中世末期における『論語』写本の一形態
ー阪本龍門文庫蔵『魯論抜書
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阪本韻門文庫蔵
I魯論抜書」について
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四宙の一っである「論語」から金酋を抜き出し、 編集を加えた ものとして阪本那門文那蔵『魯論抜害」が ある。 本稲は「魯論抜 杏」について、 内容と特徴を考察し、 中世末期における「論語」 受容の一端を明らかにすると とも に、 言語事象から国語史上に位 磁付けたい。 「魯論抜惜 j は毎半葉八行。扱附ニニ漿。表紙はなく、「論語」 全巻中から文を抜き出して附訓 し、 別丁に続けて類掛である「金 句集」を書 写している。奥書はない。川瀬一馬 (i 九五四)によ ると 「金句集」は平安末期から鎌倉初期にかけて編纂された和製 の類杏「玉函秘抄」「管薮抄」の流れを汲み、室町時代に盛行した。 体裁は「帝王事一「臣下事」「黎元寡」「政道事」「学業耶」「文武研」 「父子事」「慎身事」の八部門を股け、 冒頭に出典を戟せ、 金言 ーニ七条を引用している。椋々な中国古典から引用しており、「論 語 j も一一条記載されている。 川瀬一馬(-九五四)は「金句集」 の構成を比較して「天理図奢館蔵村岡典嗣氏旧蔵本(江戸初期写)片
山
鮎
子
28 -4. 言語 と束北大学蔵天正二十年写「金句抄 l とを結ぶ一異本 と 見 られる」 としている。 両術のうち、特に「魯論抜世 J (以下、「抜街」 とする)につい て論 じる。 川瀬一馬(]九八二)は『龍門文庫菩本書目」において「抜柑」 を解題し、 室町末期写の資料とした。 西崎亨(-九八六)は「抜 密」「金句集」の両 宙を翻刻している。両者ともに言語事象等に ついては触れ てい ない。 よって本稿では「抜む」を、 ー.委の構成 2. 本文の系統 3. 訓読の特徴 特徴の四点から調査する。2.
編纂過程について
「抜杏」は「論語」二四五条を箇条由きに し、 他に 「論語」経 文 に は見られない文を十三条記す。「金句集」に体裁を合わせて 冒頭に「子日」「子貢曰」「孔安國曰」等、 発言者を戟せてから金 言を引用している。経文に見られ ない文は注釈苔である「論語集. 包 注文であり、独立した金言として利用できる部分を抜抄して いる。 (1)0有子曰町沿r
-―於料・ 配叩 レカ エ明ぷユ兜迅二 於 祉二恋配 足也 注如邸見梵 3位 担·弗礼也一 19) 「有子日」の文は「論語」経文であり、「注庖氏曰」から先が『論 語集解」注文である。 また、経文を編集し、元は別々の条を一条へ縞めたものもある。 {•99》 9 r ,+) スマトハ t-C,9) (2)0子日吾十有ー五 而志 於 學ー•三十 而 立•四十而不レ惑•五 サ而虻ーー天ー金・六廿 }而 耳ー叫,.七十而 シ 9 四ぶ罪艇芯如 9 レ 9, "▼ 曹 9"•9 伝矩. 0子災曰夫子・温・且.恭・倹・譲•以-―得之ー (2 貪) 「子曰」の文は学而篤ー0章であり、孔子がみずからの人生に ついて述ぺている。「子貢曰」からは為政篇四章であり、孔子の 人格を評している。合わせて読めば孔子の人間倣についてわかる 一条となっている。 長文を編集抜抄した例もある。 99レ99" 七コシ (3)〈抜掛〉子曰 知 之 為 知之不 知之為 レ不レ知是知也・ (2ゥ)ktl=-) 〈原文〉子日、由、誨女知之乎、知 之為知 之、不知為不知、是知也、 原文にある由とは孔子の弟子の子路の名である。孔子の呼掛 け を削ることによって金言だけを取り出している。 元が一条だったものを別条へ分けたものもある。 9ソム__ ナ9 ウ噌"しケイス (4)〈抜苔〉0子日臨レ民之以レ荘則民敬・(2 ゥ) 0子日船[彰面i竺↑低虹民ー虹ム·-§ 〈原文〉季康子問、使民敬忠以 勧 、如之何、子日、臨之以 荘 則敬、 孝慈則忠、殺菩 而 数 不 能 則 勧 、(哲―) (4)は、季康子の問いに対する孔子の回答が抜き出されている。 「臨之以荘 則敬」「孝慈則忠」「経善 而 放 不 能則勘」という三つの 答えの内、「抜也」は i つ目と三つ目の答えを記戟しており、独 立した条として使えるように、「民」字を挿入している。分割す ることによって、各々独立した条となって いる。なお、「孝慈則忠」 を選んで脱落させている点から、編者が単純に「論語』を纏めて 箇条楷きの金酋集を作ったわけではないことがわかる 。 以上のことから「抜世」は原文から直接転写したものではない ことは明確である。 もとより「諭語 j そのものが、孔子と周辺の 人の言行録であり、すでにご狐の金百集としての性格を有してい る。「抜密」は「論語」を よりコンバクトに絹集し、二五八条を 選んで抜き出し一苔を作成している。 3. 「抜書」の依拠した「詮語 j 底本 「抜宙」本文が何を資料として編纂したのか、文字の異同か ら 調ぺる。 「綸梧の注釈史については武内義雄(一九七六)が詳しい。 近世初顕まで日本で使用された「論語』注釈杏には古注と新 注 の二系統がある。古注は「論語集解」「論語義疏 j 『論諾正義(注 29-仲 如 不 編 也 其 幼 賢 危
