岡山大学構内遺跡発掘調査報告第1集
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岡山大学津島北地区
小橋法目黒遺跡(AW14区)の発掘調1査
1985
岡山大学埋蔵文化財調査室
岡山大学構内遺跡発掘調査報告第1集
岡山大学津島北地区
小橋法目黒遺跡(AW14区)の発掘調査
1985
序
文
岡山大学埋蔵文化財調査室による構内遺跡の調査研究は開始以来早くも3年目を迎えようとし ている。その間に明らかにされた諸事実は,岡山地域の歴史を考える上で欠くことのできない 資料を含んでいる。 今回報告する小橋法目黒遺跡は調査室設置の直前に実施されたもので,本学文学部考古学専 攻大学院生が主体となり調査を進めたものである。緊急な調査体制はきわめて不充分なもので あったが,内外各位の協力を得て無事に遂行することができた。 本遺跡は岡山大学津島地区文学部・法学部・経済学部の敷地内にあり,弥生時代中期および 平安時代にかかわる貴重な資料を得ることができた。その後,農学部構内でも縄文時代晩期に 遡る遺跡が発見され,津島地区一帯にはなお多数の各時代の遺跡が存在していることが予測さ れるに至った。今後,これら諸遺跡をあわせ検討しつつ,その調査と保護,活用を進めていく ことが必要と思う。 発掘調査は,矢板に囲まれた狭い範囲において,しかも湧水を伴う中で実施され,調査に従 った院生諸君の苦労は大変なものであった。さらに院生としての研究活動のかたわら,整理を 進め報告原稿を執筆した努力に対して心から敬意を表したい。 なお,調査および本報告書の作成にあたっては,岡山市教育委員会文化課および施設部をは じめ本学事務局各位の協力と援助を受けた。ここに記して感謝したい。1985年3月
岡山大学埋蔵文化財調査室長 近 藤 義 郎例
韓 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1璽 12 本書は岡山市津島中,岡山大学津島キャンパス内に所在する小橋法目黒遺跡の発掘調査報 告書である。遺跡名は,調査地点が字名である「小橋」と「法目黒」の境界にあたること から両者を合わせて本名称とした。 本調査区は岡山大学津島構内座標によると,AW14区に位置する。今後の調査によって検 出される遺構との関連を知るうえで必要な正確な位置は,構内座標基準点の設置をまって呈 示したい。 調査は,岡山大学津島地区排水基幹整備工事にともなう事前調査として実施した。 調査は文学部近藤義郎教授・稲田孝司助教授・宇垣匡雅助手の指導の下に,同大学院文 学研究科学生乗岡実・吉村健・小池幸夫・賛元洋および同研究生家田淳一を調査員として 実施した。 農学部畔柳鎮教授に植物遺体に関する助言をいただいた。 調査期間は1982年10月28日から11月24日までであるが」2月23日に北側に隣…接す る地区で作業をおこなった。 整理作業は吉村健・小池幸夫・賛元洋・家田淳一がおこない,岡山大学大学院文学研究科 学生田中裕介・高井健司,岡山大学埋蔵文化財調査室吉留秀敏・栄一郎の各氏が協力した。 本書の執筆は第玉章,第5章1,第6章を吉村健,第2章を乗岡実・吉村健,第3章を小 池幸夫・家田淳一,第4章を家田淳一,第5章2を栄一郎,第5章3を賛元洋が担当した。 遺物の実測は,土器・木器を吉村健・小池幸夫・賛元洋・家田淳一・高井健司,石器を賛 元洋・栄一郎がおこなった。遺物の写真撮影は吉留秀敏・田中裕介が担当した。 編集は家田淳一と吉村健がおこない,吉留秀敏が協力した。 遺物の実測図の縮尺は,原則として土器1/3,石器2/3,木器1/4,であるが,写真の縮 尺は任意である。その他の縮尺に関しては謬それぞれに明示した。 本報告で使用した方位は磁北である。目
第1章遺跡の位置と環境・
第2章調査の経過
1 調査に至る経過 ……… 2 調査の経過 …………・・第3章 層 序
1 試掘調査 ……… 2 調査区 …………・……・・………・ 3 立合調査 ………・・4小 結………・
第4章遺構………・…・………・第5章 遺 物
1土 器………・…・
2石 器…………・一…………
3木器………’
