発 見 、体 験 、感 動
フォルモサ
麗しの島「台湾」へようこそ!
INDEX
交通部観光局局長ご挨拶 ● 歴史「世界の歴史が覗ける」 ● 日本「発見!日本と台湾の深いつながり」 ● 人の和「最も近い隣人との国際交流」 ● 自然「息を呑む圧巻自然美」 ● 現代「元気一杯!活力みなぎる台湾の今を体験」 ● 食「食在台湾。胃袋満足度100%」 ● エリア別台湾北部の紹介 ● エリア別台湾中部の紹介 ● エリア別台湾南部の紹介 ● エリア別台湾東部の紹介 ● 気候、時差、人口、人種、言語、宗教、通貨、両替、通信 ● 電気、祝祭日、ビジネスアワー、安全情報、衛生情報、 医療情報 ● 台湾の主要病院リスト、日本からのアクセス ● 台湾の教育制度 ● 台湾交通システム発見・体験・魅力あふれるTAIWAN
〜台湾旅行マニュアル〜
特集:TAIWAN Why !? What !?
and go TAIWAN (こんな魅力的な台湾)
教育旅行モデルコースプラン
班別行動おすすめコース
受入ホテル・施設の紹介
台湾データブック
Let's try planning
台湾教育旅行を行った学校への体験取材
学校交流の受入学校紹介
台湾は、地質学上では、ユーラシア大 陸とフィリピンプレートがお互いにぶ つかりあって形成された比較的新しい 島です。ちょうど木の葉の形状に似てお り、日本の最南端である与那国島からは わずか西へ約111kmしか離れていませ ん。その特殊な地理環境から地形の景観 は起伏に富み、特に台湾の中央に連なる 中央山脈は、3,000m以上の険しい山峰 が250を超え、東アジア最高峰の玉山(3,952 m)もそびえたっています。また、台湾列 島の中央付近を北回帰線が横断し、気候 が年中を通して暖かく、約15万種の生 物が生息。熱帯、亜熱帯、温帯および、亜 寒帯に生息する植物がほぼ分布しており、 その生態系はまさに北半球の縮図と言っ ても過言ではありません。さらに、台湾 は蝶の生息地としても適しており、山岳 地では珍しい蝶もたくさん飛び交って います。海岸線に目を向けると、北部で はリアス式海岸が雄大に構え、南部では 美しいビーチが広がり、海底ではサンゴ 礁の絨毯がもてなしてくれます。台湾は、 まさにあなたを感嘆、驚嘆させてやまな い、本当に美しい島―フォルモサと言え るのです。 人文上では、台湾には古来よりマレー やポリネシアから移り住んだと言われ る先住民が人口の約2%を占め、現在政 府認定14民族がそれぞれの伝統文化や 生活習慣を大切に守りながら生活して います。その先住民文化と、台湾の激動 の歴史によりオランダ、スペイン、日本 の統治文化、そして漢民族の文化が複雑 に融合し、今日の台湾文化を形成してい ます。14民族による先住民文化、台湾の 各地に現存するオランダ、スペイン、日 本統治時代の遺構、中華民族5千年の歴 史文化の真髄を体現する故宮博物院、台 湾漢民族の心のよりどころである仏教 や道教の寺廟など…。みなさんは、さま ざまな文化が混在し、受け入れ、新しい 文化を常に発信し続ける台湾のパワー にきっと驚かれるでしょう。 これからの世界は、国や国境などといっ た考え方ではなく、“人類の幸福”といっ た共通の命題に向かって突き進んでい かなければならない時代に突入しました。 環境問題や経済格差、各地で勃発する紛 争など、世界が抱える課題は山積みです が、人々がボーダレスに相手を思いやり、 協力し合うことで、必ずそれらの課題を ひとつづつ解決し、平和で豊かな世界、 地球を形成してゆくことができると考 えます。そのためには、お互いの文化や 社会、考え方などを理解できる豊かな国 際感覚を持った人材の育成が必要です。 このような人材の育成において、異国間 のコミュニケーションと学習を通じて、 国境を超えた相互理解を深め、真理につ いて共通の認識を打ち立てることが大 切だと感じます。また、その取り組みは、 早ければ早い程効果的で、青少年時代は 最も適している時期であり、教育旅行 はまさに最適な学校行事と言えるの ではないでしょうか。