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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題   私ども著述家は夜なべ仕事の所産に付ける序文を、親愛なる読者諸賢、あるいは、いとやんごとなき 江 こう 湖 こ の皆様に 通常奉呈つかまつるもの。が、私は幾つかの妥当な理由からかかる慣わしを断念いたします。ちゃんとした観点に立 っ て く だ さ る よ う 読 者 に あ え て 慫 しょう 慂 よう い た し た り、 多 く の 者 が や る こ と で す が、 柄 ル ネ ッ ト 付 き 観 劇 眼 鏡 や 眼 鏡 を 用 意 し て 読 者 を お 迎 え い た す ほ ど 私 は あ つ か ま し く あ り ま せ ん。 な ぜ な ら こ う し た 行 為 は 畢 ひ っ き ょ う 竟 、 本 の 読 み 手 な ど 一 人 残 ら ず 近 ちか 眼 め だ、 と 決 め つ け て い る よ う な も の。 ま た、 己 おの が 作 品 を 得 と く と く 得 と 自 慢 す る ほ ど 嗜 たしな み に 欠 け て い る わ け で は あ り ま せ ん し、いとやんごとなき江湖の皆様に序文で声を張り上げるにははにかみ屋過ぎます。皆様、市場で品物の呼び売りを

著『

 

まえがき四編

鈴木滿

訳・注・解題

・ムゼーウス著

 

我が畏友、思想家にして、**市の聖ゼー

ルト教

(( (

 

聖物保管

(( (

ダーフィト・ルンケル殿に捧げる緒言

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 やっている行商人 風 ふ 情 ぜい にいやいやご注意をお向けあそばす、といったあんばいなのですから。そこで私は、畏敬する 友よ、作家として抱えている関心事のうち目下心に懸かっていることをただ貴下のみと論ずる所存。   私が──全ドイツもまたしかりですが──貴下を存じ上げるに至ったのはダニエル・ホドヴィエツキ イ (( ( のお蔭に他 な り ま せ ん( 1 )。 そ の 際 貴 下 の ご 容 貌 (( ( が 大 い に 私 の 気 を 惹 き、 た め に 私 は 貴 下 の 精 ガ イ ス ト 神 が 有 す る 様 様 な 能 力 に ぞ っ こ ん惚れ込んだ次第。貴下の目つきで狡猾かつ詮索好きでいらっしゃることがまざまざと分かります。丸い、ぐっと前 に 張 り 出 し た 額 は、 理 性 と い う 黄 金 の 林 りん 檎 ご が 三 つ の 精 オ ペ ラ テ ィ オ ネ ・ メ ン テ ィ ス 神 活 動 を (( ( 行 う た め に 十 二 分 の 余 地 が あ る 白 銀 の 深 鉢 で す し、つんと反った鼻は遠くから臭いを嗅ぎつけるたぐいでしょう。薄い唇と尖った 頤 おとがい ──これはしかしながらどち らも精神的諸特性よりも心情的諸特性を示唆しているかな。従って私はこれについて判断を下すことは差し控え、吟 味 検 証 は、 私 が 初 め て ご 知 遇 を 辱 かたじ け な く し た 折、 貴 下 が 求 愛 を な さ っ て お ら れ た お 相 手 で あ る い と し き 人、 あ る い は、今はご配偶になられたか、とも存ずるお方にお任せいたします。お申込みはなる ほ ど一言も聴こえはしませなん だが、貴下の身ごなし総体から推察つかまつるに、あれは高い 次 テ ノ ー ル 中音 で (( ( 開陳、加うるに、一語一語理性の秤皿で計量 した言葉を大いに慎重かつ精確に薄い唇から洩らされたのでしょうね。   かような諸能力に恵まれておられるなら、貴下は、眼前にご覧の小著に関し、私の心情を吐露するのに願ってもな い人物でいらっしゃる。   もし貴下がありきたりの型の聖物管理係──これは取りも直さず普通人のお一人ということですが──でいらっし ゃるなら、書名をちょいと眺めた時、やりきれない物思いが貴下の脳裡に浮かんだかも。いわく、こんながらくた、 何 の 役 に 立 つ ん だ。 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 な ん て の は、 子 ど も た ち を お と な し く 眠 ら せ る た め に 考 え 出 さ れ た お ふ ざ け だ が、 分 別 の ある世間様全般を楽しませるものじゃあない、とね。しかしながら、事をもっとよく調べもなさらず、そうしたひど

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 く歪んだ見解を下してしまう、というのは貴下には似合わぬ仕儀、と貴下のご容貌が私に保証しております。思弁的 頭脳の持ち主にして人間観察者たる貴下のこと、人間の 精 ガイスト 神 は仕事と楽しみを絶えず追求しているが、その隣人にし て同居人たる胃袋が飲食を欲する場合と全く同様、ああだ、こうだ、との選り好みはあまりしない、との観察を疑い も無くとっくになさったことでしょう。しかしながら、どちらも、むかつきとうんざりを回避するため、時折は変化 を要求する、ということもね。 精 ガイスト 神 の快適な仕事と楽しみ向けに定められている当今流行の書物がどんな具合になっ ているか、お分かりになるだけの多大な文学的知識を貴下はお持ちのはず。そうではなくて、聖ゼー バ ルト教会の鍵 類管理のご職務が──こりゃ、さもありなん、ですが──貴下の認識を広める障害となっていたとすれば、この最近 十年というもの、 流 は や り 行 の書籍産業においてはげに厭わしき感傷愛好癖が蔓 延 (( ( 、ために、我がドイツの三文文士諸氏の 心の衝動が巻き起こした嵐が読書界に 数 あ ま た 多 の多情多恨の出版物を吹き送り、その数たるや、昔むかし南の熱風が葦の 海から 鶉 うずら の群をイスラエルの民の宿営地に投げ落とし た (( ( よりも夥しい、と貴下に告げるに 吝 やぶさ かでありません。しか り 而 しこう し て、 往 古 の イ ス ラ エ ル の 民 同 様、 ド イ ツ の 読 者 た ち も こ う し た 粗 食 に む か つ き、 楽 し み に 対 す る 時 代 の 欲 求 に 従 い、 変 化 を 渇 望 し て い る の も 別 段 訝 いぶか し く は な い で す ね。 か よ う な 願 望 を 叶 え る の は ま こ と に 安 易 簡 単。 私 見 な がら、暫時五官を憩わせ、めそめそした 緩 ア ダ ー ジ オ 徐曲 に (( ( けりをつけ、 空 ファンタジー 想力 という魔法の 角 ランタン 灯 [幻灯機 ] ((( ( によって、退屈し きっている世間の皆様を壁に映る美しい影絵の数数でしばし楽しませる時機が到来したのではありますまいか。   我 が 畏 敬 す る ル ン ケ ル 殿、 空 フ ァ ン タ ジ ー 想 力 な る 玩 具 が 精 ガ イ ス ト 神 に も 十 全 な 楽 し み を 与 え て く れ る も の か ね、 と か、 あ る い は、 肯 こうけい 綮 に当たる別の言い方をすれば、 民 フォルクスメルヒェン 話 が読書界において多情多恨文学に比肩するだろうか、などと貴下が疑 念を起こされるなら、人間学に極めて無知無学なることを露呈なさったことになりましょうぞ。さような疑念は人間 の 魂 ゼーレ [ 心 情 ] の 性 質 を こ れ ま で ろ く す っ ぽ 考 究 な さ っ た こ と が な い 証 拠。 考 究 な さ っ た の で あ れ ば、 貴 下 は 経 験 か

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 ら 以 下 の こ と を 学 ば れ た は ず な の で す か ら。 す な わ ち、 空 フ ァ ン タ ジ ー 想 力 こ そ 取 り も 直 さ ず 人 間 精 ガ イ ス ト 神 の 最 愛 の 幼 な 友 だ ち、 魂 ゼーレ がいとけない 莢 さや から萌え 初 そ めてより、晩年肉体諸器官が 涸 か れ萎びるまで、生涯を通じて最も信頼できる仲間なのです。 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 が、 つ ま り 不 思 議 な お 話 が 空 フ ァ ン タ ジ ー 想 力 を 煽 り 立 て る と、 子 ど も は お 人 形 や 木 馬 や 太 鼓 と い っ た お 気 に 入 り の 玩 具 を 放り捨て、横丁一番の腕白小僧でも静かにおとなしく座って、何時間も一心不乱に注意を払い、じっと聴いているで はありませんか。本当のできごとが語られると飽き飽きしてしまい、できればすぐさまかの有益なシュレックか ら ((( ( 逃 げ出してしまうのにですよ。不思議なこと、 突 とっ 拍 ぴょう 子 し もないことへの愛着は私たちの 魂 ゼーレ の奥底に根ざしているので、 決 し て 根 扱 こ ぎ に さ れ る こ と は あ り ま せ ん。 空 フ ァ ン タ ジ ー 想 力 は 魂 ゼーレ の 下 層 の 能 力 の 一 つ に 過 ぎ ぬ と は 申 せ、 丁 度 可 愛 い お 女 中 が お邸の殿方 輩 ばら に何でも言うことを聞かせてしまうことがよくあるように、理性を支配してしまうこともしばしば。人 間 精 ガイスト 神 はいつも事実に満足しているたぐいのものではありません。 精 ガイスト 神 の限りない働きは、その活動を遥かに、仮定 の、あり得べきことどもの領域にまで及ぼし、天空を船で帆走、海原を 犂 すき で耕します。もし 空 ファンタジー 想力 のありがたい影響 力が存在しないとしたら、我がドイツの思想家、文人、夢想家、予言者といった熱狂的種族はどうなることやら。け れども、物事に冷ややかな理屈屋殿ですら、しばしば 空 ファンタジー 想力 としっぽり 差 テ ・ タ ・ テ ト し向かい に ((( ( おなりあそばし、ありそうなこ とと本当にあることをごちゃまぜにし、楽しい夢想を育んでいらっしゃる、あるいはまた、その哲学的探求精神を養 うため、異国の魔法の 角 ランタン 灯 [幻灯機]の発明の数数を利用なさる。なぜなら、人間が現実世界の様様な状況に応じて どのように思考かつ行動するかに注意を払うだけではなく、我らの父たちの言葉を借りれば「許容され過ぎておる」 情緒的快楽を探求することも、人間学研究に相応しく、思想家の観察に似つかわしいことは疑いを容れません。我ら の父たちとて、事情や情勢が違っていたら、観念的世界においては、同じ意見を表明することでしょう。   か よ う な 次 第 で す か ら、 畏 敬 す る 友 よ、 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 と 呼 ば れ る 空 フ ァ ン タ ジ ー 想 力 の 戯 れ は 精 ガ イ ス ト 神 を 楽 し ま せ る の に も と よ り こ の 上 な