第6章 まとめ・・………・……… 図 第1図 岡山大学津島地区 周辺遺跡分布図…… 第2図 津島地区平面図 (試掘調査地点)……・・3 第3図 調査位置図 ………’・・…4 第4図 調査区および周辺の土層柱状図 5 第5図 調査区内土層図………・・6 第6図 立合調査地区土層図(西壁)…・7 第7図 土層模式図………8 第8図 古代の遺構………9 第9図 弥生時代の遺構………10次
目 次
第玉o図 ・2 第11図 第12図 第13図 第14図 第15図 第16図 第17図 第18図 第19図 第20図溝SDい2・3堆積状態…
杭1−3検出状況…………・ 出土遺物1 土器……… 出土遺物2 石器……・……・ 又鍬復原模式図……… 出土遺物3 木器……… 出土遺物4 木器…………・・ 出土遺物5 木器…………・・ 出土遺物6 木器・・………… 出土遺物7 木器……… 津島地区字名と条里の推定・ 1 3 3 5 5 8 8 9 ▲2 12 12 21 ・!l ・1玉 ・13−14
・14 ・15 …・P7 …18 ・…P9 ・20 ・…Q1図 版 目 次
図版1 調査区近景
1 調査区近景(南から) 2 調査区近景(北から)図版2 調査区全景
1 調査区全景(西から) 2 調査区全景(東から)図版3 調査区内の土層堆積状況
玉 東壁 2 南壁 3 西壁(崩壊前) 4 北壁図版4 遺構(1)
l SDl横断面(東壁南端) 2 杭1出土状況(南より)図版5 遺構(2)
1 杭2出土状況(南より) 2 杭2出土状況(西より) 3 杭3出土状況(東より)図版6 出土土器(1)
1 第8a層出土土器 2 SD2出土土器
図版7 出土土器(2)
1 SD2出土土器 2 SDl出土土器他
図版8 出土木器(1)
1 又鍬 2 杭1 3 杭4
図版9 出土木器(2)
1 杭3 2 棒状加工木 3 棒状加工木 4 棒状加工木図版10 出土木器(3)および石器
1 棒状加工木 2 棒状加工木 3 棒状加工木 4 板状加工木 5 棒状加工木 6 石器(い2石鐡 3剥片)表 目 次
第1表 出土土器観察表………一…・………22 第2表 出土石器観察表………・…・…………・………・………・・………22遺跡の位置と環境
第1章遺跡の位置と環境
小橋法目黒遺跡は岡山市津島中3−1−1に所在し,岡山大学津島北地区の文学部講議棟の 北側に位置している。 本調査区の北側はわずか250m程で半田山山塊に達し,東へ約2㎞で旭川西岸に至る。本遺跡 を含め津島地区一帯は,半田山山塊と龍之口山山塊の聞を南流する旭川の沖積作用によって形 成された狭義の岡山平野の一角にあたる。半田山山塊の南側一帯には旧河道がいく筋も流れて いたものと推定され,それらに沿った自然堤防の上には縄文時代晩期ないし弥生時代前期以降 集落が営まれていたことが津島遺跡,南方遺跡などの調査成果からうかがえる。 一方,半田山山塊の南側一帯は古代条里制の遺構が比較的よく遺存している点でも重要であ る。津島遺跡では条里制の地割りにともなうとされる畦が検出されている。津島地区構内は,1907∼1908(明治40∼41)年に旧陸軍屯営建設のために約lmの
厚さで盛土がなされており,現在はそれ以前の地形をうかがうことはできないが,遺存する字 名に「坪」の地名がみられ,構内にも条里制に関連する遺構の存在が予測される。 注1 岡山県教育委員会r岡山県津島遺跡調査概報』1970 注2 出宮徳尚・神谷正義他『南方(国立病院)遺跡発掘調査報告』 1981岡山市遺跡 調査団遺跡の位置と環境
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1.一(古墳,中世) 2.宿古墳群 3.妙見山城跡(戦国) 4。一本松古墳群 5。一(弥生) 6.一(弥生) 7。ダイミ山古墳 8.半田山城跡(戦国) 9都月坂古墳群 10鳥山城(戦国) 11。七ッ坑古墳群(弥生, 古墳)12お塚様古墳 13朝寝鼻貝塚(縄文後期,中世)14津島江道遺跡(弥生)15.津島遺跡(縄文晩 期∼中世)16神宮寺山古墳 17.広瀬遺跡(弥生)18.南方遺跡(弥生,古墳)19.上伊福遺跡(縄文晩期 ∼中世)20.上伊福西遺跡(弥生他)21.津倉古墳 22.妙林寺遺跡(弥生)23.一(弥生他)24.石井廃寺 (奈良∼中世)25.一(弥生他)26.一(弥生)27.岡山城(戦国∼江戸)28.天瀬遺跡(弥生)29.高柳城 跡 30.一(中世)3L−(古墳) 第蚤図 岡山大学津島地区周辺遺跡分布図 1/37500調査に至る経過
