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真宗研究56号 012川口 淳「清沢満之の晩年における「学問研究」の意義の問い直し」

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清沢満之の晩年における

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はじめに 清沢満之︵以下、清沢︶は、明治期︵明治二、二一十年代︶の哲学者、宗教哲学者であり、 一方で真宗大谷派内を 中心に自己の信仰をもって生き、派内の近代を創造し形成していった宗教者の一人である。 彼の思想は先行研究において、宗教哲学期︵便宜的には前期思想と位置づけられる︶は理性的学問的に宗教を研 究するという立場であったと多くいわれてきた。しかし近年そこに注目して、その解釈を批判し、宗教哲学期の理 ︵ 2 ︶ 性・学問にたいする清沢の見方は評価されるようになってきている。また一方で晩年︵便宜的には後期思想と位置 づけられる︶、または最晩年の清沢が、理性的学問的面を放棄して信仰を得たとして評価され、さらにその評価が、 近代的理性、近代合理主義を批判しえたものとしての現代的意義を評価されている感が強かった。しかし、それも 上記と同様に、理性の位置を見いだそうとする研究も少々ある。 ところで、近代は宗教 H 非合理性、学問 H 理性︵合理性︶という二項対立構造の認識が付随してくる。実際、こ

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沢 は 、 ー ー ー 先 取 り 的 に ニ = 守 え ば

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| 信 仰 か 学 問 ︵ 理 性 ︶ の構造を解体しないかぎり現代的意義を見いだすことが困難であるかもしれない。しかし、この構造を経験した清 か、の選択論を避けて宗教と学問の関係を論じている。そこ で本論の目的は、宗教に関係する学問の意義があるのか。あるなら、どのようにあるのかを清沢の晩年の思想によ って、考察することである。 一 、 明 治 期 に お け る 学 問 と 宗 教 の 関 係 の 認 識 と 清 沢 の 位 置 清沢は、確かに近代的理性・近代合理主義を批判しえた者としての意義があるといわれるのも重要であろう。し かし、実際は明治中期には多くの知識層は、すでにそれを批判してきている。日本における近代とは、明治初期か らの近代化が推し進められるなかで、すでにポスト近代ともいえる思想が、反西洋︵ H 東洋への回帰︶・非合理主 義という形で同時期に並行して現れる。宗教者、特に仏教者は、初期の類型としては、キリスト教との対峠のなか ︵ 3 ︶ で、西洋哲学的理性を吸収して、論理武装を試みるようになる。そしてまた一方で、社会国家貢献のための道徳と 合理性が結びついて、道徳は合理的であるから社会に重要ではあるが、宗教は合理的でないので社会には必要でな ︵ 4 ︶ いとか、また宗教は合理的な道徳に進化し帰結しなければならないといわれるようになる。国粋感情の回復、日清 戦争などで実践的社会貢献という観点が宗教の価値判断に強く付加されてくると同時に、日本の本来の宗教性を回 復しようとする動きや、実践的道徳性を強く強調する動きがあらわれる。また合理主義、さらには理性それ自体を もって宗教と関係しようとすることを、当時、多くの宗教者が否定して、非合理に意義を見いだす態度をとる。も しくは逆に道徳的合理性に追従する態度をとったのである。 つまるところ、多くの仏教者が、反西洋と理性批判を 両方ともなって行うという日本主義的現象の時代とみることもできる。近代性と合致していることを主張するため 清 沢 満 之 の 晩 年 に お け る ﹁ 学 問 研 究 ﹂ の 意 義 の 問 い 直 し 九 九

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清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

に、仏教は哲学的論理的方面に偏るが、その後、哲学や合理批判が強くなり、宗教者は哲学や理性による学問研究 を行うべきではないという意見が多現する。例えば宗教学者であった岸本能武太は、明治三十五年当時、宗教と学 聞の関係に次のような意見があったといっている。 或る一種の人々の云ふに、﹁宗教は神聖で研究の出来ぬもので、宗教は人間の道理を以て考ふべからざる、即 ち道理以上のものである。神聖なるものである、動かすべからざるものである、研究さるべきものではない﹂ と。斯く考えて宗教は研究することの出来ないものだと思ふ人もある。随分今日の我園の悌教者の中には、こ ︵岸本能武太﹃比較宗教一斑﹄︿民友社、明治三十五年﹀六頁︶ う云ふ考えの人がある。:・以下略 彼によると、当時多くの仏教者が宗教は、道理︵理性︶の領域ではないので、理性と無関係だから、研究できな いと考えていたことが解る。仏教者が理性︵学問︶や合理主義を批判しやすい立場にいることは自明である。 清沢は﹁破邪顕正談﹂で次のようにいっている。 ﹁信或は信仰は道理によりて立たせらる﹀ものにあらさるなり 信仰は知識と其性質を異にす﹂とは古来の套 言なり 然り信は必ずしも道理によりて立たせらる冶ものにあらす 信と知識とは其性質を異にする所あり ︵ ﹃ 全 集 ﹂ 二 ・ 一 二 七 七 頁 ︶ 品川りと難とも信と理、信仰と知識とを互いに相容れさるものとするは僻見たるなり 清沢自身も、先に述べてきたような信仰と理性の関係の見解は昔からの常套文句であるとして、しかし信仰と理 性が、互いに相容れないものとするのは偏った見解であるという。清沢によっても学問や理性を否定的にみる見解 は、昔からの仏教者の常套丈句であり、普通の考えであったことがわかる。 そもそも近代合理主義自体の否定は近代を超えているのではなく、合理主義の反発的な所産であろう。また合理 批判ばかりに従事して理性の役割を考えないような、非合理主義者になることが宗教者の本質ではないだろうが、 宗教者が合理主義を批判する場合、理性の実際的な役割に目を向けなくなりゃすいのではないだろうか。その点に

