「技術と経済」の根本問題 (1) : 中岡哲郎氏の批判に答える
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(2) 横浜経営研究. 弘 5. 点についてみよう。 中岡氏に. ょ. 第1巻. れば, 「相川. と戸坂潤を両極とするいわゆる 唯研 技術論争」 も「 30 年代の思想状況の 日本的あ らわれに対応 したものであ った」 し 「戸坂にとって F 技術 ] を論ずることは ,. この 30 年代の日本の 思想状況. にたいするイデオロギー 闘争の. t. 部でもあ っ. 第 2 号 (19㏄ ) ( 像 ), あ. るいはこれから 生れる近代的な 技術. 原理だ』といった 議論が,唯物論者,マルク. ス主義者を自任する 人びとからもいわれてい る今日的状況において かろう」 (5 ぺージ ) 。. ,格別に留意されてよ. この ょう な心 括 をおこなったのは ,論争史 を. た。」そして, 「このことは , 中村 静治 氏の『技. まとめる意義をそこにおいたからで. 術論論争史上によってつとに 強調されていると ころであ る。」「だが,中村氏は 自己の立場にひ き つげて, この事実をもっぱら ,今日の『技術 文明』への反省の 潮流は 30 年代の農本主義的非 合理主義思想の 再来であ ると人びとに 印象づけ るために利用しょうとすることによって ,大恐. 私の頭のなかに は ,技術が進歩すればするほど. 慌以後の思想状況が『技術. コ. を問題にしたこと. (46-47 ぺージ ) とい うのであ る。 中岡氏の文章は 曲折技巧が多い. の 意味を倭 小 化している」. う. え ,印象批評を特徴としているから ,この ょぅソこ. 大 ぎく包囲して 攻め立てられると ,云 べき言 葉もなくなる 思いであ る。 しかし以上は 要す るに,拙著の論述が大状況から 出発していない のはげしからんというに 尽きるのではないか。 う. ,. このさい. 労働の内容は 貧しくなるという 中岡氏の " 技術 の 絶対的矛盾論 " が ,その一つとして浮 んでい たのは確かであ る。. また,拙著では唯研 技術論研究の 社会経済的 背景,中岡氏のい 「思想状況」の 説明に当っ う. ては,まず戸坂の技術論関係論文の 成立順序を 述べたのち,. 「. 唯所 にあ つまった人びとが ,. こ. のように技術の 問題をとりあ げた社会的背景 枯渇』等々 は,労働疎覚,環境破壊,『資源の から文明の危機が 叫ばれ,科学技術の独走がそ 0 元凶だとする 議論が横行している 今日のそれ. と,歴史的状況こそ興 っているが, まことに. よ. らはじめ,つぎのように最初の節をしめくくっ. (6 ぺージ ) と ,いま一度歴史の教 訓をかみしめるべきことを 強調したらえで 戸坂 論文の冒頭の 一節を写し取り ,「戸坂のこの女 章は, 彼を技術の唯物論的解明ヤ こむかって立た しめた当時の 状況を活写して 全艦がない」 (8. たのであ る。. ぺージ. だが,「思想状況」が 人々の 頭 ごしに「技術」 を問題にすることはあ りえない。 で , 私は唯 研 に 集った人々の 問題意識を具体的にみることか. 「技術とは何かの 問題が,わが国ではじめて 科学的に討論されたのは. ,生産力の概念から. く似ている」. ). とコメントした。 ついでに述べておけ. ば, これにつづいて 相川の 「技術とは何か. F 技術論 コ. から,. これの概念規定をめぐって. 機械論的傾向を 清掃するためであ ったこと,. の 唯物論と観念論との 対立,現在のいわゆる技. いいかえれば 生産力を構成する 要素のうち, 人間労働力こそが 第一義であ るという史的 p偉 物論の基本命題を 守るためであ ったというこ. 術主義から 反 技術主義までのブルジ ,ァ的構想. の危機の基礎的な 反映として,深刻な科学的意 義を含んで,たち現われている」, にはじまる. とは,生産力を技術に 倭小 化し下いわゆる. 開題のことはを 紹介,「唯 研の技術論研究は ,. 疎覚感の深化は』『資本主義に 固有なもので. 以上のような. あ り, この体制が否定されれば 解消されるの. た」 Clo ぺージ ) という よう にして ぺン をすす. かというと, どうもそうではなさそうであ る。 ・…‥むしろそれは ,現代の技術そのも. めている。. の, い い かえれば人類が 実現した巨大な 生産. 力そのものの 必然的に生みだす 結果』だと か, 公害の根本的な 発生源は近代的世界観 宙. 背景と問題意識のもとで 出発し. 30 年代の技術論研究開幕を 告げるか告げない うちに,早々と 現代の「技術の 絶対的矛盾」論 vこ眼を向けさせるこのような. 叙述の仕方は ,中. 岡氏にとって 我慢のならないことであ るかもし.
