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ネパール・ルンビニ開発計画 : 先進国援助による開発計画の現状と問題: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

ネパール・ルンビニ開発計画 : 先進国援助による開発計

画の現状と問題

Author(s)

小野, 啓子

Citation

地域開発(313): 52-61

Issue Date

1990-10-01

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10028

Rights

日本地域開発センター

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- 研 究 報 告 ・

ネパール・ルンビニ開

発計

先進国援助による開発計画の現状と問題

計画技術研究所 小 野 啓 子 1. はじめに どこまでも畑の続くネパール・タライ平野の 平原でいま.1960年代の終わりから,国連の援 助によって,日本の丹下健三氏がマスタープラ ンを描いたルンピニ開発計画の建設が,ゆっく りとではあるが進められている。釈迦生誕の地 とされる当地を,観光と巡礼の拠点,同時に平 和研究の国際文化センターとして,開発・整備 しようという計画である。 計画はしかし,難航を続けている。完成のめ どはたっていない。発端から 23年,マスタープ ランの完成から12年。開発に対する世界の思潮 も大きく変わった今日,なぜ,いまだにこのよ うな図式的なものを,ネパールという自然と文 化の豊かな固に,しかも先進国の援助によって, と嘆息するのは,筆者だけではないだろう。 本稿は,ネパールという発展途上国に,国際 援助によって行われたある開発計画の現状と問 題についての論考である。ルンビニ計画は,近 代合理主義的な建築 ・都市の考え方と,固有の 風土の対比が端的にあらわれている一例であ

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Vルンビニ開発計画マスタープラン模型 (rルンピニ釈迦生誕の地J1979年,国際連合発行 のパンフレットより)

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る。が,そこにあらわれている問題は,特殊で も個別でもない。国際援助の問題として,先進 国の誰しもにかかわってくる以上に,現在の私 たち自身をとりまく都市開発・地域開発の問題 と,実は根を同じくしている。 2. ルンビニ開発計画のあらまし (1 }発端とその背畢 (-1967年) ネパールはヒマラヤ山脈の南麓,人口

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万人の王国である。日本よりひとまわり小さな 国土であるが,複合的な民族構成に加え,年聞 を通して雪の耐えない高山から亜熱帯の平原ま で,多様な文化と風土をあわせもつ。 さて,釈迦生誕の地とされるルンピニは,ネ パール南部・タライ地方の平野部に位置する。 「ネパールの穀倉」といわれるこの一帯は,イ ンドとの国境に近く,民族・言語 ・宗教と も, 非常にインド色が濃い。釈迦が,この地に生を うけたのは,紀元前5世紀のことといわれ,前 3世紀には北インド・マウリヤ国のアショカ王 もルンピニを巡礼し,その生誕を記念する石柱 を建てている。 しかし仏教が,その発祥の地・インド大陵で の勢いを失うと,ルンピニも忘れ去られ,土に 埋もれていった。その昔, 美しい園であったと ネパール・ルンピニ開発計画 企周辺の農村風景 伝えられる聖地ルンピニが,再びその名を世に 知られるのは19世紀末,西欧諸国による近代考 古学調査時代のことである。何世紀もの失われ た年月は,昔日の楽園の風景を,開拓され尽く した平原に一変させていた。 1967年 4月,時の国連事務総長ウ ・タント氏 がネパールを公式訪問,釈迦生誕の聖地ルンビ ニを訪れた。 「私はその隔絶され, 一般の巡礼者や観光客の 訪問が,極めて難しい状況に驚いた。J1) ウ・タント氏の訪れた

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世紀のルンピニは, 小さな寺院が

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,アショカ王の建てたとい う古ぼけた石柱と,沙羅双樹の木が数本あるだ けの寂しさであった。まわりの住民はモスリム とヒンドゥ教徒がほとんどで,夏には交通路も Vルンビニ・センターおよび文化センタ一部分鳥撒図(“LumbiniThe Birthplace of Budda" United Nations, 1983より) う

