1.はじめに
わが国において,製造業に携わる企業約 26万社の 実に 99.2%(会社数ベース)は,資本金2億円以下 または従業員(常用雇用者)数 300人以下の中小企 業基本法に定められたいわゆる中小企業であり,そ のうち従業員数 20人以下の小規模企業は 78.5%に
及ぶ.これら中小企業は全製造企業の 69%の 589万 人の雇用を維持し,47%の 158兆円の出荷額を叩き 出している .中小企業の中には世界をリードする 技術を有するものも数多く,わが国の産業,科学技 術への貢献度は著しく高い.
しかしながら,中小企業の経営基盤は脆弱であり,
リーマンショック以降の急速な景気後退により存続
【論 文 Original Article 】
中小企業における
産業財産権の確立に関する検討
Study on Establishment of Intellectual Property Rights in Small and Medium Enterprises
阿 部 義 男
Yoshio R. ABE
金沢大学 理工研究域 機械工学系
〒920‑1192 金沢市角間町
School of Mechanical Engineering, Kanazawa University Kakuma, Kanazawa 920-1192, JAPAN
中小企業における産業財産権の確立活動は平均値では測れない.技術的優位性で差別化に成功 した企業であっても階層分化が見られ,大多数は産業財産権確立に積極的ではなく,中小企業の 技術力の基盤となる知的財産の産業財産権としての確立は十分とはいえない.その理由は技術開 示のリスクへの不安,知識の不足,知財戦略の欠如等であるが,企業活動のグローバル化に伴い 産業財産権の確立は不可避であり,出願すべき技術の抽出と適切な国内外国出願戦略の立案遂行 及び秘匿すべきノウハウの文書化が求められる.このような方法論の確立を含め,中小企業の知 的財産保護活動を教育・学問としての産学連携を通じて支援していくことが必要である.
It is inappropriate to evaluate activities for establishment of industrial property rights in small and medium enterprises (SMEs) with averaged information about them. Even technology- oriented SMEs are classified into several groups with respect to activities,and their majority is not enthusiastic about securing their rights. This reveals that intellectual properties owned by SMEs have not well been established and protected as industrial property rights. Although risk of technology disclosure and lack of relevant knowledge should be considered to make SMEs negative, recent globalization of business activities urges them to have proper strategies for protection of intellectual property rights,such as selective but increased foreign applications and documentation of know-how. However, neither such intellectual property strategy nor the methodology of the documentation has not been established yet in the management of SMEs. It is the integral part of industry-university cooperation to support the activities for protection of intellectual properties of SMEs through education and academic research.
Key Words:industrial property rights, intellectual properties, small and medium enter prises (SMEs)
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受付:2010年 12月 22日 受理:2011年3月 18日
の危機にさらされているものも少なくない.天然資 源に乏しいわが国にとっては,技術立国の一翼を担 う中小企業の体力向上により中小企業の技術開発力 を活用していくことが重要な課題である.一方でわ が国製品は深刻な模倣被害を受けており ,知的財 産の国内外における保護のさらなる強化推進が望ま れる.
競争力を有する中小企業は独自の技術を拠り所に 他社との差別化を行い優位性を確保して生き抜いて いると考えられる.この 技術 は特許,意匠等の 産業財産権あるいはノウハウ等の知的財産として保 有維持されていると思われるが,中小企業(製造業 以外も含む)の特許出願件数は全出願の 12% ,特許 保有件数は 17.6%(2006年度) にとどまっており,
知的財産の保護方策としての産業財産権の活用が進 んでいない実態が伺える.
中小企業の知的財産活動の動向についてはいくつ かの調査がなされている.中小企業白書 によると 特許出願または保有実績のある中小企業(業種全体)
の出願件数は 5.7件,国内特許保有件数は 17.7件で あり,大企業に劣るとは言え少なからぬ産業財産権 を保有するように見える.一方中森ら は京阪神・滋 賀の製造業についてアンケート調査を行い 110社の データを得た.保有特許権の有無にかかわらず中小 企業は自分の強みを技術であると考えている.しか し,その約8割は特許権保有件数が 10件未満であ り,調査対象の 1/3は保有件数ゼロである.また大 阪市信用金庫は府下中小企業のうち製造業者にアン ケート調査を行い,回答企業 546社について事業規 模と知的財産意識の関係を調査した.89%の企業が 知的財産を保有し,その内容は多くが技術やノウハ ウであると回答したにもかかわらず,産業財産権を 取得している企業はその 1/4程度に過ぎない .こ のように,平均値による解析の中から何らかの傾向 を見出すのは難しく,小企業における産業財産権の 確立活用の実態は明らかではない.
