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「あいなし」についての考察-源氏物語を中心として-

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(1)

推厳の果て、ム 7 私達が知る事の出来るその変遷の最後の 形において、﹁銀河鉄道の夜﹂は客観性を有し、自己統一 の一応の成呆によって作品は、賢治から離れかけているの である。ここ

K

おいては、もはや作品中の賢治の生涯・思 想の影は賢治固有の経験ではなく、客観的経験となる。賢 治個人の遍歴が、一般的人聞の普遍的生涯の一部を示して いるのである。﹁銀河鉄道の夜﹂は、その宇宙的広がりの よ う

K

、いよいよ無限の魅力を湛えていくのである。

注 釈 注 1 ﹁農民芸術概論綱要﹂・農民芸術の産者より 注 2 ﹁注文の多い料理店﹂角川文庫︵昭日・ 1 ・ m 山 ︶ 中 ﹁新しい古典復刻の弁﹂︵小倉豊文氏︶より 田村芳朗著﹁法華経1真理・生命・実践﹂中公新書 問︵昭臼・ 8 ・ 5 ︶ よ り 妹トシの死︵大正日年︶の後、知人等に名無しで配 布された手紙。兄のチュンセが死んだ妹のポ|セを 探し求めるという、賢治とトシを思わせる兄妹の話 が書かれてある。 注 3 注 4

についての考察

源氏物語を中心として

次 口 一 口 序 本論 第一章﹁あいなし﹂

κ

ついての概説 第1節古辞書、古注における﹁あいなし﹂ 第2節﹁あいなし﹂の語源 第二章源氏物語における﹁あいなし﹂ 第 1 節﹃源氏物語﹄の﹁あいなし﹂と他作品の﹁あい なし﹂について ﹁あいなし﹂の意味 第

2

-36-二十八回生

I

項﹁あいな頼み﹂ 第

E

項心情語としての﹁あいなし﹂ 第

E

項心情語以外の﹁あいなし﹂ 第3節﹁あいなし﹂と﹁あぢきなし﹂ 結び 補注 参考文献 ︵但し、本稿では、第一章を、一﹁あいなし﹂の語源など としてまとめた。第二章では、第 2 節第

E

項、第

E

項を中 心 に 論 じ た 。 ︶

(2)

一、﹁あいなし﹂の語源など ﹃源氏物語﹄の注釈書、﹃湖月抄﹄には、﹁あいなし﹂ について、﹁あぢきなき心也、愛なき也﹂とある。﹃、河海 抄﹄、﹃眠江入楚﹄も、大体同じような注が付してある。 ﹃玉の小櫛﹄には、﹁此調数もなく多く有、そをととととく 閏九わたし合せてかむかふるに、伺といふわきまへもなしに うちつけに物する乙と也、乙﹄もその意にて、おのが身に か h らぬ人までも、何といふ乙となしに目をそばむる也、 注に無愛也、あぢきなく也などいへる皆かなはず﹂とある. ﹁あいなし﹂は古辞書にはない語であり、語源も未詳であ る。前にあげた古注をみると、一方は、﹁愛無し﹂、﹁あ ぢきなし﹂などを、その意味と考えており、もう一方は、 それを完全に否定している。一体、どちらが正しいのであ ろ う か 。 乙乙で、文学作品とのかかわりにおいて、歴史的に、 ﹁あいなし﹂の使われ方をみてみよう。表ーは、それぞれ の作品における﹁あいなし﹂の使用度数を示したものであ る 。 ζ の表より、﹁あいなし﹂の特徴の一つである使われ る時代が限られているという事実が明らかになる。﹁あい なし﹂は、九

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年代後半、﹃鯖蛤日記﹄、﹃宇津保物語﹄ からみえ始めており、それ以前の作品には、全く用例が見 当たらない。そして、乙乙にあげた中古文学のほとんどの 作品に、﹁あいなし﹂の用例がみられる。なかでも、散文 では、﹃大鏡﹄を除いたすべての作品に、乙の語が使われ ている。それとは対称的に、韻文には、中古を合ひどの時 代にも一例も見当たらない。また、﹁源氏物語﹄の一