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ネパール・ルンピニ開発計画 閉ざされてしまう。 みずからも敬慶な仏教徒といわれたウ・タン ト氏は,この仏教聖地の絞れた様相をいたく嘆 き,当時のマヘンドラ・ネパール国王にこの地 の開発と整備を進言する。これをうけたネパー ル政府はだたちに国連に協力を要請,計画のた めの準備委員会が国連内に組織され,ルンピニ 計画ははじまった。

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マスタープランの完成まで

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年) 計画の最初の草案は, 1969年につくられてい る。 国連派遣調査団の報告書2)によると,計画地 は

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,アショカ王の石柱を中心とする聖園, 各国の僧院が集められる僧院地区,宿泊施設や サービス施設のある巡礼者村によって構成され る。巡礼者村には学校や病院といったコミュニ ティ施設も設けられ,地域社会に貢献すること になるだろう。 報告書は述べている。 「ここで建築家に課せられている非常に困難な チャレンジは,この地の歴史的・文化的側面を, 釈迦のことばの普遍性に照らし出し,人々の安 住と幸福をめざして, 20世紀の視座から表現す べきことである。」 そしてデザインは, 「単にー宗教や一国家の偏見にとらわれるもの であってはならない。」。 こういった計画の骨子,考え方の基本は10年 後,マスタープランが完成するまで変わること はない。ユニヴァーサルなデザインが,計画の 全体を貫いていく。 翌70年, 13カ国の参加を得たルンピニ開発委

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員会が正式に国連本部に組織され,マスタープ ランは日本人建築家丹下健三氏に委託された。 国際的な評価も高く,かつ仏教の伝統を持つ アジアの建築家であった丹下氏は,当時すでに 活躍の場を海外に広げつつあった。その都市ス ケールの近代主義デザインにより,丹下氏以上 の適任者はないとされたとしても不思議はな

同年,国連が発行したルンピニ計画のP R冊 子には,全体を貫く象徴的な軸線に特徴づけら れたマスタープランの構想が発表され,開発協 力を求めるメッセージが,世界各国に送られた。 1972年には実施計画概要ができあがり,マス タープランの設計は詳細なレベルへと移ってい く。近郊都市からの20kmのアクセス道路の建設 もはじまり,土地の収用,敷地内住民約1,100 人の移住もはかられた。 この時期,丹下氏側の要請もあり,ルンピニ 計画を広域地域の中で位置づける調査報告が, ネパール政府と国連によって行われている3)。 この全国5カ年計画にそう総合開発計画では, ルンピニは平野部と丘陵部を結ぶ南北の交通路 の要所となり,また山岳・丘陵部に限られてい たネパールの観光を,南部の平野部へと多面的 に広げる新しい観光開発の拠点としてとらえて いる。同時に近郊農村のコミュニティ調査4)も 行われ,ルンピニ開発にともなう周辺地区の農 村開発・社会基盤整備の必要性が,重ねて指摘 されている。 しかしいずれも具体的な実施計画をともなわ ず,「開発が行われれば国がうるおう=国がう るおえば地域に還元される」式の考え方に退行 してしまう。このような調査があったことさえ,

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...竣工した博物館と図書館 現在知る人はほとんどいない。 一方マスタープランは遅れながらも最終化の 作業が進められ,

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年に詳細な基本計画の完 成をみた。 聖園,僧院地区,新ルンピニ村の他,文化セ ンターには,博物館,図書館,研究所,視聴覚 ホールなども設けられる。1X 3マイルの敷地 を均等に分割した

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のグリッドラインを基準 とし,ダイナミックな軸線,象徴的な水系形態, 動線計画からは, ドラマチックな聖域空間の設 定を読みとることができる。 建造物の総床面積は 3万4,400m',概略完成 時の年間訪問者数を 22万人から 27万人と想定, 第

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段階の完成は,

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年が目標とされた。

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現状 :マスタープランの建設

(-1990

年) マスタープランが完成すると,引き続き国連 の援助によって実施設計が進められた。中心部 の主な建築物と外構のマスターデザインを担当 した丹下事務所は,建築デザインの最終案化を 行う。ここで採用されたのが直径6mのレン ガ・ヴオールト構造のデザイン ・システムであ る。ローカルな材料でユニヴァーサルな表現を, うう ネパール・ルンビ二開発計画 という設計理念によっている。が,この構法は 耐震設計などで難航し,解決のための十分な予 算を欠いたため,実施設計は遅れる。財政面で の国難な状況は続き,やっと最初の本格的な施 設の建設が開始されたのは,