中小企業は規模,技術力,販売力等の全てにおい て多種多様であり,技術的優位性をほとんど有せず 地理的優位性や企業間関係等のみで経営を成り立た せているものも少なくなく,まさに玉石混淆という べきである.そのような中小企業をひとまとめに扱 うことは技術的優位性を有する中小企業の状況を理 解する上で必ずしも適切ではないと考えられる.
そこで本研究では,独自技術を持つ中小企業の特 許・実用新案の出願・権利化状況を解析することに より,中小企業の技術力を知的財産として確立し,
それを有効に保護し活用する方策を検討する.中小 企業の知的財産戦略支援については,毎年の政府の 知的財産推進計画においても重点的に講ずべき施策 として挙げられており,中小企業側からも公的支援 の必要が叫ばれているところである .こういった 状況の下で,中小企業における産業財産権創出利用,
ノウハウの確保,技術伝承等知的財産の保護・管理・
活用に対する大学の貢献という産学連携の一つのあ り方について考察する.
2.調査対象企業の概要
技術力をベースに優位性を確保している中小企業 として,経済産業省の選定にかかる 元気なモノ作 り中 小 企 業 300社 の 2008年 度 選 定 企 業 300社
(以下,調査対象という)を対象に,特許・実用新案 の出願・権利化・維持動向を調査し,その状況につ いて検討を行った.具体的には,過去の特許・実用 新案の出願・権利化・権利維持動向,現在有効な産 業財産権および産業財産権になり得る出願の保有状 況,出願人情報などについて調査した.なお,本調 査の基準日とした平成 22年3月4日時点で調査対 象のうち1社が自己破産,1社が民事再生法申請(再 建中),1社が業務停止状態にある.
調査対象の所在地分布を表1 に示す.大都市近 郊に密ではあるものの全国を網羅している.ただし,
特許実用新案の出願人住所は本社である場合と工場 である場合があり,必ずしも表1の所在地とは一致 しない.調査対象の事業分野の分布を表2 に示す.
機械・電気電子・金属系製造業が多いが,その他に 分類される軽工業的なものも少なくない.表3 は 調査対象が選定された理由を示す. 地域資源の活 用 や 意匠やデザイン 等,やや技術的優位性を 疑わせる理由もなしとしないが,程度の差はあれ総
表1 調査対象企業の所在地分布
表2 調査対象企業の業種分布
じて他社にない優れた技術力によって獲得した知的 財産をもとに市場優位性を保っている企業群である といえよう.なお個別企業の選定理由は開示されて いない.
3.産業財産権の状況調査方法
⑴ 国内出願動向の調査
産業財産権データベースとして特許電子図書館
(IPDL;独工業所有権情報・研修館),esp@cenet
(EPO;欧 州 特 許 庁),商 用 データ ベース で あ る HYPAT-i(株式会社発明通信社)を用い,1出願を 1件として公報の件数を集計した.調査期間は平成 12−20年とし,この間になされたデータベース上で 利用可能な出願を計上した.期間をこのように絞っ た理由は,企業の業態変化の可能性を考慮すれば過 去 10年程度以内の発明に絞ることが妥当かと考え られ,また調査を行った平成 22年7月 15日の時点 で平成 20年の通常の出願 が全て公開され件数が 確定すると考えられたためである.
実用新案は平成 21年に出願されたものの登録公 報が全て発行されているので平成 21年の出願まで 計上した.なお分割変更等に係る出願は新たに1件 として計上した .
