子どもの芸術品
―バレエを始めたきっかけを教えていただけますか? 昔戦争中、町内に回覧板ってのがあったのね。それを ある日私が隣のブロックにね、 おつかいで持ってったの。 そこが偶然モダンダンスの先生の家だったの。それで先 生 の お 母 様 が 出 て ら し て、 「 習 い に い ら っ し ゃ い 」 っ て 言われたの。好きでもなんでもなかったのよ。昔の子ど もってね、大人の言うことって「はい」って聞くように なっていたのよ。で、 言われたから 「はい!」 って言って。 それから始めたの。だからスタートはね、偶然なのね。 ―子どもに芸術を伝えていきたいということが「かぐら むら」のHPに書かれていたのですが、それはなぜです か? 私ね、青少年音楽協会っていうのでね、理事やってる の。これはエロイーズ・カニングハムっていうアメリカ 人 の お ば あ ち ゃ ん が 始 め た の。 「 音 楽 は 心 の 栄 養。 血 や 肉を付けるために、子どもたちがとにかくご飯を食べて 身体の健康を保つのと同じように、脳と心に、子どもの うちから音楽を与えないと、 栄養失調になっちゃう。 」っ ていう彼女の理論の下で活動しているの。私、彼女とあ る日仕事で出会って、意気投合したの。 彼女は戦後の日本の子どもたちがほんとに悲惨な状態 なのを見て、今こそ自分の理念を実行しなきゃって思っ た ら し い の。 そ れ で、 音 楽 会 を プ ロ デ ュ ー ス し 始 め て、 日比谷公会堂でサンデーアフタヌーンコンサートってい うのを定期的に続けたのね。そのオーケストラっていう のは、今は NHK 交響楽団になっているの。 7 年 前 に ね、 彼 女 1 0 1 歳 で 亡 く な っ た ん だ け ど、 1 00 歳までね、ちゃんとプロデュースしてたの。 ― 1 00 歳まで !?すごいですね~。 子ども劇場っていうのも彼女と 40年続けたの。それ アグネスホテルのすぐ隣に、不思議な家がある。 -ここはなんだろう?お家かな…?違う。 ふと、家の中からクラシック音楽が聞こえてきた。 -サイガ・バレエ研究所…?バレエ教室なんだ! 耳を傾けると家の中から女性の声も聞こえてきた。 私は階段を上り、玄関まで続く小さなトンネルのような細い道を眺めた。 -入ってみたい! そう思ってインタビューを申し込んだ私を迎えてくれたのは優しい笑顔の女性であった。 「おはようございます。」 「おはよう!雑賀淑子です。さぁいらっしゃい!」生涯の宝×バレエ
サイガ・バレエ研究所
舞踊家 雑賀 淑子さん
文・中村 友香 で、~偶然の出会いから見つけた命にも代えられない大切なもの~
彼女が亡くなってしまった時遺産も少しあったので、じゃあ 事務所を続けましょうってことになって、私はその仕事を引 き継いでるの。ほんとに今ね、子どもたちっていうか青少年 の犯罪も多いじゃない? ―はい。多いですね…。青少年犯罪が増えている原因って何 だと思いますか? やっぱり、子どものうちから文学や音楽などの芸術に触れ な い か ら じ ゃ な い か な? つ ま り、 い ろ ん な 本 読 ん で る と さ、 自分よりもっと不幸な人の話とかを小説家が書いてるじゃな い。それを読むことで、 人ってこういうこと考えるのかとか、 心の中にこういう黒い悪魔が住んでいるのかとかがわかるわ よね?で、同時にいい音楽を聞くとさ、神様がくだすった安 らぎの時間みたいなものを感じられるわね。それを知らない で育つと、挫折した時なんかひたすら視野が狭くなって、人 を恨んだり、犯罪に走ったりするんじゃない? ―そうですね。そんな子どもたちはこれから増えていくのは 悲しいですね…。 だから私は今ね、いいバレエを子どもたちに観せて、お客 様もそうだけど、 習いに来ている子どもたちにね、 「バレエっ ていいもんだ」 、「音楽はいいもんだ」って思ってもらいたい の。私、 子どもの芸術品をつくろうと思って頑張ってるのよ。 いい子をつくろうと思って。あたしが考える「いい子」だか ら、 ちょっと世の中と違うかもしれないけど、 礼儀正しくて、 我慢強くて、優しさも持ってる子を。 だから、子どもに観せるのも仕事だし、お稽古に来る子ど もたちを育てるのも仕事だと思ってやってるの。 ― で は バ レ エ を 通 し て 人 を 育 て て い き た い と い う こ と で す か? はい。 でもなかなかね、 理想と現実はいろいろ食い違って、 お母様が怒鳴り込んで来たりとかいろいろあるけど、くじけ ないの!