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講演とミニ・コンサート 音楽を通して心をつなぐ

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Academic year: 2021

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講演とミニ・コンサート 音楽を通して心をつなぐ

・世界をつなぐ‑‑「国境なき楽団」の活動から 音 楽を通して築く平和‑‑「国境なき楽団」講演と演奏 報告

著者 庄野 真代, 中力 えり

雑誌名 東西南北

巻 2009

ページ 96‑106

発行年 2009‑03‑18

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00001699/

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「国境なき楽団」は、「飛んでイスタンブール」(1978年)のヒット曲で知られ る歌手の庄野真代氏が代表を務める NPO 法人である。そのメンバーは、音楽の力 で人々の心と心をつなげ、街角、さらには世界中を音楽で満たすことにより、草 の根から平和を築いていこうという活動を展開している。「国境なき楽団」のメ ンバーの思いを、庄野氏の体験と研究にもとづくお話や実際のさまざまな活動、

そして庄野氏とその仲間たちによる演奏の報告を通してみていくこととしたい。

── 「 国境 なき 楽団 」の 三 つのプロジェクト

最初に、「国境なき楽団」が実際に進めているプロジェクトからみていくこと にしよう。それは、主に三つあげられる。

一つは、「 TSUBASA 」というプロジェクトである。これは、コンサートを聞き に行くことができない人のところにコンサートを配達しようというプロジェクト で、最近では、ワークショップ、ミュージックセラピーなども行なったりしてい る。

二つ目は、「 September Concert 」というプロジェクトである。こちらは平和を身 近なところから考えようというプロジェクトで、音楽を中心としたパフォーマン ス・イベントを自主的に、いろいろなところでさまざまな人が開催して、同じ時 間と空間を共有することによって、平和な世の中がどんなに大切かを感じあおう というイベントである。

三つ目は、「海を渡る風」というプロジェクトである。こちらは日本で不要に なった楽器を集めて、途上国の子どもたちに送るというプロジェクトで、ボラン ティアの方が集まってクリーニングをしたり、壊れているところを修理したりし た楽器を、梱包して発送している。

講演とミニ・コンサート:音楽を通して心をつなぐ・世界をつなぐ

音楽を通して築く平和

「国境なき楽団」講演と演奏報告

講演&演奏

庄野真代

歌手/「国境なき楽団」代表 報告

中力えり

所員/現代人間学部講師

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── 転機 は「 旅 」と「 出会 い」から

では、このような活動を始めるきっかけは、何だったのだろうか。それは、庄 野氏が1980年に、「この年齢で新しい体験をしてみよう」とふと思い、出かけた 世界旅行であった。「荷物を背負って1泊1000円以下で泊まるという、ヒッピー のような安上がりな旅行でしたが、とてもわくわくしながら日本を出発しました。

寝袋も担いで、時にはヒッチハイクや野宿をしながらの旅行でした」と庄野氏は 当時を振り返る。

日本を出て、最初に訪問したのはタイのバンコクだったという。そこでは、庄 野氏にとって大きな意味を持つことになる出会いが待っていた。

最初の出会いは、バンコクの空港に着いてから、市内に向かうために乗った乗 り合いタクシーの中であった。日本で調べていた一番安く泊まれるホテルまで向 かおうとした庄野氏であったが、乗り合わせた現地の人に「ここは危ない。この 間、殺人事件があったからやめたほうがいい」と言われ、二番目に安い宿も「こ の間、そこは食中毒があったからやめたほうがいいよ」と、そして三番目に安い 宿も「ここはいろいろ問題がある」などのアドバイスを受け、話しているうちに、