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尼 月 可 玉 己 士 而 者 行 易 虎 1111贔
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拒 於 乎 X魯
辟 孫 克 X i馬 X 放 人 知 X 弟巖
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拒 於 乎 X魯
辟 孫 克 X 浅 X 敵 人 知 X 弟惜
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つ (表 1 疏)」 であり、 新注は「論語集注 j である。 それぞれの注釈柑に は文字の異同・解釈の追いがある。 右の四種の注釈杏に現れる文字の異同は玩元・厖宜旬(-九六 五 )によって校勘されている。「抜掛」の異同と比較したも のが〈表 1〉である。 〈表1〉でわかるように 「抜魯」は、文字の巽同は「論語義疏」 と菰なっている。 また、 前章で触れたように、「論栢集 解」 注文 を引いていることから、「抜柑」の底本となったものは、「5直語義 疏jの経文に「論語集解」注文が附された体裁のものと思われる。 高栢智(二00八)は室町時代に作成された「論語集解」古紗本 に、学而箭一章「学而時習之不亦説乎」 を「 学而時習之不亦悦乎 」 (傍線部は片山が記す)と掛<系統があると指摘している。「説 」 を「悦」とするのは「論語義疏」であり、 室町時代には「論語梨 解」の経文部分が「論語義疏」の字になっている系統の写本があ ったのである。 「魯論」という苦名は「論語」の別称であり、高橋智(二00八 ) が「 「秘論」は「論語」の異名として室町時代に通用され、特に「義 疏」 の影響を受けたテキストにこの異称が使われることが多い」 と指摘しており、 また 「「論語義疏」 の影響を紫ったテキストは、 足利学校を中心とした学派の系統に属するものであることが、 以 上の伝本の杏写の状況や訓読受容のあり方などから、 推測でき る」と述べている。 . 30-「抜書」は関束の学問所である足利学校の学派に連なった人物 が編纂した可能性がある。以下、訓説の系統や現れている言語事 象をさらに考察していく。 4. 訓読の系統 武内義雄(一九七六)等によると、明経悼士家は平安時代から 滸原家と中原家が世襲しており、読み癖が違う。ただし『論語」 については中原家の間読を伝える確実な写本が現在、「高山寺蔵 残巻二巻 」 、「文永紗残巻二巻」(束洋文那蔵)の断片しか残って ないことが述べられている。 よって右の二家の訓統と「抜世」が狙なる部分を抜き出して考 察しょうとしても、多くの例を出せない。小林芳規(一 九六七) が、消原家の「詮語」写本三種と右にあげた中原家の写本により、 両博士家の訓説の差異を表にしている。この表から、「抜杏」訓 統に対して差異が現れる部分を私に左にまとめた。なお、消原家 の訓読は三種掲戟されている内、もっとも年代の下る大東怠記念 文血蔵建武本吉兼訓(翡)と比較した。中原家の訓読は残っている 部分が少ないため「抜苔」と消原家の訓に狙なる部分を「高山寺 蔵残巻二巻 」 「文永紗残巻二巻」どちらか重なる部分が残ってい る方を比較している。 • ・「抜杏」は音読であるのに対し訓読みする例 〈抜 世〉 ヵ 町加itli 〈 消原 〉↓距いtt 〈 中原 〉,硲パ仁 〈抜書 〉工硲ぃ.蛇 ,二其泥‘l-i*) 99 ミ.―スルこと U セン J' 〈中原〉エ 欲レ皇其巫 〈抜 苔 〉'釦飢 (18 オ) 〈 泊原〉 馬那 〈中原〉 思 ,;
”ooit
・ 〈賂〉 息如,I
さ〈清原〉思凪〈中原〉恩 9* 9咀 , r ・訓読の異なる例 〈抜 古 〉 病究配,__紐,む砧乃,~15オ) 〈 消原〉不 '日'如' 之 僻 ・ヤブ,.シ•卜aハ 〈中原〉不曰如之 何 97 ヤマ," ,'z ャ v19 リ こ と 999 ナ 〈抜密〉哲 過癸-16 2 〈情原〉甘 過 突〈中原〉 首過 癸 ア 99 ワ 4 ソ" ア,.ハ 〈抜由〉不レ争(153〈消原〉不争〈中原〉不 争 ・「抜皆」では文が終止するのに対し終止しない例 〈抜世〉不レ言即 l 之屈ー-l72〈柑原〉不言町之整 ぞ ptu ハ • L 〈中原〉不レー百·簡之隠.