(3) 「技術と経済」の 根木問題㈹. 85. (中村 静治 ). れない。 その気持は判らなくはない。 が, され. か せこめてまとめられているのだが ,. ばといって右のような 構成,叙述方法に対して 「大恐慌以後の 思想が , 『技術』を問題にしたこ. のことが中岡 底 なして「契機」と「背景」,「問 題意識」と「思想状況」のいれかえ 操作によっ. との意味を倭 小 化している」などと ,わかった. て, とにもかくにも 拙著,拙論の倭小を人々に. ようなわからない 文章で批判されるいわれはな. 印象づけることを 必要としたのであ ろう。 そし. いと考える。 がまたしかし. ここから人々が 今. てこの「 倭小 化」はそのまますぐに 唯 研の技術. 日の反科学, 反 技術主義横行は「 30 年代の農本 主義的非合理思想の 再来」,つまり 単純なくり. 論研究にひっかげられ ,彼らの仕事に水をかけ. かえしぐらいにしか 印象づげられないとすれ. まさにこ. ろ仕掛 げになっている。 すなわち,こ う であ る。 「. 19 世紀 りな科学と技術進歩への 無邪気な 信 白. ば,それは私の筆の至らないが 故であ るから,. 仰がいったんつまずいた. 深く反省しないわげに は ゆかない。. 術 刀 をとりわけ社会の 総体との関連において. 改めて云. う. までもないが ,現代の社会的思想. 後,『をサ学コや『技. 対象化」しょうとする 努力がはじめて 開始さ. 状況は 30 年代と共通面をもっているが ,なお30. れたのがこの 時代であ って,その社会的要請. 年代 は 30 年代であ り, 80 年代には 80 年代の特徴 があ る。 歴史 は 単純に繰り返えされることはな. は今日ますます 強まっているし ,その時代的 課題 は 中村氏の考えているほどには 唯研 技術. いから,今日の反科学, 反 技術論は 30 年代のそ. 論によって適切に 解かれてはいないというべ. れにくらべてほるかに 手がこみ, ぐっと悪質な. きだろう」. ものになっている。 彼らも彼らなり。こ過去の論. これほ見事な 手口といいたいところであ る. (47 ぺージ ) 。. 争の歴史のなかから 教訓を引き出しているから. が,例によってどんな問題がどの程度解かれて. であ る。 そこに,技術が進歩すればするほど 労. いないのかさっぱりわからない ,. 働の内容が賛しくなることは 資本主義,社会主. にすぎない。 そのうえ, ここにみえる 記述は残. 義を通じてかわることがないといった「技術. 念ながらすべて 見当ちがいであ る。 いまでは誰. 論」が生れもし. でも知っているよ. 流行もするので , 30 年代には. う. ただの水かげ. に,科学や技術を「社会の. この ょう に資本主義と 社会主義・共産主義を 串. 総体との関係で 対象化しよ. 刺 にしするような 類の技術論は , 少くともわが 国には皆無であ った。 また,簡単にマルクスを. まったのは. 超克しながら , なおマルクスに 従. 的に継承され ,骨格は彼らによってつくり 上げ. う. ごとくにみ. ェ. う. 」との努力がはじ. ㏄ 午 以上も前のことであ る。 J.S.. 、 ル にはじまり, マルクス とエ ンゲルスに批判. せてマルクスの 名声のあ らたかな御利益は 確保. られている。 唯 研の人々は, これを継承し. しょうというチャッカリした 大学教師は, 30 年. 代的課題に合わせて 練磨したのであ る。 また,. 代 には生存の余地はなかった。 だから, 唯研 技. 「科学と技術進歩への 無邪気な信仰」が「つま. 術論そのままでは 今日あ まり効果はない。 拙著. づいた」のも , 30 年代がはじめてではない。 こ. でも述べておいた よう に,意図されながらほと. の種の懐疑的見解は 社会的文化的な 発展の下降. んど手つかずに 残された重要な 問題もあ る。 こ ういうことも「技術論争から 学ぶ」べき教訓の. 局面でくりかそして 現われている。 このこと は , 1856 年 4 月,『ピープルズ・ ぺ一 " 一 』の創. 一つであ るが,なお唯 研の人々が苦心形成した. 刊記念祝賀会におけるマルクスのつぎの 演説か. 遺産のなかに は ,. らも,十分に知ることができる。. これを精練すれば 現代の経済. 危機,文化危機の解明や新版 反 技術主義との. 闘. 「われわれのこの 世紀は , 一つの大事実,. 時. ど. 争に大いに役立つものが 歩 くない。 そのへんの. んな党派もあ えて否定しょうとしない 一事実. ところをしっかり 汲みとらねばならない。. を ,特徴としている。一方では,以前の人類. 私の『論争 史コ 0 戦前部分は, このようなぽ 、. 史 のどの時代も 想像しなかったほどの 工業 力.
(4) 86. 横浜経営研究. 第1巻. 第. 2. 号 (19㏄ ). と科学力が生れている。 他方では, ローマ帝. 邦雄の異議申し 立て論争」 (49ぺージ ), それも. 国の末期Ⅴ こ起ったと記録されている 惨事をは. 『資本論 コめ 「たったひとつの 注をめぐって」. るかにこえる 衰退の徴候が 存在している。 現. なされたもののよ. 代では, あ らゆるものがそれ 自身の反対物を. がそれであ る。 たまたま, ここにみえる 岡 と戸. はらんでいるよ にみえる。 人間の労働を 短 縮 しみのり多いものとする 驚くべき 力 を付 与された機械,それが働く人を飢えさせ 過労 におとしいれているのを ,われわれは見てい. 坂のコンビも ,. る。 新しい富の源泉は ,. とんど『体系 説 山論者にしたて 上げ」 た 「歴史. う. なにか不思議な ,怪. 匁こ. 「. 倭小 化」してゆくなど. 同じ手法でいつとはなしに 岡は. 消し落とされ ,戸坂ひとりを「自己の立場 ヮこ ひ きつげて」拙著,拙論は「戸坂の『体系. の批判の核心」を「全部切りす て 」「戸坂をほ. しい呪文によって 欠乏の源泉に 変えられてし. の 偽造」 書 だと騒ぎ立てるといった. まう。 技術の勝利 は ,人格の喪失を代償とし てあ ながわれたようにみえる。 ・…‥科学の 清. る。. らかな光でさえ ,暗い無知の背景のうえでな われわれのあ らゆる発明や 進歩は,物質. 按梅 であ. 2. 