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国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ) 漢字の基礎-「子ども」・「子供」の表記を基にして-

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(1)Title. 国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ) 漢字の基礎−「子ども」・「子供」 の表記を基にして−. Author(s). 清野, 隆. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 59(1): 1-12. Issue Date. 2008-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/899. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第59巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.59,No.1. 平成20年8月 August,2008. 国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ) 漢字の基礎−「子ども」・「子供」の表記を基にして−. 清 野. 隆. 北海道教育大学札幌枚国語教育教室. TheEstablishmentofFoundationsinJapaneseEducationasNativeLanguage(I): TheFoundationinKanji−forExample,“Kodomo”L. SEINO Takashi. DepatmentofJapaneseEducationasNativeLanguage,SapporoCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 国語科教育の言語事項の一つである漢字の表記指導の問題を「子ども」「子供」を一つの事例として取り 上げることを通して,漢字表記の規準を明らかにすることにある。特に,本論では小学校を中心とした学年 別漢字配当表に基づいた理解と指導の関係,さらに広く誤認を流布することに関わっていると考えられる教 育に携わる専門的な研究者の表記意識の問題などを考察する。これらを通して,国語科教育の基礎的な問題 の所在を明らかにしながら国語科教育の基礎学の構築に向けての課題を明らかにしていくものである。. 1 はじめに 小・中・高等学校の漢字指導はどのように考えるか。言い換えると,学校教育で漢字はどのように指導す るのか。なぜなら,国語科教育は他の教科の基礎教科であると同時に国語科教育としての独自性という両面 を含んでいる。簡潔に述べるなら,前者については社会科であれ,算数・数学であれ,どのような教科もこ とばの表現と理解があって成立する。つまり,教師は教育を営むときに表記の一つである漢字を使用し,児 童・生徒に説明する。また,漢字を含んだ教科書や資料を用いて教育活動は展開されていく。後者は国語科 で詩や説明文をなぜ指導するのかを考えればわかることである。前者は全ての教師が共有し,理解していな ければならないことであり,基礎である。その上でそれぞれき教科教育の目標や指導内容がある。本論の目 的は教育での表記について論ずるものである。同時に,小学校では全ての教科等を教えることは原則としな がら,教科教育を専門とする教師によって小学校の教員構成は成立する。中・高等学校は教科専門を基本と している。したがって,本論の目的は国語科を専門とする教師の果たす役割をも論ずることになる。.

(3) 清 野. 隆. (1)交ぜ書き表記の問題 (彰 「子ども」の表記が優勢か. 次のような調査をした。学生は北海道教育大学札幌校(初等国語受講者A,B,114名・調査日2007年7 月6日)と北海道教育大学岩見沢校で開講した学校図書館司書講習会の「学校経営と学校図書館」に参加し た教師(36名・内訳,小学校13名,中学校8名,高等学校12名,中・高一貫校1名,養護学校2名,調査日 2007年8月2日)及び10年目研修できた小学校の先生(12名・調査日2007年8月6日)である。調査対象の 教師は全体で48名,そのうち小学校の教師は24名である。質問項目は,「/ト・中・高等学校で下記のことを 指導するとき,最も適切だと考える項目に○をつけて下さい。また,特に③を選択した人は小・中・高等学 校で異なるときは,その理由をその項目の余白に簡潔に説明して下さい。」とし,9項目の質問の最初の項 目が,「① 子ども,② 子供,③ 両方よい」である。. 調査した結果は,学生①82名(71.92%),③32名(28.07%)である。教師は①37名(77.08%),②4名(8.33%), ③7名(14.58%)である。このうち小学校の先生が①を選択したのは24名のうち21名である。③の両方を 最も多く選択したのは高等学校の教師5名である。 新聞・テレビなどをみていても両方の表記がある。文字を媒介とする全ての表記が両方がみられるどちら. がよく目にするのか。質問の結果に反映しているように①の「子ども」である。 2007年版『教員採用試験必携シリーズ3 合格論文攻略法』時事通信社内外研究会編の30ページには次の ように記されている。 ① 「子供」→「子ども」. 一般的には「子供」も多く使われるが,文部科学省は,幼児,児童,生徒を総称して「子ども」と表 している。こちらの方が語感が柔らかである。 ただし,小学生だけなら「児童」,中・高生だけなら「生徒」がふさわしい。ちなみに,五月五日の 祝日は「こどもの日」が法律用語である。 同様の指摘は他の専門分野の大学の教員や小論文指導に協力をいただく同窓生の先生からも学生が「子供」 と書くと「子ども」と直される。. 第103回全国大学国語教育学会の信州大会の公開提案授業の「絶対評価はいかにして可能か一国語科評価 の再検討−」の中学校碇案授業「読むこと」がなされた(2002年10月20日)。授業後の話し合いのとき,筆 者は評価の問題を含めて,板書で「子ども」と書いたのはなぜかと質問をした。助言者の先生は「子ども」 の表記はいろいろな書き方があると,授業者にかかわって話された。助言者の授業者への配慮からかもしれ ない。日本語は漢字仮名交じり文であることは誰でも知っている。「こども」は「子供」「子ども」「コドモ」 「こども」と書いても文脈との関係で認められる。例えば,教育出版の教科書に山川方夫の『夏の葬列』が 作品(教材)として掲載されている。その表記のなかに「……. 「カンサイキだあ。」と,その声はどなった。. 艦載機だ。……」の両方の表記がある。それぞれに文脈との関係で表記が異なっているのである。それぞれ. の表記は作品(教材)の解釈にある意味をもつことも事実である。しかし,碇案授業での質問の意図は,実 践された作品(教材)との関係のなかで,教師が生徒の前で書いた板書を見たことに基づき,質問している のである。助言者に限らず,多くの著名な教育関係の著者には「子ども」という表記か目立つことも事実で ある。 法律を専門とする先生と話したところ法律の世界では「子ども」と書くことになっているという。確かに. 国語科教育にも関係の深い法律である平成13年12月12日法律第154号は「至旦旦の読書活動の推進に関する 法律」とある。1989年に国連総会で全会一致により採択され,1994年に日本が批准した(Conventionon theRightsoftheChild」を翻訳するとき「子どもの権利条約」とするのか「児童の権利条約」とするのか,.

