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高校世界史単元の開発 : 小単元「カ-スト制度の歴史構造」教授計画試案

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Academic year: 2021

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(1)101. 高校世界史単元の開発 中単元「カースト制度の歴史構造」教授計画書試案 原田智仁' (平成8年9月20日受理) 教師が日常行なう授業研究は,既存の教育内容(そこ には一定の教育目標も含まれる)の教授を前提に,いか なる教材を選択・組織するかといった教材開発研究であ ることが多い。だが,これでは授業づくりにおける教師 の主体性は方法面に限られてしまう。また,高等学校教 師の場合,授業研究よりも内容研究に重点を置く傾向が あるが,もはや内容研究だけでは授業が成立しがたくなっ ているという現実がある。そうした中で個々の教師に求 められるのは, 「何のために,何を,どのように教える のか」という教育の目的・内容・方法を貫く論理を踏ま えて授業づくりに臨むことである。筆者はそうした授業 づくりを,教育内容開発研究と規定する。 教育内容開発研究は,大きく①先験的教育内容開発, ②経験的教育内容開発, ③実験的教育内容開発に三分す ることができる。 ①はア・プリオリに体系的な理論を構 築し,そこから具体的な教育内容を導き出す方法であり, (塾は子どもの意欲的な追究を促す教育内容を,授業を通 して経験的に創造する方法である。これに対し, ③は一 定の理論仮説にもとづいて授業計画書を作成し,実験授 業を通してその妥当性を吟味・検証していく方法をさす。. 授業研究の科学化という点で, ③の方法が最もすぐれて いるといえよう。. 教師による教育内容開発の実験的性格は,子どもの歴 史学習にもあてはまる。すなわち,何らかの教材を通し て子どもが発見した歴史の見方-理論を,事実としてと らえるのではなく,あくまで仮説としてとらえ,その真 偽を子ども自身が批判的に吟味・検証していくのである。 こうした歴史における理論批判学習を促すためには,事 前に教師がある時代,ある地域に関する何らかの理論を 選択し,その理論を探求するための問い(発問)と,検 証のための資料(事例)を組織しておかねばならない。 そのために開発された単元レベルの実験的な教育内容・ 学習モデルが「教授計画書」である。教授計画書は,実 際の授業を通してその妥当性を吟味・修正することを前 提に作成されるものであり,その意味で試案的・発展的 性格を有している。本稿では,理論批判学習に基づく歴 史教育内容開発の具体例として,高校世界史の教授計画 書試案「カースト制度の歴史構造」を提起する。. 1小単元名「カースト制度の歴史構造」 2小単元の目的カースト制度の歴史構造の探求を通して,インド史を構造的に把握するとともに,理論批判 学習の方法を身につける。 3到達目標 (1)カースト制度の構造モデル. グ ア ノ レ. ○ ○ ○ i ○ 〇〇二 コ. バラモン (司祭) クシャトリヤ カース ト. (武士 . 貴族) 再生族 ヒンドゥ ヴアイシャ (庶民→商人) tj(孟孟二孟民義 人㌻生族. i. 的なS:別 観念白. の枠組み 現実的な 差別. チ. ○○「. 不芸禁. .]. ジャーティ(職業・地縁・血縁的社会集団). '兵庫教育大学第2部(社会系教育講座). (孟孟二二三言 ;B定部族) 不.

(2) 102. (2)カースト制度の概念的説明的知識 Aヴァルナとジャーティからなるインドの一体化し た社会制度を,カースト制度という。 Al1インドで歴史的に形成された理念的な階層 秩序をヴァルナ制度という。 A-l-1ヴァルナ制度は,四身分のカースト・ヒ ンドゥとアウト・カーストからなる。 A-l-2ヴァルナはジャーティを外から規制する 大きな枠組みととらえられる。 A-2インドで特定の地域・言語・宗教などと結 びっいた社会集団をジャーティという。 A-2-1ジャーティはその内部でしか結婚せず, その身分はその中に生まれることにより 獲得される。 A-2-2どのジャーティも四つのヴァルナないし アウト・カーストのいずれかに所属する。 Bカースト制度はバラモンの指導下に成立したヴァ ルナを基盤として,諸要因の複雑な結合によって 歴史的に成立した。 Bl1ヴァルナはインド西北部に侵入した白色人種 のアーリヤ人が,黒色系の先住民を征服・支 配したことに端を発し,その後ガンジス川流 域に移動し小国家を建設する過程で社会の階 層化と固定化が進み,四種姓が成立した。 B-2ア-リヤ人社会の地理的拡大とともに先住民 との混血や新たな部族の同化が進み,社会の 細分化が進行した結果,各種の職業と結びっ いたジャーティが成立した。 B-3ア-リヤ人社会の拡大とヴァルナ的秩序の確 立の過程で,未開な部族民などヴァルナ社会 の周辺に住む大人を不可触視する傾向が生ま mm Cカースト制度は,上からのカースト化,下からの カースト化,ヒンドゥ教の下での生活規範化を主 たる理由に,長期間存続してきた。 C-1インドの支配層は,たえずヴァルナ的階層秩 序を温存・利用しようとした。 【上からのカースト化】 C-l-1下層ヴァルナの人々は,上層ヴァルナの 慣行を採り入れることで社会的地位の向 上を図った。 【サンスクリット化】. C-2インドの民衆は,職業や地縁・血縁で結ばれ たジャーティを維持しようとした。 【下からのカースト化】 C-211各ジャーティは分業・契約関係で相互に 結ばれていた。 【ジャジマーニー制度】 C-3カ-スト制度はヒンドゥ教と結びついて,坐 活規範化した。 【生活規範としてのカースト制度】 C-3-1ヒンドゥ教の浄・不浄観念はバラモンを 最清浄,不可触民を最不浄とする考えを 生み出した。 C-3-2ヒンドゥ教の業と輪廻思想に基づく徹底. 的宿命観は,ヴァルナ制度を維持する役 割を果たした。 4小単元の構成 第1時カースト制度の構造-ヴァルナとジャー フ ̄イ ̄. 「カ-スト制度とは何か。」 第2時:①カースト制度成立の由来 「カースト制度は,どのようにして成立 したか。」 ②カ-スト制度存続理由に関する説明仮説 の形成 「カースト制度が2000年も続いた理由を どう説明するか。」 第3時 古代におけるカースト制度への挑戦 一一一仏教の成v/.-. 「カースト制度を否定する仏教が成立し 発展したのに,カースト制度が存続した のはなぜか。」 第4時 ヒンドゥ教の成立とカースト制度 「なぜ,仏教がヒンドゥ教に吸収されて いったのか。」 第5時 中世におけるカースト制度への挑戦 -イスラム勢力の侵入と支配「600年も続いたイスラム支配下で,な ぜカースト制度やヒンドゥ教が衰退しな かったのか。」 第6時:近代におけるカースト制度への挑戦 -イギリス人の侵入と植民地化「近代の原理に立っイギリスの植民地支 配下で,なぜカースト制度が衰退しなかっ たのか。」 第7時:①説明仮説の検証確認 「説明仮説の妥当性は検証されたか。」 ②カースト制度の未来予測 「カースト制度はこれからどうなってい くのだろうか。」.