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年春のことで ある。 構法上の問題が解決しないまま, しわょせが 現場に持ち込まれ,ヴオールト構造の建設は困 難を極めた。結局レンガの1個1個を銅線で躯 体の鉄筋に結びつけるという芸当をやってい る。

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年,博物館と図書館が竣工したものの,大 ガラスやスカイライトなど,多くの建築部品が 輸入製品に頼られ,床面積あたり,ネパールの 標準の5倍以上の高い資金が投入される結果と なった。 竣工はしたものの, 利用の見通しがない。全 館空調を前提とする建物でありながら,電気も 水もなく,誰がどのように運営するのか,そも そも中身はどうするのか,めどはたたぬままで ある。この他,巡礼者用の宿泊施設も完成した が,まだ建築計画全体の1割に満たない。

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年の現在,引き続き国連の援助を得なが Vレンガによるヴオールト情造の情物館

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ネパール・ルンビニ開発計画 ら,財政面での援助協力を各国に呼び掛けつつ, 次の建設段階を待っている状況である。 3. 何が問題となっているか (1)主体の不在 ルンピニ計画を難航させている最大の問題 は,主体の不在である。誰が何のためにこの計 画を行っているのか,どんどんわからなくなっ てきている。 国連で,具体的に計画の援助にあたっていた のは. UNDP (国連開発計画)である。 UNDPによる援助とは計画の青写真作りや運 営面一一つまり,「ソフト」に限った援助である。 したがって,実際の建設費用など,「ハード」 そのものには,金を出さない。この点で,開発 に融資などを行う世界銀行やアジア開発銀行と は大きく性格を異にする。しかし,この国連と いう外部組織が計画のソフ ト作りを請け負った ことが,計画の主体をあいまいにする結果を招 いてしまう。 マスタープラン作成の費用をもっ国連が,マ スタープランナーと契約を結び,マスタープラ ンを作成する。 もちろんネパール側の関与もあ るわけだが,国連が建設の費用を直接もってく れることはなくても,寄付を募る運営面での援 助はしてくれるというのだから,計画は立派で 見栄えがする方がよい。 計画の内容が,ネパール一国の許容能力を越 えていた。それを補正する機能をパックアップ 側ももたず,反対に,主体,いわば運転手の能 力を,存在さえもあいまいにしたまま,親切に 列車を発車させてしまった。運転手を欠いた列 車に自己制御機能はすでになく,行き先も,何

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企計画地にたつマスタープランを示す看板 が適正かも,見極められない。 計画の主体が空洞化しながらも,マスタープ ランはなおかつ理路整然、と進められていく。第 三者の手から第三者の手へ,組織から組織へ, 本来ならば現場の実情にあわせて差し戻しを繰 り返しながら,判断を重ねていくべき部分も, 修正なしに詳細まで詰められてしまう。国連, ネパール政府,マスタープランナーが,それぞ れ調和したひとつの実像を描いていたはずで、あ りながら,いつのまにかぶっんぶつんと切れた 組織と組織のあいだに足をはさまれたまま,動 きがとれなくなっていく。 (2)マスタープランの問題点 ネパール政府にとってのルンピニ開発計画 は, 単なる整備・開発計画以上の政治的な,シ ンボリックな意味合いを含んでいた。

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年代の 後期,「近代」化に遅れて出発した内陸の農業 国にとって,それは自国が誇るべき文化・歴史 的遺産の発掘を意味し,世界にネパールをア ピールする画期的に華やかなイメージを映しだ していた。 しかし,その描かれた「近代」そのもの,マ

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スタープラン自身,実際はいくつもの問題をは らんでいたことは,先進国と呼ばれるところで, 私たちがすでに経験してきたはずである。 ①デザインが風土性を軽視している。 タライの気候は厳しい。乾期の終りには熱風 が吹き,気温は摂氏

