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J.ロールズの平等論について : 平等論の再生について

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(1)Title. J.ロールズの平等論について : 平等論の再生について. Author(s). 吉崎, 祥司. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 37(1): 49-63. Issue Date. 1986-10. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4482. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . j, ロール ズ の平等論 について -- 平等論の再生のために --. 吉. 崎. 祥. 司. はじめに 197 0年代いらい, その刺戟的な 「正義論」 によって, 政治理論をはじめとするアメリカ社会諸科 学の広い領野で一つの論争中心を占めている哲学者にJ s が い る. 小 稿 は, ロ ー ル ズ 正 義 nRawl oh 論体系のうち, とくに 「平等」 の概念に関する批判的な覚え書きである, ロールズ平等論は, 実質上正義 論の主題をなし, それの凝縮的表現ともいいうるものであるが, しかし多彩な諸特徴・諸側面をもつ正義論体系それ自体にとってかわることはできない. 興味深い 全体構想と諸命題, ユニークな方法論ないし論理構造によって学史上も独自の位置を占める であろ う正義論体系 -- それは若干の評者たちによっ て, あるいは西欧近現代を貫く価値基準たる功利 主義に対する 「パラ ダイム転換」, 社会科学革命とも, またあるいはJ .S .ミルはてはホッ ブズこの かたの労作とまでも称揚されている -- の多少ともたちいっ た全体的検討は魅力あるものであり, )こ こ で は 今 日 あ り う べ き 平 等 論 に た い し て い か な る 寄 与 を な し え て いる ま た 有 益 で も あ る が,1 ,. か, という視角からロール ズ平等論の吟味を試みることに課題を限定したい. とはいえまずは, ロー ルズ理論の主題と一般的特質, その意義に簡単でも触れておく べきだろう,. 1. ロール ズ平等論の問題意識ならびに意義 「正 義」 の 復権 を め ざし 平 等論 の 再生 を はかるロー ル ズ の問題 意識 は, 大著 『正 義論』 (A. 2 ) fJus i Theoryo t ce) の な か の 次 の 一 節 に 端 的 に あ ら わ さ れ て い る,. 「全ての社会的価値 -- 自由と機会, 所得と富およ び自尊心の社会的基礎 一一 は, これらの価 値のあるものまたは全てのものの不平等な分配が, あらゆる人の有利になるのでない限り, 平等に 62 /49 〕 分配されるべきである.」 〔 ずべての人の福利をもたらすのでないような不平等は不正義であり, 正さ れな ければならない -- この 「極端に漠然 と した」 概念のなかにすでに, ロール ズの正義-平等論の特質と両義的性 る, だがここではまず, 社会的経済的不平等を全的に否認するのではないにしても, 格が顕わではあ● しかし正義にもとる不平等はあらためられなけれ ばな らないとするロールズの観念の背 後に, 一つ には他者・少数者の犠牲 をかえりみない利益・効率性追求の功利主義的社会編成なかんづくメリト クラシー, 競争と業績の名のもとに国内外における不平等と差別を拡大させているアメリカ社会へ の道徳的憤りを, 一つには60年代いらいの公民権運動からベ トナム反戦にいたる諸社会運動の高ま 49.

(3) . 吉 崎. 祥. 司. りに面して, 社会の安定化の理論的基礎づ け (「秩序ある社会」 we l l d ds i t ‐ o r e r oc e y の構想) を自 らの課題として引き受けようとする気概とを, 見取っておくべきだろう. 正義論がその読者に 少な くとも一度は与えずにおかない鮮烈なイ ンパク トは, 疑いもなくそうした状況下でのあくなき現実 批判, あたかもその人格の道徳的廉直を凝集したかの如きロールズ固有の理念的批判に発するもの で あ ろ う.. そして, それ自体としては抽象的な正義のこの一般的概念を特殊化し, 制度・政策的な適用を基 礎づけるような レベルにまで具体化 したのが, かの 「正義二原理」 である. この原理は, 最終的に はこ う 規 定 さ れ て い る.. 第一原理 各人は, 全ての人の同様な自由の体系と両立する平等な基 本的自由の全体系を最大限度までもつ 平等な権利を有するべきである. 第二原理 社会的・経済的不平等は, それらが次の両者であるように取り決められるべきである. ( a ) 正義に適う貯蓄原理と矛盾せずに, 最も恵まれない人の便益を最大化すること. b ( ) 公平な機会の均等という条件の下で, 全ての人に開放されている職務や地位に付随している こ と, 〔302/232 〕 こ の 正 義 二 原 理 (な お, 後 続 す る 二 つ の 「優 先 順 位 の ル ー ル」 pr i i l t or e によっ て, 第一原理 yru は第二原理に, 第二( b )原理は◎原理に優先する, とされる) を提示すること でのロールズの狙いは, 社会的経済的利益とひきかえに譲渡されたりまたその犠牲になっ たりすることのない諸個人の平等. な自由, 基本的権利の確立をめざす (第一原理) とともに, とくに社会の基本構造, 基本的諸制度 における権利・義務や社会的協同活動における利益・負担の配分を決定するにさいして, 生来の資 質・能力や家族・階級な ・どの出目等自然的社会的偶然が及ぼす影響を極力減殺することをもとめた (第二原理) ところにあるといえよう. 前者は, それ自体すでに伝統的な自由主義的理念の確認の 域を出るものではないが, 社会的に支配的な功利主義イ デオロ ギーのもとで, 多数者の福利の増進 (社会的効用の最大化) の名のもとに犠牲を強いられている少数者の自由と権利, 利益の確保を要 求して再措定されたものである. そもそも, より不運な人びとにたいして社会的犠牲を要求するこ とを正当化しうるような, いかなる合理的根拠も存在しない. それに対し後者は, 自然の巡り合わ せ (l t t r o e y) や社会的運不運にもとづく社会的経済的利益の不平等な配分は道徳的観点か らみて 窓意的なもの, したがって不正義であるとしてその是正 (克服ではないが) をもとめるもの である. そ して, ロール ズ体系のうちで最も精彩を放つものこそ, 偶然にもとづく不平等な分配は不正義で あるというこの主張の正当化, 理論的基礎づけの努力にほかならない. i f f ロール ズ正 義論-平等論の核心をなすこの第二原理( h i i l a ) erencepr nc e) ed p , 「格差原理」(t の特徴は, 田中成明氏の的確な整理を借用すれ ば, こうである, 「自由主義的な形式的平等原理があまりに多くのものを社会的・自然的偶然に委ねすぎているこ : とに重大な制約を加え, 社会的・自然的偶然のおかげで個人に与えられたり個人が取得したりした 能力・才能・技能などを, 一つの社会的な共同資産とみな して, それらを, 社会のすべての人々, とくに最も不利な状況にある人々の利益のために利用すべしと, 平等問題をめぐる従来の議論の視 } 座の転換を求めている,」3 たしかに 「格差原理」 的な発想 は, ロールズの創見でもなければまた必ずしも新しいものでもな い. す で に1789年 フ ラ ン ス 人 権 宣 言 は, そ の 第 1 条 に 以 下 の よ う な 規 定 を も っ て い た.. 「人間は, 生まれながらにして, 自由であり, 権利において平等である. 社会的な差別は, 共同 50.

