The Cambridge English School
明 俊 村―
Cambridge大
学英文学科
(学
部
)の
人 間 と研究 をめぐって一
儒
)Basil Willey論
英米文学教室 岡 くは じめ に〉今回 は
,`Q'の
後 を襲 ってCambridge大
学英文学部第二代欽定教授 (King Edward Ⅶ profeSSOr)となったBasil Willeyを取 り上 げたい。彼 はわが国に もモラ リス ト及 び思想の歴史研究で知 られてい る英文学者である。彼 は
,文
学批評研究 とは違い,「日の当た らない」この道 を,脇
目も振 らずひた す ら歩 み,生
きることの意味 と文学 との関係 を,宗
教 と科学 とい う大 きい枠組みの中に取 り込 みな が ら究明 していった人である。筆者 は「『定点観測』をす ることによ り,Cambridge Eltglish School の伝統お よび彼 らの考 え方,生
き方 をまるごと捉 え」1たい とい う願望 を述べたことがあるが,
この 論考 によ りそれがい くらかな りとも達成出来れば と願 っている次第である。 第一章 Basil Wilttyの 生涯 Basil Willeyは 自伝 を二冊書いている。一冊 は彰 θぬ げ 切%♂4買
ιttψ πチ げ 滅ιン杉α籍 ヱ897Z929(1965年
出版)で
あ り,他
の一冊 は働 物う万殉οαη″Ottι 7ノ″ιttθ%奮 ′ν θ―ヱ958(1968
年出版)で
ある。 この二冊 の自伝 を基 にして,Willeyの
研究 を形成 している人 とな り (生涯)を
考 察 してみたい。 筆者 は,Willeyの
二冊 の自伝 (前者 は249頁,後
者 は179頁)の
翻訳 とかその要約 を目指 してい る わけで はない。Willey自身が,My chief hope of keeping the story imaginatively aHve as、 vell as factuany true lies in thisi that all the while l shall be trying to convey the ttι ′of events and ideas rather than formulate theln intenectuany or to affirm convictions.2
と述べ てい るので
,筆
者 は彼 の生涯 の主 だ った出来事 を取 り上 げつ つ,そ
れ らに関す る彼 の「 肉声」 を伝 えたい。 その際,彼
の研究 の特質 を明 らか にす るため に,時
に は書 かれてい る自伝 の順 序 を再 配置 し,時
に は書 かれ なか った ことの意味 をさ ぐり,ま
た彼 の低音 また は倍音 の意 図 を考 えなが ら 筆者 な りの コメ ン トを付 け加 えてい きたい。岡村俊 明:The Cambridge English SchOol(3)
...as 1look back over the sixty years covered by memory,there appear to be a few spots of tirne, a few passages or moments of inner hfe, intense enough to be 、vorth
reconecting in tranquility. I say `inner life',because the outword events of the past
sixty years,unparaneled and tremendous as they have been, are not themselves my
theme.3
彼の関心事 はあ くまで「精神生活」である。何人 の自伝 も「精神生活」 を写 さない ものはない とは いえ
,彼
の自伝 にしめるこの比重 は極 めて高いのがWilleyの 特色 と言 えよう。Basil Willeyは1897年
,即
ちヴィク トリア女王即位60周年 の年 に生 まれた。彼 によれば,価
値観が 壊 され,ま
た構築 された時代であうた。We late VictoFianS have not been a110、ved to stagnate;not only has our whole way of hfe been revolutionised more than Once, but all our basic assumptions have been
riddled by analysis, our sub‐ conscious dragged up into daylight, and our personal,
social,ethical,political,rengious and aesthetic belief and presuppositions questioned.4
生 まれた時代 に対 す るこのような彼の認識 は
,
この時代 ばか りでな く,例
えば,彼
の最初 の著作 と なったT力θ ttυι%形ο%滋‐働%紡り おαG慰
o%%プの17世紀 におけるように,新
しい哲学 (科学)の
攻撃 にさらされて大 きく変わ る宗教,世
界観 に関心 を持つ ことにもなると言 えようか。父親William Herbert Willeyは 敬虔 なメソディス トで
,首
都電線製造会社の重役。父 は芸術 と音 楽 を愛 し,学
問的資質 にも恵 まれていたが,子
供 に恵 まれなかった叔父が創立 した会社 の後継者 と なるべ く,大
学教育 を受 けずに入社 し職務 に精 を出 した。彼 はその会社 の社長 に もなった人 だが, シティーの生活 にはな じめず,世
俗的な生活 には溶 けこめなかった。 母Aliceはジャージ島出身で,その先祖 はジャージ総督 を務 めた家柄。父母 の性格 は大 き く違 って いた一―父 は繊細で捉 えがたい性格,母
は率直で優 しい一―が,共
通点があった。音楽 に対 す る強 い関心 とメ ソデ ィス ト信徒 ということである。Willeyの 著作集及び人格 をみてみると彼 はこの両方 の特質 を両親か ら受 け継 いだ といえる。Willeyは 子供時代 に祖父
William Willey(Mathew Amoldが
'Я
α夕′α%グ 肋 魅 力η流%に
言及した ことのある有名 なメソディス ト派の牧師
)及
び彼 の死後 は祖母 の影響 も受 けた。彼女 は信心深 いメソディス ト信徒で,彼
にはHer favourite text...was`come out froHl among thenl and be separate'.We Wesleyans were a chosen people,and we Winyes a subsection thereof,rather more chosen than
the rest,and under a special obhgation to keep ourselves unspotted froni the、 vorld.5
という教 えを示 していた。他 に,Royal Societyの フェロウで
,
″肋`レ
物θとこも記載 されて もい る有名 な動物学者Arthur Willeyは 彼の叔父である。叔父 は彼 に とっては「偉大 な英雄」であ り
,彼
が 意気阻喪 した時 には思い出 し彼の「模範,理
想」 として仰 ぎ見 た。 このように祖父,祖
母及 び叔父 を見て も,Willeyの
テーマ となった宗教 と科学 とい う格好 のテーマを生み出す家庭環境であった。 Willeyは『嵐が丘』の舞台 となったHaworth近
くのWillesdenとこ生 まれ,幼児期にSussex州のLeyton
鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 40巻 第
2号
(1989)に移転 し,次いで
5才
の時 には,Middlesex州のFinchleyとこ転出す る。彼 はそこの地元 の小学校で学ぶ ことになる。 その後
,彼
は11才の時 (1908年)HampSteadの
私立小学校 (Preparatory School― パブ リック・ スクールに進学す るための小学校)に
移 る。彼 は小学校 で も人 との交際 を毛嫌 いし,学校が引 けるとす ぐに家 に逃 げ帰 る。家 は彼 に とって「隠れ家」(`hiding place')と な り
,彼
に交際を求めようとす る人 は
,彼
の「幸福 と平和 を威嚇す る人」(`a threat to nv peace and happiness')と見なしていた。彼 の充実 した時間,「時点」とはピアノの練習 と瞑想 のそれである。彼 はDickens, Hardy,Milton,Shakespeareと 読 み
,な
かで もDickensを 最 も好 んでいた。彼 はなぜ これほどまで に読書 をした り,音
楽 を好 んだか と言 えば,こ
のように過 ごす孤独癖 の「子供 らし くない子供時代」 に不安がないか というとそうではな く,その不安が彼に絶 えず「何かを追求」(`in pursuit of somethingりさせた。 そうい う時間 こそWilleyに とって「喜び」「祝福」「至福」であ り,
It was heightened state of being,an intensified sense of life.6
となる。 またこの種 の追求 は彼 の趣味や彼の後々の研究 を決定づ けた と彼 自ら述べている。
Willeyは 15才の時 (1912年
),HamSteadに
あるUniversity College Schoolに 入学す る。パブ リッ ク・ スクールの この学校 に入学 した ことは「小道か ら大通 りへ出た」(`turnilag out of a side-lane into a mttor rOadり のような ものであった。 その学校 は大学進学 の予備門 と言 えようが,Willey
は名門大学の奨学金―
-OXford大
学,Cambridge大
学等の入学試験 に合格す ることは,各
大学の特 定のコレッジの特定の専攻 の奨学金 を獲得す ることを意味 した一― を取 るべ く勉学 にいそしむ こと になる。か くしてWilleyは「生徒長」 (SCh001 MOnitor)に 指名 された。相 当に学業成績が優秀であ つた とみてよい。彼 には目標 と刺激があった。既述 した彼 の祖父 と叔父である。彼 は時 には知的優 越感 を持 ったが,パ
ブ リック・ スクールで大 きいウエイ トをしめる運動競技 には向かなかった。 こ のことと,人
か ら遊離 した生活 をしたい性癖 は,時
には彼 に劣等感 を植 え付 けた。 彼 は「近代」(`MOdernり に関心 を持 った。「近代」 とはその学校 で はラテン語 (ラテン文学,古
代 ローマの歴史等)を
意味 し,「古典」 とはギ リシア語 (ギリシア文学,古
代 ギ リシアの歴史等)で
あつた。彼 は当初 ラテ ン語 とギ リシア語 を順次学び,その後大学で は古典語 を学ぶつ もりであった。 しか し科学 に非常な関心 を持 ち続 けたために,彼
は終生「近代」か ら離れ ることにはな らなかった。 「科学 とは偽装 された小説であ り,詩
にす ぎなかった」7。 当時英語 。英文学奨学金 はなかったため, 最終学年 に彼が選 んだ道 は歴史 を専攻す ることであった。Willeyは大学入学試験 を受ける。最初 は歴史専攻の奨学金獲得のためOXfOrd大学のQueen'S COmege である。残念なが ら不合格。次 ぎにOXfOrd大学Chnst c。1legeを受 けるが これ も不合格。三度 目に
受験 したのは
Cambridge大
学Peterhouse Collegeで ある。 これ に幸 くも合格す る。1915年 12月の こ とである。その ときの様子 を彼 は次のように書 き記 している。It seemed too good to be true, like the intervention of angels at the Battle of the WIarne. But it 、vas evidently on the inscrutable agenda of Providence, for it has determined my whole subsequent career.
