第 二 章 クー デ タ と 中南 米 の 民 主 主 義 「 第 一 条 米 州 の 諸 国民 は 民 主 主義 の 権 利を 有 し 、そ の 政 府 はこ れ を 推進 し 擁 護 す る義 務 を 負 う。民主 主 義 は米 州 の諸 国 民 の 社 会 的、政 治 的 、 経 済的 発 展 の ため に 本 質的 な も の であ る 」 ( 米 州 民 主主 義 憲 章 、2001 年 9 月 11 日 採択 ) 1 . 本 章 での 主 張 本章 で は 、 ホ ン ジ ュ ラス の ク ー デ タ が 中 南 米 の 民 主主 義 に 深 刻 な 打 撃 を も た ら した こ と を 述べ る 。 ホ ン ジ ュ ラ ス の ク ー デ タ に 関 す る 先 行 研 究 に お い て 、 例 え ば 浦 部 は 「 ホ ン ジ ュラ ス 政 変 が露 呈 し たこ と 」 と して 第 一 に 「 積 み 重 ねら れ てき た 地 域 全 体で 民 主 主 義を 支 え る努 力 は 、 ホン ジ ュ ラ ス の ク ー デタ の 「 成 功 」で大 き く 挫 折 し た 」とす る1。ま た海 外 の 研 究 では 、ク ー デ タ 発 生 後 に 米 州 機 構(OAS)が中心となって事態打開の試みがなされたこと自体 に 着 目 し 、米 州機 構(OAS)の対処がまったくの失敗であった訳ではな い と す る 見方2が あ る 一 方 で 、米 州 民 主 主 義憲 章 の 崇 高 な 目 標 を 擁 護 出 来 な か っ た 米州 機 構(OAS)にとってこのクーデタは圧倒的な敗北を意味 し た と い う厳 し い 評 価3も あ る 。 筆者 は こ の 論 点 を 掘 り下 げ て 、 こ の ク ー デ タ が 米 州の 民 主 主 義 に 制 度 1 浦 部 、 前 掲 論 文、2011、p.52.
2 Legler, T., Learning the hard way, in International Journal, Summer 2010, p.603.
3 Casas-Zamora, K. The Honduran crisis and the Obama
administration in Lowenthal et al. ed., Shifting the balance, Obama and the Americas, Washington D.C.: The Brooking Institution, 2011, p.126.
面 、 実 質 面で 深 刻 な 打撃 を も たら し 、 今 後、 中 南 米 に お い て 、民 主 主 義 が 後 退 し てい く お そ れを 大 き く し た こ と を述 べ る 。 2 . 背 景 中 南 米 は 冷 戦 の 時 代 に は 東 西 対 立 の ひ と つ の 舞 台 に な り 政 権 転 覆 や 代 理 戦 争 が頻 発 し た 。前 者 の 典型 は 例 え ば 1973 年のチリの軍事クーデ タ で あ り 、後 者 の 典 型は 例 え ばニ カ ラ グ ア、 エ ル サ ル バ ド ル など に おけ る 中 米 紛 争で あ る 。 チリ で は 世界 で 初 め て選 挙 に よ っ て 選 出 され た 社会 主 義 者 の 大統 領 サ ル バド ー ル ・ア ジ ェ ン デ(Salvador Allende)がチリ 空 軍 機 に よっ て 爆 撃 を受 け た 大 統 領 府 内 で絶 命 し 、 他 方 、 中 米の 国 々 で は 超 大 国 の介 入 の 中 で国 土 は 荒廃 し 多 く の人 命 が 失 わ れ た 。 また こ の 時 期 は 反 共 産主 義 の 旗 印の 下 で 暴力 的 な 軍 事政 権 が 国 民 の 自 由 を抑 圧 し、 一 般 市 民・学 生 な ど の拉 致・殺 害を 大 規 模 に 行 な った 時 期 で も あ っ た(そ の 帰 ら ぬ 犠牲 者 た ち は「 行方 不 明 者(los desaparecidos)」と呼ばれる)。 ア ル ゼ ン チン で は 今 日も 、 大 統 領 府 前 の 「五 月 広 場 」 で 息 子 や娘 を 奪 わ れ た 年 老 いた 母 親 た ちが 静 か な 抗 議 行 動 を続 け て い る 。 ウ ル グア イ で は 2011 年 5 月に至るもなお議会において人権侵害を犯した軍人を特赦す る 法 律 の 効力 の 是 非 が討 議 さ れ 、投 票 に 付 さ れ た( 結 局、有 効 と さ れ た )。 今 日 の 中 南米 に な お 尾を 引 く 人権 侵 害 は こう し た 時 期 に 起 き た。 この よ う な 痛 切 な 経 験を 経 た か ら こ そ 、 冷 戦 終 結 後は 、 中 南 米 諸 国 は 民 主 的 に 選出 さ れ た 文民 政 権 の下 で 民 主 主義 の 確 立 と そ の 基 盤と な る 経 済 開 発 に 新し い 時 代 の最 優 先 課題 と し て 取り 組 ん だ 。 東 西 対 立の 一 方 の 旗 頭 で あ った 米 州 の 北の 巨 人 、米 国 も 、 冷戦 終 結 後 の 時 代 に おい て 、中 南 米 の こ うし た ニ ー ズ、 あ る いは 切 望 を 受け 止 め 、 こ れ を 支 援、 促 進す る 立 場 を とる に 至 っ た。「 ふ た つの D」、すなわち「民主主義(Democracy)」
と「 開 発(Development)」は、例えば 1990 年代初めにブッシュ父(George H.W. Bush) 政 権 で 国 務 長 官 ジ ェ ー ム ズ ・ ベ ー カ ー ( James Addison Baker, III)が打ち出し た対中米 支援イ ニシア チブ「民主主義と開発の た め の パ ー ト ナ ー シ ッ プ (PDD:Partnership for Democracy and Development)」の名称そのものに反映された。 これ ら ふ た つ の 課 題 のう ち 、 民 主 主 義 に 焦 点 を 当 てる と 、 米 州 諸 国 は そ の 民 主 主義 を 促 進 し擁 護 す るた め の 多 国間 制 度 の 整 備 に 取 り組 ん だ。 そ こ に お い て 中 心 と な っ た の は 、 米 州 機 構 (OAS)であ る。1990 年代 以 降 の 米 州の 民 主 主 義擁 護 の 仕組 み の 強 化は 米 州 機 構(OAS)の強化を 中 心 に 進 めら れ て き たと 言 え る。 米州 機 構(OAS)は、すべての米州諸国(米国、カナダ、そして中南 米 の 33 ヶ国の合計 35 ヶ国)を構成国とする地域の国際機関である。本 部 は 米 国 のワ シ ン ト ン D.C.にある。筆者は米国在住の頃に、しばしばホ ワ イ ト ハ ウス や 国 務 省に 程 近 い米 州 機 構(OAS)の本部建物を訪れたが、 そ こ に は 米国 の 首 都 の中 心 に あっ て 一 歩 中に 入 る と ス ペ イ ン 語が 飛 び 交 う 異 質 な 空間 が 広 が って お り 、非 常 に 奇 妙な 感 覚 を 覚 え た 記 憶が あ る 。 1948 年 4 月 30 日 、 コ ロ ン ビ ア の ボ ゴ タ に て 採 択 さ れ た 米 州 機 構 (OAS)憲章は、その冒頭で、自らを「米州諸国は、平和及び正義の秩 序 を 達 成 し、 こ れ ら の諸 国 の 連帯 を 促 進 し、 そ の 協 力 を 強 化 し且 つ その 主 権 、領 土 保 全 及 び 独立 を 守 る た め に 発 展 さ せ て きた 国 際 機 構4」と 宣 言 す る( 第 1 条)。翻って、この米州機構(OAS)の設立が決定された 1948 年 と 言 え ば、 チ ャ ー チル (Winston Churchill)による「鉄のカーテン」 演 説 の 1946 年、トルーマン・ドクトリン、マーシャル・プラン発表の 4 訳 文 は 、中 村 道「資 料 編 」、『国 際 機 構法 の研 究 』、東信 堂 、2009、p.427 に よ る 。
