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北斗20号-12.14

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Academic year: 2021

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(1)

金沢医科大学北斗会会報

題字 西東利男初代会長  題字「北斗」の文字は、前会長西 東利男先生の筆によるものです。題 字に重なっている7つの点は、北斗 七星を表しています。杓の先α∼β の長さを5倍伸ばしたところに、北 極星(又は北辰)があります。 今年度、北斗会会誌の「北斗」の記念すべき20 号の発刊に際して、無事、編集が終了し、会員 の皆様に会報をお届け出来る事は我々編集委員 にとって喜ばしい限りです。 早いもので、平成3年6月に第1号が発行され てから年1回のペースで発行し続けて、もう20 回になるということで、とりもなおさず、その間、 北斗会は営々と発展を続け、ネットワークを拡 大してきたわけであり、まさに「継続は力なり」 の感がひとしおです。 記事内容も、年を追うごとに充実していき、 バラエティ豊かでバランスのとれた内容になっ てきていると思います。 昨今、世の中が不人情になっているとかいわ れておりますが、皆様の原稿を拝見させていた だいている限りでは、現職の方も退職された方 も希望を持って自分らしく生きておられる感じ がして「ほっこりとした」気持ちになります。 記事を寄せてくださる投稿者の方々に厚く感 謝いたしますと共に、また、来年度に向けて、 より多くの会員の皆様が記事を投稿してくださ るよう、よろしくお願いいたします。 今号は、特にビジュアル面に配慮し、多くの 写真を掲載いたしました。楽しんでお読みいた だければ、編集一同、喜びこれにすぐるものは ありません。 最後に、平成2年8月の「北斗会」の設立当初 から副会長として頑張ってこられた北川伴次さ んが鬼籍に入られました。在職時にもその前向 きの豪快な性格で仕事をこなしておられたこと を想い出し、何か精神的な支柱の1本を失った 感じがしています。ご冥福をお祈りいたします。 ( K.S 記 ) 題  名   「京都 慈照寺(銀閣寺)」 撮影日時   平成21年4月4日 撮 影 者   坂尾 光一 発行日 平成22年12月20日

北  斗  第

20

発 行 金沢医科大学北斗会  会長  奥 名 洋 明 〒920-0293 石川県河北郡内灘町大学1-1 金沢医科大学 教育研究事業支援課 TEL (076)286−2211(代) (内線2720∼2724) FAX (076)286−8214 編 集 金沢医科大学北斗会会報編集委員会 掛 下 一 雄  笠 間 孝 一 神 戸 晃 男  才 田 悦 子 坂 尾 光 一  佐 野 泰 彦 辻 口 徹 子  中 川 かおり 百 成 富 男      以上9名 【表紙写真】 コメント  銀閣寺の軒が改修された記念に久しぶりに行ってきま した。相変わらず、静寂な雰囲気があり、歴史を感じさせ る佇まいでした。

(2)

【新アナトミーセンター内観パース】 正面外壁をガラスカーテンウォールとし、ガ ラス面にはレオナルド・ダ・ヴィンチの人体図を 印刷するなど従来のイメージを払拭させる計画 とします。 また、各階のホールには本学美術部学生によ る模写作品として、レンブラントの「テュルプ博 士の解剖学講義」や前田青邨の「腑分」など解剖 学に関係する作品を展示します。 【建物概要】 鉄骨造、地上階建 延床面積 ㎡ 階法医解剖室、事務室、学生更衣室など 階処置保存室、展示室 階解剖実習室 階機械室 【病院エントランス棟

5

階北辰ホール】(約

500

席のホールイメージ) ◇巻頭のことば  言葉  新谷 喜美子………  ◇大学のこの 1 年 ………  ◇寄稿 世界奇行()「戦場で散華した、友の霊を求めて」  佐野 泰夫 ……  ゴールドコーストマラソンに参加して  高崎 正輝……… ポケットにデジカメ−私のフォトダイアリー  宮下 多佳子………… 3INGはなな  土田 壮一 ……… 「断食&瞑想」体験  福井 加奈子 ……… 新人・若手事務職員研修を終えて  津田 志朗 ……… 石川県消防マイスター制度認定交付  藤本 広昭……… したたかな“草”くんとの会話の日々  本田 俊幸 ……… 近況報告  中居 重光……… 二人のチルドレン  向田 厚子……… タイのメイプリック村から  才田 悦子……… 「 私の支えとなってきたもの 」  望月 優子 ……… バスストップ  中川 かおり……… 「すてる」  山村  博 ……… これまでを振り返って  増  知里……… 私の米づくり  山田 正則……… 趣味は必要?  掛下 一雄……… 年目に思うこと  川原 正好 ……… 竹富島へ行ってきました。  橋本 亮二 ……… 私の趣味  戸田 悠介 ……… 食紀行INマレーシア&シンガポール  山本 香代 ……… 川柳  集中治療センター……… 会員からの写真展……… ◇会務報告 平成年度金沢医科大学北斗会幹事会・代議員会 ……… 決算・予算〈報告〉……… 第回北斗会懇親・懇談会開催 ……… 北斗会会則……… 北斗会役員のご紹介・会員数 ……… 事務局からのご案内……… 金沢医科大学グランドデザイン



第次カ年計画 ……… ◇編集後記………

(3)

言葉

金沢医科大学北斗会

副会長

新谷 喜美子

北斗



号の発刊およろこび申し上げます。 よく思うことですが、日本語の文化と時代の流行語。 私には、





才男



才女の



人の孫がいます。話し掛ければきちんと話を返してくれま すが、ときどき首を傾げなければならない時があります。ある日、試験を終えた孫に「どうだっ た」と声を掛けると「むづい」と返事??すると女の子が「それは難しかったと言う事」と教え てくれました。また、学校の帰りに「金駅」よって帰る??これは「金沢駅」でした。「就活」「婚 活」「ミスド」字を書けば分かりますが、言葉で聞くと分からない現代単語とでも言うのでしょ うか。先日若い人達と話していたら「金駅」が出てきました、頷くと新谷さん若いね…とほほ えむ。こんな言葉に親しまないと若い人達と会話が出来ないと思い、一生懸命努力中です。 或る日、夫が残してくれた数本の本棚を見ていたら、一際目立つ表紙の本が目に入り、取り 出してみると「常識として知っておきたい日本語」と題した本でした。面白そうと思い、今読 み始めたところです。 微笑をさそう「箱入り娘」「ないしょ話」「おもはゆい」「奥床しい」嬉しいとき「有頂天」「脚 光をあびる」「ほくそ笑む」「のれんわけ」楽しさを演出する「千両役者」「酒の肴」「あどけない」 「太平楽」驚きと関連する「豹変する」「藪から棒」など、読んでいると楽しくなりますが、反面 こんな言葉が今どこで使われているだろうかと考えてしまいます。どんな時代にも流行語があ ります。耳を傾けて自分に取り入れながら、いろいろな年代の人と語る事を大切にしたいと思 います。時々忘れていた言葉を聞くと「懐かしいね…」と感嘆の声があがりまた言葉が弾みます。 何時までも言葉を発することの出来る楽しみを味わっていたいものです。 金沢医科大学病院を辞してからもう