中小企業は浮沈消長が顕著であり,分離合併,企 業名の変更は珍しくないため,現在の企業名のみに よる名寄せでは抜けが生じる恐れがある.加えて同 一類似商号を有する企業も多く,それらノイズの排 除も必要である.本研究では,特許庁が付与する出 願人番号を基本に実体同一の企業による出願を検索 し,必要に応じ発明者氏名,発明の技術内容,出願 人住所,代理人氏名等の一致を根拠として,調査対 象 300社に属する出願を抽出した.調査対象同士の 共同出願は年間集計では1件とし会社別集計では両 社に計上し,当該企業の事業に関連する技術にかか るものの場合はオーナー個人保有・グループ企業保 有の権利も含めた.また,名寄せは出願時点におい てのみ行っており,出願後の譲渡により得た権利は 除いた.
⑵ 外国出願動向の調査
外 国 出 願 に つ い て は,HYPAT-iお よ び,esp
@cenet からアクセスできる INPADOC パテント
ファミリーデータベースに依り,平成 12−20年の間 に出願された国内外の出願に基づく優先権出願ある いは優先権主張を伴わない外国特許出願のうち基準 日時点でデータが得られるものを計上した .出願日 は優先権主張の根拠となる最先の出願の出願日を用 いたため,必ずしも外国出願がなされた日ではない.
また外国出願の件数の計数はファミリー単位とし,
基礎出願,優先権出願,各国移行出願を包括的に1 件と数え,複数の出願を基礎とした優先権出願,1 件の出願を基礎とした複数の優先権出願はそれぞれ まとめて1件と計上した.なお外国出願については 欧州各国移行および権利化以降の状況は確認してい ない.
⑶ 国内出願の権利化・維持動向の調査
実用新案は出願すれば無審査で登録され権利とな るが,特許出願は審査により登録査定を受けなけれ ば特許権にはならない.権利化されない出願は公開 されるのみで独占がかなわず技術の垂れ流しにおわ り,意味がない.しかし現実には審査請求費用負担 や出願後の状況変化などにより審査請求されないま ま見なし取り下げとなり権利化されない特許出願が 少なくない.また登録を受けた権利であっても,年 金負担や事業・技術情勢の変化でその技術が不要と なり権利が放棄される場合も多い.加えて特許権は 出願日から 20年,実用新案権は 10年 で権利期間 が満了し自由技術となる.一方で,特許出願は拒絶 査定が確定するまでは特許権となる可能性を有し,
特許を受ける権利を根拠に通常・専用実施権の許諾 も可能で,すなわち活用の可能性を有する.したがっ て,企業等が保有する産業財産権としては,現在有 効な権利と権利化の可能性がある出願とを合わせ て,現在無効でない権利 として評価すべきである.
そこで調査基準日を平成 22年3月4日と設定し,
調査対象が有する基準日現在有効または無効審判中 の特許権・実用新案権(以下,有効権利という)と,
審査・拒絶査定不服審判中あるいは未審査請求(見 なし取り下げ期限前)であって権利化の可能性があ る最終処分未決の特許出願(以下,未決特許出願と いう)を抽出し, 現在無効でない権利 を計上した . 有効権利には,登録査定を受け登録後放棄された権 利,出願あるいは登録後第三者に譲渡された権利は 含まない.
4.結果と考察
⑴ 国内出願動向
平成 12−20年の調査対象の特許出願は公開され たもので 5,382件に及ぶ.実用新案出願は 149件に 過ぎない.図1には平成 12−20年の9年間の企業別 特許出願件数分布を示す.467件を筆頭に上位 10社 の出願数合計が全体の 42%を占める.50件以上出願 した企業が 21社ある一方で5件以下が半分以上の 159社,うち 73社はゼロである.さらに,39社につ いては昭和 58年まで遡及調査しても1件も特許・実 表3 調査対象企業の選考理由
用新案の出願がない.調査対象の年平均特許出願件 数は 2.0件/年だが,中間値は 0.56件/年であり,一 部の出願件数の多い企業に平均値が引き上げられて いることが分かる.
図2には平成 19−20年の2年間の各企業の特許 出願件数分布を年平均で示す.総計は 952件である.
調査期間を通じた総出願数ときわめて強い正の相関
(相関係数R=0.923)を有し,大口出願企業は安定 して出願していることが分かる.一方2年間で出願 2件未満の企業が全体の 75%超の 239社に達し,全 体の半分近い 145社には全く出願がない.