1947 年に続く年である。その年、2 月にはチェコ・スロバキア共産党に よ る ク ー デタ 、6 月にはベルリン封鎖、 8 月から 9 月には大韓民国と朝 鮮 民 主 主 義人 民 共 和 国の 成 立 があ っ た 。 そし て 翌 1949 年には東西ドイ ツ が 成 立 し 、 北 大 西 洋 条 約 機 構 (NATO)が発足 し、中華人民共和国 が 建 国 さ れ た。こ の よ うな 冷 戦 の 始 ま り と 本格 化 の 中で 、米 州 機構(OAS) は 反 共 同 盟と し て 活 用さ れ た5。 「13 days」という、1962 年 10 月のキューバ危機に直面した米国大 統 領 ケ ネ ディ (John F. Kennedy)と側近の危機管理の努力と苦悩を描 い た 映 画(2000 年、米国)がある。その中で、キューバに核ミサイルを 更 に 搬 入 しよ う と 航 行し て く るソ 連 船 舶 に対 し て、ケ ネ ディ 大 統 領 が「 隔 離 」 政 策 (事 実 上 の 海上 封 鎖 )を と る 決 断を す る が 、 そ れ を 国民 に 向け て 発 表 す る前 に 、米 州機 構(OAS)の常任理事会で全会一致の賛成を取 り 付 け る よう 、 側 近 に指 示 す る場 面 が 出 て来 る 。 結 局 、 映 画 でも 示 され る よ う に 、米 州 機 構(OAS)の緊急理事会は 10 月 23 日に米国の行動を 支 持 す る 内容 の 決 議 を採 択 す る訳 で あ る が6、か よう に 冷 戦 時 代に は 米 州 機 構(OAS)は東西対立の文脈の中で米国の決定に対してその御墨付き を 与 え る 機能 を 担 っ てい た と 言え よ う 。 冷戦 終 結 後 は 、米 州 機 構(OAS)は米州、特に中南米諸国で復活した 民 主 主 義 の擁 護 ・ 強 化へ と 活 動 の 重 心 を 移し た 。 民 主 主 義 に つい て は、 1948 年のボゴタ憲章は「米州諸国の連帯およびそれを通じて追及される 崇 高 な 目 的は 、 こ れ らの 諸 国 によ る 代 議 制民 主 主 義 の 友 好 的 実施 を 基礎 5 庄 司 真 理 子 「 米州 に お け る 紛争 解 決 シ ステ ム ーOAS の役割の変容」、 細 野 昭 雄 ;畑 恵 子 編 『ラ テ ン アメ リ カ の 国際 関 係 』 ラ テ ン ア メリ カ シリ ー ズ 3 、 新評 論 、1993、pp.79-95。 6 多 湖 淳 『 武 力 行使 の 政 治 学』、 千 倉 書 房、2010、pp.115-147。
と す る 政 治機 構 を 必 要と す る」(第 5 条 d 項)」と規定していた7。 し か し 、 そ こ には 民 主 主 義の 擁 護 、促 進 の た めの 具 体 的 な 制 度 的 保障 が 欠 け て い た 。 米州 機 構(OAS)に民主主義擁護の制度的仕組みを整えようという動 き が 本 格 化す る の は 、1991 年 6 月 5 日にチリのサンチァゴで開催され た 第 21 回総会にて、代議制民主主義に関する決議(1080)が採択され て 以 降 で ある 。 こ の 決議 は 「 民主 政 治 の プロ セ ス 、 又 は 民 主 的に 選 挙 さ れ た 米 州 機構 加 盟 国 政府 の 突 然且 つ 不 正 規な 途 絶 を 惹 起 す る 事態 が 生 じ る 場 合 に は、 事 務 総 長に 対 し て、 事 態 発 生か ら 10 日以内に、事態の調 査 、 臨 時 外務 大 臣 会 合又 は 臨 時総 会 の 開 催決 定 と 招 集 を 行 な うた め に 、 直 ち に 常 任理 事 会 会 合の 開 催 を求 め る 」 とす る 。 そ れ は 、 中 南米 に お い て 民 主 主 義の 危 機 が 生じ る 際 に自 動 的 に とる べ き 行 動 を あ る 程度 明 文 化 し た と い う意 義 を 有 する 。 その 流 れ は 更 に 続 き 、1992 年 4 月にペルーの大統領フジモリ(Alberto Fujimori) に よ る 自 作 自 演 ク ー デ タ ( autogolpe) 発 生 な ど を 経 て 、 米 州 機 構 (OAS)は同年 12 月にワシントン議定書を採択して憲章を改正 し と る べ き行 動 を よ り明 確 化 した 。 す な わち 、 同 議 定 書 は 、 民主 的 に樹 立 さ れ た 政府 が 武 力 によ っ て 転覆 さ れ る 場合 に 米 州 機 構 が と りう る 懲罰 的 措 置 と して 、そ の 国に つ い て 米 州 機 構(OAS)のすべての活動に参加 す る 権 利 の停 止 を 規 定し た8。 こ う し た一 連 の 流 れの 集 大 成 が 、 米 州 民主 主 義 憲 章 で あ る 。中 南 米 で は 、そ の 後 も 、1993 年のグアテマラにおける大統領による自作自演クー デ タ 未 遂 、1996 年のパラグアイ政府と 軍部の間の緊張の高 まり、 2000 7 中 村 「 米 州 機 構 の 平 和 維 持 機 能 と 国 際 連 合 」、 前 掲 書 、2009、 p.169。 8 中 村 、 前 掲 書 、2009、p.451。
年 の ペ ル ーの 政 治 危 機( フ ジモ リ 大 統 領 の 大 統 領 選三 選 へ の 強 引 な 試 み、 政 治 ス キ ャン ダ ル 発 覚、日 本へ の 実 質 亡 命 に 至 る 事態 )など が発 生 し た 。 こ れ ら を 受け て、米 州機 構(OAS)は、2001 年 9 月 11 日にペルーのリ マ で 米 州 民主 主 義 憲 章を 採 択 した 。 そ の 意義 は 、 上 述 の 決 議 1080 の延 長 と し て 、米 州 機 構(OAS)による対応の適用範囲を拡大し、また制裁 措 置 を 改 めて 明 記 し た点 に あ る9。 す な わ ち、 米 州 民 主主 義 憲 章 は 、 第 一 に、 代 議 制 民 主 主 義 を幅 広 く 定 義 し 、第 3 条にて「代議制民主主義の本質的な要素は、就中、人権と基 本 的 自 由 の尊 重 、 権 力へ の ア クセ ス と 法 の支 配 に 基 づ く 権 力 の行 使 、国 民 主 権 の 表出 と し て の、 秘 密 投票 と 普 通 選挙 権 に 基 づ く 自 由 かつ 公 正な 選 挙 の 定 期的 実 施 、 政党 ・ 政 治組 織 の 多 元的 な 制 度 、 政 府 権 力の 分 立と そ れ ぞ れ の権 力 の 独 立を 含 む 」と 規 定 し た。 第 二 に 、 決 議 1080 及びワ シ ン ト ン 議定 書 に よ る改 正 米 州機 構(OAS)憲章は、クーデタなどによ り 政 府 の 転覆 が 行 な われ た 後 に資 格 停 止 がと ら れ る こ と を 想 定し た 一 方 、 米 州 民 主 主義 憲 章 は より ハ ー ド ル を 下 げ 、ク ー デ タ な ど が 発 生す る 前 に も 「 加 盟 国の 政 府 が その 民 主 的な 政 治 制 度プ ロ セ ス や そ の 正 当な 権 力の 行 使 が 脅 かさ れ て い ると み な す場 合 」( 第 17 条)や「加盟国においてそ の 民 主 的 な政 治 制 度 プロ セ ス やそ の 正 当 な権 力 の 行 使 に 影 響 を及 ぼ しう る 事 態 が 生じ る 場 合 」( 第 18 条)にも、米州機構(OAS)が対応をとる こ と が 出 来る よ う に 規定 し た 。第 三 に 、 制裁 措 置 と し て 、 第 21 条にて 「 総 会 の 特別 会 合 が 、加 盟 国 の 民 主 的 秩 序の 憲 法 違 反 に よ る 途絶 が あ っ た こ と 、 外交 的 措 置 が失 敗 し たこ と を 認 定し た 時 に は 、 総 会 の特 別 会合 は 、 米 州 機構 憲 章 に 従っ て 三 分の 二 の 多 数決 で 当 該 国 の 米 州 機構 へ の参
9 Boniface, D. S., The OAS’s mixed record, in Legler T. et al., ed. in
Promoting democracy in the Americas, Baltimore: The John Hopkins University Press,2007, p.45.