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 く好適であり、いとも尊敬すべき読者各位が、多情多恨のめそめそ文学の代わりに 民 フォルクスメルヒェン 話 で心娯しまれても、そ うした取替えっこで失うものは何一つ無いであろうことが、これで貴下に明明白白となった、と存じます。少なくと も既に経験が教えてくれたのですが、イタリアの読者の皆様はカルロ・ ゴ ッツィ氏の 民 フォルクスメルヒェン 話 を ((( ( 極めて好意的に迎 えました。氏はそれらに芝居の衣装を着せたのです。さて今はもう、本書見返しの寓意的な装飾 画 ((( ( を解釈なさること は難しくはありますまいね。もし、前述のごとき啓蒙が無ければ、この意味を汲み取ろうと貴下の思索的頭脳をいか に駆使されても、徒労に終わったことでしょうが。理性 の ((( ( 精 ゲニウス がぽっちゃりした 美 ニ ン フ 女 で ((( ( ある 空 ファンタジー 想力 に親しげに体を摺 り寄せて、これと一緒に相手が夢見た魔法の宮殿の領域を逍遥しているのだ、ということは一目瞭然。換言すれば、 こうもあろうか。 空 ファンタジー 想力 がここでもやはり我らが時代の風潮に倣い、理性と駆け落ちするところだ、ってことは一目 瞭然。   か か る 親 切 な 啓 蒙 に 加 え、 更 に も う 一 つ 助 言 を 差 し 上 げ て も、 要 ら ぬ お 世 話 で は な い、 と 存 じ ま す。 こ れ ら の 民 フォルクスメルヒェン 話 の語り手たる私が、読者の皆様を別の音色に調律してしまおう、と企んでいるのではないか、なんて貴下 がうかうかと邪推なさるかも知れません。しかしながらクロップシュトッ ク ((( ( がその勢威・名望の限りを尽くしたにも 関わらず、彼が公にした正書法規範によってたった一字たりとも動かすことはできませんでした。名も無い三文文士 ごときが江湖の好尚をおこがましくも別の方向に誘導するなんてとんでもない。お聞きあれ、友よ、事はこういう次 第なのです。   たくさんの、そして一部は著名な人士たちが、尊敬すべき書籍工房[作家]を奔命に疲れさせている読者の熱狂が 冷えないよう、娯楽文学の世界に新分野を開拓しなければ、という欲求を既にはっきり認識し、できる限りこれに対 処しよう、と努めております。陳腐に成り下がった多情多恨から変幻極まりなき 空 ファンタジー 想力 の戯れへと本好きな世間の皆

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 様を引き戻そう、と我らドイツ人の中で初めて思いついたのは、学識高きフォス学校 長 ((( ( ──教会と学校は繫がりがあ りますから、この名前は貴下もご存じかも知れませんね──なのです。彼は有名な東洋の『千一夜物語』をいささか も余計な薬味を加えずに素早く温め直してくれました。この ご オ ー リ ャ ・ ポ ド リ ー ダ った煮料理 [ごたまぜ ] ((( ( は新鮮さという佳味はとっく の昔に失くしていましたし、フォスの 厨 く り や 房 で──いや、全くの話が──それを取り戻したわけではないのですが、こ の 訳 業 が 迅 速 に 成 功 を 収 め た の は、 こ の 厨 ちゅう 宰 さい が 江 湖 の 好 尚 の た め に 当 座 お 凌 ぎ の 御 おん 料 理 を 配 膳 し た の は 適 切 な 判 断 だった、というなによりの証明。同一時期に 石 せっけん 鹼 作りのビュルガー 君 ((( ( ( 2 )は同じ動機から同様の課題に着手しまし た。素材全体を溶かし直し、独自の構成によって、江湖のご期待を裏切らないような製品を作り出す、という意図の 下。もっとも、火が消えるのが早すぎたのか、材料を煮沸し過ぎて台無しにしてしまったのか、未だにしかるべき濃 度に達していないのか、要するに、今日に至るまで彼はまだきちんと約束を果たしておりません。にも関わらず、こ の場合 成 エ ト ・ ウ ォ ル イ ッ セ ・ サ ト ・ エ ス ト サムト志サ バ ソレニテ充分ナリ と ((( ( 申しておきましょう。何ゆえかかる歴史的慣用句をここに引用するのかを、 このことからご推論を。   貴下はヴィーラントの『オーベロン 』 ((( ( をご存じでしょうか。この輝かしい流星は、聖ゼー バ ルト教会の高い 粘 ス レ ー ト 板岩 葺 ぶ き屋根の 後 し り え 方 なる貴下の低いお住まいの狭苦しい地平においても必ずや光芒を放ったはず。さて、そもそもこの詩 は、 一 万 八 千 な い し そ れ 以 上 の 韻 か ら 成 る 美 し く 韻 文 化 さ れ た 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 に 他 な ら な い の で あ り ま す。 そ れ に で す ね、 一 大陸の気高き女性君 主 ((( ( は、最近お世継ぎに擬せられるお孫様方に役立てよう、また彼らを楽しませようと、 潑 はつらつ 溂 とし た想像力の成果を実らせたではありませんか。   同じ部門に分類される幾つかの所産のかような競合は、書籍界の好尚に十中八九一種の革命を惹き起こすことにな るであろうことは、聡明なる思想家でいらっしゃる貴下がお気づきにならぬわけはありません。してかように蒙を開

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 かれた貴下には今やご理解戴ける事柄を、ニュルンベル ク ((( ( なる賢明なラス ペ ((( ( は独自の 思 おもわく 惑 により既に数年前から洞察 していたのです。彼はオーノア夫人の「妖精文庫 」 ((( ( の古色蒼然たるぎこちない翻訳を九巻の新版として 逸 いちはや 早 く出版い たしました。この版全部が、あるいはその内一巻が 反 ほ ご 古 同然になってしまうのでは、などといささかも懸念せずにね。   こ う い う 次 第 で す か ら、 畏 敬 す る 友 よ、 容 易 に お 分 か り に な り ま し ょ う が、 当 節 風 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 を 語 ろ う と い う こ の 人 物 [ムゼーウス]が己が功労だと誇れるのは精精のところ、娯楽文学界の新たに開墾された耕地の一角に、 昔 メルヒェン 話 の多種 多様な属の内で、ドイツの駄作家がだれ一人 犂 すき を入れようとは考え及ばなかった 民 フォルクスメルヒェン 話 を手作 り ((( ( しようと、ちっ ぽけな自分の地所を囲い込んだ程度のこと。ところが意地悪な隣人が登場、この御仁、新参の移住者が 円 シャベル 匙 と鋤でせ っせと働いているものですから、自分もその隣にお 御 み 輿 こし を据えて、同じもくろみを引っ提げ、この人物の稼業に参入 しようと思いつき、不作も降雹も予想せず、そそくさと収穫の成果を 復 オースターメッセ 活祭市 の ((( ( 商品目録に掲載、次の 秋 ヘルプストメッセ の 市 に ((( ( 並 べる、と広告する( 3 )ではありませんか。それゆえこの人物は、しかるべき根拠のある優先権を守らんがため、そ して 庇 パ ト ロ ヌ ス 護者 殿 ((( ( 、貴下の 被 ク リ エ ン ス 保護者 が ((( ( だれかの亜流に過ぎないのではないか、あるいは、既に他の人の所有になっている 着 想 を 追 っ て い る の で は な い か、 と い っ た ご 嫌 疑 を 貴 下 が 抱 か れ ぬ よ う、 己 が 資 格 証 明 と し て 二 つ の 市 メッセ の 狭 は ざ ま 間 に そ の落穂拾い[拾遺]を出荷する必要が緊急にある、と考えた次第です。そしてこれこそ、敬愛する友よ、通常市に並 べる物産がまだ熟さない時期にこれらの紙束を貴下がお受け取りになる理由なのです。ちなみにこれでお分かりでし ょう、作家の功名心なるものがいかに感じ易く繊細な、細心の手入れを必要とするような植物であるかが。大体この 二人の語り手は全然お互いの邪魔にはならないのですがね。なぜなら、ベルリ ン ((( ( の例の御仁は翻訳を約束しているだ けですが、こちらは、眼前にご覧のごとく、祖国ドイツ特産のご馳走。我ら両名の片方が一籠の鶏を、もう片方が鵞 鳥どもを市に運ぶのはどうってことはありゃしません。これらは双方とも家畜、というか、家禽の仲間ですけれど、