戸坂の提起した 核心は無視されているか. ければ輝きでることができないようにみえ る。. 説コ へ. 昭和 16 年の戸坂短文の 成り立ち一一. それでは,戸坂を「ほとんど体系 説 論者にし. 的な力に知的な 生命をあ たえる一方,人間の 生命を愚鈍化して 物質的な力に 変える結果と. たて上げ」 , そ. なる よう にみえる。 一方における 現代の工業. ほ ついてみよう。 以下がその全部であ る。. う. することで「ほとんど 歴史の. 偽造」をやっているとして 提示された証拠資料. と科学,他方における 現代の貧困と 衰退のこ. Ⅸ以上の戸坂と 相川, そして相川 説 にたいす. 0 対立,現代の生産力と社会関係のこの 対立. 余地のない事実で. る岡の討論を 集約すれば,技術は 社会の一定 の発展段階における 労働手段の体制 ( 系 ) と規 走 することでは ,互いに異論はない》 ( 拙. る党派は, このことを嘆き 悲しむかもし. 著, 19 ぺージ,傍点中岡) それであ れば昭和. は明白な,圧倒的な, 争. う. あ る。 あ. れない。 また別の党派は ,現代の衝突をとり. 16 年になお戸坂が 次のように書いていること. のぞくために ,現代の技術をとりのぞきたい. はどうなるのか。 技術の概俳が , 云わば 動. と望むかもしれない」 ( 邦訳全集,大月書店 版 ,第12 巻, 3-4 ぺージ ) 。. 詞の名詞化のように 実念論に陥るのを 嫌っ. この ょう な時空を越えた 唯研 技術論 倭小 化作 業は ,. ほかにも技巧をこらしていろいろと 試み. て, 《もっと具象的な 定形 物 と見たい処から》 之を物に即して 規定しょうとしたのが ,多少 機械論的な唯物論 は -- ブ " 一 リンの 攻口ぎ. られているが ,筋は至って単純であ る。 すなわ. 一一 ) による技術の 定義,『労働手段の 社会. ち,たとえば,戸坂にせよ相川にしても「単に ことばの問題としてこれ ( 技術 ) を論じたもの. 的体系. でほなく」「そこには 時代的課題に の 使命ともい. う. 技術 亡 労働手段の体制. 「. は『社会的 して了った. き ,議論のなか. 唯 所論争は一言でいえば ( 体系 ). 定義又はこの 定義の省略された 形. (45. ぺージ ) というように ,差し障わりのないとこ でいつとはなしに ,. であ る。 多くの『唯物論者. 応える理論. べ き 意識がかかっていた」. ろでは最大級の 讃辞を呈してお. コ. という規定を 唯一. コ. コ. がこの. ( と云. う. の. という規定をいつの 間にか抜か かかる省略は 定義としては 不. 幸の始まりであ る ) を用いたが,併し『労働 手段の体系』はそれとして 立派な学術用語と しての独立性を 持ったもので ,技術という観 念の代りをつとめるべ き 代用品ではなかっ. 唯物論的なものと 主張する相川と , その規定の. た》㏄戸坂潤 集 』 346 ぺージ,中村註. はらむ『ことばの 違和感』にこだわる 戸坂や岡. 集. 1. 全. 巻 352 ぺージ ) 。 中村がこの文章を 読まな.
(5) 「技術と経済」の 根本問題 (1) (中村 静治 ) かったのならともかく ,. このすぐ後につづく. は,. 87. これだけ切り 離してみれば 議論の余地 は あ. 相川批判はちゃんと 引用しているのだから ,. るが, それはあ との問題として ,. これはほとんど 歴史の偽造というべきだろ. 学新聞 ] の短文の成り 立ちとその背景をみてお. (62-63 ぺージ ) 。. まず『帝国大. 読者の理解を 容易にするためにつげ 加えてお. かねばならない。 それほ, 日中戦争が泥沼 ケこ は まりこんでいた 日本軍国主義が ,戦力増強, 生. けば,中岡氏の拙著からの引用は , 「戸坂・相. 産 力拡充だと国民を 叱叱して「技術動員」を 呼. 川,岡の争点」と題した 1 章 5 節のはじめの 一 句で, これはすぐつぎのようにつづいている。. 号する一方,反軍国主義,反 ファシズムの 最後 の合法集団,唯物論研究会をも 解散に追い込ん でいった 1938 年 8 月 ( 唯 研の解散は同年 2 月, 戸坂口幹部の 検挙 は 同年 11 月 ), 「労働手段の 体 系」でほ危険だからと「過程としての 手段」と. う」. 「議論の核は 物質的技術のなかに 主観的技術 と 客観的技術があ. るという戸坂の 考え方にあ. らわれているように ,. また技術 二 労働手段の. 体系という規定は 資本主義社会において. 成り. し 5 2 5 。こ修正した三枝博音の『現代日本文明. 働力モメント ,技術の主体的構成部分の取扱. (1940 年,東洋経済新報社) と , 三枝にあ やかって「過程しつつあ る手段」と 規 建 し直すという 相川 春喜 の 現代技術 ;禽コ(1940 年, 三笠書房 ) が前後して上梓されたというこ とが,直接の契機になっている。 1940 年 12 月に. いがこの段階における 唯研 技術論争の核心で. 保釈出所し禁 筆 中でしかも公判中の 戸坂に ,. あ ったのであ る」. 『大学新聞 ] 編集部があ えて 右二 著の批評を主. 立つという岡の 主張に示されているよさに ,. 史. 技術の主体的構成部分を 認めないわげにはい かぬ であ ろう, ど. う. 認めるかというところに. 下. あ ったといってよかろう。 いいかえれば , 労. ( 拙著,. 技術史」. 19 ぺージ ) 。. つぎに, 戸坂からの引用は『帝国大学新聞』 1941 年 6 月 9 日号に掲載された「技術と 科学の. 況 1) を無視して,右の短文から都合の. 概念」と題した 短文からのもので ,. な 一句を切り 盛 るようなことは 慎まねばなるま. (. 》で示し. な目的に執筆を 依頼したという 事情, この状 よ. さそう. たところは中岡氏の 省略をおこしたものであ. いが, ともかく戸坂はそこで 三枝,相川の旋. る 。 戸坂の原文をすぐに 対照できる便宜をもた. 回 ,逃避批判の枕, " まえがき " として, 「技術. ない読者のために ,. の既成の概念」は 二つに大別できると ,Ⅲデッ. ど. う. 中岡氏の引用部分のあ と,. つづいているかを 示しておこう。. サ ウ , ル 流の自然界と 精神界との中間領域,. 