(3) 高校世界史単元の開発I-小単元「カ-スト制度の歴史構造」教授計画書試案-. 103. 5授業の展開 発. 問. .. 指. 示. 教授学 習活動 資. 料. 発見 . 習得 させ たい知 識(括弧内 は予想). く第 1 時 〉 ○. これか らイ ン ドの歴史 につ いて学習 しま す0 ところで, イ ンドについて, 君たちはど ん なイメ】 ジを もっているか0. T T S. 主題説明 発問す る 答える. いろんなイ メI ジが あ るよ うだが, まず はインドの風土 と民族 について, 大 まか に とらえてお くことにしよう0. T T. 地図提示 説明 し, 板書す る. (広大 な国, 宜 しい, 暑 い, 肌が黒い, サ リ 「, 力 レI , ガ ンジー, ヒン ドゥ教, ガン ジス川, イ ンダス文明, 人 口が多い etc.). ○. . イ ンド世界の風土 と民族 文化の多様性 : 南北 を海 と山脈 に囲まれた 広大な亜大陸→多様な宗教 . 言語 . 民族 北部 . 中部 (デカ ン高原) : アI リヤ系諸族 インダス川流域 : 古代都市文明の繁栄 ガンジス川流域 :統一帝国の発祥の地 南部 : ドラヴイダ系諸族→ ほぼ統一 の圏外. ○. 次 に現在 のイ ン ド人の生活 の一面を示す 資料 を読んでみよう0 何がわかるか0 ○ カース ト制度 とは何か0 知 って いること を発表 しなさい0. T S T S. 発間する 答える 発問する 答える. ○ わが国で は一般 にカI ス ト制度 を種姓制 度 と訳 し, バ ラモ ン (司祭) . クシャトリヤ (武士 . 貴族) . ヴアイシャ (庶民) . シュー ドラ (奴隷) か らな る身分制度 ととらえ ら れている0 この制度 が残存す るとい うこと. T S T. 発問す る 考える 説明す る. (1). . イ ンドにはカース ト制度があ り, 異 カース ト間での結婚 はタブー視 されている0 (イン ドに残 る厳 しい身分制。バ ラモ ン . ク シャ トリヤ . ヴアイシャ . シユI ドラの身 分0 カース トが異な る者 とは一緒 に食事が できない. etc.). . シユー ドラとは, 元来上位 の 3 つの階級 に 奉仕すべ き者 とい う意味であ ったが, ヴア イシャが商人 と見なされるに及び, 主 に農 民を指す ようになった0 したが って, 早 く か ら奴隷 はいな くなったが, アウ ト. カー. は, いまだ にイ ン ドには奴隷 階級 が存在 す るのだろうか。. ス トとしての不可触民が生み出 された0 ○. アウ ト. カI ス ト (不可触民) とは- 一 体 何か0 現在 のイ ンドに もい るのだろうか0. T. 資料提示 説明す る. (2). ○. 次に, この資料 もイ ン ドの カI ス ト制度 について書かれ た ものであ る0 ここか ら何. T S. 発問す る 答える. (3). T T S. 問題提起 資料提示 確認す る. . 現在 のイ ンドでは不可触民は全人口の約 2 割を占め, 憲法で 「 指定 カース ト」 「 指定 部族」 として保護の対象 とな ってい るが, 依然 として悲惨な状態にある者が多 い0 . イン ドで はカI ス トにより職業が規制 され てお り, 生 まれによ り職業が決 められる0. がわかるか0 ○ 実際, イ ン ドには2000 か ら3000 のカI ス トがあるといわれ る。種姓 制度 と矛盾す る この事実をどうとらえた らよいのだろう0 そ こで, カース ト制度の意味 と構造 をしつ か り把握 してお こう0. (4 ). - カース トとは 「 家柄 .血統」を意味するポ ル トガル語のカス夕に由来す る0 . イン ドでは種姓 に該当す る語を ヴアルナと いい, 生 まれを同 じくする者の集団 をジヤ I テ ィという0 ジヤI テ ィを外か ら規制す る大 きな理念的枠組みが ヴアルナである0 . ヴアルナ とジャーティを一体化 した社会制 度 ととらえる場合 にカース ト制度 とい うO. ○. ヴアルナ とジャー ティの関 係を, イ ン ド の村落の具体的な事例で見てみ よう。. T S. 資料提示 確認す る. (5 ). .基本的にどの ジヤI テ ィも何 らかの ヴアル に属す るが, ヴアルナに属 さないアウ ト. カース ト (不可触民) も多数存在す る0. ◎. 以上を踏 まえて, カI ス ト制度 の構造を まとめて説明 しなさい0. T S T. 発問する 答える. rV. 板書 して 説明する. ア. ○ ○. ル ナ 豊. ○○ 「]. シユご. ○○] 李謂. 星族. ウ. 昌 ] 言三去. 卜. ジヤI テ ィ集団 〈第 2 時 〉 ○ カース ト制 度 はいつ 頃, どの よ うに して 成立 したのだ ろうか0 まず, ヴ アルナの成 立か ら考 えよ う0 ヴ アルナ とは古代 イ ン ド 請 (サ ンスク リッ ト語) で 「 色」を意味 して いる0 これは何をさ しているのだろうか0. T S. 発問す る 予想す る. (身分 によ り, 着用す る服や冠の色を定めた か らではないか etc.J.

(4) 104. ○ 実際のところはどうであったか0 この資 料で確認 しよう0. T S. 資料提示 (6 ) 資料読み 確認する. T. 板書して 説明する. . インド 西北部に侵入した白色人種のアーリヤ 人が, 色の黒い先住の被征服民を皮膚の色で 区別しようとしたのがヴアルナ制度の起こり である0 その後, ガンジス川流域に移動 し小 国家を建設する過程で, 社会の階層化 と固定 化が進み, 前600年頃までに四種姓が成立 し た0 . 前期ヴエI ダ時代 ⇒ 後期ヴエI ダ時代 (1500- 1000 B C ) (1000- 600 B C ) 了 首長 司祭 昌 → / 9<霊 リ芸 l. ヤ ヴイシユ 系 →- ヴア イ シ ャ 一 人 征↓ 服 支↓ 配 拒 - サ 楼 盟 → 巨 ユI 可. ○ なぜ, とくにバラモンが権威をもつよう になったのだろう。 (神々の讃歌 「 ヴエI ダ」 の編纂を手がかりに考えてみよう 。 ) ○ 次に, 不可触民や 「 生まれ」を意味するジャー ティはどのようにして成立したのだろう0. T S T T S. 発問する 予想する 説明する 資料提示 (7 ) 確認する. ◎ このように2000年 も前に成立 したカI ス ト 制度が, なぜ今日まで続いてきたのか0 この問題をこれから 皆で考えていこう0 ○ そのわけを予想 してみよう0 特に, ある 制度が長く続 くということが何を意味する かを手かかりに考えてみよう 0. T. 問題提起. T S. 発問する 予想する. ○ 何とか制度を維持 しようとす る支配層側 の要因, 制度を打破できないあるいは制度 に依存せざるをえない披支配層側の要因, そして宗教や道徳などインド 人の生活規範 との密接な関係, という三つの要因を仮説 として設定 し , 歴史的に検証 していこう0 ○ 前 600 年頃までに成立 したヴアルナ制度 はその後どうなっただろうか0 バラモンの 支配を揺るがすような出来事は起こらなかつ たか0 年表を手がかりに答えなさい。. T. 問題の所 荏 (説明 仮説) を 確認 し, 板書する. T S. 発問する 年表を見 て答える. . ア- リヤ社会は自然崇拝の多神教であり, 祭式の重要性の高まりとともに, 祭式を独 占するバラモンの支配が確立した0 . アー リヤ人社会の地理的拡大とともに先住 民との混血や新たな部族の同化が進み, 社 会の細分化が進行した結果, 紀元 2 世紀頃 までに各種の職業 と結びついたジヤI ティ が成立 した0 また, 未開な部族民などヴア ルナ社会の周辺に住む人々を不可触視する 傾向も生まれた0. (支配層にとって都合のよい制度であり, 何 とか維持 しようとした0 被支配層の側にも それを打破する力がなかった0 被支配層に とっても何 らかのメリットがあったのかも しれない。あるいは, インド 人の生活に密 着 した制度だったからではないかO etc.) . カースト 制度存続の要因- 仮説l ①上からのカースト 化‥ 支配層の意図 (縦から見たカースト 制度) ②下からのカースト 化 :被支配側の意図 (横から見たカースト 制度) ③生活規範 としてのカースト 制度 . 前 5 世紀頃, インドではヴアルナ制度やバ ラモン支配を否定する仏教やジヤイナ教が 生まれた0 . 10世紀末頃か らイスラム勢力の侵入が始ま り, 13世紀以降北インドにデリーを都とす る5 つのイスラム王朝が相次ぎ成立 した。 . 16世紀に成立 したイスラムのムガル帝国は 南インド を除 くインド の大半を領有 した0 . 19世紀後半か ら1 世紀近いイギリスの植民 地支配の下で, 教育 . 司法などの近代的制 度が導入された0 . 第二次大戦後インドは独立 し , 社会の近代 化を目指す憲法を制定 した0. ○ 少なくとも, 仏教の成立, イスラム勢力 の支配, イギ リスの植民地支配 という三つ の大きな出来事が, カース ト制度への挑戦 となったはずである0 それにもかかわ らず なぜカース ト 制度が続いたのか。それぞれ について, 具体的に見ていこう0 〈第 3 時 〉 〇 本時は, 仏教の成立がカI ス ト 制度にい. T T. 板書して 確認する 次時の予 と E = [コ. T S. 問題提起 問題確認. . カースト 制度の危機? [ 蓋蓋琵 警誓 曇蓋≡買合志瓢.

