【第
5
章 】人心を読む極意
ビジネスの場においては、相手の心の動きを素早く読み取り、 対応することが求められている。態度や仕種、装身具などが. 物語る人間の内面を解き明かし、人間観察力を向上させる。石 川 弘 義
成城大学文芸学部教授。 1933年生まれ。一俄大学社会学t:ill卒業後、社会心理 研究所を経て、 75年より現!織。専攻は社会心理学。大衆社会のさまざまな文 化現象を欲望という視点から捉えなおす研究で高い評価を得ている。主な著 書に『欲望の戦後史~ ~仮性成熟の時代~ ~日本人のライフスタイル~ ~欲望の 構造』などがある。相手の心をどう読むか
コミュニケーションという言葉は、元来「共に持つ」、「共有する」という ことを意味した。ほかの英語に言い換えるとcommons
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ということに なる。 そして、この「共有J
のために大きな役割を果たすのが言語であることは 言うまでもない。ところが、2
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年すこし前からのことだが、人間同士のコミ ュニケーションのための材料は言語だけではない一一このような角度からの 研究が進められるようになってきた。 この点についてA・マーレビアンというアメリカの研究者は言語とそれ以 外の手段との比率を次のような式で表現している。 言語=7%
、音声=38%
、表情=55%
。 全 体=100%
のうち言語の占めている役割は7%
にすぎないということだ が、この言語以外のコミュニケーションの手段が非言語コミュニケーション (ノン・ノ〈ーパル・コミュニケーション)あるいはボディー・ランゲージと呼 ばれるようになってきた。 ここでのテーマである「相手の心を見抜く」うえでは、このノン・パーパ ル・コミュニケーションが重要なカギになることはいうまでもない。つまり 顔の表情、顔色、手や足のちょっとした動き、さらには声音などがここでの 決め手となるわけだが、ただし芝居あるいは芝居がかった演技に似たしぐさ はここで言うノン・パーパル・コミュニケーションには入らない。原則とし てノン・パーパル・コミュニケーションは、当人がほとんど意識しないで表 すコミュニケーションのくせのようなものと考えていいだろう。そして最近では、このノン ・パーパル ・コ ミュニケーション、目の封jき、空間の用い方 等 々 を 総 称 し て 、サブテキス トグと呼ぼうという考え方も出てきている。
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年) ところで、最近になってこのノン ・パーパル ・コ ミュニケーションについ ての解説書がずいぶん多く現れるようになった。中にはノン ・パーパル ・コ ミュニケーションですべてが表現でき、また理解できるという思い切った主 張も見受けたりするが、このタイプのコミュニケーションはどちらかという と暖昧度の高いものであることにまず注意しておかなければならない。たと えば腕を組むという ポーズだが、このポーズ は い く つ か の 意 味 を 持 っ て い る。そのひとつは相手の言うことに疑問を持つ、あるいは反発を感じるとい うことの表現であり、腕組みはその人の心の前に立つ壁のような意味である とされる。もうひとつは相手の言うことを信頼し、あるいは感心して思わず 腕を組んでしまうというようなことだ。そしてさらにもうひとつの意味は、 なにか軽い不安を感じたとき、人間は腕を組むことで自分自身の心の動揺を 静めようとする・・・・・・。以上のように腕組みというノン ・パーパ ル ・コ ミュニ ケーションの持つ意味は、それの置かれた文脈との関連で解釈しなければな らないのである。 このような事柄を前提として、以下しばらくの問、 人聞の からだのさまざまな部分がどのような形でノン ・パーノ〈ル ・コ ミュニケーシ ョンと結びついているのかについて眺めておこう。脚と足