(4) 国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ). で議論されたことは記憶される。この条約は「子ども(児童)の権利条約」と称される。政府の出す様々な 行政文章にも「子ども」の表記は多い。私が住んでいる札幌市〔人口1893125人・世帯数863790・2007年6 月1日〕かほとんどの家庭に配布する「広報 さっぼろ」の2007年7月号の30ページには「子どもの権利条 約検討会議の委員を募集する」と見出しがあり,その内容に「(仮称)札幌市至旦旦の権利条例」の制定に むけて,……」とある。詳細な内容は,「至旦旦の権利推進課」とある。(下線は筆者). NHK編『新用字用語辞典』(日本放送協会)の「こども」の見出し語の項目を繰ると,「こども」の見出 し語に「子ども 〈子供〉(5月5日は「こどもの日」)とある。同様に,新聞各社は「子ども」と「子供」両 方が多いが,例えば毎日新聞(2007年7月1日の朝刊)の11面の家庭欄には「子ども相談室」とあり,27面 の社会欄では「亘些700人が未就学」と大きな見出しで書いてある。各新聞とも両方の表記が用いられ,各 紙面により異なっている状況である。(下線は筆者). 国語の力は学校教育だけでなく,社会の多様な環境のなかで培われていく。算数・数学の学力は学校教育 のなかで培われることが多いこととは異なっている。そのことを考えると放送・新聞・行政文章などの表記 や表現が国語に与える影響は多大である∩. (卦 漢字表記の規準は何か. 漢字の数はどのくらいあるのか。諸橋轍次編の『大湊和辞典』に漢字は48902字を記載している。つまり, 膨大な漢字のなかから国民が共通的に使用する漢字が一定の限度で選ばれることは,明治時代の学校教育が スタートしてからの常である。代表的な漢字節減論の一つを挙げるなら福沢諭吉は『文字之教』で次のよう に述べている。 「…… ムツカシキ漢字ヲバ成ル丈用ヒザルヤウ心掛ルコトナリ。ムツカシキ字ヲサヘ用ヒザレバ漢字ノ. 数ハニ千力三千ニテ澤山ナル可シ……」〔注①〕. さらに,戦後の漢字に関しては,終戦のすぐに文部省で開かれた第8回の国語審議会〔1945年(昭和20年) 11月27日〕で文部大臣の代理で出席した大村清一次官は,次のように述べたとある。 今や新生日本再建の時に当たりまして,国内のあらゆる方面に徹底的改革を必要としますことは多言 を要しませぬ。しこうして国語問題の解決は,これらすべての改革の前碇をなし,基礎をなすものであ ると信じます。(中略). ことにわが国においては,漢字の複雑かつ無統制に使用されているために,文化の親展に大いなる妨 げとなっているのでありまして,文字改革の必要は特に大きいのであります。(注②) 第8回国語審議会の後,すぐに漢字主査委員会が設置され,賛否の議論がなされた。「学」の正字を「学」. と簡体字にしたのも,この流れのなかで生じてくる。次いで,1946年(昭和21年10月1日)に「当用漢字表」 が決定し,漢字数1850字が決まっていくのである。. 現在においても「戸籍法及び戸籍法施行規則」(法務大臣に答申した法制審議会の人名用漢字部会は,改 訂前の全体で2232字から大幅に573字を追加し,3810字とする〈2004年〉で,子を戸籍に登録するときは「常 用漢字表」に「人名用漢字表」をあわせた3800字に限定されている。つまり,約50000字程度ある漢字のな かからどの漢字を人名に用いてもよいわけではない。なお,登録した漢字をどのように読ませるのかは制限 されていない。. では,現在の漢字の数と表記の規準は何か。1981年(昭和56年10月1日)に内閣総理大臣鈴木善幸の時に 内閣告示第1号で示された「常用漢字表」である。内閣訓令・告示とはどのような性質であるのか。仮に法 律のように強制されるものではないし,違反したときも罰則に及ぶことにはならない。しかし,内閣訓令・ 告示で明示された表記は行政文書や教育,そしてメディアはこれに準拠し,事実上の規範となるものである。.

