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民主党政権における国内政策意思決定システム

̶ TPP をめぐる政策過程をケースとして̶

1

三 浦 秀 之

The Domestic Policy-Making Process under the

Democratic Party of Japan government:

Japan ʼ s Participation in the Trans-Pacific Partnership Agreement

Hideyuki Miura

The paper examines domestic policy-making process under the Democratic Party of Japan (DPJ) government focusing specifically on the Japanʼs participation in the Trans-Pacific Partnership Agreement

(TPP. On October 1, 2010, Prime Minister Naoto Kan expressed starting the discussion on Japanʼs pos- sible participation in TPP in his policy speech, however, Japan could not participate in the TPP negotia- tion. A successor of Kan, Prime Minister Noda, as a result, was able to publicly announce Japanʼs inter- ests in joining TPP negotiation at the APEC Summit in Honolulu in 2011. Many scholars try to analyze Japanese policy-making system based on the core-executive model. Based on the core executive frame- work, the paper will address the following research questions. Firstly, what is the difference between the DPJ and LDP government in terms of policy-making process and how the change of government from LDP to DPJ affected the policy-making system in terms of trade liberalization in Japan. Secondly, how the strengthening of DPJʼs core executive affected the domestic policy-making of TPP. Thirdly, why the Kan administration could not participate in the TPP negotiation while the Noda administration could show its interests joining TPP negotiation.

1. はじめに

2010101日,菅直人首相は,「所信表明演説」において,「環太平洋パートナーシップ協定

(TPP2)交渉への参加を検討し,アジア太平洋自由貿易圏の構築を目指す」ことを表明した3。しかしそ の後,菅内閣は,TPPについて,「情報収集を進めながら対応し,国内の環境整備を早急に進めるとと もに,関係国との協議を開始する」と明記した基本方針を決め,参加可否の結論を先送りした4。とこ ろが,翌年2011年11月11日,菅首相の後を継いだ野田佳彦首相は,TPP交渉参加に向け,政府・民 主三役会議と関係閣僚委員会を開き,「貿易・投資の自由化を推進し,アジア太平洋地域の経済統合を

早稲田大学アジア太平洋研究センター 助手

1 本稿は早稲田大学特定課題研究助成費(課題番号2011A-949)による研究成果の一部である。

2 TPPとはTrans–Pacific Strategic Economic Partnership Agreementの略で,日本での正式名称は,環太平洋戦略的経済連携協 定である。

3 首相官邸『第176回国会における菅内閣総理大臣所信表明演説』平成22101日,2010年。

4 首相官邸『包括的経済連携に関する基本方針』平成22119日閣議決定,2010年。

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進めることは,この地域における活力を日本が取り込んでいくうえで大変有益な議論だ」と述べ,そ のうえで「TPP交渉参加に向けて関係国と協議に入るということを伝えたい」と表明した5

TPPとは,シンガポール,ニュージーランド,チリ,ブルネイの4カ国(通称P4)が,2006年に発 効した経済連携協定である(当時は,環太平洋戦略的経済協定(TPSEA)と呼ばれていた)。TPP協議 は,20103月に,新たに,米国,豪州,ペルー,ベトナムを加えた8カ国で第1回交渉が開始し, の後マレーシアが参加し,9カ国で協議が進められている6。TPPは,他に規定がある場合を除いて,発 効と同時に他の締約国の原産品に対するすべての関税を撤廃することを原則としている。さらに,

TPPは,極めて包括的な協定であり,物品の貿易,サービス貿易,電子商取引,競争,税関手続き,

投資,貿易の技術的障害と衛生植物検疫,政府調達,知的財産権など,世界貿易機関(WTO)の枠組 みを超えた規定がなされている。こうしたことから,WTOプラスと呼ばれ,WTOドーハ・ラウンド 交渉が遅々として進まない中で,その魅力が増した。

このような流れの中で,我が国も,TPPへ参加することが期待されていた7。しかし,「質の高い」

FTAであるTPPへの参画は農産物の関税撤廃が条件となることから,「準備が整っていない」という のが政府の見解であった8。過去にも,我が国における農産物の貿易自由化は,関税に関する一般協定

(GATT)ならびにWTO交渉や経済連携協定(EPA)交渉等において,国内から強い反発があった。

ASEAN諸国とのEPA交渉では,我が国は,農業協力や経済協力を相手国に提供する代わりに,コメ のようなセンシティブ品目を,交渉品目から除外してもらっている9。この農産物除外を可能にした国 内要因は,国内農家の強い反対によるものだけではなく,自由民主党(自民党)農林族・農林水産省

(農水省)・全国農業協同組合中央会(JA全中)などからなる農政政策ネットワークが,与党事前審査 制度という与党内閣の二元構造からなる国内政策意思決定システムに,制度的にその影響力を担保し ていたためである10。このような構図で保護されてきた農産物(特にコメ)を貿易自由化することは,

極めて困難であると考えられてきた。ましてや例外のない関税撤廃が求められるTPPならなおさら である。そのため,日本が,TPPの参加検討を開始し,協議を開始することを表明したことは,日本 の通商政策史上の中でも非常に重要な意味合いを持つ。

本論文では,日本のTPP参加決定をめぐる議論を考察し,それに基づき,民主党政権における政策 意思決定システムがどのように変化したのかを分析する。本研究の問題意識は,(1農産物貿易自由 化の政策意思決定システムが,従来の自民党政権から民主党政権へどのように変容を遂げたのか,

(2)首相と内閣を中心とするコア・エグゼクティブがいかに強化され,それがTPPをめぐる論議にど のように影響を及ぼしたのか,(3)菅政権では,なぜTPP交渉に参加することを言明できず,野田政 権ではそれを達成できたかである。これらを踏まえ,本論文のおわりで今後のTPPにおける課題と展

5 首相官邸『野田総理大臣記者会見』平成231111日,2011年。

6 1TPP協定交渉は,オーストラリアのメルボルンにおいて315日〜19日に開催された。

7 例えば,USTRのマランティス次席代表は,TPPの日本の参加に関して「交渉に入るかどうかは日本政府が決めることだ」 強調する一方で,「TPPこそが地域の実質的な経済統合の土台になる」と述べ,日本の交渉参加に期待をにじませた。日本経 済新聞,201066日。

