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ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ 利用統計を見る

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ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング ─アルピニ

ズム黄金期以降の山岳詩─

著者

佐藤 泰人

著者別名

SATO Yasuhito

雑誌名

白山英米文学

42

ページ

1-22

発行年

2017

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00008619/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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一 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─   山 岳 詩 研 究 と い え ば、 ニ コ ル ソ ン︵ Marjorie Hope Nicol -son ︶の

Mountain Gloom and Mountain Glory: The Development

of the Aesthetics of the Infinite (1959) が 邦 訳 も さ れ て お り 一 つ の標準を示している。地球の美を損なうものとして見られて い た 山 岳 が や が て 崇 高 美 と し て 見 出 さ れ る に い た る 変 遷 を 追ったこの研究は、現在でも文学における山岳表象を考える 上で有用な文献となっている。山岳の崇高美は、この書が一 つの到達点としている英国ロマン派詩から二百年近くを経た 今でも、山に対する我々の感覚に大きな影響を与えているだ ろう。しかし、山に対する、無視できない意識変化がこの書 の扱う詩群が書かれた後に起こる。すなわち、主に英国人の 登 山 家 た ち が 次 々 に ア ル プ ス の 処 女 峰 登 頂 を 果 た し て い っ た、 十 九 世 紀 半 ば の﹁ ア ル ピ ニ ズ ム 黄 金 期 1 ﹂ で あ る。 以 降、 難 易 度 の 高 い 高 峰 登 攀 や 岩 山 登 攀 を 楽 し む 登 山 人 口 が 増 え 続 け、 山 岳 は よ り 身 近 な も の に な る。 ニ コ ル ソ ン が 表 題 を そ の 著 作 Modern Painters か ら 借 り た ラ ス キ ン︵ John Ruskin, 1819-190 0 2 はこの黄金期に生き、 自身も山登りを楽しんだが、 真の山岳美はわざわざ高峰の山頂になど登らずとも、美的に 訓練された目で感じられるものだと主張してい た 3 。しかし今

ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング

─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─

 

 

 

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二 や、高峰から見る、または岩肌に取り付く経験から生じる山 岳表象の可能性が生まれたのである。   とはいえ、例えば下から見上げる山岳の崇高美をうたった シ ェ リ ー の Mont Blanc に 対 抗 す る よ う な 詩 は そ う 簡 単 に 生 ま れ な か っ た。 ラ ス キ ン 的 山 岳 美 観 と 鋭 く 対 立 し、 岩 壁 に 張 り 付 い て こ そ 山 の 真 理 を 感 得 で き る と 主 張 し て 新 し い 美 学 を 提 唱 し た レ ズ リ ー・ ス テ ィ ー ヴ ン︵ Leslie Stephen, 1832-190 4 4 も、 そ の 山 行 録 The Playgr ound of Eur ope (1871) で 引 用する詩は前時代のものばかりであったというのは皮肉であ る 5 。 そ の 約 七 〇 年 後 の 一 九 三 九 年 に な っ て も な お、 ﹁ 山 の 詩 ﹂ は あ っ て も 良 質 の﹁ 登 山 詩 ﹂ は な か な か 見 当 た ら な い、 と 英 国 の 詩 人・ 批 評 家 で 登 山 家 で も あ る マ イ ケ ル・ ロ バ ー ツ︵ Michael Roberts, 1902-1948 ︶ は、 ロ ン ド ン の ア ル パ イ ン・ ク ラ ブ︵ Alpine Club ︶ で の 講 演 The Poetry and Humour of Mountaineering で述べている。しかしその中でロバーツが 例外的に名前を挙げているのがダグラス・フレッシュフィー ルド︵ Douglas W illiam Freshfield, 1845-1934 ︶と、本稿で取り 上 げ る ジ ェ フ リ ー・ ウ ィ ン ス ロ ッ プ・ ヤ ン グ︵ Geof frey W in -throp Y oung, 1876-1958 ︶ で あ る 6 。 と り わ け ヤ ン グ の 詩 は 登 山 家の間で評価が高い。一九五三年のエヴェレスト初登頂隊員 で も あ っ た 登 山 家・ 作 家 の ウ ィ ル フ リ ッ ド・ ノ イ ス︵ W ilfrid Noyce, 1917-1962 ︶は、ヤングを、 mountain poet と正当に呼 ぶ こ と の で き る 最 初 の 詩 人 で あ り、 ﹁ 山 肌 に お け る、 ま た は 山に関わる人間の活動について明瞭に、また意識的に書かれ た最初の詩集﹂を著した詩人だと、一九五七年の論考で賞賛 してい る 7 。   ヤングが出版した詩集は、一九〇九年の処女詩集﹃風と山 と﹄ ︵ W

ind and Hill

︶、 一九一四年の第二詩集 ﹃自由﹄ ︵ Fr eedom ︶、 一九二三年の第三詩集﹃四月と雨﹄ ︵

April and Rain

︶、そして

それまでの詩に若干の修正を施し、数編の新しい詩を加えた

一九三六年の

﹃全詩集﹄

The Collected Poems

︶ と多くはなく、 英国詩史上においてもその存在は看過されている。だが﹁彼 の 詩 を 口 ず さ め な い 登 山 家 は ほ と ん ど い な い 8 ﹂。 本 稿 は こ の 詩人に注目し、特に彼の登山家人生の前半部に書かれた詩群