(4) . J . ロールズの平等論について i i i i l の 利 益 に 基 づ く 場 合 に し か 設 け ら れ る こ と が で き な い (Lesd t s nct onssoc esne peuventetre a i l i f tecommune ond禽squesurrut ,一 .). しかしそのことは, この観念をあらためてとりあげて体系の基軸となし, その諸側面の精力的な 論証に努めたロールズの独自の貢献の意味を軽減するものでなかろう, 正義二原理なかんずく格差原理の企図と特質とを以上のように 概括することで, ひとまず, ロー ル ズの提起の意義を推し量ることができると思われる, i.. 功利主義批判. ロールズによれば, 不道徳と社会的安定の不断の破壊とをもたらしているものこそ, 功利主義的 価値意識である. それは, 社会全体ないし平均効用の最大化というイ デオロギーによって, 事実上, 一方では複数性を本質とする人間の単一的把握・均質化を強行して各人の個性や独自性を無視して : また個人の目的体系の特殊性を顧慮せずも ぱら消費者的物質的利益と満足の最大化に関心 おり っ , を集中することで人間を抽象化し, 卑小な存在へとおとしめている, 功利主義は, 他方では, 他者 を手段化し, 他者の犠牲にもとづく利益獲得を厭わずむしろそれを願うような非道徳的人間を輩出 せしめており, かく して社会的協同を破壊して社会の不安定化を招いている. それは, 社会のもっ ぱら効率的・技術的編成をめ ざすものであり, 社会とはそもそも資源の効率的管理機構以外のもの l ではないとみ なす がゆえに, かえっ て 「共感」(sympathy) と 「仁 愛」 (benevo ence) の意義を 強調することで社会的共同という理念と本源的要求とに人びとをつなぎとめようと試みてきたもの である, 等々,. 功利主義的価値観に対するロール ズのこのような徹底した, 執勘なまでの批判がどこまでラディ. ) しか し 功 利 主 義 を あ ら た カ ル た り え て い る か は, ロ ー ル ズ 解 釈 の 」 論 点 を な す も の で あ る が,4 ,. めて正面からとりあ げて広汎な批判的意識の姐上にのぼせるにあたってのロール ズの功績は, たし かに小さいものではない, 実践哲学ないし規範的政治理論再興の国際的潮流が形成されつつ ある現 在, 功利主義批判自体は必ずしも珍しいものではないが, ロールズのそれは市場的経済社会つまり は資本主義社会を基本的に肯定する立場からは, あるいは限界ともみえる緊張した内部批判として とりわけ意味深いものであろう, i, 平等主義的感覚 i そしてそのような功利主義批判の基礎にあるのは, おそらく, 不平等への注視をいわ ば内的衝動 としてもち, 偶然性の偏重を看過することができない, ロールズの平等感覚である. 「もし人々 が, 相互に差別したり, 自分の自尊心を高揚させる手段として他の人々に少ない自由 を余儀なくさせることに, 一定の喜びを見出」 したり, 他者のより少ない自由を見て楽しむとした ら, そんなことにはなんの正当な理由もないし, そもそも 「他者の自由の剥奪を喜ぶことはそれ自 30f 体誤っ たことである」 〔 〕 等々の言表は, にもかかわらず社会的不平等を全的に否認 いま ./22 しなかっ たと簡単に片付けることを許さないのに十分な程度には, ロールズの鋭い平等の感覚・意 識をものがたるものであろう. この種の言明は随所でくりかえされており枚挙にいとまがないが, さらに, たとえば 「より自由の少ない人々が常にいる…, われわれは常に, 彼らの見地から状況を 24 8/192 〕 という視座, あるいは, 格差原理は 「暮らし向きのあまりよくな 評価す べき である」 〔 105 い他の人々の便益にならないとすれば,より大きな有利性をもちたいとは思わないと いう観念」〔 i /8 0 〕 たろ 「博愛」(f t t r r a e n y) 原理に対応する, という規定などは, 結果として体制擁護からく る保守性との両義的性格を免れないものとしても, ロール ズ理論の強い平等主義的志向を示してあ 51.

(5) . 吉. 崎 祥. 司. ま り あ る, と い っ て よ い だ ろ う.. i i i, 透徹した現実批判 そして, ロール ズ正義論-平等論のもつ現実批判の機能 は強力である, そのことは, ほかならぬ われわれ, 現代日本の状 況下にひき比べても鮮やかである. アメリカ社会と はまた異な った濃厚な コンフォーミ ズム圧力のなかで, 功利主義とメリ トクラシーが癒着して人びとの平等エー トスさえ をも風化させかねない勢いの日本においては, ロール ズの, 不平等はおそらく どんな社会でも不可 避でありまたそれ自体不 正義 ではないが, 「我々の問題 は, 明らかに, 分配による取り分 が社会的 幸運や自然的資産の巡り合わせという窓意的な偶然事 によって不当な影響を受けないような正義の ) といっ た考え方さ えもが いかに新鮮な響 きをもつことであ 二原理の解釈を見出すことである」5 , ろうか. 消費生活表面での 「平準化」 幻想にもかかわらず, 能力主義的差別・抑圧構造の全社会的 編成において不平等の社会 的取り扱いは不正義を極めつつあり, 日本社会がますますその道徳性を 失っ てあたかも滅 びに達しつつあるかにみえるとき, 本源において切実に求められている平等一正 義をよ びもどして社会的現実批判の基軸に据 えたロール ズの意義は, 他の批判的な諸社会理論が必 ずしもこのような視角をもたないだけに, 予想以上に大きいように思 われる, このことを学説史的にとらえ直せば, ロール ズ は, 価値の問題が疎まれ相対化されるところに社 会科学らしさが認められるような当今の支配的傾向に抗して, (面映ゆさをもの ともせずに) 正義 の概念を提示しその哲学的正当化のための精力的な営みによって, 正義論・平等論の再編・実質化 に先鞭をつ けたという位置を占めるもので あろう, もちろんこう した努力を試みているのは一人 ロ ー ル ズ ば か り で な く, 問 題 意 識 を 大 き く 共 有 す る 一 つ の う ね り の 中 に あ る も の で は あ る が, そ こ で の ロ ー ル ズ の 寄 与 が 抜 き ん 出 た も の で あ る こ と は確 か で あ る.. こうして, 一言でいえば, 正義二原理に集約されるロールズの正義-平等論は, さしあたり, 資 あら 本主義社会を前提とするか ぎり ではきわめて有効な批判的理論, すぐれた理念的批判の意識を・ がかり 題連関を解明するさいに有力な手 わすものといえよう, と同時に, そこにはより普遍的な問 となるような, いくつかの 注目すべき命題も含まれている. 平等論というもの が, もともと資本主 義の枠内におさまりきれないことを示しているようにも思われるそれら諸命題に言い及ぶには, し かし正義二原理とりわけ格差原理によりたちいってみる必要がある だろう.. 2. ロールズ平等論の概要と特質 i, 正義-平等概念の両義性. ロールズが一般に人間の平等を要求しつつも, 社会的経済的不平等に必ずしも否定的でないこと はすでに述べた, ばあいによってはむしろ積極的に肯定的でさえある. しかし, 不平等の存在が重 大 な 社 会 的 ・ 人 間 的 困 難 を 生 み だ し て い る こ と も 疑 い な い.rロ ー ル ズ に お け る こ の 連 関 は, つ い に. 整合性をもちえないように思われる, たしかに, ロール ズにとっても不平等は基本 的に避ける べきもの であり, とくに富と所得にかん してそうである. けだし, 自然法的な近代的社会了解にしたがうロールズにとって, ち ょう どロッ クにおけるように, 社会を構成する市民は自由で平等な道徳的人格であり, 社会なるものはすべて そこを出発点と するのであるか ら, そう した道徳的人格においてす べ ての社会的な 「基本的善 6 ) (pr ima ryg s) とくに所得と富は平等であるべき である」 のは本来当然なのである, ood 52.

