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『宗教研究』新第4巻第5号(*37号)

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(1)

――目次―― 1,口絵,一尊教の「御説教」 2,宗教哲学の黎明時代,赤松智城,Chizyō AKAMATSU,pp.1-11. 3,宗教的儀礼とその態度,宇野円空,Enkū UNO,pp.12-36. 4,鎌倉時代の弥勒信仰(上),大屋徳城,Tokuzyō ŌYA,pp.37-56. 5,玄奘三蔵の因明学,手島文倉,Humikura TEJIMA,pp.57-82. 6,マヅダ教研究の資料について,荒木茂,Shigeru ARAKI,pp.83-101. 7,隠れたる日本のメシア教,一尊教の教団生活とその信仰内容,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.102-126. 8,人格神への発展,古代典籍の一の取扱ひ,原田敏明,Tosiaki HARADA,pp.127-135.

9,新刊『巴英辞典』について,リス・デヸズ(Rhys Davids), ステッド(Stede)両氏の編纂,長井真

琴,Makoto NAGAI,pp.136-141. 10,三階教の研究,大野法道,Hōdō ŌNO,pp.142-150. 11,支那仏教史蹟の完成に際して,木村泰賢,Taiken KIMURA,pp.151-152. 12,石経,佐藤泰舜,Taishun SATŌ,pp.152-156. 13,仏足跡について,稲葉茂,Shigeru INABA,pp.156-161. 14,五台山,坂本幸男,Yukio SAKAMOTO,pp.151-164. 15,新刊紹介,pp.165-171. Posted in 1927(昭和2)年

(2)

ト ﹁罷れtる日本のメシア救﹂の教組−尊の説法の† ぐさまの減配たろi.倒潰敢﹂別名 ﹁伽紐碍一の一部

ネ璃やー甘そ

う㌻音

︰■▲・−.▼.!. 、、▲ ま. ル弟

(3)

856

赤 松 智 城

狗立の一挙科としての宗教哲畢は果して何時頃世に表れたのであらうか。言ひ換ふれば、特に

‡謬蜃宣pbi−§pFi㌔といふ畢名が始めて掲げられたのは何時であらうか。私は今︼れを誤トなく 断言することはできないけれども、多くの単音はそれがやはトエ′ソ1rに依ってその影響の下に表れ タⅠ▲ たと務め.哲学史家ハイソツェの如きはこの言葉が賓にカ∴/トの一畢徒であつたルードキクヒ・ハイ ソ㌔ヒ.ヤ。ブ︵どd鼻He㌻r阜J⋮b︶の﹁宗教暫畢説概論﹂︵旨ヨrごiロeり穿邑ederRe︼普牢 p邑善phi2・−ヨ︶に於いて始めて起ったやうに云ってゐサ㌢しかしこの畢名の誕生には固よりその

由来する研があつて、而もそれには現代の宗教哲畢を考察する者に取っても多少留意すべき意義が

含まれてゐるやうに思はれる。

ヵ∴′トは云ふまでもなく近代の宗教膏畢の一確立着であつて、且つその所謂﹁膏畢的宗教論﹂

︵崇e pg虐Fi篤訂詳伝。邑e−已d︶はまさしく彼の宗教哲畢ではぁつたが、しかし彼の述作の中に

は何蕗にもまだ﹁宗教哲畢﹂の畢名は示されてゎない。また彼以前にも勿論幾多の宗教暫畢的考察は

寮♯瞥靡の義明時代

宗教哲学の黎明時代

(4)

二 董T¢著明時代 榊 あつたけれども、しかし他の諸串阜対立し芯別されて、特異の地位を占める一単科としての宗教哲畢 は例は未だ提唱されなかったやうに見える。然る王第十八世紀の克美から前世紀の初頭に及んで、 この年名は漸くその妨々の養を奉げセやぅであつて、これは賓に最盛な意味に於いての宗教哲畢の 黎明として、斯畢の者達史上重要な旨趣を有することではなからうか。 上述せるハインツェも既に云ったやうに、凡そ第十八世紀末に至るまでは、かの暫挙が紳畢から賂 放されてその自由を得た彼と妊も、宗教膏畢上の問題特に紳に関する問題は普通には形而上導か若 くは倫理畢の中に取扱はれてゐた。ブゴルフはこれを特に﹁自然沖畢﹂と認めて、かの本懐論心理故 事笛論と並列す右畢的地位をこれに奥へたが、その畢徒バクムガルチンの如きはこれをば全く形而 上畢の一分科と見て、その第四部を点すものであるとし、タン一に於てさへ亦た質に同様の詮があ った。尤もカントは知らる∼如くこの自然紳畢説をそのま∼承認したのではなく、却てこれを批判 ヽヽヽヽヽヽ して以て薪しい宗教哲畢の基礎を定め、をの所謂﹁暫畢的宗教論﹂は正にその名に於いても覇並の 宗教哲畢共著を直ちに汲示する趣があつたのである。昔時タンーの一撃徒でぁつた♪イブンライヒ ヽヽヽヽヽヽヽ の如きも、既に共著﹁自然宗致の膏畢に関する考察﹂︵Heydenr2icF︶出2tr胃Euコgen声訂r die吋E寅T p已ゐder2t守亡巾Fen穿ligi。n﹂諾○−芝︶に於いて、自然励単に封し多少の批評を試みたが、併し彼 は共著﹁カソーの膏畢的宗教論に隔する二三の注意L︵巨nige好日2rkuロgen声訂r内岩訂pFi−害pFぎb昌

(5)

t娼丁 謬痘。邑eFre・−ま︶に於いては、カソトの功績を認めながら二方これに向つて注意すべき非難ぉ も輿へてゐる。而して同じくカントの更に忠青汁二畢徒であつて、然もその曹時にブラニイヤー︵官尊 且及びヤコブと共に﹁最初のカント況の宗教哲垂者﹂とも呼ばれたティーフトルソク︵ゴe旨unk︶も ヵントの﹁宗教論﹂の出版よらも前に既に﹁宗教と全ての宗教的教義畢の批判的研究﹂︵つe望ellein巧 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 苧iti打d。r匿ig㌻ロ亡nd邑er邑gi紆nせ虐m註k・−言︶を薯はし、また﹁宗教の青草的啓蒙の研究﹂ ︵ゴr書he冒plli−害pEc訂ロA亡迂腎2−gde︻Re︼igi昌・−望︶と題する一論をも公けにしてゐる。そ

ヽヽヽヽ れで前述せる如くヤコブがカントの﹁宗教論﹂の後数年にして﹁宗教暫畢概論﹂を出したのは、勿論カ

ントの影響に依ることではあるが、然し彼等カント畢徒間にも昔時かゝる畢名が既に現はるべき勢

を馴致してゐたのであつて、それは寧ろ曹然提唱さるべき一の畢名であつたとも云はれるであらう。

ヽヽヽヽヽ 僻ほこの:ブの著作よりも前にはシャウニ▼ソの﹁票数の哲学﹂︵買−。眉已乙erRe−普ロ.−諾︶と耕

するものもめるが、ケルクー・マイヤーはこれとさきのハイデソティヒの﹁自然宗教の哲畢﹂との如き

†−ルフンプルトゲエンヂ

連作の題名をば、所謂﹁自然和琴﹂から﹁宗教哲畢﹂へ第十八、九世紀の樽期に畢名の襲化したこと

ヅヰシシエソフォルノン

ずツへぜルナスト、 を示す過渡の中間形式でぁると云ひ、而もこの名稀の襲化は賓に事態共著の中に行はれた襲化を

エックスポーキント

示す指数であつたと述べてゐる。かくて第十九世紀の初頭には既にベルガーの﹁宗教哲畢史L︵野・

軍︷訂hi︵ぎd。りR。−igi。眉邑善pF山e・−00書︶や,後に述べるシュツクツ:の﹁組織的宗教哲畢概ぎ 宗飲哲畢¢‡明時代

(6)

槌8

宗敦哲畢の黎明時代

︵St。tNm巨㌫ys訂m已軒臣e日已eiどng in巴。Religi。眉岩室pFie・−笠︶や、ギーゼソの﹁宗教哲拳﹂ ︵Wi籍。−Religi。眉hi−善p許−00○上が現はれ、また早く﹁宗教智孝雄誌﹂︵茅g邑n詳Re−普虐lli−? 眉已。壱e−邑邑︶さへもー八〇三年以前に十歎谷費行されてゐるから、この畢名はもはや前世紀の