8 日本経済新聞,2010519日。

9 三浦秀之「日タイ経済連携協定における農産物の扱い」『アジア太平洋討究』17号,77–96頁,2011年。

10 三浦秀之「農産物貿易自由化をめぐる政策意思決定システムの変遷̶自民党政権下の変化に注目して̶」『法政論叢』第47 1号,18–46頁,2010年。

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望を検討する。

2. 日本にとってのTPPの意義と課題

日本がTPPを進めようとする理由は,大きく分けて3つあった。第一に,「包括的経済連携に関する 基本方針」の考えの中で,日・EU共同検討作業,日中韓FTA共同研究が進行する一方で,政治,経 済,安全保障のいずれの面でも我が国にとって最重要のパートナーである米国との経済連携を強化す る必要があるという観点からである11。米国との経済連携強化策として,次の3つのアプローチが考え られた12。(1) TPP交渉,または,日米EPAを通じて経済連携を強化する方法,(2) FTAAPの枠組みで の経済連携を目指す方法,(3)二国間投資・サービス協定,制度調和などを取り組む方法である。し かし,米国は日米EPAに消極的であることから,TPPが,日米経済連携の強化策として浮上してきた。

また,米国との関係のみならず,FTAAP実現の道筋として,TPPの利用も考えられた。

第二に,TPPFTAである以上差別的であるため,参加しないと輸出品に対する関税撤廃の恩恵を 受けられないという点である。2009年米国向け輸出の約6割が有税であり,日本の輸出企業が米国に 対して支払った関税は約3000億円に上る。それのみならず,韓国が米国とFTAを先に締結している ため,国会での批准に時間を要するものの発効した場合,韓国と競合する輸出品において価格競争力 の面で不利が生じかねない。特に日韓の場合,競合する割合が7割と高く,FTAの有無が日本の輸出 品にさらに直接的な影響を与えることとなる13

さらに,TPPが,関税引き下げのみならず,国内制度も含めた包括的なEPAが指向されており,将 来の世界のFTAのスタンダードとなりうることがあげられる。このことから,当初からTPP交渉に 参加すれば,日米主導の下,新たな分野のルール作りなどが行えることが考えられた。浦田は,日本 がTPPを検討する一つの理由として,TPPが,米国という大国の主導で,アジア太平洋地域における 貿易と経済の新しい枠組みをつくるべく動き出したことで,日本がそこから取り残されることへの危 機感からであると指摘する14

第三に,2010年に起こった尖閣諸島をめぐる中国との対立問題や核開発やミサイル問題で緊張の高 まる朝鮮半島など日本を取り巻く不安定な地域情勢から,日米同盟強化につながるとの立場からで あった15

このようなTPPの意義が語られる一方で,TPP参加を検討するうえで,次の4点が,課題として生 じていた16。第一に,TPP交渉参加国(参加関心国)のうち,日本がEPAを締結できていないニュー ジーランド,米国,豪州,カナダは,いずれも農業大国であるということである。そのため,関税撤 廃時の日本国内農業への影響が課題となった。第二に,米国以外のTPP交渉参加国に対する日本の輸

11 1EPAに関する関係副大臣会合(2010101日)で配布された,『経済連携に関する基本方針作成に向けた論点』を参 照。

12 Ibid.

13 日本経済新聞社,2010830

14 浦田秀次郎「戦略なきTPP交渉」『潮』2011年,1月号,101頁。

15 谷内正太郎「TPP参加は「強い安保・経済」への分水嶺」『Wedge 2010年,木村福成「環太平洋連携協定TPPとは何か」

『経済セミナー』第660号,2011年。

16 1EPAに関する関係副大臣会合(2010101日)で配布された,『経済連携に関する基本方針作成に向けた論点』を参 照。

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出は限定的であり,米国以外の国との関係ではTPP参加時の日本の経済的メリットが少ないことであ る。第三に,既にEPAを締結しているシンガポール,ブルネイ,チリ,ベトナム,マレーシアとの二 国間のモノの貿易については,日本の関税撤廃による損失が利益を上回る可能性があるということで ある。第四に,米国が,TPP交渉の早期妥結を目指している中で,日本の交渉参加が本当に認められ るか,また,米国の現政権下で妥結することができるか定かでないということである。

3. 分析枠組み:コア・エグゼクティブ論

本研究では,コア・エグゼクティブ論を用いて,民主党政権下における国内政策意思決定システム の変容を考察し,そこからTPPをめぐる参加決定過程を分析する。コア・エグゼクティブ論は,ダン リヴィーとローズが執政構造の変化を捉えるために提示し,「中央政府の政策をまとめ上げ,統合する ことに貢献する,あるいは政府機構の様々な構成要素の対立のエグゼクティブ内の最終的な調整者と して活動するすべての組織や制度」と定義される17。コア・エグゼクティブ論が提唱された背景には,

市場のグローバル化という冷戦後の経済の現状がある。スミスは,グローバル化した経済体制の中 で,内閣に迅速な政策判断が求められていることから,それは会議体としての議会の持ちようがない 能力であることを認識し,法の論理として,議会と内閣を「決定–執行」という図式で捉えるのでは なく,政治の論理として「アクション(内閣)–コントロール(議会)」の関係で捉えなおす必要がある と指摘する18。TPPの議論は,米国がイニシアティブを執るようになり,迅速に対応しなければ,「日 本が制度設計に参加できなくなる,後から入ると敷居が高くなってしまう」という懸念から,日本で も議論の俎上に上がった。このことから,TPPは,まさに,首相・内閣を中心とするコア・エグゼク ティブが,イニシアティブを取るべき政策課題であるといえる。

コア・エグゼクティブ論は,首相の権力を,これまでのリーダーシップ論のように,首相職や首相 個人だけに帰属すると捉えるのではなく,首相官邸,内閣,大臣,官僚制,党幹部などを含む複雑な 制度的関係の中で,また政策争点を含む内外の文脈の中で捉えようとするものである。このためコ ア・エグゼクティブとは,中央政府において最終的調整を担うこれらアクターや制度のパターン化さ れた相互作用としての執政ネットワークと捉えることができる19。このことは,首相のパーソナリティ やスタイルが重要でないということではなく,執政の支配的な説明要因ではないということである20。 また,従来の議論は,政府中枢において首相と内閣のどちらかが優位に立つのかという,ゼロ・サム 的な権力観に立つ傾向が強かった。これに対して,コア・エグゼクティブ論は,首相と他のアクター や組織は相互依存関係にあり,各アクターが保有する「資源」の交換を通じて権力が行使されるとの 見方に立つ。すなわち,コア・エグゼクティブのいずれのアクターも,他のアクターが必要とする

「資源」を持っており,目標を達成するためには,「資源」を交換しなければならない。したがって,

コア・エグゼクティブの権力は,命令,支配といった一方的な事象ではなく,相互依存関係にあり,

17 Rhodes and Dunleavy eds. 1995, p. 4, and Ludger Helms 2005Presidents, Prime Ministers and Chancellors: Executive Leadership in Western Democracies, Palgrave Macmillan, p.11.