以前に私が翻訳したジュ リアス ・ファス ト〈註1>の 『ボディ 一・ ランゲー ジ』が、 脚の組み方で特定のカッフ。ルの親密度がわかる、という説明を して いるのを討tんでなるほどと思ったことがある。 たとえば男Aは右足を上に組み、隣にいる女Bは反対に左側を上に組んで このふたりは同じベンチに座っている。このような状況のふたりは、かなり 親密で、事によったら恋人同士かもしれない。 〈註1)1919-。アメリカのジャーナリスト、作家。ニューヨーク大卒。著書に 『ザ・ビートルズーその真 実なる物語』など。70年に発表した 『ボディー・ランゲージ』は全米ベスト・セラーのノンフィク ション部門で連続二十数週間にわたってランクされ、一躍その名を知られた。つまりふたりは脚で閉じた空間をつくっていて、そこに他人が入ってくる のを拒否していると考えられるわけだ。また、脚の組み方では、夫と妻のど ちらが家庭内リーダーシップを握っているかを判断する方法が間lにあるとい う見方もある。たとえば家族 4人が応接間の椅子に座っているとする。脚の 品
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み換えがどういう順で行なわれるかに注意をしてみると、ほとんどの場 合、まず妻が組み換えると、夫あるいは子どもがそれに従うという決まった ) 1国序の存在することがわかったりする。この場合、夫や子どもたちが行なう 行動を反響行動と呼ぶのだが、反響行動を引き起こす人物には心理的なパワ ーがあると多くの場合考えられている。つまりこの家庭では、妻が心理的な 優位を保っているという事実をこのことは物語っているのである。 ところで、足については多くの人が待ち合わせの場に利用している駅前広 場が格好の観察の場である。人待ち顔の人物の ~II には、右足あるいは左足を カタカタと小刻みに動かしている人が必ずいるはず。そして人によっては何 本ものたばこの吸い殻が……。こういう人物は、待ち人が来ないのでイライ ラしているということをボディー・ランゲージで表している。足については また、これも気をつけて見ているとすぐ目に入ることなのだが、喫茶庖など で男女のペアが話をしているとき、女性が脚を組んで足の爪先にハイヒール などを引っかけてぶらぶらさせている。相手の男性にはわからないから、こ のサインは彼女だけが出しているものにすぎないのだが、この靴のぶらぶら は多くの場合、あなたの話は退屈よ、早く外へ出たいわ、などのメッセージ を送っているものという解釈がある。腕と手
腕組みについては先ほどもちょっと触れたとおりだが、これは比較的多義 的なノン・パーパル・コミュニケーションの典型と言ってよい。 さらに、腕組みには、あなたの話は聞きたくない、あなたの話はインチキ くさい、という拒否あるいは疑問を意味する場合がある。と同時に自己タッ、
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~ 、 閥1(7)組み方でカッフ。jレの親密度が分かる。 チの心理 が 基 本 に あって、軽い不安を表 現 す る 場 合が多いとも言われてい る。たとえば幼稚園に入った子どもが生まれて初めての運動会で駆けっこを する。これを見ているときの若いお父さんの多くは腕組みをしている。つま りわが子が怪我はしないだろうか、泣き出しはしないだろうか、といった不 安を腕を組んで自分自身に触ることで除去しようという心理的な意味がここ にはあるということなのだ。 子を使ったノン ・パーパル ・コ ミュニケーションでは、そのあり ふれたも ののひとつが握手である。 英語でデッ ド・ フィッシュ ・ハンド ・シェイキングという表現がある。死 んだ魚、みたいなでれっとして力が全くこもっていない握手のことを言うのだ が、これは相手に不快感を与えるものとして嫌われることが多い。 握手については、ノン ・パーノ〈ル ・コ ミュニケーション研究のパイオニア のひとりであったA・マーレビアンは、こんなおもしろいことを言っている。 円虫く握る握手。これは熱心さ、好意、 あたたかい気持 ち を 相 手 に 伝 える。かなり長い握手。これはより接近した感情を相手に伝えることができ るが、親密すぎて相手に不快感を与えることもある。 だらりとした握手。無関心、一緒になにもやりたくないという感情を伝 えるのがこれである
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(A・マーレビアン著、西国司他訳『非言語コミュニ ケーションJ)
ところで、手の使い方はまた、文化を、しかもその基本的な部分を、徹底 的に表現するものでもある。たとえば東南アジアのいくつかの国では、左の 手で赤ちゃんや子どもの頭を撫でたり肩に触ったりするのはいけないことと されている。 つまり左の手は不浄の手と考えられているからである。私は実際にパリ島 のトイレで見たことがあるのだが、ここでは用を足したあと右手で用意され ている手桶に水を入れ、左の手でおしりを上のほうからかける水で?先う。こ のような習慣から左手は不浄の手なので、左手を使うことは時には侮辱的な 意味を持ったりするのである。目と目線
