教育における文化の解釈と伝達に関する一考察 専 攻 人間教育 コース 現代教育課題総合 氏 名 越 智 達 哉 序 章 問 題 の 所 在 今日の学校教育は、武道や古典のような、文 化的価値を自明視されるもののみを「文化」と して捉える性向を持つ。文化を固定的に捉える 性向は、学校を取り巻く文化全体に見られる。 学校教育が、ある文化を教えるべきものとして 捉える限り、生まれざるを得ないものであると も言える。 しかし、学校教育の文化を固定的に捉える性 向には、子どもたちにとって必要のないような ものを指導したり、人々が本来持っている文化 を否定したりするような問題も少なからず見ら れる。そもそも、子どもたちの文化的素養の育 成が、古典や武道に触れさせるだけで成
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得 る ほど単純なこととは考え難い。 以上の状況を踏まえ、本論では、教育におい て価値を自明視されている文化が、現在のよう に価値づけられるに至った過程と要因について 考察を行い、現代の学校教育の文脈における、 文化の解釈と伝達の在り方について聞い直して いく。 第一章担会における文化の諸問題について 今日我々が捉える文仕概念とは、近代社会の 権威性によって窓意的に歪められた概念である。 18断己後半以降台頭してきた新人文主義は、本 来「耕すことjr
育てる」を意味する“culture" を、人の精神的な発達や陶冶の意味を表す言葉 指導教員 太 田 直 也 として用いた。プロイセンで進められた新人文 主義者のフンボルトによる教育改革では、教養 の獲得や人間性の育成が目的とされ、古典文学 などの「文化jが教育手段として用いられた。 しかし、「文化」が、教養性や人間性をもたら すとしづ明確な根拠は存在しなし、「文化Jは、 社会的上位層を中心に成る新人文主義によって、 貴族主観的に定められたものに過ぎなし、からで ある。そもそも古典とは本来、修辞法を学ぶた めの手本となるような高い実用性を評価される ことで残されてきた作品群であり、内容に価値 のあるもので、はない。 文化は、人と自然との交わりの中で生み出さ れる。そして、人による支配と徹底的に対立し、 人為によって操作されない。したがって、文化 を操作及び支配可能なものとして捉え、独占し ようとする新人文主義的思想は、文化を形骨刻七 させる。形骨刻七された「文化jは、大衆消費社 会の生術品程によって消費され、消滅する。 第二章学校教育と文化 今日の学校教育は、人間形成と文化伝達とし、 う2つの役割を同時に担う機関で、ある。しかし、 制度としての学校は、人間と文化としヴ掴みど ころのない両者を同時に引き受け得るほどの雅 量も柔軟性も有していない。実現不可能な2つ の役割をうわべだけでも逝子するために、学校 教育は、特定のものを固定的に「文化jとして 75-捉えるしか方法がないのである。換言す寸もば、 多少なりとも学校の都合に合わせて「文化Jは 選択されていると言える。 学校教育によって固定的に教えられる「文化」 は、現イ廿士会を生きるうえでは役に立つものと 言える。しかし、実際には、教育と文化の双方 を蔚昼させるものである。文化の共同体の「う わべJだけの伝達は、子どもたちに文化の共同 体に加わる機会を与えないからである。共同体 を無視した「うわ子だけの文化伝達Jが繰り返 されることで、文化は形者刻七してして。また、 形骸化された「文化Jは、子どもを顧客、老師 射旨導を商品とみなす社会の生術品程によって 消費される。そして、商品としての教育を受け 続けた子どもたちは、結果として何も得ること はできなし、。 第三章改善策の提案 教育における文化の解釈と伝達の問題を根本 から解決するためには、近代学校教育の構崩句 な改革が必要である。 ただし、他急な改革が、事態をさらに深刻な ものとする危険を苧むと指摘する者も少なくな い。学校教育の構造は、消費社会の生術品程に 従うものだからである。消費社会における生き 残りの手段となった学校教育を破綻させるほど の他急な改革は、人々からの反動を生み、事態 を悪化させる。また、子どもたちを、矛盾した 学校教育の構造から解放し、野放しにすること が、人間形成の面で必ずしも良い結果をもたら すとは限らない。 しかし、学校教育の構造的改革を行わなけれ ば、教育における文化の解釈と伝達の問題の根 本要国は改善されない。したがって、前述の指 摘を踏まえた上での、学校教育の構萱的改革が 必要となる。そこで、本論は、学校教育の無力 化と機能の分散化という改革案を提示する。学 校教育は、現在背負わされている社封切鋼を、 可能な眼り手放し、他の機関に譲り渡す必要が あるのである。無力化し、「閑暇Jの場となった 学校で、人々は遊びとして学問と向き合い、文 化を拡大させていくことが出来る。また、社会 白協定割を他の機関に譲ることで、学校の無力化 によって生じる危険を解消する。 改革を楚見するためには、学校と耕市による 学校教育の内面的な改革も必要である。そこで、 本論として品示する策案は、可能な限り多くの 学校と耕市が、文化とは何かを間い直し、本来 の文化の性質について知ることである。学校と 朝市は、文化を捉え直すことで、社会の要求す る「文化Jから解放され、文イ七の困窮見