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ついて清沢はこういっている。 六回︶知識と信仰との融和 知識と信仰、学問と宗教とは、屡相反対すと云はる、然るに学問知識は所謂発達進化すべきものに属し、宗 教信仰は寂然不動なるべきものに属し、発達進歩すべきものと寂然不動なるべきものとが、前段所陳の如く二 者全く其成立の方面を異にし、市も互に相融和して決して相反援すべきものにあらざるが故に、学問と宗教、 智識と信仰とは、亦互に相融和して決して相反援すべきものにあらざるなり、故に此間にありて衝突の生ずる ﹂とあるは、蓋し此二個の場合によるものなり、 一は吾人が学問上の知識を以て宗教上の信仰を左右し得るも のと誤解するの場合にして 一は吾人が宗教上の信仰に基き学問上の研究を制限せざるべからずと誤解するの 場 合 是 な り 、 二者共に宗教的信仰に熟達せざるものの誤解に外ならずと難ども、 一は多く学者の方面より出づ る 誤 解 に し て 、 一は多く宗教者の方面より出づる誤解なり、学問のみを知りて宗教を知らざるものは前者に陥 り易く、宗教のみに従ふて学問に従はざるものは後者に陥り易し、 ︵ ﹃ 無 差 燈 ﹄ 七

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三︿明治三十四年十一月﹀﹁全集﹄七・二六

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頁 ︶ 彼は、宗教を学ぶ者は﹁宗教上の信仰に基き学問上の研究を制限﹂しなければならないと誤解しやすいから注音山 しなければならないという重要な警告をしている。晩年の清沢は、宗教者が陥り易い、非合理主義的な覇権を警戒 していたに違いない。しかし清沢はこうもいっている。 老僧が﹁高等寺院の住職は学問はいらぬ、御経も読まなくてもよい、説教もしなくてもよい、たずおとなし くして念仏申してさへ居ればよい﹂と申しました。これ丈け申すと、青年諸君は早合点して、僧侶が説教もし なくてもよいの、学聞がいらぬのと云ふとは何たる理のわからぬ老僧かなと思はる﹀であろう。私も十午前迄 はかういふことをきくと実に意外に感して、仏教の衰へるのは、かういふ人が居るからだと思ふたこともあり 清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

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清 沢 満 之 の 晩 年 に お け る ﹁ 学 問 研 究 ﹂ の 意 義 の 問 い 直 し

ました。然し、今日にして、かの言をき冶ましては、少しも意外に感ずることはないのみならず、御尤もであ る と 感 ず る の で あ り ま す 。 一 ー 五 ︿ 明 治 三 十 四 年 五 月 ﹀ ﹃ 全 集 ﹂ 六 ・ 四 五 頁 ︶ ︵ ﹁ 精 神 界 ﹄ この二つのほぼ同時期の引用資料には思想的差異があるかにみえる。ただし後者の﹃精神界﹄の資料は暁烏敏成 文であり、近年の研究で、清沢の論考は﹁講話﹂欄に掲載されている清沢の記名がある論考自体が、彼自身の思想 ︵ 7 ︶ を本当に表現しているか疑わしいという批判的検討がなされている。ただ両者ともに同時期の清沢の持論であると 判断するなら、両極に偏らない中間的な見解であるのかもしれないが真意は定かではない ︵ 本 論 の 密 か な 目 論 見 と して清沢の直筆原稿の存在しない﹃精神界﹂﹁講話﹂欄論文を極力使わないで清沢像がどのように構成できるのか という思いも多少なりとあることを共通認識として共有していただければ幸いである︶ 0 しかしながら、確かに清沢が学問や理性を放棄したように受け止められることも最晩年においては、二応、いえ るだろう。絶筆﹁我は此の如く如来を信ず︵我信念︶﹂には、﹁私は知らず識らず、研究だの考究だのと、色々無用 詮議に陥り易ひ﹂といい、また真理・善悪の標準を人智で定めることや、﹁論理や研究で宗教を建立し﹂ょうとい う思いの﹁不可能﹂、﹁自力無功﹂であることがいわれ、それによって﹁如来乗托﹂の実感の極致が述べられる。清 沢の宗教的信念には﹁学問研究﹂や﹁倫理道徳﹂︵善悪の標準を人智で定めること︶の否定的契機があるといって 、 泊 、 。 しし これを肯定的に見れば、﹁自力無功﹂を本当に自覚して、まぎれもない信仰の境地に達したと評価できる。しか し一方で、批判的にみるなら、道徳を放棄して、さらには理性的に考えていく行為を放棄して没主体者となったと も い え る 。 ただ﹁我信念﹂をそれだけで清沢思想の動かぬ到達点と判断することはできない。というのも、﹁学問研究・倫 ︵9 ︶ 理道徳﹂の否定が書かれたように見える﹁我信念﹂の原稿を書き上げたすぐ後に暁烏敏に送った脱稿後の﹁書簡﹂

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では、あまりにも普通に前号が﹁学究的根拠﹂を押さえたことが述べられ、また以後も﹁研究﹂する意欲が述べら れる。しかも﹁我信念﹂で﹁なにが善だやら悪だやら﹂ 一つも分からないとしながら﹃大無量寿経﹄ の所謂﹁三毒 段五悪段﹂を﹁合して善悪段﹂としたいという試みが述べられる。このいかにも矛盾した発言からわかるように、 すくなくとも最晩年においても﹁学問研究・倫理道徳﹂と﹁宗教的信念﹂とのたんなる一過性の択一に意味を見い だしていないのであり、﹁学問研究・倫理道徳﹂の否定的契機ではあっても否定ではないのである。 清沢には、同時期に﹁学問研究・倫理道徳﹂をいわば否定的に語ることと、それらを否定せずむしろ志向しよう と意志するように語られるという、いわゆる矛盾がみられるのである。したがって、宗教的信念から﹁学問研究・ 倫理道徳﹂の意志へ移行しているように読めることに重要な意義があり、それを論じることが﹁宗教に関係する学 聞の意義﹂を論じるうえで重要な視点となる。その考察の前段階として、学問という言葉に託された要素を私なり に 捉 え て い く こ と に し た い 。