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度を軽く越えてしまう。 年間の降水量が

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ミリというアジ ア・モンスーン地帯であり,しかもその8割が, 雨期の3カ月に集中する。 ところが全体にシステマティックに用いられ ているレンガ・ヴオールト構造は,本来降水量 の少ない地方の構法であり,そもそも無理が多

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水路を掘る労働者たち (世界食精機構 (WHF)の援助を受けている) V中央水路部分 う

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むろん経済的な裏付けがあれば,技術的には 可能である。ここには砂漠も熱帯も,どんな自 然条件でも克服できるという技術観がある。完 全空調を必至とするデザインにもその考え方が 顕著にあらわれている。加えて維持・修復の困 難な構法である。 ②計画のスケールが大きすぎ,非人間的であ る。 規模が威圧的であるだけでなく,建物と建物 の関係,細部のスケールまでが,全体を分割し ていった数字に支配されている。ドアの高さ, 階段の蹴上から,果てはごみ箱の大きさまで, 本来は人を基準にすべき部分もこういった機械 的な数字に基づいている。些末な話であるよう だが,このような細部にも,ひとつの価値観が 明瞭にあらわれている。 ③建築計画が,全体のモニュメンタリティに 支配されている。 鳥隊的には美しいデザインも,細部が貧しい。 不要な苦痛を強いる空間の作られ方が目立ち, 利用者の軽視が顕著である。設計者の論理でい えばシステマティックで合理的な建築も,使う 側からみれば不合理である。博物館や図書館も, 全体の統一的なデザインにそうが,機能的な無 理が細部にあらわれている。 ④利用者の自主性を拒むプランである。 歩行者の動線計画は明快でドラマチックな展 開に設定されているが,単線で,面としての広 がりを持たない。設計者の設定以外の可能性は 地域開発 90・10

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ネパール・ルンビ二開発計画 排除され,雑多なものを寄せ付けない仕組みが たくみである。 ⑤マスタープランが硬直的である。 国際的に組織から組織をわたった分業の明確 な計画であったため,設計から建設までの過程 が一方通行であともどりがきかない。将来の可 変性が考慮、されているといってもマスタープラ ンの大枠の完成が前提である。計画を縮小せね ばならない状況では不合理を強いられ,このよ うに計画のスケールが大きく時間がかかる場 合,半端な機能を何年も引きずっていかねばな らない。 高価な技術,大きな負荷を選んだルンピニ計 画の建設費用は,ネパール自身の経済事情から どんどん誰離していく傾向がみられる。 マスタープランの完成には,順調にいってあ と80億円が必要とされている。総工費の概算は, 当初の予算の11倍,年率14%のインフレーショ ンを 20年間課し続けた数字となっている。とこ ろがこの間,ネパールの経済成長率は常時年率 2-3%にとどまっているうえ,国民1人あた りGDPは, 80ドルから 160ドルと,わずか 2 倍になったにすぎない。計画の自律的な制御機 能が失われている印象を,つよく与えられる。 いっそう外国援助に頼らざるをえない。 (3)r近代」的開発観 「ここには何も存在しない。すべてが創造さ れねばならないJ(1970年,ルンピニ開発計画, 国連発行パンフレット) ルンピニ計画のマスタープランナー,丹下健 三氏は, 1933年, CIAMによるアテネ憲章に

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ついて,「20世紀前半の建築と都市設計の方法 に秩序を与え,建築文化の創造に対して大きな 貢献をした」と述べている5)。その観点からす れば,ル・コルビュジェによるインド・チャン デイガールは「アテネ憲章適用の輝かしい例」 であり,ブラジルの新首都プラジリアは r20世 紀前半の偉大な文化形成の1つの例」であった。 たしかにチャンデイガールもブラジリアも, 今世紀の記念碑的な都市計画には違いない。だ が,そこに輝きはない。むしろ図式的なものを 降って湧いたかのようにつくることの矛盾と車L 蝶を明らかにした好例であった。ルンピニ計画 のスケールは,これらの近代的都市計画の比で はない。しかし,同様の理念が個々の建築の細 部にまで貫かれている。 丹下氏のいわれる「秩序」とは,人間が意図 的に創造するものである。 「第三世界での国々での関心事は,むしろ技術 の進歩であり,そして環境をいかによい水準に していくかということであって,“われわれに とっての公害はむしろ貧困そのものである"と いわせたものでありました。彼らにとって必要 なものは急速な経済成長であり,より進歩した 人口の Habitat の建設でありますJ6) 南北聞の経済格差を縮め,先進国に対抗しう る経済力をもって「近代」技術を獲得し,発展 途上国の環境水準を高めるべきだ,というその 価値観においては,風土とは克服の対象であり, さまざまな文化の発展していった先には,普遍 的な未来像がある。 が,本来の秩序とは「近代」の「秩序」ほど 硬直的で無機的なものではない。人も文化も自 然も生きている。常に変化を繰り返しながら,

