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なるかもしれない裁判員、不安や疑問はありませんか : 実務担当者が語る裁判員裁判

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【シンポジウム報告】 札幌大学法学部創立20周年記念シンポジウム

「なるかもしれない裁判員、不安や疑問はありませんか」

−実務担当者が語る裁判員裁判一

報告者:法学部長前 原 宏 一

1.はじめに 2009年11月7日午後1時より、札幌大学ブレアホールにて札幌大 学法学部創立20周年記念事業として、「なるかもしれない裁判員、 不安や疑問はありませんか一実務担当者が語る裁判員裁判一」とい うテーマのシンポジウムが開催された。本稿は、その概要を報告す るものである。なお、本稿での報告にあたっては、当日の録画記録 等を参照し、出来るだけ忠実に参加シンポジストの発言内容をトレ ースして纏めるように心掛けたが、発言の趣旨やニュアンスを正確 に把握し切れていないこともあるかもしれない。その意味で、これ は報告者のシンポジウム理解であることを予め付記しておくとともに、 そうした可能性があることについては、ご海容を乞うこととしたい。 そもそもこのシンポジウムは、単なる制度論や理念論ではなく、 既に開始された裁判員裁判の実体を踏まえて、そこにおいて確認さ れた裁判員制度の意義と課題を今一度検証し、これから裁判員とし て刑事裁判に参加することになる市民に、裁判員裁判の現状を認識 してもらうという趣旨で企画された。そのため、研究者のみならず、 実際に裁判員裁判に携わることになる法曹実務家(裁判官・検察官・ 弁護士)をシンポジストとして迎えることが求められた。幸いにも 札幌高等裁判所の田中康郎長官のお力添えもあって本シンポジウム の開催にあたって、札幌地方裁判所、札幌地方検察庁、札幌弁護士

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会よりご後援を頂くことができた。その結果、裁判官として中川綾 子氏、検察官として橋本ひろみ氏、弁護士として札幌弁護士会裁判 員実施本部事務局長で日本弁護士連合会裁判員本部幹事の坂口唯彦 氏の諸氏の参加を頂くことが出来た。関係諸機関とシンポジスト各

氏のご協力に心より感謝する次第である。なお、本学からは、憲法

の司法制度を研究する森山弘二准教授に、研究者として参加してい ただき、私が司会を務めた。 先に述べたところからも分かるように、本シンポジウムは、そこ での検証を通じて、実際に動き出した裁判員制度の発展の行方を探 ると同時に、市民には裁判員となるにあたっての心構えを会得して もらい、裁判員になることの不安を解消する機会を提供しようとす るものであった。そこで、本シンポジウムを進行するにあたっては、 まず実務家の各シンポジストから、それぞれの立場において裁判員 裁判に携わるに際して実務上工夫している点を語っていただくこと

にした。それによって、それぞれの立場において、裁判員裁判のど

のような点を重視しているかを浮き彫りにすると同時に、そうした 点を明確にすることにより、裁判員となる市民に、裁判員裁判制度 の中にただ単に放り出されるのではなく、その効果的な実現に向け て法曹三者が心を砕いており、フォローしようとしていることを知 らしめ、不安を払拭する契機にしてもらいたいと考えたのである。 その報告の後に休憩を取り、フロアからの質問を質問票という形で 回収し、各シンポジストに回答してもらい、議論を展開するように

した。しかし、フロアからの質問が思いの外多数に上り、実際はそ

れに対する回答に終始してしまった。本シンポジウムは本学の学生 のみならず地域住民の方々や高校生にも呼びかけたものであったが、 本学の法学部の学生の参加が多かったこともあり、彼らから裁判員 裁判制度について多くの質問が提出されたようである。 フロアの参加者の状況や、裁判員裁判に関する意見や、本シンポ ジウム後の見解の変化については、シンポジウム後にアンケート調 査を行ったので、別掲のアンケート調査結果を参照していただきたい。

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ただし、本シンポジウムは、他の地域で既に裁判員裁判が開始され ていたものの、札幌ではじめての裁判員裁判が開始される直前に開 催されたものであったため、アンケート結果は、シンポジウムへの 参加市民・学生の裁判員裁判に関する事前的イメージにかかわるも のという意味合いが強いと思われる。今後、裁判員裁判が重ねられ、 具体的情報が多く提供されることにより、市民の具体的意識が確立 されていくことになろう。その意味では、法律上、改善の検討が予 定されている三年後に、今一度同様のシンポジウムやアンケートを 行い、検証し直すことによってより有意義なものとなっていくだろう。 それでは、シンポジウムの概要を、順次見ていくことにしよう。 2.シンポジウムの概要 (1)シンポジストからの報告 ①検察官の立場から(橋本ひろみ氏) 裁判は証拠があっての裁判で、証拠がなければ裁判ではない。証 拠がどうやったら収集できるかというと、捜査によって証拠が集まる。 裁判員裁判であるかそうではないかを問わず、地に足のついた基本 に忠実な捜査をしないことには話にならない。地に足のついた捜査 を経て初めて事件というのは、裁判にかけられるかどうかそのもの を判断できるというように認識している。裁判にかけた時に、どの ような罪かで法律により裁判員裁判になったり、そうではない裁判 になったりという様に振り分けられていくものである 。このように 裁判員裁判か否かを問わず、被告人、事件によっては被害者がおり、 いずれにしても人の人生に関わることなので、裁判官裁判と裁判員 裁判とで区別せず、私どもは適切に裁判を遂行していかなければな らない。 裁判員裁判ならではの工夫が求められる一例として、遺体の写真 を見せなければならないのかどうかが問題となっている。みたくない、 辛い、悲しい、という意見に対してどう対応するのかということが

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身近な話題の一つとして挙げることができる。例えば危険運転致死 や傷害致死、殺人事件、強盗殺人事件では被害者の姿が遺体写真と なって私たちの元にくる。それで裁判員、裁判官、弁護士、被告人 が全員が遺体を見なければいけないのか。裁判員裁判が導入される までは、当たり前のように管見て判断していた。傷の探さがどうか、 傷がどこにあるのかなどを客観的な証拠の一つとしてみてもらって いたが、裁判員の方が参加することによって、つまり慣れのある者 ではない、普投の生活の中で、情緒豊かに暮らしている6人が裁判 に加わることとなるのであり、彼らが裁判に耐えられるのかという 問題が起こっている。色々な議論が出され、最終的に検察官が行き 着いたのは、必要であるならば遺体を見てもらうという結論になった。 元々は遺体だから見て欲しいという訳ではなく、どんな犯罪だった のかを見てもらうため、どんな結果が生まれたのかを見てもらうた めに遺体を見てほしいというのが理由である。だから裁判員制度が 導入されたからといって、遺体を見せないという理由にはならない。 ただ多くの写真を見せても、分かりにくい場合は割愛する場合もある。 しかし、裁判員と傍聴人に写真を見てもらうのは別の問題であるから、 傍聴人に見せる必要がないと判断すれば裁判員のみに写真を見せる という方向で現在は考えている。これは身近な一つの例として挙げ たが、その他にも多くの工夫があり、これの是非についてはこれか ら先、事案を積み重ねていくことによって、感想や批判をもとに更 により良いものをつくり上げていくことが必要であって、現在がベ ストな回答であるとは言えない。北海道ではまだ実施されていない ことから、まずは裁判員裁判を行い、反省し、工夫し、改善し、そ の積み重ねが重要となってくる。北海道での裁判員裁判第一号は、 性犯罪事件についての裁判である。性犯罪については、事件によっ て裁判員裁判とそうではない裁判とに分けられる。しかしそれは、 被告人にとっても被害者にとっても不本意なことだと思う。私が被 疑者として取調べを行った相手の人間、被害者として話を伺った女 性の方と触れ合ってみて感じるものは、被害者の立場になっている万々