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 それでも同じではありませんもの。   更に私はね、畏敬するルンケル殿、我らが袂を分かつ前に、何もかも貴下の好意あるご判断にお 縋 すが りする私のこと、 貴下がこうした問題を誤解なさらぬよう、貴下のおつむの中のあれこれを訂正しておこう、と存じます。かようにご 指摘申し上げるは、ご覧の物語の本質・形態・ 調 ト ー ン べ ・釣り合いに関すること。 民 フォルクスメルヒェン 話 は大衆小説ではありませんし、日常生活で本当に起こり得たかも知れないことどもを物語ったものでもあ りません。民話は世界を純化してい る ((( ( のです。そして、想像力が、それらを必要とする限り、真実だと認めるあるお 定まり の ((( ( 前提条件の下でのみ、存在を許されたもののです。 民 フォルクスメルヒェン 話 の形象は、 空 ファンタジー 想力 が働き掛けた個個の民族の、 時代、風俗、物の考え方、なかんずく神神の神統 譜 ((( ( や〔妖精・魔物などの〕精霊についての知識に応じて、多種多様 です。けれども民族的性格は、各民族の無意識的な創作と同様、民話にも顕現している、と私には思われます。趣向 の豊かさ、豪勢かつ過剰に満ち溢れている奇妙 奇 き 天 て 烈 れつ な綺羅・装飾が、東洋産の布地や物語の特色ですし、仕上げは ざっとで、構成は軽妙平明、これなん、フランスの 妖 フ ェ ー エ ラ イ 精物語 や 工 マ ニ ュ フ ァ ク テ ュ ー ル 場制手工業 製品というわけ。そして、秩序、調和、 手堅い構造、これこそドイツ人の作る道具と、ドイツ人の文芸なのです。   さ て ま た 民 フォ ル ク ス メ ル ヒ ェ ン 話 は 童 キ ン ダ ー メ ル ヒ ェ ン 話 で も あ り ま せ ん。 な ぜ な ら、 言 う ま で も な く、 民 族 と 申 す も の は 子 ど も た ち か ら 成っているのではなく、専ら大人たちから成っているのですから。そして日常生活では、子どもと話す場合と大人と 話 す 場 合 は 話 題 が 異 な る の が 普 通 で す。 そ う い う 次 第 で す か ら、 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 は 全 て『 鵞 鳥 お ば さ ん の お 伽 話 』 ((( ( の 子 ど も 向 けの 調 ト ー ン べ で物語られねばならないなんてお考えなら、とんでもないこと。貴下はご職掌から申さば 管 オ ル ガ ン 式風琴 の 調 ト ー ン べ と ((( ( は何の関わりもない──ゲッティンゲン携帯暦では誤まって貴下の所管とされております( 4 )けれど──のですが、 それでも私は貴下が良き 調 ト ー ン べ [礼儀作法]を尊重なさることを存じております。それゆえ、有り合わせの備忘録か何

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 かにお書き留めの ほ どを。語りの 調 ト ー ン べ が、事の性質と聴き手の耳、すなわち、大人も子どもも入り 込 ご みの一座に相応 しくなるよう、 某 それがし あい努め申し 候 そうろう 、と。こうすることで、畏敬するルンケル殿、貴下の御意に叶ったなら幸いで す し、 し か ら ず ん ば 遺 憾 の 至 り。 そ の う ち に 貴 下 が こ の 語 り 手 を、 お 国 振 り の 旋 メ ロ デ ィ ー 律 に 通 奏 低 音 と し か る べ き 器 楽 伴 奏を付けている作曲家だ、と看做してくださるようになれば──願わくはそうあって戴きたいのですが──それでも う万事めでたし、めでたし。   ち な み に こ れ ら の 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 は い ず れ も 創 作 あ る い は 外 国 種 で は な く、 管 見 の 及 ぶ 限 り で は、 一 つ 残 ら ず 地 場 の 産 物 で す。これらは代代、父祖から孫子へと口伝えで受け継がれて来たのです。本質的には何も変更されていません。鑄潰 さ れ て は お り ま せ ん し、 か つ て フ ラ ン ス 金 貨 の ル イ 十 五 世 ((( ( の 肖 像 が そ の ご 先 祖 方 の 鬘 かつら を 被 っ た り、 鼻 を 付 け た り し て登場したように、打刻し直されてもおりません。ただし著者はあえて、物語で漠然としている場合、舞台となる地 方を定めたり、内容に相応しいと思われる時代・場所に移したりはいたしました。本来の姿総体に手を加えるのは憚 ら れ ま し た。 と は 申 せ、 著 者 の 隣 人 た る か の 彫 刻 家 ((( ( が 鎚 や 鏨 たがね を 巧 み に 振 る っ て、 鈍 重 な 大 理 石 の 塊 か ら、 あ る 時 は 神を、ある時は半神あるいは精霊を出現させるのに成功、以前はどこにでもある壁用石材に過ぎなかったのに、それ が今や工房で光り輝いているように、著者もこうした原材料の加工をうまくやってのけられましたかどうか。このご 裁断は、畏敬するルンケル殿、ひとえに貴下にお任せいたします。   一七八二年 薔 み な づ き 薇月 に 誌 しる す 原注 ( 1 ) ダ ニ エ ル・ ホ ド ヴ ィ エ ツ キ イ の お 蔭 に 他 な り ま せ ん …… 読 者 が こ の 点 に 興 味 を お 持 ち な ら、 ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン 携 帯 暦 Göttingischer

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 Taschenkalender の一七八二年四月の十二箇月銅版画を参照なさるようお勧めする。 ( 2 ) 石 せ っ け ん 鹼 作 り の ビ ュ ル ガ ー 君  公 の 告 知 に よ れ ば、 『 千 一 夜 物 語 』 の 改 造 計 画 は 次 の よ う な 標 モ ッ ト ー 語 の 下。 「 神 よ、 恩 寵 も て 助 け た ま え か し。 こ こ に て 石鹼を拵えまするゆえ」

Help Gott mit Gnaden / Hie wird och Seepe gesaden.

。 ((( ( ( 3 ) 広 告 す る …… か か る 題 目 の 下 に お い て で あ る。 『 民 フ ォ ル ク ス メ ル ヒ ェ ン 話 ─ ─ 様 様 な 言 語 か ら 訳 さ れ た る 』、 ベ ル リ ン。 Volksmärchen, aus verschiedenen

Sprachen übersetzt. Berlin.

( 4 )ゲッティンゲン携帯暦では誤まって貴下の所管とされております……これまで再再挙げた暦を参照されたい。 訳注 ( ()聖ゼー バ ルト教会   die St. Sebaldskirche.   聖ゼー バ ルト der heilige Sebald という聖人は聖人事典に記載されている。 宗 レ ゲ ン デ 教伝説 によれば、ニ ュ ル ン ベ ル ク の 有 名 な 守 護 聖 人 で、 北 方、 お そ ら く デ ン マ ー ク か ら レ ー グ ニ ッ ツ 河 と ペ ー グ ニ ッ ツ 河 の 間 の 地 方 に 来 た、 と の こ と。 詳 細 は 不 明。 生 涯 は 闇 に 包 ま れ、 そ の 事 跡 報 告 は 存 在 し な い。 生 誕 地 も い つ 生 き て い た か も 分 か ら な い。 十 一 世 紀 に 前 述 の 土 地 に 到 来 し た、 と の 若 干 の 典 拠 があるのみ。   ( () 聖 物 保 管 係 Küster.   教 会 堂 の 管 理 人。 建 物 の 鍵 類 と 聖 物( 聖 体 拝 領 や ミ サ に 用 い る 聖 具 な ど ) の 保 管 に 当 た る。 か つ て は 教 区 の 児 童 に 初 歩 的 教 育 を 与 え る 師 匠 役 を 務 め た こ と も あ る が、 お お む ね そ の 地 位 は 低 下、 こ の 当 時 で は 鐘 搗 つ き な ど 教 会 の 雑 役 を 処 理 す る 寺 男 程 度 だ っ た、 と 考 えてよかろう。ムゼーウスは「宝物探し」で「 帝 カイザー 王 と 寺 キュスター 男 」 Kaiser und Küster のごとく同じ頭字を持ち、脚韻を踏んだ対語で、音が似ている が雲泥の差がある二つの身分の一方に、 寺 キュスター 男 を用いている。 ( () ダ ニ エ ル・ ホ ド ヴ ィ エ ツ キ イ  Daniel Chodowiecky.   著 名 な 画 家 に し て 銅 版 画 家 ダ ニ エ ル・ ニ コ ラ ウ ス・ ホ ド ヴ ィ エ ツ キ イ Daniel Nikolaus Chodowiecky ( 一 七 二 六 ─ 一 八 〇 一 )。 十 八 世 紀 後 半 の 市 民 芸 術 に お け る 押 し も 押 さ れ も し な い 代 表 者。 一 七 九 七 年 ベ ル リ ン の 造 形 美 術 高 ア カ デ ミ ー 等 専 門 学 校 校 長。 ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン の『 一 七 八 二 年 の 便 宜 と 楽 し み の た め の 携 帯 手 控 え 』 Taschenbuch zum Nutzen und Vergnügen für Jahr 1782 に、 銅 版 画 十 二 個 月 の 第 二 連 シ リ ー ズ 作 「 結 婚 申 込 み 」 を 発 表 し た。 四 月 の 銅 版 画 に は あ る 聖 物 保 管 係 の 結 婚 申 込 み の 情 景 が 描 か れ て い る。 こ れ らの銅版画には自然科学者にして諷刺作家のゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク Georg Christoph Lichtenberg (一七四二─九九)の 詞 ことば 書 が きが添えられていた。ただし、ダーフィト・ルンケル殿なる命名はムゼーウス自身によるもの。 ( () ご 容 貌  「 フ ュ ジ オ グ ノ ミ ー」 ( 容 貌、 人 相、 表 情 ) Physiognomie は、 頭 蓋 の 形 状、 つ ま り 骨 相 を 含 め、 そ れ か ら 人 間 の 能 力・ 性 格 が 読 み 取 れ る、 と し て、 当 時 か ら 十 九 世 紀 に 掛 け て、 ヨ ー ロ ッ パ の 知 識 人 の 大 き な 関 心 の 対 象 だ っ た。 人 相 を 基 に 人 間 の 能 力・ 性 格 を 考 究 す る 学 問 を 「 観 フ ュ ジ オ グ ノ ー ミ ク 相 学 」 Physiognomik 、 骨 相 を 基 に す る 学 問 を「 骨 フ レ ノ ロ ギ ー 相 学 」 Phrrenologie と い う。 ム ゼ ー ウ ス の 同 時 代 人 で、 ム ゼ ー ウ ス が 個 人 的 に 高 く 評