′
Great was the jubilation at home,and amongst my faithful adherents at School―
chief of、
vhom
、vas the Headmaster, who announced my success to the assembled School in trumpet tones,whereas he had(most unJustly)announced that of a recent1岡村 俊 明:The Cambridge English SchOol(3)
predecessor on a low register and with acidity,8
どこにで も見 られ る大学入試合格 の喜 び と言 って しまえばそれ までだが
,彼
には別 の思い入れがあ ったので はなか ろうか。Willeyは,学
問の才能 はあるが大学教育 は受 けず不向 きな会社社長 をして いる父 を絶 えず想 い描 いていた こともあ り9,孤独癖 の強い彼 に とって,生
の実感 を持つ生 き方 とは 彼が生来持 っている「精神生活」 を,父
とは異な り職業 として も追求で きることの喜 びを感 じてい たのではないか と思われ る。翌年1916年
,Willeyは Cambridge大
学 に学生 として在籍 した まま,学
生軍事教練団員 (`Cadetりとして軍隊 に入団 し,1918年 に除隊す る時 には,西ヨークシャー軍団の中尉 となっていた。
Cambridge
大学Peterhouse Collegeと こ帰 って きたWilleyは
,歴
史学 を勉学 し,1920年
歴史学HOnOurs Degreeで First Classの成績 を取 る。卒業 はせず,大
学 に在籍 したまま,彼
は英文学 を学ぶ ことになる。その間の事情 を彼 は次のように書いている。
To switch Over from History to Englsh,as l did,was acadenlicaHy rash in 1920.The
new subject was very=nuch a Cinderena,and the elder sisters thought very lneanly of her.A/1any,indeed most,Of the Comeges had nO Fello、 v and no entrance scholarship in English,and discouraged their undergraduates frona taking it.10
Cambridge大学 における英文学 の学問 としての今 日的位置づけは根本的な変化 はない と思われるが,
学生数
,教
職員数で はともに最大 の学部 となった英文学部 と当時の状況 を比較すれば,今
昔の感 に うたれる。Willeyは個人子旨導(SuperViSOr)をAngio―
Saxon語
教授H.M.Chadwickに
相談 し,彼にJesus CollegeのE.M.W.Tillyardを 薦 めて もらい,Tillyardに引 き受 けて もらった。
We felt ourselves to be a happy band of pioneers,united by a common faith,despised perhaps by the older academics,but sure of triumph in a glorious future.11
と
,当
時彼 自身の気負いを語 っている。Willeyは,1921年
に英語 のHOnours Degreeの First Classの成績 を取 り
,Cambridge大
学 を卒業す る。卒業 はして も彼 には定職がなかった。母校Peterhottseや他のコレッジで個人指導 をした り,English Essayists及びSOme American Writersの講義 をする。 その講義 も大学に正式 に任命 されてするのではなかった。彼の地位 は`PrObationary Faculty Lecturer'
(今では廃止 されているが
)で
,い
わば非常勤講師であった。 その彼 に非常な好機が訪れた。 また それ とともにCambridge大
学英文科及びWilleyの 状況が大 きく変わ る変革が訪れた。それ は1928年のEnglish Tripos改正であ り
,そ
の改正 によ り,Cambridge English Schoolは それ までのFaculty of Medieval and Modern Languagesの 一部門か ら,独
立 したFaCulty of Englishへ と発展 をとげると同時に,Willeyに 関 して言 うな らば,`Q'が 主張 したEnglish Moralistsの 卒業試験及びそれに先立
つ講義が導入 され ることにな り,Willeyが それ を担当す ることになった。その講義 の概要 は,Willey によると
,次
の通 りである。Broadly,the synabus still follows(or did until 1964)the main lines he indicated. Beginning with the CIassical and Christian sources froln、 vhich our civilization springs
鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 40巻 第
2号 (1989) 173
(Plato,Aristode,the Bible)itinvited attention to what was tthought from time to time', on God,on Nature and on Human Life,by such Engnshmen as Hooker,Bacon, lilton,Hobbes,「rhe cambridge Platonists, Locke,Shaftsbury, 1■ume, Burke, Wordsworth, Coleridge, Carlyle, Newman, Mill, Arnold, Ruskin and others down to the present
age.¨.Moreover,the study of moralideas and their history not only helps to define the
spiritual climate of each age,the chmate which moulded its literature, but helps to make people more aware of those criteria by which all value,wllether in literature or in life,Inust ultilnately be judged.12
上記の引用か ら二つのことが言 えよう。一つ は
,Cambridge大
学英文学研究 は,こ
の卒業試験及び それに先立つ講義 により,「古典学」と同 じ く,宗
教,歴
史,哲
学 を包含す る体系 を持 つ ことになっ た こと,も
う一つ は,Winey自
身がElaglish Moralistsの 研究 お よび思想 の歴史 の研究 を本格的 に取り組む ことになった ことであろう。Tillyardは,
One can say that Winey made the Moransts paper and that the loralsts paper lnade
him.13
、と述べている通 りである。確か に
,そ
の後 のWilleyの 学問的発展及び大学 における地位 の確保 はこ れな くして は考 えられない。Willeyは1930年代 に入 ると
,研
究 に一層励 む こととなった。彼 は好 きな山歩 きもやめ,読
書 に,それ も代表的な作品 となるTttι ttυιη″効 筋‐働 η励ヮBα
G願
ク%プのための読書 に集 中す る。彼 によると
,こ
の著作 はT,S.Eliotの エ ッセイ,特
に「形而上学詩人論」,な
かで もJOhn Donneとその流れ を くむ詩人 たちの`inclusive sensibility'と `diSSOCiation of sensibility'に 影響 を受 けた。 こうした研究上の影響 とは別 に,EliotにたいしてはWilleyは 常 に距離 を置いていた。Willeyの恩師であるTlllyard
とある日
Cambridge効
外Granchesterの 散策 の折 り,Tillyardが,0中there was a ne、v chap called fr.s.Eliot for whom one should be on the look‐ out.14
と言って以来,Willeyも ある種 の警戒心 は持 っていた。Eliotは,「
Donneは
詩人 たるもののすべての特質 を備 えていた」15と大 いに持 ち上 げたが
,Miltonを
過小評価 し,「英詩の進展 を妨 げる万里 の長 城」16と批半Jし,またロマ ン派の詩人達 は無視 もすることとなった。こういうEliotの詩人達 の評価以外 に
,彼
の評論活動 は「私たちが打 ち立てた基盤 その ものを食 いつ くす反 自由主義,反
ロマ ン主義 の酸性雨」17のごときものにWilleyに は思 えたのである。Willeyは 更 に続 けて,All our basic valuations, an our presuppositions about God, Nature and h/1an, and
consequently our notions about poetry,were to be revised or even reversed.A/fan,we
now learnt either straight from T.E,Hulme or indirectly from Hulme through Eliot, 、vas not a well flowing with infinite and godhke potentiahties(the Romantic vie、v),but