初輔には少なくとも猫逸の畢界には普及してゐたものであると思はれる。而してかのフィヒテやシ

⊥リングやシュライエル†ッバーもその頃既にこの方面の畢界にその頭角を衷はしてゐたことは云ふ

までもなく、

ヤコービも亦たその一方に重要な地位を占めてゐた。

知らるゝ如く昔時は質に薯垂一般の一大革新と螢屁の時代であつたから、一これに伴うて亦たかく

の如くまさしくその名をもつた位密な意味に於ける宗教暫挙が興ったことも敢て怪しむには足らな

ナーノ・一スヴュクセル いが、しかしそれは先きに†イヤーも云った如く、単なる畢名の塵化若くはその創唱たるに止まら

ゃして、賓は全く串牌共著に起った一の重要な特化であト進展であつたのである。凡そ新しい畢名

の提唱とその普及とは必ずしも偶然に起るものではなくして、それには亦た相皆の意義がゐ♭また

ぁらねばならぬ。然らば今その紳畢殊に﹁自然紳畢﹂から﹁宗致哲畢﹂への畢名の歴史的な特化は果し

て何を意味したであらうか。また新たに鼓に現れ咋宗教哲畢の黎明の中には革質上知何なる種々の

曙光が洩れ出でゝゐたか。挽近の宮邸史家は既にこれに就いて多少記述してはゐるが、今私はこれを

寧ろ昔時の倍すべき文献其者に依って見ることも具象あることであると思ふから、弦にはまとして

(7)

61jD その頃ライブチクヒの哲単数授であつたブリードリブヒ.アタグて.カールス ︵字i乱ri。F A竜也t C宅u∽−ヨ○−−苫Jの遺著﹁宗教倍率﹂︵出訂︼igiO巳p邑OS︵一pFぎiロder堵ad−gel監招⊇ぷWer打e、ヾ●H︼−ei−・ −讐○︶に於ける数節針引照して、普代の賞状の一班を窺うて見よう。 カールスはその宗教哲学の﹁序論﹂に於いて先つ斯畢の意義必要目的償伍任務などを略説した枝 ヽヽ に、進んで吉雄からの幾多の宗教的考察の﹁歴史的同展﹂を試みてゐるが、その中には先つ紳畢の歴 ヽヽヽヽ ヽヽヽ ヽヽヽ 史的費途上に於ける種々和一笠間適して、l、自然史的神学、二、自然的神学 三、形而上的紳畢、 ヽヽヽヽ ヽヽヽヽ ヽヽヽ 四.道徳的紳畢の諸目を掲げてゐる。また宗教的粁協ま我と宗数的合理ま鶉とを区別して、思想の 費展は前者より後者へ進むものとなし、且つ前者の中に於いては超自然ま轟から自然主義戚発ま義 及び神秘ま義へ進み、後者に於いては猫断ま轟から懐疑ま義へ、またそれから枇列重義へ進むと説 いてゐる。而して荘に所謂道徳翻畢や批判ま義が直ちにカントに接触するものであつセことは勿論 であつて、而も一方は神輿上に他方は宗教論上に▼ 何れも最高の段階として認められてゐたのであ ヽヽヽヽ る。しかLカールスに依れば、カントは宗教を道徳的基礎に於いて見出して以て純粋の道徳紳畢の 創設者とはなつたが、更に彼が宗教をより多く質践的となし、且っかかかかいか阻ち神性と不滅と ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽヽ ヽヽヽヽ の雨着に対する信仰を唯一の根披の上に立てた限りに於いて、その紳畢は今や寧ろ翠性の限界以内 ヽヽヽヽ ヽヽヽ にある票数論即ち所謂宗教音型となった。そこで爾来多くのカント畢徒は醐と不滅との宗教膏畢を 宗教哲拳の黎吻畦虎 五

(8)

660 宗軟骨事の‡明時代 六 ヽヽヽヽヽ 口にするやうになつたのであるが、しかしその畢徒が屡々この宗教哲草堂単に道徳の附銀としての み考察するのは誤ってゐると。私は今此等の言葉には弟分奴ふペき意味と暗示とが含まれてゐると 息ふのである。 ヽヽ 更にカールスの記述する所に依れば、カント以前にも宗教哲畢の自由なる見解は既に用意されて グの著﹁畢的並びに質酸的紳畢に及ばせるカント哲畢の影響の歴史的批判的叙述﹂︵句点ge−くe誘uCF . はゐたが.しかしそれは単に偶然的な一面的なまた往々粗雑なものであつて、決して必然性と具蟄 なろ先晩と宗教味とをもたなかった。唯だカントの直前に睾ぐべきこの方面の聴明なる燭逸の畢者 としてはヘムで7ルフィス︵詳邑ゐrF已∽︶とヤコービとヘルデルとの三人があつて、殊に彼の二者 ヽヽヽヽヽ は有力である。而してカント以凍宗教暫畢上に起ったことを叙述するために、カール・レヒリソの薯 ﹁任務の紳畢の重要観念に及ばせる批判哲畢の影響の通俗的叙述﹂︵C邑R与︼iローPO号雪eUざ⊇訂−−∈g d袋︼巴邑ぎ願莞d男krlt賢eロ︼2已−宮pFielロdie夢u冨d籍nderb賢rlgg→−−邑各﹂諾︶と、フリエッ

eiロ再訂ぎr訂F 打riti胃heロP邑el−ung d腿bi巴−e点en日邑仁00護derk邑i邑2n苫i−OSOpFie昌︻邑e ●

N乱唱der司訂舅b竪iebenundpr賢訂l巨T−1邑邑e・−謡の︶との二著が現れてゐるが、それは何れ

ヽヽヽヽヽヽヽ も写ろカソ︰﹁に依って起つ佗こと一ぞ叙述してゐるのであつて、而もそれすら何ほ不充分でみつた。

(9)

ったのであつて、ハイダンテイヒの如きカント畢徒さへその一人であるが、最初のカント仮の宗教 哲串者はブライヤーとヤコブとテ﹂−フトルソクとであつて、他の哲単著は多少ともそれに反射⊥て ゐる1フィヒテがこの方南に始めで現れたのは一七九二年︵啓示批判諭の著はされ陀時︶であるが、 ヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽ ヽヽヽ それは特にカント青草と細撃とを統一せんとする種々の試みを引き起した。而tてそのフィヒテ 尿理を適用した最初の試みはイムマニュエル・ベルガーの﹁宗教の知識諭﹂︵一皿m呂邑官房er−Apどri一

也巨日昌eiPer W訂昌乳ぎ訝−eFre der Re−igiOP−ゴ岩︶であつて、彼は宗教と道徳とを厳密に区別せん

よ欲したが、しかし何ほ未だ充分にそのフィヒテの原理を理解してはゐなかったのである。フィヒ 一7自身は漸次その宗教的傾向を強めて、其著﹁人間の本分﹂︵出疫鼓mmungd金]呂eコ胃hen・−筈○︶に於い ては造徳哲学の範囲以上に宗教的理念を高め、特にその最も宗教的なる新著﹁渾頑生活への指針又 は宗教論﹂︵Anヨi2虚⊇m軋igeロ訂訂n︶Odeり岩OF謬−igiO邑eFre・−00○の︶.に於いては、純真なる宗 ヽ−ヽ 数的精細が現れて、然もそれは同時にシェリソ〆の想像宗教︵字買どiere−igiO−1︶に最も鋭く反封して ゐる。しかしこれより先き既にまた他の畢者に依っても二三の業績が薯はされてゐる。即ちそれは ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ . シータイエルマッ♪−の﹁宗教論L︵一七九九年︶や、いい”㌫の﹁暫撃と宗教﹂︵丈〇四年︶其他で ヽヽヽヽヽヽヽヽ あつて、また後者の畢徒エシュンマイヤーには﹁無哲畢への過渡に於ける暫畢﹂︵臼器FenmP3r−字i−? 槻 きp巳O Fi訂e日日e訂rg岩gO2rヨc︼1tpEl重富ie●ヒ翼苗︶の著がある︵カールスは此等の著作につい 一芸王Tの零明時代 ・七