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は、裁判員裁判だからどうとか、裁判官裁判だからというよりも、 やはり偏に配慮を求めている。どのような被害に遭ったか、どの様 な犯罪を犯したのか、どう安住を取るのかということと、何もかも が全て公になるということは違うのである。裁判員裁判だから、裁 判官裁判だからといったところで、被害者や被告人にとって理不尽 に感じることがないよう、不公平感のないように、公平の観点から、 工夫を重ね適正な判決が下されるようにやっていきたい。 (多弁護士の立場から(坂口唯彦氏) 弁護士会の立場から見て、裁判員制度の意義がどこにあるのかと いうことから考えてみると、この制度の導入によって、本来の刑事 裁判が理想としていた公判主義であるとか、直接主義に近づいてい くのではないか、あるいは取り調べの可視化といった、日弁連が常々 いっていることが前進するのではないかという思いを持っている。 ただ実際にどう変わっていくのかは分らないし、弁護士の中にも相 当議論がある。中には反対し、実際に反対活動を行っている方もいる。 弁護士の中でも、この裁判員制度の評価や意義、長所や短所も含め 意見が分かれているのが現状である。自分の意見で申し上げると、 裁判員制度が導入されてから勉強した結果、諸外国を見ると、日本 のように職業裁判官のみで全てを決めていたということはむしろ例 外的である。あまり先進国というのは好ましくないが、G7、G8の中 で職業裁判官のみで決めていたのは今まで日本のみである。その他 の国では、形がそれぞれ違うのだが陪審制や参審制、日本の裁判員 制度に近い形ではあるが、そのような制度を導入している。日本で 裁判というと、手の届かない存在の人間が代わりに裁いてくれると いうイメージがあるように思うが、現実にその犯罪というのは、実 際に手の届かないところで起こっているのではなく、現実に自分た ちの周りで起きるかもしれないものである。被害者の立場に立てば、 勿論そのようなことになるし、皆さんが被疑者という立場に立つと いう可能性もある。そのような意味で、刑事裁判というものは犯罪

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を扱うものであり、被害者、加害者両方の立場となりうることもあ

りうる。しかし、そういったものが、手の届かないところで起こっ

ているのではなく皆さんの近くで起こりうるということを考えるき っかけになるのではないかと思う。 弁護人として工夫していることについてみてみると、今までの弁 護活動とは変わることになる。今までは弁護人という活動は特に裁 判でいうと、できるだけ詳しい弁論要旨を書き、それを後で裁判官 に読んでもらうというように、書面を出すというところ、つまり書 面の精度を高め、いかに説得的な弁論要旨を書くかといったところ に主眼があった。例えば、被告人質問にしても証人尋問にしても、 後で尋問調書を裁判官に読んでもらい、例えば判決が3カ月後にあ るとしたら、3カ月彼の判決に自分たちの主張をいかに把握しても らうかというようなところに目標があった。しかし、裁判員裁判に なると、裁判があったその場でどのような印象、又はどの様に理解 してもらうかということが重要になってくる。そのことから、その 場で3人の裁判官、6人の裁判員の人に理解をしてもらえるような 冒頭陳述であったり、弁論を述べなければならないということになる。 それから、証人尋問にしても被告人質問についても的を待た簡潔な 尋問をしなければならない。例えば、1日3∼5時間やるのではなく、 その場で分るような尋問をしなければならない。弁護士もそういっ た刑事弁護の経験がないので、アメリカから弁護士を呼び研修を行

っている。しかし、それも試行錯誤であり、日本の裁判員制度にお

いて裁判員、裁判官に理解してもらうためにはどのようにしたら良 いのかということについては現在模索しているところである。 実際に裁判員裁判が始まるということで準備していくところで感 じることは、基本的には「変わらない」ということがベースにあるが、 より面会の回数を増やさなければならないということである。実際 に冒頭陳述や弁論の中で、被告人について理解をしてもらうという

ためには、会う回数を増やし、多くの会話をしないことには、記録

を読んで初めて事件の経緯や被告人自身のことについて知り、何か

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記録を見て確認しながら進めるというのではなく、会うことによっ て被告人と自分が一体となって裁判に臨むようにしなければ、何も 見ずに裁判員や裁判官に話をすることはできないのではないかと思う。 例えばただ準備したものをただ読み上げることは当然できるが、そ れはやはり裁判官、裁判員の心には伝わらないのではないかと思う。 だからといって、何も見ないで話すということは、かなりその事件や、 被告人についてしっかり自分の中で当然の知識となるくらいに身に 付いていないといけないということになる。例えば昔話しの「桃太郎」 は何度も読み聞きしているため、いきなり他人に内容説明を求めら れても容易にできるが、それと同様に裁判官、裁判員の前でも被告 人のことを説明できるようにしなければならないということを感じ ている。普通、弁護人とは、捜査中つまり起訴の前ならば仮に毎日 会うということがあったとしても、起訴された後、または裁判の後 はほとんど毎日会うということはない。例えば通常は多くても1週 間に1回程度で、裁判の直前になると会う回数が増えたりするが、 裁判員裁判の場合、先ほど述べたように身に付けなければならない 程の知識が必要であることから、ほぼ毎日会う形になる。被告人の 生い立ちなど、実際に裁判には必要ない会話であるが、そのくらい 親身になって被告人に接しなければならない。なぜなら、被告人と の距離を近くして被告人自身を知らなければ、裁判員裁判で印象に 残る目頭陳述や弁論を果たすということが難しいと感じるからである。 このように被告人に多く会うということが一つの工夫であると思う。 現状では弁護士会としても手探り状態であり、まだ、スタートし ていないので一つ一つ事件を検討し研費を愚直に行っていくしかな いと思い、臨んでいる。 (∋裁判官の立場から(中川綾子氏) 裁判員制度により、皆嫌々かもしれないが、これから意識が変わり、 よりよい社会になるのではないか。「裁判員制度があなたを変える」 というテーマで話していく。