年を経ているにも拘わらずこうして北斗会の一員と して皆様にお会い出きる事を幸せに想います。 北斗会のますますの発展を願います。

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月日 月 日 月 日 月日 月日 月 日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月 日 月 日 平成年度医学部編入学生入学宣誓式/本部棟階会議室(編入学者名) 第回内灘祭/テーマ:百花繚乱  第回総合医学研究所市民公開セミナー 最新のがん医療/金沢市文化ホール 階大集会室   第回解剖体合同追悼法要/系統解剖柱、病理解剖柱/本部棟階講堂(約 名参列) 防災講習会(名参加)月日災害訓練(第一次、第二次、時間外、延べ 名参加) 平成年度看護学部保護者連絡会看護学部保護者会設立総会開催本部棟階講堂 (保護者名参加) 災害訓練(第一次名、第二次名、時間外名参加) 平成年度永年勤続表彰(年:名)(年:名) 釜石市から本学の地域医療支援に感謝状授与 第回北斗会懇親・懇談会開催/ホテル金沢(約名参加) 第回研究推進セミナー開催/病院新館階大会議室(名参加) 平成年度医学教育等関係業務功労者文部科学大臣表彰/長谷とし江、山下義則 さん ロシア・ヤロスラブリ州立医科大学と学術交流協定に調印/ヤロスラブリ医科大学 学長室 平成年度石川県私立学校教職員教育功労者知事表彰/石川県庁特別会議室(対象 者名) 月日 月 日 月 日 平成年度金沢医科大学病院医療安全ワークショップ/いこいの村能登半島(名 参加) 総合医学研究所平成年度研究セミナー開催/病院新館階大会議室(名参加) 金沢医科大学氷見市民病院医療監視

平成

21

平成

22

大学のこの1年

1 年間を振り返って大学の活動を紹介します。(平成 21 年 9 月∼平成 22 年 8 月)

(5)

月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 月日 金沢医科大学ハイテクリサーチセンター公開シンポジウム開催/金沢医科大学基 礎研究棟階会議室 病児保育室「スマイル」開設/金沢医科大学病院第新館玄関横 第回医学部卒業証書・学位記授与式/卒業生名/本部棟階講堂 日英子育て支援プログラム共同研究英国チーム来学、研究会議開催 平成年度臨床研修修了証交付式/病院新館階特別会議室(臨床研修修了者: 医科名、歯科名) 第回金沢医科大学氷見市民病院臨床研修修了証交付式/病院事務部会議室(臨床 研修修了者名) 第回博士学位記授与式/本部棟階会議室(学位取得者名)   第回医師国家試験の結果公表/新卒合格者名、既卒合格者名 平成年度新入職員辞令交付式/本部棟階講堂(新入職員名) マーサ大学からバイナ医学部長が来学 第回入学宣誓式/医学部名、看護学部名/於金沢市文化ホール 第回納骨式/本学慰霊碑(納骨堂)前にて挙行/柱納骨(参列者名) 金沢医科大学氷見市民病院移転新築工事「安全祈願祭」(氷見市鞍川) 第回内灘ロマンチックウォーク主催(約 名が参加) 華中科技大学同済医学院から訪問団来学 互助会:第回互助会ゴルフ大会/能登カントリークラブ(互助会会員名、学生 名) 金沢医科大学看護学部保護者会(後援会さくら会)総会/本部棟階講堂 第回+-5研究推進セミナー開催/病院新館階大会議室 第回北陸診療情報管理研究会開催/本部棟階講堂 新アナトミーセンター起工式 時期学長に学長補佐 勝田省吾教授が内定 任期:平成年月日∼平成年 月日 地域医療再生計画による寄附講座「総合医療学」(石川県)を設置

大学のこの1年

1 年間を振り返って大学の活動を紹介します。(平成 21 年 9 月∼平成 22 年 8 月)

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世界奇行(



「戦場で散華した、友の霊を求めて」

 佐野 泰夫

(元副理事長)



 「花は心。種(たね)は態(わざ)なるべし」 室町時代の能役者で、謡曲の作家「世阿弥」 (∼)は、「風姿花伝」のなかで、「花は、 心によって咲き、その種(たね)は、飽くなき修 行の努力によってもたらされる。努力のないと ころに、花は咲かない」といいました。私も同感 です。



 私は日陰に咲く、野辺の花です。 日陰と、湿気と、そよ風が好きな野辺の花で、 「ユキノシタ科」の白い花です。年前に、主人 に拾われ、アジサイ、ドクダミ、ミョウガ、サ ンゴジュなどの下草として、裏庭で生きて、生 かされています。花ことばは「情愛」「切実な愛情」 (ナツメ社刊行・花ことば辞典)。私は、努力して、 今では百本以上に増えて主人を喜ばせています。 今年の月第日曜日の「父の日」に、主人の娘 さんから「秋海堂」の苗をプレゼントされ、うれ しそうに、早速、鉢植えにしました。花ことばは、 「温和」「乙女の恥じらい」で、私と同じように、 半日蔭の植物で、白い花を下垂して咲かせます。 日本人は、昔、「万葉の時代から、喜びや悲しみ を、花に託して心の安らぎを得てきたといいま す。卒寿を迎えた主人にも、喜びと悲しみはあ ります。



 異国の丘 昭和年の歌謡ヒット曲に「異国の丘」があり ます。作詞は佐伯幸夫・作曲は吉田正です。歌 の三節目に「今日も昨日も 異国の丘に おもい 雪空 陽がうすい 倒れちゃならない 辿りつ くまで その日まで」の歌詞があります。主人 は、異国の丘で鉄柵に囲まれたラーゲル(収容所) で、おもい雪空を見上げ、強制労働に耐え、生 きて約年後に岸壁の母が待つ舞鶴港へ帰って きました。主人の悲しみは、ソ連軍の満州侵攻で、 軍人・軍属・民間人とその家族ら約万人がシ ベリアなどへ強制連行され、抑留中に栄養失調、 怪我、疾病などで万人が死亡し、遺骨も充分 に明らかでなく迷いつづけていることです。こ の悲しみは、異国の丘にいた人と万人の遺族で なければ分からないでしょう。福井銀行頭取の 市橋督さんも異国の丘へ抑留され、主人と悲し みを話し合いました。今は故人の市橋さんのご 冥福を念じあげます。



 捨てて勝つ 今年は、戦後年目。悲しみも、憎しみも風 化しつつあります。然し、作家の半藤一利氏(文 芸春秋の重役で作家となり毎日出版文化賞など を受く)は、「戦争の悲劇は、風化させないで、 未来へ語り継ぐべきだ」と説かれています。昭和 年には、歌手の村田秀雄氏から、主人に「捨 てて 勝つ」の色紙が贈られてきました。「王将」 「人生劇場」「無法松の一生」「夫婦春秋」などを 男くさく歌いあげ、歳まで、いつも第一線で 活躍しましたが、糖尿病で、片足を失い、妻に 先立たれ、酒も断ちました。歳で左ももを切 断、養生の甲斐もなく歳で肺炎を併発し、大 阪の病院で他界された人です。「捨てて 勝つ」 の意味がわからないまま、色紙を額に納め、周

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囲に、愛の天使と女神の像を配置して、彼の冥 福を念じることにしました。主人も今は糖尿病 です。しかし、旅行はできます。



 友の霊を慰める旅に出る 主人は、裏庭の私と、主庭のサンテラスのペ チュニア、花ことばは「あなたといると心が休ま る」、百日草「亡き友を偲ぶ」等の赤い花と白い 花と紫の花の鉢に「旅に出る」と話しかけまし た。私たちは「食事と気温に注意してね」と答え ました。