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三 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ に焦点を当てる。本稿前半はヤングの生涯、登山家としての 位置、第一次世界大戦との関係などを整理し、後半では彼の 第一、 第二詩集所収の詩を検討してその特質を明らかにする。 英国山岳文学研究において、ニコルソンの射程外となるロマ ン派以降の詩をきちんと論じたものは、論者の知る限りいま だない。アルピニズム黄金期以降の山岳文学研究が対象とす るのは、散文の登攀記に偏り、ヤングを評価する文献におい てすら、彼の詩を詳細に論じるものがない現況におい て 9 、本 稿がその改善の一助となればと思う。 一、ヤングの生 10   ジェフリー・ウィンスロップ・ヤングは一八七六年一〇月 二 五 日 生 ま れ。 父 親 は 准 男 爵 ジ ョ ー ジ・ ヤ ン グ︵ Sir Geor ge Young, 1837-1930 ︶、 母 親 は ダ ブ リ ン の 医 師 の 娘 ア リ ス・ ケ ネ デ ィ ー︵ Alice Eacy Kennedy , 1840-1922 ︶ で、 彼 女 は 最 初 の 夫 と イ ン ド に 暮 ら し て い た が、 夫 の 事 故 死 の 後 イ ギ リ ス に 戻 り、 ジ ョ ー ジ・ ヤ ン グ と 結 婚 し た。 ジ ェ フ リ ー は 三 男 一 女 の 次 男 と し て ク カ ム︵ Cookham ︶ の テ ム ズ 川 沿 い の 大 邸 宅 で 育 つ。 マ ー ル バ ラ・ コ レ ッ ジ︵ Marlborough College ︶ か ら、一八九五年秋ケンブリッジ大トリニティ・コレッジに進 み 古 典 を 学 ん だ。 一 八 九 八 年 ケ ン ブ リ ッ ジ 卒 業 後、 フ ラ ン ス・ドイツ留学をへて一九〇二年にイートン校の教師となる が、 一 九 〇 五 年 離 職。 そ の 後 中 等 学 校 視 察 官︵ His Majesty s Inspector for Secondary Schools ︶ の 仕 事 に つ く が 一 九 一 三 年 に離職。これらの離職にはヤングのホモセクシュアリティー が 関 与 し て い た よ う だ 11 。 一 九 一 四 年 か ら の 大 戦 時 は、 Daily News 紙 の 前 線 特 派 員 と し て 戦 地 の 状 況 を 報 告 す る が、 そ の 惨状に衝撃を受け、救急隊を組織、一九一五年冬から活動を 開始する。一九一七年、イタリア山岳地帯の戦線にて敵砲弾 に よ り 負 傷 し、 左 脚 切 断 に い た る。 終 戦 前 の 一 九 一 八 年 四 月、 古 く か ら の 友 人 の 娘 エ レ ナ・ ス リ ン グ ズ ビ ー︵ Eleanor Slingsby , 1895-1994 ︶ と 結 婚。 結 婚 前 に ヤ ン グ は 自 分 の 性 的 傾向をエレナに告白していたが、彼女は受け入れた。二人は

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四 一 男 一 女 を も う け る が、 ヤ ン グ は 結 婚 後 も 男 性 と ホ モ セ ク シュアル関係を持つことがあった。戦後はフリーのライター として生活しつつ、義足で登山を再開する。またロックフェ ラ ー 財 団 へ の 助 言 提 供 者 と し て、 文 化・ 教 育 面 で 貢 献 し た。 第二次大戦中は老齢のために活躍できない自分に苛立ちなが らも、ヒトラーに抗したドイツ人の友人を助けたり、ドイツ 詩を翻訳したりして、ヤングなりにナチズムと戦う。第二次 大戦後も執筆や講演などの啓蒙活動をつづけ、一九五八年九 月六日胃癌で死去した。 二、登山家ヤング   ヤングの山岳入門は、十一歳の頃父親に連れられて登った ウ ェ ー ル ズ の 山 々 で あ っ た。 父 ジ ョ ー ジ は 若 い 頃 登 山 を 楽 し み、 一 八 六 五 年 に は ユ ン グ フ ラ ウ︵ Jungfrau, 4158m ︶ に 登 頂しているが、翌年弟二人を連れてモンブラン︵ Mont Blanc, 4808m ︶ に 登 頂 し た 際、 下 山 途 中 で 滑 落。 本 人 と 上 の 弟 は 大 した怪我はなかったが、一番下の弟は首の骨を折って死亡し た。以来ジョージは高峰登山をやめたのだが、山歩きの楽し み は 捨 て ず、 息 子 ヤ ン グ を、 ア イ ル ラ ン ド の キ ラ ー ニ ー ︵ Killarney ︶ や ド イ ツ の ハ ル ツ 山 地︵ Harz ︶ な ど の 低 山 歩 き にも連れていった。   ヤングの父は﹁アルピニズム黄金期﹂に二〇代を送ってい る。 こ れ は 一 八 五 四 年 の ウ ィ ル ス︵ Alfred W ills, 1828-1912 ︶ に よ る ヴ ェ ッ タ ー ホ ル ン︵ W etterhorn, 3692m ︶ 登 頂 か ら、 一 八 六 五 年 の ウ ィ ン パ ー︵ Edward Whymper , 1840-191 1 ︶ に よるマッターホルン ︵ Matterhorn, 4478m ︶ 初登頂までの、 ヨー ロッパアルプスの高峰が主に英国人によって次々に登頂され た 時 期 を い う が、 自 国 に 高 山 を 持 た な い 英 国 は、 科 学 的 調 査、冒険的登山、観光地開発などさまざま面でアルプスに進 出し、一八五七年には世界に先駆けてアルパイン・クラブを ロ ン ド ン に 設 立 し た の で あ っ た。 ク ラ ブ 初 代 会 長 の 自 然 科 学者ジョン・ボール (John Ball, 1818-1889) や氷河研究を行っ た物理学者ティンダル︵ John T yndall, 1820-1893 ︶のように科

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五 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ 学的興味から山に入ってその魅力に取り憑かれた者や、レズ リー・スティーヴンのように純粋に冒険的スポーツとして高 峰登山に魅了された者たちがこの黄金期に活躍した。つづく ﹁銀の時代﹂ と呼ばれる時期