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皆さんにはどのような疑問があるのだろうか。おそらく、何故今 頃なのかという考えがあるのではないかと思っている。これは、日 本のこれまでの刑事裁判を、どの様にみるのかということにも関わ ってくるのだが、今まで裁判官、弁護士が詳しく丁寧に検討を行っ ていた。坂口氏の話しにもあったように、弁論要旨100枚というのは ざらにあった。弁論要旨を多く出されると読まなければならないし、 記載されていることについて詳しく丁寧に答える必要があるので、 詳しい判決をしてきた。しかし今まで一定の評価は頂いてきたが、 正確さを期する余り、理解しにくく、分かりにくいという印象をも っているのではないかと思う。また、裁判官もわかりにくく、取っ 付きにくいという印象を持たれているのではないかとも思う。そこで、 平成11年から司法制度改革が起こり、裁判官と裁判員が力を合わせ、 経験を生かしながら判断するともっと分かりやすく、理解しやすい 裁判になるのではないかということで、裁判員制度が始まることに なったのである。 11月17日まで裁判が始まらないのでまだ分らないが、裁判員制度 が始まると決定してから、模擬裁判など色々繰り返し行ってきた。 その時、どの様にしたら、皆さんにわかりやすいのか様々検討して いった。検察官からは、ビジュアルで分りやすい、見て聞いてわか る裁判を目指そうということで、今まで文章だけで読んでいたものが、 身振り手振りを交えて、しかもプレゼンテーションソフトを使って わかりやすく説明されるようになってきている。もちろん、弁護人 もパフォーマンスを研究したり、被告人、被疑者と接見を重ねたりし、 わかりやすく皆さんの心に染みる弁論をしようと変化してきている。 一度裁判を傍聴すれば、皆さんが持っているイメージと違うと感じ るのではないかと思う。東京地裁では第一号の裁判員の方が誕生し ている。この方々が記者会見を開き、どのような感想を抱いている のかについて、北海道新聞8月7日付の朝刊に載っている記事を紹 介する。 「相当文章が多いと思っていたがイラストなどを交えているので、

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裁判の流れがわかりやすく、理解できた。」「テレビドラマで見て いるほうが、難しいのではないかと思った。」というような感想を 述べている。検察官、弁護人の努力が功を奏しているのではないか と思っている。北海道で行われる裁判も、期待していて欲しい。 しかし、自分が裁判員になった場合を考えると、学生は学業、仕 事をしている方は仕事、子どものいる家庭は育児、おじいさん、お ばあさんと共に暮らす方は介護などがあり、裁判員に選ばれても裁 判所に行くことが不安だという意見もある。このことについては、 裁判員制度は、皆さんに裁判所に来てもらい負担をお願いする制度 なので、仕事のある方には休んでもらわなければならない。このこ とから、メリットがあるのかと聞かれると、理念的に、これから社 会が良くなっていくとは言えるが、具体的に個人的に利益があるか と言われたら、「このような利益があります」とは言いづらいのが 現状である。裁判員として裁判に参加したくないと思うのは当然で あると思う。このことについて、私は隠すべきではなく、「皆さんに、 負担をお願いする制度です」と、しっかり説明すべきだと思っている。 しかし、だからこそ来て頂くにあたり、皆さんの事情には最大限考 慮し、負担を軽減させなければならないと思っている。例えば、70 歳以上の方、学生、重い病気の方、怪我をされている方、同居家族 の介護や養育などを抱えている場合、無理に裁判所に来るのは難し いことだと思う。そのために、申し出をする機会を与えたり、早い 時期に裁判所に言って来てもらえば良いと判断されている。今のと ころ三段階で考えられていて、これから最高裁判所の方から来年の 裁判員候補者に選ばれたという通知がくるが、通知の段階で調査書 も同封されていて、その時点で事情があり辞退したい時には申し出 ることができるようになっている。多くの何らかの事情がある場合、 事前に申し出てくれればよいとされているのが第一段階である。第 二の段階は、候補者に選ばれたとき、事前質問表を渡すことになっ ているので、調査票が送られてきたときには、特になにも事情がな かったがその後問題や事情が生じたとき、またその段階で申し出が

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できる様になっている。早期に申し出てくれれば、裁判所で辞退し ても良いと判断が下り、裁判所に来なくても良いとされる。第三の 段階は、当日インフルエンザにかかった場合、風邪や交通事故など で裁判所に来られなかった、又は、今後裁判所に来ることが難しい となった場合、申し出をしてもらうということになっている。この ように色々な段階で申し出が出来るので、不安は一応解消されるの ではないかと思う。 次に、裁判員となった場合の守秘義務についての話であるが、守 れるのかどうか不安になると思う。しかし、守秘義務には二つの意 味があり、一つ目は評議の中で、どの様な意見を言ったのかという 評議の秘密である。二つ目は裁判員として知った秘密の二つである。 一つ目の評議の秘密は、評議の中で、 「橋本裁判官が有罪だと言っ ていた」、「何対何で無罪になった」あるいは、「誰々がこの様な ことを言っていて、裁判官がこの様に言い、結論はこうなった」な どに関する秘密を評議の秘密という。なぜ言ってはならないかとい うと、最初に思っていた辛が他人の意見を聞いて違うと思うこと、 自分の意見が変わることは良くあるし、この様な考え方があったの かと自分の考えを引っ込める場合もある。しかし、外部の人に意見 が変わるのはおかしいのではないのではないかと指摘をされたら、 自分の意見が言えなくなる恐れがある。また、被害者の家族や被告 人の支援者、家族の方が来ていて、自分が有罪の意見を出したこと が後々わかった場合、その方々から批判を受けかねないので、自分 の身を守るためにも守秘義務は大切だと考える。しかし、法廷で色々 な資料が配られたり、プレゼンソフトを見たり聞いたりする場合、 それは法廷で明らかにされていることなので、これは話しても良い

のである。よって、公開の法廷で明らかになっていることは、守秘

義務の対象にはならない。二つ目の裁判員として知った秘密につい て言えば、被害者の生年月日、名前、住所、勤務先などの事情も証 拠の中に入っているが、これらの秘密に関することである。例えば 性犯罪の被害者だった場合、その様なことが周囲の人に知れたらど

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うか。また、被害者や被告人に離婚暦や前科・前歴があった場合、 法廷で明らかとなることは仕方のないことである。しかしその他の 場面では、人として明らかにするべきではなく、秘密として自らの 心にしまっておくべきであると思う。そのような関係者のプライバ シーについては、人間として秘密を守ってもらいたいというのがこ こでの守秘義務である。 「私が裁判員をできるのか不安だ」と感じる意見が多く、その方 に私がいくら「できます」と言っても、その答えで納得し、そうだ と思うのは難しいと思う。だからこそ、裁判員になった方々の経験 談を参考にして欲しいと思う。 裁判員制度というものを導入し、国民がまったく無縁だった犯罪 について考える機会が出来、否応なしでも向き合わなくてはいけな くなった。そのことで、犯罪のない社会を作るためには、どうした ら良いのかということを考えていくことで、皆さんの考えが変わり、 裁判所に対する理解も深まり、よりよい社会をつくるための基盤と なると考えている。しかし、今後の課題も多々あり、第一号、第二 号と今後続いていくのだが、これが軌道に乗るようにすることが一 番大切だと思っている。気合や緊張が続いている時は良いが、慣れ により惰性化していかないようにきっちりとしていくことも大切で ある。 また、これから犯人は私ではないと争われる裁判が増えていくと 考えられる。そのような事件をしっかりと裁判する上で、裁判員の 負担を考え、迅速に進めることも大切だが、他方で拙速に陥っては ならないので、必要な審議はしっかり尽くしていくことも大切である。 これにより、適正と迅速のバランスをとりながら、どの様に両立さ せていくのかが今後の課題となっている。 もう一つは、わかりやすい審理を尽くしていくために、試行錯誤 を更に重ねていくことが必要であると思っている。裁判員裁判を終 えた後、アンケートを実施し弁護人や検察官、裁判官の法廷での説 明がわかりやすかったかどうかなどについて調査されたことがあるが、