.
"倉そウヲン,.,+ハウケ 99 〈抜併〉色思は温・貌思レ恭 (t-〈惰原〉色思温貌思レ恭 4ou と 9, .. ’9U9* ",. 〈中原〉 色思レ温貌思 恭 イソハ 「不レ争」に関しては、消原家建武本では「不争 J の訓を附し ア99 ハ ているが、時代が遡 る猫歴本では「不争」となっている。 総じて訓読は消原家のものに煎なる部分が多いが、(ア)(イ ) の例から禅宗等の仏家の訓法も現れていることが見られる。 (ア)左右の傍肌 七ムルハ 〈抜 行〉攻乎異端-2↓') 9サムルハ 99ムル" 〈清原〉攻乎異端 99ナッ●疇ハ 倉『 -9 ツ.,阜 一人 行 9寸ハ 一人 往 ?ーウ) 9n9 ハレン 行 突(1 1 2ユ・`
"レン*・行癸 197す&と● u. ムト 9 〈清原〉エ・欲レ菩 -l 其事 31-右に部げた例は、特に招釈が述う説み方をしている邪分である。 比べた場合、右訓か左間のどちらかが梢厭家の訓と韮なっている 。 他に「侶」字に対し右湖に「シンナルカナヤ」左訓に「マコト ナ ル也」と附訓する箇所や、疑間形の語尾を左右に「ヤ」「力」と それぞれ記している箇所もある。これらの場合は梢原家の謂と 煎 なるものが左訓に施されている。 (イ)性き字の読不読 文末の「之」を読む例が多い。不説の例が四六例に対して四 一 例が「コレ」と説まれている。以下、一邪を挙げる 。 男即奇オ)血砒恥乞 (52 鉛,広 (72 子
ran
止凶 t10* ) 子tnT心い苓l 2 ォこ叫妍.ぃ乙釈厠 (1 も函5『布"以泣 (10 オ) 抑士家のオコト点を仮名に移したとする「北野学党本論語 J (I 八匹八刊 行 )では、右の例は不続の字となっており、栂士家の訓 法では続まない字である。京都大学付屈図掛館蔵梢原直毀自策 附 訓本には「 之 」字についての宜野自紐の識語がある。以下、識瓶 は曲9橋智(二00八)による 口 子孫為可惑文字続桁濁、一字不閑点之、同指 声者也 梢三位入近宗尤 低字・大略不説之、柑説之訟字 点之 E" "� J 梢原家では他き字を基本的に説まないことを述べている。協き 字を和極的に読むことは、「桂庵和尚家法倭点 l (一五00年成立 ) ――ヽ一、 9 ● ノ ハ 9 マ( において、「文字頷ヲ パ 0価竺落字一様唐,韻誼度也。其'故 偶 -'句半'句ソラニ伐ル時モ〇ヲキ字不知有ーー其何,字一也 。 口'岱,事也。」のように述ぺられており、このことから禅宗嫁 の仏家にみられる測法と酋える 。 「抜肉」は訓読の系統から見れば、伝統的な栂士家の洲読を残 しつつ、禅宗節の他学派の訓説を取り入れているこ とがわかる。 これは訓説を施した人物、もしくは転写した人物が他士家の正 統 な訓説を学ぶ立場ではなかったことを表していると思われる。 5. 「魯論抜書」の語学上の特徴 「抜杏」に現れる言語上の特徴について、音便、四つ 仮名、開 合の面から閻査した 。 (ア)裔便について 左に動詞、形容詞の例を抜き出した 。 (1)動詞 カ 行 ・叫町/丁叫7オー 1 つ)屈1)9剛IOオ) ・` 明。オ) ,9リッイ9 7イ・ア 9イツ ユイーア やイーア 退 (l8 ウ) 巻 (l4 ウ} 聞 (l ●ウ} 之 {l9 オ) 聴 (20 オ) サ行二言 2痔6
* )ヵ酌g)
,釦 tl5 オ)叫 l5 ウ) ` 耐Lーウ ) タ 行記 .ぷーオ)そ恥~ 4 ウ 22 オ)そ胆 52 平 62幻
6ウ) 叫…ぷ字も出, t16 ウ・ とーウ) ナ 行彰 lH ウロ珀,ウ) ィ 磁 tlo ォ ) イツナ ッモツ9 9ツ9 シ9ノカッ 十 卜'+ り?ツ ーア、