図3には特許・実用新案年別出願件数の推移を示 す.特許出願件数は全体として減少している.わが 国の特許出願は平成 17年をピークに減少に転じ,そ の中で中小企業の出願比率も減少しており,中小企 業の特許出願意欲の減退が著しい .この傾向は本 研究の調査対象においても顕れており,平成 12−16 年に出願のあった企業 207社のうち 138社におい て,平成 12−16年平均に比べ平成 18−20年平均出 願件数が減少している.実用新案出願は元々低調で あり単調減少傾向にあったが,平成 17年4月の法改 正を境に増え始めている.なお出願後他社に譲渡さ
れた出願は 28件,全て特許で,譲渡相手は共同出願 人の大企業が多いが,第三者企業の場合もある.
⑵ 権利化・維持動向
図4には 現在無効でない権利 として企業毎の 有効登録特許,有効登録実用新案,未決特許出願の 件数を合計件数順で上位 50社について示す.どの企 業も概ね有効特許と未決出願の両方を保有すること がわかる.調査対象の基準日現在有効な特許権は 2, 231件,実用新案権は 92件,未決特許出願は 2,346 件である.出願件数の割に特許権の件数が多いのは 調査期間以前に出願されたものも含まれるためであ る.
図5,6に企業別の有効権利数と未決特許出願件 数の分布を示す.1社平均では有効権利 7.8件,未 決特許出願 7.8件であるが,平均値をいずれも超え るのは 300社中 51社に止まる.調査対象の7割が有 効特許を5件以下,未決特許出願を9件以下しか保
図3 出願件数の推移 図1 企業別特許出願件数の分布
図2 平成 19−20年企業別平均出願件数の分布
図4 企業別の現在無効でない権利の数
図5 企業別の有効権利数
図6 企業別の未決特許出願件数
有しない.また 89社は有効権利を保有せず,実用新 案権のみ保有し有効特許を保有しないものが6社あ り,116社は未決特許出願を保有しない.さらにこれ らのいずれをも全く保有しない企業が 69社にのぼ る.なお平成 12年以降出願がないにもかかわらず現 在無効でない権利を有するものは 16社存在する.
⑶ 外国出願動向
調査対象の外国出願の件数は 1,151件,うち PCT 出願が 553件,パリ出願が 598件である.図7に企 業毎の総出願件数の分布を示す.100件以上が3社 あるものの 10件以上は上位 17社のみで,63%の 188社は外国出願を行っていない(うち 12社は平成 11年以前に外国出願経験あり).全体を見れば国内 出願の約 1/5が外国出願されていることになり,か なり活発にみえるものの,出願する企業としない企 業との格差が国内出願以上に大きいことが分かる.
概して国内出願の多い企業は外国出願も多いが,国 内出願が多いにもかかわらず外国出願をほとんどし ない企業もいくつかあり,企業毎に国内外の市場の 重み付けが大きく相違する.なお,全中小企業のう ち 2008年に外国出願を行ったものは企業数ベース で 34.6%に止まる .
図8は総出願件数,PCT 出願とパリ出願の件数の 年別推移を示す.PCT 出願の平成 19年以降とパリ 出願の 20年以降は未公開分の計上漏れが少なくな いと考えられるため総出願件数は示していない.
PCT 出願とパリ出願の両方を有するファミリーは PCT 出願で計上した.総出願件数は漸増か横ばいと 見られる.
PCT 出願は固定費が高く出願国数が少ない場合 にパリ出願よりコストが高くなるため,中小企業で は出願国を絞り込んでパリ出願を行うケースが多い
とも想定された.しかし現実には平成 16年まではパ リ出願の方が優勢であるものの,17年以降は PCT 出願が多数となっている.集計結果ではパリ出願が やや PCT 出願を上回るが,未公開分を考慮すれば 現在は総件数でも PCT 出願がパリ出願を大きく引 き離しているものと思われる.この理由としてはビ ジネスのグローバル化に伴う出願国数の増加が考え られる.既に移行され公開された出願について出願 国をみると,米国 687件,欧州 547件,中国 508件,
韓国 373件であり,各出願を精査すると PCT,パリ 出願にかかわらず上記の4つ全てを指定国としてい る出願が極めて多い.すなわち,もはや1−2ヵ国 に出願すれば済むという状況ではなく,パリ出願の メリットは小さくなってきていると言えよう.なお 企業は大きく PCT 出願を主とするものとパリ出願 を主とするもののいずれかに分けられ,両者を併用 する企業は少ない.PCT 出願はパリ出願に比べ権利 化に時間がかかるものの,日本語出願が可能で手続 きが簡単である,国際調査により特許性が評価でき る,移行国の決定,翻訳文提出期限を後倒しにでき ることから情勢変化への対応もしやすいなどメリッ トが多く,今後もっと活用されるべきである.