一八八二年のグレアム ︵ W. W. Graham, c.1859-? ︶ に よ る ダ ン デ ュ ジ ェ ア ン︵ Dent du Géant, 4013m ︶ 初 登 頂 ま で

に は 比 較 的 知 ら れ て い な か っ た ア ル プスの処女峰が次々に踏破されていくことになる。ちなみに ﹁ ア ル ピ ニ ズ ム 鉄 の 時 代 ﹂ は 第 一 次・ 第 二 次 大 戦 戦 間 期 か ら 一九五三年のエヴェレスト登頂あたりまでで、ピトンを多用 する人工登攀の発達を特徴とする。   ヤ ン グ は﹁ 銀 の 時 代 ﹂ 後 か つ﹁ 鉄 の 時 代 ﹂ 前 に 属 す の だ が、登山家 ・ 著述家のアーノルド ・ ラン︵ Arnold Lunn, 1888-1974 ︶は A Century of Mountaineering (1957) で、 ヤングを銀の 時代以後から第一次大戦までの時期を象徴する登山家として いる。ヤングは金の時代のウィンパー、銀の時代のママリー ︵ A. F. Mummery , 1855-1895 ︶ に 匹 敵 し、 ﹁ こ の 時 代 の 登 山 家 で……ヤングと比べられるほどに新ルートの登攀記録を持っ ている者はいない﹂ 、 と 12 。   ヤングが本格的な登山を始めたのは大学時代で、最初の夏 休 み︵ 一 八 九 六 年 ︶ に イ ン グ ラ ン ド 北 西 部 の カ ン バ ラ ン ド ︵ Cumberland ︶ で ザ イ ル と 鋲 ブ ー ツ を 使 っ た 岩 登 り を 試 み て いる。また学生時代のユニークな活動としては、夜な夜なコ レッジの校舎を登るという遊びに興じていたことで、ヤング は卒業後の一八九〇年に﹃トリニティー屋根登り案内﹄ ︵ The Roof-Climber ’s Guide to T rinity ︶という、アルプス登攀ガイド の大仰なスタイルをまねた本を、そして一九〇五年に﹃壁登 り・ 屋 根 登 り ﹄︵ W all and Roof Climbing ︶ を 出 版 し て い る。 ケンブリッジ二年目の夏、九七年にヤングは初めてアルプス ︵ ス イ ス の ペ ン ニ ネ・ ア ル プ ス ︶ を 訪 れ た。 こ の 魅 力 に と り 憑かれて以降、彼は頻繁にアルプスを訪れ、大戦勃発まで盛 んに新ルートによる登頂を行い、登山家として知られるよう になっていく。一九〇〇年二月、前述のウィルスに推されて アルパイン・クラブ入会を認められ、一九〇七年には執行委 員会に加わる。第二次大戦時というもっとも困難な時期には

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六 会 長 を 務 め た︵ 一 九 四 一 ~ 四 三 年 ︶。 第 一 次 大 戦 ま で の 登 攀 は 戦 後、 エ ッ セ イ 集﹃ 高 き 山 々﹄ ︵ On High Hills , 1927 ︶ に ま とめられる。またその登山家としての知識を買われ、出版社 からの依頼により登山技術書を執筆、出版は大戦のために遅 れたが、 大部 ﹃山の技術﹄ ︵ Mountain Craft , 1920 ︶ に結実した。 登山技術だけでなく、心構えやリーダーシップなど精神上の 問題も議論したこの本の評価は高く、版を重ねた。   こうしたヤングの登山家人生は、第一次大戦の負傷による 左脚切断で終わるはずであったが、彼は友人に助けられなが ら義足によって登山を再開した。一九三五年、六〇歳のとき に ツ ィ ナ ー ル ロ ー ト ホ ル ン︵ Zinalrothorn, 4221m ︶ 山 頂 で 引 退を決意するまでの、義足によるアルプス高峰登攀の数々は の ち の 一 九 五 一 年 に﹃ 一 味 違 う 山 ﹄︵ Mountains with a Differ -ence ︶として出版された。 三、ヤングと国内登山コミュニティー   ﹁ 銀 の 時 代 ﹂ 以 降、 未 踏 の 地 を 求 め る 登 山 家 た ち の 関 心 は アルプスの外へ

コーカサス、ノルウェー、アンデス、カ ナダ、 そしてヒマラヤへ

と向かったが、 ヤングはヨーロッ パアルプスの外へは足を伸ばしていない。それでも彼が重要 視されるのは、ヨーロッパでの活躍と同時に、英国国内にお ける登山コミュニティーにおいて顕著な役割を果たしたから であろう。彼は憑かれたように未踏未開の極地へ向かう登山 家というよりも、むしろ啓蒙家 ・ 教育者としての側面が強い。 イートン校教師時代は、登山が人間形成に重要な役割を果た すという信念のもと、生徒にも積極的に登山をすすめ、若き ケインズ︵

John Maynard Keynes, 1883-1946

︶もヤングに連れ られてアルプス登山を行った一人であった。   彼の重要な活動の一つに、国内の岩壁登攀コミュニティー を支えたことがある。 北ウェールズ、 スノードン山 ︵ Snowdon,