(5) 清 野. 隆. 「常用漢字表」で示された漢字が文字表記で強制されるものではない。しかし,「常用漢字表」の意義につい て,「当用漢字表」から「常用漢字表」に改正したときの内容を簡潔に対比することを通して考えたい。例えば,. 藤原宏の『注解 常用漢字表 新しい国語表』を引用すると,次のような表になって簡潔に記されている。. 当 用 漢 字 表 1 性格と運用. ○ 現代国語を書き表すために,日常使用する範囲 を,次のように定める。(告知文)この表は,法令・ 公用文章・新聞・雑誌及び一般社会で,使用する 漢字の範囲を示したものである。(まえがき第1 項)この表で書き表せない言葉は,別の言葉に替 えるか,又は仮名書きにする。(使用上の注意事 項イ). ○ 専門用語については,この表を規準として,整 理することが望ましい。(使用上注意事項チ) ○ 固有名詞ついては,法規上その他の関係するこ とが大きいので,別に考えることにした。(まえ がき第3項). ○ 振りイ反名は,原則として使わない。(使用上の 注意事項ト). 常 用 漢 字 表 1 性格と運用. ○ 法令・公用文・新聞・雑誌等,一般の社会生活 で,分かりやすく通じやすい文章を書き表すため の目安となるところを目指してものであり,表に 掲げられた漢字だけ文字を用いて文章を書かかナ ればいけないという制限的なものではなく,運用 に当たっては,個々の事情に応じて適切な考慮を 加える余地のあるものである。 ○ 科学・技術・芸術等の各専門分野の個々人の漠 字使用にまで立ち入ろうとするものではなく,従 来の文献などに用いられている漢字を否定しよう とするものでもない。 ○ 地名・人名など主として固有名詞に用いる漢字 を対象とするものではない。. ○読みにくいと思われる場合は,必要に応じて振 りイ反名を用いるような配慮をするのもつの方法 であろう。. 2 字 数1,850字. 2 字 数1,945字 [注③〕(下線は筆者). 上記の表からわかるように「当用漢字表」から「常用漢字表」の改訂により,漢字の使用制限が横和され たことになる。それは「個々の事情」「各専門分野」の使用である。さらに,その「振り仮名」を用いるこ とも容認している。. 「常用漢字表」の本表は漢字・音訓・例・備考の項目があり,音読みの順序で明示されている。その「供」 の用例には「子供」とある。さらに,「常用漢字表」の内閣告示により,各行政機関の通知がなされ,それ をうけて,昭和56年度12月に出された文部省の公用文作成の配付資料である「文部省用字用例集」はひらが な順に配列され「見出し,表外漢字・表外音訓等,書き表し方,備考」と項目が並んでいる。その「こども」. の見出しを繰ると,書き表しの項目に「子供」とある。さらに文化庁の発刊した『ことばシリーズ19 言葉 に関する問答集9』には,次のようにある。やや,長いが全文を引用する。 間19 「子供」か「子ども」か 〔答〕「こども」という語は,本来「こ(子)に,複数を表す接尾語「ども」がついたものである。「宇. 利渡米婆 胡藤母意母保由……(瓜食めば,子ども思ほゆ……)」(万葉集巻五・八○二)と,山上憶良 の歌にあるほど,古い語であるが,のち,「しにをくれじとたどれ共,子どものあしにあめのあし,お となのあしをひぬひて」(浄瑠璃,賀古信教)のように単数複数に関係なく用いられるようになった。. その表記としては,「子等,児等,子供,小俣,子ども,こども」などいろいろな形が見られたが, 明治以後の国語辞典類では,ほとんど「子供」の形を彩り,「/ト供」は誤りと注記しているものもある。 その後,「子ども」の表記も生まれたが,これは,「供」に充て字の色彩が濃いからであろう。. 昭和25年の『文部省刊行物表記の規準』では,「こども」と仮名書きを示し,「子供・子ども」を ()に入れて,漢字を使っても差し支えないが,仮名書きが望ましいものとしている。.

(6) 国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ). しかし,現在では,昭和56年の内閣告示「常用漢字表」の「供」の「とも」の訓(この訓は,昭和23 年の内閣告示「当用漢字音訓表」にもあった)の項の例欄に「供,子供」と掲げられており,公用文関 係などでは,やはり,「子供」の表記を採っておいてよいと思われる。. なお,新聞・放送関係では,早くから,統一用語として「子供」を使うことになっている。ただし, 実際の記事では,「子ども,こども」などももちいられることがある。. また,国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日 法律第178号)では,毎年五月五日を「こども の日」と定め,「こどもの人格を重んじ,こどもの幸福をはかるとともに,母に感謝する。」と,その趣 旨が述べられている。〔注④〕 これらのことからも,「こども」の表記は「子ども」でなく,「子供」と表記することが適切なことになる。. なお,戦後「子供」を「こども」と平仮名表記した背景には『アメリカ教育使節団報告書』に次のように 記されていることに関係していると考えられる。 書き言葉の改革に対して三つの提案が討議されている。第一のものは漢字の数を減らすことを要求す. る。第二の者は漢字の全廃およびある形態の仮名の採用を要求する,第三は漢字・仮名を両方とも全廃 し,ある形態のローマ字を要求する。 これら三つの提案のうちどれを選ぶかは容易な問題ではない。