加 権 利 の 行使 を 停 止 する 決 定 を行 な わ な けれ ば な ら な い 」 と 規定 し た 。 と こ ろ で 、 こ の 米 州民 主 主 義 憲 章 が 採 択さ れ た 日 に 注 目 し て頂 き た い 。 2001 月 9 月 11 日、米国で同時多発テロが発生したその日である。この 日 、米 国の 国 務 長 官 パ ウ エ ル(Collin Powell)はリマに出張中であった。 他 の 米 州 諸国 外 相 と 共に 、 米 州民 主 主 義 憲章 の 最 後 の 詰 め を 議論 し てい る 最 中 、 側近 よ り 、 本国 で の 同時 多 発 テ ロ発 生 の 第 一 報 を 受 けた 。 しか し 、 パ ウ エル 長 官 は すぐ に 席 を立 つ こ と はし な か っ た 。 米 州 民主 主 義 憲 章 が 所 期 の通 り 採 択 され る の が確 実 と な るま で 外 交 工 作 を 続 け、 成 算が 立 っ た の を見 届 け て から 、 あ わ た だ し く リマ を あ と に し て 帰 国の 途 に つ い た 。 米 国に と っ て 、代 議 制 民 主 主 義 の 擁護 は か く も 重 要 で あっ た 。 そ し て 、 中 南米 諸 国 に とっ て も 、少 な く と もそ の 当 時 は 同 様 に 重要 で あ っ た 。 こ れ ま で、 こ う し た民 主 主 義 擁 護 の 仕 組み の 整 備 は 、 概 し て肯 定 的 に 捉 え ら れ てき た と 言 えよ う 。 例え ば 、Mace G. et al.は、「米州における 民 主 主 義 体制 の 確 立 を支 援 し てき た こ と は 、おそ ら く 、1990 年以来、米 州 機 構 (OAS ) と 西 半 球 に お け る 地 域 協 力 の 最 も 大 き な 貢 献 で あ ろ う 。・ ・ ・ 米 州 機 構 (OAS) は、完 全で はな いか もし れ ない が 西半球 に お け る 民 主的 な ル ー ルの 確 立 に中 心 的 な 役割 を 果 た す 一 連 の 規範 を 発 展 さ せ る こ とが 出 来 た 」と 評 価 する10。ま た 、Cooper A. F. et al. は、2000 年 の ペ ル ーの 政 治 危 機 や 2002 年のベネズエラでのクーデタ未遂(チャ ベ ス 大 統 領に 対 す る 一部 国 軍 関係 者 を 含 む反 対 勢 力 に よ る 政 権奪 取 の企 て ) な ど を取 り 上 げ つつ 、 近 年に お け る 中南 米 の 民 主 主 義 の 危機 に 対す る 米 州 機 構(OAS)の役割については、危機発生の予防が出来ていない
10 Mace G. et al., The fragile legitimacy of Inter-American
multilateralism? in Mace, G. et al. ed., Inter-American cooperation at a crossroads, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2011, p.261.
な ど の 制 約が あ る と しな が ら も、 対 立 す る当 事 者 間 の 対 話 の 仕組 み や議 題 の 設 定 など に よ り 緊張 緩 和 効果 を も た らし た と し て 、 こ れ を「 干 渉な き 介 在(Intervention Without Intervening)」と呼び肯定的評価を与え て い る11。 この 点 、 筆 者 は 次 の 通り 考 え る 。 およ そ 、 い か な る 高 邁な 理 念 も 、 そ れ を 支 え る 制 度的 な 担 保 な し に は 現 実 の 世 界に お い て 生命 を 持 ち得 な い 。 かつ て 、 中 南 米 に お いて は 、 既 述 の 通 り 、民 主 主 義 が放 擲 さ れ、 人 々 の 生命 や 財 産 、 自 由 や 権利 が 深 刻 な ま で に 侵害 さ れ た 時期 が あ った 。 そ の 歴史 を 教 訓 と し て 、 民主 主 義 を 支 え る 制 度を 米 州 地 域全 体 と し て 整 え て 行こ う と す る こ と は 適切 な 方 向 の 企 て で あり 、そ の 努力 は 敬 意 を 払 う に 値す る 。米 州機 構(OAS)を中 心 と す る 民主 主 義 擁 護の 制 度 構築 は 、 中 南米 の 民 主 主 義 の 確 立・ 強 化に と っ て は 地域 の 歴 史 上初 め て の試 み で あ り、 そ れ 自 体 大 き な 意義 を 有す る も の と して 正 当 に 評価 す る べ き で あ る 。他 方 、 そ の 制 度 が どれ ほ ど 実 効 的 な も ので あ る か はま さ に 肝心 な と こ ろで あ り 、 そ れ に つ いて は 現 実 の 危 機 に よっ て テ ス トを 受 け なけ れ ば な らな い 。 3 . 民 主 主義 の 制 度 への 打 撃 そ れ で は、米 州 に おい て 整 え ら れ た 民 主 主 義 擁 護の 国 際 的 な 仕 組 み は、 ホ ン ジ ュ ラス の ク ー デタ と い うテ ス ト に 際し て ど の よ う に 作 動し た か 。 ま ず 、 クー デ タ と いう 危 機 の予 防 は 出 来な か っ た 。 ク ー デ タに 前 兆 が な か っ た 訳で は な い 。実 際 、 こ の 2009 年の米州機構(OAS)総会は当 の ホ ン ジ ュラ ス で 6 月 2-3 日に開催されたのであり、国内情勢の緊張の
11 Cooper A. F. et al., Intervention Without Intervening? , New York: Palgrave Macmillan, 2006, pp.144-153.
高 ま り を 同 機 構 が 看 取 し て い な か っ た は ず が な い 。 し か し 、 米 州 機 構 (OAS)は主権国家たる加盟国の政府の要請なしに国内の事態への関与 を 始 め る こと は 出 来 ない 。 実 際、 セ ラ ヤ 大統 領 が 政 変 発 生 前 の行 動 を 想 定 す る 米 州民 主 主 義 憲章 第 17 条を援用して米州機構(OAS)常任理事 会 に 対 し て支 援 を 求 めて 初 め て、 同 機 構 はイ ン ス ル サ 事 務 総 長に 対 して ホ ン ジ ュ ラス を 緊 急 訪問 し 結 果を 常 任 理 事会 へ 報 告 す る よ う に指 示 する 旨 決 議 し たの で あ っ た。 そ れ は 6 月 26 日のことで時は既に遅く、その 緊 急 訪 問 が具 体 化 す る前 に 28 日のクーデタ発生に立ち至った。この点 に つ い て 、例え ば Casas-Zamora は、このクーデタ発生の一つの要因と し て 「 民 主主 義 擁 護 のた め の 米州 地 域 の 外交 的 仕 組 み の 欠 陥 」が あ ると し た 上 で、「 民 主 主 義 崩壊 の 危 機が 既 に 明 白に な っ て い た の に もか か わら ず 、米 州機 構 (OAS)は事態に対して・・・危機を予防するための関与 は 後 手 に 廻 り 非 効 果 的 で あ っ た 」 と 批 判 し て い る12。 米 州 機 構 (OAS) の 制 度 の 欠 缺 に つ い て 、 正 鵠 を 射 た 指摘 と言 え よ う。 次 に 、 クー デ タ 発 生後 に つ い て は 、 手 順通 り に 作 動 し た が 期待 し た 効 果 を あ げ るこ と は 出 来な か っ た、 と 言 え よう 。 第 一 章 2.で見たように、米州諸国は 6 月 28 日のクーデタ発生後、直 ち に 行 動 を起 こ し 、米州 機 構(OAS)常任理事会で事態を非難すると共 に 事 務 総 長へ 行 動 を とる こ と を指 示 、そ し て そ れ が奏 功 し な い と 見 る や、 米 州 民 主 主義 憲 章 を 発動 し て ホ ン ジ ュ ラ スの 参 加 資 格 を 停 止 した 。 ク ー デ タ の 発 生し た 日 か ら参 加 資 格停 止 の 7 月 4 日までわずか 6 日間という 短 期 日 で 、加 盟 国 の 参加 資 格 停止 と い う 、冷 戦 期 に お ける 1962 年 1 月 の 対 キ ュ ーバ 制 裁 以 来の 思 い 切っ た 措 置 がと ら れ た の で あ っ た。 そ の 限 り で は 、 極め て 手 際 が良 か っ たと 言 え よ う。
