律文献にみられる辛味について
井 上 綾 瀬
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.はじめに
現代インドにおいてカレーの主な辛味はトウガラシ1)を由来にしている.しか し,トウガラシは南米原産の香辛料であり,世界に流通するようになったのは 15世紀以降だといわれる2). 辛味は,現代生理学では味覚に含まれず,舌が感じる痛覚になる.また,辛味 は科学的特性に対応して,その作用からいくつかに分類される.いわゆる 「①つーんとする3),②ヒリヒリする4),③清涼感があり痺れるような感覚がす る5)など」である.伝統的にインドで辛味は味覚rasaに含まれると考えられて きた6).辛味は,甘味や苦味,渋味,塩味などと並んで「見えないが舌で触って 感じる味」として説明されている.しかし,定義だけでは伝統的にインドにおい て実際の辛味がどのようなものであったか,不明である. そこで,律文献に記される辛味の食材を同定し,伝統的にインドで味の一つと して考えられてきた実際の辛味について検討する.1
.律文献にみられる辛味香辛料―体内の
vāta
の乱れ
Vin.では,vātaの乱れから起きる病気の時に3種類の辛味を入れたお粥を食べ ている.因縁譚は「食料の保存や調理」に主眼をおいており,病気の症状や3種 類の辛味に関する説明はない.しかし,三辛粥(tekaṭulā-yāgu)はアーユルヴェー ダでも知られており『スシュルタ本集』ではインドナガコショウ7),コショウ, ショウガを入れた粥とされる8).三辛粥は,律文献の中でもVin.と『十誦律』『根 本説一切有部毘奈耶薬事9)』で明示され,『摩訶僧 律』では胡椒と蓽 を混ぜ ること,『彌沙塞部和醯五分律』では薬粥,『四分律』では粥として伝わる.各律 文献の因縁譚から鑑みると,「お粥,三辛粥」は体の中のvātaの調子を落ち着か せるという時の処方として知られていたようである.atha kho bhagavā anupubbena cārikaṃ caramāno yena Rājagahaṃ tad avasari. tatra sudaṃ bhagavā Rājagahe viharati Veḷuvane Kalandakanivāpe. tena kho pana samayena bhagavato udaravātābādho hoti. atha kho āyasmā ānando pubbe pi bhagavato udaravātābādho tekaṭulāya yāguyā phāsu hotīti sāmaṃ tilam pi taṇḍulam pi muggam pi paññāpetvā anto vāsetvā anto sāmaṃ pacitvā bhagavato upanāmesi pivatu bhagavā tekaṭulayāgun ti. (Vinaya I 210)
その時,世尊は,順に遊行をして王舎城に到着された.世尊は,まさにそこ王舎城のカラ ンダカニヴァーパ竹林10)に滞在しておられた.実にまたその時,世尊は,お腹の中の風の 調子が悪い病気11)であった.さて,具寿アーナンダは,「世尊が前にもお腹の中の風の調 子が悪い病気であった[ときに]3つの辛い[材料をいれた]粥で安楽になった.」と,[思 い出した].自らごまと米と緑豆を用意して内に保存して,内で自ら煮て,世尊に手渡し た.「世尊よ,3つの辛い粥をお飲み下さい.」と. 仏在舎衛国.仏身中冷気起.薬師言.応服三辛粥.仏告阿難.弁三辛粥.阿難受勅.即入 舎衛城.乞胡麻粳米摩沙豆小豆.合煮和三辛以粥上仏.仏知故問問阿難.誰煮此粥.答言 我.仏告阿難.汝持是粥.棄著無草地無虫水中.何以故.若外道梵志見如是事.必作是 語.諸沙門釈子.師在時漏処法出.阿難受勅.即持粥棄著無草地無虫水中.仏以是因縁集 僧.集僧已告諸比丘.従今大比丘煮食不応噉.若噉得突吉羅罪.内宿内煮内宿外煮外宿内 煮自煮不応噉.若噉得突吉羅罪.(『十誦律』T 23, 187a4–14) 仏は,舎衛国におられた.仏は,体に寒気が走っておられた.薬師は「三辛粥を服用すべ きです.」と,申し上げた.仏は,阿難に「三辛粥を用意せよ.」とおっしゃった.阿難は, 言葉を受けて,すぐに舎衛城に入って,胡麻,粳米,摩沙豆,小豆を乞うて,それらを合 わせて炊いて三辛粥を仏に差し上げた.仏は,知りながらも阿難に「このおかゆは誰が炊 いたのか.」と,質問された.「私です.」と,答えた.仏は,阿難に「おまえ,このお粥を 持って,地面に草がなく,水中に虫のいない所に捨てて来なさい.