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七 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ 1085m ︶ ふ も と の ペ ナ パ ス︵ Pen-y-Pas s 13 に あ る 宿 は 岩 壁 登 攀の拠点となっており、ヤング自身一九〇一年に初めて訪れ ていたが、ここでヤングは一九〇七年のイースター以来毎年 集まりを催すことになる。ここに老若男女の岩登り愛好家や そ の 家 族 友 人 が 集 い、 次 々 に 新 し い 登 攀 ル ー ト 開 い て い っ た。 の ち に エ ヴ ェ レ ス ト に 登 る こ と に な る マ ロ リ ー︵ Geor ge Mallory , 1886-1924 ︶ な ど も ヤ ン グ に 連 れ て こ ら れ て 常 連 と なっている。ペナパスの集まりはそうした次世代の登山家た ちを育てる糧となっただけでなく、様々な才能がこのコミュ ニティーの魅力に関わってもいた。例えば、マロリーは彼が 教 師 を し て い た チ ャ ー タ ー ハ ウ ス 校 の 生 徒 ロ バ ー ト・ グ レ イ ヴ ズ︵ Robert Graves, 1895-1985 ︶ を 連 れ て き た し、 ブ ル ー ム ズ ベ リ ー・ グ ル ー プ の ダ ン カ ン・ グ ラ ン ト︵ Duncan Grant, 1885-1978 ︶ も こ こ を 訪 れ た 一 人 で、 一 九 〇 一 年 に は ア ル パ イ ン・ ク ラ ブ の ギ ャ ラ リ ー で 個 展 を 開 い て い る。 オ ル ダ ス・ ハクスリー︵ Aldous Huxley , 1894-1963 ︶も、眼病を患う以前 の少年時代に兄弟とここで山登りを楽しんだ。この例年の集 まりは第一次および第二次大戦で中断するも、一九四七年ま で続いた。   英 国 で は こ の 時 ま で に 様 々 な 地 方 山 岳 会 が 生 ま れ て い た。 ス コ ッ ト ラ ン ド の Scottish Mountaineering Club ︵ 一 八 八 九 年 設 立 ︶、 北 ウ ェ ー ル ズ で 活 動 し た Climbers Club ︵ 一 八 九 八 年 ︶、 Yorkshire Ramblers ︵ 一 八 九 九 年 ︶ リ ヴ ァ プ ー ル の W ayfarers Club ︵ 一 九 〇 六 年 ︶、 マ ン チ ェ ス タ ー の Rucksack Club ︵ 一 九 〇 七 年 ︶、 湖 水 地 方 の Fell and Rock Climbing Club ︵ 一 九 〇 七 年 ︶ な ど で あ る。 国 内 の 野 山 は、 十 八 世 紀 の﹁ ピ クチャレスク﹂美感の導入により、すでに主に有閑階級の娯 楽の対象となっていた が 14 、産業化の進んだ十九世紀は、工場 や狭苦しい住環境から逃れて野外活動を求める動きが労働者 階級にも広がっていった時代でもあり、野山歩きを目的とし たクラブが上中流階級にも労働者階級のあいだでも出来始め てい た 15 。そうした背景の中で山登りや岩登りを楽しむ団体も 出てきたのである。国内の岩壁は、アルピニストにとっての 訓練の場にもなったし、アルプスに行くだけの興味や資財の

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八 な い 者 た ち に と っ て も 魅 力 的 な 環 境 を 提 供 し た。 ヤ ン グ の 主 催 し た 集 ま り は 上 中 流 階 級 が 中 心 で あ っ た が、 国 内 の 山 は様々な動機を持った多様な社会階層へと開かれていったの で あ る。 ま た、 女 性 の み の 山 岳 会 が、 一 九 〇 七 年 に Ladies Alpine Club と し て ロ ン ド ン に 結 成 さ れ、 一 九 〇 八 年 に は La -dies Scottish Climbing Club が で き た。 さ ら に 岩 登 り の 活 発 な 北 ウ ェ ー ル ズ に 近 い マ ン チ ェ ス タ ー に 一 九 二 一 年、 Pinnacle Club が で き る が、 こ れ は ヤ ン グ が 助 力 し、 妻 エ レ ナ

彼 女 は 登 山 家 W illiam Cecil Slingsby (1849-1929) の 娘 で あ り 自 身も山登りをしていた

が中心となって設立された女性登 山 ク ラ ブ で あ る 16 。 ヤ ン グ は 英 国 に お け る こ れ ら 多 数 の 国 内 山 岳 ク ラ ブ が 協 力 し て 一 つ の 力 と な る よ う な 連 合 体 を 提 案、 一 九 四 四 年 の British M ountaineering Council 設 立 へ と つ な が っ た 17 。 四、第一次大戦   ヤ ン グ と い う 存 在 を 考 え る と き に も う 一 つ 重 要 な の が、 第 一 次 大 戦 と の 関 連 で あ る。 一 九 一 四 年 の 開 戦 時 ヤ ン グ は 三十七歳。彼はドイツに多くの友人知己を持っており、基本 的には平和主義者であったが、そのいっぽうで持ち前の義務 感や冒険心はこの戦いに関与すべきだと訴えていた。八月の 開戦直前、ジャーナリストであった弟ヒルトンに、リベラル 紙﹃デイリー・ニューズ﹄から前線特派員にならないかとの 依頼がくる。すでに海軍に入隊することになっていた弟に代 わって、 好機とばかりにヤングは自分が行けまいかと申し出、 これが受け入れられるのである。一九一四年八月一日パリ到 着、翌年夏まで特派員の仕事を続け、その後上述のように救 急隊を組織、終戦まで活動を続ける。この間の一九一七年八 月三十一日夜、救急活動中に敵砲弾を受けて負傷し、左脚の 腿から下を切断することになる。

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九 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─   ヤングは、 一九一四年十月に戦場報告をまとめ﹃塹壕から﹄ ︵ Fr om the Trenches: Louvain to the Aisne, the First Recor d of an Eye-W itness ︶ と し て 出 版 し、 晩 年 に 執 筆 し た﹃ 忘 れ る こ と の ありがたさ﹄ ︵

The Grace of For

getting , 1953 ︶で一次大戦時を 振り返っている。また、数少ないながら、詩においても第一 次 世 界 大 戦 に 関 係 す る も の が い く つ か あ る 18 。 ヤ ン グ は 山 を 通 し て 戦 前 か ら グ レ イ ヴ ズ や ブ ル ッ ク︵ Rupert Brooke, 1887-1915 ︶ を 知 っ て い た が、 ヤ ン グ の 大 戦 詩 は、 彼 ら や オ ウ エ ン︵ W ilfred Owen, 1893-1918 ︶、 サ ス ー ン︵ Siegfried Sassoon, 1886-1967 ︶ ら に よ る 戦 争 詩 と 非 常 に 異 な る。 ま た、 第 一 次 大戦に関わった詩人を網羅的に列挙した