結局知り合ったばかりのその人の家に、その晩泊まることになったという。

今考えれば、本当に無謀で、危険だと考えなかったのだろうかと思います。

でも、その時は何か信じあえることができたというか、本当に心配してく れているのだろうとか、何か温かいホスピタリティを感じました。人間とい うものは、本来助け合って、支え合って、信頼し合って生きていく生き物な のだと、ふと思いました。それが、文明が発達して、いろいろな経済的な利 益・不利益を抱えだしてから、近寄ってくる人は敵ではないか、危害を及ぼ すのではないか、何か守らなくてはいけないなど、いろいろ人を疑う技を身 につけてしまったのだと、その時ふと思いました。

二つ目の出会いは、バンコク市内からビーチまで行くという、地元の旅行会社 が募集していた一泊旅行に参加した際に

待っていた。

ビーチに着いて夜ご飯を食べてい たら、運転手さんがそばに寄ってき て、「私はバスの運転手をしながら、

英語を勉強してきました。それは世

界から来るいろいろな人と話がした

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いからです。この後、タイではどこを訪問しますか」と言うので、「別に予 定はないんですけど」と言ったら、「タイには美しい島がいっぱいあるんで すよ。是非訪問してください。タイでは海老がたくさんとれます。でも海老 は、私たちタイ人はあまり食べることがなくて、ほとんど日本へ輸出してい ます。日本にもっと海老を輸出したら、タイの経済がもっとよくなるので、

今、養殖場をたくさんつくっています。でも養殖場をつくるには、島の周り に生えている美しいマングローブの木をたくさん切らないといけません。マ ングローブの木は島の景観を良くしているだけではなくて、海からの風を防 いでくれ、島の中の豊かな作物の実りを助けてくれていた。水辺の木の根本 には栄養があるから、魚もたくさん来た。だから木があった時は、畑では作 物がたくさんできて、水辺では魚がたくさんとれたのに、木を切ったから、

どちらも駄目になってしまった。ここで農業や漁業などで働いていた人は、

今職をなくして本当に困っているんですよ。この現状を、日本から来たあな たはどう思いますか」と私に聞くのです。

私はものすごくショックでした。旅人をしようと思って、日本を出ていっ た。一年半、世界を旅行する予定でした。それなのに、世界のこの土地で繰 り広げられていることを知らなかった。「どう思いますか」と聞かれたのに、

答えることが全然できなかった。ものすごく恥ずかしく、悲しく、ショック でした。

この出来事の後、庄野氏は旅の目的を変えることとなった。当初は「旅人をし よう」とはじめた旅であったが、「地球の素顔を見て歩く旅にしよう」という思 いに変わったという。

サハラ砂漠で水がないところで暮らしている人は、電気も水もない。「何 て不便だ」と思いましたが、朝5時に起きて水を汲みに行く少年に会いまし た。そうしたら、その子は3時間かけて遠くまで行って水を汲み、ポリ容器 に入れてうちに持って帰ってくるのです。この水は、その一家の1日をサポ ートする大切な水なのです。その水を汲んできた子どもを、お母さんは「本 当にありがとう」と心から感謝して、家の中に迎え入れる風景がありました。

子どもは5〜6歳ぐらいです。お父さんは、我が家にやってきた水を一つ一 つ本当に大切に運び入れるのです。朝の食事の準備から、畑の水撒き、家畜 に水をやり、洗濯をして、掃除をして、夜寝る前の歯磨きまで、その水は一 滴残らず無駄にされることなく、大切な命ある水として使われます。

このような光景を見て、都会で暮らす私たちは「蛇口さえひねれば、お湯

も水も出て当たり前だ」と思ってしまっていて、この水がどうやってうちに

きたのかということをあまり考えることなく、無駄使いしていたかもしれな

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いと感じました。

どこで生まれて育っても、人間はたった一つの地球の上で、喜んだり悲し んだりしているわけです。水も空気も、もちろん富も、地球上で考えるとい つも量は一定です。急に全体量が減ったりなくなったりはしない。どこかで 無駄使いをするから、どこかで足りなくなるのです。