-T・・宵 (l オ)m 心 (5 ゥ) 乞 (5 ウ) 随 (l6 オ} IUJT18?} 笑 (19 オ) /1 パ 行・'厨 t2 ウ) い 記 t3 ウ 7 ウ)厨 t8 オ〉 , 応 fl1 オ) , 杞l3 オ】 32-..
nン, 喜 (18 ウ) ノソン 9 ヤスン, tツ七?ル ナワカシー七 9 レム nノン, マ行 ・ふ臨(3ウ•7ウ) 安(4オ) 疎-sォ) 懐 (6*) 好(7ウi5ウ) ぅ● つトン L' ャ ト ソナ ?'テ ッツシ 99 子 (8 オ) 疎 (10 ウ) 宮 (132 蹄i -16 ウ) 敬 (16 ゥ) か ヤンナ 99 9 ノシン 9 , 99,9 ンズ ャスンズル 終 (20 ウ) 楽一 13 ウ) 親 (10 ウ) 怯 (13 オ) ハカ 99 *9 ツ 9 ァッテ ャイアッ 9 . , ツ・ア トキアッ 9 ラ 行 ::謀 (1 オ) 謂 (6 オ) 在 (6 ウ) 敬 (10 ウ)罪央ー 2 オ) 時 (13 ウ) ギアッ 9 7 ヤ>ツ 9 ァ 9 ッ," ァッナ イアッ 9 義了 13 ウ) 過 (16 オ) 樅 (16 ゥ・ 21 ウ) 有 (20 オ) 威 {22 オ) ヵェッサウス ,ンナ" 復 (1 ウ) 足 (11 オ) (2)形容洞 ス 9--9 ィ・' +カウ七ロ マトシュ {,99) *ソウ t ノ 9 鮮 (1 オ) 近 (1 ウ) 岱 (1 ウ, 13 ウ) 訥 (5 オ) アカウ C、 ナ 99299 99, 'ュで ‘99) ナヵ 99 辞 (6 オ) 難 (6 ウ 13 ォ} 正 (8 オ) 近 (8 オ) ァ 729 ヤ 7 ・シ 9 9 ,9 ウ サ 今ンシ 9 ゥャくシ 4 てヽ令} 篤 (8 ウ) 役 (82) 正 (9 ゥ) 先 (1 ーオ) 恭 (10 ウ) ャス附L3オ} ハ幻召3オ ) ,厨ゃ J ウ) アブ 叩ゃも ウ入 9 9 、シュウ C., テ] ハケ シュ C.79) つスキ 蔑 15 オ) 貞 (16 ウ) 紙 (19 ウ} 湖 (8 オ) イヤシキ 9 カ フ カ年 ワカや 栖 (8 ウ) 深一 14 オ) 少 (17 ウ) 動詞・形容祠の活用形を見た結果は以下の通りである。 ・サ行:·原形 ・カ行…イ音便 ・タ行: .. 促音便 形・撥音便 ・ハ行…促裔便・ウ音便 ・バ行:.撥音使 …促音便・撥音使 ・ラ行:.促音便・撥音便 ・形容詞:·原形・ ウ音便・撥音便 カ行がイ音便化しているのに対してサ行が音便化していないこ とが注目される。ハ行では「乞」に対して「問」のように促音使 ・ナ行…原 ・マ行 とウ音便の両方が現れている。マ行は促音便と撥音便が現れてい る 。 中世の抄物、キリシタン物におけるバ・マ行の音便は大塚光信 (一九五五)の論文があり、「語幹末がウ列音なるときー撥音便」 となるが「抜秒」はこれに従わない。 「抜杏」の音便に現れている 現象に狙なる例として、安田文郎 旧蔵「かながきろんご」の訓説がある。安田文血旧蔵『かながき ろんご」は川瀬一馬により、「梢音眩を多く交じへてゐる頼向が ある点から察して、五lll佃か若しくは其の関係者の手になったも のではあるまいか」と推測している夜料である。以下、坂詰力治 (一九八七)が「かながきろんご」の音使を閲査しているものを 私にまとめた。 ・カ行:•イ音便 「きいて(間)」 ・サ行…原形 「ころして(殺)」 ・タ行::促音便「たって(立)」 ・ナ行:撥音使「しんで(死)」 ・ハ行 ::促音便・撥音使「とって(問)」 ・バ行:.撥音便「まな んで(学)」 ・マ行:.