a backet capable of holding iuSt SO much(and nO more)of What was poured into hiln
岡村俊明:The Cambridge English SchOOl(3)
consequently he was not to be sought in Nature but only in a Super‐ Nature separated from Nature by an unbridgeable metaphysical gulf. ′
rhe notiOn that man, and
especiany the child,is a heavenly visitant sent frOni On high to dwell awhile in a divine Universe,to co■ llnune with it and elaJoy it,and return through it tO God,was nOnsense.And if it was nonsense,so also was much of the poetry which presupposed it(a great
deal of English poetry).18
と言 ってい る。Willeyには珍 し く,強い調 子 で述 べ てい る上 の引用か ら言 える ように,WilleyはEliot の論文 か ら「感性 の分離」 とい う点 で影響 を受 けるこ とはあったが
,両
者 が 目指 して い た もの は大 き く異 なっていた。で は他 に誰がWilleyに 影響 を与 えたか と言 えば
,A.N.Whiteheadで
あ り,そ
の著 駐 ″勿εια%グ肋ι ″ο虎物 レレ ″ (1925)であ る。 その時 の状 況 をWilleyは次 の ように記 してい る。I can even remember the place and time wllen the flash ofinumination came to me;it was,of all incOngruous circumstances,while sitting reading Whitehead over a cup of
morning coffee in Lyons's Shop in Petty Curry,1「 here and then it da、vned on me that
`Truth'was nOt an of one kind;that`scientific truth'was not the、 vhOle of truthi that
poets and divines had access to regions Of it which were c10sed to mathematics and
physics,and that the intenectual history of the seventeenth century could be seen as the struggle of scientific truth to emancipate itself fronl rehgion and poetry and to clairn for itself unique validity.In the light of that idea l wrote my book.19
それ は感動 的で あ り
,ま
た テーマ も壮大 で あ る。 ここに科学 と宗教 と文学 を含 ん だ「思想 の歴史」 (hiStOry of idea)の 研究 が 出発 した。 これ はモ ラ リス トの研究 と並 んで,Willeyの
生 涯 の研究 テ ーマ となった。Willeyはそれ を1933年 に脱稿 し,1934年にChatto&Windus社
か ら出版 す る。それ は 「 背景研究 」 の著作 として は,世
界 で最 も優 れ た ものの一 つ と言 えよう。反響 も大 き く,こ
の ためCambridge大
学講 師 の補 充 が され た とき,彼
が任命 され た (1934年)。 長 い間 の不遇 な生活 がや っと報 われ た。好運 は続 いてや って くる といわれ る。1935年 に は,Willeyは
Cambridge大
学Pembroke
Collegeの フ ェロウに任命 され た。 コレ ッジの フェロウにな る ことは大学 (University)の講 師 にな った こ とと同 等,あ
るい はそれ以上 の意 味 を持 っていた。 彼 はこれ を人生 の 托urning point'と 称 し てい る。彼 はAt last l had been received into the main stream Of Cambridge life,I belonged at last, and belonged tO a community of friends and allles.I had a roon■ in College.20
と記 してい る。OXfordゃ Cambridgeに お い て は,コ レ ッジの フェロウになって初 めて
,所
属 意識 が で き,大
学 の`main stream'に 受 け入 れ られ た と感 じるの は無理 か らぬ ことで あ る。控 え 目なWilleyが
,実
力 もあ り,政
治力 もあ るCambridgeの人 た ちに伍 して,ま
た はそれ以上 に学 内外 の地位 に も 恵 まれ た こ とは,Willeyの華 や か で はな いが,ず
っ し りと重 みのある研究 の実力 に もよ るが,な
ん とい って も既述 したモ ラ リス トのペ ーパ ー の導入 で あ る とい える。それ によ り彼 はCambridge大
学 英文学部 に とって欠 かせ ない人物 にな ったので あ る。鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 40巻 第
2号
(1989)`Ellglish Moralists'の 生 み の親 で あ り,実質 的初代欽定教授 で あった`Q'が 1944年 80才 で死去す る。
この地位 は
2年
間空 白で あ ったが,1946年
2月Pembroke Collegeで,卒
業 生Matthew Hodgartと 雑談 を してい たWilleyのも とに一 通 の手紙 が届 いた。差 出人 は「首相」 で あ る。I opened it in wonderment,and was dumbfounded to read that Pri14e A/finister wished
to know whether l would allow him to recommend me to His A/1aieSty for apointment
to the Chair.I could nOt refrain frOm reading this out to A/1atthe、v,nOt without emotion, he、vas hus the first to hear the news.21
彼 は喜 んで それ を受託 した。 しか し圧 巻 はその報 告 を英語教室 の人達 に知 らせ る場面 で あ る。次 の ように書 かれて い る。
The announcement was made by my old and dear friend Stanley Bennett(hi圧 lSelf
about eight years rny senior),who,tactfuHy、 vaiting till the Board rneeting was about
to disperse, said `My coneagues win be glad to hear that someone has at last been appointed to the King Edward vI Professorship,and thatitis Basil Winey.`There was a moment's hush of astonishment, and then good breeding triumphed over other possible feeling and they gave me a hearty round of applause. Let me not be misunderstood here: I was never, either then or afterwards, made to feel that my appointment had disgrunted my coneagues. An of thenl were loyal and friendly throughout, and my embarrassment was mostly caused by my own diffidence. Still,
quite apart frorn this,I think that as a general principle itis rnuch easier for everybody
if a new professor can be appointed from outside. There is then much less
invidiousness.22
老 いた友人 Stanley Bennettの 配慮
,英
文 科 の人達 の温 か い支援 と羨望,Willeyの内向性 と穏 や か さ と優 しさ一― そ して,さ
ぐって みれ ば彼 の偽善者 ぶ りもないわ けで はない。 どんな に人 間が で きて いて も,あ
るい は人 間がで きて いれ ばい るほ ど,他
人 の羨望 の視線 を遮 断 して しまう意識 が うまれ て くるのだ ろうか。そ こに は大学講 師で あ る彼 の恩師Tlllyardも 同席 していた はずで あ る。Tillyard 自身 は彼 の著T物ゼ〃熔ι5物ε協 励″ において何 もその こ とに はふれていない。彼 に とって はそ こに 意味が あ る と思 われ る。 この教授就任 で大 き く変 わ った こ とは,彼 の仕事 の大半 を占めていたPembrOke College及び その 他 の コレ ッジのSurpervisionを や めた こ とで あ る。教授 は規 定 に よ り,個 人指導 はで きない,とWilley 自身が述 べ て い る。Willey自 身 が述 べ てい る ことで あ るが,全