⑷ 共同出願と産学官連携
調査対象の特許出願のうち,2社以上の共同出願 に係るものは 1,168件,全出願の約 22%にのぼる.
共同出願の相手を図9に示すが,企業間連携が大部 分で産学官連携出願はあまり多くなく,企業間連携 では大企業との共願がかなり多い.調査対象同士の 共同出願は特許4件で,重複計上はしていない.
官との共同出願は平成 11年の日本版バイドール 条項(産業活力再生特別措置法 30条) 制定以来激 減しているが,研究開発独立行政法人との共同出願 も少なく,共同研究の低調を伺わせる.一方大学と の共願は 99件とあまり多くないが,うち平成 16年 の国立大学法人化以降が 84件で,大学の知的財産意 識の向上もあり増加傾向にある.
大企業との共願が多い理由としては,大企業との 共同開発や大企業からの委託開発の場合に,成果が 共有となる場合が多いためと考えられる.このよう な場合出願が大企業主導となって中小企業側として 必ずしも出願したい技術ではない場合も多いと考え られ,中小企業の知的財産ストックとしてはややそ
図9 共同出願の相手 図8 外国出願件数の年毎推移と出願方法
図7 企業別の外国出願件数
の価値が疑問視される.
共同出願により産業財産権が共有となることは産 業財産権の利活用の点からは好ましくない.例えば 第三者への実施許諾の際に共有者の了解を要する
(特許法 73条),共有者の立場を盾に第三者への実施 許諾を強要される恐れがある,自らの実施の際に共 有者に不実施補償を要求されることがある,など権 利をコントロールできない恐れがあるためである.
したがって産業財産権の出願は可能な限り単独で行 うことが望ましい.
⑸ 改正実用新案制度の活用
実用新案制度は,小発明保護の目的で創設され,
ライフサイクルの短い商品を低コストで保護する制 度として中小企業に活用されてきた.しかし,平成 5年法改正による実用新案の無審査登録制度発足に より,権利の有効性が保証されなくなって権利行使 が難しくなり,以降衰退の一途を辿ってきた.
平成 17年4月に施行された改正実用新案制度で,
実用新案登録に基づく特許出願が可能となり,知的 財産を一旦無審査の実用新案として登録し,活用の 可能性があるものを改めて特許出願として審査を受 けて安定な権利として活用する途が拓けた(特許法 46条の2).この結果,法上の権利であり企業倫理 の観点から一定の保護力が期待できる実用新案とし て権利を確定した後,活用可能性のある技術のみを 特許として権利行使につなげることが可能となり,
産業財産権の確立活用の可能性が広がった.実用新 案登録出願の件数は年間 10,000件程度ながら近年 堅調に推移している.
本制度の利用実績は明らかにされていないが,実 用新案権の権利抹消件数が年間十数件から平成 18 年以降 100件近くまで増加しており ,この多くが 特許出願に変更されたと考えられる.本研究の調査 対象企業でも,昭和 58年から平成5年法改正までの 出願は 1,995件を数えたものの,無審査登録制度以 降平成 17年4月までは 12年間で合計わずか 185件 に激減した.しかし改正法下での出願は4年間で 98 件を数え,徐々に活用が進んでいる.この制度は着 実に浸透しつつあることが伺えるが,まだまだ周知 不足か,特許に比べ出願数は少ない.特許出願件数 が減少傾向にある中で,知的財産の保護方策の一つ として周知させ,活用していくべきと考えられる.