外国人との交流 や歴史的な建築物、史跡の見学、見た ことのない自然、文化などを経験する ことで、国際理解を深め、国際的な視 野を養い、教科書からでは得ることの できない数多くの事柄を学ぶことが できると考えます。 台湾では、学校に向けて、海外の学校 との国際コミュニケーションを推奨し ています。多くの高校生や教師が、交歓 会や料理教室、スポーツの交流試合、IT ネットワーク、外国語や民族文化の交 流等を実現出来ることを望んでおり、 海外をはじめ日本の皆様の訪台を心よ り歓迎しております。また、台湾では、 従来の親日に加え、若年層の間で「哈日 族」と言われる、日本のドラマや音楽を はじめ、日本の文化に、深い関心を寄せ る台湾人が増加し、日本語学習を希望 する学生も非常に増えています。 台湾観光局では、関連機関や学校と連 携を図り、様々な活動やイベントを通し て、やがて国際社会へ飛び立つ皆様に、 実りある体験となるよう全力を挙げて ご協力させていただく所存です。 世界に類のないほど世代を超えて親日・ 知日派が多いといわれている台湾の観 光界を代表いたしまして皆様の台湾教 育旅行訪問を歓迎します。きっとこのう えない豊富な人生収穫を得られること でしょう。 ● 台湾修学旅行を自分たちでプランニングしよう1
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関係機関の役割
交通部観光局知本温泉 太魯閣峡谷 台中市政府 蓮池潭風景区 花 蓮 台北101 国立故宮博物院
台北
台中
台南
高雄
阿里山TAIWAN , Why!?,What!?
発 見 と 体 験 ! 台 湾 に 学 ぶ 今 ・ 昔
何故、教育旅行に「台湾」なんでしょうか?
それは日本の若者達の眼で
「発見」
し、
身体で
「体験」
「実感」
するものが豊富にあり、
さらにそこに「学び」
「交流」があるからです。
台湾では、歴史のうねりを体感 激動の台湾史。日本の若者が教科書をなぞっ ただけでは気が付かない「歴史遺産」や「日本 と関り合いの深い歴史背景」をリアルに体験 することができます。 「日本的なモノ」が至るところに点在 する台湾。クラスの研究テーマとして、 学生たちが台湾で発見した「日本的なモノ」 を取り上げてみるのも面白いと思います。 台湾では、独特の気候・地質・地勢などによっ て、美しい景観や特徴ある景色が観光できます。 日本では見たことのない風景や自然に出会え るでしょう。 台湾には、おいしい料理だけでなく、若者に人気の フルーツやデザートの宝庫。そこから、台湾の気候・ 地勢や味覚文化を実感できます。 台湾は、アジアの中でも親日・知日派が多 い事で知られている。それは何故なのか?本 当に親日なのか?日本の若者たちに国際交 流を通して、考えてもらいたいと思います。 台北101や台湾版新幹線の台湾高速鉄路、 熱気あふれる夜市…。現代の台湾が持つ勢い を実感し、日本が忘れかけている「活力」を取 り戻しましょう。歴史
最も親しく親日な隣人との国際交流人の和
元気一杯!活力みなぎる台湾の今を体験現代
日本との深いつながりを再発見日本
息を飲む台湾の自然美に感激自然
食在台湾。胃袋満足度100%食
宝覚寺 中正紀念堂世界史に台湾が登場するのは約400年ほど前、常に周 囲の国々との複雑な関係を余儀なくされた台湾は激動 の時代を歩んできました。第二次世界大戦終戦までの半 世紀にわたり日本が統治し、戦後も対立と親愛の情を複 雑に織り交ぜながら密接な関係を保ってきました。 台湾にはもともと先住民が定住しており、唐の時代か ら漢民族の移動が始まっています。1544年ポルトガル 船により台湾本島が発見され、世界中に通商や植民地化 を求めて進出した東洋と西洋の勢力が集まる場所にな りました。西洋諸国の中で、スペイン、オランダが、台湾 東北アジア海域と東南アジア海域が交わる地理的位置 のメリットから進出し、17世紀前期にはオランダが安平 (今の台南)に拠点(赤 城)を築き南部を占領、またスペ インが現在の台湾北部、基隆、淡水に上陸し、北部をその 支配下におきました。南北に分かれたスペインとオラン ダの覇権争いは1624年オランダが勝利に終わりました が、早くも1661年には台湾人の父、日本人の母を持つ明 国の遣臣鄭成功がオランダ軍を駆逐し建国した鄭王朝 に替わりました。