ホ ン ジ ュラ ス に 対 して 加 え ら れ た 制 裁 措置 は 固 よ り 米 州 機 構(OAS) に よ る 資 格停 止 だ け では な か った 。 米 国 を初 め 世 界 銀 行 、 米 州開 発 銀行 と い っ た 国際 金 融 機 関も ホ ン ジュ ラ ス に 対す る 支 援 を 停 止 し 、ま た 中南 米 諸 国 は ホン ジ ュ ラ スと の 政 治 的 ・ 経 済 的関 係 を 凍 結 し た 。 ホン ジ ュ ラ ス は 国 際 的な 孤 立 に 陥っ た の であ る 。 そ の 後 、米 州機 構(OAS)の関与を中核に、アリアス・コスタリカ大 統 領 に よ る仲 介 、外 相ミ ッ シ ョ ン の 派 遣 、「 テ グシ ガ ル パ・サ ン ホ セ 合 意」 へ の お ぜ ん立 て な ど が執 り 行 われ た。こ れら は Cooper A.F. et al.が評価 す る 、米 州 機 構(OAS)による対話の仕組み設定の試みと言え、ホンジ ュ ラ ス に おい て ク ー デタ に よ って 歪 め ら れた 民 主 主 義 を 回 復 しよ う とす る 動 き で あっ た 。 しか し 、 い ず れ も 事 態の 打 開 に は 至 ら ず 、 ホ ン ジ ュラ ス で は 当 初 予 定 通 り 総 選 挙が 実 施 さ れ、 新 大 統領 が 選 出 され る こ と と な っ た 。そ し て、 こ れ を 受 けて 、 米 国 は新 た に 発足 し た ロ ボ新 政 権 と 関 係 を 正 常化 す る と こ ろ と な り 、こ れ に 米 国 と 立 場が 近 い コ ロン ビ ア 、ペル ー 、中米 諸 国( 除 く ニ カ ラ グ ア ) が 追 随 し た 。 更 に 、2010 年 の米州機構(OAS)総会を 経 て 、 ロ ボ政 権 と 関 係を 正 常 化す る 国 は 少し ず つ 増 え て 行 っ た。 こ の よ うに 、 米 州 にお け る 民主 主 義 擁 護の 仕 組 み は 、 ホ ン ジュ ラ ス で ク ー デ タ とい う 危 機 を未 然 に 防ぐ こ と が 出来 な か っ た ば か り でな く 、国 軍 の 実 力 行使 に よ る 大統 領 国 外追 放 と い う明 ら か な 民 主 主 義 への 打 撃に 対 し て 、米 州 機構(OAS)による資格停止という最も重大な制裁措置や 様 々 な 外 交工 作 を 以 てし て も 、大 統 領 を 復帰 さ せ る と い う 効 果を 発 揮 し え な か っ た。 暫 定 政 権や ロ ボ 新政 権 に よ る既 成 事 実 の 積 み 重 ねが 現 実の 国 際 関 係 の展 開 の 中 では 重 み を持 つ 流 れ が出 来 て い き 、 米 州 の民 主 主義 擁 護 の 仕 組み は こ れ に抗 す る こと が 出 来 なか っ た 、 と 言 え よ う。
そ も そ も、1990 年代以降、中南米では議会との対立や街頭での大衆抗 議 行 動 な どを 原 因 と して 大 統 領任 期 な か ばに し て 政 権 を 明 け 渡す 大 統 領 が 続 出 し てき た 。そ して 、近 年 の 米 州に おけ る 民 主主 義 及 び その 擁 護 は 、 ク ー デ タ のよ う な 明 白な 民 主 主 義 の 破 壊 とい う よ り も 、 ク ー デタ に 至 ら な い ま で も民 主 主 義 を後 退 さ せる(democratic backsliding)、あるいは 民 主 的 秩 序を 途 絶 さ せる よ う な事 態 に 広 げて 焦 点 が 当 て ら れ てき た 。そ れ は 上 記 2. で 見 た 1991 年の決議 108 から 1992 年のワシントン議定 書 、2001 年の米州民主主義憲章に至る国際規範づくりの流れに明らかに 示 さ れ て いる 。 ま た 多く の 先 行 研 究 の 関 心の 所 在 も 同 様 で あ る。 例 え ば McCoy は、1990-2005 年の中南米における民主主義への脅威への国際的 対 応 を 分 析し 、そ れ ら脅 威 を ① 伝 統 的 な 軍 事 ク ー デタ 、②現 職の 大 統 領 、 ③ 統 治 機 構内 の 権 力 機関 間 の 対立 、 ④ 武 装し た 非 国 家 主 体 、 ⑤大 衆 抗議 行 動 や バ リケ ー ド を 含む 非 武 装の 非 国 家 主体 と 類 型 化 し た 上 で、 ① の伝 統 的 な ク ーデ タ 乃 至 クー デ タ 未遂 は 完 全 に過 去 の も の に な っ た訳 で はな い と し つ つ、 上 記 の ③④ ⑤ の 新し い 形 態 の民 主 主 義 へ の 脅 威 が、 特 段の 課 題 と な っ て い る と 論 じ て い る13。 そ し て 米 州 機 構 (OAS)に よる対 応 に つ い て は、 例 え ば Boniface によって「米州機構(OAS)は自らが備 え て い る 仕組 み を 、 クー デ タ 乃至 ク ー デ タ未 遂 と い っ た 民 主 主義 断 絶の 最 も 極 端 な事 態 に の み適 用 し 、選 挙 や 憲 法の 手 続 き 違 反 に 関 して は こ れ ら は 主 権 国 家 が 行 な う こ と で あ る と し て 直 接 に 適 用 し な い 傾 向 が あ る
13 McCoy, J.L. International response to democratic crisis in the Americas, 1990-2005, in Democratization,Vol.13,No.5, December 2006,Taylor&Francis, pp.756-775.
14」 と 指 摘 さ れ る よ う に 、 新 し い 形 態 の 脅 威 へ の 対 応 の 不 十 分 さ が 批 判 さ れ て き てい た 。15 し か る とこ ろ 、 ホ ンジ ュ ラ スの ク ー デ タで は 、 米 州 に お い て積 み 上 げ ら れ て き た民 主 主 義 擁護 の た めの 制 度 が 、軍 の 部 隊 に よ る 大 統領 放 逐 と い う 明 白 に非 民 主 的 な事 態 に 際し て す ら 、そ も そ も 十 全 に 機 能し え ない こ と が 示 され た の で あっ た 。 Legler は、2010 年 10 月にカナダのトロントにて開催されたラテンア メ リ カ 学 会(LASA:Latin American Studies Association)総会の時点 で こ れ に 出 席 し た 筆 者 へ 提 供 し て く れ た 論 文 (2011 年初めに 刊行され た )の 中で 、「 米 州 に おけ る 最 近の 展 開 を 見る と 、米 州 の民 主 主義 促 進 体 制 の 将 来 につ い て 疑 問視 す る こと が 出 来 よう 。・・・ホン ジ ュ ラス の 事態 で は 、 前 例の な い 国 際的 な 非 難、 孤 立 、 制裁 に も か か わ ら ず 、米 州 機構 (OAS)と国際社会はクーデタを覆してセラヤを大統領の座に戻す事が 出 来 な か った 」とし て い る16。そ の 後 、セ ラ ヤ前 大 統 領 は 最 終 的 に は 2011 年 6 月にホンジュラスへ帰国した。しかし、それは内外の関係者・関係 国 が 「 ほ とぼ り が 冷 めた こ ろ 合い 」 を 見 計ら い 政 治 的 妥 協 を 図っ た 上 で の 幕 引 き であ り 、 こ の結 末 を 米州 の 民 主 主義 擁 護 の 仕 組 み と 結び つ け て そ れ が 最 終的 に は 効 果を 発 揮 し た 、 と 言 うこ と は 出 来 な い で あろ う 。か か る 見 方 は余 り に も 楽観 的 で 甘き に 失 し てい る と 言 わ ね ば な らな い 。 14 Boniface, D.S., op.cit. 2007. p.42.
15 近 時 の関 連 す る 研 究と し て は 、Llanos, M et al. ed., Presidential
breakdown in Latin America, New York: Palgrave Macmillan, 2010 ; Valenzuela,A., Latin American presidencies interrupted in Diamond, L. et al., Latin America’s struggle for democracy, Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2008, pp.4-17 ; Pérez-Liñán, A.,
Presidential impeachment and the new political instability in Latin America, Cambridge: Cambridge University Press, 2007.など。 16 Legler, T., Demise of the Inter-American democracy promotion regime ? in Mace, G. et al. ed., op.cit., 2011, pp.111-130.