18 Martin J. Smith 1999The Core Executive in Britain, Macmillan Press, pp. 24–26.

19 前掲,Smith 1999, p. 5.

20 Rhodes 1995, pp. 10–14.

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各アクターが保有する「資源」と依存構造を明らかにすることに研究の焦点が置かれている21。「資源」

には,構造によって規定されている部分や個人の人格によって規定されている部分がある。主要な役 職とそれに親和的な資源は,表1のようになる。

また,コア・エグゼクティブ論は,政策形成における「戦略」と「戦術」の重要性を指摘している22

「戦略」とは,目標を達成するための包括的な方針であり,「戦術」は特定の状況において戦略的目標 を実現するための手段である。政策形成に関わるアクターは,その実現のために,「資源」を駆使する だけでなく,その使用にあたっては,「戦略」や「戦術」を用いるという。これらの諸概念を基に,ダ ンリヴィーとローズは,政策過程において重要な役割を果たしているいくつかのアクターを確定し,

執政府における各アクターの相互作用を類型化し,その動員する資源,あるいは戦略によって内閣制 運用の諸カテゴリーの特徴を,表2のように類型化した。これによると,内閣制運用を首相統治,首 相・側近集団統治,内閣統治,大臣統治,文節決定,官僚調整という六つの類型を確定し,その類型 における主なアクターとその役割を指摘している。

具体的には,首相統治では,首相が政策過程において中心的な政策形成者であり,内閣は首相を支 えるチームであることを示している。首相は選挙を経た独裁者であるため,官僚機構へのコントロー ルが非常に高い。しかし,一人の首相がすべての課題において著しい能力を持ち,大量の問題を処理 する時間の余裕を持っていない。「首相統治」でみられたこの問題が,「首相・側近集団」では解決さ れているかと思われる。側近集団は,首相の基本的な考え方を拡張し,政策過程においてその適用に 努めている。また,内閣統治について,「首相・側近集団」では,首相を支えているインナー・エリー トが存在し,彼らのすべてが内閣のメンバーではないことが述べられている。したがって,閣僚すべ てが必ずしも官僚機構に対して強い影響力をふるっているとは限らない。しかし,「内閣統治」では,

選ばれたほとんどのメンバーが省の大臣でありながら内閣内において首相ンサポートを行い,合意さ れ,統一された方針に基づき統治にあたるため,内閣の官僚機構に対するコントロールが非常に高い

21 前掲,Smith 1999, pp. 1–2.

22 前掲,Smith 1999, pp. 33–34.

1 首相・大臣・官僚が保有する資源

(出所)Martin J. Smith (1999)“The Core Executive in Britain,” Macmillan Press, p. 32.

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ことが指摘されている。首相統治では,内閣が首相を支えるチーム,内閣統治では内閣が国策の調整 と主な政策決定を行う集合体であり,官僚機構に対するコントロールの度合いが高く,首相あるいは 内閣の政策過程における役割が目立っている。

4. 官僚調整型から首相統治・内閣統治型へ

本章では,自民党政権から民主党政権における制度的改変を,コア・エグゼクティブ論の枠組みに 当てはめ説明する。自民党政権における政策意思決定システムの特徴は,政策形成における「与党事 前審査制度」と「与党と政府の二元構造」である23。与党議員は,政府提出法案が閣議に提出されるに 先立ち,政調会(部会)や総務会において事前審査を行う。そのため,与党で了承を得た法案は,党

23 飯尾潤「日本における二つの政府と政官関係」『レヴァイアサン34号』2004年,伊藤光利「官僚主導型政策決定と自民党」

『レヴァイアサン38号』2006年。

2 首相統治・内閣統治をめぐる論争の比較類型

(出所) R. A. W. Rhodes and Patrick Dunleavy eds. 1990Core Executive Studies in Britain, Public Ad- ministration 68, pp. 6–7.

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所属議員に賛成を義務付ける党議拘束が掛かり,国会で成立する道筋をつけることができた。その一 方で,了承を得られないときは閣議に法案を提出できない。

与党事前審査制度における象徴的なアクターは,族議員である。族議員とは「特定の領域の政策決 定に際して,一定の影響力を持つ議員」のことである24。族議員は,特定の業界への配慮や自身の権益 が阻害される場合,法案提出を了承せず,その結果,閣議へ法案を提出することはできない。このこ とから,官僚は,与党議員から了承を取り付けるために根回しに奔走し,「調整型官僚」と呼ばれた25。 農産物の貿易自由化政策では,農林族,農水省,JA全中からなる農政政策ネットワークが構築され,

それぞれの権益維持のため,コメのような「聖域」と目されたセンシティブな品目は,貿易自由化論 議の俎上に載せることすら不可能であった。

また,自民党政権下では,首相が党内基盤を安定させるため,派閥の意向を考慮し,閣僚のポスト を派閥幹部の意向を受けて決めていた26。つまり,派閥政治の問題は,首相の人事権が派閥領袖によっ て制約されているために内閣の中で首相がリーダーシップを発揮できないことにある。また,リー ダーシップの不在だけでなく,自民党内のキャリアパスの制度化により頻繁な内閣改造がなされ,い わゆる派閥順送り人事となったため,各大臣の任期が一年前後と著しく短く大臣が各省を掌握できな いことも問題として挙げられる。

このように,閣議の形骸化の原因の一つといわれている政府・与党の二元体制,特定の政策に関し て法案を阻止する力を有している農政政策ネットワークの存在,官僚による事前調整などが,内閣に よる統制や,首相のリーダーシップの発揮を妨げてきた。実際,首相の指導力が強化されたといわれ た小泉政権下でさえ,ウルグアイ・ラウンド合意の枠組みを越える農産物貿易自由化を,一部農産品 では達成したものの,コメのような基幹作物の扱いに関しては,農林族議員に配慮を示していた27。さ