O

五 例を最頂に、﹁夜の寝覚﹄に三四例、﹃浜松中納言物語﹄ に一三例、そして﹃とりかへばや物語﹄に一七例用いられ ているが、その後はほとんど見られなくなる。﹃方丈記凶、 ﹃平家物語﹄などの中世の作品には用いられておらず、わ ずかに、﹃徒然草﹄、﹃増鏡﹄に五

l

六例使われているの みである。との二作品は、いずれも擬古文の性格が強いこ とから、﹁あいなし﹂は中古文学独特の語と言えるのであ ザ 令 。 注向 @汝ガ目ノ極メテ愛克ク醜キニ抜キ代へムト云フ︿今音物 語 ︵ 1 ︶ 一 二

O

五 頁 三 行 ︶ @継母なりし人、下りし閣の名を宮にもいはる﹄に、異人一 に品はして後も猶その名いはるとき﹀て、親の今はあい引 なきよし、いひやらむとあるに 朝倉ゃいまは雲井に聞く物を、猶木のまろが名のりを や す る ︵ 一 安 級 日 記 五

O

一 二 頁 六 行 ︶ @は﹃今昔物語第四巻﹄にみられるものであるが、こ乙で は、﹁愛元シ﹂という表記である。ところが、@の﹃更級 日記﹄の例壱考えてみると、乙の場合、﹁合無し﹂が適当 と考えられる。筆者の継母が孝標と別れ、今は宮仕えをし ているが、孝標が、以前、上総介だった時、継母も一緒に 下っていた乙とから、宮中でまで上総大輔と呼ばれている。 ﹁今さらそういう名を使うのは似合わないから、そうしな い方がよい﹂という意味であるようだ。 @かからぬ年だに、御覧の日の童の心地どもは、おろかな

(3)

〔表 i〕 文 学 作 品 に み る 「 あ い な し

J

西 暦 作 品 使用度数 西 暦 作 品 使用度数 712 古 事 記

明 恵 上 人 歌 集

720 日 本 書 紀 / / / 子 載 集

万 葉 集

ぷ−−.; 三日土 1 竹 取 物 至ロ五ロ

山 家 集

900 管 家 文 草

堤 中 納 言 物 語 4 管 家 後 集

と り か へ ば や 物 語 17 905 古 l寸>.. 集

無 名 草 子 1 伊 勢 物 語

松 浦 宮 物 語 2 935 土 佐 日 記

新 古

4

伊 勢 集

1212 方 丈 記

951 後 撰 集

1216 宇 治 拾 遺 物 語

950頃 大 平日 物 圭ロロ五

海 道 記

平 中 物 語

関 居 友

蛸 蛤 日 記 8 建礼門院右京大夫集 2 宇 津 保 物 語 13 1242 東 関 紀 行

落 窪 物 語 10 平 家 物 言菩

多 武 峯 少 将 物 語 1 な よ 竹 物 語

枕 草 子 9 十 六 夜 日 記

1002頃 源 氏 物 語 105 う た た ね の 記

紫 式 部 日 記 4 1330頃 徒 然、 草 6 和 泉 式 部 日 記 2 増 鏡 5 狭 衣 物 量ロ五ロ 1

浜 松 中 納 言 物 語 13 1518 閑 吟 集

夜 の 寝 九""ι 34 きのふはけふの物語

1060 更 級 日 記 2 1683 雑 兵 物 語

栄 華 物 語 用例あり 1685 野 ざ ら し 紀 行

大 鏡

1688 更科紀行・笈の小文

1142 極 楽 願 往 生 歌 集

1694 奥 の 細 道

1144 詞 花 集

l~B~

2 安 愚 楽 鍋

(4)

-38-らざるものを、ましていかならんなど、心もとなくゆか しきに、歩み並びつ L 、出で来たるは、あいなく胸つぶ れていとほしく乙そあれ。きるは、とりわきて深う心よ すべきあたりもなしかし。︵紫式部日記四七九頁一