(6) . J . ロールズの平等論について. しかし, おそらくは第一原理の優先という自由主義的前提や 「完全な平等社会」 というユー トピ アへの不信, そして社会成長の効果的実現という 現実的要請などの理由から, 社会活性化を刺激す るものとして社会的経済的不平等が肯定される. 「社会は組織上の要求や経済的効率をも計算に入れな ければならない, かくて均等な分割に止ま. ) る こ と は至 当 で はな い,」7. 社会的配置を維持運営し, 刺戟的機能を果たさせ, また諸資源の最も有効な社会的利用のために それらをしかるべき人びとの手中に置く等々, 要するに経済の効率化・産業進歩の急速化のための さまざまな事由から, 不平等は必要であり有益 でさえもあるのである. そして, 本来平等でありたいが現実的考慮がこれを許さない, というアポリアを解決すべく考案 されたのが 「格差原理」 である, 「富や所得の分配は平等である必要はないが, 他方, それはあらゆる人に有利になるのでなけれ ばな らない….」 〔 61/48 〕 「平等 を比較の基礎と するのであるから, より多く獲得する人びと は, 最も少なく獲得する人び ) とにたいして正当化しうるような 条件のもとでそう していかなければならな い.」8 ロールズによれば, こうして不 平等はやむをえな いとしても, しかし許容される 限度というもの がある, なぜなら, 第一に, 社会は人びとが全体としてのより大なる利益をそこからえようとする 協同であって (「社会は相互の有利化のための協働事業と 解釈されている」 〔 8 4/66 〕) , そうである かぎりその全体的意思と社会的安定を維持し, 積極的な社会的共同意欲と自発的協力を現出させる ためには, 過度の不平等は障害となるからである. 「階級間の差があまりに大きいと, 民主的平等だけでなく相互の有利化という原理までが侵され てしまう,」 〔 1 79/6 〕 第二に, しかし, おそらくそればかりではない. 社会的経済的不平等はしばしば偶然によるもの であるが, そう した偶然にもとづく極度の不平等は窓意的で不道徳なもの, そもそも正義感覚を有 する道徳的人間にとって是認すべか らざるものである, とりわけ, 他人の犠牲にもとづく利益の取 得はいささかも容認しがたいものだろう, 第一の理由と第二の理由との関連は必ずしも明らか でないが, 第一の理由についていえば, それ は現実には体制の安定化のための正当化の域を越える ものでなく, そのことは主著 『正義論』 第二 部の制度論が展開した福祉国家の理論 (そこでは格差原理は他の二つの原理とちがって, 政府の政 策いかんにその実現が依存するものとされている) と実態が示している, それに対し, 第二の理由 は, 本来 「われわれは平等な分け前から出発する」 ものである以上, 不平等にたいし 「最も不利な 9 )とさ れて いまだ抽象的な がら第一の理由の 体制化機能 人びとは, いうならば, 拒否権を持つ」 , を 打 ち 破 り う る も の と な っ て い る. そ し て こ の 第 二 の 理 由 を 支 え て い る の が ロ ー ル ズ の 平 等 主 義 ,. 的な道徳的確信であるといってよいだろう, この確信が, たんなる体制のアポロジーに堕すること から 、ロール ズ理論を救 っ ており, かつまたその正義論の保守的 でもあり急進的でもあるという両義 性 を つ く り だ して いる よ う に思 わ れ る,. ともあれこう● して, 「あらゆる人を道徳的人間として平等に取り扱い, 社会的な運とか自然の巡 り合わせという運にしたがって社会的協働の便益と負担についての人々の取り分をウェイ ト付けし ないような」 〔 〕 基準としての正義二原理がもとめられる. 75/57. i i, 「自然的自由の体系」 と平等の 「自由主義的概念」 さて, ロール ズによれば, 抽象的な形式のままでの正義二原理はいくとおりかの解釈を許すもの 53.

(7) . 吉. 崎. 祥 司. で あ る,. 〕 という観念で示される 「自然的自由の体系」 72/55 まず, 「才能に対して開かれたキャリア」 〔 i be (thesystem ofnaturall t r y) は, たんに機会の形式的平等を しか保障しないため に偶然性にも とづく不平等が放置され拡大せ ざるをえない. 「機会の均等 は, 個人の力で勢力や社 会的地位を求める という点で, 不運な人々を取り残 してい 〕 106f く平等な機会をも意味する.」 [ ./81 それにたい し, 「二原理の自由主義的解釈」 , 平等の 「自由主義的な概念」 は, 「才能に対して開 かれたキャリア」 に加 えて, たんなる形式的な地位の開放ではなく, 万人がそこに到 達できる公正 i i foppor t ty) の 原 理 を 主 張 す る 点 で, tyo i un な機会をもつべきとする 「機会の公正な均等」(f requal a より積極的である, いいかえれ ば,同等の能力や技能をもつ人々は同じ人生の機会をもつべきであり,同水準の才能 ・ 能力・意欲をもつ人々 は, 初期の位置にかかわらず, つ まり階級的出目や帰属に左右されることな く, 同等の教養や功績において成功を おさめるべきであるとするの が自由主義的平等である.・した がっ てそこから は,独占禁止や累進課税による所有の制限等自由市場や蓄積に関する一定の干渉や, 学校システムの階級的開 放による平等な教育機会維持の必要性などが政策的に帰結されることにな る.. しかし, 自然的社会的偶 然が分配に与 える影響を緩和しようとするこの試みも, 能力と才能の自 然の分配による富と所得 の配分を依然として許している点で, 「自然的自由の体系」 同様, 道徳的 見地からみて 懇意的である. 「自由主義的な概念 は, たとえ社会的偶然性の影響 を排除するという点で完全に働くとしても, l i l i i t b t s) の自然の分配によって そ れ は 依 然 と して 富と所得の分配 が能力 (a a en es) と才能 (t ,. ,. 〕 74f 決定されるのを許している,」 〔 ./56 しかし, 「所得や富の分配 が歴史的, 社会的幸運による 以上に, 生来の資産の分配によっ て決定 75/57 〕 はずである, 自然的能力の差異によって, なぜ所得や富の不 されるのを許す理由はない」 [ 平等 が合理化されるのか -- ロール ズの平等感覚 はここにきわまる. そしてこれ が, 平等と不平 等のあい だでの動 揺にもかかわらず, ロールズ理論を生けるものたらしめている, もっとも, 自然 的差異が不平等へ転化して はならない理由として 道徳的存在としての 人間という命題以上のものを ロールズに期待すること はできないだろう. そのかぎりでは, あたかも挙証責任を対手に負わす(不 平等であってよい理由の開示を要求する) ことではすまない, 合理的論証 がもとめられていること はま ち がい な い だ ろ う が,. ともあれこう して, 「自然的自由の 体系」 も自由主義的平等も, ともに 「なお, あまりにも多く 〕 のである. 79/61 i を社会的, 自然的偶然性 (c t ngen c on y) に委ねすぎる」 〔 それゆえ, 正義二原理は 「民主的平等」 の概念において解釈さ れなければならない, それはずな わち, 「最も不利な立場にある人々」 の視点から 「状況を評価する」 ことであっ た. i l i . 自然的社会的偶然の正義に適っ たあつかい ところで,「最も不利な立場にある人々」とはいかなる 境遇なある諸個人をさすのか. ロールズは, そのような状況をもたらす3種類の偶然性を指摘する. 「生まれついた 時の家族と階級 が他の人々 より不利な立場にある人々,」「生来の資産 (実現され た場合の) があまりよい暮らしを許さない人々,」 「人生の巡路における運や巡り 合わせが幸せ薄い 〕 98/74 結果に終わるような人々,」 〔 54.