二、清沢が使用する﹁学問﹂

の意味 清沢が使う学問という言葉は、例えば学問をしていない人は別段関係のない問題であるというものではなく、も っと普遍妥当な意味がある。清沢の使用する﹁学問研究﹂の本質、 つまり﹁学的性質﹂はなにか。清沢は ﹁ 宗 教 哲 学 骸 骨 ﹂ ︵ 以 下 、 ﹃ 骸 骨 ﹄ ︶ ﹁ 第 一 章 宗教と学問﹂でこういっている。 道理心は無限にのみ関係するにあらず有限にも関係するなり 彼の諸多の学問は皆道理心が関係する区域を表 するものと謂ふて可なり ︵ 凶 ︶ ﹁道理心﹂はす

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ロ﹂であり、現代語では理性である。理性が関係する全般を学問といっていると解すること ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 一 ・ 六 頁 ︶ 清 沢 満 之 の 晩 年 に お け る ﹁ 学 問 研 究 ﹂ の 意 義 の 問 い 直 し

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清 沢 満 之 の 晩 年 に お け る ﹁ 学 問 研 究 ﹂ の 意 義 の 問 い 直 し 0 四 ができる。清沢の学的性質とは、定義を理性的行為全般と解釈可能な概念である。また﹁破邪顕正談﹂では、 学理研究の智力は必す因果の方軌に随順するものにして因果の方軌は常に無始無終の因果連絡を惹起し来り基 も相対有限の範囲を脱する能はされはなり ︵ ﹁ 全 集 ﹄ 二 ・ 三 七 五 頁 ︶ というように、主要な学的性質は、物事の原因と結果を追求していく推論にあるといっている。学的性質とは理性 による因果的思考に本質があるとみている。清沢の使用に即して、学問という言葉を考える場合、学者にだけ当て はまるという特殊なものでもなく、学問とは極めて普遍妥当な人間共通の行為であり、彼が﹁道理心﹂と言い換え ているように﹁理性﹂と置き換え可能な意味としての学問である。 また﹁宗教哲学骸骨自筆書入﹂には、 宗教は哲学を排斥すべからず。若し之を排斥せんとすれば、道理に訴へざるを得ず。既に道理に訴ふれば、是 れ則ち哲学の一部に進入するものにして、宗教の不完全を証するもの也。 ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 一 ・ 二 一 八 頁 ︶ と記している。人間は哲学を排斥するなら、排斥する理由を求めているのであって、それは道理︵理性︶である哲 学の領域に入ってすでに思考しているといっている。﹃骸骨﹄では言葉の順序として、哲学の終局が宗教の領域で あると記しているところがあるが、本旨は宗教と哲学は連関して相互に助け合わなければならないと考えている。 人間の本性上、広義の哲学的思考︵理性的思考︶を人聞が放棄することはありえないとみている。またこれが最晩 年まで続く営みであったことを今村仁司は、﹁自力的な学問知を否認するという事実を学問知をもって語る。学問 の否定を学問的に語るのである。一切の学聞が不要であることを、哲学の言葉で語るのである o ﹂と指摘している ので、この観点は今考察では触れない。 これまでのことを一一点にまとめるなら、清沢における学問と宗教との関係は、理性的思考と信仰︵宗教心︶との 関係に置き換えられること。また清沢における学的性質は人聞が普遍的に所有するものであることの二点と了解で

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三、信仰と理性の関係

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前期﹃宗教哲学骸骨﹄と後期﹁心霊の修養﹂を通して

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! 信仰︵信念︶と理性の関係を、まず初めに前期︵ここでは宗教哲学期を便宜的に前期という︶ の思索からうかが うことにする。というのも彼の思想の﹁信仰と理性の関係論﹂の根幹にかかわる了解は、この時期に形成されてい る か ら で あ る 。 ﹁ 英 訳 宗 教 哲 学 骸 骨 ﹄ ︵ な ↓ 同 開 印 一 円 肘 円 、 開 ↓ 0 2 0 司 ﹀ 間 以 同 日 目 、 o ω O H ︶ 国 ペ O 可 児 開 F H ︵ U H O Z 3 ︶ で は 、 理性の命題と信念の命題という二つの命題がある場合、われわれはむしろ信念命題よりも理性命題を採用すベ きである。というのは、真実の命題は理性にとっても信念にとっても真実であり、理性の命題は他の理性の命 ︵ H H ︶ 題によって訂正されるが、信念の命題はこのような訂正の手段を欠いているとわれわれは確信するからである。 と論じて、信念よりも理性による必要があるというが、そのすぐあとで、理性は﹁不完全であり、 ひとつの命題は 他の命題に際限なく︵ミミ﹂ぎ九円どさ︶結びついていたり依存したり﹂して、理性だけを頼りにしているならすべて の事物に関する理由づけや証明が際限なくつづいてけっして終ることができないという。すなわち以下がそれであ る 。 これが証明や論拠の連鎖である。理性は停止し休止することはけっしてできない。もし理性がどこかの地点で 停止し休止するなら、それがちょうど信念の地点であるに違いない。かくて理性は究極的にはその基礎づけの ために信念に依存しなくてはならない。 と述べ、理性はその根底に信念を必要としているとする。それをふまえて以下のように述べる。 清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の聞い直し