(5) 高校世界史単元の開発一小単元「カースト制度の歴史構造」教授計画書試案-. かなる影響を与えたのかを考えていこう。 ○仏教は誰が,いっごろ,どのような社会 状況の中で生みだしたのだろう。. ○そうした社会状況の中で,仏教はどんな 教えを説いたのか。とくに,カ-スト制度 に対してはどのような姿勢をとったか。. T発問する S教科書か ら答える T説明する T説明する T板書して 確認する T板書して 確認する. ○仏教は,その後どのような歩みを見せた のだろう。. T教科書で 説明する. T板書して 確認する. のずの. T発問する S予想する. ヽ. め. 0. ◎カ-スト制度を否定する仏教がこ に保護され発展したのにもかかわら ぜカースト制度がなくならなかった. ○まず,インドの仏教がその後本当に衰退 したのかを見ておこう。ところで,現在の インドではどのくらいの仏教徒がいるか。 ○では,なぜ仏教は衰退したのか。国王の 保護が得られなかったということについて 見ておこう。クシャ-ナ朝衰退後,インド にはどんな統一国家ができたか。年表を見 て答えなさい。 ○このグブタ朝,ヴァルダナ朝は,どのよ うな宗教政策をとったのだろうか。. T資料提示 丁発問する S答える T発間する S答える. T発間する T説明する. T写真提示 ○グブタ朝の国王のヴァルナ的社会秩序の 採用は,前時の三っの仮説でいえば,どれ に該当するか。. る示 す提る 問料え 発賢答. TT. る示る す提す 問料明 発資説. ○グブタ朝のもとでヴァルナ制度が利用さ れていったが,仏教も決して弾圧されたわ けではない。それにもかかわらず,仏教が 衰退していったのはなぜだろうか。. TTS. ○国王が自らの支配を正当化しようとして ヴァルナ的秩序を利用したのはわかるが, その中でなぜクシャトリヤとバラモンの地 位は逆転しなかったのだろうか。. T発問する S答える. 仏教は前500年頃シャカ族の王子ガウタマ -シッダールタが起こした.当時の北イン ドにはいくつかの国が成立して覇を競い, クシャトリヤやヴァイシャの勢力が増大し てバラモン支配-の批判が高まっていた。 仏教は徹底した無常観に立ち,すべての人 間は平等であるとしてカースト制度を否定 し,正しい道を行うことによって生老病死 の苦しみから逃れられると説いた。 仏教の成立(前500年頃) ガウクマ-シッダールタの創始 (シャカ族の王子,尊称「仏陀」 ) 人生は苦(四苦) -八正道の実践-解脱 I カ-スト制度否定-クシャトリヤ・ヴァ イシャ階級に波及 仏教はガンジス川流域を統一したマガダ国 の保護を受け,前3世紀にインドの大半を 統一したマウリヤ朝のアショ-カ王の時代 には,仏法(ダルマ)が統治の基本方針と され,仏典の結集が行われた他,亜大陸の 周辺地域にまで仏教が布教された。その後 西北インドに興ったクシャーナ朝のカニシ カ王にも保護され,その頃生まれた仏像を 中心とする仏教彫刻と大乗仏教は,絹の道 を経て中国・朝鮮・日本にも伝わった。 仏教の発展 マウリヤ朝アショーカ王(前3世紀) 仏教の保護,セイロン布教-南伝仏教 クシャーナ朝カニシカ王(後2世紀) I 大乗仏教成立-中央アジア・中国波及 (その後仏教を保護する王が現れなかった。 王の保護を受けただけで,民衆にはあまり 広がらなかったのではないか。カースト制 度がなくなる前に仏教が衰退したetc.) ・現在のインドでは, 80%強の人がヒンドゥ 教徒であり,次いで10%強がムスリムで, 仏教徒は1%にも満たない。 4世紀の前半にグブタ朝が成立し,約2世 紀にわたって栄えたが, 6世紀半ばには滅 亡している。また, 7世紀前半に一時ヴァ ルダナ朝が成立するが,まもなく衰え,各 地に地方政権が分立するようになる。 グブタ朝ではイラン系クシャーナ朝への反 発もあって復古的傾向が強く,ヴェーダ文 献に定められた王の祭式を行った他,サン スクリットを公用語とし,ヴァルナ制度を 社会秩序の理念とした。しかし,各地に仏 教の学院も建てられ,ヴァルダナ朝の時代 にかけて世界から仏教僧がやって来た。 支配層の側からの序列化ということで,上 からのカースト化といえる。. グブタ朝では,王のために祭式を執り行う バラモンに土地や村落を与え,地域の社会 秩序の維持にあたらせた。バラモンは土地 という経済力と王朝の威光を背景に村落を 支配した。こうした両支配階層の癒着関係 が上からのカースト化を一層促した。 元来,仏教はクシャトリヤやヴァイシャと いった都市住民の支持を得て栄えていた。 それに対し,農民など一般民衆は伝統的な 慣習やカースト制度の世界に生きていた。 それゆえ,グブタ朝の時代に民間信仰やバ ラモン教を融合したヒンドゥ教が成立する と,仏教は次第に吸収されていった。また グブタ朝滅亡後,都市と商業が衰退したこ. 105.

(6) 106. とも, 仏教の没落に大きな影響を与えた0 ◎. なぜインド の民衆には, 仏教よりもヒン. T. 次時の予 d二 日. 〈第 4 時 〉 〇 本時はヒンドゥ 教について学習 しよう0 ヒンドゥ教とはどんな宗教だろう 0 何か 知っていることがあれば発表しなさい0. T T. 問題提起 発問する. S. 答える. ○ これは, ガンジス川中流にある聖地ヴア - ラーナシーでの沫浴風景の写真である0 彼らは一体何のために休浴するのだろう0. T T S. 資料提示 発問する 答える. u n. ○. T T. 資料提示 説明する. (12. T T S T. 資料提示 発間する 答える 説明する. (13). ドゥ教の方が浸透していったのだろう0 こ の問題を考察するには, ヒンドゥ 教の教え について理解する必要がありそうだ0. (牛を神聖視する0 ガンジス川で休浴する。 ヨガの修行. etc.). (罪やケガレを洗い流したり, キヨメたりす るのではないか0 宗教的儀礼 etc.). 水が汚 くはないのだろうか0. ○ この写真は, 聖地ヴア- ラーナシーの沫 浴場 (ガート ) の対岸の写真である0 何も ない荒野であることがわかるだろうか0 な ぜこんなにも両岸が対照的なのだろう0. . 休浴は人を宗教的に浄化し, 功徳を増すも のと信 じられ, 特に聖地での休浴は功徳が 大きく, ヴアーラーナシーには全国から信 者が集まる0 水の清浄さは問題ではないO. (わからない…) . ヒンドゥ 教徒はすべてを浄 . 不浄の二分法 でとらえるため, ガー ト のある西岸を浄と すれば東岸は不浄の地となる0 同様に食事 に使う右手は浄, 用便のための左手は不浄 となる0. ○ こうしたヒンドゥ 教の浄 . 不浄の観念は 他にE]常生活のどのような面に見られるだ ろうか0 ○ 浄 . 不浄の観念はカI スト 制度にはどの ような影響を及ぼしているだろうか0. T T. 資料提示 説明する. (14). T T S. 資料提示 発問する 答える. (15. . 浄 . 不浄観念は, 衣 (縫目のないサ リー) 負 (菜食と肉食) 住 (壁に神聖な牛糞) な ど, 生活の各面に広 く見られる0 . 生物を殺すこと, 死, 人間の排継物などは 不浄とされ, それらの仕事に携わる人もま た不浄視された0 また, 汚れを浄めるため には特定の祭式が必要とされ, それはバラ モンによって主催された0 こうしてバラモ ンを最清浄, 不可触民を最不浄とするカー スト 制度を思想的に支えることになった。. ○ 浄 . 不浄観念がカースト 制度における上 下の序列を秩序づける原理となったとして ち, なぜ下層カI ストの人々はそれに抵抗 しなかったのだろう0. T S T. 発問する 考える 資料提示 説明する. ○ こうした思想をもつ ヒンドゥ 教は, 誰が 開いたのだろう。 ○ 実はヒンドゥ教とは, インド 人の宗教と いった意味で, 特定の開祖はいない0 しか し, 多 くの信者がいる0 これは何を意味す るのだろう0. T S T T S. 発間する 答える 説明する 発問する 予想する. ○ 前時にも見た通 り, ヒンドゥ教は紀元前 後のインド で, 伝統的なバラモン 教に民間. T T. 説明する 板書 して 確認する. (16). . ヒンドゥ教には, 霊魂は前世になした行為 (莱) に縛られ, 様々な姿をとって生まれ 代わる (輪廻) とする徹底した宿命観があ り, カース ト 制度を強固に支えている0 (わからない) .特定の開祖はいない0 (無理に作った宗教ではなく, 現実に合わせ - て自然にできたからではないか0 理屈っぽ くなく, 現世利益的だからでは。etc.). 信仰が融合して自然にできたものである0 だから, アーリヤ人の持ち込んだ神だけで なく , 先住民の神も含め, 多数の神々が信 仰されているが, 特にシヴァとゲイシユヌ の二大神に人気があり, 仏陀もゲイシユヌ 神の化身とされている。 ◎ 以上のことから, なぜ仏教がヒンドゥ教 に吸収されていつたか, 説明してみよう 0 それはまた, カI スト 制度存続についてあ げた仮説の検証となっているか。. T. 資料提示. T S T. 発問する 答える 確認する. . ヒンドゥ教 ( ヒンドゥイズム) インド 人の宗教…特定の開祖なし. (17). 紀元前後に成立…バラモン教+ 民間信仰 主神…シヴァ神, ゲイシユヌ神 聖典‥ .ヴューダ, 二大叙事詩 「 マハI バ ラ夕」 「 ラI マI ヤナ」, マヌ法典等 思想的支柱…浄 . 不浄の観念, 業と輪廻 .観念的な仏教の教えは, インド 人大衆の現 実生活に根ざしたヒンドゥ教が広がると, 教義面で もそれに吸収され衰退した0 ここ に, カース ト 制度存続の第三の仮説, つま り生活規範としてのカI スト 制度の根強さ が証明されたことになる0. 〈第 5 時 〉 ○ 次にイスラ . ム勢力のインド 支配とカース 卜 制度との関係を見ていこう0 インドのイ スラム化はどのようになされたのだろうか. T T. 発問する 説明し, 板書する. . インドのイスラム化 「 ガズナ朝 . ゴール朝のインド 侵入.