目は心の窓。これはありふれた言い方だが、実際、目はノン・パーパル・ コミュニケーションの要ということを物語るものでもある。事実、目はおそ らく人聞の持っているノン・パーパル・コミュニケーション、あるいはサブ テキス卜の能力の中で最も雄弁なものといっていいだろう。 だから、それだけにその使い方を間違えると相手に不快感を与えたり、誤 解の原因ともなったりする。 英語では「モーラル・ルッキング・タイムjというおもしろい表現があっ て、これは相手を見る場合、常識的に許される範囲内の時間を意味する。つ まりじろじろ見るのではなく、さっと見て相手に不快感を与えない時間とい うことだが、これはやはり私たち人聞が他人の視線に対しては非常に敏感で あるということを物語っているといってよい。長
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日本人は話し相手と目を合わせることをしない。 目と目を合わせる、あるいは目線が交錯すること。これはゲイズ (i疑視) といわれるが、これも時には相手に不快感を与えかねない。 以前にある精神科医から聞いた話なのだが、東京に住んでいる外人で神経 症などで通院している人を調査をしたところ、日本人と話をしていていちば ん気になるのは目を見てくれないことだという結果が出てきたという。アメ リカ人の場合は概して日本人よりもよく目を見る。つまりアメリカの文化で は、相手が目を見ないと自分の話を聞いてくれていないと多くの場合思って しまうということだ。逆に日本ではあまり相手の目を見つめることは失礼、 という感覚がある。 また日本の若者の多くは、年上の人たちの目線をこわがることが多いとい う指摘もある。それが極端になると視線恐怖という状況を生み出し、これは 精神療法の対象になるといわれている。そこで私が無難な方法としてお薦め したいのは、若者が相手の場合、目よりちょ っと下、つまり鼻から口のあた りを見てやるということだが、このタイプの目線だと相手はそれほど緊張しない。それでいて十分に自分は見られているという安心感を持つこともでき るわけである。いった、ったか某企業の採用のベテランと話をしていたとき、 この人物の口から若者に応対するときのコツとして、ここに述べたと同じ話 が出てきて驚いたことがある。長年の観察とそこから生まれてくる知恵が、 このような目線の向け方を生み出したということなのだろう。 ところで、人間の目の動きには「選択的知覚」といわれるタイプのものも ある。つまり私たちは、漠然とあるいは漫然と周囲を見ているのではなく て、まず自分に必要なものを最初に選んでしまう傾向があるということなの だが、この選択的知覚の原理を逆手に取ってセールスに応用しているデパー トを私は知っている。つまり、客がネクタイ売り場に近づいて買う気配を見 せはじめたらどこのあたりを見たかをまずチェックするようになる。そして いよいよどれを選よかというところまできたら、彼が見たと思われるネクタ イを強く推薦する。すると客のほとんどはその薦められたものを買うという のだが、これは彼が無意識のうちに選択的に知覚したものがリコメンドされ たから、彼はそれに従って買ったということなのである。
雄弁な小道具たち
相手の心を読むための基本的な構えとして私たちの生活を取り巻くさまざ まなものが、同様にノン・パーパル・コミュニケーション的な意味を持つ場 合が多い、ということにも注意する必要があるだろう。 以下、生活の小道具の持っているコミュニケーション能力について考えて みることにしよう。 名刺一一言うまでもなくビジネスの生活では欠かすことのできない小道具 であるが、これもかなり雄弁なものだ。まずやたらと肩書の多く並んでいる 名刺、これは多くの場合、当人が思っているほどのインパクトは持っていな いようである。むしろ肩書の多さがそれをもらった人には反発をおぽえさせ る効果のほうが大きい。また名刺をもらった直後、それをどこにしまうか。 〈註2>1932-910 コラムニスト。新聞記者、学習参考書編集者を経てフリーに。独特の‘間'を生かした 文体でサラリーマン体験をまぶした酒脱なエッセーの書き手として人気を博す。 72-78年「週刊朝 日j に連載したインタビューが好評で、インタビューの名手として知られる。これも重要な問題である。 インタビューの名人で、エスプリの効いた人物評を数多く残した青木雨彦 さん〈註2)が以前、ニューミュージックの売れっ子歌手人物評で珍しく怒 った文章を書いていた。