(10)

882 ヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ て簡述してゐるが荘には省略する︶。僻ほまたヤコービの唯心論的見解を取るものには、シュツタツ† ヽヽヽ、 ヽヽ ヽヽヽヽヽ ソやガーゼソがあり、更にフィヒテヤシェリソ〆の所謂宗教的直軌を含重して、然も特有の両税重義 ヽヽヽヽヽ を唱へたものにフェそフー︵句∩乳ermAロ軋cF訂ロY呂謬−igiOn呂d日昌訂n七戸m・−芸ひ︶があつた。か ヽヽ くて合性を通じてこれを観れば、嘗てカントに依って強く起された悟性を信頼しない鰻度は、今や ヽヽヽ また全ての宗教膏率暑が夫々他の宗致膏単著に封する憩度を爾ほ支配してゐると云ふことができ るであらう。但しそれは決して彼等自身の悟性に射し又は彼等の智識の組織に対して信戯を置かぬ ヽヽ ヽヽヽヽ ヽヽ ことではないのである。これを要するに翠に存在の上にのみ向ふ古い自然紳畢と単に行局の上にの ヽヽ ヽヽ み向ふそれよりも新しい宗教哲拳とは、更に進んで信仰としての宗教と心情︵G乳Fヨ岩g︶と⊥ての ヽヽヽヽヽヽヽ 宗教とを共に取扱ふところの唯一の宗教哲学に漸次に統一されるであらう。 以上略述せる如くカールスはその時代の宗致哲学を概観し且つその概評をも試みてゐるが、彼自 身の宗教哲学の概念は貰はその前に論述されてゐて、然もそれは大優に於いて殆んどカントのそれ を出でない。またその後に詳論されてゐる彼の宗致其老の概念はシュライエルマッ♪−に近い研があ るが、今立にはそれを述べる必要はない。嘗てタルクツィはこのカールスの設を許して、それは唯 だシュライエルマプ♪−とフィヒテとカ∴/トとヤコービとの軌念一ピ宜に直接に結びつけたものに過ぎ ないと云ってゐるが、或はその趣もあるであらう。しかしか1る結合の軽度があるだけに従って彼 宗壮瞥事の繁劇時代 入

(11)

663 は廉く諸家の畢詑に亘り、且つ比較的公卒にこれを考察することもできたであらうと思はれるから, 私が上に彼の概観的叙述を引照して以て普代の宗教寧讐竺瞥する資料としたのも.この意暁に於 、

いては却って邁普でもあつたであらう。僻はタルクツィの云ふ所に依れば、常時カールスと略々同

様に然も一層不明瞭にかゝる結合若くは混合の鰻度を取ったものにゲラートの﹁宗教哲畢﹂︵監さ 監督。阜i−§phi。・deニ。訂訂一岩d冨cbsteH害ptヨeigder苫i−善琶⋮訂W訂舅−1賢−讐−︶があ

って、それはシェリングの影響をも受けてゐたやうである。尤もさきのカールスの叙説はこれを重

要な代表的著作から云へば、かのフィヒテの﹁宗教論﹂の出版された男一入〇六年︶までを以て終♭、

その翌年に彼は伺ほ年若くして没してゐる。それでヤコービは既にその頃有力な一の地位を占めて

幾多の追随者をも出してゐたけれども、シュライエル†プ♪−の如きは未だ充分に成熟した畢設を公 けにしてはゐなかつた時であり、.況んやへーグルもフリースも何ほ未だよく認められてはゐなかっ

たのであるから、昔時は正に﹁新しい宗教哲畢﹂の草創期でぁら黎明期であつたのである。然るに今

更に進んで斯単に始めて確然たる畢的地位を輿へ、且つそれと他の諸畢との関係をも明かに競いた

ものは賓にまたシュライエルマヅバー其人であつたのである。

知らるゝ如くかの自然細筆ぜ破斥してその範園を股却したてラまルマッハーは宗教青草の畢名

を醐畢と区別tてこれを明示した。即ち宗教暫畢は美挙や政治学と相並んで丁偶の1批列的畢問﹂と 宗教哲畢の黎明時代 九

(12)

朗も

索軟群皐¢黎明時代

一〇

して恵められ、従って斯畢は人生の一範域である宗教の特性をば他の批列畢に於けると同棲の・方法

を以て哲畢的にこれを考察するものとして、諸畢の系列の中に一の地位を輿へられたのである。ま

た故に依れば、宗教哲畢は最も直接には二偶の他の草間に開聯してゐる。即ち一方に於いて斯畢は

かの美畢や政治撃と同様に倫理牽から族生され、その上に基礎附けられるものである。但しこの倫

理畢とは単なる道徳論ではなくして、シュライエル†ッハーの意奴に於いてはそれは重く一般文化の

哲学的考察であり、従って諸文化畢の基礎を超すものであつた。然るに他方に於いてまた宗敦膏畢

はかの基督政調挙の哲畢的部分として﹁全ての紳畢の根底﹂をなす﹁暫畢的醐畢﹂とも密接に園聯する

ものである。蓋しその哲畢的鯛畢は﹁基督政令の仝現象の本質を理解することを課題とする﹂のであ

るが、宗教香草は更に靡く歴史的に輿へられた諸宗教の一般聴賓を理解せんとするものであつて、

基督敦は固ITり此等の諸宗教の一つであるからである。要するに宗教暫畢は一般文化膏牢としての

倫理単にその根底一で有して、然もそこから分化した一の特殊哲学であアリ、神学はまたその宗教哲単

に一の基礎を置いて、更に特定の二宗教に関する撃として認められたのである︵Sc≡ei巧mPC訂r−Di守

l&穿−守中記譜已e旨︼er H軋︻注ご穿rNの plrS邑Fロg des tF邑邑邑en S七島仁巳琴芝−ぶせg

国鳥嘉F旨Gき∽・家ニーH・A董1r荘ic︼1eGl呂訂、琴ア・ご参照︶。

(13)

明は、更にシュライエルマプハ一に至って一骨明白な光を放つやうになつて凍た。尤も彼は宗教哲学 英着については組織的述作を薯はしてはゐないけれども、薪畢の確立に一の礎石を輿へたもので㊦ 争︼とは固より云ふまでもない。而して青々は今か∼る宗教暫畢の螢蓮過程を岡癒する時に、敦へ ヽヽヽヽヽヽ らる∼所が亦た決して少なくないと思ふ。就中紳撃と宗教暫撃との区別とその関係や、更にまた其 ヽヽヽヽヽヽ 後約一世紀を経て前世紀末に特に同じく新しい畢名を棲模して起った、かの宗教畢や宗教史とこの 宗教哲畢との脚係ぢどについて、今日の吾々にもその回顧は多少の有益な暗示を奥へる意味を食ん でゐるのではなからうか。上述せる如く狽立の宗教膏挙が軸畢から分化して以亦、既に一世紀以上 に及んでゐる。然も今何は雨着の邁普なる役割については区々の異論が絶えないのみならす、或る 意味に於いては屡々これを合耗せんとする著さへもある。それでか∼る問題を更に周密に吟昧する 一助として.私は弦に唯だ畢としての宗教哲畢の一費端を顧みて、これを瞥見したに過ぎないので ある。 菜軟骨孝の‡明繹ホ .1_

(14)

宇 野 固 空

呪術ご宗教の併行諭

宗教や呪術の費生に園して、儀頑の形式がまづ現はれ、それから後に呪術宗教的な思想がこれに

つけ加はるといふ見方/︼れは儀鹿先行論といふ名で概括して一二度私が本誌上で紹介したことも ある︵二巷玉城﹁呪術行男の原型﹂、四谷四境﹁宗致の起源と共生威﹂︶。そしてこの議論は主としで采

敢や呪術の文化史的費生の考察から、いはゆる先呪術的もしくは先宗教的な儀鹿の根源を表出運動

や衝動的行男に認めやうとするのであつたが、また間接には心理畢的に見た宗致そのものゝ性質に

関しても、ある一つの立場を導き出すものであ如けだし宗敦がその違約起源に於て・一定の思

想や観念にもとづく計劫的儀惑エゥも−種々の自費的行男の傍流化され佗儀虐に宗教的意味の付け

加へられたものが多いとすれば、それはまた個人的起源に於ても、宗数的行焉がある粗念や意晴か

ら企てられたものに限らす、集囲的儀虐の無意姐甘踏塾から出たり、衝動的行男にあとから宗教的

な反省が結びつけられるものが少くないことを認めぎるを得ない。これは人の宗教的経稔や活動の

莱敦的儀鰻モモの濃度

宗教的儀鰻とその態度

(15)