(7) 高校世界史単元の開発一小単元「カースト制度の歴史構造」教授計画書試案. 107. (ll- 12世紀, アフガニスタンより) デ リー . スルタン朝 ‥ 奴隷王朝∼ロデ イ朝 (13 ̄16世紀初, デ リI にイスラム政権) T. 写真提示. > - >' マノ 、 ノ レ. ◎ 地域差があったとはいえ, 13世紀か ら19 世紀まで600 年 も続 いたイスラムの支配下 で, なぜカI ス ト制度 や ヒン ドゥ教が衰退 しなか ったのだ ろう0 ○ まず, イスラム教 とヒンドゥ教の教義面 での主 な特徴を比較 してみよう0 何か, 知 つていることがあれば発表 しなさい0. ○. こうした教義のちが いか ら見 て, 両教徒 の問に乳礫 はなかったのだろうかO この写 真 は何を示 しているのだろう0 ○ 実際の ところはどうだ ったのだろ う0 バ ー ミヤ ンのような破壊 はあったのか0 もし あ つたとして, それは ヒンドゥ教 にどのよ うな影響を及 ぼ したか0. T. 問題提起. T S T. 発問す る 答える 説明 し, 板書す る. T T S T T S. 発問す る バー ミ 写真提示 ヤンの 答える 大仏 発問す る 資料提示 (18) 確認す る. ムガル帝国のイ ン ド支配 (1526 ̄1858,イ ンド= イスラム文化繁栄). (………) . ヒンドゥ教 とイスラム教. ・ * ". _ (バ- ミヤン石窟の仏像の顔面が削 り取 られ ているのは, イス ラム教徒のせいではない か0 偶像を禁止する宗教 だか ら etc.) . 侵入 したイスラム勢力 により, ヒンドゥ教 や仏教の寺院, 仏像, 神像などが破壊 され たが, ヒン ドゥ教 の場合は仏教のような出 家僧侶 による教団ではな く, 信者が独白の 社会集団 を組織 していたため, 寺院の破壊 が宗教 の衰退 につなが らなかった0 他方, 仏教 はこれを機 にはぼ完全に衰滅 した0. ○. この ことは, カI ス ト制度存続仮説 のう ちのいずれかの検証 とな らないだろうか0. T S. 発問す る 答える. . ヒンドゥ教が民衆の生活頒範や慣習と密接 に結びつ いていた ことの結果であり, ここ. ○. また, こうしたイスラムの教義 はヒンド ウ教 に何 らかの影響を及 ぼさなか っただろ うか0. T T. 発問す る 説明す る. . 16世紀初頭, ナーナ クは ヒン ドゥ教の改革 を目指 して偶像を否定 し, 一神教的信仰を 説 き, カI ス ト制度 に反対 した。このシク 教 はパ ンジャーブ地方 に普及 した。. ○. デ リI 諸王朝の君主 たちは, 寺院の破壊 だけでな く, ヒンドゥ教徒 のイスラム改宗 を企てなか ったのだろうか0. T T S. 発問す る 資料提示 答える. でも第三の仮説が検証 されたといえる0. (19). . デ リI 諸王朝 は平時にはヒン ドゥ教を迫害 することはな く, む しろ広大な領域を支配 するために, ヒン ドゥ領主層の地位を保障 し, 租税の徴収と村落の統治にあたらせ ざ るをえず, 改宗を強制 しなか った0. ○ イ ンド亜大陸の大半 を支配 したムガル帝 国で は, どのような統治策 をとったのだろ うか0 とくに, ヒンドゥ教などの異教徒に どのよ うに対処 したか0. T T S. 発問す る 資料提示 答える. (20). . ムガル帝国の統治体制 は第 3 代のアクバル 帝の時 に確立 された0 その基本 は在地の ヒ ンドゥ領主層 であ るラージブー トを温存 し 間接統治を図 るものであった0 また, 異教 徒に課す る人頭税を ヒンドゥ教徒には廃止 して融和を図 った0 しか し, アウラングゼ ーブ帝 は厳格 なス ンナ派イスラム主義の立 場か ら人頭税 を復活 し, ヒン ドゥ教徒を抑 圧 したため, 諸族の反抗 を招 いた。. ○. そ うした中で, ヒン ドゥ教徒の中にもイ スラムに改宗す る者が現われるが, どうい う人たちが改宗 したのだろ う0 ○ カース トを否定 し, 平等な同胞意識を掲 げるのがイスラム教 のはずだが, それがム ス リムのカース トを形成するというのは, 何を意味するのだろうか。 ○ デ リI . スルタン朝やムガル帝国の対 ヒ ンドゥ教徒妥協策 や, ムス リム . カース ト の形成 は, カI ス ト制度存続 に関す る3 つ の仮説の うち, どれに該当するか0. 〈第 6 時 〉 ◎ 本時 は, イ ンド史 の近代ともいうべきイ ギ リスによる植民地化以降の動 きを手がか りに, なぜカース ト制度がなくな らなか っ たのかを考えてみ よう0 ○ イン ドの植民地化はどのよ うになされた か0 その展開を大 まか にと らえてお こう0. T T S T S. 資料提示 発問する 答える 発関す る 答える. T S. 発問す る 答 える. T. 問題提起. T. 説明 し, 板書す る. (21. . 不可触民や下層の ヴアルナの者たちが, ジ ヤーティ単位 に集団 ぐるみで改宗 し, ムス リムカI ス トを形成す る場合が多かった0 . 人口面で圧倒的な多数派を占めるヒン ドゥ 社会 と共存 してい くために, ムス リムは柔 軟で現実的な姿勢 をとる以外になかった0 . 支配層の側か らヴアルナ制度を温存ない し 利用 しよ うと した点で, 上か らのカI ス ト 化 ということができる0 つま り, カI ス ト 制度存続 に関する第一の仮説が, ここで も 検証 されたことになる。. . イ ンドの植民地化.