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綿々と続いていく中で育まれてきたそれぞれの 合理性が,どんなところにもかならず存在する。 そういった既存の環境のあり様を理解すること なしにつくられた「全体構造」は,環境の創造 以上に破壊をもたらし,その周辺を単に自らの 創造の余白としてしまう倣慢なものである。 環境は個人の独創で唐突にできるものではな い。風土を克服の対象とし,自らの図を誇示す る構造はおかしい。完成し,走りはじめるとど んどん負荷が大きくなっていくような構造は, もっとおかしい。 (4)ルンビニ計画の行方 計画の根本的な見直しが必要とされている。 20年という時間は,それなりの現実をもたら した。急激な変化ではなかった点は,かえって 評価されよう。 唯一成功裡に進んでいる植林は,それが高価 な資財を必要とせず,現地調達可能で労働集約 的であったという点で,ネパールの実情にか なっていたからである。何が適正であり,何が 不適正であったかを,きちんと評価しなくては なるまい。開拓されつくした平原に生じた新し い森林にはインドからの珍鳥が飛来する。野鳥 のサンクチュアリとして,すぐれた場所になっ ていくだろう。 マスタープランの見直しは必要である。しか し,もっとも要されているのは,単なる図面の 再検討ではなく,だれが何のためにこの計画を やっているのかという,計画の主体性の確保・ かたち以前のヴィジョンの再検討である。 この計画が今後,地域の自立と充実した発展 につながっていくことが究極的な理想である う

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ネパール・ルンビニ開発計画 企アショカ王の石柱のたつ現在の聖園 企ルンビニ開発計画周辺の村 が,少なくともこの計画に,何らかの生産的な 意味合いが付加かれること一一単に観光客の落 としていく現金による経済的波及効果,道路建 設による交通の改善といった計画のおこぼれ以 上に,聖国の緑地や施設が現在の地域の生産基 盤を支えるのに役立ち,観光客の存在の有無に かかわらず継続していけるような利用方向を見 いだすことがいちばん望ましい。日本のリゾー ト・ホテルを誘致するような解決策は, 矛盾の 拡大再生産である。

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問題から課題ヘ (1)主体性の尊重 さまざまな段階で計画にかかわる主体の主体 地域開発 90・10

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ネパール・ルンビニ開発計画 性は,最終的な利用者まで含めて尊重される べきであり,一部の突出した主体が集中した権 力や経済力を背景に遂行する計画では全体が無 機的にならざるをえない。ルンピニ計画のよう に不特定多数を利用者とする場合,利用の主体 「参加」は極論であるとはいえ,少なくともそ の自主性を奪ってはならない。 (2)ヴィジョン一一一目的 かたち以前の計画のヴィジョンが必要であ る。大きな計画であればあるほどその影響範囲 は広く,より根本的な思想からの出発が必要で ある。 (3)技術と手法の選択 それぞれの社会はそれぞれの過程をもち,そ れぞれのあり方を求めるべきである。特に近代 化をこれから進めていく第三世界諸国は「それ ぞれの近代化」の可能性をもつのであって,先 進国援助のあり方も,そこに重点がおかれるべ きであろう。 (4)マスタープランの課題 ①建設の過程がつねに完結した全体である。 マスタープランが完成してはじめて機能するの ではなく,それぞれの段階でひとつの完結性を もった全体として利用していくことができる。 ひとつの段階がそれ自体豊かで、ある。 ②オープンエンドである。はじめがあって終 わりがない。ひとつの段階の現状に即して次の 目標を決めていける体勢がよい。 ③マスタープランはかたちを限定するもので はなく方向性である。こういう場所,こういう