しかし,歴史的事実,教育,言語分析 の観点からみて,本使節団としては,いずれ漢字は一般的書き言葉としては全廃され,音標文字システ ムが採用されるべきであると信ずる。〔注⑤〕. つまり,漢字を廃止して,音標文字(ローマ字かひらかなあるいはカタカナ)を採用するように勧告され ていた状況にあった。その後,漢字を含む国語の表記さらには日本語の表記はどのような歩みをたどってき たのかについては,別な機会に詳細に述べたい。 ただ,倉澤栄吉が須田実との対談で,. 石森先生がCIEと折衝して国語科が残った時に,残ったといって喜んだ。その日,田村町のCIE(民 間情報教育局)のあった元放送会館からの道を下駄の音(水虫だったので下駄をはいて行った。)をカ ランコロンさせながら,軽やかに帰ってきたという,エピソード。〔注⑥〕. ようやく,生き延びることのできた国語を,その基礎の一つともいえる漢字をどのように守り育てて,よ りよいものにしていくのかは国語教師だけでなく,教育に携わる者,さらにはマスコミ関係者,そして一人 ひとりの国民の課題といえる。. ・柱 谷中書・法令などは漢数字であるが,本論においては算用数字に直している。. 〔注①〕滑川 道夫 責任編集『国語教育史資料 第三巻 運動・論争史−「二 文字之教」(明治六年)福沢諭吉』229ペー ジ 東京法令 昭和56年1月 〔注②〕野村 敏夫『月刊 国語教育 戦後国語施策の歩み一国語審議会報告書を読む一 戦後国語改革の再検討から当用 漢字表制定まで(説(郭』(手・(郭共に80∼81ページ 東京法令 平成14年9月号,第22巻第7号/通巻262号・平成14年. 10月号,第22巻第8号/通巻263号戦後の表記については,このシリーズを読むと詳細にわかる。なお,下記の注⑥ の『アメリカ教育使節団報告書』を含めて,当時の状況から音表文字でなく,なぜ漢字仮名交じり文が残ったかを文学 作品として書き表した,小説に井上ひさしの『東京セブンローズ』(1999年・文芸春秋社)がある。. 〔注③〕藤原 宏 『注解 常用漢字表 新しい国語表記』258∼259ページ ぎょうせい 昭和56年12月 〔注④〕文化庁 『ことばシリーズ19 言葉に関する問答集9』20ページ 昭和58年3月 〔注⑤〕村井 実 全訳解説『アメリカ教育使節団報告書』56ページ 講談社学術文庫1979年5月 第13刷 初版は1979年1月 〔注⑥〕雑誌『実践国語研究−シリーズ 戦後50年国語教育の証言 第2回 国語科単元学習を中心に戦後教育を語る 2』 倉澤栄吉氏に須田実氏が聞く 102∼103ページ 明治図書1996年3月号.

(7) 清 野. 隆. (卦 学校教育での漢字の規準は何か. では,学校教育では漢字の規準はどのようになっているのか。現在,学校教育で児童・生徒が書く文字と して学習する漢字は,「常用漢字表」の字種1945字のなかから1006字が選定されている。それは,学習指導 要領に「学年別漢字配当表」として明示されている。. この「学年別漢字配当表」に限って学習指導要領の改訂との関係で述べるなら,昭和33年度版学習指導要 領では,881字,昭和43年度版996字,昭和48年度改996字,昭和52年度版は996字,平成元年度版は1006字, 平成10年度版は1006字である。学習指導要領の改訂に伴って学年別配当漢字が追加,削除,配当学年の変更 がなされる。改訂ごとにどの文字が何年生に移されたかなどの字種・字数の詳細は省くが,傾向としては書 き方を指導する漢字が徐々に増加していることが理解される。. 文部省(現文部科学省)が「教科用図書検定規則」を制定したのは1948年(昭和23年4月)である。その 翌年の1949年(昭和24年2月)に「教科用図書検定基準」を定めている。さらに,1953年(昭和28年3月) の教科書協会の発足を経て,文部省に「教科調査官」を置くようになったのは1958年(昭和33年11月)から である。(注①). 1958年(昭和33年)以降の「/ト学校学習指導要領」のなかから漢字の表記に直接関わる項目を引用してい く。(ただし,第1学年のみとする。なぜなら,他の学年も学年別漢字配当字数が異なるのみで同様だから である。) 一昭和33年−. ・(書くこと)のB. (4)「第3 指導計画作成および学習指導の方針」に示す学年別漢字配当表の第1学年に配当され ている漢字を心とした40∼50字くらいを読み,そのだいたいを書くこと。〈「子」は1年生,「供」 は6年生の配当漢字〉 一昭和43年− ・C 書くことの(2). エ 学年別漢字配当表の第1学年に配当されている漢字を主として,40字くらいの漢字を書くこと。 〈「子」は1年生,「供」は6年生の配当漢字〉 一昭和52年− ・〔言語事項〕(1). オ 別表の学年別漢字配当表(以下「学年別漢字配当表」という)の第1学年に配当されている漢 字のうち,70字くらいの漢字を読み,その大体を書くこと。〈「子」は1年生,「供」は6年生の 配当漢字〉 一平成元年−. ・〔言語事項〕. (ウ)別表の学年別漢字配当表(以下「学年別漢字配当表」という。)の第1学年に配当されている 漢字を主として,それらの漢字を読みその大体を書くこと。〈「子」は一年生,「供」は6年生の 配当漢字〉 一平成10年−. ・〔言語事項〕. け)第1学年においては,別表の学年別漢字配当表(以下「学年別漢字配当表」という。)の第1 学年に配当されている漢字を読み,漸次書くようにすること。 (ウ)第2学年においては,学年別漢字配当表の第2学年までに配当されている漢字を読むこと。ま.