The Cambridge Com

-panion to the Poetry of the First W orld W ar の詩人リス ト 19 にヤン グ の 名 前 は な い。 そ の い っ ぽ う で デ イ ヴ ィ ス︵ W ade Davis ︶ が示したように、第一次大戦は、ヤングが陰ながら支えた英 国のエヴェレスト遠征とも深い関係があり、第一次大戦との 関 わ り に お け る ヤ ン グ の 位 置 を 確 認 す る 作 業 が 必 要 で あ ろ う。これには別の機会を待ちたい。 五、ヤングの前半期山岳詩   ヤングはケンブリッジ時代に、年間最優秀詩に送られる賞 ︵ the Chancellor s Medal for English Verse ︶ を 一 八 九 七 年 と 翌 一八九八年の二年連続で勝ち取っていたが、友人のトレヴェ リアン ︵ G. M. Trevelyan, 1876-1962 ︶に励まされて処女詩集 ﹃風 と山と﹄を出版したのは、ようやく一九〇九年になってのこ と だ っ た。 TLS の 書 評 は、 ワ ー ズ ワ ー ス と 比 較 し つ つ、 ヤ ン グ の 自 然 と の 関 わ り は﹁ 思 考︵ thought ︶﹂ に よ る も の で は な く﹁ 感 覚︵ sense ︶﹂ に よ る も の、 と 論 じ、 高 い 評 価 を 与 え て い る 20 。いっぽう登攀経験のあるものたちは、新たな山岳詩の 誕 生 を そ こ に 見 た。 ラ ン は、 ﹁ 多 く の 詩 人 が、 自 身 は 登 攀 を せずに山をうたってきた。しかしここにきて初めて我々の同 胞が、山岳登攀への熱意と情熱とを高貴な詩の形に翻訳して くれた﹂ と評 し 21 、また、 トレヴェリアンは冒頭詩 ﹁風﹂ ︵ W ind ︶ を﹁登攀者の視点または現代的視点から山をうたった初めて

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一〇 の詩﹂と称え た 22 。   TLS の評者も詩集中最高の出来としているこの詩は、 W

ind of the morning, wind of the gloaming, wind of the night,

what is it that you whisper to the moor . . .?

朝の風   黄昏の風   夜の風 荒野に   お前は何を囁くか…… と始まり、十四連にわたって風の様々な姿をうたう。ここで は岩山に吹きつける風を感じる第五連を引用しよう。 W

ind of the torrent, wind of the mist-wraith, wind of the peak,

what is your message for our gaunt grim crags,

as with a harsh fantastic mimicry

of deadly rage you rush upon their strength

in clangour of attack?

When with a hollow thunder you assail

their lichened pinnacles, spurring the mass

of furious cloud about their damp grey walls

in savage ecstasy of passion;

until at length

turret and bastion pulsing with the shock

of joyous frenzy bellow to the gale;

the bluf

f blunt clif

fs roar out their answering glee

in deep reverberations; cleft and cave

echo the boisterous chorus from hoarse throats;

the torrent shouts its triumph to the rock,

and the rock answers with the vicious notes

of volleying stone-falls;

full of the frolic every precipice

shakes with new tumult, flings the onset back,

stabs the shrill coursers of the flying clouds

with trenchant edge, and rends the grey mist-hags

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一一 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ ︵急流の風   霧亡霊の風   頂上の風 荒涼不気味なぼくらの岩場に   お前は何を伝えたい 人殺しの怒りを残酷に幻想的に真似て けたたましい襲撃を 岩場に仕掛けてくるお前 うつろな雷とともに 地衣に覆われた岩塔を襲い 怒れる雲の塊を湿った岩壁にけしかけ 残酷な情熱に恍惚とする だがやがて 小塔と稜堡が喜び狂う衝撃に脈打ち 大風に唸りをあげる ぶっきらぼうな鈍い崖が歓喜の応えを吠え 深くこだまする   裂け目とほら穴は しわがれた喉からやかましいコーラスを響かせる 急流が勝利を岩に叫ぶと 岩は落石の一斉射撃の 悪意ある音色で応える 浮かれ騒ぎですべての絶壁が 新たな興奮に震え攻撃を投げ返す 飛ぶ雲の甲高く鳴く鳥を鋭利な刃先で突き刺し   灰の霧魔女たちを引き裂く   霧は叫ぶ渦巻きとなって あんぐり口をあけた峠道を散ってゆく︶ こ の 連 も 風 へ の 語 り か け か ら 始 ま る が、 九 行 目︵ until at length ︶ を 転 換 点 に、 後 半 は 風 に 対 す る 岩 山 の 応 答 と な る。 風 に 吹 き 付 け ら れ る こ と で 崖 の 凹 凸 が 音 を た て、 風 に よ っ て 岩 山 の さ ま ざ ま な 輪 郭 が 明 ら か に な っ て い く の だ。 peak ,

gaunt grim crags

,

lichened pinnacles

,

damp grey walls

, turret , bastion , bluf f blunt clif fs , cleft , cave , rock , stone-falls , preci -pice , trenchant edge と、この連全体にわたって岩山の様々な 形態が立ち現れ、さらに山を流れる水、とりまく霧と雲とが 描き出される。岩肌に張り付く人の姿は見えないのだが、そ の存在は二行目の our [. . .] crags にわずかに喚起される。自