天国に逝っちゃった仕事仲間のカニングハム女史に 私が死んだ時、 「あんた、何やってきたのよ。 」なんて言われ な い よ う に。 「 こ れ だ け や っ て き ま し た ~!」 っ て 威 張 ように頑張ってるの! ―今までに芸術が子どもたちに伝わったと感じられた時はあ りますか? そうね、例えば一昨日はインターナショナルスクールの子 どもたち 5 00 人にバレエを観せたの。その時子どもたちが ね~、吸い寄せられてくるの。気が伝わってくるのよ。気っ てあるわよ~、やっぱり。私ね、世の中にもし無心論者がい たとしても、 「気」は絶対に無心論者の人も認めると思うの。 そういう空気があるわね、吸い込まれるような。 そ う す る と こ っ ち も「 い い も の や ん な き ゃ。 」 っ て、 で気が動くのよ。 それを感じるのが無常の幸せね。 もうね~、 その時間があれば末はそこで(庭を指差し)青テントでもい いって感じよ(笑) 。 ―踊りの技術の他に、バレエを通して身に付くことなどはあ りますか? そうね~。そもそもバレエってね、ルイ 14世の時代に今の バレエのメソッドが確立されたの。農村で収穫が多い時に村 人が喜んで踊るステップとか、ギリシャなんかで神様に捧げ る踊りとか、太陽信仰の踊りとかもあるの。そういういろん なステップを、ルイ 14世がひとつの学問的解釈でもって体の 動きにして基礎をつくったのよ。 王様なのよ、 ルイ 14世って! そ ん な 人 が 基 礎 を つ く っ た の っ て す ご い こ と よ ね。 そ ちっとした動きの中には、宮廷のマナーのようなものが入っ てるわけね。 ―どういった動きがあるんですか? 例えば、男性は女性に対して一歩下がって手を前に差し伸 べてあげるとか、王様に対して召使いがお辞儀をする姿勢と か、そういうものが吸収されているの。だから、バレエをき ちっとやると身のこなしが優雅になって、国際的な礼儀作法 も身につくわね。 、
日本人だからこそ
―琵琶をやってらっしゃるということを 伺ったのですが… 琵琶を始めたのは 55歳なんだけど、私 は 8 歳からずっと西洋音楽の中にいたわ け よ ね。 そ れ が い つ も 私 の 心 に 引 っ か か っ て い た の。 20歳 で パ リ に 行 く ま で、 小牧正秀先生のやってらっしゃる小牧バ レエ団で踊っていたのよね。そこは正統 派 の バ レ エ 団 で、 『 白 鳥 の 湖 』 と か『 眠 れる森の美女』とかいわゆる古典作品と 呼ばれるものをやって、疑わずにいたわ けよね。 で、パリへ行って、鏡を見たら、きっ た な い 猿 み た い な 女 が 映 る の よ( 笑 )。 誰だと思ったら、私なのよね。で、やっ ぱりね、ルイ 14世からの伝統で、本当に 優雅でバレエに向いているのはフランス 人なのよね。残念ながら。 ―そうなんですか。やっぱり国によって 向き不向きってあるんですか? そうね。私、パリでの 2 年間、死に物 狂 い で バ レ エ を 勉 強 し た の ね。 そ れ で、 そ こ そ こ い ろ ん な こ と が 身 に つ い た け ど、 い つ も 心 の 中 に「 私 は 東 洋 人 な ん だ」っていうのがあって。最終的にバレ エは、東洋人にはある意味で向かないの よ。バレエのレッスンは、身体をつくる ためには良いけど、古典作品を一緒に 踊った場合、絶対にフランス人には敵わ な い っ て、 2 年 間 で 骨 身 に 沁 み て、 迷 い つつ悩みつつ日本に帰って来たわけね。 ―東洋人にはバレエは向かないんですね …。でも今日本人でも世界的に有名なス ターがいらっしゃいますよね? そうね。今はそこそこ日本人も体格が 良くなったし、 レベルもアップしてるし、 教え方も良くなったからね。昔みたいに ね、腿が太くてね、ただ頑張ってるって いう「日本的頑張リズム」でやってるっ て人はいなくなったから、ある意味では 国際的になったの。だけど、それでも根 本 は 西 洋 人 向 き な の。 例 え ば『 忠 臣 蔵 』 をね、 全部白人でやってごらんなさいよ。 気 持 ち 悪 い で し ょ? ど ん な に 上 手 で も。 要す るに、それなのよね。まだそこら辺 に 関 し て 疑 問 が あ る か ら、 「 日 本 人 に 合 う創作を。 」って、心の中で思ったの。 