O

行 ︶ @は、五節の舞姫に従う童女たちを、帝が御覧になる、御 覧の儀のととである。そとにずらりと並んだ童女達、皆、 属医劣つけ難い美しきである。他にひけをとらない美しさを 誇っていたとしても、若い男性も混じった多くの人々にま じまじと見られる気持ちを察すると、筆者は、﹁胸つぶれ ていとほしく﹂思われるのである。ととろが、﹁とりわき で深う心よすべき云々﹂でわかるように、筆者が特別にひ いきにしている者がいるわけではないのである。との場合 の﹁あいなく﹂は、﹁理屈に合わないととに﹂というよう な意味と考えられ、@と同様、﹁合無し﹂ではないかと考 え ら れ る 。 ﹁あいなし﹂は、@のように、確かに﹁愛無し﹂の意味 で使われるとともあるが、@、、@のように、﹁合無し﹂と とれるものが非常に多い。﹁愛無し﹂であれば、その需の 意味はおよそ見当がつく。﹁いやな﹂とか、﹁おもしろく ない﹂とか、不快な感情がそ乙に読み取られる。それに対 して、﹁合無し﹂は、直接に感情を表わすものではない。 ある基準に照らして、合わないという事実が示されるので ある。ただし、合わない、似合わないと感じることは、不 満な感情へと発展しやすい。@の場合、﹁あいなき﹂は、 孝標の不満とする気持ちを表わすと考えれば、﹁愛無し﹂ の意味に非常に近づいてくる。このことから、﹁合無し﹂ が、﹁愛無し﹂と混同されたという乙とが考えられる。時 代がたつにつれて、文学の担い手も変化したために、﹃更 級日記﹄の時代には﹁合無し﹂であったものが、﹃今背物 語﹄や﹃湖月抄﹄の時代には、﹁愛無し﹂へと意味が転化 してしまった ζ とも考えられるととである。 二、源氏物語における﹁あいなし﹂ ﹃源氏物語﹄には、表

E

に示すとおり、一

O

五例の﹁あ いなし﹂が見られる。乙乙では、﹁あいな頼み︵頼め︶﹂ を 除 い た 一

O

一例についてその意味を考察する。 まず表

E

より、﹃源氏物語﹄の中では、宿木の巻に、 ﹁あいなし﹂が最も多く使われていることがわかるが、 ζ れも、﹁あいなし﹂の意味とかかわっているだろう。 と ζ ろで、一章において、﹁あいなし﹂は﹁合無し﹂で あろうと述べたが、﹃源氏物語﹄においても、まず、 川似つかわしくない。不都合だ。 という意味が読み取られる。 それは、@﹁:・かく心やすき御住まひは、ただいとうちと けたるさまに、ふくみ萎えたるとそよけれ.うはべばかり つくろひたる御装ひはあいなくなむ﹂︵初音@一四八頁 一

O

行︶によって代表される。末摘花の服が寒々としてい るのを、気がねのいらない住まいでは、ふっくらと萎えて いるのがよいのに、それは似合わないと源氏が言っている のである。他に、@限りなき御おぼえの、あまりもの騒が

(5)

()内は必 活 用 総 数

然 一 れ 一

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巳 一 け 一 2 一 る 一

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体 一 か 一 以 連 一 き 一 司 「あいなし」 連

用|終止

|ぅ|かり|し

印刷

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14帥

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14帥 活用形別にみる 耕 一 川 一 山 幹 一 唯 一 割 語 一 郎 一 引 〔表

E

105 1 0 5例 松 絵 関 蓬 湾 明 須

花 賢 葵 花

4ク工"" 二 一 帯 桐 風 i口~ 屋 生 標 石 磨 木 宴 紫 顔 蝉 木 宝E 1

1

3 4 2 1 7 1

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藤 梅

藤 行 野 饗 常 埜 胡 初 玉 少 朝 薄 木 枝 袴 幸 分 火 夏 喋 音 女 顔 雲 1 2 5 2 1 3

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手 備 浮 東 宿 早 総 椎 橋 竹 定

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匂 幻 御

鈴 横 習 蛤 舟 屋 木 蕨 角 本 姫 潤 梅 宮 法 霧 虫 笛 1 2 4

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1 1 7

。。

「 あ い な し 」 巻 別 の 〔表

E

しきまで暇なげに見えたまひしを、通ひたまひし所ど乙ろ も、かたがたに絶えたまふ乙とどもあり、軽々しき御忍び 歩きも bhh ??思しなりて、 ζ とにしたまはねば、いとの どやかに、今しもあらまほしき御ありさまなり。︵賢木 。九五頁九行︶などがある。これは桐壷院の崩御によって、 世の中が一転レ、不遇せられている時の乙とである。源氏 もとの経験によって成長もしたのであろう。以前のような 軽々しい忍び歩きを、似つかわしくないと思い始めている。 次 に 、