 シベリアへの旅 平成年月日、主人は戦友たちの見送りを 受け、新潟から、ロシアの「イルクーツク」へ飛 び立ちましたが、着後、目的の「アルマータ」へ の便は飛行中止。翌朝時間をかけて「モスクワ」 へ行き、モスクワから折り返して、アルマータ へ行くとの案内があり、グループ人は、不安 になる。翌朝時間かけてモスクワ着。折り返 し便のアルマータ行きは、空席なしとの理由で 人が後発。主人は運良く先発便で、アルマータ へ。後発の人は可哀そうです。翌朝、主人は ロシア語ができるので、一人でタクシーに乗り、 日本人墓地を探すが、ケ所廻っても見つからな い。カ所目の墓地で主人の友約人の墓を発 見して、涙ボロボロ。野辺の花を供えて、また 涙ボロボロ。タクシーの運転手が、不思議そう に主人を見ていた。ホテルへ帰り、料金を払い、 チップを払おうとしたら、「ニチェブオー」(不 要です。いりません)という。何故かロシア人の 好意を感じて、疲れが消えていった。月日 にアルマータを出発し、ジャンブルへ飛行。以 後バスで、チムケント、トルケスタン、フエル ナガ、タシケント、サマルカンド、ブハラ、マ リイ、アシハバードの史跡や日本人墓地などを 見て、モスクワへ着く。ここで、ゴルバジョフ からエリツェンの政変を見る。モスクワ発の国 際便は、すべて運航停止で、空港で、日間の足 止め。ハバロフスクへ着いても、人のグルー プのうち、人が残され、主人は又も運良く人 だけ日本へ帰すといわれて、日本の新潟へ。空 港で、モスクワ政変の取材記者に取り囲まれな がら、ヘトヘトになって帰る。「ロシアはキライ だ」といいながら主人は、その後回もロシア各 地を旅しています。



 パプア・ニューギニアとソロモンの旅 パプア・ニューギニアの東部で、約万人、 ソロモン諸島、特にガダルカナルでは約万人 の日本人戦没者がいる。平成年月日に名 古屋を出航、パプア・ニューギニア航空の直行 便で、首都のポートモレスビへ約時間かけて行 村田秀雄の色紙 ロシア ハバロフスクの墓標

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く。*4"の慰霊団ほか各旅 行社の相乗りチャーター便 で、ほぼ満席。主人のいた 満州、海倫の独立守備隊約 名が南方へ転出し、上 陸前に全員が戦死した所で もある。到着後に国内最大 の祭りといわれるの民 族の祭典を見学し、海軍大 将山本五十六が米軍に撃墜されたラバウルと密 林、日本軍の防空壕などを見る。ラバウルのト ラベルロッジでは、*4"慰霊団の若い青年が主 人に、上陸前に、祖父が米軍に射殺され、遺体 がない。どうしたら良いかというので「上陸前だ から、海岸の砂でも持ち帰ったら」とアドバイス していた。青年は、うなづいていた。「私の名は、 タローです」と名乗る黒い顔の現地人が、ホテル 前で、主人に話しかけている。「日本軍は、正確 にねらって砲弾を撃つが、米軍は何百発という 砲弾を撃って来たよ。山も、堤も、密林もこわ されたよ」と言っていた。「タロー」は、日本軍に 使役され、好意を持っているように見えた。



 ガダルカナル(ソロモン) 平成年月日から日間ソロモンのガ ダルカナル島ホニアラへ行く。昭和年に制空 権と制海権を失った日本軍が食糧、弾薬の不足 と米軍の砲撃で万人近くの戦病死者を出した 悲劇の地である。ここにも、日本の戦車、砲台、 戦闘機、輸送船の残骸があり、不発弾もあるので、 現地ガイドの案内がないとジャングルには入れ ない。主人は、ホテルのラウンジで、日本政府 派遣の若い青年と話をした。約ヵ月間滞在し て各地の電源開発調査をするが、今日は人で 離島へ行くという。ホニアラも市街地を離れる と、電気はなく、灯油を使っているという。ジャ ングルでは、まだ多くの日本兵の遺体があると もいう。ガダルカナルは、餓島だった。兵隊の 中で、病弱な人を殺して、人肉を食べていたと いう話も聞かされ、その人らの魂は、まだ密林 パプア・ニューギニアの民族舞踊 ラバウル 日本の飛行機の残骸 ソロモン ガダルカナルの慰霊碑

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のどこかにいるのかもしれないと思うと、あら ためて戦争の悲劇を感じます。天皇、皇后両陛 下は、平成年に、米国自治領になったサイパ ン島を訪れ、千人の自殺者を出した「バンザイ クリフ」など日本人慰霊碑を訪れ黙とうを捧げ られました。主人夫妻も訪れました。青い海原

ゴールドコーストマラソンに参加して

高崎 正輝

(入学センター事務課) 今年月下旬に念願の海外でのマラソン大会 への参加申込を済ませました。大会は月日 (日)オーストラリアで開催される「第回ゴー ルドコーストエアーポートマラソン」です。月 のゴールドコーストは乾季で雨も少なく湿度は %以下、平均気温はスタート時の時で度、 ゴールする時間後の時では度くらいで す。高低差Mのフラットなコースで、制限時間 も時間分です。日本との時差も時間しか ないので時差ボケの心配もありません。蒸し暑 い日本を飛び出してそよ風の吹くゴールドコー ストマラソンに参加するという計画は昨年銀婚 式の記念ということで思っていましたが、今年 の実現となりました。北半球は夏ですが、南半 球は冬です。現地のテレビではウィンターセー ルのコマーシャルが盛んに流れていました。 簡単にフルマラソンKMを走るといって も設定した目標時間で走るためには、数カ月前 からある程度の距離を走り込んでいなければな りません。そこで月はヶ月でKM、月に KM、月はKMを走り込んで本番を迎え ることになりました。月の開学記念日には自宅 近くにあるグランドで、朝時から昼時まで の時間の走り込みを敢行、さらに大会日前 の時間走で仕上げの練習を行いました。 いよいよ月日午後時分成田発のカンタ ス航空で空路約時間シドニーへ出発。成田空 港では、お笑いタレントの森三中を見つけた妻 がサインをもらっていました(私は言われるまで 気が付きませんでしたが)。翌朝シドニー到着、 預けた荷物を受け取り国内便に乗り換え時間 分でブリスベンに到着。ブリスベンでは市内 を一望できるマウントクーサー展望台やローン パインコアラパークを観光した後、バスでゴー に多くの海鳥が悲しそうに鳴いているのを見て、 戦争の悲劇を未来へ語り継ごうと決心したよう です。 主人の戦跡めぐりは、まだ続いています。 合掌

(10)

ルドコーストへ向かいました。しかし、ブリス ベンに到着したときにトラブルが発生、私たち の荷物を含めて家族の荷物がシドニーで置い てけぼりにあいました。さらに他の人たちの荷 物は夕方ホテルに届いたのに、私たちの荷物だ けが届かない憂き目に、夜時過ぎにやっと手 元に戻ってくれました。 マ ラ ソ ン 大 会 当 日 は 午 前時分 起 床、 朝 食はツアー会社が用意したおにぎり弁当と前日 スーパーで買ったバナナで済ませ、時分に バスで会場へ向かいました。今大会の全種目の 参加者は 人、スタート地点の前の大会事 務局本部の放送席では日本語のアナウンスが行 われていました。日本人の参加者は確か  名とアナウンスがあったように記憶しています。 ハーフマラソンは時分、KMウォークは 時分にそれぞれスタートします。KMラン については前日に終了していました。ハーフマ ラソンの参加者は約 人で、フルマラソンの 参加者は約 人で完走者は 人でした。 時分にスタート、今回参加するのにあたっ て走るペースをKM分を少し切るタイムに設定 し完走目標を時間分としました。何とか予 定どおりのペースを維持して前半を時間分 秒、後半は時間分秒、ゴールタイムは 時 間分秒( ネ ッ ト タ イ ム;時 間分 秒)でした。後半はゴール手前KM付近で左太 腿裏がけいれんし、ストレッチをするはめにな りましたが、総合で位という順位で、年齢 別∼歳代では位/人中でした。ゴー ルドコーストがあるクイーンズランド州の州法 で、道で食料を配るのは違法だということで、 エイドステーションでは水分の補給しかできな いことになっていましたが事前に調べてあった ので、途中でエネルギー切れが起きないように キャンディを個持ってKM手前から舐めなが ら回目のフルマラソンを完走できました。 感動したのは沿道のオーストラリア人たちが、 日本人ランナーに「ガンバレ!」と日本語で応援 してくれたり、ゼッケンにプリントされた名前 “-!3!+)”を読んで声援してくれたり、またレー ス途中でも「日本のどこから来たのですか?」と 流暢な日本語で聞いてくるオーストラリア人が いました。でも途中で“5JIMUSHI”と叫んで(意