⑹ 中小企業の産業財産権の確立
以上の調査から,中小企業の産業財産権の確立活 動は企業により大きく異なり,コンスタントに出 願・権利化を行っている極めて活発な企業が一部と,
さほど活発でない企業,さらにほとんど活動のない 企業が存在することが示された.統計解析によりこ のことをより深く検討する.
主要項目として国内出願件数,年間平均出願件数
(平成 19−20年),外国出願件数,未決出願件数,有 効権利件数をとり,平均値と中間値(150位と 151位 の平均)との乖離を表4に示す.300社の平均値は 60
位台あたりの企業に代表されており,151位以下の 企業のアクティビティはかなり低い.すなわち,大 部分の中小企業の産業財産権の確立活動は平均値で 示されるよりも低調であり,平均値で議論すること は必ずしも妥当でないことがわかる.
また,表5に主要項目間の相関行列を示す.主要 項目は相互に完全に独立でないとはいえいずれも強 い正の相関を示すことから,活発な企業は国内外の 出願と権利化のいずれにおいても高いアクティビ ティを有するといえる.しかしその中で,外国出願 と他の項目との相関はやや弱く,外国出願の積極性 は国内における出願権利化のアクティビティとは必 ずしも一致しない.また直近(平成 19−20年)の出 願件数と有効権利件数との相関もやや弱く,権利有 効期間を通じてのアクティビティは必ずしも一様で はないことがわかる.
主要各項目について各企業の偏差値を求め,これ を全項目で平均したものをそれぞれの企業の評価関 数として主要項目との相関をみると,相関係数 0.89 以上の極めて強い正の相関が得られた.そこでこれ を用いて企業のアクティビティの順位付けを行い,
粗分類を行った結果を表6に示す.きわめてアク ティビティの高い上位 20社,偏差値 50以上で平均 レベル以上の中位約 50社,平均レベルに届かないが 若干のアクティビティが見られる下位 100社,ほと んど活動のない消極的 130社に大まかに分類でき る.分類間の遷移は連続的であり,境界を定義する ことは難しいが,例として表7に最上位 30社の各項 目の値と順位を示す.20位前後を境に順位間の偏差 値の差が小さくなり,上位の基準を満たす項目が減
表4 平均値と中間値の乖離
表5 主要項目間の相関
ることから,ここを上位と中位の分類境界とした.
下位に行くほど偏差値の差は小さくなり,まったく 活動のない企業でも偏差値は 46.8である.
すなわち調査対象 300社のうち産業財産権確立に 熱心な企業は 70社程度に止まる.これらの企業はほ とんどが国内外でトップシェアの分野あるいは製品 を有するが,逆は真ではなく,トップシェア技術を 有する企業にも出願・権利化に冷淡な企業が少なく ないことがわかる.国内出願に熱心な企業で海外に 進出している企業であっても必ずしも外国出願が多 いわけではなく,表6のいずれかの区分に属する企 業が当該区分の全ての条件を満たしているわけでは ない.
このように,技術力をベースに他社との差別化に 成功している中小企業であっても,コア技術の産業 財産権の確立が不十分な企業が少なくない可能性が 明らかとなった.この原因について検討する.前述 の既存調査結果 に示されるように,中小企業
はおしなべて技術を競争力の源泉と認識するもの の,産業財産権の確立には積極的ではない傾向があ る.その理由としては,①保有技術の性格に関連す るもの(技術流出の懸念,保有技術が産業財産権に なじまない,権利化が難しい,ノウハウとして秘匿 する方が得策等),②産業財産権制度に関連するもの
(保護期間が短い,費用・手間がかかる,方法がわか らない等),あるいは③知財戦略の欠如などがあげら れている.ここで①については,保有技術のレベル が低く特許性が十分でないか,あるいは小発明やプ ロセス技術であって模倣を受けやすい等が考えられ る.しかし,本調査対象企業のように技術力で差別 化に成功している企業であれば何らかの権利取得可 能なレベルの技術を有すると考えてもよいであろう から,むしろ積極的に産業財産権確立を躊躇する理 由として技術流出の懸念が大きいと推測される.技 術流出の防止が産業財産権制度の趣旨の一つである ことを踏まえると,②産業財産権制度の技術流出に 対する制度的限界,③どうすれば産業財産権で技術 流出を防げるかという知識・戦略の欠如により,積 極的に産業財産権により技術を守ろうという発想に 至っていない状況がみてとれる.