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そこでは評議で話しやすい雰囲気だったかどうかなどを尋ねる内容 になっていて、それを集計し改善点があるかどうか探っていくとい う様になっている。8月分のアンケートでは、審理について75%(4 分の3)くらいの方が、理解しやすかったと述べ、25%は普通であ ったと感想を述べている。評議については、91.7%が意外に話しやす いと述べ、8.3%が普通であったと感想を述べている。このようにア ンケート結果からは、非常に良い評価を頂いているという結果とな った。しかし、不断の努力が必要であると思っている。私は、多く の意見を中立の立場で連結する役になりたいと思っている。 今後、裁判員制度が、制度的な改正が必要な場合や、問題が生じ たとき有識者懇談会で見直しが行われる。来年の候補者の抽選がち ょうど今始まっていて、候補者名簿に載ったという書類の発送が来 たら、すぐに裁判員になるという訳ではないが、 裁判員になる第一 段階なので心積もりをしていて欲しいと思う。裁判員に選ばれたと きには、ご理解とご協力をよろしくお願い致します。 ④研究者の立場から(森山弘二氏) 私の専攻は憲法学であるから、「裁判員」の憲法上の位置づけを 中心に話をする。 日本国憲法は、「自由」で「民主」的な政治体制を定めている。 この憲法の下で、今回、裁判員制度というものが導入されたが、こ の裁判員制度が「自由」と「民主」の観点からどのような意味があ るのか、意味がないのであれば反意法的な制度ということになるが、 結論からいうと、私は、「自由」と「民主」の両方の観点から裁判 員制度には極めて重要な意義があると考えている。 憲法上の「自由」(人権保障)と「民主」(国民主権)は、ともに、憲 法13条の「個人の尊重」原理に基礎づけられたものである。「個人 の尊重」とは、一人一人の個人に尊厳なる価値を認め、それぞれの 個人の人生における重要な事柄についてはそれぞれの個人の自由と 自律を最大限に尊重するということで、結局、憲法は個人の尊厳に

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基づいて個人の自由と自律を最大限に尊重するような政治体制を求 めているということになる。 個人の自由・自律にとって、その典型的な敵対物は、権力作用、 すなわち、個人の自由を制約し、個人に対して他律的に働く公権力 作用である。ここにおられる裁判官と検察官はたいへんお優しい顔 をしておられるが、被疑者を起訴し、裁くという、公権力を行使す るもう一つの峻厳なる顔をもっている。一般的に権力作用は強制的 に我々を拘束する。この権力が濫用された場合にどのようなことに なるのかというのが人権保障の要点になるので、こうした権力作用 に対する様々なチェックなり法的抑制というものと、裁判員、裁判 員制度との関係が問題となる。 抑制(チェック)のない権力は必ず腐敗するという法格言があるが、 権力の濫用のチェックという観点からすると、一審の限定された刑 事裁判に限ってのことではあるが、裁判過程で公権力を行使する人 たちの中心に市民が入り、法定の範囲内では裁判官と同じ権限をもち、 事実確認をし、量刑に参加するということが権力を監視するという 働きをもつことがまずあげられる。このことと関係して、誤判の抑 制ということがいわれることがある。経験を積み、何十年も裁判官 をやっている方でも時々間違った裁判をしてしまう。論者の中には、 裁判員制度は様々な経験や識見をもった市民が、職業裁判官と共に 協議することにより正確な事実認定ができるようになり、誤判は減 少するという指摘もあるが、逆に誤判が増えるのではないかという 意見もある。私は、裁判員として裁判に参加する市民に、誤判の抑 制というと、自分たちはプロにも見抜けなかったような誤判を防ぐ 役割が課されていると思い(誤解し)、市民が戸惑ってしまうと思 うので、これはそれほど強調するつもりはない。私の議論の趣旨は、 市民が裁判過程に直接参加すること自体がもつ、または、もちうる 権力の監視・抑制機能のことである。 次に、「プロフェッション(専門家)に対する市民のチェック」 ということをお話しする。

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法の世界では、法律用語からはじまり特有の法的思考なり、様々 な法原理、諸準則が使われる。要するに、専門集団の中では当たり 前の発想や知識というのは数多くある。そういう専門集団の中で培 われている法理論には、例えば、刑事裁判の大原則である「疑わし きは被告人の利益に」を例にいうと、その意味は一見わかりやすそ うであるが、個々具体的な犯罪や裁判における判断にこの原則をど のように適用するのかというと、それは刑事学における学説や様々 な判例の積み重ねの中で、特有の枠組みが出来上がっているのでは ないかと、傍からみていてそのように感じることがある。そうした なかで、例えば証拠を確定する場合、あるいは量刑をする場合でも、 プロの中では常識であることが、一般社会からみるとおかしいので はないかというように、プロの常識が社会から見ると非常識という ことがありうる。このことは実は法の世界だけのことではない。よ く指摘されるのは、ミリタリアンである。軍の観点、軍の論理は一 般社会の論理と異なる。軍事的観点、軍の組織からすると、軍事的 な合理性が貫徹することが一番いいが、外部(軍の場合はシビリアン) と接触のないところで、軍事的合理性や組織の論理が誤作動を起こ したり、戦前の日本軍の場合のように暴走したりするとき、どうい うことが起こるかということについて我々はよく知っている。私は、 究極の官僚組織である軍と個々の裁判官に職権の独立が保障されて いる裁判所を同視しているわけではないが、一般的に、外部と接触 のない閉鎖的なプロの集団なり、組織の論理が貫徹するようなとこ ろでは、誤作動は起こりうるということである(プロフェッション の「非常識」ということに加えて、現在の裁判所組織に「組織の論理」 が働いていないとはいえない)。それでは、いかにしてプロフェッ ションの「非常識」をチェックするのかというと、裁判員は、いわ ば市民のコモンセンスというものをその場に持ち込み、プロが作り 上げた法の論理、たとえば、「疑わしきは被告人の利益に」という 原理の具体的な意味内容やその適用のあり方をチェックするという こと、市民のコモンセンスと照らしあわせるということである。よ

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り具体的にいうと、裁判官との合議の場で、事件に適用される諸法 理の意味や適用のあり方について疑問に思ったことについては裁判 官に質問をする、裁判官はそれに対して市民にわかりやすく説明を する(裁判員法はこうした説明義務を裁判官に課している)、さら には自分の意見があれば積極的に発言するということ、そこで裁判 官にも色々なことを感じ、考えていただくということである。こう したことが、ここでいうところの「市民のコモンセンスによるプロ フェションのチェック」ということである。 最後に、裁判員制度の自由主義的意義を考える場合、私が一番重 要だと考えていることは、いわば「裁判員の立ち位置」という問題、 市民が裁判に参加するということがもつそもそもの意味(理念的な 意義)に関わる問題である。裁判員は法定の範囲内においては裁判 官と同等の権限をもつ、明らかに公権力を行使する存在ではあるが、 裁判が終われば普通の市民に戻る存在である。刑事裁判で争われて いる「市民」の自由は、直接には、刑事被告人の自由(の制約)で ある。裁判員がこの被告人とどのような立ち位置に立つか、つまり、 被告人は犯罪を犯したかもしれない、自分とは異質の存在であり、 それを自分が権力をもって裁くという立ち位置に立つのか、それとも、 自分も一つ間違えば被告席に座る存在であり、被告人とは「同輩」 であるという立ち位置に立つかは、この制度の基本的性質に重要な 違いをもたらすのではないかと思う。(私は、こうした制度の源流 である陪審制の「同輩による裁判」という理念はこの裁判員制にも 当てはまると今のところ考えているので)裁判員が被告人との関係で、 その基本的な立ち位置において「同輩」として裁判に参加するとい う意識をもたず、権力的な立ち位置に立って被告人と向き合うとい うことであるなら、この制度の自由主義的意義の大半は失われるの ではないかと若干懸念している。 つぎに、この制度と「民主」(主義)との関係、および「司法権 を行使する裁判員」の問題に移る。裁判員は裁判官と一つの合議体 を構成し、裁判官と対等な立場で、刑事裁判の事実認定と量刑を決