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味が分かって言っているのかどうかは分かりま せんが)応援している女性がいて、これには苦笑 しました。ゴールドコーストマラソンを走って いる間は意外に日本人を見かけることが少なく、 外国で走っているんだということを実感しまし た。ホノルルマラソンは走ったことがありませ んが、参加者の約割が日本人だと聞いている ので余計にそう感じたのかもしれません。 完走した後はツアー会社が用意したカレーラ イスやフルーツなどで空腹を満たし、夜は同じ ツアーの人たちと中華料理を食べながら打ち上 げパーティで盛り上がりました。その時のワイ ンがうまかったので沢山お土産に買い込み、こ の大変有意義な週間の休暇をいただいた入学 センターの皆さんへのお土産としました。打 ち上げパーティ以外も毎日ホテル近くの酒屋で ビールとワインを買い込んで飲み過ぎていたの が実態ですが、とにかくこれからも無理をせず に練習を重ねて国内や海外のマラソンに挑戦し ていきたいと思います。

ポケットにデジカメ−私のフォトダイアリー

宮下 多佳子

(庶務課 一般・消化器外科学) ちゃんとした撮影技術を学びたいな…と思い つつ、せいぜい(OWモノの本を買って読むく らいで、自己流で楽しんでいるカメラ。特に世 の中がカメラ=デジタルカメラ状態になってか らは私のバッグのポケットの中には常に小型の デジカメが入っていて、どこへ行くにも一緒で す。力 りき を入れたいときは一眼レフデジカメの出 番となりますが、全然使いこなせていないのが 悔しい。そんなド素人カメラマンの拙い写真と 散文をフォトダイアリーにしてみました。 〈身近な花々〉 桜 ここ、年、桜の時期にデジカメを持って兼 六園へ夜桜見物に出かけています。夜の撮影に 完走証

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は三脚が必須だと思いますが、持っていません。 なので、ほとんどが失敗です。失敗作の中でも、 この写真は比較的キレイにとれたサバイバーの 枚。今年のお花見はとても寒い日で、ダウンコー トを着込み、マフラーぐるぐる巻きで出かけま した。気温は低かったものの無風で、ほのかな 照明によって瓢池の鏡のような水面にまわりの 木々や桜が映り込み、水の下に別の世界が広がっ ているような幻想的な景色が目の前に現れ、最 高に感動しました。ライトアップの光が必要最 低限で抑えられていることが、この幽玄の世界 を生み出しており、とてもすばらしいと思いま した。この絶景を撮影する能力があったらな…。 フイリサクララン サクララン(ホヤ・カルノーサ)という植物を ご存知でしょうか?緑色の肉厚な葉を持つ蔓性 の植物で、葉っぱを楽しむ観葉植物だと思って 買いました。私のアパートでシワシワの瀕死状 態になってしまったので、庭いじりが趣味の父 親に預けた(押しつけた?)ところ、元気回復。 その数年後、私の元にあったときの倍くらい に生長したサクラランは驚くべきことにピンク 色をした可憐な花を咲かせました。調べてみた ところ、新しい蔓がある程度伸びて、株が大き くならないと開花しないそうですが、その後も この花はきちんと毎年咲くことはなく、たまに 思い出したように花芽を付けます。ちょうど実 家へ帰ったときに咲いていたものを接写しまし た。表面はビロードのような質感で、肉厚の小 さい花が集まってドーム状に咲きます。さて、 次に咲くのはいつでしょう。 〈旅〉 モン・サン・ミッシェル 年、興味を持つ対象がよく似た一卵性 (?)の親友と人、『いつか行きたいね』と言い つつ、なかなか実現には到らなかったヨーロッ パ旅行の話が急に具体化し、ドイツの古城街道、 ロマンチック街道をたどり、ヴィース巡礼教会 やノイシュバンシュタイン城、フランスに移動 し、モン・サン・ミッシェル、パリ市内を廻るツ アーに参加することに決定。各々の上司に年休 を許可していただき、土日・祝日等と組み合わせ、 日間の旅に出かけました。月末のドイツ・フ ランスは予想外に暖かく、まだ晩秋の雰囲気で した。前夜真っ暗になってから対岸のホテルに 到着。遅い夜明けで朝時頃、いちばんの憧れ だったモン・サン・ミッシェルが目の前に現れた ときは何とも言えない感動でした。巻き貝のよ うにぐるぐると上に伸びる階段を登ると、修道 院の中は堅牢かつ質素な印象で、ちょうど読み かけだった小説「大聖堂」(ケン・フォレット著)

(13)

を思い出し、礼拝堂の造りなど、 ストーリーと通じるところがあっ て興味深く楽しく見学しました。 いつか撮影の技術をしっかり身に つけて、明るい日の光が射す季節 にまた来られたらいいな。バスの 座席から何度も後ろを振り返りな がら、憧れの聖地を後にしました。

3ING

はなな

土田 壮一

(図書館事務課) 写真を趣味としております。 所属する写真クラブの撮影会や、個人旅行で、 ネイチャーや造形を目当てに、あちこち出かけ ておりますが、まれに、忘れられないシーンに 出会うことがあります。 (平成)年春のことです。いこいの村 能登半島で、桜となのはなが同時に撮影できる という耳寄り情報を、堀さん(現教育研究事業 支援課長)からいただき、早速、休日に早起きし て出かけてみると、残念ながら、桜は満開を過 ぎ、散りかけておりました。それでも、桜とな のはなという出会いが珍しく、三脚を構えてい ると、宿泊客と思われる大阪弁のおばちゃん団 体が、「やぁ、なのはなが咲いてる。桜も咲いてる。 ここで写真撮ってはるわ。」と、にぎやかな空気 と共に、どやどやっとやって来ました。「イヤだ なぁ。」、「気が散るなぁ。」と思いながらじっと耐 えていると、やがて彼女達は、うしろを通り過 ぎて行きました。と、そのとき、おばちゃん達が、 「なのはーなばたけーに、いりーひうすれー」と、 突然、うたいはじめるではありませんか。しかも、 ちゃ∼んとハモっております。 そこには桜となのはなに対峙する自分。そし て聞こえるは、去り行くおばちゃん達のコーラ ス。時間の流れが止まったかと思われるその瞬 間、脳内でα波が全開となり、シャッターを切 りまくりました。 その時撮影した作品は、高い評価をいただき、 「憩」と題して、(平成)年に金沢シティ モンドホテルで開催された、第回グループ写 研写真展に出品いたしました。今回、ご披露す るのがその写真です。 グループ写研は、デジタル全盛の昨今となっ ては少数派の、リバーサルフィルムにこだわる 写真クラブですが、この時からの縁で、毎年、 写真展に出品し、(平成)年には、記念

(14)