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清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し 三 O 六 とはいえ多くの対立しあう命題がある場合、基本的な信念と調和する命題が選択されなくてはならないし、基 ︵ 日 山 ︶ 本的な信念と対立する命題は拒否されなくてはならない。 これはとても興味深いことである。というのは、清沢は先に﹁理性の命題と信念の命題というこつの命題がある 場合、われわれはむしろ信念命題よりも理性命題を採用すべき﹂といったにもかかわらず、ここでは﹁基本的な信 念と調和する命題が選択されなくてはならないし、基本的な信念と対立する命題は拒否されなくてはならない。﹂ というからである。このようにはじめは理性の命題を採用するというが、すぐ後に、信念を基礎として命題が選択 されなければならないといっている。清沢が﹁

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﹂︵訳語では﹁信念﹂︶と使った言葉の位相に何かの差があると 考えられる。そこで参考になるのが、信仰と理性の関係論の原型である以下の言葉である。 人間の本質には二つの大きな区分がある。 軽信|積極的、増加的 理 性

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消極的、減少的 は、本質の説明のために、命題に命題を加える傾向がある。理性は、逆に、 信じたところの命題が妥当かどうかの検査をしなければならない。もし主張が成立しない場合は、それらを拒 否するだろう。だから、消極的な機能なのである。 軽信︵すぐに信じるようなもの︶ これは帝国大学三年時の思索で、軽信と理性との関係を思索している。注目すべきは、﹁

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﹂ ︵ 軽 信 ︶ と いう用語であり、彼にとって軽信とは信念の一つの位相を示している。 これらを踏まえると清沢はおよそ、こう考えている。人間である以上、信は軽信さを免れえない上に、常に軽信 なのかそうでないのかわからない。しかし信という要素は、われわれに行動や立場を規定するものであるという積 極的意味がある。理性はそこに検査という能力をもって関係する。人間に信仰が生まれたとき、その規定によって

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他の信仰と衝突が起き、そこに理性が機能するのだ。しかし一方で、理性を立脚地とすることはできない。という のも証明や論拠の連鎖が無際限に続いてしまうからである。となるともっとも基礎的には信仰によるしかない。彼 が﹁基本的な信念と調和する命題が選択されなくてはならないし、基本的な信念と対立する命題は拒否されなくて はならない﹂といった意味であろう。 清沢は﹁骸骨﹄﹁宗教と学問﹂でさらに有意義なことをいっている。彼は、﹁信仰と理性が衝突する場合、理性を 選択すべきである﹂という論理を展開したすぐ後で、相容れない衝突や闘争が起こるのは、﹁彼の信仰と此の信仰﹂ との聞にのみ存在する、と論じている。人間間に衝突があるのは、信仰と別の信仰の衝突であって、決して理性と 一般的には清沢が﹁理性と信仰が衝突した場合、信仰を捨てて理性をと るべきである﹂と言っているから理性優位の立場であったと了解されてきたが、これは理性に矯正能力があること を強調していうための便宜的命題であり、実際には信仰と信仰との聞に衝突や闘争が起こるのだといっている。人 信仰との衝突はあり得ないといっている。 聞に立場の衝突が起こる原因は、実は、互いが有限な信仰と有限な信仰とを対立させているからであり、固定化さ れた信仰と信仰とを対立させているからであるという認識は、宗教聞の対立や、過激な非合理的集団心理を想起さ せ、現代にも重要な認識であろう。 のこれらの見解をふまえて、後期﹁心霊の修養﹂をみてみたい。そこで清沢は﹁妄念を伏断することは、 理解の力によらざるべからず﹂という。清沢がここで使う﹁理解﹂という用語は﹁智力的観理の方法﹂といって真 ﹁ 骸 骨 ﹄ 理を観念する方法によって真理に順じているか逆らっているかをみて物事を判断する理性︵智力 H 道理︶的な方法 ︵ 却 ︶ であり﹁感情的就楽の方法﹂にたいする。ここで理性は﹁妄念﹂にたいするための方法としての意義がある。 そして清沢は﹃骸骨﹄と同じく、理解と信仰とが衝突し対立することもあるが、﹁信仰は常に理解を牒聞するも ︵ 幻 ︶ の、或は理解に背反するも必ず正確なるものなりとするが如きは、是れ謬見﹂であるという。ただし信仰していた 清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

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清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

}\ ものを後に理解して明断になることもあるので、現在の理解のみをもって信仰の是非を速断することはできないが、 ︵ お ︶ ︵ μ ︶ ﹁真正確実なる信仰は、其内部に充分なる理解を包容するの余地﹂があり、﹁必ずや理解と調和するもの﹂でなけれ ばならないという。こうも論じている。 信仰と理解とは必ず調和すべきものにして、決して相衝突すべきものにあらざるなり。唯信仰と信仰とは、 屡ミ相衝突するを免がれず。是れ疑惑の起る所以にして、吾人心霊の平安を害するの大なるものなり。而して、 此疑惑に二類の不同あり。其一は同一範囲内の二信仰が、互に相衝突するより生ずるものにして、或は二個の 相反対せる観念か、各専一なる信仰の地歩を占めんとするものと云ふべく、其一は異類の範囲に於ける信仰の 結果か、或る会合点に於て、互に相衝突するに至るものなり。 ︵ ﹁ 全 集 ﹄ 七 ・ 二 二 三 頁 ︶ ﹁ 骸 骨 ﹂ の信仰と信仰は衝突するという命題を受け継ぎながら、ここでは衝突する理由が詳しく書かれている。 また信仰の歩みの道程は次のように論じられている。信仰と信仰が衝突することによって疑惑が生じる。さらに ︵ お ︶ 疑惑は人間に不安の念を駆り立たせ、衝突したことへの説明が必要になり、原理を探究するようになる。だから疑 ︵ お ︶ 惑は研究の基礎であり学問の本源である。しかし人智は有限であり研究は分解的であって総合的ではないから、真 理が無限である以上全く到達できない。となると研究に意味喪失が生じ、さらに疑惑が増進し現状に安んずること ︵ お ︶ ができない。人智はかえって窮極して、絶対の真理の前に帰敬信順する。このように学問研究は宗教的信念への道 程として位置づけられる c さらに解釈するならば、信仰と信仰との衝突は、絶対の真理の前に帰敬信順するとして も、有限な人聞が信を所有し固定化していく以上、避けられない。そこにおいて学問は極めて重要なサイクルであ り、固定化を検査する機能としての位置がある。 の見解を継承し、後期﹁心霊の修養﹂で はさらに詳しく内容が語られていた。理性に、宗教の歩みにおける方法と道程としての意義を見て、さらに理性の 清沢の思想形成における重要な基本的立場は﹁骸骨﹄にあり、﹃骸骨﹄