政 界 か らも 米 州 の 民主 主 義 擁護 の 仕 組 みに 対 す る 批 判 は 厳 しい 。2011 年 7 月、米国下院外交委員会は、米州機構(OAS)がキューバ、ベネズ エ ラ な ど 左 派 政 権 の 道 具 と 化 し て い る と し て 同 機 構 に 対 す る 年 額 4850 万 ド ル の 拠出 金 を 全 廃す る 決 議案 を 採 択 した 。 ま た 同 委 員 会 は、 ベ ネ ズ エ ラ 、 ニ カラ グ ア 、 エク ア ド ル、 ボ リ ビ ア、 ア ル ゼ ン チ ン に 対す る 援助 を 削 減 す る法 案 を あ わせ 可 決 した 。 こ れ らは 共 和 党 の 21 の賛成票、民 主 党 の 20 の反対票で採択されたものであり、民主党が優勢を占める上 院 で は 可 決さ れ な い 見通 し で ある17が 、ワ シ ン ト ン D.C.において米州機 構(OAS)に対して非常に厳しい見方があることが示されたと言えよう。 4 . 民 主 主義 の 実 質 への 打 撃 前 項 末 尾 で 言 及 の 通 り 米 国 議 会 共 和 党 の 目 の 敵 と さ れ て い る 中 南 米 に お け る 左派 政 権 に つい て は 、近 時 、 そ の動 向 が と み に 注 目 され て き て い る 。 特 に注 意 を 払 うべ き は 、そ の 中 の 一部 の 国 が 代 議 制 民 主主 義 をな し 崩 し に しつ つ あ る こと で あ る。 そ れ は どう い う こ と か 。 中南 米 に お い て 、1990 年代は政治的に民主主義が米州全体で(キュー バ を 除 き )回 復 さ れ たの と 同 時に 、 経 済 的に は 市 場 を 重 視 す る新 自 由主 義 に 基 づ く改 革 が 地 域を 席 巻 した 時 期 で あっ た 。 中 南 米 で は 伝統 的 に国 家 主 導 型 の開 発 体 制 がと ら れ てき た が 、 これ が 1980 年代の対外債務危 機 と 経 済 不況 で 破 綻 した 後 、 全世 界 的 に 進行 し つ つ あ っ た グ ロー バ リゼ ー シ ョ ン の波 の 中 で 、こ の 地 域で も 「 小 さな 政 府 」 の 下 で の 経済 自 由 化 が 進 め ら れた 。 い わ ゆる 「 ワ シン ト ン ・ コン セ ン サ ス 」 に 基 づく 市 場経
17 “OAS is a basket case --- but a needed one”, Miami Herald 紙 電 子 版, 2011/07/23,
http://www.miamiherald.com/2011/07/23/2328338/oas-is-a-basket-cas e-but-a-needed.html (2011 年 7 月 27 日閲覧。)
済 へ の 転 換が 全 米 州 地域 的 に 行な わ れ た ので あ る 。 しか し 、 そ の 潮 流 は 21 世紀に入ると反転した。新自由主義改革はマ ク ロ 経 済 上こ そ あ る 程度 の 成 果を も た ら した も の の 、 政 府 予 算の 削 減 、 国 営 企 業 の民 営 化 、 企業 の リ スト ラ 、 そ れに 伴 う 失 業 の 増 加 、中 間 層の 困 窮 化 、 貧富 の 差 の 拡大 な ど の問 題 を も たら し た 。 そ し て 市 場改 革 に 対 す る 人 々 の失 望 感 と 反発 の 中 で、 そ う し た改 革 を 進 め る 政 権 は支 持 を失 い 、 次 々 と左 派 の 大 統領 が 誕 生し て い っ た。 そ れ ら は 、国 毎 に 大統 領 へ の 就 任 順 で 挙げ れ ば 、ベネ ズ エ ラ の ウ ー ゴ・ チ ャ ベ ス(1999 年 2 月就任)、チリのリカルド・ラゴス(Ricardo Lagos・ 2000 年3月から 2006 年 3 月)、ミチェル・バチェレ(Michelle Bachelet・ 2006 年 3 月から 2010 年 3 月)、ブラジルのルーラ・ダ・シルバ(Luiz Inácio Lula da Silva・2003 年 1 月から 2009 年 12 月)、ジルマ・ヴァナ・ル セ ー フ (Dilma Vana Rousseff・2011 年 1 月就任)、アルゼンチンのネ ス ト ル・キ ル チ ネ ル(Néstor Kirchner・2003 年 5 月から 2007 年 12 月)、 ク リ ス テ ィー ナ ・ デ ・キ ル チ ネ ル (Cristina de Kirchner・2007 年 12 月 就 任 )、ボ リ ビ ア の エ ボ・モ ラ レス(Evo Morales・2006 年 1 月就任)、 エ ク ア ド ルの ラ フ ァ エル ・ コ レア (Rafael Correa・2007 年 1 月就任)、 ニ カ ラ グ アの ダ ニ エ ル・オ ル テ ガ(Daniel Ortega・2007 年 1 月就任)、 ペ ル ー の オジ ャ ン タ・ウ マ ラ(Ollanta Umara・2011 年 7 月就任)など で あ る 。 こ れ ら の左 派 政 権 につ い て 、 遅 野 井 は 「左 派 政 権 の 性 格 や 政策 内 容 は 多 様 で あ るが 、 根 本 は、 弱 者 の保 護 や 社 会的 公 正 の 実 現 を 価 値と し 、 社 会 問 題 へ の対 処 を 優 先事 項 と して い る 。 新自 由 主 義 の 修 正 、 とく に 問題 解 決 を 市 場原 理 に 委 ねよ う と する イ デ オ ロギ ー か ら の 脱 却 を 共有 し てい る 」 と し た上 で 、 こ れら を 急 進左 派 と 穏 健左 派 に 分 け る 。
前者 は 、 ベ ネ ズ エ ラ 、エ ク ア ド ル 、 ボ リ ビ ア な ど の政 権 で あ り 、 脆弱 な 民 主 制 度や 政 党 政 治の 崩 壊 を背 景 に 登 場し 、 憲 法 制 定 議 会 を通 じ て支 配 権 を 握 り新 憲 法 を 通じ た 旧 来の 統 治 ・ 権力 構 造 の 抜 本 的 転 換を 標 榜し 「 革 命 政 権」 で あ る と自 任 、 経済 的 に は 反新 自 由 主 義 、 反 グ ロー バ ル化 を 明 示 的 に掲 げ 、 市 場へ の 国 家介 入 を 強 めて い る 、 と す る 。 他方 、 後 者 は 、 ブ ラ ジル 、 チ リ な ど の 政 権 が 代 表 格で 、 社 会 的 公 正 を 重 視 す る が、 自 由 民 主主 義 と 市場 経 済 政 策の 原 則 を 堅 持 し て いる と ころ に 特 徴 が あり 、 マ ク ロ経 済 の 安定 を 前 提 に、 外 資 導 入 と 自 由 貿易 に よ る 成 長 を 進 め、 そ の 成 果を 貧 困 対策 な ど 積 極的 な 社 会 政 策 を 通 じて 全 体で 分 か ち 合 おう と す る 立場 で あ る、 と す る18。 本項 で 問 題 と す る の は前 者 の 急 進 左 派 の 国 内 的 な 政治 運 営 で あ る 。 ベ ネ ズ エ ラ のチ ャ ベ ス 大統 領 、 エク ア ド ル のコ レ ア 大 統 領 、 ボ リビ ア の モ ラ レ ス 大 統領 ら は 、 いず れ も 、選 挙 を 経 て政 権 に つ い た 。 し かし 大 統 領 に な っ た あと 、 議 会 とは 別 の 憲法 制 定 議 会を 設 置 し 、 憲 法 改 正を 国 民投 票 に か け て実 施 し 、 大統 領 の 再選 を 可 能 とし つ つ 、 三 権 分 立 体制 の チエ ッ ク ・ ア ンド ・ バ ラ ンス を 機 能不 全 と し て、 自 ら の 権 力 を よ り強 大 で長 期 的 な も のに し て い ると い う 共通 点 が あ る。 チ ャ ベ ス 大 統 領 は憲 法 改正 の 国 民 投 票 を 1999 年 12 月 に 実 施 し 勝 利 を 得 て 改 憲 を 実 施 し た 上 で 2000 年 7 月、2006 年 12 月に大統領として再選を果たした。同様に、 コ レ ア 大 統領 は 2008 年 10 月に国民投票を行ないこれに勝利、2009 年 18 遅 野 井茂 雄 「 台 頭 する 新 興 パ ワ ー 中 南 米 の 開 発 課題 と 国 際 関 係 」、拓 殖 大 学 海 外事 情 研 究 所『 海 外事 情』( 特集 =中 南 米 情 勢 )、Vol.59、2011.5、 pp.2-17。この他に、遅野井茂雄「第 12 章 経 済自 由 化 と 政 治 変 化」、 西 島 章 次・小 池 洋 一 編著『 現 代 ラ テ ンア メリ カ 経 済論 』、ミ ネ ルヴ ァ 書 房 、 2011、pp.235-253;遅野井茂雄・宇佐美耕一「序章 ラテ ン ア メ リ カ の 左 派 政 権」、 遅 野 井 茂雄 ・ 宇 佐 美 耕 一 編 『21 世紀ラテンアメリカの左派 政 権 : 虚 像と 実 像』、ア ジ ア 経 済 研 究 所 、2008、pp.22-28。