第2章調査の経過
墾 調査に至る経過 岡山大学津島キャンパス内において昭和56年度より3ケ年計画で排水基幹整備工事が開始さ れた。そのうち57年度分の実施にあたり,工事予定地に対して岡山市教育委員会職員立合のも とに昭和57年10月4日に6ケ所で試掘調査をおこなった。その結果,文学部構内にあるポンフ゜ 室予定地(NP1地点)において土器細片および木器が確認された。明確な包含層と遺構の存 在が不明なために,同年10月22日に工事立合を市教育委員会文化課職員の立合のもとに実施し た。その結果,現地表下約3mから弥生時代の包含層を検出した。これにもとづき,岡山市教 育委員会,岡山大学埋蔵文化財保護対策検討専門委員会,同施設部の3者は協議し,文学部近藤義 郎教授の意見を聞いた上,例言にあげた調査員に調査を依嘱し,10月28日からIl月24日まで発 掘調査を実施した。 愛 調査の経過 調査は鋼矢板で囲まれた一辺5m程の範囲である。作業は撹乱された遺物包含層(溝SD2 埋土)の調査から始めた。その後は土層観察用の壁を四辺に残しつつ掘り下げたが,この過程 慧き、≦ぶ≧三ミミ§ミ\ ォN違ミ灘・
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試掘調査
第3章層
序
層序は調査区以外に,岡山市教育委員会による試掘調査と北接しておこなった立合調査によ っても資料が得られた。以下別々に記述し,最後にまとめたい。 閣 試掘調査(第2・3・4図)岡山市教育委員会による試掘調査結果をNP1,NP2,NCPlの三地点に代表させ概
述する。 三地点の層序は基本的に次の9層にまとめることができる。第1層は造成盛土で,1907 −1908 (明治40−41)年の陸軍の屯営建設工事による造成土である。上面は現在の表土 である。第2層は,その直前の水田耕作土と床土である。第3層から第8層までは,近代 より弥生時代までの累層で,ほとんどが水田耕作土と考えられるが,第6層の土器細片を含めて時期の特定はできなかった。NP2,NCPlでは第8層の下に第9層とした自然堆
積層が確認された。しかし,NPlでは木片などの有機質を含む暗黒灰色粘土層(溝SD2埋 土)が76備以上堆積していることが確認された。 窯 調査区(第5図,図版3) 調査区では上部を重機によって掘削したため,標高a4m付近以上の土層は観察できなか った。調査区東壁では第5層以下が観察さ れた。上から灰褐色粘質シルト(第5層)灰 白色シルト質粘土(第6層)多暗黒色シルト 質粘土(第7層)灰褐一灰色微砂シルト(第8 層),暗灰緑色粘土(第9層)である。また 溝SDl−3が切り合った状態で本壁に認 められる。これらの溝は遺構の項で詳述する。第5層は平安時代前半期と考えられ
るSD量の直上に堆積し,堆積時期の上限が示される。第6層はSD3によって
切られているが,この溝は時期不明なため, 時代の特定は困難である。しかし,レベル より推定すればSD且より下位にあたり, 平安前半期ないしそれ以前と推定される。NP1
(調査区) 1造成盛土 2水田耕作土 3青灰黄色粘土 構灰艶粘土 5灰黄色粘土 羅魏 7鷺騨 8麟鶏き占 潔編土 ピ=了・/
/
/
/
二/?/
/ この第6層と下層の第7層は,調査区内で一3.55鵬一一一/ はわずかに残った北端部においてしか確認 第尋図NP2
1造成盛土 2水田耕作土 R灰艶糠微砂 横脆額鰍 6灰黄色粘 ソ微砂 7黄褐灰色 S質微砂 8暗黒構色 S土 9淡茶灰色 S土 黶@ 一 ●● NCP1 αL. −0.Om// 認顧質
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/ / ! 1 ! ! / ! 調査区および周辺の土層柱状図 一一 R.0層 序 A H
5幽
味1.