(8) 国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ). た,第1学年に配当されている漢字を書き,文や文章の中で使うとともに,第2学年に配当され ている漢字を漸次書くようにすること。〈「子」は一年生,「供」は6年生の配当漢字〉第3 指 導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い。. 2 第2の各学年の内容〔言語事項〕については,次のように取り扱うものとする。 (3)漢字の指導については,第2の内容に定めるほか,次のとおり取り扱うこと。 ア 学年ごとに配当されている漢字は,児童の学習負担に配慮しつつ,必要に応じて,当該学年以 前の学年又は当該学年以降の学年において指導することもできる。 イ 当該学年より後の学年に配当されている漢字及びそれ以外の漢字を必要に応じて碇示する場合 は,振り仮名を付けるなど,児童の学習負担が過重にならないように配慮すること。. 1958年(昭和33年)から1998年(平成10年)までの学習指導要領に明示された漢字表記に関する事項から 何がわかるのか。(1)漢字指導は1989年(平成元年)まで学年別漢字配当表で割り当てられた漢字の読み・書 きを同時に指導してきたことである。(2)その結果,学年別漢字配当表に示された漢字の範囲内で漢字を指導 する傾向が強いことである。. したがって,本論で具体例として取りあげた「こども」は昭和33年の学習指導要領以来,一貫して「子」 は小学校1年生,「供」/ト学校6年生の学年別配当漢字として扱われてきた字である。1年生で指導すると きは「子ども」,6年生で指導するときは「子供」である。つまり,1年生から5年生までは交ぜ書き表記 である。それが,1998年(平成10年)の学習指導要領から漢字の読みを当該学年で指導し,書きは次の学年 を含めて指導できることになる。言い換えると,6年生の学年別配当漢字のうち,読みは6年生,書きは中 学1年生になる。さらに,必要に応じて振り仮名の使用を求めていることである。振り仮名を用いることに よって,当該学年以外の漢字を当該学年の漢字と同時に用いることが可能になっている。「子供」に振り仮 名を付けるならば,どの学年でも可能である。つまり,交ぜ書きを少しでも解消する方向になる。 このことは,以前に丸谷才一氏が「……二まいの写しん……」という教科書の交ぜ書き表記を指摘して, 「配当表」でまだ教へてならないことになってゐる教育漢字でも(それ以外でも),どんどん使って, しかし仮名を振ればいい。たとへば「写真〈しん〉」(「真」の漢字の上に振り仮名)のやうに。そうし. て振り仮名つきの字は,まだ書けなくてもいいことにすればいい。大人だって子供だって,振り仮名つ きで読めるだけの漢字,読めるが書けない漢字,読めるし書ける漢字,の三段階があるのは当り前なの である。(注②). 述べている。例えば,夏目淑右の作品は新聞に発表されたこともあり,漢字に振り仮名が付されていたの で,読むことは多くの市民に可能だったのである。明治・大正の作品には漢字に振り仮名を付しているのが 少なくない。よく,現代の若者には淑石など読めないという人がいるが,それは戦後の当用漢字表のときに ほとんど振り仮名を付すことをやめてしまったからである。丸谷氏の考えには漢字の無制限的拡大の要素を. 含んでいるので,全面的に肯定できない側面もある。しかし,1998年(平成10年)の学習指導要領の漢字に 関する事項は交ぜ書き解消の方向に一歩踏み出したとも言える。. では,なぜそのように改訂したのか。平成10年度の学習指導要領で明示されたように小学校の国語の「各 学年の目標及び内容」と「内容の取扱い」が第1学年及び第2学年・第3学年及び第4学年・第5学年及び 第6学年と2年間に渡っている。さらに中学校の国語科の扱いは第1学年・第2学年及び第3学年になって いる。戦後,各学年で明示されてきたことが,まとめられた理由は教育に関するさまざまな要因があってな されたと考える。ただ,漢字の側面だけいえば,学年別漢字が増加の方向のなかで漢字に対する負担感を避 けるねらいがあったのではなかろうか。. 前述したように,漢字の指導は読みと書きが同時の指導ではなく,読みの指導が先になされ,後で書きの.