(8) 108. ○ 当時のイギリスとインドとを比べて, 政 袷 . 経済 . 社会体制の点で, どのようなち がいがあったか0. ○. イギ リスは, そうしたインドにどう対処 しようとしただろうか0 また, それはイン ド 人にはどう受け取 られたか○. T S T. 発問する 答える 確認する. T T S. 発問する 資料提示 確認する. . イギリスはすでに政治的には責任内閣制の もとでの議会政治が確立し, 経済的には産 業革命が進行 し, 社会的にも自由主義的風 潮がみなぎっていたが, インドは前近代的 な旧制度が社会をおおっていた0 (22). . イギリスはインドに近代的徴税制度や法の 支配を導入 し, 伝統的な社会習俗の改革を 行おうとしたが, インド 人にはそれが伝統 的秩序の危機とうつ り , 不満を募らせた0. ○. 実際, 19世紀半ばにはインド 大反乱が起 きている。この反乱の引き金となったのは. T S. 発問する 答える. 何か0 ○ なぜ, インド 人傭兵が反乱を起こしたの だろう0 何が不満だったのか0. T T. 資料提示 説明する. . インド 大反乱は, 東インド 会社のインド 人 傭兵 (シバI ヒー) の反乱がきっかけで起 (23). こつた0 . シパーヒーの使用する新 しい銃の薬包に牛 脂と豚脂が塗られているとの噂が流れ, 反 乱となった0 また, それ以前から 海外出征 をめぐって, それを拒否するシパーヒI と 東インド 会社側とで対立がつきなかった0. ○ シパーヒI にとって, 銃の薬包に使用さ れる脂や海外出征が, なぜそれほどの問題. T T S T S. 発間する 資料提示 確認する 発問する 答える. T T S. 資料提示 説明する 確認する. (25). さて, 話をもう一度植民地時代にもどそ う 0 インド 人の激しい抵抗や反乱にあった イギリスは, 統治策を変更 しただろうか。. T T. 資料提示 発問する. (26). ○ イギリスの統治策の変更は, カース ト 制 度にとってはいかなる意味をもつたか0 ◎ このように, イギリスの植民地支配の時 代にも上からのカl スト 化と下からのカー スト 化がなされ, カI スト 制度が存続 して きたわけだが, ジヤI ティ集団に依拠する 民衆がなぜ上下のヴアルナ的秩序を受け入. T S T T T S. であったのだろうか0 、 ○ このことは, カース ト 制度がインド 人の 生活を保護 していたことを意味している。. (24). . ヒンドゥ教の禁忌を犯せば, カI ストを失 う, つまり一切の人間関係から切断され, 生きる術を失うことを意味 した0 . 民衆の側か らのカI ス ト 制度擁護であり, 下からのカースト 化といえる0. これは, カースト 制度存続仮説のいずれを 検証したことになるのか。 ○ ここでインド 人にとってカI スト (ジヤ I ティ) がいかに重要なものであったか, すなわち下からのカl ス ト 化を如実に示す 事例を見ておこう0 ○. . インドの伝統的村落社会では, 多数のカI スト (ジャーティ)がサービスと現物, サー ビスとサービス, 現物と現物の交換関係で 経済的に結ばれるジヤジマI ニー制度によ って有機的に結びついていた0 . まず, インド 社会を近代的に改革するのを 止め, 次に国家権力以外の社会をインド の 伝統的秩序に任せることにした0. 発問する 答える 発問する 資料提示 説明する 確認する. れてきたのだろうか0. (27). . イギリスのこの政策変更は, 結果的に上か らのカI スト 化を促進することになった0 . バラモンと不可触民を除けば, 儀礼上の上 下関係があいまいな中間層の諸集団は, 経 済的な成功を勝ち取ると, 次には社会的上 昇を目指して上位ヴアルナ, とくにバラモ ンの慣習(菜食や禁酒, 寡婦の再婚禁止等) をまねるようになった0 この現象をサンス クリット 化といい, 結果的にカースト 規制 を強化させることになった0. 〈第 7 時 〉 〇 本時は, まずカI スト 制度存続仮説につ いての歴史的検証を整理 し , それを踏まえ て, カI ス ト 制度の現状とこれからについ て考えよう0 ○ 第一の仮説は何であったか0. T. 問題提起. T S. 発問する 答える. . 上からのカース ト 化, すなわち支配層が自 らに都合のよいヴアルナ秩序を維持しよう としたために, カースト 制度が存続 した0. ○. 第二の仮説は何であったか0. T S. 発間する 答える. . 下からのカース ト 化, すなわち民衆の側が 職業と結びついたジヤI ティを維持しよう. ○. 第三の仮説は何であったか0. T S. 発問する 答える. . カース ト 制度はヒンドゥ教の浄 . 不浄観念 と業 . 輪廻思想に支えられ, 生活規範化し. ○ この二つの仮説は, どのように歴史的に 検証されただろうか。まず, インド 国内に 起こった仏教の挑戦はどうであったか0. T S. 発問する 答える. ○ 外来の征服王朝ともいうべきデリー . ス ルタン朝やムガル帝国によるイスラム教の 挑戦はどうであったか0. T S. 発問する 答える. . グブタ朝による上からのカースト 化と, 生 活規範化したヒンドゥ教の力によって, 仏 教は革新的力を失った。 . 日常生活と結びついたヒンドゥ教の力と, 少数派のムス リム政権による体制補強のた めの上からのカースト 化によって, 挑戦は 退けられた0. としたために, カースト 制度が存続 した。. ていたために, 長 く存続 した0.

(9) 高校世界史単元の開発一小単元「力-スト制度の歴史構造」教授計画書試案-. ○近代思想やキリスト教文明からなるイギ リスの植民地化の挑戦はどうであったか。. この資料を手がかりに考えてみよう。. るる示 すす提 問想料 発予資. TTS. る示 す提る 問料え a S I M i i S. ○カースト制度は必ずしも排他的差別的な ものではなく,相互扶助的側面も強いこと がわかった。その中で,現在カースト制度 の最大の克服すべき問題とは何だろうか。. T発問する S予想する T資料提示 S答える T発問する S予想する T資料提示 S答える TST. ○ヒンドゥ教信仰は今後も続くだろうか。 それとも,改革がなされるのだろうか。. るるる. ・-)か。. すすす 認問想 確発予. ○下からのカースト化は今後も強まるだろ. TTS. ○こうして,最初に提起した二つの仮説の 妥当性はほぼ検証されたといってよい。こ の結果を踏まえると,インドのカースト制 度は今後どうなっていくのだろう。あるい は,どうしたらカースト制度はなくなるの だろうか。 ○上からのカースト化は今後も強まるだろ うか。 この資料を手がかりに考えてみよう。. T発問する S答える. 6教授資料とその出典 (1)異カースト間の結婚の悲劇 マドラスのある大きな貿易商の店に一人のバラモンが 出入りしていた。店の主人夫妻はバラモンではなかった が,非常に教養のある人たちで,バラモンはその話相手 のようなかっこうで出入りしていた。 -中略-バラモン にはかわいらしく,かつ聡明な娘がいて,彼はよくその 娘を連れてやってきた。バラモンはタミルの学者であっ たが生活は楽でなく,それを助ける意味で,親切な店の 主人はその娘に楽な仕事を選んで店を手伝わせるように した。バラモンはそれを喜んで感謝していた。ところが, 店で働くようになって月日が経ち,その娘は同じく店で 働いていた一人の青年と恋に陥ちた。青年は非常に真面 目でまた有能であったが,低いカーストの出身であった。 娘がその青年と結婚の意志をもっに至ったことを知った バラモンは激怒した。娘にとって,青年にとって,父親 にとって苦しみの日が続いた。店の主人は何とかして若 い二人を幸せにしてやりたく思い,時間をかけてバラモ ンを説き伏せて,二人の結婚を認めさせようとした。二 人はその店で働き続けることができるのだから,生活は 成り立つはずであり,店の主人はそれを保証した。その 青年と娘をかわいがっていた店の主人は,やがては二人 を独立させて別の店を持たせることをも考えているよう であった。父親のバラモンはついに折れてその結婚を認 めることになった。 二人は結婚し,皆はほっとし,そこから幸福な生活が 始まるかのように思われた-が父親はその直後に自らの 命を絶った-。自分の娘を低カーストの者と結婚させた ことに対する周囲のバラモンからの非難に,父親は耐え ることができなかったのであった。 (辛島昇,奈良康明. 109. ・ジャジマーニー制度のようなジャーティ間 の分業関係を維持しようとする下からのカ ースト化,大反乱後イギリス側がとった上 からのカースト化,サンスクリット化現象 に見られる民衆自身の上からのカ-スト化 によって,イギリスの挑戦は退けられた。 (仮説にあげた三つの要因がくずれれば,カ ースト制度も変容・消滅せざるをえないの では- etc.) (体制側からのカースト化はなくなるだろう が,サンスクリット化のような民衆自体に ある上昇志向や差異化・序列化の動きは簡 単になくなるとは思えないetc.) (ジャジマ-ニー制度が農村で見られた慣行 であったことから,都市化が進めばジャー ティ間の結合も弱まることが予想される。 しかし,別のかたちでの人的ネットワーク として,存続する可能性もあるetc.) (未来が見通せない現代には,逆に宗教の力 が見直されていることもあり,ヒンドゥ教 の力が弱まるとは思えない。だが,不可触 民が集B]で仏教に改宗したように,新たな 動きも見られるだろうetc.) (カースト制度自体は歴史的な制度であり, それぞれの時代に一定の役割を果たした。 ところが,全人口の2割を占める不可触民 への差別は,歴史的制度の問題というより 現代的差別の問題と考えられるetc.). 『インドの顔』河出書房新社, 1975, pp.99-100) (2)アウト・カーストの現状 アウト-カースト(現在インドでは,このアウト-カー. ストという語および侮蔑的意味を強くもっ不可触民とい う語は用いられずに,公には登録(指定)カーストという 語が用いられる。ガンディーは彼らを指すのに「神の子」 を意味する-リジャンという語を用いた)の人びと自身 の言葉に耳を傾けてみよう。 -中略一級公務員の資格をもつある青年の回想である。 「子 供のころからもうわかっていました。他人に触ったり, その家に入ったり,井戸から水を汲んだりしてはいけな いということが。水が欲しければ乞わなければならない のです。もし相手が優しい心の持ち主であれば,水を汝 んで水入れに入れてくれるでしょう。水を自分で汲むこ とは許されなかったのです。」 50代のある弁護士兼政治家は次のように言う。 「私た ちのカーストのつとめは,動物の死体の片付けでした。 仕事への報酬はなかったので,その動物の肉を食料にし なければなりませんでした。カースト-ヒンドゥ(ヴァ ルナ身分をもっているヒンドゥ教徒の意で,アウト-カー ストという語と対置的に用いられる)が食べ残したのや, よごれたり腐ったパンを放ってよこすと,私たちはそれ を屍肉にまぜて食べるのです。私も,子供の頃,動物の 屍肉と捨てられたパンを食べたものです。」 20歳の大学生は言う。 「村にいれば自分の身分がわか ります。それは本能的にわかるのです。別々の集団がそ れぞれ違った区域に住むことや,他人の家に入ってはい けないことなどがわかりだし,意識するようになるので す。」.