L(D鍵⑦④
1②/ゴ
⑭ / 東壁Cl⑤②
⑥\ ⑧ ⑨ S釧埋土 ①灰白色砂質シルト ②淡黄褐色中砂 ③灰白色中砂 ④暗灰色シルト ⑤白黄灰色中・粗砂 ⑥灰白色細砂 ⑦明褐色中・細砂 ⑧暗青灰色シルト ⑨暗灰色シルト質粘土 ⑩灰白色シルト質微砂 ◎褐灰色シルト質微砂F
G
⑬魏
⑫灰白褐色中・粗砂 ⑬灰色細・微砂 ⑭明褐色中砂 ⑮灰色シルト質微砂 ⑯灰色シルト質微砂 ⑰白灰色中・細砂 ⑱灰白色細砂 ⑲明白褐色粗・中砂 ⑳灰色砂質シルト ⑳暗灰白色微砂 ㊧暗灰白色微砂 ⑦⑩_. SD 2埋土 (1>黒灰色粘土 (2)黒灰色シルト (3)暗黒灰色粘土 (4)灰色中砂と黒灰色 粘土の薄層の互層 (5)灰緑∼黒灰色粘土 (6)黒灰褐色シルト SD 3埋土 くD褐色中砂 〈2>灰色粘土 く3>灰褐色粗砂③◎⑫
…◎D⑩
・……認 ⑳⑲睡確
品
已年
寸 ノ 1]c12F
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「∠≦鱗L《
11誌 11c 篇a llc. ._.」 西壁 5 灰褐色粘質シルト 8a灰褐色微砂シルト 1⑪ 暗灰緑色微砂 11c黒色粘土 13 黒褐色シルト質粘土禄
伯d ]2(親鳩
2m 6 灰白色シルト質粘土. 8b灰色微砂シルト 11a黒灰褐色粘土 11d灰色微砂 14 灰色粘土 第5図 調査区内土層図 1/50一2.Om
一一 P.0一2.Om
一1.0_0
一1.Om一〇
一1。0順 7 暗黒色シルト質粘土 9 暗灰緑色粘土 11b灰色微砂 12 灰褐色シルト質粘土 15黒色粘土調査区 されず,詳細は不明である。第8層はSD2の直上に堆積するが, a・b2層に細分できる。 両層とも南側をSD1によって切られている。また第8a層最下部より30数片の土器片が出土 している。細片が多く時期をとらえうるものは弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての甕の 口縁部(第12図一1,図版6−1一豊)と平安時代前半期の杯身(第12図一4,図版6−1− 4)の2点のみである。以上のことから,本層の下限はおおよそ平安時代前半期と推定される。 第9層は,上面がSDlとSD2の底面にあたり,これらの溝内埋土とは不整合関係にある。 本層上面がSD2の掘形上面にあたるか否かは確認されなかった。本層中からは上層より打ち 込まれた3本の杭以外は人工遺物は出土しなかった。 南壁は,そのほとんどがSDlの溝内埋土であるが,西端幅,50㎝のトレンチによって標高 一25㎝位まで観察された。SDlの埋土は大略,砂層と粘土層の互層であるが,詳細は遺構の 章にゆずる。 西壁は当初断面観察の主壁として設定し深掘りトレンチを設けたが(図版3−3),実測直前に 西壁が崩壊してしまった。そのため二次的処置として,深掘りトレンチの東壁を観察した。し たがって,第9層より上位は検討できなかった。第9層より下位は,暗灰緑色微砂(第10層), 黒色∼黒褐色粘土・灰色微砂(第Ua・b・c・d層),灰褐色シルト質粘土(第夏2層),黒褐色 シルト質粘土(第13層),灰色粘土(第14層)の自然堆積層である。第9層は東壁において述べ たように層上面がSDlとSD2の溝の下底面を示しているが,本壁においては, SD2の部 分のみを図示している。上面は重機の撹乱をうけ約3分の1しか元来の溝の底を残していない が,南北両壁より大方の状況は復原できる。第10層は,第9層の中位やや下に位置し北から 南へゆるやかに傾斜しており,レンズ状の堆積と推定される。重機の掘削によって北端は不明 であるが,SD2によって削られていた蓋然性が高い。第11層はa∼dの4層に細分され,自然 流路と考えられる。第lla層に木葉や草木状の有機質が流入していたが,b∼d層も含めて 人工遺物は全く発見されなかった。第12層および第13層も自然状態の木片・木葉等をやや多く
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3・4濃籍圭罐隠llピ土1㊥亀幕竃蒜卜質粘土一____−4m
第㊧図 立合調査地区土層図(西壁) 1/100層 序 0