重要な部分が、その思想や観念よりはむしろ行焉にめ一心一しとを意味するばかりでぢく、その行男も

多く考へられてゐるやうに計剖的芳目的行男ではなしに、

衝動的な兼用蓮勒などの無意的な行鰯が

多く、少くとも、宗教一般の説明にはこの種類の宗教的行男を大に顧みなければならないことを認

めるものである。

もつともこれまでの儀感先行論では、宗教的行焉の本質としての此鮎が、十分明隠になつてゐな

り抑蛸多い。それは宗教的儀鹿の桑園的螢生が重な問題となつてゐたからではあるが,その範囲に 於てもなほ先呪術的な儀澄をどこまで宗教的のものと認めるかゞ、多少不明瞭なま∼で残されてゐ

る。㌣れらの儀療が具に呪術的行事となト、ま三ポ数的行馬としての佐須を持つのは、それに呪術的

な効果の取念や宗教的打ヱ日的観念が伴ふやうになつてから彼のことであるといふのが、多くの論者

の意見であるらLい。しかしそれでは先呪術的儀頑なるものもその形式がやがて呪術の中に取り入

れられる性質をもつといふだけで、それ白身には厳密に呪術としての健筆ピ具へては経いはづで

雪㌻れも呪術に関してはかゝる霊瞥見方を取り得るかも知れへ住いが、宗教についてもこ勃

と同棲な先宗教的儀建ともいふペき段階を認め得るであろうか。この場合宗教と呪術とは最初は一

っの呪祷宗教的儀洩として、いまだ互に分化しない時期があつたといふマレットその他の人々の意

蘭 見からすると.どこまでが先呪術的⋮d⋮me喜rym各であるとも云へへ甘いと同棲に・奥の票数が 宗軟的儀趨モモの熊鷹

(16)

一内 宗教的儀農モモの讐慶 相 どこから始まるかも明かに接断言できない。しかしべーーrのやうに て教生するもので∵しかもそれらの心理的巌度がいくらか異る外−両者は大健同棲な篇形式とし て併行的に寮生すると見るならば、先呪彷的儀惑と和ならんで或る時期にk先宗教的な儀鐙があり、 それは前者と同様ある効果の信念をもつて行はれるまでは具に宗教的な儀虐ではないはづでしぁる。 宗教的儀鎧の登生 しかし宗教はそれはどまでに呪術と併行して見らるペきものであろうか。呪術が先呪術的儀鹿か ら寮生す一〇のと同じやうに、宗教的な儀祓がこれに類する先宗教的ともいふペき行男の形式を密生 上り前提として待つことは、キングなどの所詮に傾悲して是認し得るところであるが、それが具に 宗数的なものとなるのは、果して呪補に於けるやうにこれに効果軌念の加ほること、換言すればそ れがみ一旦嘩私的効果を期待するrつの首的行虜となることを意味するかどうか。クークはこれをた ゞの儀式籍re冒n﹃から最密なる儀建riteへの特化と見て、種々なる儀式のうちからある一定の形 式が特に効果あるものとして邁荏され、その集囲にとつて醐重なものとなつ化のが儀虐だといふ。 Lかもその儀祓に於ける族度が乱制約であるか嘆願的であるかに.よつて、呪縮と宗教とが区別され るといふところに、依然として併行論の立場が固執されてゐる。この鮎では宗教的行男に効果観念 ノ ヽtヽhtku・uしIJh

(17)

689 r邑i。nであつて、人類の欄界に対する反歴として呪術とは根本的にちがった型式に足するといふ キングの意見が徹底してゐるやうに思ふ。同時にその先宗教的ともいふべき非宗教的雲慧晶壱喝 特に質際的な目的行男ではない自費的へ仏随伴的行動が、正雷に宗教的な行虜とぢるのは、をの効果 の板倉からこれを手段行男として行ふからではなく、モの根耗となる償偵意識がたとへば発覚憺値 といつたやうに宗教性一でもつて凍る時であるといふことも承認しなければならない。⋮ ニれを他面から見ると呪術や宗教の債務が、をれに先だつ同様の行男形、式から寮生す.かりしても. それが呪緬となり票数とハケ0特横は必すしも同一ではないのでJ吟つて、宗教的俵熱、はぞれ・l二効果の 信念が加はることや目的行男たる 心祁をもつて行はれる時にすでに十分に宗教的のものであら得る。従ってこの稗換は呪楠の登鹿盲 りもー厨簡匿であり、つねに何等かの斉制約な目的行男であることを要する呪楠儀鹿とは、一般的 に見て大にその性琴竺異にする。もつとも宗教的儀線が屡々同時に賓利的ぢ術秀であ†・少くとも ある質際的な目的行男であることは、事賓に於て多数の例覆の示すところでぁり、またこれが性質 上それの宗数的で一のることを妨げるものではへ甘い。そして此鮎では仝恰として呪補償鎧とすこぶる ものでなく、むしろ賓利を離れて注意の焦鮎を形くる敢骨的億位に封する令室の行儀∵甚p議F賢e が件ふ場今 それは呪術と共通の性賓を持っては凍るが、本務宗教的行男は嘗利的.の必要から髄た一 ㌧婁的t■モモ¢書虔

(18)

670

某敦的儀感ミその悪度

〓ハ

相似たものであるから、雨着は屡々互に混同され、或は同一の呪術宗教的儀虐として寮生して痩に

各々の分化を見るのであるとか、またその感度にいくら加の区別をもちながら、しかも大境上岡じ

神秘的な目的行男に外ならないやうに考へられるのでもある。けれども宗教的儀廼のか∼る性質 は、呪術に於けるやうにそれに必然な本質的のものではなく、行革そのもの∼性質上貰際には多敦

であつても、宗数的行焉としてはむしろ偶然的な一つⅦ型にすぎない。こゝに宗数的儀適をいつも

呪術儀虐と併行せし空し、それとの類推からばかり見ることのできない宗教的行虜の特殊性がある

のであつて、それは賓利を離れた行鰯や、遊戯や表出運動でぁつても、そのまヽで宗教的であ丁り得

ること・も一のる0

未開民族の吊葬の儀惑を見て、それが死婁宥和のためであるとか、死後生活の草庵多目的として

ゐる.とかいふことは、いつも人々がまつ考へることであ♭、その起源がいづれにぁるかなどいふこ とが屡々論議の題目になる。そしてか∼る儀頑のあるところには死後に存績する室魂の軌念がなけ

ればならないとか、ぁるひはそれは単なる呪術的効果を信するものであるとかいふことが、今でも

よく民族畢や宗教畢の問題にぢつてゐる。けだしこれらはいづれも事賓で争?フし、土地と民族と

によつてその基礎観念も濁り、儀頑の意味も必ずしも一様でないのが本とうである。しかし同時に

それはまた必やしもある一定の効果をもたらすための儀鹿でなくてはならぬわけはなく、たゞ愛す

(19)

671

るものヽ死を悼み死者に敬意を表するがための行事であることも多く、それで十分七宗数的窒息味

が含まれてゐる。ことにそれを庶始的なものに翻ってみたら、死屍に封する本能的な恐怖におぴ㌧乙

たり、死別の悲Lみを表現しやうとする動機に出づるものが多いやうでぁって、そこには何等賓利

的な目的や効果の観念がめるのではなく、一の行事として重く衝動的な行勒ではないまいでも、そ

の根源はまとして非貰利的な行渇から出てゐる。しかもこれらはたゞの表出運動として非宗教的な

もしくは先宗教的な行焉が、いつか宗教的な儀建となつたといふよりも、死者や死の観念の性質上

本務宗教的な意味をもつて現はれたと見なしていゝものである。

また多くの民族が囁寧の前後に行ふ種々の儀成上とに踊りは、戦士に超計然的な武力を輿へるた

めであるとか、散り怨藍を宥和するのが目的であると考へられ、さらに剋整の冥助を乞ひ神々に戚

謝する祭だとも云はれる。そしてこれらの意晩は時によりこれを行ふ人々の心特によつて様々では

ぁるが、多くは後から付加はつた説明でなければ、観察者の解蒋であつて、その根源に於てはたY 盛んな士気や敢がい心が自然に溢れ出た行勃であり.凱旋の歓喜の抑へがたい表出であることは疑