「之は,技術そのものの 省察によるよりも 寧 ろ,言葉や観俳の一般的な性質に 関する良識. 一. リンの如き」労. 。. 働手段の社会的体系 説 をあ げ, 「要点だけを ご く 手短かに 叙べ 」ている。 中岡氏が引用してい. 機械と設備と 交通施設等々. る部分,証拠資料として引かれた箇所ほ㈲の 前. からして,初めから明らかであ ったと思 ( 運転している ). 「第姉王国」論と ,㈹「ブ ". , …‥の有機的組み. う. 合わせが,即ち技術であ る. というのは, 原則的に云えば , 鍬 と鎌 と鋤と を 並べれば即ち 農業技術だというナンセ シ スであ る。 体系といい社会的体系と 云. う. が , そういうそれ 自身不定なものは『定義』 の役には立たない ,. よって決定される. のみならず,言葉自身に ( 即ち形式上 ). の定義は,. 半で , 私が補充しておいたところが. 後半であ. る。 それが, ここでの「 ブ " 一 リンの如 き. 」. 体. 1) 全集第 1 巻に収められている 1941 年 7 月 7 日の 都 新聞』に掲載された「技術へ 行く問題」,同 『. 年 9 月 8 日の下帝国大学新聞』にみられる「生 産を目標とする 科学」も , 同じ状況のもとでの. 執筆であ る。 これらも,「科学技術新体制」. は. 抽象化された 数字に於てしか 許されないもの だ ( 全集 1 巻, 353 ぺージ ) 。. どと呼号され , 自然科学が戦争道具の 開発に動 員され, 科学者たちが 軍部の下僕となっていた. ここにみえる 戸坂の体系概俳の 把握や定義論. ぬ。. 」. 当時の状況を 踏まえて読むのでなければなら.
(6) 88. 第 2 号 (19㏄ ). 第 1巻. 横浜経営研究. 系 説の紹介と批判の 全部であ る。. ぅ. 戸坂論文は, 以上のような 背景と構成をもっ. べ き だろう」,「中村がこのように歴史を書き. かえたという 事実が……戸坂の. 提記した核心が. (63. て発表されたものであ るから,私はそれを相川. 無視されたかということのみごとな. 批判に用いるまえに ,三枝説への 批判として. ぺージ ) だといって大さわぎしているのであ. 「物では都合が. 悪いというので ,例えば三枝博. 昔 氏などは㎝日本技術史 醸 『過程としての 手 段コと規定した。 之は物の代りに 作用のような 過程を導き入れた. 点ゼこ工夫を見せているが. ,. 併. し単に手段というものに 技術を一般化したので 結局例の『技術の. 哲学』式の第姉領域,目的論. 証拠」. る。 このこと自体, 中岡氏は初歩的な 史料の扱 い 万一つ,史料批判の原則さえれきまえていな. い「科学史家」であ るということの「みごとな 証拠」といって. よ いものだが,つぎに. 「戸坂の『体系 説 』批判の核心は. られている」. か,. 果して. 全部切りす. 「戸坂の提起の 核心が無視さ. 的 世界へ逆もどりする。 即ち T 限界領域 コ と民. れたか」,中岡氏の 云い分が当っているかどう. 自ら称するのであ る」を引用し. かについてみよう。. つづいてつぎ. のように書いている。 「戸坂はこのあ と,技術を物と 見るのも, 領 域 と見るのも, ともに不都合で ,技術を物的 生産力水準というふ に考えれば,労働手段 の体系も労働力も ,その資格づ け (Quali66. cation) について技術と 呼ばれることがもっ う. ともなものと 説明でぎそうだと , している」. ( 拙著,. 自説を対置. ここで「自説」とは ,拙著Ⅱ章 ,. $. 戸坂,相川の「対立」を固定するもの 一一 1935 年の戸坂の技術 観と 相川体系 説 批判の核心. まず, 1941 年の論文は三枝,相川説への直接. 言及部分のほかは ,「ほとんど」すべて 1935- 年 0 本からの抜 き書 ぎであ ることを示しておこ. う。 中岡氏が鬼の 首でも取ったよ. 61 ぺージ ) 。 3. 節で「戸. 坂の切返し」と 題して扱われている 見解であ る。 それは 1935 年の『日本イデオロギー. 合コ. き. の. て. う. に意気込ん. で引用してみせた 部分は, 35 年の木ではつぎの ように書かれている。 「・…‥つまり. 労働手段の体制は 労働手段の体. 技術論. 制でいいので ,之を無理に技術という言葉や. の再検討を提案する」および [ 科学論』 ( 唯物 論全書, 1935 年 ) にみえる見解であ る。 次節で. その変容で説明しなくても 常識的にも立派に. 詳しくみるように , 1941 年の戸坂の第三領域と. 波文庫『日本イデオロギー 論」, 324 ぺージ ) 。. 労働手段体系の 紹介・批判部分は , 35 年の両 書. 当時,戸坂がこ う 云. 18 節「インテリゲンチャ 論と技術論. そのままのもので ,. じっさいにはそこからの 抜. き書 ぎといってよいものであ る。. 判ることなのだ」. ( 全集. う. 2 巻, 388 ぺージ,岩. ことで, どのように議. 論をすすめているかということも ておいた方がよいだろう。. ,. このさいみ. 戸坂はつづけて ,. こういうわげで ,拙著では1935 年の「戸坂の. 「無論労働手段の 体制なるものと 技術なるもの. 『体系 説 』への批判の 核心は全部」その 時点で. とが全く無関係ならば 誰も又相川氏も , 二つを. 取りあ げ,「昭和16年」 (1941年 ) の戸坂論文の 「核心」は, この時期の三枝,相川説 との対照、 のもとで「全部」写しとり ,入念に記述がすす められている。 このことほ,拙著を 通読すれ. アイデンティファイする 気になる筈はないの. あ っても,二つのものが一つだということ ぴこな. ば, いや拾い読みしても ,すぐわかることであ. らぬ。 特に, もっと実質的な 関連から, この二. る。. つのものの等 冒 そのものが抑々の 問題であ る時. にもかかわらず 中岡 氏は ,. ら 抜き出して. 5 年前の木か. 枕 とした部分が「切りすてられ」. ているから, 「これはほとんど 歴史の偽造とい. で,二つの間に何かの必然的な 結びつぎのあ る ことは確かなのだが ,如何に緊密な結 び つきが. に」 ( 石岡 ) と書いている。 これでも判るように ,. この論文は相川の「 技.