すべき第回展を迎える予定 です。 いこいの村能登半島は、そ の後、教学課の学生係として、 新入生オリエンテーション時 に、何度も訪れることとなり、 これまた、縁の深い場所とな りました。しかしながら、施 設が変わったこともあり、あ の時のシーン、あの時の歌声、 あの時の感動に、その後、二 度と出会うことはなく、実に、 それは、私にとっての千載一 遇の瞬間でありました。 写真のおもしろさは、作品づくりと自己表現 にありますが、こういう人との出会い、自然と の出会いも貴重な体験です。なにが悲しくて、 厳寒の裏磐梯で、草木も眠る丑三つ時に出かけ、 暗闇で、かじかむ手をさすりながら、じっと日 の出を待つか。山中温泉鶴仙渓で、撮影に夢中 になるあまり、カメラバックが川へ落ちたのに 気付かず、数十万円相当がオシャカになっても 写真を止めないのはなぜか。人から見たら、ま ことにキ印としか言い様のない姿ですが、すべ ては、一期一会の出会いを求めてのことと言え ます。 これからも、体力と相談しながら、人や自然 に迷惑をかけない範囲で、そういう出会いを求 め、そして、写真展等を通じて、ほんのちょっ ぴり文化貢献もしつつ、写真を続けていけたら と願う次第です。

「断食&瞑想」体験

福井 加奈子

(大学企画室) これまで、それなりにやりたいことをやって きました。入職したての頃は、英会話、ジャズ ダンスをはじめとする習い事に明け暮れ、ほと んど家にいませんでした。今思えば、エネルギー が余っていて、動いていないと気がすまなかっ たように思います。 その後も、習い事を変え、飛び回っていたの ですが、数年前から何か違和感を感じるように なりました。自分で自分に納得がいかないとい うか、自分で自分を生きている実感がなかった のです。自分の中の本当の自分が、何かささや いていました。けれど、声が小さくて聞こえな 作品(憩)

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いのです。なぜ聞こえないんだろう。わたしは、 なぜ聞こえないのか、そして本当の自分はどん な自分なのかを探すため、少しずつ活動し始め ました。心理学やカウンセリングの勉強、夢分 析ワークショップ参加、オーラソーマ、マヤ暦、 ヨガ、等々。 それでわかったことは、自分を責めている、 ということでした。「もっとやらなければいけな い」「しっかりしなければいけない」「自分はこ うあるべき」など、自分への注文がとても多いの です。それが何年も積み重なって、苦しくなっ たのだと思います。自分への否定が、本当の自 分を何重にも覆い、声が聞こえなかったのでは ないか。まず、自分を愛することが必要だった のだと気づきました。自分を信じ、たくさんほ めること。そうすれば、自分の内側の声が聞こ えてくる。 それでも、やっぱり聞こえませんでした。頭 ではわかっていても、だからといって、すぐに 自分を肯定し、ほめられるかというと、そう簡 単にはいきません。自分を愛するって、どうす ればいいのだろう。心と体がばらばらな感じで した。 そんなもやもやを抱えていたところ、友達か ら「断食&瞑想リトリート」に誘われ、自分がよ くわかるというので、すぐに行くことを決めま した。日常生活から離れ、静かに自分をみつめ ることで本当の自分に近づきたいと強く思いま した。 ●いざ! 「断食&瞑想リトリート」は、泊日のスケ ジュールで、石川県内にある海沿いの宿泊施設 で 行 わ れ ま す。日 目:ス タ ー ト、日 目 :解散。日間、断食をしながらお坊さんの お話を聞いたり、瞑想をするだけです。断食は、 日目の夜から日目の朝まで、計食を抜きま す。ただし、水分は十分とってよいことになっ ています。詳しいタイムスケジュールなどはな く、そのときの状況をみながら進められるとの ことでした。 出発の日。友達が車で迎えに来てくれること になっていました。プログラムでは、日目の夜 から食事を抜くことになっていたのですが、友 達の勧めでお昼ごはんも自主的に抜きました。 やる気満々です!ところが、空腹が何度も襲っ てきて、「少しだけなら」と台所へ行き、「やっぱ り、だめだめ」と戻り、の繰り返し。たった食 抜いたくらいでこの有様でした。断食、本当に できるんだろうか。 友達の車に乗り込んだ後 も、「ごはん」の看板や「お だ ん ご 」の 張 り 紙 を 目 で 追って、ため息。だんだ ん力がなくなってきま した。 ●



日目スタート 不安と期待とが入り混じる中、いよいよ: スタート。 プログラムは、全てお坊さんが進行します。 まず、「みなさんは、食べられないのではなく、 食べないことを選択してここに来た。そこを間 違えてはいけない。」と言われました。確かに、 わたしたちは、食べようと思えばいくらでも食 べることができる。それどころか、食べ過ぎて 病気になる人も多い。しかし、世界には食べら れない人達がたくさんいる。ついさっきまで、 自分のことしか考えていなかったけれど、こう やって人間に生まれてきたこと、そして日本に 生まれたことに感謝しなければいけないとあら ためて思いました。

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ちょっと真面目に考えた後は、自己紹介。こ こでまず驚いたのは、参加者名のうち、県内 の人はわずか∼人で、ほとんどの人は北海道 や九州など遠方からわざわざ石川県に来ている ということでした。しかも、このリトリートに 初めて参加するのは、わたしを含めて、たった の人。ほとんどの人はリピーターだったので す。断食を何回もするなんて、世の中には変わっ た人が結構いるものです。 自己紹介のあとは、お坊さんの講話を聞いて、 分間ほど瞑想、そして:頃解散。意外と 早い解散だったので、就寝までの時間をどうやっ て過ごそうか、と悩む必要が出てきました。わた したちはプログラムが始まる前にお風呂は済ませ て い た し、 晩 ご 飯 を 食べる必要もないの で、 た っ ぷ り時 間 は あります。けれども、 そんな心配は全く無 用 で し た。 初 対 面の 人と話をするのが楽 し く て、 あ っ と い う 間に時間がたちまし た。 お ま け に、 お 腹 がすいたのもどこか へいっていました。 ●



日目 明け方、お腹がすいて目が覚めました。集合 時間までまだ時間があるので眠っていたいので すが、なかなか寝付けません。何とか空腹に耐 えて、:起床。すると、すぐに体の異変に気 づきました。体に力が入らず、起きあがるのが やっとでした。歩くのもふらふら。今日一日、 大丈夫かな。「リタイア」の文字が頭をよぎりま した。 それでも残っている力を振り絞って研修室に 行き、もうろうとしながらお坊さんの話を聞い て、瞑想。不思議と瞑想すると落ち着いてきま した。もうこれで大丈夫、よかった。 あとで友達に聞いたのですが、断食中の朝は 調子が悪くなりやすく、瞑想すると回復するそ うです。 ●お坊さんの話 お坊さんの話は、参加者からの質問に答える 対話形式となっていました。参加者は、休み時 間などにメモ用紙に質問を書き、質問箱に入れ ます。質問は無記名です。日間で相当数の質問 があったのですが、そのうちつだけご紹介し ます。 ☆自分がやっていることがこれでいいのかよ くわかりません。どうしたらいいですか? それは本当に自分のやりたいことなのか。い いかどうか、考えるからわからなくなる。人か らほめられることをやろうとすると、どんどん 自分から離れていく。人と比べたり、結果にこ だわったり、人からの評価を求めたり、考えて 行動すると、その結果どおりにならなかったら どうなるか。結果はプロセスの1点に過ぎない。 本当の自分とは、結果や評価に関係なく、外か ら何がやってきても揺るぎないものだ。だから、 まずやることが大切だ。やっている過程を味わ えばいい。やって失敗したことは経験となり、 やらなかったことは後悔となる。やってみると わかるよ。 ☆毎日楽しく笑って暮らしたい、人の役に立 ちたいと思っています。どうしたらできますか? まず、朝、鏡を見る。おもしろいよー。こん なおかしな顔してたんだ、ってね。 自分に夢中になればいい。自分を大事にする んだよ。誰かのために何かをしようなんて思わ