ω

不満だ・不本意だ。という意味が考えられる。 例えば、@を取ってみても、似つかわしくないと思うこ とは、不満だという側面を持っている。また、⑥は、似つ かわしくないと自らが感じているから、そうすることを、 不本意だと思う気持ちが、当然、そとに存在する。 次にあげるものが聞に相当する。 @大将の、をかしやかにわららかなる気もなき人にそひゐ たらむに、はかなき戯れ言もつつましう砂いな J い息され て ・ : ︵ 真 木 柱 己 一 二 八 二 頁 三 行 ︶ @御文は忍び忍びにありけり。身をうきものに思ひしみた まひて、かゃうのすきぴ一言もあいなく思しければ、心と けたる御答へも聞 ζ えたまはず︵真木柱合コ一八四頁一三 行 ︶ 玉撃は、もはや、髭黒大将の妻である。その上、彼は冗 談 の わ か ら な い 啓 一 物 だ か ら 、 戯 れ 言 や す さ ぴ ご と を 一 一 一 一 口 っ て 遺るのは不都合である。源氏にとって、あえてそうするの は不本意であるし、玉震にとっては、迷惑な、不満なとと -40

(6)

で あ る は ず だ 。 さらに、心情的な性質が強まったと考えられるものに、 @﹁:・わが思ふ方は異なるに譲らるるさまもあいなくて﹂ ︵ 総 角 @ 二 九 二 頁 二 ニ 行 ︶ 、 ① ・ : ζ の大臣に怨ぜられはて んもあいなからん︵宿木@三七一頁一一行︶⑤冬の御方に も、時々によれる匂ひの定まれるに、消たれんもあいなし と思して︵梅枝②四

O

一 頁 九 行 ﹀ な ど が あ る 。 @は、大君を愛しているのに、中の君を勧められて、不 満、不本意とする薫の心境。①は匂宮の心情で、タ霧に恨 まれるのは不本意だというもの。@は、明石の君が、薫物 合わせで、他の人に負けるのは、不本意だ、悔やしいと思 っているという気持ちである。他に、薫の@﹁砂川いかいや。 わが心よ。﹂︵宿木三七六頁一四行︶のように、嘆きに近 い心情も、不本意な気持ちの募っていったものとみてよい だ ろ う 。 さらに、人目を﹁あいなく﹂思っている例が三例ある。 根拠のないととを勝手に想像したり、事実を誇彊して話し たがる口さがなきに、不満を抱いていると見るべきであろ v﹁ノ 第三に、不本意だと思う気持ちの裏に、他の人に対する 配慮がみられるものがある。 間気の毒だ。かわいそうだ。 ①﹁つひにあるべき事の、かく隔たりて過ぐしたまふを、 かの人もものしと思ひ嘆かるらむ。乙の御心にも、今は やうやうおぼつかなくあはれに思し知るらん。方々心お かれたてまつらむもあいなし﹂︵藤裏葉

e

四 四 一 頁 一 行 ︶ 紫の上が、明石の君と娘が離れ離れに暮らしている ζ と を、親子は一緒に暮らすのが当然なのに、気軽に会う ζ と もできないのは、不似合いであると思っている。①の場合、 明石の母子は、会えなくて不満なのであり、つらいと思っ ているだろう。その気持ちを思いやる紫の上は、気の毒だ と思っているに違いない。さらに、今の状態を続ける ζ と には、不満があり、不本意なのである。 親子の聞のことをいったものでは、他に、内大臣︵頭中 将︶が、娘を後の親に譲るととを﹁あいなし﹂と言ってい る例がある。また、源氏が、八の宮の勤行の邪魔をしてま で対面するのは、﹁あいなし﹂とする例も、八の宮に対し一 ては気の毒で、源氏にとっては不本意なのであろう。また叫 紫の上が女三の宮との対面を希望しているのに、会わせな いのは﹁あいなし﹂と、源氏が思っているものも、気の毒 というのではないにしても、相手に対する思いやり、配慮 が含まれているという点で同じだと考えてよいだろう。 最後にもう一つ、次の ζ と が 考 え ら れ る 。 川 間 無 駄 だ 乙 れ も 、

ω

の﹁似つかわしくない。不都合だ。﹂という 意味と表裏の関係である。 ①﹁かばかりのすくよけ心に思ひそめてん ζ と、諌めむに かなはじ。用ゐぎらむものから我さかしに言出でむもあ いない﹂︵夕霧⑮四四四頁八行︶ 落葉の宮のととで、タ霧を諌めたとしても、 一 途 な 性 格 の

(7)