はれない。故にこれらはその行男がもたらすある神秘的効果を目的として行はれるまでは性質上決

して呪術的儀祓ではふγり得ないが、それ以前に宗教的な儀蕗ではあり得る。それは戦争そのものが

集囲の生命に関する償位であるばからでなく、多くはたゞの機械戦ではへ甘い和布的へ㌧勝敗を汲想せ

宗教的儀患ミその慈度

(20)

87望 l八 宗教曲■■モモの■廉 しめられ、敢食的侍統を背景とすろ俵嘘の形式そのもの、及びこれを執行する壕壊までが、人々暫 して一稚魚畢号兎分にひたらしめるヤり.それは各値として宗教的な心棒の中に行はれ、おのづか ら重なる意識の表出となる。しかもそれが何等賓際約の効果を求めるものでなく、たゞその願望や 感激の衷現の外に目的を宿しぢい行焉であつても、その宗教的儀鹿であること哲拒まれる理由はな いのでぁる○ 賓利‡義の宗教観ヾ−宗教意識 かくして教生的な立場からしていつも問題にされる宗教と呪術との関係は、多くの人が考へるや うに渥ひて宗教一で呪硝に併行せしめて見る必要はへ仏く、むしろ宗教は宗教として猫自の性質を認め らるべきであ丁り、もし上のやうな宗教の見方が許されるならば.その寮生に於ても恐くは呪術に先 だつ場合が多いと思はれる。もつとも事賓の上では宗放と呪術と哲哉然と区別することは、必要も なくかつ困難でもぁる。宗教俵戒の中に呪術的の意妹が加はった♭、呪碗儀祀が宗教的な心持で術 はれることは、誰しも否定す・0ことのできない事賃であつて、いはゆる呪縮宗教的儀護の大多敦は この両面性空不してゐるが、ことに雨乞の儀線などは大ていその機制が呪縮約であると同時に、全 惰として宗教的な意味をもつて行はれる。しかし一般に概念上から宗教と呪術とを封立せしめて考

(21)

673

へるとすれば、両者はむしろ相異る生活の系列に展するのであつて、これ一曾人間の進度または行男

として見た時にも、おのづからその旨撃で異にしてむる。呪術はその語義の上からも.また一般に

認められた観念の範凰から見ても、ある賓際的な効果を神秘的に賓現しやうとする目的行男である

ことは疑はれない。これに対して宗教も屡々これと同じ型の行男となつて現はれ、賓利を目的とす

る俵惑を合むことは事賞上甚だ多いけれざも、しかもその基本的性儲はこんな質効の追求にあるの

ではなく、むしろ紳空なものに封し、空なる成じから必然に出て氷るところにすべての行焉の宗教

的性質がある。故に宗数的行焉はそれが嘗際的な目的行男であることを妨げないと同時に、他方で

はまた屡々賓効一で目的とし仁い表現行男や自教的な衝戯運動にすぎないこともあるのであつて、一

般的にはかゝる種々なる行男の撃で牒含むものとして理解されなければならない。そしてすべてそ

れらが紳空への態度であり、重な畠心持からの行動であるところに、その宗教的行事としての本質

が存するのであつて、それが何らかの効果を求める賓際的行男であると否とは問題ではない。従つ

て宗教と呪術とを対立せしめた場合には、この粘から雨着の性質を根本的に区別して見なければな

ら拍のであつて、それは多く云はれるやうに同じ賓利的布袋に度して、たゞその済度が嘆願と強制

や服従と支配などの程度上の対立空不すだけで.はないのであろ。

それ政宗敦はその発生の問題に閲しても、呪楯との併行倫を椎れて、それ自身に特殊な性質と邁

> 宗教的嬢虐ミモの態度

(22)

674

宗教的儀感ご一ての態度

二〇

程とを認められぬばならないと同時に、その螢達した儀憩や行男形式をも含めての一般の心理畢的 考察に於ても、これを呪術との類推によつて、官制約定行男としてのみ考へてはならない。舌凍の ま知的な宗教の見方に封して、近代の主意的な心理畢的傾向は、宗教的生活の異相を明かにする上 に顕著な寄輿をなしたこ′とは疑はれないが、それはまた往々にして宗教を賓制約な活動や行男とし て見る傾向哲馴致した。宗教を呪痛や機械的もしくは科挙的な行勒と同じ系列に並べて見たクユー ノに於て、この傾向はことに著しく現はれたが、これを狭義の功利的な行勒と限定しないまでも、 宗教が何等かの賓効を目的とする活動だといふ見解は、近年の宗敢為にもなほ力強くあらはれてゐ る。たとへばムーアは票数が自己保存の衝動から出ることを認めて、その活動はすペて賓際的利害 を追求するものだとし、ホフマンは欠陥の威から救済への過程である宗教は撃槻の鱒望︰穿iぎ苧 −芸。Hに支拝されてゐるといふ。.♪クースソも最後には紳との合一を靡ふに至る宗教が仝憶として 物質的敢曾的及び精神的な種々の目的を達成する虐めの活動であると見たが、ヅユケーは坪野的な カに封する人間の感度の中で.宗教と呪術とはともに利害を超越した感度dれ邑i〇nd許−tかr凄かQすな はち敬度とはちがって、賓利を目的とする働きかけd晋Oti。nuti−itPireだと些一一口してゐる。∽ 宗教のこんな見方は一方ではなは呪術との比較から導かれてもゐるが.また心理畢的にはま意詭 ことに行動ま哉の考へから出てゐるのであつて、それがぁまりにま知的な宗教観や単純な戚借主義

(23)

6丁5

の見解を打破して 人間の宗教的生活その■ものをより洗い根抵から探ろうとする努力であることは

認めなければならない。しかし人の宗教的活動がその生きんとする意志や自己保存の衝動といはれ

るものから起ることに異論はないとしても、それは直に雁々なる慾望を造げんとする努力だと概括

し得るであろうか。かりに宗教生活にはつねにある慾望が働いてゐるとしても、宗教的術超は必ず

しもみ打てこの・慾望の満足を目的とする行男ばかりだとは論断されす、ましてこれ一里貰利を求める行

男のみに限ることは、あまりに宗教史的事賓を無成するものである。宗教的経験が必然にある偏偵

意識を食んでゐることは否定できないし、また宗教的行男がつねにこの意識に基いて現はれること

は疑はれないが、この偶倦怠識は必ゃしも直に慾望や慾求の意識ではない。償僅意学1とに賓際的

倍伍の意識は贋い意味でのある慾求が

ついてその封象について戚じられる輿暁や関心であつて、その根砥にある慾求やまたその封象に関

して意識され一︺特殊の慾望とは宙別して見なければならない。そして宗教意識に於てこの惜偵意識

はその必然的へ与要素ではあるが、それ自身にはいつも慾求の意識を食むものではh甘く、また宗教的

ヽ 行男もつねにその慾望から起るものとは限らない。それを宗教意識がめる倍偲意識であ♭、その根

械が慾求であるといふ理由から、仝僅としてこれ皇息志的な態度であら、慾望を落げんとする貰制

約行焉だと速断するところに、主意的な宗教論の陥りやすい過失がある。

宗教的儀式モモの態度

(24)