世界史への登場
1683年鄭氏政権の時期も短く、わずか三代で清王朝 に破れ、翌年台湾は正式に福建省『台湾府』となります。 短い鄭氏政権の時期と清朝統治の200年の間に、漢民族 の移民は徐々に増加し、台湾の漢民族社会が形成され、 開墾や港湾の開発が進み近代産業は揺籃期を迎えました。 19世紀に入ると、再び欧米列強による台湾接近が始まり ますが、初期は茶産業の振興、宣教師の布教など平和的 なものでした。しかし1884年フランスが淡水をはじめ とした各地の占領を行い、それに対して劉銘伝が台湾軍 民を率いて撃退、1885年、台湾は福建省から独立台湾省 となり、劉銘伝の辣腕と善政により清朝で最も西洋化の 進んだ省となりました。清王朝時代と欧米列強の接近
日本による統治支配
台湾は1945年10月25日正式に中華民国に 復帰しました。その後、中国本土から来た国 民党政府に台湾人の不満が爆発。外省人(国 民党とともに本土から来た漢民族)と 本省人(以前から台湾に住む漢民族) の 対 立 が 決 定 的 に な り ま し た 。 1949年には戒厳令がしかれ大陸 で共産党軍に破れた蒋介石が軍民 200万を連れ、台湾に渡りました。 1971年中華人民共和国が代表権 を得て、台湾は国連を脱退、国際的 に孤立した立場となりましたが、日本は実務的な国際交 流を続け、奇跡の経済発展と政治の民主化の過程を経て、 世界から注目されるようになりました。 現在の台湾は、優れたインフラストラクチャ、便利な 交通システム、完備された通信サービスによって、アジ ア太平洋地域屈指の先進地域になっています。2008年 には、国民党の馬英九氏が総統に当選し、新たな視野と 角度で、国民をリードし、台湾独自の新しい歴史を切り 開き、作り上げる努力を続けています。(2011年4月現在)祖国への復帰と発展
中正紀念堂 先住民族 国立故宮博物院 忠烈祠 延平郡王祠 二二八和平公園 軸(唐人宮楽園) 九族文化村歴史
世
界
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覗
け
る
その後、19世紀末には、日本の帝国主義拡張の波に呑ま れ、1894年〜95年の日清戦争で清王朝が日本に敗れたこ とから、翌年の下関条約により、台湾島と 湖島が日本に 割譲され、台湾は日本の植民地となり、1945年に日本が 第二次世界大戦に破れるまで日本の支配が続きました。 この間1911年には中国大陸では、辛亥革命が起こり、中 華民国が成立、孫文が大統領に就任しています。 日本の植民統治の50年間に、台湾の社会は、徐々に伝統 社会から現代社会へと転換し、1945年、第二次世界大戦 の終了とともに、日本による植民地統治が終わりました。 林安泰古 赤 樓日本と台湾との関係が、歴史の表舞台に登場したのが 安土桃山時代。1593年、豊臣秀吉が派遣した使者が、台 湾に上陸し親書を渡すことなく引き返したことが、史実 に残る最初のスタートでした。その後、17世紀、日本が鎖 国に突入し、台湾はオランダに支配されることになりま す。そのオランダの支配から強いリーダーシップで台湾 を救ったのが、現在でも台湾の英雄として名高い「鄭成功」。 この鄭成功は、日本人の母と、台湾人の父親を持つハー フで、7歳まで長崎の平戸に住み民族意識の高い人物に育っ ていきます。その英雄譚は台湾から日本にも轟き、その エピソードをもとに近松門左衛門が「国姓爺合戦」を作っ たのは有名な話です。その後、日清戦争が勃発。日本が勝 利したことにより、台湾は日本統治時代を迎えます。日 本人同化政策や植民地支配があったことは事実ですが、 日本の統治状況は比較的公平だったといいます。その頃 教育を受けた70歳以上の方は、流暢な日本語を話す人が 多く、親日的な感情を抱いている方も少なくありません。