24 佐藤誠三郎・松崎哲久『自民党政権』1986年,中央公論社,264–265頁。

25 佐竹五六『体験的官僚論』1989年,有斐閣はこうした状態をよく整理している。

26 山口二郎「内閣制度」森田朗編『行政学の基礎』1998年,岩波書店,7頁。

27 前掲,三浦(2011)。

1 自民党政権下における農産物貿易自由化をめぐる政策意思決定システム

(出所)筆者作成

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らに,安倍政権では,農産物の課題を抱える日豪EPA交渉を進めるべく,松岡農水大臣が,意気込ん で農林部会に説得に訪れたが,農林族の猛烈な反対により,交渉は暗礁に乗り上げた28。このような自 民党政権下におけるコア・エグゼクティブは,ダンリヴィーとローズの枠組みに当てはめると,政策 形成における官僚の役割が非常に高いことを踏まえ「官僚調整」に類型化できる29

しかし,20098月の衆議院選挙において民主党が大勝し,民主党が歴史的な政権交代を果たし,

鳩山政権が誕生した。民主党政権では,「政治主導」と「内閣一元化」を掲げ,自民党政権からの政策 意思決定システムの変革を試みた。民主党政権において,首相と内閣の「資源」を制度的に増加させ たものとして,「政治主導」を掲げ,それまで与党自民党内の非公式な機関に過ぎない政務調査会部会 が実質上の事前審査をしていた政策決定の在り方を,与党の要職にある政治家が政府の公式な役職に 就くことで,透明性と責任性をより明確にしたことにあった30

これらに加え,民主党政権では,首相直属の機関として国家戦略室が設置され,予算の骨格や重要 政策,国家ビジョンの立案,そして,省庁間や政府内の政策調整を,政治家主導で行うことが掲げら れた31。国家戦略室は,重要政策の企画立案・総合調整と,首相に提言や情報提供を行うシンクタンク の2チーム体制が構築された。官房長官を中心に行ってきた重要政策の総合調整について,戦略室と 役割分担することで政策遂行を円滑化し,官邸機能の強化につなげ,政治主導実現を目指された。さ らに,国家戦略室を中心に,首相を議長とする「成長戦略策定会議」において,「新成長戦略」が策定 されることとなった。2010年9月7日には,新成長戦略の実現を推進・加速するため,首相を議長と し,内閣官房長官,国家戦略担当大臣・内閣府特命担当大臣(経済財政政策),経済産業大臣を副議 長,財務大臣,内閣総理大臣が指名する者,関係機関の長及び有識者を構成員とする,「新成長戦略実 現会議」が設置された32。こうした改変により,首相が内閣の首長として,また,内閣官房や内閣府の 長として(内閣法23条,内閣府設置法6条1項),従来よりも強い政治的指導力を発揮できる体制が整 うこととなった。

また,自民党政権下においては,各省庁における実質的な政策決定は閣僚や幹部官僚が中心の「省 議」で行っていた。一方,民主党政権下では,閣僚,副大臣,政務官からなる政務三役が,省庁にお ける議題設定,法案作成,省庁間の調整から閣議への提出まですべてを主導することが標榜された。

省庁間の調整は,自民党政権下では閣議前に事務次官会議が開かれていたが,これが廃止された。こ れに代わり,関係閣僚委員会で調整されて閣議に提出されるようになった。

先述のように,自民党政権下では,法案は,閣議提出前に,政策調査会(部会)で与党事前審査に 掛けられた。一方で,民主党政権では,一時は鳩山政権で政調会が廃止されたが,菅政権で復活した 政調会内に,複数の省庁にまたがる課題に対応する「プロジェクトチーム(PT)」が設置された。そし

28 玉澤徳一郎(元農林水産大臣)インタビュー,20081224日。

29 官僚調整をさらに裏付けるものとして,事務の副官房長官であった石原信雄は,著書の中で,「事務の官房副長官は,文字通 り事務方の総括責任者で,官邸における各省庁関係の仕事を取り仕切る。その最も大きな役割は,閣議に備えて各省庁の事 務次官による事務次官会議を主催すること,すべての政策テーマに関して各省庁間の意見調整を行うことである」と述べて いる。石原信雄『官かくあるべし』1998年,小学館文庫,112頁。

30 内閣官房『政・官の在り方』平成21916日,閣僚懇談会申合せ,2009年。

31 首相官邸『国家戦略室の設置に関する規則』平成21918日,内閣総理大臣決定,2009年。

32 内閣官房『新成長戦略実現会議の開催について』平成22927日,閣議決定,2010年。なお,成長戦略策定会議は廃止さ れた。

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て,党と政府の調整は,政調役員会が担うこととなった。政調会会長と国家戦略担当大臣を玄葉光一 郎に兼務させ,官邸と歩調を合わせて政策意思決定ができるような仕組みにした。各議員が所属する 部門会議には,政府法案に対する事前承認・決定権を与えず,あくまで内閣に提言を行う機関とされ,

自民党政権下における与党事前審査とは一線を画す。一方で,部門会議のトップに就く政調幹部と各 省庁の副大臣が役員会に出席するため,党の意向を反映させることが可能となった。

さらに,自民党政権下では,業界団体の陳情が政調会部会などに属す族議員などに行われ,それが 族議員を通じて与党事前審査に影響を及ぼしていたが,民主党政権では,業界団体からの陳情は,「陳 情要望対応本部」が一元的に受け付け,各省庁の政務三役に伝達されることとなった。この目的は,

特定分野の政策決定に影響力を持つ族議員化を防ぐとともに,陳情団を減らし政務三役の負担を減ら すことが狙いであった。各省では,業界団体等からの陳情を原則受け付けず,陳情要望対応本部から の陳情の受付を踏まえて,政務三役は法案を取りまとめて内閣に提出する仕組みとなった。

一方,野田政権では,「政治家だけではこの世の中をよくすることはできない。各府省のみなさんの 全力を挙げてのサポートが必要だ」と述べ,官僚を政策意思決定システムの場から排除する「脱官僚」

による政治主導を掲げた鳩山・菅政権から,政官協調体制による政治主導へと修正させる考えを明確 にした33。野田政権では,首相と官房長官,党三役(幹事長,政調会長,国会対策委員長)と幹事長代 行で構成する政府・民主三役会議を事実上の最高意思決定機関とした。ここでは政調会長を中心とす る政調会で党内調整し,政策決定については,政調会長の了承を原則とし,政府・民主三役会議は党 側の政策決定への関与・権限を強化した。また,政権交代後に廃止され,震災対応の「連絡会議」と して事実上復活した事務次官会議を継続し,毎週開催することとした。