旅から戻ると、庄野氏は「旅人の使命」として、自分が見たことや聞いたこと を、いろいろな人に伝えていった。それは、旅行に行ってきた人が、帰ってきた らお土産話をするのと同じで、見てきた者、知った者は、自然とそうするように なっているのだという。

いろいろな所で環境のことを話しました。あの時代、1980年、日本ではま だ環境が全然問題視されていませんでした。「地球を守らないといけない」、

「地球にやさしい」という言葉もありませんでした。でも世界のいろいろな ところでは、「私たちの地球がずっとずっと健やかであるように」という、

いろいろなアクションが始まっていました。

イギリスではオーガニックのブームが始まっていて、海をきれいに、そし て土を健康にするためにも、オーガニックで私たちは食をまかなわなければ いけないというような運動がありました。それから当時のアメリカは大量生 産、大量消費、大量廃棄という、物を無駄にたくさん生み出して、使って捨 てている時代だったけれども、大きなスーパーマーケットの前には、その時 既に分別してゴミを回収するボックスが出ていたのです。そういう物を見た ことがなかったから、「なんでお店の前にゴミ箱があるんだろう」と思いま した。そのようないろいろなことを、日本に帰ってきてから体験談としてず っと話していたのです。

──社会人入学 と「ボランティア 論 」

しかし、ある日ふと、体験談を話すだけでは単に自分の知っていることを切り 売りするだけであり、不十分であると感じた庄野氏は、「もっと私に知識があっ たら、いろいろな人に話す時に、何か話に自信が出たり、深みが出たり、説得力 が出るんじゃないか」と思い、法政大学の人間環境学部を社会人入試で受験し、

入学することになった。いまから9年前の2000年のことである。

そして、そこで受講した「ボランティア論」という講義の一環で、現在の NPO

法人での活動へとつづくプロジェクトを立ち上げることになった。実際に自分た

ちでプロジェクトをいくつかやってみることになった際、「コンサートを聞きに

行けない人の所に、コンサートを届けるプロジェクトをやってみたらどうだろう

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か」と提案したところ、他の学生が賛同してくれ、プロジェクトは実現に向けて 動き出した。この提案をしようと思ったのは、その数ヶ月前に病気で亡くなった 庄野氏の母親が入院していたホスピスで、看護師と交わした会話が思い出された からであった。

「ここにいる患者さんたちにコンサートを聞かせてあげたい」と言われて いたのです。でも私はその時は母の看病と、仕事と、学校のレポートを書く こととで大変だったので、余裕がなかったのですけれども、母が亡くなって、

ボランティア論に出て、「プロジェクトをつくりましょう」と言われた時に、

そのことがパッと頭に浮かんで、「そうだ、コンサートを聞きに行けない人 の所に、コンサートを届けるプロジェクトをやってみたらどうだろうか」と 提案しました。

この企画は、学内の助成金を受けて実現した。そうして、いくつかの特別養護 老人ホームや、児童養護施設などにコンサートのデリバリーを始めたのだが、そ の活動が順調に続いたため、学内でサークルをたちあげたという。そのサークル 活動が地道に続いたため、今度はそれを発展させ、 NPO 法人を設立したのである

(2006年に認証)

実は、サークルをつくった後、庄野氏は1年間イギリスに留学している。そし て、大学に通いながらも、学業以外に「ボランティア」、「スポーツ」、「帰るまで にロンドンでコンサート」をしようと決めたという。ボランティアは、世界的に 知られる NGO の「オックスファム」のチャリティーショップで体験することに なった。

ボランティアといっても、何かのお手伝いをするのではないのです。自分 の持っている能力の一部を提供するという、とても気持ちのいい、わかりや すい、全ての人に有効なボランティアの仕方なのです。チャリティーショッ プですから、いろいろな寄付が集まります。毎日、朝行くとドアの前に寄付 品が置いてあったり、店番していても入ってきた人が「はい、寄付です」と いろいろな物を持ってきたりするのです。それを販売して、その収益を活動 費にするということで始まった NGO です。今はもっと大きなプロジェクト が動いていて、大きなお金が動きますが、チャリティーショップはオックス ファムの原点なのです。