(8) . J , ロールズの平等論について 「生 来 の 資 産 (na la t t 107/81 ur a s 〕 自然的差異 が事実とし s e s) の分配は自然の事実 である,」 〔. て存在することは疑いえないが, しかしそれはあくま で巡り合わせであって, もちろんそれ自体が 正義に適うわけでももとるわけ でもない, そうではなく 「正義に適っ たり 正義にもとっ たりす , , るものは, 制度がこれらの事実 を処理するやりかたなの である」 〔 192/78 〕 . だからこそ 「自然の 巡り合わせそれ自身の懇意的な 影響を緩和する原理を採用 したい」 〔 74/57 〕, とロー ル ズはいう. しかも, 生来の資産の分配それ自体が, ある程度ま で社会システムの影響を受けている (後述) , 加えて, 「生来の力量がどの程度まで育成されて実を結ぶかは あらゆる種類の社会的 諸条件や , 階級の態度に左右される. 努力を し, 試行し, 通常の意昧で当然の報いをうけたいという意欲でさ え, それ自身, 幸福な家族などの社会的諸環境 に依存する」 〔 74/57 〕 , 自然的能力の能力としての発現が必ずしも自然的でないことは 諸種のデータを提示 するまでも , なく周知されているだろう, そして,人生行路におけるさま ざまな不運と不幸, いづれにせよ 「人々 , がこれらの偶然性 に身を任せる必然性は何もな い」 〔 102/78 〕, 特定の誰であれ, より大なる生 来 の資産をうけたり, 有利な社会的出発を得る特別な存在でありえようはずがな いのである (そうし た幸運はむしろすぐれて人間の社会的共同の歴史的所産とみなすべきだろう) . したがって, こうした偶然性にもとづく不利益・不 平等は補償されるべきであり そこでの恵ま , れた位置は他者の有利性に寄与しない仕方 で占めるには値しない とロールズは考える. , i v. 「補償原理」 ・ 「互恵性」 ・ 「博愛」 としての格差原理 それゆえ, ロールズは, 格差原理は 「補償原理」(p i i l r n c eofredress) を 含 む, と い う, p 補償原理によれば, 不当な不平等 は補償を必要とする, そして, 出生や生来の資質の 不平等は不 当なものである, ゆえに, こう した不平等は補償されなければならない, 「かくて, 全ての人々を平等に取り扱う, つまり機会の純粋な均等に具える(p i de)ためには, r ov 社会は, 生まれながらにしてもつ資産のより少ない人々やより恵まれない社会的地位に生まれた 人々に, より多く注意を向けなければな らない.」 〔 100/76 〕 この観念は,「偶然性の偏りを平等の方向に正すこと」〔 1oof ,/76f .〕 を意味しており, したがっ てそこではたとえば, 「知性の高い人よりむしろ低い人の教育により多くの資源が費やされること になろう, 少なくとも, 人生のある期間にわたって, 例えば学校の低学年期には そうであろう」 , 101/77 〔 〕, ところ で, すべての子どもの必要に応じた発達保障という視点への接近をみせるこの ような観念が 「一見, それは最も不運な人の方 に偏っているようにみえる」 〔 102/788 〕 とすれば, しかし, 「社会が, 初めに, より有利な立場にある人のために最善を尽く すべき でないことは 明 , らかである」〔 103/78 〕, それというのも, 天性や生まれによって恵まれた有利な立場にある人々も , 「われわれが何の功績を主張することもでき ない幼年期における幸福な家族とか社会的諸環境に依 存しているから」 〔 104/79 〕 であり, また 「唯一人としてより大なる生来の力量を受けるに値する わけではないし, いかなる利点も社会にお けるより恵まれた出発点の 位置に値するわけではない」 1 〔 03/78 〕 からである, したがっ てこのばあい, 「誰もあらかじめ権利をもっ ていなかった有利性 によって自分達は既に保障されている」 〔同〕 とみな すべきなの であり にもかかわらずより有利 , な立場にある人々が, たとえば加重平均の最大化という形でより大なる利益をもとめようとするな らば, それは 「いわ ば幸福な人を二 度にわたって優遇すること」 〔同〕 であり 社会の安寧 (全員 , の自主的な共働) に資するものとならないだろう, そうではなく, 「生来の才能の 分配をある点で共通の 資産とみなし この分配を補整 することに , よって可能となるより大なる社会的, 経済的便益を分け合うことに 同意すること」 〔 10 1/77 〕こ , 55.

(9) . 吉. 崎 祥. 司. そ正義に適っ たものである, とロール ズ は考える. たしかに, その形成と発達の条件と過程, 享受 のサイクルの全体において, 能力は社会的共同資 産であり, そうした社会的資産 としてのより大な る能力 は, 共同の有利性のために用いられるべきものであるにちがいない. かく して, 「生まれつ き有利な立場にある人々 は, 単に彼ら がより多くの恵みを得たからといっ て利得をうる べき ではなく, 訓練と教育のため の費用を償い, 不運な人々をも同様に助けるよう に 〕, 10lf 彼らの資質を使うための費用を償うため に, 利得を得るべき である」 〔 ./77 立場にある個人の 不利な 立場にある個人 より有利な それゆえ, 「適度に一般的な 視点からは, , 〕 が (格差原理の 「互恵性」 104/79 双方 によっ て, 格差原理は, 受け入れられそうに見 える」 〔 超えたところにある家族 とい た原理を i っ t r 1 r oc ec y) p , そもそも, ちょう ど有利性の総計の最大化 がそうであるように, 「暮らし向きの あまりよくない他の 人々の便益にな らないとす れば, より大 i t 105/80 〕 たろ 「博愛」(f t e r n r a y) の自然な意 きな有利性をもちたいとは思わないという観念」 〔 味こそ, 格差原理にふさわしいものとされる, と は い え, 恩 恵 的 な, 多 分 に パ タ ー ナ リ ス テ ィ ッ ク な 語 調 につ い て は 問 わ な い と し て も, こ の ま っ. た く 至 当 な ロ ー ル ズ の 理 想 は は た し て い か に して 実 現 さ れ る の で あ ろ う か.. V. 人間的平等の基礎 づけ ところで, 正義といい平等といい, 唯一人間存在の みがそれらの原理に したがって取り 扱われる が, それは, いったいいかなる資格 においてなのか. ロール ズ●は, 人間の平等の特質を動物との対 比でうき ぼりにしよう とする. 「どんな根拠にもとづ いてわれわ れは人類と他の生命あるものとを区別し, 正義のもつ拘束を人 〕 504/392 間的人々 とわれわれとの関係に しか成立しないものとみなすのであろう か.」 〔 その根拠は 「道徳性」 である. それは人間の みが持ちうるものであって, 平等な権利 の淵源もま た人間のこの道徳 的存在性にある (それゆ え, 動物 は保護の対象で はあっても, 権利の主体たりえ る 」〔 505/393 〕 そして, ない) , 「平等な正義を受ける資格があるの は, 厳密には, 道徳的人間であ . he 〕 および「正義感」(t 509/395 道徳的人間の要件 は,「自分の善の概 念をもつことができること」〔 fj i t sense o us ce) を も ち う る こ と で あ る. も っ と も, こ こ で も と め ら れ る 要 件 は そ れ ほ ど 厳 し い も. i l i t t t a en y) のでなく, 「一定の最小限が一般的に満たされていること」 〔同〕 すなわち 「潜在性」(po 〕, ふつうな らやがて当 然のこととして実現さ れる, そして正義の要求を活動させると [ 509/395 i t c a y) が平等な pa ころの潜在性で 十分である. つ まり, 「道徳的 パー ソナリティ に対する力量 (c 〕. そこでは基本的 な最小限以上のもの 505/393 正義に対する資格をもつための十分条件である」 〔 は何も必要でなく, そもそも必要条件であるかどうかさ え実践上棚上 げしうるものであって, 「道 〕, そのさいしかも, 506/393 徳的 パーソナリティ はあるものを要求の主体にするのに十分で ある」〔 またこの力量の欠乏や 正義感に対する力量は圧倒 的多数の人類によって保有さ れているのであり, 程度にした がって, 正義の恩恵に浴させなかったり加減したりするのは誤りである. かく して, 道徳的人格への力量, しかも可能的なそ れ, が人間の固有の価値を保証し, したがっ てその正義と平等を根拠 づけるとされる. このかぎりで, つまり動物 との対比において人間が潜勢 態としてつかまれるか ぎり, ロール ズに, 社会における人間の発達可能性という視点との親近性 が な い わ け で は な い.. 56.