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 価 し て い た ス イ ス の 神 学 者 ヨ ー ハ ン・ カ ス パ ー ル・ ラ ヴ ァ ー タ ー( 一 七 四 一 ─ 七 八 ) に は 観 相 学 の 大 著 が あ る。 ム ゼ ー ウ ス は『 観 相 学 的 旅 行、 ま ず は 観 相 学 的 日 記 』 Physiognomische Reisen, voran ein physiognomisches Tagebuch ( 四 分 冊。 一 七 七 八 ─ 七 九 ) を 匿 名 で 著 し、 ラ ヴ ァ ー タ ーの方法と希望に対し、 熾烈な闘いを挑んでいる。 『ドイツ人の民話』でもそここに観相学などラヴァーターが信奉することにあてこすりがある。 こ こ で も い さ さ か 彼 を お ち ょ く っ て い る よ う だ。 『 リ ュ ー ベ ツ ァ ー ル の 物 語  ド イ ツ 人 の 民 話 』 解 説、 「 ロ ー ラ ン ト の 従 士 た ち 」 訳 注「 観 相 学 に 対する諸断章」参照。 ( () 精 オペラティオネ・メンティス 神 活 動  opertione mentis.   ラテン語。昔の心理学者の慣用によれば、思考・判断・意志という理性の三つの営為。 ( () 次 テ ノ ー ル 中音   男声の最高音。 ( () この最近十年というもの……げに厭わしき感傷愛好癖が蔓延   ゲーテの 『若きヴェルターの悩み』

Die Leiden des jungen Werthers

(一七七四) の 驥 尾 に 附 し て ド イ ツ 文 学 に 氾 濫 し た 無 慮 無 数 の 感 傷 的 長 編 小 説 を 示 唆 し て い る。 既 に こ れ よ り 十 年 前 に 最 初 の 長 編 小 説『 二 代 目 グ ラ ン デ ィ ソ ン  あるいは書簡体に仕立てた某氏の物語』 Grandison der Zweite, oder Geschichte des Herrn N.***, in Briefen entworfen (三分冊。一七六〇 ─ 六 二 ) で、 英 国 人 の 感 傷 的 書 簡 体 長 編 小 説 に 熱 狂 す る 風 潮 を 激 し く 攻 撃 し た ム ゼ ー ウ ス の こ と、 い わ ゆ る「 ヴ ェ ル タ ー 熱 」 を 冷 や か さ ず に は い ら れ な か っ た こ と は 明 白。 た だ し、 ム ゼ ー ウ ス が こ の よ う に 記 す 前 に、 ゲ ー テ 自 身 も『 感 傷 の 勝 利 』 Der Triumph der Empfindsamkeit ( 執 筆一七七七─七八)において『ヴェルター』の追随者をからかっている。 ( () 南 の 熱 風 が …… 宿 営 地 に 投 げ 落 と し た  旧 約 聖 書 出 エ ジ プ ト 記 十 六 章 十 三 節 に は、 エ リ ム と シ ナ イ の 間 の シ ン の 曠 野 で イ ス ラ エ ル の 民 が 宿 営、 食 べ 物 に 窮 し、 モ ー セ と ア ロ ン に 不 平 を 訴 え た 時、 夕 方 に な る と 鶉 が 飛 ん で 来 て、 宿 営 地 を 覆 っ た、 と あ る が、 「 熱 風 に よ る 」 と も、 「 葦 の 海 か ら 」 と も 記 さ れ て は い な い。 「 葦 の 海 」 う ん ぬ ん は 同 じ 出 エ ジ プ ト 記 で も こ の 前 の 十 三 章、 十 四 章 に あ る。 。 旧 約 聖 書 民 数 紀 略 十 一 章 三 十 一 ─ 三十二節には、主の許から風が出て、海の方から鶉を吹き寄せ、イスラエルの民の宿営地に落とした、とある。 ( () 緩 ア ダ ー ジ オ 徐曲   緩やかな曲。 ( (0)魔法の 角 ランタン 灯 [幻灯機]   die Zauberlatern.   初期のスライド式幻灯機。イエズス会士にして学者であるテューリンゲン生まれのドイツ人アタナ シ ウ ス・ キ ル ヒ ャ ー Athanasius Kircher ( 一 六 〇 一 ─ 八 〇 ) に よ っ て 発 明 さ れ た ラ テ ル ナ・ マ ギ カ Laterna magica に 始 ま る。 ガ ラ ス 板 に 描 か れ た 壮 麗 な 建 造 物 や 雄 大 な 風 景、 珍 奇 な 鳥 獣 の 姿 や ら を、 こ れ を 用 い て 壁 に 映 し 出 す 真 っ 暗 な 小 屋 の 中 で の 見 世 物 は、 十 八 世 紀 か ら 十 九 世 紀 に 掛けて西欧の子どもたちに人気があった。 ( (() か の 有 益 な シ ュ レ ッ ク か ら  dem instruktiven Schröckh.   新 教 徒 の 教 会 歴 史 家 ヨ ー ハ ン・ マ テ ィ ア ス・ シ ュ レ ッ ク Johann Mathias Schröckh ( 一 七 三 三 ─ 一 八 〇 四 ) は、 児 童 文 学 作 家 ク リ ス テ ィ ア ン・ フ ェ ー リ ク ス・ ヴ ァ イ セ Christian Felix Weiße ( 一 七 二 六 ─ 一 八 〇 三 ) に誘われて『子どものための一般世界史』

Allgemeine Weltgeschichte für Kinder

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 ( (() 差 テ ・ タ ・ テ ト し向かい   tête à tête.   フランス語。顔と顔。二人きりで。 ( (() カ ル ロ・ ゴ ッ ツ ィ 氏 の 民 フ ォ ル ク ス メ ル ヒ ェ ン 話   die Volksmärchen des Herrn Carl Gozzi.   ヴ ェ ネ ツ ィ ア の 喜 劇 作 家 ゴ ッ ツ ィ 伯 爵 カ ル ロ Carlo, Conte Gozzi ( 一 七 二 〇 ─ 一 八 〇 六 ) は、 同 じ く ヴ ェ ネ ツ ィ ア 人 の カ ル ロ・ ゴ ル ド ー ニ Carlo Goldoni ( 一 七 〇 七 ─ 九 三 ) が 確 立 し た 近 代 的 性 格 喜 劇 に 対し、伝統ある 即 コメディア・デラルテ 興 喜 劇 の擁護者だったが、こうした抗争に際し、十の お フィアーベ・ドラマティーチェ 伽 話 劇 を書いた。その中には「鹿の王」 Il re cervo や「トゥ ー ラ ン ド ッ ト 」 Turandot が あ る。 こ れ ら は ド イ ツ や フ ラ ン ス の ロ マ ン 派 文 学 に 多 大 な 影 響 を 及 ぼ し た。 ヴ ィ ー ラ ン ト と も 親 交 の あ っ た 著 述 家 フ リ ー ド リ ヒ・ ア ウ グ ス ト・ ク レ メ ン ス・ ヴ ェ ル テ ス Friedrich August Clemens Werthes ( 一 七 四 八 ─ 一 八 一 七 ) の ド イ ツ 語 初 訳 は 一 七 七 七 ─七九年出版。全五巻。 ( (() 本 書 見 返 し の 寓 意 的 な 装 飾 画  最 初 の 二 つ の 版 の 見 返 し に あ っ た。 後 の 諸 版 で は 載 っ て い な い。 散 歩 し て い る 二 人 の 子 ど も が ど こ か の 宮 殿 の 前にいる情景が描かれていた。 ( (() 精 ゲニウス   Genius.   古 代 ロ ー マ の 民 間 信 仰 に よ れ ば、 ロ ー マ 人 男 性 が 一 人 一 人 持 っ て い る 守 護 精 霊。 「 リ ブ ッ サ 」 で は 複 数 形 ゲ ー ニ エ ン Genien で出る。 ( (() 美 ニ ン フ 女  Nymphe.   「 ニ ン フ 」 は ギ リ シ ア 神 話 に 登 場 す る、 森 や 河、 泉、 山 や 洞 窟、 海 な ど に 棲 む 女 性 の 精 霊。 単 に 美 女 を 指 す 言 葉 と し て い る 事例は「 屈 くぐ 背 せ のウルリヒ」にも出る。 ( (() ク ロ ッ プ シ ュ ト ッ ク  Klopstock.   フ リ ー ド リ ヒ・ ゴ ッ ト リ ー プ・ ク ロ ッ プ シ ュ ト ッ ク Friedrich Gottlieb Klopstock ( 一 七 二 四 ─ 一 八 〇 三 ) は、 そ の 宗 教 的 叙 事 詩『 救 世 主 』 Der Messias ( 一 七 四 八 ─ 七 三 ) の 著 者 と し て ゲ ー テ を も 凌 ぐ ド イ ツ 最 大 の 詩 人 と さ れ た が、 論 文「 ド イ ツ 語 正書法について」