その時にまずね、自分はずーっとバレ エやってきて西洋音楽の中に浸ってたか ら、それまで邦楽なんてのに全然関心な かったんだけど、とにかく日本の心を知 るには、まず邦楽をやってみようと思っ て、いろいろ考えて琵琶を始めたの。 ―それが琵琶を始めたきっかけだったん ですね。 琵琶を始められたことでバレエの作品 づくりに影響はありましたか? 例えば、琵琶曲の中に『春の宴』って いう名曲があるのね。それは源氏物語の 一 部 で、 光 源 氏 が 自 分 の 館 の お 池 に ね、 船を浮かべて紫の上と一緒に船遊びをし て桜を見ている情景を唄ったものがある の。 そ の 船 の 上 に 乗 っ て る 情 景 を バ レ エにしたんだけど、とても綺麗で評判が い い の。 こ う い う 作 品 だ と や っ ぱ り ね、 「 パ リ オ ペ ラ 座 の 一 番 上 手 な 人 が や る よ りも、うちのダンサーの方がいい」って いう作品ができるのよ。さっきの忠臣蔵 じゃないけどね。そういうものをつくっ て や っ て い け る と い い な っ て 思 っ て、 ずっとやってるの。創作バレエでも日本 人であることがハンディキャップになら ずに、逆に「日本人だからこそ踊れるっ てものをやっていかないと。 」と思って。 だって、ずっとさ、ルイ 14世の…フラ ンスに劣等感を抱いたまま、暮らしてい くのって寂しいじゃない。舞台人
―先程留学に行ったとおっしゃっていま したが、そこで何か得たことはあります か? 私が戦争中やっていたのは、いわゆる モダンダンスで、前にも言ったように最 初好きでもなんでもなくやってたんだけ ど、戦争が終わって田舎から戻って来た 時に、今度は同級生からバレエに誘われ たの。それで小牧バレエ団に行くことに なって、ズルズルやってるうちになんと なく外国に憧れを持ち始めたの。最初ア メリカかぶれになって、今度はフランス かぶれになって。で、なんとなく、かっ こいいから行こうなんて思って、フラフ ラと留学生の試験受けて…。だからきっ と縁があったんでしょうね。昔ロシアで レニングラードバレエの一番偉いプリマ バレリーナだった、オルガ・ブレオブラ ジェンスカ先生のお稽古は世界的に有名 なダンサーが集まるんで、紹介状もらっ てそこへ行ったのね。 ― 留 学 も な に げ な く 行 っ て み た ん で す ね。 うん。でもそこでフラフラと何気なく やっている私の根性を叩きのめされたの ね。とにかくまず、命がけじゃなきゃ駄 目なのよ。留学して最初は先生に気に入 られてたんだけど、そのうちにものすご く嫌われてね…。 で、あんまり先生が冷たいんで涙ぐむ と、 今 度 は ね、 「 お ま え の そ の 陰 気 な 顔 は 見 た く な い。 出 て 行 け。 」 っ て 言 わ れ て。フランス語で「アラポルト」って言 うんだけど。 私が泣きながら外へ出ると、 アシスタントのおじいちゃんが追っかけ て来て、 「帰れと言われてなぜ帰る。 」っ て 言 う の。 「 ど う し て?」 っ て 思 っ た ん だ け ど、 「 帰 れ と 言 わ れ て も ド ア の 外 で 待ってなさい。そういうことも必要なん だ。 」 っ て 言 わ れ て。 だ か ら 仕 方 な く、 ドアの外で待っていると、ややあって先 生 が 来 て ド ア を 開 け て「 入 っ て き な さ い。 」 っ て 言 っ て く れ た の。 そ の 時 帰 っ てたら、もう先生とはおしまいだったの ね。 で も ね、 そ の 後 も、 「 ず っ と 前 か ら 先 生を尊敬してる」っていう私の気持ちが ちっとも通じなくて、ひたすら嫌われる わけ。 ―尊敬している人に気持ちが伝わらない と辛いですよね。 うん。それで、ある日、もう行くの気 が 重 か っ た ん だ け ど、 練 習 に 行 っ た の。 それで周りの様子を窺ってたら、私と同 じように、先生にすごい怒られて、嫌わ れて、いつもいじめられているアメリカ 人の男の子がいてね。で、何でだろうっ て思って観察したの、 1 ヶ月ぐらい。 ある日レッスンの帰りにその嫌われて いる男の子が喫茶店で「自分はちゃんと やってるのに、なんで先生はあんなに厳 し い ん だ。 も う あ の 女 は 嫌 い だ。 」 っ て 言うのを聞いてハッと思ったのね。私と おんなじだと思って。それで思い当たっ た の。 つ ま り ね、 バ ー に つ い た 時 に ね、 その人がまず先生に嫌われてるってこと で、最初っから態度が暗いの。