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なくていい。そんなことできないよ。誰かのた めに何かをして、それが役に立ったかどうかは 相手が感じることであって、自分が決めること ではない。自分を中心に置くんだ。自分がやり たくてやったことが結果的に相手の役に立って いるのならそれでいい。 ●海へ 日目の午後、長い休み時間があったので、友 達と海に行きました。この日はお天気がよく、 やわらかな風が吹いていました。 このとき既に食を抜いていたのですが、朝 の危機を脱出してからは、わりと元気でした。 といっても、何となく力が入らないのは変わり ません。ただ、余計な力も入っていませんでした。 友達と離れて裸足になり、波打ち際に近づく と、目の前の大きな海がわたしを迎え入れてく れました。もう友達の姿も見えないので、この 地球に海とわたしだけのような感覚になりまし た。深い青い海と、さわやかな空、そしてわた し。ここにわたしがいることが不思議で、奇跡で、 今この瞬間がとても貴重に思えました。わたし はここにいるだけでいいんだという声がどこか らともなく降ってきて、わたしの心を縛ってい た縄がするするとほどけていきました。そこに はかけがえのない自分がいました。わたしはこ れでいい。涙が溢れて止まりませんでした。

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●最終日 とうとう最終日。お坊さんのお話を聞いた後、 :におかゆをいただきました。食ぶりの食 事だったのですが、そんなにお腹がすいていな くて、まだ断食を続けられそうでした。とはいっ ても、目の前のおかゆを食べない理由もありま せん。手を合わせ感謝してから一口。うすい塩 味の温かいおかゆが喉をとおって胃をとおるの がわかります。また、涙がでそうになりました。 終わってみると、断食は想像していたよりも はるかに楽でした。それどころか、断食をする ことで、体の中の不要物がなくなり、瞑想をす ることで心が静まって、自分の体と心を敏感に 感じ取ることができるようになっていました。 お坊さんが最初に言った「食べられないのではな く、食べないことを選択してここに来た。そこ を間違えてはいけない。」の意味は、食べられな いのはとても辛いけれど、食べないことは実は 楽なんだ、ということだったのかもしれません。 ●その後 日間、ゆっくり自分の心と体に向き合い、心 が穏やかになって、このまま現実に戻れたら、 きっと自分はおおらかになれると思っていまし たが、そううまくはいきませんでした。どうし ても自分のクセが出てしまいます。けれども、 以前より肩に力が入らなくなり、うれしいとき は以前よりうれしいし、笑うときも以前より思 いっきり笑えるようになりました。 疲れてそれができなくなったときは、あの海 を思い出して自分にやさしくしたいと思います。

新人・若手事務職員研修を終えて

津田 志朗

(教学課) 金沢医科大学へ入職してヶ月が過ぎました。 まだまだ毎日が新しい発見の連続ではあります が、教学課では誰がどのようなことを担当して いるのかや様々な物品のありか、課内で行われ ている業務についても少しずつ把握をし始め、 慣れを感じてきたところです。気持ちに少し 余裕が生まれたことは非常に良いことなのです が、周りが見えるようになってくると同時に悩 みを感じることも多くなりました。分からない ことも分からず八方塞がりだったものが、何か をしなくてはいけないタイミングが掴めるよう になったが、結局何をすればよいのか分からず に歯がゆさばかりを感じたり、指示をされるこ とにも何も考えずにただ従っていたものが、指 示の裏に隠されたメッセージをそれとなく感じ ることができるようになったが、求められるほ どの成果をあげられずに悔しい思いをしたりと、 見えるようになって初めて抱える様々な悩みと いうものを知りました。 今回、新人・若手研修をするにあたり、ちょ うどテーマの通り「事務職員の果たすべき役割と 求められる資質・能力・知識について」ふと考え 始めた時期であったため、それを同じ新人・若 手の職員と討議ができるとても良い機会だった と思います。グループは私のようなこの春から の新人が人と、昨年度からの若手職員名の計

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名で構成されています。特に新人の私は、他 部署の職員との繋がりも未だ希薄で研修前は不 安を抱いていましたが、普段から業務を通じて 何気なく感じているちょっとした不満や悩みを 打ち明け共有することで、グループとしての連 帯感もでき心のどこかで引っかかっていたもの がなくなりました。そして今抱えている問題点 とそれを解決するための方法を具体的に明示す ることで、自分の弱点と理想の姿を思い描く事 ができました。普段何気なく思うことでも、実 際に言葉に表すことの難しさや大変さを痛感し、 今この時点でそれを言葉に出来たことや同世代 で友好的な関係を結べたことは、この研修を通 して得た私にとって大いなる成果となったと思 います。 これからも金沢医科大学で業務を行う上で、 まだまだ知識や経験が足りず失敗も多くしてし まうことだと思います。しかし、今回の研修で 考え得た答えを今後に生かし、金沢医科大学を より良く発展できる力になれるよう努力を怠ら ないとここに誓います。分からないのであれば 分からないで消極的になるのではなく、過去の 資料を見るなりデータベースで調べるなり、そ れでも分からない場合は誰かに尋ねるなど自分 で積極的に情報を集める努力をし、失敗をして しまったとしても落ち込んで思考を停止するの ではなく、次に自分で何ができるのかどのよう にフォローをすれば良いのか模索し、いずれは 先輩方のように全体な構造を把握し総合的な判 断を下せる一人前の事務職員になれるよう励み たいと思います。 研修中の筆者 左から人目

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石川県消防マイスター制度認定交付

藤本 広昭

(医療安全部) 私は、浄土真宗・本蓮寺と言う「小さなお寺」 の住職を兼務しながら年ヶ月勤めた津幡 町消防本部を昨年月に退職し月から金沢医科 大学病院の医療安全部に医療相談員として入職 しました。 消防組織では全国的にも、石川県においても 消防職員の団塊世代の大量退職に伴い新任職員 が多量に採用されています。そのため、長年に わたり職員が培った知識、技術を継承する事が 課題となっています。 その対策として、石川県では本年から一定の 要件を満たす退職消防職員を「消防マイスター」 として認定し消防学校における講義、実技指導 を通じて、消防職員に対し知識、技術の伝承を 図るとともに、地域の防災力強化に努めること になりました。そして、消防マイスターは「救急」 「消火、救助」「消防無線、情報及び現場管理」「消 火」「防災」の部門があり、マイスター認定者 はそれぞれの得意とする分野を担当することと なりました。 私は、長年の救急隊員としての活動実績と看 護師・救急救命士・柔道整骨師等の資格が認めら れ救急分野の担当に選抜され、本年月日に 知事室で谷本正憲・石川県知事から認定書の交 付を受けました。 今後は、災害現場で得た経験と知識を新任の 消防職員に伝承したいと考えていますが、平成 年に救急救命士法が制定された以降も救急救命 士の処置の拡大が進み、気管内挿菅や一部薬剤 投与も認められる事になり、短い期間ではあり ますが、当院で得た医療及び医療安全の知識や 経験を出来るだけ若い消防職員に伝承していき たいと考えています。 テレビ取材を受けるマイスター認定者 筆者右から人目