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一二 然物に投影された怒り、喜び、狂気といった感情や声、鼓動 を 感 じ と る 人 間 存 在 と い う の は、 文 学 作 品 で は 馴 染 み の モ チーフだが、この詩において特筆すべきは、彼の岩肌への近 接である。彼は岩とともに風を感じ、風とともに岩を感じて いる。岩壁に取り付く者のみが感知するであろう山と風の触 覚に、この詩の力強さがあ る 23 。   登山家でこそ書きうる詩という観点からいえば、この第一 詩 集 に は﹁ マ ッ タ ー ホ ル ン 山 頂 に ひ と り 立 っ て ﹂ と い う 説 明 を 付 記 し た 詩 が あ る。 ﹁ モ ン テ・ シ ル ヴ ィ オ か ら ﹂︵ From Monte Silvio ︶ を 全 詩 引 用 し よ う。 ABABABCC と 整 っ た 脚 韻 を 踏 ん だ 五 歩 格 の 八 行 詩。 ち な み に、 Monte Silvio は マ ッ ターホルンの別称である。

Peak beyond peak, range beyond arid range

flecked with cold glacier

, burning, desolate;

uplifted on the ruin of slow change,

defiant of the lightning and the hate:

--signs of those lives apart, divinely strange,

that soar to meet the fierce extremes of fate;

while from their strength the smooth green vales descending

curve in still sunlight to their summer ending.

︵峰また峰   連なる山並みは乾き 冷たい氷河でまだら   荒涼と燃える 緩慢な変化の廃墟の上に隆起し 稲妻も憎しみも   ものともしない 別格の命たちのしるし   この世ならぬ神々しさでそびえ 運命の熾烈な極限にあい対する いっぽう   彼らの力から   滑らかな緑の谷が降りてゆく 動かぬ陽光の下   夏の終わりへ曲線を描いてゆく︶ 四 四 七 八 メ ー ト ル の 山 頂 で 詩 人 は、 山 々 に、 生 命 な き 生 命、 という矛盾した特性を与えている。山頂から見る山々は荒涼 と し て 植 生 が な い の だ が、 三、 四 行 目 で は、 よ り 大 き な レ ベ ルの生命力が表されている。そこには大地のゆっくりとした

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一三 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ 運動があり、稲妻は岩肌を襲う敵意を持つ。それに対し超然 とそそり立つ山々に、五行目では﹁命﹂という言葉が与えら れるが、それは﹁別格﹂な﹁しるし﹂であり、低地に生きる 動植物の生命との差異が示されている。その命たちが、厳し い﹁運命﹂ という、 さらに高次の命のあり方を受け入れるのだ。   一行目の平行的視線から、三行目の uplifted という受動的 な 上 方 向 へ の 運 動 は、 六 行 目 で soar と い う 能 動 的 な 上 昇 と なるが、それが極限まで昇りつめたところで、詩は下降運動 に転換する。 命なき命をもつ厳しい岩山とうってかわって ﹁滑 らか﹂な緑の谷が柔らかなカーブを描いて降りてゆくという の だ。 こ の 下 降︵ descending ︶ は 夏 の 終 わ り︵ ending ︶ と 韻 を踏んで、詩の終わりともなる。季節をも超越したような山 頂と違い、ここには still sunlight と summer が頭韻を踏みつ つ 存 在 す る。 こ の﹁ S ﹂ 音 は smooth green vales や descend -ing と も ち ろ ん 共 鳴 す る の だ が、 し か し、 山 々 の 力︵ their strength ︶ と も 音 を 響 か せ あ っ て い る こ と を 見 逃 し て は な ら ないだろう。草木も生えない隔絶した岩山の命はここで下界 の命と接点をもつ。   ヤ ン グ は こ の と き の 山 行 を 前 述 の エ ッ セ イ 集﹃ 高 き 山 々﹄ に記している。日付は明らかにしていないが、ヤングはマッ ターホルンとダンデレン︵ Dent d Hérens, 4174m ︶を二日で縦 走するという計画をたて、 著名なガイドであるルドルフ ・ ロッ ク マ タ ー︵ Rudolf Lochmatter ,1874–1923 ︶ と と も に ま ず マ ッ ターホルンへ向かう。山頂付近でロックマターと別れ、ヤン グ は ひ と り 山 頂 に 立 つ の だ が、 そ の と き、 ﹁ 印 象 に 形 を 与 え たいという衝動が、感情の流れに追いついてきて、この時の 経験が﹃思い出された感動﹄になってしまうのを待てなかっ た﹂という。そこでたちまち形をとったのがこの詩だという の だ 24 。この反ワーズワース的態度とともに興味深いのは、こ の詩がそそり立つ一塊の山を描くのではない、という点にお いて、例えばシェリーの﹁モンブラン﹂のような山岳詩とも 異なることである。詩人は山頂にいるのであり、そこで彼が 感知するのは、マッターホンルをふくめ周囲に突き出る山々 の命なのである。いっぽうでヤングの山行録のほうではマッ

(15)

一四 ターホルンの孤高の姿が称えられているだけに、その詩との 差異もいっそう興味深い。   ヤ ン グ の 第 二 詩 集﹃ 自 由 ﹄︵ Fr eedom ︶ は 大 戦 が 迫 っ た 一 九 一 四 年 八 月 に 出 版 さ れ た。 ジ ョ ン・ ベ イ リ ー︵ John Bai -ley , 1864-1931 ︶ に よ る TLS の 評 価 は、 詩 の 形 式 を 疎 か に し ていることに起因する失敗が見られる、とやや厳しいもので あ っ た。 ベ イ リ ー は ナ シ ョ ナ ル・ ト ラ ス ト の 牽 引 役 を 担 っ た 人 で あ っ た が、 岩 山 登 攀 に は 興 味 が な か っ た か、 こ の 書 評 で は 山 の 詩 が 取 り 上 げ ら れ て い な い。 し か し こ の 詩 集 に は、山岳文学のアンソロジーなどにはよく収められ る 25 重要な 詩﹁ロック ・ クライマー﹂ ︵ The Cragsman ︶が含まれている。 第一連をまずみてみよう。

In this short span

between my finger

-tips on the smooth edge

and these tense feet cramped to the crystal ledge

I hold the life of man.

