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真宗研究11号 015小笠原宜秀「中国浄土教における善知識」

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Academic year: 2021

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中国浄土教における善知識

︵龍谷大学︶ は じ め に 善知識の文ん子は中同にては早く六朝の始めから漢訳経典の中に現れている。善知識とはその原語同

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の 語意からいっても占または真善・賢善・円台勝・微妙、或は正直・有徳なる友人・親友・同伴者のこととなり、仏教に おける修道者・求道者に対して最も菩き教導利益を与える師友的存在をいみする。それは中国では大体に善知識と表 現せられて多くの重要経典に解説され論及されて米たのである。例えば﹁増一阿合経﹂十一には善知識口問、かあり、 ﹁ 大 品 般 若 佐 ﹂ 二 十 七 、 常 時 口 川 ﹁ 大 般 児 禁 経 ﹂ 二 十 五 、 ﹁ 法 華 経 ﹂ 七 、 妙 在 厳 王 本 事 日 山 旧訳﹁華厳経﹂五十八 入法界品 ﹁大判度指﹂九卜六学に善知識論がなされている。 殊に﹁華厳経﹂のみ川知識については、熱烈なる菩財童子の求道歴程において五十五︵または五十三に数える﹀の教 導一不教を行った文殊・汗賢等の ぽじめ、比丘・比丘尼・優婆ま・優婆夷・童子・童女・天・天女・外道・婆羅門 −長者・国王その旭の話時域階級の名称が挙げられているとともに、菩薩道を求めた善財童

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に対し、結局は普賢行 中国浄土教における善知識 九

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中国浄土教における善知識

としての念仏三昧が説示されていることは注意を要する。その念仏三昧の義理内容は、一冗来広汎なるものであるが、 善財童子ば最後に北 H 賢菩諸に会うて念仏して四方弥陀如来の浄土に往生することを教えられて、求道歴程を完了する わけである。ところで西方弥陪如来の教法といえば、漠訳の浄土教経典が之を正しく教示するわけである。そして規 訳の﹁無量寿経﹂下巻︵流通分、弥勃付属の条︶に日く、 仏告弥勅。如来興世、難値難見、活仏経道。難得難問。件一円薩勝法。諸波擢蛍。得聞亦難。遇善知識。開法能行。此 亦為難。若同期経。信楽受持。難中之難。無過此難。是故我法。如是作。如是説。如是教。応当信順。如法修行。 として、閣法の勝縁に遇うことの重大事なることを説示しているが、ここに﹁遇善知識﹂の文字の見えること注意し たい。次に﹁観無量寿粍﹂正宗分の散善九日間段において中口問下生以下の何段においてそれぞれ﹁遇義知識﹂の文字が 提示されているのをみる。之等は他の六朝時代の経典と軌を一にするものであるが、殊に注意すべきは、 ﹁ 観 経 ﹂ 九 口問段にあっては中口問中生者までは、行者自身で往生の道を得ることが可能であるようであるが、中品下生から下品下 生者までは、順次に十悪とか破成とか五逆の大罪人としての存在、が、善知識のそれぞれの一不教によって浄土往生を完 うすることが出来ることを現わしているのである。これらの丈一社については、例えば北魂の の﹁浄土論註﹂にお い て も ︵ 巻 上 、 総 結 八 杏 同 等 、 逆 持 摂 取 の 条 ︶ 主 口 知 識 又 は 山 岳 友 と 解 し て 叙 説 し 、 十 念 日 六 足 し て ー 安 楽 浄 土 に 往 生 す る を 件 ることを述べている。すなわち六朝時代にあっては経典または文此において、主口知晶が求道の志ある仏辺修行者に対 し て 、 教 導 一 不 数 合 施 し ことに西方住生を可能ならしめることを充分に論述して、当時のボ近者の悩慌のけ川たらしめ た こ と が 閉 山 解 さ れ る の で あ る 。 然るに時代が推移して陪唐時代となるや、現前一の中国の特定の人師が﹁善知識﹂として仰がれる段階が出て米た。 之を促進せしめたものの一の動因は善知識に関する論義の多出であり、今一つは末法相応の教法流布による歴史的展