4 月に大統領選挙で再選、モラレス大統領は 2009 年 1 月に国民投票を 実 施 、 同年 12 月に大統領選挙で再選された。 こう し た 手 法 の 何 が 問題 で あ る の か 、 ベ ネ ズ エ ラ につ い て も う 少 し 詳 し く 見 て みよ う 。 坂 口は 、 チ ャベ ス 政 権 の政 治 変 革 の 特 徴 と して ま ず大 統 領 へ の 権力 集 中 を あげ る 。 そし て 「 チ ャベ ス 政 権 下 で は 大 統領 授 権法 の 多 用 に より 、 議 会 を無 実 化 し、 大 統 領 が行 政 権 の み な ら ず 立法 権 限も 独 占 す る 状態 が 長 期 間続 い て いる 」と 指 摘し 、「 授権 法 は 立 法府 の 権 限や 責 務 を 大 統領 に 一 任 する も の であ り 、 議 会の 形 骸 化 、 分 権 シ ステ ム のチ エ ッ ク 機 能不 全 、大 統 領 権 限 の肥 大 化 に つな が る。・・・授 権 法が 大 統領 の 恣 意 性 を反 映 し、「 民 主 主 義 の 質 」を 低下 さ せ る危 険 性 を はら む も の で あ る 」 と 批判 す る 。 また チ ャ ベ ス 大 統 領 が標 榜 す る 既 得 権 益 の打 破 、 従 来 の 体 制 で疎 外 さ れ てき た 大 衆層 の 権 益 拡大 に つ い て は 、 坂 口は 「 マク ロ 経 済 運 営を 見 て み ると 、・・・規 制 に よ って 経 済 活 動 を 統 制 する 方 法を 選 択 し て いる 。・・・それ ら の 政 策 は 成 功 して い る と は 言 え ず 、む し ろ経 済 の 歪 み を累 積 し 、 マク ロ 経 済 不 安 定 の 潜在 的 圧 力 を 高 め て いる 」 と す る 。 そ し て具 体 的 問 題と し て 生 産 控 え 、 売り 控 え 、 砂 糖 、 肉 、卵 な ど 多 く の 基 礎 食料 品 不 足 、外 貨 統 制に よ る 輸 入困 難 か ら 自 動 車 産 業な ど 製造 業 や 農 牧 業に ま で 大 きな 負 の 影響 が 出 て きて い る と 指 摘 す る 。更 に 、 チ ャ ベ ス 政 権の 経 済 社 会政 策 は 「対 象 者 の 選択 が 政 治 的 で あ り 、低 所 得 者 層 の 中 で も反 チ ャ ベ ス派 の 人 々は 対 象 に なら な い 、 膨 大 な 資 金が 流 れて い る が 運 営が 非 効 率 であ る 、汚 職・腐 敗 が多 い 、な ど と 批 判 さ れ て い る」 と 述 べ る 。19 19 坂 口 安紀 「第 6 章 ベ ネ ズ エラ ・ チ ャ ベス 政 権 の ボ リ バ ル 革命 」、 村 上 勇 介 ・ 遅野 井 茂 雄 編著 『 現 代ア ン デ ス 諸国 の 政 治 変 動 』、 明 石 書 店 、 2009、pp.246-255。
米国 「 マ イ ア ミ ・ ヘ ラル ド (Miami Herald)」紙は米州関係情報では 随 一 の 新 聞 で あ る が 、 同 紙 の コ ラ ム ニ ス ト で あ る オ ッ ペ ン ハ イ マ ー (Andrés Oppenheimer)は近著の中で「チャベスのナルシシスト・レ ー ニ ン 主 義が ベ ネ ズ エラ 史 上 最大 の 資 本 逃避 を 引 き 起 こ し 、 政府 自 身 の 数 値 で 、貧 困 が 1999 年の人口の 43%から 2004 年の 53%に上昇し、他 方 で 極 貧 ―1 日 1 ドル以下で生活する人々―が 17%から 25%に急上昇 し た 」 と 辛 辣 に 指 弾 す る20。 直 近 の 経 済 指 標 を 見 て も 、 ベ ネ ズ エ ラ は 経 済 成 長 率 が 2009 年マイナス 3.3%、2010 年マイナス 1.6%、2011 年見 通 し 2.0%(中南米全体ではそれぞれマイナス 1.9%、6.0%、4.2%)、 消 費 者 物 価上 昇 率 が 2009 年 26.9%、2010 年も 26.9%(中南米全体で は そ れ ぞれ 4.7%、6.2%)と中南米諸国中で最悪の水準である。対外部 門 で は 資 本収 支 が 2009 年マイナス 193 億ドル、2010 年マイナス 310 億 ド ル と 資本 逃 避 が 顕著 で あ り、 そ の 結 果、 総 合 収 支 も 大 幅 赤字 と なっ て い る21。 こう し た 経 済 の 失 政 にも か か わ ら ず 、 国 内 の 対 抗 勢力 を 排 除 し た チ ャ ベ ス 大 統 領の 権 力 は 揺る ぎ そ うも な い 。 オッ ペ ン ハ イ マ ー は ベネ ズ エ ラ の 著 名 な 左派 知 識 人 によ る 次 の 言 葉 を 紹 介し て い る 「 チ ャ ベ スは 共 産 主 義 者 で も なけ れ ば 、 資本 主 義 者で も な く 、ム ス リ ム で も キ リ スト 教 徒で も な い の です 。 こ れ ら が 2021 年まで彼が権力に確実にとどまる手助け に な る 限 りは 、 彼 は これ ら の すべ て な の です 」。 この よ う な 特 徴 は 、 ベネ ズ エ ラ の み な ら ず 、 他 の 急進 左 派 政 権 に も 程 20 オ ッ ペン ハ イ マ ー, A.(渡邉尚人訳)『米 州 救 出 』、時 事 通信 社 、2011、 pp.219-264。 21 ラ テ ンア メ リ カ 協 会事 務 局「 国連 ラ テ ンア メ リ カ・カ リ ブ 経 済 委 員 会 (ECLAC)による 2010 年の経済の回顧と 2011 年見通し」、ラテンアメ リ カ 協 会『 ラ テ ン ア メ リ カ 時 報』、No.1393、2010/2011 年冬号、pp.45-48。
度 の 違 い こそ あ れ 窺 われ る 。 そ し て 、 ホ ンジ ュ ラ ス で セ ラ ヤ 大統 領 がと ろ う と し てい た 政 策 はこ れ ら 急進 左 派 の 大統 領 た ち に よ っ て とら れ てい た 政 策 と 合致 す る も ので あ っ た。 第 一 章 1.にて記したように、セラヤ 大 統 領 は まさ に 憲 法 改正 に 向 か っ て 進 ん でお り 、 そ の 具 体 的 一歩 と し て 憲 法 制 定 議会 召 集 に 関す る 国 民投 票 の 賛 否を 問 う 「 世 論 調 査 」を 強 行し よ う と し て、 そ の 調 査の 実 施 予定 日 に ク ーデ タ の 憂 き 目 に あ った 。 これ ら の 急 進 左 派 政 権が 民 主 主 義 を 語 る 時 、 そ れ は通 常 使 わ れ る 意 味 で の 民 主 主義 と は 異 なっ て い る。 民 主 主 義と は 、 通 常 の 理 解 では 、 例え ば 「 そ の 仕組 み と は 、思 想 の 自由 、 言 論 の自 由 、 報 道 の 自 由 、集 会 の自 由 の 保 障 と、 自 由 な 選挙 、 議 会制 度 、 複 数政 党 制 、 三 権 分 立 、そ し て特 に 司 法 の 独立 な ど で ある 。 こ れら 一 連 の 制度 が 相 互 に 補 完 し 合っ て はじ め て 、 民 主主 義 は 機 能す る 。 逆に そ の 一 部で も 削 ら れ れ ば 、 民主 主 義は 機 能 し な くな る 。 例 えば 、 思 想や 発 言 が 封じ ら れ 、 権 力 が 、 テレ ビ 、新 聞 、 教 育 を独 占 し は じめ れ ば 、集 団 的 な 熱狂 の 中 に 個 々 人 の 良心 は 窒息 し 、 人 を 守る は ず の 権力 が 大 量に 人 を 死 に追 い や る 結 果 を 生 む」 も ので あ る22。 そ こ に お い て 、 国 民 は 選 挙 を 通 じ て 自 ら の 代 表 を 選 び 、 そ の 代 表 者 が 国 民の 信 託 を 受け て 国 政を 執 り 行 う。 こ の 代 議 制 は 、 民主 主 義 の 根 本 的 な 要素 の ひ と つで あ る 。本 稿 が 取 り上 げ て い る 中 南 米 でも 米 州民 主 主 義 憲 章は 代 議 制 民主 主 義 を前 提 と し 、「 代 議 制 民 主主 義 の 効果 的 な行 使 は 、 法 の支 配 と 米 州機 構 の 加盟 国 の 憲 法に 基 づ く 体 制 の 基 礎で あ る。 代 議 制 民 主主 義 は 、 それ ぞ れ の憲 法 秩 序 に合 致 す る 法 的 枠 組 みの 中 に お け る 市 民 の恒 常 的 、 倫理 的 か つ責 任 あ る 参加 に よ っ て 強 化 さ れ深 め られ る 」(第 2 条)と規定している。 急進 左 派 政 権 は こ れ から 明 ら か に 逸 脱 し て い る 。 22 兼 原 信克 『 戦 略 外 交原 論 』、 日 本 経済 新聞 出 版 社、2011、 p.170。