(7) 「技術と経済」の 根本問題 (1) (中村 静治 ). 89. 術 論の再検討を 提案する」とサブタイトルされ た「最近に於ける 技術論争の要点」㎝ 社会学評 論 創刊号 ) が,「戸坂の観念論的足りなさや. 術 なるものが労働手段の 体制などとは 制限さ. 錯誤」を衝いたのに 対する回答として 書かれた. た『テクノロ ギ 一の批判的歴史. ものであ る。 で,前述のように拙著ではⅡ 章 3. の生産的 話 器官の夫々特殊な 社会組織の物質. 節で 「戸坂の切返し」と 題して扱われている。. 的 基礎の形成 史 』では,. 拙著でほ,いま示した箇所は 引いていないが ,. 諸器官の夫々の 特殊な社会組織の 物質的 話 器. それに先立つ , つぎの部分を 引いて記述をすす. 官なるものは , ・…‥器官というく 労働手段体. めている。. 制 > であ ると同時に感覚運動的能動機能の 主. コ. 「相川氏は『労働手段の 体制. コ. なるものを, 他. れていないことを ,. マルクスがわざわざ 説明. しているかのようにしか 受け取れない』。 ま 社会人間. F 社会的人間の. 生産. 体であ ることを指示していなくてはならぬ. コ. 。. の単語で云 い 表わす代わりに 正に『技術Ⅰとい. だから, この規定からはく 労働手段体制. う日常語で以て 云い表わすためには……常識を. いう技術の定義は 出てこないと 難じた. 説得し反省を 強い得るものを 用意しなければな. 上, 386-388 ベージ」。. らぬ。 もしこの手続きを 抜 ぎにするならば ,. 中岡氏がこの 文章を読まれないで ,切り捨て. ( 技術に就いての. 規定は却って ,. ア科学などで 愛用されるⅡ定義. コ. と (同. よくブルジョ. だ ,歴史の偽造だと非難しているとしたらどう. のようなもの. なるか。 中岡氏の「技術論争から 学ぶ」でも,. に終るのであ って ),単に F 労働手段の体制コを 技術』とし 学術語 (?) で以て人工的に 定義し たに過ぎなくなるだろう」 (拙著, 32 ぺージ,. ニ. ). ぅ. この部分が「核心」とされ ,「たったひとつの 注をめぐって」と「接心化」されて. 扱われてい. るのは,読者の知るとおりであ る。. 全集 2 巻 385-386 ぺージ,岩波文庫319 ぺージ ) 。. ところで, 中岡氏も戸坂のこの 論文から「恐. カッコ内は拙著では 省略した部分であ る。 い. らく技術という 俗語はそのままでは 科学的な 範. ま, おこしてみたのは , 1941. 年の戸坂の『定. 時とはならないであ ろう。 之に代わる処の ,そ. 義」に対する 見解の原形がここ。こ あ るというこ. してこの通俗観念の 有っている困難を 分析した. と,. この文脈のなかで 読まれることが 必要だと. 結果必要になる 幾つかの技術 類 に属する 諸 箱 崎. いうこと, 蛆 年の戸坂も 35 年の戸坂も「ほとん. が必要となるだろう」という 部分を切りとっ. ど」変わっていないことを 示したかったからで. て, 「部分と全体」などと 街 学的なおしゃべり. あ る。. の材料にしているが ,. いま, こ 二に引用した 文章たけで, すでに 「昭和. 16 年になお戸坂が 次のように書いている. ことはどうなるのか」といった 詰問が生れる 余 地のないことが 知られようが ,. しかし以上は 決. この文章はつきのように. つづいているのであ る。. 「その一つの 範時 として,即ち ( 技術現象の 一つの契機として F 労働手段の体 mUd という 範 時は多分絶対に 必要であ る。) だがにの 範. して相川「体系 説 」への批判の 核心ではない。. 畦は他の契機を 云い表わす 範 畦から孤立して. 以上はいわ,ば 枕にすぎない。 戸坂の相川「体系. は無意味になる ) 範晴 としての用途を 失 う 。 ではどういう 範晴が 想像されるかと 云えば,. 説 」批判の核心は ,拙著32-33 ぺ. ー. ジで引用し. ながら評論されている 部分であ る。 すなわち,. (. この労働手段の 体制によっていい 表わされ .. ・. ・. ・. 或いは測定される 処の社会の技術水準という. 拙著でほつぎのように 記述されている。. 「こうして戸坂は ,相川の論拠とする『テク. ものが是非必要になるだろうつそして. 世間で. / ロギーは自然に 対する人間の……』としラ. 普通技術と呼んでいるものは ,主としてこの. マルクスの規定は『却って ,. 技術水準という 範 晴を以て指示される 一つの. 対な結論が出て 来る 筈 』,. この結論と正反. F むしろこれは. , 技. 契機でほないかと 想像する。 尤も今はこの 技.