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位置は以前よりも明確になっていることが窺える。

四、最晩年﹁我信念﹂を読む視点

しかしながら、先述したように、最晩年﹁我信念﹂は、 一見﹁学問研究・倫理道徳﹂を否定し理性を放棄したか のようにみえる。さらに﹁我信念﹂の言及は、 私は只自分の気の向ふ所心のの欲する所に順ふて之を行ふて差支はない、其行ひが過失であらうと罪悪であろ うと、少しも懸念することは入らない、如来は私の一切の行為に就て責任を負ふて下さる、ことである ︵ ﹁ 全 集 ﹂ 六 ・ 三 三 四 貰 ︶ といっていることによって、如来の責任なのだから自己は無責任でなんでもよいと了解することができてしまう。 しかしそれは一面的である。安藤州一は ﹁ 浩 々 洞 の 懐 旧 ﹂ で述懐する。安藤州 ︵ 以 下 、 安 藤 ︶ と は 、 清 沢 の 晩 年、﹁浩々洞﹂という共同体において清沢に近しかった人物である。安藤のもつ清沢像をここで紹介しよう。 しかし先生の無責任観の反面には、極めて厳粛なる責任観があった。 私共は実際に此点を深く洞察しなかった。それは暁烏君の一元論も、私の喜んだ無責任論も、実は模倣的宗 教観であって、深き形而上学の根拠を持たなかった。 ︵ ﹁ 資 料 清 沢 満 之 資 料 篇 ﹂ 二 四 四 頁 ︶ 若い頃の安藤は、清沢の責任論についての捉え方が清沢の真意ではなく、清沢が自己の責任をすべて放棄して如 来がすべて責任を負うというのは、事柄の一面であって厳粛な責任観があったといっている。また安藤は清沢が責 任について話した内容をこのように回想している。 それ故先生は、如来が一切の責任を負んで下されるから、私は全く無責任であると言ひながら、先生は仲々の 清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

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清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

責任観念の強い御方であった。先生には、全責任があるといふ思念と、全く責任が無いといふ思念とが、矛盾 ︵﹃資料清沢満之資料篇﹂二四三頁︶ ここで安藤は、如来がわれわれの責任を負うと自覚している者は、全責任の観念がわれわれのなかに矛盾しなが でありながら最もよく調和して居る。 ら調和して存在するものだと了解している。また安藤は同書で、﹁学問﹂︵理性︶や﹁倫理道徳﹂が宗教を歩むもの にとって重要な営みであることを、多くの箇所で語っている。これらの観点は非常に重要である。というのも清沢 の最晩年の言説は一面だけみれば、宗教者が陥り易い非合理主義的な考えと重なり、理性を放棄して信仰を得た清 沢像が象徴的価値を生み出し、理性か信仰かという二者択一論者になっているかにみえてしまうからである。しか し﹁学問研究・倫理道徳﹂を捨てたような最晩年の語りのうらに、逆説的に、それらが意志されることは最後の書 簡から明らかなのだからこそ、それらの逆説的志向性の根拠を、清沢の﹁我信念﹂以前の語りから見いだすことが 必 要 で あ る 。

五、宗教的信念と全責任としての倫理意志の賦与

清沢は﹁我信念﹂で﹁学問研究・倫理道徳﹂の実行不可能によって信念を発起させたといっていた。ここからど う逆説的意志が成立するかを彼の言葉から探りたい。まず清沢思想の基本原理を見てみたい。 宇宙開に存在する千万無量の物体が、決して各個別々に独立自存するものにあらずして、互に相依り相待ちて、 ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 六 ・ 一 一 頁 ︶ 個であるすべては、相互依存関係にあり有機体をなして一体であるという内容が、清沢の思想の基本原理で、 ︵ 却 ︶ ﹁万物一体﹂という。さらにそれは、われわれがそれを自覚的に生きているかどうかを抜きにして遍在的にある真 一 組 織 体 を 成 、 ず る も の な る こ と を 表 示 す る も の な り 。