(9) 清 野. 隆. 指導をする方向になってきている。ただ,これまでは交ぜ書き表記と「音訓の小・中・高等学校段階別割り 振り表」で補ってきた側面もあったのではないかと考えられる。 例えば,小学校第1学年の「女」について述べることにしよう。この漢字は読みには,①「ジョ」(男 女・長女など),②「ニヨ」(天女・女人など),③「ニヨウ」(女御・女房など)という三つの音読みと, ④「おんな」(女の人・女の子など),⑤「め」(女神・女々しいなど)という二つの訓読みとがある。(海 女・乙女などの熟字訓は除く)。これら五つの音訓のうち上記の「文部省(案)で」は,②「ニヨ」,⑤. 「め」の読みは中学校で,③「ニヨウ」の読みは高等学校で適当だという案を示している。そこで,小 学校で扱う音訓は,①「ジョ」という音読みと,⑤「おんな」という訓読みの二つだけとなる。第1学 年に配当されているために「おんな」という訓読みから先に学習させるのは当然だろう。(略). 学年別配当漢字という趣旨からというと,どの配当漢字も音訓もすべてその学年で扱うこととすれば 筋が通る。例えば,「女」は第1学年の配当漢字であるから,「おんな」として学習させ,その学年内で 「ジョ」を読み替えとして提出すれば,この漢字は「おんな」とも読むし「ジョ」とも読むのだという ことがわかり,効率のよい漢字の習得ができると考えられる。ところが漢字は,その音訓の用いられる 語句(語彙)と不離一体のものであるため,その漢字の配当学年ですべての音訓を習得させるというこ とは,次のような点から問題があることが一般に認められている。 (1)その漢字のもつ音訓が含まれる語句(語彙)の理解度 (2)その漢字で構成されている語句の,組みになる他の漢字の理解度(注③) なお,(1)と(2)の間には具体的な説明がなされているが,引用が長くなるので省略した。 「子供」という語彙が小学校1年生に理解が困難とは考えられない。したがって,(1)には全く該当しない。 次に,「子」と組になる「供」の漢字の理解は困難なのか。「供」の字は総画数も少なく,振り仮名を付ける ことも十分可能であるはずである。つまり,(2)にも該当はしないといえる。. 2004年1月に文部科学大臣に答申した文化審議会国語審議会の「これからの時代に求められる日本語力」 では,交ぜ書きをやめ,振り仮名を活用することを求め,小学校6年生までに常用漢字の大半を読めるよう にすることを求めている。教科書の表記も交ぜ書きをやめ,振り仮名を付すことを求めている。 現行の学習指導要領に即して出版されてきた教育出版の『表記の手引き』(桧村明校閲/教育出版編集部編). の用字用例集によると,「子供」と表記し,用例として「子供が二人 まだ子供だ 子供だまし」とある。 なお,「子」に①,「供」に⑥の数字が付してある。これは「子」「供」の学年別漢字配当表を明示したもの である。. では,現行使用されている教科書(平成17年度版)はどのようになっているのか。現在,教科書検定をと おり小学校で使用されている教科書は大阪書籍・学校図書・教育出版・東京書籍・光村図書の5社である。 中学校で使用されているのは学校図書・教育出版・三省堂・東京書籍・光村図書の5社である。その一つ教 育出版を取りあげてみる。. 春になるころ,五センチメートルぐらいになったさけの子どもたちは,海にむかって川を下りはじめ ます。」〔「さけが大きくなるまで」(小学校2年生・上)〕. この海岸の町の小学校(当時は国民学校といっていたが)では,東京から来た子供は,彼とヒロ子さ んの二人きりだった。〔「夏の葬列」中学校2年生〕. 小学校2年生の段階では「子ども」であった表記が6年生で「子供」と熟語で読み,書くことは中学生に なって「子供」と表記できれば,よいことになる。したがって,中学校の段階では「子供」と表記されてい る。言い換えると,中学校で取り扱う作品(教材)では,「子供」と表記することが望ましいことになる。. では,各社の教科書は同様になっているのであろうか。中学校3年生の定番教材であり,全検定の教科書.

(10) 国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ). が掲載している魯迅の「故郷」を取りあげたい。 今,母の口から彼の名が出たので,この子供のころの思い出が,電光のように一挙によみがえり,わ たしはやっと美しい故郷を見た思いがした。(学校図書205ページ). 今,母の口から彼の名が出たので,この亘些のころの思い出が,電光のように一挙によみがえり,わ たしはやっと美しい故郷を見た思いがした。(教育出版88ページ). 今,母の口から彼の名が出たので,この子どものころの思い出が,電光のように一挙によみがえり, わたしはやっと美しい故郷を見た思いがした。(三省堂104ページ). 今,母の口から彼の名が出たので,この子どものころの思い出が,電光のように一挙によみがえり, わたしはやっと美しい故郷を見た思いがした。(東京書籍134ページ). 今,母の口から彼の名が出たので,この亘些のころの思い出が,電光のように一挙によみがえり,わ たしはやっと美しい故郷を見た思いがした。(光村図書91ページ). 上記のように,教科書によって表記が異なっているのである。. 〔注①〕海後宗臣・中新・寺崎昌男 『教科書で見る近現代日本の教育』−「近現代日本教育略年表」−の284∼287ページ を参考にした。東京書籍1999年5月. 〔注②〕丸谷才一 『桜もさようならも日本語』17∼18ページ 新潮文庫 平成15年7月 〔注③〕財団法人 教育調査研究所 研究紀要 第39号『小学校学年別配当漢字の「音訓配当」の研究』3∼4ページ1990年 8月 なお,振り仮名表記及び交ぜ書き表記の教科書の詳細な指摘については,拙著(『教育とこと古範 牧野出版 平成11 年5月)のなかの「/ト学校国語科教科書の表記について振り仮名表記・交ぜ書き表記を中心に・振り仮名表記を考え る一中学校国語科教科書をもとに−・交ぜ書き表記を考える一中学校国語科教科書をもとに−」の3本の論文を参照。. (彰 なぜ,「子供」でなく「子ども」と表記されるのか. では,なぜ「子ども」と表記するようになってしまったのか。 (1)学習指導要領の学年別漢字配当表の6年生に「子供」の「供」とあるのを知らない教師が多く「子ど も」と表記するものだと思い込んでいる。理解しているのであれば,「子供」と表記し,振り仮名を付 して,「子供」と小学校6年生あるいは中学生になったら書くことを指導できる。. (2)小学校の教科書に「子ども」と表記していることが多いので,それが学校教育で教える表記の規準だ と教師は思い込んでいる。 (3)(1)及び(2)に指導を受けてきた児童・生徒は社会に出ても「子ども」と表記する。 (4)社会に出て,特に放送・新聞など公共性の高い職業に就いた人は,学んできたことを基に「子ども」 と表記する。これが広く流布され,一般化されていく。結果的に,教える教師及び多くの人に「子ども」. と表記することに疑いをもたないことになっていくと考えられる。 (5)国語審議会の答申をうけて,内閣告示がなされても罰則規定もないし,各省庁への通達など目を通し. ていても,疑問を持つより子供のころの学習したこと,世の中に多く流布していることが正しいことだ と思い込んでいる。それが,法令をはじめ官公庁の文章に「子ども」の表記が目に付くのではないかと 考える。 (6)②で引用した文化庁の説明を再読すると,「子ども」は「子」に接尾語がついたものと考える説がある。 接頭語,接尾語とは何か。「お米」「素顔」「学者ぶる」のように,特定の語につく。「おビール」「素本」. は誤用であり,さらに「学者ぶる」「金持ちぶる」と用いることがあっても,他の語にはつかない。つ まり,同じ性質の語であっても,その付き方に慣用的な制限があり,接頭語,接尾語を切り離すことは なく,それだけで完全な一語扱いになる語である。したがって,特に明治以後「子供」と表記してきた.