(8) 90. 横浜経営研究. 第 1巻. 第 2 号 (19㏄ ). 術 水準という概念を 想像に止めておく 他はな. 『技術論ノート』. いのだが」. 回書の第 2 部. ( 全集 2 巻 389 ぺ ぺージ ) 。. ー. ジ. 岩波文庫. (1949年,真善美社 ) であ る。 1. 車 は 「戸坂潤 氏 と相川奉書 氏 と. 324 ぺージ,拙著33. の対立」と題されているが ,それは戸坂の 獄. 力 , コ でかこんであ る部分は, この時期の戸. 死,相川のシベリア抑留 中 という状況のなか ,. 坂の技術観の 中心と解して ,拙著に引用し,. いわば 鳥 なき里の編 編 のはしゃぎであ る。 にも. 「これは要するに ,技術の概俳は生産力の尺度. かかわらず最近では 星野氏のそこでの. をさすという 主張であ る。 『技術水準 コ という. 「ほとんど」模写ともい. 言葉でいい表わそうとした 戸坂の見解は ,『科 学論 コで ,つぎのように要約されている」 ( 拙. 唯研 技術論争の学問的意義と 成果. 著 33 ぺージ ) と 述べられている。. 中岡 氏は ,拙著の以上の部分を読まれた. ぅ. で, 「戸坂の提起の 核心が無視され」ている. う. 議論の. べき鳥居慶民 の. 「. 旧. 中村 静治. 著 『技術論論争 史 』に閲読して 」㎝科学と 思想 コ 21 号, 1976 年 7 月 ) が中岡氏に先行して. え. いる 2)。. ,. この意味で, 中岡氏の新著 3 章, 4 章. 「技術論争に 学ぶ」の内容の「ほとんど」,そし. 「歴史の偽造というべき」といっているのであ. て拙著に対する 論難は,鳥居民に対しては二番. れば, ひどい中傷と か わねばならず ,何が中岡. せんじ,星野氏からかぞえると 三番せんじの 出. をそ. させたか, というよさに 問題をたて直し. し殻 といってよいものであ る。 中岡氏は鳥居反. ていかねばならないだろう。 また, もしも読み. と同様,戸坂とともに 唯 研を背負っていた 同邦 雄が,つぎのように 書いているのを 敢て 「無視」 して,創作にはげんだということになろう。. う. もしないで, ということであ れば,作り事すな. わち「技術小説」による 誹議ということになっ てゆくだろう。 それはともかく ,戸坂はいままでみてきたよ うに,技術現象の 一つの契機として 労働手段の 体制 ( 系 ) という 範 崎は多分絶対必要だろうと 考 え,労働手段の体制 ( 系 ) をどういうふうにもっ ていったら,それが技術と呼ばれることがもっ ともなものと 説明できるか ,. 「当時の唯. 研 における討論は , さしあ たり 技. 術の概俳規定の 検討に集中されていた。 しかも. 問題になった 規定としては ,技術とは『労働手 段の体系』であ るということに 基本的には, ほ. ぼ一致していた。 そして,内部討論の展開は遅 々として進まなかったよらに 見えるが,実質的. どうすれば科学的. な 研究が , 会の解散まで 続 げられていたのであ. 規定のなかに 世間で普通技術と 呼ばれているも. る」㎝新しい 技術論』, 1955 年, 春秋社, 51 ぺ. のを救い上げられるか ,「常識を救ってやるので なければ科学的な 分析にならぬ し 第一社会的 な 大衆性をさえ 有ってない」 ( 全集 2 巻 388 ぺ一. ージ. 、ジ ,岩波文庫版, 323 ぺージ ) とあ れこれ思案の. 末,「技術水準」とし 概念を「想像」 ぅ. 定」. し ,「想. しているのであ る。 これでは,戸坂を「ほ. とんど」ではなく ,「基本的」に「『体系 説 論 者 」とし,戸坂と相川の討論はその 枠内のもの 』. であ ると扱わない 方が,むしろ問題であ ろうと. 考える。 戸坂と相川, さらには永田を「基本的に」相 容れない対立者に 仕立て上げ, 唯 研の技術論 所 究の 倭小 化」を云 のは, じつは,いまには 「. う. じまらないのであ る。 その先駆は星野芳郎氏の. ). 4.. 歴史を偽造するのは 誰か. 岡は獄死した 戦友・戸坂の 無念をも体して ,. 戦後の体系 説 批判に対応し , 1971 年に亡くなる まで, 「戸坂や相川などと 一緒に日本の 学界で は未だ誰も手をつげていなかった 道をひらこ. としたその」「仕事を……一歩でも. う. 整理してお. 2) 鳥居 廣 氏の批判に対する 回答は,拙稿「産業技 (『科学と思想 , 23 号, 77 年 1 および「医療労働と 技術論」㏄医療経済研 究会報』, 7, 8 号, 77 年 8 月, 11 月 ) のなかで おこたわれた。 二つながら,拙著 現代技術論 の課題』 (1978年,青木書店) に収められてい. 術と医療技術」. 山. 月). 圧. る。.