歴史が物語る日本と台湾の緊密な関係
台北市には総統府(元台湾総督府)、台北賓館(元台湾 総督公邸)をはじめ、日本統治時代の遺構が現存し、政庁 舎や学校、博物館として利用されているものも多くその 名残を今に残します。 また、台湾のインフラ整備に深くかかわり高い評価を 受けている日本。中でも嘉南平野の治水工事の功績は台 湾の史書にも記されています。台湾の平地の約6分の1 を占める嘉南平野はかつて洪水や干ばつに悩まされた 不毛の土地でした。台湾総督府土木技師 八田與一は、大 きな使命感と情熱に突き動かされ、誰も行きたがらない 土地に率先して赴き、当時東洋一の大規模ダム工事及び 嘉南平野に網の目状に水を供給する水利配水工事に着工。 10年にも及ぶ大規模な工事により完成した烏山頭ダム と水路のおかげで、嘉南平野は台湾一の大穀倉地帯へ生 まれ変わりました。地元の人々に感謝され、愛された八 田技師、その銅像は今でも烏山頭ダムの湖畔を見守り続 け、2011年5月8日に八田與一記念公園が開園しました。 近年でも日本とゆかりの深いものは続々と台湾に作 られています。その一つが台湾版新幹線と言われる台湾 高速鉄路。日本の700系新幹線をモデルにしており、そ の姿をみると親近感が湧き、日本と台湾のつながりを改 めて感じさせられます。台湾のあちこちにある日本的なモノ
総統府 安平古堡 日本のTVプログラム日本
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日
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太子賓館台湾に今も残る日本文化
温泉博物館 烏山頭水庫 台湾料理は中華料理の一つですが、各種中華料理の中 でも淡白な味が特徴。日本料理に近いと言う点で、ここに も半世紀に渡った日本の影響が感じられます。日本が台 湾にもたらした食の文化の一つに「弁当」が挙げられ、街 には「便當(弁当)」の看板を多く見かけることができます。 日本人にとっての餃子やラーメンと同様、刺身や寿司は 完全に台湾庶民の生活に定着しています。また、日本風の 瓦屋根の街並みが残り、台湾全土で最後の一軒となった 桶屋や大きな町には畳屋 もあるなど、日本よ り 日 本 の 文 化 が 残っている部分 さえあります。 台湾高速鉄路 九 の街並ワンポイント☝ 台湾
二二八事件を描き、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞 を獲得した、映画「悲情城市」の舞台として有名な九 。 ノスタルジックで懐かしく、階段の多い街並みは印象的 に描かれています。この街がベルリン国際映画祭で金熊 賞にも輝いた「千と千尋の神隠し」のモデルの街ではな いかという噂に。確かに劇中で印象的に描かれる赤ちょ うちんが掲げられた街並みや階段を下るシーンなど似 ているところも。興味を持った方はぜひ九 に行って確 かめてください。「千と千尋の神隠し」
のモデル!?九
日清戦争の結果清王朝が敗れ、1895年に台湾本島と 湖諸島が清朝から割譲され、これ以後1945年第二次 世界大戦の日本敗戦に至る半世紀に渡り、台湾は日本の 統治下で日本の文化を受け入れてきました。日本の敗戦 は「圧政が終わり、社会が輝きを取り戻した」という意味 で「光復」と呼ばれていますが、台湾は中華民国に戻った とはいえ、50年もの長きにわたり統治されてきた日本か らの急激な意識の変換など、抵抗を感じる人が多かった といいます。日本語教育を受けた世代のお年寄りには、 日本への郷愁を持ち、日本の伝統や文物を熱愛する人や、 親日家が多いのはこうした背景があるからでしょう。ラ ジオ、テレビでの日本語、日本の歌の放送は、日中戦争で 日本軍と戦った国民党により禁止されていましたが、 1993年全面的に禁止を解かれました。