人であるから、耳を貸さないであろうと源氏は考える。 それなら、しでも無駄であり、せぬがましであるという考 えであるらしい。 同じような意味で、タ霧が落葉の宮を口説いても、彼女 は廃かない。これ以上やっても無駄だというものがある。 @﹁あいなかりける心くらべどもかな﹂︵夕顔

Q

二五八頁 八 行 ︶ 源氏と夕顔は、な互いに、相手が素姓を明かさ左いのを、 自分に対する愛情がそれほど深くないからだと思い悲しんで いた。そのうちに、夕顔は死んでしまい、源氏は初めて真相 を知る.@の﹁あいなかりける﹂は、なんと、つまらぬ意 地を張り合った乙とか、そうしなければよかった、無駄だ ったという意味である。他に、中将の君が、常陸介に浮舟 の事情を打ち明ける場面に使われているものがある。浮舟 が、薫に正式に迎え取られてから話すつもりであったのが、 浮舟が死んで︵失綜して︶しまっては、隠すのは無駄なこ とだという意味に情われている。また、横川の僧都が、薫に 浮舟のととを隠し、だてする ζ とを﹁あいなし﹂としている 例も、薫は真実を知っているよう、だから、無駄で、がえっ て不都合だという意味にとれる。 以上のように、﹁あいなし﹂の意味について考察したが、 結論として次のことが言える。 まず、﹁あいなし﹂の第一義は、川似つかわしくない。 不都合だ。というととである。それから派生として、

ω

無 駄だ。という意味を持っとともある。また、﹁似つかわし くない不都合な﹂立場の人に対して、同気の毒だ。という 気持ちを表わす場合もある。しかし、最も多く使われてい るのは、﹁似つかわしくない、不都合な﹂乙とに、

ω

不満 だ。不本意だ。という気持ちを表現するものである。 と ζ ろで、次にあげる例は、川

1

凶の﹁あいなし﹂の意 味では、一一見、解決がつかないようにみられるものである。 ①﹁ ζ れは、女のなつかしきさまにてしどけなう弾きたる こそをかしけれ﹂と、おほかたにのたまふを、入道は

b

いなくうち笑みて:・︵明石②二三二頁一行︶ 娘をぜひ源氏児、と前々からの心積りだった明石の入道 が、源氏が﹁琵琶は女が弾くのがよい﹂と、一般論として 言ったのに、﹁しめた﹂と喜ぶ気持ちから、つい、顔をほ一 乙ろばせる。﹁あいなく﹂は、その﹁うち笑みて﹂にかか唱 っている。乙の﹁あいなく﹂を、入道の心情を表わす語で あると考えるならば、﹁うち笑みて﹂に矛盾する。 @:・常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。世の中の乙 となども、隔でなくのたまはせっつ、御本意のやうなれ ば、おほかたの世の人もあいなくうれしき ζ とによろと びき乙えける︵湾標。二七

O

頁 三 行 ︶ 源氏が、再び京へ召還され、帝と睦まじく語り合っている。 それを、﹁うれしきことによろ ζ ぴき ζ えける﹂世の人が、 同時に、川

l

凶の気持ちでいるとは考えられない。 ζ の ① @の問題は、﹁あいなし﹂の主体を入道、世の人とするた めに起とるものである。乙の場合、主体は作者であるとと れば、川

1

凶の意味で理解できる。﹃源氏物語﹄には、乙

(8)

のように、作者や話者が、ある人物について述べながら、 自分の客観的な意見を挿入するのに用いた﹁あいなし﹂が 多く売られる。連用形の﹁あいなく﹂、﹁あいなう﹂の独 特のものであり、﹁あいなし﹂の総用例一

O

一例中、三六 例である。との場合の意味も、根本において、前にあげた

ω l

凶と考えてよい。静三者からみるん﹂、似つかわしくな い、不満だ。﹁︵第三者から見ると︶そうする︵なる︶必 然性がないのに﹂ということになる。 @さて、またの日の夕つ方ぞ渡りたまへる。人知れず思ふ 心しそひたれば、あいなく心づかひいたくせられて、な よよかなる御衣どもを、いとど匂はしそへたまへるは、 あまりおどろおどろしきまであるに、丁子染の扇のもて なしたまへる移り香などさへ、たとへん方なくめでたし ︵ 宿 木 ⑤ 四 一 二 頁 二 行 ︶ @このほどまでは漂ふなるを、いづれの道に定まりて赴く らんと、思ほしゃりつつ、念請をいとあはれにしたまふ。 頭中将を見たまふにも、あいなく胸騒ぎて、かの撫子の 生ひ立つありさま聞かせまほしけれど、かごとに怖ぢて うち出でたまはず。︵夕顔