Consciously I embrace

arched from the mountain rock on which I stand

to the firm limit of my lifted hand

the front of time and space:

̶

  

For what is there in all the world for me

  

but what I know and see?

  

And what remains of all I see and know

,    if I let go? ︵この短い距離 滑っこいへりにかけた指先と 水晶の岩棚にしっかと張った足との間に 僕は男の命を支えている 意識して   僕は抱く 自分が立つ山の岩から 伸ばした手の堅い限界へと   弓なりになって 時空の最前線を抱く    だって全世界のなかで   僕にとって存在するものは

(16)

一五 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─    僕が見て知るもの以外の何がある    そして見て知るもののなかで何が残る    もし僕が離してしまったら︶ 岩に取り付く手と足、そこに時間、空間、知覚、命のすべて が凝縮される﹁いま、ここ﹂の緊迫感がこの詩の主題となっ ている。 ABBA と脚韻を踏みつつ、 短い一・四行で長い二・ 三行をはさむ四行。この四行の重なりによって増していく緊 張は、 短い最終行で突然差し挟まれた、 ﹁落ちる﹂というヴィ ジョンによってさらに高められる。   第一連の緊迫した静止状態から、第二連は上昇運動へと移 る。 W

ith this full breath

bracing my sinews as I upward move

boldly reliant to the rift above

I measure life from death.

W

ith each strong thrust

I feel all motion and all vital force

borne on my strength and hazarding their course

in my self-trust :

̶

  

There is no movement of what kind it be

  

but has its source in me;

  

and should these muscles falter to release

  

motion itself must cease.

︵この深いひと呼吸 腱を踏ん張り上へ進む 頭上の裂け目を大胆にも頼りにして 僕は生を死から計り分ける ぐいと登るひと押しひと押しに 僕は感じる   すべての動きとすべての生の力が 僕の力に頼り   自己の信頼のうちに   危険な道を取るのを    なんであれ自らの内に源のない    

(17)

一六    運動はない    もしもこの筋肉が参って   離してしまったら    動きそのものが消えるのだ︶   ここでも﹁離して﹂しまって落下する、というヴィジョン で連が閉じられ、登るも落ちるも自分の身体一つ次第、とい う緊張感が漲る。   続く第三連は最終連となるが、手足の筋肉ではなく、目と 耳という新たな感覚器官が導入される。

In these two eyes

that search the splendour of the earth, and seek

the sombre mysteries on plain and peak,

all vision wakes and dies.

W

ith these my ears

that listen for the sound of lakes asleep

and love the lar

ger rumour from the deep,

the eternal hears:

  

For all of beauty that this life can give

  

lives only while I live;

  

and with the light my hurried vision lends

  

all beauty ends.

︵この二つの目 大地の輝きを探し 平原と山頂に暗い神秘を求める この目に視覚のすべてが目覚め   死ぬ この耳 眠る湖の音を求め 水底から聞こえる   もっと大きな噂声を愛するこの耳で 永遠は聞く    だって   この命が僕にくれる美のすべては    僕が生きる間しか生きないのだから    急かされた視覚がいっとき貸してくれる光とともに    すべての美が終わるのだから︶

(18)

一七 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ 第一連における手と足との間の短い距離は、ここで視覚と聴 覚によって、大地、湖、平原、山頂へと一気に広がる。この 拡張は﹁永遠﹂の次元にまでいたるのだが、その永遠とはや は り 体 一 つ に 凝 縮 さ れ る の だ と い う 認 識 と と も に 詩 は 終 わ る。体は手から足までのほんの短い距離に過ぎず、命は次の 瞬間には滑落して失うかもしれない、たった一瞬の持続でし かない。 結び   以上、本稿はジェフリー・ウィンスロップ・ヤングの登山 家詩人としての位置を確認し、特に第一次大戦前の彼の詩業 について考察した。ヤングの山岳詩は、自然物に崇高美を感 じてそこに自己と世界を投影するロマン派の心情を共有しな がら、登山家ならではの視点・経験を韻文化することに成功 している。   その真正さに多くの登山家が反応したが、日本の藤木九三 ︵ 1887-1970 ︶もその一人であった。 一九二八年に日本初のロッ ク・クライミング山岳会であるR・C・Cを発足させた藤木 は、ヤングの﹃山の技術﹄に影響を受けつつ技術書﹃岩登り 術﹄ ︵ 1925 ︶を出版。また、 ﹃壁登り・屋根登り﹄へのオマー ジュとして、 数篇の詩を含むエッセイ集 ﹃屋上登攀者﹄ ︵ 1929 ︶ を発表した。 また、 一九三三年のエッセイ集 ﹃雪線散歩﹄ ︵ 1933 ︶ 所収の﹁詩人・登山家としてのヤング﹂では、いくつかの詩 をとりあげて論じている。翻訳には不正確なところが多々見 られるが、ヤングの詩にまともに向き合った数少ない例の一 つ で あ る。 ﹁ ポ ス ト・ ロ マ ン 派 ﹂ と で も 呼 ぶ べ き、 ア ル ピ ニ ズム黄金期以降の英国山岳詩研究には手つかずの課題の山が 待ち受けているが、こうした先人に勇気づけられる思いであ る。 註 1   ア ル ピ ニ ズ ム の 金、 銀、 鉄 の 各 時 代 区 分 に つ い て は 後 述 す る が、 Lunn に従う。

(19)

一八 2   M od er n P ain ter s 第 四 巻 (18 56 ) の 第 十 九 章 The M ou ntain G loom 、 第二〇章

