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− − − M 序 日本は四万を海に囲まれた島国である。その中でも南西 諸島は本土から海によりかなり隔てられ、南西諸島自体も いくつもの島々で形成されている。気候風土はもちろん、 言語も方言だけで会話をすれば本土の人々とは全く通じな い@言語には、その背景にある多くの事柄が関連してその 様相を成立させている。これらの事柄を踏まえた上で実際 の言語はどういう姿を見せているのかを、乙乙では奄美方 言の中の中心となる名瀬市での調査を通してその音韻の面 から見て行く。三十回生
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第 一 章 琉 球 方 言 に つ い て 日本語と琉球方言 平山輝男氏によると、 れ る 。 日本の方言は左図の様に分類さ ﹁ 八 丈 万 言 一東部万言 一西部方言 ﹁ 九 州 方 言 ﹁奄美・沖縄万言 一先島方言 乙の表からもわかる様に、琉球万言は本土方言と同じ 祖語を持つひとつの方言である。にもかかわらず、現在 では両者の聞には全く通じない程の隔りがある。 果して乙れ程大きな差異はどのようにして生じたもの であるか、琉球方言の歴史や地理的環境を述べることに よって、ある程度納得できるであろう。 ﹁琉球方言と本土方言が日本語から分かれたのはいつ か﹂という問題は、随分論じられて来たが、未だに明確 日本語 r一一ー- A一一ー一一、 琉 本 球 土 万 方 宣言 三r Eコ pな年代は打ち出されていない。古い時代の文献資料が少 な い ζ とが、古代の琉球の言語の構造や体系の把握を困 難にしている大きな理由であろう。そもそも琉球に初め て文宰が伝わったのが一二六五年、禅鑑という仏僧によ っ て で あ っ た た め 、 ζ れを活用し文字による文化を推し 進めるまでには、約二百年程の時聞を要したらしい。何 故なら、琉球で文献あるいな文字が見られるのは一五世 紀末から一六世紀初め頃の墓銘、金石碑文、辞令文書、 おもろさうしなどであるからである。 このように、琉球には古代の文献資料が少ないのであ るが、種々の科学的万法で日本語からの分岐年代巻推定 する方法はいくつかとられて来た。 服部四郎氏は、一言語年代学的測定計算によって、京都 方言と、琉球万言の中心となる首里方言の分岐年代は今 から約一四五
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年乃至一七OO
余年前という数値を示し、 後の論文では、﹁言語年代学的方法によって算出される 数字は、分岐年代の可能性の最下限を示すものと考える べきだ﹂として﹁奈良朝中央万言のいわば直系の子孫で ある京都万言と、それと H 姉妹関係 H にある琉球万言と の分岐年代は、今から一五OO
年前乃至二000
年前と 推定される﹂と述べている。 また言語学的研究からすると、上村幸雄氏は音韻の面 で①八行子音 h k 対して P を保存しており、乙の子音が 八世紀の奈良ではすでに両唇摩擦音であったと考えられ 仁 川6Ltes
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遣いの区別が一部保存されているとと。③宮古・八重山郡 島の諸方言で語頭ワ行の子音w
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よりも古い音であろうと考えられている乙と。④ 与那国島方言で語頭ヤ行の子音 j に対して d が 現 わ れ 、 乙れもーよりも古い音であろうと考えられている乙とな どをあげて、乙れらがいずれも八世紀の奈良の日本語よ りも古い日本語の特徴であると思われることから琉球万 三口と本土方言の分岐を八世紀以前であるとし、また上村 氏は日本語と琉球方言の類似の程度からみて、分離期を 本土に弥生文化がひろまるはるか以前だと考えることも できないとしている。 考古学的研究の方面からは、須玖系の弥生式土器が伊 江島、沖縄本島北部、その周辺離島から発見されている ことから、乙の期に九州と沖縄の聞に交渉があったこと は明確な事実であるとし、さらに土器の出土と文化の流 入の時期を同一時期と考え、弥生中期には既に大和の言 葉︵日本語︶が南下したとする説と、炭化米・炭化麦が 須恵質土器の広布する期に発見されている ζ とから、そ うではなくて須玖系土器よりもっと後に現われる須恵質 土器とともに文化や大和の言葉が流入したのであるとす る説が打ち出されている。 以上の様に言語年代学的測定計算、言語学的研究、考 古学的研究などの各方面から日本語が本土方言と琉球方 言に分岐した時期︵というよりむしろ、琉球に大和の言 t I L M げ 白 川 沌 川 げ れ ふ γ M紋弘飲胤島知弘智和叫γ り 沙 門 を ゆ 品 計 許 認 弘 謬b