促音便「とって(窟) J .撥音便「ふんで(踏)」 ・ラ 行:促音便「しって(知)」.撥音便「しんぬ(知)」 ・形容桐・・・原型「とほき(返)」・ウ音便「なほうす(直)」・イ音 便「すくないこと(鮮・森)」 カ行がイ音便化しているのに対し、サ行が原形を保っていると ころ、マ行に促音使、撥音便の両方が現れているところが「抜苦」 と煎なっている。特に fかながきろんご j のマ行の促音便は「と - 33 _つて(宮)」ー語であり、「抜密」の連用形の用例も「宮」一例で ある。坂詰力治(一九八七)では「とつて(宮)」について、「マ 行四段動詞が促音便化すること は一般には考えられず、積極的な 例とは言い難い。因に、室町期の補加別訓を戯宮に有している「論 語集解 j 〈建武四年点〉で同一箇所の訓法をみると、「宮砂チ(室 町期補棚別訊)而」とある」としている。室町期の京都五山俯で (化{"― ある笑雲消三「論語抄 j でも該当箇所は「宿」となっている。 サ行について、笑雲消ー―-「論語抄」・「足利学校本論語抄」を確 認したと ころ、どちらも原形を保っている。サ行非音 便化は 「諭 語』訓説における読み緑かと思われる。しかしマ行促音便は「論 語 j の読み癖とは言えない。 マ行になぜ促音便が現れるのかについて、迫野浚徳(-九九八) に、「天正狂酋本」では撥音相当の所に「ツ」 が使われる例が多 数見られること、「天正狂酋本 」の言語が東 北の方言を背景に持 っているらしいことが指摘されている。この指摘を参考に江口 泰 生(-九八七)は「天正狂首本」の音便が例えば束北地方の音便 体系と対応することを示した 。 促音「ツ」と撥音「ン」の表記に揺れが生じる現象が「抜密 」 にも現れているとすれば、 「抜杏」の成立が西日本ではなく、東 日本である可能性が 出 てくる。 ハ 行の音便に 関しても、安田文血旧蔵「か ながきろんご j の撥 音便は.「おもんばかる」の例のみであり、動詞辿用形は全て促音 便化している。坂詰力治(一九八七)は「関西ではウ音便、 関東 では促音便になる」ものとしながらも「地域の差を示すものと は 思われず、漢文訓読という口調によるものと思われる」としてい る。実際、松井利彦(-九七八)は 関西 の漢文訓読におけるハ行 四段動詞を清原家の世写した「論語」二種・桂庵の訓法を伝えた 文之点を岡査し、訓読語ではハ行四段動詞は促音便が使われたこ とを指摘している。これに対し、柳田征司(二0 l 0)は、縦長 以前の洞門抄物を腑査し、中世の束国ではハ行の音便は促音便と ウ音便が併用されていたことを述ぺており、また、形容詞につい ても「束部方言は原形とウ音便形の併用、西部方言はウ音便専用 という述いがあったことになる」としてい る。「抜魯」が束部の 音便現象を訓読に反映させており、そのため形容詞の表記に原形 と共にウ音便が現れていると考えることができないだろうか。 (イ )四つ仮名について 四つ仮名について岡査した。 [ジ・ズ が 正しい 例 ]記 ~4 オ)釦如 t4 オ) ア 糾、f83知円82
耐
t1 ャスンズルハ リ ッ ン 0ウ) 懐(13オ) 士(20ウ・21オ) 伐(21*)不(全 9 .ス) 写・ヅ が正しい例 ]趾(Sウ・1 2?13*) 肱(7ウ) 趾(8ゥ) 焉 (9 ナンデガ イツ ナン+ ナン十二 十カックレハ ォ) 休〈16ウ) 出 (17*) 汝~199) 汝(19ウ) 近(20ウ) t20ウ) +ン 子 [ジ・ズが誤っている例 ] 999 ハ イ ンテラハ テウ 9 事(3ウ ) 往{3つ) 詔(3ウ) セチ 不(8オ) 34-叫