このような民主党政権下におけるコア・エグゼクティブの変革は,首相と内閣の有する資源の増大 ばかりでなく,ネットワークの構造的な改変まで含むものであり,意思決定や政策形成における行為 者間の関係に大きな影響を与えるものである。これは,ダンリヴィーとローズの類型化に当てはまる と,「首相統治型」及び「内閣統治型」を目指されたことを意味する。こうして再編されたコア・エグ ゼクティブのもと,TPPをめぐる議論が,菅政権において開始した。これまで述べてきた菅政権,野 田政権の政策決定システムの特徴がいかに両政権のTPP参加表明の違いにつながったのか,以下,民 主党政権で変化したシステム下において,どのような役にいかなるアクターがついたのかに焦点を当 てながら論じていく。

5. 菅政権におけるTPPをめぐる政策意思決定過程

2010年6月に高い支持率とともに発足した菅政権は,消費税導入を政策論議に載せた結果34,2010 年7月11日に行われた参議院選挙において大敗した35。その結果,衆議院で与党は過半数を占めるが,

参議院において与党は過半数割れし,ねじれ状態の国会運営が迫られることとなった。こうした中 で,菅政権は,政府はどの国といつまでにEPAを結ぶかを盛った「包括的経済連携の基本方針」の策

33 日本経済新聞,201197

34 参議院選挙後,菅首相は,「私の消費税をめぐる不用意な発言によって大変重い,厳しい選挙を強いることになったことを心 からお詫びする」と陳謝した。毎日新聞,2010721日。

35 この選挙で,民主党は改選前より10議席失い,44議席を得た。

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定に着手したが,参議院での与党過半数割れにより,大胆な貿易政策を打ち出しにくくなっていた。

特に,EPA交渉を進めるにあたり,牛肉や乳製品,小麦,大豆,砂糖,米など,我が国で重要品目と される農産物の扱いを柔軟に取り組む必要があり,そのためには,政治的な強いリーダーシップが求 められていた36

こうした中で,菅首相を議長とし,国家戦略室を中心とする「成長戦略策定会議」において,「新成 長戦略」が策定され,2010618日に閣議決定された37。この「新成長戦略」では,1 2010年秋ま でに「包括的経済連携に関する基本方針」を策定すること,(2「東アジア共同体構想」の具体化の一 環として,2010年にAPECをホストする機会を通じて,FTAAPの構築のためのあり得るべき道筋を 探求するに当たって強いリーダーシップを発揮することなどが掲げられた。そして,大畠章宏経産大 臣が,2010年9月19日,「TPPに日本も参加へ一歩進めることが必要だ」と述べ,閣僚としえ初めて TPPについて言及した38。農家への戸別所得補償制度の拡充と合わせ,推進する意向を表明し,TPPに 関し,「日本が加われるかどうか,経産省としてとりまとめの先頭に立ちたい」とイニシアティブを取 る姿勢を示した39

2010101日,菅首相が,TPP交渉への参加を検討することを所信表明で言及した。そして,10 月8日に菅首相が議長を務める新成長戦略実現会議40において,菅首相は,TPP参加を検討し,11月 に横浜で開かれるAPECの首脳会議までにまとめる経済連携推進の基本方針に盛り込むよう指示し た41。他方で,民主党・政調会においても,APEC・EPA・FTA対応検討プロジェクトチーム(PT)が,

外務省出身でTPP推進派である山口壮・筆頭政調副会長を座長とし発足し,TPP交渉に参加すること を最終とりまとめの方向性とし42,105日に第1回のPTを開催した43。第4回のPTにおいて,山田正 彦・前農水大臣は,TPPを参加検討すること反対する意向を表明する一方で,直嶋正行・前経産大臣 は,「日本はTPP参加の意思を明確にすべきである」と反論した44。PTが進められるにつれ,国内農業 に,配慮を求める意見が多く出てくるようになった。

このような,政府と民主党内における軋轢が生じる中で,民主党政調会長を兼ねる玄葉国家戦略担 当大臣は,国家戦略室の体制強化を発表し,政府と党内を調整し,EPA推進を中心課題に据える姿勢 を示した45。これまで,首相に提言する機関に留まっていた国家戦略室を,重要政策の企画立案・総合 調整と,首相に提言や情報提供を行うシンクタンクの2チーム体制とした。そして,従来,官房長官 を中心に行ってきた重要政策の総合調整について,国家戦略室と役割分担することで政策遂行を円滑

36 浦田秀次郎「APECと日本のアジア太平洋経済戦略」『外交』2010年,外務省。

37 国家戦略室『新成長戦略』2010618日。

38 日本経済新聞,2010920日。

39 日本経済新聞,2010923日。

40 新成長戦略実現会議は,2010618日に閣議決定された「新成長戦略」の実現を推進,加速するための会議と位置付けら れ,201097日に閣議決定された。

41 時事通信,2010108日。

42 藤末健三(APECEAPFTA対応検討PT・事務局長)インタビュー,20101229日。

43 APECEAPFTA対応検討PT役員会メンバーは次のとおりである。座長・山口壮。副座長・佐々木隆博(農林水産部門座 長),吉良州司(外務部門座長),後藤斉(経済産業部門座長)。座長代理・高橋千秋。事務局長・藤末健三。主査・福島伸亨

(農林水産部門),谷岡郁子(外務部門),北上圭朗(経済産業部門)。

44 APECEPAFTA対応検討PTAPECEPAFTA対応検討PT』における議論(メモ)』,平成22112日,2010年。

45 日本経済新聞,20101020日。

(11)

化し,官邸機能の強化につなげ,政治主導実現が目指された。TPPについては,企画立案・総合調整 チームで取り組むことが決まった。こうして,国家戦略室を中心として,TPPをめぐる政府と党内の 意見を,玄葉光一郎国家戦略大臣,平野達男内閣府副大臣,城島光力政調会長代理を中心に取りまと め,かつ,橋渡しするチームが形成されていった。

一方で,TPPに反対する与党の国会議員は,1021日に,「TPPに関する緊急勉強会」を開いた46 発起人には鳩山由紀夫前首相や国民新党の亀井静香代表,山田正彦前農水大臣など,衆参あわせて 114人が名を連ねた。また,TPPをめぐり,閣内でも意見が割れ,前原誠司外務大臣,仙谷由人官房 長官などがTPP推進に積極姿勢を示す一方,鹿野農水大臣やTPPの所轄大臣である大畠章宏経済産 業大臣も,農業従事者を抱える茨城の選挙区事情から慎重な意見を唱えた47