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理である。清沢にとって﹁学問研究・倫理道徳﹂の実行不可能が信念を発起させる。その信念の内容は、万物一体 を身体的に﹁感じ﹂ること、感受することであり、無限と有限の接触である。この感じは宗教心︵信仰︶であり、 またそれは道徳の源泉でもある。この感じは、﹁私﹂がここに存在するという事実が、無限無数の事物を含めたす べての他者の関係によって成り立たしめられていることからくる。 つまり﹁私がある﹂とは、贈与された存在とし であると感じることである。万物が一体であることを自己の身体の事実であると感じることである。そして身体の どの部分を主にみたときも、他のすべての部分は必要な伴属として機能している。それゆえ、どの部分にたいして も、﹁痛み﹂という感じがあることに気づき、再度、倫理への意志が起こるのである。万物を身体的一体と感じな いことには、清沢の倫理意志は成立しえないのである。倫理道徳への意志は、万物一体を全責任としてみて、他者 ︵ 但 ︶ への関係自体が倫理的であることの自覚が生起する。宗教心から倫理意志という展開を、以下の表白が明示してく れ る 。 絶対無限ノ妙用ニ乗托シテ任運ニ法爾ニ此境遇ニ落在セルモノ即チ是ナリ 0 0 0 0 只夫レ絶対無限ニ乗托ス故ニ死生ノ事亦憂フルニ足ラス死生尚且ツ憂フルニ足ラス・;中略・:我人ハ寧ロ只 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 管絶対無限ノ吾人ニ賦与セルモノヲ楽マンカナ 。 。 絶対吾人ニ賦与スルニ善悪ノ観念ヲ以テシ避悪就善ノ意志ヲ以テス 。 。 然レトモ吾人ノ自覚ハ避悪就善ノ天意ヲ感ス 自己トハ他ナシ 所謂悪ナルモノモ亦絶対ノセシムル所 ナ ラ ン 日 疋 レ 道 徳 ノ 源 泉 ナ リ 吾人ハ喜ンテ此事ニ従ハン 何モノカ善ナルヤ何モノカ悪ナルヤ他ナシ 吾人ヲシテ絶対ヲ忘レサラシムルモノ是レ善ナリ 吾 人 ヲ ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 八 ・ 三 六 二 一 頁 ︶ この表白が一不すように、絶対無限の妙用に乗托するとは、善悪の観念、避悪就善の意志の賦与の内実をもっ。ま シテ絶対ニ背カシムルモノ是レ悪ナリ ・ ・ ・ 以 下 略 たほぼ同時期に、善とは、絶対無限を離れない﹁相対有限ノ観念﹂を真といい、それに順応する行為思考が善であ 清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

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清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

るという見解を述べている。絶対無限に乗托したからすべてが完成したわけでもなく、それが﹁相対有限ノ観念﹂ ︵ 幻 ︶ へと展開していく循環論である。

六、宗教と学問の関係

清沢にとって、宗教心が相対的世界への行為の意志を生起させる循環論であることは明確であり、それはさらに ﹁ 学 問 研 究 ﹂ に も 言 え る こ と で あ る 。 ﹁ 有 限 無 限 録 ﹂ の思索は、学問研究も循環論の観点で理解できることを示して い る 。 ﹁ ︹ 三 五 ︺ 人 智 ハ 薄 弱 ナ リ ﹂ で は 、 戦争ハ法理ヲ打破シ 実物ハ数理ヲ打破シ 実行ハ哲理ヲ打破ス 是皆人智ノ有限薄弱ナルコトヲ証明スルモノナリ 然レトモ之ニ由テ直ニ法理ヲ無シ数理ヲ無シ哲理ヲ無スルモノハ是レ尤モ卑阻ノ漢ニシテ畢寛世界社会ノ秩 序ヲ壊乱スルモノナリ 何トナレハ世界社会ノ秩序ハ必スヤ彼等学理ニヨル外ナケレハナリ ︵ ﹁ 全 集 ﹄ ニ ・ 一 一 七 頁 ︶ と い っ て 、 つ い で ﹁ ︵ 一 二 六 ︺ 学 理 ノ 成 立 ﹂ で は 、 法理ハ戦争ニ破ラレ数理ハ実物ニ破ラレ哲理ハ実行ニ破ラル 然レトモ世界社会ノ秩序ハ必スヤ彼等学理 依ラサル可カラス 此学理ノ成立ハ知何ト云フニ真理ハ最後ノ勝利者ナルコトヲ仰信スルニ根ス 是レ空想ナ リト難トモ而モ最強最深最高ノ思念ナリ 之アリテ而シテ後学理アリ 之減セハ則チ学理崩ル 真理ノ絶対的

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信仰ハ学理ノ根拠タルナリ故二日ク学理ハ信仰ニ基クト ︵ 同 前 ︶ といっている。学理というものは有限で打破されてしまうが、だからといってその有限なものをなき者とするのは、 ﹁尤モ卑随ノ漢ニシテ畢寛世界社会ノ秩序ヲ壊乱スルモノ﹂であるとして、その理由を﹁世界社会ノ秩序ハ必スヤ 彼等学理ニヨル外﹂ないからであるとする。学理と信仰との関係は、真理の絶対的信仰は学理の根拠であり、学理 は信仰に基づくということである。清沢は、信仰が根拠となって学理の位相、役割が以前よりも明確になり、それ を志向する態度を考察している。清沢は信仰によって、相対的なものには学的な態度をむしろ為そうとしている。 また﹁︹八六︺学理ハ信念ニ根拠ス﹂では、 実験ト云ヒ観察ト云ヒ経験ト云フ 是レ吾人ガ若干ノ信念ヲ確立セル上ノコトナラズヤ 而モ実験観察ニ根 基セザル信念ハ正確ナラズト云フヤ 量自家撞着ノ至大ナルモノニアラズヤ 之ヲ要スルニ吾人ガ有スル幾多ノ官能作用ハ皆悉ク相対的ヲ脱スル能ハズ 唯信ヤ能ク絶対的ノ天地ニ鞠期 シテ無碍自在ナルヲ得ベキノミ ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 一 一 ・ 一 四 一 | 一 四 二 頁 ︶ とこのように、実験や観察というものを根底にしていない信念は正確ではないという考えは自己矛盾している、と いっている。というのも、実験も観察も自明の法則を信じていないと明らかにならないからである。学理の根拠は 基礎的には信念である。また﹃無蓋燈﹂ で こ う も い う 。 宗教の要義は決して学問の変化によりて左右せらるべきものあらざるなり。然るを学理に合するものは之を真 理とし、学理に合せざるものは之を非真理なりと云はんとするか、真理量道理の為に左右せらるべきものなら んや、宗教畳学問の為に動転せらるべきものならんや。 ︵ ﹁ 全 集 ﹂ ゴ 了 三 四