精 力 を請 義 と著 作 に注 い だ としてい る。 男 ιE弛
挽形ιη励 働 %励 ヮB鉗
懃 傷%プ (1940)と 併 せ て,主
な ものだ けでハワ%ι″ι%励 働%励η S励″ゲιs(1949),′Иο陀 ハ″%ι″物 滋 θι%蕨 紗 S励″ケιs(1956),ε
ん力S力α%ゲ炒F務サα%″P/86・ι妨 (1952), 物 焼 α%″う羽″ (1959),TttιE筵
ぬ力″ο陶除 港(1964)で
あ る。学外 の活動 も当然 多 くな る。 1946年 英 国学 士院 でのThe Warton Lectureの講 議,翌
年 に はその フェロウ に選 出 され た。1948年にはMすncheste Universityょ りHOnorary Degrec of Litt,D.の 学位 を授与 された。三つの名F]校
Roydal
176 I岡村 俊HJl:The Cambridge English SchO01(3)
の理事 (governOr)も 務 めることとなった。 もちろん,English Facultyの 教授 は職潅上(ex offiCiO)
学部評議会(Faculty Board of Elaglish)の メンバーである。面 白いことは,彼はこれ以外 に
Cambridge
大学音楽学部評議会 (Faculty Board of Music)の メンバーであ り,そ
の議長 (itS Chairman)を 務 めた ことである。彼 は幼少の頃 よ リピアノを弾 き,そ
れ以来音楽 に強い関心 を持ち続 けていた。 彼 にとって音楽 を含 めて,Dickens,Shakespeareを
はじめ彼 の内なる芸術 に対 する強い関心 は,審
美的,感
覚的傾 向 とも一致す るところはあった と思われ るが,彼
の内なるもっ と強いモラ リス トと しての傾 向が彼 に一本 の道 を歩 ませたが,そ
こか らぶ とはみ出た感覚的脇道であると音楽 を捉 える と,Willeyの全体像が はっきりす ると筆者 には思われ る。抽象的 にな りかねない彼の研究 はこのよ うな裏打 ちがあるのである。Willeyは 次 にアメ リカの大学 (COlumbia大学 (1948年
)と
COrnen大学 (1953年))に
客員教授 と して招聘 され る。 その一つのCOlumbia大学の印象 について は彼 は次のように記 している。Columbia, I found, was a vast impersonal acadenlic power‐ station, rather like the University of London,to、 vhich some 50,000 students lnade their way each day,rnostly
by train, or sub、 vay,or in the evenings only,if their days were already taken up by
their iobs.23
イギ リスのOXfOrdゃ Cambridgeの ,いわば手作 りの少人数 の大学 と比 して,C01umbia大学 のマンモ ス大学ぶ りに驚 きを表 していると言 えよう。そこでの彼 の講義
,演
習 はCambridgeと 同 じもの,員「 ち17世紀,18世
紀,19世
紀研究 の講義 とモラ リス トの演習であった。Willeyは アメ リカで は,かってのCambridgeの 同僚,当時
Harvard大
学 の教授I.A.Richardsに も会 うこととなった。しか しもっ と面 白いのは,Arthur O.Loveioyと の出会 いである。HiStory of ldeasの世界 の両巨頭が出会 うわ けだが,それ は淡淡 と書かれてい る。Loveioy75才 の誕生 日のレセプショ ンで,Loveioyの教 え子でCOlumbiaの教授であるMariorie Nicolsonの 紹介で,Willeyが ス ピーチを することになったためだ。そのあ とLoveioyの 大学JOhn Hopkins Universityに Willeyは招聘 される。 Lovttoyが 駅 まで出迎 えて くれていた。
He was aH kindness and urbanity,but he looked like a Prussian general(hiS mOther was Gennan).Frorl beneath his thick,smooth grey hair and inilitary brow his blue
eyes pierced into one's inmOst being, and l felt that they could hardly fail to detect something shoddy or superficial in nine.24
Willeyは」ohn Hopkins大学で講義 の後
,Love,oyの
著書ESSりS励
励ι助 紗 げ 正d9盤 を署名入 り で贈呈 して くれた,とある。Willeyは Lovttoyの 人柄 や研究 についてのそれ以上の感想 は漏 らさない。Willeyの「底 の浅 さ」を見透か された感 じとのみ述べている。そ こがいかに もWilleyら しい と言 える。 Willeyは 1958年 か ら64年にか けて,彼が所属 していたPembroke Collegeの学長 を務 めることにな るが
,彼
は何等 それ について言及 していない。彼 の自伝 働%b湾
弛3α%ブ Ottθγ Zθ %θ%盗 が1920年 か ら1953年まで と時期 を明示 していることとも関係 あるが,彼
は「精神生活」 にもっ と強 く関心が あ り,学
長 とい う地位 は彼 にはそれほどまで書 くべ きことで はなかった とも思われ る。彼 は英文学 部の欽定教授 として,各
種委員会 の委員 を務 めたが,彼
は自ら,鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会 第40巻 第
2号
(1989) 177
It was sirnply that l considered rnyself a very poor hand at acadenlic statemanship,and felt embarassed by my inability to give the soro of lead which,as Professor,I rlight be expected to give.25としている。彼 は行政手腕が劣 ると自ら言 つているが
,ど
ち らか と言 えば彼 には生来的 に関心がな かったので はないか と思われ る。彼 の自伝 にはもちろん書かれていないが,Willeyは
1978年80才で 死去 した。第二章 恥e seyeげee月肋‐Ce,ryr/BacttrOVη Jに ついて
〈はじめに〉 Basil Willeyは
,実
質的な最初 の著作かつ代表作 となったT物を助υι%″ι励‐働%蕨ゅBαθ蜘 ク%″を 1934年に出版す る。本書 はCambridge大
学英文学部 における「17世紀 の生活 と思想」 と題す る彼 の 講義 を基 にした ものであ り,そ
の目的 は17世紀文学 の読者 にその時代 の知的背景 を知 らせ ることで あ り,特
に,詩
と宗教が当時の世論 仲limate Of Opinion')か ら受 けた影響 にたえず注意 を払 うこ とである。 この時代 は代表的思想家が事物 をあるが ままに見 ようとした時代であ り,真
実 と虚偽 の 思想が次の時代 の詩的,宗
教的思想 に決定的影響 を及ぼした時代である。Willeyの 目的 はこの影響 を研究す ることであ り,伝 統的信念及び特 に宗教的信念及び詩的信念が「冷 たい哲学 の影響」(`tOuCh of cOld philosophyり を受 け,そ
の際起 こった事柄 を研究す ることである。Willeyは,専
門の哲学 者 を対象 とするとい うより,文
学 の研究者,そ
れ も専門の研究者 ばか りでな く,詩
と宗教 (特に生きるとい うことに関 して
)が
重要な問題である人々すべてを対象 としている。 この研究が文学批評 の限界 をはみだ しているとの見解 に対 しては,Willey自 ら,In attempting to、vin a full understanding of the poetry of a period you are led to the
consideration of subjects which at first sight appear to have little bearing upon
poetry.26 と,T.S.Eliotの 言葉 を引用 して弁護 に努 めている。 この著作 は極 めて難解であ り
,正
直 の ところこの正確 な評価 は筆者 の力量 を超 えた ものである。16 世紀及び17世紀英文学研究者 の末端 に連 なっている筆者 は,その著作の重要性 は知 って はいたため, 学生時代 より手元 には持 っていたが,少
しは読 んで投 げ捨てていた書物 の一つである。 しか し,こ
の著作 をどれほどの人が読み こな しているか と考 えると,そ
れほ ど多 くの人で はないような気が し てならない。従 って,筆
者 の非力 を嘆 きつつ も,こ
の著作の筆者 な りの読 み と理解 を示すの も,あ
ながち意味無 しとはしない,
と思 った次第である。筆者な りのコメン トは適宜交 え,本
書並びに他 の著作の中心的な評価 は「Willeyの 評価」 の章 を独立 して立て,評
価 を試みたい と思 っている。本書 はThe ReiectiOn Of Scholasticism,Bacon and the Rchabilitation of Nature,Sir Thomas Browne, On Scriptural lnterpretation, The Philosophical Quest fOr Truth: Descartes, The Philosophical QueSt fOr Truth: Hobbes,The Rational′ rhe。1。gy: Lord Herbert of Cherbury,