わが国の中小企業の 1/4は輸出を行っており,輸 送機械関連企業では 1/2を超える.組立産業の現地 生産が加速する中,部品や金型等を供給する中小企 業も海外展開を余儀なくされており,海外に展開す る中小企業の数は 2006年に 7,500社を超え 2001年 比 20%の増加を見せている .一方アジア圏におけ る模倣被害は深刻で,特許庁のアンケート調査によ ると,回答 399社のうち 25%が被害に遭い,損害額 は1社平均 1.9億円に達する .そのように市場と 生産の両面で海外と関わらざるを得ない状況では,
あらゆる製品がリバースエンジニアリングを被る恐 れがあり,ノウハウによる知的財産の防衛には限界 があって,国内外を含め産業財産権による防衛に向 かわざるを得ないであろう.国内のみで特許を有し ても外国においては自由技術であって結局技術の垂 れ流しに終わることとなり,外国出願をセットで考 えるべき ,外国出願比率の向上が重要 ,との指摘 もあり,外国出願の増加が重要との認識が高まって いる.
現実問題として,調査対象企業の中にも産業財産 権を確立して国内外で事業優位性を維持している企 業は少なくなく,中小企業も優れた独自技術を知財 戦略のもとに厳選して国内外に出願権利化し活用し ていくべきと考えられる.そのためには,産業財産 権制度をよく理解し,知財戦略を策定し,自らの技 術を客観的に評価して出願すべきものとノウハウと して秘匿すべきものを分類し,必要なものだけを適 切に外国まで出願することが求められる.
なお注目すべきことに,本件調査対象の出願のう ち代理人の指定のないものが全出願の 25%にあた る 1,396件もある.これは従業員が 社内弁理士 と して特許文書を内製し手続を全て行い費用を節約し ているものと思われる.この 85%を占める出願数 10 表6 調査対象企業の産業財産権確立動向による分類
表7 特許出願件数上位 30社の動向
(カッコ内は順位;グレー地:上位,無地:中位,斜線:下位,黒 地:消極的基準)
件以上で内製率 40%以上の企業 11社は多くが表6 の上位企業群である. 社内弁理士 は育成に時間や コストを要するものの,中小企業の利益率向上策と して特許庁がとくに推奨する要素であり ,本調査 対象の上位企業群が多数の出願を行い得る背景であ るとも考えられる.
⑺ ノウハウの文書化の重要性
中小企業には大企業以上に出願により技術を開示 するリスクへの不安が根強いと考えられたので,知 的財産をノウハウとして秘匿することについて検討 する.ノウハウは営業秘密の一カテゴリーであり,
不正競争防止法により保護されている.ノウハウは 従業員個人の技量に依存する場合もあり文書化され ていない場合が少なくないと考えられるが,不正競 争防止法における営業秘密の要件は 秘密として管 理されている ことであり,従業員の頭の中のみに 記憶された情報は秘密管理性を認定されない恐れが 大きい .すなわち,ノウハウを文書として管理す ることが求められる.また,ノウハウの文書化は許 諾や譲渡,先使用権 の確立 ,技術の正確な理解と 次世代への伝承のためにも重要である.加えて,近 年オープンイノベーションの重要性の認識が広く浸 透し,異業種・企業間連携が盛んになってきた が,
他社との連携を行うに当たっては自社が提供する知 的財産を明確に定義し,事前に出願あるいは最低限 文書化しておくことが必要である.すなわちノウハ ウを文書として確立することで,ノウハウを産業財 産権に対抗できあるいは類似した役割を持つ知的財 産権として保護活用する可能性が拓ける.しかしな がらノウハウの文書化の重要性の理解は進んでおら ず,その方法論も確立していない.中小企業におい てはこれらのメリットを理解してノウハウ文書化を 進め,その中で前節で述べた技術評価と出願すべき 技術の抽出を行っていくべきであるが,ノウハウを 効率的に文書化していく方法論は今後の研究課題で ある.