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第7図 土層模式図 含む。両層とも層中に薄い微砂層が複数観察され,第13層下底は南側でやや立ち上がる。第14 層も木葉等を含むが第12・13層に比較し粘性が強い。 北壁は,大部分がSD2の埋土であり,深掘りトレンチと杭2のトレンチ以外は第9層を わずかに掘り進んだレベルで停止した。西壁で説明した層以外は第15層(黒色粘土)のみであ るが,部分的なブロックである。 $ 立合調査(第6図) 立合調査では,上部より造成盛土(第丑層),暗青灰色シルト質粘土(第2層)清灰色シルト 質粘土(第3・4層),灰色粘土(第5層),暗黄褐色シルト(第6層),暗褐色シルト(第7層) の7層が確認された。第2層以下は北へ向かってゆるやかに下がる。この立合調査区は発掘調査 区に北接するがSD3は確認されず,おそらく鋼矢板によって破壊されたものと考えられる。 また工事に必要なレベル以下は掘り下げなかったため,SD2も検出されなかった。遺物も未 検出である。 尋 小 結(第7図) 以上,三つの調査によって得られた土層はおおむね一致する。層番号は統一させてある。第1層 は近代の造成盛土,第2∼8層は近代以前の水田層の累積層と考えられるが,今回の調査 知見では上限は平安時代前半期である。しかし,各層ごとの正確な時期比定は今後の課題とせ ざるをえなかった。第9層以下は無遺物層である。自然流路や比較的豊富な植物遺体の存在 から低湿地的な環境が想定される。遺 構
第4章 遺
構
本調査によって検出された遺構は古代(SDl)と弥生時代(SD2)および時期不明(S D3)の三条の溝である。 む溝SDl(第5・8・10図,図版3・4−1)は調査区南端に検出され,走向はN87∼89W
を測る。南側半分は調査区外になり,正確な規模は不明であるが,東壁断面では幅約1.5mと 推定される。深さは約30礪である。上部は削平されており,元来の規模はさらに大きくなる。 溝内埋土(第④∼㊧層)の堆積状況はおおむね,砂層と粘土層,シルト層の互層である。第⑳層下 面は溝の底面であるが。西端は東端より約15㎝低く疏れの方向が東から西であったことを想定さ せる。第⑳層からは少量の遺物が出土したが,これらはいずれもさほど磨滅していない。出土 土器(第12図19・21,図版7−2)より平安時代前半期に埋没したと考えられる。G
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lF lA lE 0 2踊 hB 第8図 古代の遺構(・は土器の出土地点を示す) 一は木器・流木類 1/5⑪H
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遺 構 SD2(第5・9・10・U図,図版2・3・4−2・5)はSD1とほぼ並行して検出された。 ロ走向はN85∼89Wを測る。北側の掘形は未検出であるが,7m前後の幅が推定される。深さは80(糀 前後である。溝内埋土(第(1)∼(6)層)は黒褐色の粘土層を主体とし,砂層の堆積は少ない。溝 内埋土の観察から最低2回の掘削が推定され,第(6層上面は再掘削面と考えられる(第10図)。 また北壁を観察すると。第{6層下面の東西両端の比高差はほとんどみられず, 流れの方 向は不明である。砂層の少なさも考慮に入れれば,おそらく埋没段階においてゆるやかな流れの 溝だったと考えられる。全ての層にわたって木片などの有機物が豊富であり,中でも第(2層に 多くみられた。出土遺物には土器片,石器,木器があり,種子,貝殻,動物骨片も少量検出さ れた。以上は主に流れ込みの状況で出土した。 溝底面北側で検出された3本の杭は,いずれも上部を欠失しているが打ち込まれた状態で出 土した。杭1と2は共に杭の先端が第11a層に達している。杭3の先端は第12層に達している。
上
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撃a 第騒図 弥生時代の遣構 1/50遺 構