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聞 で あ る 。 この問題については私は先に﹁中国仏教史における善知識﹂と題して、 一 昨 年 度 の 日 本 宗 教 学 会 大 会 ︵ 三 十 九 年 十 一 月、東京大学会場︶に発表したことがあるが、今回更に爾後の研究によって補説を行い、特に中国浄土教における善知 識の相状と意義について解明を試みたいとおもう。 善 知 識 に つ い て の 論 議 中国仏教史上にては、陪代より初唐時代へかけて仏救界内外の諸状勢がすべて躍進しつ L あるを認められる。これ は六朝末の一北周武帝による廃仏事件以後における、僧侶全体の覚曜と、惰高祖文帝の仏教保護政策によって助長せら れた即興隆則の到来に依るものであらう。覚醒した僧侶達は、従来の仏教に対する考え方を改めて、仏政︿の研究講説は 知識教養の具としてではなく、すべて修道体験、成得菩提のためであることを認識するにいたった。 また陪文帝には じまる保護政策に依つては、今こそ仏教は中国人の宗教として現実社会の人々の心内を耕すべきものであるとして、 如何なる教法が当今の衆生の為のものであるかを研鑓するようになった。此の時にあたって善知識論議は盛んになさ れ た と 考 え ら れ る 。 初唐道位の﹁法苑珠林﹂巻一

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、 伝 記 篇 に み え る 歴 代 の 雑 集 部 の 中 に ﹁ 陪 朝 日 厳 寺 沙 門 釈 彦 埠 撰 ﹂ と し て ﹁ 、 一 一 日 財 童子諸知識録一巻﹂の書目がみえる。この彦時ほ惰代の名僧であり、 ﹁続高僧伝﹂巻二に本伝が出ている。その伝記 中には福田論、僧官論、慈悲論、生語論、鬼神録、通極論、耕聖論、通学論、善知識録等、十部の撰述のあったこと を示している。そして 言善知識者。是大因縁登聖越凡。不困益口友無人達也。 中国浄土教における善知識

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中国浄土教における善知識

としているから、先の﹁諸知識録﹂は﹁善知識録﹂の誤りであることは云うまでもない。なお﹃法苑珠林﹂伝記篇に は、今一つ、北周武帝の時の釈亡名撰著として﹁験善知識伝 L なるものを出している。釈亡名は﹁続高僧伝﹂巻七に 本伝の出ている高僧で、南朝治↓卜から江北に来たので、敢えて亡名を標したものらしいが、 これもまた善知識に関す る著述であったと考えられる。要するに﹁華厳経﹄善財童子の求道に刺戟されて、善知識に関する著作が出たととも に、それは出離得脱の大因縁であることが次第に確認されたとすべきである。 陪の高僧天台大師智担は﹁摩詞止観﹂巻山の下に出離得脱を目標とし、 二十五方便の随一として、外護と同行と教 授の三善知識説を出し、後記の如く浄土教の祖師道料禅師は﹁安楽集﹂巻下︵十一大門︶に善知識患託のことを論 じ、懐感の﹁釈浄土群疑論﹂巻五にも菩知識と一思知識とのことを論じている。更に華厳にては智織の﹁華厳孔目章﹂ 第四において、また賢首大師法蔵は﹁華版経探玄記﹂第十八において、それぞれ善知識論を展開している。 ﹁ 探 玄 記﹂における人・法・人法合弁のコ一煩を掲げたことは踊著なことであり、これらの問題は数学史上から詳論すれば極 めて多岐に一旦るので、今は省略するが、要するに、苫財童

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の侍知識を尋ねての h 水道は単に経典の中にみえる過去の 一事件に非ずして、現前の求道者の一大事因縁たることを論じたものであるとの此の時代の雰囲気が、如上の撰著の一 歴史を通して認めることが出来る。 特 定 の 苦 知 識 の 出 現 六期末に兆し、陪代の仏教界に め ら れ る 仙 川 の 党 問 の 中 に は 新 を 勢 、 が 現 れ て 来 た 。 中にて特筆すべきは江北中心 に γ 山、拝として起った正像末三時思想に本ずく末法仏教迎動であった。それは太行山脈の束、相州法蔵寺に修道してい た信行禅師によって、逸早く末法相応の教法としての二一階教唱導によって開始された。コ一階教は普仏普法ということ