日本統治下の教育の名残
「千と千尋の神隠し」や「悲情城市」などの映画の舞台 になったと言われる「九 」行きのバスや、ローカル線「平 渓線」が発着する、台湾鉄道の「瑞芳」は台北郊外の小さ な駅。最近は改札や切符売り場付近に、黄色いベストを 着用した、ボランティアがいて、乗換や切符購入を手伝っ てくれることがあります。 基本的に台湾の人々は他人に親切で、道を尋ねると親 切に教えてくれます。楽天家で人当たりがよい一般的な 台湾人の人柄は、気候風土、中国古来の信仰を伝える道教、 孔子の教えを道徳律として守ろうとする儒教などが根 付いていることも起因していると言えるでしょう。台湾人の民族性
授業風景 早朝から元気な台湾の人々 若者で賑わう街並 登校の様子 哈日族人の和
最
も
近
い
隣 人
と
の
国
際
交
流
台湾では最近「哈日族」という言葉ができています。「日 本フリーク」「日本好き」といった意味ですが、日本の音 楽が人気であったり、日本のテレビドラマや漫画の台湾 バージョンが制作されたりと、台湾の若い世代には、日 本語教育を受けた世代とまた違う親日感情が芽生えて います。民主化が進み、それまで禁止されていたさまざ まな日本文化の流入が許されるようになって、日本ブー ムが次第に拡大してきたことで、新しい世代が親近の情 や関心を持っているのです。 歴史上に起こった不幸な事実を乗り越えて、なお温か い親愛の心を持つ人々が暮らす台湾を、正しく理解し、 日台双方の未来が実りあるものにするために新たな友 情を構築して行きましょう。若者の親日感情
職業・専門教育学校の授業風景 現在台湾では、Jポップやアニメなどの日本文化(Jカ ルチャー)が席巻しており、日本ブームがはじまりすで に10年以上が経過しますが、その熱はとどまるところを 知りません。熱狂的な日本ファンの人達のことを台湾で は「哈日族(ハーリーズー)」と呼び、オンタイムで届く日 本の流行や芸能情報をはじめ、あらゆるジャンルで敏感 に反応しています。インターネットなどの情報インフラ の急激な普及により、日台間では情報格差はほとんどな く「0時差」が当たり前となっています。 もともと、「哈日族」の祖父母は日本統治時代に日本語 を学び、日本語で教育を受けた世代。その後、異なる教育 が行われますが、日本の教育を受けた世代は、統治時代 を懐かしむ方も多くおり、「哈日族」は彼らとのコミュニ ケーションを通して、日本の文化を受け入れるベースが できていたのかもしれません。Jカルチャーを愛する新・親日世代「哈日族」
訪れる人が、皆そのダイナミックな景観に驚く台湾は、 アジア大陸の南東端に位置し、東西南北を太平洋、台湾 海 峡 、バ シ ー 海 峡 、東 シ ナ 海 に 囲 ま れ た 総 面 積 約 36,000km2 の島々、最も大きい本島(35,873km2 )と64 島からなる膨湖群島、点在するその他14の小島を合わせ た79島からなる、自然資源に恵まれた美しい国です。
地形と気候が創造する類まれな自然
国立公園として有名な陽明山(台北の北部に位置する 火山地帯)、太魯閣(台湾東部、花蓮に位置し険しく切り 立つ断崖、霧の渓谷で知られる)、玉山(本島中央4県にま たがる東アジアの最高峰)、雪覇(石川氏鱒/台湾鱒の生 息地)、墾丁(本島最南端の恒春半島に位置する)、金門(戦 役史跡、開南式建築の集落など人文史跡)、東沙環礁(珊 瑚と貝殻からできた島)は台湾の庭ともいえる存在で大 自然の宝庫です。それぞれ特色のある壮観な眺め、秀麗 な河川、地形的にも変化に富んだ景観、珍しい動物、植物 が生育するスポットは数え切れません。様々な種類の動 物、昆虫、魚、鳥、その他の生物保護区では、まるで生物図 鑑を開いたような光景を目の当たりにすることができ ます。また動物の保護区としてだけでなく、レジャー、環 境教育、学術研究の場としても提供されていて、人々は 自然を満喫し、目的に合わせた楽しみ方ができます。都 会の雑踏から離れ、大自然の神秘を体全体で感じること ができるこれらの地域は多くの観光客が訪れる場所です。 この他、ツツジ、桜、紅葉なども観賞できる風景区、森林 行楽地、動植物の生態観察ができ自然保護区などは、野 外に設置された自然生態の博物館と言っても過言では ありません。国家公園