Rational Theology: The Cambridge Platonists, Joseph Glanvill, The Heroic Poe■ l in a Scientific Age,John Locke,Worttworth and the Locke Traditionの 客揮妻か らヵ見り畳拡つてヤゝる。 この中の思想史的 またはWilleyの 論考 において歴史的転機 となるい くつかの論稿 を取 り上 げたい。
岡村 俊 明:The cambridge English School(3)
最初 に取 り上 げる章 は
,第
一章「スコラ哲学 の排除」(The ReiectiOn Of Scholasticism)で ある。 この章 においてWilleyは,17世
紀 ほ ど真理 に対す る説明の強い要求があった時代 はない,と
して いる。 このことは伝統的な説明 とその時代の必要性 との間に皿鯖があったが,そ
れ は科学的説明 こ そが真理 を明 らかにす る と考 える人々の要求があったか らである。 この時代 の際だった特色 は,形
而上学か ら物理学への関心の変化,換
言すれば,存
在 (Being)か ら生成(BecOming)に
対 す る関 心の変化である。すべての神秘が物理学で説明で きるわけではないが,物
理的。唯物論的説明が「事 実 として感 じられ」 いelt aS factり 始 めた。物理的説明 は「哲学的」説明であ り,他
の説明 は卑俗 で,迷
信的で,皮
相 的であ り,換
言すれば,ア
リス トテレス的あるい はス コラ的である一― そうい う動向になった。 なぜスコラ哲学 は真理探求 の障壁 になるか といえば,そ
れ は実験的手法 による研究 を奨励 しない か らである。新 しい学問に とって,ス
コラ哲学的説明 とは,哲
学的衣 をまとった無知 に過 ぎない, と思われた。多 くの研究者 はこの時代 を真理 と理性が,虚
妄,迷
信 を打 ち破 った時代 として考 えて きたが,最
近 になって ようや く,
このように無批判的に科学的仮定 を受 け入れることに対 して反対の声があがっている。従って
,「とらわれない心」
(`greater detachment')でこの時代を研究しなけ
ればいけない,と
Willeyは 述べている。 で はスコラ哲学 は何か と言 えば,そ
れ は主 に形而上学的であ り,存
在,本
質,原
因及 び目的 に関 心 を持つ。子供が尋ね る「なぜ」,「どこか ら」,「誰が作 ったの」 とい うような質問,大
人 になると 忘れて しまう質問に似てい る。ス コラ哲学 はそれが存在 の科学であるが ゆえに,物
体 の形相,質
, 起源及び目的に関 して黒 白の鮮明 な説明 をす ることがで きる。 この特性 はスコラ哲学 は主 に二つの 伝統一下即 ち古代 の異教主義及 びローマのキ リス ト教―― の総合である,
という事実か ら生 まれた と言える。更 に具体的に言 えば,St Thomas Aquinasは AristotleをPaul及 びAugustineと 調和 させ,また形而上学 を啓示 と
,理
性 を信仰 と調和 させスコラ哲学 を大成 したのである。 そのスコラ哲学で は,信
仰 は理性 を超 えるが,理
性 と相容れない ことはない,この哲学 の主 な目的 は,理
性 は適切 な 対象に働 きかけると必ず信仰 に向か う ;知 性 の適切 な対象 とは存在 である:人間の適切 な研究対象 は神である,と
考 えられている。 これ に反 してルネ ッサ ンス時代 には,人
々 は新 しい人生の指針(anew life‐orientation)を 求 めた。 このことの一つは
,物
体 の制御である。従 って,物
体 の運動 を取り扱 う知識 こそ本物 の知識 だ とい うことにな り
,科
学的真実 こそ本物 の「真実」だ とい うこととな つた。 このようにして運動 の理念 こそ17世紀科学 のかなめ石 となった。Willeyは 次 にこの研究 の先 駆者であるGalileoとスコラ哲学の大成者St ThOmas Aquinasとを,ヒ較 している。St Thomas AquinasはAristotleにな らい運動 を形而上学の一分野 として取扱い,「顕勢力」(`acぱ)と「潜勢力」(`potencyり
によって運動 を論 じている。Willeyは, この理論 は経験的種類 (the empirical kind)の ものである か ら論駁す る必要 はない
,
としている。そ こか ら得 る大切 な ことは,そ
れ はある世界観 と一致 して いることである。一方
,GaHeoは
塔 の上か ら物体 を落下 させ,そ
の動 きを観察 した。その結果運動 に関す るスコラ哲学の理論 はなんの役 に も立たない
,
と彼 には思われた。彼 は「質」で はな く「量」に関心 を持 ち,また彼 は理性的体系 と一致 した理論 を形成す るとい うより
,時
間 と空間の中を物体が動 くその速度 を測定す ることに関心 を強 めた。この点でGalileolまAquinasと 大 き く異 なるといえる。そしてGalileoは時間 と空間に関 して
,落
下す る物体 の速度 を繰 り返 し測定 し,加
速 の法則一―「落下す る物体 の 速度 は落下す る時間に比例す る」27及び「物体が進 む距離 は時間の二乗 として増カロす る」28__を
得鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会 第 40巻 第
2号 (1989) 179
次にGalileoは望遠鏡で天体 も観測 し
,水
星や太陽の黒点 を発見 した。そのようにして得 られた知 識 はスコラ哲学的,理
性的推論 によって得 られた どの様 な結論 よ り確実である,と 彼 には思われた。 彼 イよ「考 え られ う る事 物」(`things‐as―they―can―be―conceivedり より,「あ る カミま ま てD事
物」(■hings―as―they‐are')に重 きをおいたのである。
Aquinasと 大 き く異なるGalileoの手法
,換
言すれば,ス
コラ哲学 を排除 したGalileoの「科学」は,Willeyに よれば
,利
益 ばか りもた らされたわ けで はない。実験 によって証明 され うる事実 を過度 に 重視す る点で,そ
れ は災 い となる。 もちろんWilleyは,ス
コラ哲学 を完全 に復興すべ しと主張 して いるので はないが,それがい くらか保存 されなければな らない。Willeyは 次のように提案 している。We may not want these`truth'theologicany and lnetaphysically expressed;but we do want to be able to experience reanty in all its rich multiphcity, instead of being condemned by the modern consciousness to go on
Viewing an obiectS,unremittingly
ln disconnnection dead and spiritless.29
このWilleyの 第一章での主張 は
,そ
れに続 く章及 び これ以外 の彼の著作の原点 をなす もので同 じ主 張が幾度か変奏曲 となって,後
にも繰 り返 されている。第二章 は「ベイコン及び自然 の復興」 (BacOn and the Rehabilitation of Nature)で ある。 Willeyに よれば
,Baconの
主張 した「真実」(`Truthり 及 び「実在」(`Realityり の意味 は単一ではな く
,あ
る種 の「真実」 を肯定す ることは,他
の種 の「真実」 を否定す ることにはな らない。真 実 は二つあること,即
ち宗教及 び科学の真実が あ り,両
者 は分離 してお くべ きである。 これ は次のように要約 されてい る。
Bacon's vie、vs on the twohold nature oftrruth are su■ lrlted up in the oft‐ quoted phrasei `It is therefore most wise soberly to render unto faith the things that are faitl■ 's.'From the`absurd Hlixture of matters divine and human'proceed heresies and`fantastical
philosophy'。 Science(`Philosophyり has hitherto been corrupted by the adn xture of theology,superstition,logic,fancy,or poetry,now we must try to have it pure.30
Willeyに よれば,宗教的真実 と科学的真実 を分離 したいBaCOnの要求 は,宗教 のため とい うよ り,科 学 のためである。なぜな らば,Baconは神学者 の偏見 によって科学 の発展 は阻害 されている と考 えた か らである。彼 は宗教が優勢な時代 に科学 のために弁 じていた
,
と言 えよう。彼 は学問の発展 に強 い関心 を持 っていたが,そ
れには科学 に対す る宗教 の反対 をまず封 じこめ,彼
が押 し進 める研究 は 信仰 と相容れない ことはない,そ
の ことをBaconは
示す必要があったのである。Baconは
その著 勁 ι4肋
α%θι物物 ナげL"物
姥 の冒頭 で,「禁 じられ た知識」(`fOrbidden
knowledgざ )と しての自然科学 に直面 している。神学者 は自然科学 に次のように反対 している,
と い うことである。.¨ `knowledge puffeth up',that it`hath somewhat ofthe serpent',that(in a wOrd)it Was
岡村俊 明:The Cambridge English School(3)
従 ってBaconの仕事 は,自然科学 とはメフィス トフェレス的で はな くプロミーシュス的であることを 証明す ることで もあった。
Willeyは