そこに本に詳しい人が来て、寄付された本を全部、科学、哲学などに仕分

けして、価値のある本、ただの雑誌などで値段も書いてつけていきます。音

楽に詳しい人もボランティアとして来て、レコードや CD などの仕分けをし

ます。洋服に詳しい人が来ると、ブランド品、型が何年の物、痛み具合など

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から値段をつけていきます。大学の数学の先生も来て、お店としての経営マ ネジメントの指導をしたりしていくのです。「子どもが学校行ってる間だけ 店番するわ」という自分の時間を提供する奥様がいらしたり、「お掃除が好 きなんだ」というおばあちゃんが来てお掃除をしたりします。みんな自分の できることをそこに持ち寄って、ボランティアが成り立っているのです。ボ ランティアはきちんと交通費ももらえますし、午前と午後両方入るボランテ ィアは、お昼ご飯代も出るというとてもいいやり方なのです。

だから私は「こんなにすっきりはっきり、気持ちのいいボランティアの方 法を、日本に帰っても是非やりたいな。いつか私が団体をつくったならば、

そんなボランティアの活動をしよう」と思いました。私が任されたのは、い つもレジでした。でもおつりの計算ができない。計算が本当に弱いのです。

「この仕事は私の能力を生かしていない」と思って、「そうだ、コンサートを しよう」と思ったのです。

コンサートは多くの人に支えられて成功し、その収益を「オックスファム」に 寄付することができた。寄付をする時、何に使ってほしいかを明記することがで きるため、「アフリカの飢餓難民のために役立ててください」として寄付をした という。

── コンサートとボランティア 活動

日 本 に 帰 国 し た 後 、 庄 野 氏 は ニ ュ ー ヨ ー ク 在 住 の 友 人 、 ス ミ ス 氏 に

September Concert 」というプロジェクトへの参加を呼びかけられた。それは、

2001年に起きた9 . 11同時多発テロで、「平和はなんと脆い物であるか、そしてな んと尊い物であるかということを身にしみて感じた」スミス氏が、その翌年から はじめたコンサートだった。

音楽が人の違いを越えて、心を結びつけるのにものすごく有効な手段だと 思ったのです。私はセントラルパークの遊歩道の真ん中で歌っていたのです が、いろいろな人種が集まってきて、いろいろなジャンルの音楽が繰り広げ られていました。私も含めて、彼らはみんな言葉で「戦争はよくない」と言 っているわけではないのです。それぞれが音楽をやりながら、なんとなく

「こんな平和な時間が、ずっとずっと明るい未来に続いていったらいいな」

という気持ちで、そこにいるのです。だから音楽というのはいろいろな対立

や心の問題も乗り越えて、人と人の間にスッと浸透していくものだなと思い

ました。

(8)

当初は友人に誘われてコンサートに参加 した庄野氏であったが、翌年の2005年から は、日本でも「 September Concert 」を始め ることにした。初年度は北海道から四国ま で全国39会場で、その翌年は沖縄でもコン サートが開催された。その基本条件は、

「自由」、「平等」、「入場無料」であること だ。2008年は全国で58会場、約500組のア ーティストが、この「 September Concert に参加した。2009年は9月11、12、13日の3日間が公式開催日として決まってお り、おそらく昨年よりも多い会場で演奏が行われる予定という。「じわじわとし た市民パワーの草の根の広がり」が感じられるイベントとなっている。

こうした活動を続けることで目指されているのは、「ある日気がついたら、9月 11日前後は世界中で音楽が鳴っている」ようになることである。庄野氏は、「市 民が心の中にある思いをなんらかの形で表現する、そしてそれを持ち寄る場とい うのが、もっと増えるといい」と願っている。「平和は、誰か一般市民ではない えらい人がつくるのではなく、私たち自身が身近なところから考えていかないと、