¢丁6 二二 宗秋的偉趨・、︶その感度 ひろく宗教意識といはれ一?もの1中に、その傭聾息議の動機†ある慾求が特待して意識され、ま たそれから起一わあ・匂封象への特殊の慾望が合まれても凍ることは、可なら多くの宗教的経瞼に現は れる革質である。しかし宗数的経験にはいつもこの慾求の意識があるとは限らす、それが慾望を中 心として意志的に統一されなければ宗教的のものとならないといふわけではなく、たゞ紳の令さを 紫め聖廟の有がたさ一望普ぶだけの心持から成る宗教意識も少くない。をしてこれらの場合には紳に 封して特に告が願望むいだくのでもなく、 またその空相皇怒ぶ根撮としての自己の慾求の意識も待 積してはゐないが、これがためにその心持が宗教的でなくなることはない。さちに宗教意識が時間 的にいくらか憂化する退嬰で顧みて、その僧佐意識が現はれる際には皆然そこにある慾求が動機と 互つて働くことJで認めたところで、その慾求はいつも明かに意識されたものには限らす、むしろ自 分には意識しないでゐる性向にすぎないこともある。何故有がたいのか自分ながら理由がわからす、 心にもあらで尊いものに引つけられて行く宗教的経験の特相は、その傭値の根源となる慾求が意識 されない性向の類であることから凍る場合が多い。かくして宗教を一つの心的膿度として見ても、 それは必ずしもつねに慾求や慾望の意識を含むものではなく.一打を意志的に統一された心の動き と限ってはならない。この鮎は先頃斐廟と紳垂の問題哲取扱った小袋のうちにすでに私見をのべて おいたから、これ以上再びそれを緩かへすことは見合せる。牒

(25)

‘77

宗教に於けイ虻非賓利的な行鳥

宗教意識そのものが必すしも意志的な心的旛度のみではぢいとしたところで、宗教的俵絶や行劣

は賓利的払宗教観が教へるやうにすべて貫効一ピ求める行男であるかどうか。宗教上の行男や儀戒は

宗教的鱒壊を劫根としてつねにそれに件はれてゐるもの一であi∴一雨老は同じ宗教的饅度の心的へ㌧も のとその身倍的な方面とに外ならへ甘いから.概していへば前者の性質はそのま∼後者の特徴であり、

行焉はその意識によつて性質づけられるのであつて、慾求の意識されない宗教的曜駿があらとす、れ

ご、これに伸ふ宗教的行男は賓効を口約としない行男でしかふ∵り得ないょも考へられる。しかし宗

敢上の意識と行男との関係はいつもそんなに簡単なものではなく、宗教的鮮勝の仝憧がその行鰯ぬ

動機と打てるのでもヘルく、宗教的行焉に仲ふすべての意識が宗数的意味を柑寸云とは限らへ与い。そ也 ′

に宗教的撞虚妄二の時間的過程として見ると、全健を貰′、慾求はなくてもその封象や環境に封す一心

ぁる特殊の慾望が生じて、それからこれに應する目的行男が現はれることもあり、立た意志的な宗

教意識の持頼する間に、断片的に無意的な行焉が伴った♭、さらにその意志が意志と㌧ての経験に

止って−外部的の行男となつて開馨しない場合すらも一項一〇。かくして宗教意識の内容と過程に於け

る臭化の磯雄なことを顧みる時、その一般性から直に宗教的行男の形式を規定することは国華にな

宗数的■鰻モそQ■メ

(26)

¢丁8 宗教的儀貞ミモの七度 ︹ 二拘 るのであつて、宗教的儀惑や行男についてはそれ自身直接にその基本的な軽質を考へて見る必要が ある。 t

宗教的儀戒の多数がひろい意簸での賓利一ぞ求める行男であることば、たとひ呪術的甘ものを除外

して考へても拒むことのできない事賓である。食物の豊餞や病気の卒癒を新一〇ものはいふまでも克

く、道徳的向上への努力や智眼開螢の修道も.結局はある賓効を目的とする術焉であるが、さらに 聖者を某ひ紳に近かんとする厩ひでも,それは無関心な瞳保とはちがつて、それ自身に一つの賓際

的な債位の追求である。この意味ですべて宗教的な憩度や行男を賓制約もしくは賓際的な目的を達

成せんとする努力だとする貰利ま義の見方は、むしろ容易に宗教的活動の特徴をつかませる所以で

あるかも知れない。しかしこの場合にむすべての宗数的行照一ぎ嘗利的なものと簡畢に片づけ、これ

のみに限定するところが、この種の見解の難鮎であつて.多くの宗教現象の曲解と説明の困難とが

これから起る。けだし宗教的儀穐のうちにはどんな意味からも賓制約な行勒とは見られないものが

少くないことは.前に吊葬の俵絶や我等に関するそれについて述べた通−りであつて.しかもそれら は諸民族の宗教的生活に於て最も重要な地位一で占めてゐるにか∼わらや、かゝる見地からはその宗 教性が疑はれて凍るのである。現にワッ.ハートは墓遽の儀曲が宗教であること一で撃ハ、それは報酬を

汲期しないから最密に祭儀とはいはれす、たヾ死窒仇一扶助にすぎないといつたが、同緩にリューパ

(27)

679

も東南オーストレーリアの慕連の祭りを死者のためにする利他的行男と見て、それは月己の利害を

求めろものでないから宗教的確秤ではないと考へたっ用をこでまた他の人々はこれら吊葬の俵虐を死

婁の祭りを鎮めるためであるとか、租先の賢助を斬る目的をもつてゐるとか見なさうとするが、こ

んな目的は葬儀の原本的な意味でないのみならす、決して一般的に行はれてはゐないので、これこ

そ串賓を曲げて自己の理論に適合せしめんとする観察者の説明にすぎない。しかも事賓あるがま∼

の由葬儀祓の多くは、現代の文明政令にもつねに見られるやうに、何等賓刺を求めない行焉であり

ながら、なほかつ宗教的儀虐のむしろ典型的打了ものとなつてゐ一Q。

上のリッパートやリユーメの見方からは、宗教的俵蕗の範囲があまりに狭く制限されて、耳際的

な利害関係を主眼とする功利的な行鰯の外は宗教的であり得ないといふ締結を生するのであるが、

革質上宗教的儀祓としてはこれ以外になほ種々のものがある。ヰルはその儀祀諭に宗教的儀虐を供

犠、膚儀及び新府の三階段に分け、それちはすべてぁる意簸での醐との合一を目的とするのであり、

何等かの程度で利己的もしくは功利的な慾求を合むと見たのであるが、しかもその最も低い階段の

供犠が略々呪彿的儀租に於けると同棲に全然音別的である外は、漸次その功利的敵機がかくれて、

利書を超越した無関心の塩野慧pぎti。n砲d許l昏窪訂となるといふ。期それでもし稚々の密儀や神 秘家の修行が特に軸との合一を目的とするものだとすれば、それは純なる細の愛Pn一〇りde⋮から出 宗敢的儀遽ミその感度

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680

て、たゞ紳のために紳を求むるものであり.決して蒼制約な祈動ではないが.しかも宗教的儀経とし

・・

ては極めて重要なもので、少くとも儀藤の一過程がこの心持で修せられることは宗教現象の多くの

ものに於て著しい事賓であろ。かの死屍の保護や墓連の供養などがいはゆる利他的な行事だとして、

それは功利的なものではないけれども、そのま∼でまた宗教的な儀薗でめり・得るのであつて、頑へ の供物や敢殿の荘華争一般に奉仕ともいふペき儀南の多ぐは∵Jれと同様に非賓利的な宗教的儀 ● ●︳●