⑻ 産学連携の役割
産学連携によって中小企業の産業財産権の確立に いかなる貢献ができるかを考察する.前節で検討し たように,中小企業の技術は小発明やプロセス技術 が多くややノウハウ向きと考えられ,また出願維持 費用・知識の不足と知財戦略の欠如で十分な出願が できていない企業が多いと考えられる.一方で,中 小企業の中にも優れた知財戦略に従って積極的に出 願権利化を行っているものがある.すなわち,表6 の上位企業は既に十分な能力実績を有すると考えら れ,中堅から下位以下の企業群をいかに支援し底上 げするかが課題である.
政府の知的財産推進計画において,中小企業の知 的財産の総合プロデュース機能の強化が謳われてお り ,特許庁及び中小企業庁が,社団法人発明協会 や日本弁理士会 ,地方自治体等を通じて中小企業 の知的財産の利活用,権利化等の支援を行ってい
る .また制度面では特許法・実用新案法において 資力に乏しい者 あるいは 研究開発型中小企業 を対象として,中小企業等に対する特許料・審査請 求費用の猶予減免措置が講じられている .国の支 援は初心者向け制度説明会等もあるものの一般に ケース毎の事業化支援が中心で,人材育成も企業 OB の即戦力としての活用等が主である.
このような国の体制との補完の意味で,社内弁理 士 向け人材の育成,ノウハウ秘匿や外国出願・権 利化・産業財産権制度の理解を含めた総合的知的財 産戦略に関する啓蒙・教育・人材育成や,自己の知 的財産の文書化・目利き・見極め等のスキル向上に おいて,産学連携で貢献の余地があると考えられる.
すなわち,実践としての産学連携に対比して,教育・
学問としての産学連携の推進が今後一層重要性を増 すであろう.
5.結言
技術力に優位性を有し差別化に成功している企業 の産業財産権確立状況を調査し,以下の知見を得た.
技術力に優位性を有し差別化に成功している企業に おいても,上位の積極的な企業,中堅レベル,下位
〜消極的な企業といった階層に分化している.すな わち中小企業における産業財産権の確立活動の状況 は平均値では測れず,技術力に優位性を有し差別化 に成功している企業であっても,大多数は産業財産 権確立に積極的ではない.この結果,中小企業の技 術力の基盤となる知的財産の産業財産権としての確 立は十分とはいえない状況にある.その理由として は,技術開示のリスクへの不安,知識の不足,知財 戦略の欠如などがあると考えられる.しかし企業活 動のグローバル化に伴い産業財産権の確立活用は不 可避であり,出願すべき技術と秘匿すべきノウハウ の的確な仕分け,適切な国内・外国出願戦略の立案 とその遂行による外国出願の増加,およびノウハウ の適切な文書化が求められる.このような知的財産 戦略や文書化の方法論の確立はまだ十分ではなく今 後の課題であり,中小企業の知的財産保護活動に対 して,教育・学問としての産学連携を通じて,国の 支援を補完していくことが必要である.
注(付録)
a 国内優先権出願は公開が遅れる場合がある.
b 分割変更に係る出願の出願日は原出願の出願日と なるため,調査期間中の出願は今後も増える可能 性があり,件数は確定しない.
c 出願公開制度の各国での相違やデータベース更新 の遅れなどから基準日をどのように選択してもそ の時点で全ての出願が公開になっているとは言い きれず,件数は確定しない.
d 平成 17年3月以前の出願は6年であった.
e 実用新案には公開制度がないので未決のステータ スはあり得ず,また審判未決の事例はなかった.
なお再審の可能性は考えない.
f 欧州特許条約(EPC)に基づく出願により加盟国
全てに出願した効果が得られる.
g 現在は移管され産業技術力強化法 19条となって いる.
h 実用新案登録に基づいて特許出願を行う場合,当 該実用新案権を放棄しなければならない.
i 文献 14)の表記に従うが,自社の出願であれば弁 理士資格を有する必要はない.
j 秘匿するノウハウを他者に出願されたとしても,
当該出願前から事業としての実施またはその準備 をしていたことが証明できれば通常実施権を認め られ,その事業を継続することができる(特許法 79条).
引用文献
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