こうした閣内不一致を調整するため,菅首相は「10年後の日本の農業を,国土保全や活力ある地域 社会をつくる観点からどうするかが重要で,そのことと菅内閣が掲げる『国を開く』ことの両立は可 能だ」と述べ,各国との締結交渉を進める姿勢を強調した48。さらに,慎重な意見を緩和すべく,戸別 所得補償制度の拡充が柱とする2兆円規模の農業支援策の検討に入った。PTでは,JA全中,全国農業 会議所,経団連,日本商工会議所からのヒアリング,党内のTPP推進派と慎重派の調整が重ねられて いる。

しかしながらPTの回数を重ねるごとに国内農業に配慮を求める意見が強まったことから,PT提言 では,それら意見に配慮する必要が生じた49。PT提言の当初案では,『参加のための事前協議(P4国を はじめ,既に参加表明している合計9カ国との二国間交渉を含み,この交渉過程で,具体的参加の可 否を確認できる)』と記されていたが,『情報収集のための協議を行い,交渉への参加・不参加を判断 する』に変更50,この段階でTPP参加を打ち出す前提が崩れた。この提言は,玄葉国家戦略担当大臣

(政調会長)から菅首相に伝達され,菅首相は,TPPに慎重な鹿野農水大臣や与党の国民新党と協議 し,最終案で合意した。

菅首相は,2010年11月5日,包括的経済連携に関する閣僚委員会で,TPPについて「情報収集を進 めながら対応し,国内の環境整備を早急に進めるとともに,関係国との協議を開始する」と明記した 基本方針を決め51,交渉参加への意思を維持しながらも,参加表明に至らなかった。しかし,「すべて の品目を自由化交渉対象とし,高いレベルの経済連携を目指す」と踏み込んだ内容が明記され,また,

農業についても,「競争力向上や海外での需要拡大など農業の潜在力を引き出す大胆な政策対応が不 可欠」と指摘されている。

PTはAPEC開催時までにTPP参加表明を打ち出すために設置されたが,慎重あるいは反対意見を 述べる場となってしまい,当初の機能を果たせなかった。ただし「すべての品目を自由化交渉対象」

とする文言を入れたことは,例外なき自由化を進めるTPP参加の必須条件であるとはいえ,これまで 日本の通商交渉では見られなかったものであり,近い将来,参加表明へ向けた仕切り直しの可能性を

46 日本経済新聞,20101021日。

47 日本経済新聞,20101020日。

48 共同通信,20101024日。

49 藤末健三(APECEAPFTA対応検討PT・事務局長)インタビュー,20101229日。

50 『民主党APECEPAFTA対応検討PT(第16回)結果概要』を参照。

51 首相官邸『包括的経済連携に関する基本方針』平成22116日,包括的経済連携に関する閣僚委員会。

(12)

示すものであった。実際,菅政権は,TPP交渉参加の最終判断について2011年6月をめどにすること を表明している。また「例外なし」とは,高関税農産品の自由化を意味し,そのためにも農業関係者 の反対をできるだけ抑える必要があった。これに対応するべく,「食と農林漁業の再生推進本部」が設 置され,TPP参加の最終判断と時を同じく2011年6月をめどに,大規模化を通じた農家の生産性向上 や競争力強化を含んだ農業対策の基本方針を示すことを決定している52

しかし民主党内では先の「TPPを慎重に考える会」に加え,山岡賢次元国会対策委員長が「食料と エネルギーの自給率向上と成長産業としての環境政策を推進する議員連盟」を設立し,小沢一郎元代 表に近い勢力が,官邸主導の改革に「圧力」をかける構図となった。2011年1月14日,菅首相は内閣 改造を実施した際,経産大臣を農業県に選挙区がありTPPに慎重姿勢を示す大畠氏から,農業関係者 の圧力の受けにくい東京都選出の海江田氏に替えている。内閣官房の国家戦略室に,自民党政権時 代,大規模農家に支援を集中する構造改革を推進した小林芳雄元農水次官を参与に登用し,TPP参加 に向けて「食と農林漁業の再生推進本部」の事務局として,農地法改正も視野に入れた抜本的な改革 を志向した。またTPP参加をにらんだ農業改革の議論も進め,225日,「食と農林漁業の再生実現 会議」の第3回会合では,中間整理のたたき台で,担い手,農地,流通の三位一体の改革で,日本の 農業の国際競争力を高める方向性が示された。平野副大臣は「経済連携による果実を財源の一部に充 てていく」として,これまでの消費者負担の農業保護から納税者負担の保護へ移行する考えを示し た53。JA全中も,JAグループとして農地集約の目標となる具体的な規模を初めて示す農業改革の提言 案をまとめた。

そうした中,2011311日,東日本大震災が起こった。TPPに向けて農業や規制改革をめぐる議 論を加速させるはずであったが,東日本大震災で「時間が止まった状態」となった54。東京電力福島第 1原子力発電所の事故を受け,経産省は,危機対応に当たる原子力安全・保安院に,通商政策局担当 の西山英彦審議官をはじめとするTPP担当者を駆り出したのは,TPP参加に向けた議論に遅れが出る ことを示した55。その後,5月17日の閣議で,東日本大震災の影響を踏まえて,これまでの政策課題の 優先順位を組み直した「政策推進指針」を決定し,TPPに関しては,6月に参加の是非を判断すると した当初方針を先送りした。結果的に,菅首相は,尖閣諸島付近での中国漁船への対応問題以降,支 持率を下げ,東日本大震災・原発事故からの復興や円高対策に十分に有効な方向を見いだせぬまま,

826日に,在任449日で内閣総辞職をした。

6. 野田政権におけるTPPをめぐる政策意思決定過程

菅首相の後任を決める民主党代表戦では5候補が手を挙げ56,TPP交渉への参加では対立軸が鮮明に なった。そして,2011年9月2日,民主党代表戦で過半数を勝ち得た,野田佳彦全財務大臣が民主党 代表に選出され野田内閣を発足した。

52 国家戦略室2010『食と農林漁業の再生推進本部の設置について』平成221126日。

53 食と農林漁業の再生実現会議(2011)『第3回食と農林漁業の再生実現会議−議事要旨』平成23225日。

54 9回を予定していた国民への説明会「開国フォーラム」は,大震災前に3回開いただけで,残り6回はすべて中止となった。

55 日本経済新聞,2011323日。

56 候補者は,前原誠司氏,馬淵澄夫氏,海江田万里氏,野田佳彦氏,鹿野道彦氏である。

(13)