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したたかな“草”くんとの会話の日々

本田 俊幸

(元図書館事務課) 田舎の秋は、たんぼの稲穂の黄金色のうねり が眩しい季節である。この光景を見ると誠に無 条件に感謝の気持ちが湧き、農家の耕作者の皆 さんには誠に頭が下がる思いである。農家、農 業もまさに地球規模の激しいうねりの中におか れ、その大変な現状に耐え、また、半年余りの様々 な作業を乗り越えて、今年も待ちにまった収穫 の実りの秋の季節を迎えている。 さて、我が家も田舎で、多少の水田をご先祖 様からの預かり物として受け継ぎ保有している。 従来は、水田の耕作を請け負っていただける方 があり、幸いにして全て耕作をお願いしていた が、水田を耕作しておられる方々は、高齢・次の 担い手不在、その他の種々の事情で大変なご時 勢となっており、我が家の水田も一部の耕作を お願いすることが困難となり、いわゆる休耕(転 作)をせざるを得ない状況となった。休耕につい ては、水田地帯のありとあらゆるところに発生 点在しており、草が一面に茂り、ご先祖様に大 変申し訳けなく、残念な光景が広がっているの は周知の事実である。 さて、休耕の一場面で、草とともに一年をい かに過ごすか?。草との会話についての話題に 移りたい(……)。 ところで、いざ休耕となると必然的に出くわ すのは草刈り作業である。まあ∼(……)草刈り 作業の覚悟はしていたとは言うが、いざ現実に 出くわし取り組もうとすると簡単にはすまない 大変なものである。小生の場合の結論から先に 言うと、たかだか反( ㎡)の休耕田の草刈 り作業に、年間回余りの作業を実施すること となった。 もちろん回とはいうが、一回当たりの作業 量については、“畦一本の草を刈るのも一回”、“水 田一枚刈るのも一回”と数えての話であるが、兎 にも角にも回余りの作業量を必要とした。た かだか反( ㎡)の面積を一年間に回通り 草刈りするだけのことであるが。 草の生長や周辺の水田地帯の風景、様子、状 況を見ながら、小生が一人でボソボソと雑草に 話しかけたり、感じたり、草の逞しさに感心し たり、怒ったり、声を聞いたりの一場面の話で ある。朝食前の朝時からの作業、ジリジリと 照りつける太陽の下での作業、夕日を見ながら の作業などがあるが、違う声が聞こえてくる。 まず、新しい一年が始まり、春の日差しと雪 解けとともに新しく芽生え始めた草との会話が 始まる。 毎日、目覚めるとまず窓から今日の草の顔を 見るのが日課となる。今日はどんな顔をしてい るかな?。どんな声を掛けてくるかな?。草の 命の成長と自分のこれからの作業日程との調整、

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やり取りの日々が始まった。春の日差しが届く ようになると逞しく凄まじい勢いでグングンと 成長を始める。新しい命の力である。すさまじ い力を感じる。 草の成長を気にしながら毎日を過ごすが、間 もなく月の中旬になると逞しい草はその生命 力を休耕田の一面に自己主張を始める。いよい よ草の自己主張と小生との会話のやりとりの始 まりである。 向こうさん(草のこと)は向こうさんで、自分 の命を繋げるために生命力の全力で生きようと して話しかけてくる。毎日が、話し合い・会話 の日々を過ごすこととなる。 春の月も中下旬になると、さすがに“草くん” の生命力が強く一面に勢力を張り、当方もそれ ではと草刈り作業をさせてもらうこととする。 草刈り作業は、不慣れな草刈り機でもって、 草の状況に応じて“ワイヤーで刈るか、回転刃で 刈るか”の選択が必要となるが、ここでも会話を する。“草くんの新しい命であり、切るのは申し 訳ないが、若く小さな命だからワイヤーで切る よと……。 ここから、一年間の回余りの草との具体的 な会話が始まる。これは素直に自然に見れば、 草も人間も互いの命のやり取りを自然のままに やっているだけのことである。  その後、草は、人間なんかには負けるものか とグングンと成長し逞しく逞しく力を付け、声 を掛けてくる。草のエネルギーの言葉が聞こえ てくる。 当方も、その逞しさに話しかけ、負けじと草 刈りを行わざるを得ない。やり取りと競争であ る。春の日差しの柔らかな時期は、草も柔らかく、 ワイヤーで済むが、日差しが強まると共に元気 を増した草くんの力に負けじと回転刃に切り替 える。 “すごいな∼、お前の力はすごいや”との会話 を繰り返し繰り返し行っている。草を刈った水 田も、週間もすれば、元の木阿弥となる逞しさ である。 草くんの一年の姿、あゆみ、命を見ていると、 ・春の日差しの穏やかな時期の柔らかな幼い草 くんは、黄緑色の手足を伸ばしており、ワイヤー で切ると軽快なサラサラ、シュンシュンという 軽快な柔らかな音、声がする。 ・これが梅雨を過ぎ夏の日差しが差しぐんぐん 伸びて一人前の青年期となった草は、ワイヤー では手に負えず回転歯に切り替え、今度はジャ リジャリ、ジュンジュンと言い出す。草が別の ことを言い出している。 ・また、秋の日差しを浴び延び出した太く強靭、 したかたで逞しい草は、今度はバリバリ、ザク

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ザク、バリンバリンという声をだしている。また、 併せて草刈り機のエンジンが疲れたよと言って いる息苦しいウィーインー、ウィーインー、ハ アハアという声も聞こえてくる。草刈り作業を している小生からもハーハー、大変だ∼、疲れ た∼との声も漏れてくる。 まさに、草が一年を生きる生命力の力、言い 分の声を感じるものであり、草の体力と小生の 体力との勝負である。春の倍の作業、エネルギー を要する。 このような草と共に生活する一年を振り返る と、まさに、人の娑 し ゃ ば 婆の様々な出来事、有様、 生活と重なって見え、また感じる(……)。 小生も、このような作業、会話、やり取りと 出会い、会話を通じていろいろと改めて感じる ものがあったことを拙文としてみたものである。

近況報告

中居 重光

(元人事厚生課) 皆様、お元気でお過ごしでしょうか。 私は平成年月に退職し、早いもので年 半が経過しました。 在籍中は皆様方には大変お世話になりありが とうございました。 現在私は、理学療法士・作業療法士を養成す る専門学校金沢リハビリテーション・アカデミー に庶務課長として在籍しています。学校には、 金沢医科大学/"の山本博昭さんが常務として 在籍され、元気で頑張っております。 金沢医科大学には、専門分野の授業を非常勤 で各部門の先生にお願いしご協力を頂き、質の 高い教育を行っています。また、解剖学におい ては他の学校では見学実習にとどまっています が本校では金沢医科大学のご理解で解剖実習ま で学生に提供しています。 私は、金沢医科大学に非常勤講師の依頼や解 剖実習のお願いなどで時々立ち余らせていただ いています。その時、元上司の方や同僚の方か ら「久しぶりですね」とか、バドミントン部の学 生の方から「元気ですか」と声をかけていただき ます。非常にありがたいと感じています。 昨年、本校の国家試験の合格率は理学療法学 科%、作業療法学科%で両学科共全国 平均を上回っていますが、今年の目標は国家試 験の合格率%、就職%維持を目指し日々 頑張っています。 最後に皆様方にお願いを申し上げまして近況 左から山本博昭さん、筆者

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報告とさせて頂きます。皆様方の身近に理学療 法士・作業療法士を目指す方がいましたら是非 私に声をかけてください。お待ちしています。 今後の皆様方のより一層のご活躍をお祈りい たします。

二人のチルドレン

向田 厚子

(元図書館事務課) 年前、私に子どもができました。といっても、 お腹を痛めて産んだ子どものことではありません。 一人は「エヴァ」という名前で、マラウイ共和 国に住んでいる女の子です。もう一人は、息子 と同じ年齢くらいのケニア共和国の女の子。名 前は「ダイアナ」といいます。二人ともアフリカ の貧困地域に住む黒人の子どもたちです。 この二人は、私が「チャイルド・スポンサー」 として過去、そして現在支援している子どもた ちなのです。 チャイルド・スポンサーとは、発展途上国の 子どもたちが健やかに成長できるよう、スポン サーとなって毎月継続的にお金を支援する活動 のことです。 チャイルド・スポンサーとなった場合は、支 援地域に住む一人のチャイルドが紹介され、そ の子どもとの交流を通して支援の成果を実感す ることができるようになっています。 この支援活動のことを知ったのは、ある有名 人が寄付をしたという話から。その団体が「ワー ルド・ビジョン」という途上国の支援を行う国際 .'/団体であるということや、「チャイルド・ス ポンサー」という支援活動を行っていることを知 りました。 「『何もかも』はできなくても、『何か』はきっ とできる」 このスローガンに、私はインスピレーション を感じ、チャイルド・スポンサーになりたいと 専門学校 金沢リハビリテーションアカデミー 現在の職場にて