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頁 ︶ これらの引文を整理すると、第一に、学理は信仰に基づくことによって、絶対的信は学理の根拠であり、﹁空想﹂ という行為を促す動機または目的のような観念によって、学理が意忘されてくるという点。第二に、世界社会の秩 清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し

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清沢満之の晩年における﹁学問研究﹂の意義の問い直し 四 序は、必ず有限な人智である学理が必要であるという点。第三に、宗教が学間に合うかによって価値が規定される ものではないという点である。この三点は重要で、特に先の二点は、最晩年に﹁学問研究・倫理道徳﹂の否定的に 見える語り方をしながらも、すぐさま、﹁学問研究・倫理道徳﹂の意志へ転じられる語り方に変化しているという 矛盾点を説明するための要素になる。つまり信念は、学理の根拠にもなっているのだから、逆説的に学理を意志す るように転じられる。そして、信念自体は根拠ではあるが﹁秩序﹂を詳細に規定しうるものではないから、そこに 学理が志向され、学理という相対的行為へと再帰しなければならない理由がある。 おわりに 清沢の循環的歩みは、宗教的信念をえて、倫理道徳が再度、意忘されるようになり、すると必然的に学的性質が 必要とされてくることである。清沢の信念は、不可能、自力無功という自覚のなかで、その宗教心のなかに不可能 なものを意志する観念が賦与されている。つまり、信念とは、不可能によって学聞や倫理を捨ててかちえた信念で あることに意義があるのではなく、自力無功が無限内包摂の身体的感受となり、全相対者との関係が一体である、 全存在が自己の身体であると感じることによって、その体現のための相対知︵学問研究︶と相対的行為︵倫理道 徳︶の源泉である意志が与えられるという循環的実践であることに意義がある。簡略するなら﹁我信念﹂の﹁学問 研究・倫理道徳﹂の否定的な極めてラディカルな語り方が、逆説的に、﹁学問研究・倫理道徳﹂の意志へと転じら れると、彼の思想はいっている。それは清沢の最後の書簡の研究への意志が体現していることに尽きる。 清 沢 は 学 問 ︵ 理 性 ︶ や道徳が、宗教を規定しなければならないという立場には批判的であったが、 一 方 で 、 宗 教 と関係する﹁学問研究・倫理道徳﹂の役割も、それらを意志するようになるという方向も認識していた。またその

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関係論は学問・倫理が合理的といわれ、宗教が非合理的と判じられるような近代的認識を明らかに超えていると見 ることができる。今考察では、宗教に学問と倫理の意志の贈与があるという基本的枠組みを捉えるにとどまった。 倫理と宗教の関係は詳細に考察する意義があるので今後の課題としたい。 凡 例 註 ︵ l 大谷大学編﹃清沢満之全集﹄︵岩波書店︶を﹃全集﹄と略記する。 2 例えば、池田英俊は﹁この時期における﹁有限・無限 L は、宗教哲学の立場からの把握であって、体験的信仰に よって受容されたものではなかった。それゆえに﹁宗教は信仰を要すと難ども決して道理に違背したる信仰を要 すと一言ふにあらず若し道理と信仰と違背することあらば寧ろ信仰を棄て冶道理をとるべきなり﹂といってい るよと、理性というものを信仰よりも重要視していたという点をもって、信仰を得ていなかったとしている ︵池田英俊﹃明治の新仏教運動﹄︵古川弘文館、昭和五一年︶、二九八頁︶。また北野祐通の清沢論は、宗教哲学期 を自力的学問期とし、﹁臓扇記﹄の時期で﹁信念﹂の境地が確立し以後、自力的姿勢がなくなった。そしてそれ 以前の思索は﹁﹁自分の才能を頼みにし、自分の学問知識を頼みにし﹂ているところが残されていた。すなわち 自力的な面が残されていた﹂という、いわばある時点で思想的転機がおとずれ﹁学問研究﹂を捨て信念を得ると いうプロセスとして描かれる︵北野裕通﹁清沢満之の回心に関する一考察﹂﹁相愛大学研究論集﹄八、一九九二 年 、 二 一 三 頁 ︶ 0 竹 内 整 一 は 清 沢 の 理 性 理 解 を 一 評 価 し 、 今 村 仁 司 は 清 沢 の 思 想 を ﹁ 哲 学 期 ﹂ ﹁ 宗 教 期 ﹂ 、 ﹁ 前 期 ﹂ ﹁ 後 期 ﹂ と 分 け 、 思 相心的に大きく変化したと見る見方を批判している︵﹁鼎談信仰と理性||清沢満之は現代に何を語りうるか 1 1 1 ﹂ ﹃ 現 代 と 親 驚 ﹄ 六 、 二 O 六 頁 ︶ o 他にも田村晃徳は、宗教哲学期においてすでに理性の不完全性を認識して いることを指摘する︵﹁道理心と宗教心﹂﹃親驚教学﹄八四、二 OO 五 年 / ﹁ 清 沢 と 学 問 ﹂ ﹃ 真 宗 教 学 研 究 ﹄ 二 七 、 三 O O 六年/﹁学と信の関係||清沢満之における﹁宗教と学問﹂| i l ﹂ ﹁ 現 代 と 親 鴛 ﹄ 一 六 、 二 O O 八 年 ︶ 。 鈴 木朋子は、後期において知が放棄されたのではないことを論証している︵﹁﹁心霊の諸徳﹂における清沢満之の信 と 知 ﹂ ﹃ 人 間 文 化 創 成 科 学 論 叢 ﹄ 一 O 、 三 O O 七 年 ︶ 。 清 沢 満 之 の 晩 年 に お け る ﹁ 学 問 研 究 ﹂ の 意 義 の 問 い 直 し 五