小琉球自然
息
を
呑
む
圧 巻
自
然
美
玉山 墾丁海岸 合歓山 東北角海岸(南雅) 日月潭 野 柳 台湾には日本の国定公園に相当する13の国家風景区 があります。奇観海岸地形で知られる北部海岸及観音山 国家風景区、東北角&宜蘭海岸国家景区、そして海岸に 切り立つ絶壁や、手つかずの海岸線が美しい事で知られ る東部海岸国家風景区、のどかな牧場風景の花東縦谷国 家風景区。また西南地区には潟湖の美しい風景と豊かな 水鳥の生息する大鵬湾国家風景区、雲嘉南浜海国家風景 区が広がります。 また、平埔文化発祥地である西拉雅(シラヤ)国家風景区、 ルカイ族の部落の残る茂林国家風景区では、ルカイ族の 石造りの家、台湾原生種の蝶なども見ることができます。 台湾先住民の神話伝説にも描写されるツオウ族の居 住地である阿里山国家風景区の日の出、美しい雲海、渓 谷の清流。日月潭国家風景区の湖のきらめく水面に映え る山並み、八卦山上空を飛ぶ鷹、果物の故郷梨山、仏教の 聖地-獅頭山ほか、洋上に浮かぶ澎湖島や馬祖島などの 独特な自然景観は台湾の文化と重なりあっています。国家風景区
太魯閣峡谷 野柳(女王頭)台湾はもともと農業立国で、第一次産業が中心でした。 しかし現在、台湾のGDP(国内総生産)のうち、農林水産 業が占める割合は、1952年には35%だったものが、近年 では2%以下に減少しています。この背景には、日本統治 下において積極的な産業政策を推進していた下地と、戦 後のアメリカによる経済援助により、工業製品輸出国と して急激にシフトしてきたことが挙げられます。中でも、 高雄市は国際港と国際空港を擁し、製鉄や造船、セメント、 石油など大手台湾工業会社の半数以上が集中する商工 業都市として、台北市を凌ぐ勢いで成長しています。 その後、1980年に台湾のシリコンバレーと言われる「新 竹科学工業園区」が建設されると、ハイテク産業が一気 に開花。半導体、コンピュータ、通信機器、光学機器、精密機器、 バイオなど様々な産業が発達し、世界でも有数なIT産業 国に変貌しつつあります。 独特のパイオニア精神により、積極的に世界経済へ進 出する台湾。その力強い息吹が、台湾全土から感じるこ とができます。
経済政策で、
急成長を遂げる台湾社会
現在台湾の街並みは、近代化へ向けて大きく変わりつ つあり、その「活力」は至る所から体感できます。その最 も顕著な都市が台北市。台北市では、国父紀念館以東の 信義区が再開発地区として急激に発展しており、国際会 議場や高層ビル、高級ホテルなど、次々と新しい建物が 建設されています。中でも高さ508mの超高層ビル「台 北101」は再開発のシンボル的な存在で、89階の展望台 は観光コースとして組み込まれるなど、台北市のランド マークとして花を添えています。 さらに、近年では交通インフラも着々と整備が進んで います。台北市や高雄市では、長年の交通渋滞を解消す るため、新交通システムMRTが開通。市内の主要な街を 結ぶことで、台北市民の足として活躍するとともに、観 光客にもリーズナブルで迅速な交通手段として高い威 力を発揮しています。 近代的な街並みに変貌する一方で、台湾名物「夜市」で は、毎晩人々の熱気で溢れかえる台湾。ソフト、ハード両 面で活力ある台湾を体験してください。台湾の
「活力」
を今に感じる街並み