The Mountain Glory

からとられている。 3   例 え ば Sesame and Lillies 第 二 版 序 文 に お け る、 以 下 の 論 争 的 な く だ り

﹁ ア ル プ ス の 本 当 の 美 は 目 で 見 る も の で あ る。 子 供 で も、 脚 が 悪 い 人 で も、 白 髪 の 老 人 で も、 誰 で も 見 る こ と の で き る も の で あ り、 そ れ 以 外 で は な い。 シ ュ レ ッ ク ホ ー ン か ら モ ン テ・ ヴ ィ ー ゾ に い た る 中 央 山 稜 に 切 り 立 つ、 ぎ ざ ぎ ざ の 片 麻 岩 の 広 が り な ど よ り、 ベ ル ン や サ ヴ ォ イ の 低 山 の、 松 が 影 を 作 る ひ と 広 が り の 放 牧 地 や、 岩 間 を 走 る 小 川 の き ら め き、 汚 れ な き 湖 の 入 江 に、 よ り 真 正 の 愛 ら し さ が あ る の だ ﹂︵ Ruskin 25 ︶。 4   山 岳 美 を め ぐ る ラ ス キ ン 対 ア ル パ イ ン・ ク ラ ブ 登 山 家 の 対 立 については、 Schama 502-513 、エラール 293-314 。 5   ス テ ィ ー ヴ ン が 引 く も の と し て は、 た と え ば テ ニ ソ ン、 ワ ー ズワース、キーツなど。 6   Roberts 27. 7   Noyce, Snowdon Biography , 156. 8   Noyce, Snowdon Biography , 155. 9   例 え ば Bates の 英 語 山 岳 文 学・ 文 献 研 究 に お け る、 ア ル ピ ニ ズ ム 黄 金 期 以 降 を 扱 う 章 で 取 り 上 げ ら れ て い る 詩 は、 ユ ー モ ア 詩を得意とした A. D. Godley (1856-1925) の断片が一つとヤング の 断 片 が 三 つ で、 そ れ ぞ れ 簡 単 に 紹 介 さ れ て い る の み。 ヤ ン グ 詩 を 評 価 し た ノ イ ス も、 文 学 者 と 山 岳 と の 関 係 を 主 に 論 じ た 彼 の 著 書 Scholar Mountaineers に お い て 残 念 な が ら ヤ ン グ を 扱 っ ていない。 10   本 論 に お け る ヤ ン グ の 伝 記 的 記 述 に つ い て は、 主 に Hankin -son 、 Elliott に よ る Alpine Journal の 追 悼 記 事、 Hansen に よ る Oxfor

d Dictionary of National Biography

記事を参照した。 11   Hankinson 67-68, 133-134. 12   Lunn 137. ま た Band も ア ル パ イ ン・ ク ラ ブ 一 五 〇 年 史 で こ れ にならっている︵ Band 41 ︶。 13   Pen-y-Pass の 発 展 に つ い て は、 ヤ ン グ に よ る ス ノ ー ド ン 山 地 の登攀史 ﹁創世記から民数記 ︵

From Genesis to Numbers

︶﹂︵ Noyce, Snowdon Biography , 17-56 ︶ お よ び Carr and Lister に お け る ヤ ン

(20)

一九 ジェフリー・ウィンスロップ・ヤング          ─アルピニズム黄金期以降の山岳詩─ グ執筆章︵

Carr and Lister 75-89

︶を参照。 14   Schama 466-472. 15   た と え ば 中 上 流 階 級 の ク ラ ブ で あ れ ば、 レ ズ リ ー・ ス テ ィ ー ヴ ン が 主 催 し た Sunday T ramps ︵ 一 八 七 九 年 年 設 立 ︶、 Yorkshire Rambling Club ︵一八九九年︶ 、

Forest Ramblers Club

︵一八八四年︶

など。

労働者階級のクラブは

Ramblers Round Glasgow

︵一八六九 年 ︶、 Old Printers Devils ︵ 一 八 七 〇 年 ︶ な ど で、 こ れ ら は、 The Co-operative Holiday Association ︵ 一 八 九 三 年 ︶ や The Federation of Rambling Clubs ︵一九〇五年︶ などの大きな組織結成へとつな が り、 土 地 の 私 有 化 に 抗 し て﹁ 歩 く 権 利 ﹂ を 勝 ち 取 っ て ゆ く。 Hill 1 1-42 および Holt 57-87 参照。 16   Angell 1-5. 17   Milburn, W alker and W ilson 1-5. 18   例 え ば W aste ( Fr eedom , 1916),

While on our battle-clif

f the

storm still breaks

,

The wintry light from this far view of sea

,

These

splendid limbs

(April and Rain

, 1923) など。 19   Das xli-xliii. 20   Child. 21   Lunn 138. 22   Hankinson 98. 23   こ の﹁ 触 れ る ﹂ と い う 感 覚 に つ い て は、 ヤ ン グ が ピ ト ン を 多 用 す る 人 工 登 攀 に 批 判 的 で あ っ た 次 の 言 葉 が 思 い 出 さ れ る

If we assume that any principle of beauty and life inspires the forms

and su rfa ce life of hi lls, t he m ore we int erpo se m ec ha ni sm s b etwe en

our natural senses and their rhythmic lines and planes the less chance

is t he re of a re al i nt erpl ay be ing e st abl ishe d or of our unc ove ring i ts pleasures. ︵ Lunn 160; 何 ら か の 美 と 生 の 原 理 が、 山 の 形 や 山 肌 の 生 命 を 生 き 生 き と さ せ る と 仮 定 す る な ら、 我 々 の 自 然 の 感 覚 と 山 々 の 律 動 的 な 線 と 面 と の 間 に、 機 械 装 置 を 差 し 挟 め ば 差 し 挟 む ほ ど、 真 の 相 互 作 用 が 打 ち 立 て ら れ る 機 会 は、 そ し て そ の 楽しみを我々が露わにする機会は、少なくなる︶ 。 24   Young, On High Hills , 1 16-1 17. 25   たとえば、

Brown and Berry

Kenny

Selwood

(21)

二〇

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