それはこの歌手が青木さんの差し出した名刺をくる くる指に巻いたり、あげくの果てには半分に折ったりして遊びだしたからだ ったという。これは多少極端な例かもしれないが、もらった名刺は大事に、 そして丁寧に扱うのがルールというものだろう。 サングラス一一以前にある眼鏡屋さんからこんな話を聞いたことがある。 夏になると濃いサングラスが売れるものだが、その買い手の中には電車の中 で痴漢に似た目線の使い方をするのが楽しみな人がかなりいるという。この 話を聞いて以来、私も電車の中でマン・ウォッチングをよくするようになっ たものだが、実際女性の胸元を見たり、また足をなめるような目付きで見て いる男性には濃いサングラスをかけた人物が多いように思えた。 人間とは時示に弱いもので、濃いサングラスをかけるとそれである種の 「抑制」がとれてしまうという自己暗示が働くもののようである。 ネクタイ一一今はひと頃ほどの勢いはないようだが、ニューヨークの不動 産王ドナルド・トランプ〈註3)。彼が赤いネクタイを好んだところからトラ ンプ・レッドというネクタイの色が取り沙汰されたことがある。 トランプの 攻撃的なイメージと重なって、いわばヤル気のあるネクタイ、あるいはヤル 気を示すネクタイ一一そんな心理的効果が期待されたのだろう。 これとは反対にネクタイをゆるめて、下着は着ないでワイシャツに腕まく りという形で自分のイメージを演出した人物もいる。ニューヨーク市の先代 の市長
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・コッチさん〈註4)がその人で、彼はテレビに出るときにはほとん どいつもワイシャツに腕まくり、そしてネクタイはゆるゆる一一こんなスタ イルであった。これもコッチさん流の自己演出の方法であることは間違いな いようだ。 靴一一ある大手の靴メーカーの社長からこんな話を聞いたことがある。あ 〈註3>1946-。アメリカの実業家。不動産業を足場にカジノ経営、航空業と手を広げ、42歳にして資産50億ド ルを持つにいたる。また、投資家としても派手な動きを見せ株式市場で注目を集める。しかし、87年の ブラックマンデー以降の景気後退で銀行からの借入金は総額32億ドルにものぼるといわれている。る人物が積極的でヤル気があるかないかは靴の裏を見れば大体わかる。 これはどういうことかというと、靴の両側、つまり右足だったら右側、左 足だ、ったら左側が擦り減っている人はほとんど常に積極的に歩き、常に活動 的でもあるというのだ。私は娘の結婚相手を判断するのにふたりとも靴の裏 を見てそれでうまくいきましたよ、とこの社長は言っていた。 ドレスアップとドレスダウン一一アメリカの佃性的な俳優ウディ・アレン 〈註5>は映画の中でもまた実生活でも思い切ったドレスダウンをするので有 名だ。たとえばジーパンにスニーカ一、その上にタキシードの上着を着ると いったスタイルだが、彼はドレスアップと反対のことをすることで、いわゆ るエスタブリッシュメントに対する反感を表現することが多いのだという。 以上、いくつかの生活の小道具の持つ心理的な意味について見てきたわけ だが、これらのものは自分自身を表現するための材料であると同時に、相手 のパーソナリティーを判断するうえでの材料のひとつでもあるということは 言うまでもない。
見抜くための
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のポイント
1 .握手 初対面で多くの人が大体行なう行動のひとつが握手である。握手について はさきほど「デッド・フイッシュ・ハンド・シェイキング」という話をご紹 介したが、私の経験では外国人のほうが握手には敏感なようだ。あの比較的 おおざっぱなーーという定評のある一一アメリカ人でも握手をするときには わりあいに気をつかうことが多いように思う。というのも、握手は、特に初 対面の人にはさまざまなことを物語る心理的な要素が多いからである。そし て握手を含めて対人関係の途中で相手のからだのどこかに触れるという行為 を、最近の心理学では親密行動(インティメイト・ビへイビア)というが、 これは言い換えるとタッチングのことでもある。このタッチングにはお互い の警戒心を取り除き親しみをつくり出すという効果があるのだが、動物行動 〈註4>エドワード・コッチ。 1924-。第2次大戦に従軍したのち弁護士、連邦下院議員5期を経て、 77年 より N Y市長に 3選。市の財政安定回復などその行政手腕は高〈評価されていたが、 89年の市長予 備選で黒人区長デーピッド・デインキンズに敗れ退任。