f9ウご蛤°*)形。*)祖llウ)面tllウ)加(12*) 和(12ウ)丑ゃ3*)口(15*)士(15オ)埒15*〉をl •*)釦(162射l7オ)愁l72At-l8オ)旺18ウ) (19オ) 19オ) 任(l9オ) 人(21オ・2lウ) (21オ) +ャ?-t…~ マ+ハリ9 城 休 交 ハス”シ99ル 辱 ( 5オ) 趾(5ゥ) 写・ヅが誤っ ている例 ] ィ 耐f3? 16ウ ・19 ォ) • 如t4*)イズ配f4* ) 町 ス9B t10オ) ハズ 慰122距ダー3)粕l5オ)9[土.5ォ)出 (16ク),釦f19オ) ィ 配 i ずウ)尼21ウ) ア 如t22*) 結果として正しい 表記よりも間迩っている表記の方が 多 いこと がわかった。四つ仮名の混同は中世から起こり、 近世初期から特 にそれが顕箸になる。「抜昏」は四つ仮名の面からみて表記の混 同が激しく、近世の特徴を強く見せ始めているといえる。 (ウ)開合について オ段長 音 の開合は中世末期から混乱が激しくなり、近世初期に なるとほとんど区別が失われる。「抜密」全体からオ段長音の例 を抜き出した。 (1)正しい例屡]•吋1
ウ •5*)酎lウ) バ 明22墾22mi酎4オ} 印3早*ー2ウ14*) ツ ●叩f5オ) ッ カ叫ig
耐!*) 町 ,’ 迄。*)祖6ウ)5i(6ゥ)力,配}。ウ)酎8*)射8ウ) 明~ー0オ)1叫loゥ)がi-12*)彬
I2オ)祁宇231字g)
V,"' V9ス 9ウ ,.ウ疇ツル1_-9ャウ9ル19 日(13ウ) 告(13ウ) 黛(15ウ) 事 ( 16ゥ) 相 ( 16 ●9gリ リヤウ カ9 チャウニ チャウ クウナリ ウ) 押(17オ) 諒(17*) 楽(17ウ) 城 (19オ} 張(19オ) 藩(19 ●9嶋 力99 *ヤク 今9 ハウ ウ) 絞(19ゥ) 剛(19ウ) 狂(19ゥ) 掃(21ウ) 方 (22*) ホウ ヤク9ハ クウ ヲウルI .,9 卜 99 [合音 ] 朋 (l オ) 恭( l ?) 恭一ーウ) 終(4*) 多(4ウ ) 遠 [4 ウ ) *99C、テ nウ● ケウスル寸ハ ポウ ヘ9I a9 nウ 納 ( 5オ) 貢(5オ) 恭 -5ウ} 朋(6オ) 瓢-6ウ) 栖(6ウ) 功 *9 9ウ ケウ 9ウ(シテ~ ョウハ (6?19オ) 暴(7オ,8*22オ) 釣(7ゥ) 競(8*) 動8オ) 容(8 nウ 9,‘9ト コウカ テウ J 卜 9* n9 オ) 麦(9オ) 多(9ウ) 貢-loゥ) 朝(11ウ) 遠(12オi5オ) 公 ‘、’ 9? Iゥ "ウワ n *ウ9 {12オ) 問(l3オ・l3ウ) 能(14オ・15?) 幼(14ウ) 工 (15ォ) 謀 ?ィ+ル セウ饂 七ウ コワ (15 ? ) 大 (16オ) 小~16オ) 小(16*,20ウ・21ウ) 候(17オ) ケウ 9? 9つ9 七ウスル1 ケウナル寸ハ 七ウ 駿17ウ) 闘(17ウ) 聡(18オ) 称 ( 18オ} 恭(19ォ) 郡(l 七ウスル 9ウ nウ レウ 9ウ) 稽(20ウ) 應(21ウ) 貢(21ウ) 陵(212 (2)誤っている例 釦(7ウ)がl8ゥ) 酎20オ) 表記を料査したところ、「絹」「公」「邦」の三字において、混 乱が見られた。ただし「公」「邦」については表記が正しい例も 確認できる。全体としては誤った例は少なく、「抜沓」ではいま だ開合の別は概ね守られている。開合の混乱は橋本進吉(-九八 0)が束国から先に始まったと指摘しているが、東日本でも地方 によっては開合の別が保たれている。