Über die deutsche Rechtschreibung

(一七七八)を発表、 正書法改革に関する所見をドイツに広めようと試みたところ、 失敗 に終わった。 ( (() 学 識 高 き フ ォ ス 学 校 長  der gelehrte Rektor Voß.   文 人 に し て 文 献 学 者 ヨ ー ハ ン・ ハ イ ン リ ヒ・ フ ォ ス Johann Heinrich Voß ( 一 七 五 一 ─ 一 八 二 六 )。 一 七 七 二 年 か ら ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン 大 学 で 神 学、 次 い で 文 献 学 を 学 ぶ。 一 七 七 二 年 同 大 学 で 結 成 さ れ た 文 学 結 社「 林 ハ イ ン 苑 」( 後 の「 ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン 林 ハ イ ン 苑 同 ブ ン ト 盟 」) に 加 盟、 そ の 推 進 者 の 一 人 と な る。 結 社 は、 後 に 多 く の「 詩 ム ー ゼ ン ・ ア ル マ ナ ッ ハ 神 年 鑑 」 の 手 本 と な っ た ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン「 詩 ム ー ゼ ン ・ ア ル マ ナ ッ ハ 神 年 鑑 」 に 拠 っ て 活 動 し た が、 こ れ は フ ォ ス が 一 七 七 五 年 以 降 出 版 し た も の。 一 七 七 八 ─ 八 二 年、 ハ ノ ー フ ァ ー 選 帝 侯 国 の 小 さ い 町 オ ッ テ ル ン ド ル フ、 次 い で オ ル デ ン ブ ル ク 公 国 の 都 市 オ イ テ ィ ン で 学 校 長 と な る。 『 オ デ ュ ッ セ イ ア 』( 一 七 八 一 )、 『 イ リ ア ス 』( 一 七 九 三 ) の 翻 訳 で 名 高 い。 ハ イ デ ル ベ ル ク 大 学 の 教 授 と も な っ た。 そ の 後 半 生 は 専 ら ウ ェ ル ギ リ ウ ス、 テ オ ク リ ト ス、 ア リ ス ト フ ァ ネ ス な ど の 翻 訳 に 従 事。 一 七 八 一 ─ 八 五 年、 六 巻 か ら 成 る『 千 一 夜 ─ ─ ア ラ ビ ア の 物 語 』 Die tausend und eine Nacht. Arabische Erzählungen. を ブ レ ー メ ン で 出 版。 こ れ は 『 千 ア ル フ ・ ラ イ ラ ・ ワ ・ ラ イ ラ 一 夜 物 語 』 を ヨ ー ロ ッ パ に 初 め て 翻 訳・ 紹 介 し た ア ン ト ア ー ヌ・ ガ ラ ン( 一 六 四 六 ─ 一 七 一 五 ) の『 千 一 夜 ─ ─ ガ ラ ン 氏 に よ り フ ラ ン ス

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 語に移されたるアラビアの物語』 Les mille et une nuits: Contes Arabes, traduits en Français par M. Galland (一七〇四─一七。全十二巻)の ド イ ツ 語 訳 で あ る。 ド イ ツ 語 訳 と し て は 二 度 目。 フ ォ ス の こ の 訳 業 は 意 外 な こ と な が ら ド イ ツ 語 圏 で も こ れ ま で 余 り 知 ら れ て い な か っ た よ う で ある。エルンスト・ペーター・ヴィーケンベルク著『ヨーハン・ハインリヒ・フォスと「千一夜」 』 Ernst Peter Wieckenberg: Johann Heinrich

Voß und‚ Tausend und eine Nacht

という最近の研究(二〇〇二)があるが。 「 愛 アモール 神 となった精霊」解題参照。 ( (() ご オ ー リ ャ ・ ポ ド リ ー ダ っ た 煮 料 理 [ ご た ま ぜ ]  Olla podrida.   ム ゼ ー ウ ス は「 オ ー リ ャ・ ポ ト リ ー ダ 」 Olla potrida と 綴 っ て い る が、 綴 り も 発 音 も 改 め た。 「 オ ー リ ャ・ ポ ド リ ー ダ 」 は イ ス パ ニ ア、 特 に カ ス テ ィ リ ア 地 方 の 典 型 的 な 煮 込 み 料 理。 民 間 語 源 学 で は「 腐 プ ド リ ー ダ っ た (「 プ ド リ ー ル 」 pudrir = 腐 る ) 煮 オ ー リ ャ 込 み 」 だ が、 本 当 は 中 世 イ ス パ ニ ア の 言 葉 で「 強 ポデリーダ い poderida ( 凄 すご い、 し つ こ い ) 煮 込 み 」 か ら。 豚、 牛、 羊、 兎 な ど さ ま ざ ま の 肉 類 ─ ─ 家 禽 類、 ハ ム、 ベ ー コ ン な ど も ─ ─ と 豆 類、 玉 葱 な ど の 野 菜、 大 に ん に く 蒜 ・ 胡 椒 な ど の 香 味 野 菜・ 香 辛 料 を、 少 量 の 水 で 数 時 間 に 亘 り、 蓋 を き っ ち り 閉 め た 鍋 で 煮 込 ん だ も の。 庶 民 は も と よ り 王 侯 貴 族 に も 好 ま れ た。 十 六 世 紀 以 降 ヨ ー ロ ッ パ 各 地 に 広 ま り、 ド イ ツ 語 圏 で は 「 イ シ ュ パ ー ニ ッ シ ェ ・ ズ ッ ペ スパニア風スープ 」とも言われた。一五八一年出版のドイツ語の料理書であるマックス・ルンポルト著『新料理書』 Max Rumpolt: Ein new Kochbuch に は「 ホ ラ ポ ト リ ー ダ 」 Hollapotrida の 調 理 法 が 出 て い る そ う な。 ま た、 十 八 世 紀 の ヨ ー ハ ン・ ゲ オ ル ク・ ク リ ュ ニ ッ ツ 編『 経 済 百 科事典』 Johann Georg Krünitz: Oeconomische Encyclopädie には「オーリャ・ポ ト リーダ」 Olla potrida の項目がある、とのこと。イスパニア の 安 旅 籠 屋 な ど で は、 猫 肉 入 り( 原 型 を 留 め な い か ら ご ま か し 易 い ) の オ ー リ ャ・ ポ ド リ ー ダ を、 兎 肉 入 り と 称 し て 旅 に 不 慣 れ な 客 に 供 し た り したらしい。 ( (0) 石 せ っ け ん 鹼 作 り の ビ ュ ル ガ ー 君  Freund Bürger der Seifensieder.   譚 バ ラ ー デ 詩 「 レ ノ ー レ 」 Lenore ( 一 七 七 四 ) で 有 名 な 詩 人 ゴ ッ ト フ リ ー ト・ ア ウ グ ス ト・ビュルガー Gottfried August Bürger (一七四八─九四)は、 「ゲッティンゲン学術文芸雑誌」 Das Göttingishce Magazin der Wissenschaft und Literatur (第二巻第二号三〇〇ページ以降)で、 『千一夜物語』の翻訳計画を告知したが、これは実現しなかった。 ( (() 成 エ ト ・ ウ ォ ル イ ッ セ ・ サ ト ・ エ ス ト サムト志サ バ ソレニテ充分ナリ   et voluisse sat est.   ラテン語。完全な形では in magnis et voluisse sat est. 「大イナル事業ハ成サムと志 サ バ ソ レ ニ テ 充 分 ナ リ 」。 ロ ー マ の 詩 人 セ ク ス ト ゥ ス・ プ ロ ペ ル テ ィ ウ ス( 紀 元 前 四 九 頃 ─ 一 五 )『 悲 エ レ ギ ア 歌 』 二 ・ 十 ・ 六「 よ し 力 及 ば ず と も、 高 き を 摑まんとするは、 栄 は えある行い。大いなることは心と眼にて成さんと志さばそれにて充分なり」による諺的慣用句。 ( (()ヴィーラントの『オーベロン』   der Wielandische Oberon.   ムゼーウスが不惑に近くなった一七七二年、かねてから彼が出入りしていたザク セン=ヴァイマル公国の宮廷に、公妃アンナ ・ アマーリアによってクリストフ ・ マルティン ・ ヴィーラント

Christoph Martin Wieland

(一七三三 ─ 一 八 一 三 ) が 公 子 傅 育 官 と し て 招 聘 さ れ た。 親 し い 友 人 と な っ た ヴ ィ ー ラ ン ト は ム ゼ ー ウ ス に 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 や 中 世 の 伝 説、 バ ジ ー レ の『 五 ペ ン タ メ ロ ー ネ 日 物 語 』、 さ て は 東 洋 の 奇 譚 な ど の 魅 力 を 教 え た、 と 思 わ れ る。 一 七 八 〇 年 彼 は 二 部 か ら 成 る 有 名 な 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 叙 事 詩『 オ ー ベ ロ ン 』 を 出 版 し た。 こ れ は、 お 伽話風に姿を変えられた東洋におけるある若き騎士の冒険を主題とした中世フランスの韻文物語『ユオン ・ ド ・ ボ ルドー』の翻案。 「リブッサ」