そも そ も 、ベ ネ ズ エ ラの チ ャ ベス 大 統 領 は、1999 年の大統領就任後か ら 、 民 主 主義 を 代 議 制に よ る 制度 と と ら える こ と 自 体 を 否 定 し、 参 加 型 民 主 主 義(participatory democracy)を追求するとしていた。単に国民 の 政 治 参 加の 拡 大 を 唱え た の では な い 。 政党 、 労 働 組 合 な ど を通 じ た 政 治 を 否 定 し、 そ う し た組 織 を 介 さ ず に 国 民が 直 接 に 政 治 過 程 に参 加 す る こ と を 主 張し た の で あっ た 。 国際 的 に も 、2001 年 4 月、カナダのケベ ッ ク に て 開催 さ れ た 第 3 回米州首脳会議で、最終宣言案にあった「代議 制 民 主 主 義の 積 極 的 な擁 護 の ため に 、 外 務大 臣 に 、 米 州 民 主 主義 憲 章の 準 備 を 指 示す る 」 と の条 項 ( いわ ゆ る 民 主主 義 条 項 ) に 異 議 を唱 え た。 チ ャ ベ ス 大統 領 は こ の条 項 に 「参 加 型 民 主主 義 」 の 言 葉 を 含 める よ う に 主 張 し 、 これ が 容 れ られ な い と、 こ の 条 項へ の 留 保 を 表 明 し 、そ れ を宣 言 文 の 末 尾に 書 き こ ませ た の であ っ た23。 遅野 井 は 、 こ う し た 急進 左 派 の 動 き を 「 民 主 主 義 の変 質 の 問 題 」 と 表 現 は 控 え めな る も 、 実体 面 で は「 急 進 左 派は 、 再 選 の 制 限 を 撤廃 し たチ ャ ベ ス 大 統領 を 筆 頭 に、 憲 法 制定 議 会 を 通じ て 権 力 を 集 中 し 、民 衆 の支 持 を 足 掛 かり と し て 権力 維 持 を図 ろ う と し、 民 主 主 義 の 変 質 を加 速 して い る 」と見 た 上で 、「 選挙 を 通 じて 民 主 主 義を 装 っ て は い る が 、カ ウ デ ィ ー ジ ョ ( 頭領 ) 主 義 、権 威 主 義と い っ た ラテ ン ア メ リ カ に 伝 統的 な 政治 文 化 へ の 退行 を 予 想 させ る も のが あ る 」 と懸 念 を 表 明 す る24。 筆者 は 次 の 通 り 考 え る。 一般 論 と し て 、 政 治 過程 に 国 民 の 幅 広 い 参 加 を 得 るこ と 自 体 は 、 政 治
23 Tussie, D., Hemispheric relations : budding contests in the dawn of a new era in Mace, G. et al. ed., op. cit., 2011, p.28;坂口安紀「ベネ ズ エ ラ 4 月の 政 変 チャ ベ ス 政権 と「 民 主主 義 」」、アジ ア 経 済 研 究 所『 ラ テ ン ア メ リカ ・ レ ポ ート 』、Vol.19、2002、p.55。
的 意 思 決 定に 国 民 の 声を 可 能 な限 り 反 映 させ る 上 で 重 要 且 つ 必要 な こと で あ る 。 特に 、 中 南 米に お い ては 伝 統 的 に貧 富 の 差 が 大 き く 、政 治 的に 疎 外 さ れ てき た 貧 困 層の 声 を 汲み 取 ろ う とす る こ と 自 体 は 民 主的 に 意 義 あ る 試 み であ る 。 し かし 、 中 南米 の 急 進 左派 政 権 が 参 加 型 民 主主 義 を主 張 す る 時 、そ れ は 本 質的 に は 自ら の 権 威 主義 的 な 権 力 拡 大 を 偽装 し てい る も の と 思わ れ る 。 参加 型 民 主主 義 の 主 張に よ り 、 議 会 や 裁 判所 の 権限 を 骨 抜 き にし た り 、 政治 的 反 対者 や 批 判 的メ デ ィ ア を 弾 圧 し たり し て い る か ら で ある 。 こ れ は正 当 化 さ れ え な い 。急 進 左 派 政 権 の 下 で進 行 し て い る の は 、国 民 参 加 の拡 大 に よる 民 主 主 義の 前 進 で は な く 、 実質 的 な民 主 主 義 の 後退 に 他 な らな い 。 故に 、 筆 者 は上 記 の 遅 野 井 の 懸 念に 共 感 す る も の で ある 。 ホ ン ジ ュラ ス に お ける ク ー デ タ 発 生 後 、ベ ネ ズ エ ラ を 初 め とす る 急 進 左 派 政 権 はセ ラ ヤ 大 統領 を 徹 底的 に 擁 護 した 。 セ ラ ヤ 大統 領 が コ スタ リ カ へ国 外 追 放 とな る や 、 チ ャ ベ ス 大統 領 は直 ち に チ ャ ータ ー 機 を 差し 向 け て、 そ の 後 にセ ラ ヤ 大 統 領 が ニ カラ グ ア 、 ニ ュ ー ヨ ーク ( 国 連 )、 ワ シン ト ン D.C.、コスタリカなどに移動する用 に 供 し た 。ま た チ ャ ベス 大 統 領は 自 国 の 外務 大 臣 を セ ラ ヤ 大 統領 に つき そ わ せ 、 一度 は エ ク アド ル 、 ア ル ゼ ン チ ン、 パ ラ グ ア イ な ど 他の 大 統 領 た ち と 共 にチ ャ ー タ ー機 で ホ ンジ ュ ラ ス への セ ラ ヤ 大 統 領 の 帰国 強 行 を 図 っ た り もし た ( ホ ンジ ュ ラ ス国 軍 に 阻 まれ た )。 そ う し た物 理 的 な 支援 に 加 えて 、 外 交 的に も セ ラ ヤ 大 統 領 擁護 で 活 発 に 動 い た 。ク ー デ タ 発生 直 後 にニ カ ラ グ アで セ ラ ヤ 大 統 領 を 迎え て 開 催 さ れ た 米 州 ボ リ バ ル 主 義 同 盟 (ALBA) 首脳会 議は、直ちにクーデタを 強 く 非 難 する 声 明 を 発出 し た 。ま た 国 連 総会 は セ ラ ヤ 大 統 領 出席 の 上 で
ク ー デ タ 非難 の 決 議 を採 択 し たが 、 そ れ が出 来 た の は ニ カ ラ グア 出 身 の 国 連 総 会 議長 が 差 配 した 成 果 でも あ っ た 。更 に 、 上 述 の 通 り そも そ も ベ ネ ズ エ ラ は米 州 民 主 主義 憲 章 の謳 う 代 議 制民 主 主 義 に 留 保 を 付し て い た が 、ホ ンジ ュ ラ ス の クー デ タ の あ と は そ う し た 前 歴は な か っ た か の 如 く、 同 国 の 米 州機 構 (OAS)参加資格を停止すべく同憲章第 21 条の適用に 動 い た 。 急進 左 派 政 権が 、 代 議制 民 主 主 義を 擁 護 す る 側 に 立 った の で あ る 。 2009 年 11 月の総選挙、そしてロボ政権の成立とその外交努力を受け て 、 ク ー デタ 非 難 と セラ ヤ 復 権要 求 で 当 初は 一 枚 岩 の 結 束 を 見て い た 米 州 諸 国 も その 足 並 み が乱 れ 、 米 国 を 初 め とし て 次 第 に ロ ボ 政 権と 関 係 を 正 常 化 す る国 々 が 増 えて 行 っ た。 し か し 、ベ ネ ズ エ ラ 、 エ ク アド ル 、ボ リ ビ ア と いっ た 急 進 左派 の 国 々は あ く ま でセ ラ ヤ 擁 護 の 立 場 を貫 い た 。 