惑と見るこ鐘が牒樗う。これを結局はある報酬を漁期しての手段にすぎないと見るのは、一つの皮

肉な解秤でなけれす㌻さらそれ一昌的づけやう与量った霊的努力の菜で雪て、奉仕者

自身の心持では少しも他の目的を意識しハ与いで、純な動機から出てゐる場合も決して少くない。

表現の儀鎧

紳との合一を目的とする儀虐や利他的奉仕は、官用的な劾草しとに自己の利害一で求めるものでは

ないから、これを利己的とか功利的行男とか見なしてはならないが、しかしそれはなは紳、死者そ

の他の封象に関して.ある客観的賓際的な襲化や親藩一ざもたらすことを目的とするものであるから、

また一つの賓際的行為といふことができる。しか一じに宗教的儀鹿にはな草しんへ仏貰際的へ仏日的をす

らもたない一骨主観的な動機から出るものがある。それは概して表現の儀親といふことができやう

素餐的儀錮言その態度

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が.そのうちでたとへば沸教で念といひ畢といふ行法に属する敷照、冥想、考究などは、内部的の 表現ともいふべきものである。こ・れらの行法は時としてその対象の性質によつて、直にそれが質際 的合一となることもあり、官制的な効果をさへもたらすと考へられることもあるが、本家はそんな 結果を玖期しないでたゞ主観的にそれを念想観察するのを目的とし、そのためにのみ燈せられるこ とも多いのであつで、少くともより大きい儀虐組織の一過程として、神秘家などの行法のうちにこ とに著しく現はれてゐる。そしてこれらの内部的求現q特発は.大でい軍らに・これを外苛的に崖現 する何等かめ寿法き倖つせ凍るが∵特に内部的に衷現する努力のない場合にも、自然にあるひは偶 然に奥へられ托宗教的な経験を、種々の方法で外部的に表現することば、心理畢的にむしろ必然的 な行虜でもあら、またそれは普通の意味での衣現儀頑として、串賞上つねに宗教的行事の婁要な部 分を占めてもゐる。オルトラマール′は一般に宗教一ぜ紳に閲する戚情と慾望の表出でぁる信傭及び行 事として定義したが、楷に宗教的儀轟は人間の衷現慾から生じたものであり.それが宗教意識を支 持し樹進し.時としてはこれ一里産みだす所以でもあるといふセルピーのま蛮も、決して誇張とばか りは云はれない。均 それで外部的な表現の俵祓はその内容から見て、宗教的対象やその他の冬物一でいくらか客観的に ・鎚l 表示す一つのと、むしろ主観的な自分の威情や願望を表白するのと、皇たこれらが結合されてゐちの 宗教的t■革モのtよ

(30)

郎2 二八 票軟的儀鰻ミその態度 と程度上に可捏アワの差異がぁるが∵Jれを表現の手段について考;も、稀々の形像や象徴を用ひ㌫ るもの、姶婁文字によるもの、人の動作甲言語を立とするものへ仏ど−儀惑の形慈は賓に無限の鼻化 をもつてゐる。この中で言語による表現は普通に新鹿と呼ばれ、少くともその大部分針占めるので あつて、屡々云はれるやうに新藤が宗教生活の根本的要素停はないにしても、宗教的儀徳に於ける 言語の表現のはたらきは可打アワにひろ︿且つ大きい。新藤は往々所願と同一成されて.紳の意志一曾 動かしてその利益にあづかり、所願をかなへさせる一つの方法と考へられるが、新藤にこんな種類 や部分のあることは事賓であるけれども、それですら第l次的にはたゞ願望の表現であつて、さら に一般的には讃嘆.感謝、憶侮など種々ぢる観念や戚情の表現でもある。それ政所薦の高等な形式 が廠ひよりもたゞの訴へとぢり、訴へよりも心の憶念となることはよく知られてゐる事賓であつて1 この粘から新藤は本務慾望の達成を目的とするよりも、その慾望や戚傭の表現のためであるといふ ハイラーの見方が昔を得てゐる。S 身億の動作による表現儀絶として著しいものは、踊、劇、行列その他の祭膣でぁるが、これらは ある票数的効験を得るがための方法であるよりは、むしろその結果の表現であつて それは屡々別 の質際的効果を求めるものとして呪術的に説明されたり、ぁるひは軸の好意や恩恵を得るための行 事となつてもゐるけれども、それは本務表現そのものが目的であつたこれらの儀虐の意義の特化に

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883 外ならない。それで一般に鹿秤と呼ぶ動作の儀慮でも、種々の葺際的な目的をもつて行はれること もないではないが、その多くほ病症と相伴って、前に対して尊敬成謝などの意を表はすだけであつ てハイターはこれを大倍に於て政令的へ仏威僚友現の形式から採用これた行鰯として詫間してゐるっ蝕 また宗教的儀砲はその断片的ぢ部分や過程に於て、専ら衣現のみを目的とする行男一で育んでゐる ばかりでなく、 あるまとまつた儀虐の組織が仝憾として何等別の賓効を目的とせす、たゞ種々なる 威情や意志の表現のために行はれることも少くない。かの収堆の俵殖や戦勝の儀諒は、たとひその 過程のうちにある貰刺を求めるやうな術鰯が部分的に変ることはぁつても、垂偉としては歓喜や戚 謝の表現を目的としてゐるのであつて、それ以上何も賓際的に求める意味をもたないのが普通であ る。その外一般に威謝の祭儀は文字通♭戚謝の表現がまであつて.それも多くは感謝することによ って潮の好意をつなぎ、さらに彼の草庵を願ふといはれるけれども、人々はいつもそれ程までに功 利的ではない。むしろ単純率直な戚謝の表現を出でないところにこの祭儀がより多く宗教的なもの ︶ としてのこり得る。 もとより同じ儀頑の意義の特化は文化史的事賓としてつねに準ぇ︷号い。表現の儀感が賓制約な儀 線となつた♭、また後者の形式が前者の意味で行はれることは、宗教史上ではむしろ皆然な現象と して、到るところに見出される。それに部分的へu表現の儀頑がより以上の目的をもつ儀嘘の手段と 素数的儀感官その態度

(32)

634 宗数的t鰻首モめ義百 三〇 なつた♭、あぇひは全憶として表現のみが目的である儀惑組織のうちに、断片的に賓利生鶉の行事 が介在したりする勇めに、これらの部分または全能の儀轟の旨趣がいかなるものであ誘かは、賓際 にはしかく簡単に決定できるものではない。しかし儀祀の組織の大小を問はす、部分的lこもまた全 せとしても、ある経験や戚牌の表現以外に少しも賓利的の効果や質際的の目的を漫想しない儀痛が あることだけは否定できない。ヰルは宗教的俵憩はすべて紳との合一を目的とすると云ひながら、 へuほぞれにはシティエルマヘルのいはゆる効果をもたらすゎ満と表象するための行男とを合むとし てー宗教的儀祓に創造的のものと表現的のものと二柿一のつて、彼宕は賓際的に合一の結畢ど輿へる よりも、たゞそれを表現するに止ると見与してゐる。糾しかも種々儀祓の中でこの表現の儀祀は﹂少 くとも分量的に大な乙部分盲占めてゐるばかりでなく、特に宗教的儀鹿としては賓制約または賓匠 的のものよりも.この種の儀祓により多くその特徴を示Lてゐる。そしてこれはまた呪術儀感が奥 の呪術としてはつねに賓利的な儀線であるのと対照して、宗教仝麗の特質を現はす所以でもあら、 非斉利的な行焉としての表現俵祓は宗教的儀慮の一稚として特に重要な意味一軍もつてゐ一㌔ 遊戯及び表出連動 表現俵戒は欝利き超越して、賓際的な効果を目的としない行男であるが、しかしそれはなほ表現

(33)

¢と賂 そのもの∼ために必要として行はれるのであろから、狭議の口約行男でないにしても眞釦な行秀で ある。これに対して遊戯行動は何等賓際の目的をもた㍍いばかりでなく、本来はこれといふ必要に 迫られない極めて自由に術はil・Qものであるが、これがまた宗教的儀感のうちでは粕督に多く働い てゐる。たとへば票数に於けろ蹄の起源は、その呪術的効力や紳への奉化または特に表現のために 仕組まれたよりも.非宗教的な遊戯からはじまつて、後に宗教的な意味が加はつたといふ設が有力 である。㈹もつともこれらの遊戯行動が宗教的になるのは、多くはそれが特に宗教的な目的に特用さ れて一つの必要行腐となる場合であるから、その㌫数的儀惑はその行角形式が遊戯か・り生じたとい ふだけで、それ白互王はもはや遊戯行動ではなく㍍つてゐることも・のる。しかしこれらの行男の宗 教化は行虜の性質の稗換ばかりで亮なく、遊戯そのものが政令的に和束な行鰯となつ耳茶たり、主 たま軌的に遊戯する人々の心持が戯れと向峠に浬へ仏るものに二光たされて、いはゆる法菓やお祭りの 気分で動くことでもある。故に宗教的儀稚はその行男形式の起源に於て遊戯から出たものが多いと いふばかりでなく、性貿上依然として遊戯であるものが、そのま∼儀鹿組織の中に混ってゐた♭、 あるひはそれ自身燭立な宗教儀蕗となつてゐる場合の少くないこと一で認めなくてはならない。もつ とも遊戯の行焉形式は、単純な本能的衝動的な行渇から現はれたもの∼外に、賓利的行焉や衷現の 村名の適用であるものも多く、これらの種々なる行男の間につねに意義の特化と適用の行はれ争︼ 宗♯的t鵡ミモ¢霊よ