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を標梼した汎神論的なもので、教旨としては普敬認悪を掲げ、 一般道俗に対しては対根起行法を勧めて仏滅千五百年 以後の末法時代における生首愚悪の凡夫は罪障消滅を計るべきであるとしたのである。而して彼はその修道中におい て既に特定の善知識を求めている。それは、敦起出土のコ一階教資料中の﹁信行遺文﹂にみられる。 日 く 、 開皇七年正月十日。相州光厳寺沙門信行。白州知事檀越。信少小患心労損。由是不堪坐禅亦不堪講請。従十七以来 求善知識。至今同十八才。積満三十二年。唯伺。相州光厳寺僧詰定。相州厳出寺僧道進。魂州貴郷県党孫浪彪下王善行 越川療陶県党王同畠下王善性等四人。哲一一目願頓捨身命財。直到成仏。修行上事相続不断。此既有助王国。館益群 生。乞為奏聞賜垂聴許。謹向。 これは、信行が三階教運動をなしつ L あるについて、自己の主張に同調した僧慧定、道進と在俗居士の王善行と王善 性とを、その普敬的立場から善知識と呼んだもののようである。その他、信行の著述中には﹁学求善知識学発菩提心 法一巻﹂の書目がみられ、或いは﹁対根起行法﹂中に、帰仏・帰法・帰僧・度生・断悪・修善・求善知識の七法なる ものを掲げている。此等はいずれも発菩提心の場合の心須要件であったことを示している。 かくして信行は開皇九年︵五八九︶召されて長安真寂寺に入り、長安市民に並日法仏教を説き、三階教の興隆にっと め 、 同 十 四 年 、 五十五才で入寂した。併し彼の晩年、及び其後の動き方が旧仏教界に対抗し、晴王室へも誹詩的言辞 をなすところがあったので一時、禁断の憂目をみたのであるが、間もなく唐朝に変ったので、教徒達は教祖信行を崇 めていよいよ三階教を新宗派として盛り立ていった。終南山に墓塔を建て、 ﹁惰大善知識信行禅師興教碑﹂なるもの を 刻 成 し た 。 そ れ は 早 く よ り 宋 拓 本 と し て 中 国 に 残 存 し て い る も の で あ る ︵ 委 細 は 矢 吹 慶 輝 博 士 、 三 階 教 之 研 究 に 見 ゆ ﹀ 。 今之と略々同趣といわれる﹁故大信行禅師塔銘碑﹂文によるに、 鳴呼友哉。春秋五十有五。以開皇十四年正月四日。卒於真寂寺。即以其月七日送枢終南山議埠屍陀林所︵中略﹀於 中国浄土教における善知識

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中国浄土教における善知識 四 是法師浄名・禅師僧畠・徒衆等コ一百飴人。夙以禅師為諮問知識。ゴ一業随逐二十余年。倶懐出佐之友。共桔再提之友。 恒 欲 砕 ロ ︷ 円 於 香 城 之 下 。 投 身 於 雪 山 領 之 問 。 生 事 莫 由 。 死 将 為 礼 。 遂 依 林 葬 之 法 。 敬 収 舎 利 。 起 塔 於 屍 陀 林 下 。 ︵ 下 略 ︶ とあり、門徒達が教祖信行を善知識と呼んでいたことが判る。教祖であるから﹁大善知識﹂と呼んだであろうことは充 分察知される。後年即ち唐代宗大陸二年︵又は同六年︶に終南山の信行塔院の所在地に百塔寺が建立された。 ﹁附関西 通志﹂にその由来を記して 百塔土守。本唐憎信行塔院。大歴二年間慕信行者。比白窪信行塔之左右。故名百塔。 としているが、唐憎は随憎の誤りにて三階教の復興と共に、教祖を慕うものが塔廟を囲漉して雨後の同行達の為に小 墳塔を建立したものであった。 如上の末法仏教運動をなした三階教祖信行と対照的に考えられる新仏教運動の大家が浄土教の道縛禅師である。道 粋は信行より二十二才年少であったが、太付山脈の西方、井州石壁玄中寺において、末法相応の教法としての弥陀浄 土教を唱導したのである。近来の研究の結果にては、道紳が師事した江北のす同憎慧嘆禅師は、以前に信行へも講学し たことがあり ︵信行は寛に契わなかったので慧璃門下の明胤に回附したというが﹀総じて江北一帯にみなぎった末法 観に対して、共通の内観を深めたようであり、信行仏教運動は道悼の脳裏にも或る種の感銘を与えたのではなかろう か と 考 え ら れ る 。 道特は中年に及んで玄中寺に高でて曇鷲碑文を読んで感ずる所があり入浄したものであるが、 主著﹁安楽集﹂によ れば、正しく末法相応の教法として弥陀浄土教の価値と意義とを高調している点が明瞭である。即ち道料の功業は北日 通に﹁約時被機﹂といわれておるが、授の勧化した弥陀念仏の法門は、信行の普仏信仰に対比すれば、弥陀一仏を専 念する点において一神論的在り方であった。その念仏は末法時の凡夫として弥陀の本願力に加被せられた最も有効な