どうしてかといえば, もし,外道梵志がこのことを見たら,必ず,「沙門釈子たちは,師がいるときに漏所法を 出る.」と言うでしょうから.」とおっしゃった.阿難は言葉を受けて,すぐにお粥を地面 に草がなく,水中に虫のいない所に捨てた.仏は,この因縁でサンガを集めて,サンガが 集まってから,比丘達に「今後,比丘達は,食事を調理して食べてはいけない.もし,食 べたら突吉羅の罪になる.[シーマーの]内で保存して内で調理しても,内で保存して外 で調理しても,外で保存して内で調理しても,自分で調理した[食事は]食べてはいけな い.もし,食べたら突吉羅の罪になる. 仏住舎衛城.時城内難陀母.憂婆斯荼羅母半月中三受布 .八日十四日十五日.布 日作 食先飯比丘後自食.至明日復作布 .食作 飯 上.飯汁自飲.即覚身中内風除宿食消. 覚飢須食.作是念.阿闍梨是一食人.応当須粥.取多水著少米.合 去両分.然後内胡椒 蓽 .粥熟已盛満 .持詣 精舎.至已稽首仏足却住一面白仏言.唯願世尊聴諸比丘食 粥.仏言.従今日後聴食粥.(『摩訶僧 律』T 22, 462c5–14) 仏は舎衛城に滞在しておられた.その時,城内に難陀の母である憂婆斯荼羅がいた.母 は,半月の間に3回の,つまり8日,14日,15日に布 を受けていた.布 の日は,ご飯
を作って,先に比丘に食べてもらい,後から自分が食べていた.そして,翌日,また布 の日であったから,食事を作った でご飯をひっつけて[水と]混ぜて,ご飯の汁を自分 で飲んだ.すると,すぐに身体中の風が除かれるような感覚で,食事が消化された.そこ で,飢えを覚え食事が必要だと以下のように思った.「阿闍梨はこれを食べる一人の人で ある.すぐにお粥を作って持って行こう.多くの水で[鍋に]ついた少しのご飯をとって, [水とご飯を]合わせて少しの量の[お粥を]炊いた.少し後から,胡椒と蓽 をその中 にいれた.温かく炊き上がったお粥を に盛って満たして, 園精舎へ持って行った. 行ってから,仏の足に稽首し,一方に座って,仏に「願わくば,世尊よ,比丘達にお粥を 食べさせることを許可してください.」と,申し上げた.仏は「今後,お粥を食べることを 許可する.」とおっしゃった. 仏在毘舎離.爾時世尊患風.阿難自煮薬粥上仏.仏問阿難.誰煮此薬.答言.是我所煮. 仏告阿難.我先聴諸比丘共食宿住処.作食自作食.自持従人受汝等今猶用此法耶.答言猶 用.仏言.汝等所作非法.我先飢饉時聴.今云何猶用此法.従今犯者突吉羅.(『彌沙塞部 和醯五分律』T 22, 148a28–b4) 仏は,ヴァイシャーリーにいらっしゃった.その時,世尊は,風12)を患っていらっしゃっ た.アーナンダは,自ら炊いた薬粥を仏に差し上げた.仏は,アーナンダに問うた.「こ の薬は誰が炊いたのか?」[アーナンダは]答えて申し上げた.「ここで私が炊きました.」 仏は,アーナンダに告げられた.「私は,前に比丘達に食料と共に住所で泊まること,[そ の場で]調理すること,自ら調理すること,自ら取って人から授けられなくともよいこと を許した.お前達は,今なお,この法を用いているのか.」[アーナンダは]答えて申し上 げた.「[この法を,今]なお,用いています.」仏は,おっしゃった.「お前等の所作は, 法に従っていない.私は,前は飢饉のときだから許可した.なのに,なぜ,今なお,この 法を用いているのか.従って,今より,犯した者は突吉羅になる.」 時病比丘須粥.仏言聴煮.若無人聴自煮.(『四分律』T22, 875c8–9) その時,病気の比丘には粥が必要であった.仏は,調理することを許可し,もし,[調理 をする]人がいなければ,[比丘が]自分で調理することを許可する. 以上の因縁譚からは,粥は病気の時に摂取すべきものであるという認識が共通 していることが伺える.また,yāva-kālika(午後からも比丘が摂取できるジュース類) や七日薬(砂糖や蜂蜜など栄養価の高い,受け取ってから七日間だけ使用保持できる薬) の因縁譚の場合は,「物」の説明に主眼が置かれ,処方薬というよりは栄養剤と いった扱われ方をするのに対し,この「お粥」を含む因縁譚は「調理や食品の管 理」に主眼があることから,「vātaの乱れの場合はお粥を食べる」ということは, 当時の常識であった可能性が指摘できる.アーユルヴェーダでは,体質は
vāta-pitta-kaphaのtri-dośaの性質から個人の体質が判別でき,tri-dośaのそれぞれの乱
されることはなく,この因縁譚のように唐突に「vātaの乱れ」により病気になる ことが示される.