,BaCOnの
主張 は重要 な意味 を持 っていた,と指摘 している。なぜな ら,Baconは ,宗
教 と科学の和解の仕方 をそれ以降の科学者 に教 え,か
つ科学的理神論 を最初 に促進 したか らである。 自然 は悪魔的で はな く神 に似ていると主張 したの もBaconで
ぁる。彼 によれば,神は二つの聖典 によつて神 の御姿を人間 に示 した。一つ は聖書
,も
う一つ は神 の作 りた もうた宇宙である。従 って,自
然 を研究す ることは宗教 と相容れない ことはな く
,神
に対する義務である。BaCOnは
真の謙虚 とい うものを持 っていた。彼 は,`Nor could we hope to succeed,if we arrogantly searched for the sciences in the narrow cens of the human understanding,and not submissively in the wider world.'32
と
,述
べている。科学によって樹立された人間の王国に入ることは,「子供以外何人 もはいることのできない天の王国にはいること」に似ている
,
ということか らも彼の謙虚さが理解されよう。また 彼 は,Wisdom oft
ls nearer when we stoop than when we soar.33
とも主張 し
,極
端 な理性 論 (ratiOnalism)に 反対 し,「 賢明 な受容性」 (`WiSe passiveness')の 態度 を堅持 した。Willeyに よれば
,BacOnが
科学 に必要 だ とした謙虚 さは,John Keatsが強調 した「消極的でい ら れ る才能」(`negative capability')と類似 した ものである。即 ち,そ
れ は,不
確かな ことをその ま ま受 け取 り,そ
れ を事実 とした り,理
屈 をつけた りす るような焦燥 をまぬがれ,無
理 をしないでい られ る性質の ことである。こうい う才能 をShakespeareはふんだんに持ち合わせてい る。哲学者 とし てのBaconの
説明 に,大詩人 に特有 の才能説 を適用す るのが,いかにもWilleyら しい といえる。Willeyは文学 の「背景研究」 をしなが らも
,た
えず具体 的な文学 を念頭 においていたか らである。 さらに 続 けてWilleyは,大詩人 に共通 した才能 を持 ち合わせているBaconはィギ リスにおける科学運動 の予 言者,い
や詩人 と主張 している。Baconは,他
の科学者 と異 な り,実
験 をしなかったために,「事実 とした り理屈 をつけた りす る焦燥 をまぬがれ」34,精神 と外的世界 の結合 について自由に考 えるゆ と りがあった一一 これ も「消極的でい られ る才能」と結び付 いたBaconの特色である。Willeyは,BaCOn
論 を締 め くくるにあた り二種の謙虚 さ一一宗教 の謙虚 さと科学の謙虚 さ――がある,と述べている。
即 ち
,宗
教家 は「実在」(Beilag)に対 して謙虚であ り,科
学者 は「生成」(BecOmillg)に対 して謙 虚,と
言 うことにもなる。宗教 と科学 も謙虚 さな しには達成 されないが,「成果」(resultS')が畜積される と,
¨religion ceases to be sι 力
%顔
ca′秒humble,and science ceases to be 29妙 力郷ゲεα′か humble.「rhe hunlinty of each consists largely in keeping to its own sphere,andrecognizing the independent validity of the other.35
鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会 第 40巻 第
2号 (1989) 181
Science、vas undoubtedly、vhat was most needed at the beginning of the seventeenth
century,and,if one'so、 vn opinion is to be given,religion фut not SChOlasticis■1)is what
is rnost needed no、v.And、ve may gladly grant to the neo‐Cathoncs that St Thomas had more,and a more important kind of hunlinty than Bacon.`frO extend rnore widely the
hHlit of the po、ver and greatness of man' is not the ambition of the humble, and a certain magnificent arrogance,born of the Renaissance,appears in what we know of
Bacon's life,and still more reveahngly ln the rhythm of his sentences,36
と,述べている。このようなWilleyの 宗教及ぴ科学 に共通 した謙虚 さの主張 は,単に
Bacon論
にとど まらず,彼
自身の年来 の主張で もある。しか し,Willeyは彼 自身 の主張 を先取 りして,BaCOn像
を歪 めて描いているので はな くて,Willeyは
あ くまで公平無私 に披いなが ら両者 の主張が重なっている ことが,Willeyの
研究 の手 ごたえのあるところである。第五章 は「真理の哲学的探究― デカル ト」 (The Philosophical Quest for Truthi Descartes)で ある。 Willeyに よれば
,17世
紀 は真理探究 の二種類 の確実性 (Certainty)一 一客観的 または外的なもの と主観的 または内的な もの一― を発見 した。外的な世界 に関 して は,因
果関係 の仕組 みの説明 は最 も真なるものであ り,か
つ事物 の特性 の うち最 も真 なるもの は数学的に表現 された ものである。一 方,内的(主観的)確実性 は,宗教 と倫理学 の分野 に該当す る。その真理 とは,「内的光」(lnner light'), 「理性」,「倫理観」及 び「良識」 によって裏付 けられた ものを意味す る。この二つの確実性 は,Descartesの外延 (Extention)(ま た は物体
)及
び思考(ThOught)(精
神 または魂)論に対応す る。 そのDescartesは 出発点 として,第
一 に一般的に受 け入れ られた意見,第
二 に感覚資料(Sense‐data)の 真実性 を,できるかぎり完全なまでに疑 うこととした。同 烙サ
M8議
協肪%sにおいて
,彼
はこれ までの全ての確信 (beliefS)を疑 い,疑
うことので きない ものに到達す るまで 疑い続 けている。 この ように疑 い続 けて彼 は膨ιο%″ 〃力物蒻θηsとこおいては,疑
うことので きないもの
,即
ち彼 自身 の存在 (hiS OWn e stence)を発見 した。疑 うために,踊
され るために私 は存在 する,そ
れで はこの「私」とは一体何者 なのか。Willeyは Descartesの 思想 のエ ッセ ンスを次のよう に述べている。A励
婉臓電 thing,じ9gケ娩 ιぞοS%%・ That is to say,not only is this consciousness ofself‐existence the first and most indubitable of all truths,but I,as a チカゲ%乃ゲη♂ being,
must be of a non―Fnaterial nature.37
哲学史的 には,こ れ はよ く知 られているところで はあるので,Willeyの Descartes論 で特異な点 とは な らない。この説 を踏 まえて これ以降がWilleyの説 とな ろう。Descartesの 次の関心 は
,彼
が打 ち壊 した世界 を再構築す ることである。彼が これ までその存在 を疑 った外的対象物 の世界 について確実 なものは何か。 とりあえず,彼
ははつきりと理解 され うるものは真実在(true)であると考 えた。 し か しそれ らは「実在」していないにかかわ らず,誤
ってそ う判断 され る場合がある。「私」が対象物 を発見す る時 には,そ
れ らは「私」とは別 な存在物であるにかかわ らず,「私」が媒介 となっている か らである。で は「私」が媒介物 とな らないものは何かと そ こでDescartesは 神 の存在 について考 え岡村俊明 :The cambridge ElaglisII School(3)
る。神の存在 について「私 自身」 の知覚 は「私 自身」 についての「私」の知覚 の前提条件である。 なぜな ら「私」 よ りもっ と完全 な存在 について「私」が考 えていなければ
,不
完全 な,疑
う存在 と しての「私 自身」 を「私」が考 え出す ことがで きるのか。 この ようにしてDescartesは,…he idea of a beilag more perfect that[s〃 ]myself must of necessity have proceeded from a being in realty more perfect.38
と
,考
えた。Descartesの,「私 自身」の存在 についての「私」の確信及び神 の存在 についての「私」 の確信 は最 も重要な確信 といえる。Willeyは 続 けて,…from these[the tWO Certainties]we Can also der e certainty hat the obiects Of
mathematical thought are real.39
と
,述
べている。外 には
,数
学的法則 によって支配 された数学的対象物 か らなる無限の空間がある。内には,広
が りを持たない,数
学的法則 に支配 されない,思