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 訳注「ヒュオン」参照。 ( (() 一 大 陸 の 気 高 き 女 性 君 主  ロ シ ア の 女 ツ ァ ー リ ナ 帝 エ カ チ ェ リ ー ナ 二 世( 在 位 一 七 六 二 ─ 九 六 ) は 孫 た ち の た め に 一 連 の メ ル ヒ ェ ン を 書 い た。 こ れ ら は一七八二年以降、ベルリンの出版者で著述家でもある啓蒙主義者クリストフ ・ フリードリヒ ・ ニコライ

Christoph Friedrich Nikolai

(一七三三 ─一八一一)によって出版された。ここでも啓蒙主義とメルヒェンの意外な結び付きが見られようか。 ( (() ニ ュ ル ン ベ ル ク  Nürnberg.   中 ミ ッ テ ル 部 フ ラ ン ケ ン の 由 緒 あ る 美 し い 都 市。 現 在 バ イ エ ル ン 州。 こ の 当 時 は 神 聖 ロ ー マ 帝 国 直 属 都 市。 今 も 昔 も ド イツ有数の商工業都市。 ( (() ラ ス ペ  Raspe.   未 詳。 十 八 世 紀 巷 間 に 伝 え ら れ て い た ミ ュ ン ヒ ハ ウ ゼ ン 男 爵 の 法 ほ ら 螺 話 を、 ビ ュ ル ガ ー( 一 七 八 六 ) に 先 ん じ て、 英 国 に お い て英語で物語に編んだ(一七八五)著述家ルードルフ・エーリヒ・ラスペ

Rudolf Erich Raspe

(一七三七─九四)と関係あるか。 ( (() オ ー ノ ア 夫 人  Madame d’Aulnoy   オ ー ノ ア 伯 爵 夫 人 マ リ・ カ ト リ ー ヌ・ ル・ ジ ュ メ ル・ ド・ バ ル ヌ ヴ ィ ユ・ ド・ ラ・ モ ッ ト Comtesse d’ Aulnoy, Marie Catherine Le Jumel de Barneville de la Motte (一六五〇─一七〇五)は、 回 メ モ ア ー ル 想録 や長編小説の他に 妖 フ ェ 精 が狂言回しの役を務め る 物 語 の 数 数 を 著 し た。 最 も 重 要 な の は 一 六 九 八 年 か ら 出 版 さ れ た 物 語 集『 新 小 説 あ る い は 当 世 風 妖 フ ェ 精 た ち( 別 名『 名 高 き 妖 フ ェ 精 た ち 』』 ( 六 巻 ) Contes nouvelles, ou les fées à la mode (Les illustres fées) である。これは十八世紀までもずっと続くお伽話の一大潮流の源となった。こうした フランス 妖 コ ン ト ・ ド フ ェ 精お伽話 Contes des fées の最初の集成は『妖精文庫』 Le cabinet des fées なる題名で九巻本としてネーデルラント共和国(現ネーデ ル ラ ン ト 王 国 = オ ラ ン ダ 王 国 ) の 首 都 ア ム ス テ ル ダ ム で 刊 行 さ れ た。 う ち オ ー ノ ア 夫 人 の お 伽 話 が 三 巻 を 占 め る。 ニ ュ ル ン ベ ル ク の 出 版 業 者 ラ スペは一七六一─六六年同様に九巻の『妖精文庫』

Kabinett der Feen

を新たに出版した。 ( (()手作り   bearbeiten.   ムゼーウスは bearbeiten を「耕す」と「手を加える」 「改作する」の両義に用いている。 ( (() 復 オ ー ス タ ー メ ッ セ 活 祭 市  Ostermesse.    「 オ ー ス タ ー マ ル ク ト 」 Ostermarkt と 同 じ。 復 オ ー ス テ ル ン 活 祭 ( 春 分 後 の 最 初 の 満 月 の あ と の 日 曜 日 ) に 近 郷 の 中 心 と な る 都 市 あ る い は 町 で 開 か れ た 歳 ヤ ー ル マ ル ク ト の 市 。 近 郷 の 人 人 が 遊 楽 半 分 で 買 い 物 に 訪 れ た。 し か し な が ら、 日 本 な ら 春 分 の 日( 三 月 二 十 一 日 頃 )、 英 国 な ら 三 月 二 十 五 日( 四 ク ォ ー タ ・ デ イ ズ 季 支 払 日 の 一 つ ) と ほ ぼ 重 な り、 一 年 の 分 岐 点。 こ の 頃 に 雑 誌 あ る い は 新 聞 に 広 告 が 出 さ れ た、 と 言 っ て い る 程 度 で あ ろ う。 ただし、新刊書籍は実際この時期や ミ ミ ヒ ャ エ ル メ ッ セ カエル祭 の時期に発売されたようだ。 ( (() 秋 ヘ ル プ ス ト メ ッ セ の 市  Herbstmesse.   秋 に 開 か れ る 歳 ヤ ー ル マ ル ク ト の 市 あ る い は 家 畜 市。 し か し な が ら、 日 本 な ら 秋 分 の 日( 九 月 二 十 三 日 頃 ) と ほ ぼ 重 な る、 英 国 な ら 四 ク ォ ー タ ・ デ イ ズ 季 支 払 日 の 一 つ で あ る 九 月 二 十 九 日、 す な わ ち 大 天 使 ミ カ エ ル の 祭 日「 ミ ケ ル マ ス 」 Michaelmas を 指 し て い る の か も 知 れ な い。 後 者 は ド イ ツ で は ミ ヒ ャ エ リ ス メ ッ セ Michaelismesse 、 あ る い は ミ ヒ ャ エ ル メ ッ セ Michaelmesse で あ る。 こ れ は フ リ ー ド リ ヒ・ ヤ ー コ プ ス の 書 い た 『ドイツ人の民話』の「一八二五年版のための序文」 Friedrich Jacobs: Vorrede zur Ausgabe vom Jahr (((( にも一年の区分の一つとして出て 来る。

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 ( (0) 庇 パ ト ロ ヌ ス 護者   Patron. ラテン語では「パトロヌス」 patronus 。元来は古代ローマで解放奴隷の旧主人、あるいは 被 ク リ エ ン ス 保護者 を持つ 貴 パトリキウス 族 を指す。 ( (() 被 ク リ エ ン ス 保護者   Klient.   ラテン語では「クリエンス」 cliens 。元来は古代ローマで 貴 パトリキウス 族 に従属し、その保護下にあった 平 プレブス 民 を指す。 ( (() ベ ル リ ン  Berlin.   現 在 ド イ ツ 連 邦 共 和 国 の 首 都 と し て 三 百 五 十 万 近 い 住 民 を 擁 す る こ の ド イ ツ 最 大 の 都 市、 か つ て の プ ロ イ セ ン 王 国 の、 ド イ ツ 帝 国 の、 そ し て ヴ ァ イ マ ル 共 和 国 の、 次 い で ヒ ト ラ ー の 第 三 帝 国 の 首 都 だ っ た ベ ル リ ン は、 一 七 八 二 年 に は ま だ ブ ラ ン デ ン ブ ル ク 選 帝 侯 国 の 首 邑 だ っ た。 国 家 と し て の プ ロ イ セ ン が ヨ ー ロ ッ パ の 列 強 の 一 つ に 興 隆 す る の は、 大 選 帝 侯 と 綽 名 さ れ た フ リ ー ド リ ヒ・ ヴ ィ ル ヘ ル ム 一 世 ( 一 六 四 〇 ─ 八 八 ) に よ っ て だ が、 彼 の 本 領 は ま だ プ ロ イ セ ン で は な く、 ブ ラ ン デ ン ブ ル ク だ っ た の で あ る。 と は 言 え、 元 来 ド イ ツ の 圏 外 に あ っ て、 や が て 一 七 〇 一 年 以 降 プ ロ イ セ ン 王 国 と し て 自 立 す る 東 プ ロ イ セ ン( 後 の 名 称 ) 地 域 と ブ ラ ン デ ン ブ ル ク を フ リ ー ド リ ヒ・ ヴ ィ ル ヘ ル ム は 既 に 統 一 国 家 と し て 結 び 付 け よ う と し て い た。 け れ ど も 初 め て プ ロ イ セ ン 国 王 König von Preußen と 名 乗 っ た の は、 彼 の 息 子 フ リ ー ド リ ヒ 一世( 大 デア・グローセ 王 。一七四〇─八六)以降。 ( (() 世 界 を 純 化 し て い る  veridealisieren die Welt.   ム ゼ ー ウ ス は こ の 表 現 で、 後 代 ス イ ス の 口 承 文 芸 研 究 者 マ ッ ク ス・ リ ュ テ ィ( 一 九 〇 九 ─ 九一)が『ヨーロッパの昔話   その形式と本質』 (一九四七) Max Lüthi: Das europäische Volksmärchen. Form und Wesen 〔小澤俊夫訳あり。 岩崎美術社、民俗民芸双書、一九六九〕で唱えた 民 フォルクスメルヒェン 話 の諸特性のうちの抽象性、昇華性を既に示唆しているのかも知れない。 ( (()お定まりの   原文 konventuell 。 konventionell の誤りと考えて訳した。 ( (() 神 統 譜  Theogonie.   原 文 で は  Theogenie と な っ て い る。 誤 り。 神 神 の 誕 生・ 起 源 を 説 い た も の。 最 も 有 名 な の は、 伝 説 の ホ メ ロ ス に 次 い で最古のギリシアの叙事詩人ヘシオドス(紀元前八世紀頃在世)著す『 神 テ オ ゴ ニ ア 統譜 』。 ( (()『 鵞 鳥 お ば さ ん の お 伽 話 』  Märchen meiner Mutter Gans.   フ ラ ン ス 語『 コ ン ト・ ド・ マ・ メ ー ル・ ル ア 』 Contes de ma mère l’Oye(=l ’Oie) の ド イ ツ 語 訳。 フ ラ ン ス の 官 吏・ 学 者・ 文 人 シ ャ ル ル・ ペ ロ ー( 一 六 二 八 ─ 一 七 〇 三 ) 作 と さ れ る『 過 ぎ し 昔 の 物 語 あ る い は お 伽 話、 な ら び に 教訓』 (一六九七) Les Histoires ou Contes du temps passé. Avec Moralitéz(=Morarités) のまたの名。同書初版(散文八編)には「版画家クルズ ィ エ の 署 名 の あ る、 糸 を 紡 ぎ な が ら 昔 話 を 語 る 老 婆 と、 一 心 に 聞 き 入 る 三 人 の 子 ど も を 描 い た 口 絵 が あ り、 老 婆 の う し ろ の 扉 に、 『 が ち ょ う お ば さ ん の 話 』 と 書 い た 札 が か か っ て い る 」〔 新 倉 朗 子 訳『 完 訳 ペ ロ ー 童 話 集 』( 岩 波 文 庫、 一 九 八 二 ) 解 説 に 拠 る 〕。 つ ま り「 鵞 鳥 お ば さ ん 」 は こ の「 農 婦 の 身 な り 」〔 前 掲 書 〕 の 老 婆 な の で あ る。 も っ と も、 な ぜ そ う 名 付 け ら れ た の か は 分 か ら な い そ う な。 英 国 に も『 マ ザ ー・ グ ー ス 』 Mother Goose (英国の民間に伝承された童唄集成)があるが。 ( (() 管 オ ル ガ ン 式 風 琴 の 調 ト ー ン べ  リ ヒ テ ン ベ ル ク は 聖 物 保 管 係 求 婚 の 図 に 添 え た 詞 書 き( 前 掲 訳 注 参 照 ) で こ う 記 し て い る。 「 聖 物 保 管 係 は こ こ に 描 か れ て い る 教 会 の 一 員 で は あ る が、 〔 こ こ に は 〕 書 か れ て は い な い 教 会 の 構 成 か ら 申 さ ば、 必 要 欠 く べ か ら ざ る 人 間 で は な い。 彼 は 管 オ ル ガ ン 式 風 琴 に 訴 え て 聖 な る 前 プ ラ エ ル デ ィ オ 奏 曲 で 己 が 愛 を 綿 綿 と 語 ら せ よ う、 と い う ご 様 子。 だ っ て、 こ う し て 自 分 の 地 上 の 天 使 に べ っ た り く っ つ い て い る 彼 が、 天 界 の 天 使

