどうすればよいかについて︑主として教材編成を中心に
・考察することとする︒
デ入︑﹁古典に親しませる辱と・い加2滋之の根拠・(
国語科教育における目標の重点化︑教材の精選︑指導時間数の減
などの聞題を考えおどう古典め指導もこれらめ趣旨をふまえて︑そ
の指導を桟基本から再検討しなげればならないと思う︒限られた時
間め中で貸効率のあがる古典指導をしなければならない︒
,指導要領の鼠語科編は発表後︑すでに長い日数を経て︑いろいろ と研究されずみではあるが︑﹁基本を確認する﹂という意味から︑
再検討し︑その検討のうえに︑諸説を勘案し︑実践をふまえて︑今
後の古典指導の在り方を模索するのが適当であろうと考える︒
そこで︑国語科の総括的目標の変遷をふまえて︑古典指導に対す
る考え方のかわりぐあいをまとめると︑古典指導の在り方は︑
生活に必要な国語の能力を高め︑国語を尊重する態度を育てる︒
このため︑
1︑国語によって思考し〜(中略)
2︑言語文化を享受し創造するための基礎的な能力と態.度を育てる︒
3︑国語の特質を理解させ〜'以下略)
以上のような目標を達成するための古典の指導から︑
1︑国語を正確に理解する能力を高める︒
2︑国語に対する認識を深める︒
3︑言語感覚を豊かにする︒
4︑国語を尊重する態度を育てる︒
・ 50
●鴫
淺めの古典の指導にかわうたどみるごとができ︑言語文化としての
古典の意義が文言から消え︑負理解能力を伸ばすための古典指導や国
語としての﹁古典の文章﹂についての認識︑言語感覚︑態度を育て
ることが明確に重点的にとり上げられたと受けとめることができ
るゆ"︻,・'
・このごとは︑﹁古典の指導についての配慮事項﹂どいう指導書の
小見出し欄に︑さらに次のじとく明確に読みとることがで獣る︒
,古典の指導については︑古典に対する関心を深め︑古文ど漢
文を理解する基礎を養ヶようにずること.特に︑・ゴ古典として伍値のある古文と漢文﹂の中の﹁価値のある
〜﹂の文言がなくなり︑ただ︑.﹁古文と漢文を2.﹂となった点は注
目に値する︒.ご⑳精神は︑教核選択についで︑きらに次のごとく明確に具体化
されている︒
ヘヘヘヘヘヘへ基本的な古典を適宜用いるようにすること︒
という文言から
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ・,̀親しみやすい古典の文章などを適宜用いるようにすること︒
h基本的な古典﹂から﹁親しみやすい古典の文章﹂への歩みは︑
古典指導における大転換であると考えられる︒昭和三十六年の指導
要領や︑昭和四十五年の指導要領は︑ともに﹁価値ある古典﹂﹁基
本約な古典﹂という考え方に貫かれていた︒それが︑今回の改訂で は︑﹁親しみやすい古典め文章﹂に脱皮したのである︒﹁基本的な
もの﹂から﹁親しみやすいもの﹂へ︑,﹁古典﹂から﹁古典の文章﹂
への脱皮は現場の教材編成に︑指導に大ぎな期待と指導の効果を予
想させる︒
二︑親しみやすい古典とは
それでは親しみやすい古典とはどのようなものであろうか︒
このしとについで︑︑新指導要領の指導書は次のように解説する︒
文学史的な系統や有名な作家・作品どいう考え方からだけでな
く︑古典への入門段階にある生徒にとって,何が親しみやす
く︑どんな関心を深めていけるか︑また︑入門段階の学習とし
てどんな効果を上げられるか︑などの立場から考える必要があ
る︒その時︑文語文のもつリズムが感ぴ取れ︑暗諦や朗読にふ
さわしいものなどを観点に加えることも︑古典の指導のねらい
を達成する一つの方法であろう︒
﹁親しみやすい古典﹂の特性を明らがにするためにこの考え方を
分析すると︑拘よそ次の五つの観点に分けをことができる︒
1︑文学史か臥みた作品の時代的意義の大きさの問題
(時代的意義V
2︑作品そのものの持つ︑文学としての価値の閤題・・
:人文学としての価値) 噌51一
3︑現代の中学生の関心・意識や生活などとのかかわり方からみた
切実度の問題・(切実さ)
4︑指導時数や共同学習等の学習指導形態からみた︑方法上の効率
の問題(学習の効率)
5︑教育評価からみた場合の︑古典入門指導目標の達成度の問題
(教育成果)
などである︒
文学史の立場からみたその作品のもつ意義や︑文学そのものとし
ての価値は従来から重視されてきた観点であるが︑入門期にある申
学生という学習主体との関連や︑学習指導の具体的な制約の申の方
法上の効率︑国語の能力を高めるための成就度などへの配慮につい
ては︑不充分のきらいがあった︒
特に現代の申学生の関心・意識や生活との関連という観点からみ