迫野炭徳(-九九八)は、 新潟ではいまだ開合の別が残っているとしており、「天正狂昔本」 でも「そのおびただしい四つ仮名の混乱に比ぺれば、意外なほど 少ない」と述べている。また迫野戌徳(一九六六)は「天正狂酋 35-本』だけでなく室町時代末期の越後地方の武士が密いた世状に現 れる開合と四つ仮名を閥査し 「四つ仮名の弁別は全く失われてい たが、 開合音の区別は比較的よく保たれて」いたことを指摘した。 音便は東日本的であるが、 サ行が原型を保っていることについ ては『論語」訓読における読み癖であった可能性がある。しかし ながら四つ仮名は全く混乱しているのに対し開合が良く保たれて いる点から 「抜書」は束国の言語特徴と一致していると言って良 いと恩われる。
6.
まとめ
以上、 阪本随門文庫蔵「魯論抜誓 j について考察した。 字の異同から調べた結果、「抜粛」の依拠した底本は足利学校 の学派が使用したテキストと菰なる。 訓読の面から綱査したところ、 悔士家である消原家の他に禅宗 の訓法も混ざっている。訓読を施した人物は博士家や禅宗の正統 な訓読を学ぶ立場にはなく、 或いは中央で博士家や禅俯の講筵に 連なった経験のない地方在住者が施した訓読とも考えられる。 言語事象では、 音便は『論語」訓読の読み癖を持ちつつ四つ仮 名が混乱しているのに対し、 開合の別は保たれている点は東日本 の特徴と一致している。 「抜祖」のテキストと訓読の特徴に上記の言語事象を合わせた 結呆、「抜書」は束日本で綱纂された可能性の高い資料と言える。 川瀬一馬(-九五四)は「金句狐 j の「文武」「父子」部門の 引用が他部門に比ぺ極端に少ないこと、 絹纂者の姓名が書かれて いないことから禅僧の編纂 したもの であろうと推測した。 しかし 阪本龍門文郎に「魯玲抜書』と共に合冊されている「金 句集」 を 転写した人物は、「魯論抜柑」に俗緑・俗礼に関する金言、また「子 日君子無所争必也射乎」「子曰志士仁人無求生以害仁有殺身以成 仁」等の軍記物に引用される金言を多く抜き出している。絹者に とって「金句集」だけでは足りない部分を「抜書」によって補っ ていると見ることができないだろうか。「抜掛」は僧侶ではなく 俗世の人間であり、 戦に関わる武士の編幕とみるべきである。 「抜舟」は「論語 j 全体を金言集としてさらに整理し、 コンパ クトに纏めた写本であり、 室町時代の新典階層である武士によっ て編纂された金言集の一種である。 地方 武士が金首集を纏めよう とした結果、「抜世」を「金句集」の体裁に合わせて編集し合冊し、 胴読の言語 に方哲が混ざることとなった。「魯論抜也』を調査す ることにより、 中世末期における武士の「論語j受容と言語事象 の一端が明らかになった。 (注ー)テキストは原本を肉査し、 確認した。(二00六年六月の調 査による) 。 (注二)「抜害」の側に一っ「之」の字が多いのは、「論語義疏 j に「之」 36-字が記載されているからである。 (注三 )以下、「論詣 j 原文は金谷治(二00二)「論栢』岩波杏店を 使用した。 (注四)小林芳規(-九六七)は建武本に良兼の 他、 別節の困入れが あるが、箪跡から区別できることを指摘している。 (注五)「北野学堂本」の奥由に 委ニオコト点アルヲ恨名二移シテイサ、カモ私意ヲ容レテ 改メサル者也 とあるのに拠って「之」{+の読不統を確認した。 (注六)笑雲清三「論語抄jについては、 江口泰生氏が宮内庁杏陵部 から取り寄せた紙焼き写直のコピーを使用した 。 