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奄美大島’本島南絡渚万言でオ列待旅医包 れているわけだが、いずれも仮説であって前述のとおり 確定的な年代はわかっていない。現段階では、科学的諸 研究を総合して、八世紀以前でしかも紀元前にさかのぼ るとは考えられないというのが一般的な論である。 琉球に入りこんだ大和の言葉はその時点から本土とは 異なった変化を遂げていった。そこには、地理的事情が 大きく影響したのである. 現在琉球方言の用いられている北端の奄美大島本島で さえ鹿児島から約三百キロ離れており、南端の与那国島 は鹿児島から約千キロ、台湾とは百キロに満たない距離 である。このように本土から隔り、また大小様々の白か ら成っている琉球が本土の言語の変化発展に動かされる ことなく独自の変化を遂げたことはもっともなことであ ろう。乙の間本土との交流はどうであったかといえば、 公式の使者としては、先に述べた禅鑑が初めてであり、 それ以前には少なくとも琉球の社会的あるいは政治的構 造を左右するような交流は行なわれなかったようである。 従って、乙の間流球では、その閉鎖的な地理的状況から しても歴史の流れは極めてゆるやかであった。そして社 会的事実である言語は本土における歴史の発展や社会構 造に添った言語変化の影響を受けることなく独自に発展 していったのである。 第二章奄美名瀬万言について 臼 音 韻 的 特 徴 川 特 殊 母 音 γ ・涯について 古学的研究などの各万面から日本語が本土方言と琉球万 言に分岐した時期︵というよりむしろ、琉球に大和の言 笹 行 pl ヘ hソ 、 そ 比 、 い 早 口 き 比 ’ b ト ? 7 こ か & つ L Z 昨 守 桐 悶 ぱ 川 h r b b 旧 円 き 伊波普猷氏によって明らかにされた共通語ーの中舌 母 音 一 1 、及び佐久間鼎氏が示した共通語巴の中舌母音 h E が名瀬では五母音に加えて用いられているのは、名 瀬の母立日比関する最も重要なことであろう.乙の二つ の母音について詳しく述べると、寺師忠夫氏によれば、 h l 、むは l 、巴の場合よりは舌の中程の位置が高まっ ているのは勿論であるが、単にそれだけではなく、 i E の場合よりは舌端の緊張がゆるんで下向きになって 後退し、後舌部がむしろ、緊張して軟口蓋に接近する ので、調音域は後退しているということになる。︵﹁奄 美方言の研究しより︶実際に聞いた感じは、はっきり と発せられるのではなく、内にこもった様で軟かい音 である.土地の人たちは、会話の中などで難なく乙の 二つの中舌母音を使っており、その使用頻度も比較的 高い@調査時にも、被調査者がそれをはっきりと意識 しており、例えば﹁臼﹂の乙と争﹁メではなくて︵中 舌母音の︶メである﹂と言ったぐらいである。そして、 ﹁奄美の乙とばは、文字では書けない﹂という言葉も 伺度も聞かれた。土地の人たちは、二つの申舌母音を 奄美独特の発音様式と自覚し、またこれに誇りも持っ ているようである。 乙の二つの中舌母音がどのようにして発生したもの かは、明らかげ比されていない。ただ、五母音中の巴と ーの接近に伴って両音のかすかな区別意識が働いて、 このような中舌母音が発生したのであろう、とは言われ て い る 。 (→ 子 占 首 に つ い て 共通語で用いられる子音がやはり名瀬でも用いられ ているが、特異な現象として、有気音と無気音との区 別が音韻的に存在している。乙の対立は、非喉頭化の ために有気音となり、喉頭化のために無気音となると いう様にして生じるものである@喉頭化は喉頭の緊張 を伴い、非喉頭化はその緊張を伴わないことである. 名瀬では非喉頭化子音刷、川、川のそれぞれに対立す る喉頭化子音として刷、刷、川中が用いられていると言 われている。喉頭化子音の山を例にとるならば、寺師 忠夫氏によれば、共通語で﹁一向に﹂﹁一貫目﹂と言 う時の﹁向﹂﹁貫﹂に力を入れる場合の語頭のkがそ れであると言う。︵﹁奄美方言の研究﹂より︶また、 乙れら喉頭化子音は名瀬では語の頭位だけに立つ。 喉頭化子音を生み出した要因としては、母音の様相 と関係があり、イ段とエ段、ゥ段とオ段の母音の接近 あるいは統合により、それぞれの間にある均衡を失う まいとして、子音の方で変化を遂げたということが考 えられている。即ち、喉頭化子音は副次的音韻である。 第三章名瀬市の万言の音頭 調査の概況 名瀬市の方言で用いられる音韻のさらに詳しい様相を 知るため、現地調査を行なった。 市街地、あるいはそれに近い地点でバ二八才 J か ら 九 四 才 ま?一六人について九四語を調査した。なお、調査期間 は、岡和五六年一一月一