(10) 110. 別の学生が言う。 「部屋を借りに行くと,最初にあな たのカーストは何ですかと聞かれます。登録カーストと 答えれば,部屋はみんなふさがっていますといって断わ られますo登録カ-ストの人間には,誰も部屋を貸して くれないのです。」 以上は教育を受け,社会的にも成功している(あるい は成功するであろう)アウト-カーストの人びとの言葉 である。しかしインドには今なおこれらの人びとの回想 に述べられているような屈辱に満ちた差別を強いられて いる実に数多くの人びとがいるのである。登録カースト の人口は実に6500万人で,インドの総人口の15%弱 (1961年の統計)に当たるのである。つまりインド人の7. 8人に一人がそうなのでありそのことわ考えれば,これ がいかに大きな問題であるかわかろう。 (同上書, pp.139-140). ティとは「生まれ」を同じくする者たちの集団という意 味をもっている。 15世紀末に海路インドにやって来た ポルトガル人は,インド社会に見出されたジャ-ティ集 団を,自国語で「種族」 「家柄」 「血統」などを意味する 「カスク」という語で呼んだ.今日の「カースト」とい う語はここに起源をもっ。 1901年の国勢調査によると, カースト(ジャーティ)の数はインド亜大陸全体で2378 にのぼっている。 ヴァルナとジャーティとの間には共通点が多く見られ, また各ジャーティは不可触民のジャーティを除いて四ヴァ ルナのいずれかに属している(ただし今日ではヒンドゥー 法典の定めるところとやや異なり,農民は一般にシュー ドラとみなされる)。このような関係にあるところから, 従来しばしばヴァルナとジャ-ティは混同され,いずれ も「カースト」と称されてきたが,ここでは用語の混乱 を避けるため,カーストという語をジャーティの意味で 使い,ヴァルナについては,このインド名をそのまま用 いた。また,ヴァルナとジャーティを包摂した制度全体 を,カースト制度という語で表現した。 (辛島昇編『イ ンド入門』東京大学出版会1977, pp.181-182)。. (3)カーストと職業の結びつき カーストはしばしば固有の職業をもち,成員はその職 業を世襲する。したがってカースト名には職業に関係す るものが多い。たとえば,鍛冶カ-ストのロー-ールは く鉄)を意味するロー-,陶工カーストのクンバールは (陶器)を意味するクンバを語源としている.ただしカ(5)ヴァルナとジャーティの関係 ストと職業の結びっきは決し 区 分 ヴ アルナ ジ ヤ I テ ィ ( マ バ ラ シ ユ トラ 州 ) て固定したものではなく,同 -カーストに属する者が異なっ 力 ノヾラ モ ン 去 苛 た職業に従事する場合も現実 マ ラ I 夕 ( 自営 農 民 . 地 主 ) ク シ ャ 卜 リヤ には多い。また農作業はほと ト ヴ アイ シ ャ コ ム テ ィ ( 商 業 ) , ワ ニ (商 業 ) . 触 んどのカーストに開かれてい ヒ ソ ー ル (鍛 冶 屋 ) , ラ ン ガ リ ( 菓 子 づ く り) , テ リ (油 搾 り) る。 I B ガ ル ナ マ リ (果 実 扱 い ) , ダ ン ガ ル (羊 飼 い) , バ 夕 ル ワ ッ シ ユ I ドラ 近代になり伝統的な経済関 <・ サ 卜 (石 工 ) 係が崩れはじめると,カース シ′ヤ ー T イ トと職業の結びつきは緩んだ。 ア マ バ ラ シ ユ トラ州 ベ ンガル州 今日のインドでは共和国憲法 ウ !ヘ のもとで,原則的には職業の チ ヤマ ー ル (皮 革 業 . 7 つ の サ ブカ ー ス ト) ナ モ (農 業 ) , ドサ ー ド( 豚 飼 ) ト 不 マハ I ル (死 牛 処 理 , 葬 式 準 備 雑 役 ) . 可 マ ロ (漁 業 ) 自由が保障されている。しか カ 触 ク ンバ ー ル (壷 造 り , 焼 物 ) ム チ (皮 革 ) し,インドの人々がカースト ー民 ド】 ピー (洗 濯 ) バ リ (清 掃 と壷 造 り) ミナ (農 耕 ) ドモ (葬 式 ) ス \/ 固有の職業を離れても,力マ - ング (村 の 雑役 ) チ ヤ ラ ラ (葬 式 ) 卜 ストそのものから離脱したこ ビイ I ル (狩 猟 , 皮 な め し) プ ラ マ ニ ク (床 屋 ) バ ンギ - (汚 物 の清 掃 ) ナ - イ ( 床 屋 ) ‥. ビバ ー ル 州 とにはならず,出身カースト への帰属意識は依然として強 (斎藤鑑犬井正編著『現代の世界像』古今書院, 1985, p.87) い。 (『世界大百科事典・ 5』 平凡社, 1988, pp.296-297). (4)カースト制度の意味と構造 われわれは普通,インド社会といえばカースト制度を 思い浮かべ,カースト制度といえばインド古来の四つの 身分階級,バラモン(司祭),クシャトリヤ(王侯・武 士),ヴァイシャ(農牧商に従事する庶民),シュードラ (隷属民)を思い浮かべる。インド人はこれらの四身分階級を「ヴァルナ」と呼んできた。ヴァルナとは本来 「色」を意味する語であったが,ア-リヤ人のインド侵 入当時,皮膚の色が支配者・被支配者の区別を示してい たため,この語に「身分」 「階級十の意味が加わり,混 血が進み皮膚の色の差がなくなったのちも,そのまま身 分-階級の区別を表わす語として用いられ続けたのであ る。 右の四ヴァルナの区分が社会の大きな枠組みを理論的 に示したものであるのに対し,現実の社会において機能 しているのはジャーティと呼ばれる集団である。ジャー. (6)ヴァルナの由来 「ヴァルナ」という言吾はそもそも「色」の意で,それ が階層の別を意味するようになったのは,紀元前1500 年頃にインダス河流域に侵入して来たインド-ア-リヤ 民族が色の白い自分たちと黒い先住民たちを区別して用 いたことに由来するものと考えられている。その後イン ダス河流域での定住生活に入ったア-リヤ民族の社会で は司祭や王族の重要性が増し,さらに紀元前1000年頃 からア-リヤ民族がガンジス河流域に進出してそこに定 着し農耕社会が成立するに従って,社会の階層化と固定 化が一層進行した。そして,そこに司祭としてのバラモ ン,王族としてのクシャトリヤ,平民としてのヴァイシャ の別がはっきりとし,その三者が被征服民族で奴隷たる シュードラを支配する体制が出来上がったと考えられる。 これが四ヴァルナ成立の事情で,それはほぼ8世紀頃の ガンジス河上・中流域でのことと推定される。 (西嶋定.