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めるのであるから、明らかに裁判員は(憲法上の)公権力を担った 存在である。これは民主主義の観点からいって、国政への市民の直 接参加の一つであることに疑いはない。もっとも、この制度を憲法 が定める国民主権主義の端的な具体化とみる見方は、おそらく制度 設計者も学説もとっているわけではないが(裁判員は有権者によっ て選出された着でもなければ、主権者の決定であるから、主権者に 司法権を信託されたに過ぎない高裁や最高裁はこれを覆せないとい う仕組みにもなっていない)、国民主権の「理念」を具体化した民 主主義的制度であるということは大方の賛同を得ているといえる。 民主的決定というものは、公共的事柄についての国民の自己統治(自 治)という意味で、個人の自律の延長上でとらえることができるも のであるが、権力作用を伴う政治決定は、それがいかに民主的に正 当化されようと、個人の自律からみればあくまでも他律であり、憲 法の統制下にある。したがって、裁判員制度の民主主義的意義を認 められるとしても、そこには当然に憲法上の要請なり、禁止が及ぶ ことになる。

裁判員制度は、意法上明記されているものではない。それは、法

律上新たに創設されたものである。では、どういう理屈で裁判員制 度があるのかというと、憲法76条1項に司法権は最高裁と下級裁に 属するという規定がある。このとき最高裁については、最高裁の裁 判官の構成というものが明記されているが(憲法79粂1項)、下級 裁判所の構成については、誰が下級裁判所の司法権を担うのかにつ いての明文規定はない。誰が下級裁判所の司法権を担うかといった ときに、今までは当然に憲法80粂の裁判官(職業裁判官)のみが下 級裁判所の司法権を担うと考えられる傾向にあった。しかし、今回 は若干心もとないが、憲法76条の下級裁判所の構成員に一般市民が 入っても憲法違反ではない、憲法は裁判員の存在を許容していると いう解釈が直接の憲法上のよりどころとなった。憲法がその存在を 許容するといっても、担うのは憲法76条に明記されている下級裁判 所の司法権である以上、司法権を行使する裁判員に対しては一定の

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意法上の要請が及ぶものと理解している(76粂の条文の構造からみ てもわかるとおり、私は、裁判員は76条3項の「裁判官」であると の立場に立っているが、裁判員はいかなる意味においても「憲法上 の裁判官」ではないというのが有力説のようである)。一番重要な 点はもちろん法に従った、憲法及び法律にのみ拘束され、職権の独 立下で裁判員も司法権を行使するということであり(憲法76条3項)、 このことは裁判員法9粂においても定められてる。また、憲法は、 37粂1項で被告人に公平な裁判を保障するほか、多くの被疑者・被 告人の権利を保障している。憲法が求めているのは、司法権を行使 する限りにおいて、法に枠付けられた公平な裁判をすることを裁判 員に求めているわけである。このことと関連して、市民が裁判員と して裁判に参加すれば、市民は公共問題に関わる学習をし、そのこ とで成長して立派な市民となるのではないか。つまり裁判員制度は 市民を「公民」へと陶冶するというような言い方をする者がいるが、 私なりの表現が許されるなら、裁判員制度は「民主主義の学校」と いうよりはむしろ、市民を「法の支配」という学校に連れ込み、陶 冶するものと理解している。 最後に、憲法は当然に裁判員(裁判員候補者)に対しても市民的 自由を保障している。先ほどの裁判官が言及していたが、市民に対 するこの制度への参加強制という問題がある。結論のみをいえば、 裁判員になること、あるいは裁判員になって職権を行使することが その人の人生の核心的部分をなす思想なり、信念なりに反する場合、 それ(裁判員になること)を強制し、さらに科料まで科すというこ とがもしあるならば、それが端的に憲法違反だと多くの憲法学者は 考えている。 裁判員に課される守秘義務についても表現の自由の制約が問題と なる。先ほど、裁判官の方が述べられたことについていえば、守秘 義務の射程が「公平な裁判」の確保と関係者のプライバシーを守る ために限定されるのであれば、何の異存もない。しかし、例えば、 このような守秘義務の及ぷ範囲を緩やかな基準で捉え、裁判員の言

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動の前後関係まで含めて考えれば、裁判員のその言動からは評議の 内容が推し量られるといったような形で、その範囲を拡張的に捉え ると、裁判員は(物言えば)「唇寒し」と萎縮してしまう。新開報 道によれば、ある裁判員裁判の後の記者会見で、判決の最後の説諭 に関連し、「それは裁判員の意向であるのか」という裁判員への記 者からの質問に対し、それへの回答は合議の内容が推し量られる恐 れがあるので守秘義務の範囲内であり、許されないとの趣旨の見解 を裁判所が表明していたが、それはいきすぎではないか。つまり、 媛やかな基準で、前後関係で推し量っていけば、評議の内容が分っ てしまうおそれのあることはすべて評議の秘密の違反となる可能性 があるのでだまっていろというような運用はやめたほうがよい。また、 よりよい裁判員制度を実現するためには、裁判員裁判の中身を検証 しなければいけないが、その中身の検証をするためにはどのような ことがどのように議論されたのかについて一定の範囲で公にする必 要があり、この「守秘義務」が障害になってしまう場面がでてくる のではないか。 <以上、森山の報告は、当日配布したレジュメを参照しながら行わ れたものである。添付のレジュメも参照願えれば幸いである。> (2)質問票に答えて ①検察官への質問と応答 橋本氏(検察官)に対しては、以下の様な質問がよせられた。なお、 橋本氏は、仕事の関係上、途中退席せざるを得ないということであ ったので、予め質問を提示して、一挙にそれに答えるようにしても らったが、ここでは分かりやすくするために一間一答の形でまとめた。 Q.取調べから公判まで同じ検事が取り扱うのか。また、捜査と公 判とを一体として、担当するという体制は以前からあったのか。 この体制で何か変わりつつあるのか。 A.捜査公判を一貫して行うことは、検察庁としては多数派である。