で、先生 は暗い人が嫌いなの。嫌われると落ち込 ん で お ず お ず し て も っ と 気 が 暗 く な る じゃない?そうなるとね、できることも できなくなって、 いじけてくるじゃない。 先生はますますそれを怒るわけ。そうす ると、どんどん落ち込んでって関係がま ずくなる。 ― そ ん な 状 況 か ら 雑 賀 さ ん は ど う 立 ち 直ったのですか? 私 研 究 し た ら、 先 生 に 叱 ら れ て も ね、 いやに可愛がられている人もいたのよ。で、その好かれる人を見てたら、その人 が 朝 来 て、 「 先 生 お は よ う。 」 っ て 言 っ て バ ー に つ く と オ ー ラ が 出 て 明 る い の よ。で、叱られた時にめげないのね。叱 ら れ る と「 な に く そ ー。 」 っ て ね、 先 生 が 止 め て も「 も う 一 回 や る か ら 見 て く れ ー ー っ。 」 っ て ね、 ス ト ッ プ か け て も まるで無我夢中でやってね。そうすると 先生がもう、 「お前は馬鹿だ。 」って言う んだけどそれが可愛いのね。それで気が ついたの。そのオルガ先生は舞台人をつ くってるわけよ。先生のレッスンに来る 人って世界的なスターばっかしだったか らね。私、それに気がつくのに 3 ヶ月ぐ らいかかったかな~。 で、初めて嫌われる理由がわかった上 に、舞台へ出る人は「かくあるべき」と いうことを教わったわね。誰もそんな落 ち込んでいる人にお金を払って、その人 が踊ってるの見たくないじゃない? ―そうですよね。 ストレートに辛いことや悲しいことを 稽 古 場 や 舞 台 で 出 し た ら 駄 目 な の よ ね。 舞台に出たらもうそこは別の次元。例え ば『白鳥の湖』だったら湖のほとりの森 の 世 界 だ し、 『 眠 れ る 森 の 美 女 』 で 宮 殿 に出てったらそれはもう、シャンペン飲 んで毎日ダラダラ暮らしている貴族の雰 囲気がなきゃいけないのよ。それをその 先生に教わったわ。 ―そのことに気づいてから、先生との関 係に変化はありましたか? それからはね、とにかく元気に明るく し て ね。 何 回 も 踊 っ て「 先 生 ど う? ど う?」ってやったの。そしたらもう可愛 がられて、可愛がられて。私のキャベツ よ、私の小鳥よで。あまりに可愛がられ て「お前がいないとなんか寂しいからい て く れ。 」 っ て 言 わ れ て、 あ た し 1 日 3 クラスずっとやってたの。それでとうと う膝痛めちゃって…。 ―そうなんですか !? うん…。それでまた大変な時期があっ たんだけど、それでもね、命にも代えら れない大切なものをもらったわね。踊る 魂と、舞台人は「かくあるべき」ってい うことを。もう宝よ、それは。生涯を通 じて。 だから私ね、舞台へ出る人間ならば、 そういうふうにしてつっぱってなきゃな ん な い っ て、 そ れ が お 客 様 に 対 す る マ ナーだっていうのをオルガ先生に教わっ たわね。 やっぱりほら、 素敵な人ってオー ラが出てるじゃない?役者さんでも、歌 手でも。 だから、 その先生に出会わなかっ たらあたしバレエ辞めてた…。 それからはね、そんないい加減な気持 ちでやらないようになったの。その留学 していた 2 年間でしごかれて、バレエ命 になったわね。 ―すごい!とても大きなことを得た 2 年 間だったんですね。 留学してある意味で不幸も背負ったか もしれないけど、でも、私は幸せだと思 う わ よ。 こ う い う こ と 続 け て い く っ て やっぱり苦労も多いけど、それを不幸と は思わないわ。 ―最後に、仕事のやりがいはどのような ところで感じられますか? そ う ね ~。 私 の つ く っ た バ レ エ を、 お 客 様 が 喜 ん で 言 っ て く れ る「 良 か っ た ー。 」「 楽 し か っ た ー。 」 の 一 言。 も う それが私にとって、最高の喜び。そのた め に 何 ヶ 月 も 苦 労 し て バ レ エ つ く っ て …。その一言で報われちゃうわね~。 だからバレエ馬鹿なの、他には何にもい らない。 ―素敵です!そう思えるようなものを私 も見つけていきたいと思います。 ありがとうございました。
教室には白いカーテンが風にたなびいていた。 この清々しい空間をつくっているのは踊っている生徒さん、指導している雑賀さんである。 雑賀さんは、そんな教室で動作を交えながら気さくにインタビューに応じてくれた。