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0 −1 第簿図 溝SD1・2・3堆積状態 (層名は第5図参照) 1/50 いずれも溝内の初期の掘削面に打ち込まれたものと考えられる。杭は直線に並ばず,溝底の平 坦面から北側の掘形斜面に移行する付近に打たれている。溝の時期は,出土土器(第12図5∼ 18,図版6−2・7−1)より弥生時代中期後半と考えられる。 SD3(第5・10図)は,調査区東壁のみで確認された。幅は1∼2m前後と推定される。走向 は不明であるがおおよそ東西方向と判断される。深さは30㎝位と推定される。遺物は未検出 であるが,SD1と同様に第5層の下面を掘形上面とすることから近接した時期を考えている。 埋土は砂層と粘土層の互層である。杭1 b
杭2
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第鯛図杭1∼3検出状況(層名は第5図参照)1/20遺 物
第5章 遺
物
囎 土器(第量2図,図版6・7) 本調査で検出された土器は弥生土器を申心に総数230点余りを数えるが,主に溝内埋土よ り出土した細片である。そのため,図化,検討に耐えうる破片はわずか2蓋点にとどまる。これら は出土状況によって大きく3群にわけることができる。 1−4は第8a層から出土した一群である。1は直立する口縁拡張部に櫛描の平行沈線文を施 す甕で,下田所式と呼ばれるものである。4は底部に貼り付け高台を持つ須恵器の杯で,平安 時代前半のものとみられる。 5−18は溝SD2内の埋土に包含されていた一群である。5−15は第(2)層,16は第(5層,17・ 18は第(3)層から出土した。5・6・7・8の甕はいずれも外反する口縁に上下に拡張された端 部が続き,断面は三角形を呈し,拡張されてできた端面には凹線文が施される。また,9の高 杯は「ハ」の字形に拡がる脚部に三角形の透し孔をもち,脚端部は逆三角形を呈するように肥 厚するものである。これら5点の土器は,いずれも従来仁伍式と呼ばれているものに相当する。 17についてもこれらと同様の特徴を示し,第(2層と第(3層の堆積した時間差はさほど大きくな いものと思われる。 19・21は溝SDi内の埋土に包含されていたものである。19・21は須恵器の杯で平安時代前半 頃のものとみられる。 20は出土層位が不明であるが,土師器の皿であり,やはり平安時代前半のものとみられる。 以上,土器を3群に分類し,その各々について簡単な記述を加えた。ここで今一度発掘区内 の状況を整理すると,杭を伴なうSD2は弥生時代中期後半に埋没し,その後,平安時代前 半に至って新しい堆積土(第8a層)が覆い,さらにその土層を掘り込んでSD1が造られた, という有様を復原できる。 注1 山本慶一「倉敷市児島仁伍遺跡」『倉敷考古館研究集報』第8号1973倉敷考古館 量 石器(第13図,図版10−6) 本調査では溝SD2の埋土第(2)層より打製石鎌2点,剥片1点が出土している。いずれも伴出 土器より弥生時代中期後半の時期に限定できよう。第13図1は平基式石鎌である。両面の一部 に素材の剥離面を残している。長さ25耀,幅1.8課を測る。2は先端部を欠失する比較的 小形の凹基式石鍛である。醜面右縁の一部は鋸歯縁となっている。3は剥片である。a面右縁 側は折れており,剥片末端部は階段状を呈している。以上3点はいずれもサヌカイト製である。 3 木器(第15−19図,図版8−10−1−5) 本遺跡では多くの木製遺物が出土した。このうち明瞭な加工痕を有するものは,大部分が弥木 器 1
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10c鵬 第蟹図 出土遺物1 土器遺 物