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 たちの詠唱に耳を傾けているなんて、わたしは思わないもの」と。 ( (() ル イ 十 五 世  Ludwig der XV.   一 七 一 〇 ─ 七 四 年。 フ ラ ン ス 国 王( 在 位 一 七 一 五 ─ 七 四 )。 ル イ 十 四 世 の 曾 孫。 失 政 続 き の 上、 私 生 活 で も 奢 しゃ 侈 し を 極 め、 国 民 に 重 税 を 課 し た に も 関 わ ら ず、 そ の 治 世 下 で 国 債 は 四 十 億 リ ー ブ ル( フ ラ ン ) に も 達 し た。 ル イ 十 六 世( 在 位 一 七 七 四 ─ 九 三 )、 ルイ十八世(在位一八一四─二四) 、シャルル十世(在位一八二四─三〇)の祖父。 ( (() 著 者 の 隣 人 た る か の 彫 刻 家  だ れ を 指 し て い る の か 未 詳。 し か し、 ム ゼ ー ウ ス の 友 人 ク リ ス ト フ・ マ ル テ ィ ン・ ヴ ィ ー ラ ン ト は、 さ ま ざ ま な 素 材 を 換 骨 奪 胎 し て 譚 バ ラ ー デ 詩 や 小 説 に 仕 上 げ、 華 や か な 文 筆 活 動 を し て い た か ら、 こ の よ う な 彫 刻 家 に 譬 え ら れ た の は ヴ ィ ー ラ ン ト だ、 と 考 え る の が妥当であろう。 ( (0)「神よ、恩寵もて助けたまえかし。ここにて石鹼を拵えまするゆえ」 Help Gott mit Gnaden / Hie wird och Seepe gesaden.   低地ドイツ語で 書 か れ た こ の 標 モ ッ ト ー 語 は 結 局 の と こ ろ こ ん な こ と か。 「 石 鹼 を 作 る 」 は、 異 な る 材 料 を 混 ぜ 合 わ せ、 煮 て 溶 か し、 型 に 注 ぎ、 冷 や し て 成 型、 そ れ か ら切り分ける、といった工程。ビュルガーの翻訳はこれに譬え得る独自の編集方針に基づくはずだった。    解題   一 七 八 二 ─ 八 六 年、 五 分 冊 で 出 版 さ れ、 文 人 ム ゼ ー ウ ス の 名 を 今 に 伝 え る 作 品『 ド イ ツ 人 の 民 話 』 Volksmärchen der Deutschen 全 十 四 話 の 第 一 分 冊( 「 三 姉 妹 年 代 記 」 Die Bücher der Chronika der drei Schwestern 「 リ ヒ ル デ 」 Richilde 「ローラントの従士たち」 Rolands Knappen を収録)の巻頭を飾った長文の緒言である。   ヴォルテールに心酔した啓蒙主義者、合理主義哲学の忠実な信奉者で、多年ヴァイマル 古 ュ ム ナ ジ ウ ム 典語中高等学校 教授の職 責を全うし、一般には、社会的地位はあるものの、しかつめらしい御仁だ、と受け取られかねないようなムゼーウス が、なぜ 昔 メルヒェン 話 を再話したか、つまり、なぜ 昔 メルヒェン 話 を素材として文芸作品に仕立て上げたか、を具体的に解明する恰好 の資料である。   ま た 随 所 に 発 揮 さ れ る 軽 妙 な 諧 フ モ ー ル 謔 、 と も す れ ば 無 く て も が な と 微 笑 ま れ る 鋭 い 諷 ザ テ ィ ー レ 刺 が、 無 邪 気 な 善 意 に 満 ち、 円

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 満な家庭人だった、とされる彼が紡ぎだした 昔 メルヒェン 話 と、矛盾無く両立する 所 ゆ え ん 以 もこの文から類推できよう。すなわち、 ムゼーウスは口承文芸がおもしろくて堪らなかった。そしてそれを自分の言葉でも語りたかった。しかしながら、そ うした楽しい仕事に従事しつつも、 面 おも 映 はゆ かった。照れ臭かった。真面目に、素直に、ひたむきに、またしめやかに、 目くるめくばかりの幻想の世界を描ききるには、どうにも学殖が邪魔をしたというわけ。   しかし、それも今日の感覚からすれば 瑕 か し 疵 ではなかろう。詳しい注を附してムゼーウス在世時のドイツを復元し、 その中に 嵌 は め込んで読み直せば、彼の物語の数数は、シャルル・ペローの『過ぎし昔の物語あるいはお伽話、ならび に 教 訓 』( 一 六 九 七 ) と ヤ ー コ プ と ヴ ィ ル ヘ ル ム の グ リ ム 兄 弟 の『 家 庭 と 子 ど も の た め の 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 集 』( 一 八 一 二 / 一 五 初版。一八五七決定版)を結び付ける重要な一環、との従来からの評価に加え、近世ドイツ文学の秀作として 刮 かつもく 目 し て見るべきではあるまいか。事実ムゼーウスの友人ヴィーラントはこれらを、十八世紀最後の四半期が産み出した最 上の作品に入る(フリードリヒ・ヤーコプス「一八二五年版のための序文」 )、と讃えている。   終 わ り に 一 言。 セ ク ス ト ゥ ス・ プ ロ ペ ル テ ィ ウ ス の ラ テ ン 語 et 、 ホ ド ヴ ィ エ ツ キ ー の 発 音 表 記、 ビ ュ ル ガ ー の ド イツ語が低地のそれであることにつき、人文学部ヨーロッパ比較文化学科の同僚西村淳子教授、阿部賢一専任講師、 新田春夫教授の懇切なご教示を戴いた。西村さん、阿部さん、新田さん、どうもありがとうございました。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号   ドイツ民族は、その最も優れた著作であっても数十年 ほ ど昔のものになると、軽薄な若者が歳を食い始めた恋人に すげなくなるのと大差無い扱いしかしなくなり、法外な好奇心を燃やして新たな、いや、今出たての ほ や ほ やの作品 を追い求める、となどしばしば後ろ指を差されますし、それも故なしとはなし得ません。その結果書籍の寿命は基督 月[ 十 二 月 ] の 昼 の 長 さ と 同 様 ど ん ど ん 短 く な り、 と ど の つ ま り は、 文 学 の 二 つ の 南 中 (( ( 点 で あ る ミ ミ ヒ ャ エ リ ス メ ッ セ カ エ ル 祭 と (( ( 復 オースターメッセ 活祭市 の (( ( 間の僅か数週間 ほ どになってしまいます。ちなみに、このような新しい物好きには明暗両面があります。 良い点は、著作家や 流 は や 行 り物商人の活動を絶えず張り詰めた状態にしておくので、この民族──おそらく遠からずし て男女全員著作家になることでしょう──の教養を到底信じられないまでに助長するに違いないこと。そう、なにし ろキケ ロ (( ( やクウィンティリアヌ ス (( ( によれば、物を書くのは、読んだり聴いたりよりもずっと多量の修養を、それもず っ と 早 く 齎 もたら し て く れ る そ う で す か ら ね。 悪 い 点 は と 申 し ま す と、 こ の 大 い に 尊 敬 に 値 す る、 多 く の 点 で 全 く 優 れ て いる民族が、一心に努力しているにも関わらず、飽くこと無き貪欲のために徹底的な教養を身に付けられない、そし て少なくともしっかりした美的感覚を養うまでに至れないということ。短い干潮の間に流砂に基礎を置くか、あるい は 急 い で そ こ に 何 か 建 て る や い な や、 そ い つ は 次 の 市 メッセ の 満 潮 に 洗 い 流 さ れ て し ま う の で す。 そ の 結 果 周 到 に 物 事 を