現在、弁護士活動の傍ら著述業などで活躍。握手のやり方で相手の意思を見抜く。 学者 の デ ズ モ ン ド ・ モ リ ス 〈註6> は こ の 点 に つ い て 、 次 の よ う な 極 め て ユ ニ ーク な 仮 説 を 展 開 し て い る。 モ リ ス に よ ると、わ れ わ れ 人 間 は 母 親 の 子 宮 内 に い る と き に タ ッ チ ン グ は 気持ちのいいことであるという認知をしているというのだ。 ~I:t期から末期に か け て お な か が 大 き く なって き た と き 、 お な かの赤 ち ゃ ん を 目 が け て 叩 く 人 は お そ ら く い な い は ず で 、 柔 ら か く 慈 む よ う に さ す る に ち が い な い 。 つ ま り こ の タ ッ チ ン グ の 快 感 が 、 わ れ わ れ は 母 親 の 子宮内 に い る と き に 既 に イ ン プ リ ン 卜 さ れ て い る一一こう彼は考えるのだが、 最近 の 胎 児 生 理学、 胎 児 心 理 学の 研 究 に よ る と 、 こ の事 実は ほ ぼ承認 さ れ て い る よ う で も あ る 。 こ の よ う な こ と も 含 め て 、 で れっと し た 力 の な い 握 手 で こ ち ら に 向 かって き た 相 手 に は、 コミュニケーションの 意思 が な い と 考 え た ほ う が 得 策 と言えよう。 2 .スティープリング 子 の 指 先 を 合 わ せ て 顎 の Fに 置 く と い う 動 作 で あ る。要 す る に 教 会 の 塔 の 〈註5>1935-。アメリカの俳優・映画監督。ギャグライターとしてスター卜 L、ナイト・クラブ、テレビ、 舞台に出演。65年映画界にデビュー、自らを主役にユダヤ系アメリカ人の哀感をコミカルな味付け で描いた諸作で評価を得る。代表作に「アニー・ホールHハンナとその姉妹H夫たち、妻たちJなど。
ような格好に指がなることを言う。 そしてこのスティープリングは自信を表すボディー・ランゲージと一般的 に解釈されているが、同時に横柄、高慢、キザなどのメッセージを伝えるも のでもある。 このボディー・ランゲージは元来は欧米に一般的なものだが、最近は日本 でもよく見られるようになってきた。この点について意識して行なっている のかどうかはわからないが、スティープリングをいちばん雄弁かつ有効に使 っている俳優のひとりが田村正和氏〈註りである。彼のキザ、時には高慢、 あるいは一見気が強いけれども実は臆病、といったような役柄と演技はこの スティープリングと強い結ぴつきを持っているもののように思われる。 また、こういう説明もある。プレゼンテーションの最中に相手がスティー プリングのポーズをとりだしたら、話されている内容に強い興味をもちはじ めているという証拠である。 3 .自己タッチ ある外車セールスのベテランで何回も表彰されたことのある人物からこん な話を聞いた。 商談が進んで最後の詰めという段階になってくると、なかなかウンとは言 わないけれども買う気のある客は、どことなく落ち着かなくなることが多 い。鼻の横をこすったり足を頻繁に組み換えたり顎をさわってみたりという ぐあいに、いわゆる自己タッチが極めて多くなるというのだ。 そしてこの段階になると口ではノーと言いながら、からだ全体でイエスを しゃべっている一一こんな感じになる場合が極めて多い。そしてこの段階に までセールスが進んできていることを判断する最も大事な決め手のひとつ が、客の自己タッチだという。つまり自己タッチは自分自身に触ることで不 安や心配をまぎらわすという心理的な役割があるのであって、このセールス の場面では、実はほとんど買う気になっているのに口ではそれを否定してい 〈註6> 1928~。イギリスの動物学者。魚類や晴乳類の行動の研究から出発したが、徐々に人間の動物学的 研究へと関心を移し、『裸のサルj では動物行動学、生態学を適用した大胆な人間論で話題となっ た。動物・人間の行動についての研究、著述、啓蒙的な映像制作など幅広く活動している。
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スティープリングは欧米人がよく使うポーズ。 る、という自己矛盾を自己タッチによって解決しようとしているということ なのだ。先ほども自分の子どもが生まれて初めて運動会で徒競走をやる直前 に、これを初めて見る若い父親の不安は腕組みというポーズに表れるという 話を書いておいたが、人聞は自己タ ッチで不安をまぎらわそうとする傾向が 強いものなのである。 4 . 眼 鏡 「眼鏡は顔の一部です」というコマーシャルがあるが、最近では眼鏡を複数 使用する人がかなり多くなったという。TPO