も と よ り それ は こ れ ら急 進 左 派の 国 々 に 限ら れ ず 、 例 え ば 穏 健左 派 諸国 の 筆 頭 格 であ る ブ ラ ジル も あ くま で ロ ボ 政権 を 認 め よ う と は しな か っ た 。 ブ ラ ジ ルは 2009 年 9 月から 2010 年 1 月まで、セラヤをホンジュラス の 首 都 テ グシ ガ ル パ にあ る 自 ら の 大 使 館 内で 庇 護 し て い た 程 であ っ た 。 し か し 、ホ ンジ ュ ラ ス の ALBA 加盟を果たしたセラヤに対するこれら急 進 左 派 政 権の 支 持 は とり わ け 強 い も の が あっ た 。 例 え ば 、 チ ャベ ス 大統 領 は ド ミ ニカ 共 和 国 へ「 賓 客 」 と し て 迎 えら れ た 同 人 に 対 し て、 わ ざ わ ざ こ れ 見 よが し に 、 ベネ ズ エ ラ石 油 公 団 の「 中 南 米 に お け る 政治 的 独立 の 強 化 と 人民 民 主 主 義の 擁 護 の為 の 首 席 政治 顧 問 」 の 肩 書 を 与え た25。 ホ ン ジ ュラ ス の ク ーデ タ は 、急 進 左 派 政権 諸 国 が 民 主 主 義 の大 義 を主 張 す る 側 に立 つ と 言 う結 果 を も た ら し た ので あ っ た 。 こ れ は 全く の 皮肉
25 Di Iorio,M.C.,The good coup : the overthrow of Manuel Zelaya in
と い う 他 ない が 、 そ れ以 上 に 、米 州 の 民 主主 義 に と っ て は 不 吉な 事 態で あ る と 言 える 。 な ぜ なら 、 そ れま で 胡 散 臭い イ メ ー ジ を 払 拭 しき れ ない で い た チ ャベ ス 大 統 領や そ の 一 派 が 、 ホ ンジ ュ ラ ス で 軍 事 ク ーデ タ に よ っ て 打 倒 され た 文 民 大統 領 を 支持 す る と いう 点 に お い て 、 錦 の御 旗 を手 に し た こ とに な る か らで あ る 。 こ の ホ ンジ ュ ラ ス のク ー デ タ を め ぐ る 一連 の エ ピ ソ ー ド は 、今 後 、 チ ャ ベ ス 大 統領 ら に よ って 、 自 らこ そ 米 州 の民 主 主 義 の 擁 護 者 の前 衛 であ る 、 自 分 たち は 国 内 政治 の 圧 力や 経 済 的 な利 益 な ど か ら 筋 を 曲げ て ク ー デ タ の あ とに 成 立 し た政 権 を 途中 で 承 認 して い っ た 米 国 な ど とは 違 うの だ 、 と い う政 治 的 宣 伝の 形 で 利 用 さ れ る こと に な ろ う 。 米 国 に対 す る こ う し た あ てこ す り は 、2002 年 4 月のベネズエラでのクーデタ未遂事件 の 時 の 対 応( 米 国 は 反チ ャ ベ スの ク ー デ タ実 施 側 を 支 持 す る かの 如 く 動 い た ) と 同様 に 、 今 後、 長 く 尾を 引 く こ とに な ろ う ( こ の 点 は次 章 で も 触 れ る )。 そ れ は 米 州の 民 主 主 義 に と っ て 、 実 質 面で の 打 撃 で あ る 。 5 . ま と め チリ に 本 部 を 置 く 非 営利 団 体 Latinobarómetro は、1995 年以来毎年 中 南 米 で 民主 主 義 に つい て の 世論 調 査 を 実施 し て き て い る と ころ 、2010 年 9 月から 10 月に実施した調査の結果は、中南米における民主主義へ の 支 持 は 61%とこれまでで最高水準にあることを示した。これをもって、 英 国 の エ コノ ミ ス ト 誌(2010 年 12 月 4 日号)は、中南米全体の明るい 雰 囲 気 と 共に 、 民 主 主義 及 び 民主 主 義 の 中核 を 成 す 機 構 に 対 する 人 々の 安 定 し た 支持 が 表 さ れて い る と し た26。
26 “The latinobarómetro poll, the democratic routine”, The Economist, 2010/12/04, p.48.
し か し 、筆 者 は ホ ンジ ュ ラ ス の ク ー デ タを 経 て 、 中 南 米 の 民主 主 義 の 今 後 に つ いて そ れ ほ ど楽 観 的 にな る こ と が出 来 な い 。 米州 は1990 年代より民主主義擁護の仕組みを強化すべく取り組んだ。 そ し て そ の努 力 は 2001 年には米州民主主義憲章に結実した。それは、 代 議 制 民 主主 義 を 定 義す る と 共に 、 米 州 諸国 の 国 内 で ク ー デ タ発 生 、 あ る い は そ れに 至 ら ず とも 民 主 主義 秩 序 が 損な わ れ る 場 合 に は 、米 州 機 構 (OAS)が対応し最終的には同機構への資格停止という制裁措置が発動 さ れ う る こと を 規 定 した 。 ホ ンジ ュ ラ ス のク ー デ タ は 、 加 盟 国の 民 主 的 秩 序 の 憲 法違 反 に よ る途 絶 の 明白 な 事 例 であ り 、米 州 機 構(OAS)は米 州 民 主 主 義憲 章 に 規 定さ れ た 措置 を 手 順 通り に 適 用 し た 。 し かる に 、そ れ は ホ ン ジュ ラ ス で 武力 に よ って 追 放 さ れた 大 統 領 の 復 権 を もた ら す こ と は 出 来 なか っ た 。 既成 事 実 の積 み 上 げ の前 に は な す す べ が なか っ た 。 こ れ は 、 米州 諸 国 が つく り あ げて き た 民 主主 義 擁 護 の 仕 組 み の実 効 性に 深 刻 な 疑 義を 呈 す る もの で あ る。 中 南 米 にお い て 、 民 主 主 義 は、 そ の理 念 が 如 何 に崇 高 で あ った と し ても 、 自 ら を擁 護 す る 実 効 的 な 手段 を もち あ わ せ な いの で あ る なら ば 、は な は だ 心 も と な い 将来 像 し か 描 き 得 な い。 また 、 そ の 崇 高 な 理 念自 体 、 中 南 米 に お い て は 一 部の 国 か ら 挑 戦 を 受 け て い る 。急 進 左 派 の国 々 は 、代 議 制 民 主主 義 の 本 質 的 要 素 を攻 撃 し 、 参 加 型 民 主主 義 の 名 のも と に 、民 主 主 義 の諸 原 則 を 形 骸 化 し つつ あ る。 ホ ン ジ ュ ラス の ク ー デタ で は 、 こ れ ら の 国々 が こ の 中 米 の 国 にお け る 大 統 領 追 放 を非 難 し そ の復 帰 を 擁護 す る こ とに よ っ て 、 道 徳 的 に優 位 な立 場 に 立 つ こと が 出 来 た。今 後、将 来 に 向 け て中 南 米 の 民 主 主 義 を語 る 時 、 こ れ ら の 国々 は ホ ン ジュ ラ ス のク ー デ タ とい う エ ピ ソ ー ド で 自ら が 獲得 し た 正 統 性を 政 治 資 源と し て 活用 し て い くで あ ろ う 。 自 分 た ちこ そ 、 民 主 主 義 擁 護の 旗 手 で ある と し て、 そ れ ぞ れの 国 で ま す ま す 自 己の 権 力 強
化 を 推 し 進め て い く であ ろ う し 、 米 州 で の様 々 な 国 際 会 議 で その よ う な 立 場 を 自 慢げ に 披 歴 する こ と にな ろ う 。 それ は 米 州 に お け る 民主 主 義の 実 質 に 深 い傷 を も た らす で あ ろ う 。 こ の よ う に 、 ホ ン ジ ュ ラ ス の ク ー デ タ は 、 米 州 の 民 主 主 義 に 対 し て 、 制 度 面 、 実質 面 で 、 深刻 な 打 撃を も た ら すも の で あ っ た 。 以上 か ら 、 筆 者 は 次 の通 り 考 え る 。 中南 米 の 民 主 主 義 は 、エ コ ノ ミ ス ト 誌 が 紹 介 す る 世論 調 査 で の 高 い支 持 率 か ら 連想 さ れ る よう な 、 安泰 な 状 況 には な い 。 む し ろ 、 ホン ジ ュ ラ ス の ク ー デタ は 、 今 後、 中 南 米に お い て 、民 主 主 義 が 後 退 し てい く おそ れ を 大 き くし た の で あっ た 。