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修福の行業であり、倣悔滅罪の行業でもあった。そこで道梓自身は日課念仏七万逓を修したといい、門下の道俗にも 数量念仏法としての小一丘念仏や、木棺ずによる数珠使用を勧めたといわれる。此処において道料に刈しても、 その門 下から善知品的敬仰がなされていることを抗察しうる。 ﹃安楽集﹂巻下、第十一大門の普知識辺託の条によるに﹁一切衆生に勧めて善知設に託して西に向うの意を作さし む﹂とて﹂法句経﹂の文を引用して善知識の性格を明かしてある。 日 く 益田知識者是汝父母。養育汝等法円捉身故。善知識者是汝眼目。能見一切善悪道故。善知識者是汝大船。速度汝等出生 死海故。普知識者是汝恒縄。能挽抜汝等出生死故也。又勧雌与衆生作善知識必須帰西。何以故。由住斯火界連順境 多 有 退 没 難 出 故 也 。 ︵ 中 略 ︶ 火 界 修 道 甚 難 。 故 劫 帰 西 方 。 一得往生三学自然勝進万行普備。故大経云。弥陀浄因。 無造悪之地如毛髪許也。 と述べているが、要するに真の善知識は弥陀浄土を欣慕、 西方に帰せしめる教導者を意味することを明している。之 は道紳の先師たる曇驚の﹁浄土論註﹂にもみえている菩知識の意味を継承していることは云うまでもない。現に﹁安 楽集﹂中にも他の場所で引用しているにおいておやである。 ところで、道縛の浄土教勧化を受けた陪代より初唐へかけての道俗の門徒達は相当の数に及んでいる。上は唐の王 室︵太宗・文徳皇后等も尊信していたということ既に明瞭にされている。︶よりはじまり下はあまり学問的教養のない 老婆にまで及んでいる。 ︵瑞応酬伝等にみえる︶今、名古屋真福寺所蔵の鎌倉時代書写﹁往生浄土伝﹂一一一巻に引用さ れている﹃弁州往生記﹂なるものによれば、道紳の勧化をうけたと思われる道俗男女は七十余人に及んでいる。而し てその僧俗法名をみれば、道生・道闇・道穂・道如・道鏡・尼道香・沙弥尼空道等、 とにかく道紳の﹁道 L の一字を 伝領したと思われるものがある。又往生伝類にも道英・道撫等の道紳門下の伝記がみえている。この法名において 中国浄土教における善知識 一 一 一 一 五

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中国浄土教における善知識 一 一 二 六 ﹁道﹂字の多出は大いに意味があるのであって、結局、それは道緯を善知識として敬慕する原因となるものと考え る。そこで更に一歩進めて云えば、道縛門下の偉材、善導の名が、時に或いは善道となっているのは後世の錯記では なくて、案外善導在世中の出来事ではないかーーとも考えるものである。