つくれないものだ」という思いがそこにはある。

TSUBASA 」という訪問コンサート、そして平和のための「 September Concert と並び、「海を渡る風」というプロジェクトも、先述の通り、「国境なき楽団」の 主たる活動になっている。これは、もともと庄野氏が早稲田大学大学院に進学し て修士論文のテーマを考えていた際、「私は2000年から実は、世界の子どもたち を支援する活動をしているんだ」と気付き、「そこに楽器を送るのを1つのプロ ジェクトにしてしまおう」と考えたことから生まれている。これまで実際に、フ ィリピンのマニラにあるストリートチルドレンの施設

1)

、ザンビアのエイズ孤児 の施設 、マレーシアのダウン症の子どものいる施設

2)

などに、計500個ほどの楽 器が送られたという。送った楽器は、きちんと使えるように指導してくれる人を

──────────────────

1)「カシシ子どもの家」という施設に送った楽器は当初、「音楽教育に使う大事なものだから」という ことで、戸棚の中に大切にしまわれていたという。全員には行き渡らないため、早く自分が手にし たいと、音楽の時間の前には、子どもたちが列を作って並ぶ光景がみられたという。先生はついに 戸棚にしまうのをやめて、ロビーに楽器を出すことにしたところ、子どもたちは楽器を好きな時に 自由に触ることができるようになり、自分たちの演奏をビデオに撮って、「September Concert」にビ デオ参加してくれることにもなった。いろいろな活動がきちんとリンクしているのが感じられたと いう。

2)この施設に送られた楽器は、東京都のある幼稚園が廃園になった際に、「鼓笛隊の楽器一式がいらな くなる」として受けた寄付の品々であった。この活動を維持するためにチャリティーコンサートな ども行われている。

葛西臨海公園で開催された

「September Concert」

(9)

現地で探したり、リコーダーなどは特に吹 き方が難しいので、ケーブルテレビの協力 を得て、英語で吹き方マニュアルのような ものを作り、それをビデオや DVD にして 楽器を送る時に一緒に送るようにしている とのことである。

このボランティア活動に携わっている人 で時々ツアーを組み、送った楽器とそれを 手にした子どもたちに会いに行ってもいる という。一緒に楽しみ、音楽交流をすると いうことで、ツアーに参加した人たちは、

旅行中にバスの中で練習するなどして、子 供たちの前で「キラキラ星」をリコーダー で演奏したり、「コンドルは飛んでいく」

の二部合奏をしたりしたという。ダウン症 の人たちの施設を訪れた際には、自立とい う意味も含めてつくられているクラフト作 品を購入し、それぞれのおみやげにしたり、

組織としてポストカードやいろいろなもの を大量に購入し、日本でイベントが開催さ れた時に販売したりしたという。自分たち が自分の手でお金を生み出すという活動を 支援するためである。

このボランティア活動には他にもいろい ろな形で参加する人がおり、例えば、洋裁

が好きだからということで、「中古の楽器でも新しい袋に入れると、ピカピカな 気持ちになるでしょ」と、リコーダーのカバーを縫ってくれる人もいるという。

庄野氏が講演に行った先の学校の子どもたちや大学生も、「楽器集め隊」を作 って学内でチラシをまわして楽器を集めてくれたり、「楽器磨き隊」に参加して 一生懸命楽器を磨いたりして、協力してくれることが多いという。

いろいろな人にはいろいろな得意な面や、好きなことがあるのです。それ をボランティアに活かしていただくと、自分自身もその能力が高められ、私 がロンドンで感じたような高め合うボランティア活動ができるのではないか と思っています。

自身のボランティア活動や研究を通して感じ、考えたことを、今、実際に実践

眠っている楽器はありませんか?