(11) 清 野. 隆. のである。また,「大人」と同様に「子供」という単語は普通名詞に類別される。「大人」と「子供」は 性差を表さず年齢差のみを表し,一般的には「大人」の側に立ったときの「子供」であり,逆に「子供」 の側に立ったときの「大人」である。つまり,「大人」の対義語は「子供」であり,「子供」の対義語が 「大人」である。具体的に用例で示すと,「子供の側から……今の大人はもっとしっかりしてよ。」と用 い,「大人の側から……今の子供は将来の希望や夢が小さいのではないか。」と用いられる。このような ことから,表記においても対義語の片方の語が漢字に平仮名の語構成などあり得ないといってもよい。. 『銀の匙』を書いた明治の作家である中勘助は作品のなかで「子供」と表記している。同様に昭和の作 家である加賀乙彦は大作『永遠の都』の作品のなかで「子供」と表記している。そして,現代の作家で 海燕新人文学賞を受賞後,芥川賞受賞し,読売文学賞受賞した作家である小川洋子は,その後本屋大賞 を受賞した。その作品『博士の愛した数式』で,次のように表記している。なお,小川は2007年から芥 川賞の選考委員でもある。 子供は大人よりすっと難しい問題で悩んでいると信じていた。ただ単に正確な答えを示すだけで. なく,質問した相手に誇りを与えることができた。(略)彼はルートを素数と同じように扱った。 素数がすべて自然数を成り立たせる素になっているように,子供を自分たち大人にとって必要不可 欠な原子と考えた。自分が今ここに存在できるのは,至些たちのおかげだと信じていた。(注①)〔注 下線は筆者〕. 作家の表現は,常用漢字表の規準で考えるならば,「芸術等の各専門分野の個々人の漢字の使用」に あたるとしたら,常用漢字表の枠を超える漢字の使用が可能である。それにもかかわらず,多くの作家 は「子供」と表記し,学校教育及び教育の専門の人が「子ども」と表記するのは,なぜか。 (7)「供」は当て字の色彩が濃いから用いない方がよいという説がある。漢字の構成及び使用法に分類し. たものを六書という。現行の小学校の学習指導要領では第3学年及び第4学年の言語事項の「イ 文字 に関する事項」のけ)に「漢字のへん,つくりの構成についての知識をもつこと。」とある。/ト学校では「象. 形・指事・会意・形声」の範囲内で教えることが多く,それに中学校の1年生で「転注・仮借」を加え て,教えることが多い。その背景にあるのが六書である。六書の一つである「仮借」は意味に関係なく,. 同音の語に用いることが多い。例えば「豆」は本来肉を盛る器,あるいは神様に供える食べ物を盛る器 を意味する。音トウは同じトウの音を有する「まめ」に転用しただけである。「豆(まめ)」と何も関係. ないのである。音を当てただけである。つまり,当て字である。しかし,一般に水に浸し柔らかくした 大豆をすりつぶして造り上げていった物を豆腐という。字源まで遡って当て字かどうかを吟味して考え ていないのである。 (8)「供」の字は,字源を考えるとよくない漢字である。したがって平仮名の方が適切だという説がある。. 漢和辞典を見ると解字という欄がある。「供」の字の解字を読むと「形声。人+共。音符の共は,そな える意味。人を付して供える意味。」などと記され,どの漢和辞典も類似の説明が付いている。つまり,. 人身御供の意が「供」にあると考えてよい。しかし,現在,漢字を使用するときに,解字あるいは字源 まで遡って考えるであろうか。例えば,「夢」と類似した字に「尭」がある。熟語では「尭去」と書き,. 大皇及び皇后などがお亡くなりになったときに用いる字である。「夢」の字源について漢字の専門家で ある阿辻哲次は,. 「病」と同じく ≪「≫を構成要素とする漢字には,他に「夢」がある。これも現在の字形とは大 きく異なっているが,「夢」は寝台の上に角のようなものをつけた人間が寝ている形をかたどった 字である。. 「夢」は現代の日本人に非常に好まれる漢字らしい。写真写植の大手メーカである㈱写研がかつ. 10.