台湾の若者のサブカルチャーに対する意識は、非常に 貪欲であり考え方が柔軟です。アジア大衆文化の発信源 とも言われる台湾では、台湾をはじめ、日本、韓国、シン ガポール、マレーシア出身の国際色豊かなシンガーが台 湾ポップスチャートを賑わしています。また、映画界で 活躍するのは、台湾出身の映画監督「李安」。中国、香港、 台湾、アメリカの合作により制作した「グリーンディスティ ニー」が、中国の「武侠」の精神を体現し、世界で高い評価 を受けました。さらに、日本のコミックをドラマ化した「流 星花園〜花より男子〜」は、台湾で記録的なヒットを飛 ばし、その後香港、インドネシア、シンガポール、フィリ ピンなどで海外ドラマ歴代最高視聴率を記録。その影響 もあり、日本や韓国でも「花より男子」が制作されるなど 一大ムーブメントを巻き起こしました。 情報誌においても、ファッションをはじめグルメ、デー トスポットなどを掲載した様々な雑誌が発刊され、日本 の雑誌も多数売られています。海外ドラマなども多チャ ンネルのケーブルテレビによりほとんどリアルタイム に近い状態で見ることができます。 海外文化と独自の台湾文化が融合することにより、新し いカルチャーを生み出す台湾。アジアのカルチャーが混 ざり合い、新しいものを生み出す瞬間を感じることがで きます。アジアンサブカルチャーの中心地
「台湾」
台北市内 西門町 整備された交通網 台北アリーナ現代
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台
湾
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今
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洗練された街並 高雄港 高雄市中央公園ワンポイント☝ 台湾
高さ約508m、地上101階にちなんで名付けられた「台 北101」。このタワーの外観は、台湾伝統の宝塔や竹の節 がイメージされており、日本の建設会社が中心となって 施工を行いました。89階から眺める景色は絶景で、分速 1010mで駆け上がるエレベーター(上り)は、ギネスに 認定されています。また、コインを立てたままの状態で 上昇できるほどやさしい乗り心地は感動です。世界有数の超高層ビルの展望台から
台北市内を一望 〜 台北101
世界でも有名な台湾の食文化。各種の中華料理は、世界 中の都市で味わうことができますが、台湾こそ大陸から渡っ てきた各地の料理を一同に味わうことができる場です。「人 民は食に頼って生きている。故に、食は最も大切なもの」が、 モットーの台湾では、3歩、歩けば軽食屋、5歩、歩けばレ ストランがあると言われるほどです。 台湾料理の起源は、はるか数千年前。受け継がれてき た料理の知恵と経験が結集されています。長い歴史の中 で色、香り、味とすべてが追究され、手軽な食材で手の込 んだ料理をつくります。また、各地方の伝統的な料理をミッ クスした、新しい創作料理も生まれ、毎年多くの観光客 が台湾の美食を味わいに訪れています。
「食は最も大切なもの」が、台湾のモットー
1.台湾料理:素材そのもののよさを生かし、「あっさ りした口当たりと新鮮」が特徴。オランダ文化と日本文化 の影響を受け薄味で、生物をふんだんに取り入れている。 2.福建料理:福建は海の幸が豊富で海産物の蒸し料 理が中心。あっさりした口当たりと甘酸っぱい味が特徴。 3.広東料理:いろいろな種類の材料を取り入れ、あっ さりした口当たり、新鮮さ、滑らかさ、香ばしさ、甘さ、さっ ぱりさ、柔らかさを追究。手の込んだ調理法が用いられる。 4.浙江料理:スープが命で、火加減に細心の注意が払 われている。あっさりしているのにコクがあり、柔らかく 歯応えがあり、素材のよさが生かされた料理。 5.上海料理:蒸し料理を基本に、脂っこく色の濃いソー スやコクのある煮汁をふんだんに使い、彩りのよい盛り 付けが目を引く国際都市らしい料理。 6.湖南料理:すっぱい、辛い、濃い、脂っこいのが特徴。 あんかけなど味の染み込みかげんにこだわり、肉の燻製 は天下一品。ピリッとした辛さが四川料理と共通している。 7.四川料理:激辛の調味料を使うことで知られる。生 の唐辛子を入れた料理が多く、材料には海鮮類よりも野 菜類がよく用いられる。辛党にはたまらない料理。 8.北京料理:各地の料理の傑作で珍味が多い。彩り鮮 やかで盛り付けも豪華絢爛。色、形、味、栄養が追究され、あっ さりとした口当たりとやわらかな歯応えが特徴。 9.客家料理:乾物や漬物などがよく登場する。味付け は濃い目で、「焼く、香ばしい、熟す、塩辛い、脂っこい」な どが特徴。代表的な中華料理・各地方の味や調理法