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思うようになりました。 しかし、すぐに行動に移せたわけではありま せん。支援というと、お金持ちや社会的に成功 した人がするものというイメージがあり、躊躇 しました。自分は決して裕福ではないし、助け るべき子どもは日本国内にもいるし、何よりも 発展途上国にお金で支援するという考えは、優 越意識からくるおごりにも思えました。 ただ、私が発展途上国にこだわるのは、今に 始まったことではありません。遡ること約年、 当時私はもっと世の中の役に立ちたいという思 いで、青年海外協力隊に応募したことがありま す。望みどおり、パラグアイの大学で司書講師 をすることが決まったのですが、現地に赴くこ とが現実味を帯びてくると、自分に十分なキャ リアがないことに不安を感じてしまいました。 つまり、周囲の反対を押し切るだけの自信があ りませんでした。結局、臆病風に吹かれて、そ の時は断念してしまいました。 この若い頃に挫折した夢を、別の形でも実現 したい気持ちと、これ以上我が子を授かること はできないという思いが、私の背中を押しまし た。新しい仕事を始めるタイミングにあわせて、 私は晴れてチャイルド・スポンサーとなったの でした。 スポンサーになってみると、定期的にエヴァ やダイアナの手紙、そしてチャイルドの成長 報告書が届きます。読むたびにしっかりしなく ちゃ!と背筋が伸びる思いが湧きあがります。 このチャイルドをずっと支援していけるように、 仕事を続けていくこと、稼いでいくことを、一 人密かに誓います。 また、彼女たちの生活状況を想像するたびに、 自分の悩みは贅沢だと気付かされます。見知ら ぬ国の子どもたちとの繋がりは、私を謙虚にし、 つまるところ、経済的な支援はしていますが、 私の方こそ日々の心の支えとなっています。私 には、血を分けた息子とこの二人のチルドレン の存在が、生きるエネルギーなのです。 そして、このチャイルド・スポンサーのスロー ガンは、発展途上国の支援だけでなく、何かに 挑戦する時、うまくいかない時など、毎日の生 活の中で私に勇気を与えてくれます。 皆さんも、自分の力を信じて行動しています か? 「『何もかも』はできなくても、『何か』は きっとできる」と信じて。

タイのメイプリック村から

才田 悦子

(看護部) 昨年月、夫に同行してタイ国ランパン県メ イプリック郡メイプリック村に行きました。バ ンコクから約KMチェンマイに向かったとこ ろにあります。人口 人程度の、ごく普通の タイの農村です。富山県在住のタイ人オイさん の実家です。オイさんの兄夫婦と姪が住んでい ます。兄は農業の傍ら、村での機械の修理など に携わっているとのことでした。この家に泊 したのですが、ちょうど私が子どもだった頃の 故郷にとっても良く似ていました。村での生活

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を少し紹介します。 村のメイン道路です。どこか懐かしい日本を 思わせます。塀に囲まれて木造の家々が並びま す。敷地内に入ると、家の後ろには野菜の畑は もちろん、マンゴーやパパイア、バナナ、ジャッ クフルーツなどが植えられ、タバコの畑もあり ます。タバコの葉を手で押し切り、茣蓙に広げ て干してありました。出荷しているそうです。 庭の隅には高床式の米蔵がありました。籾のま まで保管されています。食べるときに脱 する ようです。 村の家は階部分が土間になっています。昼 間気温が上がるので、この土間にはちょうど縁 側のような台があって、そこに寝転んで昼寝を したり、テレビを見たりして暑さをやり過ごす と言っていました。 ハンモックが吊るしてありました。寝転んで いるのは同行した学生ですが、すっかりくつろ いでいました。この土間には、お米の袋が積み 上げてあり奥には洗濯物が干してありました。 この土間に茣蓙を敷いて、親戚や近所の人が総 出で、お寺に寄進するお供えの団子や菓子を作っ たりもするので、家族の作業場でもあります。 また、宴会の場にもなります。帰国前には、親戚・ 近所の人が集まって、みんなで茣蓙に座り、タ イ風のすき焼きをいただきました。気兼ねなく 楽しい時間でした。 日本の玄関のような作りではないですが、階 段の下で靴を脱いで階へ上がります。階は板 の間で、広々としています。床板は磨きこまれ

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ており、光っていました。窓は大きくとってあっ て、木の扉です。窓ガラスが入ってなく大きく 開けはなされています。網戸はありません。い い風と共に虫が入ってくるけど、また出ていき ます。 台所は、階の板の間の外側に作られていて、 窓も壁もありません。雨がしぶくけど、調理の 煙や油の熱が外に逃げるので悪くありません。 コンクリートの床に茣蓙を敷いて、材料を切っ たりしていました。土間なので、はだしで歩く のが変な感じでしたが、すぐに慣れました。こ の土間の茣蓙の上に、料理を並べ、車座で食事 をします。 たくさん料理が並びます。薄味で、野菜が多 くとってもヘルシーでした。バンコクの屋台の 料理とはちょっと違います。トムヤンクンはと ても辛かったです。米は普通に炊いたものと、 もち米を竹の篭に入れて蒸したものとありまし た。タイ米ですのでちょっとパサパサしていま したが、スープをかけて食べるとおいしいです。 もち米のほうは小豆のない赤飯のようで、とて もおいしかったです。翌日の朝食にもこのもち 米が出ます。朝はもち米を食べるのが習慣との ことでした。 寝るときには、板の間に布団を敷いてから、 蚊帳を吊ります。ガラスなし窓は全開。床板の 隙間から下の土間が見えます。窓から星も見え ました。明け方時ごろから雄鶏の鬨の声が聞 こえますが、外は真っ暗です。鬨の声を聞きな がらもうひと眠りします。私たちが訪れた月 は、タイでは寒い季節ですが、日中はとても暑く、 夕方から少し涼しくなり、朝方は多少冷えるく らいでした。夜も半袖で、タオルケット枚で 寝ていました。 トイレは、シャワー室の中にあります。手桶 で水をすくって自分で流します。村へ来る途中 の公衆トイレも、このように自分で水を流す様 式です。初めはちょっと驚きますが、きれいに

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流れます。ただ、どっちを向いて座ればよいの かちょっと迷います。 階の土間に茣蓙を敷いて、親戚や近所の人 が集まって、お寺に持っていくお菓子を作りま す。近所の人が集まって、私たちも仲間に入れ てもらい、わからない言葉同士、身振り手振りで、 それらしい団子になりました。材料は米の粉と、 大量の砂糖。甘くした団子を笹で包んで蒸し、 日本の笹団子のようなものを何種類か作りまし た。これらをお寺に寄進するのですが、特別な 専用の入れ物があるのには驚きました。本当に 敬虔な仏教徒の国という印象が残りました。 近所のお寺にオイさんたちの両親の供養に訪 れました。 日本のお寺とは趣が違いますが、お供えをし て、お経をあげてもらい、お講話を聞くという のは同じようでした。オイさんの姪も神妙にし ていました。このお寺の裏には、村唯一の学校 がありました。小学校・中学校が一緒になって おり、お坊さんの先生が多くおられました。 顔かたちは少し違いますが、物腰やその生活 は驚くほど日本に似ていました。ちっとも気取っ たところがなくて、自然にというか、私たちを普 通に受け入れてくださいました。タイの国民性 なのでしょうか。時間がゆったり過ぎて行って いる感じでした。また訪ねて行きたい場所です。

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