楽器を手にするマニラの子どもたち

贈られた楽器で演奏する子どもたち

(10)

されていることが分かる。

庄野氏は講演の最後に、修士論文を書く際のフィールドスタディの場に選んだ マニラのストリートチルドレンの施設で撮影した映像を見せてくださった。それ は、文章の論文だけではなく、子どもたちの様子を記録しようということで、付 録として作成されたものである。

その施設では、子どもたちに音楽による心のケアを行っており、心の中にある いろいろな不満や怒りや挫折感、むなしい気持ちをそのまま詩にして、みんなで 声を出して歌い、その現実を乗り越えていく、という心理療法

(暴露療法)

が行 われていた。

庄野氏はそこで、いろいろな背景を持っている子どもたちに、親が付けてくれ た名前の由来を聞いてみたりしたが、「名前なんか意味がないよ」という子ども がとても多かったという。心にたくさんの傷を負った子どもたちであるが、「将 来の夢はなんですか」という問いかけに対する答えからは、それでも親を思い、

自分たちが暮らす社会、そして国をよくしたいと強く願っている様子が伝わって きた。

── 「 国境 なき 楽団 」in Wako

このマニラのストリートチルドレンの施設で撮影された映像を見終えた直後、

教室はコンサート会場へと一変した。「年 齢を越え、いろいろな興味や生まれ育った 環境も越えた音楽の時間」が、加藤実氏

(ピアノ)

と田中章氏

(ギター)

の演奏を伴 って繰り広げられた。お二人は、「国境な き楽団」の活動を最初から一緒に支えてき たメンバーである。

コンサートでは、1980年に庄野氏が旅に 出る直前に発表した「 Hey Lady 優しくな れるかい」、学生として環境の勉強のため に出掛けた釧路湿原でつくったという「風 の道」、カバー曲として「異邦人」

(原曲:

久保田早紀)

と「マイピュアレディ」

(原 曲:尾崎亜美)

、代表曲である「飛んでイス タンブール」、そして最後にメッセージ性 のある歌「 Be yourself 」の演奏を堪能する ことが出来た。

アコーディオンを弾く加藤氏

ギターを奏でる田中氏

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演奏だけではなく、曲と曲の合間には、いろいろと考えさせられる内容のトー クもちりばめられていた。

「異邦人」というのは、実は自分も含め、自分の周りにいっぱいいるのだ なと。何かうまく心が伝わらなかった時、一人で悲しくなった時、疎外感を 感じた時に、自分は異邦人だなと思う。そんな人が集まっているからこそ、

わかりあえた時に幸せを感じるのだなと思いました。

文化の定義というのはとても難しいのですけれども、文化・芸術・芸能・

スポーツ・教育みんなそうなのですが、一生懸命やったからといって、どう いう成果が残ったのか数字で出てくるようなものではないのです。それを受 け取った人の心の中に結果が出てくるものなのです。伝え手というのは、大 きな結果がその人の心の中に残るように伝えていかなければいけないと、い つも思っています。

人々が集まって何かする時に、言葉で語り合うこともあるし、一緒に音楽

を聞いていて何となくそこに流れる、温かい空気を感じることもあるし、今

みたいに手拍子をすることで、何か少し熱い、「そうだ、やるんだ」という

気持ちになったりすることもある。いろいろなきっかけがあります。でも、

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そのきっかけを自分の第一歩として確かに踏み出すことができたら、みんな がそれができたら、すごくこの社会は変わっていくのではないかなと思うの です。そんなふうにして、自分の中から出ていく一歩を大切に、これからも 力を合わせてやっていけたらいいなと思います。

午後のひととき、会場に集ったさまざまな人々は、「音楽の持つ力」を体感し、

心温まる時間を多くの人と共有することができたのではないかと思う。そのこと で、全体を通してのメッセージが、さらに説得力を持って受け止められたのでは ないだろうか。

[ちゅうりき えり]

参照

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