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日から一七日までの八日間で あ る 。 ゴ 母 音 、 子 音 の 様 相 ︵子音+母音︶という形をとる場合、母音、子音がど のような様相を示すかを各行別に分類し、被調査者の年 齢を縦軸にとり簡単な表にした。表中では、簡略化のた め、音声の表記は全て︹︺を省いた。 川 各 行 別 各行別に名瀬の方言に用いられる母音、子音を見て きたが、その接近あるいは統合の面からその特徴彦次 に ま と め る 。 約まず、母音の接近、統合の型として、二種に分け ら れ る 。 ①ウ段がイ段、ェ段に接近、統合しているもの。 サ行、タ行 ②イ段とエ段、ウ段とオ段の間でそれぞれ接近、 統合しているもの。 カ ﹁ 灯 、 ナ h 汀 、 ハ r 汀 、 マ ﹁ 打 、 ラ ﹁ 打 、 ャ h 汀 何カ行とタ行は子音の喉頭化、非喉頭化により、各 段の区別を保っている。 h w 子音に全く変化の現われないのは、ナ行、マ行、 ラ行、ャ行である。 伺肘の①の場合、ィ段とエ段ではエ段が︹γ
︺ に と 一 ど ま ら え 法 記 よ り 、 、 J 恒 例 必 保 ぜ っ て い 、 る が 川 乙 れ に 北 (2)b f油 開 可 庁 民 主 = = E T 丹 し P R オ F
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μK は 喉 頭 化 、 無 気 音 で あ る ことを一示す) カ キ ク ケ コ 28 ka ki kw k巴 ko 31 ka ki kw k巴 ko 34 ka ki k'w kY kw 43 ka k’
I k'w kY kw 43 ka ki kw k"I ko 50 ka k’
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I k'w k"1" ko 73 ka k'i kw k"1" ko 77 ka k'i kw k"t" ko 83 ka k1i k'w k"i" ko 86 ka kt kw k"t" ko 94 ka k'i k'w k"t" kw (ロ) サ 行 音 サ シ ス セ ソ 28 sa fi SW se so 31 Sa SW se so 34 Sa f 1 f 1 ft SW 43 sa f i SI Sl SW 43 sa f 1 SW se so 50 sa f 1 f 1 f e s、
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f e SW 何肘の②の場合、ィ段とエ段ではエ段が︵γ
︺ に と どまることにより、区別を保っているが、これに比 。寸 タ行立円 タ チ ツ ア ト 28 ta tfi t SW te to 31 ta tfi t SW t巴 to 34 ta tfi t i t l tw 43 ta tf i tsw t l tw 43 ta tf i t SW te t内、J 50 ta tfi tfi ri・ tw 56 ta tf i t SW te to 57 ta tf'i t SW te to 63 ta tfi t SW tw 66 ta tf'i tw t l tw 69 ta tf i tf i・
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一 白 一 臼 一 回 一 回 一 日 一 臼 一 “ 一ω
一 日 − 打 一 回 一 部 一 M ( リi ワ 行 音 ワ ヰ ヲ 28 wa 31 wa 34 wa i w 43 wa w 43 wa。
50 wa i w 56 Wa i w 57 wa w 63 wa i w 66 wa i w 69 Wa i w 73 wa i w 77 wa I w 83 wa i w 86 wa i。
94 wa I w (2) べてウ段とオ段は統合しやすい。 同開で、ゥ段がイ段、ェ段に接近、統合する度合よ り、ィ段とエ段、ウ段とオ段それぞれが接近、統合 する度合の万が高い。 中舌母音︹一巴︺について 中 舌 母 音 ︵ い E ︺は共通語の単一の母音でこれに対応 しているものは殆ど見あたらない。 ζ の調査で中舌母 音 ︹ いe