(10) . J . ロールズの平等論について. 3. 平等の基礎 づけ ロールズ平等論なかんずく格差原理は, 概略以上のようにまとめることができよう, ここでは, なお2, 3の点について今少したちいっ た検討を加えてみたい. なにゆえ人間は平等であるのか, の基礎づ けをあらためて問うことが, その意図するところである, i. 不運な者のためのより多くの資源消費の必要性 ロールズによれば, 人間の平等を尊重するとは, 各人を同じように扱うことでなく, むしろ平等. な存在として各人を扱うことであり, 各人の運命について同じように関心をはらうことである, し たがって, くりかえしになるが, 生来の資質が劣る者に関しては, 優る者と同じ存在として扱われ るためには, つまり自分たちの選好を実現すべく他の人々と平等な機会を得るためには, それだけ 多くの資源が必要である, とされたのであった, ロールズのばあ い各人そ れぞれがもつ特殊な 「善」 の内容が問題にされず, そこが一つの批判的 論点たりう るところ ではあるが, しかし平等の尊重ということが, 各人を同じように, 均一に扱う ことを意味しないという指摘は全く 正しい. 個性は多様である (ありうる) からであり, また同等 な取り扱いといっても, 異なる状況下にある諸個 人にとってその意味はまっ たく違ってくるからで ある, そしてそこから, 平等の尊重をたんなる抽象性に解消せしめないために, 偶然の巡り合わせ によって不運な位置にある者にはより多くの資源が費消されなければならない, という要請が出て く る.. グ このような見地 は, たし ・かに, 多少とも 「福祉国家」 の観念に採用され, しばしばプロ ラム規 一定の制度化をみているものでもある そしてそのかぎり 定に終始する場合があるにせよ, . , 体制 の安定化機能をより多くもたされているのが現状であるが, にもかかわらず, 平等主義の直裁な表 現として本来原理的な正当性と批判性を有するものである, 「福祉国家」 とその理念の崩壊が誰の 眼にも明らかになっている現在とくに, その現実批判の機能が威力を放つことは容易に理解される ところであり, より肯定的に深められていく べき思想 であるだろう. わが憲法における 「能力に応じて教育を受ける権利」 の条項 (第26条) が, 体制の論理としては 一貫してたんなる機会均等の保障 (差別要因の排除) にとどまっているのに対して, 民間教育運動 などにおいて はそれぞれの 「発達の必要に応じた教育をうける権利」 として理論化されてきたが, ロールズの命題はそうした見地と重なる視座をもちえていると考えられる. とはいえ, より不運なる者により多くの資源が費やされなけれ ばならないというこの命題の十分 ▼ な根拠が, ロール ズによって示されているようには思われない, 倫理的要請としてはともかく ,合 理的な論証としては必ずしも説得的 でないようにみられる. あらためて, 吟味しなければならない だろ う.. (なお, 自明ながら, 各人を同じように扱うことが人間の平等を意味しないことは確かだが, そ の ことと, 最小限人間の生存と生活にとっての必要にして十分な物的財貨 -- 富と所得 -- が等 しく確保されることとは, 矛盾しない ばか りか, むしろ両立させられね ばならな いものである.) i i 平等の基礎 上記の命題の根拠を解明していく ための手がかりは, 生来の資産の分配における不平等の性 質を 検討することで えられるように思われる, 生来の資産の分配に関して, ロール ズ はそれほどの展開 を試 み て い る わ け で はな い が, 3 つ の レ ベ ル を 区 別 して 論 じて い る, 57.

(11) . 吉. 崎 祥. 司. 1)前述のように, ロール ズは 「生来の資産の分配は自然の事実である」 としていたが,「しかし, 107/81 〕,そこで例としてあげられるのは, この分配はある程度まで社会システムの影響をうける」〔 社会の開放性と閉鎖性, そして 「優生学」(eug i en c s) の問題である. 「例え ば, カース ト制は生物学的にみて分離された住民に社会を分割する傾向があるのに対して 107/81f 開放された社会は遺伝学的な多様性を最大限まで助長する,」 〔 .〕 生物学的-遺伝学的問題としては, こう した比較の前提として社会集団の大きさ・ グルー プを構 成する個体数などが考慮されなければならないだろうが, 一般的には遺伝子の多様な交錯が生来の 資産の発達に好ましい影響を与えるだろうことが確かであるように思われる. 他方, 当事者の同意を条件とするところの 「最善の遺伝的資産」 の確保, すなわち時間を通 じて 社会は, 少なくとも生来の能力の一般水準を保持し, 重大な欠陥の拡散を防止するための方策を講 じる べきなのである」 〔 108/82 〕 というのが 「優生学の問題」 であるが, これについては下記の情 況から留保しておく必要があるだろう, すなわち, 一つには, 優生-劣性の規定がしばしばもっ ぱ ら社会的評価にかかわっていること, 二つには, 通常劣性とみなされている遺伝子の近傍にいかな るす ぐれた性質の遺伝子が存在するかをわれわれがいまだ十分に解明しえないこと, さらには 「優 生」 への集約は, 種の危機における抵抗力や適応力を失わしめることが予想されること, など (比 噛的には, 「優生」 による社会支配が今や滅びを現出せしめているともいえる) . ともあれ, ロール ズのこれらの立論から問題意識としてわれわれが読みとるべきこと は, 「生来 の資産」 にかんする社会的評価そのものを吟味反省するとともに, とくに遺伝子レベルでの能力の 先天的決定の立場をとる分子生物学的遺伝学等の登場に対して, 発達の阻害要因の解明・除去の筋 道をさまざまの レベルで発見 し て い く こ と, こ の ば あ い はと く に 社 会 シス テ ム の あ り か た が 生 来 の 資産の自然的差異に影響を及ぼす, という問題領域を確立していくことであろう. 2) ところ で, ロール ズ は偶然によっ て最も不利な恵まれない立場にある人々 につ いて, 「正常 な範囲内の肉体的必要条件や心 理的力量をもっ ている」 〔 98/74 〕 者にか ぎり, 特別な健康管理 (hea l hc t r e) を必要としたり精神障害者の ばあいの問題については, 正義論の範時を超えるも a のであり, かつその人たちの運命への隣欄や心配が問題のいわば理性的な対象化と道徳的考察を混 乱させてしまうという理由で, 原則的には排除している, しかし, 平等な存在たることを保証する. 道徳的人格の力量に関する考証のなかで, この一応は排除された問題にも触れている. 「道徳的 パーソナリティ を定義する最 、の要請は力量と関連するのであって, その実現と関連す るのではない.」 [ 509/396 〕 したがっ て, 幼児や子どもらがそうであるように, 「それが発達させ られていようといまいと, この力量をもつ存在は正義の諸原理の十分な保護を受ける べきなのであ る」 〔同〕, すなわち, 道徳的人格の存立にとっ て 「潜在性を十分条件とみなす」 〔同〕 こと が重要 であり, その潜在性, 可能性がどれだけ実現されたかどうかなどは人間存在の平等性にかかわるも の で はな い,. す べて人は成長・発達の可能態であるがゆ えに 平等であり, かつ自然の巡り合わせや生まれに よって, ありうべき発達に偶然の困難がもたらされているならば, その障害は取り除かれまた補償 されなけれ ばな らず, しかもじっさいにその発達可能性がどこまで実現されたか否かは人間の平等 性 に 影 響 を 及 ぼ す べ き で は な い, と い う ロ ー ル ズ の こ の 見 解 は, ま さ しく, 平 等 の 理 念 に ふ さ わ し い も の と い え よ う. 3) つ ぎに しかし 「力量の欠如する特殊なケース」 についてはどうか, そう した力量を欠く が , ゆえに道徳的人格たりえず, したがっ て人間の平等にあづかることはできないのか. 「不運や事故や精神的ス トレスを通じて, 実現されている力量を一時的に衷失した人々の問題」. 58.