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第惚図 出土遺物2 石器 生時代中期後半の溝SD2の埋土中から出土した。これらは流れ込んだ状況で出土したものが多 いが,形状は比較的保たれている。また3本の杭が,SD2の底面に打ち込まれた状況で出土 した。 木質遺物のうち用途を推定できるような,いわゆる木器と考えられるものは,わずかに又鍬 と杭のみである。他の加工痕を有するものは,その形状から,棒状の加工木と板状の加工木に 分類した。樹種鑑定を実施していないため,現時点では各木器の樹種は不明である。 又鍬(第15図,図版8−1)は,本調査に入る前の工事立合中に出土した。そのため明確な 出土位置は不明であるが,SD2の埋土中であることは確実である。いわゆる鋸ナスビ形”と称さ れる二又鍬の半分が欠損したものである(第14図)。先端部,上部とも欠損しているが,二又の付 け根部が残存し突起状を呈する。全体的に磨耗しているが,一部に縦 方向の削り痕が見える。緊縛痕は不明瞭である。現存長6α8c肱,幅約 9.5㎝,厚さ約1.3㈱である。
杭(第16図1∼4,図版8−2・3・9−1)は4点あるが,いず
れも上端が欠損しており,うち3点(第16図1∼3)は打ち込まれた 状態で出土した。1は,長さ35.3㎝,直径4c窺であり,先端部は二面 から削られ断面が扁平になっている。4は,長さ37、3㎝,直径5㎝ であり,先端部の削りは他の3点よりやや幅が広い。樹皮がついた ままの木材である。2は,長さ27。3㎝,直径4伽であり,先端部は片 側から削られている。3は,長さ64㎝,直径4・㎝であり,小枝を払っ た枝材を使用している。樹皮はついたままであったが,取り上げの際 に剥落してしまった。 棒状加工木(第16図5,第17図6・7・9・10,第18図U∼14,第19図17 ・19,図版9−−2∼4,図版10−1∼3・5)は11点出土した。5は 長さ20礪,直径4㎝であり,目の詰まった細かい年輪の枝材である。 一方の端部は丸みをもつ加工痕があり,表面には互いに直交し合う擦 翻咽又鍬復原模式図木 器 痕がみられる。6は,長さ25㎝,幅2翻で,正面は主軸に沿った加工痕がみられるが,両側は 保存が悪く不明瞭である。7は,長さ40。2礪,直径27翻であり,枝材を使用している。両端は 欠損しているが,全体の3分の2程度に加工痕がみられる。杭に比較して,加工が細かく, 0 10cm 第褥図 出土遺物3 木器
遺 物 先端は鋭い。9は,長さ姓7備,直径翫3翻であり,樹皮をつけたままの枝材を使用してい る。両端は欠損しているが先端部には細長い削り痕が認められる。 7と同様の製品と考えられる。 10は,長さ7Lgc鉱直径4.4c魏であり,二又にわかれた枝材である。先端部は一部欠損している が大きな削りによる加工が一面ある。断ち割りのような加工痕を示す。頭部は。二又の付け根 にあたり,火を受けて炭化している。11は,長さ64。5礪,直径2.6備であり。樹皮をつけたま まの枝材である。先端部には,断ち割ったような加工痕がみられる。12は,長さ30翻,直径3 c麗であり,10と同じく二又の枝材である。両端は欠損しているが,加工痕は二又の一方に,図 上では右側の先端に断ち割ったような加工痕がみられる。又部を中心にして,一部が火を受け 炭化しているが,この点も10と同様である。13は,長さ38。9c魏,直径2。9佛である。頭部は周 囲を上下二方向から削って円頭状に作り出している。くびれの部分には磨滅痕がみられる。14 は,長さ23.2備,直径9侃であり,太い枝材である。表面はわずかながら面取りの痕跡がみら れ,先端部はつぶれたような状態を示し,二方向からの加工によって尖らしている。その先端 部に炭化した不明物質が付着している。17は,長さ6.5備,直径L2伽で枝材である。上端は 折れている。全面にわたって細い削りで仕上げられている。19は。長さ15.9㎝,幅2。8㎝で あり,断面は四角形である。枝材を分割して形を整えてあると思われるが,片方は破損し加工 痕が確認できるのは一面だけである。 板状加工木(第17図8,第19図15・16・18,図版10−4)は4点である。8は,長さ11.7 ㎝,幅6c禰,厚さ1。lc窺であり板目材である。上部は欠損している。下部は焼失し,炭化が著 しい。前後左右の四面に加工痕がみられ,断面長方形でかなり整った形状を有している。15は, 長さ4L 5 cm,幅13.8c窺,厚さ9。8㎝で,半載した丸太材である。材質は又鍬(第15図)と 同じものと考えられるが,何らかの製品を製作するための,ある程度加工した原材と考えられ る。