2
.律文献にみられる辛味香辛料――
yāva-jīvika
中の辛味――
辛味という点に焦点をあてると,yāva-jīvika(尽形寿薬,生涯保持使用できる薬) として知られるスパイスにも辛味を持つものが存在する.yāva-jīvikaは,置き薬 というイメージでなにか病気や疲れがあった場合に使用することができる栄養価 の点は期待できない薬である.諸律文献に必ず明記されている.その内容は,植 物の部位と,鉱物,灰である.一見,諸律文献にはyāva-jīvikaの内容に差がある ように思えるが,①多くの因縁譚で細かく規定されるパターン,②全てを含んだ 形(一切のなにがしを使用できる)で規定されるパターン,という表され方の違い で,実際の内容に大きく差はない. yāva-jīvikaのうちで,辛味を持つものは,コショウ,インドナガコショウ, ショウガである.これらは,三辛粥とも共通しており,『スシュルタ本集』とも 共通している.律文献で辛味を指す場合は,コショウ,インドナガコショウ, ショウガを念頭においている.また,yāva-jīvikaを流通という点からみれば,辛 味に含まれないが,塩やユカン,アギ,ウコンなども比丘の生活には欠かせない ものであった.3
.現代インドでの辛味香辛料
2019年8月29日にムンバイのラールバーグスパイスマーケット13)内で香辛料 店を営む店主や番頭達にトウガラシ以外で辛いスパイスや食品は何かと尋ねる と,そろって「コショウ,クローブ,クミン,ショウガ,タマネギ,ネギ,ニン ニク,ダイコン」との回答があった.この中に文献に出てくるインドナガコショ ウが含まれなかったので合わせて尋ねると「インドナガコショウは薬の材料にな るがムンバイ近郊では料理には使わないから無い」との回答であった.また, 2019年9月3日にデリーでもインドナガコショウを捜し求めたが,一般の人が利 用するスーパーや市場では見つけられなかった.現在の北西インドでは,トウガ ラシの辛味が一般的であり,ついで,コショウ,クローブと続くようである. スパイスとして使うクローブ(和名: チョウジ,丁子)は,フトモモ科チョウジ の開花直前の蕾を乾燥したものであり,果実ではない.学名Syzygium aromaticum (L.)といい,サンスクリットではlavaṅga或いは,devkusumaの名前で知られる.『スシュルタ本集』にはlavaṅgaとして記されアーユルヴェーダでは樹皮,葉,果 実が使用される. クローブはインドネシアが原産地であり,その伝播ははっきりしていない.ガ イウス・プリニウス・セクンドゥス14)の『博物誌』15)にクローブが取り上げられ るが,一般的に普及したのは中世以降だと考えられている16).クローブにはオ イゲノールという辛味成分が含まれ,科学的にも辛味をもつとされる.古くは中 国商人が原産地を隠して貿易商品とし,大航海時代に原産地が「発見」されるま で栽培が増えることがなかった.そのため,古くはクローブの流通量が少なく, 一般的に使用できるものでなく,律文献には見当たらないと考えられる.クロー ブは,その流通量の少なさから比丘の実生活には普及していなかったものと推測 できる. クミンは,芳香と苦味,辛味があり,学名Cuminum cyminum(L.),和名クミン,
サンスクリット名jīrakā,gaurajīrakāである.果実を使用し,Abhidhānamañjarī,
Bhāvapṛakāśa, Madanādinighaṇṭuなどのアーユルヴェーダ文献に記述されるが,律 文献には見当たらない.また,有名なスパイスであるが『仏教植物辞典』17)にも 取り上げられていないことから,漢訳文献中でも有名ではないようである.地中 海東部沿岸原産で古くから知られ,現在ではヨーロッパからインドで栽培されて いるが暑さと乾燥を嫌うため古代インドには普及していなかった可能性がある. 現在のインドでよく知られる香辛料と律文献の内容には乖離が見受けられる.