(12) 国語科教育の基礎学の構築(Ⅰ). ておこなっていた「漢字読み書き大会」という漢字コンクールの会場でアンケートをとった結果を まとめた,「日本人が好きな漢字」というデータがある。(略)最近二回のアンケートでもっとも人 気あったのは「夢」だった。(注②) なぜなら,「死」や「悪」は暗いイメージで人気はなく,「夢」は好ましく明るいイメージを抱かせる 字であるからである。さらに,阿辻氏は,. 宗教的色彩の非常に濃かった古代では,各国のシャーマン的な性格をもった巫女がおり,戦争な どに際してはまず巫女による呪いが相手の国に対してかけられた。ベットに寝ている人間は今まさ に敵の巫女によって呪いがかけられるところであり,そしてその結果として脳裏に描かれる架空の 映像が「夢」なのである。. つまりそれは,しかけられた悪夢であって,時として呪われる対象である人物を殺してしまうこ とすらあった。こうして悪夢にうながされてやがて死んでしまうことを,漢字では「菱」という字 で表わした。「尭」が≪草≫すなわち「夢」上部と≪死≫とからなるのはそのためである。(注③) つまり,「夢」の字は字源を遡ると,極めて凶の字であり,それも公的な要素を帯びていたことになる。. 現代のように「将来に夢をもとう」などとは使えないのである。西郷信綱氏は,「夢」の公的なものと 私的な区切りを,. 私は平安末期ないし鎌倉初期あたりを以て一区切りとし,話をそれ以前の時期に限りたい。夢の 神性のが信じられた時期の下限は,どうもそのへんにあるらしく目測される。(注④) としたうえで,古代の夢については個人的な「夢」でなく,公的なものとして「夢」を論じている。. それも,悪夢であるという。本論で指摘をしたいことは,「夢」という字はどのような字源であったか ということである。古典の代表的な作品,源氏物語の葵の巻きには六条御息所が夢のなかで魂が葵の上 にとりつくさまが描かれている。まさに生霊あるいは死霊である。それこそが「夢」に他ならないと考. える。しかし,現代ではだれも「夢」を公共的なもの,あるいは呪いとは考えない。と同様に「供」の 字の字源まで遡っては用いないのである。 (9)すべてを了解していながら,「子ども」と表記する。. 表記に関することが国語審議会の答申をうけて,内閣告示で示されることは,表現の国家管理に繋が る恐れがあると考える人がいる。それは思想の問題であり,本論での問題にはなじまないので,論ずる ことの対象外とする。. これら(1)から(8)までの要因が多様に入り組んで,lこども」は「子ども」あるいは「子供」と表記される ようになったと考えれる。(6)から(8)の説のなかで「こども」の表記に関して,「子ども」と表記する学問的 な論述を現段階で管見することきできなかった。しかし,学生,先生などに聞くとあいまいであるが,(6)か ら(8)のいずれかに当てはめて理由を説明する傾向が強いのである。. 〔注①〕小川洋子 『博士の愛した数式』200∼202ページ 新潮文庫 平成17年12月 〔注②〕阿辻哲次 『漢字の字源』163∼164ページ 講談社現代新書1994年3月 〔拝③〕拝(丑と同掲書166ページ. 〔注④〕西郷信綱 『古代人の夢』 24ページ 平凡社1993年6月. 2 おわりに 2005年(平成17年)3月30日の新聞報道によると,中山文科相に代わって小島敏夫副大臣が文化審議会に. 11.

(13) 清 野. 隆. 常用漢字の見直しを諮問したことが報じられている。/ト島副大臣は「情報化の進む現在,漢字使用の目安と して十分機能しているか検討する時期に来ている」と指摘している。その上で,「(丑主に固有名詞に使われ る漢字が現在の表に記載されていない。②パソコンの普及で難解な漢字が使われている。③漢字を手書きす. る機会が減ったなどを取りあげている。漢字政策は常用漢字1945字のままで変わっていないのに,人名漢字 は2004(平成16年)9月に488字追加している。さらにパソコンで使われるJTS(日本工業規格)漢字は6000 余字にのぼっている。」と,ある。 すでに,新聞各社は1990年(平成2年)3月以降,紙面で使用する漢字を常用漢字表の漢字以外に39字を 拡大している。可能なかぎり,交ぜ書きを避け,さらに漢字の使用範囲を拡大する方向にある。. 学校教育の基礎・基本は家にたとえるなら基礎は床で,基本は柱などという抽象的な論よりも,具体的な 事例を通して考えることがわかりやすいのではなかろうか。漢字の表記は教育の基礎であり,国語科教育の 基礎である。特に,国語科の教師の果たす役割は重要であると考える。なぜなら,他の教師に適切な説明を することを専門性ゆえに求められているからである。. 学校教育の漢字表記の規準は,内閣告示・訓令などで明示されたことをよく理解した上で,児童・生徒の 指導にあたることだと考える。そのうえで,どのような指導法が望ましいかは,次の段階の問題である。基 礎的な知識が理解されていなければ,どのような指導法もよいとはいえないのではないだろうか。. 本論では「子ども」「子供」の表記例を取り上げ,具体的に論じてきたが,言語事項に関するさまざまな 面で同様のことを論ずることは数多くある。. (札幌校教授). 12.

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参照

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