(9) 「技術と経済」の. こ うと. 91. (中村 静治 ). 3 ぺージ ) 執念を. 体で,労働手段体制自身によって云わば量ら. 燃やしていた。 私は,「唯研 技術論」の生き 証 人というべき 岡から,戸坂,相川らとの 研究会 での討論模様を 伺 機会になんどか 恵まれた. れるものだが ,処が技能は却ってこの社会自・り 325 ぺージ ) 。 集 2 巻,389 ぺージ,岩波文庫版,. が,戸坂のァ ブローチは技術という 社会的 範時. 戸坂は, このように技術水準の 主観的把握を. 」. ( 拙著, " はしが ぎ ". 根本問題㈲. な技術水準に 照、して量られるのであ. う. る」 ( 全. を 哲学的 ゼこ 充分な社会的 範 時の資格で整理しょ. 拒否し. うというのに 対して,相川は新しい学問分野・. 水準を規定するものであ ること,労働者の技能 は逆にそれに 規定されていることを 強調してい. テヒ / ロギー. ( 岡は相川の. 学 ) を技術論と呼ぶべ. テヒ / ロギー ( 技術. この問題でも. る。 しかし,戸坂の「技術水準」は, いままで. 両者はさかんに 議論している。 拙著『技術論人. みてきたとおり ,いわば苦肉の「想定」である. 「. 掴 , 1977 年,揖斐閣 ,. き だとし. 労働手段ないしその 体制 ( 系 ) こそ技術. 参照 ). ざして概念規定をおこなお. う. の 任 務確定をめ. から,技術水準が労働手段体系自身によって 量. とした, この ァ ブ. られるなら,技術とはとりもなおさず労働手段. ローチの差が 時に議論をもつれさせたので ,労. の体制 ( 系 ) ということにならざるをえない。 マ. 働手段の体系が 概念の基体であ るという考えで. ルクスの経済学では ,技術的構成が労働生産力. は 一致していた ,. そして,討論過程に現われた意見の「対立」. の水準をあ らわし労働の 生産力を規定するの は労働手段, 窮局 的には機械的労働手段 ( 道. は,教条主義を戒め,学問的探求がいかに真摯. 具,機械など) であ. におこたわれたかを 示す以外のものでないにも. 「 ョ. と繰り返し強調されていた。. かかわらず,それを歪めて労働手段体系 説 , あ るいは 唯研 技術論攻撃の 手段に用いる 論者に対. して,強い不満と 遺憾の色をかくされることな かった。. ともあ れ,岡にあ っても,相川にとっても ,. る. ( 前出拙著. 二. 技術論人. 』, 184-87 ぺージ参照 ) それゆえ,戸坂の「技. 術水準」「生産力の 水準」説は吉田 剣 ,永田広 志 ,相川によって批判されることになる ( 拙著 『技術論論争 史 』, Ⅱ 章 5 節 ) 。 相川の『技術論」 ( 唯物論全書, 1935 年 ) では, 戸坂が問題とし. た問題点 は ついて,不十分ながらも,それまで. 戸坂 は まぎれのない「 T 体系 説 口論者」, その先. の 討論をふまえて. 駆なので,戸坂説は. われている。 戸坂が,阿部重孝,城戸 幡 太郎,. 「体系 説 」の枠内のもので. 説明しょうとの 努力がおこた. あ る。 岡の不満 は ,戸坂が技術水準と労働手段. 佐々木香Ⅰ篠原 助市編. 体制 ( 系 ) との関係を論じた つ ぎの " ラグラフを. 巻, 1936 年,. 玩味するなら ,十分に了解できることである。 「技術水準は 労働手段乃至その 体制に較べ. で,. 5. F 教育学辞典』. (,、 第 1. 月,岩波書店) の「技術」の 項. 「この全く 興 った二つの現象. ( 機械体系と. 中村 ) が同じく技術と 呼ばれ. 技能のこと. て,遥かに高度の社会的抽象体であ り,それ. る。 二つのものを 媒介する概念としての 技術. だけ 又よ り抽象的な社会機構観念に 属する。. は, 社会に於ける 技術水準とも 云. だが之によって ,所謂労働手段の体制と,そ. と想像される。 この点はまだ 定説がない」と. れに対応する 筈の労働力の 属性としての 技能. 説にこだわりながらも ,. とが,初めて実際的に結合されるのであ り,. 労働要具の体系との 統一として押し 出している. 従って 又 ,所謂労働手段体制と労働力技能と. のは, 吉田, 永田,相川らの批判を受げいれ ,. が観念的にも 之によって初めて 統一されるの であ り,従って 又 所謂生産技術の 内に技能を 編成して考えようとする 常識的要求をも 之で. 歩み寄っていたものとして よい だろう。. 以て充たすことが 出来るのであ る。. 技術水準は労働手段体制からの 社会的抽象. 「. ( 意義 コ. う. べ き ものだ. つぎのように ,. 自. 技能と. 技法・手法と 呼ぶべき場合もあ り,. 技能と呼ぶべ. き 場合もあ. り, 又 技術学又は工. 学・工芸・工芸学と 呼ぶべき場合もあ る。 併 し此等のものは 夫々区別されねばならぬ。.