4
.結論
比丘たちがvātaの乱れる病気にかかった時に食べる三辛粥はコショウ,イン ドナガコショウ,ショウガが入っている粥である.また,Vin.ではゴマ,コメ, 緑豆と,『十誦律』では胡麻,粳米,摩沙豆,小豆と一緒に炊いていることから, 「粥」にはコメだけでなく雑穀が入る場合があることが示唆できる. yāva-jīvikaは,栄養価の少ない置き薬がその大部分を占めているが,ここにも コショウ,インドナガコショウ,ショウガが示される.つまり,これらの辛味は 比丘の実生活の中によく流通していたのだと言える. 律文献から,実際の辛味について検討すると,コショウ,インドナガコショ ウ,ショウガが浮かび上がる.現代北西インドで辛味としてよく流通しているト ウガラシ,コショウ,クローブ,クミンとは異なることがわかる.コショウに関 しては古代よりインドの辛味の代表格である.比丘の実際の食事の香辛料として,これらが辛味として使用されていた.
1)植物名は,和名のカタカナ表記を基本とし,和名がない場合はアルファベットで学名
を記す.また,和名以上に英名が有名な場合は英名を一般使用し,カタカナで表記す る.また,本文中Vin.は,パーリ律(Hermann Oldenberg, ed. 1882 (1984). The Vinaya
Piṭakaṃ. London: Pali Text Society, p. 210)とする.
2)『とうがらしの世界史』(山本紀夫,中公新書,2016)pp. 1–13. 3)アリル化合物の作用で冷刺激受容体TRPA1が活性化する.ワサビや,ネギ,ニンニ ク,ダイコンなどの辛味. 4)カプサイシンやピペリンの作用でカプサイシン受容体TRPV1などが活性化する.トウ ガラシやコショウなどの辛味. 5)ギンゲロール,ショウガオール,サンショオールなどの辛味成分が舌を刺激する. ショウガやサンショウなどの辛味. 6)インド学仏教学叢書バウッダコーシャ1–5(斉藤明・榎本文雄・宮崎泉・室寺義仁代 表編著2011–2017, インド学仏教学叢書編集委員会)参照.
7)以下,植物の同定に使用した.P. K. Warrier. 1997. Indian Medicinal Plants: A Compendium
of 500 Species, I–V. Delhi: Orient Longman.
8)Monier-Williams. 1889 (1986). A Sanskrit-English Dictionary. Oxford: Oxford University Press.
9)世尊が風の病の時に三種の香辛料に多くの水油を加えて煮たものを医者に処方され
る.八尾史訳注2013『根本説一切有部律薬事』連合出版,pp. 93–136.
10)Dictionary of Pāli proper names (G. P. Malalasekera. 1937 (2007). London: Pali Text Society, p. 534)によると,竹林の中のリスの 場という場所である. 11)ただの腹痛というより,お腹の中を巡る風の調子が悪い病気. 12)体内のヴァータが乱れる病気.Vin.と同じ. 13)ムンバイではオクスフォードマーケット内にあるスパイス店より,より高品質で多種 のスパイスが うと定評がある. 14)古代ローマの博物学者,軍人,政治家で,生没は西暦23–79年. 15)『プリニウスの博物誌』(中野定雄・中野里美・中野美代訳,雄山閣出版,1995)1–3. 16)永積昭2000『オランダ東インド会社』講談社,羽田正2017『興亡の世界史』講談社. 17)和久博隆1979『仏教植物辞典』国書刊行会. (2019年度特別研究員奨励費補助金18J40225「インド仏教教団の食と医療の実態」による 研究成果の一部) 〈キーワード〉 律,薬,味,辛味,生活,インド (日本学術振興会特別研究員RPD,博士(文学))