(12) . J . ロールズの平等論について. 5 10/396 〕 はある意味で困難 ではない. 「自分達の力が未発達で, 自分の利益を合理的に増進す 〔 249/19 3 ることができない」 〔 〕 子どもや, 「ある不運とか事故のために, 自分の善のための決定を なしえない」 〔同〕 重症の心身障害者などについては 「温情主義」(pa l i 24 8/193 〕 の原 t r n e a sm)〔 理 が 行 使 さ れ る べ き で あ る, と ロ ー ル ズ は い う.. i i i 温情主義的原理と は, 「当事者たち が, 原初状態 (o lpo i t r n s on)〔自然的正義 がおこなわれ a g る理論的仮説状況 -- 引用者〕 で社会 における自分の理性や意見の脆弱さや虚弱さから自分を守 るために承認するであろうもの」 〔 249/193 〕 を 「基本的善」 の理論に沿って, あるいは正義の諸 原理と主体のより恒久的な狙いや選好によっ て, 他者が (当事者の欲するだろうものをかれのため に得ようとする) 合理的な代替の権限を与えられ, また時にはその引き受けを要求され, しかもか れの合理的な力の発達, もしく は回復があっ たときに, 最善をなしたことの同意が得られるだろう よう な 一 つ の 「干 渉」 (i 250/193 i t 〕 を 加 え る こ と で あ る. こ の 干 渉 は, 理 性 と 意 思 n ervent on) 〔. の明白な不足あるいは欠如が認められるばあいにだけ正当化される, しかしこのばあい, 力量の欠 如・欠損は一時的なものとみなされ, あるいは成長・発達によって, あるいは回復によって道徳性 が実現される (だろう) という予測において, 平等が保障されているのである, それに対 し, 「しかし, 大なり小なり恒久的に道徳的パーソナリ ティ を奪われた人々 は, 一つの 困難を表すかもしれない」 〔 5 10/396 〕, ロールズはこの問題を先述のように原則としてとりあげな いが, しかしそういうケースでも 「平等の説明は重大な影響を蒙らないと仮定する」 〔同〕 として いる. おそらく, 力量の恒久的欠如の ばあ いにも 「温情主義」 的原理をいわば準用することができ ると考えているのであろう し, また 「潜在性」 の議論もある予想を抱かしめないわけではない, そ のかぎりでは連続性の契機を見出せないわけではないとしても, 道徳的人格の一時的欠如と恒久的 欠如との間には明らかに論理的な断絶がある. そして, 道徳的人格それ自体の論理レベルではこれ に 架橋 す る こと はでき な い.. しかし, このような論理的断絶のもとでは, 問題の首尾一貫した理解は達せられないだろう. 逆 に, 能力の 「恒久的」 欠如の状態から人間の平等を考えていく視点の確立がもとめられているので ある, いいかえれ ば, 究極的に道徳性において権利と平等を根拠づけることはでき ないだろう, 道 徳性も, そしてまたその潜在性もたしかに平等と権利を基礎づ ける主要因の一つではあるが, より 根源的な基礎は, 歴史的生成過程における共同的人間の潜勢力, 発達可能性でなければならないだ ろう, 社会を形成し, 社会において能力を発展させたもの, その可能性としての人間という視座が 据えられないかぎり平等の根拠づけは十全にはえられない, と考えられる.. 4. 平等論再生のための暫定的諸命題 ロール ズの以上のような平等論は, いくつかの小さく はない制約を含むとはいえ, ゅたかな思想 内容を示しているものであり, 今日の平等論にとっての有力な素材たりうるものである. ロ ー ル ズ の 論 述 を 踏 ま え つ つ, 平 等 論 の 再 生 に 資 す る も の と 思 わ れ る さ しあ た っ て の 2, 3 の 論. 点を提示してみたい, まず人間的能力という局面 でいえば, 平等の問題を自然的差異から, とりわけ重度の障害者にお i b i l i ける 「能力不全」(d t s a y) といっ た基底 レベルから論理的に首尾一貫してとらえることが必要 であろう. ロール ズにあっては, 「道徳的パーソナリティ への力量」 の 「恒久的欠如」 にある者と して, その正義-平等の保証の理論的基礎づ けに一定の困難をもたらしていたこ rの基底 レベルは, 59.