θ

二 六 六 頁 一 四 行 ︶ 薫は中の君に対して、次第に恋愛感情を抱くようになり、 彼女に会うために、﹁心づかひいたくせられ﹂る。しかし、 薫が粧し込みむことは、客観的に、突き放した見方をすると、 必然性のない乙とである。@は、さらに場面が緊迫してい る。夕顔の死後、彼女と縁の深い頭中将を見て、源氏は胸 が騒ぐ。これも@と同様、さめた見方をすれば、必然性の な い ζ となのである。他に、藤壷が帝に源氏の舞った青海 波の感想を求められた時の、﹁あいなう、御答へ聞こえに くくて﹂の例、空蝉と契った後に、夫の伊予介と対面して、 彼を﹁あいなくまばゆくて﹂とするものなど、すべて、興 味をそそる場面である。 乙れらの場合、﹁︵第三者から見ると︶そうする必然性 がないのに﹂ということばの裏には、そうせずにはいられ ない、当事者の強い心の動きが見られる。﹁あいなく:・﹂ という、実に冷静な表現であるのに、その場面はしばしば 緊迫している。源氏のすばらしい青海波にみとれながらも、 彼との不倫の恋に煩悶する藤壷、夕顔の死んだ悲しみと、 頭中将に対する良心の痛みとが交錯する源氏の心情は、ぃ一 くらととばを重ねても、書きつくせるものではない。そ乙 4 に、﹁あいなく・:﹂を持ってきているのである。作者が、 登場人物と同化して、感情に走るのでなくあくまで、語 り手として理性を保っている、心にくい表現と解釈できる の で あ る 。 結 ぴ ﹃源氏物語﹄を中心として、﹁あいなし﹂について考察 した結果、次の乙とが得られた。 ﹁あいなし﹂の意味の中心となるのは、﹁ある基準に照 らしてみて、合わない﹂ということである。そして、﹁合 わない﹂と感じるととが、﹁不満だ﹂、﹁不本意だ﹂、

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﹁気の毒だ﹂という心情へと、しばしば発展している。場 面、状況によって、乙の一語から読み取られる心情は違っ てくる。多義性と酸味さを備えた語とも言える。また、腕 曲表現宇佐好んだ、平安の女流文学に、﹁あいなし﹂が多く 用いられているが、﹁あいなししの多義性暖昧きが、腕曲 性と結びついた結果であると言えないだろうか。 補注 注 ( 1) ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ は 、 その他の作品は、 書 店 ︶ に 拠 る 。 日本文学全集︵小学館︶に拠る。 すべて、日本古典文学大系︵岩波 参考文献 ﹁源氏物語語義の研究﹄山崎良幸︵風間書房︶ ﹃平安女流文学のととば﹄木之下正雄︵至文堂︶ ﹃ ﹁ 源 氏 物 語

K

なけるあい左し﹂について﹄ 行本とよ子︵国語学論説資料第二二号第四冊︶ ﹃ 源 氏 物 語

k

b

ける﹁あい乏し﹂考﹄ 河島知子︵四三年度熊本女子大学卒業論文︶

熊本県鹿本郡植木町の方言研究

-44

序論 第一章 第 二 章 植木町の方言文法 l 動詞 l 植木町方言調査による特徴的左語の分布と概観 結 び 序論 人々は地域社会にないて、いか左る言語生活を営んでい るのだろうか。年齢・性別・職業等の違いが実際の一言語生 活に与える影響

K

着 眼 し て 、 ζ こでは筆者の出身地であり、 熊本方言の中核でもある鹿本郡植木町を調査地点

K

選 び 、

二十八回生

植木町になける言語生活の実状を明らかにする。と同時

K

熊本方言全般

K

わたって現状を克明

K

したいと思い、と ζ に植木町の方一吉をとりあげたのである。 第一章植木町の方言文法!動詞| 動詞の活用 活用形の名称は‘なるべく教科文典のそれと関係づける様、 心 が け た 。 形態上差があるため、未然形を否定形と将然形に分かち、 形態上差が念いと ζ ろから終止形

K

連体形を含め、ある程 度話し言葉に合わせた。

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