夜市・下町の味、
台湾のスナック
「小吃」
台湾では欠かせない茶の楽しみ
絢爛豪華な台湾料理 担仔麺 牛肉麺 水煎包食
食
在
台
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袋
満
足
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盛りだくさんの台湾名物カキ氷 茶芸 屋台ではフルーツも人気 台湾のかき氷はトッピングが豊富 夜市はいつも人でいっぱい 台湾の下町の味「小吃」は、いわゆるスナック、種類もた いへん豊富です。「 仔煎(カキのオムレツ)」「虱目魚肚粥、 (サバヒー:魚のお粥)」、「大餅包小餅(揚げ春巻風スティッ ク)」など、台湾ならではの食文化として根付いてきました。 値段も手頃でおいしく、高級料理にも引けをとりません。 街の至るところで口にできる小吃ですが、夜市(ナイトマー ケット)には、選ぶのに迷うほどたくさんの小吃があふれ ています。どの夜市も特色がありますが、それぞれの地方 の小吃を通して、その土地の特産品や文化、歴史などにふ れることができます。台湾の人々の生活を知るには、各地 の夜市を巡って、地元の人々に混じって屋台で小吃を食べ るのが一番かもしれません。台湾にはバラエティーに富んだ 料理や小吃のほかに、餅菓子やお茶請けもたくさんあります。 食の文化の中で忘れてはならないことのひとつがお 茶です。台湾は、「茶葉王国」、地形や気候が茶葉の成長に 適しており、優れた品質の茶葉を生産し、世界でも高く 評価されています。いろいろな茶葉が揃っていますが、 台湾を代表する四大茶葉として、文山包種茶、凍頂烏龍茶、 白毫烏龍茶、鉄観音があげられます。茶葉を部分発酵さ せた台湾茶は、少量で味や香りを長く楽しむことができ ます。台湾茶をゆっくり時間をかけて、楽しむスタイル を茶藝と呼び台湾独特の文化として発展しました。自分 の好きな味を見つけ、お 茶を通しての人との出 会いを楽しむことも 台 湾 の 茶 藝 の 大 切 な要素です。and go TAIWAN
and go TAIWAN
身近な台湾で、豊かな国際感覚を磨こう!
歴史的にも、
文化的にも日本とのつながりが深く、
おいしい食べ物や風光明媚な観光スポットが数多くある台湾。
また、
近年の高度成長により近代化が進み、
国際色豊かなコミュニケーションが行える台湾は教育旅行に最適な場所と言えます。
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台 南
台 中
台 北
緑 島台北市は、台湾全人口の約10%に 相当する262万人が生活し、台湾の政治、 経済、文化、産業の中心地的な役割を担っ ています。台北駅南側にある行政施設、 銀行などが集中する官庁街、二二八和 平公園や国立台湾博物館などの文化 スポット、活気に溢れる屋台が並ぶレ トロで庶民的なエリア、高さ508mを 誇る世界有数の高層ビル「台北101」 がそびえ立ち、近代都市の様相が見ら れる台北市政府周辺の新興開発地区 など、様々な顔を持つ台北。台湾の「今」 を感じることができます。
多 く の 見 所 を 持 つ 台 湾 随 一 の 都 市 台 北・台 湾 北 部
北 部 エ リ ア
台北市
台湾第一のメガロポリス
台北市
面 積 人 口 気 候 歴 史 市内交通 …約271.8km2 …約262.2万人 …亜熱帯気候 …1885年、台湾省となったこ とを皮切りに、台湾の中枢 都市として、その繁栄を築 いてきました。…MRT(Mass Rapid Transit)8 路線/市内バス/タクシー 西門町