上面は工事立合中に破損したが,残部は全面に加工痕がみられる。両端は二方向から急角 度で断ち割ったと考えられる。丸太材の外側にあたる部分は面取りされて,丸く加工されてい る。16は,長さ7備,幅6㎝,厚さ1伽であり,板目材である。上部は切断されており,正面 は磨耗のため加工痕は明瞭ではないが,裏面は削り痕がみられる。18は,長さ6。8翻,幅5耀, 厚さ1.2c窺である。下部に斜めに削った面があるが,他には明瞭な加工痕はみられない。 以上,明瞭な加工痕を有する木製遺物について述べてきたが,明確な用途のわかるものは, 又鍬と杭のみである。その他のものは破損品と半加工品で用途は判明しなかった。また,加工 が明瞭でなく報告しなかった遺物のなかにも炭化し,人為の介在したと考えられるものがあっ た。
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第η図 出土遺物5 木器 0 10傭』 11
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第櫓図 出土遺物7 木器 (15は1/6,16∼19は1/3)まとめ
第6章 ま と め
今回報告した小橋法目黒遺跡の発掘調査は工事中発見の調査として実施したものであり,調 査はわずか5m四方という限られた範囲にとどまった。 今回の調査では東西方向に走る溝を三条検出した。年代順にとり上げると,まず調査区の中 央付近に上部の幅が7m程と推定される弥生時代中期後半の溝SD2が設けられている。SD 2は底面に杭をともなう比較的大形のものであるが,同様の溝は岡山市百間川遺跡群などでも 検出されており,おそらく灌概・排水の機能をもつものと推定される。SD2の埋土中に含ま れていた土器片や木器はいずれも器表の磨滅が少なく,付近に居住域のあったことが推定される。 次に調査区南側に平安時代前半の溝SDlが設けられている。また調査区北側にも溝SD3 の一部を検出したが,出土遺物がなく明確な時期は決定できなかった。しかし層位よりSD1 と相前後する時期のものと考えられる。第20図は津島キャンパスー帯の水路と小字名を示した ものであるが,東西方向に並行して走る水路やそれと直交する水路が存在している。また,小 字名の中に「一之坪」,「二之坪」,「三之坪」などの地名がみられ,この地域に条里制地割の施 行されていたことがうかがえる。したがってこれらの溝が本来は条里制施行段階の坪境を踏襲して いる可能性は高いと考えられる。現在の大学敷地は明治年間に建設された陸軍屯営の跡地にあ たり,大規模な造成によって多くの水路は敷地を迂回させられている。 魯N ・:浬坂:魯北小橋 塚之元 ・;:お壕さま古填て推定填)::∵ 山東 山東山西 ::イツクシ叫; 向畑’エ山
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西 畑 1 ㍉ 怦 沖之黒 E一黷k〔
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諱@13図2
諱@13図3
石 鍛 ホ 鍛 香@ 片 SD2 (2) rD2 (2) rD2 (2) 2.5 i1.4) P.7 1.8 P.3 i1.3) α3 O.3 O.3 1.3 O.4 O.6 サヌカイ ト Tヌ カイ ト Tヌカイ ト診
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1 SD2出土土器
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19 20 21▼ 図 版 八 出 土 木 器 (1)
1 又鍬
図 版 九 出 土 木 器 (2) 1 杭3 (拡大) 2 棒状加工木5 (拡大)
図 版
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出 土 木 器 (3) お よ び 石 器 1 棒状加工木10 2 棒状加工木12 3 棒状加工木17 1 2 6 石器(1・2石釜族3剥片) 3醗 昭和60年4月30日印刷 昭和60年5月 7日発行