菅政権でTPPの議論が滞った状況を打開し,TPP参加を表明したのが野田政権であった。野田首相 は,初の所信表明演説において,TPP交渉参加を「早期に結論を出す」と表明し57,また9月21日の日 米首脳会談をにらみ,枝野経産大臣はルース駐日米大使と会談し,早期判断を表明している。米国な ど交渉参加9カ国は,APECホノルル会合にてTPPの「大枠合意」をする方針を打ち出していたため,

時間が限られた中,野田政権はTPP交渉への参加について早急に結論を出す必要があった。野田首相 はTPP交渉への参加問題について早急に結論を得るために,政府内,党内で議論を始めるよう指示 し,藤村修官房長官が,民主党の樽床伸二幹事長代行にTPP交渉への参加問題をめぐる党内の議論を 早急に始めるように要請した58。前原政調会長は,TPP交渉参加に向けた調整の舞台として新たに経済 連携と農業再生に関するプロジェクトチーム(PT)を新設し,座長には農協出身で農林関係に土地勘 のある鉢呂吉雄前経産大臣を据えた。顧問には,岡田克也前幹事長や藤井裕久税制調査会会長など党 幹部を配置し,農林族取込みと抑えの利く体制としたといえる。鉢呂座長は,「きちんと方向付けする ことは政権与党の大きな責務だ」とAPEC前に党の要望を取りまとめる案を示したが59,ここでも前年 同様,TPP推進派と慎重派の対立が激化し,党内,閣内の調整は困難を極めた。慎重派の意見には,

農業だけでなく医療や金融なども完全に自由化され水準が大幅に低下することへの懸念を示す主張も あった。

ここでの構造は,JA全中が様々な手段を講じてTPP反対を訴えかけ,PTにおいて農業保護派が政 治の場にそれを持ち込むというものであった。JA全中は,TPP交渉に参加反対を求める1166万人分 の署名を民主党に提出し,さらに「議員のお名前は広く農家・組合員に周知する予定です」と民主党 議員に文書を送付したため,支持率が低迷する中,当選回数の少ない地方の民主党議員はTPP反対を 声高に叫ぶようになる。またTPP慎重派の急先鋒であった山田前農水大臣は,野田首相が反対論を押 し切って交渉参加を決めた場合,「若い議員の中には離党を覚悟している人もいる」と発言し60,慎重 派は野田首相に不参加を促すため,あらゆる手段を講じている。そして,提言案をまとめる最終PT総 会に先立ち,山田前農水大臣は藤村官房長官に,慎重派議員の名簿を提出したが,その数は224人に 達し,TPPは民主党を二分する問題となった。

結果的に,PT役員会で,政府の交渉参加に関する提言案をまとめ,慎重派の主張に配慮して,12 からのAPEC首脳会議の際の交渉参加表明について「PTの議論では賛否両論あったが,慎重な立場に 立つ発言が多かった」と指摘し,そのうえで「政府には十分踏まえたうえでの判断を提言する」と,

首相に判断を委ねた61。PTの議論では「政府には慎重な判断を提言する」とした原案を「慎重に判断 することを提言する」との表現に改めるよう求める意見が出て紛糾した。推進派は「な」より「に」

の方が,首相が政治判断できる余地を広げると考えた。野田首相は,党内の強い反対を考慮し,予定 していたTPP交渉への参加表明を1日先送りした。しかし,2011年11月11日,「貿易・投資の自由化 を推進し,アジア太平洋地域の経済統合を進めることは,この地域における活力を日本が取り込んで

57 首相官邸『第百七十八回国会における野田内閣総理大臣所信表明演説』平成23913日。

58 日本経済新聞,2011104日。

59 日本経済新聞,2011105日。

60 日本経済新聞,2011112日。

61 日本経済新聞,20111110日。

(14)

いくうえで大変有益な議論だ」と述べ,2011年11月13日,米国ハワイ州で開かれたAPEC首脳会議 で「TPP交渉参加に向け,関係国と協議に入る」と表明した。

7. コア・エグゼクティブ論に基づく分析

本章では,TPPをめぐる民主党政権における政策意思決定システムを,コア・エグゼクティブ論に 基づき分析を行う。先述のように,コア・エグゼクティブ論では,個人や制度を,「資源を持つアク ター」と捉えている。これまでの制度的改変を受け,菅内閣が保持する「資源」を,「首相と内閣の資 源」・「政治的資源」という2つの視点から考察し,TPPをめぐる議論を分析する。

まず,首相と内閣の「資源」が強化されたことが,どのようにTPPをめぐる論議に影響したかをみ てみたい。第一に,首相の閣議における発議権が担保されたことが重要である。1999年に内閣法が改 正されるまで,各省分担管理原則の下で,閣議への提案権が各省の主任の大臣に制限されていた。し かし,内閣の重要政策に関する基本的な方針について首相が閣議へ発議する権限が明記されたことに よって,TPP交渉参加を検討する指示を,首相が提案することが可能になったといえる。201010 月1日に,菅首相が所信表明演説においてTPP交渉への参加を検討することを所信表明で言及し,そ の後,10月8日に開かれた新成長戦略実現会議において,TPP参加を検討し,経済連携推進の基本方 針に盛り込むよう指示した。従来,センシティブな農産物を含むTPPのような法案が,各省庁から ボットム・アップで持ち込まれると,調整に時間がかかるばかりか,農水省や農林族の反対で,法案 が阻まれる可能性があった。これを首相が発議する権限が明記されたことによって,政策形成プロセ スを変えることができたといえよう。また,TPP交渉に参加をする方向性が,首相官邸と内閣の「戦 略」となったといえ,それを具現化するための「戦術」の構築が次の段階となったといえよう。

第二に,特定省庁に縛られない,首相を補佐するための国家戦略大臣のような特命担当大臣置くこ とができるようになったことが大きい。先述のように,国務大臣の総数の削減に伴い,首相を助ける 特命担当大臣を置くことができるようになった。これに伴い,首相直属の機関として国家戦略室を設 置し,内閣府特命大臣として国家戦略大臣を配した。国家戦略室は,当初,国家戦略局として格上げ することが目指されていたが,衆参ねじれ国会いよって,制度的強化が困難となった。しかし,2010

2 菅政権下におけるTPPをめぐる政策意思決定システム

(出所)筆者作成

(15)