︺が聞かれた語は、次のとおりである。 砂 酒 ︹ 同 州 一 司 君 己 汁H
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ぬ . 己 主 ︹ 門 ﹃ 内 山 一 ︺ 菌 ︹ な 一 ︺ 蔀 ︹ 吉 川 己 河 ︹ 吋 ぱ ︺ 潜 内 向 日 ︹ r v . ﹃ 者 一 r . 瓜 ご 当 口 一 r . 札 一 三 一 r.h
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これらのつe
︺は大きく二つに分けられる。即ち、 何共通語の連母音に置き換えられるものと、何母音十 子音+母音に置き換えられるものである。仰では、連 母音凶が﹁台風 h 大工・灰﹂、剥が﹁前・換える・苗﹂、 ハ閣が﹁牡牛﹂、以が﹁手つ﹂、以が﹁肥﹂となってい る。何では、︹ B ︺+子音+︹ろが﹁分ける・畑・竹 ・ 酒 ﹂ 、 ︹ a︺十子音+︹ろが﹁速い﹂である。例外と して﹁影﹂は︹ E ︺とつろが対応しているが、乙のよう な例は他には見られない。また、乙の場合︹55
. ︺ と発音する人もいた。連母音と対応する場合、中舌母 音の︹いろは単母音にも長母音にもなり得るが、そうで ない場合は長母音となっている。中舌母音の︹一巳︺は ︹Y ︺に比べて聞かれることが少なく、その中でもわり と残っているのは、連母音州、副と︵a︺+子音+︹e
︺ に対応す忍ものであった。共通語の母音︹ 1 ︺ 、 ︹ W ︶ の 中舌母音つ l ︶ 、 ︹ 一 W ︺が聞かれる方言は北海道や奥羽、 北陸、雲伯地方にもあるが、︹いろは今のと乙ろ琉球方 言を除いては聞かれない。連母音が長母音に発音され るのは、共通語にも﹁警察﹂をケ l サツと言ったり、 ﹁先生﹂をセンセ l と言ったりする乙となどに見られ るが、乙れが中舌母音の︹互の長母音となっている万 言 は な い 。 このように、中舌母音︹互については、の l ︺ と 比 べ て不明な点が多く、また減少してきているようである。 今回の調査からも、使用例が少ないので、これ以上の詳細な ζ とは述べられない。 結 び 調査の前に、文献で名瀬の方言の音韻については、その 概略を把握したつもりであったのだが、実際現地に行き調 査を行なってみると、文献にそぐわない現象にしばしば遭 遇し、言語は動いており、社会生活とともに変化発展を遂 げるものである乙とを痛感した。 中舌母昔、有気音と無気音の区別は、言語生活上、ある 程度の必然性を持っていたことに対して、自然の推移では あろうけれども、そのような人閣の言語活動とも言うべき ものに改めて感心した。 また、年齢別に見ると、年齢による規則性がないことが わかった。二八才、三一才では全く方言が聞かれなかった。 名瀬では、方言の使い方には個人的な違いがあり、名瀬独 特の方言というものは、現在は殆ど残っておらず、名瀬が 奄美大島本島北部の各町村の人々が集住しているという性 質を持っているため、それらの地方の方言が混じり合って 名瀬の万言を形成しているといえよう@ 全国的に言える乙とであるが、年齢の若くなるにつれて、 方言を用いる人は減少し、名瀬巻含む奄美方言では、特に その傾向が著しく、聞いた感じのアクセント乙そ違つて はいるが、言葉自体は完全な共通語が話されており、従っ て音頭も完全に共通語化しようとしているのには驚かされ た 。 司 辱 学校では、方言を使用した者は成績全体から減点処分を受 けたり、方言を使ったことを示す札を首から下げさせられ たりした時期もあった。それが、近年になって、万葉集と、 琉球古謡の集められた﹁おもろさうし﹂との比較研究や日 本の古代語と琉球方言の関連についての研究などが感んに 行なわれるにつれて、方言を残そうという意識が徐々に芽 生えて来たのである。しかし、古い時代の方言を使える人 は極く少なく、しかもかなりの高齢者であるために、伝承 もそうたやすいことではなかろう。 奄美も含む琉球には、舞踊や古歌、祭事など様々の古き 良きものが残っている。島の人々の、土地に対する愛着も 非常に強い。このような恵まれた風土を持つ琉球に独特の 流暢な言葉、ひいてはこれを流暢に聞 ζ えさせる中舌母音 が失なわれていくのは、本当に残念なことである。方言を 保存して行乙うとする少しでも多くの若い世代の人々が存 在すれば、それは日本の言語学上からしでも、大変貴重な ことと言っても決して過言ではないと考える。