考す る真 なる「私」がある。Descartesは 次のような 確信 を持 った。¨.that`I'ani notrny body or any part ofit,that rny thinking self can be conceived apart altogether frOni the body,and that thus my soul rnay be i■ 1=nortal.40
これ は魂 と肉体 を峻別す る二元論である。共 に関係 のない両者が
,共
に依拠 しょうとして神の存在 が ここで も要請 され るb神
は世界がひ とりでに動 くように世界 を作 ったが,神
のたえざる干渉 な く しては,人
間が行動す ることも知覚することもで きない ように人間 を作 った。17世紀の哲学 におい て,神
は必要な前提 だったのである。 Willeyに よれば,Descartesの学説の特色 は,それ はスコラ派 の伝統 とは完全 な断絶があるが,宗
教の主な構造 には手 を付 けずにいた ことである。彼の新 しい思想 は有神論 を拶F斥す るどころか,そ
れを前提 とした。宗教 と哲学の融合 を目指 したCambridge Platonistsが 彼 の学説 に引 き付 けられた のはこのためである。しか し結局 は,Descartesの 影響 は宗教 に とって不利であ り,同
時 に詩 に とっ て も不利 である。Willeyの 主張す るDescartesと 詩の結合 はここか ら始 まる。 Willeyに よれば,18世
紀の初 めには宗教 は理神論 になって しまい,詩
は「喜び」(delight)を満た す もの となって しまった。Descartesの 精神が,散
文 と詩 の領域 の分離 に貢献 し,そ
れによってT.S. Eliotが,形
而上学詩人 の時代以降起 こった と指摘 した「感性 の分離」(`diSSOCiation of sensib ty')を促進 した。それ以降「価値」 と「事実」
,人
間 として詩人 として「感 じた」ことと判断力 のある人 間 として「考 えた」 ことの分離 も見 られ るようになった。John Donneや Sir Thomas Bronwneの
ように
,詩
で も散文で も考 え,同
時 に感ず ることがで きな くな り,彼
らは散文的に考 え,詩
的に感 ずるようになった。散文 は真 なるものを伝 え,詩
は喜 びを伝 えるもの となった。Descartes以 降 は,詩人達 は真 なるざるものを書いてい るという認識である。
では,Descartesが特定 の作家 の思想 に直接的な影響 を与 えたか とい うと,Willeyはその断定 を躊 躇 している。彼 の主張 は,Descartesが中心的存在であったその時代 の知的動向 は疑 い もな く影響 を
鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会 第40巻 第
2号
(1989) 183
与えた,に
留めている。 このWilleyの説 は穏当 と言えよう。17世紀中葉以降の文学的発展 はDescartesの思想 と著 しい類似性 を示 している。彼が主張した明晰 な理性や思想及び彼の著作物の数学的明晰性 は散文や良識 を好むその時代の趨勢 ともな り
,一
方形 而上詩 に対する反発 を強めてい く。従 つて,Drydenと
Donneの 違いは,Descartesの 世界観 とスコ ラ哲学の違いに類似 している。工政復興期以降の秩序及び正確さは,Descartesの思考の数学的規則 性及び完全性を写 していると言えよう。Willeyの Descartes論はきわめてユニークであり
,大
きいスケールの文学論,特
に「感性の分離」 論はそうであり,それはT.S,Eliotと は違った形で,文学の感受性の基本的構造 を明 らかにしている。 第六章 は「哲学的真理の探究― ホッブス論」 (The Phi10sophical QueSt fOr Truth:Hobbes)で ある。HobbeSの
思想 は彼の著書Lιυカチ励ηとこ端的に表示されていると考えて,Willeyはこの章の冒頭に, attι %ηヵι密らチ協チ亀 肋ι初力θ形物岱sげ
α〃肋嘘Sナ協チαtt λ εθゅθttαちチ協ケぬ カ sのヶbθあらαη″ ′物肋 肋ι″ '解 ι%s力ηsげ
%坐
フゲ蕨所ら ηαttι妙 ″ngれ,う躍α″サあ αηプ 所妙チ々 αJSο,9υιヮ タαオ9/うθ力 λ ′力ι″λι bθあヶαηブ協肋 肋ιカカを″ケ吻ο%s力勿弓α%″ εθηdι?πι%チ秒 ιυιっ つα力 てア 励ι%%力ιttι λ うθあちα%″ し娩tωカカカλ ttοチうοτtt ληθ ″オ げ 励ι%%力ιttιf α紹′うι翻熔ι ttι 夕η力ιttι λα′ちチ協チ″力〃力λ%θ 夕α″9/″ λ ηθ励堤 ぅα%′ ∂οηsισクι%サウ ηθ初力ο%.(Lιυカサテ筋η,Chapter 46)41 と引用 している。HObbesに とって,宇
宙 は物質か ら成 り立ってお り,実
在 を持つ ものはみな物質で あり,物
質でないものは実在 していない。Hobbesは
「ア リス トテレス的」(`Aristotelityり教義及びその支持者 を侮辱 した。スコラ哲学者及 び4申学者 は彼にとつては狂人 に過 ぎない と考 えたほどである。HObbesに
とつて「物体」(bOdy)か
ら成 り立つただ一つの実在的世界があり,「物体」以外のものは「暗闇の王国」(`kingdom of darkness')に属し,そ こでは妖精や亡霊が住んでいる。彼によれば
,「物体」は空間に位置し
,分
割できないも
のであ り,動
くものである。「物体」及 びそれ と対照的な「実在」についてのHObbesの
主張 を,Willey
は ,What Hobbes seems to leave unquestioned isナ 協チカι力%ο″s ttι %ι2%″
T`ア
物筋″ι〆 θγ りθ力l lt iS as certain,for him,that`body'mealls what is real as that`entity'Or`being'means nothing.Followillg Hobbes's own method of analysis,we might say that words like`body'and`real'were names referring to all that interested hirn,all that
seemed to hini、 vorthy of the attention of hi14Self Or any other sane beillg.42
と述べている。
次に
,Willeyは Hobbesの
魂 (The sOul)に ついて論述す る。物体(matter)と 魂 を実在す る(real)と認 め
,非
物質的 (immaterial)な思考す る自我 (thiking`ego')を 論理 の出発点 としたDescartesは
,そ
こか ら神 の存在 についての確信及 び世界 についての確信 を得 るに至 ったが,こ
の二元論 には 不都合(incOllVenience)な 面 もあった。 その結果,Descartesの体系 における物体 と精神 の対立 は物岡村 俊 明:The cambridge Elaglish SchOOl(3)
が選んだのは前者である。HObbesに とって「物体」こそ実在性 を持 ち
,り
F物質的存在 としての魂」 いoul'as an tnmaterial substance')は 空間 に占める位置 も運動 も持 たない「意味 のない音」 (`insignificant sOunds')に す ぎない。か くして,そ
れ までの力強い思想体系 の最後 の砦 は機械的, 物質的攻撃 の前 に崩れて しまう。 Willeyに よれば,こ
れ までの伝統 (プラ トン的,ア
リス トテレス的 またはキ リス ト教的であろう とも)は ,精
神的存在 としての魂 のために弁 じて きた。17世紀 において,そ
の伝統 を体系的 に否定 することは生易 しい ことで はなか った。Hobbesは
それ をやってのけたのである。彼 によれば,思
想 は物体 の運動 の一形式であ り,「私」の「考 え」(ideasり は「私」の脳 または神経 とい う物体 におけ る振動である。HObbesの
説明で は,知
覚の原因 は知覚 の「機関」(`Organ')に作用 す る外的物体 の 運動である。 その外的な物体 とは運動 している状態の物体 の「粒子」(particles)か ら「実体的 に」 構成 されてお り,こ れ らの運動 は物体 との接触,ま たは視覚 とい う媒介 を通 じて最初 に感覚器官に, その後,脳
に伝達 される一一 そ こで はそれに対応す る運動 は私たちの「思想」である見かけだけの もの (Seemings)を生み出す。 そこでWilleyはHObbesの
“.ヽ7hateVer accidents or quanties our senses make us think there be in the、 vorld,they
be not there,but are seemings and apparitions only:励 ι励腕
gs,協
t ttαtt ακ 力 肋ι初 ογ′″ 初 ゲサんθタチ 痰ら α紀 励 θsι ttθ,力%s妙 ″力ん力 肋 容 ι sι ι%曜 S'拓O η ttιtt rrFpttα% ハし″%ら Ch.2)43
の説 を引用 してい る。 この意味 で
HObbesは
「 霊魂死滅論者」(mOrtalist)でぁ る。彼 に とって,肉
体 の死 こそ人 間の死であ り,肉 体 とは肉体 に付 随する「生」のみを意味 した。WilleyはHObbesttLι婉 筋η か ら,
That the sou1 0f man is in its O、vn nature eternal,and a living creature independent of
the body,or that any mere man is immortЛ Otherwise than by thettesurrecdon in the last day except Enoch and Elias,is a doctrine not apparent in Scripture.(Lι υ力,娩η,Ch.