(10) 92. 第1巻. 横浜経営研究. Ⅲ 技術と技法 最も本来的な 意味に於ける 技術は技法又は 手法から区別される。 技術と は本来,物質的生産の技術のことであ り,一 般に非生産的な 技術 又は 観念生産の技術 ( 例 えば創作技術. たる単なる技法や 手法は ,. こ. の 技術の観俳のアナロジー・ 拡大・応用・. 其. ). 他と 見られねばならぬ。. (2) 技術と技能 この物質的生産の 技術は, 物質的生産の 技能と 其 他の技術部分とを 含ん でいる。 元来物質的生産は 物質的生産力によ って営まれるのであ るが, この生産力。こは人. 的要因たる労働力と 物的要因たる 労働要具の 体系とが含まれる。 所でこの労働力の 一つの 資格が技能であ り,この労働要具 ( 機械・ 道 具 ) の 体系が 其 他の技術部分であ る」. た,. というのが私の 推論であ る。 それでも戸坂. は,なお「今日吉々の見るものの内で 参考に値 する」と,相川の T 現代技術論 コを 評価してい るのであ る。 この ょう にみてくれば ,戸坂は岡,永田とと. 「労働手段体系 説 」の一翼を,獄死す るまで堅持した「体系 説 論者」と云わなければ もヤこ唯研. ならないだろう. め. 。. 私の『論争 史コは ,だから. 戸坂を「ほとんど『体系 説 』論者 こしたて上げ」 てゆくために 書かれたものではなく ,「体系説 論者」の一人として 位置づけることがもっとも リ. 適切であ るとのかねての 研究結果にもとづいて 記述したものであ る。 なお,技術水準がじっさいには, いかにして. ( 全集,. 測定されるかについて ,私は『戦後日本経済と. 別巻 39 ぺージ,青木文庫『科学論』, 245 Ⅱ 6. 技術発展』 (1968 年, 日本評論社 ) で示し,そ こから戦後日本の 技術的発展, 日本製品の国際 競争力の分析を 試みているから 参照されたい。. ぺージ ). 技. 戸坂の規定を 図式化すれば. 生産技術 (. この 木は ,技術論がいかに活用さるべ き かを 日. ム 号ヒ. 労働要具の体系 ということになり ,「技能」という 言葉は「 労 働 力の内合する 属性としての 技術的能力を 特定 の条件のもとに 特定の労働手段を 合目的的に活 用 しうる能力を 意味している」のだから ,「問 題の要点として ,労働過程における T 労働手段 体帝 lM 』と労働力技能との 対立の統一的理解とい ぅ. 第 2 号 (1980). 風にではなく ,労働手段 ( 体制 ). と ,労働力. そのものとの 統一的理解であ るという風に 提出 されねばならぬ」㎝ 技術論』, 46-47 ぺージ ) と 主張する相川との 間はなお完全に 埋め切れては. 本 資本主義の実際について 示したもので ,『戦 後日本の技術革新』 C1979 年 9 月,大月書店) は,その続篇に当る 。. 3) 今日でも,同じく労働手段体系 説 に立つといっ ても, 規定内容は論者によって 若干栗ってい る。 私は,永田広恵 のものに少し 手を入れ「技. 術とは,物質的材質の生産を目的として. 自然の. 物質に働きかけさせるために ,人間によって創 造される労働手段の 一定の特殊な 体系であ り, またこの体系一般であ る。 このさい,労働手段 の 体系が技術という 概念の中心的な 内容であ る。 一定の特殊な 体系とは,たとえば 鉄鋼技. いない。 けれども, ここに「労働要具の 体系」 が「 其 他の技術部分」とされていることに 注目 しなければならない。. 術,製鉄技術というよう に,各産業部門やその もとにおけるもろもろの 労働過程における 労働 手段の一定の 組合せのことであ り,体系一般と は,封建社会の技術,資本主義社会の 技術, 独 占 段階の技術というように ,一定の発展段階に. このよ う れこ,労働手段の 体系という 範 時は欠、 かせないとして ,相川の仕事を高く評価し 自. あ る社会に , 生きて働いているすべての 労働手 段の体系一一社会的 連 とあ る均衡をえた 配置. 身の規定にとりこんでいた 戸坂にとって ,. 当の. 相川が, こともあ ろうに三枝の 旋回につられて 「過程しつつあ る手段」と云い 出したから, " ブ ルートゥス ,. お前もか " と, 1935 年の自説を繰. り返えした『帝国大学新聞』への 寄稿 文 となっ. 一一という意味であ. る」. 年, 有 斐閣, 735 ぺージ ). げ技術論人斤目』 1977 と. 規定している。 こ. れに対して, たとえば中岡氏の 勤務する大阪市 大商学部の加藤 邦 理民 は , 「生産過程における 労働手段の全体系」と 規定されている (古在自 重,島田豊 監修『若い世代と 学問 J n, 139 ぺ一 "").
(11) 「技術と経済」の 根本問題Ⅲ. ( 中村. 静治 ). 93. なおまた,戸坂の「技術水準」とし 「想 定」を獄中に 持ちこんで思索をつづげていた 岡 は,戦後釈放されて間もなく発表した「技術論 ノート」 び 技術文化』,第 1 巻 2 号, 1946 年 6. 7 月号, 岡 Ⅱ社会科学と 自然科学』,労働文化 社 , 1948 午に収録 ) において,労働手段の体系. へ一ジ ). は技術そのものではなく ,技術の表現ないし測. 世間では早くから 唯研 技術論とは労働手段体系. ぅ. こうい. う. 次第で , 岡が戸坂を自身同様の「体. 系 説 論者」 と考えていたのは 当然のことで ,唯 物論全書. 戸坂の企画と. 采配で刊行された. 一一の T 技術論 コの 執筆を相川に 割当てたのも. 戸坂と岡の協議によるものであ. った。 だから,. 論争 史 』, 105 ぺージ参. 説 であ るとしてまた。 中岡 氏は , 30 何年も前の. 照 ) 。 だが,これは,さきに1941 年の戸坂論文に. 星野氏の筆法そのまま「自己の 立場にひきつげ. ついて述べだと 同様,主として労働手段の内向. て 」戸坂とその 共同研究者たちの「対立」を. 度であ るとした. ( 拙著. 丁. り. 発展の論理の 究明不足に由る 体系概俳把握の 未 成熟に 塞 くものと,私は考えている。 岡は しい技術. ;禽』. ニ. 新. (1955 年 ) で, これを修正し 労. 働手段の歴史的集積性から ,. 固. 定化し戸坂技術論の 正統の継承者でもあ るか のように振舞うの @. ま, も う やめた方がよいと 考 える。. 体系自体が「 水、. ( 横浜国立大学経営学部教授. コ. 準 」の表示にもなっているとしている (7ト 78. [ お断 わりとお. 願Ⅱ. " ほしがき " に示しました 第 2 の論点 一 公害発生の. なりました。 それで,第2. .. 第 3 の論点については. メカニズムと 社会主義国の 公害,第3 の論点 一 工程. 本稿 と併 わせ,青本書店から 刊行される論文集下現. と労働手段の 問題についても ,ひきつづき本誌に掲. 代資本主義論争. 載 のつもりで,すでに 原稿は出来ているのですが. に収録して発表することにしました。 論文集は明年. ,. 80 年代の経済学のために. 山. 予想以上に長いものになり ,明年3 月末の私の定年. 2 月上旬には発行の 予定になっていますから. 退官までに本誌上では 完結できないことが 明らかに. かつづいてお 読み下さるようお 願い申します。. , ど. う.
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