(11) 高校世界史単元の開発-I-小単元「カースト制度の歴史構造上教授計画書試案-. 生他『世界歴史の基礎知識(1)』有斐閣, 1977, p.241) (7)ジャーティの由来 ア-リヤ民族の世界がさらに地理的に拡大されていく に従って先住民との混血も進行し,また新たな部族がそ の社会に加わるなどして,社会の細分化が進行する。そ こに出来上がってくるのが各種の職業と結びついたジャー ティであり,それがヒンドゥー教における浄・不浄の観 念を媒介としてヴァルナと結びっけられて成立したのが カースト制度である。紀元2世紀の頃に成立したとされ る『マヌ法典』は,バラモンを頂点とし各ジャーティを その中に組みこんだカースト制度の成立を明白に示して おり,それがその後のインド社会を今日に至るまで深く 規制することになったのである。 (西嶋定生他,前掲書, p.241). (8)インド共和国の宗教別人口 1 9 6 1 宗. 教. 名. 信 徒 数 (人 ). 1 9 7 1 %. ヒ ン ド ゥ教 徒. 3 6 6 ,5 0 1 ,2 6 7. 3 .5 0. イ ス ラ ム教 徒. 4 6 ,9 3 9 ,7 9 1. 1 0 .7 0. キ リ ス ト教 徒 シー ク 教 仏. 教. 信 徒 数 ( 人) 4 5 3 ,4 3 6 ,6 3 0 6 1 ,4 18 ,2. %. 10 ,7 2 6 ,3 7 3. 2 .4 4. 14 ,2 2 5 ,0 4 5. 2 .6 0. 徒. 7 ,8 4 5 ,1 7 0. 1 .7 9. 1 0 ,3 7 8 ,8 9 1. 1 .8 9. 徒. 3 ,2 5 0 ,2 2 7. 0 .7 4. 3 ,8 7 4 ,9 4 2. 0 .7 1. 2 ,0 2 7 ,2 6 7. 0 .4 6. 2 ,6 0 4 ,8 3 7. 0 .4. そ. 1 ,6 0 8 ,1 18. 0 .3 7. 2 ,2 2 1 ,0 3 8. 0 .4 0. 4 3 9 ,2 3 4 ,7 7 1. 1 0 0 .0 0. 5 4 8 ,1 5 9 ,6 5 2. 1 0 0 .0 0. 総. 他 計. ジャイナ教とことなり一般信者が共通な生活様式で結ば れていなかったこと,密教化(呪術宗教化)した仏教が 独自性を失いヒンドゥ-教に吸収されたこと,などが考 えられている。さらに,イスラム教徒の侵入軍による僧 院の破壊が,基盤を失いっつあった仏教にとどめを刺し たのである。 (木下康彦,木村靖二,吉田寅編『詳説世 界史研究』山川出版1995, p.77.) (ll)写真「ヴァ-ラーナシーの休浴風景」省略(『新 詳世界史図説』浜島書店, 1994, p.32) (12)ヒンドゥ教徒の休浴の意味 折にふれて寺に詣で,聖地に巡礼するのはヒンドゥー 教徒の個人の宗教生活の重要な一部といってよい。寺や 聖地ではタンク(休浴用の池)や川で休浴する。正直に いって,必ずしも清浄な水とはいいがたいが,休浴は人 を宗教的に浄化し,罪を洗い浄め,功徳を増すものと信 じられている。特に聖地における休浴は功徳が大きく, 例えばガンジス川に沿うヴァ-ラーナシ- (ベナレス) には全国からヒンドゥ-教徒が集まってくる。 (星村平 和編,前掲書, p.944). oZ . A l l .2 0. ジ ヤ イ ナ教 徒 の. ilil. (星村平和編『社会科のための文化人類学(下巻)』東京法令 出版1982, p.933) (9)クシャトリヤとバラモンの癒着構造 バラモンへの村落や土地の施与は,グブタ時代からさ かんになった。古代インドでは「全土地は王のもの」と いう観念があって,王は行政権,司法権のほか,租税徴 収権,埋蔵物の所有権,一定地区の未墾地の所有権など 多大な権利をもっていた。村落施与によって王がバラモ ンに譲渡したのは,租税収入が主要な内容であった。 これに対して,土地施与は王の所有地を移譲したもの であり,それは村落施与とは実質的に相違があった。村 内に施与地があれば,村落施与ではその土地は除外され た。この施与が一般化すると,やがて官吏などにも村落 や土地が与えられるようになった。 7世紀前半の玄英は これを最初に記録している。バラモンにとって村落や土 地の施与の意味は大きかった。かれらはその村落に定住 し村落の租税分を獲得して,バラモンとしての権威と王 朝の威光を背景に村落を支配し,その地域社会に大きな 勢力をふるった。バラモンは王のために祭式を施行する と同時に,村落社会の秩序維持にあたり,ヒンドゥー教 を浸透させたのである。 (山崎利男『悠久のインド』講 談社, 1985, pp.138-139) (10)仏教衰退の理由 仏教衰亡の原因としては,僧院中心の宗教であったた め民衆から離れたこと,都市経済が衰退し仏教を支えて きた商工業者が没落したこと,王侯たちがヒンドゥー教 信仰に傾き彼らの援助がうけられなくなったこと,ヒン ドゥー教とことなり農村社会に浸透できなかったこと,. (13)写真「ヴァ-ラ-ナシ-の右岸と左岸」省略(野 間宏,沖浦和光『アジアの聖と塘』人文書院, 1983, p. 80). (14)浄・不浄の価値観 ヒンドゥー教徒の社会生活を内面から規定する基本的 な価値観として,浄・不浄の観念がある。汚れと見なさ れる行為,事物はおおよそ次のごとくである。 ①生物を殺すこと(したがって猟師,漁夫,菜種の 油搾り等はさして浄らかな職業とはみなされない)0 ②死(故に死体運搬はカースト制最下層の不可触民 の人々の仕事とされた)0 ③人間の排継物(洗濯屋・床屋・便所掃除人,産婆, 産婦等)0 ④牛は神聖で, (屠殺人,皮革を扱う職業も不可触 性が強いとされる.)アルコール飲料を作り,売 り,あるいは飲む人は浄らかではない。 この観念は少なからぬ生活慣行,生活様式を規定して いる。例えば,ヒンドゥー教徒は左手は不浄といい,負 物にふれない。左手は用便を水で始末するときに用いる からである。物理的な意味での不潔では決してないので, 観念として,左手は不浄だということである。また,正 統的なヒンドゥー教徒の家では,知人の葬儀に参列して 帰ってくると,家族のものは戸口で水をふりかけてもらっ て浄める。これは日本の塩を用いる習慣と考え方は同じ である。 食物にも浄・不浄のランクがある。牛は神聖な動物で, 食用にすることはほとんどあり得ない。したがって,ヒ ンドゥー教徒がビーフを食べない理由は,イスラム教徒 が豚を汚いものとして食べないのと意味が違っている。 チキンやマトンは食べられているが,全般的に肉食は菜 食よりけがれが多いとされる。したがって,バラモン・ クラスでは菜食の人が多く,むしろ,菜食はバラモンの 代表的な生活様式の一つとなっている。 一方,池で煮た食物はパッカー(熟したの意)といい, 水で煮たり,焼いたりしたものはカッチャー(生の意).