38)44 を引用 して
,そ
れ までの思想 の伝統 は,聖
書 にもその出典 を見ない ものだ,
と断 じてい る。 で はHobbesと聖書の関係 はどうなのか。Willeyに よれば,17世
紀 のいかなる思想家 も,キ
リス ト 教の教義及 び聖書の絶対的権威 を当然 の もの として受 け入れていた。Hobbesと て例外で はない。し か し彼 の思想 の原理 とキ リス ト教思想 の原理 には相容れない点がな くはない。とい うのは,彼が人々 の精神か ら駆逐 しょうとしていた「間違 い」 (FerrOr)の うちで,「宗教」とい う項 目(キリス ト教 の 教義,聖
書及 び教会)で総括 されている信仰 は最 も厄介な問題 だった。 しか し,Hobbesは
宗教 に正 面攻撃 を仕掛 ける意図 はなかった。気質的に臆病であった し,殉
教者 になるつ も りもなか ったか ら である。君主 に命 じられた宗教 を信 じることは,た
とえ真実がその宗教 と相容れな くとも,彼
によ れば,「政治的義務」(politiCal obligation)で あった。Hobbesは
自身の信念 と著 し く異 なっている 教義,伝
説 な どにこのようにして順応 している。Willeyは,Hobbesの
宗教,特
に聖書 についての態 度 を,鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会 第 40巻 第
2号
(1989)It was impracticable for IIobbes,as indeeS it had prOved for most people untilthe tilne of his rnodern disciples the Soviet rulers,to`boot the Bible into the dustbin'.And yet it would have saved hil■ a great deal of trouble and hypocrisy if he could have done so. For the Bible, or rather the contemporary attitude towards it, was perhaps the greatest of the obstacles to the`exantlation of′rruth'.45
と述 べてい る。
この章でWilleyが明 らか にしていることは,Descartesの 伝 統 に一 つの発 展 的解 決策 を与 えた
HObbes
の「物質 的」「霊魂死滅論 」につ いての論述 で あ り,そ
れが将来 引 き起 こす で あ ろ う論 争へ の暗示 ば か りでな く,HObbesの
論 考 が必 然 的 に指 し示 したで あ ろ うが,結
果 として は曖昧 とした ままの宗教 及 び聖書 についての解釈 が,真
理 の解釈 を巡 って将来発展す るで あ ろ う暗示で もあ る。Willeyの 説 の本質 か ら言 えば,彼
はHObbeSに
賛成 とい うわ けで はないが,彼
は どの様 な場合 で も公平 に論 じる こ とがで きた,
と言 え よう。第八章は
「理性的神学理論十一ケンブリッジ大学プラトン主義神学者達」
(Rational Theologr The Cambridge Platonists)である。
The Cambridge Platonists(John smith,Ralph Cudworth,Henry More等
)の
出発点 はHObbes
を論駁することであった。彼 らはHObbeSの
物質主義論 (materialism)を 批判 し,精
神 の「実在性」(reality)を主張 した。彼 らは宗教心 に篤 く
,聖
者 にも似 た人達であ り,狂
心的熱狂や無分別 な偽 善 に反対 して,
大学の内 と外で,
敬虔 な心 と理性的宗教 (ratiOnal religion)を 失わないよう説 き 続 けた。彼 らは主 にピュ リタンであ り,「清教徒の神学校」(るeminary of Puritans')と 考 えられていたCambridge大 学Emmanuel Collegeに所属 して,王政復興期以降の教条的解釈 を主張するのでは な く,JOhn Miltonや George Foxたち とともに
,プ
ロテスタン トの思想 を明 らかにし,理
性的傾向 を強めていた。彼 らにとって,特
にWhiChcoteに とって,理
性 とは「主の光」(`the Candle of the Lordりであ り,理
性 に従 うことはJohn smithも 主張 したように,神
に従 うことである。Willeyの 説 をそのまま以下 に引用 しよう。`Fomow Reason'was an illJunction having,frona their standpoist,a twofold apphcation to the special needs of the age.It meant, on the one hand, `think philosophically'一 一 regard as real only such things as were real to Plato.But it was no mere intellectual emancipation which they advocated.They would have less faithfully interpreted their master had they not gone on to insist,as they did,that the pursuit of`Truth'involved the purification of the heart and the disciphning of the will,only the pure in heart could see God.`Nothillg is the true improvement of our rational faculthes',said Whichcote, `but the exercise of the several virtues of sobriety, modesty, gentleness, humility, obedience to God,and charity to men'.46
この ように して,Cambridge Platonistsは ,Platoの形而上 学 の中 に
,HObbesの
物 質 主義論 に反対 す る砦 を築 いた し,ま
た,モ
ラ リス トの説教者 として,彼
らはPlatOの なか に,行
動 こそ信 条 よ り重 要 とい うメ ッセー ジ を発 見 した。Willeyに よれ ば,科
学 (哲学)の
目的 とは実在 の世界 を知 り,そ
れ を支配 す るこ とで あ るが,何
世 紀 もの あい だ人 々 はむ な しい思 索 に精 力 を浪費 して きた。一方,1岡イ寸俊明 :The Cambridge Englsh School(3)
宗教の目的 は
,神
の特質 を持 った人間 を作 り出す ことであるが,何
世紀 ものあいだ人々 は教義論争 を空 しくして きた。Cambridge Platonistsで ぁるWhiChcoteと Smithの目的 は,The aim of WhichcOte and Smith in thier preaching was to`can men offfrom dOgmas
and barren speculation'. and to urge theni to fix upon the `Rear, that is,to devote themselves,in a spirit of chastened`reasonableness',to the pursuit of sweetness and
hght.47
である。Willeyは このあ と,Cambridge Platonistsの 思想的特質 について論述 している。その一人 Smithは
,反
スコラ主義者であ り,モラ リス トであるが,彼
に とって神 を知 ることは最 も実在的なも の (WhatiS mOst real)を 知 ることである。彼 にとって,神
の存在 は自然 の秩序か らも人間の道徳 観か らも証明で きる。 もう一人 のCambridge PIatonistsのMOreに
とって,「精神」(るpiriぱ)の実在は知的確信以上 の ものであ り
,即
ち,経
験 したものであった。従 って,神
を知 る道 は,熱
心 に読書 をした り,思
索 をす ることで はな くて,心
を清め,あ
らゆる種類 の悪徳 を追 い払 うことであった。MOreに
とって,「死 んで こそ生 を生 きること」(`dying int0 1ife')とは,「普通 の自我 の意志」 を捨 て去 り,神の意志が全てであるような意識 を持つ ことなのである。もう一人 のCambridge PIatonists のRalph Cudworthに とって は,他
のネ申学者 と同 じように,出
発点 はHObbeSの
物質主義理論 に反対 し,そ
の理論 は実在 についての完全 な説明 をしていない一― そのことを証明することであった。即 ち,HObbesは
「物体」(`bOdyり の実在性 を主張 したが,Cudworthは
財き神」(`Spiritり の実在性 を主張 した。
Cudworthの
この主張 は詩論 (the theory of poetry)に強い影響 を与 えることとなった。 次にWilleyの説明 を引用 しよう。It 、vill dOubtless have Occurred to readers of CudwOrth that in his account of knowledge we have some of the matenals for a theory of the`imagination'akin to
Coleridge's,The view that there is`as much reality in fancy and consciousness as in local rnotion'involves the greater part of、 vhat Coleridge,in the philosophical chapters
of the拗
力ぢヵLゲ形夕,力α and elsewhere,was labouring to demonstrate.48Willeyの最 も尊敬す る詩人 は
,Wordsworthと
並んでColeridgeで ある と思われ るが,COleridgeの 文学理論 をCambridge Platonistsに 対す るこのような視点で捉 えているのは大変興味深い と言 えよう。 第十章 は「科学 の時代 における英雄詩」 (The HerOic Poem in a Scientific Age)で ある。
Willeyによれイれ ルネッサンス以降の英詩の展開は科学の発展 と一致する。「科学的」(`phi10SOphical') な世界観が古い世界観 に とって変わ ろうとした17世紀 においては,「真理」と「虚構」の境界 は