(13) . 吉. 崎 祥. 司. たんに 「温情主義」 原理によっ て 「道徳的存在としての潜在性」 を認知されて平等な人間存在の一 員を占めるのでなく, より根源的に歴史的・社会的に生成するものと しての人間というカテ ゴリー で 捉 え られる べ き も の, と 考 え ら れ る,. すなわち, たとえば 「能力不全」 という観念自体が社会的歴史的カテ ゴリーであって, 視力は眼 鏡との, 聴力は補聴器との, 車椅子はそのための社会的環境との関連で 「不全」 であったり, それ ぞれの程度での障害であっ たり, あるいは「社会的実生活」になんらの支障をきたさないものであっ 0 }重度の精神遅滞などの ばあいも原理的には同然 であっ て たとえばサルにおける 「図 たりする.1 , ll 形言語」{v i anguage) の 学 習 と そ れ に も と づ く 人 間 の ば あ い へ の 適 用 (こ れ ま で可 能 で な か っ su a た 重 度 の 精 神 遅 滞 の ケ ー ス に つ い て も, 図 形 言 語 の プ ロ グラ ミ ン グ が で き る よ う に な っ て き て お り,. 1 1 )などの実績は 非音声的言語コミュニケーショ 少なくとも原理的機序は解明されているという) , (ただし, 今の ンの拡大という方向で能力の発達の歴史的・社会的可能性を実証するものであろう ・. ところ, 上記のばあいは能力形成という契機が弱いのに対し, このぱあいは能力の発達ということ こは両者は明確に区別されるべきもので が顕著にみられる点で, そのような連関が主題となるさいる あろう) . たしかに, 自立した人間生活という側面での能力行使において, なお断絶的な 「不全」 を想定し なければならないような場面が認められると しても, たとえ ばわれわれの認知能力すらもが120を 越えるともいう因子のうち僅かに20余りが知られているにすぎず, それら因子の無数の組み合わせ のなかで比較的わかりやすい断面が, 一定の 「社会的評価」 にもとづいて一般に知力としてとりあ 2 }能力形成と能力不全との間に固定した断絶をみ げられているにす ぎな いような現況からすれ ば,1 る合理的・論理的な根拠は存在 しないし, また遺伝子 レベルでも既知の組み合わせの周辺にいかな る可能性が秘められているかがなお少ししか判明していないことは,すでに触れたとおりである(後 者の側面ではとくに, たんに能力に限定されない人間の人格的諸特質のさま ざまな 可能性も想定し うる) . こう して, 根拠を問うといっ た 「原理」 の問題は, あたかもかつての多くの視力 「不全」 が眼鏡によっ てあるいは医学的処置の発展によって今や少しも視覚能力の欠如とはみなされないよ うに, 人間社会の歴史的 パース ペクティ ブを 媒介して究められるべき であろう, かくして, 自然的 能力の歴史的社会的相対化・流動化において, 自然差にもかかわらず, これを減殺しつつ, 資質・ 能力において, 人間は無限進行的に平等たりうる (それぞれ個性的なありかたで) 可能性をもつ, と い う こ と が い わ れ な け れ ばな な ら な い だ ろ う.. ところでつ ぎに, ロール ズにならって人間が固有に道徳的存在として平等な正義を享受しうるも のであるとすれ ば, その根拠は, じつ はあたかも自然淘汰に対抗しうるようになったという人間の 特性にもとめられるのではないか. かつて, 通常の状態ではいわば 「能力不全」 をきたして淘汰さ れざるをえなかっ た諸個体が, 社会形成の歴史的過程のなかで受動的な存在のままであることを止 めるにいたっ たそのときから(そして,その淘汰の理由は偶然の巡り合わせ・不運によるものであっ ただけに) , 人間は潜勢態として, 「尊厳の平等」 を有するものとして存在しはじめたといえるので はないか, 偶然を偶然事と しては放置しておかなくなったという人間の行為・存在様式, 原理的に は誰もがそう した存在の仕方に値するということのなかに, 差別されざる人間の平等なありかたの 根源がある, この点からみれば, 自然的差異の社会的不平等への転化を自明のものとみなし, その 理由を能力 「差」 や能力 「不全」 にもとめる見地は, 社会 ダーヴィ ニ ズムの裏返しともいうべき 前 人間的な思想形態, 自然淘 汰を受動的には肯ん じないという人間本質を忘却 した野蛮のイ デオロ ギー と い わな け れ ばな ら な い だ ろ う.. かく して, 能力問題の核心は, その社会性を, つまり個 人付着的なものであるにもかかわらず, 60.

(14) . J , ロールズの平等論について. 社会と歴史に媒介され浸透されつく しているもの, という意味での 「能力の社会性」 を認知するこ と に あ る. ロ ー ル ズ に は, そ こ ま で の 視 点 ・ 論 理 は (全 く と いう わ け で はな い に し て も) 無 い.. そして, なにゆえ人間は平等なのか, という平等問題の核心は, 共同存在としての人間がもつ(能 力のみにかぎられない) 普遍的可能性である, 人間の平等は, たんに能力という問題平面にお いて ばかりでなく, むしろす ぐれて総体としての人間の人間化成を実現した (それなしには個々の人間 の十全な生存も発達もおぼつかない) 人間の共同存在性という側面で, 基礎づけられるべきもので ある. この点でも, 「協働事業」 としての社会という規定あるいは共 同社会がもつ人間形成的機能 への注目などにもかかわらず, 人間的善の内容を問わないところから, ロールズ は人間の共同存在 性の意味 (マルクスがかの 「ミル評注」 で与えたような) の把握に成功していない, ちなみに, 自然権の哲学的基礎の論究も, おそらくこの地点にまで及ぶべきものであるだろう, 人権・正義・平等などはあくまで社会内部で根拠づけられるべきもの である. それらは, 人間の社 会的歴史的発達可能性と共同存在性とに自らの基礎を見出すべきものであっ て, 神はもとより, 無 媒介な所与としての道徳性などにもとづけられることのできないものである. ともあれ, こうして人間の歴史的社会的発達可能性と共同存在性という観点の確立がないところ に, 平等論を貫徹しえないロールズの思想と論理の (イ デオロギー的立場を問わないとしても) 制 約がある, さしあたっての論点のさい ごに, 不平等の克服のための現実的課題に言及しておくべきだろう. 偶然にもとづく不平等という不正義を克服していく現実の方途は, ロールズのように格差原理の政 策化・制度化という福祉国家の行為 (それはすでに幻想と化しているが) のうちにはない. ロール ズのいう互恵性は, 幸運なる者と不運なる者双方の利益の案分のうちにではなく, 「基本的善」 と くに富と所得に関する平等を遂行しつつ (この平等の意昧は, 各人を同じように扱うことでなく, むしろ平等な存在として各人を扱うことであっ た) , 同時に, あたかも 「社会が人間の能力の多元 3 }において実現を期待されるだろう もちろん能力 性を尊敬して称賛するシステムをつくること」1 , ばかり ではない, (平等な存在たることの前提としての物的財貨の平等を追求しつつ) とく に人間 の性格と能力の多様性それ自体を尊重する社会精神を醸成するための, 制度の革新に照準をあわせ た平等主義的意識と運動が, 現代の平等問題の中心的な実践課題をなしているだろう, その目標を, メリ トクラシー社会という現実の文脈を顧慮 して表現するならば, つ ぎのよう であろうか, すなわ ち, 富や所得がもはや重要な要素ではありえなくなる状況下において, 「す べ ての人びとは, 尊敬 1 4 ) に値するが, 能力のある人 びとは, さらに称賛に値する」 , という境位.. 小. 括. ロールズ は, こうして, いまや色あせたかにみえる人間平等論再構築のための貴重な手がかりを 与えている. かれの立場は, 基本的にはC c e r s on のいうように 「修正主義的自由主義」 で ph ,B ,Ma 5 )社会的経済的不平等を人間社会にとっ て不可避なものとみなすなど原理的な問題性を残し あり,1 ていて, 全的に肯定できないものだが, .にもかかわらず, 平等論再生の立場からは顕著な, 他に例 を みな い と い っ て よ い, 寄 与 を な して い る も の の よ う に 思 わ れ る の で あ る,. 錯綜した叙述になっ たので, ロールズ平等論の論旨を整理しておきたい, 一一 人間存在の固有の特質は, かれが道徳的人格であること, 多かれ少なかれ道徳的人格への力量を もつものであることに存し, その資格を根底において, 平等である. 61.