に応じて眼鏡を選ぶ、表情に よって演出しようとする人がそれだけ多くなったというのだろっ。 ところで眼鏡については、 ニューヨークのアルフレッド.p
・ポール博士 という限科医がおもしろい研究を発表している。 同僚との打ち合わせや会議などがひと区切りついたとき、会議の I:I~でリー ダーの地住にある人物は眼鏡を外しつるを折ってケースにしまうという動作 〈註7)1943-。俳優。父は坂東妻三郎、兄・高庭、弟・亮も俳優という役者一家の3男。17歳で兄の主演 映画に端役でデヒ‘ュ一。当たり役は72年から放映されたテレビドラマ「眠狂四郎」の狂四郎役。ニ ヒルな二枚目役で売り出したが、最近はコミカルな面で新境地を拓き、活動の幅を広げた。をとったりするものだが、これは「これで会議は終わり」というシグナルだ というのである。つるはまた、会議中にもメッセージを送る小道具としてよ く使われる。眼鏡のつるを折ったり戻したりを繰り返す。これは退屈である ことを表しているという。 その繰り返しの行為は、いわば小さな行為の反復であって、このような反 復は多くの場合、退屈を示すボディー・ランゲージであるとされている。 眼鏡については、ある専門庖の人がこんな観察の結果を私に話してくれた ことがある。テレビで芸能人のお葬式がよく放映されるが、このときいちば ん気になるのが、仲間の芸能人で葬儀に駆け付けてきた人のかなりの部分が 色付きの眼鏡、あるいは異様なくらいに大きな眼鏡をかけているということ だ。いかにも
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を無視した眼鏡の選択というべきで、逆に芸能人の自己 顕示欲がこの眼鏡の選択に表れているのかもしれない。やはり専門家だな ・。この話を聞かされたとき、私はこんな感想を持ったものだ。 5 .頬繁な腕や足の組み換え 腕を組んだりほどいたり、足を組み換える一一このような小さな動作の単 位をノン・パーパル・コミュニケーションの理論では「ポジション」と呼ん でいる。精神医学者A・シェフレンによると、ふつう人間は話をしていると き、およそ2
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分に2
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回ぐらいの割合でポジションを変える傾向があ るとのことである。 ところがこの2ないし4回をf
音の4ないし 8回に変えてみると、相手はイ ライラしたり不愉快になったりする。つまり、頻繁なポジションは「あなた の話は退屈だJI
あなたの話にはもう飽き飽きしている」などのメッセージ を物語る場合が多いということで、このようなポジションの変化が相手の話 を早く打ち切りたいと思った時にも有効に働くことは言うまでもない。こち らのイライラがこのポジションを通じて相手に伝わっていくのである。音IIT(こ小言を行う防tに も 注12;カぜ必要。 6 .見抜かれていることを見抜く たとえばこんな状況をイメージしていただきたい。あなたの部下が仕事の ミスをした。じっくりと話をして、なるべく早く事態を改善しなければなら ない。 このようなときあなたは、次のどちらの方法をとるだろうか。 1 あなたの机の前に部下を立たせて話を聞いたり注意をしたりする。
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部屋の隅のサイドテーブルに座って話をする。 結論を言ってしまうと、 2のほうがはるかに深くて抵抗感のないコミュニ ケーションができるのだが、その理由は次のとおりである。 あなたの椅子や机は、それ自体があなたの自我の延長、 つまりあなたの領 域を示すもので、ある研究者はこれをエア ・バブルつまり空気の泡といった が、会社という上 F関係がはっきりした集団においては机も椅子もその使用 者の自我を示すものなのだ。したがって管理者の自我としての机の前に立た された若い社員は、管理者であるあなたがきついことを言うだろうということを、そこに立った途端に見抜いてしまうのである。 しかし管理者たるもの、白分が見抜かれているということを見抜かねばな らない。と同時に、どれだけ素直で、あたたかいコミュニケーションができる か、ということも常に考えるべきだろう。