参考文献 江口泰生(-九八七)「東国文献としての 「天正狂言本」ー動詞の音 便形についてー」「文献探究』二十号 遠藤光正(一九九三)「類柑の伝来と金酋集」「和漢比較文学叢掛 5 中世文学と淡文学〈1〉」和漢比較文学会 大坂光信(一九五五)「パ四・マ四の音便形」『国語国文」二四巻―― ― 号 片山晴賢・木村晟(-九八一)「「かながき論語」本文と索引ー本文紺 _」「北悔逍駒湛大学研究紀要」一六号 金谷治(二00二)「論語」岩波由店 辛島美絵(一九八六)「国語資料としての仮名文柑る鎌倉時代のオ段. 長音の開合と四つ仮名の混乱表記を通して」「国語学 J ―四六号 川瀬一馬( T 九五四) 「 中世における金言集について」「青山学院女子 短期大学紀要j三号 川瀬一馬(一九五九 )「桂庵和尚家法倭邸について」『汗山学院女子 短 期大学紀要』ーニ号 川瀬一馬 (i 九八二)「龍門文郎笹本書目」阪本龍門文庫 近代語学会(一九六五)「近代据研究 第四集 j 武蔵野書院 小林芳規(-九六七)「平安鎌倉時代に於ける漢箱訓読の国語学的研 究l東京大学出版会 坂詰力治(一九八七)「諭語抄の国語学的研究 研究・索引篇」武蔵 野笹院 迫野虔徳(-九六六)「古文行にみた中世末期越後地方の音飢」「 語文 研究j二二号 迫野虔徳(一九九八)「文献方言史研究』 消文堂 真田但馬・吹野安(-九四0)「論語集注」笠冊宵院 秦孝儀(一九九一)E窃匹元覆宋世採蕊本論語集解 j 国立故宮博物院 玩元揖.崖宜句摘録(一九六五)「給語注疏〈校勘記)学経注疏〈校 勘記)」中華密局 高橋智(二00八)『室町時代古紗本『論語染解」の研究」 汲古牲院 武内義雄(一九七六) H 論語之研究j岩波由店 長沢規矩也(一九七七)「綸甜(北野卑堂所蔵集解本)」「和刻本経柑 集成 j 第四輯 汲古柑院 中田祝夫(-九七二)「足利本論語抄」勉誠社 中田祝夫(一九七二)「閉座国栢史第2巻 音飢史・文字史」大修館 苔店 西岨亨(一九八六)「胆門文庫蔵室町末期写魯論抜柑・金句集[翻字ご 37
-(かたやま あゆこ 岡山大学大学院社会文化科学研究科) 「武耶川国文」 l _八号 西田直敏(二00-)「日本語史論考 j 和泉術浣 橋本進吉(-九八0)「古代国語の音韻に就いて 他二篇 j 岩波柑店 松井利彦(-九七八)「ハ行四段動詞の音便ー近世漢文訓読における —」「論集日本文学・日本語4 近世・近代 j 角川楷店 柳田征司(二010)「日本語の歴史1 方酋の束西対立」武蔵野密 院 本稿は平成二十三年度岡山大学言語国語国文学会(平成二十_二年七 月九日盃回山大学文学部会議室)「阪本龍門文血蔵『魯論抜舟・金句 梨」について」、 第二 l 二七回筑紫日本語研究会(平成二十三年八月八 日1十日�九重研究所)「阪本皿門文庫蔵「魯論抜密・金句集」につ いて」で発表した内容を修正したものである。多くの方にご助首、 ご 指導をいただいた。記して感謝申し上げる。 研究室受贈図書雑誌目録II 大阪大学 日本学報(大阪大学大学院文学研究科日本学研究室) 大要女子大学紀要|文系—(大要女子大学)四五 大要国文(大要女子大学 国文学会)四四 香川大学国文研究(香川大学国 文学会)三七 学芸 国語国文学(東京学芸大学 国語国文学会)四五 學習院 大學屈語國文 學會誌(學習院大瓜子園語國文學會)五六 学大国 文(大阪教育大学国語 教育睛座・ 日本アジア言語文化睛 座)五六 香椎潟(福岡女子大学国文学会)五八 金沢大学 国語 国文(金沢大学国語国文学会)三八 北九州市立大学 文学部紀要(北九州大学文学部 比較文化学 科)八二 北九州市立大学文学部紀要(人間関係学科)(北九州市立大学文 学部)110 岐阜大学 国語国文学(岐阜大学教育学部国語教育講座)三九 汲古(汲古世院)六 1