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札幌検察庁は規模が大きい役所であるが、捜査だけを担当する 部署と、裁判だけを担当する部署にわかれている役所だったが、 裁判員裁判を導入するに当たり昨年度から裁判員対象になる様 な裁判に対しては一貫して行うグループが生まれた。一貫して 良かったところは、警察の捜査をチェックできることである。 また、被疑者、被害者、それぞれの親族、目撃した方、裁判に かける前の弁護士と話をすることも出来るので、本当に事件に どっぷり浸り、見つめていって判決を頂くまで責任を果たすこ とが出来ることが良いところだと思う。 Q.これまでの裁判制度と今の裁判員制度とで、自分の職業的にど ちらが有利になると考えているのか。また、検察官の立場から 見て裁判員制度の導入について、メリット、デメリットはあっ たか(また、裁判員裁判制度そのものの検察官的立場における 有効性に関して「裁判員を体験することで犯罪の抑止力が強ま ると思うか、犯罪の抑止力として機能するのか」、ならびに「市 民が裁判員になることにより証拠等を調べるための捜査の期間 を延長することが難しくなるということを聞いたことがあるが これにより弁護士側と検察側に有利、不利が生じるのか」とい った質問が出た)。 A.まだ裁判員裁判は経験していないので、一概には言えないが、 裁判員裁判に係わらず全ての裁判において検察官として一番大 切なことは、最後まできちんと責任を果たすことであると思っ ている。 Q.裁判員に遺体の写真を見せることに批判の声もあるが、検察官 という立場から見てどの様に思うか(同様に、「遺体の写真を 見せる必要性についてどの様に見分けているのか」、また、「遺 体について、裁判における写真について今まで証拠の一つとし て見ていた物を、必要がなければ裁判員に見せなくするという

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のは、裁判貞の意見や量刑に影響は出ないのか」、との質問が 出た)。 A.遺体の写真についての質問については、必要があれば出し続け ると先ほど言ったが、正直に言うと写真が必要な事件ばかりで あると思っている。犯罪が故意犯だろうが過失犯であろうが先 ほどまで息をして生きていた人が二度と戻ってこなくなるとい うのが現実である。悲しむ人がいる、驚く人がいる、捕まる人 がいる、裁判にかけられる人がいる、裁判にかけられて動揺す る被告人の家族がいる。これら全てが現実である。私は、裁判 は証拠に基づく現実の世界であると思っているので写真を一切 見せないというのは、私の経験ではこれはまずないと思う。是 非現実なのでみていただきたいと考えている。それが刑罰の重 さに影響するのは、もっともだと思う。理由は、それが現実な ので、現実に基づいて刑罰を決めるよう求めるのが我々検察官 の責務である。裁判員に写真を見せ、心の動揺、ショック、衝 撃については裁判所でいかにケアしていくかという課題となっ ている。 ただ、これに対しては、中川氏から次のような発言があった。 中川氏(裁判官):私の意見としては、検察官は全て遺体の写 真を見せることが必要だと言っていたが、写真を見なくても状 況を想像することが出来る場合もあるので、それは公判手続き 前に判断し、みせる必要があると判断された場合にのみ遺体の 写真をみてもらうというように裁判所は考えている。 (多弁護士への質問と応答 坂口(弁護士)氏に対しては次のような質問があがり、一間一答 の形で答えていただいた。 Q.裁判などをする上で分らない法律用語が出た場合、今後はどの

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様な言葉の工夫をしていこうとおもっているのか。 A.用語の説明は弁護人がいかにわかりやすく説明するのかと共に 裁判官がどのように説明するのかをきちんと確認することが重 要な工夫である。 Q.札幌弁護士会裁判員実施本部事務局長という立場であるが、裁 判員実施本部はどのくらいの規模で弁護士が参加し、どのくら いの規模で活躍しているのか。 A.札幌弁護士会には現在550人ほど登録している。札幌弁護士会の 中には委員会がいくつかあり、その一つである裁判員実施本部 では50人ほどである。ただ、この50人だけで裁判員裁判を担う という体制をとっている訳ではなく、弁護士全員で裁判員裁判 に対応していけるようにすることが目標である。裁判月実施本 部は、その目的を達成するために中心となり、活動している。 そのため、2年前から様々な研修を行うと同時に、昨年から実 施本部の中に研究会を立ち上げ、裁判員裁判における弁護事実 ということにも力を入れ、研究してきている。また、3年後に 裁判員法による改善の検討が実施されるので、それに向けた検証、 検討が必要であると考えており、弁護人の立場で言うと、被告 人対して適切な手続きがなされているのかどうかが一番気にな っている。その様な立場から、実際に裁判員裁判の制度自体に 問題がなく、適正になされているかどうかをしっかり検証し、 問題があれば弁護士という立場から提言をしていくという準備 をしている。 Q.以前より一つの事件にかかる時間が増えるように聞こえたが、 他の事件が手薄にならないのかどうか。 A.一つの事件に時間がかかるからといって、他の事件が手薄にな らないようにするという気構えで臨むしかない。しかし、制度 上一人の弁護士が裁判員裁判を何件も受け持つということはなく、

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仮に裁判員裁判を担当することになったとしても、他の仕事ま で疎かになるほど大変ではない。 Q.相手を理解するために、裁判にはあまり関係のない話でもする と言っていたが、聞かれる側はもっと裁判のための話をして欲 しいと思ったり、怒ったりはしないのか。 A.事件の話を聞くことが前提であり、その中で被告人自身の色々 な話をすることもあるという意味であって、話をすることで被 疑者や被告人が怒るということはない。出来るだけ丁寧に話を 聞き、本人のことを理解してあげるということであって、裁判 の話を一切しないという意味ではない。 Q.取調べの可視化について若干触れていたようだが、なぜ判決を 作用する程の取調べについて今まで可視化が出来なかったのか。 これにより冤罪が増えているのではないか。 A.先進諸外国の中でも、取り調べについては一切可視化をしてい ない、また弁護人の立会い権も認めないとしているのは日本だ けである。今まで日本の裁判が、職業裁判官の時代が長く続い てきたということも一つの要因であると考える。それは記録を 詳しくみていくという裁判の構造を取っていたので、捜査官と しては出来るだけ詳しい供述調書を取ろうとして、取調べを中 心とした捜査がなされていた。そのためそれを可視化すること は捜査官としては、好ましいものではなく、捜査し辛くなるが、 だからといって弁護人の立場から見れば誤判を防ぐためにも可 視化をすべきだと考える。したがって、裁判員制度が導入され たことにより更に可視化の重要性が問われ、実現していくべき ことになるのである。 Q.なぜ先進諸外国の中で、日本だけが職業裁判官だけで裁判を行 っていたのか。

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A.私は、形は変化したものの、江戸時代のお白洲から続いてきて いるのではないかと思う。このような歴史があるため、諸外国 とは異なった裁判制度が確立され、現在に至るまでその影響が 反映されているのではないかと思う。 (卦裁判官への質問と応答 中川氏(裁判官)に対しての質問と応答は概ね以下の通りである。 尚、ここでは質問に対する応答の形式でまとめたが、実際のシンポ ジウムの席では、この段階で大分時間が押してきたので、一間一答 の形式ではなく、これも予め一挙に質問を提示して、答えていただ いた。 Q.報酬として1万円程度貰えると聞いたが本当か。 A.報酬は日当が出ることになっている。日当・旅費・宿泊費(札 幌市内は出ない)がでる。日当について、裁判員は1万円以内、 候補者としてお越しいただいた場合は8千円以内とされている。 Q.判決文はどのように準備し、最終的にいつ確定するのか。 A.判決文は日にちを決めて例えば3日なら3日というふうに審議 の計画を立て、判決の宣告まで3日ないし4日というように決 めていく。評議をしながら話し合った結果を休憩の合間に作成し、 最後に意見をまとめ確認し判決に臨む。刑事裁判の場合は、文 章の形態で言い渡せるくらいの物になる。核心についてはしっ かり書くというように、めりはりの利いた判決文を書いていく。 Q.もし自分の判決と裁判員の考える判決が異なった場合、どのよ うな考えでその後進めていくのか。 A.裁判員と裁判官の意見の対立があった場合、色々な議論を重ね ることにより、よい判決を作っていくことを目指している。