このためにはサイドテーブルに座 ってじっくりと話をするのがいちばんよろしい。というのも、そのテーブル をちょうど半分ずつ共有するという暗黙の了解がなされるからだ。つまり目 に兄えないテリトリーあるいはエア・バブルを半分ずつ分けることで、お互 いのコミュニケーションがうまくいくということなのである。 7 .口唇的性格のくせ 「たばこのフィルターをくちゃくちゃ噛むj、「カゃムを長いこと11歯みっぱな し」、「鉛筆のおしりを11歯むことが多い」 これは私が以前にやった調査でO Lたちが挙げた「いやなやつ」の 1位 2 位3位なのだが、彼女たちのこの観察力はなかなか立派と言ってよい。もち ろん、心理学的な意味で、である。 こういったくせの持ち主は、精神分析学でいう口唇的性格に分類される場 介が多いのである。 フロイ卜〈註8>は人間のリビド一(生と性のエネルギー)は11唇 か ら 旺
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へ、そして性器へとその対象を移していくという、まさに天才的な仮説を 立てた。そしてこの変化をたどることができず、たとえば口唇の段階で止ま ってしまった性格が口唇的性格で、これは一種の子どもっぽさを持っている と彼は考えたのであった。 O Lたちがこのタイプのくせを嫌うのは、彼女た ちがマン・ウォッチングのエキスノfートであることを物語っているのかもし れない。 8 .ギャンブルで見抜く ギャンブル好きの人はオプティミスト(楽天家)、というのが通説である。 〈註8>ジグムン卜・フロイト。 1856~1939。オ ストリアの精神科医。ヒステリ一治療の研究から、人の 心の無意識層を自由連想法によって分析する精神分析学を体系づける。 1900年『夢の解釈』を著し、 正常な人間の心理に研究を進める。心理現象の動因は性欲であるという彼の説は、のちの社会学者、 作家に影響をおよぼした。やたらと物を噛むのは11唇的性絡の表れ。 ところが、本当のギャンブル好きは実はペシミス 卜だ、という説を唱えた精 神 分 析医がアメリカにいる。
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パーグラーという人物なのだが、その著書 『ギャンブリングj(
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年)で、問題を6
つのポイ ントに絞った。1
その人の人生の中では慢性的そして反復的な経験である。2
ギャンブリングはそれ以外の競技のすべてを、スポンジのようにl吸う 。 3 ギャンブラーは病的にまでオプティミスティ ックで、負けても全く懲 りることカfない。4
ギャンブラーは勝っているときには絶対にやめられない。 5 どのくらい、どれほど強く決心を固めようと、ギャンブラーは自分の 能力、自分の資力以上の賭けをしてしまう。 6 ギャンブラーは論理的には説明が不可能な文字どおり謎のスリルとし か言いようのないものを求め、またエンジョイする。そしてそのスリル には喜びと同じ くらいに苦しみが含まれている。 ここで最も興味あるのは6のポイン卜で、こういうところがまさに精神分析の対象になるといってよさそうだ。 つまり本物のギャンブラーは精神的なマゾヒストであるとする理論であっ て、ギャンブラーは、実は無意識のうちに失敗することを望んでいるという のがE・パーグラーの分析の結論なのである。 あなたの周りにも、たとえばマージャンなどで、負けが込んでくればくる ほど冷静になって、また心底エンジョイしているように見える こういう 人物はいないだろうか。このようなタイプも
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・パーグラーの言う精神的な マゾヒストなのかもしれない。 9 .若者のコンプレックスを見抜く あなたの会社の新入社員には、ほとんど共通してふたつの大きなコンプレ ックスがあるということをご存じだろうか。 ひとつが敬語の使い方で、もうひとつが間違い字だ。 敬語についてはこんな私の経験がある。卒業論文の指導をしているとき、 学生が「この下書きを先生に見せて」というようなことをよく言う。その都 度、私はわざとポーカーフェイスで「この下書きを読んでいただいてJ