(15) . 吉. 崎 祥. 司. したがって, す べての人間にとっての最小限必要たる 「基本的善」 , つまり富と平等, 自由と機会, 自尊の社会的基礎等は, 本来平等であるべきもの である, とはいえ, 社会的経済的不平等は, おそらくいかなる社会においても不可避である ばかりか, か えって産業進歩のための効率化や刺戟の点で有用でさえある, しかし, そのようにみなす ばあ いにも, 現実の社会的経済的不平等は, その根拠をあまりに多く 自然的社会的偶然性に委ねるものであり, とうてい正義に適うものではない, すなわち, 生来の資産のちがいや家庭・環境等に影響されること甚大な出自その他の運不運とい う偶然が, 大きな社会的経済的不平等を現出せしめているが, しかし, 人々がそのような偶然性に 身を委ねる必然性がないことは明白である. それというのも, 自然的な資質・能力・才能の差異が社会的経済的不平等を決定してよいいかな る理由もないからである. たしかに, 生来の資産の分配に差異があることは自然の事実である. し かしそれ自体一定の社会システムの影響をうけている可能性があるし, またその実現が深く家族や 階級等社会環境のあり方に依存し条件づ けられているものである. つまり, すぐれた能力や性格と ′え いうものも, 幸運や環境に依存しているものであって, 一個の個人においては何の功績も主張し な い も の で あ る.. むしろ, 生来の資産の分配は, 共同の社会的資産とみなされるべきもの であって, すべての人々 がこの共通の資産の益にあずかるべきであり, とくに不運なる人たちがそうである. そもそも,.基 本的権利は生来の能力いかんで変わるものではないし, 力量の差は正義の保障を剥奪したり制限し たりする理由とはならない, かく して, 不当な不平等は補償されなければならない, 不平等は最も不利な人々の福利を増進す るばあいにのみ許容されるのであり, 生来の資産のより少ない人たちにより多くの資源が使用され な け れ ばな ら な い,. そして, 不平等な分配がすべての人々, とりわけ最も不利な人たちの有利になるのでないかぎり, 分配は平等であるべき・である, これらが, 各人を同じように扱うのでなく, 平等な存在として扱う 「民主的平等」 の概念の内容であり, 他者を犠牲とし手段と化することなく, 最も不運なる者たち の立場から状況を評価することをもとめる, 正義の感覚にもとづく平等主義である, -- このようなロールズ平等論の主な問題性は, 以下の点にある. 不平等の構造を拡大再生産していく資本主義的所有-権力関係に対する批判的認識の欠落という 根本問題とその由来等をめぐっ てはさしあたり措くとして, まず, 平等の根拠を道徳的人格という 媒介されざる所与にもとめることに安易であることが指摘されよう, そしてそのこと は, 人間の社会的歴史的な (潜勢態としての) 発達可能性と共同存在性とについ て の 理 解 に, い ま ひ と つ の 不 十 分 さ が あ っ た こ と の 帰 結 で あ る よ う に 思 わ れ る.. さらにいえば, そうした不十分さの基底には, 自由の内容をいわ ば私事として問うことをしない 自由主義的伝統の輔きのなかで余儀なくされた, 人間観の狭さ・平板さがよこたわっているとみな さ れ る.. そのことが, 逆に, 功利主義批判の不徹底 (人間が主としてもっ ぱら受益的消費者的レベルでし かとらえられない) と, 平等論の根元の ところ での動揺 (両義性) を招いた原因になっているよう に 考 え ら れ る,. にもかかわらず, 正義-平等の概念の再措定によって, 世界史的現代の中心課題を, 明瞭な形で, 広汎な意識にもたらすとともに, この課題を解く鍵と・ なる少なからぬ重要な諸観念を与えていると こ ろ に, ロ ー ル ズ の や はり 大 い な る 貢 献 が あ る と い う べ き だ ろ う. 62.

(16) . J . ロールズの平等論について. 註 1) これらの点については, さ しあたり以下の諸論稿参照, 田中成明 「ジョン・ロールズの 『公正としての正義』 論」(日本法哲学会編 『現代自然法の理論と諸 問題』 所収, 1972年, 有斐閣) 同 「正義・自由・平等」(同会編 『正義』 所収, 1974年) 藤川吉美 「ロールズによ る哲学の復権」 (『思想』 1982年7月 号所収) , 同 「ロール ズ正義論の哲学的意義」 (『思想』 1981年12月号 所収) 」(『思想』 1983年1月号所収 -- なおこれら 3編は, , 同 「ロールズ正義論と社会科学革命の瑞 8 同 『正義論の歴史』 に収録されている,1984年, 論創社) , 川上文雄 「『正義の理論』 と功利主義の克服」(飯 坂・渋谷・藤原縞 『現代の政治思想』 所収, 1981年, 理想社) ,ロール ズ」(『現代政治学の , 小林良彰 「J 理論 上』 所収, 19 81年, 早 大出版部) 藤原 正義・自由・民主主 . 保信 『 』 (1976年, 御茶の水書房) 義 , , C,B,Macpher i son;Demoα研ぎ i 1 3( c rメ ヱ eoか,oxf P 9 7 邦訳 『 民主主義理論 ordUn t 』, 1978年, 青木 ve r r s e s s y , 書店) など, なお, ロール ズ批判としては, マクファーソンの著作のほか, 川上, 小林論文に紹介されて いるものが参考になる. 外国語文献についても, とりあえずは後二者参照, 2) J ; i s;A r i z e oり 呼ノ t z感化β r ve s es s , Rawl yPr . 邦訳 『正義論』, 1979年, 紀伊国屋書店. ,oxfordUn , 1972 以下, 煩を避けるために, 同書からの引用 は引用文末尾にペー ジ数のみを 〔テキス ト/邦訳〕 の順に示す ことにする, 訳文は一部をのぞき, さ しあたり邦訳書にしたがうこととする. 3) 田中成明編訳 『公正としての正義』( 1979年, 木鐸社) の訳者解説, 12ページ. なお, 主著 『正義論』 を 準備することになっ た主要諸論文がこの訳書にまとめられており, 参考になる. 4) マクファーソンは, ロール ズの功利主義批判 が徹底 しない究極の事情をかれの人間観の制約にもとめて いる, 前掲書. なお, 前掲川上, 小林, 田中論文も参照. 5) 前掲 『公正としての正義』 1 , 73ページ. 原文を利用できなかっ た. 6)「秩序ある社会」(『現代世界の危機と未来への展望』 所収 1 , 984年, 岩波書店) , 118ページ, 書き下ろ し であろうか, 出典の表示 がなく 原文の利用 ができない. なお, 天恵の共有物としての大地にたいする自己 労働にもとづく所有という範囲内 で, 独立 した 諸個人の実質的な自由と平等を構想 したロック理論がやが て競争的市場社会擁護の論理に変質 していくのと同様な転回がロールズの論理にもはらまれてお り, 一般 に自由主義理論の問題性をあらわすものとして興味深い, 7) 同前, 8) 同, 9) 同, 10) この点もそうだが, 平等-能力問題の基本視点を考えていくうえで竹内章郎 「病気と障害をめ ぐるイ デ オロギー」(東京唯物論研究会 『唯物論』 第55号, 1985年) がたいへん参考になった, 11) さ し あ た り, H,F,Har l i i i i i ow andC,Mear s; rZ z g 劫‘ v s onofSc r “ z α“ 肌odd, A Di aTechn ca ‐ nc ng pt . Wash ,l t onD,C . (邦訳 『ヒューマンモデル』,1985年, 泰明書房) , 岡野恒也編著 『霊長類心理学』(1983年, プレー ン書房) など参照, 12) たとえば 『教育心理学辞典』 (金 子書房)56 1ページの 「知能構造」 におけるJ i l f dの知性の構造 r o ,P ,Gu fi l l モデル (thestruc t l) 説 な ど 参 照, tmode ureo nt e ec 13) 沢田徹郎 「脱工業社会論」(『転換期の現代社会学』 所収, 1980年, アカ デミア出版会) 209ペー ジ, , 14) 同, 212ページ, 15) マクファーソン前掲書参照,. 63.

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参照

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