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清 沢 満 之 の 晩 年 に お け る ﹁ 学 問 研 究 ﹂ の 意 義 の 問 い 直 し ー ム ノ、 3 清沢は﹁仏教興起﹂という講演でこの時代認識に触れている︵﹃全集﹄六・二二 O 一 一 一 一 一 頁 参 照 。 し か し 、 い つの講演かわからないことや、清沢の思想内容と必ずしも一致していないと私見している。性が徳永であるのは 二十八年以前ごろまでであるが、何故、出版が三十二年なのだろうか、内容も極めて日本主義的な点が、二十八 年ごろの他力門哲学の思索と一致しないのではないかと問題が残る︶ 0 この点は、清沢も問題にしている︵﹁宗教と道徳との相関﹂﹃全集﹄六・一一二三頁参照︶。また倫理と宗教の関係 を考察した明治期の資料として、村上専精の﹁倫理及び宗教の関係論﹂は面白い。ここで村上は、宗教が道徳に 進化しなければならないという井上哲次郎と清沢の相容れない思想の差を記している︵村上専精﹃丁酉倫理会倫 理講演集﹄一九 O 六年、九|三 O 頁 ︶ 0 ちなみに同書で岸本能武太自身は、この見解の立場ではない。 ﹁啓蒙主義の後には必ずロマン派が出てくる構図と同じく、合理主義は一つの補完物として非合理主義を生み出 してきた o ﹂ ︵ 今 村 仁 司 ﹃ 近 代 性 の 構 造 ﹄ 一 五 二 頁 ︶ 山本伸裕は、この点について検証して、﹁恩寵主義的な思想傾向が顕著に認められ﹂さらには、﹁清沢の書く文章 にはない特徴を数多く具えたもの﹂であるとしている︵山本伸裕﹃﹁精神主義﹂は誰の思想か﹄法裁館、一一 O 一 一年、八九九 O 頁 ︶ 0 ﹃ 全 集 ﹄ 六 ・ 二 一 一 一 一

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一 二 三 五 頁 ﹃ 全 集 ﹄ 九 ・ 三 O 四 | 三 O 五 頁 ﹃ 全 集 ﹄ 一 巻 の 英 訳 を 参 照 。 ﹁ 哲 学 の 終 る 所 に 宗 教 の 事 業 始 ま る ﹂ ︵ ﹁ 全 集 ﹄ 一 、 六 頁 ︶ ﹁ 道 理 ! と 信 仰 と は 互 に 相 依 り 柑 助 く べ き も の : : : 以 ド 略 ﹂ ︵ ﹁ 全 集 ﹄ 一 、 七 頁 ︶ 今村仁司﹃清沢満之と折口学﹄一七|一八頁 今村仁司﹁現代語訳清沢満之語録﹄︵八頁︶原文

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清 沢 満 之 の 晩 年 に お け る ﹁ 学 問 研 究 ﹂ の 意 義 の 問 い 直 し 人 ︵ お ︶ ︵ 却 ︶︵却︶ ︵ 剖 ︶ ︵ 同 前 ︶ ﹁ 万 物 一 体 ﹂ ﹃ 全 集 ﹄ 六 ・ 一 二 貝 ﹁万物一体の真理は、吾人が之を覚知せざる間も、常に吾人の上に活動しっ、あるなり﹂︵﹃全集﹄六・一一頁︶ ﹁真正の道徳は決して此の如き隔歴差別の妄念より生するものにあらず、万物一体の真理に基ける平等無碍の正 念より起こるべきものなり。而して此の如き正念の本体は是れ阿弥陀仏なり。阿弥陀仏の一心正念より出つる徳 音に促されて、吾人に一心正念の発動するもの、是れ即ち宗教の真髄なり、道徳の源泉なり。﹂︵﹁全集﹄六・一 一 一 一 | 一 四 頁 ︶ このことは﹁主伴互具﹂という言葉で多くの箇所で清沢は語っている。 ﹁彼と我とは決して別体あるものではない、彼と我とは平等一体である、彼の利益は我の利益である、彼の痛摩 は我の痛療である、我は決して彼の利益痛摩なりとて、之を地棄すべきでない、彼の利益痛感の為に尽すが、即 ち我が根本的本体の為に尽すのである、我は喜び勇みて、此事に奮励せんことを思ふ﹂︵﹁全集﹄六・一七頁︶ ﹁内観主義は、一切の事変を主観的に処理せんとするものなり。吾人の心の無限絶対の地位にありて活動せしめ んとするものなり。一切の活動を以て我の活動と認めしめんとするものなり。一切の責任を以て、自己の責任と 観せしめんとするものなり。五日人の存在を以て、徹底相対有限なりと為す問は、到底無用たるものなり。然れと も宗教は吾人に絶対無限の性能を覚悟せしむるものとせは、其性能を覚得したる者は、此主義を確守せきるべか ら さ る べ し 。 ﹂ ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 六 ・ 二 六 八 頁 ︶ な ど の 文 を 参 照 。 避悪就善の意志への展開は、寺川俊昭が重要性を再発見したと思われる︵寺川俊昭﹁願生の人・清沢満之||乗 托妙用の自覚から避悪就善の意欲へ||﹂﹃親驚教学﹄六二一、一九九四年などを参照︶ 0 ﹁ 全 集 ﹂ 八 ・ 二 ハ 七 頁 ﹃ 蝋 扇 記 ﹄ に お い て 、 ﹁ 連 鎖 的 循 環 行 事 ﹂ ︵ ﹃ 全 集 ﹄ 八 ・ 一 二 六 八 頁 ︶ と い っ て い る 。 33 32 ︵ 担 ︶ 35 37 36

参照

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