とオ ウム返しに言ってやるのだが、この指摘には、本当にび、っくりするらしい。 そしてそれ以後、学生たちは少なくとも私に対しては敬語をなるべく使うよ うになった。間違い宇については、私は卒業式の前に必ず次のようなことを 最後のアドバイスとして言うようにしている。会社には国語の辞書と英和の 辞書、このふたつは必ず机の端っこに置いておきなさい。 ここに挙げたふたつのコンプレックスはまさに文字どおりのコンプレック スであって、今の若者たちの心の奥深くはぽ共通して存在していると言って よい。そこで彼らが会社で仕える上司である皆さんにぜひ申し上げたいこと だが、敬語の使い方と間違い字についてはどしどし指摘してやっていただき たい。それは単なる注意として機能するだけではなく、若者たちとの問に深 いコミュニケーションをつくるチャンスのひとつにもなり得ると、私はかねてから考えているのだ。 10.若者の母子一体感を見抜〈 い つ だ っ た か 、 某 地 方 新 聞 社 の 編 集 局 長 か ら こ ん な 話 を 聞 い た こ と が あ る。新入社員の社会部員
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君に突如転勤命令が下った。この県の第2
の某都 市の支局に転勤、しかも明日実行せよ、という命令であった。黙って帰宅し たこの青年は、次の朝母親と一緒にこの上司のところにやってきてこう言っ たという。「うちは母ひとり子ひとりですので、離れることはできません、 会社は辞めさせてもらいます」 結論めいたことをまず言ってしまうと、これからの上司あるいは人事採用 の担当者は、応募してくる若者だけではなく母親についてもなんらかの情報 を得るべきではないか、という提案を私はしたいのである。今の若者はよく 言われるように確かに幼稚っぽい。この子どもっぽさについては自由な精神 の表れで、それはそれでいいではないかという擁護説もある。もちろん私も ただ責めるだけでは事態はちっとも改善しないと思うので、そのためにも母 親との関係、とくに幼児期の母親との関係がどのようなものであったか、父 親との関係はどのようなものであったかということについて、わかるような チェックポイントを用意する必要があると、かねてから考えている。 そして問題なのはとくに母親と息子との関係で、母親と息子との聞の深い 心理的な交流を「母子一体感jというのだが、この感情は強すぎると毒にな るという性質を持っている。かつてD'H
・ローレンス〈註9>が『息子と恋 人』で書いたように、母親の愛情は強すぎると毒になってしまうものなのだ。1
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年度の国民生活白書でも指摘されたように、日本は高齢化社会である と同時に少子化社会の様相を明らかに見せはじめている。子どもが少ない家 庭では、まず過保護、そして過期待などの心理的要因が時にはネガティブな 影響を持ち得るとは多くの研究者の指摘するところである。これからの企業 社会では、参入してくる若者たちがどのような母子関係、父子関係を背景と 〈註 9> デヴィッド・ハーパー卜・ローレンス。 1885~19300 イギリスの小説家・詩人。物質文明で荒廃し た人間性のも性砂による回復というテーマで f虹Jr
恋する女たち』などの諸作品を発表する。代 表作『チャタレイ夫人の恋人』はそのあからさまな性描写のため、発表時、発禁処分を受けた。して育ってきたかについての情幸日をなんらかの形で千尋たいと思う。そしてこ れこそ、若者たちを見抜く条件の最も重要なもののひとつなのである。 参考文献 A ・マーレビアン、西回司他訳 r~lô 言語コミュニケーション』聖文社 J・ファス卜、石川弘義訳『ボディー・ランゲ ジ』三笠文庫 J .ファスト、石川弘義訳『ボディー・ランゲージQ&A.l読売新聞社
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・ファスト、石川弘義訳『ボディー・ポリティックス』読売新聞社 D.モリス、石川弘義訳『ふれあい一一愛のコミュニケーション』平凡社 A.E・シェフレン、日高敏隆他訳『ヒューマン・テリトリー』産業│ヌ114F イラスト/深}II行敏E. Bergler rThe Psychology of Gamblingl.(R.D. Herman (ed) Gambling Harper & Row 所1I見)
石川弘義編者『人の心の見抜き方.1H J BII'1版局 Ken Cooper rBody Businessl. Executive Books
A. M. Katz, V.T.Katz rFoundation of Non.Verbal Communicationl. Southern Illinois Press