浄 土 教 に お け る 善 知 識 論 中国浄土教における善知識論を知るには、唐の善導大師の﹃観経四帖疏﹂及び﹃往生礼讃﹂以下の具疏を鰭くを良 し と す る 。 品一音導は﹁四帖疏、玄義八刀﹂和会門の所において、従来の諸師の解釈を返対破して﹁但だ此の観経は仏、凡の為に説 きたまう、聖のためにせざる也﹂と主張し、為凡の浄土経典たる﹁観経﹂の性格を打出したのであり、その立場を以 て善知識論を展開しているが、先にも記した如く﹁観経﹂には散善九品段にて中下品より﹁善知識﹂の文字が現れて い る の に つ い て 、 ﹁玄義分﹄においても、それぞれ対応して中下の条以下に﹁善知識﹂を掲げている。また﹁散善 義﹂上品上生釈中、二河醤の所にも﹁真善知識﹂とか﹁善友﹂の文字を掲げている。次に、中ロ問下生釈においては、 世善上福の凡夫人なれども、仏法を見聞せざる故、善知識の勧化を必要とする所以を知らしめるものである。但し、 それは先の玄義分の所にみえる﹁此人命欲終時。遇善知識。為説彼仏国土楽事四十八願等。此人間己即生彼国﹂の文 に照応して知るを得るのである。 次に下品上生・中生・下生者は善導の解釈によれば 下品上生者は造十悪将非凡夫人 下品中生者は破戒次罪凡夫

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下品下生者は目六造五逆等重罪凡夫人 として、それぞれ善知識の勧化によって往生を得ることを明す。而して ぷ一五。ド米下行下似人。十悪五逆等貧願。四重山川僧訪正法。未曾断川内出前偲。終時苦相如雲集。地獄猛火罪人前。 忽 遇 住 生 善 知 識 。 急 勧 専 称 彼 仏 名 。 化 仏 川 北 口 隣 尋 声 到 。 一 念 傾 心 入 宝 運 。 コ 一 葦 障 重 闇 多 劫 。 ヂ 時 始 発 許 提 因 。 として、真善知説とか住生善知識とかの訴が現れて米ることは、注意したいとおもう。善導は﹁散善義﹂総結後肢に いたって次の如くに述べている。 願使合引間之生信。有識観者西帰。以此功徳団施衆生。悉発主 n 提心。慈心相向。仏眼相看。菩提券属。作真善知 識。同帰浄因。共成仏道。此義己請証定克。 一宇一旬不可加減。欲写者一如経法。応知。 これらは要するに菩知識を往生の先達とし更には親友知識として非常な親近感を以て見ていることが判る。更に注意 すべきは 観音勢至常国影護。亦如親友知識也。として、信心の人、往生の人は観音勢至が親友知識の在り方において接せら れることを感じている。 なお﹁往生礼讃﹂にいたると ﹂ れ は 勤 行 讃 文 で あ る 、 が 、 そ の 中 に 普為師僧父母及菩知識。法界衆生。断除三陣。同得往生阿弥陀仏国。帰命俄悔。 と述べたところがある。或はまた 敬 白 。 一切っ一宝。師僧父母。六親者属。善知識。法界衆生。不可知数。 とみえるところがあって、 いずれも善知識は親友知識的な感じで序列されている。 ﹁法事讃﹄においても略同様であ る。これは実は遡って北魂曇驚造とされる﹁讃阿弥陀仏偶﹄にすでに見られるところである。此等の讃文・伺文にお 中国浄土教における善知識 七

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中国浄土教における善知識 入 ける﹁善知識﹂の在り方は、師僧父母、又は六親春属の次位に列してあり、善知識の次に法界衆生とした点、略同一 の様式であって、開法又は讃歎における必須要件であったとともに、浄土教における優れた教化者、勧化者として、 弥陀一仏を本師法王と考えた場合、その教化を取り次ぐ善知識があってこそ、念仏者は心に歓喜を覚え、抗生成仏道 を辿ったものであった。 更に中唐以後に及んで善知識論議、か如何になったかというに、例えば善導・道鏡共集の﹃念仏鏡﹂をみれば、 観 経﹂を引用して善知識を述べている所があるが、議日導流の系統において人師としては大行和上とか善運問梨との新称 口万が現れているが、併し﹁弘賛法華伝﹂巻五の宜山大志伝にみえる如く、彼自身誓願文を作って﹁世の善知識となら ん﹂と云うた事績もあって、浄土教における善知識は弥陀一仏を専念する行者に対し、親友知識的存在として伝承さ れていったものである。

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