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Q.守秘義務を守れなかった場合、罰則はあるのか。 A.守秘義務についての罰則については、6ケ月以下の懲役または、 50万円以下の罰金が科せられる。 Q.短期間の裁判を実現する上で公判前手続きが施行されているが、 三者による証拠採否についての協議で稼動する基準はどのよう なものか。 A.公判前整理手続の証拠の採否について、基準などはない。 Q.裁判官として裁判員制度を導入した時に、素人を法廷に立たせ ることに不安はないのか。また、裁判の理解のしやすさは今ま でと比べ、どの様に変わったのか。 A.裁判員制度を導入したことにより、素人の方でもわかりやすい ように裁判が工夫されているので、従来の裁判に比べ理解しや すくなった。 Q.裁判員裁判になって正直やり辛いと思うことはあるか。 A.裁判員制度を導入しやりにくいと思ったことは、どの様にすれ ば皆さんにわかりやすく伝えることができるかが困難であり、 伝えるために今まで以上の準備が必要である。 Q.裁判貞と裁判官で連結し裁判を行うと言っていたが、どう連結 するのか、協力するのか。 A.評議の仕方については裁判員に積極的に意見を述べて頂き、討 論し互いの意見を引き出していきたいと考えている。裁判官の 意見を言うことも重要だが、それを押し付けたり、説得したり するのではなく、裁判員制度は裁判官と裁判員とが一体となっ て結論を出すことが重要である。 Q.裁判員裁判によって判決の重さが今までの判決とは変わること

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はないのか。 A.刑の幅についてであるが、裁判官でも同じ事件で量刑に幅が出 ることはよくある。刑の幅が以前に比べ若干広くなるのは予想 の範囲内であって、裁判員制度は裁判員の意見を反映させるこ とが重要なので、今までの意見とは違うからといって結論に正 解があるわけではない。 Q.裁判員に2回以上なることはあるのか。 A.裁判員が2回以上当たるかという質問があるが、無作為に抽選 で選ばれるため、2度当選する場合もある。 ④研究者への質問と応答 森山氏に(研究者)に対する質問と応答は以下の通りである。 Q.裁判員になることは国民の義務なのか。 A.憲法上の義務ではなく、裁判員法上の、すなわち「法律上の義務」 である。国民は様々な法律に縛られ生活しているわけだが、裁 判員となることはその中の一つであると考えてよい。しかし、 問題はこの法律上の義務が憲法が保障する国民の自由を不当に 侵害する場合は憲法違反になるということである。例えば、思想・ 良心の自由を核心において侵害するような場合、参加強制は違 憲になるということは、裁判員法の法案審議の段階から指摘さ れていたが、そうした辞退規定は明文化されなかった。結局、 政令で定める辞退事由にゆだねられたが、この政令でも、裁判 員裁判に参加することが精神的、身体的、経済的に重大な損害 が発生する場合は辞退ができる、という形に落ち着いてしまった。 憲法が保障している自由を侵害しないような運用を期待している。 Q.裁判員制度における早急に解決しなければならない問題点があ ると思うか。

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A.裁判員裁判について解決すべき点としては、裁判をわかりやす くすること、被告人に公平かつ迅速な裁判を保障すること、裁 判員として参加した市民に過度の負担をかけないこと、さらに は被害者、その遺族に適切な配慮を行うことなど、様々なこと が指摘され、それとして対策が行われようとしている。しかし、 今回導入された裁判員裁判でもっとも重視すべき点は、これに より「よりよい刑事裁判」が実現するということであろう。「よ りよい刑事裁判」の実現ということからみれば、市民の陶冶と か司法に対する国民の理解の増進といった効果は副次的なもの

と捉えるべきである。そして、刑事裁判の本来の目的は、必要

かつ十分な「手間ひま」をかけて公平な裁判を行い、被告人の 権利利益を確保すること、これが刑事裁判の本義であろう。こ の本義と「分りやすい裁判」とか「裁判員の負担」とか、さら には「被害者参加」とを単純に秤にかけて比べることがあると すると、それはいかがなものかと思う。やはりこの本義の方に 比重がかかるべきではないかと考える。

3.結びにかえて

本シンポジウムには、114名の方の参加を得ることができた。これ を多いと見るか少ないと見るかは微妙だが、もう少し一般の方の参 加を促すような方策をとるべきではなかったかと考えている。企画 当初は、札幌での初めての裁判員裁判が終わった直後に、本シンポ ジウムを開催することを考えたが、当該裁判員裁判の公判前整理手 続等が長引き、開催を若干先延ばしにしたものの追いつかず、結局、

その前に、開催することになった。それもあって、広報に手間取り、

この参加者数となってしまったように思われる。 さて、法曹と一口に言われても、その置かれる立場は大きく異なる。 その意味で、一つの新しい司法制度が生まれ、それに法曹三者が全 て肯定的に携わっていたとしても、その意義の理解に若干の温度差

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や重点の置き方の違いがあって当然だと思われる。そうした点から みれば、今回のように法曹三者に参加してもらいシンポジウムを展 開するのには大きな意味があったのではないだろうか。先述したよ うに、裁判員法施行後三年を期に実施される裁判員制度改善の検討 を迎える際にも、同様のシンポジウムを開催したいと考えている。 その際には、裁判員裁判に対する市民の見解がどのようなものとな っているのかを明確に把握するためにも、事前に十分な広報活動をし、 多くの市民参加者を得て、さらに十分に議論できるだけの時間を組 み込んだシンポジウムとしていきたい。その時には、今回と同様に 法曹三者諸機関による支援体制が不可欠であり、今後もご協力をお 願いしていくことにしたい。 いずれにしろ刑事司法は大きく変わりつつある。札幌大学法学部 としても、その行方を見据えて、市民のためにより良い刑事司法の 在り方を探ると同時に、そうした情報を学生や市民に対して発信し ていきたいと考えている。今後ともご支援とご協力を仰ぐ次第である。 2009年11月7日「裁判員」に関するシンポジウム資料(森山) (1)「裁判員」の憲法上の位置づけ −「自由」で「民主」的な憲法体制の下での裁判員制度 (2)「市民」としての裁判員一権力のチェックと「自由」の確保 i)検察「官」・裁判「官」による公権力行使のチェック cf)足利事件(菅谷さん)・・・誤判の抑制? ii)プロフェッション(専門家)の「市民」によるチェック プロフェッションとしての裁判官・検察官・弁護士(さらには 大学数月) 市民のコモンセンスによるプロフェッションの「常識」のチェック