  

一八二五年版のための序

(1 (

フリードリヒ・ヤーコプ

(2 (

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題 思い巡らす読者、昂揚した読者方であればある ほ ど、気分も記憶も索漠荒涼たるままのありさま。ホメロス風の形容 句を用いれば、絶えず揺れ動き、そしてそれだからこそ、実を結ぶことのない海 原 (( ( のごとくに。かような貪欲から生 ずるいろいろ別の弊害を挙げて行けば、まるまる一冊の本の材料にもなりましょう。さて、私は序文のみを、それも これは自分からしゃしゃり出たのですらなく、友である版元の要請によって書くことになったのですから、このもう 既にあまりにも長たらしくなってしまった付けたりの所見を、読書界は段段に悟って来て、上述の欠点から脱却しよ うと努め始めたように思われる、という心慰めで結ぶとしましょう。こう推測するのは、次の二つの現象からです。 一つには、出版 書 しょ 肆 し が、 堪 たま ったもんじゃない、と感じている現象──要するに、六箇月間に出した新刊書がその源泉、 すなわち版元へますます激しく逆流して行くということ──から。二つには、これは慶賀すべき現象ですが、暫く前 からかなり昔の著作家の新版が熱心に求められ購入されていることから。これは、かかる作品も読者に巡り会うよう になりつつあり、我がドイツの読書界という 混 バ ビ ロ ン 沌の巷 ──ここにはどの世代もが伏し拝む偶像を持っており、しかも その偶像は前の世代にも次の世代にもまるきり知られず、問題にもされないのです──にも、やっとのことで全ての 教養人がお互いを理解し合い、再認識し合うための共通の中心点と祭壇ができ始めているのでは、との希望を繋ぐよ すがです。ウェスタの火の許 で (( ( のこうした自発的な 邂 かいこう 逅 、もろともに行う礼拝は、思いも掛けぬ ほ ど多くのものを提 供 し ま す し、 私 た ち が 既 に 長 年 徒 いたずら に 模 索 し 続 け て い る の に、 ド イ ツ 風 の 民 族 衣 装 に よ っ て も、 体 ト ゥ ル ン 操 術 クンスト や ((( ( 学 ブルシェンシャフト 生 組 合 に ((( ( よっても獲得することができなかった、あの国民性への道をこれのみで 拓 ひら き得るのです。   これぞまさしく 昔 せきじつ 日 の、そして健全な食餌に対する要望が目覚めた結果ですが、ここに版元が江湖の皆様に新版で 差し上げますのは、洗礼証書によれば一七八二年生誕、その容姿・教養に関しましては古風とは申せ、若さと優雅さ は溢れんばかり。これらの 昔 メルヒェン 話 ──その作者の全ての著述の中で、 『観相学的旅行 』 ((( ( を別にすれば、おそらく最も豊

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武蔵大学人文学会雑誌 第 39 巻第 2 号 かな独自性を示しております──の題材は、我が民族固有の生活に根差しており、この上もなく素晴らしい、不朽の 命を持っていますが、常に明朗かつ活発な、機知と茶目っ気が横溢している独特の語り口によっても、飛び切り優れ たネーデルランドの 色 コ ロ リ ス ト 彩派画家 た ち ((( ( の作品を想い起こさせる鮮明な色調を授かりました。一八〇三年、作者の没後第 二版出版の労を執り、あちこちを訂 正 ((( ( し、注を施したヴィーラン ト ((( ( が、次のように言っているのもむべなるかな。い わく。これらの物語は十八世紀最後の四半期が産み出した最上の作品に入る、と。またいわく。若い人たちが読んで 頭と心に得るところがある著作のうちで、その至当の位置を失うことは決して無いだろう、と。そして最後にいわく。 度 重 な る 模 倣 に よ っ て も、 そ の 長 所 の 数 数 が よ り 明 る い 照 明 を 当 て ら れ た に 過 ぎ な か っ た、 と。 現 代 に 生 き る 読 者 層にもしかして不都合と思われるかも知れない唯一のことは、今はもう忘れられた文書、さまざまの、主として文学 界のできごとへの数限り無い言及です。これら諸事項は、ムゼーウスが書いた当時こそ広く世に知られていたのです が、上述の出版人[ヴィーラント]にすら既に一部は分からなくなってしまったのでした。そして、二十二年も経っ た当今となりますと、大部分の読者の皆様──皆様の多岐に亘る精神力の中でも記憶力というのはそもそも最強では ありませんので──には、とんと不案内かつ理解不能に違いありません。ヨーロッパの司書と呼ばれるのが大いに好 きな我らドイツ人が、フランス人や英国人のように国文学史に注意を払っているなら、とっくの昔にだれかしら注釈 者──諷刺作家にして諧謔家であればいずれも早晩そういう人物が必要になります──がそうした需要に応じていた でしょうに。しかし三文文士どもやそのたわけた所 業 ((( ( がどれ ほ ど問題だってんだね、とおっしゃる向きがあるかも。 もとよりどうってことはありません。でも、良い着想の維持と意義は我らにとって大切なことではないでしょうか。 なにせ、こうした果実は鼻であしらってよい ほ ど再再アルプスと バ オ ス ト ゼ ー ルト海 の間[ドイツ語圏]に熟すわけではありま せんから。

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ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス著『ドイツ人の民話』まえがき四編 鈴木滿訳・注・解題   さ て、 私 ど も は、 こ れ か ら 先 た く さ ん の 版 が 出 る こ と を 期 待 し つ つ、 こ れ ら の 昔 メ ル ヒ ェ ン 話 の そ う し た 未 来 の 出 版 者 の ど なたかにそうした仕 事 ((( ( ──私どもはこれを要求されませんでした。なにせそもそも本文も原注もヴィーラントが出版 した形そのままです──をしてくださるようご推奨いたす次第ですが、この序文を結ぶに当たり、この愉快な本の復 活が、これ ほ ど聡明な作家はごく少数であり、同時に、この上なく純粋な心情と人間性に関する深遠な知識との、そ れから、この上なく無邪気な善良さと極めて豊潤な機知との世にも稀なる結び付きによって人間として最大の尊敬を かちえ、彼と馴染みになった全ての人人に、好意に満ち満ちた思い出を起こさせる一男性への追憶を新たにすること に寄与したことへの喜びを表明さざるを得ません。     ゴ ー タ ((( ( にて   一八二五年ユリウス月[七月] F ・ J ・ 訳注 ( ()一八二五年版のための序文   Vorrede zur Ausgabe vom Jahr (((( .  次に訳・注を載せた「新版〔一八三九─四〇年版〕のための序文」に先 立って、 『ドイツ人の民話』一八三九─四〇年版の巻頭に掲げられている。一八二五年版は第三版、一八三九─四〇年版は第四版に当たるか。 ( () リ ー ド リ ヒ・ ヤ ー コ プ ス  Friedrich Jacobs.   ド イ ツ の 古 典 文 献 学 者 に し て 著 述 家 ク リ ス テ ィ ア ン・ フ リ ー ド リ ヒ・ ヴ ィ ル ヘ ル ム・ ヤ ー コ プ ス Christian Friedrich Wilhelm Jacobs ( 一 七 六 四 ─ 一 八 四 七 )。 詳 し く 記 す と、 一 七 六 四 年 十 月 六 日 ゴ ー タ に 生 ま れ、 一 八 四 七 年 三 月 三 十 日 ゴ ー タ に 死 す。 し か し ヤ ー コ プ ス 自 身 が、 『 ド イ ツ 人 の 民 話 』( 一 七 八 二 ─ 八 六 ) 出 版 と 誕 生 年 を 同 じ く し て い る、 つ ま り、 「 人 気 の あ る こ の 本 は 同 じ 年( 一 八 三 五 年 ) に 序 文 執 筆 者 と と も に 五 十 歳 の 記 念 日 を 祝 っ た の で す 」 と「 新 版 の た め の 序 文 」 に 記 し て い る。 こ れ は 甚 だ 奇 妙。 イ エ ナ 大 学 と ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン 大 学 で 文 献 学 と 神 学 を 学 び、 一 七 八 五 年 故 郷 ゴ ー タ の 古 ギ ュ ム ナ ジ ウ ム 典 語 中 高 等 学 校 教 授 と な る。 一 八 〇 二 年 以 降 こ れ に 加 え 同 市 の

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