(12) 112. という。前者は池で浄められているものとみられ,カー スト上位の者が下位の者から受け取り得るが,カッチャー の扱い方はうるさい。 食物ではないが,家を新築したり,祝い事があるとき, 牛糞をうすく水に溶いて壁や床に塗るのも浄化のためで ある。ガンジス河や聖地の池での休浴も,水は決してき れいではないが,宗教的には浄められることをヒンドゥー 教徒は疑わない。 (星村平和編,前掲書, pp.947-948) (15)浄・不浄観念のカースト制度への影響 いずれの宗教においても浄・不浄の思想は存在するが, ヒンドゥ-教のもとでこの思想は極度の発達をみた。カー ストとの関係について言うならば,各カーストの職業や 慣行が浄・不浄の観点から評価され,最清浄であるバラ モンを最高位とし,不可触民のカーストを最下位とする ランキングが定められている。各カーストがそれ自体と してもっ一定の不浄性は集団的なものであり,カースト 所属者が一様に,また生涯にわたってもたざるをえない ものである。一方,いずれのカーストも,それぞれにふ さわしい浄性を保っ必要がある。各カーストがその成員 に強制する結婚,食事などに関する煩墳な規制も,結局 は自己のカーストを積れから守り,カースト・ランキン グを維持するためのものと言える。以上のように,ヒン ドゥー教の浄・不浄思想は,インド社会をカーストに分 割する原理となっていると同時に,カーストの集合体か ら成る社会を秩序づける原理ともなっている。宗教的・ 儀礼的に定められた上下の秩序が,経済的な分業関係を 支え,維持してきたのである。 (『世界大百科事典』前掲 巻, p.297). (16)ヒンドゥー教の業・輪廻思想 ヒンドゥー教徒は,霊魂は前世になした行為(業)に 緒られ,さまざまな姿をとって生まれ代わる(輪廻)と 信じてきた。この業・輪廻思想のもとでヒンドゥ-教徒 は(人がそれぞれのカーストのなかに生まれることになっ たのは,前世の行為の結果であるから,次はそのカース トの職業に専念せねばならない。そうすることによって のみ来世の幸福が得られる)と教えられる。こうした徹 底した宿命観が,カースト社会の維持のために果たした 役割は大きかった。 (『世界大百科事典』前掲巻, p.297) (17)ヒンドゥー教の神々-ヴィシュヌとシヴァー 混合宗教であるヒンドゥー教の特色は,最高神のヴィ シュヌとシヴァによく示されている。ヴィシュヌ神はヴェダの宗教では太陽神のひとつにすぎなかったが,ヒンドゥー 教では宇宙を創造し保持する神,慈悲の神とされる。ま た多くの名で呼ばれるが,これは地方的に信仰を集めて いた神がヴィシュヌ神と同一視された結果である。この 神はまたさまざまな姿をとって地上世界を救うとみられ た。そうした化身のなかには民衆の信仰を集めていたク リシュナ神, 『ラーマ-ヤナ』の英雄ラーマがおり,仏 教の開祖ブッダまでが化身のひとりとされている。これ らの神々に祈りを捧げることはヴィシュヌを拝むことに なるのである。 一方のシヴァ神は,宇宙を破壊する凶暴な神であると ともに,宇宙を創造する神,慈悲深い神でもある。また 踊る神,芸術の神であり,苦行する神,獣類の神でもあ る。すでにインダス文明の印章にシヴァ神の原型とみら. れる神が彫られているが,ヴェ-ダの宗教の暴風神ルド ラと同一視されることによって,ア-リヤ民族の宗教の なかにとりこまれ,やがてヒンドゥー教の最高神の地位 を獲得したのである。またシヴァ神は多数の親族をもっ 神として知られる。地方的に信仰を集めていた神々が親 族というかたちでシヴァ信仰にとりこまれたのである。 後世には,シヴァ神とヴィシュヌ神を同一視する一派ま で現れている。第3の最高神ブラフマ- (創造の神)は 民衆の間にあまり人気がなかった。 (木下康彦,木村靖 二,吉田寅編,前掲書, p-76) (18)写真「バーミヤンの大仏」省略(浜島書店,前掲 吉, p.47) (19)デリー諸王朝におけるヒンドゥデリー諸王朝にとって,征服した広大な領域を全村落 の末端にいたるまで,自分の軍隊と官吏の手で支配する ことは不可能であった。征服者であるムスリムの人口が 少なかったため,ヒンドゥーの領主層に対して,旧来の 地位を保障して,租税の徴収と郷村の統治にあたらせざ るをえなかった。この領主層の存在はムスリム,ヒンドゥー 両方の資料に記されているoかれらはスルタ-ンをその 称号で呼ぶと同時に,グブタ朝以来の「大王の王」とい う称号をもって呼んでおり,スルターンをこれまでの王 と同じように考えた面もあった。 (山崎利男,前掲書, p.196). eO)ムガル帝国の宗教政策 300年もの長い間にわたって継続するムガル朝の基礎 は,第3代皇帝アクバルのときにつくられたムガルニラー ジブート体制である。つまり,イスラム教徒到来以前の インド在来の支配層であったヒンドゥ-教徒のラージブー トと呼ばれるコミュニティーにたいし,アクバルは高級 官僚に登用するだけでなく,妃をめとるなどして癒着し た。また,異教徒に課する人頭税を廃止するなど,イス ラム教徒としては異端ともいえるほどの政策を行なうこ とによって,インドの統治者としては,いわば正統的な 地位についたのである。 「コーランか剣か」と,被征服 者を改宗させずにはおかないイメージを持たれているイ スラム教徒であるが,インドの住民の多数がヒンドゥ教 徒であるという現実では,在地のヒンドゥ-領主層を潰 滅させずに温存し,その上にムスリム貴族・軍人の中央 官僚機構を上乗せする構造をとった。ここに彼らの統治 の成功があったわけだが,そこにこそ彼らの支配の脆弱 性も存在していた。 (長崎暢子『インド大反乱1857年』 中央公論社, 1881, pp.18-19) (21)ヒンドゥー教徒のイスラム改宗 一般のヒンドゥー民衆の世界においては,個人はもち ろん,一家族の改宗も,ほとんど不可能だったのではあ るまいか。むしろ,ムスリム支配者やムスリム貴族とな んらかの関係にあった特定の職業ギルドやカースト集団, あるいはムスリム支配の拠点またはその周辺に存在して いたなんらかの共同体による,いわば集団ぐるみの改宗 の方が,むしろ一般的ではなかったかと推測せざるを得 ない。ス-フィーの聖者たちと接触し,ダルガーなどへ 行く気になったヒンドゥーのなかには,とくにそうした 集団に属する人たちが多かったのではなかろうか。.

(13) 高校t世界史単元の開発中単元「カースト制度の歴史構造」教授計画書試案-. 「それを犯せばカーストを失う」とはいったい何を意 味するのであろうか。 -中略-・大反乱の最中にも始終聞 かれる言葉である。当時のヒンドゥー(不可触民をはぶ く)にとって,カーストを失うということは,これまで 持ってきたすべての人間関係から切断され,すべての権 利をなくす一種の"無国籍"を意味する大問題である。 シーター・ラ-ムはピンダーリ-戦争で傷をうけたとき, 不可触民の少女から飲水を貰ったばかりにカーストを失っ たことがあった。そのとき,村では誰一人彼にロをきか ない。茶はおろかタバコも一緒に喫もうとしない,父の 家へさえ入るのを許されない,という経験を彼は味わっ た。有力者であった彼の父はカースト内の紛争を処理す るカ-スト・パンチャーヤトなる会議を開き,カ-スト をふたたび息子に獲得させたが,このため彼は牛の五っ の分泌物を飲んで身を浄め,その他種々の儀式や何日も の絶食をしたあげく,それまでの貯金を使い果すほどの 礼金と贈物をばらまかなくてはならなかった。 (長崎暢 千, 1881, p.61). イスラムへの改宗者の多くが,ヒンドゥー社会のなか では,むしろランクの低いとされたヴァルナに属するも のが多かったであろうという推論は,すでに指摘されて いるところだが,私がこれまで述べたことから推してみ ても,大いに有り得ることのように思われる。また,カー スト-ヴァルナ制の外で被差別階層としての扱いを受け てきた人たちの集団が,その身分的束縛から自由となる ために,平等観と同胞意識とを原則に掲げるイスラム教 に改宗しようとした。 (荒松雄『ヒンドゥ教とイスラム 教』岩波書店, 1977, p.131). (23)インド大反乱の原因 1757年のプラッシーの戦いにおいて,はじめて本格 的に使われた傭兵は,それ以来,東インド会社の征服戦 争には欠かせない存在であった。しかし, 19世紀の半 ばにインド亜大陸の征服はほぼ完了して,会社は傭兵を それほど必要としなくなり,その結果従来より低いカー ストの人々やあまり身分の高くないムスリムを雇傭して いこうとした。従来の既得桂一相対的に高い賃金水準や 海外勤務はしないなど-も奪われようとしていた。これ らにたいする抵抗がシパーヒ-の問での「カーストを奪 われる」という声になっていったのであろうと思われる。 すなわち,この頃,軍隊には新しくェンフィールド銃が 導入されようとしていたが,この銃は薬包を噛みきらね ば装填できなかった。ところが,この薬包に且ヒンドゥー にとって神聖な牛脂,ムスリムにとって汚れている豚脂 が塗ってあるという噂がひろまり,この銃を使用すると カーストが奪われてしまうとしてその使用を拒否したと ころから反乱が勃発したのである。 (西嶋定生他,前掲 書, p.255) e4)ヒンドゥー教徒にとって「カーストを失う」こと の意疎. (25)ジャジマ一二一制度. 職. 人. (22)インド大反乱以前のイギリスのインド統治策 ヒンドゥ-社会は当時まさに危機にさらされていたo 一つにはキリスト教側の対応がある。 19世紀,とりわ け1820年代以降のエヴァンジェリカ派の人々は,異教 徒インド人を悪とみなし,インド社会を文明化し,キリ スト教化することを義務とした。また当時のイギリス人 為政者はベンサム流の功利主義思想の持ち主が多く, 「合理的近代」によって, 「封建的」インドを改革してや ろうとの熱意に燃え,インドの経済・社会関係,伝統的 習俗を次々に改革しようとした。 -中略-・社会的な問題 で言えば,例えばヒンドゥーの王位継承権はこれまで養 子にも認められていたにもかかわらず,嫡男にしか認め られなくなり,イギリスに併合される王家が相次いだ。 ムスリムの未亡人の再婚を許したことは,インド人には 強制的再婚と映ったし,サティー(未亡人による一種の 殉死)のような習俗の禁止も,イギリス人為政者が行なっ たかぎりではインド社会への挑戦でしかなかった。ター バンを脱ぐよう圧力がかかっていたし,キリスト教への 改宗者が東インド会社内で速やかに昇進する事実や,今 後は「不浄の地」たる海外勤務を拒否しないインド兵を 採用するとの1856年の決定は,ヒンドゥー教徒にとっ てヒンドゥー秩序の危機を感じさせた。 (長崎暢子 「インド大反乱と情報伝達」 『シリーズ世界史への問い3』 岩波書店, 1990, pp.92-93). 113. ・書芸は主要な関係. [⇒は現物、 →-はサーヴィス. 才は副次的関係。 * 「職人」は鍛冶工,陶工,大工,理髪人,洗濯人,皮 革加工人などの話力-スト。たとえば,陶工は毎年き められた数の陶器をジャジマーンの家に提供し,また 理髪人は各ジャジマーンに対し定期的な散髪,髭剃り, 爪切りなどを行なう。 * 「雑用」は水運び,清掃,伝達,見張その他の仕事に 従事する諸カースト。 *外周に並べられた諸カーストも交換関係の網で結ば れている。 この関係を示すため諸カーストを蝣4で円形に結 んだ。 (辛島昇編『インド世界の歴史像』山川出版, 1985, p.83).

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