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iii)「裁判員」の立ち位置−「市民」(同輩)による裁判の実現 (3)「司法権」を行使する裁判員一国政への市民参加(民主主義) i)憲法76粂1項の「下級裁判所の構成員」としての裁判員 ・職権の独立と憲法・法律にしたがった裁判を行う義務 意76 粂3項、法9粂1項 ・憲37粂1項「被告人の公平な裁判を受ける権利」をはじめと して被疑者・被告人の権利によりみずからが行使する「司法権」 は「枠づけられている」との自覚 ii)「権力」行使に関わる様々な作法を学ぶ機会 「民主主義の学校」?「F法の支配』の学校」? iii)裁判員の職権行使に対する憲法的要請と裁判員の市民的自由 (の尊重)に対する憲法的要請 ・「参加」強制と市民(裁判員候補者)の「個人の尊厳」 ・裁判員に対する市民的自由の制約 守秘義務をめぐる問題 (4)裁判(司法)の本義と裁判員制度の運用 「よりよい(刑事)裁判」の実現」:「公平な裁判」と訴訟当 事者の権利・自由の保障 cf)裁判員の便宜、被害者の権利保障、公益の実現…

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アンケート結果 これは前記シンポジウムの終了後に回収されたアンケート結果を 記録したものである。裁判員裁判に関する各世代の理解と考え方を くみ取ることに主眼が置かれていたため、まずは具体的記述を提示 することに徹しており、統計的整理がなされたものとはなっていない。 今後、裁判員裁判が浸透していった後に、同様なシンポジウムがな された際の同様のアンケートと比較して、その変遷に関連して統計 的整理をしていきたいと考えている。 記:前原 実施:2009年11月7日(土) 於:札幌大学ブレアホール ■年齢 ■人数 20歳未満 25人 20歳代 42人 30歳代 5人 40歳代 0人 50歳代 4人 60歳代 1人 70歳代以上 0人 女性 11人 男性 66人 合計 77人 ■職業 高校生 1人 公務員 1人 大学生 64人 会社月 4人 大学院 1人 自営業 0人 教員(小・中学) 0人 自由業 0人 教月(高校) 1人 主婦 0人 教月(大学) 2人 その他 4人

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■裁判員制度についての考え (1)裁判員制度をどう思うか? 賛成 35人 反対 15人 どちらともいえない 27人 *理由* 賛成 020歳未満 ・この制度により、国民の司法への関心や理解が深まり、犯罪への 意識が高まることが期待できるから。(多数) ・裁判が身近なものになるから。(多数) ・一般市民にも参加してもらうことによって、一般的な立場からの 見解を取り入れることができるから。(多数) ・今の裁判の現状を知るために必要な制度であると思うから。 ・国民が司法に参加することによって関心を持つことができ、それ を見たり体験することによって犯罪の抑止力にもつながると思う から。 ・司法参加は決して悪くないと思うから。 ・国民も司法に参加することが可能となるから。 ・国民の意見を取り入れた良い制度だと思うから。 ・法律のプロではない一般人の意見で、有罪・無罪かを決める大き な一言を発する可能性があるので賛成。 ・裁判への関心が増し、なかなか接点のない世界を見ることができ るから。 ・国民の意見も必要であると考え、その国民の意見で裁判が公平で あるならば賛成である。

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020歳代 ・裁判を身近に感じることができると思うから。 ・客観的な意見も必要だから。 ・勉強になると思う。 ・一般国民の見解が司法の場で生きるから。 ・国民の司法への関心が高まるから。 ・一般市民が裁判に関わることは非常に良いことだと思うから。(多 数) ・国民一人一人がより良い社会を考えるため。 030歳代 ・国民の司法制度についてよく知るきっかけとなると思うから。 ・市民が参加していくことにより観点を変えていくことも必要であ ると思うから。 ・より身近なこととして考えられる。 ・参加する機会は良いことだと思う。 050歳代 ・一般の国民によるチェックが必要。 ・民主的司法制度であるため。 ・国民が主権者であるから、何らかの形で裁判に関わることが必要。 反対 020歳未満 ・対象事件が重大事件というのは問題があると思うから。性犯罪と 殺人事件は対象から外してもよいのではないかと思う。 ・一部、心のない人が適当な答えを出して、それが全員納得した場合、 冤罪の増加につながるのではないかと思うから。

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020歳代 ・プロの裁判官が判決を出しても冤罪などがある中、それを一般市 民が判断するのは難しいと思うから。 ・まだ国民の意識が低いから。 ■裁判員制度を導入し一般人に裁判を関わらせるより、裁判官の数 をもっと増やすべき。 ・もし自分が裁判を受けることになれば、判決を下す者がプロでは ないのならばその判決に納得できないから。 ・一般市民が参加する問題ではないと思うから。 ・職業裁判官など専門家で判断するべきだと思うから。 ・日常生活を犠牲にしてまでやる必要性が感じない。 ・法律の知識のない人が検察官と裁判所の癒着をどうこうすること はできないと思うから。 ・法律の知識がないのに裁判員をやることに疑問がある。 ・税金の無駄遣い。 ・国民への負担が多い。 ・裁判員としての安全保障の確立になっていないのではないか、と 疑問に思う。 どちらともいえない 020歳未満 ・学業、仕事などに影響があるし、だからといって国がやっている ことに反対というのはどうかと思うから。 ・まだ実施されてから間もないので、この制度がいいものかどうか 判断できない。(多数) ・幅広い意見は大事だが、素人が裁判に参加することに抵抗がある。 ・一般市民の正直な気持ちが聞けることは良いが、やはり、知識、 勉強不足が発生するおそれがあると思うから。 ・自分のような一般の者が本当に意見を述べて良いのかが不安である。

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020歳代 ・実際に選ばれた訳ではないため、実感がわかない。 ・素人が裁判に参加することで、職業裁判官とは別の視点から意見 できる点は良い試みだと思うが、一方で当事者、関係者にいろい ろな負担がかかるから。 ・法の知識のない人に裁かせるのもいいのかどうか微妙なところだ から。 ・市民参加というものが果たして本当に必要なのかが疑問ではあるが、 より公正に裁判が行われるのならばそれもいいのかもしれないと 思う。 ・導入されて間もないのでまだ分からない。(多数) ・裁判員制度に対する、賛成意見と反対意見のどちらにも納得でき てしまうため。(多数) ・裁判員になることによって、いい事も悪いこともあるので一概に はいえない。(多数) ・国民の意見を反映できることは良いと思うが、「裁判官」という 職業価値が低くなってしまうのではないかと疑問に思うため。 ・国民の司法参加という点については賛成だが、それが正確な裁判 になるのかが疑問。 030歳代 ・犯罪(事件)を裁くのに素人が裁判に関わっていいのかと抵抗が ある。 ・裁判員のメリットが(実際に体験してみないと)分からない。 ・自分の身に危険がないのか不安がある。 050歳代 ・法律用語の理解ができていない程度の人間にできるのかどうか不 安である。 ・まだ他人事のように感じたから。

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(2)裁判員裁判に参加したいかどうか。 絶対参加したい 8人 参加したい 34人 参加したくない 17人 絶対参加したくない 4人 どちらでもない 14人 *理由* 絶対参加したい 020歳末満 ・法学部生として一度は体験してみたいと思うから。 ・興味があるから。 020歳代 ・お金がでるから。 ・一般市民が裁判自体に関わることは良いことだと思うから、実際 に体験してみたい。 ・法律を学ぶ上で、実際に現場に行って体験するということは、必 ず知識と結びつくと思うから。 ・法学部生として勉強になるから。 050歳代 ・国民の義務であるため。 参加したい 020歳未満 ・参加することによってさらに理解が深まると思うから。 ・いろいろな意味で多くのことを経験できるから。

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