(34)

686 宗教的筒惑ミその態度 三二 とよ∵Jとに未開の融合に於て著しい。中でも豪現行焉と遊戯とは多くその外形も似てをり、とも に賓利を離れてゐるだけに相互の意義の動揺もはげしいから、一々明白にこれを判定することは容 易でないが、しかし儀殖の性質機制を理解するためには、理論的にでもこの種の行焉が宗教的債務 の部分を形ってゐることを認めて置く必要がある。 なは遊戯が遊戯として行はれる時には、それはともかく意志行秀であるが.その根源が多くは全 く無意的な衝動運動や反射運動にあぇことはいふまでもない。それでこれらの衝動運動は傭満と直 接一卜結びついて、それの外部的な現はれと見ぢされるところから、特に無意的ハ㌧表出運動といはれ、 宗教的儀祀としても可なり多く現はれて凍る。一般に儀鹿の起源がこんな無意的な行烏にあるか香 かの問題は別にして、意志的行焉としての儀感の形式が、無意的な表出運動の踏襲である場合は非 常に多く、かつ意志的に統制された儀虐の部分として、それ自身にはなほ無意的な行焉のま1で残 ってゐるものに決して稀ではへ甘い。その身億の動作であるものとしては、多く遊戯としてまた屡々 宗教儀頑である踊の根源が、この表出運動まで翻り得られる。表現儀殖ことに池井の動作は稽首や 合掌打てどつねに多少無意的な表出連動のまゝで磯ってゐる。昔畢言語の表出としても、新薦の原始 的なものはハイラーのいふごとく、種々の威情や慾望の自費的な表出にすぎぢいが、呪文︷uどの各部 に残された無意味な螢零や威喝音は、その形式の国定した壊にすら.なほ直接の表出として役だつ

(35)

687 ことかあ乙。この場合にもその表出運動が異に無意的であるか.主たそこにい︿らか意志がはたら

いて、少くとも遊戯や表現の術焉七ハ仏つてゐるかの限界は明白でぢいことが多いけれども、性貿上

これらの運動でも宗教的俵醸を成し得ること、及びその行男の本来の性質を失はすに現に宗教的岱

絶とへ号つてゐろ事賓■で否定することはできない。

宗教的態度の特徴

かくしてこれらの行焉が最初非宗教的なものとして現はれて.やがてその後に宗教的な儀祀とな

るか否かは、詫として教生的考察に属する議論であつて今の問題ではない。またこの場合にその非

㌫数的ぢ儀絶や行男が宗数的へ㌧宣のとなる契機が如何へ与るものであるかも、しばらく別の問題とし

てこれん⊥他日に譲りたい。然しこんな時化が∴般約もしくは部分的に今勺ことを預想しても、非宗

教的な術腐ごとた非質利的な種々の術焉が宗教的とハ与るために、それらがすべて賓利的なまたは賓

際的な目的祈満となるわけではへ甘く,もとからの非営利的な性質のま∼で宗教的儀絶たら得ること は.上の説明によつて略々並されてゐやう。従って宗教的儀穂はをの起源に於て多くの非賓制約な

行湾をとり入れてゐるばかりでなく、

その昔憶に於てもこの種の宿意雰多分に合んでゐるのであっ

て.それが賓利的なものであると非賓利的なものでぁるとは、その儀植の宗教性の本質には無聞係 宗教的儀結己その麒度

(36)

68き 宗教的儀鰻ミその鸞度 三日 である。そしてそれが賓利的な儀鹿でもあり得ると同時に、一層簡単な賓際的目的をもつ合一や奉 仕の儀餓であつた♭、ことに表現の儀祓として現はれた時に宗教的に極めて重要なはたらきをした ♭、さらに遊戯や無意的な表出ですらふ㍗り得ることは、本質的には必然に賓制約な儀祓である呪術 と封照して、一方ではその区別が容易でないはどの類似をもちながら、根本的には全然ちがった意 義と方向をもつことを示すものである。 これを心理的に見ると、票数は意志や慾求にもとづく生活々動だといふことは革質でも、宗数的 態度そのものは必すしも厳密な意志的感度ではぢい。宗教意識はその費生に必ずあぇ慾求の存在イで 捜想するが、それ自髄にはこれにもとづく関心である僧侶意識のみが必然的へ日吉ので//、の基本的 慾求やこれから派生する特殊の慾望が意識されることはあつても、それは一般的でもなく本貿的ハ仏 要素でもない。したがってその外部的態度である宗数的行男や磁鹿も、これらの慾求や慾望亡作っ てある賓際的効果を求める欝制約な行秀でもあり得るが、また畢に侶壁恩識のみをもつて現はれ一〇 非質利的な行超であることも多く、それで決して宗教的な煤度セるに放けるところはない。勿寧で それから れは、価値の対象たる事物や行男そのものに関して、別に⊥りる慾望を生することがぁり、 一つの目的行男とふしの空拳仕の儀殖や表現の儀祓が生首れ云。しかしこのノ新な慾讐、意志は憤 他の基本と定つ.た慾求と必然の閥係はなく、それから放生したものではない。故にそれはJのる意味

(37)

〔う9

での意志的行男ではぁつても、賓制約な態度とは大に異ってゐるのみならず、侶伍意識一ざ中心とす

る聖なる思か直接の現はれは、屡々無意的な表出連動とも掌りので一のる。それで宗数的低値はいつ

もめる慾望を伴った意志的術満とはかぎらす、これがその必然的な特質でもないのであつて、一概

にこれを侶位の対象を追求する賓制約な行男のみに限定すべき理由は見出されない。

要するに宗教皇息識と行男との南面に亘った一つの生活態度と見なした時に、それはひろい意味

での傭偶的態度といふことができ、その僧侶の形式は闊心をもつた一稲の賓際的なものとも云ひ得

るで一昭ろうが、しかしそれは根本的慾求に應じてこの僧侶を追求する賓制約な態度には限らす、そ

れを客観視しての由照や考察や遊戯や、その他耗々の饅度を保留してゐる。故に宗教的生活をつね

にその根祇にある熱波の満足への手段と見、宗教的嬰度がこの意味でいつも寒剤的な感度として現

はれると考へることは、人間坐活の複雑な慶化をあまりに開式的に同定させて見るからのことであ

って、か♭に生活の動きからその宗教曲な方面を都合よく抽象し得たとしても、それはしかく簡騒

ぢ型にはめ得るものではなかろう。この鮎に於て宗教が人間の慾求から出立するが故に、宗教的鰻

度をいつもこの慾求の溝鹿に向ってのみ進むものと限定するやうな、単純な主意的宗教観は、たや

すくこれを是認するわけに行かない。また宗数的生活の中心が賓際的首領偲意識であるからといふ

理由で.宗教的活動が必すその効果の賓現を目的とす一〇賓制約な行焉に現はれるといふ寒剤主義の 完訳的儀紹ミその態度

(38)

691)

見解も、皆然修正されなければ仁らない。

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(39)

891 接頭し凍れ♭。 鎌倉時代の弾勒信仰

鎌倉時代の謝勒信仰 ︵上︶

大 屋 徳 城

−総 設

備数史上より大観すれば.卒安朝の信仰は多軸数的にして、鎌倉時代の信仰は二脚数的打アりと謂 っ可し。勿論.大乗件数が其本質上汎紳諭を基調とする以上、謂はゆる多軸数的も一紳数的も倶に 汎細論を背景としての論なるが、卒安朝は無数の紳格を唯一大日如来の法身に統顕し、還元して其 偶位を認識するところに、信仰の対象としての翻格を確発し、鎌倉時代は斯る神格の統〟的逆鱗が 切断せられて、個々の神格が猫自の侶伐と存在とを螢見せらる∼ことに依りて、信仰の封象として、 殆ど一神教的境地に接近し凍りし捏7り。最も鎌倉時代の一年を占有する辞宗の如きは、斬る紳格を 根本的自我に認識す一〇ことに依りて成立すれば、耕か趣牽き異にするものなきに非すと妊も、其思 想上の系統に於て、彼此脈絡の通するものあらて存す。而して斯る傾向を代表す石ものは、主とし て、他方彿土の神格に臨命する阿爾陀彿の信仰なるが、他面、滞勒如凍の信仰も亦此風潮に乗じて

参照

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