ると︑どうだろうか︒指導書の解説では︑文語又のもつリズム感に
着目させることを強調しているが︑古典を︑リズムをとおして︑体
でとらえるという意味でこれは大事な方法の一つであると思う︒こ
の︑現代の中学生の意識との関連については︑項を改めて︑あとで
提言したい︒
また指導時数や共同学習等の学習指導形態に伴う学習指導の効果
の問題も重視しなければならない︒文章の長さや表記法︑語釈︑口
語訳︑補注や学習の手引き︑参考資料などの有無︑適否︑多寡︑与 え方なども︑まだまだ研究の余地があると思う︒
古典入門としての学習指導目標の達成度の検討も大事な観点であ
る︒古典に対する認識を深めるにふさわしい文章︑古文を理解する
基礎を養うのにふさわしい文章︑国語に対する関心を深め︑言語感
覚を豊かにするのにふさわしい文章などなどをよく検討し︑適切な
教材を掘ヴ出さなくてはならないと思う︒
従来の古典指導を顧みるに︑笑話や駄じゃれ的な古典の文章をも
って生徒の関心とするような教材や︑見かけのかっこよさ︑また道
徳的・教訓的なことなどに傾斜しすぎた︑浅薄な教材選定が多かっ
たように思われる︒たとえば︑小五︑六・申一ごろの教材としてよ
く採られる川柳や狂言︑また︑論語中の一章句︑格言などは︑その
作品の背後や読み手の深い体験をぬきにしては︑その笑いひいては
皮肉の意味や教訓の真意の理解が不可能ではないか︒むしろ︑この
ような作品は人生経験をある程度終えた段階においてこそ理解可能
な︑そんな古典であって︑卑小に軽率に理解すべきものではないと
偲う︒あえていうならば︑卑小にとりあげることによって︑古典を
俗解させたり︑曲解させたりすることのあることをおそれるのであ
る︒同じようなことは︑古典の中の︑どの部分を抄出するかという
抄出のしかたにおいても指摘できる︒たとえば︑﹁平家物語﹂の抄
出の場合︑﹁敦盛の最期﹂をとる場合と﹁宇治川の先陣﹂をとる場
合とコ扇の的﹂をとる場合とでは︑生徒の受けとめる平家物語のイ 52
■冒り
,■
メージは大きく異なる︒﹁敦盛の最期﹂は﹁生年十七にぞなられけ
る﹂という年ごろの近さに採録の一観点があるのであろうか︑﹁た
だとくとく首をとれ﹂﹁泣く泣く首をぞかいてんげる﹂という武士
の生き方に採録の観点があるのであろうか︒同じコ扇の的﹂であっ
ても﹁沖には平家︑ふなばたをたたいて感じたり︑陸には源氏︑え
びらをたたいてどよめきけり﹂で終わる場合と﹁﹃あ︑射たり﹄と
言う人もあり︑また︑﹃情けなし﹄と言う者もあり﹂まで採る場合
とでは︑コ扇の的﹂に対する生徒のイメージは大きく異なる︒﹁宇
治川の先陣﹂などは︑﹁武士というものの﹂の世界の特異性や︑﹁合
戦﹂という場のかっこよさが生徒の心をとらえるであろうが︑人間
形成という観点から考えるならば︑とかくの考えをいだくのは私一
人であろうか︒
一般に︑文学史的意義や文学的価値からの教材検討は入念のよう
に思われるが︑生徒の関心や意識とのかかわり方の検討が浅薄であ
って︑今の中学生の関心の︑皮相的な面に目がとどまりすぎる感じ
がする︒もっと生徒の意識を深層でゆさぶる文章︑もっと人間とい
うものの本質に根ざした文章を採録すべきでは起いか︒
三︑古典の文章に対する生徒の意識
生徒の古典への関心をゆさぶるために︑生徒が古典に対して示す
と思われる意識について述べる︒ ω古典の文章は古文で表現され︑生徒にとっては︑新鮮で︑難し
い課題としてとらえられているということ︒
極端な例示であるが︑中一の生徒が英語学習に示す関心をみても
わかるように︑生徒の関心の第一は︑古文という文章表現にある︒
要は︑この大きな︑新鮮な関心をどう自覚させ逃どう伸ばしていく
かということである︒
1︑当用漢字外の漢字
2︑珍しい地名・人名・専門用語など
3︑慣れない用語
4︑文構造・句読法のあいまいさ
5︑文章構造の違い
いずれも難しいが︑現代文と対比しつつ︑適当な補注を加えてその
特質を見つけさせていくと︑生徒の難しいという意識は︑そのまま
新鮮なものという︑意識におきかえられて︑じょじょに関心を深め
ていく︒古典に対する生徒の関心の第一はこの古文表現という形式
である︒
②古典は過去の文化遺産で︑昔の人々の︑ものの見方︑考え方が
表現され︑生徒からみれば︑古くさい︑役に立たないなどの先入
観によって支配されていることがおおい︒しかし︑それを深く読
みとらせると︑その時代はそう生きなければならなかった︑そう
生きるのが最適であったという︒その時代の普遍性に気づき︑古 一53一