年10月3日,民間出身者,官僚約30人で構成されていた戦略室スタッフを,必要に応じ人員を弾力的 に増減できるとする内閣官房の「柔軟化枠」で増員した。内閣参事官をそれぞれのチームに統括役と して新たに据え,そのうえで玄葉光一郎国家戦略大臣が戦略室業務のすべてを統括し,平野達男内閣 府副大臣ら政務三役が中心となって運営する体制が構築された。これによって,重要政策の企画立 案・総合調整と,首相に提言や情報提供を行うシンクタンクの2チーム体制が構築された。このよう にして,首相が発議した検討課題を,首相を補佐する機構が整備されたことによって,検討課題の具 現化,すなわち「戦術」の構築をすることが可能となった。

第三に,菅政権になり,国家戦略大臣は民主党の政調会長を兼ねることになり,省庁間や政府間の 政策調整を政治主導で進めることのみならず,党内の意見調整も進めることが可能となった。実質的 に民主党におけるTPPの提言をまとめるAPEC・EPA・FTA対応検討プロジェクトチーム(PT)にお いても,菅首相が発議した基本方針(戦略)を基に,TPP交渉に参加することを最終とりまとめの方 向性とし,その「戦術」を構築することとなった。その土台を築くため,「内閣官房」「国家戦略室」

「政策調査会」(玄葉国家戦略大臣・政調会長,平野内閣府副大臣,城島政調副会長)が一体となって,

首相が主導する基本方針を,補佐・強化・調整する役割を担ったことが重要である。

以上のように,TPPをめぐる議論において,従来,省庁の局課からボットム・アップで政策原案が 登場したプロセスを,喫緊に対応しなければならない重要な政策課題に対しては,首相の発議権で,

基本方針を示し,トップ・ダウン的に対応できるようになったことが大きく影響したといえる。ま た,制度的にその基本方針を具現化する環境も整備されたといえる。このトップ・ダウン的なアプ ローチが,制度的に可能になったことにより,従来,与党事前審査制度を通じて農林族議員に阻まれ てきた(民主党において新たに登場した農林族議員の登場にも関わらず),コメを含むTPPの議論の 大枠を,政策アジェンダに載せることができたといえる。

では,次に,菅内閣が保持する「政治的支持」の観点からみてみたい。表1のように,首相が保持 する「政治的支持」には「党の政治的支持」と「選挙民の政治的支持」の2つがある。TPPをめぐる 民主党政権の閣議決定は,TPPへの交渉参加を正式に表明したものではなく,参加を検討するための 国会環境整備と関係国との事前協議であった。このように,TPP交渉に参加することを踏み切れな かった背景を,コア・エグゼクティブ論に基づいて考えてみると,菅政権が有する「政治的支持」が 影響を及ぼしたといえる。

ここで,小泉政権期と菅政権期における「政治的支持」を比較してみたい。小泉首相が強力な官邸 主導体制を構築できたのは,その有する資源としての政治的支持が党内でも,選挙民の間でも,有効 に調達できたことによりその影響力を維持できたからである。一方で,TPPをめぐる菅首相の「党の 政治的支持」をみると,衆参ねじれ国会という中で,その資源が限られる中で,野党ばかりでなく,

党内の造反を抑制するために,与党議員の支持の調達にまで,相当に気を使わなければならないとい う構造の中に置かれた。また,「TPPを慎重に考える会」のように,与党内におけるTPPを慎重に進 めることを訴える勢力も登場し,それら意見を配慮しなければならなかったといえる。TPPをめぐる 法案は,民主党において党議拘束は掛かるが,条約批准過程において必要な国会議員の「一票」の行 く末は,首相の「政治的支持」が小さいと造反する可能性もあり,国会審議に掛かるまで分からない。

「TPPを慎重に考える会」は,制度的には,政策意思決定システムに組み込まれておらず,政策意思決

(16)

定過程には,インフォーマルにしか影響力を及ぼすことはできない。しかし,これらTPP慎重派の議 員は,「一票」を有し,法案の可決権を握っている。

では,「選挙民の政治的支持」はどうであろうか。選挙民の間でも,TPPをめぐり推進派と慎重派で 分かれた。TPP推進派は,主に経済団体であった。日本経団連や日本商工会議所は,2010年10月21 日,TPPへの早期参加を柱とする緊急提言を公表した。経団連の提言では,APEC首脳会議でTPP 渉への参加を表明できなければ,「国際的な事業環境の整備で諸外国から大きく後れをとる」と指摘 し,「早期に交渉に参加し,ルールづくりに積極的に参加すべきだ」とした62。また111日にも,日 本経団連と日本商工会議所,経済同友会は,財界人や与野党の国会議員ら約800人が参加して,TPP への早期参加を政府に促す緊急集会を開き,APEC首脳会議で菅首相がTPP交渉への参加を明言する ように求める決議を採択した63。また,読売新聞社の全国世論調査では,TPPに,日本が参加すべきだ と思う人は61%で,「参加すべきでない」18%を大きく上回った64。国民の多くは,TPP参加を支持を 示したといえる。では,なぜそれが,「党の政治的支持」につながらないのであろうか。それは,TPP に反対する意見を示す農業団体に配慮したためである。

農業団体の中核的な存在のJA全中は,政府と民主党がTPP参加を検討している最中に,生産者や JA代表者など1000人が参加する「米の需給・価格安定と万全な所得補償を求める全国代表者集会」

(2010年10月19日)を開き,「例外を認めないTPPを締結すれば日本農業は壊滅する」と表明し,TPP 交渉参加反対を決議した65。また,11月10日にも,TPP反対を掲げる集会を開催した。その後も,JA 全中を中心とする農業団体は,全国でTPP参加反対を表明する会を開催した。

これらの集会には,多くの民主党議員も参加していた。APECEPAFTA対応検討PTの藤末事務 局長は,「大畠経産大臣が,当初TPPに積極的であったのに対し,その姿勢をトーン・ダウンしたの も,自選挙区(茨城5区)の政治的背景に配慮したものである。大きく分けて,民主党のTPP推進派

62 日本経済団体連合会『経済連携協定の一層の推進を改めて求める−APEC首脳会議に向けての緊急提言−』20101021 日。

63 毎日新聞,2010112日。

64 読売新聞,2010118日。

65 農業協同組合新聞,20101020日。

3 野田政権下におけるTPPをめぐる政策意思決定システム

(出所)筆者作成

参照

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