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地域をつくっていこうというヴィジョンが常に 必要である。 ④計画はっくり過ぎない方がよい。ヴィジョ ンを念頭に置きながら,状況を見極めながら, 具体的な判断を重ね,具体的な判断が積み重ね られて現状が拡がっていける方がよい。 一一こういった考え方は日新しい見解でも何 でもない。何度も繰り返し言い尽きれてきたこ とばかりである。が,そのあたりまえさが現状 にいちばん欠けている。地球が無限でないこと を誰もが知っているように,チャンデイガール のおかしさを誰もが知っている。人間は万能完 壁な存在ではないこと,感情をもった生きもの であること,他人に不必要な苦痛を与えてはい けないこと,第三世界の多くの国々で,大きな 技術よりは中くらいの技術が求められているこ と,美しい自然を壊すのはたやすいが,壊さず にすむ方法を考えるべきであることも,あたり まえさ,良識レベルの問題である。 5. 私たち自身の問題として ルンピニ計画で露呈している問題の数々は, けっして私たちに無関係ではない。都市のなか で,地域のなかで,長い時間をかけてつくられ てきた環境の構造が,部分や細部の豊かさが, どんどん奪われていく。オフィスビル,高層マ ンションが立ち並び、,身近な商庖街や住宅地が その存在の余白にされていく。都市の風景は均 質化し,私たちの環境は,文化的にむしろ貧困 になっている。既存の環境をどのように発展・ 変化させていくか,柔軟でつよい環境の構造を, どのようにつくっていくかは今日の私たちの課 題でもある。将来維持可能であり,維持してい

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くに足る良好な都市構造が必要とされている点 にかわりはない。 だが現在の都市開発の気運は異常である。新 都心を湾内につくろうという東京湾計画は, 20 年前の楽観的な開発観,全体主義的な志向が, いまだにそのまま東京湾に重ねられた姿であ る。具体化への準備,いや建設の現実そのもの が先行しつつある。 21世紀に残す「東京」とい う,この巨大な一体化構造をつくったが最後, 維持していくために,いっそうの非東京部分の 東京支配が進まねばならない。華麗な都市像の むこう側に,都市の矛盾に翻弄される地方の姿 カfみえてくる。 日本の中で見られる地方と都市との従属・非 従属構造の類似形が,日本という「都市J,第 三世界諸国という「地方」の構図で見られる。 日本の経済力の増大は同時に,破壊力の増大で もあった。その力はいま世界の隅々にまで及ん でいる。山のひとつやふたつ吹き飛ばすくらい は何でもないその経済力と技術力を,今後どの ように制御し有効に利用していくかがわれわれ の課題である。そして何よりも,日本が地方と して具体的なものであり,多様性のひとつを織 り成すものでなくてはならない。 3主 この論考は,筆者の 1989年度東京大学大学院工学 研究科建築学専攻の修士論文「開発計画の現状と問 題:ネパール・ルンピニ計画を通して」に基づいて いる。現地調査は 89年11月,約 3週間の期間,関係 者の協力を得て行った。論文では,C.アレグザンダー によるネパールの建築計画との比較研究も行ってい るが,ここでは割愛した。

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ネパール・ルンビニ開発計画

1) U Thant.ぞforeword',Lumbini: The Birthplace of Buddha, Committee for the Development of Lumbini, United Nations, New York, 1970 2) Allchin& Matushita: Report for the Lumbini

Development Project, Kathmandu, 1969

3) Report on the UN-Preliminary Survey Mission for Gandagi-Lumbini Region of Nepal Oct. 20/Dec.3 1972

4) Okada, F.E. :The Lumbini Garden Area, Rupandehi District. Nepal: a Socio-economic Sur. vey, 1972その他

5) Kenzo Tange & Urtec: Master Design for the Development of Lumbini Phase IIFinal Report, 1978 6) 丹下健三「いくつかの経験JrS D~ 1980年 1月 号 P.182 7) 丹下健三「建築の社会文化への貢献Jr新建築』 1979年 1月号 P .266 (おの・けいこ)

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参照

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